假面特攻隊の一寸先は闇!読みにくいブログ(笑)

★★★特撮・アニメ・時代劇・サブカル思想をフォロー!(予定・汗)★★★ ~身辺雑記・小ネタ・ニュース速報の類いはありません

機界戦隊ゼンカイジャー論 ~『ゼンカイジャー』を通じて「スーパー戦隊」45年史の変転も透かし見る!

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『機界戦隊ゼンカイジャー』論 ~『ゼンカイジャー』を通じて「スーパー戦隊」45年史の変転も透かし見る!

(文・T.SATO)
(2022年4月10日脱稿)

『ゼンカイジャー』を通じて「戦隊」史も透かし見る!


 赤・青・黄・桃・緑などといった原色のカラフルなスーツで身をまとった複数名の変身ヒーローと悪の組織が繰り出す敵怪人とが、歌舞伎的様式美なコミカル・オチャラケ・ゲーム的でスポーティーなバトルを繰り広げる、今や日本の新古典・お家芸になったともいえる「スーパー戦隊シリーズ」。本作はその節目の第45作目といったアニバーサリー作品でもある。


 しかして、本作におけるスーパー戦隊のリーダー格の戦士は、従来のシリーズであれば「赤」の体色であるべきところがナンと「白」!


 しかし、その仮面も両眼に当たるところが、80年代中盤以降のスーパー戦隊の戦士たちのような黒いサングラス状のスマートでシャープなゴーグルなどではない。戦隊ヒーローというよりかは昆虫を模した日本の古典特撮変身ヒーローシリーズ・仮面ライダーたちのような巨大な複眼状の両眼にもなっている!
 そして、スーパー戦隊の基本構成が「5人」であることをローマ数字の「Ⅴ」でも代替できることから、「スーパー戦隊シリーズ」それ全体のロゴとしても引用されてきた「Ⅴ」を引用したのだろう、「V」字型の突起が額から伸びていることで、ますます昆虫の触覚状の突起を額から生やしている「白い仮面ライダー」といった風にも見えてしまう(笑)。


 むろん、ヒョウタンを横倒しにしたようなその両眼は中央で細くつながっているあたりで仮面ライダーとは異なっている。今となっては実は不要である多数の小さなノゾキ穴状の模様も穿たれていることで、この戦隊ヒーローは元祖『秘密戦隊ゴレンジャー』(75年)のリーダーことアカレンジャーの顔面デザインを模していたことが、戦隊マニアたちにはわかってくる趣向である。


 元祖『ゴレンジャー』世代のオジサンとしては、シンプルなデザインのゴレンジャーの5人は子供たちにもマネがしやすく、ご近所や級友たちの大勢が模写をしていたことなども思い出す――むろん、模写のしやすさをデザインの至上の条件に挙げているワケではない。現今の子供たちにはゴレンジャーのデザインは古びてヤボったく見えているであろうとも思うので(汗)――。


白い主役ヒーローの周囲を固める4人の戦隊巨大ロボ!?


 そして、この白い戦隊リーダーの周囲を固める残りの4人のメンバーが、人間体型でレオタード地のスマートないつもの戦隊ヒーローたちではない。過去のスーパー戦隊シリーズに登場してきた戦隊ヒーローならぬ、戦隊巨大合体ロボットたちの手脚や胴体などが箱っぽい無骨な着ぐるみを模している、人間サイズのヒーローたちなのだ!


 ロートルオタクたちやリアルタイム世代ではなくても、さかのぼってスーパー戦隊シリーズの旧作までをもチェックをするような特撮マニア諸氏であれば、やはりコレも元ネタがわかったことであろう。


●『恐竜戦隊ジュウレンジャー』(92年)における同作の戦隊巨大合体ロボット第1号こと赤と黒の色彩が主体である「大獣神(ダイジュウジン)」!――異世界の赤い機械人間ことオジサンくさいジュランが変身した姿であるゼンカイジュラン!


●『百獣戦隊ガオレンジャー』(01年)における戦隊1号ロボこと「ガオキング」!(黄色主体なので即座にそうは見えないモノの……)――異世界の機械人間こと黄色くてネコっぽいライオンをモチーフとした陽気な善人若者キャラであるガオーンが変身したゼンカイガオーン!


●『魔法戦隊マジレンジャー』(05年)の1号ロボことトンガリ帽子が印象的な「マジキング」!――コミュ力弱者だけど趣味の方面だと冗舌になるオタク少女である機械人間・マジーヌが変身したゼンカイマジーヌ!


●『轟轟(ごうごう)戦隊ボウケンジャー』(06年)における巨大な自動車型マシンが合体した1号ロボこと「ダイボウケン」!――生真面目な理系学究キャラである青い体色の機械人間・ブルーンが変身したゼンカイブルーン!


 80年代における初期スーパー戦隊の青や黒が主体であった巨大ロボット・モチーフのキャラはココには存在しななかった(笑)。むろん、80年代のスーパー戦隊の巨大ロボットは、ミリタリックな現実科学・SF科学の延長線上にてノン・モチーフ、もしくは無骨な戦闘機や戦車などがモチーフであったものだ。それはそれで当時としてはよかったのだが、今となってはたしかに地味で無個性にも映るだろう。
 90年代以降のファンタジックな原理に依拠するようになったスーパー戦隊は、恐竜・伝説獣・忍者・動物・自動車・魔法使い、あるいはそれらの複合モチーフといったかたちで、戦隊合体巨大ロボの見た目を実に多彩にデザインしてきた。そして、その方が見た目・ルックスも個性的・キャッチーでキャラクターも立っている。


 よって、今の子供たちにアピールするのも、たしかに「大獣神」以降の戦隊巨大ロボたちなのであろう。それと同時に、往年の戦隊巨大ロボのセレクトのあたりにも、マンネリなルーティンのようでいて、確実に変化――時に「歴史の断絶」的な急変化!――などもあったスーパー戦隊シリーズの長い歴史なども、ロートルオタクとしては自然と想起がされてしまうのだ。


――その逆に80年代でも、地球という惑星自体が放った神秘のパワーによるドラゴン・グリフォン・ペガサスといった伝説獣の力を有した戦隊ヒーローでありながら、戦隊巨大ロボに合体するメカが軍属のヘリコプターや戦車だったりする『電撃戦隊チェンジマン』(85年)など、その一点については当時のもう中高生以上であった戦隊マニアたちも不整合は感じており、マニア誌の読者投稿欄や同人誌などではその旨の表明などはあったと記憶する。この矛盾は妖精が見える高校生5人がファンタジー風の悪党軍団と戦うも、無公害エンジンだとはいえ自動車型の巨大メカが合体する戦隊巨大ロボを駆使していた『高速戦隊ターボレンジャー』(89年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20191014/p1)などでも指摘されてきたことだ――


 この戦隊巨大ロボットをモチーフとした変身後の4人の戦隊ヒーローことゼンカイジャーたちは、そのままの姿で巨大化までしてみせる! そして、特撮巨大バトルも演じてみせる!
 加えて、着ぐるみではなくCG表現ではあるものの、非人間体型であるティラノサウルス・ライオン・ドラゴン・ダンプ車両型にも変型! しかも、それらが左右の半身となるかたちの2体1組にて合体! 人型の巨大ロボットにもなってみせるのだ!


 ティラノサウルスは、『恐竜戦隊ジュウレンジャー』や『爆竜戦隊アバレンジャー』(03年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20110613/p1)に『獣電戦隊キョウリュウジャー』(13年)といった、恐竜をモチーフとしたスーパー戦隊において主役の戦隊レッドや彼が操るメカ恐竜のモチーフともなってきた、子供たちにも人気がある二足歩行で最強の人気恐竜でもある。


 ライオンも、『超獣戦隊ライブマン』(88年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20110919/p1)の戦隊イエローが操縦した戦隊巨大合体ロボの胴体となったライオン型メカを筆頭に、『星獣戦隊ギンガマン』(98年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19981229/p1)の戦隊レッドが操る赤いギンガレオン、『百獣戦隊ガオレンジャー』の戦隊レッドが操るガオライオンなど、やはり百獣の王にしてそのタテガミが印象的なところから、子供たちにも人気がある動物であった。


 ドラゴンも、『五星(ごせい)戦隊ダイレンジャー』(93年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20111010/p1)の戦隊レッドが操る赤い東洋の竜型メカを端緒に、『ギンガマン』の戦隊グリーンが操る西洋風ドラゴンことギンガルコン等々が登場してきた。


 ダンプことクルマは、子供や若者間におけるモービル(乗り物)幻想が減退したせいか、昨今では特に人気が高いモチーフではなくなったけど、平成初頭の『高速戦隊ターボレンジャー』(89年)では、5台の自動車型の大型メカが合体して戦隊巨大ロボとなるコンセプトが大ウケして、同作の戦隊巨大ロボことターボロボが子供たちに爆売れしたものだ。


 巨大ロボットに戦隊ヒーローたちが搭乗するのではなく、戦隊ヒーロー自身が巨大化変身してみせるといったあたりも珍しい趣向ではある。しかし、45作も重ねてきたシリーズのこと。この試み自体もまた本作が初だということでもない。
 『忍者戦隊カクレンジャー』(94年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20120109/p1)でも5人の戦隊ヒーローが忍法(笑)で人型獣面の巨大戦士である5獣将(従来の巨大ロボに相当)へと巨大化変身して戦い、さらに5体合体して同作における戦隊巨大合体ロボ1号こと日本の近世城郭がモチーフである「無敵将軍」ともなっていた!――つまり5体の人型ロボが変型して1体の人型ロボへと合体を遂げたのだ!――。『魔法戦隊マジレンジャー』でも同じ趣向が採られており、1号ロボことマジキングの5素体ともなっていた。
 『カクレンジャー』に登場した着ぐるみの追加戦士・ニンジャマンや、『超力(ちょうりき)戦隊オーレンジャー』(95年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20110926/p1)に登場した着ぐるみの追加戦士・ガンマジンに、『轟轟戦隊ボウケンジャー』(06年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070108/p1)の着ぐるみキャラにして7人目の戦士・大剣人ズバーンや、『天装戦隊ゴセイジャー』(10年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20130121/p1)の6人目の白銀の着ぐるみ戦士・ゴセイナイトなども、人間体が存在しないヒーローで、人間サイズからの巨大化を可能として活躍していたのだ。


 本作はヒーローたちの「見た目」の次元で、随分と大きな変化球をねらってきている。前年度から世界的に蔓延した新型コロナウイルス対策として、顔出しのレギュラー出演者などが感染した場合に、着ぐるみキャラであれば中の人であるスーツアクターの一時交代だけで済ませられるという計算もあったのやもしれない――東映の白倉プロデューサーはその意図はなかったと語っているが、真に受けるのは危険である(笑)――。
 そして、スーパー戦隊シリーズの玩具における最大の収益ともなってきた戦隊巨大ロボの売上高が、近年では長期低落傾向でもあったのだ。そこで、彼ら戦隊巨大合体ロボの素体ともなる人型ロボットたちを、特撮巨大バトル場面のみならず、人間サイズの存在として日常ドラマ部分でもユカイに活躍させることで、露出を増やして親しみも持ってもらい、それによってもロボット玩具の売上を増やそうという計算もあったことであろう。


45作記念作品として、先輩スーパー戦隊の勇姿も露出!


 しかし、アニバーサリーとは長命なるシリーズ全体をも祝うものであろう。そのためには何をなすべきか? その答えは、10年前のスーパー戦隊シリーズ第35作『海賊戦隊ゴーカイジャー』(11年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20111107/p1)や、平成ライダーシリーズ第10作『仮面ライダーディケイド』(09年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20090308/p1)に、ウルトラシリーズ40周年記念作『ウルトラマンメビウス』(06年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060625/p1)などといった、長命シリーズにおけるここ15年ほどのアニバーサリー作品などとも同様に、歴代先輩ヒーローたちの多彩なビジュアルを全面的に押し出す手法に出ることであった!


 本作『ゼンカイジャー』TVシリーズでは、ホンモノの先輩スーパー戦隊たちは実質的には登場・共演はしなかった。しかし、『ディケイド』や『ゴーカイジャー』のパターンで、いかにも玩具チックな多数の種類がある「センタイ(戦隊)ギア」なる周囲が歯車状となっているコイン型のメダルに、各スーパー戦隊ごとのパワーが秘められているとする。そして、そこから過去の戦隊ヒーローたちの得意ワザ・必殺ワザ・武器の力を引き出すことができるといった設定で、先輩スーパー戦隊たちのビジュアルを披露するかたちを採っているのだ。


 その際には、ごていねいにも一度、実景の中に半透明のビジュアルにて合成された先輩スーパー戦隊たちの勇姿もイチイチに出現! それが瞬時に最新現役スーパー戦隊メンバー個々の身体に合体することで、子供たちにもわかりやすい「絵」として、先輩スーパー戦隊の能力が現役スーパー戦隊に宿ったことが示唆される。そして、現役スーパー戦隊の背中にツバサが生えてきて高速で空を飛んだり、忍者のワザを駆使したりもするのだ!


 加えてそれらのパワー召喚の際には、『ゴーカイジャー』に登場していた鳥型マスコットメカも想起させる、オウムのような赤い鳥型メカこと「セッちゃん」が、ごていねいにも先輩スーパー戦隊についての解説までしてくれる! 「一見(いちげん)さんお断り」ではなく、ジャンク知識収集癖などもある子供たちへの興味関心をも惹起ができているのだ(笑)。


 元祖『ゴレンジャー』の5人の戦士たちは額に「1」「2」「3」「4」「5」といった番号マークも付与されることで、チーム内での一応の序列も表現されていた――リアルタイム世代のオジサンとしては、こういった通俗的な「番号」といった要素もまた、子供心に実に魅力的であったことなども思い出す――。本作ではその趣向をアレンジして、


●白い主役ヒーロー・ゼンカイザーの額に「45」
大獣神もどきのゼンカイジュランの額に「16」
●ガオキングもどきのゼンカイガーンの額に「25」
●マジキングもどきのゼンカイマジーヌの額に「29」
●ダイボウケンもどきのゼンガイブルーンの額に「30」


といった番号が付与されている。これはもちろん、彼らのデザインの出自である『ジュウレンジャー』がスーパー戦隊シリーズ第16作目、『ガオレンジャー』がシリーズ第25作目、最新『ゼンカイジャー』は第45作目、以下も同様……で、各作がシリーズ通算で何作目かといったことを意味していることは、我々のような腐れスーパー戦隊シリーズマニアであれば即座にわかったことだろう。
 加えて、「数字」「番号」をデザインに組み込むこともまた、全員とはいわずとも「ひらがな」や「数字」を識字ができるようになった子供たちには、魅惑的な趣向だとも思われる。膨大なグループが存在する先輩スーパー戦隊たちをナンバリングを通じて何らかの法則性を感知させて認識させやすくもするからだ。
 幼児誌『てれびくん』や『テレビマガジン』、幼児向けの書籍や絵本などにおいては、70~80年代のむかしから過去作の日本特撮の先輩ヒーローたちのビジュアルや集合写真などが列挙されてきた。それらを通じて改めてネタ元の歴代スーパー戦隊やシリーズ全体に対する興味関心も喚起されて、次代のマニア予備軍となっていくような子供たちも相応にはいるのだから。


悪の貴公子の先輩戦隊&巨大ロボ召喚に歴史も垣間見る!


 さらに、歴代スーパー戦隊のビジュアルの露出をもっと増やすためにか、早くも#6で顔見せして#7で変身を果たした、敵の帝国側の一応の王子さまだともいえる美少年が変身したダークヒーロー・ステイシーザーも登場!
 その姿はスーパー戦隊シリーズ第3作『バトルフィーバーJ』(79年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20120130/p1)のリーダー戦隊ヒーローこと、白い全身スーツに赤い顔面マスクをしたバトルジャパンのアレンジで、原典とも同様に昭和の時代の変身ヒーローではよくあったマフラー(スカーフ)をも首に巻いている!
 しかし、体色を紫色に両眼部分を6つ目のような細目のスリットにすることで、一応の悪党っぽさも出せているのだ――しかも顔面を少々大ぶりに造形したそうで、変身前の不安定な細身痩身の少年ぽさをも出せている!――。


 彼に至っては、今度は半透明の瞬時にだけ出現する先輩スーパー戦隊などではなく、物理的にも短時間だけ先輩スーパー戦隊を実体化させることが可能だと設定されたことで――もちろん、明瞭な人間的自我などはない操り人形としての存在なのだけど――、ゼンカイジャーよりもアドバンテージ(優位)を誇って、彼1人だけでもゼンカイジャー5人に拮抗できるだけのパワーバランスも達成ができている!
 どころか、スーパー戦隊1組だけではなく先輩2~3大スーパー戦隊の合計10~15名までをも召喚して使役! かつての彼らの手持ちの武器(!)まで使って戦わせることで、敵も味方もそれぞれが先輩スーパー戦隊のパワーを召喚できるとするのだ!


 悪の軍団に所属する異形で強面の戦闘系幹部ではなく、シャープでスマートなデザインを与えられた悪のヒーローとでもいった存在は、『科学戦隊ダイナマン』(83年)のシリーズ後半に登場したダークナイト、『超電子バイオマン』(84年)の後半に登場したバイオハンター・シルバが嚆矢(こうし)であって、共に第3勢力として登場することで、子供向けヒーロー番組ひいては当時のスーパー戦隊シリーズに顕著であった善vs悪の1話完結ルーティンを崩して、ストーリーにもバリエーションをもたらしていく存在でもあった。


 悪のスーパー戦隊とでもいうべき存在も、各話に人間サイズのゲスト敵怪人が登場しない(!)というパターン破りを行なった『バイオマン』にレギュラー敵キャラとして毎回、戦場まで出張ってくる幹部怪人級の悪のスーパー戦隊だったともいえるジューノイド五獣士、『地球戦隊ファイブマン』(90年)にセミレギュラーとして登場した星獣戦隊ならぬ銀河戦ギンガマン、1話かぎりのゲスト悪役としても『激走戦隊カーレンジャー』(96年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20110521/p1)に暴走戦隊ゾクレンジャーが登場してきた。しかし、いずれも異形の怪人たちであり、悪のヒーローといった感じではない。


 スーパー戦隊シリーズにおけるカッコいい系の悪のヒーロー集団は、『忍者戦隊カクレンジャー』にイレギュラーで登場した「花のくノ一組」や『電磁戦隊メガレンジャー』(97年)終盤に登場した邪電戦隊ネジレンジャーであろうか?――『大戦隊ゴーグルファイブ』(82年)終盤に登場したデスダークファイブは新造スーツではなくゴーグルファイブの着ぐるみそのままだったので――
 『魔法戦隊マジレンジャー』では、マジレンジャーとも同じデザインラインで装飾やマスクをメタリックパープル色の硬質パーツとした、悪の戦隊ヒーローともいえる魔導騎士ウルザードがレギュラーとして登場して巨大化まで果たしていた。



 そして、このダークヒーロー・ステイシーザーが戦隊巨大ロボット複数体をも白昼・自然光でのオープン撮影によるビル街に召喚! しかもそれはご都合主義にも、ゼンカイジャー4人の元ネタデザインでもある往年の戦隊巨大ロボこと大獣神・ガオキング・マジキング・ダイボウケン!
 しかも、我々マニアやマニア予備軍のガキどもの期待にたがわず、大獣神もどきvs大獣神、ガオキングもどきvsガオキング、以下同様! といった「待ってました!」」(笑)な夢のマッチメイクも見せてくれるのだ!


 どころか、先の4体の先輩戦隊巨大ロボが撃破されたところで、


●『電子戦隊デンジマン』(80年)の巨大ロボことダイデンジン
●『超電子バイオマン』(84年)の巨大ロボことバイオロボ


 この2大戦隊巨大ロボをも召喚! 彼らを筆頭に合計12体もの歴代戦隊巨大ロボまで召喚! さらに加えて、先の4体も含めた20数体もの戦隊ロボを召喚して、合計30数体が登場!!――ダイデンジンバイオロボはもちろん放映当時の着ぐるみではなく、後年にアトラク部門のマニア上がりの人間が個人の好みで新造させて活躍させてきたモノであろう(憶測です)――


 今となってはダイデンジンバイオロボは、「80年代の戦隊巨大ロボ」として一括りにカテゴライズされてしまうモノなのかもしれない。しかし、


●いかにも箱の固まりで、股関節部分の可動域も狭くて動きにくそうにしていたダイデンジンの着ぐるみ
●股関節部分はスーツアクターが着用している厚めの黒いインナースーツをまるだしにすることで、可動域を拡げていたバイオロボの着ぐるみ


……といった感じで、後者の放映時期になると筆者なども青年マニアとしての自意識で観賞していたロートルなので(汗)、4年ほどの期間における技術の長足の進歩を感じて感服していたことなども思い出す。玩具デザイン画稿を収録した書籍『スーパー戦隊アートコレクション 戦隊ロボ編』(メディアワークス・02年8月30日発行)などでも、漫画家・長谷川裕一と玩具デザイナー・野中剛がバイオロボに受けた衝撃を語っている。


――しかし、コレも作品に遭遇した視聴年齢によりけりで個人差も大きいだろう。子供番組卒業期にちょうど『バイオマン』を観賞したせいか、バイオロボの股関節が人間のインナースーツまるだしだったことに幻滅したとのたまっていた戦隊マニアに遭遇したこともあったので(笑)――


 そして、腐れスーパー戦隊オタクとしては、『侍(さむらい)戦隊シンケンジャー』(09年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20090712/p1)から特撮巨大バトルセットが広大となり、天井・ホリゾント(背景)なども高くなったセットが新築されていたことなども思い出す――『仮面ライダー電王』(07年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20080217/p1)での莫大な売上で新築されたとか?――。そう。20世紀の戦隊巨大ロボ戦とは異なり、この広い特撮ステージがあってこそ、10数体もの戦隊巨大ロボを並べてのパラノミックな映像表現も可能になっているのだ!


 2010年代以降のウルトラシリーズの実に狭苦しい特撮セットとは比較にならないほどの広大なセットを活かして――10年代末期以降はデジタル技術で実にウマくゴマかせているようで不満もないけど――、セットの遠方に行くほどにヒナ壇がビミョーに高くなっていることでの錯覚も援用。後方の戦隊巨大ロボたちはカメラ手前の戦隊巨大ロボたちの陰にご都合主義にも隠れることなく(笑)、敵側に使役されるキャラクターとしてではあれキレイに整然と勢ぞろい!!
――勢ぞろい場面にあとから出現した20数体については、もちろん着ぐるみがすべて残存しているワケもなく、スタジオにすべてを持ち込めるワケもないので、既存の静止画像の正面写真などを素材として合成したものなのだろうが、そこはデジタル合成における個々の明度や彩度の微調整さまさまで、まるで違和感がなかった!――


 もちろん、ナンでもアリになってもアレなので、巨大ロボの大量召喚は召喚アイテムのエネルギーの急速な枯渇を招くという言い訳をつけることで、これらの戦隊巨大ロボは一斉に消滅。以降の回では同じ手を使わない言い訳もできていたあたりもウマいのだ。


6人目!? 第3勢力!? さらなる追加戦士に歴史も見る!


 さらに加えてこの#8では、ラストにダークヒーロー・ステイシーザーにも負けていない、従来のスーパー戦隊シリーズでは正義側の戦隊メンバー追加戦士のポジションにも相当する、しかして本作では第3勢力キャラである金色の戦士までもが畳み掛けるように初登場!
 海賊(界賊=世界海賊)だと名乗る金髪のチャラチャラとしたホストのようなイケメン青年クンが変身したその姿は、本作の10年前に放映されたシリーズ35作の記念作品『海賊戦隊ゴーカイジャー』の海賊帽子をモチーフとしていた顔面マスクとも同様であり、ゴーカイジャーの一員にして10年後の7人目の戦士(笑)だと呼称されても違和感がないゴーカイゴールドならぬツーカイザーなる新ヒーローが見参!
 額にも「35」番のマークが付いている。決めゼリフもゴーカイレッドの「派手に行くぜ!」ならぬ「痛快に行くぜ!」であった(笑)――むろん、主役ヒーロー・ゼンカイザー(全開ザー)に対応してのツーカイザー(痛快ザー)といったネーミングでもあるのだろう――。


 そして、『侍戦隊シンケンジャー』のシリーズ後半におけるシンケンジャーたちの強化形態のような赤い陣羽織をまとった姿のツーカイザー・シンケンフォームへと変身するや、その額は『シンケンジャー』の戦隊シリーズ内での通算番号である「33」番へと変化!
 云われてみないとわかりづらいけど、『超力戦隊オーレンジャー』の黒色の追加戦士・キングレンジャーを模したともいえる、しかして色はキングレンジャーのそれの金色ならぬ青色の胸肩アーマーをまとったツーカイザー・オーレンフォームの姿に変身するや、その額には『オーレン』の通算番号である「19」番へと変化する!


 加えて、ツーカイザーは先輩スーパー戦隊の初期メンバーたちのパワーではなく、6人目などの途中参加の戦隊追加戦士たちのパワーを召喚!


●『忍風(にんぷう)戦隊ハリケンジャー』(02年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20021110/p1)の6人目の緑色の戦士・シュリケンジャーが野球のバットでボールを連射する「秘打千本ノック!」
●『五星戦隊ダイレンジャー』(93年)の6人目の白の戦士・キバレンジャーの人語を発する武器・白虎真剣を用いて敵を大音量で苦しめる「吼新星・乱れやまびこ!」
●『獣拳戦隊ゲキレンジャー』(07年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20080817/p1)の白の追加戦士・ゲキチョッパーが用いた手甲型の武器でチョップ!
●『宇宙戦隊キュウレンジャー』(17年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20180310/p1)の水色の追加少年戦士・コグマスカイブルーの巨大化能力!


 これによって、主役ヒーロー・ゼンカイジャーたちや悪のヒーロー・ステイシーザーとの差別化も図れているのだ!
 『ジャッカー電撃隊』の白い追加戦士・ビッグワン行動隊長の力で、先のステイシーが召喚した偽ジャッカーたちを屈服させるあたりや(笑)、『星獣戦隊ギンガマン』(98年)の牛をモチーフにした追加戦士・黒騎士の力で牛に懐かれたりするあたりは(笑)、年長マニア向けのギャグではある。しかし、かつての我々のようなマニア予備軍のマジメな子供はともかく、大抵の子供たちは元ネタがわからなくても一般的なギャグシーンとして楽しんでいるとも思うのだ。
 ツーカイザーとしての特殊能力の初披露がビッグワンの命令ネタだったならば問題だけど(爆)、そーではないのであればマニア転がしのイロモノ要素のブレンドで、息抜きのコミカルシーンを構築することもアリなのだし、特に本作にかぎった話でもないのだけど、ここ10数年の円谷作品における往年の「卑怯もラッキョウもあるのものか!?」といったセリフの適宜の引用(笑)などとも同様に、東映であろうが円谷であろうが、受容されたあとの意味合いの解釈は異なることになっても、子供にもマニアにもウケそうなメタフィクション的なギャグが成功するようになって久しい。


 戦隊途中追加戦士も、シリーズ第16作『恐竜戦隊ジュウレンジャー』に登場した緑色の戦士ことドラゴンレンジャー・ブライに端を発している。すでに追加戦士が登場しなかった初期戦隊15作品よりも、追加戦士が登場するようになった時代の作品の方が倍の30作品ほどにも達している。往時は斬新ではあったものの、今では女児向け集団ヒロインアニメ『プリキュア』などでもシリーズ数作目からは途中追加戦士が恒例ともなっており、今や立派な「新古典」芸に昇華したともいえるだろう。
 ちなみにドラゴンレンジャーは、当初は悪の手先として6話連続ストーリーで登場して、敵首領の魔力で巨大化まで果たしてあの大獣神とも戦って圧倒(!)するなどのパターン破りも見せつけて、視聴者を喜ばせてもいた――この時期になると脚本家の純粋なアイデアではなく、バンダイ側にもオタク第1世代が入っているので、会議などで新キャラ・新メカ活躍のためのストーリーや戦闘シチュエーションの要望なども出していたとも邪推する――。


 もちろん単発ゲストであれば、『ジュウレン』の前作『鳥人戦隊ジェットマン』(91年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20110905/p1)中盤にも「裏次元」の3人戦隊、終盤にも地球防衛軍の隊員たちが変身するネオジェットマンが、『光(ひかり)戦隊マスクマン』(87年)にもマスクマンのプロトタイプ戦士として緑色のX1マスク(エックスワン・マスク)が登場している。
 元祖『ゴレンジャー』が所属する秘密組織・イーグルのレギュラー女性隊員・007(ゼロゼロセブン)こと加藤陽子も、その#37と#58においてはモモレンジャーへと変身することで、実は予備戦士だとしての意味合いも出せていた――当方があまりに子供すぎたせいか、長じてからの再鑑賞ではともかく『ゴレンジャー』におけるこの趣向は個人的には子供心にあまり印象には残らなかったものの……(汗)――。


 余談だけど、純粋な変身ヒーローとは云い難いものの、『大戦隊ゴーグルファイブ』(82年)#41「変身パパの大冒険」に登場したヒーロー「変身パパ」も忘れちゃイケナイ。関東圏ではTV-CMもよく流されていた、栃木県にあった今は亡き「小山(おやま)ゆうえんち」での『ゴレンジャー』当時のアトラクでは、茶色の戦士・チャレンジャーも登場したというウワサも聞いたことがある――仮に実話だった場合、著作権元の本家も関わった正規のキャラクターではなさそうだけど(汗)――。


『ゼンカイ』はスーパー戦隊らしさが全開とはいえない!?


 ところで、この『ゼンカイジャー』#8では、敵軍団の戦闘員たちまで巨大化(!)するようなパターン破りも果たされる大盤振る舞いであった――敵戦闘員のセミレギュラー的な巨大化も本作が初だというワケではない。『侍戦隊シンケンジャー』(09年)が初出で、『特命戦隊ゴーバスターズ』(12年)や『獣電戦隊キョウリュウジャー』(13年)でも同様のパターン破りの前例がある――。


 そして、この海賊戦隊ゴーカイジャーもどきのツーカイザーなるヒーローとは何者ぞ!? といった感じで終わる#8のラストにかぎった話でもないのだけど、人々の頭頂部にキノコが生えてきて「エッ!?」となって終わる#1のラストシーンからして『ゼンカイジャー』各話のラストは、昭和の時代の1話完結形式であった日本特撮のような「メデタシめでたし」的なラストでは終わらない。何らかの異変が生じて、劇中キャラが「エエ~~~ッッッ!!!」と驚いてみせて、次回へのキョーレツな「引き」を作ったところで、CMすら挟まずに即座に次回予告編も流されるといった作りにもなっているのだ。


 そして、第1クールの最後である#13でも、70年代前半の東映特撮作品の#13前後にはよくあったように(笑)、それまでの話数に登場してきた再生怪人軍団まで登場してみせるのだ!


●ライバル・ポジションである悪のヒーローの登場!
●正義側とは慣れ合わずに、善悪ともまた別の第3勢力として登場する戦隊追加戦士の登場!
●それらが三つ巴に組み合っているという構図!
●敵側が疑似的に召喚した存在だとはいえ、戦隊巨大ロボが数十体も登場!
●再生怪人だとはいえ、一挙に5体もの敵怪人が敵のメインゲスト怪人の応援として参戦!


 実に喜ばしい趣向ではある。しかし、こうも思う。これは必ずしも往年の「スーパー戦隊」らしさの再現ではないのだと……。
 往年の「スーパー戦隊」らしさとは何か? それは、『人造人間キカイダー』や『快傑ライオン丸』(共に72年)には登場したライバル・キャラクターなどは存在せず、第3勢力も登場せず、再生怪人軍団も登場せず、前後編もほとんど存在せずに、ひたすらに1話完結形式で、年間を通じてのスケールアップやインフレーション感にも乏しくて、さらには戦隊巨大ロボがラストでノルマ的に登場することでお約束蛇足タイム感が強調されてもおり、人間サイズのヒーローにも巨大ロボにも必殺ワザが1種に限定されていることで、特撮雑誌『宇宙船』Vol.1(創刊号・80年2月20日発行)ではオタク第1世代の論者たちに「VSOP(ベリー・スペシャル・ワン・パターン」と揶揄されていたようなことどもである。


 むしろ、本作『ゼンカイジャー』は、70年代末期~80年代の幼児はともかく小学校高学年以上の視聴者や年長マニアたちが望んでいた、あの当時に観たかった理想、あるいはその理想をはるかに超えてすらいる「スーパー戦隊」作品であるくらいなのだ。


 つまり、本作は1話完結ルーティンな「作劇」としての往年の「スーパー戦隊」らしさの再現では決してないのだ。懐かしの「キャラクター」たちを列挙していくことで、「意匠」や「点描」として「スーパー戦隊」らしさを醸し出す! という手法に打って出ているのだ。


 むろん、それが悪いということではない。オールド世代や若くはあっても特撮マニア層には「懐かし感」を、一般層や子供たちには「スペシャル感」を醸し出すという手法自体は、コスパも高くてクレバーな方法論だとも思うので絶賛すべきでもあるのだ。


――ラストで事件が起きてドーなる!? と次回へのヒキを作る手法は、戦前・戦中の月刊児童雑誌『少年倶楽部(しょうねん・クラブ)』(1914(大正3)~1962(昭和37))の連載読みものが始原だという説も聞いたことがあるけど、さすがにその時期のモノだと裏付けを取るのがムズカしい。ところで、伝説化されてきた同誌だけど、やや裕福層の子供たちしか読んでいなかったとも推測している。筆者の狭い観測範囲でだが、この雑誌を実際に読んでいたという世代人や親戚などにはリアルで会ったことがないからだ――


20世紀のスーパー戦隊批評とはいかなるものだったのか!?


 80~90年代前半の時代における年長戦隊マニア諸氏が切望していたような、


●#1にて5人全員がそろわずに、1話ずつを要して各メンバーが集結
●戦隊巨大ロボの初登場エピソードも、ソレだけをメインとするかたちで、5人全員の集合が達成されたあとの話数で魅惑的に配置してほしい
●その方が各キャラも立つのだし、かえって戦隊巨大ロボの玩具ももっと売れるハズだ!


といったような願望などは、90年代以降に徐々に達成されていき、21世紀以降は特にパターン破りだとも気張らずにデフォルトでナチュラルに達成されてすらいる。


 90年代後半以降のインターネットが普及するはるか以前の時代なので、アーカイブ化されて記録が残っていないことから下の世代にその記憶が継承されていないが、ジャンル作品を卒業できずに中高生や青年期に至っても、80年代のスーパー戦隊シリーズを観賞しつづけて、同時期に隆盛を極めていた『機動戦士ガンダム』(79年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19990801/p1)などにはじまる、いわゆるリアルロボットアニメの作品群と比して、あまりにチープでチャイルディッシュで1話完結の極度なルーティンで連続性にも乏しいノリに不満を感じていたのが、当時の年長特撮マニアの大多数でもあったのだ。
――メインターゲットが幼児や小学校低学年であったスーパー戦隊に、ナイものねだりな不当なモノサシを当てていたと、今となっては自己相対視もできるけど(笑)――


 先にもふれたが、たとえば特撮雑誌『宇宙船』創刊号などでも、当時のスーパー戦隊や現行TV特撮については「VSOP」(ベリー・スペシャル・ワン・パターン)などと揶揄しており、人間サイズの戦隊ヒーローvs敵怪人&敵戦闘員とのバトル~お決まりの必殺ワザでのトドメ~敵怪人の巨大化~戦隊巨大ロボの登場&バトル~戦隊巨大ロボによるバンクフィルムでの必殺剣! といった極度にルーティン化された展開が批判的に言及されてもいたものだ。


 そして、実作においても、人間サイズの戦隊ヒーローとしての戦闘シーンと戦隊巨大ロボによる特撮巨大バトルの分断感もヒドかった。付け足し・付け焼き刃感はやはり大なるモノがあったのだ。もちろんそれは、幼児であれば気にはしなかったであろうが、小学校の中高学年ともなれば、誰でもそのように感じていたし、ナマイキにもその点を同級生たちと揶揄もしていたモノなのだ――まぁ、それでも卒業できずに鑑賞していたのだけど(汗)――。


 しかし、往時の作り手たちもソコに作品としての弱点があることは百も承知であった。早くも84年に放映されたスーパー戦隊超電子バイオマン』では、人間サイズの戦隊ヒーローにも戦隊巨大ロボにも、各々に1種ではなく10種前後(!)の必殺ワザを与えることでパターン破りの妙味、戦闘シーンを単なるお約束の蛇足タイムではなく、視聴者の興味関心を少しでも惹起するシーンとすることにチャレンジもしている。
 個人的にはこの試み自体はスキだったのだが、次作『電撃戦隊チェンジマン』(85年)からは、人間サイズの戦隊ヒーローたちによる必殺ワザも玩具会社主導の個人個人のバズーカ砲が合体して巨大な必殺バズーカ砲兵器となったことで、後続シリーズに『バイオマン』のバリエーショ豊富な必殺ワザが継承されることは直接にはなかったことは残念ではあった。
――とはいえ、初期スーパー戦隊のようなスピード感には乏しいブーメラン武器でのトドメよりも、打撃力も強そうな合体バズーカ砲も個人的にはキライではなかったし、当時の子供たちにもインパクトはあったハズで、よってこの合体バズーカ砲が戦隊シリーズには連綿と継承されて、スーパー戦隊の新たなシンボルとも化していく――


 よって、当時の年長マニアたちによるスーパー戦隊批評とは、同シリーズにおいてたまに散見されるパターン破りのアクションや必殺ワザの変化球への驚きを指摘・言語化してみせることでもあったのだ。加えて、そのようなパターン破りの要素をもっともっと拡充してほしいと提言するような文調でもあったのだ。たとえば、


●某話ではドラマ重視で巨大ロボ戦自体がなかった
●『ファイブマン』#14では戦隊ヒーローにヤラれたゲスト敵怪人を巨大化させる巨大素体ロボット・ゴルリンことゴルリン12号が、当話にかぎっては戦地に向かう途中で転んでしまって、怪人も巨大化できずに爆散するのをギャグにしていた(笑)
●同作#38では巨大ロボ戦がなく、#1の戦闘機特撮の流用だったとはいえメカ戦だけでカッコよくキメていた
●その1話前の#37では初登場した強化服・ファイブテクターをまとった戦隊ブルーを戦隊ロボのロケットパンチ発射口から発射して、人間サイズの戦隊ヒーローひとりだけで敵巨大怪人を貫通して撃破してみせるカタルシス
●『ファイブマン』の前作『ターボレンジャー』からの趣向であったが、5人戦隊が必ず協力して敵怪人を倒すのではなく、時にそのエピソードの主役となる戦隊ヒーローが名乗りのセンターや先頭に来たり、個人ひとりだけで敵怪人を倒してみせたり
●あるいは、戦隊レッドと交代して戦隊巨大ロボの操縦席のセンターに陣取って、敵巨大怪人にもトドメを刺してみせることで、ドラマの感情面でのピークとロボ戦のピークも合致させたり……


といったところに、年長の戦隊マニアの全員とはいわずとも多くは大きなサプライズ&喜びを感じており、そのへんを成文化するのがもっぱらでもあったのだ。


 アクション演出面でのパターン破りは、実は『高速戦隊ターボレンジャー』(89年)&『地球戦隊ファイブマン』(90年)の時期に一旦の頂点を極めてもいる。『ファイブ』の次作『鳥人戦隊ジェットマン』(91年)もパターン破りの文脈で語られてはいるものの、同作のメインライター・井上敏樹はドラマ面でのパターン破りは志向していたとしても、アクションやメカロボには関心がウスかったと見えて、その部分での変化球はむしろ後退していた。


 90年代のスーパー戦隊を通じて、散発的なパターン破り自体は継続されていく。しかし、『ターボ』『ファイブ』期のアグレッシブさには勝っていないようにも思えて、個人的にはそこが少々残念ではあった――先にも言及したが、インターネットが登場する前であったために、この時期のスーパー戦隊批評がアーカイブ化されて流通しなかったことで、後続世代にその成果が継承されていないことも残念である――。


 とはいえ、00年代に入るや人間サイズの戦隊ヒーローたちの武器もますます増えて、しかも80年代の東映ヒーロー作品のように#1~2ですべてを画面に登場させるなどの逆効果なノルマもなくなって久しく、それらのアイテムは年間シリーズを通じて小出しに印象的に登場させるかたちを採るようにもなっていく。
 それによって、必殺ワザのバリエーションも再度増えていき、集団ではなく戦隊レッドでもなくメンバー個人ひとりひとりだけでも敵怪人を倒してみせる展開も増えたことで、メンバー個人の感情ドラマのピークと戦闘のピークも合致ができて、バトル&ドラマがますます両立するようにもなっていく!


戦隊ロボ戦の特撮史! 屋外・ビル街・CG・デジタル!


 『ゼンカイジャー』#7~8における戦隊巨大ロボット数十体召喚! もの大ネタは、シリーズも序盤の第1クールなどではなく、シリーズ中後盤以降にエスカレートしていく敵味方の攻防劇のネタとして映像化してほしかったようにも脳裏の片スミではビンボー症にも微量に思ってはしまったものの、先回りして云ってしまうと、本作はシリーズ後半においても充分に面白かったのであった。


 そして、ここに登場した戦隊巨大ロボたちは、特撮セットだけにかぎらず実景ビル街との合成や、白昼ピーカン自然光でのオープン撮影なども交えて、巨大感あふれるビル街での巨大特撮や、まさかの重たそうな巨大ロボの着ぐるみ自体がトランポリン・ジャンプ! さらに、往年のバンクフィルムの流用映像だったとはいえ、必殺剣技まで見せてくれたのだ!
――ネット上でマニア有志が加筆していく「ピクシブ百科事典」などによれば、この#8においては、戦隊巨大ロボが初登場したシリーズ第3作『バトルフィーバーJ』(79年)のバトルフィーバーロボ~『ファイブマン』(90年)のファイブロボ! 1作飛ばして、『ジュウレンジャー』(92年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20120220/p1)の大獣神~『宇宙戦隊キュウレンジャー』(17年)のキュウレンオー! つまりは38体もの戦隊先輩ロボが登場していたとのことだそうだ――


 そして、またも思い出す。超低予算作品であるがゆえに、80年代におけるスーパー戦隊の巨大ロボット戦は特撮スタジオ自体が狭かったことを。ビルや家屋などの特撮美術セットなどもほとんど存在しなかったことを。
 初期東宝特撮・初期円谷特撮至上主義であるオタク第1世代の特撮オタクたちの一部は、スーパー戦隊の巨大ロボ戦など「特撮」としても認めない! などと云っていたことも(汗)。


 初期スーパー戦隊世代の子供であった我が身にとっても、東映の特撮巨大ロボットもの『大鉄人17(ワンセブン)』(77年)の時点で、円谷プロ製作のウルトラマンシリーズと比すればビル街のミニチュアが少ないとも思ってはいた。しかし『17』と比しても、80年代のスーパー戦隊の巨大ロボ特撮ではミニチュアの数がますます減少していくことには、やはり幻滅感があったことを(爆)――まぁ、それでも卒業できずに視聴は継続していたのですけどネ――。


 しかし、90年代に転機が訪れる。『鳥人戦隊ジェットマン』(91年)のために300万円だかの予算が奮発されたとかで、新造の鏡状のガラス窓なども再現されたモノも含んだ高層ビルのミニチュアが多数新造されたのだ!
 そして、このビルを大通りの両脇を固めるビル街に見立てて遠近感を強調し、そこを地球防衛軍鳥人戦隊5人が操縦する5機の戦隊戦闘機が並んで雄飛する特撮ビジュアルを見せることで、スーパー戦隊シリーズも視聴する当時の特撮マニアたちを瞠目させたのであった!


 とはいえ、『ジェットマン』のために準備されて、放映開始の数週間前から新番組予告編映像などで披露されていた高層ビル群は、堪え性もなくてビンボー症だったと云おうか、直前作『ファイブマン』最終回にて超巨大ラスボス怪獣こと銀河超獣バルガイヤーが登場している特撮カットのために、実は先行して使用されちゃってたりもするけれど(笑)――撮影自体は『ジェットマン』序盤およびバンク映像となる特撮カットの撮影のあとだったのであろうと憶測――。


 それはさておき、『ジェットマン』のシリーズ中盤でも同作のメイン監督・雨宮慶太(あめみや・けいた)が担当した戦隊2号ロボ登場編合わせで、この高層ビル街は屋外ロケにもトラックで持ち出された。そして、いかにも狭いスタジオ内での照明などではなく、自然光のオープン撮影でリアルな空気感・質感・巨大感も出すといった、スレた年長特撮マニアたちが商業映像作品でも観てみたかったビジュアルをついに見せてもくれたのだ!
 それが同作における戦隊巨大ロボ1号ことジェットイカルスvsいつものゲスト巨大化敵怪人ではなく最初から巨大怪獣として登場する魔獣セミマルとの巨大バトル! 実にカッコよくてリアルな質感にもあふれた巨大キャラクター同士のバトルを見せてくれて、当時の特撮マニアたちを狂喜乱舞もさせたのだ!


――ただその後、裏次元ことディメンシアから助っ人参戦した戦隊2号ロボことジェットガルーダがすぐに敗退して、しかも敵幹部に強奪かつ操縦までされてしまったり、1号&2号ロボが合体した最強ロボなども初登場なのに大活躍せずに辛勝だったり、挙げ句の果てに死してしまった裏次元の3人戦隊の魂の眠る場所だなどと辛気クサい締め方をしてみせたりして、共に変化球・ストーリー展開の意外性をねらいすぎたことで高揚感についてはハズしてしまっており、このへんにオモチャやヒロイズムにはやや無関心な脚本家・井上敏樹の欠点などが出ていたとも私見する――


 『ジェットマン』以降のスーパー戦隊でもこれらの高層ビルのミニチュア群は流用。そして、『ジェットマン』でのオープン特撮が印象的であったせいもあろう。90年代中盤のスーパー戦隊では、雨宮以外によっても幾度かオープン撮影による巨大ロボ戦が描かれてもいる。
 94年の『カクレンジャー』では、再生巨大怪人軍団vs巨大獣将ファイターのバトルを長尺で描いた#12「出たァ!! 新獣将」(監督・小笠原猛)や#18「ハローきのこ君」(監督・渡辺勝也)なども、大成功していたとはいえないまでも実に印象深いのだ。


 さらに21世紀以降は、平成ゴジラ平成ガメラ・平成ウルトラに特撮ミニチュアを提供してきたマーブリング・ファインアーツ社などからおそらくレンタルしてきているのであろうけど(?)、新ロボ登場などのイベント編での特撮回などでは特に多数のビル街ミニチュアが登場するようになって久しいのはご承知の通りだ。


 ところで、オープン撮影でリアルな巨大感を出すという手法は、平成『ガメラ』シリーズ(95~99年)が初であるというような誤解が今ではある(汗)。
 もちろん、特撮雑誌『宇宙船』Vol.83(98年冬号・98年3月1日発行・2月1日実売)の村山実編集長の連載コーナー「宇宙船談話室」にてゲストで登場した特撮評論家の池田憲章が正しく指摘してみせたように、その前年94年のビデオ販売作品『ウルトラマンVS仮面ライダー』においては佛田洋(ぶつだ・ひろし)特撮監督が、先行する91年においても『ジェットマン』にて雨宮慶太監督も、共にすでに高い精度でリアルなオープン撮影でのビル街巨大戦特撮を達成できており、東宝・円谷以外の日本特撮も観賞するようなマニアたちには当時から高い評価も得ていたのだ。


 もっと云うならば、スーパー戦隊シリーズ第8作目にして、早くも当時なりにあまたのパターン破り・新機軸が模索された『超電子バイオマン』(84年)でも、全話ではなかったものの屋外ロケでの自然光の元での特撮巨大バトルが披露されており、当時の年長マニアたちにプチ・サプライズを与えていた。
 ただまぁ、シリーズ序盤での岩山でのロケなどだとあまり粗(あら)は出なかったのだけど、シリーズ中盤以降になると平野でのロケで超遠方に画面を左右に横切っていく自動車が小さく写ってしまった巨大ロボ戦映像などもあったりして、常に成功していたとも云いがたかったことも事実ではあったけど。


 ちなみに、筆者個人は先の序盤の岩山での屋外特撮などはスキだったものの、たしかに巨大感を出すための対比物となるミニチュアが送電線1本のみだったりして、ヒトによっては往年の屋外ぶっつけ本番撮影ミニ特撮番組『ウルトラファイト』(70年)のようにチープだと感じていたという意見もたしかにあった。
 その意見に個人的には賛同はしないものの、自身の見解とは異なるからといって無視して記録にも残さないというような行為もまた歴史修正主義なのであって(爆)、公平を期するためにもここに記しておこう。


戦隊巨大ロボ戦は、特撮班の担当か!? 本編班の担当か!?


 なお、『ジェットマン』では特撮監督ではなく各話担当のメイン本編監督である雨宮慶太が戦隊巨大ロボvs魔獣セミマル戦を演出していたことは、当時の『宇宙船』Vol.57(91年夏号・91年9月1日発行・8月1日実売)などでの雨宮インタビュー記事の図版キャプションなどでも明かされている。
 このへんの事情はロートル戦隊オタクであればご記憶のことだろう。『ジェットマン』の前作『ファイブマン』からスーパー戦隊シリーズの「特撮監督」職を特撮研究所の矢島信夫から拝領した佛田洋が同作放映当時に『宇宙船』Vol.54(90年秋号・90年12月1日発行・11月1日実売)にて受けたインタビュー記事で、スーパー戦隊シリーズの特撮巨大ロボット戦は『光戦隊マスクマン』から本編班が担当するようになっていたという発言があったからだ。


 ずっと後年のマニア向け書籍『スーパー戦隊 Official Mook(オフィシャル・ムック) 21世紀 Vol.8 炎神戦隊ゴーオンジャー』(講談社・2017年5月25日発行)でも、『マスクマン』(87年)~『ギンガマン』(98年)の10年間ほどは、バンクフィルムとして各話で流用される特撮ミニチュアメカの発進・活躍シーン、それらが戦隊巨大ロボとなる合体シーン、戦隊巨大ロボの必殺ワザのシーンのみに仕事をしぼっており、戦隊巨大ロボvs敵巨大怪人戦は本編班、もっと云うならアクション監督の担当になっていたことが明かされている。


 東映特撮ヒーロー以外にも佛田が在籍する「特撮研究所」には特撮関連の仕事の注文は当然ながら相応にはあっただろうから、巨大ロボ戦を引き受けなくても収益的にはむしろその方がワリがよかったといったところだったのであろうか?(憶測)
 とはいえ、少なくとも『ジュウレンジャー』における白昼の港湾に上陸して大暴れする2号ロボ・剛龍神の素体となる銀色のメカ獣・ドラゴンシーザーの大暴れや、『ギンガマン』で5星獣が石化するシーンの2点などは特撮班が担当したとも記事化がされている。
 よって、『ジュウレン』~『ギンガマン』の時期でも、新ロボや追加ロボット登場編における新撮ミニチュア特撮はもちろん、着ぐるみの戦隊巨大ロボvs巨大化敵怪人との戦闘シーンなども――特に『オーレンジャー』の3号ロボこと新主役合体ロボ・オーブロッカーの5素体ともなる5体の人型巨大ロボが空・海中・宇宙などを舞台に再生巨大怪人軍団と戦う#33「5大ロボ大暴れ」などは――、見るからに通常回での数日間を要した本編撮影の片手間の残り1日だけでチャチャッと早撮り的に撮影したような巨大戦などとは異なり、いかにもカネ・時間・日数もかけてカメラアングル・照明・構図・ギミック・吊り・ミニチュアの飾り付けなどもカッチリと決めた感じで、多数の合成などもあるカットではあったので、それらについてはカメラマンや照明マンなども含めて、本編班ではなく特撮班の担当だったのだろうと推測するけれど……。


 ちなみに同書によると、『救急戦隊ゴーゴーファイブ』(99年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19991103/p1)からは再度、特撮班が巨大ロボ戦を担当するようになったのだそうだ。コレはミニチュアを吊るしているピアノ線をデジタル技術で消すことが容易となり、メカの変型・合体特撮などもCG処理が増えたことで、時間的な余裕ができたからだとのこと。
 とはいえ同書では一方で、「初期10話分くらい」・「2号ロボ登場編」・「夏映画&追加戦士編」・「後半の最強ロボ登場編」といった塩梅で年に4回、特撮班を組んでいるとも語っている。ということは、この年4回以外の通常編については、巨大ロボ戦は特撮班ではなくやはり本編班が担当しており、しかし本編班の担当なのでテロップ上も「特撮監督」扱いはされていない、ということになるのであろう。


 巨大ロボ戦の映像クオリティーは照明や美術(ミニチュアの飾り付け)も含めて新ロボ登場編と通常編とではその差はあまりにも歴然としている。エピソードによっては本編監督であるマニア上がりのベテラン・竹本昇(たけもと・のぼる)監督などが特撮巨大戦を担当していることが、『獣電戦隊キョウリュウジャー 公式完全読本』(ホビージャパン・14年6月20日発行)や『烈車戦隊トッキュウジャー 公式完全読本』(同・15年6月20日発行)などでも明かされている。よって、21世紀以降の「スーパー戦隊」作品でも特撮班が全話の巨大ロボ戦を担当しているワケではなさそうだ。


 もっと云うならば、出典は失念してしまって恐縮だが、シリーズ初期作『バトルフィーバー』でも戦隊巨大ロボが初登場した#5~6だけは――非常に凝っていて、巨大ロボが足底からのジェット噴射で空中に浮遊屹立していたり、巨大敵怪人がロボを格納した飛行中の空中戦艦に斬りかかってきたり、巨大ロボvs巨大怪人との剣戟のカット割りも実に細かくてカッコいいので必見!――、佐川和夫が巨大ロボ戦の特撮監督を務めていたように読める記述を何かのマニア向け書籍で読んだ記憶もあるのだ――つまり、#7以降のロボ戦は本編班が担当していたということか?――。
 書籍『東映スーパー戦隊大全 バトルフィーバーJ・デンジマンサンバルカン』(双葉社・03年2月1日発行)などでも、#7以降は同作同話からのアクション監督に就任した、のちにJAC社長となる金田治が巨大ロボ戦を演出していたという記述もある。これは佐川特撮監督ありきでその補助である擬斗(ぎとう=殺陣師(たてし))としての参加であったのか、佐川特撮監督ナシでのロボ戦の撮影現場のトップとしての参加であったのかがよくわからない。ご存じの方は教えてください(笑)。


先輩戦隊との戦い! 『ゼンカイ』と『199』の相違!


 歴代スーパー戦隊のクローンや偽モノが全員集合して、しかも敵キャラとして最新スーパー戦隊を襲撃してくるパターンは、10年前の35作記念映画であった『ゴーカイジャー ゴセイジャー スーパー戦隊199(ひゃくきゅうじゅうきゅう)ヒーロー大決戦』(11年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20201108/p1)にも実はあった趣向ではある。


 あの映画自体も、短い尺数の中で先輩スーパー戦隊の活躍やその必殺ワザなどもビジュアルとして見せるためには、最新スーパー戦隊vs敵怪人ではなく最新スーパー戦隊vs偽モノ先輩スーパー戦隊といった構図を採らざるをえなかった……というような作り手側の事情なども、作劇の技巧面にも目が行くようなスレたマニア諸氏であれば、想起もしていたことであろう。
 先輩スーパー戦隊の活躍を描くためとはいえ、それを悪党として描くことを、たとえ文学的なレトリックだったのだとしても「おぞましい悪夢」などといった極端な修辞で形容して、自身の繊細ナイーブ・敏感さを暗に誇ってソコで他人よりも優位に立とうとするようなさもしい論調などは読者のケーベツを誘うものですらある(爆)――サラリと「少々イヤな感じがしてしまった」程度の物言いで語って、自身の人格的な安定や器量の大きさを暗に誇っておいた方がよっぽどイイほどのものを(笑)――。
 ゼロか100かではなくその中間である40であるのか? 60であったのか? といったグラデーション・階層的な心情を腑分けして、正確に言語化してみせることこそが「批評」といったモノである。それこそが矛盾も内包している事物の複雑微細なディテールについての取りこぼし感も少ない、視聴者の心情の最大公約数的な言語化、読者にとっての「あるある感」「この作品はたしかにそうなっている感」を惹起するものでもあるからだ。


 そーいった前提を付けた上で云うけれど、映画『スーパー戦隊199』自体はトータルでは傑作であったとは思うものの、たしかに偽モノのスーパー戦隊との攻防シーンはやや長くて重苦しい。対するに、先述した『ゼンカイジャー』#8における4体の巨大化した現役戦隊ヒーローvs30数体もの先輩戦隊巨大ロボのシーンには重苦しさがなくて、むしろ爽快感や祝祭感の方が大きい。
 この相違はドコに原因があるのであろうか? 「愛の有無」などといったオカルト・縁起担ぎ的な非合理的な話なぞではなく(笑)、おそらくはチョットしたアクション演出の組み立て方・その技巧に起因するのであろう。すなわち、『スーパー戦隊199』においてはマジメなアクション演出になりすぎて、苦戦・死闘といった印象が強くなりすぎており、対するに本作『ゼンカイジャー』では偽モノ先輩巨大ロボたちとは拮抗して善戦までしており、敗北一歩手前にまで追い込まれてしまっている……などといった印象にはなってはいないからだ。


 であれば、比較対象ができたことでわかってきたこともある。『スーパー戦隊199』でもアソコまで苦戦させるのではなく、敵キャラ化した先輩戦隊たちの必殺ワザや必殺バズーカ兵器などの映像も存分に見せはするものの、そのすぐ直後には即座にソレらを払いのけて反撃、各個撃破をしていくことでテンポもよくして、現役スーパー戦隊の強さを活写!
 そして、音楽演出面でも悲愴なBGMなどではなく壮快なBGMを流しておけば(笑)、本作『ゼンカイジャー』と同様の祝祭感あふれる名シーンにできたのではなかろうか? しかし、たしかにこのあたりはシナリオでの裁量の範疇を超えている。撮影現場での本編監督・アクション監督や選曲担当者の裁量・センスに関わる部分であるだろう。


ライバル格の悪の巨大ロボの系譜! 2世・再生・改造!


 第1クール終盤である#12では、この『バトルフィーバー』のバトルジャパンを模したステイシーザーが搭乗する専用巨大ロボこと濃いパープル色が基調のバトルシーザーロボまで登場! もちろん、そのモチーフは日本の侍武者(さむらい・むしゃ)を模していた日本の国防省バトルフィーバーロボである。


 フィーバーロボはシリーズ前半では、日本刀状の長剣こと電光剣による唐竹割り(からたけ・わり)ではなく、両太モモ脇から取り出すふたつの短剣を左右双方で円月状にゆっくり振り回してから投げつけて刺す「クロスフィーバー」が必殺ワザであった。そして、コレを踏襲した必殺ワザ「ソードシーザー」まで披露する!
 話数をまたいで数話にわたって登場したあとには敗退したものの、のちの話数では「バトルシーザーロボ2世」や「バトルシーザーロボ3世」として同型機体が着ぐるみの微改造にて再登場を果たすことで、視聴者を喜ばせてくれてもいる。


 ところで、70年代前半のいわゆる変身ブームの時代からあった、クールの変わり目などになると放映されていた、既存の敵怪人の着ぐるみを多数流用して再登場させる再生怪人軍団登場編、ウルトラマンシリーズでも同種族の別個体の怪獣や宇宙人として「2代目」「3代目」や「2世」「3世」といった称号などを与えたり、「再生○○」だの「改造○○」だのといった接頭辞を付けた2代目怪獣・宇宙人などが登場すると、子供たちはヒーロー作品など虚構だとはわかってはいても博物学的な興味関心を大いにそそられたものだった。


 オタク第1世代がはじめて作り手側のトップ(プロデューサー職)に立った『激走戦隊カーレンジャー』(96年)にも「再生UU(ウーウー)ウーリン」「改造ブレーキング」のような再生怪人や改造巨大ロボットといった敵キャラが再登場を果たしていた。
 これなども同作を手掛けていた東映側の高寺茂紀(たかてら・しげのり)プロデューサーが敵キャラに「再生」だの「改造」だのと名付けてみたかった! といったところが真相なのだろうと私見もするのだ(笑)。
――もちろん、当時の年長マニアたちにも実に楽しい趣向であったし、当時の子供たちも(おそらく今の子供たちでも!)喜ぶような趣向であろう!――


 話数をまたいで登場する悪側やライバルのポジションの巨大ロボットも、スーパー戦隊バイオマン』のシリーズ後半が初である。それがやはり悪のヒーローにして第3勢力キャラでもあるバイオハンター・シルバが操縦することになった、シャープでメカニカルな巨大ロボット・バルジオンであった。
 バルジオンの登場にも当時の年長戦隊マニアたちは全員とはいわずとも喜んだものである――といっても、80年代の戦隊マニアの中心は10代の中高生で、上限もせいぜいが20代中盤であって、それ以上の年齢層は存在しない。そも特撮マニアの上限が30歳前後といった時代でもあった――。


 飛んで、『地球戦隊ファイブマン』のシリーズ後半において途中参加の敵幹部・初代艦長ショバリエが召喚する、セミレギュラーの敵巨大ロボット・黒ゴルリンなども印象的であった。
 この黒ゴルリンも、スーパー戦隊のシリーズ各作の後半において正義側の戦力に1号&2号ロボが定番となったことに対応するために、敵側もヤラれ担当のゲスト巨大化怪人&セミレギュラーの巨大怪人の2体を配置してみせることで、敵味方のパワーバランスを取ったものでもあっただろう。


ファイブマン』戦闘演出を再評価。70年代前半に萌芽!


 『ファイブマン』も今では批評的なエアポケットになってしまって、金曜夕方という放映時間帯的にもシリーズ最低視聴率を記録してしまったことばかりが言及されている。
 しかし、先行戦隊作品では2号ロボ登場以降はその2号ロボばかりが登場しつづけたり、1号と2号の交互活躍でしかない新ルーティンになっていたところを、1号&2号の合体攻撃や1号&2号の再合体ロボで倒してみせたり、2号の戦闘機形態に1号ロボが搭乗して空中から必殺剣をふるったり、はたまた1号ロボだけ、2号ロボだけでトドメを刺したりして、純アクション演出・純エンタメ活劇としての作劇方面では眼を見張るものがあったのだ。


 先の当時の『宇宙船』Vol.54(90年秋号)などでも、


「新展開・新兵器・掟やぶり応酬のイケイケ的様相を見せているファイブマンは、ひょっとすると戦隊の新たなターニングポイントになるかも」


と当時の戦隊マニアたちの気持ちも代弁するかたちで好意的に言及されている――当時の若手特撮ライター・江口水基(えぐち・みずき)か古怒田健志(こぬた・けんじ)の筆によるものと憶測――。


 とはいえ、『ファイブマン』が子供間で特に人気であったワケではないのも事実ではあるのだ。おそらく子供たちはスーパー戦隊各作ごとのモチーフそれ自体によっても興味関心をそそられるものなので、クルマがモチーフであった前作『ターボ』、鳥がモチーフであった次作『ジェット』と比すれば、実質的にはノン・モチーフであった『ファイブ』という作品自体が地味に見えてキャッチーではなかった……といったところなのだろう。
――筆者個人は『ファイブマン』が大スキだし、その活劇としての作劇も実に高く評価はするけれど。『ゴレンジャー』もノンモチーフだったが、アレは5原色のヒーローの初登場それ自体のインパクトが人気の理由となる――



 70年代前半の特撮変身ブームが原体験である世代の子供たちは、72年に放映されたピー・プロダクション製作の特撮時代劇『快傑ライオン丸』や東映特撮『人造人間キカイダー』などで、各々に各話のゲスト敵怪人とはまた別に話数をまたいでセミレギュラーとして登場するライバルヒーローであるタイガージョーハカイダーといった悪のヒーローキャラクターを登場させて、ストーリーも1話完結などではなく連続要素も加味していく手法をすでに観てもいた。
 あるいは、『仮面ライダーV3(ブイスリー)』(73年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20140901/p1)などでも、シリーズ前半では前作との差別化か、2話で1本といったスタイルで一度に2体もの敵怪人を登場させており、1体ずつなり2体まとめて倒していく手法が試みられてもいた。必殺ワザも要はライダーシリーズ定番のライダーキックだったとはいえ、トランポリン・ジャンプのシーンにも変化を付けて、キックした直後にその反動でまた空中で再回転をしてから再キックを放つなどして、各々に「V3回転キック」だの「V3ダブルキック」だの「V3きりもみキック」だのといった名称も多数付けることで、必殺ワザにもバリエーションを増やしていたのだ。


 そういった作品を幼少期に体験していたのに、70年代中盤~80年代のスーパー戦隊や戦隊巨大ロボの必殺ワザが固定化されてしまったことや、各話があまりにも1話完結にすぎて、ウルトラシリーズとは異なり通常回とは異なる強敵相手の前後編などもほぼ用意がなされていないようなストーリー展開なども含めて、子供心に一度は高みに達していたように思えた特撮ジャンルの作劇やアクション演出からは後退してしまったようにも見えていたことは記録に残しておきたい。
――とはいえ、バッチリと決まった、何度でも観たくなる様式美的・舞踏的な名乗りやアクション、戦隊巨大ロボの必殺剣によるトドメ技のバンクフィルムなどに、また別種の良さがあったことも強調はしておきたいけど――


悪の巨大ロボに戦隊巨大ロボの変型・合体史も垣間見る!


 なお、ステイシーザーが操縦するバトルシーザーロボの原典でもあるバトルフィーバーロボも変型・合体はしなかった。次作『電子戦隊デンジマン』(80年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20120205/p1)に登場した戦隊巨大ロボことダイデンシンこそ飛行機形態から変型して人型へとなったものの複数マシンの合体などではない。その後も2~3機のメカが合体して巨大合体ロボとなるコンセプトのままであったのだ。5人の集団ヒーローものとしても相応しい5機によるメカ合体を初めて実現したのは、『マスクマン』(87年)の巨大ロボ・グレートファイブに至ってであった。


 ここに日本の合体玩具の進化史を見る歳若い特撮マニア諸氏もいるのやもしれない。しかし、チョット待ってほしい。ごくごく草創期の70年代末期のマニア向けムックなどではともかく、編集手法が確立されて久しい商業誌では、作品に対してあまりに否定的なことは書けないし、またほとんどはワザワザ書くべきようなことでもない些事であろう。だが、それによって漏れてしまう放映当時の年長マニアたちの微細な感慨なども一部にはたしかにあるのだ。


 たとえば、5機のメカが合体して人型巨大ロボとなる玩具コンセプトは、『マスクマン』より10年以上も先行して、スーパー戦隊シリーズと同じく玩具メーカーバンダイ(ホピー)主導でデザインされた合体ロボットアニメ『超電磁ロボ コン・バトラーV』(76年)ではとっくに実現して、次作『超電磁マシーン ボルテスⅤ(ファイブ)』(77年)なども含めて5機合体の人型ロボ玩具が大ヒットを飛ばしており、それらは『六神合体ゴッドマーズ』や『百獣王ゴライオン』(共に81年)といった合体ロボットアニメにも継承されていったものなのだ。
 よって、80年代中盤までのスーパー戦隊の巨大ロボットがいつまで経っても2~3機合体であることが腑に落ちなかったし、フラストレーション(欲求不満)が溜まるものがあったというのが、同時代の年長戦隊マニアたちのほぼ共通の見解でもあったのだ。
――社会人になって以降に思えば、玩具会社内での設計部署・設計チーム自体が異なっており、スーパー戦隊担当チーム側が保守的・怠慢だったのであろうと憶測している――


 なお、『マスクマン』(87年)や『ターボ』(89年)では5機合体を実現していた戦隊巨大ロボだったが、不可解なことに3機合体に戻ってしまった『ファイブマン』(90年)という例もあった――ロボット名もファイブロボだったのにナゼ!?(笑)――。


戦隊の若者像や役者さんの人となりの変遷にも歴史アリ!


 『ゼンカイジャー』は映像的には先輩スーパー戦隊たちを大量に露出しつつも、作劇面においては実はスーパー戦隊らしくない、少なくとも初期スーパー戦隊らしくはないであろう……ということを述べてきた。


 むろん、作品というものはインフラ・ハードウェアに相当する基本設定に大いに規定されつつも、それだけで決定されるものでもない。
 当初の基本設定や脚本も越えて、キャラクターを演じる役者さんのルックスや人柄、声優さんの演技や声質などにも影響されて、それらが還流してくることで、ドラマやテーマも越えたところでの作品自体の作風・空気感といったものも変わってきてしまうということはあるものなのだ。そーいう意味でも、作家個人だけで作劇ができる小説などとは異なり、映像作品とは総合芸術でもあるのだ。


 通常はほぼ新人である若手役者5人を主人公チームに据えてきたスーパー戦隊だったが、本作では戦隊の残りの4人は着ぐるみの機械人間だという設定なので、顔出しの役者さんはひとりだけ。ゆえに、彼ひとりだけに相応な重責を担わせることにはなる。ということで、新人役者だとはいえ、できれば演技力が相応にある御仁をキャスティングしたいところだ。
 ゼンカイジャーのリーダーにしてセンターでもあるゼンカイザーに変身することになる若者・五色田介人(ごしきだ・かいと)を演じる駒木根葵汰(こまぎね・きいた)。ややユルめでも元気いっぱいな役柄だけど、ここは役者さん本人のルックスなり人格なりなのであろうが、イイ意味での育ちのよいお坊ちゃま的ではある。義憤にかられて絶叫していていも決して下品にはならずに上品さは保たれてあり、暑苦しくてもイヤミにならずに爽やかさや明るさの方が前面に出てくる――我々オタとは真逆ですらある(笑)――。
 メインターゲットである幼児や子供たち、女児層やママ層などにも好感を持たれそうだが、画面の中での存在感も強いのだ。


 素っ頓狂なことにナンでもカンでも「世界初!」だと口走ってソレを目指してみせたり、本作のタイトルとも関連付けて「全力全開!」なる口癖も与えられている。本作にかぎった話ではなく、ある時期以降のスーパー戦隊に共通することなのだが、悪い意味ではなく良い意味で漫画アニメ的・記号的な性格設定も与えられているのだ。


 とはいえ、古い世代としてスーパー戦隊の半世紀にも近い歴史を通史的に見てしまうと、このあたりの性格設定にも隔世の感を抱いてしまうのだ。
 1960年代までの日本における仮面や覆面に超人ヒーローたちは、今から見ると20代でも老成したまさにオジサンであったり完成した優等生の副隊長格であったりもする。70年代に入るや発展途上の悩める未熟な若者といった要素が入ってきて、早々に熱血バカ主人公といった要素も強調されてくるのだが、70年代前半の東映特撮ヒーローの変身前の若者たちは80年代中盤以降の若者と比すれば老成しており、哀愁や余裕といったものも感じられたのだ。


 75年に誕生した元祖『ゴレンジャー』も大ワクで云えば70年代風の若者たちなのだが、設定的にはプロ・軍属でもあるからか、青年期的な悩みを一度は脱したオトナでありながら、決してオジサンではなく洒脱さや軽妙さなども強調されており、80年前後の大漫才ブームを経過して以降に定着した空騒ぎ・軽躁的な若者間でのコミュニケーション流儀などとも異なり、シブくて自然体で落ち着いたものではあった。
 こういった若者像は終戦直後生まれの「団塊の世代」と1960年前後生まれの「新人類世代」――後者の中でもイケてない系をオタク第1世代という(笑)――との狭間の1955(昭和30)年前後生まれの「優しさ世代」(=シラケ世代ともいう)が戦隊メンバーを演じていた『大戦隊ゴーグルファイブ』(82年)あたりまではつづいていく。


 しかし、80年代中葉の『バイオマン』『チェンジマン』あたりからは往時の若者像の変化や空騒ぎなイッキ飲み強制ノリ笑いの大流行なども反映してか、それとも演じる役者さんたちもイコールではなくとも役とも通じる一面があったのか、大声でドナったり泣きワメいたりといった演技付けがなされるようにも変化していく。
 90年代初頭の『ジュウレンジャー』では戦隊レッド&ブラックといった正副リーダー格はともかく、残りの3人の戦隊メンバーにはもう若者ですらなく無邪気な子供といったメンタルが与えられてもいる。たしかにそれまでの若者像とも異なり、良くも悪くもいつまでも元気な子供のままでいられるようなメンタルが、この時期の日本の若者たちのメンタルとも連動していたようには思うのだ。


――おそらく先進各国で同時多発的に進行していた現象でもある。第3次産業化の進展・高度大衆消費社会化でモラトリアム・青年の期間が延長されて、調子のよい営業マン的トーク力や遊び人的なスキルをこそが賞揚されて、マジメでコツコツや老成などはダサいとされて、そーいう連中は異性にもますますモテなくなってしまったのだ(笑)。コレによってマジメで控えめな性格類型の人種たちは、前代と比しても自信を持っての人格形成ができなくなってしまったのだとも私見する(汗)――


 やや完全無欠の隊長格といった印象が残っていた戦隊レッドも、オタク第1世代の高寺プロデューサーが主導権を握った90年代中盤以降は、熱血人格をギャグ方向へもシフトさせて、サル顔三枚目の熱血キャラ路線なども台頭。
 飛んで、『天装戦隊ゴセイジャー』(10年)や『烈車戦隊トッキュウジャー』(14年)に代表されるように2010年代の時期になると、やや華奢で細い首に斜めチョップを入れたら折れちゃいそうな(笑)、甘さの残る可愛くてサッパリとして肌のキメも細かい小顔系の戦隊レッドなども登場している。


 ちなみに、リアルでナチュラルな人間像ではなく、漫画アニメ的・記号的な半分はカッコいいけど半分は笑ってしまう決めセリフや名乗りセリフを与えることで、視聴者にインパクトを与えたり、ネタ的にもマネをしてみたいと思わせる手法が実写特撮で誕生したのは、『仮面ライダーカブト』(06年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070211/p1)と『仮面ライダー電王』(07年)の2作だろう。その後は「スマイル、スマイル」「ハッピー」「ラッキー」「ブレイブだぜ!」「マッスル、マッスル!」や「○○の力、お借りします!」「オレ色に染め上げろ!」などといった、各キャラの性格・個性を漫画アニメ的に特徴付ける定型セリフが、戦隊シリーズでもウルトラマンシリーズでも一般化していくのだ。


 ある意味で非リアルかつ非シリアスな方向へと寄っていったのだが、今では誰もそのことを批判もしないどころか、マニア連中も喜んでマネをしたりまでしている。非リアルだともわかっいてあえてそれを楽しむまでになっている。それらを「幼稚だ」などと批判をする者がいると、逆に「君こそが中二病だ」などと逆批判を返すような頼もしい事態にまでなっている(笑)。
 70年代末期~00年前後のリアル至上主義の風潮に筆者自身も一度はどっぷりと染まった前科(汗)を持つものの、しかして90年代からはそれらを全否定はせずとも相対化はして表現の流儀の幅も拡げるべきなのだ! などと、及ばずながらも非力ながら戦ってきた者としては隔世の感でもあるのだ。



 早くも#6で顔見せして#7では悪のヒーローへと変身した、やや痩身小柄で色白の長髪美少年クンことステイシーも広義では同様の存在である。変身前の見た目はクールでも、いかにも繊細ナイーブそうな懊悩する「内面」、つまり文学でいうところの「近代的自我」(笑)なども持っていそうなミドルティーンであって、自称も「オレ」ではなく「ボク」である。


 こーいう性格類型かつ美形のキャラクターは、70~80年代においては実写特撮作品には登場せず、アニメや漫画にしか登場しなかった印象があるのだ。それが80年代中盤以降は男性の若者も美容院に行くようになって、頭髪や服飾などの若者文化が発達するようになったことともパラレル・同時進行でもあっただろう。実写特撮変身ヒーローにおいても、往年の『勇者ライディーン』(75年)や『コンバトラーV』のシリーズなどの長浜忠夫監督による通称・ロマンロボアニメシリーズなどに登場していたような美形の若者悪役をナマ身の役者さんが演じても、イヤミやムリがない時代がいつのまにか到来していたのだ。



 本作における戦隊追加戦士に相当する、とはいっても第3勢力キャラである金色の戦士・ツーカイザーに変身する世界海賊ことチャラそうな金髪青年・ゾックスも、ホントにホントのケーハクそうな感じの人相ではなく、甘くて優しそうな顔立ちをしている。コレなどもメインターゲットである子供たちが怖がらないような人相の持ち主をキャスティングしているのだろうけど、絶妙なる塩梅ではなかろうか?
――コレが初期の平成ライダーシリーズだと、少し怖そうで無愛想だったりホリが深いイケメン青年がキャスティングされることで、作品世界のリアリティーラインを高くすることにも貢献していたとは思うのだ。しかし、ライダーも2010年代以降は作風をイイ意味でマイルドかつ非リアルな方向へと作品世界を持っていくためにか、甘くてソフトな顔面の持ち主がキャスティングされるように変化してきて久しい――


肉親ガラみの動機も付与。往年の『フラッシュマン』懐古


 そして、この3人には本作のタテ糸にもなりうる設定も付与されていた。


●ゼンカイザーこと主人公・介人には、10年前に行方不明となった科学者の両親捜しを……
●悪の貴公子でもある美少年・ステイシーにも、戦車を模した敵幹部と893番目の妻(爆)である人間の女性との間に生まれて邪険にされ、偶然に出逢った介人の祖母に母親の面影を……
●金髪海賊青年のゾックスにも、元は少年の姿をしていたものの、今では手乗り・肩乗りで3頭身のSD(スーパーデフォルメ)体形で赤と青の2体のミニミニ人型ロボットと化してしまった双子の弟の回復を……


 彼ら本作のメインの3人に、肉親ガラみという意味では似通った行動動機も与えているのだ。


 それらの設定やドラマも実にイイとは思う。とはいえ、そこで即座に思い出されるワケではないものの、35年ほども前のスーパー戦隊シリーズ超新星フラッシュマン』(86年)でも、戦隊メンバー5人の両親捜しをテーマとしていたことなども思い出す。
 実際には同作は劇中ではほとんどこのテーマが忘れ去られており(爆)、しかも全員が両親と再会できたワケでもなかったあたりで、いかがなモノかと思ったものだけど。


 もちろん今となっては、全編が父母恋しで作風があまりに哀しげになってしまっても……といった、東映鈴木武幸(すずき・たけゆき)プロデューサーあたりの意向であったのやも……とは思われるし、その見解に一理も認めはするけれど、やはり基本設定はキチンと活かして登場人物のふだんからの行動原理に昇華させてほしかったものではあるから、物足りなかったものではあったのだ。
 のちのち、80年代には世を騒がせていた、第2次大戦での日本の敗北に伴なうソビエト(現・ロシア)軍の侵攻による日本の傀儡国家・満州国からの引き揚げ時に、やむをえず子供を現地の中国人に託してきた「中国残留日本人孤児問題」が本作のベースにあったと知って、両親との再会によるメデタシめでたしエンドとはならなかったことの意味はソコにあったのか!? ……とは思ったものの、子供に見せる番組としては再会のハッピーエンドでは終わらせなかった展開はいかがなものなのか?(汗)


――その上で云うけれど、同作シリーズ終盤においては、地球から誘拐されたあとに正義のフラッシュ星人に救われてフラッシュ星で育ったことの副作用による反フラッシュ現象が戦隊メンバーたちに生じてしまう。地球上の事物にふれようとするや互いに電撃的な衝撃が走る拒絶反応が起きてしまって、近いうちに地球にはいられなくなってしまうという追加設定が付与された。そのようなタイムリミット・サスペンスでも盛り上げて、最後には宿敵を倒せはしたものの両親との再会は叶わずに涙を飲んで地球を去っていく……といった悲劇オチは、当時の年長マニア目線でも泣かせる方向性での傑作の最終回には仕上がったとは思ったものだった――


主役以外が人外は前例アリ。マニアの価値観の大地殻変動


 本作『ゼンカイジャー』の5人は主役の好青年を除いて、キカイトピアなる並行宇宙のひとつと意図せず合体してしまった我々の世界で、膨大な人数が人間たちとも共生することになってしまったキカイノイドなる機械人間種族の中の4人であった――といっても、この4人も含めてメンタルは人間(もっと云うならば日本人・汗)とも変わらないし、食事も人間の食するモノを食べているし(笑)、見た目も冷徹さはなくコミカル寄りに戯画化されたポップなデザインだったけど――。


 もちろん、スーパー戦隊シリーズの長い歴史においては、主人公の戦隊レッド以外の人物が人外の存在である獣人族であったり――『動物戦隊ジュウオウジャー』(16年)――、戦隊レッドのみが現代人であって残りの4人は1000年後から来た未来人であった――『未来戦隊タイムレンジャー』(00年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20001102/p1)――といった作品なども存在している。
 しかし、前者には素面の新人の若者役者さんが演じる「人間態」が存在しており彼らがメインで活躍していたワケで、後者も未来人ではあってもホモ・サピエンスこと「現世人類」ではある以上は、両作ともにドラマ面ではともかくビジュアル的にはフツーの「スーパー戦隊」作品であったとはいえるのだ。
 よって、人間としての姿を持たないキカイノイドなる機械生命体としての着ぐるみキャラが、番組の開始当初からレギュラーの戦隊ヒーローとして登場する本作は、カナリの別格感というのか例外感・特別感を醸すことには成功していたとはいえるだろう。


 ところで、特撮マニア諸氏の見解も長い年月の間には変わっていくものである。それは本作『ゼンカイジャー』の戦隊メンバーのモチーフに『ジュウレンジャー』や『ガオレンジャー』が採用されていることでも痛感してしまう。


 たとえば、往年の『鳥人戦隊ジェットマン』(91年)や『未来戦隊タイムレンジャー』(00年)などは、その一応のややリアル寄りな年長マニアの観賞にも堪えうるストーリーが、当時の特撮マニアの全員とはいわず総体としての志向がやはりリアル&シリアス至上主義であったために、実に高く評価されてもいたのだ。
 そして、上記作品群に対する作り手側での反省なり差別化もあってか、チャイルディッシュな作風へと意図的に舵を切った次作『恐竜戦隊ジュウレンジャー』(92年)や『百獣戦隊ガオレンジャー』(00年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20011113/p1)などは子供間での絶大なる大人気と反比例して、年長マニア間では「幼稚」「ドラマ性が低い」ものとして酷評の憂き目にあってきたのだ――前者は特撮評論同人界、後者はネット上の設立間もない時期であった超巨大掲示板2ちゃんねるが舞台であったけど。むろん、コレらの2作をその「幼児性」ゆえに評価するような、一周回ったようなスレたマニアも少数ながら往時から存在はしていた――。


 しかし、00年代前半には主に2ちゃんねるにて、「子供向けヒーロー番組なのだから少々の稚気(ちき)は当たり前」「むしろそういった要素にツッコミを入れる方がヤボだ」といった論調の方がカッコよくて理があるようにも見えてきたのか、急速に勃興してきたのであった――特撮評論同人界では90年前後に隆盛した論法ではあったのだけど、その時点では一般の特撮マニアレベルにも還流していくことはなかったので(汗)――。
 そして、ウルトラシリーズでは20世紀の特撮マニアであれば「ハードでリアルでシリアスな本格志向作品だ!」などと絶賛されたであろう『ウルトラマンネクサス』(04年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20041108/p1)などは、ネット上でも「アリかもしれないけど、子供向け番組としてはいかがなモノか? 失敗作なのでは?」といった、しごく常識的な論法で批判されるようにもなっていくのだ。


 スーパー戦隊シリーズでも、飛んでシリアス志向で製作された『特命戦隊ゴーバスターズ』(12年)あたりになると、マニア間でも高評価を与えられてきた辣腕脚本家・小林靖子がメインで手掛けた作品にしては、はじめてややイマ半な出来に仕上がったようにも見えたこともあったのであろうが、前作『海賊戦隊ゴーカイジャー』に比して地味で物足りないとの批判が飛ぶようにもなっていった。


●チャイルディッシュに作ったことでマニア間で酷評された2001年の『ガオレンジャー
●アダルティーに作ったことでマニア間で酷評された2004年の『ウルトラマンネクサス


 特撮マニア間でも特に指摘はされてはこなかったのだが、筆者個人の体感・ハダ感覚としては、この間の2002~3年にかけて2ちゃんねるでの特撮板の各所各所でのあまたの小論争を契機として、全員とはいわずとも多数の特撮マニアの価値観に「大地殻変動」が発生している。
 そして、特定のオピニオンリーダーがいたというワケでもないのだけど、この時期にリアル至上主義を急速に相対化・離脱して、子供という名の「他者」を発見して、非リアルな歌舞伎的様式美やチャイルディッシュの善さをモノサシとするような大変化が起きており、それが急速に普及したのがこの時期であったと私見をしているのだ。


 そして、本作においては#1冒頭で、人間世界と並行世界であるキカイトピアことキカイノイド(機械人間)の世界が一部融合してからしばらくが経っており、しかも両者が平和裏に共生しているといった世界観ともなっている。
 これは本作のメインライターでもある香村純子(こうむら・じゅんこ)がほぼ全話を手掛けた『動物戦隊ジュウオウジャー』最終回で、人間世界と獣人族の世界がモザイク状に混在することで両者の共生を謳ったことのテーマ的な続編といった意味もあるのだろう。


 もちろん妥当な処置ではあるのだろうが、正義&平和を子供向けに訴える特撮変身ヒーロー番組に対してガチなことを云ってみせても仕方がないことは重々承知もしている。しかし、シニカル(冷笑的)な筆者などは民族や宗教以前に学閥や同好の趣味人同士の間でさえも争いが絶えないというのに、人見知りでコミュ力弱者な我が身を棚に上げて、あるいはイジメやパワハラなどの他人の悪意に遭遇してきた当事者でもあるハズなのに、あるいは同じ日本人であってもヤンキーDQN(ドキュン)やイケてる系やファッション&スイーツな人種とは気が合わないし同席していることすら苦痛であるだろうに、よくも左翼リベラルなキレイ事で歯の浮くような「みんな仲良く」的な「他者との共生」などを唱えられるよなぁと感じられてならないのだ(笑)。
 むろん、哲学者・ホッブスが云うような人間同士が「万人の万人に対する闘争」状態だとまでは思わないし、そうであれば人類はとっくに絶滅している。筆者個人は「共生」と「闘争」の中間を採って「棲み分け的な共生」に現実性を感じている者ではある。


――往年の円谷プロ製作の特撮アニメ併用作品『恐竜探検隊ボーンフリー』(76年)における肉食恐竜と草食恐竜の棲み分け的な保護のイメージでもよい。肉食系&草食系の性格類型を一時的にはともかく長期にわたって同一空間に共存させると、親の教育とか安倍ちゃんトランプによらずとも、前者が後者に嗜虐心をそそられて、「価値」判断としてはまったく肯定はしないけど「事実」傾向としては覇気なり得意分野がある人間がそーではない人間に対して物足りなさやイラつきなどを感じてイジメ出すことが、人間にも内在している動物的な本性の必然でもあるのだろうとも思うので(爆)。むろん、それにブレーキをかける役割が後天的に処置される理性や道徳である――


 もちろん、棲み分けにしたことで溝が深まり闘争へと至る可能性も原理的には残るのだけど、接近しすぎても譲れないアイデンティティー面でブツかってサードインパクトが起きるのだとすれば、その危険性は等価ではある(汗)。付かず離れずとしての棲み分けなのだ。


 ……というようなことなどは、子供向け作品である『ジュウオウジャー』や『ゼンカイジャー』では描かなくてもイイけれど(笑)。


仮面キャラを声優がアテることでの作品テーマ的メリット


 とはいえ、平成ライダーシリーズまで比較対象に入れてしまえば、本作の東映側のプロデューサーを務めた白倉伸一郎が担当した『仮面ライダー電王』においては、悪の敵怪人と同種族でもある、キモ可愛い正義の怪人キャラ複数体をレギュラーに設定して――「週刊少年ジャンプ」連載の大人気漫画『DEATH NOTE(デスノート)』(03~06年)に登場した死神・リュークからの着想かと憶測――、スーツアクター&声優によるコミカルでアドリブ満載のユカイな演技も披露させることで、子供たちや女性オタクたちをも大いに喜ばせており、同作を大ヒットに導いた一因ともなっていた。
 バンダイ側の入れ知恵という気もするけど、円谷プロ製作のウルトラマンシリーズでもこの手法は流用されており、映画『ウルトラマンゼロ THE MOVIE 超決戦!ベリアル銀河帝国』(10年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20111204/p1)においては、70年代前半の円谷特撮巨大ヒーローのリメイクかつ、人間としての姿は持たずに人気中堅声優がユカイな声の芝居を務めるかたちで、ミラーナイト・グレンファイヤー・ジャンボット・ジャンナインといった仮面キャラクターたちが登場。こちらも相応に人気を博して、後継シリーズにも登場していく。


 たしかに、ナマ身の役者さんが大仰な人情芝居を演じたり、オオゲサな道徳的教訓を説いたりすると、たとえそれがいかに正しくても鼻についてきたりクサくなってきたりすることもあるものだ。しかし、仮に論理的にはまったく同一のストーリー展開であっても、最初から漫画やアニメなどの「絵」としての抽象化されたキャラであったり、着ぐるみキャラが誇張・単純化して演じるのであれば、リアリティーの許容線が自動的に下がるのか往々にして許せてきたりもする。
 そーいう機微に気が付いたのは筆者の場合、90年代中盤の催事イベント「ウルトラマン フェスティバル95」で上演されたウルトラマンネオスウルトラセブン21(ツーワン)が活躍して、特に後者がやや子供っぽいメンタルで言動・お芝居していたライブステージであった。たしかに仮面劇に声優が声をアテることで、表層・意匠はチャイルディッシュでも深層では普遍的なテーマや心情を描ける鉱脈があるのだとも思うのだ。


 従来の戦隊シリーズでは、特に戦隊レッド&ピンク以外は当時のJAC(ジャパン・アクション・クラブ)の若手イケメン3人を揃えた『科学戦隊ダイナマン』(83年)以降に、3枚目のコミックリリーフを務める戦隊メンバーがあまり登場しなくなったことが、ブ男の居場所すらもがなくなってしまったようで残念でもあった。
 しかし、本作では大獣神もどきに変身するジュランはオジサン的なメンタルだし、ガオキングもどきに変身するガオーンはやや高めの声質によってヒトの善さも感じられて、マジーヌも女性言葉を使うことがテレくさいのか語尾を「○○っす!」と体育会系にしてバリアを張りつつも声質的にはビビリの気弱そうな少女そのもので(笑)、ブルーンもビン底メガネのガリ勉くんといった感じであって、通常だとカッコいいとはされない性格類型のキャラたちが大集合も果たしており、そんな多様性にも好印象を持ってしまうのだ。


 もちろん、『仮面ライダー電王』以前にスーパー戦隊でも『爆竜戦隊アバレンジャー』(03年)において、同作の巨大メカ獣こと爆竜たちはユカイな人語をペラペラと発する存在だとして、往年のアニメ特撮・名作人気ドラマや映画のパロディーセリフもしゃべらせることで笑いを取っていた。
 この手法を拡張して、『炎神(エンジン)戦隊ゴーオンジャー』(08年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20080824/p1)でも、大きな可愛いお目めの意匠が付いた巨大自動車型メカこと炎神たちは特撮バトル部分のみならず、変身前の戦隊メンバーたちが繰り広げる日常生活シーンにも小型アイテム化して常住し、本編ドラマ部分にも会話劇のかたちでカラませて露出も増やす方法を採っていた。
 まぁ、両者ともに語尾が「~テラ」だったり「~ドル」だったりと漫画アニメ的・記号的で、メンタルも子供そのものであってコミックリリーフ的な扱いではあったけど。


 いやまぁ、考えようによっては、90年代前半の『恐竜戦隊ジュウレンジャー』や『忍者戦隊カクレンジャー』あたりからイケメンキャラでも複数の戦隊メンバーが、21世紀初頭の『百獣戦隊ガオレンジャー』に至ってはシリーズ途中からは戦隊メンバー全員(!)がコミックリリーフ化していたともいえるけど(笑)。
 『電磁戦隊メガレンジャー』(97年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20111121/p1)のメガブラックの変身前の中の人が端緒ではあるけど、朴念仁(ぼくねんじん)に近いマジメな優等生キャラに対しては「世事には疎(うと)いがゆえのボケをカマさせる」ことで、嘲笑ではなく爽やかにプッとほほえましく笑わせるような新たなギャグパターンなども確立。その後の戦隊シリーズにかぎらずジャンル作品全般にも継承されていく。


――元祖『ゴレンジャー』の生みの親のひとりである東映の平山亨(ひらやま・とおる)プロデューサーは「ボクは敵の怪人をコミカルに描くことは考えても、正義側をコミカルに描くことまでは考えてはいなかった」といった主旨の発言をドコかでしていたとも記憶する。もちろん賛否や好みはあるだろうし、そのサジ加減もまた非常に重要ではある。しかし、正義側の戦隊メンバーをもコミカルに崩して描いていくという変化は、大局においては時代の空気の変化とも付かず離れずで絶妙に(結果的に?)連動しており、それゆえに成功したのだとも私見するのだ――


戦隊&敵怪人の源泉は、並行宇宙個々を内包したメダル!


 本作ではナマ身の役者さんが演じる3人のキャラクターと4人の機械人間たちが善悪の戦隊ヒーローへと変身している。


 2010年前後からの日本の特撮ヒーロー作品は、種類が多いことによるコレクション性・収集癖を刺激して、比較的に安価なカードやカプセルにメダル型のミニ玩具を大量に頒布することで売上を向上させるという、新たなビジネスモデルを構築するようになった大変化を迎えた。
 本作でそれに該当するのは、「センタイギア」なる円周が歯車型になっているメダル状の複数種アイテム。1枚ごとに各「並行世界」に存在している歴代の各スーパー戦隊のパワーが秘められているとされている。


 加えて敵の軍団側も、あまたの「並行世界」それ自体をまるごとひとつずつ、超科学で1枚のメダル内へと閉じ込めて(!)、そこからその並行世界を象徴するあまたのパワーを発揮するゲスト敵怪人を産み出しているのだともしたのだ。
 といっても、キノコだの氷だのボクシングだの寿司だのゴミだの鬼ごっこ(!)といった事象をモチーフとした、戦隊シリーズおなじみのコミカルでユカイなおしゃべりをするB級ギャグ怪人たちが出現するだけなのだけど(笑)。


 ギャグ怪人は元祖『ゴレンジャー』の放映2年目に登場した日常生活の器物をモチーフとした怪人たちを端緒としている。そして、彼らは初期スーパー戦隊シリーズを彩(いろど)ってもきた。
 しかし、ややシリアス・SF的に大河ドラマ性なども高めていた『超電子バイオマン』(84年)~『超獣戦隊ライブマン』(88年)の5年間の時期のゲスト敵怪人たちは、イロモノ臭を排した本格志向のものであった。それはそれで当時の年長戦隊マニア諸氏にもカンゲイされたものである。


 けれども、ファンタジックな設定の『高速戦隊ターボレンジャー』(89年)や『恐竜戦隊ジュウレンジャー』(92年)では、敵怪人にもポップでライトな色彩&デザインが導入されるようになる。
 『鳥人戦隊ジェットマン』(91年)や『五星戦隊ダイレンジャー』(93年)では、再帰的に再発見された「子供性」とでもいうべきか、元祖『ゴレンジャー』のギャグ怪人の自覚的な現代的アップデートといったデザインともなっており、当時のマニア諸氏にも好意的な大カンゲイを受けていた。そして、以降のシリーズでは、この流れが敵怪人の在り方のメインストリームともなっていく。



 そして、並行世界の設定である。当初は基本的には各作が独立した作品世界であって、前作の戦隊ヒーローが助っ人参戦はしないものとして製作されてきたスーパー戦隊シリーズではあった。しかし、やはりマニアや子供たちの願望としては、ヒーローたちが共演して巨悪と戦うような物語を観てみたい! という願望自体は潜在はしていたのだ。
――ただし、80~90年代の前半においては、第1世代特撮マニアたちによる原点至上主義、続編やシリーズ化や先輩ウルトラ兄弟の客演自体が悪である! といった風潮が強かったので、それに洗脳されてしまったり、あるいはウルトラではダメでも戦隊ではOKだといったダブルスタンダードな発言をしている特撮マニアも多かったモノではあった――


 けれども、90年代中盤以降の新旧2大戦隊共演のビデオ販売作品の連発以降は、そして作り手側が世代交代したこともあってか、歴代スーパー戦隊シリーズは同一の世界観での出来事だといった新設定によって次第に上書きもされていく。そして、この趣向に多くの特撮マニアも大いに賛同していったのだ。


 それを思えば、歴代スーパー戦隊の各作は各々が別世界での出来事であったとする描写は、コレまた21世紀以降のスーパー戦隊シリーズで描かれてきたこととも、再度の矛盾が発生してしまう新設定でもあったのだ。
 それに加えて、本作においては過去作の先輩スーパー戦隊がシンプルなかたちでのゲスト出演や助っ人参戦することはナイのだということにもなってしまう。そこも少々残念なことでもあっただろう。


 けれども、歴代シリーズが同一世界の出来事だったとして、先輩スーパー戦隊の各作ごとに戦隊OBのゲスト出演を実現することができていた『海賊戦隊ゴーカイジャー』を後続作が後追いすることは非常に困難なことではある。
 そして、同作と同じ方向性をねらってしまうと、マニア諸氏からは同作を無意識的なモノサシとされてしまって、「『ゴーカイジャー』の域には達していない」などと酷評にさらされてしまう光景も眼に見えてきてしまうのだ。よって、『ゴーカイ』とは別方向をねらうこともある意味では正しいのだ。


 しかし、これらの新設定に少々ガッカリはしている感の「空気」を特撮マニア間にも感じつつ、ここにヒステリックな反発や糾弾を与えるような動きも大きくは見られないのだ。それは単純に我々特撮マニアたちもスレてきて枯れてきていることも大きいのかもしれないが(笑)。


 つまり、特撮マニア諸氏もまた無意識・直観的に、歴代スーパー戦隊の世界を以下のように捉えているのではなかろうか?
 歴代スーパー戦隊が個々に活躍している世界はたしかに45個はある。けれども、並行世界の概念を拡張してみせれば、歴代スーパー戦隊すべてが同一世界に存在している46個目(笑)の並行世界も当然にあるのだろうと。別世界であったハズの昭和ライダー平成ライダーが同一世界での歴史になっていた映画『オーズ 電王 オールライダー レッツゴー仮面ライダー』(11年)や映画『スーパーヒーロー大戦GP(グランプリ) 仮面ライダー3号』(15年)もまた同じリクツであったのだと。


 よって、本作における、ある意味でのマニア諸氏に対するウラギリ的な設定(汗)も、個々が勝手に脳内で好意的に補完してSF合理的に自己解釈して許容しているのではなかろうか? あるいは、製作スタッフも無意識にそのような自己正当化を図っているのではなかろうか?(笑)


――『宇宙戦隊キュウレンジャー』(17年)が前作『動物戦隊ジュウオウジャー』(16年)とは別世界の地球での出来事であったことは、ココでは置いといてくださいまし。欲を云えば、『炎神戦隊ゴーオンジャー』も並行世界が11個あるという作品世界だったので、『ゼンカイジャー』でもサムライワールドだのガンマンワールドだのクリスマスワールド(爆)だのの並行世界は再登場させてほしかったけど(笑)――


可動プレイバリューも高めた銃器の変身アイテムの系譜!


 本作『ゼンカイジャー』のもうひとつのメインアイテムは、やや大きめの拳銃型をしている「ギアトリンガー」。武器として用いるだけではなく、戦隊ヒーローへの変身にも用いている。
 右側部に小さなクルマのハンドル状のモノが取っ手付きで付いていて、銃を顔面ヨコに引き寄せてから取っ手でグルグルと廻したり、回転ガトリング砲のような複数の銃口なども持っていて、銃の上層部には開閉ギミックなどもある。そこに銃弾ならぬ「センタイギア」を着脱可能! 可動部も相応にあることで、手許に持つことでイジくり倒したくもなる、いわゆるプレイバリューにも富んでいる。
 劇中でもヒーローへの変身なり巨大化する際にも、この銃器をまさに字義通りのトリガー・引きガネともしており、歴代スーパー戦隊の能力もこの銃器による銃撃によって発揮されることで、この「センタイギア」にも存在意義を持たせることができているのだ。


 ロートル特撮オタクとしては、こういった設定や劇中での活かし方のイチイチについても、日本特撮の通史や日本のヒーロー玩具の歴史といったモノが、脳裏の片スミに浮上してくる。
 東映メタルヒーロースーパー戦隊が銃器も携行するようになったのは1980年代からだろう。その時代においても商品点数を増やすための成りきり玩具的なモノとして、銃器や盾などの玩具なども連綿と発売されていた。しかし、変型・可動といったギミックは少なかったために、子供たちにとっての魅力にはやや欠けてはいたであろうし、入手してもすぐに飽きてしまいそうな玩具たちではあったのだ。


 しかし21世紀に入るや、平成仮面ライダーシリーズにおいては、『仮面ライダー555(ファイズ)』(03年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20031108/p1)における3号ライダーこと仮面ライダーデルタや、『仮面ライダーカブト』(06年)における3号ライダーこと仮面ライダードレイクなどを皮切りに、変身アイテムを銃器としても兼用するような流れが始まった。
 極めつけは、『仮面ライダーディケイド』(09年)における2号ライダー(3号ライダー?)こと仮面ライダーディエンドだ。ライダー恒例の変身ベルトは存在せず、銃器で銃撃することで変身も果たす特撮ビジュアルが印象に深く残るかたちで描かれた。
 近年では『仮面ライダーゼロワン』(19年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200921/p1)における2号&3号である仮面ライダーバルカン&仮面ライダーバルキリーも同様で、銃器を使って変身を果たすサマがここでも鮮烈に描かれていた。


 この流れはスーパー戦隊にも派生する。『獣電戦隊キョウリュウジャー』(13年)や『怪盗戦隊ルパンレンジャーVS(ブイエス)警察戦隊パトレンジャー』(18年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190402/p1)などがソレだ。直接的な銃器のかたちこそしていないが、『ウルトラマンギンガS(エス)』(14年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200404/p1)に登場した2号ウルトラマンことウルトラマンビクトリーや、記憶に新しい『ウルトラマントリガー』(21年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20211021/p1)なども、変身アイテムが銃器に変型することでプレイバリューを高めてもいる。


 リアルに考えれば、前方に発射した銃弾状のエネルギーの弾道がUターンして戻ってきて、それで変身ができるというのはオカシなことではある(笑)。しかし、このテの虚構度が高い特撮変身ヒーロー作品においては、むしろそれこそが「非日常性」を強調して、ヒーローやその武器が持っている「万能性」といった方向性でも機能して、オモチャおもちゃした玩具もまた魅惑的に見えてくるものでもあるのだ。


 さらに加えて、本作『ゼンカイジャー』では宇宙海賊の金髪青年もいかにもオモチャな変身銃器を構えて、「ヨホホイ、ヨホホイ、ヨホホイ、ホイ♪」と脱力する歌を歌いながら各話で参上してくる。そして、変身する際には意味もなく長くて軽快でキャッチーなダンスも交えるのだ――それに対して周囲の登場人物たちも「ナゼ?」と正しくツッコミを入れている(笑)――。もちろん、戦隊オタクであれば、コレは『獣電戦隊キョウリュウジャー』のメンバーが銃器で変身する際に長々とサンバ的で軽快なダンスも披露していたことの踏襲でもあった。
 ホントにもうこの2010年代以降になるや、ソレが非リアルで不謹慎だからケシカラン! などと叩かなくなったどころか、その稚気満々さを年長マニアもいっしょになって楽しむような真逆の方向に変わってきている。若手役者さんたちもいかにも不条理でデタラメな基本設定ではあっても、イイ意味でガチで演技もしてくれているのだ。
――80年代中盤~90年代初頭には、学園ドラマや熱血演技などをチャカした漫才ブームやタレント・タモリの影響で、このテのオフザケや熱血芝居をクサいものとして異様に恥ずかしがる空気が若者間には濃厚にあったものであり、『ジェットマン』序盤の戦闘機の訓練シーンにおける戦隊メンバーの武器名・攻撃名の絶叫のお芝居などにもその気配を微量に感じ取ったものであった(汗)――


 こういった玩具的な要素は、メインターゲットの子供たちにはともかく、60年前後生まれのオタク第1世代が青年年齢に達して、70年代前半の変身ブームで育ったオタク第2世代の特撮マニアたちも中高生や20代の若者年齢に達した1980~90年代においては、特撮ジャンルに市民権を得させるためにも「唾棄すべき、非リアルで幼稚なモノだ!」「商業主義だ!」などとして糾弾されるような風潮もあったのだ――この理屈によって、80~90年代当時の現役東映ヒーロー作品の武器や兵器玩具などはもちろん、『ウルトラマンタロウ』(73年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20071202/p1)に登場する怪獣攻撃隊・ZAT(ザット)のカラフルで奇抜なフォルムをした戦闘機などは特にヤリ玉にも挙がっていた――。




 本作『ゼンカイジャー』を通じて、スーパー戦隊シリーズの歴史を、あるいは日本特撮の歴史を、場合によっては日本の歴史なども透かし見ようと欲張って、煩雑な内容となり収拾もつかなくなってしまって恐縮である。本作終盤に登場した「神さま」なども実は『アバレンジャー』中盤回などでもっと卑近な姿(笑)で登場していたりなど、語りたいウンチク・トークはまだまだあるのだけど(汗)、いずれ機会を改めて語り直したい。


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2022年号』(22年8月13日発行)所収『機界戦隊ゼンカイジャー』合評3より抜粋)


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