(映画『西遊記』公開記念!〜短期集中連載!)
(文・田中雪麻呂)
♯9『花の国/〔最強妖怪の罠〕』
「混世魔王! みんな誰かの大切なひとなんだッ! 誰にだってそのひとを大切に思う誰かがいるんだ。
なのにどうして奪うッ! おめえはオレの大切なひとの大切なひとを奪ったッ!
許さねえッ! たとえ神様仏様が許そうと、このオレ様が許さねえッ!
……さァ答えろ、天国に行きてえか、地獄に行きてえか!」
旅の徒然(つれづれ)に、各々の母親談義に花を咲かせる三蔵主従。身寄りの全く無い悟空は内心寂しくてたまらない。
そんな時、キャラバンは花が咲き誇る洞窟に到達するが、彼らを迎えた村人・典直(田窪一世)とその娘・翠香(菅野莉央)は悟空を行方知れずだったこの家の息子と決めつけ、大喜び。
典直の妻・翠玲(すいれい/いしだあゆみ)は体内に“美人花(びじんか)”を宿す奇病に冒されていた。その花は人間の栄養分を吸って成長し、最後にはそのひとを死に至らしめるもので、その病を治すにはこの近くの断崖絶壁に生える薬草・ホロホロ草を煎じて飲むしかないという。
三蔵の体内で種が芽吹く。美人花の種は人間の“怒り”によって根を張るのだ。自分の中に(他者を憎むような)邪な心が有ったことを恥じる三蔵は、苦しみ悶えながらも悟空八戒にその至らなさを詫びる。「怒っていいんだよお師匠さん。怒ったり泣いたりするのが心じゃねえか。」。落胆する師父を必死で励ます悟空。悟空は敵わぬのを覚悟で一人、5万の大軍隊との決戦の地に赴く。
しかし、軍隊は既にそこになく、指揮官の混世魔王がただ一人ぽつねんと悟空を待っていた。ある方の指示で軍隊は急遽引き上げさせられたのだと、魔王は悔しげに吐き捨てる。
斉天大聖孫悟空と大妖怪混世魔王との1対1の世紀の戦いの火蓋が切って落とされる。両者一歩も退かず、40合もの鍔(つば)迫りあいの末、相討ちに近い形で悟空が辛くも勝利を掴む。
薬草が処方され、元気になる三蔵と翠玲。「もし悟空がお母さんのことを思いたいときは、私のことを思って頂戴。」と微笑む翠玲に、目も合わせられない程にはにかむ、純な悟空であった。
ここにきて、ハッキリ“人間VS妖怪”の構図があらわれてきたストーリー展開である。人間と妖怪で憎しみ合ったり、逆に♯3、7のように妖怪が人間になりたいと憧れたりと、その関係性も様々である。
しかし、原作ではそういう対立や憧れの様式というのは殆ど見られない。我々が大空を飛ぶ鳥を見ても、ただの景色としてしか思えないように、人間からは妖怪は畏怖の念を含んだ状況のひとつであり、妖怪からの人間は食餌あるいは愛玩品、もしくは路傍の石でしかない。
'78年版の同名ドラマの♯13「恋地獄なめくじ妖怪(脚本/ジェームス三木)」において、三蔵(夏目雅子)が不用意に妖怪を蔑(さげす)む発言をし、悟空(堺正章)がそれを聞き咎めるというシーンが、恐らく初のその趣の対立になるかと思われる。
そういう異民族感覚での“在り方”は、日本の西遊記ドラマ独特の持ち味であるといえよう。
本話は、松重豊扮する混世魔王の格好良さに尽きる。
悪の権化のイメージの具象化のようなキャラで、終始台詞に感情を入れず、歌舞伎の演術のように瞬(まばた)きすらしない。邪悪な黒龍のごとき甲冑(戦闘時には額の部分の甲冑の一部が顔を覆うかたちで可動し、プロテクターの役割を果たすのだ!)を纏い、黒い長大の金剛棒を得物にしている。また、魔王の出現シーンは無数のカナブン(?)が集結してその像を結ぶという凝った演出などで、徹底して人間らしさを排除する試みがなされている。実写の悪役キャラとしては昨今の白眉であろう。
しかし、物語として捉えた場合、この一編はヒドいものではあるが(笑)。
戯曲の中で、複数のプロット(ストーリーを更に具象化したもので、シナリオの基礎となるもの)で進んでいくものをシナリオ用語でダブル・プロットという。本話においては、[悟空の母への慕情]と[自身の忌まわしき過去と決別する悟浄]の二つがそれに当たるが、これらが全く噛み合っていないのに驚く(笑)。
ドラマの冒頭に布石があったり、そのテーマの象徴的なゲストとして大物女優・いしだあゆみが起用されているのを見ても、前者のテーマがメインなのだとは思が、内村深津両氏の熱演や悟空と魔王とのラスタチ(クライマックスでの殺陣)の見事さで、番組視聴後には後者のシーンしか頭に残っていない。脚本的には明らかな失敗作であろう。
また、矛盾の多い物語展開も目立つ。
自信たっぷりでイケイケであり、無敵の軍隊も所有する魔王が、全く無力な村人一家を使ってキャラバンを誘い出す、という策略はナンセンスを越えてシュールですら(笑)ある。それに、その策略とはカンケー無く、キャラバンはその軍隊とバッティングしかかってるし……(笑)。
それは、そうしないと特別ゲストのいしだとキャラバンとの接点が図れないから、ということは解るが、それを何とか設(しつら)えるのがプロの脚本家の役目だろう。
また、話の核となっていた「自分の道具として使うために翠玲に美人花の種を飲ませる魔王」や「断崖絶壁からホロホロ草を採る悟空」などのシーンが丸々端折られていたことの不備。
こういった端折りは♯1で、岩牢に閉じ込められた悟空が三蔵法師の来訪を既に知り得ており、三蔵も悟空が石から生まれた“石猿”であると熟知していた点、また♯3、7において、これといった物語も無いままに悟空が人間に憧れていることが既成事実のようになっていた点、全話に渡って八戒の“天蓬元帥”のような無意味な三弟子の号(ごう=文筆家、武芸者などが本名の他に持つ名前)が乱発された点などを初め、無数にあって不親切である。
そして悟空でも手に余っていた大妖怪の混世魔王を(過去の悟空との戦いにも苦戦を強いられた)天上界が果たして真っ当に裁けるのかという疑問。現に、捕縛の責任者である老子は大軍隊を見てビビり、魔王を見てはまたビビっている(笑)。
しかし鈴木吉弘プロデューサーによると「老子は天上界の人なので、本気を出せば実は悟空より強いんです。移動手段も、筋斗雲に頼っている悟空に比べ、老子は容易にワープ(瞬間移動)できますから。{週刊ザテレビジョン'062/24号より}」と語っており、ややこしい(笑)。
因(ちなみ)に同誌で鈴木Pは、[何故キャラバンは悟空の筋斗雲で一気に天竺に行かないの?]という不届きな(笑)質問に「香取くんの悟空が乗る筋斗雲は、スノーボードの形で一人乗りなんです。スノボに二人乗り以上はできませんからね(笑)。」という、ホントに実の無い即物的な回答を(笑)している。意地悪な質問に、屁理屈で返しているカンジで、今のおこちゃまには逆にこの方がいいのかもしれないが(笑)。
【その他のゲスト】
大地真央(羅刹女) 菅原卓磨・須永祥之(老子の配下) 平良千春 細井允貴