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(脚本・右田昌万 監督・松原信吾 特技監督・大岡新一)
(視聴率:関東8.2% 中部5.4% 関西5.2%)
ウルトラマンティガ#45「永遠の命」 〜感想①
絶対真理が永遠の命
(文・摩而ケ谷行久)
(これは個人的に『ウルトラマンティガ』(96年)のベストエピソードとしている第45話「永遠の命」についての感想文です。どうもうまくまとまらなくて申し訳ありません)
3000万年前の古代からの声である超古代人の女性・地球星警備団団長ユザレがタイムカプセルのポログラフィ(立体映像)でかつて主人公ダイゴに語ったこと
――しかし普通リフレインもされていない第2話のセリフを、いやそれ以前に第1、2話(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19961201/p1)にしか登場していないユザレの存在をマニアならぬ子供や一般視聴者は覚えているだろうか? シリーズ構成には問題あるなあ――
がこのエピソードのキモです。
つまり光の巨人は人間の選択にまでは干渉しないが、ダイゴは光であると同時に人間でもあるのだから「人間として」行動しろということですが、この時ダイゴが民意を反映しようなどとしなかったのは明白です。
ダイゴは自分の判断を人間の判断として本話の怪獣(?)、超古代文明を滅ぼした超古代植物ギジェラの根絶を実行しました。まあ、おこがましいとは言えますね((C)『ティガ』#3のキリエル人・笑)。
しかしダイゴが何をもって「人間」としたのかを考える時、このエピソードの深さが見えて来ます。
なにしろギジェラの花粉によって幻覚を見ないダイゴ(=ウルトラマンティガ)は、実は能力では明らかに普通の「人間」とは一線を画する存在なのですから。
まあ、そうでなければこのエピソード自体が成立しないというのもあるのですが
(ズルイ作劇だよなあ、『ザ・ウルトラマン』(79年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971117/p1)25話「悪魔の花園」(脚本・荒木芳久 演出・辻勝之 絵コンテ・松浦錠平 http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20091019/p1)において、吸った人間に幻覚症状を引き起こす有毒な花粉を放出する毒花怪獣デスバランが登場する幻覚話では、主人公ヒカリ隊員もバッチリ幻覚と対決するのに・笑)。
ダイゴは「自分も人間である」ことにこだわってみせます。
ギジェラの花粉のため酷い事態になってしまった人々を見て落胆はしても、そこで人間を見限ったり「地獄に落ちろ人間ども」とデビルマン化したりはしません。
なぜなら、そこで落胆している「自分」もまた「人間」だからです。
だからこそダイゴは自分の中にあるギジェラへの抵抗心を自分だけの特別のものではない「人間」全体の資質に還元出来たのでしょう。
それはたとえダイゴがウルトラマンであることによってギジェラの花粉による幻覚を免除されている存在だとしても揺るぎません。
そしてそれは、自身は生態系の仕組みから疎外された存在であるところの平成ガメラがそれでも生態系を守ろうとすること(『ガメラ2 レギオン襲来』(96年))とパラレルに感じられるのです。
そういうわけでダイゴは「人間の判断」と信じて行動しますが、「光」というのが絶対の真理であるとすれば、ダイゴの判断と「光」はイコールではありません。
しかし、人間に真理そのものを行動など出来ようはずもなく、あくまで「人間」というレンズを通して「人間」のためにカスタマイズされた「光」を目指して行動するということが限界です。
ダイゴが
「光であり人間でもある」
というのは、つまり自分を通して自分に感じたところの気持ちを光だと信じることが出来るということではないでしょうか。
そして、ギジェラ(欲望)に頼って生き長らえていた超古代文明人の親子テラとヌークはその光に「生存欲」による寿命の延長などではない「永遠の命」の核心を見た、ということでしょう
(いわゆる「永遠に生きる」と「永遠を生きる」の違いですな)。
このエピソードのタイトルが「欲望の花」とかいったものではなく「永遠の命」だったのはそこへのテーマ的帰結を主眼にしたのでしょうが、ここまで作中ガジェットとそれらの背負ったテーマが有機的に絡み合って語り上げていると圧巻としか言いようがありません。
「でも、結局選んだのは人間ですよね。」
で終了する本エピソードは、人間讃歌として人間の何を肯定すべきかについてちゃんと把握しているという点で、全エピソード中で最も『ウルトラマンティガ』というシリーズのテーマを突き詰めた作品だったと言えると思います。
というか、この時やっとダイゴがどういう主人公なのか決定されたような気もしますね。それゆえにこの話を前提にして初期編を観ても初期のダイゴが何を考えているのかの手掛かりにはあまりならないのが残念。
あとこの回で語るべきことを語ってしまったので、最終回三部作(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19961207/p1)がスペクタクル面ではともかくダイゴの人物像・主人公性において本話に及ばなかったのも勿体ないなあと(笑)。
余談 幼児誌『テレビマガジン』中の怪獣紹介、ギジェラの花粉についての解説には思わず大笑い。「幻覚を見せて人間をだめにする」……深みも何もなく、あまりにも端的に言いえて妙。
ウルトラマンティガ#45「永遠の命」 〜感想②
(文・T.SATO)
『ウルトラマンティガ』#45「永遠の命」。
『ティガ』本編中ではほとんどふれられることがなかった、作品のバックボーンである超古代文明。
まずそのシリーズ構成については、放映当時から大いに不満がある。超古代文明絡みのエピソードや文明のナゾ解きについては第1クールから徐々に小出しにしていってほしかった。
もちろん何ゆえに超古代文明が滅びてしまったのか? という去就が全然まったく語られないくらいであるのならば、たとえ本話のようにシリーズ終盤ではあっても、不完全ではあっても何かしら語ってくれた方がイイとは思う。
ゆえに、本話の存在を否定することはしない。
しないのだが、やはり出来としてはチョットなあ。
まずテーマうんぬんではなく、スペクタクル面においてツマラナイ。
あの栄華を誇った(かどうかも不明なのだが・笑)超古代文明が、侵略者なり大災害なり内紛ドンパチなり何でもイイのだけれども、超古代怪獣ゴルザや超古代人類誕生以前から地球にいたらしい炎魔人キリエル人(びと)がカラむでもなく、もっと絵になるカタストロフで滅びたのならばともかく、単に退廃・退嬰の果てに滅びた……というのが私的にはまず単純にワクワクできない。
また、人々や防衛隊GUTS(ガッツ)隊員たちが、ギジェラの花粉の効果によって幻覚を見るのだが、その描写は半分はコミカル・ギャグ。
イルマ女隊長が基地内司令室で、鳥のように両手を羽ばたかせて円卓のまわりを走ったりと……。
いや、『戦隊』シリーズのようにもっとユルい作風、ギャグやコミカル描写が許容される作品であるのならばともかく、そして個人的にはそーいう作品も全然オッケーなのだが、『ティガ』って細部に例外はあれど基本的にはそーいう作品じゃなかったからなあ(汗)。
しかも、作品のバックボーンの一端を明かすけっこう重要な回で、そーいう他愛のない幻覚を見て、しかもあーいう演出をほどこしてしまうとは……。
それより何より超古代文明のナゾ解きは、前言のくりかえしになるが、本話にていっぺんに解決! ではなくて、今時の作品であるからには、各話単位で(もちろん全話ではなく)もっと小出しに言及しながら、ヒイてジラして徐々に迫って盛り上げていってほしかったところ。
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