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ウルトラマン80 34話「ヘンテコリンな魚を釣ったぞ!」 〜石堂淑朗脚本・再評価!

ファミリー劇場ウルトラマンエイティ』放映記念「全話評」連動連載!)
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『ウルトラマン80』全話評 〜全記事見出し一覧


第34話『ヘンテコリンな魚を釣ったぞ!』

巨大怪魚アンゴーラス(親子)登場

(作・石堂淑朗 監督・湯浅憲明 特撮監督・佐川和夫 放映日・80年11月19日)
(視聴率:関東9.0% 中部8.9% 関西11.7%)


(文・久保達也)
(2009年11月執筆)


魚売り女「ハイハイ、貝でもタコでもなんでもあるだよ。干物(ひもの)もあるけんど、干物を釣ったと云うワケにはいかんねぇ。ハイハイ、とーちゃんの腕の証明! さあ〜、買った買った〜~!」


 神奈川県三浦半島のある漁港にて、まったく釣れなかった釣り客に向け、威勢のいい声で魚を売る中年女性を堤防から遠巻きに見て、釣りを趣味にする中年男・山田がつぶやく。


「せっかく釣りに来たのに、買って帰ったんじゃしょうがねぇな」


 導入部の何気ないこの場面。旅情豊かな風情(ふぜい)を感じさせるばかりでなく、これから巻き起こる大事件の伏線ともなり得ている秀逸な演出である。


 ぶっちゃけ云えば、今回は釣りを趣味にするゲスト少年・飯田治が結果がサッパリだったため、地元の漁師夫婦の網(あみ)にかかったという奇妙な魚をもらったところ、その稚魚が実は巨大怪魚アンゴーラスの子供であり、親怪獣が子供を取り戻そうと大暴れするが、治が子供を返したところ、おとなしくなって帰っていくという話である。


・「南海の楽園」の名物にするために、南太平洋キャサリン諸島のオベリスク島から日本に連れてこられた子供怪獣を追い、夫婦怪獣が静岡県熱海(あたみ)市の温泉街に上陸、富士五湖周辺や京浜工業地帯で大暴れするが、羽田空港で子供を返されるや、親子でおとなしく故郷へと帰っていく怪獣映画の不朽(ふきゅう)の名作『大巨獣ガッパ』(67年・日活)
・悪徳興業師がオロン島から持ち帰った卵を取り戻すため、大亀怪獣キングトータスとクイントータスの夫婦が復讐にやってくる『ウルトラマンタロウ』(73年)第4話『大海亀怪獣東京を襲う!』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20071223/p1)&第5話『親星子星一番星』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20071230/p1
・日本の花火大会を宇宙に咲く花だと思って接近したために地球に落下した子供を思い、体が乾燥しないようにと母親の鳥怪獣フライングライドロンが稲妻を起こし、地上に雨を降らせ続ける、同じく『タロウ』第20話『びっくり! 怪獣が降ってきた』
・母親怪獣とケンカして家出のように地球に飛来したらしい鳥型のだだっ子怪獣ザンドリアスが、最後には母親怪獣マザーザンドリアスとともに宇宙へ帰る、『ウルトラマン80(エイティ)』第4話『大空より愛をこめて』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100523/p1
・神奈川県江の島(えのしま)に面した相模(さがみ)湾岸を走る鉄道(半分は路面電車)である「江ノ電(えのでん。江ノ島電鉄)」の警笛を母親の声と勘違いして出現した虹色怪獣タラバンの子供を、ウルトラマンティガが拝借した「江ノ電」の車両で宇宙へと誘導し、母親と再会させる感動の名作『ウルトラマンティガ』(96年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19961201/p1)第46話『いざ鎌倉!』


 親子怪獣の絆・情愛を描いた定番の路線ではある。それを怪獣映画やヒーロー活劇としては「邪道だ!」とする声もかつては濃厚にあったものだが、反論はひとまず置いておく。



「僕はこれに限らず、ウルトラはほとんど中盤以降の参加でね。最初の方はたいてい若手がガッチリやるから、僕にはお呼びがかからない。それが、だんだん間尺が合わなくなってくると俺のところにね(笑)」


「僕はいわゆる〈文部省特選〉みたいな話にまとめるのは嫌いだけど、自然児が遊び回っているような作品は好きだからね。子供がギャアギャア騒ぐようなドラマをウルトラ以外でもよく書いてるけど、「石堂は子供のセリフがうまい」とよく褒(ほ)められます。僕自身、いまだにガキ大将みたいなところがあるから(笑)。いまだに小さな子供を描くのが一番好きですね。中世の歌集(梁塵秘抄)に「遊びをせんとや生まれけむ」ってある、まさにあの感じですね」
――引用者註:平安時代末期の今様(いまよう=当時の最新流行歌をこう呼称した)のひとつで、「(子供が無邪気に遊んでいるのを見ていると)結局のところ子供は(そして人間一般も)遊びをするために生まれてきたのだろうか? と感じられてきてしまう」というような意味――


(『君はウルトラマン80を愛しているか』(辰巳出版・06年2月5日発行・05年12月22日実売・ISBN:4777802124)脚本・石堂淑朗インタビュー)



 ここはひとつ、子供がギャアギャアと騒ぐような、遊び心にあふれた作品を素直に楽しんでみようではないか?(笑) そんな石堂淑朗(いしどう・としろう)氏の今回の作風は、子供たちと大怪獣ガメラの絆を描いた昭和の『ガメラ』シリーズ(65〜80年・大映)の監督などでも知られる湯浅憲明(ゆあさ・のりあき)とは相性も合っていたようだ。
――厳密には『ウルトラマンA(エース)』(72年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070430/p1)以降の担当脚本回での作風であって、それ以前の『帰ってきたウルトラマン』(71年)や『怪奇大作戦』(68年)での担当脚本回での作風ともまた異なる――



 治が黒い長靴を釣りあげて「チェッ」とガッカリする描写までは定番のネタではあるものの、この時代のたいていの作品ならばそこでポイッ! と「投げ捨て」にしてしまうのが常道だったのだが、それを見た山田が


「せっかく釣ったんだ。浜のゴミ箱まで持ってったら?」


 なる良識的なセリフを放っている。たしかにそこで長靴を投げ捨ててしまうと後味が少々悪くなってしまうが、この時代として珍しくそうはさせない展開となっており、さりげにモラリスティック(道徳的)であって好感も持てる。


 そして遠方で鳴るバスの警笛を聞き、


治「今、何時ですか?」
山田「(午後)4時だよ」


 なんて会話がなされるのも、旅先やイベントでの「いつもと時間の流れの速さが違って感じられる、ちょっとした非日常感」にもあふれていて、「リアル・シミュレーション」の意味ではなく「心情描写」の次元で「リアル」でもある。
 こうした助走台がキッチリと描かれていれば、いくらその後の展開が我々の生きる現実世界には存在しえない巨大怪獣が登場して大暴れするというハチャメチャなことになろうが、アンゴーラスの子供の造形物が現在の視点ではいかにもな「つくりもの」であろうが(ただラジコン操作ではあろうが、動きはなかなかリアルではある)、この作品の手のひらの上に乗せられて観ていくことができるし、少々のムリや急展開があってもメリハリのあるストーリーの抑揚となって活きてくるというものだ。


 その助走台のひとつとして、地元の漁師の網にかかったアンゴーラスの子供をさわろうとした治に対し、


「ああ、ダメダメ! ヒレに毒があるかもしれないからね! 子供はさわっちゃダメ!」


 などという、漁師の奥さんが放つ、その職業特有の生々しい経験値から来た「生きた常識」なのだなと感じさせてくれる、本当にそうなのかはともかく(笑)、それっぽいセリフがまた本話の足場をシッカリと地固めして盤石(ばんじゃく)にしてくれている。


 アンゴーラスの子供を持ち帰った治の自宅に、彼の友人の五味太郎斉藤明夫・光子の兄妹が訪ねてくる。釣り仲間の五味がイシダイを釣って獲得した「トップ賞」を治が奪うことになったのだ。この五味少年が腰に付けた「トップ賞」の「バックル」が単なる安っぽい紙製であるのが、いかに大人のマネをした賞レースのお遊びとはいえ子供のやれることとしてはリアルである(笑)。


五味「あ〜あ、惜しいなぁ〜、これやるの」


 なんとも残念そうにやむなく治に「バックル」を渡す五味役の松本芳晃の演技が絶品。だが、「バックル」を外した途端、ズボンが脱げてパンツが丸出し状態に! 光子が


「まぁ、失礼ねぇ〜」


 と顔をそむけるといった、実にほのぼのとしたギャグ描写がたまらない。しかし現在ではこの程度でさえ放送コードにふれるのだろうか?(笑)
 
 
 水槽で泳ぐアンゴーラスの子供を見て、「本当に関東近海にこんな魚がいるのか? 深海魚みたいだ」などといぶかる五味と斉藤兄だが、


「でもたしかに大きいわぁ。五味くんも悔(くや)しかったらこんなの釣ってみたら?」


 などと斎藤妹の光子が女の子ながらに微妙にキツいセリフを吐くのも、現実の子供の女の子たちの大半も常に物腰がやわらかいワケではなく、時に男の子のことを蔑(さげす)んだり頼りになるオスか否かを試して値踏みをしてくるような少々サディスティックな言動をズケズケとしてくることもたしかにあるワケだから、これもクールで乾いたリアルさではなく所帯染みたニュアンスでのリアルさが感じられる(笑)。
 ただし10代前半の同世代の子供たちが本話を観たら、この少女に対するプチ不快感の方が先立ったり子供たちの描写が少々鼻につくかもしれないことを考えれば子供番組としては弱点になりうるかもしれないが(汗)、もっと成長してその年代を過ぎた10代後半以上である高校生以上になってから再視聴すると、そのあたりの子供たちの群像劇も過剰にイヤに思わずに達観・俯瞰(ふかん)して観られるようになってくるだろうし、不良ではないが決して良い子でもない性善性悪が相半ば拮抗している子供たちの描写が妙にリアルでもある。


 光子の挑発に発奮した五味や斉藤が、光子とともに「どこで釣ったのか?」を治を問いつめる。しかし自身で釣ったのではないことから、治が云えずに口ごもっていると、


「云いなさいよ〜。男らしくないわよ!」


 と、これまたこのテの物怖(ものお)じせずに弁も立つ女の子ならば、絶対に云いそうなリアルでキツいトドメの一言! 「ガ〜ン!」となってしまった治は、


「あ〜あ、眠れないよ〜。自分で釣ってないのに釣ったなんてウソをつくからだ。ウソがバレる。ウソをついたら仲間外れになってしまう」


 と思い悩み、その晩は眠れなくなってしまう。が、そこに水槽から何か大きな音が響いてくる! 恐る恐る自宅の暗い階段を降り、治が水槽の様子をうかがうと、なんとアンゴーラスの子供がジャンル作品のお約束で「質量保存の法則」を無視して、急にひと回り大きくなっていたのだ!(笑)

 
 驚く治だが、そこに治のパパが入ってくる。


治「もう少し大きな水槽を買ってよ〜」


パパ「算数が(通信簿で最高の成績である)“5”になったら……」


 と返してくる。とかく大人はそういうテキトーなことを云って、金銭や手間がかかりそうな子供の頼みをやり過ごすものである(笑)。
 
 
 時計が午後10時を告げ、今度はママが入ってくる。


ママ「治、もう10時よ。早く寝なさい」


 就学前の幼児ですら深夜まで起きている子が多いそうである昨今では、このような描写はリアルに見えないかもしれないが(?)、当時の小学生たちの多くはその時間帯には親から寝かしつけられたものだった。筆者なんかは小学校卒業まで夜9時には寝るように云いつけられたものである(とはいえ、マセた子供やルーズな家庭は当時も夜9時からの2時間ドラマや夜10時からのテレビドラマを観ていたそうだが…… そういう筆者も夜9時からの当時の大人気歌謡曲番組『ザ・ベストテン』(78~87年)などは観ていた・笑)。


 ママは今度はパパに標的を定める。


「パパ、また何か買ってあげるって云ったでしょ? ダメよ、隠しても。もうなんでもすぐに『買ってあげる』って云わないで下さい。あなたの年代のパパはみんなそうなんですってよ。自分の子供のころには何もなかったからって、すぐに子供を甘やかすんですってよ」


 そう。この時代のパパとママは日本が近代になってから最も物資が窮乏した、太平洋戦争中や敗戦後の混乱期に子供時代を過ごした疎開児童や焼け跡闇市の世代なのである。子供のころは玩具も乏しかったどころか常に空腹だった世代なのである。それまでの明治・大正生まれやその後の戦後生まれと比べてもこの戦中世代は平均身長まで低いのだ(汗)。
 それはともかく、子供が欲しいものをワリとすぐに買い与えてしまう当時の一部のパパたちは、幼少期に物資を欲(ほっ)した不全感を今になって自分の子供たちに仮託して満たしていたのである。こうしてさりげなく、戦前生まれのガンコ親父・カミナリ親父や藤子不二雄原作の漫画『オバケのQ太郎』(64年)に出てくるQ太郎の居候先に住まう貫禄と威厳のある1960年代までのパパ像とは異なる、日本の敗戦で前代と比すればどこか自信を持てずに育った男性たちや藤子不二雄の漫画『ドラえもん』(70年)に出てくるドラえもんの居候先のパパ像に象徴される、1970年代以降の良く云えば優しいマイホームパパ、悪く云えば頼りない父親像、といった当時の世相も反映されている(藤子不二雄もこの世代である)。当時の世の親たち(石堂先生自身も含む)のことを風刺してみせているのは、1932(昭和7)年生まれの石堂先生としてはどうしてもやっておきたかったんだろうなぁ。


 ちなみに石堂先生が円谷プロ作品にはじめて参加した『怪奇大作戦』(68年)第23話『呪いの壺』や、『帰ってきたウルトラマン』(71年)第34話『許されざるいのち』に登場したゲスト青年たちは、やや内向的で不器用で破滅的でもある日本の近代文学私小説・純文学)の伝統も感じさせる青年の苦悩が中心に描かれており、石堂先生にもまだ青春の懊悩の残り香があったことがうかがえて、なおかつ非常にマジメな作風でもある。
 しかし、次作『ウルトラマンA』(72年)の時期に40代に突入したからか完全にオジサン化して、そのへんのナイーブさは消えていく。初担当回である第16話『夏の怪奇シリーズ 怪談・牛神男(うしがみおとこ)』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060903/p1からして初っ端からオカシい(笑)。良い意味で行き当たりバッタリな落語のような話運びであり、1970年前後に世界中で流行した無軌道で自由な若者像である長髪でラフな格好をしたヒッピー風のゲスト青年にはもう、青春期の懊悩は仮託されておらず、その憎めない奇行がコミカルに描かれていく(この行き当たりバッタリさがある意味で90年代以降の不条理ギャグにも似てくるノリは第38話『復活! ウルトラの父』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070121/p1)などにも共通する)。
 第41話『冬の怪奇シリーズ 怪談!! 獅子太鼓』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070209/p1)や第43話『冬の怪奇シリーズ 怪談 雪男の叫び!』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070224/p1)や第47話『山椒魚の呪い!』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070324/p1)に登場するゲストは、中年化してもう繊細ナイーブさも枯れ果てて開き直ってしまったのか、村外れの気難しくて人付き合いの悪い怪しい奇人変人ばかりとなっている(笑)。
 『ウルトラマンタロウ』(73年)第23話『やさしい怪獣お父さん!』では70年代的な頼りないパパ像がはじめて登場する。この頼りないパパ像は脚本家は田口成光ではあるものの『ウルトラマンレオ』(74年)第30話『日本名作民話シリーズ! 怪獣の恩返し 鶴の恩返しより』などにも登場して、『ウルトラマン80』の本話などに至っていく……



 治よりも大物を釣りあげて「トップ賞」の奪還を目指す五味が、斉藤と光子を連れて三浦海岸にやってきた。
 やはり三浦海岸に来ていた、先の釣りを趣味にする中年男・山田が子供たちを暖かく見守っていたが、五味の釣り竿(つりざお)にあまりにも大きな獲物がかかった様子に、山田は仰天して子供たちのもとへと駆け寄る!


山田「おい離せ! 竿を離すんだ!」
五味「1万円もしたんだ!」
山田「おまえの命は1万円か!? 離せ〜~っ!!」


 とっさに「おまえの命は1万円か!?」などという言葉遊び的な受け答えができてしまうあたりが、江戸や大阪などの人口過密地帯である大都市の下町で発達しがちで、実務的には無意味でも人間関係の潤滑油や緊張緩和としては有効な、当意即妙な言葉遊びや冗談の延長線上にある落語や漫才などの掛け合いも想起させてくる。
 同時にこのシーンは、長年の特撮マニアであればゴジラ映画『三大怪獣 地球最大の決戦』(64年・東宝)の阿蘇山での空の大怪獣ラドン登場場面において、新婚旅行らしき夫婦の妻が火口に帽子を落としてしまい、取ってきてあげようと手数料をふっかけるが、散々値切られた末に、
 

「じゃあ200円、200円でどうです!?」


 と交渉が成立して取りに行ったものの、ラドンの餌食になったと思われる哀れな男なども思い出されてくるだろう。彼の命はたったの200円だったのである(笑)。
 ちなみにこのラドンの餌食になる男を演じたのは、この『ウルトラマン80』全話評でも第27話『白い悪魔の恐怖』評(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20101030/p1)などで特撮評論同人ライター・内山和正氏が言及されている『ウルトラセブン』(67年)第2話『緑の恐怖』でのワイアール星人に襲われる酔っぱらいや、その後番組『怪奇大作戦』(68年)の欠番になってしまった第24話『狂鬼人間』の日本刀を振るう狂人、『ウルトラマンA』第40話『パンダを返して!』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070204/p1)に登場した宇宙超人スチール星人の人間体である黒マントの男など、ウルトラシリーズにもよくゲスト出演していた大村千吉(おおむら・せんきち)であった。


 釣り人・山田中年と3人の子供たち、そしてこっそりと来て物陰から様子をうかがっていた治の前に、アンゴーラスの親怪獣が巨大な姿を現した!
 アンゴーラスはデザイン的にはホントに深海魚のチョウチンアンコウをそのまんまデカくしただけという趣(おもむき)である。だが、よく見ると頭部の触角の周囲にテグス(釣り糸)が多数からみついているのだ!(笑)


 導入部で三浦海岸から発せられるシグマ電波を調査しに来た矢的が、
 

「なにか変わったことはありませんでしたか?」


 と山田に尋ねた際に、彼は


「そうですねぇ。磯がだいぶ釣り客に荒らされましてねぇ。魚も減りましたよ」


 などと非現実的な怪獣出現の予兆のことではなく、釣り人のマナーや釣り客の増加による魚の減少といった現実的な危機について答えていたのだが、アンゴーラスはまさにそういった海岸や漁場の荒れ具合も反映させた実に秀逸な怪獣デザインであり装飾だったのである。まぁ、今大流行の「エコロジー・テーマ」の先駆けでもあるのだが、そうしたことを説教臭くスローガン的に連呼するのではなく、こうしたさりげないかたちで自然に表現する分にはOKだろう。
――ちなみに、筆者個人は「エコ・テーマの主張などはこんなに胡散(うさん)臭いものはないと考えている。人類滅亡こそが究極のエコになるのだ! などと考えているが、こんな主張をする「悪役」や「ライバル」が登場する作品はあまたのアニメや特撮、90年代後半の平成ウルトラ三部作なども含めて、すでにあちこちでやっていますな(笑)――。
 
 
 一見マヌケにも見える造形ながら、アンゴーラスが大きな水しぶきをあげて海面から跳び上がり、画面手前に迫ってくる描写はスゴい大迫力! クリクリとした大きな目玉は可愛らしいが、それをアップでギョロつかせる描写が何度も挿入されると結構コワく見えてきて実に効果的!


 矢的隊員が搭乗する防衛組織・UGMの戦闘機・スカイハイヤー、イトウチーフ(副隊長)とフジモリ隊員が搭乗する戦闘機・シルバーガルが攻撃に出動! アンゴーラスの造形物がかなり大きいためロングショット(引きの絵)が多用されており、手前に配置された精密な漁港のミニチュアセットの上を、二機が画面奥のアンゴーラスに向かって飛行していくさまはまさに臨場感にあふれている!
 アンゴーラスは一旦海底に身を潜めるが、まさにそのアンゴーラスの目線でとらえたかのような、海面越しに飛行するスカイハイヤーとシルバーガルをあおりで撮らえたカットも魅惑的! ほかの作品ではあまり見たことがないような特撮映像である。


 矢的が乗るスカイハイヤーが海面に急降下するや、突然アンゴーラスも海面から高々とジャンプ!! このワンカットのためだけに尺の小さいアンゴーラスの造形物が用意されたのだろうと思うが、メインで使用しているスーツアクターが中に入る着ぐるみをジャンプさせていたとしたら、ちょっとスゴすぎ!



 そのころ、イケダ隊員は横浜から発せられるシグマ電波の発信源を追い、治の自宅にたどりついていた! イケダの姿を見て、血相を変えて玄関から飛び出してくるママ。


ママ「(慌てて)子供が! 子供が三浦半島に行ってるんです!!」


イケダ「お宅から三浦半島の怪獣が出すのと同じ電波が、電波ですよ〜! こっから出ているんですよ! なにかありませんでしたか?」


ママ「そんなことはどーでもいいんです! 治を助けて!!」


 コミカルに演出されてはいるが、治を心配するあまり、イケダの云うことにまったく耳を貸そうとしない非理性的・感情的なママの慌てふためきぶりは、肝心なときに理性的・合理的に動けない登場人物にやたらと不快感を持つマジメな特撮マニアたちの反応にも一理はあるのだけど、物語としては彼らの愚行で大ピンチが到来する展開も描けるのでその方が面白いし(笑)、それはそれで我々も含めて人間なんてイザとなればそんなものだという意味ではリアルでもあり、ふたりの名演も光っている!


オオヤマ「なんとかならんのか!」


 三浦半島一帯に避難警報を発令したというUGMの紅一点・城野エミ(じょうの・えみ)隊員の報告にも


「遅い遅い!」


 とボヤくなど、珍しく今回はナゼかイラついているオオヤマキャップ(隊長)。ついにアタマに来たのか、イトウとフジモリに珍妙な命令を下した!


オオヤマ「よし、怪獣を釣りあげるんだ!」


イトウ&フジモリ「エッ!?」(唖然!)


オオヤマ「釣りあげるんだっ!!」


 頭に血がのぼっているため、それ以上は何も説明しないオオヤマキャップ。おそらくは人気(ひとけ)のない場所にアンゴーラスを空輸しろと指示したかったのだろうが、云うのが面倒臭くなったのか? これもかえってリアルなのかもしれない(笑)。

 
 そしてシルバーガルの底部が開き、吊されたテグスの先端には巨大な釣り針に刺された巨大なミミズのような生物が! 全長12メートルのシルバーガルとほぼ同じ大きさのあのエサは、いったいなにものやねんっ! つーか、最初から用意しとるやないかっ!(爆) 『タロウ』に登場する防衛組織・ZAT(ザット)の対怪獣作戦も珍妙なものが多かったけど、今回は何の前フリもないからビックリするわ!(笑)


 しかもアンゴーラスがこのエサに喰らいつく! アンゴーラスのデカい上唇の中央にテグス(釣り糸)が食いこんでいる特撮演出もなんとも味があるよなぁ。


フジモリ「フィッシュ・オン!」


 アンゴーラスを釣りあげた際、フジモリが発した英語…… このヘンな造語っぽい英語は、芥川賞作家で日本の戦後文学の雄でもある作家・開高健(かいこう・たけし)の釣りに関するノンフィクション・エッセイ『フィッシュ・オン』(71年・朝日新聞社・のちに新潮文庫化・ISBN:4101128049)のタイトルでもある(笑)。
 これらの場面は相当ヘンなことをやっているのに、この一連でイトウとフジモリが大真面目に演技をしている姿はかえって爆笑を誘っている。

 
 だがアンゴーラスにエサを取られて「釣りあげ作戦」は失敗! アンゴーラスは口から猛烈な水流をスカイハイヤーに吐きかけ、スカイハイヤーは海面に着水! この際にあげる水しぶきも良い感じである。


 UGMの攻撃をものともせず、アンゴーラスが子供たちと山田をめがけて海岸に接近! アンゴーラスが迫る特撮カットの手前を彼らが逃げてくる合成映像は緊迫感抜群である!


光子「飯田くん! あたしたちと一緒に逃げないで!」


治「どうして!?」


五味「だって怪獣はおまえを狙ってるみたいじゃないか!?」


治「そんなことない!」


五味「そんなことある!」(笑)


山田「君たち! ここまで来たら、みんな一緒だ!」


光子「だってあたし、死ぬのイヤよ〜!」


治「わかったよ。わかりましたよ! どーせ僕がひとりで死ねばいいんだろっ!!」


 山田が制止するのも聞かず、アンゴーラスに向かって駆けだしていく治……
 友達だと思っていたはずの人間から放たれた、なんとも残酷で薄情な言葉…… 子供たち一般が内面に抱えている負の一面を気張らず軽妙に白日(はくじつ)のもとにさらけ出してみせる石堂先生は偉大である(笑)。

 
 筆者が別項で語った第31話『怪獣の種(たね)飛んだ』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20101127/p1)にほしかったのは、まさにこんな決して良い子なだけではない要素もある子供たちの特に人間関係で発露される、仕方がないところもあるけど自己保身やプチ残酷性の要素なのである。

 
 『ウルトラマンA』(72年)第3話『燃えろ! 超獣地獄』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060521/p1)で異次元人ヤプールも語っていたではないか!?


「子供が純真だと思っているのは人間だけだ!!」



光子「五味くん、ちょっと、云いすぎじゃない?」
五味「おまえが先に云ったんだろっ!」


 一方で子供たちの中にある残酷性を描くだけでなく、自分でそのことを自覚・客観視してストップをかける理性があることも描いてはいる。しかしそれがまた中途半端なので互いに相手に責任をなすりつけ合うふたりの姿がまた、子供のみならず人間一般の人情の機微の真理を突いていてリアルでもある。五味役の子役が手をバタバタさせて体を跳び上がらせながらセリフを放つ姿がまた最高!(笑)


 スカイハイヤーから脱出し、海岸に泳ぎついた矢的はオオヤマキャップに無事を報告。シグマ電波の発信源であるアンゴーラスの子供を発見したイケダと連絡をとるが……


イケダ「目玉は白目の方が多く、目玉の吸いものにするとウマそうな目ん玉」


 って、なんでこの状況で魚の怪獣とはいえ料理に例えているんかい!?(笑) シリアスとコミカルを行ったり来たり。この起伏の激しさに富んだメリハリの強さこそ、石堂先生の真骨頂なのである。

 
 イケダが呑気(のんき)に子供怪獣の特徴を実況する中、アンゴーラスの親怪獣がヒレで巻き起こす大津波三浦半島を襲う!
 マリーナに停泊した多数のヨット、湾岸道路に乗り捨てられた車の列に大量の放水がかぶるさまは圧巻! なんと湾岸道路の下には多数のテトラポットまでもが配置されている! 実にリアルでぜいたくなミニチュアワークである!


 ついに矢的はウルトラマンエイティに変身!
 海中から跳び上がり、宙で華麗に二回転を決め、しぶきを上げてアンゴーラスに向かって駆けだしていくエイティ!
 大きな尾ヒレをバタつかせ、その巨体でエイティにのしかかるアンゴーラス!

 
 ここで筆者は重要なことを忘れていたことに気づく。アンゴーラスは先述したようにアンコウをそのままデカくしたようなデザインであり、手足はないのだけれど、造形物の中に人間が入っている。つまりスーツアクターが中に入る着ぐるみとして製作されていたのだ!
 実は筆者が『80』を通して観るのは17年ぶりのことであり、アンゴーラスは第32話『暗黒の海のモンスターシップ』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20101204/p1)に登場したスクラップ幽霊船バラックシップのように、人間が中に入らない造形物だと思いこんでいたのである。今回の再見でエイティとのバトルを観るまでは(汗)。
 このデザインでは到底派手なアクションは期待できるハズもないのだが、エイティの二(ふた)回りはあろうかと思えるほど巨大なアンゴーラス! 大プールの中でそれにのしかかられるエイティ! まさにスーツアクターも命がけである。


オオヤマ「子供(怪獣)はここにいるぞ!」


 治の家からアンゴーラスの子供をUGM専用車・スカウターS7(エスセブン)で輸送してきたオオヤマキャップがアンゴーラスに呼びかける!
 手前に漁港のミニチュアを配し、奥にエイティにのしかかるアンゴーラスを配したロングショットの特撮カットの中で、アンゴーラスがオオヤマの呼びかけに応えるように、こちらにチラリと視線を向ける芸コマな怪獣の演技演出まで施されているのだ!
 
 
 同乗してきた城野隊員と治のママ、そして子供たちが見守る中、治が水槽からアンゴーラスの子供を海に解き放つ。


 重厚(じゅうこう)な名曲『怪獣レクイエム』のインストが荘厳に鳴り響く中、親子が感動的な再会!
 親怪獣が喜びを表現するように大きな目玉をギョロつかせ、大きな口をグリグリと振るわせ、大きな尾ヒレをバタつかせてエイティに水しぶきをかける描写も楽しいが、それを優しく見守る一同の表情をアップで挿入しているのがなんとも泣けてくる!



「『80』でもそうでしたが、ウルトラマンシリーズには本来のいわゆる正統怪獣のラインとファンタジックなラインの2つがあるわけです。特に最初のシリーズで実相寺昭雄監督が描いた怪獣の側-差別される側からの視点や演出というのは実に優れていると思います。これは実相寺さんの築いた素晴らしい設定です。体質と言いますか体制と言いますか、そういったものをある程度意識して私も一本撮ったことがあります。『(新)コメットさん』でウルトラマンタロウがゲストの話で、(タロウに変身する)東光太郎(ひがし・こうたろう)が地球では治すことのできない病気を抱えた宇宙人の少年を救うために、地球でのコメットさんとの平和な生活を捨てる、というものでした」

(『君はウルトラマン80を愛しているか』(辰巳出版・06年2月5日発行・05年12月22日実売)「監督・湯浅憲明が語った『ウルトラマン80』」)



 ここで言及されているのは、『(新)コメットさん』(78年)第43話『初恋の人ウルトラマン』のことである。このエピソードが実相寺昭雄(じっそうじ・あきお)監督&佐々木守(ささき・まもる)脚本コンビが放ってきたアンチテーゼ編や異色作のようなシブい路線であるのか? と問われれば、そこにカテゴライズするのはややムリがあるようには思える(笑)。
 しかし、スペクタクルな怪獣大暴れやヒロイックなウルトラマンの大活躍を描くのではなく、作風はマイルドでもやや「悲劇」寄りの方向で決着するストーリーであったことを思えば、そして「正当怪獣のライン」と「ファンタジックなライン」の2つで仮に分類するならば、この『コメットさん』のエピソードはたしかに後者寄りだろう。


 怪獣の親子、怪獣の夫婦、弱い怪獣、コミカルな怪獣、シミったれた浪花節(なにわぶし)のストーリー。これらは「怪獣もの」としては邪道である! 怪獣とは「未知」の存在であり「脅威」であり「恐怖」を表象するものでなければならない! とリアル&ハード&SF志向の特撮マニアたちは長年訴えてきた。それも半分は正しいのだろう。
 しかし彼らが持ち上げる第1期ウルトラシリーズでも、初代『ウルトラマン』(66年)第23話『故郷は地球』に登場する棲星怪獣ジャミラ、第35話『怪獣墓場』に登場する亡霊怪獣シーボーズなどは、「恐怖」や「脅威」といった「強者」を仰ぎ見るような感情よりも、「哀れみ」や「悲しみ」といった「弱者」を慈しむような感情が仮託された存在でもあった。夫婦怪獣や子供怪獣や本作のアンゴーラスのような怪獣も「弱者」や「被差別者」に近しいところがある存在でもある(まぁそんなにシミったれてはいないし愛敬もあるのでペーソス(哀感)程度ではあるけれど・笑)。そういう意味では湯浅監督が云うように、実相寺監督&佐々木守脚本とイコールではもちろんないにせよ、ホップ・ステップ・ジャンプの三段論法的にそこに緩やかに通じていくものがあるとは云えると思うのだ。



<こだわりコーナー>


*釣り人・山田高夫を演じた坂本新兵(さかもと・しんぺい)は、筆者のような1970年代に幼年期・少年時代を過ごした世代にとっては、幼児向けお遊戯番組『ママとあそぼう! ピンポンパン』(66〜82年・フジテレビ)で、スタジオに呼んだ20人近くの幼児たちを相手に司会や進行を務めていた「新兵ちゃん」(氏は出演者の中では唯一、16年間にわたったロングラン放映での「皆勤賞」だった)、あるいは同じく長命を保った児童向けテレビドラマ『ケンちゃん』シリーズ(69〜82年・国際放映 TBS)の「おまわりさん」役の出演などで強く記憶に残っている人物である。『帰ってきたウルトラマン』第29話『次郎くん怪獣に乗る』(72年3月12日公開『東宝チャンピオンまつり』で劇場上映もされている)にも、レギュラーの坂田次郎少年の友人・よし子の父親役でゲスト出演している。
 「新兵ちゃん」という愛称で親しまれたほど、常にニコニコとした丸顔の笑顔が印象的な氏であったが、実は「私生児」として生まれた過去を持ち、青年期はかなり荒れた生活を送っていたようであり、その経験から後年は俳優活動と並行して保護司として罪を犯した少年を導いていたそうである。
 なお、声優としても『鉄腕アトム』(63〜66年・虫プロ フジテレビ)の中村警部、『ひょっこりひょうたん島(じま)』(64〜69年・NHK)第50話までの「ライオン王国シリーズ」のコック長など、テレビ草創期のアニメや人形劇で活躍していたが、実写版『鉄腕アトム』(59年・三笠映画 毎日放送)では悪役を演じていたという筆者は映像未確認の情報がある。
 96年6月30日に心不全のため、61歳の若さで他界している。


*治のママを演じた松木路子(まつき・みちこ)は、円谷プロ作品では『怪奇大作戦』第26話(最終回)『ゆきおんな』で秋子と雪女の二役で出演している! また、映画『ひき逃げ』(66年・東宝)ではなんとオオヤマキャップを演じる中山仁(なかやま・じん)とすでに共演を果たしていた! 本作出演後、結婚を機に芸名を永野路子に改名。時代劇や刑事ドラマ、2時間ドラマに多数ゲスト出演しているほか、資生堂・ライオン・カゴメなどCM出演も数多い。


*『80』と同じく80年4月に矢口高雄原作・講談社週刊少年マガジン』連載漫画(73〜83年)のテレビアニメ化『釣りキチ三平』(80〜82年・日本アニメーション フジテレビ)がスタートしたこともあり、当時の小中学生の間では釣りがちょっとしたブームになっていた。私事で恐縮だが、インドア派のオタクな筆者でさえ日曜になると父や弟とよく近くの海岸に足を運んでいたくらいである。80年は任天堂からゲーム&ウォッチツクダオリジナルからルービック・キューブ、タカラからはチョロQなど、新種の玩具が続々と発売されたが、それらを楽しみつつも、当時の小中学生は釣りのような古典的な遊びもまた享受していたのである。本話のようなエピソード話が生み出されたのには、こうした背景も多分に影響していると思われる。実際、マナーの悪い釣り客が捨てたテグスによる海の汚染は当時すでに問題化していたのである。


*治がかぶっている帽子には、なんと本作放映の前年79年にSONY(ソニー)から発売されたばかりの携帯型カセットプレイヤー「WALKMAN(ウォークマン)」のロゴがある! インターネットによる音楽配信などは考えられなかった当時は、これが最先端のスタイルだったんですぜ(笑)。


*治と3人の子供たちが釣りに来ている際、皆ダウンジャケットを着用しているが、光子が赤、五味が黄色、斉藤が青、治が白と、キッチリと色分けが。なんかスーパー戦隊みたいだなぁ(笑)。


*本話が放映された翌週の80年11月26日は年末恒例の『輝く日本レコード大賞』各部門賞ノミネートの模様が特番で放送されたため、『80』の放映は「お休み」となった。もっとも当時中学生であった筆者は実を云うとすでにこのころは『80』をほとんど視聴していなかったのだが(汗)、最優秀新人賞の候補となった松田聖子(まつだ・せいこ)をお目当てに、この日はしっかりとTBSにチャンネルを合わせていたのであった(笑)。


*『(新)コメットさん』(78年)第43話『初恋の人ウルトラマン』では、湯浅監督はウルトラマンタロウに変身する東光太郎が登場したように語っているが、オリジナルの東光太郎を演じた篠田三郎は出演せず、その代わりにタロウの人間体を特撮巨大ロボットもの『スーパーロボット マッハバロン』(74年)の主人公青年・嵐田陽(あらしだ・よう)を演じた下塚誠が演じている。そして劇中ではそのことが視聴者の子供たちに与える違和感を緩和するためか、宇宙人でもある魔法少女のコメットさんに「東光太郎」ではなく「タロウさん」と終始呼ばせている――タロウの人間体が篠田三郎ではないことに当時の子供たちは大きな違和感も抱いたが、一方でウルトラマンタロウが出てくるだけでも大喜びしていたものである。
 マニア予備軍である怪獣博士タイプの子供たちや後年の第2期・第3期ウルトラシリーズも肯定する特撮マニアたちや特撮評論同人ライターたちは、この設定的な不整合を正当化するために、タロウの人間体が下塚誠であったことを「アレは『ウルトラマンタロウ』の最終回ラストで東光太郎と分離したウルトラマンタロウが、単独で人間体に変身した姿であると勝手に好意的に解釈したものである(笑)。しかし後年の昭和ウルトラシリーズ直系の正統続編『ウルトラマンメビウス』(06年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070506/p1)ではこの『コメットさん』のことが無視されてしまっている(汗)。昭和の旧作ウルトラシリーズを全肯定するリスペクトに満ち満ちた『メビウス』ではあったのだが、これだけは残念であり手抜かりであるように思える。『コメットさん』での出来事をウルトラシリーズの史実・正史のひとつとして肯定しても大きな矛盾も生じないのだから、これは認めてほしかった!
 同様に西暦1981年から2006年まで巨大怪獣が出現しない期間があったという設定も日本だけのことして、1987年(『ウルトラマンUSA』)と1993年(『ウルトラマンパワード』)にはアメリカで、1990年(『ウルトラマンG(グレート)』)にはオーストラリアでも怪獣が少数出現していた! と南太平洋に怪獣が出現した『メビウス』第42話『旧友の来訪』あたりで言及しておけば、『USA』も『G』も『パワード』も昭和ウルトラシリーズの同一世界として正史に組み込むことができたのに!(笑)
――もちろんウルトラマンと地球人(日本人)とのファーストコンタクトを描いた1990年代~2000年代の時代を舞台とした平成ウルトラ三部作をも昭和ウルトラに組み込んでしまうと明らかに大きな矛盾が生じてしまう。昭和ウルトラファン・平成ウルトラファンどちらも多数がイヤがるだろうことが容易に想定されるので、この場合はそれぞれが別世界での出来事だとしておいた方がよいだろう――


2009.11.23.
(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2010年春号』(2010年4月11日発行)〜『仮面特攻隊2011年号』(2010年12月30日発行)所収『ウルトラマン80』後半再評価・各話評より分載抜粋)


[関連記事] ~石堂淑朗先生・脚本回!

ウルトラマンエース』#16「夏の怪奇シリーズ 怪談・牛神男」

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060903/p1

ウルトラマンエース』#41「冬の怪奇シリーズ 怪談!! 獅子太鼓」

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070209/p1

ウルトラマンエース』#43「冬の怪奇シリーズ 怪談 雪男の叫び!」

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070224/p1