『仮面ライダーディケイド』#16〜17「カブトの世界」編・評
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(文・伏屋千晶)
白倉ライダー血風録
* GO FOR BROKE!
私が最も信頼するゴールデン・トリオ = [白倉伸一郎(プロデュース) + 井上敏樹(脚本) + 田崎竜太(監督)] の結束が崩れてから、はや2年――
それからというものは、新しい「劇場版仮面ライダー」が封切られても、映画館まで足を運ぶ気が起こらなくなり、ディレクターズカット版DVDがリリースされるのを待って、レンタルで済ませている始末。
ですが、今年06年の『仮面ライダーカブト』(06)は、久しぶりに“真性”の白倉ライダーだし、かの岡元次郎氏が劇場版オリジナルの新ライダー=〔仮面ライダーコーカサス〕を演じると聴いて、俄然(がぜん) 食指が動き出し、ついつい『劇場版 仮面ライダーカブト GOD SPEED LOVE (ゴッド・スピード・ラブ)』(06・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060820/p1)の上映館へ出向いてしまいました。
で、その結果は……
うぉ〜、つまんねー! なにしろ、“歴代ライダー中で最強(!!)”と大々的に喧伝されていた仮面ライダーコーカサス=岡元次郎の出番はめっちゃ少なかったし、それほど強くもなかった!
第一、脚本の練り込みが不十分で、人間関係がよく分からん! 新ライダー3人各々(おのおの)のキャラクターも全然立っておらず、端役のTV版より引き続き登場する仮面ライダーザビー=矢車想(やぐるま・そう) の方がカッコよく見えちゃうのは、どういうこっちゃい!
おまけに、時間を巻き戻して全部チャラにしちゃうなんて、『仮面ライダー龍騎』(02)最終話(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20021108/p1)と同じオチやんか! クライマックスの舞台となる“天空の梯子”のセットの造型もチープで映像的にスカスカだったし、これじゃ、まったく詐欺だ! 入場料返せー、バカヤロー!
“児童向け娯楽活劇”のフォーマットを心の底ではバカにして見下している石田秀範監督の作品なんか、カネ払って観に行くべきじゃなかった!
噫(ああ) 《白倉マジック》 もすっかり錆び付いたのぉ! ――後悔さきに立たず。
(尚、“GOD SPEED LOVE”を翻訳すると、「恋愛成就祈願」。3単語の文字の中に“GOSPEL”=「福音」のスペルが隠れているのに気づきました?)
* ドラゴンライダーの系譜
米村正二(脚本) + 石田秀範(監督) の手による劇場版の出来が散々だった(敢えて詳細を語る気にもなりません)ので、TVシリーズの行く末も悲観していたのですが、どっこいマイ・フェイバリット・トリオ = 〔白倉 + 井上 + 田崎〕 が顔を揃えれば、やはり、一味違う。
[田崎竜太]監督は、昨05年度下半期は『小さき勇者たち〜ガメラ〜』(06・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060714/p1)の撮影&ポスプロ作業に専念していた為に、『仮面ライダーカブト』の企画立ち上げにはタッチできなかったものの、『ガメラ』スタッフの年末年始休暇の合間をぬって『カブト』のタイトルバック(OP(オープニング))を演出した後、『ガメラ』が完成した06年3月から本格的に復帰。
爾後(じご)、トンボモチーフの仮面ライダードレイク登場篇(#11〜12・ASIN:B000FVGPR6)、クワガタモチーフの仮面ライダーガタック登場篇(#21〜22・ASIN:B000I2JF0Q)、バッタモチーフの仮面ライダーダブルホッパー登場篇(#33〜34・ASIN:B000LC3QQW)と、新しいライダーたちの性格&位置付けを決定する重要なエピソードを担当し、演出ローテーションの主軸の座に返り咲いています。
とりわけ、脚本の井上敏樹氏と組んだ一連の〔仮面ライダードレイク=風間大介〕篇のエピソードは、シリーズのメイン・ストリームからは少し外れた“番外篇”的な扱いゆえに基本設定の“縛り”も少なくて、中途参加の田崎監督もノビノビと撮っている様子が窺えます。
但し、それだけに、意図不明の実験的な演出、フザケたCG画像、過剰に凝り過ぎているカメラワーク、奇を衒(てら)ったカット割りなどが、少なからず鼻に付くこともありますが、恐らくは、白倉P(プロデューサー)が「他流試合(=『ガメラ』)を経た田崎監督がどれだけ腕を上げたか」を見極めようと、同監督の自由にさせているのかも知れません――勿論(もちろん)、来年07年度新番組の〔メイン監督〕のポストを委ねるために?
因み(ちなみ)に、ドレイク=“drake”は“dragon”(ドラゴン)の古語表記に当たるそうで、勿論、モチーフとなった「トンボ」の“dragonfly”(ドラゴンフライ) に因んだネーミングなのでしょうが、[田崎“竜”太]監督が担当するキャラクターという含みもあったのではないでしょうか??
そういえば、『仮面ライダーアギト』(01・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20080106/p1)と『龍騎』は、共に“龍”(竜)をモチーフにした仮面ライダーが主人公でした――今考えてみると意味シンです。(明確な説明が為されなかったアギトと仮面ライダーエクシードギルスの胸部中央の水晶体には“竜の逆鱗(げきりん)”という裏設定があったらしい)
残念ながら、『仮面ライダー555(ファイズ)』(03・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20080120/p1)のスーツや武具・ファイズギアは、敵怪人オルフェノクの王=アークオルフェノク(イナゴ)の姿に似せて作られたモノなので、竜をモチーフとしていませんが、敵組織ラッキー・クローバーの“北崎”(=き田崎?)が“ドラゴン(竜)オルフェノク”だったのは、ハナシが出来過ぎていて、明白な作為を感じます。
〈ドラゴンライダー〉への妙な拘り(こだわり)――それは、白倉ライダー99の謎(?)の一ツであります。(……バンダイ側の意向ですよ、てのは置いといて下さい)
* 無二の相棒
井上 + 田崎 コンビによるドレイク篇は、06年11月末現在(本稿執筆時点)で8話分[#11、12、17、18、27、28、39、40]が放映されていますが、ドレイク=風間大介は、他のライダーたちほど主人公〔カブト=天道(日下部)総司〕や他のレギュラーメンバーとの因縁が深くないので、シリーズから独立したドレイクを主人公とする「連作」と見做すこともできます。
と云うのも、風間大介と少女ゴンとの遣り取り(やりとり)だけでドラマが成立しており、その“ふたりぼっちの世界”に他の登場人物が踏み込むことができないからです。
語彙(ごい)の少ない大介を少女ゴンが言葉を補ってフォローする、という井上脚本定番の反復パターンにより描出される両者の〈補完関係〉は「2人合わせて一人前」即ち(すなわち)「一心同体」の深い“絆”を的確に表現しています。
つまり、ありふれた〈ヤサ男〉型キャラクターの類型に属する風間大介が、〈小姑(こじゅうとめ)〉キャラのゴンとコンビを組むことによって、ひと味違ったテイストに再生されているのです。
脚本家・井上敏樹氏の人物造形テクニックは、相変わらず達者ですね。(劇場版の風間大介の印象が薄いのは、疑いもなくゴンが居なかったからです。石田監督は「風間大介のキャラ設定は、意図的にTVシリーズとは変えた」と仰ってますが、ホントに困ったカントクです)
同じく、常套的な〈お坊っちゃま〉型に属する 〔仮面ライダーサソード(サソリモチーフ) = 神代剣(かみしろ・つるぎ)〕 もまた、〔じいや〕という貴重なパートナー(サポーター?)の存在のお陰で、“ワン・パターン”の謗り(そしり) を免れています。
しかし、〈ボケ〉と〈ツッコミ〉の漫才コンビみたく、お互いに相手の存在を必要不可欠とする間柄だけに、もしも〈相方〉を失ったら、残された〈もう一方〉のアイデンティティもまた崩壊してしまう恐れがあります。
それゆえ、記憶を取り戻して母親の許(もと)に帰ったゴンは(風間大介というキャラを生かすために)もう一度戻って来なければならかったのだし、じいやの出番が削られた後の神代剣のキャラはどんどんブッ壊れてゆくのです。
* 偽・兄弟ライダーの憂欝
井上脚本の定番 = 〈ふたりぼっち〉の関係 ――時として排他的なまでに強固な結束に至る――を“学習”し、その極意を会得した(?) 米村正二氏が熟考の末に案出したのが 〔仮面ライダーキックホッパー〕 & 〔仮面ライダーパンチホッパー〕 = 通称、ダブルホッパーです。
敢えて新キャラを登場させるのではなく、井上敏樹キャラである風間大介&神代剣に比べて、いまひとつキャラが立っていなかった〔仮面ライダーザビー〕(スズメバチモチーフ)の資格者2人を、思いきってイメージ・チェンジ! ――お陰で、出世争いのライバルで、極めて険悪な関係にあった矢車想と影山瞬が、なんと「義兄弟」(偽兄弟?)になっちゃいました。
この大胆なイメチェン策(ほとんど別人!)の成否については、現段階では未だ明確な判断を下せませんが、ZECT(ゼクト) の中枢から外されたエリート矢車想(=キックホッパー)の〈いじけた落ちこぼれ〉への転落ぶりはあまりにも極端に過ぎて、著しく説得力に欠けているのは確かです。
(なりふりかまわぬキャラクターシフト変更の強引さの裏に、〔人物造形〕の点で井上氏に劣る米村氏の切実な“焦り”が垣間見える……というのは、些か(いささか)意地悪なモノの見方でしょうか?)
矢車想の急激な変節は、「面白ければ、なんでもアリ」のスローガンを掲げる白倉イズムの積極的な支持者であるこの私でも“いくらなんでも……”と呆れたくらいですから、演出を担当した田崎監督が、矢車の衣装から髪形まで全てを刷新して、まったく別のキャラクターに仕立てざるを得なかったのも、やむを得ないところですね。
田崎監督の優れている点は、そういったエキセントリックな設定をも逆手にとって、プラスの要素に変換してしまうところです。恐らく、米村氏の脚本では、ダブルホッパーは“マジで格好いいアウトロー”として描写されていたと思われますが、同監督は、独自の解釈で、過去に登場した〔ネガティブ・ライダー〕の総決算的なパロディーとして具現化したのです。まさに英断でした。
僻みっぽくて上昇志向が強くて陰険な影山瞬(=パンチホッパー)などは、そのタイプの演技(=嫌な嫌な嫌な奴)を生得のモノとする[山崎潤]氏〔『アギト』で北條透役/『ファイズ』で琢磨逸郎(=センチビードオルフェノク)役〕に演じて貰いたかったと思うのは、私だけではあるまい?
* 風来坊ライダー遊侠一匹
〔仮面ライダードレイク〕・風間大介と少女ゴンとのロマンティックな関係も、下世話で現代的な解釈をすると〔女の子を連れ歩くニート〕になっちゃうそうで、殊に、小児性愛系のオタク層からのウケがイイらしい……あ〜あ、嫌ンなっちゃうなぁ!
〔子連れの風来坊〕って、実は、往年のチャンバラ映画のヒーローの“鉄板(てっぱん)”パターンなんだよー!
鞍馬天狗(くらまてんぐ)と杉作、丹下左膳(たんげさぜん)とチョビ安、拝一刀(おがみいっとう(『子連れ狼』)) と大五郎――って、聴いたことありません?
要するに、(いかに悪党とはいえ)人間を何人も斬り殺す時代劇ヒーローのヒューマニティ(人間性)をアピールする方便として、〈子供を慈しむ父性愛〉が頻繁に活用された訳です。
言わずもがな、『仮面ライダー』(71)を代表とする〔東映変身ヒーロー活劇〕のドラマツルギーは、昭和30年代に隆盛を極めた〔東映娯楽時代劇〕のフォーマットに準拠しています。
その東映時代劇の中に昭和前期の大衆文学の大家・長谷川伸(はせがわ・しん)原作の『沓掛時次郎 遊侠一匹(くつかけときじろう ゆうきょういっぴき)』〔監督=加藤泰(かとう・たい)/主演=中村(萬屋)錦之助(よろずや・きんのすけ)/66年・ASIN:B000EMH5P2〕なる1本があります。
詳細な経緯は失念しましたが、主人公=時次郎は、喧嘩で殺してしまった相手の息子を連れて旅をしており、父親の仇という異常な関係を越えて、少年は時次郎と心を通い合わせます。
しかし、生来荒っぽい気性の時次郎は、相変わらず、喧嘩があれば平気で相手を斬り殺してしまいます。その都度、少年は“人殺しは止めて!”と時次郎に泣いて訴えますが……
で、その後、いろいろと紆余曲折がありまして、ラストの喧嘩の場面での時次郎は、悪人どもの前に自分の刀を投げ捨て、「命はひとつきり、大事にしな!」とズバッと啖呵(たんか) を切って、少年と共に去ってゆきます。いよッ、カッコいい!
この物語では、子供は時次郎の〈良心〉として機能し、子供と共生することで、時次郎は〈人間的成長〉を遂げています。此(こ)の、お互いに補完しあう時次郎(=ヒーロー) と子供の間柄は、風間大介とゴンのそれと酷似しています。
――以上を、「井上敏樹氏の作劇術は、その根本に於いて、アナクロな時代劇の古典を踏襲している」という事実の証左として、私は提示したく存じます。
“喧嘩には滅法(めっぽう)強いが、掌を返したように女子供には優しい風来坊”――ウーン、こうして考えてみると、今風に“フェミニスト”なんて呼ばれるけれど、風間大介のキャラって、股旅(またたび)映画に出てくる渡世人ヒーローそのものやねぇ。
ま、一歩間違えたら“女蕩し(おんなたらし)”になりかねないけど……(ゴンがいるから、大丈夫?)
いつでも、どんな時でも、女子供や年寄りを泣かせちゃならねえ――それが、侠(オトコ) のアイデンティティーだ!
* 殺し合う恋人たち
ゴンが居なければドラマが成立しない風間大介だけに、ゴンとの「別れ」〔#17〜18・ASIN:B000HKDDX4〕と「再会」〔#27〜28・ASIN:B000J3FG4S〕を以て(もって)〔ドレイク篇〕は既に終了したような雰囲気もあったのですが、シリーズが最終決戦に突入する直前に“入魂の番外篇”を挿入する癖がある井上敏樹氏の筆により、今年06年もまた#39〜#40(ASIN:B000M5KBG6)に於いて「ドレイク・最終章」と称すべき、秀逸な名篇が生まれました。
(最終回に向けて物語の収拾段階に入る第4クールでは、メイン・プロットに関係のない番外エピソードは作り難くなりますが、あらゆる要素が熟したこの時期にこそ、井上脚本の傑作が生まれる傾向があります。代表例は『龍騎』インペラー編(#41〜44)、『仮面ライダー響鬼(ヒビキ) 』(05・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20080203/p1)シュキ編(#36〜37)など)
#39〜#40で描かれた 〔仮面ライダードレイク=風間大介 × ウカワーム(敵怪人)=間宮麗奈(まみや・れな)〕 のストーリーは、井上脚本作品としては『光(ひかり)戦隊マスクマン』(87)#34「愛と殺意のブルース」、『地球戦隊ファイブマン』(90)#39「愛を下さい」、『超光戦士シャンゼリオン』(96)#6「ごめんね、ジロウ」(ASIN:B0001W8HXY・ASIN:B00008NB3W)の系統に属する《殺し合う恋人たち》の物語で、いずれも「怪物化した恋人的な存在の異性と戦い、殺す」という、闘争に呑(の)み込まれた男女の悲劇をメイン・プロットとします。
基本的に〈アンチテーゼ篇〉を専門とする井上氏としては、“正義全能主義”を声高に唱えるヒーロー番組製作者たちに対して「正義の為ならば、ヒーローは恋人も殺すのか?」という痛烈な皮肉と批判の念を込めて書いたのでしょうが、一般的には〈ダークな恋愛ドラマ〉という側面が大いにウケて、メインライターを務めた『鳥人戦隊ジェットマン』(91・ASIN:B000803CG6)は“戦うトレンディードラマ”などと評されて話題になりました。
恋人や友達、愛する者が怪物化して……云々というパターンのプロットは、ずっと昔から結構存在していたのですが、井上脚本の特徴は、怪物が「最も親しい者」の手によって殺される、という一点に尽きます(エグい!)。
さすがに、井上氏がスーパー戦隊シリーズに初参加した『超新星フラッシュマン』(86)で2本目となる#27「ダイ友情のパンチ」では、獣戦士に改造されたリュウ(グリーンフラッシュ=ダイの親友)を殺さずに最後には元の姿に戻してハッピーエンドで締め括っていますが、その次に脚本を担当した#38「ジンが死ぬ日?!」では、レッドフラッシュ=ジンが、メス(敵)に操られた仲間のフラッシュマン4人に殺されかけています。
何故に、それほどまでに〈恋人〉や〈友達〉同士が殺し合うシチュエーションに執着するのか?
更に、同話のラストでは、ジンが「俺は憎む! 仲間に俺を殺させようとした奴等を憎む!(大意)」と、敵に対する“憎悪の念”をハッキリと明言して、「罪を憎んで人を憎まず」の精神に基づく、旧来のヒーロー番組の常識を一気に覆してしまいました。
曰(いわ)く、許すな、生かすな、殺しましょう――と。
「加賀美! 友情を言い訳にして、俺を頼るな!」
「天道、漸く(ようやく)わかったよ……。俺とお前はトモダチじゃない」
「そうだ、“友達”じゃない。今度、ウチに遊びに来い。とびきり旨(うま)い物を食わせてやる」
――時として、〈憎しみ〉を思いきりぶつけ合うことも人間には必要なことであるらしい……。井上敏樹とは実に“逆説的”な感性を持ってしまったヒトだったんですね。
* 神よ、私は新しい歌を
『カブト』#40が、一連の《殺し合う恋人たち》系統の作品の中でも抜きん出ている理由は、やはり、田崎監督の演出手腕にあります。
対峙する間宮麗奈と風間大介の間に割って入った矢車想が、麗奈=ウカワームの右手のハサミの一撃で吹っ飛ばされるカットも傑作でしたが、なんてったって本エピソードの白眉は、間宮麗奈がステージに立って、ドボルザークの交響曲第9番「新世界より」(ASIN:B000STC5JW・ASIN:B0006B9YUK・アマゾン・ドット・コムにて視聴可)を高唱するシーンです。
麗奈の歌声は、無気味とさえ思えるほど深い静寂な感じをたたえ、ある神秘的なものの出現を予感するように響き渡ります。果たせるかな、その美声に浄化されたのか、ワーム(敵怪人)になった後も“間宮麗奈”は歌い続けます。
秘める心もつならば 穣(みの)る心あたえよう
そっと、そっと 少しずつ
明日の花を 咲かせよう
場面は屋外に移り、大介と麗奈は「対決」の時を迎えました。何故、お前は歌い続けた? 途中でワームになった筈なのに――と詰問する大介に、顔を背ける麗奈。
戦意を喪失している大介に、ウカワームは“戦え!”と迫ります。
ここで注目すべき点は、ウカワームが、抵抗しない大介をなんとか変身させようとして、駆け寄って来たゴンを襲おうとするところです。ゴンを傷つけようとすれば、大介は変身して助けようとするだろう――ウカワームの素振りには、明らかに“大介に殺されたい”というニュアンスが感じらます。
しかし、よく考えてみれば、過去作品で“怪物化”したヒロインたちと違って、間宮麗奈は“ワーム”の方が実体なのです。ウカワームの方が、擬態した人間(=麗奈)の記憶に肉体を乗っ取られようとしているのです。だから、状況は一層複雑なのです。
麗奈の記憶と感情に同化して、ウカワームは大介に対して親愛の情を抱いてしまった。だが、それはワームにとっては、最も忌むべき、お悍(おぞ)ましいことだったので、ウカワームは動揺した――という解釈で、いいのかな?
まあ、とにかく、ウカワームの内面はグチャグチャになっていた訳ですが(プロトカルチャー?)、相対する風間大介は“美女ならばワームでも構わない”ってヤツですから、結構、チグハグだったり? そもそも、ウカワームが本来、雄(オス)なのか、雌(メス)なのかが分からへんのやからして、ホンマに洒落にならん話ですワ。
* KILL IS LOVE
時は待たず過ぎてゆく 悲しい時も止まらずに
過ぎゆく日々刻(きざ)むなら 笑いあえる喜びを
護(まも)り賜(たま)え此(こ)の世界 永久に続く幸せを
しあわせを――
美しい歌声・音楽をBGMにして激しい戦闘アクションを展開する所謂(いわゆる)“音楽と映像の対位法”と呼ばれる手法は、それほど珍しいものではありません。
また、その場面にヒロインの顔のアップをオーバーラップさせるという程度の画像処理は、凡庸な演出家でも思い付く範疇のものでしょう。
しかし、常套的な手段であるにも関わらず、間宮麗奈のバストショットをオーバーラップさせた ドレイク × ウカワーム の対決の場面の映像は、観る者の心を揺さぶる!
エッジをグラデーション処理して切り抜いた麗奈の映像素材を、画面の“センター”ではなく“下手寄り”に配して合成した映像センスが冴えています。
無論、間宮麗奈を演ずる〔三輪ひとみ〕氏の美貌も素晴らしい。風間大介に“何故、歌い続けた!”と詰め寄られた麗奈が答えに窮する場面での、三輪氏の眉間の皺(しわ)のクローズアップ(!!)には、戦慄するほどにシビレました。
ホント、あんなに美しい“眉間の皺”は今まで見たことありませんよぉ――そして、その表情を“額から鼻まで”のクローズアップ・ショットで押さえた田崎監督、アンタは本当に逸材や! 三輪ひとみ氏の顔の造作の長所をよく心得ていらっしゃる。感心致しました。
死にたい殺したいはきっと同義語だし、それは愛情と同質のものだ。根っこは同じなんじゃないか。発露の仕方が違うだけのような気がするんだよ。
最後まで歌いきった間宮麗奈の歓喜の表情が、いっさいの恩讐を越えて、生物としての業を浄化するかのように輝かしく映し出され、荘厳で力強い結尾をなして物語は幕を閉じました。文句なしの傑作です。
『假面特攻隊2007年号』「仮面ライダーカブト」関係記事の縮小コピー収録一覧
・読売新聞 2006年7月24日(月) TV欄読者投稿「放送塔」「今までなかった温かみ」 〜おばあちゃんの教えに温かみ・31歳パート女性
・サンケイスポーツ 2006年6月20日(火) ヒーロー婚 タイムレンジャー・タイムピンク 仮面ライダーアギト・ギルス 1・17入籍 ただいま妊娠8ヶ月 ♥もうすぐパパとママにヘ〜ンシン♥ 〜友井雄亮(ともい・ゆうすけ)(26)と勝村美香(26)、映画『パセリ』(05)の主演(恋人役)で共演、撮影後に交際を深めて結婚。
(後日付記:残念ながら、08年6月に離婚したそうです・汗)
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