『仮面ライダークウガ』前半・総括 ~怪獣から怪人の時代来るか再び
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[タイタンフォームVS.メ・ギイガ・ギ戦]を10倍楽しむ方法 “FURIOUS”「熾烈!」
〜「EPISODE10 熾烈」 戦闘シーンBGM真相分析〜
(文・伏屋千晶)
(2001年7月執筆)
特撮雑誌「宇宙船イヤーブック2001」(01年3月発行・朝日ソノラマ)に掲載されている編集部の古怒田健志(こぬた・けんじ)氏による『仮面ライダークウガ「解析」』の文中に、「EPISODE 10 熾烈(しれつ)」に於ける[仮面ライダークウガ・タイタンフォーム VS グロンギ怪人メ・ギイガ・ギ戦]のBGMには、元来、同番組のオープニング・テーマ(主題歌)である「仮面ライダークウガ!」(ASIN:B000058A8K・ASIN:B00005HLM1)が使用される予定だったが、東映の高寺成紀(たかてら・しげのり)プロデューサーの
“そんな当たり前のこと(戦闘場面のBGMとして主題歌を使用する)はしない”
という鶴の一声でボツとなった、との記載がある。
慢性的なスケジュール遅延に悩まされていた『仮面ライダークウガ』(00年)だけに、音楽は差し替えられても、編集をやり直すのは恐らく物理的に不可能であったろう、と考えた私は、試しに問題のシーンをビデオで再生しながらタイミングを合わせて主題歌CDをかけてみた。
――予想通り、映像と主題歌は見事にシンクロした!
“上空に向かって矢を射るだけ”だった「EPISODE 8 射手」と並んで〈怠慢な殺陣(たて)〉という印象が個人的には強かった“歩み寄って剣で1回刺すだけ”のシーンが、〈画〉と〈音〉の立体的な相乗効果によって〈ハイ・テンションなヤマ場〉へと見事に変貌を遂げた。
その素晴らしさを譬(たと)えるならば、『ウルトラマンティガ』(96年)28話「うたかたの…」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19961204/p1)に於けるティガ対怪獣ジョバリェ戦[BGM「TAKE ME HIGHER(主題歌テイク・ミー・ハイアー)」インスト(演奏のみ)]、或いは『劇場版 美少女戦士セーラームーンR』(93年)のラストのクライマックス[BGM「Moon Revenge(劇場版主題歌ムーン・リベンジ)」]に匹敵するほどスゴイのだ(マジで!)。
曲のスタートのタイミングは〈変身ポーズを完了した五代雄介(ごだい・ゆうすけ)を、ギイガの火球が直撃〜爆発・炎上!〉の瞬間。
TVサイズのイントロの冒頭部分が〈ベルト、胸、肩、頭部の局部アップの短いカット・バック〉に被るようにタイミングを合わせる。
(CDのイントロ冒頭にはノイズみたいなシンセの短い音が収録されているので、タイミングがちょっと難しい)
金田治アクション監督直伝の[ボデイ各部の局部的なアップのサブリミナル的カット・ワーク]による〈ヒーローの見得(みえ)〉の定番カットが、主題歌のイントロをバックにしたことで一層際立ち、これ以前に登場した各フォーム(白、赤、青、緑)の初登場シーンが極めて淡白に処理されていたのに比べ、非常に凝ったカメラワーク&編集が為(な)されている事実に、改めて気づかされる。
初期エピソードの高視聴率によりスタンドプレーが露骨になり始めた[高寺イズム]に対する、スタッフ・サイドのアンチテーゼの発露か?
――続いて、イントロの印象的な
“ジャーン!”
の箇所で、クウガの〈フル・フィギュア(全身像)〉から〈頭部のアップ〉へカメラがドリー・インするショットに切り替わる。
“♪からっぽの星 時代をゼロから始めよう”――
〈戦場のクウガ〉から〈わかば保育園のみのり〉へと場面転換して、
“♪伝説は塗りかえるもの”
が〈駆け寄ってくる幼児達〉のショットに被るのは意味深長だ。歪んだ世相の中で大人が破滅したとしても、無垢なる者には逃れるチャンスがある。希望の余地が残っているのだ。
“♪今、アクセルを解き放て!”――
TRCS(白バイ・トライチェイサー)からトライアクセラー(ハンドルの右グリップ)を引き抜き、構えるクウガ。歌詞とのシンクロがバッチリ!
そして、トライアクセラーから変型した長剣タイタンソードを携えて、クウガは難敵・ギイガに向かって悠然と歩き出す。
“♪愛の前に立つ限り〜恐れるものは何もない”――
ギイガの火球攻撃に対して〈捨て身〉の態勢で臨んだクウガは、直撃を受けても怯むことなく前進を続ける。
放映された[BGM改竄(かいざん)版]では、中途半端なBGMの所為(せい)で、この〈捨て身の前進〉が、ただフツーに歩いているようにしか見えなかったが、ボルテージの高い主題歌とのマッチングにより、装甲に優れたタイタンフォームの硬質な魅力がバリバリに全開する!
また、ギイガの放つ火球弾のタイミングが、
“♪No Fear No Pain”
のフレーズに対応している芸の細かさも見逃せない。
その後、1コーラスの終りまで、再び〈保育園のカット〉へ――
〈戦闘シーン〉の合間に、別の場所で同時に進行している〈日常的なシーン〉を挟む『クウガ』独特のカッティング手法。
[BGM改竄版]では、〈戦闘中のクウガ〉と〈保育園のみのり〉とが同等のボリュームでカッティングされている演出意図がイマイチ不明瞭で、違和感を禁じ得ない。
〈ヒーローの戦い〉と〈保母の仕事〉を同レベルの事象として認識しろったって、そりゃ無理っスよ、荒川稔久(脚本)サン。
しかし、BGMを本来の主題歌に戻してみると、相反していた両シーンが案外すんなりと繋がった。
怪獣ジョバリェのサバ折りで窮地に陥ったティガことダイゴ隊員が、GUTSメンバー[この世にたった7人の共に戦う同胞]のイメージのフラッシュ・バックにより再び奮起したように(なんと、ティガの顔が紅潮する!/実際は、体内の熱エネルギーを放出しようとしていた所為だが)、クウガこと五代雄介もまた、この世にたった1人の肉親である妹のイメージにより云々(うんぬん)……というのは、ちと牽強附会か?
いずれにせよ、サビのメロディの高揚感のお陰で、泰然自若(たいぜんじじゃく)とした動作とクールな配色が醸すタイタンフォームの静的な外貌とは裏腹に、〈妹への想い〉を溢れさせて雄介の内面はメラメラと燃えている、というニュアンスが生じてイイ感じ。
間奏部は、対峙するクウガとギイガのロング・ショット。真横から捉らえたアングルにより〈前進するクウガ〉が強調される。
続く2コーラスの冒頭で〈クウガ頭部の正面アップ〉から同サイズの〈みのりの顔のアップ〉へディゾルヴ。更に、再び〈みのり〉から〈クウガ〉へ――
ウーン、なんかスゴイ。(説明不能)
“♪強さの証明”
で、タイタンソードのナメ。
“♪壊す者と護る者”
で、〈壊す者〉ギイガと〈護る者〉クウガの一瞬のカッティング――歌詞と動作とのシンクロもここまで徹底していると、もう脱帽するしかない。
そして、クウガはギイガの眼前で歩を止め、ボディの急所にタイタンソードを突き立てる! ――
[BGM改竄版]では、ソードで突いてからギイガが爆発するまでの〈間〉が、ひどく間延びしているように感じられたものだが、本来のBGMである主題歌を被(かぶ)せてみて、初めてこの〈間〉の長さの効果が理解できた。要するに〈タメ〉ってヤツだ。(ところで、「カラミティタイタン」っていう必殺技の名称、ご存じでした?)
コーダ部に当たる2コーラス後の間奏部で、ギイガを倒して〈上空を仰ぐクウガ〉のアオリから〈空〉へ――
アングルといい、シチュエーションといい、まるで、ジョバリェを木っ端微塵に吹っ飛ばした直後のティガそのものだ!
そして、〈空〉から〈保育園〉へ。ハイスピード撮影(=スローモーション再生)されたみのりと幼児達の笑顔、笑顔、笑顔……
〈ENDマーク〉――
音楽は、そのままフェードアウトするか、若(も)しくは、ダイレクトにコーダ(楽曲の終結)に繋ぐかのどちらかであろうが、いずれにしても、音楽が盛り上がったままで終わることによって、ラストシーンの余韻が絶大のものとなった。
ハァ〜、満足々々。
こうしてBGMを本来のカタチに戻してみた結果、渡辺勝也氏(監督)と長田直樹氏(編集)の腐心と苦労の跡がよーく見えてきた。綿密に主題歌CDのランニング・タイムをチェックした上で、更に緻密な編集作業の末に生まれた労作であるのは一目瞭然だ。
いかにポリシーに反するとは言え、これほど効果的に映像とマッチしている主題歌をわざわざ他のBGMに差し替えさせて、計算し尽くされた編集作業の成果を台無しにした高寺成紀P(プロデューサー)の無神経さを、私は理解できない。
――とりあえず、皆さんも一度お試しになってみては?
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http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20001111/p1
(#10収録)
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