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仮面ライダークウガ 〜前半合評3 リアルか否か? 大人向けか否か? その2


『仮面ライダークウガ』評 〜全記事見出し一覧
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仮面ライダークウガ 〜前半評⑦ 『クウガ』1〜2クール感触

(文・T.SATO)
(2000年2月執筆・7月加筆改訂)

クウガ』極初期編 感触

 便宜的には(笑)、こーいうハイブロウ・本格志向・リアル志向の『仮面ライダー』作品もあってイイと思う。


 筆者個人がまずもってイの一番の第1にスキな作風では決してないが、否定するほどの嫌悪感をいだかせるワケもなし(笑)、こーいうのも2番手・3番手くらいにはスキである。


 実際、今までの東映変身ヒーロー作品とはちがうゾというニュアンスの感慨をいだかせようとアピールするなら、そして若干でも世の一般層・パパママ層にも手っ取り早くアピールしていこうと思うなら、こーいうハードでシリアスな、いわゆるオトナ向け(笑)・リアル志向の作品しかないだろう。


 個人的な好みを度外視すれば、一度は現役怪獣映画やヒーローものも正当な権威スジやサブカルのハイソ層やカリスマから認められたりしてハクを付け、一応の一般層とはいわずともヤングアダルト層にも一目置かれて大きく流行・受容をされるような在り方が、ジャンルやジャンルファン自体が見下されずに磐石な存在となっていく地固めとして必要だとする見方が今でも世にはある。


 実は筆者もリアル至上主義者では決してないが、それには同意している。
 筆者も含めて多くの怪獣マニアが、20年前(00年当時)の第3次怪獣ブーム(70年代末期)のころからそのような願望をいだきつづけてきたことだろう。


 今でもそのような本格志向・リアル志向の方法論は、表層的なイミではまちがってはいない。
 しかし、むろんその方法論はすべてではない。万能でもない。
 市民権を得る方法は、何も正当な権威スジやら大文字マスコミ、ハイソなりヤングアダルト層なりから認められることが決してすべてではない。
 それらは往々にして、実は一部限定のマニア(ジャンル系マニアではなく、せいぜいサブカル(チャー)系や活字を読む人間というあたり)でその影響力を留めがちである。


 実は当時の青年層にも受容された往年のTVアニメ『宇宙戦艦ヤマト』(74年・77年に劇場アニメ化)や『機動戦士ガンダム』(79年・81年に劇場アニメ化)『新世紀エヴァンゲリオン』(95年・97年に劇場アニメ化)などよりも、『ドラえもん』(69年。73・79年にTVアニメ化)『Dr.スランプ アラレちゃん』(80年・81年にTVアニメ化)『キン肉マン』(79年・83年にTVアニメ化)『ビックリマン』(87年)『美少女戦士セーラームーン』(92年)『ポケットモンスター』(96年にゲーム・97年にTVアニメ化)といった小学生に受容されたTVアニメ作品群の方が、商業効果や動員数といった尺度で見れば1ケタ上の成果をはじきだしていたハズだ。
 だから、そーいった子供向けの方向性でのジャンルの流通・受容の重要性も決して忘却してはならないし、むしろ重きを置くべきだろう。


 しかし。
 物事はオール・オア・ナッシングで割り切れるものではない。
 良くも悪くも現代社会もまた旧時代とは異なるイミで、あるいは変形したかたちでカースト社会である面は否めない(笑)。
 カースト社会を価値判断として100%肯定するものではないが、現実としてはその所与の条件下で、まずはジャンル作品のステータス向上のための実践をスタートさせるのがリアリストというものだろう。


 つまり、たとえその本性は見苦しい権威主義・事大主義にすぎないとしても、そのテの硬軟さまざまな広いイミでの権威スジから認められることで、ステータスがあがる事実も否めない。
 ステータスがあがることで、異種業種(高名な役者を使うなりイイ音楽を付けるなりスポンサーを見つけるなり広告代理店に便宜をはかってもらうなり)との仕事を、ビミョー・微量にナメられずによりスムーズに進めることにつながり、それが作品のクオリティや各種の成果に、あるいは子供向けもふくめてのジャンル全体に還流していくならば、それもまた必要悪として認められるべきことではなかろうか?


 小学生向け媒体での大ヒットを積み重ねることでも、ステータスをあげることは必要なことだし、不可能でもないだろうしそれこそが王道だろうとも信じるが、その能率や成功率自体は残念ながら非常に低いように思える……。



 ジャンル作品のメインターゲットは、はたして小学生なのかティーン〜ヤングアダルト層なのかは一概には決めかねる。厳密には重複するものであることにまちがいはないのだが、どちらに比重を置くかは個人の価値観や作品によって異なろう。
 ……などと公平で善意な第三者ぶりつつも、筆者はとりあえず特撮変身ヒーロー作品メインのマニアであるからには、この方面のジャンルにかぎっては20年前ならともかく、現在では小学生が中心であるべきだと考える(未就学児童=幼児中心でもない)。


 しかし、大人の鑑賞にも堪えうる(笑)ハイソ志向も、前述の理由から便宜的には肯定する。


 幼児向けの荒唐無稽な設定・非リアルの中でも、高度なドラマ・テーマ・心情描写を実現することは可能である、との従来からの主張を曲げる気もない。
 が、ティーン〜ハイソ層をトリコにする作品というものは、テイストが全要素ではないにしろ何かしらアダルティーな要素がふくまれたものであろうということは、自身の思春期の経験からもよくわかる(笑)。



 これらのあい異なる一応のバラバラなものであるジャンル作品における「子供志向」と「大人志向」。ではこの両者をどのように位置づけて、異なるものならばどのくらいの東西南北の方位と角度と距離で離れていてちがっているのか?
 スミっこなり根底で通ずるものがあるのなら、どうような接点や回路で結びつけられうるものなのか?
 どうやっても結びつけられない要素はドコなのか?
 以上のように、立体的に認識してみせるならば、どのような見取り図になるのだろう?


 以下は中間報告にすぎないが、筆者の思うところによれば、根っ子にして球根にあたる中核部は、やはり「子供向け」作品であるべきではないかと考える。そして斜め上方向に伸びた枝のようなものが、「大人向け」作品ではないのかと。
 そのような認識と比重ではあるが、そのかぎりで両者ともにその存在を肯定している。



 一応はシリアスに分類されるべき『仮面ライダークウガ』(00年)とはまったく真逆なベクトルでの方向性ではあったけれども、同じく東映の高寺成紀(たかてら・しげのり)氏が初メインプロデュースしてみせた、オチャラケ・コミカル・メタジャンル言及作品(笑)『激走戦隊カーレンジャー』(96年)。
 しかし『カーレンジャー』はマニアックはマニアックでも(ホントに相当にマニアックなのだが・笑)、まだ世間一般への訴求力は弱い。
 一部の多数(笑)の特撮マニアはたしかにうれしくて大ハシャぎしていたが(筆者個人はハシャいでませんけど・汗)、ジャンル雑誌ではともかく元祖『仮面ライダー』ブーム世代が紙面編集の主導権をにぎりはじめていたマスコミ関係者(新聞であれば文化面や芸能覧)でも、少しでも『カーレン』を大きく取り上げようとはまだまだ考えまい。
 てかネームバリューの次元で観ないし、そも作品の存在自体に気付いてないだろう(笑)。


 だから高寺PD(プロデューサー)が、『仮面ライダー』ものを採択し、しかもこのいわゆるハードでシリアスでリアル志向なウリ方を取った方針を筆者は否定しない。
 おそらく『ウルトラマンティガ』(96年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20080913/p1)をはじめとする平成『ウルトラ』的ないわゆるハイエンドユーザー層にも受容されようという試み。


 一方で子供向け王道路線の伝統が着実に確固としてある東映にとっても、幅をひろげていくイミでこーいう試みがあってよいと思う
 ――と云いつつもアダルティな作品は、『超人機メタルダー』(87年)、レスキューポリスシリーズ(『特警ウインスペクター』(90年)・『特救指令ソルブレイン』(91年)・『特捜エクシードラフト』(92年))、『ブルースワット』(94年)など、成否ともどもに近年の東映メタルヒーロー作品にも実は存在することを筆者が忘れているワケではないのだが――。



 「シリアス」と「コミカル」。「子供」と「オトナ」。
 ヒトは二分法を取ると、それを近視眼的に絶対の尺度だとカンちがいしがちなものだ。
 その対極に見える2項目が、実は球体上の180度正反対の位相のものではなく、全球面上では30度か45度か、北海道と沖縄くらいの角度のちがいの存在にすぎなかったとしても、あくまで便宜的に抽出したハズの2項目が北極と南極のように目立ってしまい、その他の要素はアウト・オブ・眼中になってしまうという……。


 対極の(対極に見えてるだけのところの)2項目は一直線でむすばれる。
 が、ここに第3項を設定するならコレらは3角カンケイでむすばれる。
 さらにもう1項を追加すると4角だし、球体の表面の天空・地底の上下にも項目を想定するなら立体カンケイだ(笑)。
 つまり、二分法は無効ではないが、万事に当てはめられるモノサシではさらさらない。


 「子供」と「オトナ」の二分法についてなら、「オトナ」はさらに「一般層」と「マニア層」に二分できる。
 「子供」も、「幼児」と「児童」に二分できよう。


 「一般層」は「大人向け志向」かもしれないが、イコール・マニアックでハイブロウでSF志向でパイオニア精神の持ち主だとの公式が成り立つのかは、大いに疑問だ(……マニア層ならば、ある程度は成り立っても)。
 むしろ「一般層」という存在は、ハイブロウなものは理解はできずに、保守的・懐旧的ですらあるだろう。


 イヤそれは、我々マニア層だって実は同じことだ――言質(げんち)を取られぬよう、すべてのマニアではなくマニアの大半が、と限定しておくが――。
 『電光超人グリッドマン』(93年・円谷プロ)やら『七星闘神(しちせいとうしん)ガイファード』(96年・東宝)、『超光戦士シャンゼリオン』(96年・東映)てなタイトルが付いてたら(笑)、いかにそれが意欲作ではあっても、もう観もしない東宝・円谷至上系ハイエンドユーザー層はたくさんいるだろう。
 が、そんな彼ら(ここに一般層も含もう)も、『ウルトラ』『ライダー』の超メジャー級タイトルが付いていたなら、チャンネルをヒネらされてしまうというパターンはワンサとあると思う――それでも視聴率は10%前後に留まったりする程度なのだが(笑)――。


 だから製作者側も、シリアス志向ではあってもオリジナル作品のパイオニアたらんとはせず、ビッグネームのリメイクである『仮面ライダー』製作と来るのだろう。


 逆にオリジナル作の欠如を憂うマニアが、『ウルトラ』『ライダー』というビッグタイトルに対して視聴のボイコットに及ぶかといえば、そうでもなくて……(笑)。
 かくしてリメイク作は話題度・注目度という観点からはどうしても有利となる。


 皮肉でも何でもなく、世の人間一般というものは古今東西いつもそーいうものなのだ。
 だから別にそれでも(=ご存じ路線『仮面ライダー』でも)、ベストではないにしろベターとしてはイイと思う。その方法論がすべてではないにしろ、また中興の祖にしか成りえないにしろ……。


 オリジナル作の欠如を憂うマニアも、そのヒトなりの善意や危機意識から発する義憤なのであろうが、かといって現行のアニメや特撮、一般ドラマの半数以上をリメイク作品が占めている、などといった極端な状況は招来してはいないはずだ(計量してほしい)。
 一歩譲って、オリジナリティ至上主義の観点からも希望はあるということだ
 (オリジナリティ至上の公理、遡(さかのぼ)ってオリジナル自体の絶対性・権威性を疑い、さらにラディカル(根源的)に考察すれば真の意味でのオリジナリティ自体が人間社会の創作物に古代から一度も存在したことがないのだという視点もありうるのだが、論が煩雑になるので別の機会に)。


 とにかく現今の状況が、リメイク隆盛に見えて絶望視までしてしまうのは、心理学でいういわゆる「認知の歪み」に思える。


 オール・オア・ナッシングにデジタルで二分法に考えるのではなく、三分法・四分法といったかたちで現状を認識すれば、現状に対して過剰に楽観したり悲観したりといったこともないはずだと筆者は考える。


 ただ、一部のマニアがこの『仮面ライダークウガ』の一応のハード路線を持ち上げるあまり、オチャラケ路線・マイルド路線を全否定しかねないかの風潮になりはしないかとの危惧の念はいだく。
 まぁそのへんは我々のようなスレたマニアが言葉を尽くし精神を尽くして多層的重層的に語ってフォローしていけばよいのだろうが(笑)。


 高寺Pもコミカル路線の『カーレンジャー』や王道路線の『星獣戦隊ギンガマン』(98年)も作ってみせたヒトだから、そのへんは判っていてあえて営業としてプロデューサー口(くち)としてあのように、シリアス志向を語り、作ってみせてもいるのだろうし(!?)。


 余談だが、高寺P唱える「等身大の正義」。
 それへの反発は、一部特撮マニアの、自己より他に尽くすことを潔(いさぎよ)しとする自己犠牲タイプの個性・美意識に理由があるようだ。
 どちらにも(等身大の正義にも、滅私奉公の天下国家に邁進する正義にも)理があって同時に欠点もあるのだし、両者を立体的に位置づけるなら個人的にはこー思うというネタもあるのだが、誌面の都合でコレも別の機会に!(笑)


 (後日付記:弊ブログ上にはまだUPしてなかったと思いますが、同人媒体ではいくつかの拙文で語ったかと記憶しております。09年3月末UP予定の、ロボアニメ『鉄(くろがね)のラインバレル』(08年)評などでも何度目かの言及を少ししてますので、ご奇特な方はUPの折にはご一読をどうかよろしく(汗)。
 『鉄のラインバレル』 〜正義が大好きキャラ総登場ロボアニメ・最終回!・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20090322/p1)。



 それでやっとこさ、作品評へ(……詐欺っぽい羊頭狗肉の文章でスミマセン)。


 仕上がりについては、とりたてて可もなく不可もなし。
 本作の狙いならこーなるであろうという展開で破綻もないと思う
 個人的にはズバ抜けて面白いとは云わないが、つまらなくはないし、むしろ楽しんでいる。


 (本当は、今から思えばまだまだウブであった特撮マニアのハードでシリアスなリアル志向が、東映ヒーローものや『仮面ライダー』をめぐるマニア言説・批評において最高潮に達していた『仮面ライダーBLACK(ブラック)』(87年)の時期にこそ、こーいう『クウガ』のような内容・展開が望まれていたとも思うのだが)。


 ただ、個人的な好みを云えば、あの作風のままでも、変身シーンとか、変身直後にジャンプして空中一回転で着地して何手かのポーズをキメるとか、敵怪人とのバトルとか、トドメの必殺ワザ・ライダーキックとかも本編のように助走してそのままキックではなく、技名は叫ばなくてもイイけど高空にジャンプして空中前転してから放つようなタメとか、従来作品のようにしろとまでは云わないが、適度に微量な様式美というか、華(ハナ)やキメや見得きりがあってもイイのではなかろうか?
 児童や幼児へのアピールとしては足りない気がするし、なにより活劇としてのカタルシス(快感)には欠けるよなぁ。


 さらに個人的要望を。


 この作風・世界観を活かしつつも先輩ライダーが活躍できる余地がある世界・ドラマにできないものだろうか?(笑) 親子2世代で楽しめるヒーロー作品とはそのようなものだと思うのだが(真剣)。


 むろん途中から路線変更、「変質と解体」((C)70年代日本SF・笑)して、埼玉県寄居のアリゾナ州(笑)で爆発バンバンになっても筆者個人はオッケーだが、一般マニア的にはノーグッドだろうし、筆者も個人的好みはともかく、そーいう作品を完成度が高いものだとはお世辞にも思わない。


 現実的には(?)、そーいう先輩共演をさせるなら、あの作風の中でデリケートに巧妙な方法で『クウガ』の世界観に齟齬を来さないようにハメこんでいくのがベターだろう。……先輩ライダー共演、毎年年末恒例になりつつあるVシネマでは番外編的にやりそうな気はするけれど(笑)。


 でもTV本編で観たいよなぁ、先輩ライダーの共演編。役者陣も年齢的にタイムリミットが近いしラストチャンスなのだけど……。
 #13や#26で再生怪人軍団が登場! 前者では先輩ライダーが2〜3人! 後者では5〜6人!
 最終回ではモチ、「戦え! 全ライダー」!(笑・(C)『仮面ライダーBLACK RX』(88年)#44)


 再生怪人軍団に苦戦するクウガに敢然と助っ人参戦する先輩ライダー!
 そこに再生怪人軍団をあやつる悪の仮面ライダーたるシャドームーンがなぜか復活!(笑)
 押されるライダーたちのピンチを挽回すべく現れたのはブラックサンことライダーRX! しかし復活したシャドームーンは手強い。変身ベルトにダメージを受けRXからその前身のBLACKに戻りつ(!)戦いながらも、太陽の神秘の力で回復したRXはシャドームーンをかろうじて倒す!
 しかし闇の力でシャドームーンは突如巨大化!(笑) どうするライダーたち! そこにライダーJが駆けつける……。巨大化変身せよ、ライダーJ!
 映画やビデオ1本のみのライダーZO(ゼットオー)や真ライダー(ライダーシン)のその後の去就も劇中にて語られる……。


 平山Pライダー・初期ライダーファンに偏ることなくおもねることなく、全ライダーたち平等に愛情をそそぐ! 『ライダー』シリーズを通じて拡大しきった世界観も否定することなく許容・統合・活用してみせる!
 こーいうドラマ性もテーマ性も全然ないんだけど(大笑)、オイシイ見せ場の連続だけでも話は作れる! というような作品を筆者は観たかったのだけれどもなぁ(笑)。


1クール〜2クール前半感触

 先輩ライダーは絶対に活躍の余地がない世界観になってしまいました。それはそれでもちろんイイです(笑)。
 でも番組自体を否定はしないけど、この作風のワクの中でもうまくいっていないような気が(汗)。個人的には、観ていてお話的にはとても淡々としていてタイクツで苦痛だなぁ(スキなヒト、ゴメン)。


 あっ、でもレギュラーたち(主人公・ハンサム刑事・一応のヒロイン)はスキなんですが。ただ、子供が観ていて面白い話だとはとても思えない。


 ……のだが、オモチャは売れているとのことで、一応は好評と見てイイだろう。
 ただ、巷(ちまた)では視聴率10%を突破したと騒いでいるけどこのワクはココ10年、常に時折り10%を突破してたワクなんですけれど(笑)。
 さらに云えば、ホントは視聴率15%台に達していて、子供番組としては諸刃の剣であっても高いドラマ性を達成していた90年代初頭のレスキューポリスシリーズこそがもっと話題になるべきであって……。
 でも『仮面ライダー』の看板を背負っていると話題になってしまう原理は、前述のリクツの通り(笑)と、マスコミ業界を『仮面ライダー』世代=70年代前半の変身ブーム世代が牛耳りはじめたからだろう。


 子供番組の受容度・人気度の大小のちがいというものは、単独作品として観た場合の出来のいろいろな意味での総合的な優劣がもちろん第一番の理由としてある。
 が、そのワクの#1の前の前番組や最終回後の後番組、30分前の番組や30分後の番組、同時代の他の人気子供番組との相対的な差異という、単独作品としてのスタッフの努力を超越した要素も二次的にはカンケイしてくるように思う。


 いわゆるシリアスでリアル志向の作品は、マニア的にはともかく子供層には一般的にジャンル史においてはウケていない。『メタルダー』『ブルースワット』然り。
 ただし例外はある。本作『クウガ』と、レスキューポリスシリーズだ。


 コレらの作品の例外的な人気の理由(マニア人気のことでなく)などは本当にナゾで、筆者には実は合理的な説明・分析ができなかったりするのだが。
 ハードでシリアスでリアルに良品を作ったから、子供やパパママ層に多少は受け入れられたのだ! というカビ生えコケむしたような意見は、まぁ一理はあるとは思うけど、それだけの理由ですべてが説明できたとも思えない。


 そこでさらに加えるべき理由の仮説としては、
 1.「偶然性」(って「偶然」とか云い出したらナンでもアリで、仮説ですらナイけれど・汗)と、
 2.「時代の空気とのタイミング」――子供にとっての目新しさ。ホントに真のイミで新しいのかはともかく。『燃えろ!!ロボコン』(99年)などのホームコメディロボット路線が3年つづいたあとでの、単独ヒーローものとしての『クウガ』がまさにそれだ!――
 の2つに理由があるように思える。


 ――余談だが、そのワクの前後番組との相対的な差異によって与えられる印象によって発生する、その作品自体の内在的な理由には由来しない人気・不人気度への影響は、『クウガ』とは逆方向たるコミカル路線作品でも時折り見られる。
 『カーレンジャー』の子供層での不人気・オモチャ売上の不振がそれだ。
 本作は前々作『忍者戦隊カクレンジャー』(94年)と方向性は若干ちがうもオフザケ度合いでは大差ない。
 だのに人気が低迷したのは、まあまあシリアスな前作『超力(ちょうりき)戦隊オーレンジャー』(95年)とのあまりの相対的落差に、『カーレン』が子供層には目新しかったかもしれないが、その戦隊ヒーローたちの高齢マニアには絶賛されたズッコケぶりが、過剰に情けなくカッコ悪く見えたのだろうと筆者は後付けではあるも分析しているのだけれども。
 逆に云えば、『カクレンジャー』の直後に『カーレンジャー』が放映されていれば、もしかして子供にも抵抗がなく受容されたのではないか? と思うのだ――。



 『クウガ』の作風は、事件に対する状況自体は「リアル」に描こうとするものだ。
 が、キャラクター自体のリアクションは「リアル」というより「ムーディー」なものである
 (それが本作の成功点なのだが、スレてないマニアには分化した認識ができないために、単に「リアル」という認識になるのだろう・笑)。


 ただ、コレはコレでイイのだが、本作のメイン脚本家たる荒川稔久(あらかわ・なるひさ)氏の持ち味は、ムーディーにサラサラと流していくものではなく、もっと一話完結時代のTBS日曜夜9時の「東芝日曜劇場」(1956・昭和31年〜1993年)みたく(笑)、ネチっこく緻密に短編の浪花節(なにわぶし)人情ドラマを描きこむ作風にあったと思う
 (その極北がシリーズ構成を務めた毎回主人公が異なるオムニバス・アンソロジー形式の深夜の美少女アニメ『センチメンタルジャーニー』(98年))。


 そのイミで、氏の持味は活かされていない。
 かつての同ワク、レスキューポリスシリーズにはじまり、90年代前半の東映メタルヒーローの作劇に跡を残した刑事もの&市井(しせい)の湿った人情ドラマ路線に戻すというか留めておいた方が、現在の『クウガ』のリアルシミュレーション路線よりも大衆ウケとして無難ではなかったか?
 とも思うのだが、それはそれでまた従来の東映作品と徹底的に大きくは差別化できないのも事実だ。東映どころかジャンル作品全般中で、今までになかった作風といえば、現行の『仮面ライダークウガ』の「リアル」の皮をかぶったムーディーな作風しかもうナイというのも厳然たる事実ではある
 (TVアニメなどでも、方向性を単純に『クウガ』と同一視する気はないが、西部劇・マカロニウエスタンや海外ハードボイルドもののように、ムード重視・キャラ重視作品のTVアニメの秀作『カウボーイビバップ』(98年)の中ヒットなどもあったことだし)。


 それらの複雑玄妙な状況も、プロである荒川センセや高寺Pらは当然自覚して作劇していることだろう。となってくると、それらを覆していく代案の提示は筆者にもできない。
 だったらもうとりあえず、この『クウガ』の路線でがんばるしかないともいえる(笑)。


2クール後半 感触

 首にマフラー巻いた往年の仮面ライダー1号みたいなバイク野郎の敵の登場(正体はやはり敵怪人か?)、敵組織(種族)変貌への興味、クウガのパワーアップ、クウガVS怪人の活劇性向上と、個人的には見やすくかつ楽しくなってきた。
 ここに来て期待している(我ながら単純・笑)。


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2001年準備号』(00年8月13日発行)〜『仮面特攻隊2001年号』(00年12月30日発行)所収『仮面ライダークウガ』前半合評⑨より抜粋)


2009年後日付記:

 一応の「リアル」志向の作品への賛美を、『クウガ』に対しては随分と躊躇して、むしろ批判的であるのに対して、『クウガ』以降の「平成ライダー」シリーズ作品の批評・感想では、その観点からの批判を筆者はまったくしなくなっていたりする
 (というようなところに気付く奇特な読者がいるかどうかはともかく・汗)。


 その理由を聞かれもしないのに、ここで答えると。


 単に一応のカッコ付きの「リアル」志向(……ということは真の意味ではやはり「リアル」ではナイという意味)の「平成ライダー」シリーズが商業的にも大ヒットして、コレはあまり指摘されてないけれども、「平成ゴジラ」や「平成ガメラ」や「平成ウルトラ」などよりも、マニア層というより子供やママ層・女性層やアニメファンやサブカル層にも波及するようなかたちで良くも悪くも巧妙に作られていて(前者にはAパートBパートでの怪人バトルやにぎやかなオモチャ群や変身仮面キャラの大量投入、後者にはイケメン役者や現代性豊かな批評的アプローチも可能な内容)、しかも加えて大流通していったから……というのがその理由だ
 (まぁ作品内容としては、これらの要素が両立して……というより分裂したまま並存して流通したという感じだけれども・笑)。


 であれば、商業的にも子供層を、視聴習慣があるワクだからという副次的理由もふくめて(笑)、一応は現実にゲットできているのだから、この内容では子供にウケるハズがない! という理由で批判するのはナンセンスそのもの!(一応、ウケてるっての!)
 なので、その観点からの批判はする必要がなくなったまでのこと。


 でも、『ウルトラマンネクサス』(04年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060308/p1)とか映画『ULTRAMAN(ウルトラマン)』(04年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060305/p1)とか、商業的にも子供ウケ的にも失敗している作品については、『クウガ』以前からの筆者の論法で批判するのに躊躇・容赦はしないのだが(笑)。


 『クウガ』以降の「平成ライダー」路線の白倉伸一郎Pや井上敏樹脚本の、シニカルで自己中で闘争的な人間観や、終盤でのラフなストーリー構成に対する賛否は、「リアル」云々のお話とはまたちがったフェーズ・次元での議論となり、語るに足ることではあるが、分けて語るべきことだろう。


追伸
 ……しかし、『クウガ』の10%前後の視聴率はまだまだ低いと文中でのたまってるけど、今2009年のTV界の基準でいうなら、むしろ高い方だよなあ(汗)。

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