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西遊記♯7「幽霊の国」 〜本家中国84年TV版も!


「西遊記」全話評! 〜全記事見出し一覧


(映画『西遊記』公開記念!〜短期集中連載!)
(文・田中雪麻呂)

#7『幽霊の国/〔幽霊の国 熟女になった悟空!?〕』

(脚本)坂元裕二(演出)加藤裕将


 「オイ妖怪! 人間の命は妖怪のよりもずうっとずうっと短けえ。だけどな、おめぇなんかよりもずうっとずうっと大切なことを知ってるよ。
 ……命の価値は長さじゃねえッ! いつか〔さよなら〕を言うときに、遺された者たちのために泣けるかどうかだ。涙が魂を洗うンだよッ!
 たとえ百年生きようと千年生きようと、心を知らねえ魂はどろッどろッに腐ってンだよッ! おめぇのような悪いヤツは、たとえ神様仏様が許したってこのオレ様が許さねえ!
 さァ答えろ! 天国に行きてえか、地獄に行きてえか!」


 気味の悪い荒寺で一夜を過ごすことになったキャラバンの前に、瀕死の凛凛を抱きかかえた女の幽霊が現れる。
 幽霊の正体はこの国、福永国(ふくえいこく)の王妃・連歌(れんか/手塚理美)であった。彼女は3ヶ月前に妖怪に殺され、そのまま井戸に封印されていたのだという。
 凛凛は偶然その封印の御札を剥がしてしまったために妖怪の呪いがかかったのだ。豪快で自己チューの連歌に辟易としつつも、彼女の飾らぬ人柄にキャラバンは次第に心惹かれてゆく。


 事の子細を宮廷に報告に赴く三蔵らだが、当の妖怪(手塚・2役)が連歌に化けて万端を仕切っており、国王・大福(だいふく/酒井敏也)も王子・中福(ちゅうふく/金本裕太)、小福(しょうふく/佐野剛基)たちも、以前の口煩くて身なりも構わなかった連歌よりも、現在の優しくてセクシーな王妃の方が良いと、全く取り合わない。
 さほど時を置かず、国王らも妖怪の呪いで瀕死の状態に。三弟子の働きで国王らの奪還には成功するも、彼らの病状は更に悪くなる。


 老子曰く、凛凛と国王らを救うには黄泉の国(よみのくに=使者の魂が行くという国)に行き、彼女らの(呪いによって)汚れた魂を綺麗に洗うしかないという。しかし、その国には死んだ者しか訪れることができないのだ。
 悟空は凛凛の命を救いたい一心で、敢えて悟浄の一撃を受けて絶命し(!)、連歌と共に黄泉の国に赴き、凛凛らの魂をそこに湧き出る泉の水でピカピカに磨きあげる。その帰途、悟空は三蔵らに化けた黄泉の国の魔物に誑(たぶら)かされそうになるが、これを精神力で跳ね返し、悟空自身も見事に現世に復活を遂げる。


 すっかり回復した大福らに、連歌は悟空の身体を借りて別れを告げる。改心し、落涙する家族の前で、連歌の魂は朝日に照らされながら昇天する。
 怒り心頭のキャラバンは、妖怪の本体(星野晶子)と対決する。次々に他人に憑依(ひょうい)し、その者の能力を私(わたくし)する妖怪の魔力の前に、三弟子の間に疑心暗鬼が生じて仲間割れが起こるも、三蔵の適切な指示で形勢逆転。妖怪は天上界に連行される。



 衝撃の問題作(笑)である。
 師父が弟子に「死ね」と命じ、兄弟子が弟弟子を撲殺する。じ……地獄だ(笑)。いかに危急の事態であるにせよ、メインキャラ全員が“悟空が死ぬこと”を肯定するのは倫理的にダメだろう、と思う。
 更にダメなのは皆の防波堤になるべき三蔵法師が、自らイニシアティブをとって悟空に死ねと命じていることである。しかも黄泉の国の理(ことわり=筋道、道理、特別な約束ごと)であるという、「黄泉の国の帰途に、後ろを振り向きさえしなければ、生きて帰ってこられる」という何の根拠もないことを盲信して、である。


 この生還劇は原作(37〜40話)にあるように、仙人から(甦りのための)薬を貰(もら)ってという流れではマズかったのだろうか? やはり、スポンサーの製薬会社を気遣ったのだろうか?
 黄泉の国のビジュアルは、漆黒の闇の中に歩道に沿う形で、延々と無数の火の点いた蝋燭(ろうそく)が連なっているという簡素なもの。工事現場か(笑)。


 ドラマのラストでは「妖怪であるオレたちは死んだら何処に行くんだろう?」と少々感傷的な疑問を抱く悟空が可笑しい。最終回でも天竺の高僧たちに反旗を翻すことで、三弟子は地獄行きを覚悟している。
 過去のシリーズでも悟空(堺正章)は地獄の支配者・冥府大公(めいふたいこう/牧よし子)や無間地獄を牛耳る幽鬼将軍と雌雄を決している。


 しかし原作では地獄の長官の閻魔大王(えんまだいおう)は悟空の格下に描かれ、時にはパシリをさせられることも(笑)。そういう点、中国・中央電子台が'84年('86年との説もあり)に製作(日本では'89年の深夜枠に東京ローカルで放送された)し、89.4%の驚異的視聴率を稼いだTVドラマ『西遊記』(asin:B000JR0OWI)では悟空と閻魔の力関係を正しく描いている。
 この、中央電子台のドラマシリーズ(続編も作られた)は、実に原作に忠実に作られていることで有名で、男児の姿の妖怪・聖嬰大王(せいえいだいおう)を悟空が谷底に放って投げ殺そうとしたり、術比べに負けて斬首されたワル妖怪の生首を犬が銜(くわ)える等の残酷シーンも何の躊躇(ためら)いもなく映像化している。原作に、素裸の赤子の姿をした果物が出る話があるので、本当に赤ん坊を吊るすのかなと思い見てみたら、それは流石(さすが)に人形でした(笑)。


 余談が長くなったが、『西遊記』原作における、徹底的に釈迦如来ら仏の掌中の中で一定数の苦難有りきに旅をする三蔵主従は、あくまでゲームの駒(こま)としか見えない。もし従者が悟空でなければ、三蔵は百回生まれ変わり、千回天竺を目指しても得度(とくど)は得られなかったであろう。何せ、錚々(そうそう)たる神仏が“試練”の名のもとに自分のペットだ何だを妖怪化させて、次々に一行の訪れる地に送り込むのである。
 唯一痛快な点を挙げれば、あらゆる天上人とタメ語で軽口を叩ける斉天大聖が、清らかだが無力な玄奘の露払い役を嬉々として務めている点であろう。


 日本のTVドラマの『西遊記』シリーズはそういう、“釈迦如来の思し召し”という感覚を敢えて半ば排除したことによって、主観を三蔵主従側に引き戻し、デキレース的な興醒めの要素を完全に廃絶することに成功した。
 悟空らが説話の手駒から、娯楽作品のヒーローとなった瞬間である。


 尚、一癖ある老婆役などがおハコの星野晶子が演じた本話の妖怪には名前がついておらず、TV雑誌などは便宜的に“名無しの妖怪”と呼称していた。


【その他のゲスト】
菅原卓磨・須永祥之(老子の配下) 二橋進



(了)
(特撮同人誌『仮面特攻隊2008年号』(07年12月30日発行予定)『西遊記』2006年版・全話評より抜粋)


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