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『ウルトラマンレオ』(74年)最終回から50周年記念! とカコつけて……。『ウルトラマンレオ』総括評をアップ!
『ウルトラマンレオ』総論1 ~50年目の総括。その評価の変遷! 特異なる美点&欠点! 第2次怪獣ブームの終焉
(文・T.SATO)
(2025年3月30日・脱稿)
『ウルトラマンレオ』(74年)とは、変身巨大ヒーローが登場しなかった怪獣特撮TVシリーズ『ウルトラQ』や、その後番組でもあった変身巨大ヒーローが登場する初代『ウルトラマン』(66年)や『ウルトラセブン』(67年)にはじまる「ウルトラシリーズ」の第7作目に当たる作品である。
白銀と赤色にいろどられた巨大な宇宙人ヒーローことウルトラマン。巨大怪獣から地球を守っている怪獣攻撃隊の一隊員の正体が、実はこのウルトラマンでもあって、怪獣との戦いのさなかでどうにもならなくなると、ひそかに巨大超人・ウルトラマンへと変身して、両腕を十字型やL字型に組んで発射する光線で怪獣を撃破するという基本フォーマットを持っているのが、「ウルトラマン」シリーズであった。
しかして、我々人類もまた決して無策ではない。ハイテックな電飾満載の壁面に囲まれた司令室に陣取った怪獣攻撃隊の隊員たちは、必要に応じて未来的な戦闘機で、あるいは地上から光線銃や銃器などで怪獣を攻撃していくのだ。
昭和のウルトラシリーズ作品は、基本的には同一世界での出来事であって、連続したひとつの歴史でもあり、主人公ヒーローを交代させつつ、怪獣攻撃隊の組織も刷新されたことにして、相応なる新鮮味を加味することでの子供たちの「慣れ」から来る「飽き」を回避することで賦活(ふかつ)させつつ、シリーズを継続させてきた。
「ウルトラ兄弟」ではなく、ウルトラの星の出身ではなかった、初のウルトラマン!
そして、歴代のウルトラマンたちについては、『帰ってきたウルトラマン』(71年)の放映当時に、掲載媒体でもあった小学館側の学年誌側での独断専行(笑)によって、実は「兄弟」であったと設定されることになる。
具体的には、『小学二年生』(1925~2016年度)側の敏腕編集長で、1933(昭和8)年生まれで38歳であった井川浩(いかわ・ひろし)だ。日本初の週刊少年マンガ誌『週刊少年サンデー』(1958年~)創刊メンバーでもあり、のちには週刊TV情報誌『ザテレビジョン』(1982年~)創刊などにも尽力した氏によって、同作の本放映当時の1971(昭和46)年度の『小学二年生』8月号(7月1日発売)にて「兄弟」であったと公表されたのだ。
それを皮切りにして、翌8月発売の『小学二年生』9月増刊号には、早くも1949(昭和24)年生まれの弱冠22歳であった内山まもる先生による連載マンガの出張特別版として、73ページもの大長編マンガ『決戦 ウルトラ兄弟対11大怪獣』が掲載されている。
同年度中には小学館の各幼年誌なども含めて「ウルトラ兄弟」の設定が流布されていった。ついで、同年の『小学二年生』11月号においては、実の兄弟ではなく「義兄弟」であったと「修正」されることにはなるのだが(笑)。
以降は、初代『ウルトラマン』の最終回にのみ顔見せしていた初代ウルトラマン型のヒーロー・ゾフィーを長兄に、『ウルトラマンエース』(72年)を5番目の弟、『ウルトラマンタロウ』(73年)を6番目の弟とすることで、歴代ウルトラマンたちを「ウルトラ5兄弟」や「ウルトラ6兄弟」だとして設定してきたのだ。
――厳密には、制作会社・円谷プロダクション側ではなく同シリーズの放映TV局・TBS側のプロデューサーであった、1931(昭和6)年生まれの橋本洋二によっても、ウルトラ兄弟の設定が誕生するよりも前に、『帰マン』に前作のヒーロー・ウルトラセブンをゲスト出演させるアイデアを、テコ入れとして同作放映序盤の時点で早々に着想もしていた。そして、実作品の8月アタマの放映分の#18において、早くもこれを実現させている。
この#18においては「兄弟」だとは名指しこそされなかったものの、出版物ではすでに「兄弟」設定は流布していたので、その意味では同時多発的なアイデアでもあったのだ。
ちなみに、『帰マン』と放映開始時期を同一にする、日本の特撮変身ヒーローのもう一方の雄である『仮面ライダー』初作(71年)においても、第4クールの第1話でもある#40においては、#1~13までの主人公ヒーローであった仮面ライダー1号をゲスト出演させている――
本作『ウルトラマンレオ』においては、同作の#39のラストシーンにて、ウルトラマン一族の長老・ウルトラマンキングの推挙により、レオもまた栄光あるウルトラ兄弟の7番目として加入することになった――私事で恐縮だが、リアルタイム世代の幼児であった身にとっても、印象深いシーンではあった――。
しかし逆に云うならば、同作の#38までは、レオは当時の最新のウルトラマンではあってもウルトラ兄弟の一員ではなかった。その母星もまた歴代ウルトラ兄弟の故郷であったM78星雲のウルトラの星ではなかった。『レオ』の#1~2などに登場以来、後続のウルトラシリーズにもたびたび登場しつづけてもいる凶悪なマグマ星人の侵略によって、獅子座のL77星は爆発してすでに滅びさってもいたのだ。
今にして思えば、たかだか本作放映の数年後でしかなかったとはいえ、子供たちにとってはウルトラシリーズの実に長き空白期にして、『レオ』もまたすでに「懐かしのヒーロー」だとも思えていた1970年代の末期。
いわゆる第3次怪獣ブーム期に発行された、文庫本サイズの児童向け豆百科であったケイブンシャ(勁文社)の「大百科」シリーズ26『ウルトラマン大百科』(78年8月10日発行)における「うらばなし」コーナーの数々や、本邦初の青少年特撮マニア向けの書籍でもあった『ファンタスティックコレクション№10 空想特撮映像のすばらしき世界 ウルトラマン PART2』(朝日ソノラマ・78年12月1日発行)――82年に『ウルトラマン白書』に合本――における製作経緯の記事によっても、『レオ』はすでに企画書の段階にて、ウルトラの星の兄弟星ではあってもウルトラの星ともまた別の、獅子座・L77星ならぬM77星やらM66星の出身だとして初期設定されていたことについては、往時の怪獣博士タイプの子供たちや原・マニアたちにも知られてきた事項だ。
つまりは、そうした設定によっても、『レオ』本放映当時の子供たちに対しては、ちょっとしたサプライズ&差別化をも図っていたのだ。
「ウルトラ兄弟」とも太いパイプ! ウルトラセブン=モロボシダン隊長と川上鉄太郎隊長!
しかして、歴代のウルトラシリーズとは断絶しているワケでもなかった。大きな太いパイプとして、その#1からしてウルトラ兄弟の3番目の戦士でもあったウルトラセブンが活躍するのだ! しかして、マグマ星人&怪獣レッドギラス&ブラックギラスの3大強敵に挟まれて敗北してしまったことで、ウルトラセブンに変身できなくなってしまったモロボシ・ダンが、新たなる怪獣攻撃隊の今度は鬼隊長として登場するシリーズでもあったのだ。
モロボシ・ダンが隊長として再登場した経緯の紆余曲折についても、先の70年代末期の『ウルトラマン大百科』や『ファンコレ』での記載によって、マニア間や児童間では広く知られてきた。当初はモロボシ・ダンではなく川上鉄太郎という名前であったという設定を……。
この川上のかたちで、モロボシ・ダンを演じた1943(昭和18)年生まれのちょうど30歳を過ぎたばかりでもあった森次晃嗣(もりつぐ・こうじ)にオファーをしたところで、森次がウルトラシリーズに別人の役として出演することには、おそらく子供たちこそ不審の念や腰の据わりの悪さをおぼえるのでは? といった懸念があったのでもあろうか? 難色を示したことで、モロボシ・ダンそのヒトとしての再登場に企画が変更されたこともまた70年代末期以来、知られてもきた。
その一部が公表されている『レオ』の第2企画書こと『テレビ映画新企画案 ウルトラマンレオ』や、そこに掲載されていた#1のサンプル・ストーリーの要約なども読むにつけ、川上隊長を森次に演じさせることで、やはり彼の正体はジャグラスジャグラー(笑)もといモロボシ・ダンにしてウルトラセブンであるのやもしれない!? ……などとも子供たちにも思わせて、気を持たせていくつもりであったのだとも思われる。よって個人的には、川上のままであっても実質的には変身できなくなったセブンなのでもあるからして、今ある『レオ』の作風とも大差がなかったようにも推測してはいるものの……。
なお、モロボシ・ダンが『セブン』時代の新人隊員であったヤサ男に比しても、あまりに変貌のしすぎ! といった批判もごもっともではある。しかし、個人的には幼児ながらに「齢(よわい)を重ねてポジション的にもそのようにふるまっているのだナ」と直感的にナットクしていたので、今でもそれについての違和感はない。
――その意味では、はるか後年の東映特撮ヒーロー総登場の映画『仮面ライダー×スーパー戦隊×宇宙刑事 スーパーヒーロー大戦Z(ゼット)』(13年)における、初代宇宙刑事ギャバンこと一条寺烈(いちじょうじ・れつ)が変身はしない銀河連邦警察のおエラいさんとして登場し、大局を見据えて「大の虫を生かすためにも小の虫を殺す」という苦渋の決断をしたあたりもまた、個人的にはドラマとしてはアリだと思って反発などは抱いていないのでもあった(汗)――
企画書上梓&メインライター・田口成光! その活躍の場を拡げていく!
なお、本作『ウルトラマンレオ』の最初の企画書『TV映画企画案 ウルトラマンL(レオ)(仮題)』の印刷日は、本放映を半年弱ほどさかのぼった1973年11月12日(月)であった。
この企画書を上梓したのは、前作『ウルトラマンタロウ』(73年)でもメインライターを務めた、1944(昭和19)年生まれの田口成光(たぐち・しげみつ)。脚本家志望として23歳の1967(昭和42)年にウルトラシリーズを制作している円谷プロダクションに入社して、特撮班の助監督にまわされた挙句に、円谷プロの企画室で活躍してきた御仁だ。
しかし、『タロウ』とも並行して、同作とも同じ1973年4月スタートのTBSの2大番組でもあった、東映製作の30分ワク刑事ドラマ『刑事くん』第2部においては6月放映回から、道路を走るミニ蒸気機関車で日本を一周する30分ワク児童向けTVドラマ『走れ! ケー100(ひゃく)』においても9月放映回から参画しており、その手掛ける作品数を増やしていっていた――同年度には円谷プロの特撮巨大ヒーロー『ジャンボーグA(エース)』(73年)までをも手掛けていた――。
『タロウ』放映中盤の29歳にて円谷プロを退社した身でもあったそうなので、すでにフリーランスの立場での『レオ』の企画書の上梓でもあったのであろうか?
田口はのちに児童向けドラマの大ヒット作『あばれはっちゃく』シリーズ全作(79~85年)のサブライターや、NHKで放映された連続TVアニメ『ニルスのふしぎな旅』(80年)のほとんどの話数と、リアルロボットアニメ『特捜騎兵ドルバッグ』(83年)や、PTAには糾弾されたマンガ原作のTVアニメ『まいっちんぐマチコ先生』(81年)などのメインライターも30代の時点で務めてもいる。
深紅のウルトラマンレオのデザイン&造形&源泉! デザイナー・鈴木儀雄!
そして、本作『レオ』の#1だ。マグマ星人&怪獣レッドギラス&ブラックギラスによって浸水させられた大東京で、ウルトラセブンが激闘を演じている。そこで多勢に無勢で怪獣たちにつかまって、右脚ヒザをヘシ折られてしまうという大ピンチにおちいってしまった! そこに暗雲の空から飛来してきたのは、我らが新ヒーロー・ウルトラマンレオだ!
ウルトラマンたちは大きく分けると、白銀主体の初代ウルトラマン・タイプと、赤色主体のウルトラセブン・タイプとに分けられる。本作のヒーロー・ウルトラマンレオは、後者の赤主体の方であった。
同じく赤主体のウルトラマンでもあった、先のウルトラセブンや直前作のウルトラマンタロウなどの頭部と胸部のプロテクター部分は白銀ではあった。しかし、それよりも下のボディーの大半を占めている腹部以降は赤色の体表にはなっていた。加えて、そこに胸の中央から両脚へと別れるかたちで白銀のラインが入っていたのだ。
しかし、本作のウルトラマンレオについては、胸の中央から両脚にかけての白銀のラインがない。すべてが赤色の体表なのだ――もちろん、先の『ファンコレ』においても、NGデザインやNGスーツは公表されており、レオにも企画の過程においては、白銀のラインが存在していたことは知られてきた――。
そして、腹部の中央には、自身の名前を示すと思われる1文字の「宇宙文字」こと白銀の「ウルトラサイン」が入ってもいる――レオの場合は生粋のウルトラ族ではないので、L77星での文字こと「シークレットサイン」が正式名称であったそうだが――。
この「ウルトラサイン」とは、『ウルトラマンエース』(72年)#5にて初登場して以来、ウルトラマン同士が通信する際に宙空に表示されるウルトラマン一族の独自文字でもある。『ウルトラマンエース』#13では、異次元人ヤプールによってマイナス宇宙にあるゴルゴタ星に設置されたウルトラマンたちの十字架の突端に、各々のウルトラマンたちの名前を示してもいる1文字の「ウルトラサイン」が記されていた。
『ウルトラマンタロウ』(73年)においても、歴代ウルトラマンたちが客演した前後編においては、その変身前の地球人の姿をしたウルトラマンたちがまとったユニフォームの腹部にはこの「ウルトラサイン」が記されていた。
さらには、この歴代のウルトラ兄弟たちが怪獣攻撃隊の隊員たち各々に一時的に憑依した際には、その額に「ウルトラサイン」が一瞬、浮かんだことでも、子供たちの博物学的な興味関心を大いに惹起してきたものなのだ。
――書籍『「ウルトラマンA(エース)」の葛藤』(白石雅彦・双葉社・22年7月3日発行)における、今では児童文学研究者でもあり、往時は小学館の『小学二年生』ならぬ『小学三年生』側の編集者でもあった、1943(昭和18)年生まれの上野明雄へのインタビューによれば、「ウルトラサイン」は小学館側から提案したものであったそうだ。しかし、そのデザインそれ自体は小学館側で作成したものではなかったハズだとのこと――
その「ウルトラサイン」がよりにもよって、変身後のウルトラマンの腹部にも付いているという異質性!
そして、比較的にシンプルで円形・タマゴ型でもあった歴代ウルトラマンたちの頭部と比すれば、レオのそれは複数の複雑な突起にも覆われていたのだ! 後付け的な深読みをしてしまえば、「王冠」だともライオンの逆立った「タテガミ」だともとれてしまうその突起。それは後年の特撮変身ヒーローたちと比すればたいしたものではなかったやもしれないものの、当時としては子供にとっては模写が非常に困難にも思えた、実に複雑なデザインにも見えたものだ。
そのレオのデザインは、怪獣映画『ゴジラ』第1作目(54年)の時代からアルバイトのかたちで関わって、映画会社・東宝にて美術スタッフ・美術監督としても活躍してきた、1935(昭和10)年生まれの鈴木儀雄(すずき・よしお)の手によるものだ。
ウルトラマンエースのヒーローデザインや、『ウルトラマンエース』・『ウルトラマンタロウ』・『ウルトラマンレオ』の怪獣攻撃隊のマークのデザインに隊員服や銃器に司令室のデザイン、『エース』と『タロウ』のあまたの怪獣・超獣たちや、『タロウ』と『レオ』の怪獣攻撃隊の戦闘機などもデザインしてきた御仁でもある。
――しかし、『レオ』で初登場した、レオの弟・アストラとウルトラ一族の長老・ウルトラマンキングのデザインは、やはり特撮美術の大家となっていく、1946(昭和21)年生まれの大澤哲三の手によるものではあった――
「頭上の翼には可能性の拡がりを… 切れ上がった眉には挑む勇気を… そして、その瞳には、深い優しさと一抹の孤独感を込めて、幾つかの粘土原型を制作し、レオの勇姿が誕生したのです」
映像媒体の最高峰がレーザーディスクであった1980~90年代における『ウルトラマンレオ LD-BOX』(コロムビアレコード・96年10月19日発売)での寄稿文にて、鈴木はこのようにも述べていた。しかし、レオの複雑な頭部は「翼」ではなく「空飛ぶ円盤=UFO」でもあったと述べるようにも証言は変遷していく……。けれども、「UFO」源泉説については、言葉どおりに真に受けてもよいのかについては個人的には少々疑問ではある。
もちろん、何事もそうではあるのだけれども、アイデアの源泉とは決してひとつではないであろう。複数のイメージソースや当人の無意識、複数のスタッフからのオーダーなども基にしてデザインは醸成されていく。かてて加えて、「デザイン」のみならず着ぐるみとして「立体化」するにあたっては、鈴木と円谷プロ側のプロデューサーでもあった1937(昭和12)年生まれの熊谷健(くまがい・けん)との共同で、主に「頭部」のことかとは思われるのだが、その粘土原型を実地に試行錯誤も重ねながら製作していったのだそうだ。
レオや怪獣たちの造形は、1966年設立の開米プロダクション。やはり第1作目の『ゴジラ』の着ぐるみの造形にも関わった、1929(昭和4)年生まれの開米栄三(かいまい・えいぞう)が設立した造形会社である。初代『ウルトラマン』とも同時期に放映が開始されたピー・プロダクション製作の巨大ヒーローTV特撮『マグマ大使』(66年)の怪獣造形や、『帰ってきたウルトラマン』以降のウルトラシリーズの怪獣造形を担当してきた造形会社だ。
ウルトラマンレオのネーミングを『ジャングル大帝』のレオに求める説に疑念!?
なお、90年代後半~00年代における円谷プロの実情を明かした書籍『ウルトラマンが泣いている 円谷プロの失敗』(講談社現代新書)においては、円谷一族で1959(昭和34)年生まれの円谷英明(つぶらや・ひであき)が、『レオ』なるネーミングを、大マンガ家・手塚治虫(てづか・おさむ)の『ジャングル大帝』(50年)の主人公の白いライオンこと「レオ」からの安易な引用であることは否めないとしている。
しかし、それは氏が幼少時にTVアニメ『ジャングル大帝』(65年)を観て育った世代であったからだろう。『レオ』の放映時期にはもう子供番組は卒業していたであろう背伸び盛りのミドルティーンであったがゆえに、浅知恵でその小賢しい引用だとも思えて不快になってしまって、その感慨を長じてからも引きずってしまっているだけではなかろうか? 『レオ』のメインスタッフたちはまだ昭和10年代の「戦中世代」の生まれであって、マニア気質の御仁は除いて手塚マンガで育った世代だとはいえない。手塚マンガの最初のマス(集団)としての世代は、戦後の昭和20年代前半生まれの通称「団塊の世代」以降でもあるからだ。
むしろ、「レオ」こそが英語の「ライオン」の語源であって、「レオ」の語句を人名にも用いる例は、古代ローマ帝国以来のものでもあり、その意味では普通名詞ですらあるからだ。
ウルトラマンレオのスーツアクター・二家本辰己! バック転・トランポリンアクションを当時の幼児はどう観たか!?
ウルトラマンレオのスーツアクターは、1953(昭和28)年生まれだから、まだ弱冠21歳であった二家本辰己(にかもと・たつみ)。17歳で上京して、アクションスター・千葉真一(ちば・しんいち)が設立したJAC(ジャック)ことジャパン・アクション・クラブ(現・ジャパン・アクション・エンタープライズ)の準会員にもなり、そこでバク転などを習得したそうである。
そのレオは左腕をまっすぐに伸ばして、右手を右腰に据えるといったファイティングポーズが印象的でもあり象徴的でもある。
CS放送・ファミリー劇場の目玉として、歴代の昭和のウルトラシリーズを「ウルトラ劇場」と銘打って、週1の毎週日曜夜8時から放映していた時代があった(週に数回、同一話数を放映)。その2008年度の作品は『ウルトラマンレオ』であった。
その折りに、同局にて連動して放映されていた宣伝・情報番組『ウルトラ情報局』(02~11年。構成&演出・秋廣泰生)の2008年7月号にて、二家本が語ったところによれば、この構えは「空手」の「剛柔流」のそれだそうだ。
二家本は#1の撮影においては、先の『ウルトラ情報局』では、最初は怪獣ブラックギラスかレッドギラスのいずれかの着ぐるみのなかに入っており、セブンの動きが悪いとの特撮監督のダメ出しに二家本がセブン役に志願! ついで、レオの動きが悪いとの指摘でレオ役にも志願! といった2段構えでの経緯で、レオを演じることになったことも語っていた。
二家本は円谷特撮においては、『恐竜大戦争アイゼンボーグ』(77年)の巨大ヒーロー・アイゼンボー、『恐竜戦隊コセイドン』(78年)の人間サイズの変身ヒーロー・コセイダーを演じている。『レオ』の前年に放映された東宝の巨大ヒーロー特撮『流星人間ゾーン』(73年)の主役ヒーロー・ゾーンファイターの人間サイズ時のスーツアクター、映画『月光仮面 THE MOON MASK RIDER』(81年)でのヘリコプターから落下する月光仮面のスタントなども演じている。はるか後年の『ウルトラマンティガ』(96年)と『ウルトラマンダイナ』(97年)では殺陣師(たてし・アクション監督)も担当している。
ネット上のフリー百科事典・Wikipediaなどを参照すると、80年代中後盤の大人気アクション刑事ドラマ『あぶない刑事(デカ)』(86年)を皮切りに、途切れることなく膨大なるTVや映画で殺陣師として活躍しつづけてきたこともわかる。
ウルトラマンタロウやウルトラマンレオのアクションでは、スローモーション撮影による特撮(特殊撮影)で、ヒーローや怪獣たちの重厚さや巨大感を出していくといった手法はあまり用いられてはいない。ナチュラルさよりもキビキビとしたやや大仰な身振りでスピーディーなアクションを披露もしている――80年代以降の東映特撮ヒーローほどではなかったにしても――。
重厚さや巨大感を出していく手法にも良さはあるのだが、スピーディーかつ軽快なアクションにも良さがある。『仮面ライダー』初作における、改造人間=超人の超能力を映像的にも体現してみせた、空高くジャンプをして空中でクルッと前転をしてみせるトランポリン・アクション。これは早くも、同年放映の『帰ってきたウルトラマン』のシリーズ中盤以降においても、ウルトラマンのアクションの一環として導入されていた。
しかし、はるか後年に本邦初の特撮マニア向けムックが登場して、1960年代後半に放映されていた第1期ウルトラシリーズ至上主義が勃興するやいなや、当時は20歳前後に達していた第1期ウルトラ世代の特撮マニアたちによって、こうしたトランポリン・アクションや連続バック転などは悪しきものだとして糾弾されるようにもなっていく。
しかし当時の幼児としては、このトランポリン・アクションにこそ、「変身シーン」や「必殺ワザのシーン」に次ぐものとしての、身体的な拡張感・全能感・万能感をも抱かせてくれるものだとしてウキウキ・ワクワクとさせられたものでもあった――その意味では、平成以降の仮面ライダーや戦隊ヒーローたちにはトランポリンアクションがないことについては少々残念にも思っているのだ――。
ウルトラマンたちには飛行能力があるのだから、ジャンプ能力なぞ不要ではないのか!? といった疑問もごもっともでもある。しかし、飛行能力を除いてのその純粋たる身体能力だけでも、空高くジャンプができて身軽に宙をも回転するだけの肉体を備えたものだと直感して、そのウルトラマンたちのトランポリン・アクションにもあこがれたものであった。
そして、私事で恐縮だが、70年代末期の第3次怪獣ブームの時代には、タロウやレオのアクションの方がスピーディーかつ激しくてスキだ! と発言していた、小学校の同学年の友人などもたしかにいたことを記憶している。筆者も含めて、20世紀のむかしの日本の特撮評論はSF性・ドラマ性・テーマ性にばかり着目してきたのだが、2010年代以降のウルトラシリーズや日本特撮を支えることにもなった、スーツアクター・アクション監督上がりでもある1970(昭和45)年生まれの坂本浩一カントクなど、『レオ』への好意を表明してきた御仁などは、こういった嗜好の持ち主でもあったであろう。
ウルトラマンレオの空手アクションは『燃えよドラゴン』の影響か!? スポ根の影響の実態は!?
『帰マン』の次作『ウルトラマンエース』以降においては、ウルトラマンたちは積極的にトンボ(側転)を切ったりするようになっていったが、特にウルトラマンレオではスピーディーかつ力強い空手の構えや空手ワザまでをも披露する!
これはマニア諸氏であればご承知のとおりで、前年末の1973年12月22日(土)に日本で公開されたカンフー映画の大ヒット作『燃えよドラゴン』の影響であろう。
ただし、最新の研究書籍『「ウルトラマンレオ」の出発(たびだち)』(白石雅彦・双葉社・24年9月22日発行)によれば、『レオ』#1初稿の印刷日は、『燃えよドラゴン』公開日のちょうど前日でもあった! つまり、企画書や#1初稿の時点では、『燃えよドラゴン』の影響はアリエなかったのだ!
そして、初稿・準備稿・改訂稿を経ての第4稿たる決定稿の印刷日は、その約1ヶ月後の1974年1月22日(火)であった。つまり、この1ヵ月の間に「空手」の要素が投入されたのでもあろう。
『レオ』と同じく74年4月スタートのピー・プロダクション製作の特撮ヒーロー作品『電人ザボーガー』の主人公青年もまた、空手使いの設定になっていた。74年7月にはアクション俳優・倉田保昭(くらた・やすあき)主演のTVドラマ『闘え! ドラゴン』も放映が開始されている。
そして、その「空手」の要素が投入されたことによって、その「空手」や「少林寺拳法」の心得もあった、1950(昭和25)年生まれにして弱冠24歳の俳優・真夏竜が、本作『レオ』の主役に抜擢されたのだ。
しかし、「空手」ならぬ「スポ根」(スポーツ根性)最大の特徴でもある「特訓」の要素は、「空手」の要素の投入以前に、つまりはいわゆる第2企画書から存在していたものでもあった――逆に云うなら、第1企画書には「スポ根」要素は存在していない――。
けれども、青少年向けのマンガ・TVアニメ・TVドラマで隆盛を極めた「スポ根」が隆盛を極めたのは、実は60年代末期~70年代初頭のことである。誤解されがちなのだが、『レオ』が企画された1973~74年においては「スポ根」人気はもう下火になっていたのだ――そして、70年代後半以降にはもう、若者間や少年マンガなどでは「スポ根」&「熱血」はチャカし・冷やかし・パロディの対象ともなっていく――。
つまり、当時の最新流行をケーハクに取り入れていたワケでは決してなかったのであった。先の『「レオ」の出発』で、田口も「根性ものがあの時代、切れていた。だったらそっちの方向に行ってもいいんじゃないか」といった旨を証言しているのだ。
ウルトラマンレオのアクションの最大の特徴! 光線ワザが使えなかったことの是非!
しかして、レオのアクションの特徴は「空手」アクションだけではない。従来のウルトラマンたちとは異なり、その両腕を「十字」や「L字」型に組んでの必殺光線を放たなかったことなのだ!
書籍『「レオ」の出発』によれば、最初の企画書や第2企画書の段階からして、レオの必殺ワザとしての「光線」ワザの記載がなかったそうなのだ。
もちろん、従来のウルトラ兄弟たちとの差別だとも考えられはする。しかしそれ以上に、前年1973年10月からの第4次中東戦争によって起こった第1次石油ショックの影響による物価の大高騰をも考慮して、デジタル合成ではなくフィルム合成の時代でもあったために、多額の費用もかかってしまう「光線作画」による「光学合成」を省こうとしていた可能性も指摘している――ウラ付けは取れなかったようだけれども――。
とはいえ、だからといって、まったく「光学合成」がなかったワケでもない。『レオ』#2にて披露された必殺ワザ「きりもみキック」には、レオの右足にカブせて赤く光るかたちで「光学合成」がなされている。そして、2大怪獣を首チョンパする際にはそこに熱エネルギーなり破壊エネルギーなりもが込められたことでキレ味も増したのであろう! ……といった解釈を、子供たちにも直感的に可能にしているのだ。
仮面ライダーの必殺ワザ「ライダーキック」よろしくの#8以降に多用された必殺ワザの「レオキック」もまた、右足が赤く発光していることで、同様の感慨をもたらしはする。
しかし、手描きでの作画の手間と遠近感などのセンスも要する、多数の粒状のキラびやかにして熱線としての異形の破壊力をも感じさせてくれる「光線」とは異なるものではあるのだし、「レオキック」に至っては基本的には都度都度の新規撮影ではなくバンクフィルムともなっていた。
――もちろん、ジャンプ・スローモーション撮影・合成、いずれも大変に手間がかかるからだ。ビシッと決まったバンクフィルムをひとつ作って流用していくことによって、経費の節約もしていたのであろう。イマイチな新撮キック映像であるくらいであれば、美麗なバンクフィルムの流用の方が効果的ですらあるのだし――
『レオ』がまったくの新カテゴリーの新ヒーローであれば、この作品のヒーローの必殺ワザとは「そういった肉弾戦的なものなのだ」とも子供心に思えたのではあろう。しかし、レオは「ウルトラマン」というシリーズの大ブランドの看板を背負った超人ヒーローでもあったのだ。ゆえに、子供であっても無意識にそれまでのウルトラヒーローたちの必殺ワザとも比較をしてしまうのだ。
その意味では、歴代ウルトラ兄弟たちが持っていた強力なる威力を誇った光線ワザを持ってはいないために、レオは当時の子供たちの大勢には強いヒーローには見えなかったことであろう。個人的にも、物足りなさや爽快感の欠如をいだいていたこともまた事実だ。
――とはいえ、筆者なぞもまだ幼児の身ではあったので、その一点の弱点をもってして、作品の視聴をやめてしまうような極端な行動などはとらなかったものの。もちろん、小学校の中高学年ともなればまた別だったのではあろうが、筆者の周囲の幼児たちの間では『レオ』の視聴率はいまだ100%ではあったのだ(笑)――
けれども、年長のアクションマニア目線で、アクション演出やスーツアクターの演技だけを微視的に観てしまえば、レオは必ずしも弱いワケではない。そう、弱々そうには決して見えないのだ。
――その意味では、これもまた長じてマニア化した果ての、さらにスレてしまった顕微鏡的な視点を獲得して以降の感想なのだが、「帰ってきたウルトラマン」ことウルトラマンジャックなどは、やや女性的にして手弱女(たおやめ)的なシルエットや両腕を拡げずに両脇に密着させたような内向きな構えと、小股での小走りな走り方といい、多少弱くも見えるのだ……むろん、くれぐれも強調しておくけど、それはマニアの中でもスレたマニアの視点であって、子供の時分に「帰ってきたウルトラマン」のことを弱いと思ったことは一度もないので念のため――
ウルトラマンレオは結局のところ、強いのか!? 弱いのか!? シリーズ前半での一回戦での敗北をどう観る!?
しかし、『レオ』という作品の第1クール目は、肉体的なワザの特訓を積んだ果てにリベンジを果たすというフォーマットを持っている。そうであった以上は、敵怪獣や敵宇宙人との初戦においては、レオは常に敗北を喫してしまうのが運命なのだ。よって、たしかにその一度目の敗北という事実によって、弱くも見えてはいたこともまた事実なのだ。
とはいえ、東映の特撮変身ヒーローなども、30分ワクの前半Aパートにおいても敵怪人とのバトルを演じさせていた。しかして「敗北」というのではなく、単にそこでの決着は付けさせないウヤムヤなかたちでいったん終了させて、後半Bパートにて決着の再バトルを演じさせてもいたのだ。
そして、東映の特撮変身ヒーローものの「バトル」、および「特訓」の演出は、イイ意味で記号的・様式美的にして歌舞伎的でもあって、過度に重たくはならなかった。対するにウルトラシリーズの方は、本編演出にしろ特撮演出にしろ、東映特撮に比すればややリアリズムの方向にも寄っていた――とはいえ、もちろん一般のオトナ向けのTVドラマと比してしまえば、リアルでもナチュラルでもなかったものの――。
それゆえに、バトルにおける「敗北」や「特訓」描写が、実に重たくニガいものにも感じられてきてしまうのでもあった……。どころか、『レオ』に至っては、鬼気迫るほどの壮絶な演出にもなっていたほどだ。それはもう、あまたのTVアニメや実写ドラマの「スポ根」作品などと比しても、最上級の無二のものとしてなのだ(爆)。
次第に光線ワザを使いだしたウルトラマンレオ! 子供たちは脳内補完! 作り手たちは無作為!?
しかし、もちろんそういった描写に対する子供たちからの不満感や抵抗感は、後述するようにスタッフたちにも早々に届いていたようだ。あるいは、先回りしてスタッフ自身もまさにヒシヒシと感じていたのでもあろう。
早くも#8においては、レオは一定のポーズをとったあとで右手から赤色の「エネルギー光球」を放ってみせている!――トドメは「レオキック」ではあったものの―― #15・#16・#18などでは、ついにこの「エネルギー光球」をトドメ技としても使用する!――この際の一定のポーズもまた、『特撮秘宝 vol.3』(洋泉社・2016年3月13日発行)の「INTERVIEW スーツアクター・殺陣師 二家本辰己」(取材・秋田英夫)によれば、先の「剛柔流」の構えを参考に考案したものだそうだ――
両腕をゆっくりと開いて額の前で交差させたあとでパッと開いた先の額の緑色の小さな円形ランプからギザギザとした赤い光線を放つ「レオクロスビーム」も実に印象的であった――あらためて確認してみると、#28での使用のみであったが――。
先輩のウルトラマンエースも同名のワザを披露していたが、胸の円形ランプことカラータイマーから放ってみせる光線「タイマーショット」。ジャンプした先の空中で伸ばした両手の先から高速で発する白色光線「ウルトラショット(ジャンプシュート)」なども印象的であって、子供心にそれまでのウルトラ兄弟の光線ワザにも近づいたような安心感も持ったものだ。
――なお、初期東宝特撮や歴代ウルトラシリーズの「光線作画」で有名な1934(昭和9)年生まれの飯塚定雄は、各所での取材・研究によれば本作『レオ』には参加していなかったようでもある。しかし、氏が1972年に設立した「デン・フィルム・エフェクト」は、『レオ』のオープニング・テロップにもその名を連ねている。レオの直線的ではなくギザギザでしかも赤色を主体とした光線もまた、今となってはウルトラ兄弟とは母星が異なるレオ独自の個性にもなっているのだが――
とはいえ、レオが光線ワザを使用できるようになった必然性は、各話のストーリーにおいては準備・構築されてはいなかった(汗)。シナリオでは単にレオキックであったものが、特撮の現場の方で、あるいはプロデューサーからのオーダーで、光線ワザに代入しただけであったフシもあったのではなかろうか?
もちろん、第1クールの主軸であった「特訓」や「肉弾アクション」が鳴りをひそめて、「光線ワザ」を使用しだしたことに対しては、それはレオが次第に「特訓」を要さないほどにも強くなったからでもあろう……といった好意的な脳内解釈を幼児や児童たちの大勢はしていたとも思うのだ。
しかし、70年代当時の大のオトナでもあった円谷プロやTBSの作り手たちは、どうであったであろうか? おそらくは各話単位での純然たる人間ドラマ作りの部分については興味が行ってはいても、レオが次第に「光線ワザ」をも使用できるようにもなったことについての疑似SF的なリクツ付け……といったあたりについては、まったく関心がなかったのではなかろうか?(笑)
とはいえ、やはりそこが実にモッタイないところでもあったのだ。そういったところに対してこそ論理・ロジック・スジ道がほしいのだ。
「光線ワザ」を使えるようになるための、肉体ならぬ精神力・集中力・気力的な「特訓」をもほどこすようなエピソードが1本、あるいは数話をかけて構築してくれていたのであれば、「特訓」にもテクニカルなワザの習得としての泥クサさともまた別の、ポジティブにしてスマートな「肉体鍛錬」ならぬ「精神修養」的なニュアンスをも宿ったやもしれないのだ。あるいは、「手刀」や「蹴り」だけではなく、もっと「華(はな)がある奇想天外な大ワザ」なども見てみたかったものなのだ。
光線ワザを使わないレオを、学年誌の側が理論武装! 大ワザも披露! 光線ワザを使いだす伏線も用意!
そんな子供たちの「光線ワザ」を所望するような願望にも着目していたのが――あるいは歳若き編集部員たち自身の願望でもあったのか!?――、やはり小学館の学年誌でもあったのだ。『学年誌ウルトラ伝説』(秋山哲茂・小学館・17年7月3日発行)にも再録された『小学三年生』74年7月号(6月3日発売)の「レオ対ウルトラ兄弟」(監修・満田かずほ。協力・安井ひさし)の絵物語形式での特集では、必殺の「光線ワザ」こそ保持してはいなかったものの「実はレオは特訓によってウルトラ兄弟や兄弟最強ともうたわれたタロウよりも肉体的には強くなっていたのだ!」といった主旨の記事が掲載されてもいるのだ。
かたや、『小学二年生』74年9月号(8月1日発売)に掲載された内山まもる先生による『レオ』コミカライズにおいては、タロウの自爆必殺ワザ「ウルトラダイナマイト」ならぬ、宙空に「大の字」に浮かんだ自身をレンズのようにして太陽の熱線を収束・増幅して浴びせるのであろう「ウルトラレオナマイト」なる、コミカライズ独自の奇想天外にして造語(笑)の大ワザも披露されていた。そして、それが実にカッコよくもあったのだ――筆者はもちろんその学年ではなかったのだが、ご近所の子供間ではそういったケレン味もある豪快・爽快なる必殺ワザがマンガでは描かれていたことは流布してもいた――。
『二年生』ならぬ『小学三年生』の同じく74年9月号(8月3日発売)での内山まもる先生の『レオ』コミカライズにおいても、映像本編ではついに実現することがなかった前作ヒーロー・ウルトラマンタロウとの共演編にて、タロウとレオが宙空で並んで片腕を接し合って、タロウのストリウム光線ならぬダブル・ストリウム光線(!)を放ってみせていた! そして、レオは自身の左腕を見つめて「ぼくも、すごい光線がうてた」と驚いてみせていた。
――このコミカライズ・オリジナルのヒト型体形の強敵宇宙人ことウルトラキラー・ゴルゴと戦う一編は、第3次怪獣ブーム期に大部数の書籍として発行された『コロコロコミック特別増刊2号 ウルトラマンPART2』(小学館・78年9月24日発行。実売8月24日)にも再録を果たしている。同名の第3期ウルトラシリーズのTVアニメ版『ザ☆ウルトラマン』(79年)とは別モノではあった『ザ・ウルトラマン』名義での「てんとう虫コミックス」レーベルの単行本第3巻(小学館・79年1月25日発行)にも収録されて、各社で再販もされつづけたことによって、後続世代の「ウルトラマン」シリーズマニアたちにも広く知られている。
余談だが、タロウの変身前の東光太郎(ひがし・こうたろう)を演じた篠田三郎と、レオの変身前のおおとりゲンを演じた真夏竜は、『レオ』放映終了の直後にスタートした刑事ドラマ『TOKYO DETECTIVE 二人の事件簿』(75年)にて双方ともにレギュラーで共演。はるか後年、著名人ふたりが乗用車で小旅行をするBS朝日で放映されていた『SUZUKI presents 極上空間 小さなクルマ、大きな未来。』(11~21年)でも、2013年8月10日(土)放映回にて夢の共演を果たしてウルトラシリーズファンたちを喜ばせてもいた――
つまり、「光線ワザ」を使用できるようになるにあたっても、このような「伏線」なり「接ぎ木」といったファクターは、子供向け番組だからこそ、いやオトナ向け番組ではあっても(笑)、存在していた方がよかったではあろう。
長じてからわかる、光線ワザを使わないレオによる「タメがあまりない、瞬時の小技」のカタルシス! けれども!
それはさておき、前言とは矛盾してしまうのだけれども、「光線ワザ」を使わないという、シリーズの定型を大きく崩してみせたことでの、「タメがあまりない瞬時の小ワザ」で敵を倒してみせるような「抑えた地味シブの良さ」。それはたしかに幼児や児童の時分にこそ惹かれはしなかったものだ(汗)。しかし、中高生なり20歳前後なりにもなってくると、それがまたパターン破りにしてカッコよくも思えてくるものでもあったのだ(笑)。
刀状になっているツルク星人の両腕を切断して、それを逆に相手に刺して倒してしまったり……。怪獣カネドラスをチョップ技「ハンドスライサー」で左右に一刀両断にしてしまったり……。自身が空中で円盤状に高速回転しながら怪獣ケンドロスに体当たりしてみせる「ボディーブーメラン」などなど……。
――この「ボディーブーメラン」に至っては、映像演出的には敵怪獣の盛大なる断末魔の爆散映像などによって視聴者にも爽快感を味あわせるべきところで、怪獣攻撃隊の司令室内での小さなモニター内での明度や彩度も落とした映像へと置き換わって、それを観て安堵もしているモロボシ・ダン隊長の微笑が描写されているところといい、アクション&人間ドラマの双方をも同時に両立もしてみせたようなパターン破りの演出の妙!
……ただし、こういった演出は、やはり相応のリテラシー(読解能力)は要してしまうものなのだ。筆者自身の子供時代やご近所の子供たちに同級生たちの反応を振り返ってみるにつけても、幼児や児童たちにとってはその良さが理解はしにくい演出ではあっただろう(汗)――
こういった「タメがない瞬時の小ワザ」な「地味シブ」の良さといったアクション演出は、後年の日本特撮にも存在はしている。東映特撮ヒーロー『超人機メタルダー』(87年)がそれだ。すでにマニア誌もマニア論壇なども成立していた当時の特撮マニア諸氏からは、各マニア誌の読者投稿欄なども含めて熱狂的なる支持を受けた同作。筆者も子供時代に熱狂した70年代東映特撮は別格としても、マニア化してからの80年代以降の東映特撮作品では、初めて心の底からスゴい! ドラマ的にも優れている! と思えたことで、熱にも浮かされたものであった。
しかし、すでに『レオ』での経験を意識化・言説化・理論化もできていたので、その序盤を除いては黒バックでの仰々しくも美麗な必殺ワザのバンクフィルムを廃してしまった、実にアッサリとした「地味シブ」な必殺手刀・レーザーアームでのパターン破りを連発するトドメ技を披露してみせるメタルダーのことをたしかに「カッコいい!」とは思ったものの……。この良さが子供たちにも理解ができるとはとても思えない! ……といった意味では、これはヤリすぎでもあって、子供番組としてはいかがなものなのか!? といった、作品それ自体を相対視もするような考えも浮かんでいたこともまた事実なのではあった。
――これは筆者個人がそうであった……といったことであって、1987年当時の特撮マニア諸氏にとっては、まだまだリアル&シリアス至上主義の全盛期でもあったために、そういった冷や水を浴びせてみせるような『メタルダー』評は、往時は皆無であったことは強調してはおきたいものの――
案の定、『メタルダー』の視聴率は急落していき、月曜夜7時ワクというゴールデンタイムからは都落ちして、日曜朝ワクへの時間帯変更の果てに、通常は全4クールこと1年間でもあった放映期間をまっとうができずに、全3クールにて打ち切りになってしまったのでもあった――後年とは異なり、当時の日曜朝はゴールデンタイムとは云いがたい「ヘキ地」のイメージでもあった――。それはもう、後年の『ウルトラマンネクサス』(04年)どころではなかったのであった。
――とはいえ、子供向け番組としてはともかく、『メタルダー』も『ネクサス』も、そして本作『レオ』もまた、年長マニア目線では多少のイビツさはあってもドラマ面・テーマ面・演出面では優れてはいた。しかして、子供向けヒーロー作品としての最も重要な要素でもある、こと「ヒーロー性」の描写においては、大きな問題点があったことは指摘をしておかなければならないのだ――
その意味において、『レオ』という作品を語るにあたっては、常に「二律背反」の「ジレンマ」があったりもするのだ。そして、この問題は「ヒーロー性」の件だけにはとどまらない。ドラマ面・テーマ面・演出面においても、長じてからの再鑑賞にて「再発見」的に実に優れていたことには気付けても、それと同時にたいていの物事は一長一短でもあるので、それがまた同時に、本作『レオ』の欠点でもあったことにも気付けてしまうからなのだ。
『レオ』#1~2の前後編における特撮監督・高野宏一による、凄絶なる「東京海没」の「津波特撮」!
それはさておき、『レオ』#1~2の前後編における特撮監督を務めたのは、1935(昭和10)年生まれの高野宏一(たかの・こういち)。特撮カメラマン上がりで、初代『ウルトラマン』の時代に特撮監督に昇任して、同作のほとんどを話数を務めた果てに、その30年後の『ウルトラマンティガ』の序盤に至るまでの、あまたのウルトラシリーズや円谷特撮の特撮監督としても活躍してきた御仁でもある。
『レオ』の特撮では、シリーズ序盤ではともかく、ビルや家屋のミニチュアの数が少ない。これによって90年代以降ではなく70年代の当時においても、ミニチュアは東宝なり美術会社からのレンタルでもあったのであろう……といった推測がマニア目線ではできる。しかし、さすがに#1においては、ミニチュアが多数用意はされていた。破壊はされてしまうものの、長大なる高層ビルのミニチュアまでもが用意されていた。
良くも悪くも『レオ』の作品カラーを象徴してしまうようにもなった「曇天」「暗雲」下での、膨大なる「水」を使用した大特撮を見せてくれていた。やや大アジではあったものの、大津波の直撃を受けた高層ビルがその中層階にて破壊されてしまう……といった大特撮ではあって、実に終末感にあふれた特撮演出でもあった。
――もちろん、どこまで行ってもミニチュア特撮ではある。「水飛沫」などについてはその正確なる縮尺を再現できない以上は限界もまたあって、子供であってもそれを現実世界での出来事なのだと思っていたワケではなかったけれども、ウソ・虚構であるとはわかってはいても、ついついヒキつけられてしまうものなのだ。なお、この『レオ』#1~2の水特撮のシーンは、後年の『ウルトラマン80(エイティ)』(80年)の後期オープニング主題歌映像にもその一部が流用されている――
『日本沈没』『ノストラダムスの大予言』『ポセイドン・アドベンチャー』「第1次石油ショック」 ~1973年の終末観あふれる空気!
#1のサブタイトルにうたわれた「東京沈没」、#2のサブタイトルにもうたわれた「日本列島最後の日」を再現したこの大特撮については、もちろん『レオ』の放映前年に刊行されたSF小説『日本沈没』(小松左京・光文社・73年3月20日発行)の大ヒットと、早くも同年73年12月29日(土)に公開されたばかりの特撮映画版『日本沈没』(東宝)の大ヒットにもあやかったものであろう。
奇しくも、「1999年7の月」における人類滅亡の可能性を説いた『ノストラダムスの大予言』(五島勉・祥伝社・73年11月25日発行)も、73年末にはミリオンセラーとなっていた。そして、やはり翌74年8月3日(土)には早くも東宝にて特撮映画化がなされて公開されてもいた。
『レオ』放映前年の1973年にはマンガ家・つのだじろうが、心霊・UFO・4次元・超能力や後年でいうUMA(ユーマ=ネッシーやツチノコなどの未確認生物)などを題材とした『恐怖新聞』を「週刊少年チャンピオン」(69年~)に、心霊のみを題材とした『うしろの百太郎』を「週刊少年マガジン」(59年~)にも、連載をスタートさせてスマッシュヒットを飛ばしてもいた。
世界同時多発的にもこうした傾向はあったようだ。アメリカでも73年末にはホラー映画『エクソシスト』がヒットを飛ばして、翌74年夏には日本でも公開されて、同作はシリーズ化もされていく。
アメリカのパニック災害映画『ポセイドン・アドベンチャー』(72年)もこの73年には日本で公開されてヒットを飛ばしており、『大地震』や『タワーリング・インフェルノ』(共に74年)に至っては、同年や翌75年に日本でも大ヒットを飛ばすことになる。
それに何といっても、1973年10月初旬にはイスラエルと中東諸国との間で第4次中東戦争が勃発して、世界的にも第1次石油ショックが発生していたのだ――これによって、1955(昭和30)年以来の日本の戦後の「高度経済成長期」も終焉を迎えたのであった――。
1973年12月中旬放映回の『ウルトラマンタロウ』#37「怪獣よ 故郷へ帰れ!」(脚本・石堂淑朗)においては、
「この地球でもいろいろと争いが絶えないけれど、宇宙でも同じなんだなぁ」
とったセリフがある。断言はできないものの、「戦争」一般の話でなければ、時期的には同話の脚本家・石堂淑朗(いしどう・としろう)の脳裏においては、今まさに発生した第4次中東戦争のことを指していた可能性も高いであろう――もちろん、撮影現場で本編監督が追加した可能性もある――。
いつの時代にも「今の時代(の政治や国際情勢)は最悪だ! ドン底の時代だ!(自分はその被害者でもある!) 世の終わりは今まさに近づいておるぞ~~」といった発言が、戦後においても紀元前のむかしにおいても常に唱えらえれてもきたものなのだが(笑)、この1973~74年の物価高騰・雑誌などのページ数減・TVの深夜放送やネオンの休止などと比すれば、今の時代なぞは今のところはさしたるものでもないのだ(汗)。
しかし、「UFO」はまだしも「SF」的ではあったのやもしれない。けれども、公害問題や交通事故の多発などから来る「科学万能」への懐疑といった面もあった、「肉体」回帰的な「スポ根」を経由して、さらには「オカルト」「心霊」「超能力」「パニック」といったものへと、73~74年当時の人々や子供たちの興味関心はたしかに移ろいではいったのだ。
……などとエラそうに語ってきたが、小学生であればともかくまだ幼児の身であった筆者は、第1次石油ショックの件も含めて、こういった往時の社会的な事象や流行なぞは知らなかった身ではあったものの。
とはいえ、往時はTVの『木曜スペシャル』(日本テレビ・73~94年)や、『ビックリッ子大集合!』(東京12チャンネル(現テレビ東京)・75~78年)などといった各話で1テーマの特集番組では、UFO・心霊写真・ノストラダムス・超能力(スプーン曲げ)ネタが隆盛を極めてもいた。そのかぎりでは、石油ショックについてはともかく、こういった風潮の直撃を受けていた世代でもあったのだ。
1974年に「ウルトラマン」作品を製作すれば、誰が作ろうとも『レオ』のような作品になったやも!?
その意味では、当時の20~30代のいいオトナでもあった各スタッフたちが、各人の作家性ごときを超えたところで、時代の空気の影響を大いに受ければ、『レオ』という作品が産まれてしまった必然性もまたよくわかるのだ。
だから、70年代末期の本邦初の特撮マニア向け書籍の『ファンコレ』などでは、第1期ウルトラシリーズを支えたメイン脚本家・金城哲夫(きんじょう・てつお)が在籍していれば、ウルトラシリーズはこのようにSF性を捨て去ったかたちでの変容をすることなぞはなかったであろうに……といった主張を展開していたものだが、それはどうであろうか?
あるいは、第2期ウルトラのトップバッター『帰ってきたウルトラマン』のメイン脚本家・上原正三(うえはら・しょうぞう)や、その次作『ウルトラマンエース』のメイン脚本家・市川森一(いちかわ・しんいち)が、ウルトラシリーズに残留していたとしても、結局は前作との差別化や「時代の空気」も必然的に吸ってしまうことによって、今ある『タロウ』や『レオ』とは完全イコールではなくても似たような作風の作品を上梓していた可能性も高いようにも私見はするのだ。
そういったことを強調したうえで云うのだけれども、そのうえでもやっぱり、『レオ』の「人間ドラマ性」や「演出」は実に優れてはいたとしても、いささか重たすぎたこともまた否めないのだ(汗)。そして当の子供たちも、もう少しだけ明朗なヒーロー・アクションを求めてもいたであろう。
あるいは、初代『ウルトラマン』や『セブン』などの第1期ウルトラ作品で育ってきて、すでに中高生や大学生の年齢にも達していた原・オタク青年たちにとっては、クールで乾いてはいたものの、干からびきっていたワケでもなくって、「夢」や「ロマン」に「疑似SF性」といった芳香をも感じさせてくれていた初期「ウルトラ」作品と比しての「欠如感」、それどころかあまりにも大きな「変容」してしまった要素については、大いに不満を募らせてしまったことについても相応の理はあったのだし、その意味ではその気持ちもわかりはするのだ。
そのあたりについては、項を改めて後述していこう。
『レオ』#1~2の前後編における本編監督・真船禎! 鬼才による鬼気迫るハイテンション演出・映像美・緩急!
『レオ』#1~2の「特撮」ならぬ「本編」部分のカントクを務めたのは、1933(昭和8)年生まれの真船禎(まふね・ただし)だ。民放TV局・TBSに開局年度の1955(昭和30)年に入社。1965(昭和40)年にはもう退社しており、東京12チャンネルとフリーディレクター契約を結ぶかたちで独立。
往時の売れっ子のTVドラマ監督でもあったようで、『レオ』#1~2を担当した1974(昭和49)年4月のTVドラマの新番組の#1~2では、戦後直後の1949(昭和24)年の同名ヒット歌曲が有名な長編小説を連続TVドラマ化した坂口良子主演のフジテレビ系『青い山脈』と、曾野綾子のエッセイ集をTVドラマ化した島田陽子主演のNET(現・テレビ朝日)系『誰のために愛するか』の計3本を掛け持ちしていたことが、新聞のテレビ欄での記者コラムでも話題になっていたほどだ――『青い山脈』では全27話の全話を演出!――。
ウルトラシリーズについては、TBSでの演出家時代の先輩でもあった円谷プロの2代目社長・円谷一(つぶらや・はじめ)の誘いで、『帰ったきたウルトラマン』#30~31に参画。『ウルトラマンエース』でも#5~6・#17~18・#23~24を、『ウルトラマンタロウ』でもウルトラ6兄弟が勢ぞろいした前後編の#33~34を担当している。乗ってきたのか、『エース』#23では自身で脚本も執筆。#24も自身のアイデアを弟子格で『エース』#11~12を監督もした平野一夫に執筆させたものであった。
これら70年代前半の第2期ウルトラシリーズは、90年代末期までは商業誌レベルやそれらの読者投稿欄などでは再評価されることがなかった。しかし、80年代中盤~末期にかけては、特撮評論同人界の各誌において、いわばオタク第1.5世代(1965年前後産まれ)の御仁たちによっての再評価運動の動きがすでに活発化もしている。こういった同人誌は、当時は特撮マニア誌『宇宙船』(朝日ソノラマ・80年~)などの読者投稿欄の同人誌紹介コーナーで周知を行なっていた。筆者なぞはそういった先達の同人誌に大いに影響を受けた世代の人間でもある。
そして、第1期ウルトラシリーズのいわゆる異色作・アンチテーゼ編を担当してきた実相寺昭雄(じっそうじ・あきお)カントクにも劣らない、真船演出の独特のアングルや映像美! 時に魚眼レンズ! 細かなカット割り! 時にカットを割らずに役者の芝居を重視した、手持ちカメラによる長まわしの演出! そして、実相寺演出が登場人物をオブジェ・客体として撮影して、その演技にはあまり関心がなさそうにも見えるのとは対照的に、実に熱血にして迫真的なディレクション(演技付け)。こういった部分については、先端的なマニア間ではすでに着目がなされてもいたのだ。
余談だが、1990年代前半に今は亡きリム出版から刊行される予定であった歴代ウルトラシリーズのコミカライズ「COMIC’S★ウルトラ大全集」の一編には、『ウルトラマンA(エース)』(脚本・新道義親。作画・松久壽仁)もあった。リム出版の倒産によって一度は未刊で終わったものの、1999年9月28日刊行の双葉社「アクションコミックス」レーベルにてようやくに陽の目を見ることができた。その内容は、宿敵の異次元人ヤプールが一時退場する大傑作の『エース』#23~24に大いに影響を受けたものでもあったのだ。
そのヤプールが映像本編のウルトラシリーズ正史においても復活を果たした、後年の『ウルトラマンメビウス』(06年)#24についても、同様の真船演出へのオマージュ・リスペクトが満載であったことは云わずもがなだ。
『レオ』の#1~2もまた、役者陣に早口でしゃべらせることでの凄まじいまでの情報量! #1の30分ワクの前半Aパートだけでも実にお腹いっぱいな気分にもなるのだ。
#2でも、寄宿先ともなるスポーツクラブを舞台に「きりもみキック」の習得をモロボシ・ダン隊長に命じられたレオことおおとりゲン青年が、怪獣災害にて重傷を負って入院中でもあったヒロインのことを案じてしまって、矢も楯もたまらなくなってクラブの長い廊下を走り出すも、それを真正面からのローアングルにて追いかけてもきたカメラの横から、急にニョキッッ! とフレーム・インを果たしてもきたダン隊長の杖(!)によって制止されてしまう! といったショッキング演出の妙!
とはいえ、この#1においては、80年代前半以降でいうところのミュージックビデオ(プロモーションビデオ)風な、主演俳優・真夏が歌唱する名挿入歌『星空のバラード』に乗せての、ギターを爪弾きだしたゲンとレギュラー子役・カオルによる「しりとり」を繰り広げるセリフがカブされてもいく、暖かい陽光に照らされた河原で駆けめぐるふたりの微笑ましい安息の時を描いた、ハートウォーミングなシークエンスなども描かれてはいて、緩急もあったのだ……。
実によいシーンなのだが……。ナンと! 先の『「レオ」の出発』によれば、このシーンはシナリオにはなかったのであった(爆)。真船が撮影現場で付け加えたものであったのだ。
――とはいえ、ここもまたムズカしいところではあるのだ。中学生以上にでもなれば、これらの感傷的かつハートウォーミングなシーンはスナオにイイと思えるだけの度量が備わってもくる。しかし、小学生などの男児一般にとっては、自身の繊細さ・弱さを認めてしまうことにもなるような、オトコとしての沽券にも関わるような気恥ずかしさをも抱えてしまうのではなかろうか? もちろん、だからといって、こういったシーンは完全にオミットしてしまえばイイのだ! なぞといった極論などは云わないもの――
そして、上述の件とは異なるものの、ウルトラセブンの右脚を折られるシークエンスもまた、当初は単に脚を悪くする……といったフワッとした描写であったものが、真船が脚本家・田口のアパートに直接に訪ねてきて要望してきて実現されたものでもあったのだ! さらに加えて田口は、完成作品にて右脚が折られる際の「SE(サウンド・エフェクト。効果音)が物凄くて驚」いたのだともいう……。映像作品とはたとえ企画書や脚本などの設計図があったとしても、ひとりの手によるものではなく、複数人の手によっても構築されることで、誇張・極端化もされたりダブルミーニングや多重的な意味合いをも持たされたりしていくものでもあることがよくわかる事例でもあるだろう。
かくして、伊豆大島にてロケ撮影された「きりもみキック」の特訓を経て、レオに変身したゲンは双子怪獣ブラックギラス&レッドギラスの双方を一挙に倒してみせていた!
……しかし、ここでもまたダメ押しとしてのヒネりが……。それでもヒロインは危篤状態のままであって、回復することがないというイジワルな展開でもあったのだ!(爆) 慟哭するゲン!
もちろん、レギュラーキャラたるメインヒロインがここで死するワケにもいかない。その後にようやくに奇跡が生じてヒロインも、沈没していた伊豆諸島の黒潮島(くろしおじま)も復活浮上してくるのであった……。
そこで、ようやくダン隊長はゲンにねぎらいの言葉をかける。BGM演出も含めての一応のハッピーエンドなのだ。
『ウルトラマンレオ』にもその可能性があった、シリーズを貫通するタテ糸と連続大河ドラマ性!
しかし、以下のナレーションも流れる。
「悪辣なマグマ星人は、いつどこから、また地球をねらってくるかもしれない。レオとマグマ星人との戦いは、いま始まったばかりである……」
その後の、レオの故郷・L77星を滅ぼした因縁のマグマ星人との長きにわたる大河ドラマチックな勇ましいストーリーをも予期させてくるナレーション! 実にシビれるのであった! そして、実によくできた開幕劇であったとも思えたのであった……。
長じてから再鑑賞すると、感服する『レオ』! しかし、かつては酷評の嵐! いつ「再発見」されたのか!?
……とはいえ、以上のことどもは、世代人たちが幼児期や児童であった時分での、『レオ』の#1~2に対する感慨であったとは云いがたい。実は長じてからの感慨でもある。
20世紀のむかしには多大なる酷評にも甘んじてきた、昭和の第2期ウルトラシリーズの作品群とも同様に、いや本作『ウルトラマンレオ』こそは、かつては最大なる酷評に甘んじてきた作品でもあったからだ。
そして、本放映当時の子供たちからの心の底からの大カンゲイを受けてもいなかった。まだまだ極少の存在でもあった年長マニアたち――といっても、今にして思えば、まだまだ20歳前後の若造たち(汗)――からも、一応の「怪獣もの」や「SFもの」としての体裁を持っていた初期ウルトラシリーズとは、あまりにもな変貌(堕落)をとげたものだとして、落胆&失望の目を向けられてもいたのだ。
そして、本邦初の青少年特撮マニア向けの書籍で、第2期ウルトラシリーズ作品を中心に扱っていた『ファンタスティックコレクション№10 空想特撮映像のすばらしき世界 ウルトラマン PART2』における否定的な記述によって、その作品的な評価は本格的に地に落とされてしまったのだ。
そこにおける論評が流布したことによって、もちろん第1期ウルトラシリーズとは異なる特徴についても、明瞭には言語化はできずとも、児童ながらにウスウスとは気付いてはいつつも、幼少期にはフツーに無邪気に楽しんでいたハズの第2期ウルトラシリーズに対して、筆者のような第2期ウルトラシリーズを原体験に持った世代の全員とはいわずとも大勢が、クチマネをして悪罵のかぎりを投げつけてしまったのであった。
その意味では我々の世代は無罪ではない。我々の世代は上の世代からの悪影響を受けてしまった哀れな被害者なのだ! なぞと云い募る気もまた毛頭ない。主犯ではなくても従犯ではあったのだから無罪ではある、などといったリクツも成り立たないのだ。我々の世代はこの手を血で汚してもいる、永遠に消せない原罪を抱えた身でもあったのだ。その意味でも常に高ぶらずに身を慎まねばならない。
他の第2期ウルトラシリーズ作品とも同様に、00年代中盤以降になるや、『ウルトラマンレオ』は見事に再評価を達成して、その評価も今では定着してさえいる。その意味では過度にキバって、あらためての再評価をする気などもまたない。そして、今さらながらに勝ち馬に乗るような気もまた毛頭ない。その意味では、本稿もまさに蛇足ではあるのだ(汗)。
しかしあらためて、『レオ』という作品の特徴や本質に、そして欠点などをも言語化して交通整理をしてみせたり、70年代後半・80年代・90年代・00年代・10年代などの各時代ごとに応じた、『レオ』という作品をめぐっての出版物やら同人誌に、その言説や再評価のための理論武装の数々と、その成長や変遷なども追うことによって、そういった複数の角度からも総合的に照射されてくることで逆説的にウキボリにもなってくる、『レオ』という作品の本質や実相をも捉まえていきたいのだ。
今でこそ、特撮マニアの年齢も高齢化して、相対的な下の世代までもが中年化(笑)したことともあいまって、『レオ』という作品の独自な個性や、その少々イビツではあってもトガった作劇術やドラマ性などについても、特撮マニアの大勢が理解もできるようにもなったことで、「カルト的な人気」を誇ってすらいる。リアルタイムではないはるかに下の世代の特撮マニアやウルトラシリーズファンの間でも高い「キャラクター人気」や「作品人気」を誇っていたりもする。
まったくにそのとおりの「我が意を得たり」な状況でもある。不肖の筆者なぞも及ばずながら、「少々のイビツさはあっても、『レオ』といった作品の特異性や秀逸性」についての主張をしてきた身でもあったからだ。
しかして、それが果たされてしまった今、その逆に小声では指摘しておきたいところもある。本作『レオ』は、昭和の時代における1970年前半に、4年連続のゴールデンタイム枠でのTVシリーズの週1放映を達成してきた、いわゆる第2期ウルトラシリーズの最終作にもなってしまったことなのだ。
つまりは、『レオ』という作品だけに原因があったワケではなかったにせよ、その視聴率は低落していき、一度はウルトラシリーズや、つまりは70年代前半における「(第2次)怪獣ブーム」や「変身ブーム」そのものを、終了の憂き目に追い込んでしまった、実に不名誉なる作品でもあったのだ……。
それはいったいなぜなのか? といったことについても、再評価にあたっては不都合でもあるのだから……などと云って隠蔽に走ったりはせずに、包み隠さずフェア(公平)に語っていきたいとも思うのだ。
『ウルトラマンレオ』の再放送の歴史! 視聴者やマニア諸氏の発達年齢に応じた、受ける感慨の違い!
ところで、1970年代~80年代前半までの平日早朝や夕方の帯(おび)番組ワクは、90年代末期以降の長時間ニュースのワケではまだなく、基本的には子供向け特撮やアニメなどの再放送ワクでもあった。そして、『ウルトラマンレオ』は往時のシリーズ休止中の最新作でもあったことからか、関東地方(東京キー局)では再放送が実に多かった作品でもあった。
●1977年4月8日(金)~6月17日(金)の平日朝10時ワク。
●1978年7月28日(金)~の平日朝6時25分ワク。
●1979年11月16日(金)~の平日朝6時20分ワク。
●1980年8月29日(金)~の平日朝6時20分ワク。
●1981年11月19日(木)~82年2月3日(火)の平日夕方17時30分ワク。
5年連続で年に1回は再放映がなされていたほどなのだ。リアルタイム世代の大勢が、まだまだ小学生・中学生・高校生の時分のことでもあった。
――平日朝の10時ワクについては、家庭用ビデオがまだまだ普及していなかった時代ゆえに、幼稚園にすら入園する前の幼児にとってはともかく、登園・登校中の時間帯での再放送でもあったので、観たくて観たくてたまらなかったものの鑑賞ができなかったものだ。その逆に、早朝ワクの再放送については、往時の子供たちの大勢は早起きしてまで視聴をしていたほどだ(笑)――
ずっと飛んで、
●1987年12月14日(月)~88年1月15日(金)と、中断をはさんでの88年4月4日(月)~の平日早朝5時30分ワク。
●1991年11月6日(水)~92年2月13日(木)のNHKのBS2でも未明2時台のワク。
上記のワワでも再放送がなされている。
――1990年のゴールデンウイークの5月3日(木)にも、NHKのBS2での深夜ワクでの放映に先立って、「親と子のウルトラマン大会」と銘打って、『レオ』の#7・21・22・36の4本が放映されていた――
特撮マニアやウルトラシリーズのマニアの全員とはいわずとも、一部の先鋭的なマニア諸氏が、先にも述べた『レオ』#1~2の完成度の高さや凄まじさ、ラストシーンにおける大河ドラマ的なストーリー展開を告知するナレーションなどにあらためてシビれたのは、これらの再放送のことであったかとも思われる。
この時期にはすでにリアルタイム世代のなかでも卒業(笑)はできなかった特撮マニア諸氏もまた、大学生や社会人年齢にまでも達していたからだ。
家庭用ビデオデッキの普及率もほぼ100%に達していたので、当時のマニア諸氏も早起きはせずにタイマー録画による鑑賞ではあっただろう。……しかし、87~88年当時の新聞のTV欄の読者投稿欄には「いつの時代も子供は変わらないのであろうが、男児の兄弟ふたりが早起きをしてまでウルトラシリーズの再放送を観たがっていて困る。フツーの時間帯に再放送してもらうことは今ではそんなにムズカしいのであろうか?」といった主旨の主婦の投稿が掲載されていたことを記憶もしている(笑)。
しかし、幼児の身にもパターン化されているとも思えた、『レオ』第1クール~第2クール前半にかけてのいわゆる「特訓編」における、
●実にハイテンションにして鬼気せまるノリに、少々イビツではあってもそのドラマ性やテーマ性の意外な高さ……。
●子供向け番組らしからぬ、人間関係の問題が「和解」では決着せずに「不和」のままで終わったり……。怪獣攻撃隊の隊員たちには死傷者が続出したりするような描写……。
●実は単なる「馴れ合い」やもしれない「友情」「協力」「協働」のことを相対視もしてしまって、敵を撃滅して平和を達成するという目的のためには「個人主義」どころか「不和」や「孤立」することさえをも賞揚しかねないような作劇術やセリフの数々……。
そんな真の意味での「リアル」な要素が仕込まれていたことを「再発見」して、そこに甚大なる驚きをもおぼえて、カルト的に「そんな『レオ』が好き」になってトリコにすらなっていく御仁が、関東圏ではこの時期に続出したのであろう……。
1980年代後半~1990年前後! 特撮評論同人界での第2期ウルトラ再評価が勃興! 『レオ』が初ソフト化!
先にもふれたが、特撮評論同人界においては『レオ』をはじめとする第2期ウルトラシリーズの再評価がすでに先行して活発化しつつあった時期ではあった。1989年8月には――筆者個人はまだ関わっていなかったものの――弊誌『假面特攻隊6号』でも「第2期ウルトラシリーズ」特集が、1990年8月には特撮同人誌『夢倶楽部 VOL.3』にても『レオ』特集号が発行されている。
――この流れとは別になるものの、筆者個人も通販こそしなかったものの、批評系の同人誌ではなく二次創作小説といったかたちで、80年代の中盤にはもう女性ファンの手による『レオ』の小説同人誌が、『宇宙船』誌(号数失念)の同人誌紹介コーナーに掲載されていたこともまた記録には残しておきたい――
ちなみに、初のVHSでのビデオテープ媒体での映像ソフト化は、1989(平成元)年に日本コロムビアからなされた。しかし、往時すでにビデオテープ1巻に3~4話分を収録することが当たり前になっていた時代に、初期16話分については80年代初頭のビデオソフトのように1話分だけを収録するというアナクロ(時代錯誤)な形式をとったがために、マニア間での評判は実に悪くて、このVHSソフトを実際に購入したりレンタルビデオ店にてレンタルをした御仁は極少であったとは思われる。
第17話以降は3話分での収録にあらためて、各巻の巻末には5分ほどの映像特典「ウルトラマンレオの獅子奮迅!」も収録されていく――この特典映像の演出は、後年の『ウルトラマンティガ』の監督で名を馳せることにもなる1961(昭和36)年生まれの川崎郷太(かわさき・きょうた)であった――。
1992年以降、歴代ウルトラシリーズは各巻に4話収録のかたちでその全話がVHSビデオ形式にてバンダイビジュアルから再ビデオ化もなされていった。しかし、おそらくは日本コロムビアとの契約期間が切れていなかったのであろう。『レオ』のみがバンダイビジュアルから再ビデオ化がなされることはなく、2006年のDVDソフト化の時代を迎えたのであった。
(いったん、執筆中断(汗)。以降のネタを箇条書きにて……)
●#1が4月の第1週ならぬ第2週スタートになったのは、『「レオ」の出発』によれば、後年の特撮ライターにして当時は円谷プロの社員でもあった、1955(昭和30)年生まれの竹内博の筆によると思われる、前作『タロウ』の視聴率表上での記載――「1週ズラすことは作戦だ」という旨の記載――を根拠に、製作の遅延ではなくウラ番組の子供向け新番組との激突を避けるための処置であったと考察している。
●その子供向け番組とは、タツノコプロ製作のTVアニメ『昆虫物語 新みなしごハッチ』だ。2年間ものロングランを達成して、母親探しの連続ストーリーかつゲストキャラたちが幾度もの再登場を重ねて、その最終展開では総登場を果たしたり、ゲスト悪役もまた最終展開では改心をなすような大河ドラマ性を持っていた大人気作『昆虫物語 みなしごハッチ』(70年)の続編でもあった。しかし、『レオ』のウラ番組でもあったことが悪かったのであろうか、低視聴率によって半年で打ち切りになっていた。
●#1の放映日の1時間前のTBS平日夕方18時のウルトラシリーズ再放送ワクでは、なんと! ダン隊長の若き日を描いた『ウルトラセブン』の関東地方では早くも6回目となった再放送の最終回の放映日でもあった!――幼児ながらにナンという奇遇! と感慨にふけったものだ。当時の大のオトナの編成局の人間たちが、このためにワザワザ話数調整までして、途中の話数を省いて放映してしまった……といったことはないと思う(笑)。この『セブン』の再放送は74年2月6日(水)スタートなので、全49話ならぬ48話がきちんと放送されており、その最終回がちょうど『レオ』の#1の放映日でもあったのだ!――
●全話の主題歌オープニング映像のラストにも引用されていた、夕陽をバックにバストアップで向かい合ったモロボシ・ダン隊長とおおとりゲンの逆光シルエット! この超絶なる名カットは、かの1960(昭和35)年生まれの庵野秀明(あんの・ひであき)カントクの出世作であった名作ビデオ販売アニメ『トップをねらえ!』(88年)においても、女子高生主人公と太田コーチの図に置き換えるかたちで引用・再現されている。
もちろん、ここでの太田コーチは、名作女子テニス漫画『エースをねらえ!』(73年。同年にTVアニメ化。79年にリメイクアニメ化)における、厳格なる宗形(むなかた)コーチ青年からの引用なのであった。しかし、それと同時に『レオ』におけるモロボシ・ダン隊長のイメージも重ねられていた。右脚を悪くしている太田コーチがその右手に持っている杖は、モロボシ・ダン隊長が右手に持っていた杖の形状とも完全合致(!)になっていたことは、世代人にはご承知のとおりだ(笑)。
このシーンに流れる「あそこに沈む夕日が私なら、 明日の朝日はウルトラマンレオ…… お前だ!」なるモロボシ・ダン隊長の名セリフ! ヤボで恐縮かつ、あやふやな記憶で申し訳ないのだが、東映で製作された幕末の新選組ものであったTV時代劇『新選組血風録』(65年)であったか、『燃えよ剣』(70年)であったか、鶴田浩二主演版の『新選組』(73年)であったかのいずれかで、劇中人物が「沈む夕日が私なら、登る朝日は君だ」なるセリフを発していたことを、はるか後年に「発見」してしまったことを記憶している。筆者の記憶違いでなければ、『レオ』のこの名セリフはここからの引用でもあっただろう。
●怪獣攻撃隊の隊員たちのボツ個性化。それは主題歌オープニング映像のテロップでの民間人レギュラーを先に、隊員たちを後にした「順番」においても推測がつくのだけれども、企画書の時点からのねらいでもあった! よって、その意味では、そこについての批判は、スタッフたちにとっては想定内の批判にもなってしまうのだ。
しかし、それはそうだとしても、ここまで隊員たちをボツ個性化させる必要はあったのか!? 子供たちのあこがれの的でもあるべき最低限の怪獣攻撃隊の隊員やメカ戦闘機としての頼れる描写が、まさに子供向け番組だからこそ必要だったのではなかろうか!?
●トオル少年について。なんと本作のテーマ性やドラマ性をもまさに一身に背負っているかのようにも思えていたトオル少年は、企画書にも#1~2のシナリオにも存在していない。#3のシナリオにて急遽、付け加えられたキャラでもあった!
●第1クールの特訓編の各話ごとのカンタンな所感。各話の脚本家・カントク・特撮監督の来歴なども交えて。
●長じてからわかる、隊員たちとの不和描写のニガ味としての良さ。もちろん、それは子供番組としては諸刃の剣、どころか弱点でもある。隊員間での「不和」描写は、『帰ってきたウルトラマン』が始祖ではあるのだが、実は上原正三は他社作品では重たい「不和」描写は描いてはいなかった。むしろ、「不和」描写を継承したのは、良くも悪くも『エース』以降の第2期ウルトラシリーズの脚本家たちでもあった。
●しかして、凡百の子供番組では考えられない、「集団プレイの否定」や「馴れ合いの友情の否定」。テーマ的には先鋭的ではあった。もちろん、それもまた子供番組としては諸刃の剣でもある。
けれども、『帰マン』ともまた異なり、『レオ』においては、さらにその先に進めてしまって、和解しないで不和のままでクロージングをしてしまうことでの、長じてからこそ感じるリアリティー!(#6など) もちろん、それもまた子供番組としては欠点ですらある。
●『レオ』における「特訓」は、実は「スポ根」的ではないのやもしれない!? 日本的(?)な「精神主義」でもないのやもしれない! 良くも悪くも少年マンガ的な、愛や努力や友情が奇跡を起こすといった、正しい者が勝つ、といった道徳説話的なものにもなってはいない。
かといって「精神修養」でもない。良くも悪くも熱血ではあっても湿ってはおらずに、乾いた「技術主義」「使えるワザの取得」であったりもするのだ(作り手がそれを意図していたのかは怪しいにしても、結果的にはそうなっていたのだ)。
●……といったことを、90年代末期に特撮同人ライター・ひょっとこ1号ことヤフール氏が、弊誌『假面特攻隊』掲載の『ウルトラマンダイナ』論にカラめて主張もしている。けだし、慧眼でもあった。もちろんこれもまた、子供番組としては諸刃の剣でもある(汗)。
正しい者が勝つとはかぎらないことは、中高生以上にもなれば、フィクションで教わらずとも自然と直感できるようなことではある。2010年前後以降のスクールカーストもののラノベなどでも、さんざんに題材にされていることでもある。
よって、子供向けとしてはどうなのか? といった問題点は充二分にわかりつつも、その限界を指摘しつつ、長じてからのマニア目線では、そこにもテーマ的な挑戦があったことを批評的に解剖して言説化もしたいのだ。
●「不和」も「馴れ合いの否定」(#14)も「技術主義」もまた、ひとつの到達点ではある。テーマ的には優れているとさえ思う。しかし、後続の子供向け特撮ヒーロー作品では、これを再現しない方がイイとも思う。いかに斬新だとうたわれようが、『メタルダー』も『ネクサス』も『ブレーザー』もここまでの挑戦はしていない。また、挑戦すればイイといったものでもないだろう(笑)。
現今の特撮ヒーロー作品の作り手たちもそのあたりは重々承知であって、もちろん子供たちにこそドン引きされて、商業的には製作会社をもツブしてしまいかねないようなそれらを、今の時代に再現するような愚かなことはさすがにしないであろうけど。
●レオに変身こそしたものの、ゲスト怪獣とのバトルがなかった#13なども、長じてからの再鑑賞では実に感嘆してしまう……。もちろん、これもまた子供番組としては諸刃の剣でもある。というか、小学生の時分の再放送では、「?」といった物足りない想いに苛まれたものではあった(笑)。
●多摩川の河川敷で、通り魔宇宙人の犠牲になった無名隊員の簡易墓標に線香をあげるダン隊長の図で終わる、#15のラストシーンのシブさにはシビれる! しかし、『「レオ」の出発』によれば、これは準備稿にはなかったものだそうだ。撮影現場で外山徹カントクが追加したものであろうか?――この#15の決定稿における該当描写の有無についての記載はなかった。つまり、#15の決定稿については行方不明で未発掘であったのか?――
準備稿なり決定稿。子供向けのジャンル作品にかぎったことではなく、NHKの大河ドラマでも何でもそうなのだが、一発で決定になることはなくって、何稿をも書き直しを重ねていることがよくわかる。
●今ある「特訓編」の各話のドラマ・ストーリーはそのままに、そこの合間合間に未熟なレオに助っ人するかたちで、先輩ウルトラ兄弟をひとりひとりと客演させるようなイベント編を、月に1回程度は挟んでおけば、当時の子供たちの『レオ』に対する興味関心をも維持ができて、なおかつ戦闘シーンのカタルシスも高められたのではなかろうか!?――これは後年の『ウルトラマン80』第1クール目の「教師編」などにも云えることではあるけれど――
●『ウルトラマンレオ』という作品には、前々作の『エース』や前作『タロウ』と比しても、シリーズの前半においては歴代ウルトラ兄弟たちの客演ゲスト回がまったくなかった。それゆえにこそ、『レオ』の独自性が構築できたともいえるだろう。しかし、「気分が上がる」ウルトラ兄弟ゲスト編を設けたくらいでは、『レオ』の強烈なる独自性を喪失することもまたまったくなかったであろうことを思えば、そういったイベント編的な処置などもほしかったところだ。
●そのあたりの子供たちの願望にも応えていたのが、内山まもる先生による『レオ』のコミカライズでもあった。もちろん、学年誌の編集者側のオーダーでもあったのだろうが。『小学三年生』側の担当編集者は、今では日本の中世城郭研究者としても知られる1948(昭和23)年生まれの八巻孝夫かとも思われる。
『レオ』の翌年度の『ザ・ウルトラマン』こと『さよならウルトラ兄弟』は、八巻がシナリオを執筆したとも証言している――『ウルトラコレクションボックス ザ・内山まもる』(小学館・2010年10月1日発売)特典 特別復刻コミックス『ウルトラ戦士銀河大戦争』「内山まもる担当編集者に聞け!!」「小学三年生」編集部(当時)八巻孝夫インタビュー――。
●……と思ってきたのだが、この『小学三年生』版『レオ』コミカライズに、「構成」名義で記されている野辺地健とは、2022年5月20日(金)付の発行である『ザ・ウルトラマン 単行本初収録&傑作選 上』の巻末に付された、1984(昭和59)年生まれの特撮ライター・ガイガン山崎による「解説」によれば、その正体は円谷プロ側の『レオ』のプロデューサーであった熊谷健のペンネームであったのだそうだ!(爆)
小津安二郎映画のファンでウルトラ怪奇シリーズや日本名作民話シリーズのイメージで語られてきた熊谷だが、映像本編では実現しなかったツルク星人編でのウルトラ兄弟客演に、セブンの一時復活編や、タロウとの共演編なども、実は熊谷のアイデアでもあったのでもあろうか!?
……なんや、当時の子供たちが望んでいたものが分かっとるやないけ~!(笑)――まぁ、プロデューサーの身ではありながらも、『帰マン』後期や『タロウ』序盤の怪獣のデザインもしていたくらいの御仁ではあったのだから――
だとすると、それでも実現できなかったのは、やはり製作予算の問題だったのでもあろうか?(汗) だからといって、それで仕方ナシとはまではしないものの、作品批評とは異なる次元で、同情には値するのだ……。
●『「レオ」の出発』での氷川竜介の証言によれば、「怪獣倶楽部」の会合に出席した熊谷健は、「毎週違った怪獣ではなく決まった組織の方がよいですか?」と質問してきたそうだ。それが「円盤生物編」なのであろうが、そうであれば、なおさらのこと、やはりマグマ星人との戦いをタテ糸にした方がよかったのではあるまいか?(汗)
●『「レオ」の出発』にて、著者の白石は、橋本洋二プロデューサーの不在を、『レオ』の迷走(幾度もの路線変更)の原因に挙げていた。しかし、その見解はいかがであろうか? 橋本が残留していたとしても、シリーズは同様の路線変更をたどった気がする。子供たちや当時は極少数であった青年マニアたちが観たかったような、適度なタテ糸やウルトラ兄弟たちとの接点もじょじょに生じてくるような「ウルトラマン」作品や、仮面の着ぐるみキャラのようなマグマ星人との因縁劇などを、『エース』における宿敵・異次元人ヤプールをシリーズ中盤にて廃してしまったような泥クサい人間ドラマ志向の橋本に構想できたとはとても思えない。
●むろん、『レオ』というシリーズを引っ張ろうとするような強力で押しも強い人格力をも併せ持った御仁が、脚本家なりプロデューサーなりにでも誰かひとりでもいれば、そういったストーリー構成なども可能ではあったのではあろうが――後年のTVアニメ『ザ☆ウルトラマン』における、虫プロ上がりの1947(昭和22)年生まれの脚本家・吉川惣司(よしかわ・そうじ)のような御仁だ――。
●とはいえ、橋本を人間ドラマ志向オンリーの御仁だとして捉えるのも間違いだ。『帰マン』にセブンをゲスト出演させたり、『エース』にウルトラの父を登場させたり、子供向け時代劇のリメイク版『新隠密剣士』(73年)に対しても、「特撮的な奇想の要素がなければ今(当時)の子供たちにはウケない」旨の忠告などもしてきた御仁でもあったからだ。
●特撮同人誌『夢倶楽部』であったか『続・レオ大百科事典』であったかに抄録された、「レオ」#1の第2稿こと準備稿。宇宙の彼方でウルトラセブンが次代の若い戦士でもあるウルトラタイガー・ウルトラジャック・ウルトラマンレオを鍛えているという、内山ウルトラ漫画の『レオ』#1冒頭ライクな導入部で開幕するというワクワク感。
●「見よ! ウルトラ怪奇シリーズ」の初っ端こと#16のアトラー星人回のスリラー演出。一般的な特撮マニア間ではともかく(汗)、特撮評論同人界隈では90年前後のむかしから話題にあがってきた逸品でもある(もちろん、異色作としてのそれではある)。小学生時代の再放送でも恐怖にふるえた記憶がある。
――後述する同人誌『ウルトラマンレオ評全集』にて、この#16を特筆大書した同人ライター・高瀬一郎が、同話のことを語られていない埋もれたエピソードであるかのように言及していたものの……そんなことはないですよ~。各種ウルトラ系の同人誌でもコミケに集うような特撮マニア間での会話でも、ひんぱんに言挙げされてきたエピソードですよ~(笑)――
●やはり、フィクションとしては魅惑的な、レオは「亡国の王子」だという設定。古今東西、紀元前からある「貴種流離譚」のパターンでもある。これは当時からの公式設定ではない。企画書にもそのような記述はないようだ。
しかし、書籍『学年別学習雑誌で見る昭和子供クロニクル ウルトラ博物館』(編集・秋山哲茂・小学館・2003年12月20日発行)にも収録された、『小学三年生』74年6月号(5月3日発売)「レオたん生の大ひみつ」(監修・満田かずほ。協力・安井ひさし)なる特集記事においては、本放映開始のまだ1ヶ月後でしかなかった5月の時期であったというのに、早くもレオはL77星の王子であったことが明かされてもいた。
――双子の弟・アストラも、映像本編では9月アタマに登場だったというのに、すでに5月のアタマに発売のこの6月号にて、その存在が先行発表されてもいたのであった! ただし、その顔面なりプロテクターはレオとも同型ではあった。往時の筆者個人はこの記事やこれにまつわるウワサがあった記憶なぞもないものの、しかし公表から4ヵ月も経てからアストラが映像本編にも登場するというのは、子供の生理・時間感覚的にはあまりに長すぎたであろう――
●学年誌のコミカライズでも、前話のラストなどには一応のタテ糸としてレオの弟・アストラの今後の登場が、ほのめかされてもいた。そういったヒキ・伏線・呼び水・誘い水といった要素を、TV本編の方でも実現すべきであったハズだ!
●レオの双子の弟・アストラの学年誌などでのウラ設定。その顔面や体表もホントにマグマ星人にキズつけられたものが長老ウルトラマンキングによって整形されたものなのであろうか!? 『DVD付きビジュアルブック ウルトラマンレオ1974』(金田益実・ジェネオンエンタテインメント・08年09月26日発売)に再録された、『小学二年生』74年10月号(9月1日発売)掲載「レオの弟 アストラのひみつ」によれば、ナゾの男(つまりキング)によって救出されて、ボロボロになっていたアストラを「改造」(!)して生き返らせたとあったのだ!
それにつけても、『コロコロコミック特別増刊号 ウルトラマンPART1』(78年7月24日発行・6月24日実売)読者投稿欄における、アストラに対する女子中高生人気の高さよ! レオの亜流・未熟バージョンとしてのデザインで、甘ったるくて可愛い感じがするあたりがまた母性本能をくすぐったのであろう。
●アストラ登場時の定番BGMから、冬木透の話題へ。主題歌の話題へ。そして、選曲の明田川進の話題へ。円谷SF戦艦特撮『マイティジャック』(68年)などの選曲も担当。21世紀以降のあまたの深夜アニメで「録音監督」=「音響監督」――アフレコ現場で声優に演技指導をする監督――名義で見かける明田川仁の父君でもあったのだ!
BGM集の歴史。79年に『ウルトラ・オリジナルBGMシリーズ6 ウルトラマンレオ』名義にてLPレコードで発売(1800円)。84年10月21日にも『ULTRA Original BGM Collection 8』名義で再発売(2200円)(以上、キングレコード)。90年11月21日にも『ウルトラマンA/ウルトラマンレオ 音楽集』名義での2枚組カップリングでCD発売(税込5000円)(日本コロムビア)。95年10月1日に『ウルトラマンレオ ミュージックファイル』名義で単品にて発売(税込2500円)(バップ)。
●#24「美しいおとめ座の少女」。かの「怪獣倶楽部」の一員でもあった1956(昭和31)年生まれの故・富沢雅彦や、1958(昭和33)年生まれの氷川竜介といった、まだ16歳や18歳の青少年でしかなかった彼らが、円谷プロでの第2回目の会合でシナリオを受領。
同話の抒情的な作風にはいたく感動したものの、実際に仕上がった作品については、絵的には実にチープであったがためにガッカリした旨を、富沢は自身の名同人誌『PUFF(ぱふ) 7号』(76年4月発行)にて、氷川もごく近年の自身のコミケ発行同人誌などでも語っている。そう、映像作品の最終評価とは、脚本だけでも決まらない一例でもあったのだ。
●ウルトラセブンも一時的にではあっても復活させて、活躍させるべきであった! 『DVD付きビジュアルブック ウルトラマンレオ1974』や『学年誌ウルトラ伝説』にも再録された、『小学三年生』74年8月号(7月3日発売)の特集記事『ウルトラマンレオ ひみつ大作戦 ついに出た!! レオのセブン生きかえり作戦だ!!』では、セブン復活のための各種方策や、復活後のレオとの共闘イメージが大々的に描かれてもいた。そして、同号の内山『レオ』コミカライズは、まさにそのウルトラセブン一時復活回でもあったのだ!
●黒部進(くろべ・すすむ)をゲスト出演させるのであれば、ハヤタ隊員そのヒトの再来として初代ウルトラマンに変身してもらいたかった。ついでに、月刊児童誌「てれびくん」での『80』コミカライズにおける初代ウルトラマン客演編などについても言及……。
やはり、『80』本編についても、先輩ウルトラ兄弟客演回がなかったことは非常に残念ではあったのだし、ひいてはそれが低視聴率の原因であったのだとも私見するのだ。この1980年前後には『ファンコレ』の影響によって、「ウルトラ兄弟の客演」を幼稚な悪しきものとして見るマニア間での風潮が、もう製作スタッフ側にも逆流してしまったがゆえの悪影響でもあったと私見。
●日本名作民話シリーズ! 「怪獣倶楽部」の面々が8月アタマとおぼしき円谷プロでの会合で、熊谷プロデューサーに要望したことによって実現したマグマ星人再登場回。……しかし! マグマ星人であるべき必然性はないストーリーにもなっている。マグマ星人でさえなければ、こういったエピソードが中盤回にあってもよいのだけれども。当時の年長マニアどころか児童たちも、ガチンコ・ストロングなマグマ星人との対決話を、シリーズを通じて幾本かは観たかったハズではある。
●老舗特撮サークル・ミディアムファクトリーから発行された、同サークルの主宰者でこそなかったものの、弊誌も含めて多数のサークルをまたいでの大活躍をされていた特撮同人ライター・黒鮫建武隊が手掛けた同人誌『続・ウルトラマンレオ大百科事典』(92年)においての、「マグマ星人へのリベンジなど、高次な観点を獲得したレオにとってはもうドーでもよくなってしまっていた」といった主旨の説。
実に秀逸にして美しくもある好意的な深読みではある。しかし、あまりに好意的な深読みにはすぎる。もちろん、「作品批評」とはまた別なものとしての「解釈芸」としては充分にアリではある。なのだが、やはり作劇的な批評の方こそを語りたい。
しかし、今では人口に膾炙している「ダンからゲンへ。ゲンからトオルへ」。特撮評論同人界にて初めて本格的にこの図式を提示してみせたのは、『ウルトラマン80』放映年度に高校1年生でもあられたことから、1964(昭和39)年度の生まれでもあった黒鮫であったハズだ――氏はタツミムックなどでの商業媒体では別のペンネームにて活躍――。
●『続』ではない正編の『ウルトラマンレオ大百科事典』(91年)においては、特撮同人ライター・山田能嗣が「レオ総論」などで、特撮美術デザイナー・鈴木儀雄の秀逸さを賞揚しつつも、ボツ論理で党派性的な低次な次元での第2期ウルトラの擁護については、それはかえって逆効果にして反発をアオるものだといった趣旨での警鐘を早くも鳴らしている。
同書籍での各話評では、特撮同人ライター・ひょっとこ1号が、各本編監督の演出ぶりについてを早くも的確に言語化してみせてもいた。
●やはりマグマ星人を毎回とはいわずとも、数話に1回は登場させて因縁のライバルキャラ的に扱うかたちで、シリーズを盛り上げていくべきではあっただろう。
奇しくも同年74年の『電人ザボーガー』では、各話のゲスト怪人とは別に、悪の軍団側の人間ではあっても卑怯は好まずに正々堂々と戦おうとするライバルキャラを中盤回から登場させてもいた。
学年誌のコミカライズでも、マグマ星人をほぼレギュラーのキャラとして登場させてもいた。むしろ、#2ラストのナレーション的にはこの方が自然でもあったのだし、各話のゲスト怪獣・宇宙人とも異なる強敵感・別格感をもマグマ星人にも醸せたハズなのだ。
●毎週土曜夜7時に放送されていた『電人ザボーガー』は、74年10月から『レオ』のウラ番組として金曜夜7時ワクに時間帯が変更されてしまう。私事で恐縮だが、『電人ザボーガー』のこともスキでスキでたまらなかったものなのだが、子供心に「天下のウルトラシリーズブランドの作品でもあるのだから……」といった理由で、泣く泣く(?)『レオ』の視聴の方を優先したのであった。
それはされておき、『レオ』後半の秋からのウラ番組には、あの『電人ザボーガー』もあったことにもなる。『タロウ』のウラ番組には藤子アニメ『ジャングル黒べえ』があった。『エース』のウラ番組には東映特撮時代劇『変身忍者 嵐』があった。
ついでに云うと、『ザ☆ウル』や『80』のウラ番組にも大人気野球アニメ『ドカベン』や『ベルサイユのばら(薔薇)』にリメイク版『鉄腕アトム』があった。強力な子供向けウラ番組がなかった昭和の『仮面ライダー』シリーズや『マジンガー』シリーズとはその条件が異なるのだ。それをも加味すれば、これらの第2期・第3期ウルトラ作品の視聴率的な実力はもう少し高いハズであったのだ。スポット的な数値や、同時期の強豪・競合作品のことを考慮に入れなかったり、観客動員数ならぬ興行収入や週末興行ランキングなどの「絶対値」ならぬ「相対値」の方で比較する行為は愚かではある。
――はるか後年の女児向けTVアニメシリーズ第3作『ふたりはプリキュア Splash Star』(06年)の苦戦は、同時期の女児向けカードゲーム『オシャレ魔女 ラブandベリー』の大ヒットによるものでもあったように(汗)――
●マグマ星人のその後。低予算にてその着ぐるみスーツが造形できることから、後年~今に至るまでのアトラクショーやウルトラシリーズ番外編の『アンドロメロス』(83年)でのマグマ星人3人衆や、『ウルトラマンメビウス』以降、『ウルトラマンギンガ』(13年)や『ウルトラマンX(エックス)』(15年)に『ウルトラマンタイガ』(19年)などなど、同族別個体の設定での登場が多いこと! もちろん、いずれも小物臭がただよってはいたものの(笑)。
ただし、映画『ウルトラマンギンガ 劇場スペシャル』(13年)との同時上映や、TV『新ウルトラマン列伝』(13年)ワク内にて短編シリーズとしても放映された、データカードダス出自の3D-CGアニメ『大怪獣ラッシュ ウルトラフロンティア』(13年)においては、主人公格のキャラであるマグママスター・マグナが活躍!
●長老ウルトラマンキングの(子供向けSFとしての)設定の秀逸さ。ゾフィーの祖父だというウワサもある(笑)。その初出も本放映当時の学年誌にあった! 『DVD付きビジュアルブック ウルトラマンレオ1974』に再録された、『小学二年生』74年11月号(10月1日発売)「ウルトラ大特集 ウルトラマンキングのすべて」中の解説「ついにわかった キングの6大ひみつ」に、「ゾフィーのおじいさんといううわさもある」という記載があったのだ!
26万年前のウルトラの星に人工太陽・プラズマスパークを建造したウルトラ長老とも同一の人物であったとの記事も、少なくとも第3次怪獣ブーム時の70年代末期の学年誌には確認できている(『学年誌ウルトラ伝説』所収の『小学三年生』79年8月号(7月3日発売)「ウルトラファミリーひみつ大かいぼう」(協力・安井久 中島紳介))。
しかし、月刊児童マンガ誌「てれびくん」(76年~)連載の80年代児童向けマンガの名作『ウルトラ超伝説』(81~86年)では、太古の時代のキング少年がピコなる名義で主要キャラとしても登場。よって、ウルトラ長老説とは矛盾が生じてしまうのだ。往時は幼児誌を読むような年齢ではすでになかったのでリアルタイム世代ではなかったものの、『ウルトラ超伝説』もまた正史化してほしい筆者としては、長老説ではなくピコ説を採りたい。
―― 「てれびくん」でのコミカライズを収録した『ウルトラマン80 宇宙大戦争 /ザ★ウルトラマン/ウルトラセブン』(居村眞二・ミリオン出版・04年11月16日発行・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20110107/p1)の巻末寄稿文『アンヌへの憧憬で生まれた「三百年間の復讐」』(安井尚志)によれば、『ウルトラ超伝説』のシナリオもまた安井ひさし先生であったようなので、自分自身で学年誌とは矛盾する設定にしてしまったようだけど(汗)――
けれど、ネックもある。キングは21世紀になるや、20万歳ではなく30万歳に設定が変更されてしまったからなのだ。しかし、昭和ウルトラの地球とはまた別の並行宇宙の地球を描いてもいる2013年度以降のいわゆる「ニュージェネレーション・ウルトラマンシリーズ」は、各種の状況証拠から昭和ウルトラ世界の実は数万年後の時代だとする解釈が、若い特撮マニア間では主流となりつつもあるので……(笑)。
月刊児童マンガ誌「コミックボンボン」(81~07年)連載の90年代児童向けマンガの名作『ウルトラマン超闘士激伝』(原作・瑳川竜(三条陸)。作画・栗原仁。93~97年)にもキングは登場。そこでのキングはウルトラマングレート&ウルトラマンパワードをゴーデスハンターとして育てたという設定でもあった。そうであれば、『ウルトラギャラクシーファイト』でも、キング星のキングの左右にはレオ&アストラのみならず、グレート&パワードをも侍らせて、90年代キッズたちをも喜ばせてほしかったものである(笑)。
●L77星のウルトラマンレオの一族の容姿が、M78星雲のウルトラ一族たちとも似ていたことのSF的な理由付けとして、L77星もまた20万年ほど前にM78星雲・ウルトラの星からの移民者が建国した星でもあって、しかして双方はそれを知らずにキングだけが知っている……といったウラ設定が、やはり少なくとも70年代末期には学年誌などにて語られてもいた(『学年誌ウルトラ伝説』所収の『小学三年生』79年8月号(7月3日発売)「ウルトラファミリーひみつ大かいぼう」)。
●巨匠・中川信夫監督回のすばらしさ。しかし、かぐや姫回は、月が出自の南夕子や怪獣モチロンとも接点を持たせてほしいと思った子供たちは多数であったことだろう。もちろん、煩雑にはなってしまうし、『竹取物語』原典への準拠ということであれば、実に忠実な作りにして理不尽なるラストシーンでもあったのだが……。
中川によるアクマニヤ星人回の恐怖演出もすばらしい。『「レオ」の出発』で白石は、壁面や天井から生えてくる手首がビニール手袋であったことに幻滅したとの見解を示しているが、これには異論を唱えたい(笑)。
●「新マン」こと「帰ってきたウルトラマン」ゲスト&正義のカプセル怪獣(怪獣ボール)・セブンガー初登場編。放映当日は同話の内容同様に、ホントウに皆既月食の日でもあった。しかし、セブンガーが1回しか登場しないのはいかがか? レオ&セブンガーvsゲスト怪獣&再登場怪獣なりマグマ星人といった2vs2などのタッグマッチで、セブンガーにも勝利の機会を与えるべきであった。内山コミカライズにはセブンガーが再登場も果たして、その顛末も描かれる。
●第2期ウルトラシリーズ以降の昭和ウルトラで育った世代にとっては、この正義のロボット怪獣・セブンガーもまた特別なオーラをまとった大きな存在でもあった。ウルトラセブンことモロボシ・ダン隊員が『セブン』で使役していたカプセル怪獣のウインダム・ミクラス・アギラに次ぐものとしての、ダン隊長が使役する第4の新たなる新怪獣だとして、子供たちの博物学的な興味関心をそそってもきたからだ。はるか後年の映画『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE』(09年)において、ウインダム・ミクラス・アギラが再登場した折にも、ウルトラ怪獣ファンたちの過半は「予算のことは度外視して、ゼイタクな欲を云わせてもらえば、ここにセブンガーも登場してくれていれば……」などと脳裏に思っていたものであった。しかし、同作のブルーレイディスクのオーディオコメンタリーにて、スタッフたちもまたここにセブンガーも登場させたかった旨を語ってもいたのだ(笑)。
●もちろん、正義のロボット怪獣でもあるセブンガーは、その出自をウルトラの星ではなく、地球の怪獣攻撃隊の巨大ロボット兵器に変えるかたちで、『ウルトラマンZ(ゼット)』(20年)にもレギュラーの有人搭乗兵器として登場していることもまたご承知のとおりだ。
第1期ウルトラシリーズを支えた成田亨(なりた・とおる)によるデザインと高山良策(たかやま・りょうさく)による造形といった両氏の功績が大きいことを認めるにしくはないものの、往年の「ウルトラ怪獣デザイン論」では、この両者が過度に神格視もされてきた。それがために、必然的に第2期・第3期ウルトラシリーズの怪獣たちにはまた過度に酷評の目を向けられていた時期もあって、個人的には実に不快な想いもしてきた。セブンガーに対する言及などもその最たるものになっていた。
しかし、B級デザインの良さやコミカルで可愛らしいデザインの良さもまた、ウルトラ怪獣たちのデザインの多様性のひとつとして肯定されて、しかもよりにもよって、セブンガーがあらためて、かつて以上に大々的に人気怪獣として流通してしまう日が来てしまうとは! 実に喜ばしいことでもあった。
●アトランタ星人・マザラス星人編における、岡村精監督回の映像美や演出面での素晴らしさ! 氏の来歴など。
●ババルウ星人前後編。ババルウ星人とマグマ星人の関係。コミカライズでは共演。00年代~10年代ウルトラにも登場したババルウ星人の同族別個体の例なども。
長じてからは、世界の終末に対するヒロイン・百子(ももこ)の達観描写にも感じ入る。宗教改革のマルチン・ルターの名言「たとえ明日、世界が終わろうとも、私は今日リンゴの苗木を植える」を地で行く境地でもある。
しかし、ウルトラ兄弟がレオ兄弟に対して無理解な悪役に過ぎる描き方にはやや問題もあるだろう。直前のアトランタ星人編における、時代劇の悪役としても有名な神田隆(かんだ・たかし)が演じる高倉長官が、第2期ウルトラ作品に特有の「現場に無理解な悪役キャラ」ではなく、その善性・人間性をも描いて多面的にしていただけに実にモッタイないのだ。
●モロボシ・ダン隊長=セブンの退場。セブンのその後は? 学年誌でのウラ設定の数々。さらなる後続作品での活躍。『メビウス』後における、舞台『ウルトラマン プレミアステージ3』(09年)や同『2011』(11年)でのモロボシ・ダン&おおとりゲンの共演など(未鑑賞だけれども……)。そうであれば、ウルトラマンタロウこと東光太郎を再登場させる予定であった幻の流産映画企画『ウルトラマメビウス&ウルトラ兄弟2』を、ダン&ゲンの再会編に変えるかたちで実現してほしかったものだ!
●こういうアトラクショーやオリジナル漫画の類いも、映像本編とも矛盾がさしてないものであれば、「番外編」ではなく「正史」として円谷プロ側でも公式化してほしい!(歴史年表での実際の出来事だとして加えてほしい!) それでもって、舞台やマンガ作品なども、後続世代のマニアたちに関心を持ってもらうためにもだ。
純然たる特撮作品ではなくなってしまうのだが、これら舞台やマンガのシナリオのレベルも実は高かったりもするのだから……。それによって、舞台作品の映像ソフトや旧作マンガが定期的に再販されれば版権収入も得られるのだから、そういった経済合理性をも踏まえて、シリーズの歴史年表のスキ間なども埋めていってほしいものである――もちろん、ガチガチに埋めてしまう必要はない。ユルユルのガバガバで、あとで微改変もできるくらいでイイのだ(笑)――。
●シリーズの過去キャラが隊長としても再登場するパターン。後年の『ウルトラマンオーブ』(16年)に登場したライバルキャラ・ジャグラスジャグラーが、『ウルトラマンZ』(20年)では怪獣攻撃隊の隊長として偽名を使ってレギュラー出演! 隊長本人がウルトラマンに変身する『ウルトラマンブレーザー』(23年)などの例も生まれている。
●もちろん、『レオ』(の特訓編)をマイルドにリメイクすれば、映画『ウルトラマンゼアス』(96年)や、映画『劇場版ウルトラマンギンガS(エス) 決戦!ウルトラ10勇士!!』(15年)に、短編シリーズ『ウルトラファイトオーブ』(17年)のような作品にはなるのだ。
●シルバーブルーメ編における百子・トオル・猛(たけし)の退場描写の凄まじさ! 氷川竜介は311(2011年3月11日の東日本大震災)を経過後だとリアルに感じる……とのたまってもいるが、いやいやいや1990年前後にはもう先端的なマニアの間では騒がれていましたよ~。
●同じく先端的なマニア間では「円盤生物編」のドラマ面での再評価も早かった。「特訓編」よりも早かったほどだ。80年代末期には早くも一部でそのようにも評されていた。……もちろん、平均的な特撮マニア間では『レオ』再評価の機運などはカケラもなかったものの(汗)。
●21世紀に入ってからは、特撮同人ライター・ビオラン亭ガメラによって、この『レオ』最終第4クールの「円盤生物編」を中心とした各話ガイド&批評形式での同人誌『ウルトラマンレオ Seszon4 評全集』(10年4月29日発行)も刊行されている――マニア間での評価が高い、先の#16と#36評も特別に収録――。
●同人ライター・S2主宰の老舗サークル・思想脳労による同人誌『ウルトラマンレオ 全話解説本』(15年12月発行)の存在も忘れてはいけない。
●ブリザード編やノーバ編のドラマ性やテーマ性の高さ! 長じてからだと泣ける。しかし、泣けるドラマを男児が好むであろうか? といった問題はある。とはいえ、シリーズの序盤ではなく、もう終盤ではあったので、こういったエピソードもOKではあるとは思うし、情操教育的にも悪いことでは決してない。
●「レオ(というヒーロー)がいるから、悪の軍団が地球を襲ってくる」(=それでは、レオを敵に差し出してしまえ!)といったテーゼ。後年の富野由悠季カントクによるリアルロボットアニメ『無敵超人ザンボット3(スリー)』(77年)なども想起させるものだ。
個人的には、「宇宙人」は登場しても「怪獣」は登場しなかったので、『80』の#1における「5年ものあいだ、怪獣が出現しなかった」といった設定とも矛盾が生じないので、『レオ』と『80』との間に起きていた正史にしてほしいとも思っている、「コロコロコミック」連載のかたおか徹治のマンガ『ウルトラ兄弟物語』(79年)での地球編においても、このテーゼが登場してもいたのだ。
●後続作の作家や監督たちが、『レオ』の「円盤生物編」を鑑賞しており、それらに触発されてそういったテーマを構築してみせた……などといったことは多分ない(爆)。当時の青年マニアならぬ、多忙で残業三昧な大のオトナたちが、他社の子供向けヒーロー作品をもじっくりと鑑賞するようなヒマなり、そういった意識すらもがなかったことでもあったであろうし(汗)。
もちろん、NATOもとい軍備もといレオを放棄してしまえば、プーチン大統領の侵略がとまるワケでもない。とはいえ、だからといって際ぎわのない軍拡路線に走ってしまうワケにもいかない。それではドーすればよいのか!? ためつすがめつ、相手次第の出たとこ勝負。この世は左右に両天秤を持って進む、永遠なる綱渡りの世界でもあるのだ。
●「円盤生物編」の各話の高いドラマ性やテーマ性の解題。……しかし! 子供たちが観たかったのは、ウルトラシリーズがいったん終息するにあたっての、相応なるスケール感や、内山まもる先生の『レオ』コミカライズ終章での歴代ウルトラ兄弟全員登場! といった第1期昭和ライダーシリーズ最終作『仮面ライダーストロンガー』(75年)の最終展開のようなものではあっただろう。
このコミカライズでは、ババルウ星人とブラック指令が共闘もしている! 学年誌の絵物語的な特集では紹介されていた、レオの父や母も実は生存はしており囚われの身でもあったといった設定で登場を果たしてもいる!――余談だが、マンガ『ウルトラマン STORY 0(ゼロ)』においては、レオの父としてアルス王が登場していた――
●とはいえ、そのこともまたわかっていたからこそ、『レオ』の第4クールにて、大宇宙をまたにかけてウルトラ8兄弟が巨大円盤に搭乗して、怪獣軍団との集団戦をも繰り広げるようなNG企画も発案されたのでもあろう。それが実現していれば、子供たちは喜んだとは思うのだ。
しかし、当時の予算&技術力で、説得力のある特撮映像が構築できたのかについては怪しい。そして、この発想が翌75年度のウルトラ兄弟総力戦を描いた名作マンガ『さよならウルトラ兄弟』こと『ザ・ウルトラマン』にもつながった……といった分析も可能ではあるのやもしれない。しかし、それもまた怪しい。
内山まもるのコミカライズでも、すでにして『エース』の長編マンガや『タロウ』の最終回にて、ウルトラ兄弟ならぬウルトラ一族の一般兵士たちによる数十・数百人ものウルトラ大軍団を登場させてもいたからだ。
●最終回で、ラスボスのブラック指令をレオならぬ多数の子供たちが倒してしまうという描写は、長じてくるとその意味するテーマがわかりはする。しかし、アニメ媒体であればともかく、現実世界により近しい実写映像においては、そしてブラック指令が宇宙人キャラではあっても着ぐるみキャラではなく、役者が演じるナマ身の人間でもあったがために、彼が常に手にしていた水晶玉の方の破壊であったとはいえ、子供たちによる殺人だとも見えてしまって、その断末魔がやや残酷にも見えてしまってはいただろう……。
とはいえ、最終回ラストでのトオルとゲンの別れのシーンは感動的ではあった。第2期ウルトラの本編側の監督の立役者でもあった、1932(昭和7)年生まれの山際永三(やまぎわ・えいぞう)カントクの手によって、『レオ』もまたトータルでは有終の美を飾れたのでもあったし、ドラマ的・テーマ的にはミクロではあっても見事に完結できたのでもあった……。
●放映数年後の第3次怪獣ブームの渦中に放映された『コメットさん(新)』(78年)でのレオ客演編(やタロウ客演編)も、正史に加えてほしい(笑)。『ウルトラマンメビウス』(06年)・『ウルトラマンゼロVSダークロプスゼロ』(10年)・『ウルトラファイトビクトリー』(15年)などでの歴戦の「強者」としての胸アツ(熱)なレオの客演例なども!
●2022年9月10日(土)22時からNHK-BSプレミアムで放映された『発表! 全ウルトラマン大投票』では、レオが上位にランクイン! その投票内訳も、30代・20代・10代といった、90年代後半の平成ウルトラ3部作の直撃世代の30代をも含めての、下の世代による投票が過半を占めていたのでもあった!――と云っても、相対的に若いというだけであって、20代・30代にもなれば、長じてからの再鑑賞にて『レオ』本編の特異な良さについては、充分に理解もしていたのではあろうけど――
●L77星滅亡のくだりは、映像本編ではともかく、子供向け豆百科でも、絵物語や短編マンガのかたちで語られてもきた。近年(?)では、ウルトラ一族誕生の経緯の描写などにおいてはウルトラシリーズの正史とは不整合がある作品ではあったものの――それがダメだと云っているワケではない(笑)――、今は亡き「月刊マガジンZ」(99~09年)の目玉として始まった『ウルトラマン STORY 0(ゼロ)』(05年~)などでもそういった前史がマンガ化されてきた。
●そして、2020年代。レオの同族にも見えてしまう竜座・D60星出身のウルトラマンレグロスなる新キャラが、ネット配信作品『ウルトラギャラクシーファイト』(19年)の第2作『大いなる陰謀』(20年)のラストに登場! 第3作『運命の衝突』(22年)にて本格的に参戦も果たした! 続けて、彼の過去をも描いたネット配信作品『ウルトラマンレグロス』(23年)までもが製作されている。
レグロスの名はもちろん、獅子座のアルファ星(=その星座のなかで最も明るい星)こと「レグロス」ならぬ「レグルス」からの引用ではあるだろう。奇しくもレグルスは人類最古の文明・シュメール語が由来にして「小さな王」、中世には転じて「王」の意味にも昇格した語句であるそうだ。
レグロス自身は伝統もある王族的な気品などなく、かといって成り上がりの覇王的な野卑さなどもない、単なる宇宙拳法使いの若者キャラでしかなかったものの(笑)。
――余談だが、数万年の眠りからさめた、あるいは数万年前の時代から分岐するかたちで連れてこられた並行同位体でもあるらしきレグロスは、旧知のアストラの容姿の変貌に驚いてもいた。よって、キングによる容姿も含めた改造手術を受けていたという本放映当時の学年誌が初出の設定は、ここに完全に公式化したのでもあった!(笑)――
●『レグロス』においては、L77星が破壊される前の時代にまでさかのぼってのレオとレグロスとの交流までもが描かれる! マグマ星人の上級幹部(提督・笑)キャラたちもが威厳とボリューム感ある造形で登場してもおり、L77星もたかだかマグマ星人・ブラックギラス・レッドギラスの3体ごときによって滅ぼされたワケでは決してなくって、実に大規模なるマグマ星人の大軍団によって侵攻されていたことが示唆されてもいる。50年間ものあいだノド元に突き刺さっていた小骨が抜けるような想いでもある(笑)。
●良くも悪くもなのだが、『レオ』や『コスモス』に『ネクサス』、あるいは『仮面ライダーアマゾン』『仮面ライダーJ』『仮面ライダー響鬼(ヒビキ)』『仮面ライダー電王』などは、シリーズの長い歴史においては目立つ存在にはなる。あるいは、ヒーロー大集合作品などにおいては、個性的なので重宝されて出番も多かったり、あるいは出番が少なかろうとも非常に目立っていたりもする。だからといって、将来における「目立ち」をねらって新作を製作してしまってもイケナイのだが……。
●『レオ』もまた、その欠点をも含めての、その再評価はすでに達成されたといってもイイであろう!
(以下の事項も、適宜に上記の項目中にハメこむ予定……)
●2001年「心にウルトラマンレオ」(タツミムック)発売
●2005年7月21日「Official File Magazine ULTRAMAN Vol.7 ウルトラマンタロウ/ウルトラマンレオ/ウルトラマン80」(講談社)発売
●2006年9月22日~「DVDウルトラマンレオ」第1巻発売(全13巻)。
●2006年10月27日(金)~コンビニ漫画で内山「ウルトラマンレオ 完全復刻盤」発行
●2008年5月11日(日)~ファミリー劇場「ウルトラ劇場」ワクにて再放送
●2011年8月5日~「DVDウルトラマンレオ廉価版」発売
●2013年9月25日~「ウルトラマンレオCOMPLETE DVD-BOX」発売
●2014年12月29日(月)~WOWOWにてハイビジョンリマスター版を放映開始。12月6日(土)に#1のみ先行無料放映
●2017年10月15日(日)13時30分ワク。東京MXの「円谷劇場」ワクにて再放送
●2018年9月4日『エンターテインメントアーカイブ ウルトラマンレオ』(中村宏治 ネコ・パブリッシング)発売
●2018年12月21日(金)、ブルーレイBOX発売
●2020年11月10日「ウルトラ特撮 PERFECT MOOK vol.09 ウルトラマンレオ」発売
●2020年1月11日(土)~、ファミリー劇場にてHDリマスター版が放映
●2024年11月1日「モノ・マガジン」2024年11-16号「ウルトラマンレオ」50周年記念特集
※後日加筆用の備忘録メモ:各々の「値段」なども、あとで加筆しておいた方が面白いであろうし、時代の空気・匂いなども醸し出させる一助にもなるであろう!

ウルトラマンレオ
『ウルトラマンレオ』総論2 ~放送50周年。かつての評価は低いも、シリーズを広げた位置付け
(文・中村達彦)
2024年は、『ウルトラマンレオ』(1974年)放送から50年。御存知の人が多いだろうが、70年代初頭、『帰ってきたウルトラマン』(1971年)から『ウルトラマンA』(1972年)『ウルトラマンタロウ』(1973年)と1年ずつ放送され、第2期ウルトラシリーズと呼ばれた。60年代後半の怪獣ブームを再来させるヒットとなり、当時小学館の学習雑誌で、ウルトラシリーズは、『帰ってきたウルトラマン』から特集されていた。
『仮面ライダー』など他社特撮ものもあり、変身ヒーローブームとも呼ばれ、時代を牽引したが、74年3月までに石油ショックによる物価の急騰な値上げから、特撮番組は次々に終了した。また3年も続いた変身ヒーローブームは子供たちにマンネリになっており、『科学忍者隊ガッチャマン』(72年)、『マジンガーZ』(72年)などのアニメに人気が移っていた。小学生の私もそうだった。
『ウルトラマンタロウ』が終わる直前、ウルトラシリーズはもういいと思っていた。それまでウルトラシリーズはカッコ良いデザインの怪獣や防衛チーム、迫力ある破壊や怪獣バトルを見せてくれた。前の作品のウルトラマン客演や前後編で「さあどうなる?」とTVから目が離せない作劇が続いてきた。だが年を重ね『ウルトラQ』から続く作り物には見えない怪獣の造形やウルトラマンの神秘性、リアルな人間ドラマなどが失われていき、反面ウルトラマンも人間もファミリー路線、子供向けに流れていく。加えて丁寧に欠け、考証的にもドラマでもあちこち「?」の部分が目につくようになった(『ウルトラマン』(1966年)の時からもあったが)。『ウルトラマンタロウ』後半で半ば飽きていたと言っても良いだろう。その後番組で『ウルトラマンレオ』をやるとの報が。「えっ、またウルトラマンやるの」と、期待していなかった。
『ウルトラマンレオ』は、タロウに続いて光の国から新たなウルトラマンが派遣されると想像したが、ウルトラマンレオは別の星L77に住む宇宙人の王子が、邪悪なマグマ星人の侵略で故郷や同胞を失い。辛うじて地球へ逃れたが、マグマ星人の魔手が及び、タロウの後地球を守っていたウルトラセブンも負傷し、代わりで。というこれまでのウルトラシリーズを継承した上での斬新なストーリーで。
翌75年に、ロボットアニメ『UFO(ユーフォー)ロボ グレンダイザー』が、50年近く後にリブートで『グレンダイザーU』(2024年)が作られたが、『UFOロボ グレンダイザー』と『ウルトラマンレオ』は、共通点があちこちある。宇宙人が凶悪な侵略者に故郷を失う。侵略者は地球にも及び、善良な宇宙人(王子が多い)は地球を守るため戦う。このストーリーは、昔のアニメ・特撮に多かった。
レオはおおとりゲンという青年の姿で(地球人の身体を借りるのではなく、セブン同様地球人に変身)、スポーツセンターで働きながら、防衛チームMAC(マック)に入隊。負傷してセブンに変身できなくなったモロボシダンは隊長で助けていく。いずれセブンが復活すると思っていたが。
最初は、ハードな物語が続き、『ウルトラマンタロウ』との作風が違いすぎた。初回は怪獣や宇宙人に負け、ダンに叱責、厳しい特訓を課せられ、技が生まれ、再戦で勝つパターンが続く。加えて父をツルク星人の凶行で殺され、妹と生きている梅田トオル少年(第2期ウルトラシリーズでは、毎回同じような少年がレギュラーでいる)。隊長にゲンが特別扱いされているかのように見え険しく接するMAC隊員などもハードな作風を作った。ゲンを演じた真夏竜は、厳しい特訓を克服し、一方で子供たちに明るく接する主人公を熱演した。
ゲンに強い叱責を加え、杖で殴り倒したり、ジープで追い回したり鬼隊長ダンの姿は『ウルトラセブン』(1967年)での姿と違いすぎた(森次晃嗣の演技が注目)。厳しい作品のカラーに前半視聴から遠ざかった。同じ視聴者は多かっただろう。
これまでウルトラシリーズは光学処理で光線やバリアーなどの特撮が多かったが、『ウルトラマンレオ』は予算縮小や当時流行っていたブルースリーのアクションなどから空手をバトルに取り入れ、前半はレオキックなどの格闘の必殺技がメインで、決め技の光線技はなかった。特訓でストーリー中盤から光線技が使えるようになると思ったが、実は、最初から光線技があり、中途半端に感じた。
当時、学習雑誌で連載された内山まもるのコミカライズマンガの方がTVより面白かった。「こういう話をTVでやって欲しかったんだよな」と感じたものだ。
前半は特訓で技を生み出す話が多かったが、途中から路線変更が加えられ緩くなり、再び観るようになった。生き別れになっていた弟のアストラや、ウルトラの父以上の能力を持つウルトラマンキングが登場し、「見よ! ウルトラ怪奇シリーズ」とか「日本名作民話シリーズ!」と銘打たれ、話が作られた。
4クールに入ると「恐怖の円盤生物シリーズ!」が。ダンをはじめMAC、ゲンの恋人百子、トオルの妹カオルまでもスポーツセンターの面々が死亡、生き残ったのはゲンとトオルのみ衝撃の展開。孤独なドラマが強調される。視聴率の低迷が続き、予算削減の目的もあったらしい。
迷走しながらも『ウルトラマンレオ』は1年の放送をやり切り、ウルトラシリーズは4年の眠りにつく。
後年、『ウルトラマンレオ』はじめ第2期ウルトラシリーズは、第1期に比べ評価が低い。朝日ソノラマの「宇宙船」ムック本『ウルトラマン白書』(1982年)は長く版を重ねた。ウルトラシリーズの流れを丁寧に扱った良書だが、その中で第2期ウルトラシリーズを酷評している、どこが悪いかきちんと挙げており、同時に陽の目を見なかった設定や企画当初にあった設定にも触れている。私はそれを読み、「言っていることは確かにそうだよな」と受け入れた。でも心のどこかで「だけど面白いところ、魅力もあちこちあったんだよな」と引っかかっていた。
第1・2話に登場したレッドギラスとブラックギラス、第5話のカネドラス、第8話のケンドロス、第14話のアンタレスなど特撮スタッフでもあり、多くの作品を手がけた大澤哲三のデザインした怪獣は、正統派のデザインに戻った感があり、力強く『ウルトラマンA』後半以降『ウルトラマンタロウ』の超獣・怪獣よりしっかりした感がある。
中盤以降のエピソードでも、厳しい特訓や子供だましの話ではなく、第16話の深夜に女性の姿で凶行を行うアトラー星人や、第33話の団地にポルターガイスト現象を引き起こすアクマニア星人は怖かった。
第24話は、逃げて来た宇宙人の老人を追って来たロボット怪獣ガメロットとレオのバトルが見ごたえあり、『ウルトラセブン』(1967年)『ウルトラマン80(エイティ)』(1980年)でも見られたSF話である。
第26話は一寸法師が元ネタだが、合成技術が見事で、プレッシャー星人の怪演ぶりも印象的。
第34話では、新ウルトラマンが地球へ来る。顔見せ程度ではなく、レオと共に怪獣を倒す。『帰ってきたウルトラマン』でウルトラセブンが複数回、新ウルトラマンの窮地を救ったことを思い起こす、加えて元地球人の郷秀樹が宇宙から来たゲンに地球を守ることを頼むのも感動。
第36話のアトランタ星人の謀略にダンやゲンが挑み、百子の口からは、かつてアンヌがダンに言ったのと同じ台詞がとか。
第37話では、カオルがマザラス星人に異次元へ連れ去られ、不思議なドラマが。登場した怪獣スペクターは全身が鏡で覆われている。と隠れた傑作話が幾つもある。
4クールの円盤生物編も、予算不足に悩まされながらも、それを感じさせない作品作りが。
最終回は円盤生物を倒したレオが旅立つ。見送るトオルをはじめとする人々と交わされる別れの姿。名シーン続出だ。『帰ってきたウルトラマン』最終回と被さり、第2期ウルトラシリーズ締めくくりに相応しい。ウルトラシリーズ最終回に外れなし。
前半は鬼隊長だったダンも、第16話ラストで、ゲンがアトラー星人を倒して戻った後、爽やかな笑顔を見せ、ゲンが命令に背いて、ダンに怒られるパターンが前半に多かったが、後半では命令に背いても怪獣を倒すことが多く、ゲンが成長したこともあって怒られることはなくなった。
第36話では、ゲンの意見を受け入れた上で、共にアトランタ星人に挑み、戦いが終わった後、笑い合っている。名コンビぶり、ゲンの成長が伺える。
瑳川哲朗の、子供たちに語りかけるような、ユーモアを含んで、レオや怪獣の気持ちも代弁したナレーションは親しみやすい。『ウルトラマンA』竜隊長、『ウルトラマンタロウ』ナレーションも務め、隠れた功労者だ。
傑作ばかりでない。あちこち「?」もあり、突っ込みどころもいろいろあるが。述べるのは割愛したい。
また私事になるが、10年前に、アニメや特撮の解説本を作っている老舗のサークル思想脳労から『ウルトラマンタロウ』や『ウルトラマンレオ』の解説本執筆の誘いがあり、評価の低い作品だが、『ウルトラマン白書』を読んだ時の気持ちもあり、引き受けた。全話の3分の1を担当、物語の展開を大きく左右するキーとなる話はあえて避けた。
ストーリーをチェックする。良かったところも、「?」とおかしいところも一視聴者の立場で観る。自分なりの意見も入れた。思想脳労は『ウルトラマンレオ』以外にも昭和のウルトラシリーズ解説本を出しており、同人誌即売イベントなどで活動中だ。機会があればご一読いただきたい。
『ウルトラマンレオ』から50年。ドラマを再評価、好きという人もいる。
2006年の『ウルトラマンメビウス』第34話では、ゲンが登場。かつてダンに言われたことを言い、最後にはメビウスとダブルキックで敵を倒した後、優しく昔のように笑ってみせた。懐かしい。
その後もレオのゲスト出演での活躍は続く。セブンの息子ウルトラマンゼロを託され、師としてゼロを鍛える役どころだ。ゼロを託された時のドラマを、真夏、森次両氏の会話で聞きたいものだ。『ウルトラマンレオ』の後、両氏の共演がほとんどないのが寂しい。それからゼロの母親誰よ?
近年は『ウルトラギャラクシーファイト』でもセブンやゼロ、アストラとも大活躍。新しい同族との話『ウルトラマンレグロス』(2023年)という作品も登場した。
一方、『ウルトラマンレオ』をはじめウルトラシリーズ重責を務めた山際永三や冬木透の訃報が相次いだ。
個人の功績を偲ぶと共に、『ウルトラマンレオ』の道程がこれからも続くと思っていきたい。
『ウルトラマンレオ』総論3
(文・犬原 人)
世界的パンデミックや相次ぐ戦争の勃発ですっかり失念してしまっていたが、2021年から23年までは、『第二次怪獣ブーム・変身ブーム』から数えて50年目という、記念すべき節目だった。
『宇宙猿人ゴリ(最終的には『スペクトルマン』に改題)』、『帰ってきたウルトラマン』、『シルバー仮面』、『ミラーマン』(いずれも1971)といったヒーローが巨大怪獣や宇宙人と戦う「巨大ヒーローもの」。
『仮面ライダー』(1971)、『快傑ライオン丸』、『超人バロム・1(ワン)』、『人造人間キカイダー』、そして『レインボーマン』(いずれも1972)といった等身大の変身ヒーローが悪の組織と戦う「変身もの」。東映の女児向け学園ドラマ『好き! すき!! 魔女先生』(1971)も、主人公の月 光(つき・ひかる)嬢が、シリーズ中盤より『仮面ライダー』のヒットを受けて路線変更、変身ヒロイン「アンドロ仮面」となり、主演の菊 容子自らアクションを演じる羽目になったというのだから、その熱量が想像できるだろう。
当時を知る者でありながら、そういうビッグなムーヴメントを若い読者諸兄に語る必要性に、過ぎてゆく日々の速さに追われ、3年も無自覚でいた筆者の不明を詫びるべく、せめてこの2024年、そのジャスト半世紀前に『第二次怪獣ブーム』のフラグシップとして製作され、そしてそのままブーム最終作になってしまった巨大ヒーロー『ウルトラマンレオ』について語らねば……! と思うに至った次第である。
(概要)
『ウルトラマンレオ』は『ウルトラマンL』として、1974年2月に企画が固まった作品である。
大人のための特撮大作『マイティジャック』(1968)の興業的大失敗から立ち直った円谷プロは、1971年4月、『帰ってきたウルトラマン』を発表することによって『第二次怪獣ブーム』の波に乗ることに成功した(この作品がブームのパイオニアたりえなかったのは、すでにこの年の1月、ピープロ製作の怪獣ドラマ『宇宙猿人ゴリ』が放映開始されていたから)。
以後円谷プロは『ウルトラマンA(エース)』(1972)、『ウルトラマンТ(タロウ)』(1973)と、「第2期ウルトラシリーズ」を展開、TBSの橋本洋二プロデューサーの仕切りによるディープな人間ドラマや小学館学年誌のバックアップを受けて良質な作品を作り続ける一方、その他のテレビ局の要請に応えるため、外部のプロデューサーやスタッフも招いて、先述の『ミラーマン』をはじめ、『トリプルファイター』『緊急指令10-4-10-10(テンフォーテンテン)』(1972)、『ファイヤーマン』『ジャンボーグA(エース)』、劇場映画『怪獣大奮戦ダイゴロウ対ゴリアス』(1973)など、会社の規模を考えたら、信じがたいエネルギーで作品を量産した。
しかし、同業他社の製作による類似の作品の参入と、アニメ業界の興隆で、子供番組自体が飽和状態となり、1973年9月に『ファイヤーマン』の放映が終了したあたりから、このブーム自体に陰りが見え始め、さらには第4次中東戦争の勃発による「オイルショック」による制作費の高騰で、特撮業界、特にミニチュアや光学合成、弾着・爆発はじめ、特殊効果に予算を食う巨大ヒーローものは、他社を巻き込んで失速していった。
そういった中でTBSの番組として製作を許可され、翌年度の作品として企画された『レオ』は、背水の陣で製作に臨むこととなり、ファミリー番組として幼児層から絶大な支持を得ていた前作『タロウ』との、徹底的な差別化が図られるようになった。
その端的な特徴はといえば、「ウルトラマンがМ78星雲、ウルトラの国の出身ではない」ことと、「時代と寝る製作方針」に尽きる。前者の効果として「ウルトラマンが怪獣を倒す」という、それまでの当たり前が当たり前でなくなり、その専売特許であった、必殺技としての光線技を使わなくなって済むようになったという予算節約の効果に加え、ブルース・リーの『燃えよドラゴン』(1973)にはじまり、志保美悦子の『女必殺拳』シリーズ(1974~76)、極真空手の創始者・大山倍達(おおやま・ますたつ)の半生を描いたアニメ『空手バカ一代』(1973)など、その当時ブレイクしていた空手アクションの投入が大胆に行われた。
これによりそのジャンルのパターンであった「一度敗れた主人公が特訓の末にリターン・マッチを行い、編み出した新必殺技でリベンジを果たす」を導入することとなり、汗と涙と主人公の絶叫からなるハードなドラマが期待され、結局は特撮シーンにかける予算と時間を削減しながらドラマのテンションを維持できるという効果を期待された。
また後者の効果としてその空手ブームに加え、その当時の世相を作品に積極的に取り込むことにつながり、小松左京原作のパニック映画『日本沈没』(1973)や五島 勉のベストセラーで、やはり東宝特撮で映画化もされた『ノストラダムスの大予言』(祥伝社NONブックス)などに見られた「終末ブーム」、自称超能力者ユリ・ゲラーの登場による「念力ブーム」、「怪獣の次は妖怪」という子供番組界の定説にひねりを加えた「ゴシックホラーとオカルト」、さらにはこの頃から話題になり始めた『空飛ぶ円盤』などのトレンドが、劇中で見られるようになった。
私感だが、番組全体を支配していたその当時の終末感は、その21年後、1995年のメガヒットアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』に継承されたような気がしないでもない。
しかしこのハード路線は両刃の剣ともいえ、せっかく『タロウ』で手にした幼児層(当時の筆者含む)の支持を「現代っ子の甘えぐせ」(企画書より)と否定することにつながり、視聴率は実際にはさらに低下、「生きる厳しさと哀しさを鮮烈に謳う(うたう)」と、毎回のシナリオの表紙にも書かれた番組の方針は、「見るのがつらいウルトラマン」と子供の目に映り、期待以上の評価を番組が受けることもなかった。
ウルトラマンレオのデザインコンセプトは「ウルトラマンでないウルトラマン」という、かつてなく困難なものであった。ウルトラマンやウルトラセブンはもとより、両者を融合した「エース」でもなく、セブンの発展形である「タロウ」とも違う出来となったその顔のビジュアルは、五陵星をモチーフに独自の曲線で生物感を持たせた、非常にデコラティヴなものとなった(この没デザインが、『タロウ』最終回登場のバルキー星人のそれに使い回されたということ実は有名な話)。それとは逆に、首から下は上体のプロテクターにカラータイマー、その真下のシークレットサインを除けば全身真っ赤というシンプルなものになった。
主人公・おゝとりゲン(おおとりげん。演:真夏 竜)は左薬指にはめた、赤い宝石「獅子の瞳」がついた「レオリング」を拳とともに突き出すことによって、身長52メートル、体重4万8千トンの巨大ヒーローとして、この姿に変身するのだ。
『レオ』に登場する防衛組織MAC(マック。Monster Attaking Crew)のメカは、『タロウ』に続き、鈴木儀雄が玩具化前提でデザインし、企画の時点で、戦闘機「スペースゼブラ」や、パトロール車「パンダジュニア」など、動物の名前で統一されていたが、諸々の事情でそれぞれ「マッキー2号」や「マックロディー」と改名されている(ただ、地底戦車「マックモール(モグラ)」や潜水艦「マックシャーク」など、改名は不徹底で、今思えばそこら辺にМACの扱いを予見することもできたかもしれない)。
しかし最大の特徴は地球上空にある、アジア本部のMACステーションの存在だろう。これまでウルトラシリーズに宇宙ステーションを擁する防衛組織は数々あったが、それ自体を本拠地とする作品はなかった。その上部には10人乗りの大型戦闘機「マッキー1号」が直接ドッキングしており、МAC基地自体には百人規模で隊員が常駐し、隊長付きの6人以外は半ばモブキャラという扱いを受けながら、組織のスケールアップに貢献していた。
スタッフとしては『タロウ』から横滑りしてきた田口成光、山本正孝、深沢清澄といった人材に加え、『ファイヤーマン』で頑張ってきた若槻文三、冬木 透など、円谷作品でご存知のベテランが揃ったが、それとは別に、『ジャンボーグA』から矢島信男が特撮監督として参入してきたのも大きいだろう。ローコストで最大の効果を上げる彼の手腕は、『レオ』製作の経費節減に大きく貢献したと思われる。
(第1・2話あらすじ即ち基本設定)
МACの隊長として、再び地球防衛の任務を負うことになったモロボシダン=ウルトラセブン(演:森次晃嗣)は、双子怪獣レッドギラス・ブラックギラスを率いたマグマ星人の挑戦を受ける。双子怪獣が体を密着させて回転することで大津波を起こす必殺技、「ギラススピン」は強力で、ウルトラセブンに変身して戦ったダンは、3対1の不利な戦いで右足を骨折してしまう。
そこへ曇天の空を飛んで現れるウルトラマンレオ。怪獣たちは退散したものの、ともに戦ってくれというダンの申し出をゲンは拒絶する。彼は獅子座の瞳に位置するL77星の出身だったが、そのマグマ星人にL77星を滅ぼされ、地球に難民として漂着、何とか城南スポーツクラブのインストラクターとしての職を得て、新生活を始めたばかりだったのだ。
ダンはゲンを戦いに引きずり込むため、彼の目の前で変身道具「ウルトラアイ」を念力で焼き、彼の依頼心をくじく(シナリオでは単純に変身できなくなったとセリフで説明しているが、現場の判断でそうなったということだった)。
今ここでゲンを「難民」と書いたが、着の身着のまま地球に漂着した彼を何も言わずに受け入れ、自分が経営するスポーツクラブの職員にまでした大木正司(おおき・しょうじ)とゲンをめぐるドラマがなかったのが、今となっては残念だ。
演じた藤木 悠(ふじき・ゆう)の演技力を考えれば、この番組に深みを与える、ゲンが地球にわずか1か月で定着するまでのプロセスを説明する重要なキャラになり得たところを、ただのギャグメーカーにされてしまったのが悔やまれる。ギャラの問題だとは思いたくないが、第5話でゲンの特訓マシンを自作し、そのアクシデントで飛んできたブーメランを真剣白羽取りした彼である。そんな実力者のドラマをもっと見たかったと思うのは、筆者だけではないと思いたい。
またウィキペディアには、彼がL77星の王子だったという記述があり、企画書の時点では獅子座の方角に、彼にしか見えない獅子の顔『レオマスク』があって、父の思いをゲンに伝える描写がサンプルストーリーにあったそうだが、先行する東映の『仮面ライダーX』に同じ発想をされてしまった、さらにはその父の人格を移植した秘密基地『神(じん)ステーション』を、脚本家・長坂秀佳(ながさか・しゅうけい)のこだわりで第2話にて早々と自爆されてしまったせいか、設定まるごとボツになったいきさつがある。
閑話休題、そしてマグマ星人は双子怪獣を引き連れて伊豆諸島の黒潮島を沈めた余勢を駆り東京を襲撃、その津波によって東京は水没してしまう(この特撮とパニック描写が素晴らしい出来だったため、東北地方での再放送はもう絶望的だろうなあ……と、震災当時は思ったものだ)。結局МACの隊員になったゲンはウルトラマンレオに変身するが、それまでのウルトラマンより短い、2分40秒のタイムリミットの前に敗れ去ってしまう。
隊長の指示もなく、策もないのに無断で変身し、恋人である山口百子(ももこ。演:丘野かおり)に重傷を負わせてしまったゲンは、ダンが考え出したギラススピンを破る唯一の必殺技……回転している物体の真上から逆の回転をしながら飛び込み、その中心を破壊する技「錐もみキック」にすがりつく。
過酷な特訓の末、錐もみキックを会得したゲンは怪獣出現とともにリターン・マッチを展開。これを倒してマグマ星人を敗走させる。
勝利を掴んだゲンに、ダンは昇る朝日を見せて、「お前のためにあの太陽が昇っている」と励まし、ゲンはマグマ星人との長い戦いを誓うのであった。
この二話の脚本は『帰ってきたウルトラマン』(1971)第8話「怪獣時限爆弾」でデビューし、以後ウルトラの文芸を支えるまでに成長した田口成光(たぐち・しげみつ)。監督は同じく第31話「悪魔と天使の間に……」や『ウルトラマンA』(1972)第23話「逆転! ゾフィ只今参上」で、異様なテンションとインパクトある画面作りを見せた真船 禎(まふね・ただし)であった。ふたりともその作家性をこのストーリーで十分に発揮し、強烈な印象を残した。
なお、モロボシダンをМACの隊長として出演させたのは、「同じ出るならダンの役で」という森次氏の希望だったらしく、製作側は川上鉄太郎という地球人の人物を、設定として用意していたそうだ。
(展開)
決め技としての光線技を持たない代わり、卓越した運動能力がある(スーツアクターの二家本辰巳(にかもと・たつみ)は、後年『ウルトラマンティガ』(1996)以下、『ウルトラマンダイナ』(1997)『ウルトラマンガイア』(1998)で殺陣師となる。「『レオ』で1年もアクションが出来たなら、他でなら3年は続けられる」と、その当時周囲から言われたのは知られざる逸話)。
異郷の星でひとり生きなければならないという「戦う理由」もある。そして上司であり、巡り合った同じ宇宙人である、ダンの過剰すぎる期待もある。
なのに人として未熟なため、自分ひとりでは戦えない。それなのにウルトラ兄弟の援護も期待できない、唯一援護してくれるダンも、唯一残った武器『ウルトラ念力』を使えば彼自身の命を縮めてしまい、正体を言えないがゆえにМACはじめ地球人の世界でも孤立……『ウルトラマンレオ』は、何から何まで、とにかくゲンを孤独な戦士として生きる以外の道を許さない、過酷な作品世界をもって始まった。
続く第3話「涙よさよなら……」(脚本:田口成光 /監督:深沢清澄)では、スポーツクラブの教え子だった男子小学生の梅田トオル(演:新井つねひろ)の父親(演:二見忠男)が奇怪宇宙人ツルク星人に理由もなく斬殺され、彼と妹のカオル(演:富永美子)を引き取ってくれるはずだったМACの鈴木隊員(演:鹿島信哉)も車の扉ごと星人に斬殺されてしまう。
幼い兄妹は百子のもとに引き取られるが、ゲンは星人が残したレオの顔をしたメダルに彼の悪意を見て、絶対に倒してやると心に誓ったものの、ダンが命じた「三段攻撃」の特訓を、МACのピンチを聞いて投げ出して駆けつけたものの、その圧倒的な身体能力と両手の鋭い刀の前に、ウルトラマンレオとして敗退してしまう。
第4話「男と男の誓い」(同)でダンはそんなゲンの軽率さを容赦なく責める一方、滝壺に連れて行き、この流れを切るまで戦線復帰を許さないと厳命する。無茶苦茶な命令に苦悩するゲン。
春まだ遠い(撮影当時はまだ二月!)滝壺で水の冷たさに耐えながら、それでも特訓を続けるゲン。ダンの「流れの中に目標を見つけるんだ!」の言葉で滝の流れを実際に切ってみせたゲンは、その動体視力でツルク星人の猛攻を躱し(かわし)、三段攻撃でついに勝利をつかむ。
以後、父を失ったトラウマで幼児退行してしまったトオルを、ゲンがレオとして怪獣カネドラスを倒すことで立ち直らせる第5話「泣くな! おまえは男の子」(脚本:阿井文瓶 /監督:東條昭平)、自分の不注意で婚約者を殺された別の隊員の怒りがゲンに向けられる第6話「男だ! 燃えろ!」(脚本:田口成光 /監督:東條昭平)など、見ている側が劇中人物にテンションを合わせないとギャグになったりトラウマになったりする、よく言えば非常に「男臭い」、悪く言えば「コンプライアンスもポリティカルコレクトもない、狂気をはらんだ残酷さあふれる」ストーリーが乱発される。
一方、トオルが宇宙怪獣と友達になる「宇宙に架ける友情の橋」(脚本:土門鉄郎 /監督:深沢清澄)や、ダンの旧友が来日して騒動になる「冒険野郎が来た!」(脚本:阿井文瓶 /監督:筧(かけい) 正典)などのメルヘンめいたストーリーもあったが、「『レオ』=特訓」の図式が固定してしまった今では、半ば忘れられがちになってしまった。
この辺の混乱は『タロウ』のよさが忘れられない現場のスタッフの抵抗か、幼児層を置き去りにしたくないという制作側の判断かは、今となっては判断しかねる(先日発行された分析本『「ウルトラマンレオ」の出発(たびだち)』によれば、脚本家たちが書きたかったのはやはりメルヘンであり、スポ魂路線には懐疑的であったということだった)。
とにかくこの特訓路線は何度も書いたように「見るのがつらいウルトラマン」だけでなく、「特訓しなければ星人を倒せない=弱いウルトラマン」という図式を子供に植え付ける結果となり、第15話をもって一区切りとせざるを得なくなった。
オープニング主題歌『ウルトラマンレオ』(作詞:阿久 悠 /作・編曲:川口 真 /メインボーカル:真夏 竜)も、そのマイナーコードの曲調と、「炎が噴き上げ、嵐が巻き起こり、予言が当たって何かが終わる」という縁起でもない歌詞を嫌われてか、第14話より、より明るめの歌詞と曲調になった『戦え! ウルトラマンレオ』(作詞作曲編曲同じ /メインボーカル:ヒデ夕樹)に変更されてしまう。
続く第16話「真夜中に消えた女」(脚本:若槻文三 /監督:外山 徹)より、実質上「見よ! ウルトラ怪奇シリーズ」が開始されるが、その「怪奇シリーズ」のさなか、第19話「よみがえる半魚人」(脚本:田口成光 /監督:外山 徹)から、第21話「北の果てに女神を見た!」(脚本:田口成光 /監督:外山 徹)まで、3話にわたって北海道ロケが行われた。
梅雨の時期に梅雨前線の来ない北海道で撮影を強行して製作ペースを上げ、さらには地元観光業者とのタイアップで制作費を浮かすという「大人の事情」を差し引いても、話題作りとしては十分な効果を上げていたように思う。北海道編の放映は8月。今にして思えば、テレビの前の子供たちに少しでも涼しい思いをしてもらおうというスタッフの配慮だったと思いたい。
そして10月より、時間枠移動で裏番組になったフジテレビの『電人ザボーガー』(製作・ピープロ)が乱入、レオに同じく空手使いでありながら、明朗なキャラクターを持つ主人公大門 豊(演:山口 暁)と、東映のアニメ『マジンガーZ』(1972~74)にはじまるロボット路線を持った強力なコンテンツで、前々作『ウルトラマンA』で裏番組『変身忍者 嵐』(1972・東映)を破るほどのパワーを番組として持つに至らなかった『レオ』は、以後、「迷走」と呼ぶべき混乱をシリーズ構成として見せるに至った。
とにかく迎え撃つ『レオ』側は、2学期が始まって間もない9月6日放映の第22話「レオ兄弟対怪獣兄弟」(脚本:田口成光 /監督:深沢清澄)より、レオの生き別れの弟・アストラを登場させ、レオの孤独をある程度救済した一方、続く第23話「ベッドから落ちたいたずら星人」(脚本:若槻文三 /監督:深沢清澄)で児童文学を思わせるファンタジー編、さらには24話「美しいおとめ座の少女」(脚本:奥津啓二郎 /監督:前田 勲)でシリアスなSFドラマと、よく言えばバラエティに富んだ、悪く言えば先述の通り「迷走している」展開となった。
『ザボーガー』との差別化のためか、第26話「ウルトラマンキング対魔法使い」(脚本:田口成光 /監督:大木 淳)より第32話「さようならかぐや姫」(脚本:石堂淑朗 /監督:中川信夫)まで、幼児層に的を絞った「日本名作民話シリーズ」を放映することとなった。
今となっては郷土史に関心がない限り、「おとぎ話」として世界昔話と一緒くたにされてしまう「日本昔話」だが、1994年まで放映が続いたテレビアニメ『まんが日本昔ばなし』(製作・愛企画センター)がこの翌年の放映開始だったことを考えると、その当時、日本昔話はまだ有効なコンテンツだったのだ。
第26話の「レオは、ますます面白くなるねェ」という嵯川哲朗のふざけたラストナレーションに生意気盛りの小学校中学年以上は反発を覚えただろうが、今思えば、このくらいのおふざけがあってもいいじゃないの……という気にはなる路線ではあった。
このシリーズには『ウルトラマン』(1966)の主演とヒロイン役(黒部 進と桜井浩子)や、『ウルトラセブン』(1967)でダンの恋人を演じたひし美ゆり子をゲスト出演させるなど、過去のシリーズのキャストが続出している。前作『タロウ』が「現代の民話」になってしまったことで見るのをやめたSFファン……かつてのウルトラ視聴者を呼び戻す対策だったかもしれないが、正直なところ、この真相は分からない。
また黒部氏と桜井女史が共演した第30話「怪獣の恩返し」(脚本:田口成光 /監督:筧 正典)では、レオの故郷を滅ぼして第1・2話で地球で対決し、そのまま逃げたマグマ星人が再登場するが、さしたる因縁も見せずにあっさり星人を倒している。
これが上原正三脚本ならその辺きっちり見せただろうが(氏の代表作『電子戦隊デンジマン』(1980)や『宇宙刑事シャリバン』(1983)は、それだけで1年間番組を保たせたのだ)、ここはレオが以後の戦いで経験を積み、復讐なんて次元を軽く超えた「ヒーロー」としての成長を見せたのだと解釈するのが妥当だろう(この辺の解釈は、同人作家黒鮫健武隊こと山田あゆみの説に依った)。
とにかく第26話に初登場したМ78星雲の長老・ウルトラマンキングに究極の楯「ウルトラマント」を、このシリーズ終了後の第34話「ウルトラ兄弟永遠の誓い」(脚本:阿井文瓶 /監督:前田 勲)で、ダンの援護のためとはいえ、ウルトラマンジャックから第4のカプセル怪獣(正確には「怪獣ボール」)としてセブンガーを授かったレオは、この辺から悪く言えば凡庸な、よく言えば安心して見られるヒーローとなる。
しかしその安寧は長くは続かなかった。1974年も押し詰まった第38話(12月27日の放送)「決闘!レオ兄弟対ウルトラ兄弟」(脚本:若槻文三 /監督・東條昭平)、年も明けた第39話「レオ兄弟 ウルトラ兄弟 勝利の時」(脚本:田口成光 /監督:同)で、アストラに化けたババルウ星人の策略でウルトラの星の制御をしているウルトラキーが盗み出され、怒り狂ったウルトラ兄弟と、事情を知らずにアストラ(ニセモノ)を庇うレオが地球で激突、制御を失ったウルトラの星が地球への激突コースを取るという極限のピンチまでおまけについてくる中、МAC隊長として故郷の星を爆破しなければならないダンの苦悩までが描かれる。
兄と同じく地球に定住するという道を選ばず、宇宙を放浪していたアストラだが、結局本物の彼は北極星で見つかり、大ピンチの地球に連れ帰ったレオはババルウの計略を完全粉砕。ウルトラマンキングの推薦で、レオはアストラとともに、ウルトラ兄弟として正式に迎え入れられる。
ちなみに『タロウ』で完成したウルトラ兄弟の設定は、小学館学年誌で話を拡大され、幼い視聴者たちはこれを読んで「マグマ星人率いる怪獣軍団と戦うウルトラ兄弟の大河ドラマ」を『レオ』に期待していたようだったが、このエピソードはその斜め下を行く展開となり、子供たちを驚愕と失望に陥らせたものだった。
しかしその無念は、シリーズ終了後に内山まもるがその学年誌、さらにそこから発展した『コロコロコミック』誌(1977年創刊)に連載したマンガ『ザ・ウルトラマン』(1979年のアニメとは無関係)ほか、幾多のマンガ家によるコミカライズがある程度晴らし、1979年の『ザ☆ウルトラマン』(先述のそれ)に始まる「第3次ウルトラブーム」につなげていったのである。
ここまでならハッピーエンドだが、ドラマこそ充実していたものの、「МACメカの出番がとうとうなかった、しかもクリスマスシーズンを意識することもなく!」と、メカ関係のオモチャを販売していたタカトクトイスがスタッフに激怒、スポンサーを降りてしまった(出典:『特撮ドラマ「ここがヘンだよ!」100連発!!』(2011・ダイアパレス刊)57ページ)ため、またもの時間枠移動で宿敵『ザボーガー』が裏番組から去ったとはいえ、番組は更なるローコスト化を超える、「番組自体の革新」を迫られた。そのために産み出されたのが第4クール「恐怖の円盤生物シリーズ!」だった。
その第1話(通算第40話)「МAC全滅! 円盤は生物だった」(脚本:田口成光 /監督:深沢清澄)で、МAC基地は円盤生物第1号機・シルバーブルーメ(この「ブルーメ」がフランス語で「貝」の意味だったことを筆者が知ったのはかなり後)に早々と食われてしまい、シルバーブルーメはその余勢を駆って新宿の街を破壊、トオルを残したゲンの関係者を全員死亡させてしまう。生死不明のまま宇宙に放り出されたダンを頼ることもできず、唯一の肉親だった妹を失ったトオルを思えば悲嘆にくれることもできず、ゲンは孤独な戦いに身を投じることになる。
どういう経緯でか看護師の美山咲子(演:春川ますみ。公になる設定ではなかったが、モロボシ・ダンと旧知の仲だったという事が最近明らかになった)の家に身を寄せることになったゲンとトオルだが、女手一つで娘(いずみ。演;奈良富士子)を大学にやるほど気丈でかつ優しい彼女と、トオルと仲良くなりながらも、決して同じレベルまで悲嘆にくれることのないその妹あゆみ(演:杉田かおる)の女所帯は、ゲンにとっての新たな「守るべきもの」、トオルにとっては「初めて知った母なるもの」であり、ここにきて『レオ』は「戦うホームドラマ」という、『ウルトラ』において異色な存在となった。『帰ってきたウルトラマン』以来、地球人の家族がウルトラマンにレギュラーとして絡むのはシリーズの定番だったが、ここまで徹底はしていなかった。
スーツアクターではなく操演で動く、そしてその当時からブームを見せていた「未確認飛行物体……UFO」でありながら、タコとかクラゲとかクモヒトデとか、どこか地球の海産物を連想させるビジュアルで「生物」を主張している「円盤生物」という新しい敵の一群にはインパクトがあり、それを次々地球に招来させてレオ打倒と地球侵略を母星ブラックスターに頼むブラック指令(演:大林丈史)を敵方のレギュラーとして話の連続性を持たせながら、以後、終末感溢れるエピソードが続出する。
ぜい肉を落とすだけ落としたがゆえ、さらには「もう後なんかないんだ」という開き直りから、脚本と演出……本編スタッフの力量が120%発揮され、結局は「ドラマのTBS」「カネがないならドラマで勝負の円谷プロ」の名に恥じないクオリティは保証されたが、それでもウルトラシリーズの打ち切りというTBSの決定を覆すには至らず、以後円谷プロは、俳優を必要としないセルアニメとの合成や、『トリプルファイター』以来の本格的変身ヒーローの企画で生き残りを図る方針を取った。それが結実したのが1976年の『恐竜探検隊ボーンフリー』だったり『プロレスの星アステカイザー』だったりするのだが、その辺の解説は、いずれ機会があったらすることにしよう。
最後になったが、この放送全51話の中から特に筆者が推すエピソードをいくつか紹介して、この駄文の締め括りとさせていただきたい。
第3話「涙よさよなら……」・第4話「男と男の誓い」(脚本・監督は紹介済み)
……「これが『ウルトラマンレオ』だ!」と、初心者に見せるならこの前後編をまず見せると筆者は決めている。ゲンの未熟さ、ダンの苦悩、何も語らずに殺戮を繰り広げる「星人」の恐怖、МACの無力さ、それでも勝たねばならないレオの宿命……番組が当初目指したものが、余すところなく語られているからだ。
子供のころ見たときは殺伐とした展開に寒気が走ったものだが、大人になって現実社会に打ちのめされた眼で再見した時、過酷な特訓の末にリターン・マッチを制したレオに、再び立ち上がる勇気をもらったのも確かだ。
また、「流れの中の目標」として登場した花びらとしての桜が、ラストシーンで勝利した二人をさりげなく見送るという演出の完成度にも、見るべきものがあると感じた。
第15話「くらやみ殺法! 闘魂の一撃」(脚本:田口成光 /監督:外山 徹)
……この話を以て「特訓編」は実質上終了するのだが、分身の術を使うフリップ星人(ひな壇芸人ではない(笑))を破るために心眼をマスターする必要に迫られたゲンに心眼を授けたのが、『スーパーロボット レッドバロン』(1973・日本現代企画)の仕事を終えたばかりの潮 哲也演じる盲目の青年。
『ライオン丸』シリーズ(1972~1973・ピープロ)の主演でも知られるイケメンに、百子を巡って嫉妬する、さらには彼が黒潮島(先述)の生き残りであるという過去を知って苦悩する、ゲンの人間臭さが印象に残る。
第29話「運命の再会! ダンとアンヌ」(脚本:阿井文瓶 /監督:山本正孝)
……特撮界不動のベストカップル、『ウルトラセブン』のモロボシダンと友里アンヌ。『セブン』の続編である『レオ』であるなら、ない方が不自然なエピソードだが、実際に脚本家になるまで『ウルトラ』を知らなかった阿井氏の筆により、いろいろと曖昧な謎を残した話になってしまった。
ただ当時を知る他のスタッフは、ウリーをセブンとアンヌの実子ということにしたかったようだが(その残滓が宇宙人の捨て子・ウリーのコスチュームコーディネートだったり、その変身後の超能力星人ウリンガのデザインにほの見える)、解釈として劇中の台詞通り宇宙人の捨て子……というより、「アンヌと、別の宇宙人の間に生まれた子供(ただし父親は既に死んでいる。アンヌの言葉はかつての恋人を前にしての女心)」と考えるのが妥当だろう。
その後、ウルトラマンゼロの基本設定(ウルトラセブンの息子)を知って愕然となった筆者だが、この記事を書くにあたってDVDを見返し、「それなら仕方ない」と、現実をようやく受け入れるに至ったのは確かだった。
なお、このストーリーは『きつねがくれた子』というお話を下敷きにしているという事になっているが、そういう題名の話は、民話にも児童文学にも存在しない。しかしかろうじて『狐の呉(く)れた赤ん坊』というオリジンが、映画として存在する(1945。監督:丸根賛太郎)ことが、今回の調べで明らかになった。
第37話「怪奇! 悪魔のすむ鏡」(脚本:田口成光 /監督:岡村 精)
……母を知らない梅田カオルの前に、母を装って現れたマザラス星人。歪んだ母性が暴走したマザラス星人が、鏡の世界で般若の面をつけてレオと対決するシーンが、東映の『宇宙刑事』シリーズ(1982~85)みたいなシュールさで印象深い。
母の姿をしたマザラス星人を演じたのが「第1次ウルトラブーム」で特異な演出を見せた実相寺昭雄監督の御夫人・原 知佐子であることは有名な話。のちに声優・富永みーなとなるカオルの歌う挿入歌『大の字に』も、無気味にいい味を出している。
第40話「МAC全滅! 円盤は生物だった」(脚本・監督は紹介済み)
……それまでの星人も怖かったが、それよりも強い円盤生物の怖さをストレートに描いた一篇。
いきなり襲われ、野戦病院と化したビルの中で妹の死を思い知らされる残酷なショットと、そのトオルの心情を、彼女のために買ってやったトーク人形が虚しく語り続けるという形で見せる演出はトラウマ級。
ビルの混乱ぶりは名画『ゴジラ』(1954・東宝)の模倣かと思われがちだが、3・11を経験した現在の我々にしてみれば、その切迫感や絶望感が、現実のそれだったことを知っている分、その予言だったのか? という気にさせられる。
第49話「死を呼ぶ赤い暗殺者!」(脚本:阿井文瓶 /監督:山本正孝)
……円盤生物ノーバのチープすぎる造形(変なテルテル坊主……)と、それを裏切る凶悪さ(赤いガスを吐き、人々の殺意をかき立てる)、トオルの深い孤独と癒えない悲しみを養分に街をパニックに陥らせながら、それでも彼を信じ続ける咲子の母性愛が泣かせる一篇。
この2週間後に迎えた最終回「さようならレオ! 太陽への出発(たびだち)」(脚本:田口成光 /監督:山際永三)で、ゲンは最後の円盤生物ブラックエンドを倒し、トオルもあゆみらとともにブラック指令を倒すのだが、それを見たゲンがヨットに乗ってひとり旅に出たのは、自分が彼に男として教えることはもうないと感じたから……というのが定説だ。
しかし、ここはこの話で咲子がトオルの支えになった、美山家の一員として彼を本気で迎え入れたことを確信してのことだろう……と筆者は解釈している。
第50話「レオの命よ! キングの奇跡」(脚本:石堂淑朗 /監督:山際永三)
第51話(最終回)「さようならレオ! 太陽への出発」(脚本:田口茂光 /監督:山際永三)
……ストーリーとして直接の繋がりはないが、「ブラックスターが狙ってるのはこの地球じゃなくて、レオなんじゃないかなって思うの」といういずみの何気ないセリフから始まる彼の苦悩と、そこから導き出されたトオル達との決別を叙情豊かに描いたドラマとして、ゲン=レオの視点で続けて見直すと見事なつながりがあることに気づく。
いくら「主人公が負けるタイミングが実はあるよね、いつだかわかる? 最終回の直前だよ」という法則があるからといって、『タロウ』第52話『ウルトラの命を盗め!』(脚本:石堂淑朗 /監督:筧 正典)における「スルメになったウルトラマンジャック」の衝撃を超える「レオのバラバラ死体」というトラウマ画面が第50話で提示されたりするのはあんまりだという気もする。
しかし、「(ウルトラマンという)「暴力装置」があるから私たちに次々脅威が迫って来るんじゃない?」という第50話の問いかけは、以後のウルトラシリーズや他社のロボットアニメで、クリエイターたちにそれぞれ答えを求め、日本のアニメや特撮を、もう一段深いクオリティを持つものにしていったことは間違いない。
(番外)『ウルトラマンメビウス』第34話「故郷のない男」(脚本:赤星政尚 /監督:小原直樹)
……ウルトラ兄弟の一員として、宇宙で戦っているウルトラマンレオのその後を描いた一篇。ゲン(演:真夏 竜)はテレパシーでメビウス=ヒビノ・ミライ(演:五十嵐隼士)を呼びながら修行僧の姿で現れ、地球の護りとして戦う彼と防衛組織チームGUYS(ガイズ)に「俺ほどの覚悟はあるか?」と厳しく問い詰め、自ら憎まれ役を演じる。しかし彼の覚悟と地球への強い思いを知り、ミライはあらゆる光線技を跳ね返すリフレクト星人へのリターン・マッチに挑むという話。
「熱血バカが喜びそうな展開ね」というカザマ・マリナ隊員(演:斉川あい)の冷笑をごもっともと思いながらも、孤独な特訓を積むミライのもとに仲間が駆け付け、薪(たきぎ)に火をつけるアイハラ・リュウ副隊長(演:仁科克基)からヒントをつかんで、レオとのW錐もみキックで星人を倒すなど、原典へのリスペクトを忘れることなく、かつ時代の変化……2006年のウルトラマン像に合わせた佳作になっている。
(参考文献)
『ウルトラマン大百科』(1978・勁文社)
『全怪獣怪人』上巻(1989・勁文社)
『メーキング・オブ・円谷ヒーロー②』(1987・講談社X文庫)
『タツミムック「心にウルトラマンレオ」』(2001・辰巳出版)
『キャラクター大全 特撮全史 70年代』(2016・講談社)
神谷和宏『ウルトラマンと「正義」の話をしよう』(2011・朝日新聞出版)
切通理作『怪獣少年の〈復讐〉 70年代怪獣ブームの光と影』(2016・洋泉社)
白石雅彦『「ウルトラマンレオ」の出発(たびだち)』(2024・双葉社)
橋本 聰『特撮少年』Vol.5(1987・同人誌)
ウルトラ解釈大作戦『運命の再会! ダンとアンヌ』(http://urutorakaisyaku.com)
『冬木 透の音楽世界 ウルトラマンA/ウルトラマンレオ』CD解説書(1990・日本コロムビア)
レンタルDVD『ウルトラマンレオ』全13巻(2006・バンダイビジュアル)
レンタルDVD『ウルトラマンメビウス』第8巻(2007・バンダイビジュアル)
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