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宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち #1〜10 〜戦争モノの本質とは!? 愛をも相対視する40年後のリメイク!

『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち 第七章「新星編」』 ~不評の同作完結編を絶賛擁護する!
『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち 第一章「嚆矢篇」』 ~キナ臭い主張を期待したい(爆)
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宇宙戦艦ヤマト2202(ニーニーゼロニー) 愛の戦士たち』#1〜10(第一章〜第三章) 〜戦争モノの本質とは!? 愛をも相対視する40年後のリメイク!

(文・T.SATO)
(2018年12月2日脱稿)


 善良でリベラルな皆さまには大変申し訳ないけど、こーいう巨大ロボットとか宇宙戦艦――怪獣怪人やヒーローでも可――が出てきてドンパチする作品は、いかに劇中で「戦争は悲惨だ」「平和は大切だ」「軍拡に反対だ」と唱えても、それは言い訳に過ぎなくて、メインディッシュは巨大な存在や物体それ自体への驚きや畏敬の念、そしてそれらが重厚に動き出したり歩を進めたり宙に浮かんだりといったことに対する感嘆の想い、もっと云えばそれらが複数・数十・数百と登場したり、同等・拮抗する敵の巨大物体も登場させ、カッコよくて迫力のある戦闘シーンを、そして一進一退の果てにたとえ一時はピンチになったとしても最終的には勝利を納めることで、カタルシス・爽快感を視聴者にもたらすことが主眼のジャンルであると思う。
 結局のところは、そーいう巨大物体の登場・始動・物量・戦闘・一進一退・勝利! といった一連の運動、その運動の永遠の連続体でできている。


 無限に広がる大宇宙で、重厚感のある地球艦隊が進撃、旧敵・ガミラス艦隊と対峙し、両者が90度向きを変えるやそれは連合艦隊で、その先には新敵・白色彗星ガトランティス帝国の大艦隊!
 緒戦は快勝。新敵の後衛に十字架状に聳えていた小惑星が前倒しになるや、岩塊が剥離して超巨大な大戦艦が現れて劣勢に。そこに旧敵はもちろん地球軍も下っ端は知らなかった最新戦艦アンドロメダが投入されて形勢は再度逆転! 満身創痍の大戦艦は地球に自爆特攻を試みて再度大ピンチ! ドッグに停泊中のヤマトが寸前で主砲を上空へ発射して撃破するシーソーバトル!


 あるいは、太陽系第11番惑星近辺に現れた、数万艘にもおよぶ新敵・ガトランティス先遣隊の宇宙戦艦群の偉容、それらがトグロを巻いて巨大コイル状磁場を発生させ超巨大レーザーを発射するスケール感&絶望感!――と同時に不謹慎だけれども、それらに感じるカッコよさ(笑)――


 ただまぁたしかに戦争モノは、思想的・情緒的には危険な面もあるし、正常な人間であれば正当防衛ではない無制限な力の行使には良心が痛んでくるモノだ――幼稚園〜学校〜職場やお笑い番組のイジメ芸を屈託なく楽しむ同級生たちを思い返すに、他人をキズつけても良心がさほどに痛まない加虐的な人間の方が実は人類の多数派なのかもしれないけど(汗)――。
 そこで、爽快感のあるカッコいい戦闘シーンを担保するためにも各種の合理的な言い訳や、言い訳できなければ逡巡をそのまま劇中キャラに代弁させて、設定的なツッカエ棒を無数に配置することでワク組を作って、その中での許容される戦闘行為を追求せんとする。


 あるいは、戦争した国家・民族同士の完全なる和解は困難、軍拡への一部の疑念も当然と見れば、それをメインにせずとも脇役や風景の点描として挿入することで、物事の多面性や多層性も出していく。
 本作であればそれは、満場のアンドロメダ出航式で艦首前の巨大クス玉が割れる直前に小さく数秒写る、画面の外から投げつけられた生卵が船体に命中して割れる描写であり、前作『宇宙戦艦ヤマト2199』(12年)において旧敵が落とした膨大な遊星爆弾で家族や友人を喪った遺族がペンキで落書きしたのであろう「ガミ公、出ていけ!」を自走掃除機メカが消していく、シーンとシーンの短い繋ぎであったりする――各自のリテラシー(読解能力)にも依拠するので、作り手が込めた意図は過半の視聴者には伝わっていない気もするけれど(汗)――。


 本作の原典である映画『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』(78年)封切当時はともかく、コレに「FINAL」のあとの「FOREVER」や「超電王」みたく(笑)、『ヤマト』の続編が製作されるや、40年前のまだ上限が十代の少年少女であったウブなアニメファンは、後年のマニアたちのように「商売とはそーいうモノ、続編やリメイクは当たり前」とは割り切れずに怒り狂って、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いで、当初は反発していた上の世代の左翼映画人による「特攻賛美」だの「ヤマト再出航は軍規違反」だのの批判を今度は口マネして(冷笑)、「バスに乗り遅れるな」とばかりに隆盛してきた『機動戦士ガンダム』(79年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19990801/p1)に鞍替えして、鵜の目鷹の目で『ヤマト』の欠点を粗探ししたモノだ――筆者もその典型だったやもしれないけど(後悔)――。


 往時の作り手たちは、単に無理解で官僚的・抑圧的な上層部に対するサヨク的な反権力のイミにて現場のヤマト独断出航を描いたのやもしれない……。しかし、先の大戦でも抑制的な大本営を無視して現地の関東軍が暴走したことで日中戦争はドロ沼化になったワケであり、階級闘争的に常に上層部は悪であり現場が正義であるワケでもない。
 40年後のリメイク『2202』は、そこにも返歌でヤマト再出航は、軍のシビリアンコントール(文民統制)、現場が上層部を無視した二重の意味での悪事、すなわち反乱であり鎮圧すべき事項として、再出航に銃殺も厭わない特殊部隊を乱入させて、原典では主人公・古代青年vs土方(ひじかた)艦長であった対決を古代vs山南(やまなみ)艦長――原典の次々作『ヤマトよ永遠(とわ)に』(80年)でヤマト3代目艦長に昇進する御仁――に変えて、ヤマトvsアンドロメダ小惑星帯での正面衝突スレスレの対向スレ違いチキンレースとしても見せ場を作っていく――出航直後で波動エンジンが本調子ではないからビームが当たっても衝撃を和らげる波動防壁(バリア)が使えないとの言い訳で、『2199』では略された小惑星の岩塊でその身をまとうヤマトもココにて再現!―――。


 とはいえ、永遠の反乱者であり地球に追われる立場であっても本作の主題が散漫になるので、ナンと! 地球防衛軍の上層部を飛び越えて、星間伝説の女神・テレサの秘密を知りたいガミラス大使&地球連邦大統領とで玉虫色の政治決着! ヤマト反乱の嫌疑は突如晴れたことにする――その旨をヤマトに事務的に伝える藤堂司令の口の端がニヤッとするサマで、法的・職業人としてのオモテ向きはともかく道義面では彼がヤマトに同情的であったことをも示唆(笑)――。


 重ねて、軍人としてはそれが軍規違反だとはわかってはいても再出航に踏み切る動機付けの補強として、女神・テレサによるヤマト乗員に絞った超指向性テレパスや、その際に乗員が目撃する亡き家族や恩人による後押し、近代的な軍隊以前に船乗りは救難者を必ず助ける古例を持ち出して、目的地・テレザート星への最短進路からはハズれていようが、敵手に落ちた第11番惑星に取り残されていた民間人&軍人の救出作戦決断へも紐付けしていく。
 一応はヒューマニズムの称揚でもあり、成功したから結果オーライではあるけれど、絶対平和主義者の皆さんは外交交渉によらずに特殊部隊に頼った犠牲を伴う多少強引な難民奪還行為は批判しなくちゃイケナイだろう(爆)。
 などと云っている筆者自身は、ドイツ1国相手だけならばともかく独ソ不可侵条約締結後の2ヶ国が相手だと、かの国と相互扶助の同盟も結んでいたのにポーランドを見捨ててしまった英仏みたいなモノで、世界平和と自国平和とを天秤にかけて自国が勝てるのならば助けるし、自国領土に惨禍がおよぶのならば苦渋を飲んで見捨てるやも……といったヘタレた立場で、軍規がうんぬんではなくパワー・ポリティクスの観点からヤマト再出航を全肯定はしないけど(汗)。しかし、そーいう煩瑣な諸々は別にするならば、せめて虚構作品の中でだけでも「道義」が通って勝利もしてほしいという諸氏の願いもよくわかるのだ。


 後出しじゃんけんリメイクの利点で、旧敵・ガミラスやその被征服民にイスカンダルやら地球人などの人型生命体らはすべて、往年の『宇宙戦艦ヤマト 完結編』(83年)を原典とする星間文明の始祖・超古代アクエリアス文明人の末裔であってそれゆえにその姿も似ており、その中から宇宙規模での覇権を目指す文明が出現した場合にそれを滅ぼすための安全装置でもあり、生殖機能を廃してクローンで代を重ねる「戦闘」に特化した生体爆弾でもある強化人間種族として新敵・ガトランティス人を再定義――ロートル的には『マクロス』初作(82年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19990901/p1)の敵種族・ゼントラーディー人をも想起する――。
 しかも、その本来の役割をも逸脱してしまった新敵・ズォーダー大帝の究極の目的も、生きていくことに伴なう仏教的な「四苦八苦」でもあるすべての「苦悩」をすべての知性体から取り除かんとする「大いなる愛」(慈悲?)に基づいていたとする!――映画の神様のイタズラか、同季公開のあのCGアニメ映画(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20181123/p1)ともネタがカブっているゾ~(汗)――。


 やはり40年後のリメイク。「愛がすべてを救う」なぞと考えるお花畑な人間は今や評論オタク界隈には少ないとも思うし、「愛」こそが「好悪」という「差別」や他人とのさまざまな「遠近」をもたらして、「愛する異性や子供を救うために、生き返らせるためには、同僚の命や国家や世界に自身の魂をすら悪魔に売ってでも!」、「ミーイズム」や「国家利権」だけではなく、「愛」もまた「争い」や「裏切り」に「戦火」をも産み出していることの逆説&背理までをも描いていく……。


 3隻のうちの1隻だけを救ってやると悪魔・メフィストフェレスのごとくに精神感応で主人公青年を試してくる大帝は、愛する女性が乗る1隻を指してくるとタカをくくってきたけれども、その土俵自体をズラすことでゲーム不成立に持ち込んでしまうという作劇は「反則」と取るべきか「クレバー」と取るべきか?――まぁ永遠に決着が付くこともない、双方に一理がある二択だったけれども――


 とはいえ、世間一般的な「愛」なぞは私情として否定して、我らこそが冷徹な思考ができるのだと豪語しているガトランティス軍人たちも、機械生命体ならぬ有機生命体である以上は、自身や同族のクローンの息子たちや赤ん坊に向ける眼差しや笑顔や涙はまさに「愛」そのものだとしか見えないあたりで、敵種族側にも感動的なドラマを構築していくのだ――その一方で、武器の「修理」という概念がなかったり、ヤマトに敗北して武士の情けで助命してもらっても、恩に着るどころか侮辱と受け取って逆恨みしているあたりで、武士道や騎士道が通じずに地球人とは解り合えない異質な異文化メンタルもカナリ強調されている――。


 てなワケで、劇場公開版でいうならば、『第3章』までに相当する#10までの出来やテーマ的達成度は神懸かっているとすら私見する。
 なのだけど、劇中でアレだけ主人公青年が苦悩して、意見具申した土方艦長も第11番惑星に左遷されたのにナニだけど、たった3年での「波動砲艦隊」建造やそれを可能とする「時間断層」――前作ラストで持ち帰った「空間」自体にやどる極微の量子レベルで刻まれて永遠に残っている記憶(=波動)を基に地球を再生したコスモリバースシステムの副産物による時間流の速度が異なる地下空間――のアドバンテージ喪失&乱用を恐れてヒタ隠しにする地球政府の決定に、心がウス汚れている筆者なぞはついつい賛同してしまうのであった(爆)。


――ウルトラマン一族の科学者でもあるウルトラマンヒカリ(06年)が造った「命」を持ってきたウルトラ兄弟の長兄・ゾフィー兄さんが、宇宙恐竜ゼットンに敗れた初代ウルトラマンをその最終回(67年)で復活させたのはイイけれど、その「命」の技術の開示をめぐってバット星人連合艦隊がウルトラの星を攻めてきたために、帰ってきたウルトラマンことウルトラマンジャックはその最終回(72年)で故郷に帰ったのだ! ……なぞという、35年後の後付けウラ設定みたいな戦乱の再来を恐れるのであった(笑)――


(了)
(初出・オールジャンル同人誌『DEATH-VOLT』VOL.81(18年12月29日発行))


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SSSS.GRIDMAN 〜リアルというよりナチュラル! 脚本より演出主導の作品!

(2018年12月8日(土)UP)
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『SSSS.GRIDMAN』 〜リアルというよりナチュラル! 脚本より演出主導の作品!

(文・T.SATO)
(2018年11月25日脱稿)

「リアル」というより「ナチュラル」な『SSSS.GRIDMAN』


 イイ意味で云うけれど、個人的にはとてもよく出来ている学生制作による自主映画を観ているような感じだ。


 「ストーリー」や「ドラマ」や「セリフ」などの「話運び」の方で魅せるというよりも、それ以上に「映像」そのものの方で魅せている。そして、「映像」がもたらす「雰囲気」「情緒」の方で、その作品世界の独特の「空気感」も作っている。
 加えて、映像のカット割りのタイミングがもたらす「間」とか「テンポ」や「リズム」のようなモノで、視聴者を乗せていき、それが「流れ」や「時間感覚」のようなモノも作って、それ自体がまた次のシーンへの「引き」「興味関心の惹起」ともなっていくようなノリである。


 ギラギラとした気怠い真夏の青い空。そこにミンミンとカブるセミの鳴き声。夏休みなのか放課後なのか人影もまばらな、日なたと日かげの陰影も濃ゆい教室の中を、画面の下半分が埋まるくらいに、おそらく最後尾の座席の机の表面をナメて撮っているかのような映像――そこに「円谷プロダクション」のロゴマークも入って――。
 質の悪いザラザラしたコンクリで舗装されている校舎か体育館のウラ。そこに乱雑に並んでいるスニーカー。校舎の屋上から見下ろしているから小さく見えるとおぼしき校門。校門と校舎の間を部活動の準備のためか荷物を運ぶジャージや体操服を着用した生徒らの点々とした姿。
 さらに、それらの主観映像の主とおぼしき、校舎の屋上の手スリに両腕でもたれている、薄紫色のサラサラ髪のショートカットの美少女のアンニュイ(倦怠)な表情のアップ。
 次いで、超ロング(引き)映像になって小さく全身が写る彼女の後ろ姿に、閑散・荒涼とした屋上の床面がやはり画面下半分を占めるように写り、そこにメインタイトル「SSSS.GRIDMAN」の文字がタイトルロゴとは異なる細いゴシックな書体でそっと入ってくる……。


 「リアル」というよりも「ナチュラル」。巻頭以降も、コレ見よがしのリアリズムというより、自然さを心掛けたような描写&演出が施されていく。
 いや、自然さといっても、そこで起きている事象は「プチ・異変」の数々ではあり、いかにもこのテのジュブナイル作品のプレーンで少々オボコくてチョロい感じもする、性格良さげな赤髪の少年がふと目覚めるや、そこは特にオシャレでもない小さな古い喫茶店、兼自宅も兼ねるリビングだかのソファーの上だ。
 サバサバした感じの黒髪セミロングの同級生女子に「30分も寝入っていた」と云われ、その寝ぼけ眼(まなこ)に「顔を洗え」とも云われて洗面所で洗顔していると、自身に記憶がないことに気づく。
 同級生女子の特に心配している風でもない母君に「頭打ってるかもしれないから、病院に連れてってあげたら(大意)」と云われて、夕焼けの戸外に出たら、あたりは一面の重たい霧に低く覆われ、空には下から見上げたらそー見えるであろう、頭〜首〜胸部の一連がアーチ型に屈曲した、背中にはトゲトゲが生えている二足歩行の巨大怪獣の姿が巨大な雲海ともつかず遠方に身じろぎもせずに屹立している。
 しかも、赤髪の少年だけはそれに驚愕するけど、黒髪の少女はそれに少しも気付かない。


 古クサい言葉で云うなら、若造たちには「終わりなき日常」に思えるやもしれない単調な光景を――実際には有限のモラトリアム期間にすぎないけれども――、気怠くて退屈な「真夏」に象徴させている。
 しかして現実・リアル世界での充実感ではなく、現実の中での「非・現実感」(≒プチ異変)、ワタシがワタシでない感じ、ひいてはワタシが十全ではない感、我が人生ドラマにおける主人公ではなく、自身が他人や世界の命運ドラマの中における脇役・モブキャラでしかないような、ヤル瀬なさや寄る辺のない感じも本作序盤は醸し出している。
 それは現実生活ではなく、趣味の世界や非日常的な虚構作品に一時的に耽溺・没入することで擬似的な充足感を得たり、外の世界を知って外部への細長い道スジの光明が開かれたような錯覚もし、束の間の慰謝を得ていたころにも通じる、我々のような人種がかつて抱えていたあの感慨である(笑)。


 対するに、翌日の学校生活における登校〜授業前〜昼食〜昼休みの喧噪風景には「非・現実感」はあまりナイ。ナチュラルな現実そのものだ。ベタベタとバック・ハグで密着しながら雑談している女生徒たち。教室内で少々の危険を承知でバレーのボールを弄んでいるのが、男子ならぬ女子の3名というあたりも今どきのリアルだが。お弁当を持参しなかった赤髪の主人公少年は隣の席に座る、冒頭の校舎の屋上では気怠げでも教室ではニコニコ笑顔をふりまく美少女にラップにピッチリ包まれた学食のアメリカンドッグ風の新品パンを恵んでもらうも、そのパンに女生徒たちのバレーボールが直撃し!
 日常の風物に闖入する一瞬の亀裂。皆が一瞬固まってしまった光景に、そこに入ってくる音質の悪い校内放送も含めて、「しまった」「マズい」「ヤバい」感をブーストさせていく。
 実のところ、本作はそんな「あるある」的な「日常」「現実」の描写と、少々の「非・現実的」的なシーンの羅列だけで、基本は組成されている。


ナチュラル」ではなく「ケレン味」たっぷりなグリッドマンvs巨大怪獣!


 そして、本作の各話の毎回の後半は、お約束としてそんな「日常」の町々に突如として地震のような振動が襲ってきて、巨大怪獣が出現!


 それに対抗するため、なぜか同級生の黒髪セミロング女子の喫茶店に売り物(爆)として置いてあった、1980年代チックな年代モノのパソコンの画面から呼びかけてきた超人・グリッドマンと赤髪の少年主人公とが合体して、TVアニメ『超電動ロボ 鉄人28号FX』(92年)が出現!(笑)
――ロリの反対語であるショタ・コン(正太郎コンプレックス)の語源ともなった少年探偵・金田正太郎の成れの果てがクタびれた親父となって、親子で新旧の鉄人28号2体を操縦する作品――
 もとい、その玩具金型を微改修して流用したのでカラーリングはともかくデザインは酷似していた、電脳世界で戦うTV特撮『電光超人グリッドマン』(93年)のそのまた四半世紀後のリメイクヒーローが意表外にも巨大ヒーローとなって出現!(入り組んだ出自だナ・汗)


 下から見上げたアングルで、電柱や電線越しに透かし見える怪獣やヒーローの巨大感をアピール。人間目線で前方だけ見ても、街角や路地の先の車両の数々や自転車越しに巨大怪獣やヒーローの足下のアップだけを見せることで、異形の存在たちの巨大感をアピールするような映像を、アングルも含めて実にスタイリッシュにセンスよく精妙に描いている。
 そこにナゼか、それまでの静的な演出とは実に対照的な、子供番組チックで勇ましいけれども爽やかでもある主題感が鳴り響くことで、スペクタクルでヒロイックなカッコよさ&戦闘の高揚感もいや増している。


 しかして、怪獣やヒーローの描写も、第1世代の特撮オタクたちが賞揚してきたような、1960年代以前のオールド特撮映画的なリアルさや重厚さや鈍重さだけが強調されているワケでもない。


 それが証拠に、#1の巨大怪獣こそ口から迫力ある火球や細長い火線を吐くので古典的な生物怪獣ではある。
 しかし、#2の白くて無機質な巨大怪獣は腹部からレーザーを発していて、『マジンガーZ』(72年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200119/p1)の機械獣にはじまる巨大ロボアニメの敵メカや『ウルトラマンエース』(72年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070429/p1)の敵怪獣「超獣」シリーズの類いのメカ獣やサイボーグ怪獣の発想である。
 #3で登場した銀髪の小学生男子が変身した巨大怪獣がレギュラーでライバルのポジションに定着するあたりも、80〜90年代以降に常態化してきた特撮ジャンルの追加文法でもある。


 グリッドマンも電脳世界から現実世界にリアライズするときには、空中から出現して宙返りしながらその身をヒネりつつ降下して、巨大怪獣の首元に迫力のキックをかます


 コレは1970年代前半の『仮面ライダー』(71年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20140407/p1)初作を端緒とする等身大の変身ヒーローの社会的大ブームに影響されて、70年代以降の特撮巨大ヒーローもその登場シーンでは宙高くジャンプして空中で前転したり、ヒネり回転も入れてそのまま降下してキックをキメたり側転やバック転の連発も披露することで、巨大感&軽快感を両立させんと試みていたことの踏襲でもある。
――ウルトラシリーズでいうなら、『帰ってきたウルトラマン』(71年)中盤〜『ウルトラマンティガ』(96年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19961201/p1)。当時のマニア論壇の主流による第2期ウルトラ批判やそれに付随して第2期ウルトラのアクション演出も否定された影響もあってか、『ウルトラマンダイナ』(97年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971215/p1)以降はコレが廃されたのだが、特撮評論同人界ではすでに80年代末期には始まっていた第2期ウルトラ再評価の論調の影響下にあった筆者としては、それは実に浅知恵な行為に思えて残念なことではあったけど――


 ロートルな筆者個人の幼少時の記憶のヒダヒダを丹念に甦らせてみるに、昭和の仮面ライダーや第2期ウルトラマンたちのトランポリン・ジャンプや実景の青空を背景とした空中回転にワケもわからず高揚して夢にまで見たり、齢3歳にして自身も押し入れの下に布団を重ねて敷いてデングリ返ししながら落下してコレを再現したモノである(爆)。
 いま批評的な言葉でそれをレッテルするなら、それは身体を自由自在に動かすことで状況もリードできるような「身体性の快楽・拡張感・万能感」のことであったとわかる。


 我々も近代的・合理的な「人間」である以前に、非合理的な「動物」でもある以上は、個々人で濃淡はあれども老若男女でこのような「狩猟本能」・「アクションの快楽」とでも称すべき情動は良くも悪くも無くならないであろうから、そんなプリミティブ(原始的)な本能にも基づくアクション映画や娯楽活劇作品が滅びることもナイであろう――ゆえに怪獣との共生などもっての他!?――。


 その伝でも、グリッドマンウルトラマンが空中でその身をヒネって急降下の勢いで怪獣にキックをかますアクション演出にも大いに賛同するけれど(笑)。作り手たちの意図はともかく、それは結果的には特撮ジャンルにおける1960年代以前の古典古代の理念に立ち返っただけのモノでもナイ、1970年代以降の要素もブレンドされたものであったことは指摘しておきたい。


 そして、一進一退の攻防のあとに、必殺ワザで巨大怪獣にトドメを刺すグリッドマン! 爆発四散する巨大怪獣!!


「現実的な世界」での「非現実感」=オタク人種の「不全感」「不能感」


 ……ココでそのまま平穏なる日常生活の世界に戻ってしまったならば、純然たる子供向け作品としてはその方がOKでも、幼い子供たちが観るワケもない(笑)深夜アニメ作品としては少々物足りなくはなる。
 ゆえに、巨大ヒーローvs巨大怪獣というスペクタクルなバトルを本作最大の見せ場としつつも、それ以外の要素でも話数をまたいで次回へのヒキとするようなナゾを本作では散りばめる。


 少年が記憶喪失になっている理由に意味はあるのか? 記憶を失う前の彼には何かがあったのか?
 #1で巨大怪獣の火球が直撃して、校舎が崩壊! バレーボールを弄んでいた少女も閃光の中で蒸発・落命したハズであったが、翌日には校舎はかつてのように存在し、巨大怪獣出現の報も世間的には存在しなかったどころか、人々からもその記憶自体が消失していた。それはナゼなのか?


 それでは落命した同級生たちも蘇ったのかと思いきや……。
 最初から存在しなかった、または数年も前に別の事件で死んだことになっていて(!)、落命した同級生たちのことは「グリッドマン同盟(笑)」となった赤髪主人公と眼鏡男子クンに先のセミロングの女子高生しか覚えていないという摩訶不思議感。


 この状況下で彼らはどのようにサバイバルしつつ、この世界のナゾの根源に迫っていけるのか!? という、なかなかに思春期の少年少女たち――の中でも不全感(≒非現実感)に苛まれた中2病のケがある人種たち――を、あるいは彼らの成れの果てでもある我々大きなお友だちをもワクワクさせて、各話単位ではなく作品世界全体への話数もまたいだ持続的な興味・関心を惹起させる作りにも、本作はたしかになっている。


『GRIDMAN』におけるアニメ的美少女の描き方の特異性!?


 もちろんフィクション・虚構作品である以上、いかにリアリズムやナチュラリズム(自然主義)を狙っても、ドコまで行ってもウソ八百ではある。


 以下のことは、それぞれのジャンルの主眼とするところの違いなので、批判・否定ではナイことを重々強調しておく。
 あまたの美少女アニメに登場する美少女たちが、弱者男子にとっての都合がイイ、客体としての女子像であるのに比すると、本作における女子キャラ描写は、弱者男子から見た懐柔可能そうな記号的で様式美的な作った可愛さやツンデレやキャッキャウフフではない。女子側も男子を選り好みする主体性は持っていて、頼りない男子であれば下に見て値踏みしてきそうなイヤ〜ンなナマっぽさがある。
 それなりに魅惑的ではあるけれど、白いカーデガンのポッケに両手を終始突っ込んでいる、プチちょいワル的な方向にも振れている黒髪セミロング女子なんて、オタ向け萌えアニメであったらビミョーにアウト寄りではなかろうか?


 さらに、筆者のようなウス汚れた人間は、#1においてもこの少年&少女との関係は? 黒髪少女宅で寝入っていたということは、赤髪少年&黒髪少女は親しくて気安いイイ関係なのか? それとも、少年はこの少女に恋の告白でもして、その際の過度な緊張や返答いかんで、ショックのあまりに昏倒でもしていたのか? なぞと邪推もしてしまったけれども……。


 しかし、記憶喪失になった赤髪少年もその旨を質問したら、


「同級生だけど、今日はじめて喋ったくらいの仲だよ(大意)」
「記憶喪失のフリだったら最悪だかんね」


などとのたまわれてしまい、翌日も教室でこの少年が少女に挨拶したり多少話しかけたりでもしてみたら、廊下で少女に少々メーワクげに


「距離感の遠近・間合いに気を付けて(大意)」


なぞと、少々拒絶ぎみにあしらわれてしまう始末(爆)。


――まぁ記憶喪失になる直前に、このふたりには何かがあって、それがこの世界の成り立ちの根源とも関わっている、今では滅びた懐かしの「セカイ系」な世界観である方がドラマチックではあるので、伏線である可能性も高いけど。……原典の世界とも通じているのであれば、劇中の「現実世界」自体も中二病の誰かが作ったハコ庭のよく出来た「電脳世界」である可能性も高いとも思われて(汗)――



 そして、今どきの……というか、21世紀以降の若者たちの、ネット上の巨大掲示板2ちゃんねる」での00年代初頭出自の用語や言い回しの、もう出典がドコにあったのかも、より若い世代たちは気にすることもなく、すっかり日常会話の日本語としても定着してしまった、意思疎通のためというより戯れや時間つぶしに群れるためのツッコミやハシゴ外し的な言葉遊びの数々。


 加えて、


「早(はや)」
「遅(おそ)」
「(むかしのパソコンって)怖(こわ)」
「(なに、この男子2名とのグリッドマン同盟って)気持ちワルッ」
「(知らないコの名を連呼してて)ヤバいんですけど〜〜〜」


などの、良くも悪くもバブル期以降、女子たちのホンネや欲望も解放された果ての、あんまり優しくなくて相手をプチ侮辱する域にも達している女子らの言動の数々も(笑)。
――個人的には「ホンネ」や「自由」の過ぎたる賞揚は、人類が数千年をかけて構築してきた人間社会・人間関係面における礼節やデリカシー、たとえウソであっても人間同士は対等・平等だというフリをして互いに尊重するふるまい方の流儀をプチ毀損する行為だとも思うけど。脱線に過ぎるので本稿では端折りますが(汗)――


 それらを、アニメではアリガチなオンマイク――指向性の高い、マイクを向けた方向の音だけをひろうマイク――によるクッキリとした音声ではなく、オフマイク――指向性の低い、周囲の音も広くひろい、音源も遠くに聴こえるマイク――的な抑えた録音(または加工音声)とすることで、音声演出面でもナチュラルさ・ドキュメンタリーっぽさ・よく出来た学生の自主映画っぽさ、といった本作独特の個性を補強もできている。


「脚本」主導ではなく、「映像」&「演出」主導の『GRIDMAN』!


 てなワケで、ストーリーやドラマやセリフなどの脚本主導ではなく、本作は映像や演出主導の作品ではあり、おそらくはその主導権は本作のカントクである雨宮哲(あめみや・あきら)の方にあって、脚本家の立場は失礼を承知で云えば、カントクの口述筆記のようなポジションで、絵コンテやアフレコの段階でもそーとーに改変されているのではなかろうか?(むろん憶測ですヨ・汗)
 本作は今時のジャンル作品としては非常に珍しく、通常はメイン脚本家が務める「シリーズ構成」という役職がないのも、その証左だと見る。おそらく、全話を通じたストーリー構成自体は雨宮自身が考案しており、それに沿ったかたちで脚本家はリライトや肉付けに整理の役回りを務めていると邪推する。


――まぁ、往年の『機動戦士ガンダム』(79年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19990801/p1)シリーズで有名な富野カントク作品も、脚本陣は詳細な「富野メモ」をリライトする立場であったし、『仮面ライダークウガ』(00年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20001111/p1)&『仮面ライダー響鬼(ヒビキ)』(05年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070106/p1)を担当した元・東映の高寺プロデューサー作品も後年に脚本家が語ったところでは高寺Pの口述筆記の立場であったとのたまっているくらいだから、そのような制作体制も特にアニメの場合には実は多々あるのではないのかと――


 本作の脚本家は、20数年前の平成ウルトラの一発目『ウルトラマンティガ』(96年)では本編美術チーフを務め、自身の脚本をプロデューサーに売り込むことで同作で脚本家デビューも果たし、早くも次作『ウルトラマンダイナ』(97年)ではメインライターを務めた長谷川圭一
 正直、失礼ながら氏の作風の幅は少々狭いようにも感じていたけど、三条陸(さんじょう・りく https://katoku99.hatenablog.com/entry/20210131/p1)がメインライターを務めた『仮面ライダーW(ダブル)』(09年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100809/p1)や『仮面ライダーフォーゼ』(11年)でサブライターを務めたことで、かつては否定していたとおぼしき「非リアル」や「ギャグ」に「コミカル」をも許容するようになって、その芸風も一皮ムケたようにも感じてはいる。しかし、本作『SSSS.グリッドマン』に対しては個人的には長谷川らしさ・長谷川の作家性のようなモノを感じない。


みんなのアイドル・新条アカネちゃんを中二病でも解析したい!(笑)


 さて、本作の真の主人公(爆)であり、劇中でも教室のマドンナらしくて、オタク視聴者のみなさんもゾッコン(笑)の、本作冒頭でも真っ先に登場していた薄紫色のサラサラ髪のショートカットの美少女・新条アカネちゃん!
 #1ではニコニコ笑顔で愛想のいい、同性ウケも悪くなく、女生徒たちとも休み時間によろしく談笑もできる、フツーにコミュ力もある少女に見えたけど……。


 実は原典たる『電光超人グリッドマン』における悪役、黒縁メガネのオタク中学生・武史(タケシ)くんのポジション!
 原典同様に悪のドラえもん(笑)の超常パワーを借りて、彫刻ナイフならぬすぐに刃が折れそうなカッターナイフ1本(!)だけで、汚部屋と化した自室で彫琢していた、人形サイズの「ぼくのかんがえたさいきょうのかいじゅう」を現実世界に巨大怪獣としてリアライズさせていたことが#2にて判明する。


 彼女が不快に思った人間を、怪獣災害で抹殺できたことを知るや自室で、


「よしっ! よしっ! 死んだーっ! きゃははははっ!!」


 などと叫び狂ってもいる(爆)。


 廊下でぶつかった高校の担任教師が謝罪しないで去っていった些事にも、周囲でヒトが見ていないと知るや、無言のまま狂気の域にまで達した正義(?)の怒りを燃やしていることを示す、巨大ロボアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』(95年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20220306/p1)でも観たことがあるような、画面の中央が膨らみその逆に画面の周囲は後退して広角が狭い範囲に縮まって見える、玄関扉の覗き窓に多用される魚眼レンズがごとき映像で、瞬間湯沸かし器的に沸騰した怒気をハラんだ表情を伴なって、彼女の顔のアップが写されるあたり、映像演出も含めて実にキョーレツでもある。
――『エヴァ』および本作の魚眼レンズ映像の元ネタは、ロートルオタならご存じ、第2期ウルトラシリーズの映像派の鬼才・真船禎(まふね・ただし)カントクが多用した魚眼レンズ演出へのオマージュでもあるだろう――


 教室では同性や異性にアレだけ猫をカブれるだけのコミュ力もあって、ルックスにも恵まれているので侮られることもなく、チョロい男子であれば自身の可愛い仕草で操縦もできるであろうことを知っている彼女が、アレだけ心根を強者のゴーマンの方向性ではなく、その逆の弱者のルサンチマン(怨恨)の方向性でコジらせていることは、リアルに考えれば不自然ではあるけれど。


 かといって新条アカネのポジションに、ルックスには恵まれていない『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』(11年・13年に深夜アニメ化・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190606/p1)の主人公女子高生・黒木智子ことモコッチや、『惡の華』(09年・13年に深夜アニメ化・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20151102/p1)のデブでブスの悪女中学生のようなキャラを代入してしまったならば、今度はこの作品自体が重たくなりすぎて、救いや遊びの余地もなくなってくるのも事実だろう。
 原典の武史クンみたいな戯画化されたオタ男子を登場させても、それはそれで作品にイロケや華が欠けてくるし、ネット民たちもオタク男子への差別にも通じるゥ! と怒り狂って黙っちゃいなかろうし、そしてその見解も半分は正しいし。
 てなワケで、昭和のウルトラ怪獣にもくわしい、今の可愛いルックスの新条アカネちゃんで良かったと筆者も思います(笑)。


 まぁアカネちゃんによる「(特撮作品の)本当の主役は(ヒーローではなく)怪獣」という発言は、往年の第1世代特撮オタクたちによる発言に起源を持つもので、本心からそー思っているのならば別にそれでもイイけれども、単に「通」を気取って


「『怪獣』とはより『マイナー』で『弱者』で『被害者』で『まつろわぬ民』や『反体制』『反権力』や『不良性感度』の象徴で…… それらの知られざるレアな価値を発見できるオレさまのセンスって最高!」


といった他のマニアとの差別化・優位化や自己アピール・虚栄心、現実世界では報われなることのない自分自身の代償行為として、趣味の世界ではせめてものカースト向上(笑)を図ろうという潜在意識に基づいた発言であるのならば……。
 ムラムラと筆者も闘争心を刺激されてきて、「ウソつくな! マウンティング合戦するな! そりゃ怪獣・怪人・悪役も魅力的ではあるけれども、平均的な幼児や庶民大衆の大多数は、比較考量すれば怪獣よりもヒーローの方が好きに決まってるだろ!!」と猛烈に論破をしたくなってきたりして(笑)――我ながら非実在の特オタ女子高生ごときを相手にオトナげない(汗)――。


追伸


 赤髪少年主人公の「ユウタ」と黒髪セミロング少女の「六花」(リッカ)。
 原典の往時の幻の続編企画に由来するネーミングだそうだが(?)、奇しくも大ヒット深夜アニメ『中二病でも恋がしたい!』(12年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190904/p1)の主人公&ヒロインの名前と同じでもある――前者の漢字表記は違うけど――。
 同作で小動物的な眼帯少女の「六花」を演じた「まれいたそ」ことアイドル声優内田真礼(うちだ・まあや)――特オタ的には顔出しでレギュラー出演した深夜特撮『非公認戦隊アキバレンジャー』(12年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200223/p1)の幸ウスそうな白衣の戦隊後見人、兼カフェ店長・葉加瀬博世(はかせ・ひろよ)――が本作のエンディング主題歌を熱唱しているのも、電脳世界を通じた因縁、悪のドラえもんによる因果律のハッキング改変に違いない!?(笑)


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2018年晩秋号』(18年11月25日発行)〜『仮面特攻隊2019年号』(18年12月29日発行)所収『SSSS.GRIDMAN』合評1より抜粋)


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『SSSS.GRIDMAN』完結・総括 ~稚気ある玩具販促番組的なシリーズ構成! 高次な青春群像・ぼっちアニメでもある大傑作!

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宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』#1〜10(第一章〜第三章) 〜戦争モノの本質とは!? 愛をも相対視する40年後のリメイク!

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GODZILLA 星を喰う者』 〜「終焉の必然」と「生への執着」を高次元を媒介に是々非々で天秤にかける!

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機動戦士ガンダムNT(ナラティブ)』 〜時が見え、死者と交流、隕石落下を防ぎ、保守的家族像を賞揚の果てに消失したニュータイプ論を改めて辻褄合わせ!

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[関連記事]

私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』 ~連載8年目にして人気再燃の理由を探る!

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GODZILLA 星を喰う者 〜「終焉の必然」と「生への執着」を高次元を媒介に是々非々で天秤にかける!

(2018年12月8日(土)UP)
『ゴジラ評論60年史』 ~50・60・70・80・90・00年代! 二転三転したゴジラ言説の変遷史!
『シン・ゴジラ』 ~震災・原発・安保法制! そも反戦反核作品か!? 世界情勢・理想の外交・徳義国家ニッポン!
『GODZILLA 決戦機動増殖都市』 ~地球人・X星人・ブラックホール第3惑星人・インファント島民 ゴジラvsメカゴジラ!?
『GODZILLA 怪獣惑星』 ~『シン・ゴジラ』との相似と相違!
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GODZILLA 星を喰う者』 ~「終焉の必然」と「生への執着」を高次元を媒介に是々非々で天秤にかける!

(2018年11月9日(金)・封切)
(文・T.SATO)
(2018年11月25日脱稿)

GODZILLA 星を喰う者』の意表外な着地点!


 映画『GODZILLAゴジラ) 星を喰う者』(18年)封切をもって、2万年後の生態系が激変した地球――というか天下の険である箱根――を舞台としたフルCGアニメ映画『GODZILLA』3部作もついに完結。


 今回のビジュアル的な目玉は、東宝怪獣のスター・三つ首の黄金竜である宇宙超怪獣キングギドラ
 昭和の「ゴジラ」シリーズにおいては、5000年前に太陽系第2惑星・金星の先進文明を滅ぼした、宇宙を周回する超怪獣であったと初登場時に説明されている。
 往年の1960年代の東宝怪獣映画では、のちの「ウルトラマン」シリーズや「仮面ライダー」シリーズのように、ヤラれた怪獣・怪人は爆発四散してしまうという文法がまだ誕生していなかったために(笑)、敗北や引き分けした怪獣たちは、海や宇宙へと逃げ帰っていった。
 昭和のキングギドラも宇宙へと去っていったという描写が功を奏して、以降も木星の第13番衛星・X星に住まうX星人や、アステロイドベルト(小惑星帯)に住まうキラアク星人、M宇宙ハンター星雲人、ガロガバラン星人などに使役され、1970年代前半の東宝怪獣映画やTV特撮の巨大ヒーロー『流星人間ゾーン』(73年)などに至る作品群にまる10年間、散発的に出演しつづけ、地球怪獣を複数体相手にしてもヒケを取らない超強敵の宇宙怪獣として、親玉宇宙人が滅ぼされてもキングギドラ自身は生き残って去っていくことと、その鮮烈なルックスとも併せて、世代人には非常に強い印象を放っている。


 平成になってからも、遺伝子操作をされた超生物や、日本を守る護国聖獣、あまたの星間文明を滅ぼしてきたギドラ属と呼ばれる宇宙怪獣種などなど、さまざまな新解釈でリメイクされつづけてきたキングギドラ
 本作では、別名「高次元怪獣」という新設定でリマジネーションされている。我々が住まう3次元世界・3次元宇宙ではなく、「高次元宇宙」に出自を持つ怪獣!
 なるほど! そう来たか! たしかに我々が住まうこの3次元世界とは「水平」「パラレル」の関係にある「平行宇宙」に由来する怪獣では、いかにこの「宇宙」の「外部」から飛来した存在であったとしても、原理的には我々とも対等・平等の存在にはなってしまう。
 しかし、この「宇宙」にとっては同じく「外部」の関係にあるとはいえ、我らの「宇宙」や一連の「平行宇宙」の「上部」というべき、「垂直」「バーチカル」な4次元・5次元・6次元以上の、我々の3次元世界に対して優位に立つ「超空間」「高次元」の世界や宇宙に出自を持つ、神にも近しい超越的な存在としてキングギドラを描くのであれば、コレぞまさしく地球怪獣2~3体から10体を相手にまわして、一歩もヒケを取らなかった宇宙超怪獣キングギドラのもっとも現代的な解釈ではあり、ハイブロウなSF的リマジ版に昇格したともいえるだろう!


改変されたキングギドラに、高次元に出自を持つキャラたちを想起する!


 とはいえ、筆者のようなキモオタとしては、同じように4次元以上の高次の空間に住まう超存在が、我々が住まう3次元世界に干渉してくると聞くと、近年でもハイブロウなSF深夜アニメ『正解するカド KADO:The Right Answer』(17年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190929/p1)に登場したヒト型の超生命体や、往年の超ヒットアニメのリメイク『宇宙戦艦ヤマト2202(ニーニーゼロニー) 愛の戦士たち』(17年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20181208/p1)に登場した美女・テレサのリマジン設定も想起してしまう。


 前者においては、3次元世界はあくまでもタテ・ヨコ・高さという3乗(3次元)の広がりに基づいた集積回路&処理速度という物理的限界に知性体の脳ミソや計算機は束縛されているけど、「3次元世界」の37乗倍の広がり&処理速度を持つ世界から飛来したと超生命体が終盤で明かしたことから、彼らは3+37ということで「40次元」という超高位な高次元空間から飛来した存在であったと比定できる。
――古代ギリシャの哲学者・プラトンの「イデアの世界(理念・メタ・天上の世界)」=「本体」と「この世(物質の世界)」=「影絵」の関係に例えれば、超生命体の本体は40次元の空間にあって、『正解するカド』#1にて登場した不定形な生物は、40次元存在である40乗の広がりを持った超々立体の本体が3次元世界に単純化・平面化(3次元立体化)されて写った「影絵」であったといえる――


 後者においては、原典では「反物質」のヒト型生命体という設定で、しかして電荷が逆である「反物質」と「物質」が接触したら物理的に大爆発が生じるのに、テレザート惑星は「物質」組成であり、そこに住まう知的生物・テレサが「反物質」であるのは、当地では惑星の「物質」素材由来(多分)であったハズの原始生命が「反物質」であるテレサにどのようにして進化ができたんだよ! という、往時でも筆者のような可愛くない科学少年であれば(笑)、少々ツッコミどころはあった設定ではあった――その一点の瑕疵(かし)をもって、『2202』の原典『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』(78年)を全否定しているワケではないので念のため。むしろ傑作だと思ってます――。


 『2202』では、さすがにこの設定のままではムリがあると思ってだろう。知的生命体の高次な精神活動は脳ミソ以外にも、3次元的には超々ミクロの世界に折り畳まれているようにも解釈できる「高次元」空間とも通じている、波とも粒ともつかない超々ミクロの「量子」レベルのゆらぎや共鳴などの振動現象にも依拠して「意識」や「知的活動」が発生しているという、真偽は定かならず証明もできそうにない最新トンデモ科学仮説におそらくは則ったのであろう。
 その「量子」レベルの真理を技術化し、精神の力を物理的な力に変換するテクノロジーで近隣星域を支配して、やがて肉体を捨てて全テレザート星人が合体した集合知の精神生命体となり「高次元世界」の上方へと上り詰め、「高次元」からは低次の「3次元世界」の「時間」すら可視化して認識もできるがために、我らが「3次元宇宙」の過去~未来までをも見通せる超生命、劇中での文学的レトリックだと「この世」と「あの世」の狭間にいる超存在として定義され直すことで、筆者のようなウザすぎるマニアによるツッコミの隙を減らしている(笑)。
――ちなみに、アリ男ならぬアメコミ洋画『アントマン』(15年)&続編『アントマン&ワスプ』(18年)でも、ミクロ化できるスーパーヒーローの「ミクロ化」の部分をさらに推し進めて、それが超々ミクロな「量子」の域にまで達したことで、時間・空間・高次元の境界もあいまい・混在の極微な世界で四半世紀も前に行方不明になったヒロインの母親探しネタを一方に据えて、「量子」経由での精神活動への干渉という設定を用意することで、「夢でのお告げ」などの古典的な作劇を正当化している(笑)。今や「高次元」は「ナンでもあり」や「精神主義」をそれっぽく可能とするジャンル作品におけるマジックワード・万能兵器となったのだ――


高次元怪獣キングギドラvs3次元怪獣ゴジラとの非対称な異種格闘!


 で、『正解するカド』の高次元生命体や『2202』のテレサの域に達してしまった本作の我らがキングギドラ
 それは箱根上空の雲海に開いた、高次元空間に通じる3つの黒いワームホールから半ば無限(!)に伸びてくる、金色の竜の三つ首だけで描かれる。キングギドラの特徴的なボディーや両翼に2本のシッポや両脚は描かれない。
 そのギドラの三つ首がゴジラのボディーにカラみつき、そして噛み付きつづけるというかたちで怪獣バトルが描かれる。
 ややヒネったかたちのバトルだともいえるけど、前作『GODZILLA 決戦起動増殖都市』(18年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20180518/p1)の方が、初作『GODZILLA 怪獣惑星』(17年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20171122/p1)冒頭で早々に大破されたメカゴジラのリベンジか!? と思わせて、メカゴジラの組成物である自律型ナノメタルが2万年を経て周辺の鉱物や金属を取り込んで進化した、メカ怪獣の姿をしてはいない超巨大メカ要塞であったことで、やや物足りなさもあったのだが――まぁ作風的にも客層的にもベタに迫らず、ハイブロウでマニアックな方向でハズしてくるだろうと大方の観客も予想していただろうから、大きな不満はナイけれど――、本作ではそのへんの不満を少しだけ解消してくれている。


 とはいえ、それだけではどのへんが高次元の怪獣としての特性であるのかサッパリとなってしまうので(笑)、周囲のリアクションの方でギドラの特異な属性を描写する。
 人間や宇宙人などの知的生命体には視認が可能でも、センサーや計器などの機械にはまったく検知不能。どころか、ギドラの周囲の時間&空間はゆがんでいるらしく、ごくごく近い未来に起きる宇宙船内の区画の爆発や生存者ゼロの反応を、センサーや計器は先んじて検知して、それに管制室のオペレーターが驚愕するなどの描写を入れることで、知的・SF的なフック(引っかかり)としつつ、ギドラの超越的な属性&脅威も描写する。
 以上の前座を踏まえて、高次のギドラ側は低次のゴジラをカラめとって締め付けることができるのに、影絵のゴジラ側が理念のギドラ側に掴みかかろうとしてもスリ抜けてしまうという非対称な異種格闘技戦となる!


地球人・X星人・ブラックホール惑星人・インファント島民の4分法図式


 今回の高次元怪獣ギドラを召喚したのは、昭和のゴジラシリーズでもキングギドラを召喚していたX星人をモデルとした宇宙人種族エクシフたちであり、本作においては端的には金髪イケメン神官・メトフィエスの仕業(しわざ)であった。
 フルCGアニメ版『GODZILLA』シリーズには、4つの星間種族が登場している。


・我らが地球人。
・かつて怪獣キングギドラを召喚したX星人をモチーフとした宇宙人種族であるエクシフ。
・かつて怪獣メカゴジラを操ったブラックホール第3惑星人をモチーフとした宇宙人種族であるビルサルド。
・かつて怪獣モスラとともにあった南洋のインファント島民をモチーフとした我らが人類の2万年後の末裔・フツア族。


 子供・大衆向けではなく、ハイブロウなマニア向け作品ではあるので――まぁ『ラブライブ!』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20160709/p1)やら『ガールズ&パンツァー』の劇場版と比すれば興行規模は小さくても、ほとんど単館公開のようなアート系邦画と比すれば、はるかに大きなマーケットを持っているあたり、オタクジャンルも成熟したものだとも思うけど――、ヒーローや一般的な娯楽活劇作品とは異なり、本作では単純な2元論の善vs悪という図式は採用されてはいない。上記に挙げたように4分法とでも称すべき思想図式が採用されている。


 しかも、その4分法の中でも、それぞれは記号的・類型的な描き分けがなされているワケでもない。
 たとえば、ブラックホール第3惑星人は、メカゴジラのごとき存在に通じる「メカ」や「科学」に「工学」を信奉するから、「体育会」系とは真逆の単調でステロタイプな「理系」! という性格付けはなされていない。
 ダブル・ミーニングで複数の成分がブレンドされて、「非人間」的な「合理主義」の行き着く先でもある「弱肉強食」「適者生存」「優生思想」を経て、非常にマッチョで熱血で武闘派でもある。つまりは、『工学部』+『体育系』。


 X星人も、ブラックホール惑星人とは対照的に「宗教」を信奉する種族であるから、「技術」とは縁遠い種族という陳腐凡庸な性格属性は付与されてはいない。彼らも宇宙に進出するほどに科学を進歩させた宇宙人種族である以上、「宗教」を信奉するとはいっても、それは地球のフツア族のアニミズム的な「原始宗教」ではない。「ゲマトリア演算」なる「数学的」な帰結に伴う「文明」や「生物種」に「星々」や「大宇宙」自体の「終焉の必然」に基づいた「高等宗教」なのである。ということで、『宗教』+『理系』(実験ではなく理論物理学の方)。


 よって、娯楽活劇作品やミステリ・推理ドラマのように、X星人が「ガハハハハッ!」と下品に哄笑しながら、悪魔の本性を見せるような作劇にはなっていない。だって、たしかに超・達観した神のごとき高次な地点に立てば、X星人の云うことが一番正しいのかもしれないのだもの。
 とはいえ、政治は「生きづらさ」という主観を救えない(笑)ばりに、その「終焉」を人工的に早めてしまうことで、この苦痛・四苦八苦に満ち満ちた「現実世界」に苦悩する知的生命体の宿痾も、各種星間文明の末期段階に至ったら解消させてあげよう! ギドラに供物(くもつ)として捧げよう! という深謀遠慮に至っては……。
 というあたりで、前回のメカゴジラティーvsゴジラとの攻防で敗北して以来、落胆していた主人公・ハルオ青年の物語が、対ゴジラから対X星人に変えて改めてはじまる……といった整理が、本作のドラマパートだったとはいえよう。


終焉待望の善悪二面性。生存待望の善悪二面性。両者を天秤にかけても…


 しかし、2元論ではなく4分法だか8分法の図式を採用した本作では、ハルオ青年の決意もたちまち足を引っ張られて相対化されてしまう。「戦う」「抗う」ということの善悪2面性。知的生命体が快適な生存圏――基本的人権や、健康で文化的な生活の保証――を目指して「戦う」「抗う」という行為自体が、文明を発展させるとともに、自然を収奪・破壊し、いずれは禁断の原子力兵器を発明させ、それが宇宙の各所の星間文明の末期に巨大怪獣を出現させることに究極的には通じていくことでもあるのなら? ハルオ青年の「戦い」もX星人の手のひらの内であり、ハルオ青年の不屈の英雄的なワルあがきもまた、それをも見越した「必然の悲哀」と見切って、それでも青年神官が彼を小バカにするでもなく真剣に愛している高次なネジくれた心理・愛情が見えてしまうのだ。
 ここにハルオ青年の「戦い」は暫定的なものとなり、ホンキになれない「戦い」、自己懐疑や文明懐疑を常にハラんだ「戦い」ともなっていく……。ハイブロウではあるけれど、ココまでヤってしまうと、敵の打倒に執着する動機付けや、敵を倒すことから来る勝利のカタルシス! といった方向には単純には行かなくなるので、娯楽活劇作品としては痛し痒しではある。しかし、とても高い思想的な境地を持つに至った作品であることを認めるにやぶさかではない。


 とはいえ、あまりにも達観しすぎてしまうと、現実世界での目前の卑小な悪事や不幸も、究極的には時とともに流れ去っていくものだから……と見過ごしてしまう陥穽・不徳にもハマりかねないのも一方の事実ではある。であるならば、神ならぬ凡人たる我々は、たとえ卑小な世界の出来事であっても、個々人ごとになんらかのスジや節、義理人情をまっとうして生きるべきなのかもしれない。


 ギドラ撃退後の原始に戻った地球で、ハルオ青年も自身の思想の有限性や危険性をわかりつつも、自分の生き方にスジを通すため、死んでいった同僚たちに顔向けできるように責任を取るイミでも、小説&TVドラマ&映画『永遠の0(ゼロ)』のモデルとされた幾人かの充分に欧米モダナイズされた特攻隊の上官たちのように、ゴジラに対して非合理的な自爆特攻を行なうことで、自身の人生にも責任&決着をつける!
 それは憎しみや戦闘意欲に満ち満ちた自身が存在することで、「憎しみ」という概念を当面は知らないフツア族たちに絶え間ない戦争や高技術文明への歴史を築かせないための行為でもあったろう……。
――チョット異なるし卑近な例えにもなるけど、特撮マニア的には、あとで恋敵とわかった相手(主人公)に教えてもらったキックボクシング技を、あえて使わずに試合に負けてみせることで、自身の生き方にスジを通すゲスト青年を描いてみせた『帰ってきたウルトラマン』(71年)#27「この一発で地獄へ行け!」なども想起してみたり――


 ……というところで、一旦の幕となり、エンドクレジット後に、英雄・ハルオ青年と中型飛行ロボ・ヴァルチャーを模したとおぼしき模型をフツア族が祭って楽しく祭事を行なっている光景で幕となる。そう、フツア族も恐らくは、数千年後に「ヒーロー」や「戦い」や「技術」や「快適な生活」の信奉の果てに高技術文明を発展させ、我らが人類やX星にブラックホール第3惑星とも同じ結末をたどる可能性を示唆しているのだ。やはり、大局では一番正しかったのはX星人の青年神官であったのだ(爆)。


 なお、本作におけるゴジラは、マニアによる40年もの間のゴジラ評論で散々に論じられてきた、核の脅威のメタファーだの、大自然の(突然変異としての)警鐘だの、破壊の権化だとのいった、今では陳腐化した論法の存在ではないモノとしても規定されている。
 ゴジラ原子力怪獣の出現は、星間文明の末期における知的生命体の所業の必然とされ、どころか人類(知的生命体)はゴジラを産み出すために文明を構築した触媒にすぎなかったのだ! という逆立ち・逆転した論法が案出されている――で、結局はゴジラも、最終的には「惑星」や「宇宙」の終焉に呑み込まれてしまうのだけれども――。
 ウ~ム。80~00年代の「ゴジラ論壇」というか「ゴジラ神学論争」みたいな時代に、このゴジラ観をブツけたら、神であるゴジラを相対化・冒涜するものとして、大反発が起こったのではあるまいか? まぁ今では世代的にみんな枯れてしまっているので、右耳から左耳へと通りすぎていくだけであろうけど(笑)。


 で、筆者個人も最後の方で、ハルオ青年の相対的には小さな大義も持ち上げてみせた。けれども、我ながらそれは本心なのであろうか? 自分の人生を主人公としては生きておらず、他人の人生やジャンル作品に社会情勢を手のひらの上に乗せて論評することで、現実生活ではミジメな自分を忘れて、神の視点に立った気になって悦に入り、精神のバランスをかろうじて取っているような我々評論オタクという人種は――勝手に一般化するなってか?――、やはり本作の主人公・ハルオ青年のような存在ではなく、はるかにX星人の青年神官に近しい存在であると思わざるをえないのだ。
 以(もっ)て瞑すべし。伏して拝むがいい、黄金の終焉を(笑)。


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2018年晩秋号』(18年11月25日発行)~『仮面特攻隊2019年号』(18年12月29日発行)所収『GODZILLA 星を喰う者』合評1より抜粋)


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ウルトラマンR/B』中盤合評1 ~『ウルトラマンR/B』の「ヤベーやつ」(笑)

(文・久保達也)
(2018年10月28日脱稿)

*「ネタキャラ」としての敵・悪役キャラ


 今、ネット界隈(かいわい)では「円谷のヤベーやつ四天王(してんのう)」が、HOT(ホット)ワードと化している。


 その「四天王」とは


・『ウルトラマンオーブ』(16年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20170415/p1)のジャグラス・ジャグラー
・『ウルトラマンジード』(17年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20180213/p1)の伏井出ケイ(ふくいで・けい)=ストルム星人
・『SSSS.GRIDMAN(グリッドマン)』(18年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190529/p1)の新条アカネ(しんじょう・あかね)


 そして、『ウルトラマンR/B(ルーブ)』(18年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20180826/p1)の愛染マコト(あいぜん・まこと)なのだ。


 宇宙開発や新エネルギーの研究で名高いアイゼンテック社の社長であり、舞台となる綾香(あやか)市のセレブであるも、常に全身白のスーツに身を包み、


「愛と善意の伝道師、愛染マコトです!」


と、両手でハートをかたちづくる愛染は、先述したジャグラーや伏井出とは異なり、序盤から「ネタキャラ」として描かれていた。


 もっとも、この「ネタキャラ」なる造語は、本来は「脇役(わきやく)以下の、ストーリーにからまないお笑い要員」を指す言葉だったのだが、最近はその用法に若干(じゃっかん)変化が生じているのだ。


 近年の特撮ジャンルでは、『仮面ライダーエグゼイド』(16年)に登場した檀黎斗(だん・くろと)=仮面ライダーゲンムが「ネタキャラ」の代表例であり、当初はクールな二枚目としての悪役だったのが、役者のノリノリ演技がおもわぬ化学反応を起こしたことで、後半ではほぼ毎回、「わ~た~し~は~、神だぁぁぁ~~~っ!!!」と叫ぶような、完全な「お笑い要員」と化していた(笑)。


 つまり、脇役以下どころか、主人公と敵対する主要キャラであり、本人はきわめてまじめにやっているにもかかわらず、それが視聴者からすれば「お笑い」にしか見えないような、黎斗やジャグラー、伏井出のような、エキセントリックなキャラこそが、現在では「ネタキャラ」として位置づけられているのだ。


 ちなみに、新条アカネのことを、この檀黎斗の「ネタキャラ」ぶりと、『仮面ライダー龍騎(りゅうき)』(02年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20021109/p1)に登場した、「イライラすんだよ」という理由だけで多くの人間を暴行・殺害した浅倉威(あさくら・たけし)=仮面ライダー王蛇(おうじゃ)を、足して2で割ったような女だと、ツイッターでつぶやいていた人がいたが、これ以上にふさわしい表現はない(爆)。


 それだけ「円谷のヤベーやつ四天王」(笑)は、皆キャラが立っているということになるのだが、たとえばジャグラーは『オーブ』のヒロイン・夢野ナオミに「夜明けのコーヒーを飲もう」と誘い、伏井出は常にカフェできどって紅茶をたしなみ、アカネは廊下を歩きながらストローでトマトジュースをすすり、スマホ歩きの担任教師とぶつかったために、それが床に血のようにしたたり落ちる(爆)など、その好物が設定されていたことが、そのキャラの性格設定を掘り下げることにもおおいに貢献(こうけん)しているのだ。


 愛染の場合、それは抹茶(まっちゃ)を立ててすすることだったのだが(笑)、その和風テイストを統一する手法として毎回、毛筆で短冊(たんざく)に格言をしたためる描写が演出されたことがまた大きかった。
 なにせ毎年夏に恒例(こうれい)で開催される『ウルトラマンフェスティバル』の2018年度の会場では、劇中で披露されたものも含めた、愛染の格言をまとめた日めくりカレンダー「愛染マコトのお言葉」(笑)が販売されたほどだったそうだ。


・蝶(ちょう)のように舞い、泣きっ面(つら)に蜂(はち)
・一男(いちなん)蹴(け)って、また次男(じなん)
・他人のファンタジーで相撲(すもう)をとる
・腹が減ってはフィクサーができぬ


 愛染のキャラを象徴するものを抜粋(ばっすい)してみたが、最後の格言にある「フィクサー」とは、企業の営利活動における意志決定の際に、正規の手続きを経(へ)ずに決定に対して影響を与える手段・人脈を持った人物のことであり、まさに愛染そのものを指しているといえるだろう。


 ちなみに


「浦島の父がいる。浦島の母がいる。そして太郎がここにいる」


と、『ウルトラマンタロウ』(73年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20071202/p1)の主題歌の歌詞をパロったものまであるのだが、作詞した故・阿久悠(あく・ゆう)の関係者には、ちゃんと話が通っているのだろうな(笑)。


 この「愛染マコトのお言葉」は、80年代後半から90年代末期にかけてプロテニスプレーヤーとして活躍し、現在はスポーツキャスター兼タレントである、元祖「テニスの王子様」(笑)こと松岡修造(まつおか・しゅうぞう)の格言をまとめた「日めくり まいにち、修造!」(14年・PHP研究所)以降、不定期で新版が発行されている日めくりカレンダーを彷彿(ほうふつ)とさせる。いや、これの完全なパクリだろう(笑)。
 松岡氏も本人はいたってまじめなのだろうが、その時代錯誤(さくご)的な熱血コメントが、視聴者には「お笑い」として映ってしまう、いわば現実世界の「ネタキャラ」として世間では受容されているのだ――氏が現役だった80年代の時点で、「熱血」は現在以上に嘲笑(ちょうしょう)の対象となっていたのだから――。


 シャツに大きな汗ジミができるほど、社長室でエクササイズに励(はげ)んだり、アクロバティックとまではいかないものの、軽い身のこなしでオーバーアクションを繰り出しながらセリフを放つ愛染のキャラは、この松岡氏をモデルにしているようにも思えるのだ。


ウルトラマンオーブダークノワールブラックシュバルツ!


 これだけなら愛染の立ち位置はご近所の「ヘンなオジサン」、つまり、「モブキャラ」本来の意味である「ストーリーにからまないお笑い要員」で済んでいたのだが、第4話『光のウイニングボール』でどくろ怪獣レッドキングを召還(しょうかん)する姿が描かれたことで、愛染は敵・悪役キャラであると、視聴者に示されることとなった!
 そして、第8話『世界中がオレを待っている』にて、兄弟ウルトラマンの主人公・湊(みなと)カツミ=ウルトラマンロッソと、湊イサミ=ウルトラマンブルがついにそれを知ることとなり、兄弟にとってはちょっと「ヘンなオジサン」だが「いい人」だったハズの愛染との関係性に、大きな変化が生じることとなったのだ。


 これまで社長室のモニターでロッソとブルのウルトラ兄弟(笑)の戦いを観て、セレブなのに貧乏ゆすり(笑)をしながら文句をつけていた愛染は、「昭和」の時代に小学館学年誌が恒例(こうれい)でウルトラ兄弟の成績比較を特集記事にしていたように(笑)、ひそかに湊兄弟の成績表をつけていた。


 それは兄弟の「日常」「戦闘中」「戦闘後」について項目ごとに、たとえば「戦闘中」では、


・人間や飛行機を手に持つときは、力加減に気をつける
・変身後は私語を慎(つつし)む
・簡単に敵を倒さず、適度にピンチを迎える
・夕陽をバックに戦うときは気合いを入れる
・流血などの残酷な倒し方は控える


など、まさに「昭和」の時代からのウルトラマンシリーズのお約束(笑)について、湊兄弟を「よい」「まあまあ」「だめ」の3段階で評価したものだったのだ。


 ちなみに「戦闘後」の項目の中には、


「変身解除後は、さわやかに手を振りながら帰ってくる」


なんてのもあった(爆)。


 愛染のあまりに辛辣(しんらつ)な評価では、兄弟ともに「よい」がひとつもなく、カツミに向けた所見は


「弟と違って頭はキレるようだが、私生活を優先しすぎだ! ヒーローの自覚を持て!」


というものだった。


 近年「公(こう)」よりも、「私(し)」を優先しているかに見えるヒーローがめだつことに、愛染も業(ごう)を煮やしていたのだ(笑)。


 自分たちをウルトラマンだと知っている愛染を不審がった湊兄弟に、愛染は


「そう! 私は人間ではない。だが、おまえらより高い市民税、いっぱい払ってるぞ~!」(爆)


と叫び、ウルトラマンオーブの変身アイテムに酷似(こくじ)したオーブリングNEO(ネオ)で、


「絆(きずな)の力、お借りします!」


と、オーブの変身時の掛け声をパクってウルトラマンに変身する!


 ウルトラマンオーブの本来の姿・オーブオリジンに酷似したデザインながらも、両目や額(ひたい)の縦長のクリスタル部分に、カラータイマーが赤いウルトラマンは、


ウルトラマンオーブダークノワールブラックシュバルツ!」(笑)


と名乗って、オーブオリジンの剣状の武器・オーブカリバーと同じ形状のオーブダークカリバーを振りかざし、ウルトラマンロッソとウルトラマンブルを、すさまじいまでの説教攻撃(笑)で徹底的に痛めつけたのだ!


 第5話『さよならイカロス』で、空を飛ぶことにあこがれる女子大生とイサミが「いい関係」になったことをうらやんだかと思えば、第6話『宿敵! あねご必殺拳』で、湊兄弟が幼いころから「コマねえ」と呼んで慕(した)っていた元・婦人警官の小牧(こまき)カオルが、メカロボット怪獣メカゴモラの体内にとらえられ、イサミ=ブルが攻撃できなかった件を、


「敵を倒すか、仲間を救うか、ウルトラマンにはよくあるシチュエーションだ。それを2週間もグズグズ悩みやがって! まぁ繊細(せんさい)でいらっしゃること!」


と、オーブダーク(以下略・笑)は兄弟のウルトラマンとしての姿勢にこと細(こま)かにツッコミを入れるのだが、愛染のセリフに連動したスーツアクター・石川真之介(いしかわ・しんのすけ)の演技の、まぁ芸コマでいらっしゃること!(笑)


「あ~ぁ、汚れちゃった」


と、湖で手を洗っていたところを背後から攻撃したロッソにブチギレたオーブダークは、


「名乗りの最中と変身の途中で攻撃するのは言語道断(ごんごどうだん)! ルール違反なんだぞぉ~!」


と、ウルトラマンにかぎらず、仮面ライダースーパー戦隊をはじめ、すべてのヒーロー作品に共通するお約束を破ったロッソに、両腕をクロスして「×(ばつ)」を示した(笑)。


 そして……


「最近のウルトラマンはベラベラしゃべりすぎだ! 神秘性がなくなる!」


 いや、アンタも充分しゃべりすぎなのだが(爆)。


 ウルトラマンとしては前代未聞(ぜんだいみもん)のトンデモ演出がなされた、この第8話が放映された2018年8月25日付で、愛染を演じる深水元基(ふかみ・もとき)が


「わたくし、ついに! ウルトラマンオーブダークノワールブラックシュバルツになりました!」


と、ウルトラマンの顔を象(かたど)った白い化粧用のパックを顔面に貼りつけた(笑)氏の画像入りでつぶやいたツイッターに、3000を超える数の「いいね!」が寄せられたのをはじめ、しばらくの間は個人ブログやツイッターに、この回をネタにした書きこみがあふれることとなった。


 そればかりではない。無料の動画配信サイト・YouTube(ユーチューブ)の円谷チャンネルでは、各話の予告編に監督のコメントをつけた約4分前後の映像を配信しているが、ほかの話の再生回数が5万~7万回であるのに対し、この第8話のものはなんと48万回と、異様なまでに突出しているのだ! 良くも悪くも、第8話のトンデモ演出が、少なくともネット界隈では注目を集めたことだけは確かなのである。


*愛染の説教は、かつての我々の主張か?


 ところで、第8話で描かれたオーブダークの説教について、各ブログやツイッターでは「愛染マコトの考えに共感しちまった」などと、「よくぞ云ってくれた!」的なコメントが一定数見られたものだ。


 いまだにウルトラといえば『ウルトラQ(キュー)』(66年)・『ウルトラマン』(66年)・『ウルトラセブン』(67年)に限るとする、第1期ウルトラ至上主義者や昭和ウルトラ至上主義者、『ウルトラマンティガ』(96年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/19961201/p1)・『ウルトラマンダイナ』(97年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/19971215/p1)・『ウルトラマンガイア』(98年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/19981206/p1)の平成ウルトラ3部作至上主義者などからすれば、愛染が痛烈に批判したような『ウルトラマンギンガ』(13年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200819/p1)以降のニュージェネレーションウルトラマンシリーズに顕著(けんちょ)に見られる特徴は、やはり欠陥(けっかん)として映るのであろうから。


 だが、彼らはそれこそ愛染並みの、大きなカン違いをしているのだ(笑)。


「オレは夕陽の風来坊(ふうらいぼう)! とぉ~っ!」


だの、


ウルトラマンさん! ティガさん!」(笑)


だの、その後もオーブダークに変身するたび、『ウルトラマンオーブ』で主人公のクレナイ・ガイを演じた石黒英雄(いしぐろ・ひでお)のモノマネをしていたほどに――これがまた異様に似ていた(笑)――、愛染がオーブに心酔(しんすい)していたことからすれば、『R/B』の世界観は、かつてウルトラマンオーブが地球を守っていた世界と同一線上にあるのか、愛染もまた次元を超えた並行宇宙でオーブの活躍を目撃してきたのだろう。


 オーブの勇姿が目に焼きついたことで、愛染の中では「ウルトラマンはオーブのようであるべきだ!」といった、確固たる信念が渦(うず)巻くこととなり、それにそぐわないウルトラマンロッソとウルトラマンブルは、「断じてウルトラマンではない!」と、愛染は批判するに至ったのだ。


 だが、それは


「第2期ウルトラマンシリーズにはドラマやテーマがない!」


と批判した第1期ウルトラ至上主義者や、


「平成ウルトラ3部作はドラマやテーマを優先するあまりに、ヒーローものとしてのカタルシスに欠ける!」


などと批判した、かつての筆者を含む昭和ウルトラ至上主義者と同じ姿ではないのだろうか?


 そして、愛染は近年のウルトラマンの姿勢を批判しながらも、それが大きな矛盾(むじゅん)をはらんでいることに、まったく気づいてはいないのだ。
 「最近のウルトラマンはベラベラしゃべりすぎだ!」とか、「ヒーローが悩むな!」などの愛染の主張は、実は愛染が心酔する『ウルトラマンオーブ』にもおおいにあてはまることなのである(笑)。


 特に後者については、オーブがかつて北欧――ロシアにしか見えないが(笑)――で活躍していたころに、光ノ魔王獣マガゼットンとの戦いに巻きこまれた金髪女性・ナターシャを救えなかった自責の念から、オーブ=ガイはヒロインのナオミがナターシャ――ロシア人の名前だとしか思えないが(笑)――の子孫であることが判明するまで、その件をずっと引きずっていたほどであり、先述したイサミの「2週間もグズグズ悩みやがって!」どころではなかったのだ。


 これもまた、たとえば『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』のバトル場面でも擬人化した演出がいくつかあったにもかかわらず、『ウルトラマンタロウ』で散見されたそうした演出ばかりを


「完全に幼児向け」


としてあげつらったり、


「平成ウルトラ3部作をドラマ・テーマ至上主義にすぎる」


と批判しながらも、ドラマ&テーマ至上主義の原点かもしれない『帰ってきたウルトラマン』(71年)の特に初期編に見られた「人間ドラマ」偏重(へんちょう)の作風には口をつぐむ、といったように、自分が好きな作品に関しては都合の悪いことにフタをしたり、「なかったこと」にしていた、かつての我々の姿そのものではないのだろうか!?(汗)


 『R/B』第8話の演出は、決して近年のウルトラマンに批判的な人々の主張を代弁していたワケではなく、むしろ愛染のように


ウルトラマンはこうあるべきだ!」


と頑(かたく)なに主張し、それに該当しないウルトラマンを断じて認めない者たちが、それこそ


「ヤベーやつ」


であり、いかに滑稽(こっけい)であるかを皮肉っていたのではないのだろうか?


 まぁ、第8話もまた、


「最近のウルトラマンは変身にかける時間が長すぎる! いつまでも変身アイテムを長々と映してんじゃない!」


などとは愛染は主張しないワケであり、最も都合の悪いことにはしっかりとフタをしているのだが(爆)。


 もっとも、それ以前の問題として、愛染にこんなメタ的なネタを平気でやらせてしまうような、『R/B』のあまりにコミカルな作風自体が問題なのだ、とする声が一部にあるのは確かだ。
 これはウルトラマンにかぎらず、先述した『仮面ライダーエグゼイド』や『仮面ライダービルド』(17年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20181030/p1)など、近年の仮面ライダーで顕著に見られるようになったコミカル演出を「ふざけすぎだ!」と批判する声は、やはりいまだに根強いものがあるのだ。


 ただ、巨大掲示板・5ちゃんねるの『エグゼイド』や『ビルド』のアンチスレを見ると、むしろコミカル演出自体を問題視する声は少数派であり、「世界観やドラマの展開がシリアスなのに、その流れをさえぎるかたちで唐突にギャグが描かれるのが問題」だとする意見が散見されるのだ。


 個人的には決してそれらに賛同するワケではないのだが、その中には


「『ウルトラマンタロウ』は主人公が怪獣の背中に飛び乗ったり、防衛組織・ZAT(ザット)の隊員たちがさんざんフザケたりと、ユルい世界観であることが序盤でしっかりと示されていたため、後半でギャグ系の怪獣が頻繁(ひんぱん)に登場しても違和感は少ない」


とするような、かつて『タロウ』のコミカル演出が


「人間側の不必要なドタバタ」


などと批判された時代に比べれば、はるかに成熟した主張も見受けられるのである。


 ちなみに、


「『R/B』は、『仮面ライダー電王』(07年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20080217/p1)と同じタイプであり、コミカルだが本筋は結構まじめだよ」


と評する声もあったのだ。


 そうした観点でとらえるならば、本編ドラマが明るく空騒ぎな作風であるのみならず、序盤の時点でウルトラマンロッソとウルトラマンブルが、本編で描かれる湊兄弟によるボケとツッコミのかけあい漫才と連動するかたちで、軽妙で擬人化したアクションに徹していた『R/B』では、たとえどんなギャグが描かれたとしても決して違和感がないほどの世界観が、すでに充分に築(きず)き上げられていたのではあるまいか?


 第11話『アイゼン狂騒曲』で、ロッソとブルを背後から襲おうとした宇宙悪魔ベゼルブ――ネット配信された『ウルトラマンオーブ THE ORIGIN SAGA(ジ・オリジン・サーガ)』(16年)が初出の怪獣である――に、ロッソとブルが昭和の漫才トリオのように、双方から肘鉄(ひじてつ)を食らわせてベゼルブをコケさせた描写こそ(笑)、『R/B』の世界観を端的に象徴する演出だったように筆者には思えたのだ。


*「ネタキャラ」戦略のおおいなる可能性


 さて、愛染は第11話から登場した青い瞳の謎の美少女・美剣(みつるぎ)サキにより、精神寄生体チェレーザを分離させられて自我を取り戻すこととなった。
 同時にアイゼンテック社の社長の座をサキに奪われたがために、第16話『この瞬間が絆』を最後に、急にサッパリとした憑き物(つきもの)が落ちたような顔になって、自転車で「世界一周の旅に出る」(笑)として退場となってしまった。


 ウルトラマンの力を求めて地球に来訪したガス状の生命体・チェレーザが、15年前に愛染に憑依(ひょうい)した際の回想では、本来の愛染は父が経営していた町工場・愛染鉄工で働いていた、さえない工員だったのであり、先に述べてきたような「ネタキャラ」としての素質は、あくまでチェレーザのものだったようだ。つまり、ウルトラマンオーブにあこがれていたのは愛染ではなく、チェレーザだったということになるのだ。


 これは先述した『仮面ライダービルド』の敵・地球外生命体エボルトも、火星探検の宇宙飛行士だった石動惣一(いするぎ・そういち)に憑依していたものの、あの「ちゃお~♪」(笑)をはじめとするハイテンションキャラが石動ではなく、エボルトのキャラだったことと相似(そうじ)している。まぁ、偶然なのだろうけど。



「古き友は云った」


として、各話で歴史上の偉人の格言を引用して語ったり、


「今の女子高生の間ではこんなのが流行(はや)っているのか?」


などと、ビルの屋上で怪獣を背景にして自身の姿をスマホで「自撮り」(笑)したりなど、サキも愛染並みに、完全に「ネタキャラ」として描かれてはいる。


 だが、ハロウィンの特別編として描かれた第17話『みんなが友だち』に愛染が登場しなかったことに、おおいなる喪失(そうしつ)感をおぼえてしまったのは、決して筆者だけではないだろう。


 実際に愛染が退場した第16話の放映直後から、ネットではそれを惜しむ声があふれており、中には


「『R/B』観るモチベーションの半分くらいが愛染だったのにどうしてくれる」


とか、


「オーブダークが出てこないと番組を薄味と感じてしまう」


などというものまであり、愛染が「ネタキャラ」としてライト層の間でいかに注目を集めていたかが、うかがい知れるというものだ。


 おそらくは視聴者のこうした反応は製作側としては狙いどおりであり、世界一周から帰ってきた愛染が、最終展開で改心したチェレーザに再度、憑依されて、今度こそ市民のために戦うウルトラマンとして、ロッソ&ブルの兄弟と共闘することでおおいに盛りあげるのではないのか? と、個人的には予想するのだが。


 邪道(じゃどう)との見方もあるだろうが、特撮といえば「仮面ライダー」と「スーパー戦隊」しか知らず、「ウルトラマンってナニそれ?」といった感じだったライト層の間でも、ようやく「ウルトラマン」が流通することとなったのは、「ヤベーやつ」として彼らの注目を集めるほどの「ネタキャラ」を登場させるようになった、この数年の作品群の功績が大きいかと思えるのだ。


 『仮面ライダージオウ』(18年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20191020/p1)で「20作品」を達成した「平成」仮面ライダーシリーズの悪役の大半が「ヤベーやつ」だった(笑)ことを考えても、将来的な展望を見据(す)えた戦略として、「ネタキャラ」としての敵・悪役の登場は、やはりアリなのではなかろうか?


(了)


ウルトラマンR/B』中盤合評2 ~ウルトラマンオーブダーク・ノワールブラックシュバルツ(笑)登場!

(文・T.SATO)
(2018年11月4日脱稿)


「同級生とイイ雰囲気になるとか……。ちょっとイイ話なんか要らないんだヨ!」(#5のことを指す・笑)


「知り合いのことで2週間もグズグズ悩みやがって!」(#6~7)


「野球にかまけて出動が遅れたナ!」(#4を指す)


「デザインが気に入らん! なんだぁ、その猫耳ィ」(ウルトラマンロッソの頭頂の2本ヅノを指す)


「名乗りの最中と変身の途中で攻撃するのは言語道断! ルール違反なんだぞォ!!」(まさに現状を指す・笑)


「最近のウルトラマンはベラベラしゃべりすぎだ! 神秘性がなくなる!!」(爆笑)


 前々作『ウルトラマンオーブ』(16年)後半に登場したウルトラマンオーブの実は本来の姿・オーブオリジンを模して黒くした悪のウルトラマンウルトラマンオーブダーク・ノワールブラックシュバルツ(笑)が、我らが兄弟主人公ヒーローたる2本ヅノの赤いウルトラマンロッソと1本ヅノの青いウルトラマンブルに対して語る語る!


 序盤の4話分はユルユルのスカスカ、悪い意味でのルーティン・バトルのマイルドな作品という印象で、ヒロイズム的なバトルの高揚や吸引力にはいささか欠けるかなぁ……。


 兄弟主人公の弟クンのキャラの肉付けもするためか、鳥のような機械のツバサで空を飛ばんとする健気なリケジョ(理系女)ゲストを弟クンにカラませて、はじめて本格的にウエットな人間ドラマも導入した#5「さよならイカロス」。
 いわゆる「イイお話」なのだけど、こーいうのは幼児にはわからないやもしれないし、あるいは理解ができても男児には気恥ずかしかったりもするモノなのだから、そのエピソードの存在を全否定はしないにしても、もっとシリーズ後半の回に廻した方が良くなくネ?


 つづく#6「宿敵! あねご必殺拳」も、兄弟主人公を幼少時から見守っていた元・婦警さんで、世界中を放浪していた70年代ヒッピー風衣装の姉御(あねご)ゲストとのユカイで軽妙なやりとりはよかった。
 しかし、ラストにおけるゲスト怪獣・メカゴモラの体内に幽閉された姉御をめぐって、メカゴモラを倒すべきか否かの逡巡&決断の一連には、姉御との兄弟の幼少時の回想シーンまで流して、オッサン目線では滂沱の涙を流していたのはココだけのヒミツだけど(汗)、シメっぽいお話を気恥ずかしく思ってしまうであろう男児を遠ざけてしまうやもしれない問題は残るよネ?


 さらには#7「ヒーロー失格」で、前話ラストで助かった姉御が病院に入院中という設定で予想外の連続登板!
 イジワルに見れば子供向けヒーロー番組ではアリガチ・ご都合主義的なヒーローのピンポイント必殺光線(笑)で助かってメデタシめでたしだったオチにセルフ・ツッコミ、その天文学的確率の偶然・奇跡に弟クンを改めて恐怖させ、弟クンがウルトラマンに変身することに躊躇する姿を描くことで、平成ライダー戦隊シリーズのはるかに後塵を拝したとはいえ、「点」と「点」での取って付けたような連続性ではなく、「線」になっている連続ドラマ性がついにウルトラシリーズでも実現したのはイイ。
 けれどもその連続ドラマ性も、ヒーローや怪獣の特徴やら弱点、世界観設定それ自体に焦点を当てた一進一退・シーソーバトルの話数をまたいだ攻防劇・逆転劇、あるいはナゾ解きといった、子供たちが喜ぶであろう「活劇面での高揚」や「“世界”や“事件”に対するちょっと不思議なミステリ感・ワクワク感」をもたらす「連続性」ではなく、中学生以上にならないと理解ができないような人間ドラマ面での「連続性」であって……。


 なぞと筆者も、七面倒クサいことをグダグダと思い連ねていたのだけれど(笑)。


 #7では自らが怪獣に変身、#8「世界中がオレを待っている」ではついに悪のウルトラマンにも変身した愛染マコト社長自身が、筆者のようなスレたマニア諸氏の想いも先廻りして、あまりに端的な短文で的を射た、しかも「笑い」も取れる語彙選び・言葉使いで、先のように#4「ウイニングボール」~#7「ヒーロー失格」を一挙に見事に「批評」的に総括してしまったのであった!!


 しかも、それは本作の#4~7の総括どころではない! 2010年代のウルトラシリーズを、いやウルトラシリーズ50年間の紆余曲折を、ウルトラ「評論」40年間の歴史の二転三転も踏まえて、総括してしまってもいたのだ!! そのあたりについては後述していこう。


ウルトラマンオーブダーク退場! 女子高生が敵ボスに昇格!(笑)


 しかし、本作は個人的には「化けた」と思う。というか、今どきの作品であるから、当初からそのようなシリーズ構成であったのであろう。まんまとしてヤラれたのであった……(気持ちのイイ敗北感です)


 今どき悪い意味で珍しい、ルーティンバトルな1話完結の序盤。しかして、舞台となる企業城下町のユカイな白背広スーツ姿の愛染マコト社長は、レギュラーでも本スジにはカラまないコミックリリーフの立場なのかと思いきや……。
 社長自身が「怪獣メダル」から怪獣を召喚しているらしき描写が点描されて、それが確信へと変わり、彼自身もウルトラマンたちと同型の変身アイテムを保持しており、それを使って#1に登場した因縁の怪獣グルジオボーンへと変身! 続けて悪のウルトラマンへも変身!!


 そして#8~12に至って、悪のウルトラマンウルトラマンオーブダークとの激闘が数回戦にも渡って繰り広げられて、と同時に#10~12には今春の映画『劇場版ウルトラマンジード つなぐぜ!願い!!』(18年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20180401/p1)に登場したばかりの四足歩行怪獣のイイもの獅子聖獣・クグルシーサーの着ぐるみを改造したとおぼしき白毛が特徴的な豪烈暴獣ホロボロスも相手とする正義2体vs悪2体とのバトルともなった。


 並行して#11からは、黒い服装に身を包んだ美少女が登場。


 彼女にもマンガ・アニメ・記号的な誇張・極端化されたキャラ付けがなされて、毎回毎回、


「古き友は云った。~~」


と学識豊かにも、古人の名言を引用してみせる。


 彼女の場合、最低でも1300歳だから、実際にオスカー・ワイルドシェイクスピア徳川家康とも友人であったのだろうけど(笑)。
――「石橋に当たって砕けろ」「云わぬがお花畑」「蝶のように舞い、泣きっ面に蜂」(笑)などとインチキ格言を毎週のように述べていた愛染マコト社長とはエラいインテリジェンスの違いだが、広いイミでは似たようなモノである(爆)――


 そして、愛染マコト社長の退場後には、まさかの彼女が敵ボスキャラへと昇格! 大企業・アイゼンテックの次期社長の座まで奪ってしまうのだ!


主人公の妹が「非実在青少年」!(笑) 敵の女子高生もウルトラ何十番目かの妹だった!?


 加えて、主人公兄弟の妹である、元気で可憐なアサヒ嬢にも話数をまたいだナゾを与えている。
 たしかに当初から、江戸時代の武家でもあるまいに、家族に対しても敬語――相手との距離感が少々ある言葉――でしゃべっているあたりに「ナゼ?」というプチ疑問も生じてはいた。けれど、語尾に何でも「~ですゥ」「~にょ」(笑)などを付与するマンガ・アニメ的な記号的キャラ付けか? という程度で好意的に解釈もできていたのだ。


 しかし、ナンと! この常に敬語で発言すること自体も伏線であったらしくて、主人公家族のアルバムに彼女の幼少時の写真が一切ナイことで、またまたナゾ解きのドラマも構築していく。
 と同時に、捏造された記憶や存在であったとしても、アソコまで親愛な関係になれば、すでに彼ら彼女らはまごうことなき家族でもあり、人間ドラマ的には最終的にソコに感動的にオトしていくことも眼に見えてはいるのだけれども……。
 まず間違いなく、今の彼女にその自覚はなくて表層的にはアーパーな女子高生(笑)ではあったとしても、彼女もまたその真の正体は超越的な存在なのであろうけど、どのようなSFギミックでそれを解明していくのか興味は尽きないところだ。


 そして明かされる、黒服の美少女こと、暫定的に名付けた美剣サキ(みつるぎ・サキ)こと、略してツルちゃん(略している位置がヘンだろ・笑)のヒミツ!
 彼女は今のウルトラマンロッソ&ウルトラマンブルではなく、1300年前の先代ウルトラマンロッソ&ウルトラマンブルの真の妹でもあり、往時は#1に登場した怪獣クルジオボーンでもあったのだ!――しかして、クルジオボーンそのものであったのか? それとも、怪獣メダルの力を使ってクルジオボーンに変身していただけであったのか?――


 そして、彼女の真の目的は、1300年周期で再来する強敵怪獣を打倒することであり、そのためには地球をまるごと道連れに粉砕することも辞さないことを、TVでの中継を通じて全世界に告知もする!


 ……もちろん、子供向けジュブナイルである以上、そんなアンハッピーエンドなオチになるワケもなく、すでに兄弟主人公の妹・アサヒとのコミュニケーション・ドラマで、彼女自身に自覚はなくても軟化している描写も与えられている以上は、それを伏線としてラストの大カタストロフを回避するための説得ドラマも構築されていくのだろう。



 このように「怪獣」以外の要素で連続ドラマを構築していく流れになると、「怪獣」の魅力が減退するやもとの危惧もごもっともではある。
 だが、本作にかぎらず2010年代のウルトラシリーズは、むしろプリプリとした「密度感」のあるナゾ解き連続ドラマ空間に「怪獣」が置かれることで、出自や境遇や怪獣にも五分の魂などの同情すべき事情(笑)などのムズカしいことは考えずに、純粋に「怪獣」としてその属性や特徴を駆使して戦うことで、むしろ生き生きとしているようにも個人的には感じられるのだ。


 加えて、ギチギチの形式主義官僚主義的な融通の効かない作劇で、本作に登場するすべての怪獣が「怪獣メダル」から召喚されていたワケでは決してなく、地底に眠っていた古代怪獣のゴモラの復活であったり、愛染マコト社長――というより寄生していた宇宙人――が密かに建造していたロボット怪獣キングジョーであったりなどの、マンネリには陥(おちい)らせないバリエーションも付けているあたりもホントに好印象なのだ。


 そして、兄弟ウルトラマンふたりが合体、番組タイトルを名乗る3本ヅノの進化形態・ウルトラマンルーブも登場! 颯爽とした活躍を見せる!


 主人公家族の行方不明になっていた母親役を、00年代グラドル(グラビアアイドル)上がりの往時のブログの女王眞鍋かをり(まなべ・かおり)が演じることも近ごろ公表されたが、この母親がどのように本作終盤にて作品の終結装置として機能するのかも含めて、ラストスパートを見守る前に、愛染マコト社長の再登板にも期待したいので、社長の格言集を最後に振り返りたい(笑)。


「デザインが気に入らん! なんだぁ、その猫耳ィ」(笑)


 まず、「デザインが気に入らん! なんだぁ、その猫耳ィ」という発言は、70年代後半~00年前後においてマニア論壇では主流であった、



「70年代前半の昭和の第2期ウルトラシリーズウルトラマンたち――ウルトラマンエース(72年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20070430/p1)やウルトラマンレオ(74年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20090405/p1)――の複雑なデザインやゴテゴテした意匠が、いかにも低年齢の子供向けであるから“悪”である。いわんや頭部両側面に「ツノ」が生えている――ウルトラの父(72年)やウルトラマンタロウ(73年)――なぞはもっての他! 対するに、60年代後半の第1期ウルトラシリーズ初代ウルトラマン(66年)やウルトラセブン(67年)のシンプルなデザインは“正義”である!」



 といった論法を踏まえたモノである。


 このマニア論壇の論法が本編にも逆照射されて、80年代~00年前後のウルトラマンのデザインは非常にシンプルなものとなる――ウルトラマンエイティ(80年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/19971121/p1)・ウルトラマングレート(90年)・ウルトラマンパワード(93年)――。


 仮面ライダーシリーズに対する当時のマニア論壇&作り手側も同様で、仮面ライダーブラック(87年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20001015/p2)・仮面ライダーZO(ゼットオー)(93年)・仮面ライダーJ(94年)のデザインがコレにパラレルで該当するであろう。


 「突起物」などは絶対悪のタブーとされて(汗)、その逆張りのデザイン思想から、頭部の一部を細かいミゾのように削るという方策が採られて、それを快挙と持ち上げる論法までも今度は現れるようになった――ウルトラマンティガ(96年)・ウルトラマンガイア(98年)――。


 しかし、このマニア論壇における論法の宗教的な域にまで達したドグマ(教条主義)が、作り手側や玩具会社のデザイナー側でも否定といわず相対視はされてきたのであろう。00年代中盤においては、歴代ウルトラマンが一挙に並んだときに映える・差別化ができるといった理由で、


・「ツノ」ではないけど背中に超長方形のパネル状の羽が生えたウルトラマンノア
・「複雑」で流線的な頭部&体表模様のウルトラマンネクサス(共に04年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20060308/p1


などが登場。


 続けて、従来は赤であった体表を青くして、両肩や両耳に「ツノ」のような小さな「突起物」もあるウルトラマンヒカリ(06年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20060910/p1)も登場する。


 そして、ついに禁断を破って、余計な「突起物」の最たるモノだともいえる2つの「突起」を頭頂部に持ち、それが分離して刀やブーメランにもなり、青と赤のボディーカラーも併せ持ったウルトラマンゼロ(09年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20101224/p1)が登場!
 ゼロはさらに先輩のウルトラマンダイナやウルトラマンコスモスとも合体して、ウルトラマンレオのような複雑なフラクタル曲線による複数の「突起」を頭頂部に冠したウルトラマンサーガ(12年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20140113/p1)にもタイプチェンジする!


 以降は、


・ネーミングの由来「V」の字を額やスネなどの体表の各所にかたどって、右腕を往年の人気怪獣の巨腕やシッポに換装できるウルトラマンビクトリー(14年)
・同じく「X」の字をかたどり、各種の怪獣型ヨロイまで装着できるウルトラマンエックス(15年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200405/p1
・ついにはウルトラマンタロウの力を借りることで、頭部にアレほどまでに否定されていた「両ヅノ」を生やすに至ったウルトラマンオーブ(16年)の一形態・バーンマイト
ウルトラの父の力を借りることで、同様に「両ヅノ」を生やしたウルトラマンジード(17年)の強化形態・マグニフィセント


までもが登場した!


 そして、本作『ウルトラマンR/B(ルーブ)』(18年)においては、ついにウルトラマンロッソが「猫耳」(笑)となるのであった。


――以上の流れもまた、日本むかし話の主人公たちをモチーフに、桃から生まれた『桃太郎』の「真っ二つに割れた桃」(笑)を顔面のモチーフとしていた仮面ライダー電王(07年)や、コウモリを両眼の意匠とした仮面ライダーキバ(08年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20080225/p1)に、バーコード(爆)をモチーフとした仮面ライダーディケイド(09年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20090308/p1)などを皮切りに、イロモノ要素も適度にブレンドされて自由過ぎるデザインを持つに至った平成仮面ライダーたちのデザイン史ともパラレルだともいえるだろう――


 70年代末期~00年前後にこのようなデザイン的な冒険をしようモノなら、あるべきドグマに反するものとして、子供はともかく年長者のマニア論壇からはほぼ全員総出の猛反発の火の手があがったことであろう。
 しかし現在では、筆者の観測する範囲ではそのような光景はほとんど見られない。いたとしても極々少数派の絶滅寸前種族であり、むしろ今となっては保護すべき対象に値する存在であるのかもしれない(笑)。


 客観的に見れば、コレは特撮マニアの価値観の大地殻変動コペルニクス的転回とでもいうべき事態である。
 なのだけど、この転回は、5年・10年・15年という長期スパンでの漸進的(ぜんしんてき)なオズオズ・ユルユルとした変化でもあったために、扇動家がいてフランス革命ロシア革命が成就したのではなく、いや扇動家もいたやもしれないけどさして影響力は発揮できずに遠吠えの空振りで(笑)、マニアの側もナンとなく消極的に時流に飼い慣らされてしまって、強固な「理論」もヌキにフワッとした「今ではそれでもイイよね」程度の「空気」で事後承認をしているだけ、といったことが事の真相なのやもしれない。


 まぁ、それでもイイのかもしれないけれども、筆者のようなロートル評論オタクは「むかしはむかし。今は今」「長いモノには巻かれろ」で、何の「総括」や「自己反省」もナシに昨日と今日とで主張を180度、真逆に変えてしまって、恬として恥じない自堕落な態度は、戦前~戦後に突如急変した往時の大多数の日本人の姿を再び見るようでもあって、あまり気分のイイものではない。


 「むかし」の原理主義的なデザイン論の方が間違っていて、あるいは誤りであるとはいえないにしても未熟なデザイン思想であったから、「今」の多彩で自由なデザイン論の方が正しいと気付いて、それゆえに乗り換えたのか?
 しかし、その場合でも、「今」の正しい方に乗り換えること自体はイイとして、「むかし」の間違っていた見解に加担していた自分をどのように「総括」するのか?
 オレは戦前の政府にダマされていただけの無垢な被害者だからまったくの「無罪」なのだ! と居直ってしまうのか?


 「主犯」ではなく「従犯」ではあるけれど、そこに加担したという意味では小なりとはいえども自分の意志による選択・決定はあったワケだから、自分もB・C級ではあっても「戦犯」ではあったと客観視・自己規定をして、そのかぎりでは懺悔・反省をすると云うのであれば、ヒトとしてのスジも通ると思われるのだけど……。


 とはいえ、シンプルなデザインこそ糾弾されるべき「絶対悪」であり、複雑で玩具チックなデザインこそが「正義」である! という逆立ち論法もまた正しいとはいえるのか? 単にそれでは、それまでにあった論法を単純にひっくり返しただけに過ぎず、対立項に対する排他的・敵対的なメンタルという点では共通ではないのか? ……というような疑問なり、自己懐疑・自己相対視も次には浮上するであろう――まぁ浮上しないヒトもいるのであろうけど(笑)――。


 つまり、シンプルなデザインにも良さがあり、複雑であったり玩具チックなデザインにも良さがある。


 あるいは4分法で、


①シンプルなデザインで良いもの。
②シンプルなデザインだけど悪いもの。
③複雑なデザインで良いもの。
④複雑なデザインだけど悪いもの。


……というように、さらにていねいに選り分けて腑分けしていけば、我々が無意識に日々直観的に感じているであろう、デザインに対する感慨の複雑な実態のそのヒダヒダにも、より正確に接近していくようにも思われる。


 というワケで、今の時代の特撮マニアの大勢は、前近代的・宗教的・原理主義的で偏狭なドグマは持たずに、シンプルなモノでも複雑なモノでもイイものはイイ、シンプルなモノでも複雑なモノでもイマイチなものはイマイチ、という判断ができるように近代的・合理的・理性的な思考をするように成熟したのだとも私見するのだ。


 そう、大マスコミとネットニュース、ドッチが正義でドッチが悪という2元論ではなく、それぞれに真実のニュースを流すこともあれば、それぞれがフェイクや誤報も流すことがある、というように4分法で考えるという行為こそが、理性的な思考法なのだ(……話がズレてます・笑)。


「最近のウルトラマンはベラベラしゃべりすぎだ! 神秘性がなくなる!!」


 「最近のウルトラマンはベラベラしゃべりすぎだ! 神秘性がなくなる!!」(笑)という発言も同様である。


 コレは70年代後半~90年代中盤においてマニア論壇では主流であった、


「昭和の第1期ウルトラシリーズにおけるウルトラマンたちには完成された神秘性があったから“善”である。対するに昭和の第2期ウルトラシリーズにおけるウルトラマンたちからは神秘性がウスれて、兄弟やファミリーといった矮小な擬人化まで推進されたから“悪”である」


といった論法を淵源(えんげん)に持つものでもある。


 メンドいので結論を先に云えば(笑)、神秘性を強調したウルトラマンにも良さがあり、人間クサさや未熟さを強調したウルトラマンにも良さがある。
 しかし、神秘性を強調しすぎてスベってしまったウルトラマンもいれば、未熟さが「弱さ」の域に達して子供の憧れたりえなかったウルトラマンもいる。そんなところであるだろう。


 とはいえ、「神秘性」の有無という尺度で、歴代ウルトラマンたちをそんなにスッパリと2元論でカテゴライズできるものでもない。いかに人間クサくて未熟で弱いウルトラマンが過去にいたとしても、人間ではなく超人や宇宙人である以上は、「神秘性」が皆無になるワケでもなかった。
 その逆に、神に近しい「神秘性」を強調していたとしても、天地創造の神さまそのものではなくヒト型の形をしている超人である以上は、ヒトとしての属性が醸されてくるモノだ――少々の喜怒哀楽とか、敵対怪獣に対して優勢か劣勢かで見せる余裕や切迫感などの感情――。


 つまりは、オール・オア・ナッシングの2元論ではなく、「神秘性」の濃淡のなだらかなグラデーションのドコに位置するのか?
 「神秘性」と「人間性」が100か0ではなく、このウルトラマンの場合には90:10であり、そのウルトラマンの場合には20:80であり、あのウルトラマンの場合には60:40である……といったように、特撮マニアの大勢がそこまで意識的に考えているかといったら、それも怪しいけれども(笑)、そちらの複雑系の方向性で漠とでも思考ができるように変化してきたのではないのかなぁ……。そうであることを祈りたいものだ。


 要は作品によって、


ウルトラマンを人間から見て「神秘的」で不可知の圧倒的な超越者として描くことでもたらされる「SF的な感慨」を主軸にすえてもイイ
ウルトラマンを人間から見ても「人間的」に描くことでもたらされる「人情味」や「青春・成長ドラマ性」や「滑稽味」にも良さがある


といったことなのだ――後者の近年での好例が、ウルトラマンゼロとDAIGO演じるタイガ隊員との関係であり、ウルトラマンゼロと冴えないサラリーマン・伊賀栗レイトとの関係でもある(笑)――。


 ……まぁ、完全なるフィフティ・フィフティという関係もウソくさくて、6:4とか4:6の微差もあるハズなので、時流に沿っていたり、長寿シリーズの後継作としては、後者の方にやや分があるようにも思うけど。


 次に、


「名乗りの最中と変身の途中で攻撃するのは言語道断! ルール違反なんだぞォ!!」


うんぬんという発言も……。


 このあたりの話も、賢明な読者諸氏にはこのあとに筆者が書こうとしている論旨の予想がつくやもしれないけれども(笑)、時間の都合でここで筆を置こう(オイ・汗)。


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2018年秋号』(18年11月4日発行)~『仮面特攻隊2019年号』(18年12月29日発行)所収『ウルトラマンR/B』中盤合評5・6より抜粋)


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(文・T.SATO)
(2018年10月28日脱稿)


 IQ600(?)の天才物理学者でもあるトッポい青年。その青年はナゾの組織に拉致され陰鬱な手術台の上で改造されたらしい……という『仮面ライダー』初作(71年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20140407/p1)の設定を想起させる、今どきの変身ヒーローものとしてはやや陰鬱な映像でスタートして、ナゾの組織・ファウストが繰り出すスマッシュ怪人との人知れずの暗闘を描く、非常にミクロな世界を舞台に開幕した平成仮面ライダーシリーズ第19弾『仮面ライダービルド』(17年)。
 赤い発光ガスを放出する超常的な万里の長城の出現により、3国に分断されてしまった日本という舞台設定は、当初は遠景にすぎなかったけれども、第2クールでは北朝鮮社会主義諸国を想起させる「北都」国の大軍が我らが「東都」国へ軍事進行! 首都にまで攻め込まれる「戦争」状況を描く。
 しかし、アメリカ的な新自由主義経済や帝国主義も想起させる「西都」国が、手薄となった「北都」国の首都に電撃進行してコレを陥落。今度は「西都」国が「東都」国を攻めてくる!
 その「西都」国でも政変が起き、シリーズ序盤から顔を見せ、3国ともウラでつながっていた『仮面ライダーストロンガー』(75年)の敵組織ブラックサタンの幹部タイタンもとい、往時タイタン役であった濱田晃が演じる巨大財閥・難波(なんば)重工の和装の杖をついた老会長が「西都」国の首相を暗殺! 超常の力で顔面を変えて成り代わる!
 すべては日本を3分割する万里の長城を突如出現させた、超常パワーを有する火星の超古代文明由来の「パンドラボックス」を奪取して軍事兵器に転用し、日本を統一してその勢いで世界に覇を競うためだ。


 中盤では戦争状態は継続するも、超古代の火星の気高き王妃の霊が黒髪ショートのメインヒロインに憑依している驚天動地の事態も発覚! 王妃はメインヒロインの両瞳を緑色に光らせて精神を一時的に乗っ取り、地球における火星文明崩壊の再来を警告する。と同時に本作におけるラスボス・エボルトは外宇宙に出自を持つことも明らかとなる。
 本作の2号ライダー・仮面ライダークローズに至っては、胎児の時分に肉体・DNAのレベルで外宇宙の生命体と融合、ラスボスと同根の存在であったことまでもが判明! 第1クールではメインヒロインの父であり、正義の味方たちの年長の後見人、昭和ライダーにおける「おやっさん」ポジションであった喫茶店の飄々としたマスターが、ライダーたちの特訓やパワーアップに協力していたのも、真の理由は2号ライダークローズの悪の本性を覚醒させることにもあったとする!


 物語のスケールも一挙に「宇宙」規模にまで拡大。ついにその正体を現し、本来の力も取り戻しつつあるラスボスは空間跳躍・ワープして、宇宙の彼方の太陽系外惑星へと仮面ライダーたちを拉致。そこの住民をブラックホールで惑星まるごと滅ぼす光景を見せつけもする! ラスボスは「東都」国の首都上空でもミニブラックホールを出現させ、人々は都市の瓦礫とともに阿鼻叫喚の悲鳴をあげながら宙に吹き上げられ、漆黒の闇へと吸い込まれていく!
 東映メタルヒーローレスキューポリスシリーズ第3作『特捜エクシードラフト』(92年)終盤では、神と悪魔の最終決戦・ハルマゲドンが描かれるも、その映像は埼玉県寄居のアリゾナ州(爆)で、赤いサンタクロースと黒いサンタクロースが細かいカット割りで3人ずつ「組み体操」バトルをしているビジュアルであったことを思うと(笑)、異星文明や「東都」でのカタストロフを視聴者にチャチな映像で幻滅させて作品外の現実=日常に引き戻すことなく、物語に没入させたままで危機感・絶望感・圧倒的強敵感も実現できるようになった、ここ四半世紀の特撮CGデジタル映像のエボル=進化には改めて隔世の感もいだく。


 終盤では、昨年末の正月映画で、世界観が異なる本作『仮面ライダービルド』世界と直前作『仮面ライダーエグゼイド』(16年)以前の第2期平成ライダーシリーズ(09年〜)の世界を連結させるために導入された「平行宇宙」=パラレル・ワールドの概念までをも投入。別の世界の「地球」をこの「地球」にブツけて、ここ20年ほどの時間も含めて「歴史改変」することで、無敵のラスボスを消滅させる秘策とする。
 コレは次作『仮面ライダージオウ』(18年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190126/p1)が、歴代平成ライダーシリーズ20作品を個々の独立した別世界ではなく、1本の歴史時間軸上にある同一世界(?)だとする設定にインスパイアされて着想されたアイデアで、出来れば『ジオウ』ともリンクさせられれば……との欲張った意図もあったのであろうか?


 ……そして、時間がいったん巻き戻った上でヤリ直しされたのか、オルタナティブ(代替可能)な別の歴史をたどった「新世界」のイマがココに出現! 人々は「旧世界」での3国分断&惨劇をもはや覚えてはいない。非業の死や野望の果ての死を遂げた人々も、ヒーローや怪人などが存在しない平和な社会で現実的な人生を送っている。仮面ライダービルドや仮面ライダークローズに変身する運命をたどらなかったふたりの青年も別の人生を生きていた。
 しかし、「旧世界」での激闘の記憶を持ち越した、いや「旧世界」からその肉体まるごと「新世界」にたどりつき、「歴史改変」をまぬがれ「時空の常識」からは逸脱して、「新世界」で別の人生を送っていた「自分」とも分岐・独立した「特異点」とでもいうべき青年が淋しくひとり。いや、にぎやかにふたり……。といったところで、物語は幕を閉じる。


――ご存じ「特異点」とは物理学の用語で、ブラックホールの内部など、通常の物理法則が通用しなくなる特異な地点を指す。『仮面ライダー電王』(07年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20080217/p1)の主人公がそう呼ばれたのが記憶に新しいが、ロートルオタであれば『超時空要塞マクロス』初作(82年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19990901/p1)の後番組にして、あまたの平行世界の地球が「超時空振動爆弾」の影響で混在してしまった世界を描くリアルロボアニメ『超時空世紀オーガス』(83年)のキーパーソンたる主人公青年も劇中でそう呼称されていたことを想起するであろう――


 ……本作『仮面ライダービルド』#1を視聴した時点で、だれがこのような二転三転の果てに世界観もエスカレーション、インフレーションしていくシリーズ構成を予想しえたであろうか!?
 当初の本作は、『仮面ライダー』初作第1クールのいわゆる「旧1号ライダー編」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20140601/p1)や『仮面ライダーBLACK』(87年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20001015/p2)序盤のミクロでクールな「夜」の映像的雰囲気にも通じるモノがあるとする声も一部では仄聞したほどであったが、結局はそれとは真逆のマクロな方向で、昭和ライダーシリーズをも含む全『仮面ライダー』シリーズ史上最大の広大な時間的・空間的スケールを誇る作品世界に着地した。


「戦争編」再総括 〜政変劇&個人の懊悩劇。強者に抗う弱者の力も暴走する逆説!


 一方で、第2クール中盤〜第3クール序盤のいわゆる『ビルド』「戦争編」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20180513/p1)では、大状況の主導権は各国の政治家たちに握られ、「北都」国の女性首相や「西都」国の壮年首相に「難波重工」の老会長らが繰り出す老獪な権謀術数や奇策に奇襲や外交的な角逐で、戦争の趨勢やストーリーの行く先が決まり、仮面ライダーたちはそれに翻弄されるしかなく、そのことに悩みまくる存在としても描かれた。
 コレらのあまりに高踏な描写の子供向けヒーロー番組としての是非はともかく、ある意味ではコレはリアルな現実そのもののメタファーでもある。トオのたったマニア視聴者は「そうそう、世の中って、あるいは一個人の営為なんて、そんな程度、1億分の1だよネ。世界や社会はたしかにそーなっているよネ!」的な滋味や寓話的リアリティ、ニガい共感もさせてくれる、悪をやっつける明朗なカタルシスとはまた異なる「重たいカタルシス」を味合わせてもくれた。


 昨年末の正月映画『仮面ライダー平成ジェネレーションズFINAL ビルド&エグゼイド withレジェンドライダー』(17年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20171229/p1)においては、仮面ライダービルドこと桐生戦兎(きりゅう・せんと)クンをはじめ、第2期平成ライダー各作の主人公(1号ライダー)たち、仮面ライダーエグゼイド(16年)・仮面ライダーゴースト(15年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20160222/p1)・仮面ライダー鎧武(ガイム)(13年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20140303/p1)・仮面ライダーフォーゼ(11年)・仮面ライダーオーズ(10年)の変身前の中のヒトらが、底抜けの善人ぶり・熱血ぶり・博愛ぶりで巨悪に立ち向かう熱い姿も描かれた。
 そして地球崩壊の危機が迫っていて、巨悪を倒すという大目的もあるのに、目的地に向かう通りすがりに危難に遭っている弱者を見かける度、天秤の秤で大小を計らずに迷うことなく彼らに手を差し伸べていく姿の連発が、美談としても叙述されていく。
 『ビルド』世界の2号ライダー・仮面ライダークローズこと博愛精神や公共心には少々欠けるキライのあるプチ・ヤンキーの万丈龍我(ばんじょう・りゅうが)クンは、その光景に「見返りもないのにナゼにそこまで……」と疑問を浮上させつつも、彼らに大いに感化されていく姿をドラマ面での1本のタテ糸としていた。
――「大の虫を生かすために小の虫は犠牲にする」ではないけれど、大災害や大事故の場合には救える命を優先し、軽傷者や救命が困難な重篤者への治療は優先順位を下げ、マンパワーをその分、救命可能な重傷者に回すことで結果的に救える人間の数をもっと増やせるという、ある意味では命の選別・優生思想であり「平等」の理念に反するやもしれない「トリアージ」の概念が先進各国で勃興し、日本においても10年前の08年の秋葉原通り魔事件(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20080617/p1)の現場でそのような救命処置がなされてからも久しい昨今、先輩ライダーたちのその態度もホントウに正しいのか? というイジワルなツッコミも可能ではあるけれど(汗)。「99匹の子羊」の生命を救うべき「政治」として正しいかはともかく、子供や大衆たちに観せる「1匹の子羊」の生命・心をも救わんとする「説話」「文学」としては、このような博愛精神の称揚は十全ではなくともまぁ正しいとは思う――


 しかし、この「戦争編」では、仮面ライダーの超人的な力をもってしても、広大な戦場のすべての人々を救うことなどできはせず、通りすがりに見かけた弱者を助けるのがせいぜいであるとする「無力感」の象徴として、その意味合いを反転させて描かれる(爆)。
 この事態に、スマッシュ怪人と戦いながら「東都」国の諜報機関とも一戦を構えていた彼は、当初は「北都」と「東都」の「戦争」に軍事兵器として加担させられることは拒む。しかし、「東都」首都の惨状や傷つき落命していく犠牲者を前にして仕方なく、緊急救命行為として「東都」側と連動してこの戦争に加担していくことになる。
 そしてこの加担行為には、記憶喪失の身である自分の前身が、実はライダーや怪人自体を生み出した「悪魔の科学者」であり、この戦争の発端にも関わったかもしれない不安、アイデンティティ・クライシスと、それでも科学が大スキであり科学的真理と科学がもたらす希望を信じたい、科学の成果であるハズの「ライダーシステム」の「正義」もついでに証明したいという、純真&邪心&自己逃避とが入り交じったような情動&動機にも基づいていた。


 多くの人々や弱者を守るためには、たしかに逆説的に自身が強くなる必要はある。しかしその力を制御できずに発揮してしまったり、力の発揮の万能感に陶酔して自己懐疑や自己点検を怠ってしまえば、無関係な周囲にも意図せざる甚大な被害を惹起してしまう恐れもある。コレは大は戦争にかぎらず、文明の利器、どころか個々人の腕力やナイフに包丁、小は口舌や我々キモオタ同人のペンや文筆(汗)に至るまで、太古から普遍的に万物を串刺しにして遍在するアポリア――相反する真逆の2つの答えが同時に得られてしまう難問――ではある。
 本作においても、ワリとベタに可視的に、禁断のアイテム・ハザードトリガーを変身ベルトに追加挿入することで、全身が黒色に変化しただけ……といったあたりがシンボリックな意味でもミエミエ(笑)な仮面ライダービルド・ハザードフォームに強化変身。
 この形態に長時間、変身していると自我を失い、狂戦士(パーサーカー)と化してしまう危険性が指摘され、数度目の使用後には実際に、「北都」の仮面ライダーにして本作における3号こと金色のライダー・仮面ライダーグリスの子分の3バカ不良たちが変身する強化スマッシュ怪人のひとりを必殺ワザ・ライダーキックで蹴り殺してしまうことで、戦地での軍事行動とはいえ、その正体はひとりの人間である存在を殺めてしまったことに主人公は恐怖して、人格崩壊の危機に陥らせてしまう作劇を行なった。


 正直、筆者個人としては本作「戦争編」こそが、


・マクロなポリティカル・フィクション(政治劇)
・ミクロな個人の懊悩ドラマ
・それらの中間レイヤー(層)での、「東都」首相の実子にして、諜報機関ファウストの長としての独断で、首相も知らない不要な汚れ仕事もするダンディなヒゲ面の壮年所長・氷室幻徳の野望&政治的没落、首相による解任と「西都」への亡命劇


 なども含めて一番見応えはあった。


 しかし、あくまで過剰な会話劇ではなく細かいカット割りや場面割りにアクションが中心であったとしても、小学校中学年以上であればともかく、絵的にハデでヒーローにも変身する若者たちではなく、地味なオッサン・オバサンらによる絵柄的には変化に乏しい「戦争編」の怒濤の展開は、幼児や小学校低学年が観たらドーであったろうか? 今思えば、あまり面白くはなかったであろうかと危惧はする(笑)。
――3号ライダー・グリスが出現、2号ライダー・クローズが強化形態クローズチャージに変身、「戦争編」終盤ではCGで上空へウサギのようにピョンピョン跳ねつつパーツを徐々に装着していくハデな変身シーンの赤い強化形態ビルド・ラビットラビットフォームや青い強化形態ビルド・タンクタンクフォームが登場するなど、子供ウケしそうなキャッチーなイベントや映像も節目節目にあったとはいえ――。
 それに、このようなハイブロウな描写も、仮にスレたマニアだけがお客さまであったとしても、せいぜい1クールが限度であって、それ以上は反復となりアキてきて、「ニガみもあるカタルシス」も含めて爽快感が欠如していく可能性は高い。


 そのあたりの危険性に先回りをして網も張ったのか、「北都」国vs「東都」国の勝敗は、そして「西都」国vs「東都」国の決着も、各国の仮面ライダーや疑似ライダーたちが代表選手としてリングで決着をつける協定が政治的に合意されたことにして、子供向けヒーロー番組における「仮面ライダー」という存在に、改めて劇中内における特権性・超越性を付与していく(そこだけは非リアルではあるけれど・笑)。
――まぁこのへんも、勝敗を無視して軍事侵攻が継続されたり、そも密室バトルとされることで勝敗がネジ曲げられて世間に伝えられ、ヒーローの強さやその強化形態の初登場回としては特撮&アクションのカタルシスが全開になっていたとしても、ドラマ・テーマ的にはビターな一筋縄ではいかないダブル・ミーニングの技巧的作劇が連発されたけど――


最終「エボルト編」総括 〜火星・宇宙・平行宇宙。7大ライダーの離合集散!


 『ビルド』のシリーズ後半戦では、国家vs国家の戦争状況だけではなく、改めてレギュラーの登場人物たち、主に複数いるあまたの仮面ライダーへの変身者たちの活躍にもフィーチャー。
 強化変身の果てに戦争の戦局すら左右する、戦術レベルから戦略レベル、あるいは政略レベルにまで達した仮面ライダーたちや、その亜種の疑似ライダーとでもいうべきスマートなダークヒーローたちが、「パンドラボックス」の争奪をめぐって、拳や蹴りを交えつつする会話や討論(笑)で、彼ら自身の背負った出自・動機・美学・哲学・テーマをブツけあう作劇に帰着する。


・「東都」の仮面ライダービルド&仮面ライダークローズ!
・「北都」の仮面ライダーグリスは亡国の民となり、遺恨は残しながらも、仕方なくビルド&クローズと共闘!
・「東都」から亡命したヒゲ面の貴公子が、「西都」でまさかの再起を果たして、故郷に復讐を誓う仮面ライダーローグに昇格!


 本作には序盤から、仮面ライダーもどきのスマートなダークヒーローとして、黒いコウモリ男型のナイトローグと、赤いコブラ男型のブラッドスタークも登場していた。


・前者はファウスト所長から亡命貴公子に没落の果て、前述した4号ライダーこと仮面ライダーローグに転生!
・後者もライダーの最強の敵は悪のライダー! あるいは技術的オリジンは実はコチラ! というパターンで、その正体は地球外生命体であったエボルトが仮面ライダーエボルへと変身!


・さらには、もうひとりの仮面ライダービルドも出現! その正体は、我らが主人公・桐生戦兎クンの前身、葛城巧(かつらぎ・たくみ)青年の死んだハズの実父の科学者! 本来、実父が装着するために製造された変身スーツだから、マッチングも抜群でむしろ強いのだと設定する。
――シリーズ後半では登場しなくなっていた、左右半身が赤と青のビルド基本形態・ラビットタンクフォーム等々の姿を取ることで、強化形態の姿で終始登場するようになっていた現役ビルドとの描き分けもバッチリ!――


・4号ライダーこと仮面ライダーローグのマイナーチェンジ(着ぐるみ微改修版)である仮面ライダーマッドローグまでもが登場! やや取って付けた感があるけれど、ラスボスライダー・エボルと同型の赤い変身ベルトを用いて変身することで(!)、その番外ヒーロー的な存在感の弱さはカバーする。
 変身者は「東都」ではヒゲの貴公子・幻徳のクールな秘書であり、シリーズ前半では人身御供として幻徳に狙撃され、高い橋から落下して退場するも、その正体は難波重工に忠誠を誓うスパイでもあった眼鏡の青年・内海のリベンジ!


 『ビルド』後半は、都合7人のカラフルな仮面ライダーたちが順列組合せマッチメイクで激突、かつ目まぐるしく離合集散・叛服常無しで動く、個々人のブラウン運動の意外性の連発もねらった方向性に作劇の舵を切る。
 云うなれば、紀元後の「三国志」を紀元前の「春秋五覇」や「戦国七雄」に変えただけで、作品構造的には実は「戦争編」と大差ナイともいえるけど、抗争の主体を国家法人からカラフルな変身ヒーローに変えるだけでも、子供たちには共闘・離反・鞍替え・再共闘などのシャッフル群像劇が随分とパターン認識しやすくなったのではあるまいか?(笑)


・寝食をともにすることで和解していく3号ライダーグリスと、1号ライダービルド&2号ライダークローズ。
・4号ライダーローグvs3人のライダー。
・3号ライダーグリスを離反させるため、彼の故郷の「北都」の人々を人質に取る「西都」、ひいては「難波重工」の悪辣さ。
・その卑劣な手段にいくらなんでもついていけず、「西都」を裏切り、人質を解放してしまう4号ライダーローグ。
・父である「東都」首相の目前での死により、本格的に改心した貴公子ローグ
・貴公子ローグと3人のライダーとのギクシャクした関係。
・実は世間知らずで生活力もなかった貴公子ローグを、その奇矯な言動&各話で異なる格言(?)が書かれたTシャツを内心の声代わりに指さす代弁で、ギャップ笑いのキャラにジョブチェンジ!――ローグ変身時に鳴り響くスリラー映画のごとき「女性の悲鳴」の音響効果も、ボケに対するツッコミに意味合いを変えて多用される(笑)――
・そのコント劇の果てに、ヒゲ(ローグ)とジャガイモ(グリス)が、そして正義側レギュラーたちとも和解。
・DNA的にはラスボスと半分同根であると知らされた2号ライダーの懊悩――いや脳ミソ筋肉だから、あまり懊悩していなかった?(汗)――
・生きていた実父はもうひとりの仮面ライダービルドに変身するも、ラスボスライダー・エボルと組んで、主人公たちの前に立ちはだかる!


 コレらの離合集散劇に、玩具販促による新キャラ続々登場も、あたかも劇中内では必然性があったかのごとく、後付けのリクツも込みで、巧妙なパズルのように当てハメていく。
 強敵の出現! 押されるヒーロー大ピンチ! しかして、決してアキらめない頑張りや人々の善意に応援(笑)やテクノロジーが後押しして、ヒーローは新たなる強化形態に再変身して大逆転!
 敵側にもこの作劇的法則は適用され、地球外生命体であるラスボスも、その超常的な特殊能力で1号ライダービルドや2号ライダークローズに次々と憑依!
 その肉体を乗っ取り、頭部だけ1号ライダービルドのマスクをかぶった仮面ライダーエボルや、頭部だけ2号ライダークローズのマスクをかぶった仮面ライダーエボル、そしてついには赤色ではなく白色の仮面ライダーエボル・究極形態へと次々にタイプチェンジしていくことで、ビジュアル的にも変化をつけつつ、一進一退の攻防劇と、新キャラ加勢や強化形態を登場させる物語内での必然性を作っていく。


 この展開に応じるかたちで、4号ライダー加勢や、2号ライダーの新強化形態・クローズマグマ、さらにはグレートクローズ、3号ライダー強化形態・グリスブリザードに、1号ライダービルドも通常の2本の属性成分液体ボトルではなく全60本ものボトルを全身と顔面(笑)に装着した白い最強形態・ジーニアス(天才・笑)フォームへと変身することで、絶体絶命のピンチを脱する大逆転劇のいくつもの連発(笑)にも「設定」的な説得力を与えている。
 シリアスで息詰まる展開でありながら、仮面ライダー各々への変身時の背景には、おそらくは佛田洋特撮監督による悪ノリ絵コンテであろう、オトナ目線では少々笑ってしまうナンセンスな溶鉱炉やらブリザードやらを出現させ、前後から変身者を仮面ライダー型の鋳型にハメる派手派手なバンク映像ならぬ3D−CGの映像データを、さまざまなアングルやアップに引きの実景映像へと合成することで、あるイミではこのテの作品のキモ・本質でもある、子供やマニアに大衆たちも実は望んでいるであろうスペクタクルな光景や、全能感・万能感・身体拡張・変身願望のカタルシスを擬似的に満たす、子供番組的なケレン味についてもバッチリ!


――そのむかし、メインヒロインが作ってくれた料理をバクバク食べたら強化形態に変身しちゃった仮面ライダーアギト(01年)や、特にイベント編でも強敵相手でもない通常回なのに子分の西洋3大モンスターもどきを召喚合体して強化変身しちゃった仮面ライダーキバ(08年)などの、異形のキャラクターたちによる愛憎激突劇やその動機の延長線上としてのバトルには関心があっても、ヒーローの玩具性や純粋パワーゲームにはまるで関心がナイとおぼしき井上敏樹脚本作品というモノもあってだなぁ。ゴホッ、ゴホッ(汗)――


最強の敵もライダー! マスター=スターク=エボル=エボルトの変転劇の妙!


 スーパー戦隊シリーズでは『動物戦隊ジュウオウジャー』(15年)、平成仮面ライダーシリーズでも『仮面ライダー鎧武/ガイム』(13年)あたりから、合体巨大ロボットのバリエーション、ヒーローの頭数や特にその形態変化がまたまた膨大に増えた。そのことによる、着ぐるみ予算の増大対策としてか、敵のゲスト怪人の数が顕著に減らされることになる。
 その代わりにゲスト怪人は、00年代後半以降のウルトラマンシリーズのゲスト怪獣たちとも同様、同族の別個体や上級戦闘員、再生怪人としてリサイクルされたり、新造着ぐるみの幹部級怪人が強敵として数話〜約1クールに渡って前線で連戦する作劇を導入したりした。そして等身大戦ではレギュラー敵幹部と抗争、巨大戦では再生巨大化怪人をやっつけるなどで、各話単位における必殺ワザ披露による敵をやっつけるカタルシスは担保して、予算不足をクレバーなパターン破り作劇などでカバーする工夫もなされてきた。


 第2期平成ライダーシリーズでもここ数作の終盤では、長期にわたって登場する新造着ぐるみの幹部級怪人のポジションに、悪の仮面ライダーを配置! 第1期平成ライダーシリーズの劇場版ではすでに多用されていたけど、ヒーローの最強の敵は、見た眼的にも少々劣位にあり道義的にも悪の存在であろうと思われやすいやや格下の怪獣・怪人ではなく、ヒーローとも拮抗するかそれを上回るやもしれないと一瞬錯覚させる同族的なカッコいいダークヒーローパターンを投入。
 『仮面ライダー鎧武』最終回では既存スーツの微改造とおぼしき仮面ライダー邪武が登場したが、その次作『仮面ライダードライブ』からは同作2号ライダーの実父でもある新造スーツの金色の仮面ライダーゴルドドライブ、1作飛んで直前作『仮面ライダーエグゼイド』では同作5号ライダーの実父でもあるメタリックグリーンの仮面ライダークロノスが登場して、複数のライダーが束になっても叶わない強敵ぶりをシリーズ後半では延々と披露した。
 本作でも同趣向で、この役回りを先にも言及したメインヒロインの実父(?)でもある仮面ライダーエボルが務めて、新造のゲスト怪人を登場させられない代わりに、シリーズ後半をバトル面でもスケール面でも心情面でも大いに盛り上げてくれた。


 このラスボスライダー・エボルであり、地球外生命体・エボルトでもあった存在の描写も二転三転を極めていく。シリーズ前半では赤いダークヒーロー・ブラッドスタークでもあった彼の正体は、序盤では正義の味方のファンキーで愉快な後見人であり、昭和ライダーでいう「おやっさん」ポジションで、メインヒロインの実父でもある喫茶店のマスターであった! と第1クール終盤では明かしておいて(笑)、第3クール序盤ではさらなるヒネりを入れ込んで、マスターはエボルトに憑依されていただけであった! と二段構えで攻めてくる。終盤では本来の万能に近き超常能力も回復、マスターとは分離して、独力で具現化・物質化・肉体化することで、マスターの姿を擬態して行動するようにもなる。


 筆者個人も第2クールの「戦争編」時点では、マスターの悪行はパワーファイターではなく小賢しい小悪党レベルで、各勢力のウラを行き来して操るだけのトリックスター的な存在なのだから、正義の味方を鍛えるために悪を演じている「偽悪」やも……なぞと穿った予想もしていたのだけれども。
 それらは我々のような年長キモオタに対するミスリード描写であったようで(汗)、正義の味方の仮面ライダー側のパワーアップ劇でさえ、彼の遠大な文明崩壊計画のための一助であり、一連のすべては彼の手の平の上のことであったとして、ラスボスへと次第に昇格していく……。


 それでも憑依したマスターの記憶を用いてだろう、実父としてメインヒロインに接したり、記憶喪失であった戦兎青年や龍我青年との同居生活で、疑似家族を演じているうちに情が移り、ホンキで心配したりウルッとしたこともある……なぞと泣きつくメインヒロインを前に、済まなさそうに真相を告白したりする多面性もある心理描写をラスボスごときにも与えている。
 その果てに、この複雑怪奇で矛盾した繊細でもあり破滅的でもあるメンタルを持つ地球人に興味・関心を持ったことで学習し――そこまでは『ウルトラマンメビウス』(06年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070506/p1)において再定義された昭和のウルトラ兄弟が地球人(劇中ではあえて「人間」と呼称)を守護する二次的な目的=「ヒューマニズム・人間心理の学習による自らの精神の向上・人格の陶冶(とうや)」と同じだけど――、本来の宿願であり彼にとっての至上の快楽であるハズの「惑星文明の破壊」を棚上げにして、「全人類の支配」に関心が移ったかのようなことも難波老会長を相手にウソぶく。


 それもこれも作品外のことを云えば、なんでそれだけの超パワーがあるのに、ライダーや人類をさっさと滅ぼさずに遊戯のように戦っているのか?(笑) という年長視聴者や小賢しい小学校高学年以上のガキんちょどものジャンル作品への実に正当・合理的なツッコミに対する予防線ではある。ヒイてジラして半年なり1年をもたせていることへのいくつかの設定的回答を先回りして提示して、しかもそれら回答群をも煮詰めて派生・自生・積層するかたちで、後付けでも辻褄が合うストーリーを構築していこうという、作家の作劇的な都合や技巧でもある。
 しかし、それゆえにウェルメイドで面白い作品ができるのであれば、そんな賢(さか)しらな作為(さくい)こそがまさに創作のキモなのだと云っても過言ではナイであろう。


――60本ある成分液体ボトルなども同様で、「ウサギ」だの「戦車」だの「ゴリラ」だの「掃除機」だの「海賊」だの「列車」だの「UFO」といった稚気満々なそれらの成分は、個人的にはその脈絡のないセレクトに理由付けなどなくても、このテの番組ではいつものことなのだから、USBメモリ型の「地球の記憶=ガイアメモリ」(笑)のようなモノだと、視聴者の側で勝手に割り切ってもよかったのだけれども……。それでも一応の合理的・暫定的なリクツがナイよりかはあった方がイイとはいえるので、それらはメインヒロインの幼少時の落書きに依拠していたと終盤で回想映像込みで語らせて、そこから後付けでも父娘ドラマやラスボスの陰謀劇を当てハメていくのもうまい……とは思うモノの、このあたりの描写は少々取って付けたような感もあったかナ?(汗)――


 地球外生命体であるラスボスも人間性の何たるかを多少理解したことで、女児向け・マニア向けの魔法少女アニメのごとく、少女の母性や博愛精神で魔性や悪の存在をも癒やして和解せんとする方向に転じることも論理的にはアリだったやもしれないけれども……。本作は基本は男児向けの戦闘ヒーローという節をまっとうして(?)、ヒト型に変異したネウロイがより上位のネウロイに抹殺されることで、異種コミュニケーションではなくイイ意味で頭の悪い勧善懲悪バトルに舞い戻る戦闘美少女アニメストライクウィッチーズ2』(10年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20150527/p1)#1冒頭のパターンで、和解の可能性は放棄して巨悪を倒すカタルシスを目指す方向性に収束していくのも、娯楽活劇作品としては正しい選択だとも思う。


メインヒロイン。そして難波チルドレンであったサブキャラたちの描写の達成度!


 かわいいけどプチ・アンニュイ(気怠げ)でもあるメインヒロインには、全60本中の20本が「東都」にだけ不完全なかたちで存在していた属性成分ボトルを、科学の力か超常の力で浄化(復元?)する特殊能力を持たせて、実父の正体への困惑や、10年前の3国分断勃発の現場に居合わせたことへの因縁でもドラマを構築していく。
 『ウルトラマンギンガS(エス)』(14年)ではメインヒロインの女性隊員であった女優さん演じるサブヒロインも、フリーのジャーナリストだと思わせて、第1クールで早くも難波重工・老会長の子飼いのスパイであったとし、しかして改心して正義側について、それでも「戦争編」終盤ではやはりまだ幼少時からの洗脳が解けておらず正義側を裏切るのやも……と思わせておいてから、二重スパイとして情報収集を行なったことにして、ビルドにパワーアップ&勝機をもたらす。


 第1クールでは「東都」の貴公子・幻徳のクールな秘書であり、幻徳にコマ扱いされて降板するも、先に身を寄せていた「西都」であとから亡命してきた貴公子を土下座させ、嗜虐的な喜悦の表情をしながら靴の底で踏みにじった眼鏡の青年・内海もまた、幼少時からの集団寄宿舎生活で育った身寄りのない難波チルドレンとして老会長の薫陶を受けて育った者と設定し、サブヒロインとも同窓であったとする。
 エボルトによる老会長殺害を目前にして驚愕しつつも、長いものには巻かれろで、老会長の形見となった杖をヒザで折り、狂喜の表情でエボルトに忠誠を誓ったと思わせて……。


 さらには昨年末の正月映画の敵のテクノロジーを援用したとの設定によるカラーリングの塗り替え(笑)で流用された「西都」の疑似ライダー2人組――古い世代には東映特撮『キカイダー01(ゼロワン)』(73年)に登場した2人組の敵怪人ライジーン・プラス&マイナスを想起する――の鷲尾風と雷の兄弟もまた、難波チルドレンであって……。


 このへんの一連の展開も、設定的には実に劇的・ドラマチックではあったけど、後付けでもヨコ方向での人間関係、サブヒロイン・内海・鷲尾兄弟との敵と味方に分かれたあとも、同じ釜のメシを喰った仲としての精神的紐帯があるような描写・肉付けがもう少しだけほしかったところではある。
 老会長にアレだけ忠誠を誓うからには、恐怖や圧政による洗脳や面従だけではない、老会長にも老獪な喰えない悪党としての面だけではなく、自分の手足にせんとする野望と同時に、ひとりの人間としては幼き子供たちに自然に情も移っていたからこそ、死したあとも内海らは忠誠を尽くしたのだというような回想シーンの挿入を、事前に入れるとネタバレになるのなら、内海のエボルトへの突如の反逆の渦中や失敗においてフラッシュバックさせてもよかったのではあるまいか? エボルトのメインヒロインに対するアンビバレント・二律背反な情とパラレルで、老会長と幼少時の難波チルドレンらの冷徹だけではない心温まる交情シーンも描いて、多面的にしてほしかったようにも思うのだ。
 ただまぁここまで至れり尽くせりの作品の場合、脚本では描かれ撮影もされていたけど、尺の都合でサブキャラたちのドラマは往々にしてカットの真っ先の対象にはなりそうなので、コレらの弱点の真相はそーいうことやもしれないけれども。


 エボルトと分離したマスターが終始、意識不明で入院したまま役立たずであり、そのまま歴史改変後の「新世界」に移行してしまったのもモッタイなかったが――同じ顔面のキャラがふたりも登場すると、幼児が理解できずに混乱すると思って自粛したのであろうか?――。


明かされた新人格・桐生戦兎=旧人格・葛城巧。二重人格が内面で問答する対話劇!


 本作の文芸面での特記事項は、やはりシリーズ後半〜終盤においては、節目節目で主人公・桐生戦兎クンとは顔面からして異なる前身、若き天才科学者・葛城巧青年の人格も脳内で蘇ってきて、二重人格のように心象風景映像内にて彼との対話・問答もはじめるところであろう。
 ムチャの域には達していないけど明朗で正義感も行動力もある桐生戦兎に対して、ややシニカルでクールで大人しげで行動力に欠けるキライもある葛城巧。
 約25年を生きてきた葛城巧としての蓄積と、その上澄み(?)としての記憶喪失後の1年間で新たな第2の人格を構築した桐生戦兎。その素体はあくまでも葛城巧なのだから、場合によっては桐生戦兎は否定され、葛城巧に回収されるのが本来はヒトとして正しいのだともいえる。
 しかして、四半世紀の間の自分の弱さやムラ世間的シガラミ・思い込み・言動パターンの蓄積を「記憶喪失」でご破算・リセットしたことで、打算や自己保身ナシに公平・公明正大にジャッジしてふるまうと、対外的な行動力にはやや欠けるハズのシニカルな葛城巧もまた正義のヒトとして身体が動くのだ……あるいは行動できるのやもしれない……行動できたらイイなという願望も仮託した(笑)という点においては、後付けでも非常に含蓄もある肉付けであったとも思える。
 そして、「非合理的」な「仲間」や「熱血」よりも「合理的」な「科学」だけを信じるなどとブっていたシニカルな葛城巧も、前者の重要性も賞揚するホットな桐生戦兎の言動に一理があることを認めた果てに、「非合理」の力も加えてビルド最終形態・ジーニアスフォームへと進化する! そうなると、後天的な桐生戦兎としての人格もまた自立・独立したものとして劇中では単純に否定はできなくなってくる。
 そこで本作が最後に取った方策は? 現実に実現可能かはともかく、両者を同時に肯定・両立・並存させる平行宇宙由来のSF的な解決策を、ラスボス打倒の秘策にカラめて提示してみせることで決着させるのであった……。


 #1冒頭では冤罪と思われたプチヤンキー青年・万丈龍我の頼みで情にホダされ一瞬の逡巡の末につい助けて、バイクのうしろに乗せて逃走してしまったがために、「東都」国に追われる身となってしまった我らが桐生戦兎。合理的・理性的な物理学の徒でありながらも、不穏なものを直感したのか司法の手には委ねず、それ以上に正義のヒーローにとっては必須でもある、困ったヒトを放ってはおけないヒトの良さをも体現したキャラ描写。それはシリーズ後半での二重人格による自問自答劇の果てに、「仲間」や「熱血」などの「非合理」の力も認めた戦兎クンと葛城巧の図とも係り結びになったともいえる。


 まぁ戦兎クンの明朗な人格や行動が周囲に許容されたのは、そして自身もそのようにふるまえたのは、実はエボルトに顔面をおバカなイケメンミュージシャン青年・佐藤太郎(死亡・笑)に変えられたためではなかったか?(汗) と、万年・葛城巧でもある筆者なぞは一方でシニカルにも考えてしまうのだけど。イケメンに宿る無意識の自信と適度な自己愛、戦兎クン自身も自己分析・自己言及してみせたエエカッコしいの「自意識過剰なヒーロー」(笑)。それが彼の行動の背中を押しているならば……。エボルトの最大の誤算は、戦兎クンをブサメンに変えなかったことやもしれない(爆)。いやまぁ恵まれた属性・大いなる力を、慢心や自己のためではなく、彼のように他者・社会・公共のために使うのであれば責められるべきことでもないけれど。
――作り手たちは未見であろうけど、古くはTVアニメ『エスパー魔美』(87年)、00年代前半のアニメ映画『クレヨンしんちゃん』シリーズ、『カッパのクゥと夏休み』(07年)、葛飾北斎の娘を主役に据えた『百日紅さるすべり) 〜Miss HOKUSAI〜』(15年)などの原恵一カントクが手掛けたマイナーアニメ映画『カラフル』(10年)において、自殺した少年に憑依(?)した記憶喪失の少年が、しがらみのない他人ゆえに距離を置いて自殺少年の弱さをも突き放して観察、同情しつつも一面においては否定的にジャッジした果てに、それは自身の前世(?)でもあった! と引っ繰り返す展開における「前世」を「来世」に代入した相似も個人的には想起してみたり――


『ビルド』から80・90・00・10年代の東映特撮の変遷を振り返る!


 『獣電戦隊キョウリュウジャー』(13年)の三条陸、前作『仮面ライダーエグゼイド』(16年)の高橋悠也と、80年代の上原正三や曽田博久のようにひとりで1年間全話や劇場版をも担当してしまう、旺盛な筆力もある脚本家たちが近年では連続して現れた。全話といわず過半の話数をひとりで執筆してしまうライターも含めれば、その人数はもっと増えるだろう。
 いきなり立候補してヒーロー番組に初参加した一般のTVドラマ畑出自の武藤将吾もまた、本作『仮面ライダービルド』(17年)では全話と劇場版の脚本を手掛けてみせてくれた。
 しかも80年代の1話完結ルーティンバトルの時代とは異なり、いずれも連続長編ドラマ性や二転三転する展開と伏線&その回収などを骨格に持つ作品群でもある。
 平成ライダーシリーズだけを基準にしてみても、『仮面ライダーアギト』(01年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20011108/p1)や『仮面ライダー555(ファイズ)』(03年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20031108/p1)に『仮面ライダーキバ』(08年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20080225/p1)など、井上敏樹がほぼ全話を担当した前例もあるにはあり、一応の連続ドラマ性もあったとはいえるのだが、氏の脚本の通例でやや行き当たりばったりの感があり、その最終展開も誤解を恐れずに云えば少々腰砕けで、大スケール・大バトル・大団円といった感じでの完結の仕方ではなかったとも思う。
 そう思えば、80年代・90年代・00年代・10年代という長期スパンで見たときに、東映特撮も確実に進歩を遂げているどころか、すでに別種のモノに変わり果ててもいる(笑)。
 ロートルオタとしては、90年代における東映特撮批評は、ルーティンバトルなりに戦闘の楽しさ・パターン破りの快楽を増大させるためにも、集団ヒーロー中のその話数における主役が名乗りのセンターになって音頭を取ったり、等身大での必殺ワザや、巨大ロボを操縦してメインコクピットで必殺剣を放ったりすれば、作品に感情的な背骨が一本通ってカタルシスも増大する! という次元で語っていれば済んだ時代と比すれば、東映特撮批評も思えば遠くへ来たものだとも思っている――こうすれば良くなるという不満を提言に変えたものではなく、優れた作品がいかように優れていたかを跡付け・腑分けする行為となってしまった(笑)――。


 と、ここまでホメてきてナニだけど、個人的には「医療」と「ゲーム」という水と油のバカげた題材を見事に神懸かったドラマチックさに昇華した前作『仮面ライダーエグゼイド』と比すると、ホンの少々だが劣っていたようには思う。本作のアンチの立場も主にここに立脚して顕微鏡的視点をブースト――アンフェアとも云う――しているとも推測するけど、おそらく『エグゼイド』の直前作として『ビルド』が放映されていれば、このような少々の物足りなさや欠点の発見とその顕微鏡的拡大という感慨はもたらさなかったのではあるまいか?
 昨年末のビルド&エグゼイド共演映画『仮面ライダー平成ジェネレーションズFINAL ビルド&エグゼイド withレジェンドライダー』では、『ビルド』と『エグゼイド』の力量ある2大脚本家がタッグを組んで、第2期平成ライダーシリーズ全体をも全肯定した神傑作(かみ・けっさく)エンタメが仕上がった。
 それと比すると、今年2018年の年末のライダー共演映画『平成仮面ライダー20作記念 仮面ライダー平成ジェネレーションズFOREVER』(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190128/p1)が『ジオウ』&『ビルド』メインとアナウンスされずに、来夏の映画を待たずに全平成ライダーが客演、脚本も『ジオウ』メインライターの下山健人ひとりだというあたりで、『ビルド』最終回(歴史改変)後の後日談を「平行宇宙SF」&「時間跳躍SF」の2本立てでギミック的に組合せて、「なるほど、そう来るか!」と思わせる知的・SF的サプライズもスパイスとなっているようなヒーロー共演アクションに至る段取りを観てみたい! とドコかで思っていた身には、そこが焦点になりそうもなくて少々残念ではあるけれど(笑)。


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2018年秋号』(18年11月4日発行)~『仮面特攻隊2019年号』(18年12月28日発行)所収『仮面ライダービルド』完結・合評1より抜粋)


『假面特攻隊2019年号』「仮面ライダービルド」総括関係記事の縮小コピー収録一覧
・日刊スポーツ 2018年7月27日(金) 仮面ライダーの夏 犬飼貴丈(「劇場版 仮面ライダービルド Be The One」「快盗戦隊ルパンレンジャーvs警察戦隊パトレンジャー」 en film」完成披露イベント)
東京新聞 2018年5月19日(土) 筆洗(「仮面ライダービルド」から科学技術の軍事利用を考える)


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