『仮面ライダーBLACK RX』 〜肯定論・当時の状況と総論のための序論
『仮面ライダーディケイド』「響鬼の世界」編
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それまでの「平成ライダー」9作品の「平行宇宙」をまたにかけて戦っている『仮面ライダーディケイド』(09年)第27話「BLACK×BLACK RX」に、なんとついに「昭和ライダー」である仮面ライダーブラックがゲスト出演! 同一存在であったハズの仮面ライダーブラックRXと共演してしまった記念! ……とカコつけて(汗)、『仮面ライダーBLACK』論 を発掘UP!
RXの戦友・霞のジョーが「RXの世界」では行方不明! で、「ブラックの世界」の南光太郎と実は共闘していた! という言及は、霞のジョーは登場しないにしても、せめてもの配慮であった(笑)。霞のジョーのことについて、何もふれられずに終わってしまうよりかはイイとは思うし……。とはいえこの設定だったならば、今では人気洋画・アニメ声優としてブレイクした霞のジョー役・小山力也氏も、「ブラックの世界」側にて1シーン・1カットだけでも出られたのでは? とも思ったけど。……残念! ファンは1シーン・1カットだけの再登場でもイイのですよ! そこで、『RX』での名セリフをBLACKの南光太郎に対しても反復して「俺はアンタを兄貴と決めた!」と放つなど。……って、こーいう細かいセリフは、幼少時に視聴していたファンだとかえって覚えていませんかね?――往時もイイ歳こいて視聴していた、往時のマニア間での世評は芳しくなかった『RX』に対しては絶賛派であった当方(笑)――
ラストの「RXの世界」における、RXとブラックのダブル変身&共闘は、このブラックが「カード」から召喚された「偽者」(?)にも見えるという点では、若干カタルシスやありがたみがウスれるのも否めない。一時的に何らかの方法で並行世界の「世界」と「世界」の「壁の穴」が空いたままに留まって「ブラックの世界」のブラックご本人が越境して登場! といった設定もアリエたのではないかとも思うのだ(ゲスの後知恵だけど)。……でも、そーすると霞のジョーも帰ってこれちゃうのに、ナゼに帰ってこないのか? といった別の疑念も浮上してきてしまうので、このテもダメだったのかも?(笑)
RXの必殺剣・リボルケインの長い刀身が、今回の前後編の後編でこそ光学合成モドキで白く光らせるのか!? と思いきや今回も光らなかった(笑)――むかしのフィルム上での合成よりパソコン上でのデジタル合成などは、時間的な手間(人件費)さえ除けばタダみたいなモノだろうに――。なにより、敵怪人をラストまで2体は残しておいて、原典通りにRXにはリボルケインでトドメ! ブラックにはライダーキックでトドメ! を刺してもらって、スーツアクター・岡元次郎さんお得意の剣をなぎはらう美麗なポーズをRXが敵に後ろを向けて取ったあとに、敵怪人が倒れ伏して大爆発!! といった図を再現してほしかったものだけど……
とはいえ、そーいった小さな不備もあるけれど、個人的には今回のストーリーやアクション演出をあまり不満には思ってはいない――いやまぁ、不満に思ってしまう方々の気持ちも、愛情や思い入れゆえだからわかるし同情もするけれど――。とりあえずは、夢の共演が見られてよかったとの満足感の方が強いのだ。
なにか「平成ライダー」作品らしくない、「仲間」や「共闘」の重要性をどうこうといったことを議論しているノリについては賛否両論かもしれない。しかし、本作終盤が「大ショッカー」のようなアナクロ(時代錯誤)な悪の軍団と戦う娯楽活劇ノリになっていくのであれば、今回はこういうノリでもイイのではなかろうか!? ディケイドこと門矢士(かどや・つかさ)までもが、人質を取った(!)大ショッカー幹部・アポロガイストに向かって、「子供はどんな世界でも最高の宝だ!!」などとベタに愚直な正論を絶叫! これはホントに「平成ライダー」作品なのだろうか?(笑) 『仮面ライダーカブト』(06年)の主人公・天道総司ならばオッケーだったかもしれないが――『カブト』の場合も、半分はマジな正論の場合でも半分はネタ臭が強かったけど(笑)――。個人的にはこれくらいクサいノリでも、特撮変身ヒーローものとしてはオールオッケーではある――他方では、白倉伸一郎(プロデューサー)&井上敏樹(脚本)路線のササくれ立った個人の相克ノリももう一方の好みとして、個人的には大スキで両刀使いなのだけど――。
ただし、ブラックの変身後の名乗りポーズの最終段の右手の手のひら返しで、RXの名乗りポーズの最終段での右腕の甲を前方の敵に見せるようなポーズが少しだけ入っていたようにも見えたのは……(『BLACK』もシリーズ後期ではそーだったっけか?・汗)。RXの戦友についても、ヒロイン・玲ちゃんや水の妖精こと少女・的場響子ちゃんもいたのだし、霞のジョーだけではなかっただろう!――そのあたりは、やはり少しだけ気になってしまうのだ。いや、原典通りの存在ではないパラレルワールドの存在なのだから、いくらでも言い訳はつけられるけれどもネ――。ラストシーンでは、よく見るとRXの専用バイク・アクロバッターも停車(というか、車道のガードレールに立て掛け・笑)してある!――多分、もう展示品になっていて、動かないのだろうとは思うけど。……変身前の光太郎はアクロバッターには乗っていなかったゾ……などとヤボなことは云ってはイケナイ(笑)――
仮面ライダーは報われない!? 実は底意地悪い(?)脚本家・杉村升のヒーロー観 〜私的・『BLACK』後半&『ZO』の脚本家・杉村升論〜
(文・sugi)
(2000年11月執筆)
『宇宙刑事』シリーズ(S57〜60)を始めとして、脚本家・上原正三(うえはら・しょうぞう)氏がヒーローものの王道を守っていた頃、ヒーローは正義や平和といった大義・“公”を守る以外に、極めて個人的・“私”的な目的も持たされていた。
このヒーローの戦う目的の二重釣りは、昭和50年代後半(1980年代前半)のヒーローから見られる独自の色でもあり、
「ある意味でプライベート・バトルたる戦いの勝利が、真に平和を呼び戻す」
というものでもあった。
この上原的図式の例の典型は、赤星氏が先の文中でも、
「(仮面ライダー)Jは地球自身によって生み出された(引用者註:公的な)存在だ。ここで繰り広げられるのは、侵略者フォッグを迎えての、地球の代理戦争。そのJが、(引用者註:私的な)瀬川耕司(せがわ・こうじ)としての記憶から、フォッグにさらわれた少女、加那(かな)を救出するため(だけ!)に疾走するという物語は、まさに脚本家・上原正三の真骨頂!
地球の自然や生命といった要素をすべて加那に投影し、そこに向かってJが疾走するという構図、つまり加那を守るための、ある意味でプライベート・バトルたる戦いの勝利が、真に(引用者註:公的な)平和を呼び戻すことになるあたり、かつての『宇宙刑事シャリバン』を思わせる、実に“らしい”仕上がり」
といった記述でも挙げているように、『宇宙刑事シャリバン』(S58)の「イガ星再興」&「バード星の宇宙刑事」としての任務の二重釣りだろう。
いや、局面によってはその“公”と“私”の優先度が逆転してしまっているが故、いささか破綻が見られるケースもあるが、それも“公”と“私”が相反せず方向性が基本的に合致しているがゆえの産物でもある。この時期の上原作品の代表として『宇宙刑事』シリーズをあげる人は多分に多い。
『仮面ライダーBLACK(ブラック)』(S62)(以下、『BLACK』とする)は、この『宇宙刑事』シリーズがベースとなって確立されたメタルヒーローシリーズで東映が得たノウハウを、同じ単体ヒーローである『仮面ライダー』シリーズの方に投入してみることで新しい「ライダー」を作ろうという試みのもとに作られた。
そして第1話「BLACK!! 変身」の執筆、およびメインライターが上原氏であった以上、この「ヒーローの戦う目的の二重釣り」もまた、当然採用されることとなる。
主人公・南光太郎(みなみ・こうたろう)は先輩ライダーたちと同じく人類社会のっとりを企む組織ゴルゴムに改造され、脳改造の寸前に脱出している。が、その一方で同時に改造されてしまった親友・秋月信彦(あきづき・のぶひこ)(のちに悪の仮面ライダー・シャドームーンとなる)は、そのまま敵に捕まってしまった。
ここで光太郎の目的である“人類の敵ゴルゴムの撲滅”とは、“親友救出”でもある二重の意味をもったのである。
もし上原氏が全体構成を最後まで担当していたら、(赤星氏風な言い回しをすると)おそらく
「信彦救出のためのプライベート・バトルたる戦いの勝利が、真に平和を呼び戻す」
方向性で話が進んだと思われる。
だが……、確かに『宇宙刑事』のケースの場合は、ヒーローの“私的目的”と“公的目的”が最終的に合致した大団円を迎えることができた。
しかしこの2つの目的のベクトルが相反するものになってしまった場合、それはどのような結果となるのだろうか?
こういう疑問に対して、はからずも答える形となったのが、上原氏がスケジュールや作品方針の関係で第1クール(初期13話中1〜3話と12話のみ執筆)で降りて、ライバル幹部・剣聖ビルゲニアとの対立を主とした展開で色々な脚本家が入れ替わり立ち替わりし場つなぎをしたあとに、メイン展開を受けることとなった本文の主題となる脚本家・杉村升(すぎむら・のぼる)氏であった。
杉村 升 (旧名・杉村のぼる)。
彼は元々『太陽にほえろ!』(S47〜S61)『西部警察』第1作(S54)『爆走!ドーベルマン刑事(デカ)』(S55)『大都会25時』(S62)、変則的な作品だと『スケバン刑事(デカ)』第1作(S60)、近年でも『刑事追う!』(H8)など刑事もの畑出身のライターである。(『太陽〜』放映リストを見ると S49=1974年末がデビュー)
公式記録によると特撮キャラクターものは東映の石ノ森章太郎原作作品のTV特撮『星雲仮面マシンマン』(S59)が最初の作品となっているが、のちの映画『仮面ライダーZO(ゼットオー)』(H5)の時期のインタビューによると、
「『マシンマン』のホン(脚本)は東映の吉川進プロデューサーに薦められて書いたもので、中身もほとんど言われるがままに決めたので、実は『BLACK』を書くまで書いたこと自体忘れていた(大意)」そうだ。
つまり『BLACK』執筆開始時点でキャラクターもののノウハウがほぼなかった杉村が、まず『BLACK』後半のメインライターを引き受けるにあたって最初にやったことが、石ノ森漫画を読み漁り、その概念を分析することだったそうだ。
また、のちに彼がメインライターを担当する東映メタルヒーロー・レスキューポリスシリーズ第2作『特救指令ソルブレイン』(H3)中盤の第21〜23話「帰ってきたWSP(ウインスペクター)」3部作(前作ヒーロー客演編)や、『五星(ごせい)戦隊ダイレンジャー』(H5)の老道士・虞翻(ぐほん)初登場編(第13・14話)などで、『太陽にほえろ!』での杉村氏執筆回(師匠の小川英(おがわ・えい)との共作)、274話「帰って来たスコッチ刑事」(S52)における非情の男と化した先輩ヒーロー・スコッチ刑事(演:沖雅也)が少々甘い後輩・ロッキー刑事(演:木之元亮〜のちの『ウルトラマンダイナ』(H9・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971204/p1)のヒビキ隊長役!)に“公的使命”を叩き付けに来る話のリメイク的な作品を書くなど、彼の書く主役は上原ヒーローとは逆に“公的使命”と“私的動機”が相反するケースの方が多い。
そしてそんな彼の手にかかった瞬間、むしろこの「信彦救出(=光太郎個人の“私的目的”)」は、上原が当初目指していた方向とは違った性格を見せてくるのである。
まず、『BLACK』のメインライターとして杉村が最初に見せた展開は、第34話「復活?! 地獄王子」から第36話「愛と死の宣戦布告」までのシャドームーン復活3部作だ。
これは第18話「剣聖ビルゲニア!!」より登場し、この話まで、シャドームーン不在の状況を補うべく、BLACKのライバル役として活躍していた剣聖ビルゲニアの退場編でもある。
だが、作家・杉村がここでシャドームーンを印象づけるべく取った手が、創世王(敵組織ゴルゴムの大首領)によるビルゲニア使い捨て、という手だった。
信彦がシャドームーンとして復活すれば、対BLACK用戦闘要員としてのビルゲニアはゴルゴムにとって危険分子となりこそすれ、利することはない無用の長物となってしまう。そんな自分の立場に気付いたビルゲニアが反逆を開始し、シャドームーン復活を阻止しようとするが……という、これまでの上原ヒーローものでもあったモチーフを取って話は進行する。
だが、ここで杉村が見せた特徴として面白いのが、そんなビルゲニアを以前からうっとおしがっている三神官(敵組織ゴルゴムの幹部)の立場に注目したストーリーになっていることだろう。
BLACKとビルゲニアが対立を繰り広げている間に、どっちが勝ってもまずい三神官たちは己の立場を守るべく、シャドームーン復活計画を展開する方にかけ、三神官のエネルギー源の「天の石、地の石、海の石」の力でシャドームーンを復活させてしまったのだ。
そして、ライダーとビルゲニアが最期の戦いに臨(のぞ)もうとした瞬間、シャドームーンが復活し、皮肉にも対BLACK必殺の武器として手にいれたはずのサタンサーベルでシャドームーンにビルゲニアは殺されてしまうのだ。
つまり、この話は「信彦を救わねばならないヒーロー・ライダーBLACK」と「もはやゴルゴム内での立場をシャドームーンにとってかわられることを防ぐには、BLACKを倒すしかないビルゲニア」という2つの“私的立場”を持つ勢力のぶつかりあいが展開されているその一方で、「ゴルゴム内の“公”の象徴ともいうべき存在の三神官」の物語が展開され、最終的に“公”の三神官が、BLACKVSビルゲニアの“私”の戦いを飲みこんで勝利してしまう形となっているのである。(また、この戦いはビルゲニアという“私”と、三神官&シャドームーンという(ゴルゴム内での)“公”の戦いでもあるのだ)
第35話「対決! 二人の王子」ラスト、シャドームーンに殺られ、死んでいくビルゲニアの最期のセリフは
「俺は利用されただけに過ぎなかったのか……創世王さまぁーッ」
だったが、この場合のビルゲニアのセリフは、まさに彼が実在していたら杉村に吐いていただろうセリフそのものかもしれない。
そして第36話「愛と死の宣戦布告」、前話ラストにおいて登場したシャドームーンにもまた杉村は不思議な行動をとらせている。
信彦の妹・秋月杏子(あきづき・きょうこ)と婚約者・紀田克美(きだ・かつみ)のところに行かせ、人間は滅ぼすがオマエたちは助けたい、と言わせているのだ。一見すると彼にもまだ人間としての心が残っていたように思える。いや、第45話「妖花ビシュムの死!」でのラストにおける、杏子の悲痛な叫びに応じてBLACK抹殺のための光線を逆にゴルゴム女幹部ビシュムにむけてしまうあたり、一抹の心はあったのかもしれない。
が、彼はその一方でゴルゴムの恐怖を世間に思い知らせるべく、東京総攻撃計画を進行させている。
またこの第36話以降、光太郎の「昔を思い出せ!」との“私”としての必死の呼びかけには全く“信彦”として答えず、「世紀王シャドームーン」としてのセリフしか述べていない。
つまり彼は完全にゴルゴムに洗脳された存在であり、それを考え合わせると先ほどの関係者へのセリフも本当に“信彦”のそれだったのだろうか、と思えてくる。むしろ全く逆に、敵であるBLACKから味方を奪い去り、精神的に追いつめる効果を狙った、とも考えられるのだ。
(よくシャドームーンに対する批判として、東映TV特撮『人造人間キカイダー』(S47)のライバル・ハカイダー的な「人間体」がないという意見が聞かれる。が、果たして彼に「人間体」があったとしたら、このシーンに代表される「“洗脳”されきってしまったライダー」、あるいは「人間であることを捨てた者」への微妙な恐怖感を出せただろうか? ということを考えてほしい)
ここに我々は“洗脳”という、ライダー世界においてはこれまで単に「悪に味方することの象徴」とされてきたこの言葉に対して、杉村がイメージしている“洗脳”についての独自の読み解きをすることができる。
つまり、“洗脳”とは“公”のみで人格が彩られてしまうことであり、“私”がなくなってしまうことなのだ。この関係は、“大人社会”という“公”に囲まれて、声が届かぬ子供の恐怖にも似たものがある。
こうしたBLACKの“私”と、シャドームーンというゴルゴム内での悪の“公”のズレは、ライダー史上最大の悲劇につながってしまった。
第47話「ライダー死す!」で、光太郎はシャドームーンとの決闘を要求されるが、信彦との殺し合いはイヤ、との理由で拒絶する。だが、ゴルゴムは太陽を奪うことでBLACKを強制的に決闘の場にひっぱりだす。
つまりここでの光太郎の“私”は、「ヒーローが守るべき人類」という「大義」、つまり“公”に追いつめられる形となってしまっているのだ。
そして……果たし合いの末、BLACKは敗れてしまった。それも実力負けではない。むしろ戦闘シーンにおいてBLACKは優勢だったのだ。
が、一瞬シャドームーンが信彦に戻ったのを見て、喜んで駆け寄った――つまり変身してはいてもヒーロー「ライダーBLACK」という“公”ではなく個人「南光太郎」という“私”に意識が戻ってしまった――その瞬間にサタンサーベルで刺されたのだ。
これはライダー史上初の、ヒーローが悪に屈した瞬間だった。
第49話「激闘! ダロムの死」で、以前命を助けたクジラ怪人の力によりよみがえった光太郎は、その一瞬の躊躇の代償が、「ゴルゴムに蹂躪された日本」というあまりに高いものだったことを思い知らされ、迷いを断ちきる決意をする。
(終盤でこの話のみ宮下隼一(みやした・じゅんいち)脚本だ。この話も“私”よりも“公”、救いの神の再降臨という、いかにもこの脚本家らしい図式が出ているが、今回の主題からは外れるので、またの機会とする)
ここでも杉村は復活したヒーロー・光太郎に、残酷な図式を用意していた。
先述のシャドームーン復活3部作では杏子とのほのかな恋が描かれていたが、迷いを断ちきった光太郎に彼女は邪魔になってしまう。ということで、脱出先のニューヨークからの帰国を許さない。
そして先述の「ライダー死す!」で死にかかっていたBLACKを救った命の恩人・クジラ怪人に先導されてゴルゴムのアジトに突入したはよいのだが、BLACKがシャドームーンとのデスマッチのための異次元空間に閉じ込められ、力の及ばなくなってしまったシチュエーションの許、クジラ怪人は裏切り者としてトゲウオ怪人に惨殺されてしまう。
そして最終決戦においても、BLACKにとって意志の通じる、いわばあの時点においてBLACKの張り裂けんばかりの心がわかる唯一の戦友・バトルホッパー(ライダーBLACKの専用バイク、バッタ型生体メカ)がシャドームーンに操られてしまい、皮肉にもBLACKが洗脳を解いたが故に、シャドームーンに殺され……と、まさにこれでもか、これでもかという書き手の声さえ聞こえてきそうな、光太郎にとって悪夢のような場面が続発するのだ。
さらに言うなら、ここでちょっと思い出してほしい。
この悪夢のようなシチュエーションに最終的に決着をつけ、諸悪の根元・シャドームーン――死に行くときの南光太郎への呪詛のセリフも、光太郎にとってまさにトドメの一言!―― & ゴルゴム首領・創世王を葬ったのが、皮肉にも光太郎が忌まわしき力として嫌っていたはずの「世紀王」にしか操れないサタンサーベルだったことだ。
例えばここでご都合主義的に、実はBLACKのキングストーン「太陽の石」の力の方が、シャドームーンの「月の石」の力をわずかに上回って正義の力がそれに味方した、なんてシチュエーションも出来たし、さらに言うならBLACKの2台目のバイク・ロードセクターでの体当たり・スパークリングアタックでトドメ、だってよかったはずなのに、である。
いや、これまでの「仮面ライダー」たちが子供向けとはいえ大衆娯楽の王道の担い手だったことを考えると、本来そちらの方が正道だろう。
だがあえて杉村はその道を取らせなかった。光太郎に味方した者は、ある者は傷つき、ある者は死を迎え……と悲劇しかなかった。
作品中の大きな流れは、光太郎やシャドームーンの“私的感情”や思惑(おもわく)に応じもせず、むしろ飲みこむ形で、悲劇へと向かっていくのが『BLACK』後半の特徴だ。
説明が長くなったが、ここまで挙げた『BLACK』後半の事例をもってすると、杉村脚本における“公”と“私”の関係が、実は前任の上原氏とは全く逆の観念であることがはっきりする。
『BLACK』の後半の世界において、“公”はつじつま的に結果を得て、“私”を前面に出した者は皆酷(ひど)い目にあってしまっており、また“私”がとおったときには結果として“公”が被害に遭う……と、両者が幸福な合致を得たケースがあまりないのだ。
つまり、“公”にアイデンティファイした者に対して“私”の想いがどれほどの力があるのか、という諦観とでもいうべきものが常につきまとっているのだ。それはヒーロー“ライダーBLACK”と“人間社会”の関係においても、杉村には例外ではなかった。
戦いは終わって、人類は救われた。恐らくあの世界においてBLACKは事情を知らぬ人々に救いの神とも崇められていただろう。
……だが次作『仮面ライダーBLACK RX』(S63・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20001016/p1)第1話にて、叔父の前に現れたとき、光太郎はボロボロになっていた、とされていた。多分その間、彼はシャドームーンの死に際の言葉どおり、親友殺しの罪の意識と二度と戻れぬ日々への郷愁で苛(さいな)まされていたことは想像に難くない。
杉村ヒーローではないが、話のついでにちょっとここで駆け足で『BLACK』後日談としての『RX』にも触れておこう。
『仮面ライダーBLACK RX』第22話「シャドームーン!」において、実は生きていたシャドームーンは再びRX(=BLACK=光太郎)の命をつけ狙う。が、なんとかシャドームーンを説得しようとするRXの姿が、小生には普段の力強い東映正統派ヒーローの「RX」のそれでなく、“私的目的”は全く果たせなかった、ある意味無力だったヒーロー「BLACK」の姿にかぶって見えたのだった。
のちにRXはシャドームーンを再び倒すことになってしまうが、その瞬間やあるいは最終回での怪魔界粉砕に際して、「RX=BLACK=光太郎」が全く躊躇を見せなかったのは、この『BLACK』時代における一瞬の躊躇が悲劇を呼んだ展開が、彼のトラウマになってしまったからではないか……(というのは、やはり単なるロジックの暴走だろうな。あの最終回の内幕話は色々聞いているし(笑))
杉村のこういった「報われない」ヒーロー観は、彼が執筆を担当したもう一人のライダー、映画『仮面ライダーZO(ゼットオー)』(H5)のストーリーにも出ている。
本作は“東映スーパーヒーローフェア”の映画の一本として作られたものであり、演出の雨宮慶太(あめみや・けいた)監督いわく
「3〜6歳児が親と一緒に観に来る作品だから、(同時上映の)『五星(ごせい)戦隊ダイレンジャー』や『特捜ロボ ジャンパーソン』と競演しても遜色ないヒーローを」
という演出意図を反映させ、怪人ドラスに命をつけ狙われる少年・宏(ひろし)――スクリーンの向こう側で怪人の暴挙に恐れ、やっつけたいと願いつつも手出しができない少年たちの象徴――を救うべく現れ、それを守るべく戦う、いわば子供のデウス・エクス・マキーナ(ご都合主義・機械仕掛けの神)としてのライダーとして演出されている。
小生は本作『仮面ライダーZO』公開後に読んだ、マニア雑誌「B−CLUB」誌の読者投稿で、
「昔スカイライダーや(仮面ライダー)スーパー1(ワン)のファンで、いじめられた時なんかに筑波洋(つくば・ひろし)や沖一也(おき・かずや)に助けてもらいたいけど、彼らは世界を守るので忙しいだろうから自分の所に来てくれはしないだろうな、なんてよく思っていたので、ZOに命がけで守ってもらえる宏くんが羨ましいと思った」
という趣旨の感想文を読んだことがある。
多分今『仮面ライダークウガ』(H12・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20001104/p1)を見ている子供の中にも、この投稿者の書いていたことと同じことを考えている子はいるんじゃないかと思うし、この同人誌の読者、つまりZOの先輩ライダーたちの活躍を見ていた“元”子供たちの中にもそう考えたことのある人はいるんじゃないかと思う。
のちに世界を守る『ウルトラマンティガ』(H8〜H9・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19961201/p1)より、同年の東映の友だちロボットコメディ『ビーロボ カブタック』(H9)の方が視聴率的な点では上回った90年代の特色的なことなども考え合わせると(前者は平均7.3%。後者は平均9.7%)、ある意味これは時代は違えど子供の永遠の願いかもしれない。(注1)
ZOVS怪人ドラスの代理戦争にZOは勝利し、とりあえずZOは「ヒーロー」としての責務は果たした。
杉村は某書籍でのインタビューにおいて、
「見ている子供にとってヒーロー活劇が「殺し合い」というネガな文脈で残るのか、カタルシスや勇気といったポジな文脈で残るのか自分には分からないので、このテのものを書く時はネガとポジが交互に来るようにしている」
と語っていたという。彼にとって『BLACK』の陰性な終り方と『ZO』の陽性な終り方というのは、この感覚から来るのだろう。
だが……、これはあくまで本作が「宏の代理人」としてのZOをひたむきに描いているからハッピーエンド風に見えたのであって、また『BLACK』のように人類全体の命運を背負ったような話でもなかったためである(というと、ドラスをほっぽらかせばいずれ人類絶滅に乗り出してくることを無視したみたいな言い方になってしまい語弊があるけど、少なくとも主役のライダーが背負い込んでいるもの、守ろうとしているものは明らかに光太郎よりミニマムなので)。
が、ここでひとたび本作を主役「ZO=麻生勝(あそう・まさる)」の観点から見返したらどうなるだろうか。
実は彼個人の目的というものが何も果たせていないという意外な結果が浮かぶ。なぜなら麻生の目的は「(宏の父でもある)望月博士を探しだし、ZO(注2)に改造された自分の体を元に戻してもらうこと」だったからだ。
冒頭、博士の宏救出、およびドラス粉砕の命令のテレパシーを受けて覚醒したという経緯はあるが、その命令にはクライマックスにて意外な両面性が発見される。
「ドラスを倒す」ためにはそのエネルギー源の培養液プールを壊さねばならないのだが、それはドラスに捕らえられプールと連動した生命維持装置に繋がれた望月博士の死をも意味するものだった。
(また、ZO誕生の経緯がドラスの実験体としてのものだったことからすると、彼らはある意味で兄弟でもある。まあ、ZOの側には全くそういう認識はなかったようだし、同じ望月博士が作ったというだけで人類外生命体を兄弟だとは思えないだろうけど、図式としての皮肉なものであることには変わりない)
ここでの「宏救出(&人類の敵ドラス粉砕)VS「元の体に戻る」の図式は、先にあげたBLACKの「人類を守る」VS「信彦救出」の図式にも通じるものであるのだ。そう考えると実はZOにとってこの勝利は、同時に全てを失ってしまう戦いでもある性質のものでもあったりするのだ。
作家・杉村の“公”と“私”の関係に関する感覚は、それがマキシマムだろうがミニマムだろうが関係なく、またハッピーエンド風の『ZO』とバッドエンド風の『BLACK』の感覚が実は根底で一緒なのはおわかりいただけたかと思う。
今回はあくまでライダーシリーズの批評なのであまり触れないが、『ZO』と彼が担当した同時期の戦隊シリーズや東映メタルヒーロー・レスキューポリスシリーズにも、先にあげた「前作をひっくりかえす」感覚は色濃く出ている。
例えば同じ「最終回における発展解散」を、あくまで明るく描いたレスキューポリスシリーズ第1作『特警ウインスペクター』(H2)と、「ヒーローとしては勝ちかもしれないが、警察官としては負け」だった次作『特救指令ソルブレイン』の関係。
(終盤で6人目の戦士ドラゴンレンジャー・ブライの死という犠牲はあったが)とりあえずは敵方追放という形で収まった『恐竜戦隊ジュウレンジャー』(H4・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20120220/p1)(注3)と、数十年後の孫の世代に戦い再発という形で幕切れを迎えた次作『五星戦隊ダイレンジャー』(H5・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20111010/p1)との関係がそうだろう。
ついでに言うならこの『ダイレンジャー』において出てきた悪の少年・阿古丸(あこまる)役に、宏役を演じていた柴田翔平くんがふられている。このキャストに杉村が絡んでいたのかどうかは知らない。が、その文芸設定が「父に捨てられた子」の文脈で読めることを考え合わせると、あの阿古丸の悲惨な結末は、実は杉村にとっては「ZOに助けてもらえなかった場合の宏の姿」であり、『ZO』をひっくり返した文芸とも考えられる。
そう考えると、先述の杉村の“公”と“私”の関係への諦観感覚は彼の中で相当根深いものがあるのかもしれない。
その『ZO』のラスト、「全てを失った麻生勝」に宏少年から送られた呼称が、(公開当時で)足掛け20年にわたり人類を守った英雄「仮面ライダー」の名だった。(注4)
ここでの「仮面ライダー」の呼称の扱いは、いわば宏少年の感謝の意の象徴でもあるわけだ。そう、「麻生勝」の変身した「実験体バッタ男」は、「個人の目的」の犠牲と引き換えに「ヒーロー」への仲間入りを果たした形となったのだ。
小生は本文冒頭の方で
「杉村がまず『BLACK』後半のメインを引き受けるにあたって最初にやったことが、石ノ森漫画を読み漁り、その概念を分析することだった」
とした。
我々はこのBLACKとZO、2人の杉村ライダーの末路に、作家・杉村の石ノ森ヒーローとはなんぞや、と考えた結論をひとつ見ることができる。
それはつまり、
「ヒーローとは大義は救えるが、個人的な目的はそのなかで飲みこまれ犠牲になってしまう。そしてその代償に得るのがヒーロー(英雄)の称号である」
といったものだったのではないだろうか。
そして、それは杉村が執筆しのちの物議をかもした『ソルブレイン』最終回などでも反映されたことなども考え合わすと――犯罪者の心も救うことをテーマにした作品にも関わらず、宿敵・高岡隆一の野望は阻止できても、彼の憎しみに満ちた“私的な心”は救済できないどころか、ヒーローによる救済自体を拒絶して自決する(高岡の“私的復讐”も達成されない)――、そのまま杉村の“ヒーロー”に対する認識となったと考えられる。
いや、そもそも彼が元々刑事もののライターであり、その当時の作品は、犯人逮捕という目的は果たせても、社会全体の歪みは変えられない、というアンハッピーエンドで問題提起的な幕切れが多かったこと、そして彼が世間的には“挫折の世代”といわれる学生運動の世代(=終戦直後の昭和20年代生まれのいわゆる“団塊の世代”)に属することなどを考え合わせると、この認識はそもそも杉村自身の中に社会“公”と個人“私”の関係としてあったもの、なのかもしれない。
杉村作品の“イタイ”部分を抽出して書いたので、杉村をさぞかし性格の悪い人と思った方もいるかもしれない。
が、ここで今回書いたことはあくまで小生の考えた推理にすぎないし、また話を「ライダー」に限定しているので、代理戦争屋としてのヒーローもの以外のジャンル作品を見ればまた違った結果になるのかもしれない。
だが、少なくとも彼が産み出したヒーローたちが“公”と“私”の幸福な一致を得られた、つまりその正当性があまり疑われず相対化もされない“私”の徹底的な追及と肯定が、そのまま“公”(社会や政治体制としての“公”ではなく世界平和や公共心の方の“公”)につながっていく、つまり“私”を通そうとして挫折したのではなく、“私”が物心ついた最初から抑圧されていたがゆえ理想化されて凍結したままの、昭和10年代生まれの戦中世代の手による上原ヒーローたちとはかなり違うタッチで描かれているのは確かだと思う。
杉村自身は『超力戦隊オーレンジャー』(H7・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20110926/p1)を最後にゲームシナリオの方に活躍の場を替えている。
が、もしこの底意地悪くヒーローのネガの部分を見せる彼の手法が、ゲームという新メディアの方に反映されていくとすれば、彼の作品内では「痛い“個人の目的の犠牲”」がくりかえされていくのだろうか……、などと思ってしまうのも小生にとっては事実なのである。
『BLACK』の頃の子供たちももうそろそろ成人する頃だが、そういう年代の子供たちが荒れている、などというニュースを聞くたびに、(それ自体は杉村一人の責任ではないにせよ)杉村は自分の書いたトラウマヒーローたちに対して、いまどんな見解をもっているのか、を聞いてみたい気がする今日このごろである。
注1:子供が身近な事件やイジメなどでヒーローに助けてほしいと思うのを、子供のわがままと言い切ってしまうのは簡単かもしれないし、是非をここで問うつもりもない。実際、小生も『ビーロボ カブタック』のVシネマ版『ビーロボカブタック クリスマス大決戦!!』(H9)を見ていた時に、
「世界の平和より、ボクには譲(ゆずる=カブタックの居候先の少年)の方が大事」
と言って戦いに行ってしまうカブタックのセリフには「気持ちは分かるし、この作品だから許されるんだけど、なんか問題アリなセリフ」と思ったクチだけど、力なき子供ってそういうモンじゃない?
注2:実は作品中でこの「ZO」という名称は一切出てきていない。「ZO」の名は後年の3D映画『仮面ライダーワールド』(H6)にて競演した後輩・ライダーJにそう呼ばれたのが最初だったりするのだが、便宜上ここではあえてZOの呼称を使わせていただいた。
注3:ついでに言うと『恐竜戦隊ジュウレンジャー』が『特救指令ソルブレイン』の翌年の作品であることからいえば、『ジュウレンジャー』最終回の敵組織を壊滅させずに情をかけて終わるオチは「ヒーローとしては負け」だが「人としては勝ち」という意味で前作のひっくり返しなのかもしれない。あくまで杉村個人の中で、の話だが。
注4:本作中、歴代ライダーの存在は明確にされていない。が、注2で触れた後年の3D映画では、シャドームーンが三度復活し、Vシネマ『真・仮面ライダー 序章(プロローグ)』(H4)の敵怪人も登場するので、この映画も正史とするなら『ZO』が仮面ライダー1号以来の歴代ライダーの世界の延長線上の世界であることがはっきりしており、とすれば宏少年がライダーの存在を認知していたとしてもおかしくはないのでこういう解釈とした。
編集者付記
脚本家・杉村升氏は、2005年(平成17年)に56歳の若さで逝去。氏が『BLACK』以降、特撮ジャンルでメインライターを務めた作品は下記の通り。
・『機動刑事ジバン』(89年)
・『特警ウインスペクター』(90年)
・『特救指令ソルブレイン』(91年)
・『恐竜戦隊ジュウレンジャー』(92年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20120220/p1)
・『五星戦隊ダイレンジャー』(93年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20111010/p1)
・『忍者戦隊カクレンジャー』(94年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20120109/p1)
・『超力戦隊オーレンジャー』(95年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20110926/p1)
「ある意味でプライベート・バトルたる戦いの勝利が、真に平和を呼び戻す」
上原正三センセイのこの公私感は、プライペートな恋愛が世界の命運に直結するという、いわゆる「セカイ系」の元祖に当たるといえるかもしれない……(あまりホメ言葉にはならないかもしれないけど・汗)。
『仮面ライダーBLACK』平均視聴率:関東9.2%・中部7.7%・関西10.3%
1クール目(10〜12月):関東9.2%・中部7.4%・関西9.1%
2クール相当(1〜3月):関東10.5%・中部8.4%・関西11.5%
3クール相当(4〜6月):関東8.8%・中部7.3%・関西10.0%
4クール相当(7〜10月):関東8.7%・中部7.5%・関西10.7%
最高視聴率:関東11.8%(#41)・中部11.5%(#17)・関西13.8%(#20)
最低視聴率:関東6.2%(#50)・中部4.7%(#26)・関西3.5%(#26)
(10%越え:関東20回・中部1回・関西33回)
『これが仮面ライダーBLACKだ!!』(#1放映1週前の宣伝番組):
1987年9月27日(日)10:30〜11:00放送:関東1.5%・中部8.2%・関西4.8%
毎日放送(TBS)系 毎週日曜日10:00〜10:30放送
中部日本放送のみ毎週日曜10:30〜11:00放送(同日30分遅れネット)
関西地区のみ#25、26は選抜高校野球中継のため時間移動して放映
中部地区のみ#3は特番のため時間移動して放映
(平均視聴率EXCEL表計算:森川 由浩)
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