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炎神戦隊ゴーオンジャー最終回 〜終盤合評


炎神戦隊ゴーオンジャー 〜序盤&前半評
炎神戦隊ゴーオンジャー BUNBUN!BANBAN!劇場BANG!!
スーパー戦隊シリーズ 〜全記事見出し一覧


(2010年6月20日(日)に過去日付記事にUP)

炎神戦隊ゴーオンジャー 〜終盤評1「無粋〈ぶすい〉ナケジメ」

(文・鷹矢凪弥寿士)
(09年4月執筆・10年2月加筆)


 いやはや、ラストの展開にはホントにビックリさせられまくりだった。


 終盤で初登場した最後にして最大の敵=悪の組織・蛮機族ガイアークの総裏大臣〈そうりだいじん〉ヨゴシマクリタイン〔声:梁田清之〈やなだ・きよゆき〉――先に玉砕した息子の害地大臣ヨゴシュタインの声も兼務――〕。


 彼の猛攻を浴びたゴーオンジャー7人中の4人や、彼らの相棒の機械生命体・炎神〈エンジン〉たちが次々に消されていき、遂にはレッド・ブルー・イエローの3人だけになってしまい……


 と、『ゴーオン』の物語ではもちろん、従来の「戦隊」でも前代未聞の悲壮なムード〈※〉が溢れ、一時はどうなることかと思ったが……。


 〈※強いて言えば『忍風〈にんぷう〉戦隊ハリケンジャー』[02・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20021112/p1]終盤くらいか。ただし、こちらではそれまでの展開が結構重かったこともあり、それほど悲壮感は強烈でもなかったけど――物語的優劣を云々〈うんぬん〉する意図はありませんので誤解なきよう――〉


 全員生還してヨゴシマクリタインを撃破!


 なんとか無事に収まってくれて、ヨカッタヨカッタ。


 (あ、「当然だろ、あとで恒例の戦隊VSビデオ作品『侍〈さむらい〉戦隊シンケンジャーVSゴーオンジャー』[10])をやる時どうするんだ」なんて野暮なツッコミは、この際忘れときましょうネ)。


 とはいえ、敵幹部キタネイダス&ケガレシアの最期[さいご]には、少し涙を誘われた。
 前作『獣拳戦隊ゲキレンジャー』[07・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070624/p1]の敵=臨獣拳〈りんじゅうけん〉アクガタの理央[リオ]&メレほどではないにせよ、キタ&ケガも筆者にとっては、いつしか憎めないキャラになってきていたから。


 ただ最終回の大ラスに降って湧いた追走レース=「普通の生活に戻ったはずのゴーオンジャーが、新たに存在が判明したガイアークの害統領〈がいとうりょう〉を倒すため、再び別の世界(パラレルワールド)へ戦いに赴く」は、やや行き過ぎの感も否めない。
 引き合いに出して悪いが『五星〈ごせい〉戦隊ダイレンジャー』[93・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20111010/p1]最終回ラスト〈※〉のマイナーバージョンのように個人的には映り、折角のゴールに水を差されたようで残念。
 〈※本文では、敢えて詳説しません〉


 まァ、『ゴーオンジャー』らしい締め括りとも言えるし、あまり厳しい視点は控えるべきだ、というのも確かなんだけど……。
 そう、『ゴーオンジャー』自体「何でもアリ」をモットーとして「とにかく前を向いて走れ!」というポリシーを常に漲〈みなぎ〉らせて走り続けていたシリーズだしネ。


 それだけに、あくまでも個人的感触だけど、初期のモタツキが今なお惜しまれる。
 それでも、中盤以降良い方向へ向かってくれたことは好ましいし、物語序盤について他同人誌で結構辛辣な評価をしてしまったこと――一時は本気で見限ろうかとまで考えた――に対しては、今更ながらお詫びしたい。


 もうひとつ残念だったのは、珍しく物語内に於ける世間への認知&浸透度が高かったチームなのに、最終決戦でゴーオンジャーに助けを求め、応援し、勝利に歓喜する……そうした人々の姿が描かれなかったこと。
 「画面に映らない部分には、そうした場面もあった」と解釈するのが、ファンとして正しい姿勢なのかも知れないけど。


 ともかく、エピソードの当たり外れも散見したとはいえども、相応に面白かったシリーズとして、今は拍手で送りたい。

【2009/4/26〜2010/2/12改訂】


【お断り】
 初視聴時の気分を重んじ、既に鑑賞済の『ゴーオン』後日談映画『侍戦隊シンケンジャーVSゴーオンジャー銀幕BANG!!〈ぎんまくばん〉』[10/1/30〜・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20110124/p1]の物語展開は、敢えて考慮外としております。


【付記】
 『爆竜戦隊アバレンジャー』[03・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20031112/p1]にレギュラー登場したアバレンジャーのアジト=カレーショップ“恐竜や”のオーナー・杉下竜之介/スケさんを演じられ、『悪魔くん』[66]の昔から『仮面ライダー』[71]など東映ヒーロー作品に何度もゲスト出演されてきた名バイプレーヤー(脇役)俳優・奥村公延〈おくむら・こうえん〉氏が、2009/12/24、享年79歳にて永眠されました。
 東映作品に留まらず、『忍者部隊 月光』[64]の時代から多数の特撮作品に貢献された奥村氏の御冥福を、慎んでお祈り申し上げます。


(了)
(初出・TV評同人誌『DEATH‐VOLT Vol.45』(09年4月26日発行)『炎神戦隊ゴーオンジャー』評より抜粋して一部改訂)


炎神戦隊ゴーオンジャー 〜終盤評2

(文・T.SATO)
(10年6月19日執筆)


 何年周期かで登場するユルユルなマイルド作風のスーパー『戦隊』作品。


 もちろん、それ以前の特撮3大シリーズ『ゴジラ』『ウルトラマン』『仮面ライダー』などと比すれば、そもそも『戦隊』シリーズそれ自体がユルいといえばユルい。
 元祖『秘密戦隊ゴレンジャー』(75年)のむかしから、原色ケバケバなヒーローが登場して、敵も恐怖の存在というよりコミカルな風貌に、モチーフに合ったナンセンスな戦闘をくりひろげるギャグ怪人……
 という基本設定の図式自体がリアルやハードといったものから程遠いワケではある。


 (まぁもっと大局から見下ろせば、そもそもアリエナイもの・虚構を描く「特撮」や「アニメ」といったジャンルそれ自体が、本格文芸映画なりドキュメンタリーなどと比すれば、相対的には「ハード」や「リアル」ではアリエナイという話は置いといて……)


 しかしそのようなシリーズの中にあっても、マンネリ防止のため、視聴者の飽きを予防するための変化球として、80年代中盤以降(といってももう四半世紀も前だけど・汗)の『戦隊』では、キャラ性や各話のドラマ性が強化されたり、連続ドラマ性も導入されるなどしてきた。


 それらの作品群は、われわれのようなイイ歳こいても卒業できない“大きなお友だち”(笑)に、好評をもって迎えられたものだった。


 今にして思えば、筆者などもその典型のひとりではある。
 だから、自分だけが高みに立って、イヤミったらしく最初からすべてを達観していたかのようにふるまうつまりは毛頭ない。


 年齢が異なれば、同じ画面を見ていても、180度逆ということはないにせよ、30度・45度といった視角のちがいが生じたり、受け取る意味内容が異なってくるのは当然ではあるだろう。
 “大きなお友だち”には好評でも、“小さなお友だち”には理解できなかったり、あるいは理解はできても、深い感慨を得られないような要素や映像やドラマというものもあるものだ。
 さらに細分化して云えば、3〜4歳児には理解できなくとも、小学3〜4年生にでもなれば理解できるような描写もありうる。


 逆に、稚気満々のチャイルディッシュでスラップスティックな描写が3〜4歳児には大いにアピールするも、小学3〜4年生以降だと妙に気恥ずかしく感じられだしたりもして、しかして思春期をすぎてしまうと逆に子供じみた描写が許容され、微笑(ほほえ)ましくも愛(いと)おしく感じられたりもする。


 これにその時代時代の風潮や流行の要素――70年代であれば四畳半フォークソングのダウナー調や新興ジャンルであるSFの隆盛、80年代であれば軽躁的な若者お笑い文化にイッキイッキのバブル調。SFよりもファンタジーが勃興――なども加味されて、ついでに個人のパーソナリティも加味されて、個々の作品に対しての視聴者やマニアの受容態度や価値判断もやはり変容していくものであろう。


 子供にはウエットな要素や複雑なドラマや社会風刺は理解できないだろう、という声に対して、いや子供でも一応は理解できている、少なくとも自分は理解できていたタイプの子供だった……などという反論もマニア諸氏からタマに聞く。
 その意見にも一理はあるのだが、しかしそれはやはりマニア予備軍であったり良く云えば早熟でナイーブ、悪く云えば数としては明らかに少数派であるハズのシミったれた子供であったことの証明でしかないだろう。


 自分が子供時代の幼稚園や小学校低学年時分の級友たちを思い出してみればイイ。
 乱暴といわずともデリケートさのカケラもない元気なワルガキたちや体育会系の子供たち(笑)は、そんなウエットな要素やSF科学性やら社会風刺テーマに対してはたして反応していたといえるであろうか? と。
 ヒーローのカッコよさや敵怪人との胸躍るバトルといった面にこそ主に高揚感を覚えたり、しょーもないコミカルなギャグの方を、主に喜んでいたのではなかろうか? と。


 そーいう健全(?)な性格類型の子供たちの方が、教室内では圧倒的多数派であった以上は、われわれのような教室のスミっこにいた(笑)ハズれ者の人種の感慨を、相対化せずに普遍と勘違いするのは危険である。


 個人の好みとしての表明なり、作品が包含する純粋なテーマ性やドラマ性の高さを判定してうんぬんするかぎりでは、マニアの尺度も間違ってはいない。
 だがそれは、子供向けビジネスなり、子供の成長の発達段階に応じた適正なテーマ性やドラマ性の提示なり、その上限・限界・やりすぎなりを判定するには、有効には使えないモノサシでしかないと考える。


 だからといって、子供が認識できない高度な要素を投入することに反対であるとか、まったくのゼロにしろ! と極論を云いたいのでもない。
 “大きなお友だち”や、パパ・ママやイケメン好きな女性層が喜ぶ要素を入れるな! と云いたいのでもない。
 それなりに適度に入れてもイイのだが、それが過剰の域に達して、子供がドッチラケになったり退屈させてしまってはダメだろうということなのだ。
 オール・オア・ナッシングではなく、要はブレンド・調合のサジかげんなのである。


 で、“大きなお友だち”が喜ぶ要素がゼロではないが、非常に少ないかもしれない(笑)『炎神戦隊ゴーオンジャー』(08年)。


 本作も往年の『恐竜戦隊ジュウレンジャー』(92年)・『百獣戦隊ガオレンジャー』(01年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20011113/p1)同様に、マニア間ではさぞや不評かと思いきや……。そーでもなかったりするので、論旨の展開にはこまる(笑)。
 若い特撮マニアの間ではナゼか盛大に悪評であって、しかして筆者個人の評価はとても高い(あぁ石を投げないでネ。もう最近は感覚がズレてきてるようで・汗)『獣拳戦隊ゲキレンジャー』(07年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20080817/p1)の直後作であったせいか、それともユルい作品なりのよさも認められるように世の中の特撮マニアの価値観も変化したのか、ネット界隈を散見するかぎりでは意外と本作は好評ではあるようだ。



 冒頭の話題に戻るが、シリアス志向・人間ドラマ志向の『戦隊』シリーズのあとには、こーいうユル〜い設定&世界観に人物像の『戦隊』シリーズ作品が、『戦隊』史においては定期的に登場してきた。


 『鳥人(ちょうじん)戦隊ジェットマン』(91年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20110905/p1)のあとの『恐竜戦隊ジュウレンジャー』(92年)。
 『未来戦隊タイムレンジャー』(00年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20001102/p1)のあとの『百獣戦隊ガオレンジャー』(01年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20011102/p1)。


 ……実はこの2作品しかなかったっけか?(汗)
 この2例とは多少違うかもしれないが、付け加えるならば、『超力(ちょうりき)戦隊オーレンジャー』(95年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20110926/p1)のあとの『激走戦隊カーレンジャー』(96年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20110521/p1)もそうかもしれない。『カーレンジャー』はユルいといっても、シリアスとは真逆(まぎゃく)の方向性でマニアックではあるのだが(笑)。


 『オーレ』『カーレン』の例はともかくとして、マニア間で大好評を博した『ジェット』や『タイム』と比すれば、ユル〜い作風の『ジュウレン』や『ガオ』は基本ドーしてもシリアス志向になりがちな当時のマニア人種の間では大不評をこうむった。


 しかして、そんな“大きなお友だち”の反応をヨソに、幼児の間で『ジュウレン』『ガオ』は大ヒットを飛ばして、玩具の売上高も絶好調をほこったのであった……。


 これらの事実から、筆者は先に述べてきた見解にたどり着いた次第である。
 厳密には『ガオ』の時代にたどり着いたワケではなく、『ジュウレン』のむかしにたどり着いてはいたのだが……(笑)。


 (もちろんヒットの要因は、ユル〜い作風だけにあるとはいえない。ヒーローのデザインモチーフが子供に人気がある恐竜であったり動物であったり、巨大ロボの合体システムの楽しさであったりもする複合的なものだろう)



 テーマ的・ドラマ的には、『ジェット』や『タイム』の方がレベルが高いことを筆者も認める。
 とはいえ、ユルくても深くなくても牧歌的でも、テキトウどころかラフ(粗雑)でご都合主義なシリーズ構成やストーリー展開・人間描写でも、憎めないコミカルな悪役たちによる世界征服とは程遠い子供のイタズラのような悪事であっても、むしろそれゆえにこそ、幼児たちには取っ付きやすかったり、ウケることもあるのだとは主張したい。


 そんなものはマガイモノ・ニセモノの楽しさだと云いたいヤツは云えばよい。
 筆者個人やマニア連中によるそれらのチャイルディッシュな作品に対する好みや価値判断は別として、そのラフな作品を楽しんでいる子供たちが現に今存在しているというのに、その作品がじゃっかんウスいモノであることは認めても、ゼロ点を超えてマイナス点数の存在であるとか、ここで云うマガイモノの存在でありニセモノの楽しさにゴマカされているのだ! とは筆者には思えない。


 ……などというような見解は、80〜90年代にはともかく、21世紀も10年がすぎた今日では、スレすぎて1回転してしまったマニアも増えた現在、それなりにいるとも思うし、各所で散見もするので、キバって語るほどのことでもないのだが、この誌面にて改めて語ってみました(笑)。


 もちろんこのような機微は、作り手も当然のことながらバカではないのだし、かつては庶民・大衆に密着した、ただしリアルなり高尚な作風ではないからとインテリ・映画評論家ウケはしなかったという時代劇映画やヤクザ映画を大量に作るも、その実態は今でも東大や早稲田クラスのエリート(といってもその中でも昭和中期には無頼なタイプ)しか入社できなかったような(汗)東映の作り手たちの全員といわずとも大勢はわかっていることであろう。
 それゆえに、手をヌイているワケでは決してなくて(笑)、コンスタントに確信犯でユルい作品を投入してくるのだとも思われる。



 だからこそそれらの作品を、テーマ性やドラマ性が低いとベタにそのままに語って批判したとしても、その批判も織り込み済で作っているのであろうから、有効なパンチにはならないだろうと思われる。
 もちろん、そーいうマニアによる批評・批判も局所的には間違ってはいないし、ムダであるともいわないが。


 (仮にもしも有効なツッコミを入れるとするならば、ユルい作品なりの各種の要素のユルさの度合い&そのレベルの整合性。ユルいなりのテーマやドラマやキャラ描写の高低をあるランクに一定させるべきなのに、そこに恣意的な不整合があった場合に、問題視をしてみせることはアリかもしれない。深さ&高さを素朴にホメるのではなくて……)


 では、ズ〜〜っとユルい『戦隊』作品を連続して作っていけば、永遠に子供ウケ的にも商業的にも安泰で成功するのだろうかといえば、そーでもないのだろう(笑)。
 やはり子供は移り気なので、変化球は入れていくしかないと思う。
 そしてその変化球が、テーマ性やドラマ性といったものと合致していれば、“大きなお友だち”には受けたりもする。
 そして、子供人気のことはともかくとして、筆者自身もやはりそんな作品を楽しんでしまったり見応えがあると思ってしまうことも正直ある(汗)。


 本作『ゴーオン』なども、シリアス・本格ドラマ志向の次作『侍(さむらい)戦隊シンケンジャー』(09年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20090712/p1)などと比すれば明らかにユルい。まったくその通りではあるのだ。
 しかし、筆者はそれを認めた上で、消極的な仕方なしの賛同でなしに、むしろ『ゴーオン』のようなコミカルでマンガチックで、高度で複雑デリケートな内面描写がない――もちろん内面描写自体がないと云ってるのではなく、デフォルメ・戯画化(ぎがか)はされてはいるが、幼児にも理解できる普遍的な喜怒哀楽自体は当然に描かれてはいる――作品のそれなりの良さも認めたい。


 同じユルい志向で幼児間に大ヒットを飛ばした『ガオ』のメインライター・武上純希(たけがみ・じゅんき)先生を、『ゴーオン』のメインライターに再度据えたのは、特に証拠も証言もないのだが(笑)、筆者個人は東映なりバンダイのプロデューサーや上層部の意向ではなかったかと推測する。
 であるならば、その試みは成功したといえるだろう。


 (武上センセも今ではすっかりユルい系の脚本家あつかいで、マニア間での評判は芳(かんば)しくないようだが……。
 80年代後半、特撮ヒーローもの『電脳警察サイバーコップ』(88年・東宝)の時代にはマニア間ではハイブロウ志向の若手脚本家として、アレだけ崇(あが)めたてまつられていたというのに……。以上、むかしばなし・汗)



 ……とココまで強調した上で云うのだが、その上で個人の好みを云うのなら、ごくごく個人的には本作序盤には、コレはコレでイイと思いつつも、物足りないところは実はあった。
 でもまぁわれわれのようなオッサンがメインターゲットの番組ではないのだし、幼児間で人気があったりするとハシゴを外されてしまうので(笑)、ガナって批判する気は毛頭なかったが。


 そーいうオッサン的な観点で云えば、ドラマ的には夏休み放映分のゴーオンブルー主役編、ブルーの実家である旅館に戦隊メンバーが宿泊して、子供時代に亡くした母を洞窟の地蔵に見立てていたという#25「母上(おかん)サヨナラ」(脚本・會川昇)などは、やはり泣かせてくれてスキな話だ。


 ただ、こーいう泣かせの話は、メインターゲットの男のコにとっては、感じ入るものがあっても照れくさかったり、体育会系のコであれば成人してからはともかく子供のころにはそもそも感度がないのではなかろうかとも思う(笑)。つまりは諸刃の剣(もろはのつるぎ)でもあるのだ。


 でもだから、存在しなくてもイイ話だと云いたいワケではなくて、1年間のシリーズ全50本の中に数本ある分にはイイと思う。しかし、週1放映の1年間のシリーズにこんな話が10本も20本もあったら辛気(しんき)クサくてこまるだろ! というお話。


 そーいうドラマ性のある回にもスポットを当てて批評の言葉で解題してみせてももちろんイイのだが、しかしこのテの番組はもっとチャイルディッシュな楽しさ、ドラマやテーマ性とは無関係でも、電車の線路と道路との遮断機の黄と黒の棒と点滅赤信号をモチーフにした武器・カンカンバー(笑)の楽しさとか、そーいうソフトウェアではなくハードウェアの部分にもスポットを当てて言語化すべきだとも思うのだ。



 最後にユルさの話に戻る。


 今では無粋(ぶすい)なツッコミとして揶揄(やゆ)されそうだから、あまり聞かない類いの批判だが、むかしの特撮マニアであれば、本作に登場するような機械生命体の敵は、機械化を推し進めるワリにはナゼにあまりにもこんなに人間的なのか!? オカシイんじゃないのか!? 作り手はバカなの!? SFマインドがないの!? 死ぬの!? などのブーイングが盛大に飛んだであろうと思われる。


 まぁそーいうツッコミも局所的には正しいのだが、それは『戦隊』に限らず、ありとあらゆるSFジャンルにおける、機械が生命や意志や感情を持って反逆してくる類いの作品に、その細部の矛盾にまでもツッコミを入れていけば、実は多くの作品に広く当てハマってしまう種類の普遍的な批判でもあったりする。


 もちろん機械や合理性の方が人間とそれが持つ感情よりも優越していると決めつける何らかの価値判断なり、その前提となる良し悪し、快不快(好悪)の判断の礎(いしずえ)は、機械的論理・形式的論理それ自体によっては先験的には導きようがないものである。
 機械や合理性の方が優れているなどといった最終目的なり、あるいは逆にその大前提については、人間が決めてあげてそれを基にコンピューターなどに入力してその中間過程を計算させてあげるしかない。
 よって、機械に対する最初のアクションなり命令は、人間がある目的や価値観や好悪(笑)に基づいて行なうものである。
 このテの機械が人間的な感情や個性を持って反逆してくるSFものに、体育会系の人間はともかくわれわれのような恐怖奇形人間であるマニアックな人種がワクワクしつつもドコかで違和感を感じるのは、以上のようなリクツをたとえ明晰明快に言語化できなかったとしても直観するからにちがいない。


 ただコレも、作り手たちがそーいう矛盾を微塵たりとも感じずに、平気の平左で描いているとは思えない。
 厳密さを要求すると、子供番組としてわかりやすく見栄えする悪役キャラとして立ってこないのが、すぐに脚本家なり作り手たちの方で見通せてしまうから、確信犯であのように人間的な偏った個性や性格に弱点を持った存在として描くのでもあるだろう。


 そもそも悪の軍団が世界全体の機械化による侵略を志向するにしても、その根っこには最低限の好悪なり快不快といった(感情よりも論理や機械の方が「好き」であるという実は広義の「感情」)、何らかの情緒的なものがなければ、何らかの志向性・方向性ある行動に移れるワケもない。
 そこにまで思い至ると、もうこのテの機械化「至上主義」ものは、根っこの方にある矛盾(機械の方が情緒よりも上であると価値判断する、それ自体が実は好悪でしかない感情が根っこには存在するという矛盾)を確信犯で無視をしないと、成立しなくなってしまうのだ。


 ……などという話をしだすと長くなるし、本題からズレるのでハショる。


 要は筆者も、最終回目前で善(?)に目覚めた悪の幹部、害気大臣キタネイダスと女幹部・害水大臣ケガレシアが、終盤に登場したより冷酷な総裏大臣ヨゴシマクリタインにやられて最期(さいご)は手と手を取り合って絶命してしまうシーンには、それ自体が広い意味でお約束でも涙が出てしまったという話をしたいのだ(笑)。


 もちろんそれまでにも、あまりにもコミカルに描かれてきた憎めない敵キャラではあったし、強い戦士キャラやライバルキャラという感じでもなかったのだから、ヒーローに無残にやられてしまうのも後味が悪くてカタルシスも弱いだろう。
 そうであるならば、最終回のカタルシス提供装置としてより強大な憎々しい悪役を別に登場させて、その前段での餌食にさせてしまうシリーズ構成も、こう分析的に書いてしまうと味気ないけれども、悪い意味でなく云うのだが、娯楽活劇作品の作劇の都合論としてはまったく間違ってはいないと思う。



 新たな敵が別の次元に出現! その世界を救いに新たな戦いに赴くゴーオンジャーたち! というあの最終回ラストについては……。
 めでたしめでたしで、いつまでも平和に暮らしましたとサ! で終わるのもイイけれども。
 これは筆者個人なども子供のころから絵本や子供向け童話の英雄ものや冒険ものなどの終幕を読んで同様の感慨をいだいたものだけど、平和な時代の戦後日本人のゼイタクな要望なのかもしれないが、それまで生命の危険にさらされることはあってもハラハラドキドキの充実感や高揚感もあった正義のための戦いや冒険の日々がそこで終わってしまうというのは、何もない退屈な終わりなき日常が今後は永遠につづいていくようでもあり、それもツマラナイのではないか? という気もするのだ。


 このへんも優劣ではなしに作劇のバリエーションとして、ジャンル作品でいえば往年の『恐竜大戦争アイゼンボーグ』(77年・円谷プロ)最終回ラストとか東映メタルヒーローブルースワット』(94年)最終回ラストとか、戦いがいったんは落着するも、ヒーローが次なる舞台での新たな戦いに赴く勇ましき誇らしき高揚を描いてシメとするオチも、ひとつには大いにアリではないのかと思うのだ。
 てか、個人的な好悪(笑)でいえば、スキなタイプの終わらせ方だった。


(了)
(初出・当該ブログ記事)


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