『夜は短し歩けよ乙女』『夜明け告げるルーのうた』 ~鬼才・湯浅政明カントクのイマ半と大傑作!
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『鉄人28号 白昼の残月』
(2007年3月31日・新宿武蔵野館封切)
(2007年 制作 ジェンコ・ガンジス、製作 キングレコード)
2007年9月30日にCSアニマックスで放映。
2年程前にやっていたアニメーション(04年)の続編、というか別次元のお話。
2007年3月の映画館での公開が単館かつ上映期間が短かったので、見逃してしまったため、このテレビ放映が初見である。
ストーリーは、南方の小島より復員してきた金田正太郎君の義理の兄・金田正太郎(同姓同名)の話と、昭和の初めに正太郎たちの父親・金田博士が開発した新型爆弾「廃墟弾」をめぐるエピソード。
では恒例。思いつくまま箇条書き。
・テレビアニメ版との世界観相違 その1
テレビアニメ版では、大塚署長の秘書だった高見沢さんが、戦後のはぐれもの集団・村雨一家の一員として登場。極初期型ショタコンとして、より蓮っ葉(はすっぱ。~古い日本映画マニアの妻に言わせると「アプレゲール」=日本にかぎらず第1次・2次世界大戦後の欧米の戦後無頼派・無軌道派)になっていた。
・テレビアニメ版との世界観相違 その2
テレビアニメ版では、作品冒頭で鉄人に対し三輪トラックで特攻して死んじゃった村雨一家の長男・竜作兄さん。この世界ではご存命。声はお馴染み、若本規夫だ。同じ特攻崩れで正太郎(兄)と気があっていた。宴会のシーンでは『お富さん』までご披露し、ついでに若本規夫節全開。
今回のお兄さん、悪漢・白昼の残月にピストルで撃たれて、おまけに操縦していた飛行機(宣伝ビラまき用の機体かな。東雲の飛行場から飛び立ったか)が墜落しても生き残っていました。
・建物 その2
墨田川沿い、蔵前橋の袂にあった同愛記念病院まで出てきた。
・建物 その3
あまりにでかい「廃墟弾」の地下要塞。東京中の地下に「廃墟弾」のネストと「巨大鉄人28号」が埋まっている。あれじゃ秋庭俊(戦前の帝都の地下本の著者)のネタだ。
・言葉の使い間違い?
セリフの中、「再開発」と言う言葉が出てきた。この時代は「復興」でしょう。
お話の展開としては、無秩序にぶちまけられたジグソーパズルのピースがとっ散らかっている状態と言う感じ。なおかつ、つなぎ合わせてみたら、全体像があまりに巨大すぎて何ともなあという感じである。しかしまあ、ラストは感動的だ。
「つまり『戦後に生まれるはずの正太郎が戦前に生きていたら』というのが今回のお話のキーワード。そう考えると、戦友だった正太郎(兄)と村雨竜作のうち、混乱した戦後の世界を生き得るのは、清濁併せ呑める村雨竜作であり、正太郎は生き得ない。
元々スカスカな横山光輝の原作(56)なんだから、再作成・リメイクはどんな創り方をしてもいいはず。こんなサイドストーリーもいい。
少年期の生活の中に戦争の面影があった戦後世代の監督やプロデューサーにとって父・祖父の生きた時代は何だったのかと問いかけがあったと思う。自分が父・祖父の年代になった時、なぜ父たちが「ご飯を残すな。」と言ったのかという疑問を考えた結果がこの作品である。
戦争を観念的なものではなく、戦争により深く傷ついた具体的な対象、両親たちを見た結果である。「私はホームドラマとしてみた。」と妻。
半分寝ぼけながら見ているときの妻の意見が一番鋭くて正鵠を突いている。
今川泰宏監督の次回作に期待しよう。
劇場版「鉄人28号 白昼の残月」オリジナルサウンドトラック
『河童のクゥと夏休み』
(2007年7月28日・松竹系封切)
名作アニメ映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲』(01)と同『嵐を呼ぶ アッパレ! 戦国大合戦』(02)の原恵一監督作品。
感じたことを思いつく限り。
・なぎらの声は、みごとな江戸言葉
クゥの父さんの声のなぎら健壱。さすが銀座生まれの葛飾柴又育ち。江戸時代の庶民の言葉をタイムマシンに乗ってきた人のようにそのまま違和感なく喋っている。この優しい父さんの声が、クゥのその後に起こるさまざまな苦難を救っている。彼の声で語られるべき、しかし、クゥの心の中でだけに存在し、絶対に語られないその言葉は、彼・なぎら健壱の声だからよいのだ。
・オッサンは「任侠」の人
上原家で飼われている犬・オッサン。
義理堅く我慢強く、思いやりがあり、友の危機には身を挺して助けるという「おとこぎ」のある犬である。
この役、ひょっとすると七十年代仁侠映画の高倉健よりかっこ良いかもしれない。
・ディスコミュニケーションツール・携帯電話のデジタルカメラ
クゥとオッサンがテレビ局から逃げるとき、東京の一般市民が彼らに向けたものは、携帯電話のデジタルカメラだった。
「異なるもの」を「写真機」という間接的なツールでコネクトする手法は、ここ数年で完成したもの。ここでも、十二分に生かされていた(それゆえ、私はあの機械を「失礼・無礼千万なもの」と感じ、使っていない)。
・家族
そう。兄から見る妹は、このように「わがままで言うことを聞かない困った奴」と言う存在である。今までのアニメーションの中で、ここまで「妹」をきちんと描いた作品はあったかな。
『クレヨンしんちゃん』(原作漫画90〜・TVアニメ92〜)の五年後のようなこの家族。「兄弟の葛藤」はあっちにはまだないもんね。
・マスコミ
妻は友人たちに暑中見舞いを送るのを趣味としている。
「『クゥ』は面白いよ」と書いたら、返信に見てくれて感想を書いてくれた方がいた(Kさん、ありがとうございます)。「現代に河童をペットとした場合のシミュレーション(大意)」という視点には「目から鱗」であった。
実際に河童を飼っている家があったら、絶対にあのようにマスコミは飛びつくはずである。
あの他人が興味を持つだろうと思うものに対し、集中豪雨的に食らいつき、すべてを食い尽くす雲霞のごときあの集団をみごとに絵にしていた。
・観客
映画館の中で、小学五年くらいの女の子が二人座っていた。話題の映画を映画館で見るとき、製作者側が対象としている年代の人をつい見てしまうことがある。この場合はこの子たち。映画が始まってから、ずっとぼーぼーと泣きっぱなしであった。
そう、上原さんちの周辺の子供たちはみな彼らと同年代であるため、思い入れできる理由は分る。それに、クゥの姿はある意味、彼らの未来の姿でもあるから、つまり、これから人生を送って行く中でさまざまな困難にぶつかる自分自身をクゥの中に見出し、そこに自分の人生を写しこんでいたからではないかと推定した。
とにかく絶対に見て損のない映画。DVDでも出たら見てみて。
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『ミヨリの森』
(2007年08月25日 20時 フジテレビ系)
妻が「面白そう」というのでチャンネルをチューン。
ストーリーは、両親の離婚で父親の故郷で暮らすことになった少女・ミヨリのお話。
10年前にも一度、森の中で行方不明になった彼女には、森の精霊たちとある約束をしており、彼らの森をダムにする計画を中止するように画策する、というようなところか。
「原作は、マンガ。」とそのマンガ(03年・ISBN:4253104665)を立ち読みした妻。
うーん、決して悪くはない。……悪くはないけれども、感じたことを少々記述。
・田舎が「田舎」過ぎないか。
さすがに近代化した今の日本。どんな田舎に行っても、「ミヨリ」の世界で描かれたように百年以上前の古民家ばかりがあそこまでたくさん立ち並ぶ場所はない。飛騨高山あたりの合掌造りの村をモデルにしているのだろうけど、あれは積極的に保存している場所である。この描き方はちょっとやり過ぎ。リアリティがなくなってしまう。
それに小学校の同級生も、ランニングシャツにズック靴で丸坊主という「昭和三十年代」標準のスタイル。あそこまで時代錯誤な男の子はどんなに山奥や離島に行ってもいないよ。もう少し現実感がないと、ファンタジーにはならない。
・背景とキャラクターがチグハグ
画面に描かれている山村の自然の風景が大変にリアルである。
これはこれで良いのだが、出てくる森の精霊たちが妙にアッサリとマンガチックに作られており、チグハグな印象を受ける。
そうだなあ。『ターンAガンダム』(99・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19990808/p1)の背景に『サザエさん』(原作漫画46・TVアニメ69)のキャラクターが歩く感じかな。
「原作の絵の雰囲気には近いのだけど」と妻。しかし、『千と千尋の神隠し』(01)や『クゥ』と較べると、その未完成度が痛感される。
・絵の動きがどうも……
それに、これらのあっさりしたキャラクターたちが動くと、動きがどうも今一つである。
どこがイマイチか、考えた。
そう、例えば、子供達が駆けるシーンなんか、ジブリあたりの他の作品と較べてみる。
他作品では、もっと前や正面から描写された複数のカットや顔のクローズアップが効果的に使われている。しかし、この作品では、カメラ回しっぱなし、カット割り等はなされていない。
「やはり、監督さん、美術監督だから絵コンテはこれからなのでは」と妻。
そうか、絵コンテか。
・CGが上手くない
CGの使い方があまり上手くない。そのまま使い過ぎて芸がないのだ。例えば自動車が走るシーンなんか、あまりにもCGがそのままで、こちらも背景から浮いている。どうだかなあ。
・おばあさんの描きこみが足りない
ミヨリの祖母もミヨリと同様に精霊たちから森の守り人に選ばれているようだ。しかし、守り人となった背景とか、彼女の住む合掌造りの家の三階にある世界の民芸品(神様たちの彫像)への解説がない。そのため、祖母の位置づけや背景として意味が分らなくなり、ちょっと足りない。
・突然の原住民スタイル
主人公のミヨリが突然、古典的なシャーマン(いわゆる巫女さん、『もののけ姫』(97)みたいなやつ。決してM4ではない(すいません、ミリタリーファンだけ分ってください))になるのはちょっと「うーむ」である。説明不足は否めない。
でも、悪い作品ではない。……では良いところ。
・「人間の怨霊のほうが怖い」ことの提示
森の泉で自殺した女性の霊魂が、死んだ場所で成仏せずに、その場所に取りつき、森の精霊たちも怖くて近づけないという描写があった。死霊が森の精霊より強いなんて、珍しい表現である。ある意味わかやすい表現か。
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