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ウルトラマンネオス1995年版 〜Wヒーローならテーマへの多角的アプローチが可! 防衛隊も巨大ロボを持て!

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 『ウルトラギャラクシーファイト 大いなる陰謀』(20年)にウルトラマンネオスウルトラセブン21(ツーワン)が登場記念! とカコつけて、2020年12月10日(木)に『ウルトラマンネオス』1995年版総括を追加UP!


ウルトラマンネオス』1995年版 〜Wヒーローならテーマへの多角的アプローチが可! 防衛隊も巨大ロボを持て!



ウルトラマンネオス』1995年版とは何だったのか!?

(文・T.SATO)
(2019年7月13日脱稿)


 もう早くも四半世紀も前の大むかしなので、当誌を読まれる若い読者諸氏が生まれたころ、あるいは物心がついたころの時期になってしまうのだろうが(汗)、1994年11月23日(祝)の3大新聞の三面記事(社会面)に、往時の特撮オタクたちにとっては驚くべき記事が掲載された。
 同日は他に大きな事件もなかったからであろう、そしてそろそろ新聞記者や紙面構成の権限を持つ役職に、1960年前後生まれのいわゆるオタク第1世代~1970年前後生まれのオタク第2世代が入り始めたこともあったのであろうか、一挙に同時にふたりものウルトラマンがデビューした旨の小さな囲み記事が飾ったのだ!


・銀色主体の初代ウルトラマン(66年)型のデザインでありつつも、そのバリエーションでもあり、頭頂部に向かって左右に末広がりするラインのようにも見える小さな段差はウルトラマンエース(72年)の頭頂部を少し想起させ、鼻部からトサカに至る細長い突起部の「額」に位置する部分にシャープな長方形の青くて発光している透過パーツでもある、いわゆる小さな「ビームランプ」も備えているあたりが新鮮な「ウルトラマンネオス」!


ウルトラマンタロウ(73年)やウルトラマンレオ(74年)以来、久しく絶えてなかった、赤色主体のウルトラセブン(67年)型のデザインでありつつも、耳にあたる部分に突起物はなく、ウルトラマングレートの耳朶を想起させる丸い曲線で囲まれた段差のあるクボみ・ヘコみとして耳が表現されている「ウルトラセブン21(ツーワン)」!


 当時1994年における彼らのすぐ上の先輩であるウルトラ戦士は、日豪合作のビデオ販売作品『ウルトラマングレート』(90年)&日米合作のビデオ販売作品『ウルトラマンパワード』(93年)だ。この両者のデザインは原点回帰指向で、初代ウルトラマンを模したモノでもあった。コレは当時のマニア論壇の影響で、ウルトラ戦士や怪獣たちのデザインはシンプルなものが「絶対正義」で、複雑で突起物などが存在する装飾的なデザインは「悪」とする風潮を反映したモノでもあった。
 グレートやパワードと比すると、ネオス&セブン21はウルトラシリーズの2大始祖・初代『ウルトラマン』&『ウルトラセブン』に範を取りつつも、デザイン的にはリアル指向の原点回帰ではなく、当時においては明らかな変化球で、少々ユルくてヤンチャな感じのイイ意味で適度なB級指向、ケバケバした華のあるバリエーション指向を目指したモノに見えたものだ。21世紀の今日になってみれば、それはまだまだ保守的なデザインだったと見えるだろうが、当時のマニア諸氏には賛否いずれであっても、往時主流の原点回帰志向にはまったく見えないデザインだったのではなかろうか?


 ネオス&セブン21はその後の詳報がしばらく出ることはなく、インターネットなどはまだ普及していないどころか、世間的にはその名称すら知られていなかった94年当時、彼ら新ウルトラ戦士のことが気になった当時のマニア諸氏は悶々として過ごしたことと思う――パソコン通信はすでにあったが非常にニッチな極微の世界で、当時のマニアの在り方の平均値ではない――。
 しかし、半年近くがたった翌1995年初夏。特撮雑誌『宇宙船』などのマニア向け媒体にて、ネオス&セブン21がついに巻頭カラーグラビアでもお披露目される日が来た。往時では珍しい新造のミニチュアの中層ビルを背中に――このビルは『ウルトラマンティガ』(96年)#3(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19961201/p1)で爆破される(笑)――、スタジオ内の照明ではなく屋外の太陽光に照らされることで、リアルな質感・空気感・巨大感でそびえ立つネオス&セブン21!
 しかも、パブリシティ面でもネオス&セブン21だけがフィーチャーされていたワケではナイ。背景や床が無地である広いスタジオで撮影された歴代21人のウルトラマンの全員集合写真までもが前面に出された。そして、通算20人目のウルトラマンである「ウルトラマンネオス」と、21人目である「ウルトラセブン21」として大々的にカウントもすることで、ネオス&セブン21が歴代ウルトラマン世界とも直結するサラブレッド・血統種であることも示唆したのだ!


往時のマニア論壇に主潮に反旗を翻した、勇士司令部・ネオスと宇宙保安庁・セブン21の衝撃!


 極め付けが、たしかネオス&セブン21の写真に付されていたキャプションだ。


・「ウルトラマンネオス」は宇宙警備隊の部署である(ウルトラセブンの父が長である)「勇士司令部」に所属!
・「ウルトラセブン21」も宇宙警備隊の部署である(初代ウルトラマンの父が長である)「宇宙保安庁」に所属!


 出典に直接当たらず、意訳として記述させてもらったが、その衝撃たるや!
 「宇宙警備隊」とは、初代『ウルトラマン』(66年)最終回で宇宙恐竜ゼットンに敗れた初代マンを召還しに来た、のちにウルトラ兄弟の長兄にして隊長に昇格したと設定されるゾフィー兄さんが、その隊員であると自称した用語に端を発する。そして1970年代に入るや、小学館の編集者やその下請けのアルバイトとして当時は円谷プロに在籍していたオタク第1世代の特撮ライター、故・竹内博(酒井敏夫)などが「宇宙警備隊」の内実をウラ設定的に肉付け・拡張していく。
――もちろん世代的にも第1期ウルトラ至上主義者である竹内は本意ではなかった可能性もあるが、往時の学年誌の記事や付録の小冊子には竹内(酒井)の署名があり、初代マンが地球に飛来するはるか前からウルトラ一族やウルトラ長老が地球に幾度も飛来していたことを明かす、数十万年にも渡る「歴史年表」なども氏は作っていた!――。


 そして、ついにはそれがTV本編にも逆流。『ウルトラマンタロウ』(73年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20071202/p1)#25では「3万年前にウルトラの星を襲撃したエンペラ星人率いる怪獣軍団を撃退したウルトラ一族が、それを機に設立したのが宇宙警備隊なのだ」と明言される。
 「勇士司令部」や「宇宙保安庁」はTV本編では言及されたことはなかったが、小学館が「ウルトラ」を独占掲載していた70年代前半の学年誌や70年代末期に発行された子供向け豆百科などでは言及されており、当時の怪獣博士の少年たちにはなじみの深い設定だ。


――21世紀になってから再発見されたことだが、「勇士司令部」や「宇宙保安庁」の設定自体も、実は70年代ではなく講談社が「ウルトラ」を独占掲載していた60年代にまでさかのぼる。今は亡き児童誌『ぼくら』68年10月号で、故郷「光の国」に帰還したウルトラセブンが林立する未来建築群の上空を初代マンとともに飛行する(~ウルトラ兄弟設定の萌芽だ!)見開きイラストの周囲に、ウルトラ一族がレッド族・シルバー族・ブルー族に分かれている旨や、セブン&初代マン各々の家族構成(!)も明かした「カラー特集 さようならウルトラセブン」が初出なのだ。
 してみると、第1期ウルトラ至上主義者たちが神格視してきた編集者、故・大伴昌司(おおとも・しょうじ)自身が、彼らのキラった第2期ウルトラにおける「ウルトラ一族を擬人化・矮小化」した元凶(笑)でもあり、コレを根拠に竹内や学年誌の編集者がウラ設定を拡充していったことになる。大伴にはウルトラ兄弟設定に激怒してコレを義兄弟に改めさせたという風聞もあるが、コレも後年のマニア論壇における原理主義的なテーゼ「ウルトラマンの神秘性」の毀損に依拠した反発ではなく、単にセブン&初代マンに各々父母がいて実の兄弟ではアリエナイからではなかったか?(笑)――


 そして、「宇宙保安庁」や「勇士司令部」という文言は、多くを語らずとも雄弁に『ウルトラマンネオス』という作品の基本設定を物語る、決定的な情報開示でもあった。
 アニメ映画『ウルトラマンUSA』(87年・89年日本公開・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100821/p1)や『ウルトラマングレート』に『ウルトラマンパワード』などは、やはり往時のマニア間での主流の論調を反映して、ヒーローや怪獣たちが「既知」の存在ではなく、「未知」なる「神秘」や「恐怖」を体現した「1回性」「ファースト・コンタクト」の存在であるべきで、ゆえにシリーズ化やウルトラ兄弟にウルトラ一族の組織化などはもっての他! といった論法に大いに影響を受けて、人類とウルトラマンや巨大怪獣との「初遭遇」を描いてきた。
 しかし、『ネオス』95年版は当時主流の通念を軽々と無視してその対極を志向しているのだ。歴代ウルトラシリーズとも地続きで、往時の宇宙規模でのウラ設定まで肯定・引用して、先輩ウルトラ兄弟の客演・共闘も大いにアリかも!? と大声で宣言したかのような無言のマニフェストへの驚き!


怪獣&宇宙人の適度なB級さ! 特撮セットの幻想的な色味の空! ヒーローなヤンチャな戦い方!


 そして、ネオス&セブン21にとってのレギュラー敵も、この95年初夏には公表されている。それが往年のゴドラ星人やペガッサ星人も想起させる、白&黒のモノトーンのカラーリングで直立二足歩行のヒト型体型、その顔面中央が埋もれた巨大な緑色の半球型の単眼にも見える「脳魂宇宙人ザム星人」と、四足歩行で首長竜型の重量級怪獣である黒鉄色の「宇宙鉱石怪獣ドレンゲラン」だ――後者はのちに『ウルトラマンティガ』#35に登場した宇宙鋼鉄竜グワームに改造される――。
 クリーチャー的で恐ろしげでもある風貌ではなく、ドコとなく甘さ・ユルさ・ゴム臭さ(笑)もあって、適度な着ぐるみ丸出し感・小悪党臭も感じられて、子供たちにもパターン認識面でのわかりやすさ・適度な可愛さも感じさせるデザイン&造形。コレもまた、怪獣や宇宙人に擬人化されたチンピラ的な悪ではなく、人智を超えた「未知」や「神秘」に「恐怖」を体現した、子供向けではなく大人の鑑賞にも堪えうる存在であるべきだ! とする往時主流のドグマとは相反する、適度にB級のデザイン&造形になっている(笑~筆者個人はこの点にも好意を持った!)。


 この初夏のお披露目では、すでにプロモーションビデオが撮影されたことも明かされ、その映像の一部も掲載されている――コレらは歴代ウルトラシリーズ名場面を編集して、レンタルビデオ店にもよく置かれていた児童向けビデオ『ばっちしV(ブイ)』シリーズでも公開。新宿駅東口前のアルタ壁面の巨大画面でも上映された――。
 『パワーレンジャー』(93年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20080518/p1)や東宝特撮映画『ヤマトタケル』に『忍者戦隊カクレンジャー』(共に94年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20120109/p1)などでようやく導入され始めた、CGでのモーフィング技術による画質の劣化がまったくナイ映像で、セブン21がその眼を細めたり、怪獣ドレンゲランの節のある長い首が超高速で延長していく実験的な映像も、(半分は笑ってしまうけど)映像的サプライズには満ち満ちたモノだった。


 特撮映像自体もまたマニアの大勢が往時望んでいたリアル・シミュレーション指向とは逆張りであった。まず、空の色味を単なる青空や夜空としては描写しないのだ。記憶で書くので少々誤りがあってもご容赦願いたいが、大胆にもカラフルな照明でセットのホリゾント(背景)の空を、ピンクや黄色や紫や緑などに変えていくことで、映像・色彩面ではアバンギャルド・シュールでさえあるのだ!
 そのような色味の中で、ネオスは怪獣たちとの激闘のさなか、咄嗟に手から放った光線を球形バリアに変化させ、電話ボックスの中にいた女性を守り、セブン21も頭頂部のトサカが分離したブーメラン型武器を元祖セブンのように放つも、それは原典『セブン』における発光するも回転しないで飛んでいくソレではなく、往時のあまたの漫画化作品群でのソレのように高速回転しながらハイスピードで飛んでいく!


 ネオス&セブン21の格闘も、グレート&パワードの重厚鈍重スローモーションとは異なり、ややスピーディーでオーバーアクションかつヤンチャな戦いぶりであった。
 極め付けは、両腕や額から放つ必殺光線発射時のポーズだ。そのポーズは歴代ウルトラ兄弟が多用した両腕を「十字」に組んだり「L字」型に組んだモノではない。往時の第1期ウルトラ至上主義者たちが『仮面ライダー』初作(71年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20140407/p1)のマネだと批判していたウルトラマンエース(72年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070430/p1)の必殺ワザ・メタリウム光線やウルトラマンタロウ(73年)のストリウム光線などのように、前フリに「タメ」として身構えて上半身や両腕をヒネったり振るったりするポーズを取ってから、今までアリそうでなかった両腕を「X字」型にして放つ、やはり原点回帰ではなくバリエーション・ヒロイズム指向のそれなのだ!
――合理的に考えれば、前フリ動作などはムダでありサッサと撃てよ! というツッコミも可能だ。しかし、様式美的には盛り上がる。むろん無意味な様式が子供番組卒業期のヒネた子供やマニアたちに不満をもたらすからと否定するのも、その逆にムリやり肯定するのも浅知恵である。エネルギー充填のための必然だとかの設定を構築して、「SF合理性」&「古典的様式美」を両立させ、マニア予備軍の小賢しいガキどもの卒業も極力回避させるのが、真の意味でのクレバーというモノだろう(笑)――


アトラク&複数の漫画で展開されたネオス&セブン21の仮面劇の作劇と、彼らの性格設定の相違!


 当時の円谷プロは、ホンキでこの『ネオス』95年版の映像化を狙っていたのだろう。「ウルトラマンネオス」と「ウルトラセブン21」のテーマソングが、当時の東映メタルヒーローシリーズの主題歌なども手掛けていた作詞・松井五郎&作曲・鈴木キサブローのコンビで作られた。その爽やかな楽曲がイベント会場の内外に響く中、同年夏休みには20世紀中は後楽園遊園地のプリズムホールで開催されていた『ウルトラマン フェスティバル95』のアトラクショーでもネオス&セブン21が主人公に据えられる。
 ここでの彼らの性格設定は、ネオスの方が沈着冷静な若き優等生で、セブン21の方はヤンチャな小僧。特に後者は「早く一人前になって戦場で戦いたい!」と血気にハヤるも未熟で甘さも残っており、時にショゲてもみせる可愛げもある少年といった擬人化された演技で描写されていた。女性……といっても一般女子ではなくオタク女子(笑)の母性本能をくすぐりそうな誇張化された仕草でもあり、筆者個人はココにも新たな鉱脈を予感!


 そして、「怪獣はすべて倒すべき敵だ!」と息巻いていたセブン21が「怪獣にも善良なモノがいるのだ」とその見解を改めていくアリガチ・単純(笑)な道徳説話的な子供向けのステージ脚本は、良くも悪くも現実の多面性・複雑性をハラみすぎてしまうナマ身の役者さんが演じると、たとえそのテーマ的な主張が正しくても、陳腐でハズかしくてシラケてしまったことだろう。けれど、コレを着ぐるみキャラや漫画・アニメなどの2次元キャラが演じればナマ臭さが脱臭され、仮にまったく同じシナリオであったとしても、かえって作品テーマが鼻につかずに観客へストレートに届くという、媒体の違いゆえに生じるアドバンテージの発見!
 コレは第1期ウルトラの牧歌的なSFドラマや、第2期ウルトラのシビアでイヤ~ンな苦みも残る人間ドラマともまた別の、第3のパターンのモノとして、子供がタイクツしがちな本編人間ドラマパートではなく、子供の視線が向きかちな特撮着ぐるみキャラクター仮面劇パートで、ヒーローや侵略宇宙人に道徳テーマやその逆の悪徳発言なども吐かせて、お互いの戦う動機やその対比でメリハリを作り、バトルの決着がそのまま作品テーマの決着ともなるような作劇術の発見への気付きでもあった!


 このアトラクショーには準主役格として直近のグレート&パワード先輩が登場し、歴代ウルトラ兄弟も参戦、ウルトラの父&母が見守る中、ネオス&セブン21がバトルする。そして最後は、ネオス&セブン21が近いうちに地球へも派遣されるであろう! といった観客の期待を煽るかたちでシメくくる。
 コレを受けてか、幼児誌『テレビマガジン』でも、ネオス&セブン21が地球に派遣されるまでの位置付けのストーリーが半年間、漫画連載されたらしい――。そのシナリオはナンと! その10年強あとに『ネオス』95年版のリベンジか、昭和ウルトラ直系のその四半世紀後の正統続編としてついに実現した『ウルトラマンメビウス』(06年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070506/p1)でメインライターを務める赤星政尚(あかほし・まさなお)!


 この時期には児童誌『コミックボンボン』でも、玩具会社・バンダイガシャポン玩具とも連動した、昭和ウルトラの1000年ほど先(?)を舞台に、いわゆるSD(スーパーデフォルメ)体型で描写されたウルトラ兄弟たちが未来の地球人の超科学力で造ったヨロイを着込んで、宇宙をまたにかけて悪と戦う漫画『ウルトラマン超闘士激伝』(93~97年)も連載されている。
 ウルトラ一族の群像劇ではあるも、第1部では初代ウルトラマンが、第2部ではウルトラマンタロウが、第3部ではウルトラマングレートウルトラマンパワードが主人公として活躍していたが、95年ならぬ96年度の連載分となる第4部(最終部)では、往年の『ウルトラマンタロウ』でも言及されて『超闘士激伝』の10年後の『ウルトラマンメビウス』でもラスボスとして登場したエンペラ星人を宿敵に定めて、ついにウルトラマンネオスウルトラセブン21のコンビが主人公としてフィーチャー!
 後年に明かされたことだが、『超闘士激伝』のシナリオを担当した瑳川竜(さがわ・りゅう)とは、のちに『仮面ライダーW(ダブル)』(09年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20100809/p1)や『獣電戦隊キョウリュウジャー』(13年)に『仮面ライダードライブ』(14年)などのメインライターを務める三条陸(さんじょう・りく)! 『超闘士激伝』で披露される小ネタの数々を見るかぎり、先の赤星とも同様に三条もまた第1期ウルトラのアンチテーゼ編のみを偏重するヌルオタではなく、(商業誌ではともかく90年前後の特撮評論同人界ではすでに言及・研究もされ尽くしていた)第2期・第3期ウルトラ各作の細部や埋もれた佳作群にも非常にくわしいことが看て取れる。
 そんな三条が手掛けた、ウルトラ一族も大活躍する『ウルトラマン』のTVシリーズ新作を観てみたいと願っているのは筆者だけではないだろう!


 ちなみに、『超闘士激伝』におけるネオス&セブン21も、先のアトラクを踏襲したのか、ネオスは優等生でセブン21はヤンチャなお坊ちゃんとして描写されている。しかし、いま思い返してみるに、往時の『宇宙船』誌もほのめかしていたように(?)、『ネオス』95年版のセブン21にはそのような熱血設定はなく、のちのビデオ販売作品『ウルトラマンネオス』00年版とも同様、むしろネオスと合体した地球人青年の前に忠告や導きのために現れる、特定の人間体を持たずに様々な人間に変身または憑依する神秘のヒーローとして設定されていた気配もある――95年版の企画書を読んだワケではないので、間違っていたらゴメンなさい――。だとすると、『ネオス』95年版がTV放映にこぎつけたとしても、アトラクとは逆にネオスが熱血でセブン21が冷静として描写されたのやもしれない。


 ちなみに、さらに後年の2010年頃、『ウルトラマン80(エイティ)』(80年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971121/p1)が御年8000歳の若者(笑)だとされて以来、マニア論壇の悪しき影響で「神秘性」を毀損するからと自粛したのか、絶えて久しく設定されてこなかったウルトラ一族の年齢が、それまで未設定であったウルトラ戦士たちに対して30年ぶりに付与された。それによるとネオスは8900歳だがセブン21は1万8千歳!
 元祖セブンはむかしは1万9千歳だったのに、いつからかすぐ下の弟である『帰ってきたウルトラマン』(71年)ことウルトラマンジャックと同じ1万7千歳に再設定されたので(誤記が流通?)、セブン21の方が元祖セブンよりも年上になってしまったゾ! ウ~ム(笑)。


2大正義vs2大悪党ならば、ルーティンには陥らないバトル&テーマの豊穣さも達成可能!


 『ネオス』95年版は『電光超人グリッドマン』(93年)のスタッフを中心に営業活動中だと告知され、まだ見ぬ『ネオス』本編への意見具申・アイデアなどを読者から募集するコーナーも『宇宙船』誌では連載され、当時はそれなりに盛り上がったようにも記憶する。
 筆者なども、新ヒーローがふたりも登場するなら敵怪獣が1体だけでは卑怯だから、『地球戦隊ファイブマン』(90年)などの当時のスーパー戦隊がすでに達成していた2体の戦隊巨大ロボvsゲスト怪人&敵のレギュラー巨大ロボ・黒ゴルリンor巨大化した敵幹部という2vs2の構図の転用なども着想。各話のゲスト怪獣とは別にコレと共闘するレギュラーの敵幹部宇宙人やダークヒーローなどを導入、シリーズを通してライバルとの因縁ドラマを毎回積み重ねていくことで、終盤でのライバルとの最終決着を盛り上げるバトル作劇なども夢想した。
 ウルトラシリーズも(当時のそれまでの)1話完結ルーティンが延々と続くスタイルではなく、古くは『快傑ライオン丸』や『人造人間キカイダー』(共に72年)、『科学戦隊ダイナマン』(83年)やスーパー戦隊超電子バイオマン』(84年)などのようにライバルやダークヒーローなどの第三勢力も登場させて三つ巴とさせてはいかがか? 青年マニアだけが喜ぶような社会派テーマではなく、幼児向け番組卒業期で「週刊少年ジャンプ」漫画などの愛読者に移行しつつある時期の小学校中学年の子供たちが喜びそうな、戦闘シーンにおける「パターン破り」などから来る高揚で、「コレは単なる幼児向け番組ではない!」と驚かせることこそ(笑)、その卒業を遅延させるためにはもっとも有効な手法ではなかろうか? 手前ミソで恐縮だが、自身が主宰する同人誌などでもそのような主張を往時繰り広げていたモノだ。


 マジメな話、ウルトラシリーズだってその殺陣・アクション・戦闘シチュエーションをもっと凝ってみせてもイイはずだ。ネオスだけでトドメを刺す回! セブン21だけでトドメを刺す回! ネオス&セブン21の合体ワザでトドメを刺す回! 合体ワザでもどちらがトリを取るのかのその順番! ストーリーではなくアクション面でも単調さ&予定調和を廃して、最後の特撮怪獣バトルもお約束の蛇足タイムではなく、ドチラのヒーローがトドメを刺すのかという自然と脳裏に浮かぶ小さな予想も視聴者側の秘かな楽しみとさせる。もちろんその回のドラマの主役を務めたヒーローにトドメを刺させることは視聴者を感情移入させるためにも鉄板、そのことでドラマ&アクションの一体化も図ることができるのだ!


 我々が住まう現実・3次元・物質世界には具体的な固形物の一点としての「絶対正義」はたしかにナイ。けれど、かといって「善悪」などナイのだといったニヒリズムも大ウソである。抽象・観念・理念の世界に一定の幅をもって「公共」に到達するために複数ある手段としてなら「正義」も複数存在するハズだ――もちろんその幅の外にある「私利私欲」でしかないモノまで「正義」だと云い募るのは、行き過ぎた誤てる価値相対主義である――。
 そういった「正義」の幅や「多面性」に「複数性」を提示するためにも、ネオス&セブン21の完全対等なWヒーロー体制こそ実に適したモノではなかったか? ネオス&セブン21のバディー(相棒)ドラマ的な性格対比劇を通じて描かれる、ネオスに理がある回、セブン21に理がある回、双方に理がある回、双方ともに正しくない回、老賢者的なゲストにこそ理がある回。
 この延長線上には、95年時点でもすでに陳腐化していた「社会への警鐘」や70年代「人類ダメSF(小説)」的なアンチテーゼ編を乗り越えて、細部の瑕疵(かし)はともかく「人類」のトータルでの肯定や、より高次な「真の正義」を探求してみせる、テーゼ(正)やアンチテーゼ(反)の次のステージ、ジンテーゼ(合・止揚(しよう)・アウフヘーベン)に到達せんとするテーマ作劇の光明なども垣間見えるではないか!?
――『ウルトラマンガイア』(98年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19981206/p1)や『ウルトラマンR/B(ルーブ)』(18年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20180826/p1)も2大ウルトラマン体制でそれぞれに良さがあったが、後者のウルトラマンロッソとウルトラマンブルもたまには兄弟喧嘩をする程度の家族協調劇であり(笑)、前者もネガティブなウルトラマンアグルの価値観がポジティブなウルトラマンガイアに屈服してしまうことがミエミエで、『ネオス』95年版が潜在的にハラんでいた「正義」の複数性や多面性にその止揚といった思想的な高みには達しなかったと私見する――


 ムズかしい話はこのへんにしておこう。


怪獣攻撃隊は巨大ロボを建造せよ! 終盤ではウルトラ兄弟vs再生怪獣軍団の絵図を観せろ!


 それよりも、善vs悪との構図が2大ヒーローvs2大悪党となってしまうことで、今度は地球人側の怪獣攻撃隊の存在感がますますウスれて「役立たず感」も際立ってしまうとする、マニア諸氏の危惧もまたムベなるかな
 ならば、怪獣攻撃隊がシリーズ中盤で巨大ロボットを建造するのはいかがだろう!? 各話の特撮怪獣バトルに参戦、搭乗する隊員たちにも戦闘中にベラベラとしゃべらせることで(笑)、ドラマとバトルが分離せず、戦闘中でも人間ドラマを継続させることができ、ヒーローと怪獣が戦い出すや人間が傍観者になってしまうという、このジャンルの宿痾も回避することができる!
 そして、たまには巨大ロボットが敵怪獣をその必殺ワザで倒してみせれば、ウルトラシリーズの一大弱点でもある怪獣攻撃隊の無用感も解消! 玩具売上面でも円谷プロを喜ばすことができるハズだ!
――後年の『ウルトラマンメビウス』では、昭和ウルトラシリーズで撃墜された侵略宇宙人の円盤の残骸などから採取したオーバーテクノロジーの超科学「メテオール」も使用して戦う怪獣攻撃隊が登場したが、あともう一押し! ロボット怪獣・キングジョーやロボネズにガメロットなどの残骸を参考に、クリスマス商戦合わせで(笑)たとえば「ガンジャイアント」なる名称の黄色い巨大ロボットなども登場させてほしかった!――


 内山まもる大先生が手掛けた往年の学年誌の連載漫画『ウルトラマンタロウ』終盤では、南極大陸でのウルトラ兄弟&ウルトラ一族の一般兵士数百人vs超巨大怪獣! 第2期ウルトラシリーズ終了直後のTV新作がない75年度に連載された漫画『ザ・ウルトラマン』においても、ウルトラの星を舞台に数万人の宇宙警備隊のウルトラ戦士vsジャッカル大魔王! ……などといった当時の実写特撮では実現不可能であったパノラマ絵図は、漫画作品ではすでに達成できていた。
 よって、最終回でもラスボスをいつもの必殺剣で倒すような初期スーパー戦隊チックなデタラメなパワーバランスではなく(笑)、中ボスが登場したり敵幹部の交代劇があったり、『仮面ライダーストロンガー』(75年)や『仮面ライダー(新)』(通称スカイライダー・79年)のごとく次第にスケールを増していき、その終盤では歴代ウルトラ戦士vs再生怪獣軍団が激突するような大スケール・大バトル・大団円も、『ネオス』95年版ではぜひとも観てみたい! ……当時の筆者の妄想の暴走は留まるところを知らなかった(笑)。
 しかし、筆者が最終審判者でも、あの時代の必ずしも平均的な特撮マニアでもなかった以上は、上記の意見に抵抗・反発を示した原点回帰・本格リアル指向の同世代の特撮同人仲間たちが幾人もいたことは公平を期するためにもココに記しておく。


95年安保(笑)の挫折。しかし今こそ『ネオス』95年版の再評価を切望したい!


 そして残念。読者諸兄もご承知の通り、『ネオス』95年版の企画はTV局に通らずじまいで、翌1996年に放映が開始されたのは16年ぶりの国内TV新作となる『ウルトラマンティガ』であった。
 それはまたも昭和ウルトラとは直結しておらず、70年代末期の本邦初のマニア向けムックで流布された第1期ウルトラ至上主義寄りの文脈や、ジンテーゼよりも旧態依然のアンチテーゼ寄りの指向を感じさせ、単純明快な痛快娯楽アクションよりもテーマ主義を指向した作品でもあって、筆者個人もまぁまぁ楽しみはしつつも、それは当時の子供たちも熱狂させていた「週刊少年ジャンプ」の漫画的なヒロイズムや戦闘の高揚をもたらすモノではないであろうと懐疑の目線も向けていた。
 とはいえ、そのようなスレた見解の持ち主もまた極少であったというべきだろう。当時のマニア世間や商業誌などにおいては「コレこそが我々が観たかった現代的なウルトラマンだ!」という熱狂が巻き起こっていく。
 『宇宙船』誌などでの『ネオス』95年版への期待&盛り上がりは所詮、井の中の蛙でしかなかったこと。そして、90年前後の特撮評論同人界で盛り上がっていた第2期ウルトラ再評価の多種多様な論点・尺度・論法の登場&成熟が、その外部の一般の特撮マニアたちにはほとんど還流していなかったことも、無力感・徒労感・挫折感とともに思い知らされたのであった(笑)。


 公的な特撮史を語るときに、個々人の好みの問題を除外する大文字・太字の年表で、『ウルトラマンティガ』をはじめとする平成ウルトラ3部作を特筆大書すること自体は、「歴史」とは動員数があった最大公約数を語るモノだからそれでイイとは思う。
 しかし、個人的には民俗学者柳田國男(やなぎた・くにお)の『明治大正史・世相篇』(1931・昭和6年)で、大文字の歴史年表には残りにくい時代の空気・気分も書き留めて記録に残そうとしたように、少数派から見えていた歴史も隅っこではヒッソリと語らせてほしいと思う。歴史とは右派・左派・それ以外の多数の立場の史観を相矛盾したまま併存させて、永遠に突き合わせをし続けるべきモノであると信じる。


 西暦2000年に『ウルトラマンネオス』はビデオ販売作品としてようやく陽の目を見る。しかし、95年版とは異なり、円谷昌弘プロデューサー&武上純希脚本の平成『ウルトラセブン』コンビで製作された同作では、彼らの好みや意向であったか、ネオスは「X字」型ではなく初代マンのごとく「十字」型で必殺光線を放つように改変されたことに象徴されるけど、またまた人類とウルトラマンが「初邂逅」する「原点回帰」作品となったことで、昭和ウルトラとは直結していないことに絶望し、ザム星人が下品に哄笑する悪党キャラではなく(笑)、母星を失った悲劇性&人類との共存の可能性が強調されたことで、娯楽活劇としての爽快なカタルシス・高揚・勧善懲悪を低次なモノとしていまだに見下すカビ生えコケむしたような作劇思想に絶望する。


 昭和のウルトラ兄弟が復活した『ウルトラマンメビス』が2006年。「平行宇宙」の概念の積極的な導入で、昭和ウルトラ&平成ウルトラが越境可能となった映画『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE』が2009年。往時に妄想していたことは遅れてあらかた実現されたとも、部分的には先に進んでしまったとも、いまだに実現できていないこともあるとはいえ、すでに実に長い歳月が過ぎて、『ネオス』95年版も半世紀にも渡るウルトラシリーズの歴史の折り返し地点を占める過去と化し、死んだ子の歳の数をかぞえる浦島太郎となってしまったのであった(笑)。
 とはいえ、『アベンジャーズ』(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190617/p1)で『ジャスティス・リーグ』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20171125/p1)で『スーパーヒーロー大戦』(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200115/p1)で『プリキュア オールスターズ』な昨今、単独で主人公を張れるヒーローたちが時に共闘、シリーズとしても並行して連続していくスケール雄大な「世界観消費」とでもいうべき作劇に、全世界的にも人々がワクワクしている昨今、ウルトラ一族の仮想歴史や『ウルトラマンネオス』95年版もまた同様のワクワク感を喚起した、それらの早過ぎる先駆けであったことも強く主張して再評価を促したい。

(執筆協力:彦坂彰俊・久保達也)


(了)
(初出・特撮同人誌『夢倶楽部VOL.3X』(19年8月10日発行)『ウルトラマンネオス』特集号より抜粋)



後日付記:


 特撮同人誌『夢倶楽部』の『ウルトラマンネオス』特集号に掲載された、秘密のルート(汗)で入手した95年版『ウルトラマンネオス』企画書――ワープロで印字されたものであるあたりが90年代中盤という時代を忍ばせる――によると、往時の特撮マニアたちが妄想したダブルヒーロー前面押しどころではない!? セブン21は年間を通じて8回くらいしか登場させないキャラクターとして設定されていた(爆)。……ガックシ。
 ただし、ウラ設定は充実しており、ウルトラ一族の防衛組織である宇宙保安庁・庁官の名前や勇士司令部・部長の名前までもが設定されているのだ!
 好事家の方はコミックマーケットの特撮ジャンルのサークル「夢倶楽部」さまにてご入手くださいませ~(当選していた場合に限定されますけれども……)。


以下、1995年前後に執筆した『ウルトラマンネオス』95年版への所管

(文章が若書きでヤワいのはご容赦くださいませェ・汗)


来なかったウルトラ新世紀哀歌 ~蘇れネオス、立ち上がれ21、深い闇を越えて…

(文・彦坂彰俊)
(1997年脱稿)


 1994年11月23日(水)勤労感謝の日
 この日、読売新聞朝刊にとあるニュースが載せられた。扱いは非常に小さなものだったが、それでも僕の受けた“衝撃”は、「筆舌に尽くし難い」という表現すらあまりにアタリマエすぎると思えるほど大きかった。


 『新ウルトラマンが二人同時にデビュー!!』
 『ひとりはウルトラマン型、もうひとりはセブン型』


 さすがにTVシリーズ化のことについてまで言及されていなかったものの、なまじ情報が少ないだけにコチラの妄想はフル回転・勢いあまって300%(爆笑)。


 もし実現すれば、いままでありそうで実はなかった、“本格的ダブルヒーロー活劇”の誕生ではないか! スゴイ! スゴすぎる!!(笑) と、まぁ我ながら呆れるほどのハイテンションで続報を待つ日々であった(多少誇大な表現だけど)。
 ――ちなみに、この話題は同日の朝日新聞朝刊でも取り上げられていた(扱いそのものはこちらの方が断然よくて、実相寺昭雄監督や『ウルトラマン研究序説』執筆者などからコメントまで取ってきている)。察するにおそらくこの日がネオス&21プロジェクトのマスコミ公式発表だったのだろうと思われる。――


 そんなこんなで94年が暮れ、95年が明けて、まもなく新ウルトラマンの名前が、


 “ウルトラマンネオス
 “ウルトラセブン21(ツーワン)”


 と判明。周辺の設定も次第に明らかになってきた。が、それとともに不安要素も一緒についてきた。
 対戦相手である重量級怪獣ドレンゲランはともかく、敵役の宇宙人・ザム星人が“ライバル”という位置付けには今一つパンチに欠けるキャラクターであること。
 なによりも、主役はあくまでもネオスで21は助っ人にすぎないということ。


 ……嗚呼なんてこった。これじゃキャラクターバランス滅茶苦茶だし、ファーストインパクトの強烈な魅力がかなり損なわれてしまうじゃないか!!
 ……………………………………ムダだとは思うけど。
 でも、みすみす失われてしまうかもしれない可能性を、黙って看過することには堪えられない。とりあえず言っておけば、なにかが変わるかもしれないし。TV化企画が難航しているらしいのも、考え方次第では好都合だぞ。いまのうちに言っちゃえ!! ということで草の根活動。ようするに特撮マニア雑誌への投稿だ(笑)。


(’95年3月執筆・投書原稿)
 CM『ばっちしV』での勇姿もまぶしい(笑)、ウルトラニューフェイスの御二人(イマイチなじみにくいネーミングがナンだけど)。
 ただ昨年暮れのダブルデビュー情報があまりにもセンセーショナルだっただけに、「当面は営業活動に専念」てなオチには思わずガックリ。まぁ「よりイイモノ」をつくるための準備期間ということならば、我慢のしがいもあるってものだけど……。
 てなワケで(?)もしかしたらの新作シリーズに希望すること。
 防衛隊の超兵器に可変合体の巨大ロボを!!(爆笑)……ゴジラ映画に巨大ロボが登場しちゃうこの御時世、どうせやるなら原点回帰より痛快エンターテイメントでっせ。ハチャメチャだって、いーじゃん♪いーじゃん♪(具体的にメリットを挙げるならば、何よりもまず戦闘シーンにバリエーションが生まれるし、ある面では隊員の個性も打ち出しやすくなるはず)
 よく考えたら『電光超人グリッドマン』(93年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190529/p1)で既に巨大ロボ・ゴッドゼノン&ダイナドラゴンを輩出させている円谷プロ
 ここはひとつ、是非とも英断をのぞむ!!

(―没―)


(’95年6月執筆・投書原稿)
 TVシリーズ化企画もどうやら本格的に始動、今後の展開がおおいに気になるネオス&21。なんといっても絶えて久しかった純血国産シリーズ! それだけ『ウルトラ』というブランドの重責がかかるのも無理からぬことではあるけれど、そのこだわりがファーストアイデアの可能性・発展性をみすみす切り捨ててしまうようでは全く意味がない。特に今回の場合、ダブルデビューという企画の発端が既にして衝撃的かつ前衛的なのである。ならばこそ……。
 ここはひとつ、『T―ツイン―』でも『W―ダブル―』でもこの際『SS―スーパーズ―』でもいいから(爆笑)、是非とも、「ふたり主人公」のシリーズが見たい!!
 異なる主義・思想をもった二人のヒーロー、事件そのものに対して見せるリアクション・スタンスの相違、対立・葛藤あるいは相互理解……それはアクション設定のみならずキャラクタードラマとしての方向性をも提示するだろう。実際、キャラシフトだけでも様々なパターンが考えられるはずだ(明朗快活な正義漢と沈着冷静な理論家・熱血野郎と皮肉屋・あるいは防衛隊のクルーと無所属のアウトローなど)。
 なるほど、たしかにセンスオブワンダーやエポックメイキングとは縁遠い内容になるかもしれない。しかし、この際、純然たるヒーロードラマとしての魅力に目を向けてほしい。……胸がワクワクするでしょ? 見たいと思うでしょ? それがポイント♪(by高橋由美子
 ってなワケで、とりあえず21のランクを、助っ人でなく同格―タメ―に!!(笑)
 願わくば、ブランドよりも不変のエンターテイメント性に真摯な作品であらんことを……。

(―没―)


 どれもけっきょくボツってるのはナンだが(……)。自分の言いたかったことは、とりあえずこの二つの文章に凝縮されている。あとは各要素の詳述・補完である。
 クドイようだが、この企画の最大のセールスポイントは「ダブルヒーロー活躍の図」にこそある。両者ともに引けを取ることのない互角のキャラクター性を魅力的に描き出せなければ、その意義がないのだ。
 ……このことに、たとえば「どちらが主人公か判らなくなるため両者ともにヒーロー性が中途半端になり、けっきょくは失敗するのではないか」という危惧があったとしても、それを結果論的な言い訳には、少なくとも用いるべきでないだろう。
 多少の否定要素だけで、すでに見えかけている可能性・発展性のすべてに対して無自覚を決め込んではならない。それよりむしろ、設定を徹底的に活かしめるための基礎構造をシッカリ整備しておくことを考える方が重要である。


 そこでまず必要なのがネオス・21両者の個性を確立させること。(細々とした諸設定は、後から附いてくるもの・場合に応じて微調整を加えるべきものである)
 まぁ個人的なイメージにこだわるなら、


 ネオス=明朗・熱血・防衛隊
 21 =冷静・皮肉屋・アウトロー


 といきたいところなのだけど(笑)。とにかく、ここで二人に対極的なキャラクターを与えるのがポイントだ。
 それぞれの事件に対する関わり方・考え方の相違から生まれる対立・葛藤のドラマ。さらに踏み込んで言えば、ある局面ではネオスの行動の方がより正しく、別の局面では21の判断の方がより正しい、時にはどちらも同じ距離だけ正しくないかもしれない……。


 単なるキャラクタードラマの領域を越えて、個人の価値判断基準をするどく見据える段階まで達してしまってもいいだろう。


 この意味、作劇的な到達目標と言うべきは“ジンテーゼ”の体現にこそあるのだ。


 ――対立した二つの概念を総合する概念。作劇のレベルで言えばテーゼ・アンチテーゼ相半ばするテーマ主張。
 たとえば、『ウルトラマン』(66年)23話「故郷は地球」、『ウルトラセブン』(67年)26話「超兵器R1号」、同「ノンマルトの使者」といったアンチ急先鋒的な作品群の題材は、そのままの形で現在に当て嵌めるにはかなりキツイ。
 しかし、否定要素・肯定要素を異なる視点から改めて捉え直すような作劇ができるなら……。
 (『ウルトラマンティガ』(96年)28話「うたかたの…」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19961204/p1)など、そのアンチテーゼ要素に拒否反応を起こす向きが意外に多かったあたりは健全でいいなと思う=笑=反面、実をいえば、このジンテーゼ指向の萌芽と認めるべき作品ではないかとも思うのだ)


 ネオス&21は、それをあくまでキャラクタードラマという形態から突き詰めることができたかもしれない企画だったという点で、まず惜しい。



 しかし実はもっと単純に、アクション設定のバリエーションが恐ろしいまでに充実するという一点において、もっとも想像力が駆り立てられるあたりが、この企画の真価と言えよう。ヒーロー側の状況設定のみ列挙しても


  ネオスのみ変身、21のみ変身
  ネオス巨大化・21等身大(またはその逆)
  ダブル巨大戦闘
  ダブル等身大戦闘


 と、これだけあるわけだし。
 さらに、必殺技をキメるのはどちらか、あるいは合体技かとか、対戦相手によっても、


  怪獣+宇宙人、怪獣複数、宇宙人複数、
  狂暴怪獣一体、極悪宇宙人一体


 思いつくだけでコレだけあるのだ。これらを単に組み合わせるだけでも、ゆうにワンシリーズ分のネタは供給できようというもの(笑)。
 (ストーリーの必然によっては変身するのは一人でも構わないし、必殺技は基本的にその回の主役にキメさせるとしても、手強い敵には最強合体技!!――ってあたりが一応のセオリーになるとは思うけど。)
 マジメな話、『ウルトラ』だって戦闘描写に凝ってもイイ。それができたかもしれない企画だったということでも、やはり惜しいと言わねばならない。


●ネオスVS巨大怪獣・21VS宇宙船内の等身大星人……てなアクション設定、燃えない?(笑)


 ネオス&21は辛うじてパイロットフィルムのなかにその雄姿をとどめはしたものの(ちなみに未見だが)、これはやはりTVシリーズでなければそのポテンシャルを十二分に活かしきれない企画であったことを、あらためて痛感してしまう。
 実際、テーマ性とエンターテイメント性の両方を、ここまで極端な形態を取りつつ同時に満たしてしまう可能性を持った企画もまれであろう。
 国産TVシリーズ制作の悲願は、幸いにも良心作・『ウルトラマンティガ』にて果たされるものの……。
 しかし、だがしかし。


 セブンコンプレックスはないけれど、来なかったウルトラ新世紀トラウマが強烈すぎるのだ。今はただ、この企画に対して過剰なまで入れ込んだ市井の一ファンがいたことをここに記すのみである。

(了)


(初出・特撮同人誌『假面特攻隊98年号』(97年12月28日発行))


妄想ウルトラマンネオス! 〜流産企画へ期待したこと

(文・T.SATO)
(1995年夏脱稿)


 さてさて、待望の国産新作ウルトラマン=『ウルトラマンネオス』の製作決定! まずはおめでとうございます。たいへんに期待しております。
 もうムズカしいことはともかくとして、見ていてとにかく歯切れがよく、楽しい大娯楽活劇に仕上がってくれれば……、と小生などは祈っております。
 あまり従来の路線にとらわれることなく、いかに斬新なことをやれるか、いかに今の子供たちにウケるものをやれるか、いかにサービス精神旺盛に作れるか、という方向で考える方がウマく製作できそうだし、90年代作品としての同時代性の点でもよいのでは? などと当方、不遜にも考えております。


 たとえば『ウルトラマンネオス』における、“ウルトラマンネオス”&“ウルトラセブン21(ツーワン)”の、2人ウルトラマン登場で気になるのは、防衛隊の相対的比重低下とやられ役のさらなる拍車化です(笑)。
 ……ここはひとつ、故・円谷皐(つぶらや・のぼる)会長の生前の発想に報いるべく、いっそ中盤から防衛隊は巨大ロボットを建造してみてはドーでしょう!(『ウルトラマンUSA』(87年・89年日本公開・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100821/p1)において、円谷会長は合体ロボを出そうとしていた)
 ただ、『電光超人グリッドマン』(93年)のサポートロボみたく、商業主義へのささやかな抵抗か(?)、平成の御代に『ウルトラセブン』(67年)のカプセル怪獣的な前座にとどまり、敵怪獣にトドメを刺せないようではイミがないけど……(作り手のこだわりが、キャラやメカの魅力、ストーリーの自由度を削ぐ消去法・貧乏症な方向でのものならば有害無益!)。
 数話に1回はロボットがトドメを! すると、防衛隊の役立たず感も解消。傍観者になりがちな隊員たちの人間ドラマも、クライマックスのバトルシーンまでひっぱれて、バトルと隊員ドラマの両立も可となります!
 ……まぁロボットは極論としても、いつもいつも防衛隊はやられっぱなしではなく4、5話に1回はトドメをキメるとかしてほしいものです。


 味方側が増員されると、敵怪獣が劣勢でかわいそう、だからやめよう……となるやもしれませんが。
 そこはそれ、マイナス発想ではなくプラス思考で……。
 敵側も、近年の合体ロボアニメ『絶対無敵ライジンオー』(91年)シリーズ(エルドランシリーズ)や、東映スーパー戦隊』シリーズみたく、その回のゲスト怪獣の他に、敵幹部のキャラを作って、巨大化させて戦わせてみたらドーでしょう? 1vs1ではワンパターンになりがちなバトルも、複数vs複数ならば無数のバリエーションが生じえます!
 敵幹部をうんぬんしたところで、ついでに云わせていただくと、敵たる悪の軍団も、今の時代の『ウルトラ』ならばアリでイイのではないでしょうか? それによって、クライマックスの怪獣プロレスシーンに、ヤラレ怪獣の他にライバル敵宇宙人または敵幹部宇宙人も参戦するシチュエーションが設定可能となります。
 あるいは、往年の円谷プロの巨大ヒーローもの『ジャンボーグA(エース)』(73年)のように、1クールごとに敵幹部が交替し、そのつど最後の大決戦があるとかに設定すれば、バトルものとしても大いに見せ場が作れて、盛り上がれるのでは!?


 また現在、まじめに『ウルトラマン』を作るとなると、宇宙の警察官たるウルトラの戦士が恒常的にローカルな地球に何故にとどまるのか、なぜに悪の尖兵や侵略怪獣でもない地球の自然でもある怪獣を倒してしまうのかの、作劇上での疑問が生じてこざるをえないと思います。このテの子供向けヒーローもの作品は、少々のムジュンは気にしなくてもよいともいえるのですけど、それでも若い作り手の方では、脳裏で若干そこに抵触してくるのを意識してしまわざるをえないと思います。
 少々といえどひっかかるものがあるならば、事前にこのジレンマを解消しておくにしくはありません。
 まさか、地球の怪獣を倒すために、宇宙からはるばるやってきたというのも、90年代ではナンですから、1年間のシリーズを通しての、宇宙からのレギュラー侵略者から地球を護る使命を帯びてやってきている、という設定にしておいて、この問題から回避しておくのが妥当なのでは?
 そして最終回では、レギュラー侵略者を倒す、大スケール・大バトル・大団円で決着が付き、勝利のカタルシスも保障するような……。


 むろん、レギュラー侵略者がまったくカラまない従来どおりの怪獣話がたくさんあってよいし、当方の考えとしましても、従来とは逆の方向で、ワンパターンな融通の効かない設定にしてみたり、それに金科玉条にしばられるつもりは毛頭なく(笑)、作品の幅が出ますから、そこはそれ臨機応変・融通無碍に、多彩なお話を作ればイイと思います。
 ただ、なによりもレギュラー悪がいたほうが、最終回も画面的に盛り上げやすいように思います。子供たちもホームドラマ的な子供たちへのメッセージよりかは、大バトル・大団円の方が見たいでしょうし……。またそーいう展開の方が子供にもわかりやすく、かつナットクもするでしょう。


 また、いわゆる怪獣ものとしては、既に初代『ウルトラマン』(66年)でパターンは出尽くしているともいえ、あとはそれの大なり小なり焼き直したらざるをえないのは宿命必然ともいえるわけですから、後続作品の差別化もまた必然。まったくちがった発想を持ってくるのもテではありましょう。
 たとえば、時代劇や武道もののように道場破りパターン、ネオスたちの強さを聞き付けて宇宙の武芸者が決闘をいどんでくるとか……。むろん人格をもっていてオトコとオトコの一騎打ちにしてほしく、またそれは第3勢力的だったり、悪の組織の傭兵だったり、旧友だったり、私怨だったり、純然たる技くらべであったり……。


 やはりこーいった作品は、基本設定からして戦いのドラマですし、センスオブワンダーやSF性よりも世界の命運をかけて戦うヒロイックなロマンこそを重視してほしいのです(中島梓の『わが心のフラッシュマン』(88年・91年にちくま文庫ISBN:448002591X)ではありませんが……)。
 また物語の元祖が、神話の英雄譚ならば、それこそが普遍的・根源的な物語の在り方ともいえないでしょうか?
 けっしてセンスオブワンダーやSF性を否定しているのではありません。しかし、このテの作品……にかぎらず活劇というものは、戦いのドラマであり、ヒロイックな高揚をもたらすものであることは否定ができないと思います。
 それを完全肯定してしまうわけではなく、危険性・ダークサイド・毒をもハラんだものであることを重々承知しつつ、そしてときどきはその危険性を指摘するストーリーも構築すべきであるとも思います。
 しかし、ただ単に悪いイミでの戦後民主主義的な「戦いは絶対悪である」的な価値観を、疑問を許さぬ絶対自明の大前提にして、ヒロイックなロマンを完全否定してしまいかねない論調には疑問を覚えます。アナタは『ウルトラマン』や活劇映画を観ていて、バトルシーンで高揚を覚えたことはないのか!? と。
 それなのに、「戦い」や「武力」を十把ひとからげに悪しきもの・おぞましきものとしてのみ定義して事足れりでタブー視・思考停止して、自らを良識的な立場寄りに属せしめた気になっているヤカラには偽善と欺瞞を感じます……。まずは、ヒロイックなロマンを前提としたうえで、センスオブワンダーなりSF性を描いてほしく思います。


 閑話休題。……まぁ道場破りパターンも、実は『ウルトラマンレオ』(74年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20090405/p1)の怪獣アンタレス編に前例を求められ、あのエピソードも宇宙人であるレオこと主人公ゲンと同僚の防衛隊MAC(マック)隊員たちとのどちらにも一理ありしかもエピソードの最後まで互いに和解しない(!)軋轢・葛藤が、オトナになってから見返すと実に深くて面白いのですが、怪獣アンタレス自身には人間態(少年)があるのにも関わらず人間的人格がないからなぁ(笑)。
 『レオ』といえば、通り魔タイプの宇宙人がいますが、あのパターンも巨大化特撮バトル場面ならぬ本編部分でのアクション面強化に貢献できますし、当時は仮に好印象がなかった視聴者やマニアが多かったとしても、洗練して活用してみれば、また魅力的な場面設定になりうるのではないでしょうか? ――その意味では平成『ウルトラセブン』(94年)「地球星人の大地」も、個人的には本スジたるストーリーも味わい深くてとても面白かったのですが、さらに人間時・等身大時のメトロン星人との格闘場面も設定して、1時間の長丁場の中盤でも活劇としてアキさせない展開になっていた点は大いに評価できます―― 脇道に切り捨ててきたとおぼしき、『レオ』の通り魔宇宙人の設定にも可能性があったという……。
 キャラにしろ設定にしろドラマにしろ、一方をオトしめ他方をタテるとかはせず、全要素を魅力的にして、ヒーローものの集大成にして、今のチビッ子の心をつかまんことを!


 その他に……。話によっては、敵に人格を持たせて、ワンシーンではなく全編を通して(等身大時でも特撮巨大バトル時でも)、テレパシーを用いて会話をさせながら、ドラマ(&バトル)を展開するのはドーでしょうか?
 『ウルトラ』の新たなドラマパターンを構築することができますし! ジメッとしがちなゲスト子役のドラマではなく(それもまたアジがあるのですが)、主人公(ウルトラマン)自身が傍観者ではなくドラマに直結できて、バトルにカモフラージュさせることで、子供たちにも高度なドラマや高尚なテーマを伝達できることと思います。
 あるいは、『グリッドマン』における改造怪獣の頻発から察するに、製作費の問題があるとするならば、それを逆手にとって、安く作れるウェットスーツのスマートなヒューマノイド型のカッコいい敵宇宙人とか、それの2世・Jr・弟の復讐劇を創造すればよいでしょう。「設定や製作条件は拘束されるものではなく、活用するためにあるのだ!」というテーゼにも従えばなおさらのこと……。
 夏休みは、宇宙でのウルトラ戦士総登場の仮面劇にして、人間側の役者のギャラを浮かすとか(笑〜60年代までなら南洋の孤島にエキゾチズム・ロマンを感じられたろうけれど、開発が進んで未開の孤島・大陸がなくなった70年代以降ではムリですよ。南洋じゃなくて遠宇宙のドコかの星や小惑星ならば、まだロマンを感じられるのでは?)。
 シリーズ後半は、ウルトラ一族の宇宙規模のバトル(宇宙伝説やウルトラキー&ウルトラベルなどのウルトラ伝説。あるいは内山まもるマンガ版(ASIN:B000J8L868ISBN:4091941214ASIN:4575935514ASIN:4091402410ISBN:4091087183)の、宇宙にはジャッカル大魔王や宇宙海賊スペースパイレーツの他にもまだまだ恐ろしい大魔王がいるというような世界観)と平行して、地球での話が進むとか。
 そして最終展開では、第1期ライダー最終作『仮面ライダーストロンガー』(75年)終章5部作みたく、先輩ウルトラ戦士が総登場! ……までは、今では多すぎるからやらなくてもイイけど(笑)、複数人は登場して画面的にも盛り上げて、ウルトラ戦士のドラマと地球人のドラマが大決着・大団円!
 もちろん、どちらかというと、比重的にもドラマのトリ的にも、地球人のドラマが優位に立つべきではあるけども……。
 過去、これを実現したのは、第3期『ウルトラ』作品TVアニメ『ザ☆ウルトラマン』(79年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971117/p1)終章4部作と、
 学年誌連載の内山まもる版『ウルトラマンレオ』終章(06年にコンビニ漫画『ウルトラマンレオ完全復刻版』として再刊・asin:409108575Xhttp://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061028/p1)の2作品のみ……
 (80年代前半に児童誌『てれびくん』で連載された居村真二の漫画『ウルトラ超伝説』(81年・82年に単行本化ASIN:B000J7LFBM・88・98年に大都社で復刊・ISBN:4886533647ISBN:4886531067)も名作だけれど、地球人がメインではない、超人たちのみのドラマなのでここでは別格にします)。


 これらによって逆に、従来パターンの話(いわゆフツーの怪獣もの……古代怪獣なり地底なり海底、火炎・冷凍怪獣なり)も、その存在と魅力が明快に対比され、クッキリと浮かびあがってくるかもしれません。
 配役には、東映メタルヒーローレスキューポリスシリーズ『特捜エクシードラフト』(92年)にドラフトレッダーで主演した、円谷プロ芸能部の影丸茂樹氏主演が予想されますが、W(ダブル)ウルトラということで、相棒にかわいい(?)リーゼント野郎の東映五星戦隊ダイレンジャー』(93年)で青の戦士テンマレンジャー・将児をつとめた羽村英クンみたいなタイプはいかが! 近年いそうで意外にいない、『ウルトラマンエース』(72年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070430/p1)主人公・北斗星児(ほくと・せいじ)のような、『マジンガーZ』(72年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200119/p1)主人公・兜甲児(かぶと・こうじ)のような、熱血バカキャラクター!(彼は『私が愛したウルトラセブン』(93年)にも出演していて縁があるし)
 彼ならば、作風を下品(笑)、もといアクティブにできるハズ! マニア間での一般評価はともかく、『ウルトラ』シリーズ最高のキャラクターシフトは、突っ走る北斗・押える南・怒鳴り突っ込む山中(笑――信じる南・疑う山中)の、『ウルトラマンエース』前半が最高と信じるボクは、彼のようなタイプをプッシュします。……熱血バカファイターがいないとドラマが走り出さないゼ。
 空想特撮だから、SFだからと高尚ぶらず、むろんホームドラマにもせず、煮え切らないものではなく、まずは見通しのよいシンプルでもツボを押えた感情ドラマを! その上で、プラスアルファなり、高尚な(笑)空想特撮なりセンスオブワンダーなりホームドラマなりアンチテーゼ編を!


 より完成度の高いアンチテーゼ編や社会派テーマの話を作るためにも、フツーの通常編を大切にすべきであると考えます。
 すなわち、フツーの回でレギュラーたちの人物像をしっかり確立して、シリーズも後半に至ってからテーマ編をやるのなら、そのレギュラー人物たちのテーマに対するリアクションも「いかにも」というムリのない、そらぞらしくない自然な説得力が出てきて、感情移入もできるという……。
 つまりは、レギュラーがテーマを自然に背負いこめるワケですが、そうではない段階でテーマ編をやると、そらぞらしくなると思うのです。
 特撮マニアによるアンチテーゼ編評価が確立した70年代末期以降に製作された、第3期『ウルトラ』シリーズの『ウルトラマン80(エイティ)』(80年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971121/p1)あたりから、『ウルトラマングレート』(90年)、『ウルトラマンパワード』(93年)に至るまで、そーいうアンチテーゼ編を過剰に重視してしまい、基本設定やレギュラー人物たちを確立すべき初期編のうちから、アンチテーゼ編や異色作を作りたがってしまうような本末転倒な傾向があるように思います(過去にそーいうタイミングでの異色作を、自分も評価していた自己反省も込めて)。
 『80』初期編早々で怪獣親子を助けたり(それも絶対にダメだとはいわないけど)、『グレート』#3で少年が新たな生命に進化してしまったり(笑)、『パワード』に至っては怪獣レッドキングジャミラザンボラーゴモラ編と、シリーズの1/3近くがシメッぽいアンチテーゼじみた話になる始末。『ウルトラ』シリーズの本質・魅力は、本当にそんなアンチ編にしかなかったのでしょうか?
 本来、初期編なりシリーズ前半は、フォーマット、ヒーローの能力・強さや、レギュラーの性格こそを中心に描くべきなのに、そーいう王道・屋台骨を忘れている末端肥大な風潮はよろしくないと考えてます。
 今の若いスタッフたちが『ウルトラ』を作るなら、極端な話、現状では2、3年アンチテーゼ編をやらずに王道の話ばかりにしてほしい。そこまでやって初めてキチンとしたアンチテーゼ編ができるのではないかと……。
 それに、ボクもマニアですから、人一倍アンチテーゼ編やテーマ編が大スキなのですが、でも振り返ると子供のころ、ただ単に強い怪獣が出てくるだけの話にコーフンしたことや、ウルトラ兄弟共演回がスキだったことも、厳然たる事実でありまして……。そーいう感覚も忘れてはイケナイと思うのです。むしろ重視すべきでありましょう。
 思春期のティーンが大挙して観る番組ではないのだし、まずは幼児から小学生が観る番組なのですから……。


 もしドーしても、アンチテーゼ編をやりたいというのなら、オウム真理教による地下鉄サリン事件以後の今日、慎重であるべきでしょう。教祖の麻原はともかく信者は、イヤ麻原でさえもトータルではともかく一理はあるハズで、おそらく彼らは要するにこの世の中を不純であり、また自分たちは社会から疎外されていると見てとったのでありましょう。
 弱者や少数者の悲哀。脚本家・佐々木守市川森一上原正三の世界。ただ、それが弱者に留まっているうちは悲劇にもなるけれど、それ(弱者や被差別者)がスジを通して力(武力)をもって、現実社会に挑戦してきたときにはドーなるか? 被害まで及ぼしたときにはドーするか? 故なきことではなく一理二理はあっても、かといって彼らの行動は許されるのか? 70年代によくあった弱者にスポットを当てたドラマの限界も、今回の事件で筆者は感じました。ただもちろん一定の理はあるのだけれど……あくまでも一定程度のものでしかなかったという。
 その点にもっとも敏感に反応したのが、市川森一でしょう。自身の作品群に、ニーチェ云うところの弱者のルサンチマン(怨恨)的危険性の要素をかぎつけたからこそ、あのような言動――ヒーロー作品がオウムを産んだ――をしておられるのでありましょう(むろん現在でも弱者への同情・共感は有効です。しかし弱者であるがゆえに無謬の絶対正義であるなぞという言説は過ちですらあるといえるでしょう)。氏の言動は極論ではあり、そのままイコールに受け取るワケにはいきませんが、それだけショックを受けたということであり、誠実なヒトなのでもありましょう。氏が明晰に言語化して認識しているかはともかく、たとえアンチテーゼ編であっても、王道活劇の危険性やヒーローの正義の危険性を撃ったつもりが、実はアンチテーゼ編自体が弱者や被差別者であればどんな反撃をしてもよいという、別種のダークサイドを正当化する可能性があったという……。
 むしろ、オウム後の今日では、アンチ・アンチテーゼ編(正→反→合のジンテーゼ編?)が望まれます。


 ヒーローが悪をやっつけることや、防衛隊のミリタリーという要素もダークサイドをたしかにハラんではいます。
 しかし、物語は毒をハラんでいるから面白く、またひかれてしまうという説もあるくらいでして……(古代ギリシャの哲学者アリストテレスカタルシス理論。人間自体も毒をハラんでいるが、適度な〈←これ重要〉毒を含んだ物語によって、毒の瀉泄・浄化も果たされるという)。
 ドラマ編はドラマ編でしっかりと。アクション編はアクション編で徹底的に。
 冒頭、ウルトラ兄弟からウルトラサイン……凶悪怪獣が地球に逃亡したから倒してくれってのが出て、あとはそれをいかに倒すかというだけの娯楽編とか。
 あるいはクライマックスバトルで、宇宙に逃げた怪獣を外宇宙から救援に駆けつけたウルトラ戦士と協力してやっつけるとか(『ザ☆ウルトラマン』後半ではよくやってましたけど……。次作『ウルトラマン80』でやらないのが子供心に大いに不満だった・笑)。……これも理論武装すれば、『ウルトラセブン』の防衛隊ウルトラ警備隊の設定の活かし方を、ウルトラ一族の宇宙警備隊にまで拡大敷延したものだともいえますが。
 仮に、新マン(帰ってきたウルトラマン)が客演するなら、そのときは登場時に主題歌イントロがかかったり、ラストバトルではNG主題歌(!)のもと、新マンにハナをもたせてトドメも刺させるとか、燃える演出を! そーいうアクションのカタルシスが最終目的の話も、年に数本はあってもイイと思います(むろん全話をそーしろなどという、単細胞な主張ではないつもりです)。


 ……一介のトーシロが、ズラズラと個人的妄想を書きつらねてしまい大変恐縮です。すでに『ウルトラマンネオス』の企画内容は決定済でしょうから、貴重な時間をこのようなたわごとに費やさせてしまいまして誠に申し訳ございませんでした。ただ、願わくばこれらの提言の一部分でも……、あるいは『ネオス』以降の作品において叩き台的な一助にでもなれば……などと厚かましいことを考えております(汗)。
 なにはともあれ、『ネオス』の成功を陰ながらお祈りいたしております。
 このテの番組は、空想の番組なのですから、イマジネーションの消去法に陥らず、単純比較してはイケマセンが、メリケンの地でも『ウルトラマンパワード』より『パワーレンジャー』(93年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20080518/p1)の現状を覆し、子供番組の頂点に立ってほしいです。
 ……アッ、あとタイトルが『ウルトラマンネオス』だからって、ネオスばかりがトドメを刺さず、話によっては21がトドメを刺したり2人の合体光線だったりってのは最低限、実現してくれんことを(笑)。21だけ等身大で戦ったり、その逆をやったり。ネオスの最大身長200メートル巨大化も、字面だけの設定ではなくたまには本当に実現を。子供はそーいうことに大喜びしますョ。いや、ワタシはイイ歳こいて、もうそーいうことにはコーフンしませんけどネ……(←ホントかよ?・笑)。


(了)
(95年版『ウルトラマンネオス』に対して円谷プロファンクラブに投稿したもの(ボツ・笑)〜同人誌『假面特攻隊98年号』(97年12月28日発行)所収)


『假面特攻隊98年号』「ウルトラマンネオス」関係記事の縮小コピー収録一覧
・読売新聞 1994年11月23日(水) 30年目の新兄弟二人、来年デビュー
朝日新聞 1994年11月23日(水) 新ウルトラマン来年3月デビュー


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  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060415/p1

劇場版『新世紀ウルトラマン伝説』 ~今こそ昭和のウルトラ兄弟が復活するべきだ!

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20021115/p1

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