假面特攻隊の一寸先は闇!読みにくいブログ(笑)

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あふがにすタン 〜近年オタク系シャカイ派書籍状況

(文・T.SATO)
あふがにすタン』(著者・ちまきing/三才ブックスISBN:4861990092
 『電波男』(本田透・05年)などのオタク系怪著の出版で、今ノリにノってる三才ブックスの新刊!(……いや、『電波男』自体は怪著ではなく快著ですョ・笑)
 本書は、いわゆる美少女アニメのSD(スーパーデフォルメ)調の萌え絵で、政治・経済・国際情勢を絵解きしようという、昨今小ブームな類いの一冊。
 経済学者の森永卓司センセはじめ、各種マスコミによって、オタク族限定だったハズの「萌え」というタームは、世間に大進出。インターネットのおかげで、オタクの流行と一般世間の敷居はホントウに低くなったものだ……。
 昨04年にはついに、野村総研横浜銀行シンクタンク(研究所)が、オタク文化とオタク族の巨大な経済効果を発表。次いで、『萌え株』本なども小流行。
 そのこと自体は大局的には、我々オタク族の少しでもの地位上昇にとってイイことだとは思う。とはいえ、もちろん何事も一長一短、善悪はあざなえる縄のごとし。
 だから細部で問題やカン違いが生じるのは、筆者も百も承知だが、ラーメンは屋台にかぎる、狭いながらも楽しい我が家、外部にとやかく云われたくない、のミミっちいシミったれたマイナー症に陥っちゃうマニアにもイヤ〜ンな感じだナ。清濁併せ呑もうゼ!
 まぁオタク第1世代の上限はもう40代後半にも達したし、出版業界やシンクタンクに入るような輩は、オタクの近縁・オタク的気質のあるヤツらだから、驚くにはあたらない。
 彼らのポジションから、四半世紀にわたるM君事件やらのバッシングなどへのもろもろのルサンチマン(怨念)をウラに隠して、オタク族をバックアップ、地位向上を図ろうといったところだろう。
 そのイミでは彼らの善意を疑わない。が、ヘソまがりな筆者は、オタクが弾圧されすぎてもこまるが、あまりに地位が向上して、満ち足りて弛緩(しかん)してしまうのも心配だ。
 宮台真司センセやオタキング岡田斗司夫大塚英志センセも云う通り、ルサンチマンや鬱屈があるからこそ、ヒトは表現欲求や創作欲求をいだくようになるのも道理。次代のクリエイターの卵を増やすため、背筋をのばすため、適度な抑圧もあった方がイイ。でなければ、オタク族は外部を見ない消費者ばかりになってしまう。徳川家康のように、生かさず殺さず。それが筆者の理想だ。若い世代もちったぁ苦労しろい(笑)。弾圧が行き過ぎたなら擁護をし、増長したらば水を掛ける。その都度、針が両極に振れるのが真のイミでのバランス感覚。ドッチかに振り切って膠着している、アタマの硬いマニアにだけはなりたくないものだ。
 ただ、シンクタンクの分析は、(確信犯だろうが)経済効果などのプラス面にしか言及していないのはドーなのか? オタク族の非婚率や年収・役職・職種などの社会的地位・人格性向までをも分析したならば……。我々の正体がバレて、またまた世間から蔑視されそうなので(汗)、現時点では筆者も口をつぐんで、さらにオタク族の地位が向上し、自己肥大ヤロウが増加した暁に、そのことをはじめて語ることとしよう(笑)。



 さて本題。本書の内容は、かのアフガニスタン。『ランボー3 怒りのアフガン』(88年)もとい、9・11テロの首謀者ことビンラディンをかばったためにアメリカの空爆を受けた記憶も間近いワリには、直後のイラク戦争で、相対的に印象がウスれたアフガンがお題目。
 アフガンとその周辺国家自体(パキスタンウズベキスタンタジキスタンなど)を、性格誇張の美少女アニメの萌え絵によってキャラクター化をしてみせる!(イイのか?)
 あふがにすタンは、ドジでトロくて伏し目がちなイジメられっコだけど、健気な頑張り屋サンの報われなやなサン(ドテっとコケたり)。「あふ…」が口癖で、我々オタク族大多数のカ弱いオンナのコ大好き願望(逆にいえば成熟した女性と付き合えない・笑)の萌えツボを刺激。
 南のぱきすタンは、ヘソ曲がりの寂しがりや。屈折した愛情であふがにすタンにちょっかいを出すもイジメ化し、そのことに自己嫌悪してしまう女のコ。メリケン寄り。
 北のうずべきすタンは、吊り眼の天然キツい系少女で、ソ連(ロシア)寄り。
 とまあ、キャラクタライズされた国家群が、4コマ漫画+解説でまったり活躍。
 個人的にはもっとナメていたのだが、読みやすくてほどほどに面白い(とはいえ4コマ漫画マニアではないので、そっち方面での出来の良し悪しはわからない)。作品自体も事象を安直に判った気になるのではなく、扱う対象の4コマ漫画のワクからハミ出す巨大さと複雑さに対する畏怖と限界をウラに意識する誠意が感じられるし、意外と好印象。 
 オタクの分際で天下国家を語るとは小賢しい、てな意見には一理も二理もあるのだが、とはいえこーいうものもあってもイイだろう。そも本書がスキ間流通はしても、ベストセラーになったり、オタクの中でシャカイ派くんが多数を占めたワケでもないのだし、コレをもって昨今のオタク族一般の傾向を論じる輩らも軽率だ(そんなヤツもいないかな?)。
 本書を読んでさらに専門書を読むヤツも少数だろうがゼロではなかろうし、あらゆる入門書がそんなものなのだから(もちろん筆者も心の片隅でアフガンに少し思い入れが生じて、その民に幸あれかしと祈るくらいだ)、それをもって本書の欠点とすることもないだろう。
 また本書を今年05年の『マンガ嫌韓流』(山野車輪晋遊舎)や『マンガ中国入門』(ジョージ秋山飛鳥新社)などの流れに位置づけてみてもイイだろう(『嫌韓』『中国』と発行は同時期(05年7月)だけど)。もちろん00年代の『萌え単』や、90年前半にはじまる『ゴーマニズム宣言』、80年代初頭にはじまる海外輸入翻訳の左翼系思想家の図解もの(そんなものもムカシあったんすョ)の系譜にも位置づけられるにちがいない。
 とはいえ、このテの過半はやはり絵解きものであり、左右の思想の是非は別に、『ゴー宣』のように事象から帰納して高みに立って鳥瞰し、作者独自のある種のビジョンや視野・地平、史観などの思想性あるモノサシを提起しえているものはほとんどないのもまた事実。
 ただ、だからといって、オール・オア・ナッシングに白黒つけて裁断する見方にも組みしない。富士山もあればピクニックで登る小山もあってイイ。皆が皆(筆者も含めて)、天才になれて独創性を発揮できるワケでもない。それらの入門書の類いが裾野を広げ、次代の天才に素材を与えるのならばそれもまたよきかな、と。そんなことを本書を読んで思うのだ。
 細部については、日本を擬人化した神社の巫女さん姿のひのもとちゃんの、健気なあたふた流されぶりもポイント高い。積極的悪意はないけれど、あとが怖いから大勢に従う消極的悪(?)の姿を、安直に肯定はしないけど、筆者も含めて子供時代から、内心はどうあれ、学級共同体のムラ世間な空気に順応してきた大多数の日本人は嗤えない。
 欲を云えば、ベトナム戦争と相似形である、79年のアフガンへのソ連の軍事侵攻(ベトナムでの共産革命ならぬアフガンでの民草によるイスラム革命を阻止するため) & 同年の中国によるベトナム侵攻に対して、ベトナムに対するアメリカには抗議・反戦運動を嬉々として展開しえても、陣営内では平和主義勢力とされてきた(笑)ソ連や中国の蛮行には、口をつぐんだ日本の左翼の偽善と欺瞞についても、カルく言及してほしかったところだが……。
 本書に思想性がナイと云い切ってしまうのもフェアではないので補足しよう。
 キレイごと平和主義ヒューマニズムな結論に安易に帰着したなら、個人的には本書にケーベツのまなざしを向けたことだろう。しかし「国家に真の友人はいない」(日常用語に翻訳すれば互いの利害は異なる。思想用語で云えば互いが他者。オタク的に云うなら劇場版『エヴァンゲリオン』完結編(97年)の生命のスープ的に自他一体化することを否定する)との政治学的正論を押さえた上で、完全には判りあえないまま(全く判りあえないということもなく)、妥協・均衡点を求めてとりあえずの絶対的ならぬ相対的な平和に漸近する……という趣旨の著者の結末(評者の大幅な意訳・超訳ですか?・笑)には、小生も強く同意したい。
 ……と、これくらいクドく書いておけば、本書に何が書かれていたか、評者が何を云いたいのかを、歳若い読者でも判ってくれますかネ?(汗)

(了)


(初出・オールジャンル同人誌『DEATH−VOLT Vol.32』(05年10月23日発行))


付記:本書の著者のWinny流出事件を知らないのかって? ……知ってるよ。だからこそ、持ち上げてみたくなる(笑)。キズのない人間を持ち上げて、自分も安全圏に置いたからって、何が面白い?


付記2:サブカル論壇の90年代新保守派(便宜的呼称)の連中の間でも、昨今のネットウヨやぷちウヨと自身を差別化・切断して、上位に立とうとするような傾向が一部にあるようだ。それは正しいともいえるが、彼らと完全切断してしまうような態度には疑問を感じる。生まれる時代がちがえば、読書経験なりが乏しければ、交友関係が異なり切磋琢磨に欠けていたなら、自身もまた同じポジションにいたかもしれない……という類推はしなかったのだろうか? 少数派だとしても、人生の思想形成途上の通過点として、その場にいる若い衆もいるだろう。そう考えれば、90年代新保守陣営にとっての、良質なお客さん・読者の卵もいなくはないだろう。もちろんマトモに正面から語りかける必要はないが(笑)、横目で彼ら(の一部)を意識した語り口を混ぜてみるのも、ひとつのテではなかろうか?