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『SSSS.GRIDMAN』総括 ~稚気ある玩具販促番組的なシリーズ構成! 高次な青春群像・ぼっちアニメでもある大傑作!

(文・久保達也)
(2019年2月8日脱稿)

作品世界がメインヒロインの造った箱庭だった!


 ハイパーエージェントを名乗る正義のヒーロー・グリッドマンと一体化した男子高校生・響裕太(ひびき・ゆうた)と、クラスメイトの内海将(うつみ・しょう)・宝多六花(たからだ・りっか)の3人で結成された「グリッドマン同盟(どうめい)」と、グリッドマンの支援組織「新世紀中学生」の4人が、同級生の美少女・新条(しんじょう)アカネが毎回生みだす怪獣と戦う、学園ものと巨大変身ヒーローものを絶妙に融合させた深夜アニメとして、放映開始当初から大きな注目を集めた『SSSS.GRIDMAN(グリッドマン)』(18年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20181125/p1)。
 その第6話『接・触』では、本作の原典である特撮変身ヒーロー作品『電光超人グリッドマン』(93年・円谷プロ TBS)第6話『恐怖のメロディ』に登場した音波怪獣アノシラスの二代目が、幼女の姿に変身して登場し、「先代がお世話になった」として、裕太たちが住む町・ツツジ台の恐るべき秘密を明かした。
 それによれば、ツツジ台もそこの住人たちも、すべてはアカネがつくりだしたものであり、アカネはツツジ台の創造主=「神」なのであった!
 つまり、アカネがクラスの人気者となっているのは、パープル髪のショートボブヘアにワインレッドの瞳、やや巨乳(笑)で黒ストッキングにつつまれた美脚、といったルックスや、女子力・コミュニケーション能力の高さではなく、自身の都合のいいように、世界の破壊と創造を繰り返していたからなのだ!


玩具販促番組的なシリーズ構成&巨大戦演出!


 ひとクセもふたクセもある新世紀中学生たちが長剣・大型トレーラー・ドリル戦車・戦闘機といったアシストウエポンに変身し、それぞれが合体することでグリッドマンがタイプチェンジするのみならず、4機のアシストウエポンがグリッドマンに合体した超合体超人フルパワーグリッドマン、さらにグリッドマン抜きで全アシストウエポンが合体した巨大ロボット・合体戦神パワードゼノンらが、アカネが生みだす怪獣をカッコよく倒すカタルシスこそが、本作の大きな魅力のひとつである。
 雨宮哲(あめみや・あきら)監督は架空のマーチャンダイジングを想定することにより、本作では新メカ・新ヒーロー登場回やパワーアップ回、再生怪獣軍団登場回など、グリッドマンやアシストウエポンの合金玩具を視聴者がほしくなるような流れを構成していたのだから。
 製作当初は架空だったマーチャンダイジングが、大きなお友達向けに実際に合金玩具が発売されるに至ったのも、ヒロイック作画チーフなんて役職が設けられたほどに、本作のバトル演出が多くの視聴者に魅力あふれるものとして映ったからであろう。


 深夜アニメなのに、主人公の裕太が「アクセス・フラッシュ!」、新世紀中学生たちがそれぞれのアクセスコードを叫び、六花のママが経営する喫茶店を兼ねたジャンクショップに置かれた古いパソコンの画面に飛びこんで変身する、実に稚気(ちき)満々な描写を「ガキっぽい」などと批判することもなく、「特撮変身ヒーロー作品」だった原典の『グリッドマン』を知らないハズの若い世代が本作を好意的に受け入れているのは、我々のような古い世代が若かったころよりも、むしろ彼らの意識は成熟しているのだと解釈すべきかもしれない。
 また、巨大ロボットアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』(95年~・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20220306/p1)や、怪獣映画『シン・ゴジラ』(16年・東宝http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20160824/p1)の音楽も担当した鷺巣詩郎(さぎす・しろう)が手がけた、時に男声合唱も入る編成の厚いオーケストラによる劇中音楽は、グリッドマンの登場やアシストウエポンの合体場面をまさに「神」と思わせてくれるほどの格調の高さ・荘厳(そうごん)な雰囲気にあふれており、若い世代が「変身ヒーロー」を観ることに対する、一種の気恥(は)ずかしさを感じさせないよう、大きな効果をあげていたのだ。
 そして、バトル場面になるとやたらと画面に電線が張られ、怪獣の光線で地上から浮きあがった高層ビルが爆発したり、画面手前にグリッドマンが倒れこんできたり、高校の廊下の窓の主観からグリッドマンが歩行するさまをとらえたり、ヒロインの六花を画面手前に配置し、背景の空に蒸気を噴射して上昇するグリッドマンを描いたり、グリッドマンのバトルを背景に、画面手前に4人の新世紀中学生が駆けてきたり……などなど、まさに遠近感や空気感を与えるためのカメラアングルの工夫や、臨場感を感じさせる合成ショットといった、本来は特撮ならではの演出が存分に盛りこまれていることこそ、本作の特異な点であり、最大のアイデンティティーだといっても過言ではないだろう。


 だが、それでもあえて云わせてもらうなら、本作がそのシリーズ序盤に特徴的だったセンスのよい雰囲気アニメなだけの存在にはとどまらず、その後も息切れせずに深夜アニメファンや特撮マニアたちからも絶大な支持を集め続けられたのは、その演出面や文芸面で、2010年前後に深夜枠で勃興(ぼっこう)した(ひとり)ボッチアニメや、味方が敵に、敵が味方に、と登場キャラの立ち位置をシャッフルさせつつ、各キャラの関係性の変化・離合集散・強者集結を描く「平成」仮面ライダーhttps://katoku99.hatenablog.com/archive/category/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%BC)的な群像劇としての要素が、もうひとつの大きな柱として、確固たる存在感を示していたからではないだろうか?


衝撃の真相! しかし、深刻さの中でもコミカルさを忘れない


 先述した第6話のアノシラス二代目による爆弾発言は、「なかよし3人組」だったハズのグリッドマン同盟の関係性にも、一時的に亀裂を生じさせた。
 第7話『策・略』の時点では、裕太がアノシラスから聞かされた荒唐無稽(こうとうむけい)にすぎる話を、内海は「おまえブン殴りますよ」(笑)、六花は例によって「気持ちワルッ」と、ふたりともまったく信じてはいなかったのだが、この際のブチギレではなく、「プチ」ギレ(笑)といった感じの内海の真顔と、やや上目づかいで怪訝(けげん)そうに裕太を見つめる六花の表情は、実にリアルに描かれていたかと思えるのだ。


 この回では第1話『覚・醒』にて、アカネが気炎万丈怪獣グールギラスで殺害したバレー部の少女の父が経営する中華料理店に裕太を連れだし、そこにアカネの心の闇を利用するレギュラー悪のアレクシス・ケリヴが、頭から白い湯気(ゆげ)を吹き上げながら、「ど~もど~も、アレクシス・ケリヴです」(笑)と店に入ってくるのみならず、全身黒マントに覆われた異形(いぎょう)の怪人・アレクシス――デザインの元ネタは『ウルトラマンメビウス』(06年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070506/p1)のラスボス・暗黒宇宙大皇帝エンペラ星人では?――のことを、店主がまったく不審がらずに、平然と「坦々(たんたん)黒ゴマだれ餃子(ぎょうざ)で~す」(爆)と、料理を出す場面がある。
 しかも店内のテレビでは、我々の世界では放映されていない、2014年から『ガシャポンワールド』内の公式サイトで連載中のWeb(ウェブ)マンガ『ウルトラマン超闘士激伝 新章』(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20210131/p1)のアニメが流れている。ズルいぞ、アカネ!(笑)
 一見コミカルな描写ではあるものの、これこそがアカネによって都合よくつくられた世界の端的な象徴であり、先のアノシラスの話を実証しているのだ。
 怪獣に殺されたハズの娘が交通事故で亡くなったとして記憶を改変された店主=父は、アカネとアレクシスに怒りを向けるどころか、大事なお客様として扱うほどであり、店の外で激しく吠(ほ)える犬だけが、唯一(ゆいいつ)アレクシスの正体を知っているかのような音響演出も実に秀逸(しゅういつ)だった。


文化祭の中での孤独 ~我々オタの鏡像としての「ぼっちアニメ」要素


 近年の学園ものアニメで定番として扱われる文化祭の回では、登場キャラたちの関係性が劇的に急変するのが定石(じょうせき)だが、本作の該当(がいとう)回・第8話『対・立』も例外ではなかった。
 先述したボッチアニメの元祖『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』(13年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20150403/p1)の文化祭回の予告編では、スクールカーストの最底辺に位置するオタの女子高生主人公・黒木智子が、イケメンスポーツマンでモテモテの中学生の弟に、「なぁ、文化祭なんか爆弾で吹っ飛ばしたいと思わねぇか?」(爆)とホザいていたが、アカネはグリッドマン同盟に対し、文化祭を怪獣に襲撃させると宣戦布告(せんせんふこく)する!
 楽しそうに文化祭の準備をする生徒たちを、アカネが廊下の窓から物憂(ものう)げな表情で見つめ、「だってキライなんだもん」とつぶやく描写は、先述した智子=もこっちがおもわず「爆弾で吹っ飛ばしたい」と漏(も)らしたのと同様の、疎外(そがい)感を彷彿(ほうふつ)とせずにはいられなかったのだ。


 やはり楽しそうな生徒たちの準備風景をカットバックしつつ、「あと○日」としたカウントダウン演出も、迫りくる危機感をおおいにあおっていた。
 そもそも、アカネが教室でグリッドマン同盟に見せたお手製の怪獣フィギュアに対する、同級生の女子たちの「ナニそれ、めっちゃカワイイ!」「プロじゃん!」といった反応もまた、アカネによって都合よくつくられた世界を象徴するものだろう。フツーの女子高生ならそんな怪獣フィギュアを見せられたらドンびきするに違いないのだから(笑)。


副主役の特オタ少年・内海 ~正論・正論の取りこぼし・女性の扱い方


 高嶺(たかね)の花だと思っていたアカネが、第6話で実は怪獣が大好きなことを知り、狂喜していた特撮オタの内海がアカネとの徹底抗戦を主張するのは、オタとて決して夢ばかりを見ているワケではないとして、内海が大半の視聴者の代弁者となり得ているかのような描写であり、大きな共感を得られたのではなかったか?
 ただ、「同級生と戦うのがふつうなの?」と異議を唱(とな)えた六花に、内海が「おまえは感情でしか考えられないもんな」と批判したのはあきらかに行きすぎだったのだが――その直後に「明日から女子の間で拡散される! オレの高校生活はこれで終わりだ」(笑)などと、罪悪感にさいなまれる描写があるため、内海は決して無神経なだけの人間ではないのだ――ここで新世紀中学生の、黄色髪ツインテールで一見少女に見える低身長の少年・ボラーが示した反応が、実に効果をあげていたのだ。
 「(『ウルトラセブン』(67年)第34話)『蒸発都市』だよ! (発泡怪獣)ダンカンだよ!」などと、自分が好きな特撮ネタになると急にイキイキとする(笑)内海に、普段ならエキセントリックに怒鳴り散らしながらケリを入れるほどに、言動も態度もやたらと乱暴なボラーが、このときばかりはボソッと、「今のはダメだろ」とつぶやいたにとどまったのだ。
 これは内海と六花の関係性にヒビが入ったことの重大さ・深刻さをより強調するのみならず、以前は六花を「メンドくさそうな女だな」(笑)と評していたハズのボラーに、アカネを断固として友達だと主張する六花を見て、心の変遷(へんせん)が生じるさままでもが描かれているのだ――むしろここではボラーとは逆に、内海が六花のことを「あ~メンドくせぇ」とつぶやくことが、六花との関係性の破綻(はたん)を最大に象徴している!――。


 また、この場面に限らず、本作では舞台全体を俯瞰(ふかん)して全員の立ち位置を示すカットが多く、各キャラの関係性を描くうえでその効果を高めていたように思われる。
 第7話で見られた、「人の心が怪獣を生みだすのはウルトラシリーズなら定石」とつぶやいた内海を、一同が無言で見つめる(笑)カットや、ボラーに蹴られて倒れた内海を介抱(かいほう)する六花、空を飛べるヤツがグリッドマンを助けに行け! と主張するボラー、ポ~っとした表情でカウンターに座ったままの、常にやる気がなさそうな新世紀中学生のヴィットたちがいる喫茶店を俯瞰し、一瞬の間を置いたあとで、画面手前のボラーが奥にいるヴィットに「おめえに云ってんだよ」とボヤく場面などは、決して絶妙なギャグ演出として機能していたばかりではないのだ。


黒髪セミロングのリア充寄りのサブヒロイン・六花 ~変遷&決意


 一方の六花も、通学バスの中でアカネから町の住人は皆自分を好きになる設定にされており、六花は怪獣からつくられた存在だと明かされたことで、心の変遷を遂げていく。
 第4話『疑・心』でアカネのために買った定期入れを、六花が自室で「渡さなきゃ」とつぶやく描写がその前にあるのも、より効果を高めているのだ。
 「だから友達」として、アカネが後部座席から六花を抱きしめる場面に聖歌のような女性合唱が流れるあたり、先述した『エヴァンゲリオン』を彷彿とさせる印象があり、近年の深夜アニメに多い、女性同士の性愛を描く百合(ゆり)ものっぽくもあるのだが(笑)、六花が受けた衝撃の強さ、そして、アカネが生みだそうとしている怪獣との戦いを決意するに至る、六花の心情の変化を存分に描きだした演出だ!
 アカネが内海に謝ると裕太に語る場面で、「あの人、アタシから謝るなんて考えてなさそうじゃん」と、目を細めてニコッと微笑(ほほえ)む描写もまた、それを最大に象徴するものなのだ。


 黒髪ロングヘアのツンデレ系で、制服のミニスカが白いトレーナーの裾(すそ)に隠れるように着用し、両手をポケットにつっこんで常にかったるそうにしている六花はプチヤンキー(笑)といった趣(おもむき)が強いのだが、そんなキャラがこうした意外な表情を見せる演出こそ、視聴者の印象を好転させるには絶大な効果があるのではなかろうか?
 グリッドマン同盟がこうして関係性の危機を乗り越え、結束をより固める過程が描かれたからこそ、新世紀中学生が「全合体!」し、全身黄金に輝いたフルパワーグリッドマンが、「フルパワーフィニッシュ!」と、第1話登場のグールギラスを武装強化した捲土重来(けんどちょうらい)怪獣メカグールギラス――よく見ると、前方に突き出た頭部の上に、『ウルトラセブン』第14&15話『ウルトラ警備隊西へ』に登場した宇宙ロボットキングジョーの顔がまんまくっついている(笑)――を倒すクライマックスが、おおいに盛りあがったのだ。
 それにしても、頭部がドリルに変化するメカグールギラスのギミックには、やはり合金玩具がほしくなる。せめてソフビ人形で出してくれまいか?(笑)


銀髪ショートのメインヒロイン・新条アカネ ~媚態・誘惑・憂鬱


 第7話では、すでにグリッドマンの正体を裕太だと察知したアカネが裕太の部屋に突然現れ、枕を抱きしめて「響(裕太)くんのにおいがする」(笑)だの、裕太の頬(ほお)に「フッ」と息を吹きかけ、「ねぇ、こっちこない? 仲間にならない?」などと、アカネが甘いささやきで裕太をベッドに誘う(爆)描写がある。
 その一方、裕太から出されたペットボトルのお茶を、アカネがコップを使わずに一気にラッパ飲み(!)する描写は、それらとは対比的に、アカネの内に秘められた凶暴性が端的に演出されていたのだ。
 全編に渡って踏切の警報音がグリッドマン同盟の不安をあおる、アバンギャルドな演出がたまらない第9話『夢・想』では、裕太はアカネの理想の彼氏として設定された存在として描かれていたが、その夢ははかなく終わってしまい、それを機に、繊細(せんさい)なアカネの心は崩壊していく……


 第9話では、裕太と、内海と、六花と、こんな関係でありたかったとするアカネの夢が並行して描かれた。特に裕太との関係性は、第1話冒頭で描かれた、記憶喪失(そうしつ)の裕太をママの店で介抱し、病院やコンビニを経て裕太を自宅へ送るまでの六花の姿が、そのままアカネに置き換えられていたのだ。
 ただし、第1話で記憶喪失の裕太からの「どーゆーカンケイ?」との問いに、六花が「今日はじめて話したくらいのカンケイ」と答えたのに対し、アカネは「アタシたち、つきあってんですけど」と語り、裕太を自宅マンションの玄関にまで送ったアカネは、「キスとかしないんすか?」と迫り、驚いた裕太に「ウッソ~」とかましてキャッキャと去っていく(笑)。


 先述した第7話の裕太の部屋での描写も含め、このあたりはアカネの声を演じる上田麗奈(うえだ・れいな)が、無職の主人公が社会復帰の実験として高校生活をやり直すアニメ『ReLIFE(リライフ)』(16年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20160903/p1)で演じた、実は主人公を被験者として選んだ研究所の20代の所員なのに、ピンク髪メガネっ娘の女子高生に変身して主人公を誘惑したりする実験を重ねていた小野屋杏(おのや・あん)の愉快犯ぶりを彷彿とさせるが、そんな理想の彼氏と敵同士の関係であるアカネの深い葛藤(かっとう)をも表出させた演出といえるだろう。
 また、裕太に対するアカネの夢想場面で、建設現場の杭(くい)打ちの音がスローで流れているのは、今まさにアカネが自分の世界をつくりあげている最中であることを暗示する音響演出であるとともに、先述した踏切の警報音同様、これも裕太の不安をあおるものだ。
 私事で恐縮だが、60年代末期~70年代初頭の高度経済成長期の終わりに幼いころを過ごしたオッサンである筆者は当時、自宅周辺がビルの建設ラッシュで頻繁に杭(くい)打ちの音が聞こえることに恐怖を感じたものであり、この音響演出は実に的(まと)を得ていると思えたのだ。


オタ趣味を接点に接近する内海&アカネ ~夢を見せつつ、夢を否定


 だが、なんといっても大半の視聴者が最も共感したのは、怪獣・特撮好き同士として、アカネが内海とこんな関係でありたいとして描かれた夢想の場面であるだろう。
 画面手前の監視カメラから、書店で特撮情報誌『宇宙船』(ホビージャパン)を立ち読みする内海とアカネを俯瞰したり、本棚の隙間(すきま)からふたりをとらえた遠近感と、親密さにあふれる演出もたしかに目を惹(ひ)いた――なお、『宇宙船』の表紙にある『アンドロメロス』(83年・円谷プロ TBS)は、雨宮監督がウルトラマンをアニメ化したいと円谷プロに打診した際、その代わりとして『グリッドマン』とともに候補としてあげられたものだ。雨宮監督、やはり『アンドロメロス』もやる気マンマンなのでは?(笑)――。
 これに加え、アカネが『宇宙船』に掲載されたマイナーどころのウルトラ怪獣の名前をスラスラと答えたり、内海が90年代中盤にバンダイから発売された玩具『出撃!! ウルトラメカセレクションⅡ(ツー)』(ASIN:B001BDOJEI)を「コレほしい」とつぶやいたことに、「こないだ中野で見た。今からいっしょに行こうか?」と誘ったり!


 ちなみに『出撃!! ウルトラメカセレクション』とは、ウルトラマンシリーズに登場した防衛組織のスーパーメカのミニチュアをセットした商品であり、初代『ウルトラマン』(66年)の科学特捜隊~『ウルトラマン80(エイティ)』(80年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971121/p1)のUGM(ユー・ジー・エム)、『ウルトラマンG(グレート)』(90年)のUMA(ユーマ)に『ウルトラマンパワード』(93年)のW.I.N.R.(ウィナー)、映画『ウルトラマンゼアス』(96年)のMydo(マイド)、『ウルトラマンティガ』(96年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19961201/p1)のGUTS(ガッツ)に『ウルトラマンダイナ』(97年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971215/p1)のスーパーGUTSまでの代表的なメカが、アカネが検索したように(笑)第4弾まで発売された。
 あくまで一般玩具店流通の子供向け商品ではあったが、ウルトラメカといえば科学特捜隊のジェットビートルや『ウルトラセブン』の防衛組織・ウルトラ警備隊のウルトラホークにポインター、あとはせいぜい『帰ってきたウルトラマン』(71年)に登場したMAT(マット)のマットアロー1号ばかりが商品化される時代がつづいていただけに、このラインナップにはマニア層も注目せずにはいられなかったものだ。
 なお、内海が欲しがった第2弾は、MATに『ウルトラマンA(エース)』(72年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070430/p1)のTAC(タック)、『ウルトラマンタロウ』(73年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20071202/p1)のZAT(ザット)に『ウルトラマンレオ』(74年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20090405/p1)のMAC(マック)、そして先述したUGM・UMA・W.I.N.R.のメカをセットした商品であり、これにはいまだに日陰ものとしての扱いを受けている(?)第2・3期ウルトラマンシリーズや海外との合作を、若い層に注目させようとする雨宮監督の意図を感じずにはいられない(笑)。
 それはそうと、内海とアカネがメカセレを買いに行った、東京・中野にあるマニア御用達(ごようたし)の「まんだらけ」をモチーフにした店の名前が「せぶんだらけ」って……(爆)


 さらに内海とアカネは、92年から年3回開催されている古今東西の玩具の祭典・スーパーフェスティバルにまでいっしょに出かける。劇中では具体的な言及はないのだが、それを特定できるのは会場である東京の科学技術館がリアルに描かれているからだ。
 なお、科学技術館は先述した『ウルトラマン80』の第16話『謎の宇宙物体スノーアート』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100815/p1)でロケ地に使用されたことから、中学の修学旅行で実際に行った際はまさに聖地巡礼との想いがしたものだ――小学校の修学旅行で京都の国際会議場に行った際は、クラスの男子のほとんどが「ウルトラセブンとキングジョーが戦った場所だ!」(劇中では神戸は六甲の防衛センターとして登場)と大騒ぎしたために、担任から大目玉を食らったものだった(笑)――。
 「こういうのにつきあってくれる友達がほしかった」と、万感(ばんかん)の想いをこめて語る内海に、皆感情移入せずにはいられなかったであろうが、そんな内海をアカネは「今からウチにこない?」と誘うのだ。
 アニメ映画『ウルトラマンUSA(ユー・エス・エー)』(89年・東宝http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100821/p1)も、平日早朝のミニ番組『ウルトラマンボーイのウルころ』(03年)も、99年に全国ネットで再放送された『ウルトラマンティガ』のCM枠で流された『ウルトラマンナイス』(99年)も、モノクロ作品『ウルトラQ(キュー)』(66年)をカラーライズ化した『総天然色ウルトラQ』(11年・バンダイビジュアル)もあるから、って、こんな美少女高校生いるワケねぇ!(笑)


 だが、内海が夢から覚めたのは、決してそれが理由ではなかった。
 ここにはオレの友達がいない……その世界に裕太や六花の姿がまったく見えないことに、内海はそこがアカネによってつくられたものだと悟(さと)ったのだ。
 特撮オタならではの黒ブチメガネをかけてはいるものの、緑髪で高身長のスリム体型であり、メガネをはずしたら結構なイケメンか? と思える内海は、第10話『崩・壊』でも、たとえアカネにつくられた世界でも自分たちには生活が、やらねばならないことがあるからとして、六花の店=ひみつ基地で連日開かれる作戦会議にも行かずに、テスト勉強にうちこんでいたほどに、現実としっかりと向きあうことができるオタなのだ。


自律した意志を持つ被造物にも反逆された、か弱き孤独な造物主の少女


 当初は「才色兼備」が理由でアカネに夢中になり、同じ怪獣好きであることが発覚したために親近感を得られるも、その正体を知ることで内海が夢から覚めるに至った過程にしてもそうだったが、内海とは対比的に、アカネはずっと夢を見ていたいと考える少女だった。
 第7話でアカネが裕太を味方に引き入れようとした際、裕太は「友達を裏切れない」としてそれを拒否、アカネは「私は、友達じゃないの?」ととまどっていたが、「ここにはオレの友達がいない」とした内海の言葉に、再度アカネが「私は、友達じゃないの?」と繰り返す姿に、おもわずいたたまれなくなった視聴者は多いことだろう。
 走る電車と併走するアカネの姿の周囲に、これまでのグリッドマン同盟との回想をカットバックさせ、あいかわらず鳴りやまない踏切の警報音をかぶせるアバンギャルドな演出が、次第に焦燥(しょうそう)の色を濃くしていくアカネの胸の内を残酷なまでに描きだす!


「夢だから目覚めるんだよ」


 理想の彼氏・裕太とのデートの末に、そう告げられたアカネと裕太との間を、「そっちには行けない」とする裕太を象徴するように、黒くてブ厚い壁がふたりを隔(へだ)てるカット、そして、厳しすぎる現実に直面し、涙せずにはいられなくなったアカネの姿も実に強烈だ。


「夢でも届かないの?」


 アカネが自身の都合の良いようにつくった世界の中で、先述したバレー部員の同級生やチャラい大学生たちのように、アカネの意にそわない人間たちが存在することを矛盾(むじゅん)だと指摘する声も一部に見られたが、同じようにアカネにつくられたハズの裕太・内海・六花の「反乱」までもが描かれたことで、現実は決して自分の想いどおりにはいかないが、決して目をそむけてはならないとする本作の裏テーマ・メッセージを、より強調することになったかと思えるのだ。
 長い夢から覚めた裕太・内海・六花が「やるべきことが!」と駆ける中、新世紀中学生の4人のみが合体して誕生した巨大ロボ・パワードゼノンが、裕太たちにアカネの夢を見せていた、四つ足歩行の首長竜なのに巨大な翼をもつ有象無象怪獣バジャック――中に人が入った着ぐるみのように、後ろ足が折れている!(笑)――を倒すや、ようやく踏切の警報音が鳴りやむ演出も実に絶妙だった。
 だが、裕太・内海・六花は不安を払拭(ふっしょく)することができたが、「どうしたらいいの?」と絶望したアカネの中では、踏切の警報音がよりいっそう激しさを増していたのではあるまいか?


ヒーロー、そして「人間」へと変化したライバル怪獣アンチ


 アカネの心の変遷とともに描かれたのが、アカネにグリッドマンを倒す怪獣として設定された、赤い目玉の目力が鋭く(笑)、銀色ショートボブヘアで紺の学生服姿の低身長の少年・アンチが、同盟や新世紀中学生の味方となるに至る過程だ。
 グリッドマンを倒せずにいたことから、アカネからさんざん邪険(じゃけん)に扱われていたアンチは、シリーズ後半に至ってもグリッドマンを倒すことに異様なまでの執念(しゅうねん)を見せ、第7話では裕太が通う高校にまで乱入し、「グリッドマンを出せ!」と、裕太に激しく詰め寄る姿が描かれた。
 ここで、裕太をボコボコにするアンチではなく、校舎が激しく揺れる(笑)さまに生徒たちの悲鳴をかぶせる演出が、正体が怪獣であるアンチの凶暴性を、より的確に描いていたといえるだろう。


 突然、学校に現れて裕太を急襲したアンチにいらだったアカネは階段からアンチの顔面にケリを入れた(!)ほどだったが、それ以上に衝撃だったのが、アンチが裕太から奪ったスペシャルドッグをアカネが踏みつぶして去ったことだ。
 第1話で昼食を用意してこなかった裕太にアカネがあげたスペシャルドッグを、バレー部員の女子生徒たちがボールでつぶしてしまった件こそ、アカネがグールギラスをつくりだした発端(ほったん)だったにもかかわらず、まったく同じことをされたアンチの想いを、アカネは察することができないのだ。
 第7話ではアカネではなく、アンチがアレクシスにつくらせた、まさに『ウルトラマンレオ』第4クールに登場する円盤生物を彷彿とさせる幽愁暗恨怪獣ヂリバーが登場するが、そのことを知ったアカネはアレクシスが映るパソコンのモニターにケリを入れ、部屋に残るアンチの小さな靴跡を見て、「チッ」と舌打ちまでやらかす(笑)。
 ここまでの悪態を見せつけられても、筆者がアカネをカワイイと想うことに変わりはなかったのだが(爆)、アンチのスペシャルドッグを平気でつぶしてしまうアカネの描写は、後述するが、アカネの本質の的確な演出でもあったのだ。


 第8話で「オンナを探している」と、アンチが六花の店に現れたのは、グリッドマン打倒の目的は同じでも、そんなアカネに辟易(へきえき)したアンチが、第3話『敗・北』で雨にぬれるアンチに傘を手渡そうとしたり、第4話で公園のゴミ箱をあさっていたアンチにスペシャルドッグをくれた六花に会うことで、せめてものやすらぎを得たいと考えたからだろう。
 つまり、シリーズ前半で描かれたアンチと六花の関係性は、怪獣であるアンチに心がめばえ、味方化するに至る伏線であったと解釈すべき描写だったのだ。
 あいにく六花が不在で六花ママが出てきたことに、「違う」(爆)と落胆し、あまりの空腹にその場に倒れてしまったアンチだったが、ママが「カフェめしで悪いけど」と軽食を出してくれたことに、決して表情や言葉には出さなかったものの、六花同様に常にかったるそうでエプロンに両手をつっこんでいたりする(笑)ママに、アンチが六花に通じる優しさを感じたであろうほどに、心が動きはじめる描写としては実に的確だったと思える。


 ママに礼も云わずに立ち去ろうとしたアンチに、ボラーはナイフを向けて「ママさんに云うことあんだろ」とすごむが、黒髪で目の舌のクマがめだつ猫背の素浪人(笑)=サムライ・キャリバーが「礼儀はあとで教えればいい」と逃がしてしまう。これにキレたボラーが、リーダー格で緑髪の長髪で常に口元にマスクをした巨漢のマックスにキャリバーに対する不満をグチるものの、無反応なことにボラーは「なんだそのリアクション、アメリカ人か」とホザく(笑)。
 アンチに対する考えの違いから生じる群像劇というよりは、ボケとツッコミのかけあい漫才的な新世紀中学生たちによるこうしたコミカルなやりとりもまた、本作の大きな魅力であったに違いない。アンチをはじめて見た六花ママが、「君たちのお友達?」とたずね、「ウチらといっしょに見えます?」とたずねたヴィットに、「うん」と答える(笑)描写もまた然りなのだ。


 新世紀中学生にしろアンチにしろ、ぶっちゃけ身元不明の挙動不審者(爆)であるにもかかわらず、そんな連中にも気さくに接する六花ママの暖かさを継承した六花こそが、アンチに心をめばえさせたのだと実感させる演出であったともいえるだろう。
 第11話『決・戦』のクライマックスでは、裕太がジャンクのモニターに飛びこむさまを六花ママに目撃されたことに、つづいて出撃するのを新世紀中学生たちが躊躇(ちゅうちょ)するが、ママが「あ、気にしないでつづけてつづけて」(笑)としたことから、新世紀中学生たちもラストバトルの舞台へと旅立っていく!
 それを「いってらっしゃい」と見守る姿こそ、六花ママの人柄を最大限に描きだした演出なのだ。


 第9話で新世紀中学生たちから裕太・内海・六花を眠らせつづける怪獣・バジャックを倒さない限り、グリッドマンは現れない、と聞かされたアンチは、仲間であるハズのアカネが生みだしたバジャックを、本来の怪獣の姿で攻撃するまでに至る。そして、巨大ロボ・パワードゼノンがバジャックを倒してもグリッドマンが現れないことに立腹したアンチを、新世紀中学生たちはアンチは心をもった生きものだから、グリッドマンは絶対に戦わない、と諭(さと)すのだ。
 第10話で怪獣は生きものではなく、アカネの悪意そのものだとグリッドマンが定義したことで、アンチは怪獣としての存在価値を明確に否定されたが、それはグリッドマンばかりではなかった。


 夢が破れて、雨に濡れながら失意の底に沈むアカネに、アンチは透明なビニール傘を差し出す。これは先述した第3話での、六花のアンチに対する最初の行動と絶妙な係り結びとなり、アンチに心が生まれたことの端的な象徴として描かれていたのだ。
 そんなアンチを、アカネまでもが「怪獣は人の気持ちを読んだりしないよ」として、怪獣であることを否定する。怪獣は人の気持ちを読んだりしない。これは先述した第7話で、裕太から奪ったスペシャルドッグをつぶされたアンチの気持ちを読めないアカネの方こそ、アンチ以上に怪獣そのものだと解釈すべきセリフだろう。
 アンチが路上に置いていった傘に、「君は失敗作だよ」とのアカネの声がかぶるカットもまた、アンチがすでに怪獣ではなくなった事実を端的に描きつくした名演出だ!


 グリッドマンを倒すこと、そして、自身が怪獣であることに執着し、葛藤をつづけた末に、人の気持ちを読めるようになったアンチは、全身が紫とオレンジの装甲に覆われたメタルヒーロー・グリッドナイトに転生!
 やる気をなくしたアカネがつくったユルキャラみたいな怪獣ナナシA、そして、アレクシスが「おや? 中の人(笑)が出てきたね」とつぶやいたように、フルパワーグリッドマンに倒されたナナシAの中から出てきた、第4話でアカネがLINE(ライン)のアイコンにしていた、『ウルトラマンティガ』や『ウルトラマンダイナ』に登場した悪質宇宙人レギュラン星人(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971210/p1)のようなトガった頭部のナナシBを、アンチ=グリッドナイトが「アカネの心が読める!」として倒すに至るのは、「人間ドラマ」と怪獣バトルを絶妙に融合させたクライマックスだったのだ。


最後は再生怪獣軍団登場&脇役にも全員ドラマ的見せ場!


 第11話は六花の店でアカネにカッターで刺された裕太が床に倒れ、アカネが投げつけたジャンクのモニターが真っ黒になるという、衝撃の導入部で幕を開けた。
 そして、グリッドマンを倒したことで、「もう怪獣はいらない」と、アカネが怪獣をつくろうとしないために、アレクシスは「ありものですませるか」(笑)と、これまでにアカネが生みだした怪獣たちを総出動させる!


 一方、裕太がめざめない限り出撃できない新世紀中学生たちに対し、アンチは「借りは返す。それが礼儀と教わった」と、先述した第8話の六花の店での描写と係り結びになるかたちでグリッドナイトに変身、たったひとりで怪獣軍団に立ち向かう!
 昏睡(こんすい)状態からようやくめざめた裕太もグリッドマンとして参戦、「これを使え!」と、サムライ・キャリバーが変身した電撃大斬剣・グリッドマンキャリバーをグリッドナイトに貸し与えて共闘するクライマックスこそ、裕太&新世紀中学生とアンチの関係性の変化を最大に象徴するものだ。
 怪獣軍団を撃滅したダブルグリッドマン(!)の背景の市街地に、デカすぎる炎があがる、2010年代のウルトラマンシリーズでのかの坂本浩一監督お得意の特撮演出を彷彿とさせる、実にカタルシスにあふれる描写こそ、変身ヒーロー作品最大の魅力なのである。


 だが、戦っていたのは彼らばかりではない。六花も、そして内海もまた、決してスーパーヒーローではない一般人の自分たちにも、「やるべきことが!」とばかりに戦っていたのだ!


 高校に向かった六花は、グリッドマン同盟とは別の、もうひとつの「なかよし3人組」としてつるんでいる同級生の女子生徒で、茶髪ショートヘアで赤のジャージを腰に巻いている、ボーイッシュな活発娘・なみこと、濃い緑髪のセミロングヘアの右側をリボンで束(たば)ね、新世紀中学生のマックスみたく、常に口にマスクをしている(笑)はっすに、至急避難するように告げ、そそくさと去っていく。
 六花は何か隠しごとをしているのでは? と不審がるなみこに、「云えないってことは、云わないことを六花なりに考えてたんだよ」としたはっすの描写は、はっすが人の気持ちが読める人間であることの象徴であり、屋上にいるふたりの眼前で暴れまわる、人の気持ちを読んだりしない怪獣軍団との絶妙な対比も効(き)いていたのだ。その割には第8話ではっすは「新世紀中学生」を、「ダッサい名前のバンド」(爆)とケナしていたりするのだが。


 第7話で自室のベットに寝ころび、アカネを想ってポ~ッとしていた六花に、試験前にノートを貸してほしいと電話をかけ、了承した六花を「尊(とうと)いぜ~」「神かよ~」とたたえたり、第8話の文化祭で六花を「粗茶(そちゃ)ろうぜ」――こんな日本語があったのか?(笑)――と誘ったりなど、まさにそのへんの女子高生を連れてきて演じさせているかのような、六花・なみこ・はっすの実にナチュラルなやりとりこそが、教室や廊下のスピーカーから流れる音質の悪い(笑)校内放送や、シリーズを通して鳴きつづけた(爆)セミの声といった音響演出とともに、学園ものとしてのリアルな雰囲気を醸しだしていたのだ。
 なみこの声を演じた三森すずこ(みもり・すずこ)は、『探偵オペラ ミルキィホームズ』シリーズ(10~18年)のシャーロック・シェリンフォードや、『ラブライブ!』(第1期・13年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20160330/p1 第2期・14年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20160401/p1)の園田海未(そのだ・うみ)、『少女☆歌劇 レビュースタァライト』(18年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190728/p1)の神楽(かぐら)ひかりなど、主要ヒロインを多く演じてきただけに、本作のなみこのような周辺キャラ、しかもややガサツな(笑)キャラへの起用は意外だったが、実に器用に演じていたのはさすがだった。


被造物世界でも透明なボッチと化して絶望したアカネ嬢を救うには?


 裕太の病室に戻った六花は、自分の店にママを連れて駆ける新世紀中学生たちを窓ごしに見つめた際、バス停が目にとまり、通学バスでアカネと語り合った過去が頭の中でフラッシュバックするが、第8話で意図的に隠されていた、バスの「○ヶ丘」なる行き先表示が、実は「桜ヶ丘」、つまり、本作原典の『グリッドマン』の舞台であることが明かされる! これは最終回(第12話)『覚醒』のクライマックスで描かれた感動的な展開の、さりげない伏線として描かれたものだろう。
 先述した第7話で自身が存在する意味をアカネから聞かされ、強い衝撃を受けたハズの六花は、ビルの屋上にひとりたたずむアカネを見つけ、自分はアカネの友達として以外、生まれてきた意味なんかいらない! と、激アツに叫ぶ!
 最終回でそれをあざ笑ったアレクシスが、「怪獣をつくる人間は怪獣そのもの」と語ったのは、実に的を得ているといえるだろう。怪獣をつくる人間=怪獣が好きな我々のような種族は、人の気持ちを読むことが大の苦手、つまり、怪獣と同等の存在といっても過言ではないのだ(大汗)。


 最終回で「君自身が怪獣になればいいんだよ」と、アカネがアレクシスによって怪獣化した自縄自縄怪獣ゼッガーの声はアカネの叫びを加工したものだったが、実はこれまでアカネが生みだした怪獣の声のすべてが、アカネを演じた上田麗奈の声からつくられており、これは怪獣たちがアカネの悪意の象徴だと強調する音響演出だったのだ。
 「彼女は元からああなんだ」と、今回怪獣化する以前からアカネは怪獣そのものだったと語るアレクシスに、六花は「わたしたちがアカネを変える!」と、その決意を表明した。
 その六花からさまざまな善意・好意を受けてきた怪獣=アンチは、獅子のたてがみを模したブ厚い装甲に覆われた、ゼッガーの顔の6つに裂ける口の中に見える白い人面に、グリッドナイトとして「おまえは怪獣じゃない! 新条アカネだ!!」と叫ぶ。


 心に大きな傷を受けた若者たちが「思春期症候群」なる不可解な現象に悩まされるアニメ『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』(18年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190706/p1)の第1話では、主人公のやさぐれた男子高校生が、学校という空間はその場の空気を読めないだけでダメなヤツ扱いされ、しかもその空気をつくりだしている生徒たちには当事者意識が皆無(かいむ)だと語る。
 そして、メインヒロインの黒髪ロングのツンデレ女子高生は、「見たくないものは見ない」とする空気にあふれた街の人々から、次第にその存在を認識されなくなり、ついに「透明人間」と化してしまうのだ!
 空気を読めない人間はダメなヤツ。そんな「見たくない」人間の存在をいっさい認めようとしない。残念ながら、それが現在のこの国を完全に支配する風潮(ふうちょう)であり、そのために周囲から「透明人間」にされてしまい、生きづらさを感じる人々が続出しているのである。


 アカネが過去に受けた心の傷については劇中では具体的に描かれないものの、誰からも好かれるクラスの人気者として、裕太みたいな彼氏、六花みたいな親友、内海みたいな特撮好きの友達がいる夢をずっと見ていたいと願ったアカネもまた、「透明人間」にされた過去があったのではないのだろうか?
 そんな空気を読めないダメなヤツ=怪獣そのものとして社会から排除されてしまう、アカネのような人間に対してさえも、六花は友達として、その想いを継承したアンチは人間として、アカネを受け入れようとするのだ!
 ゼッガーの体内に突入し、無数の手に束縛されたアカネに手を差しのべ、引っぱりあげて救うアンチの描写はそれをストレートに絵にしたものだったが、そんなアンチをアカネは再度「失敗作」だと評した。
 たしかにアンチは怪獣としては「失敗作」だったのだろうが、人間として生まれ変わって以降のアンチは、立派な「成功作」なのだ! 先述したアニメ『青春ブタ野郎』第1話のラストにも、「透明人間」と化したことで買いものすらできなくなり、空腹に悩まされるヒロインに、主人公が好物のクリームパンを差し出す、実に心暖まる描写があった。彼やアンチのように、せめて我々だけでも、「透明人間」や怪獣として社会から排除されてしまう人々を、暖かく受け入れられる人間であるべきではないのだろうか!?


内海の葛藤 ~バトル作品を楽しむことの快楽&罪悪


 一方、内海は最終展開でかなりの葛藤を見せることで、彼自身と戦う姿が描かれる。
 第11話で裕太の病室に現れたアンチの正体が怪獣だと聞かされた内海は、アンチをはじめとする怪獣の足下(あしもと)で、どれだけ多くの人間が死んだと思ってるんだ! と、つかみかからんばかりにアンチを非難するが、怪獣とグリッドマンの戦いを楽しんでいた自身もまた、その足下で死んでいく人間たちに想いが至らない点ではアンチと同等、つまり、怪獣そのものだと思い知らされたのだ!――ここでも裕太の病室と隣の病室を俯瞰し、内海とアンチの衝突に驚く隣の見舞い客を描写する、実に秀逸な演出がある――。
 すっかり憔悴(しょうすい)した内海は、市街地で怪獣軍団が暴れている状況下、「こんなときウルトラならどうなるんですかぁ~?」とおどけたボラーに、「ウルトラシリーズならM78星雲・光の国からウルトラ兄弟が駆けつけるのが定石」(笑)と返す元気もなかったほどだが、アカネが怪獣そのものだと語られた先述した場面以上に、この際の内海におもわず身につまされた視聴者は、決して筆者ばかりではないだろう(汗)。


 最終回、裕太にいっしょに来てくれと声をかけられるものの、自身のやるべきことが見つからずに苦悩していた内海は即答できずにいたが、その内海の背中を押したのも六花だった。
 ボラー同様に内海の足に乱暴にケリを入れ、イラついた調子で「あのさぁ~、内海くんは響(裕太)くんのなんなの」と、どやしつけるさまはまさにプチヤンキーだが(笑)、だからこそ、「友達だよ!」と叫ぶのが精一杯だった内海に、一転して「その友達が来てくれ、って云ってんですけど」と、内海に向けた六花の暖かいまなざしが、絶大な印象を残す効果をあげていたのだ。
 ここにグリッドマン同盟は華麗に復活をとげ、4人の新世紀中学生の腕には裕太と同じ変身アイテム・アクセプターが装着される!
 六花と内海が見守る中、最後の「アクセス・フラッシュ!」が描かれるが、アレクシスに刺されて倒れたアンチが宙を見上げ、「アクセス・フラッシュ……」とつぶやいていたのを見すごしてはならない。つまり、最後に登場したグリッドマンは、裕太と新世紀中学生のみならず、アンチの想いも一体化していたのだ!


原典のグリッドマン復活! 原典と地続き、かつ新機軸でもある作り方


「これが本当のグリッドマンの姿!」


 「なつかしい姿じゃないか!」と狂喜したのは、決してアレクシスばかりではない。
 原典である『電光超人グリッドマン』の主題歌『夢のヒーロー』が流れる中、コンピューターワールドを背景に、アカネの情動を吸収して巨大化したアレクシスに必殺技「超伝導キック!」を繰りだしたグリッドマンは、原典で活躍したオリジナルのデザインで描かれたのだ!
 四半世紀も前の、甲冑(かっちゅう)に覆われた騎士といった印象のデザインが、今回新規にリメイクされたグリッドマンと比較してもまったく違和感がないことには、やはり先見性と普遍(ふへん)性を兼ね備えていたのだと、あらためて驚嘆(きょうたん)の声をあげずにはいられないものがあったのだが、一時期のウルトラマンシリーズが、新作のたびに世界観をリセットしてしまい、過去のシリーズとは完全に独立していたことを思えば、今回これを実現させたことには隔世(かくせい)の感のみならず、やはりこれこそが、かつて夢中になった世代とライト層の若い世代双方を満足させる手法なのだと、強く実感させられたのである。
 ラストで重傷だったアンチを助けるアノシラス二代目が変身した少女の背後に、その親である初代アノシラス(!)が描かれているのもまた然(しか)りなのだ。


 感動はこれだけでは終わらない。この世界をつくったアカネの心を救う力「フィクサービーム!」をグリッドマンが発射する中、裕太も、六花も、内海もまた、「アカネの心を救う力」を発揮する!
 高校の校舎の屋上で、「私に広い世界なんかムリ!」と絶望するアカネに、自分たちを頼ってほしい、信じてほしい、そのための関係だからと、グリッドマン同盟が呼びかけたイメージシーンで、アカネはついに心の扉(とびら)を開けることとなったが、先述したように、現代社会に最も必要なのは、こうした「心を救う力」かと愚考(ぐこう)するのだ。


 こういった孤独なキャラクターに救いの手が差し伸べられてハッピーエンドとなる展開はそれはそれでアリガチではある。ジャンル作品では女児向けアニメ『美少女戦士セーラームーン』(92年)あたりからの定番ですらあった。しかし、そこは時代を超越している人間の普遍的な悩みなのだというべきだ。『電光超人グリッドマン』を知らないハズの若い世代にも本作が広く受け入れられたのは、それが強く感じられたから、つまり、アカネと同様の悩みをかかえる者が、それだけ多く存在するということだろう。


 「これが、命ある者の力だ!」と、激アツに叫んだグリッドマンとアレクシスが、スローモーションでクロスカウンターをキメる、絶大なカッコよさにあふれたカット! このへんは、人間ドラマ的なシメっぽさだけで終わらせずに、アクションのカタルシスに良い意味で走ることで、作品にも爽快感をもたらしていた(笑)。


 「私は臆病(おくびょう)でずるくて弱虫で」と泣きじゃくるアカネに「知ってる」と、そのすべてを受けいれたうえでアカネを「友達」として認め、いつか買った定期入れを手渡す六花の姿もまた然りだ。
 オープニングに流れる王道のヒーローソング『UNION(ユニオン)』もいいのだが、アカネに六花、なみこにはっすと、女性キャラのみが描かれるエンディングに流れる、声優の内田真礼(うちだ・まあや)が歌唱する『youthful beatiful(ユースフル・ビューティフル)』が、実は個人的にはそれ以上に好きだ。
 「君が待っててもいなくても 走るよ」との歌詞は、まさに六花の「心を救う力」を象徴するものだが、記憶喪失の裕太を介抱したのも、怪獣だったアンチを人間にしたのも、沈んだ内海を奮起させたのも、アカネに心の扉を開かせたのも、すべては六花の「心を救う力」だったのだ。アカネを目当てに観ていたものの、ややキツめでもやさしいところがある六花にいつしか惹(ひ)かれるようになった視聴者は多いことだろう。


 そんな六花に裕太が心惹かれるさまが前半では描かれたものの、後半では第8話のラストにて、文化祭の出しもの・男女入れ替わり喫茶で白いマリンルックの水兵に扮(ふん)した六花を遠巻きに見つめる描写があった程度だった――劇中キャラにさまざまなコスプレをさせたいがために、近年の深夜アニメでは必然性もなしに定番で行われる手法だ(笑)――。
 裕太の六花に対する想いが描かれなくなったのは、第11話で「私はグリッドマンだ」と語った裕太に、内海が「なんかキャラ違うぞ!?」(爆)と混乱したほどに、実は裕太の人格がグリッドマンそのものだったことの伏線としてであろう。
 学園ものの深夜アニメとしては、本来なら最終展開で裕太と六花の恋愛模様を進展させるところだろうが、あくまで変身ヒーロー作品として、アカネの心を救うことを最優先させた展開こそ、視聴者の大きな共感を得られたかと思えるのだ。
 グリッドマンの中で眠ったままの本来の裕太は、グリッドマンによれば「六花への想いは変わらなかった」とのことであり、裕太と六花の恋の行方(ゆくえ)については、ぜひ第2期で描いてほしいところだ――映像ソフトの予約状況や各種イベントの盛況からすれば期待できるのでは?――。


 原典である『電光超人グリッドマン』の放映が開始された際、主人公の3人組が中学生でその舞台となる町が「桜ヶ“丘”」だったことに、筆者は「桜ヶ“岡”中学校」の教師で防衛組織・UGMの隊員でもある矢的猛(やまと・たけし)=ウルトラマンエイティを主人公とし、そのドラマや特撮は充実していたものの、人気面でも商業的にも決して成功したとは云いがたかった『ウルトラマン80』のリベンジでもあるかと思えたものだ。
 本作『SSSS.GRIDMAN』第7話に、「憎しみが強いほど強い怪獣が生まれる」とのセリフがある。先の『80』でも、人間の醜(みにく)い心や汚れた気持ち=マイナスエネルギーが怪獣の発生源・活動源とされていた。


 今であればアリガチな設定で、『セーラームーン』や『プリキュア』シリーズのような女児向け魔法少女アニメのゲスト怪人などはすべてが『80』的な設定となることで、これによってドラマとバトルの一体化まで果たされることになっている。しかし、1980年往時の筆者や特撮マニアにかぎらず子供たちでさえ、精神エネルギーがそのまま物理的な巨大怪獣となってしまうことには、やや断絶・飛躍がありすぎるようにも感じられて突飛に思えたものだった。
 つくり手側もそのように思っていたのだろう。当初の設定どおりに映像化された作品は『80』ではごく一部にとどまり、ゲスト主役の生徒のドラマとその回に登場する怪獣の出自が別個に扱われていき、当時のマニアも子供たちもそれはそれでホッとしていたのも事実なのだった(汗)。


 しかし、1980年前後とは異なり90年代以降になると、人間の精神エネルギーが実体化して巨大怪獣となる設定にはあまり違和感がなくなり、視聴者側の慣れもあるのか、ジャンル作品でもそういった精神世界的な心のエネルギーを賞揚する作品が増えてきたからなのか、むしろ深みすら感じるようにもなっていく(笑)。
 90年代中盤にウルトラシリーズが復活するや、『ウルトラマンティガ』第38話『蜃気楼の怪獣』では「人間の心の闇が実体化した怪獣」が出現している。もちろん、作品のテイストがややユルい学園もの的な『80』第1クールの学校編で即物的に登場させたのか、やや思弁的なテイストの『ティガ』第38話で真偽不明の仮説のままで登場させたのか、といった相違も大きかったものの、少々引っかかりながらも同話に登場した怪獣の存在をナンセンスだと批判する意見は特撮マニア間でもあまりなかったとも記憶する。


 本作『SSSS.GRIDMAN』に登場する怪獣たちが、アカネの繊細な心から発せられるマイナスエネルギーから生み出されていたことに、本来はウルトラマンシリーズをアニメ化したかった雨宮監督は、『グリッドマン』のリメイクだと偽(いつわ)って、実は『ウルトラマン80』のハイセンス化されたリファイン版をも円谷プロにまんまとアニメ化させてしまったのではないのか!? とも、筆者は愚考をしてしまうのだ。


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2019年GRIDMAN号』(19年2月10日発行)~特撮同人誌『仮面特攻隊2020号』(19年12月発行予定)所収『SSSS.GRIDMAN』総括合評1より抜粋)


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