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仮面ライダー555 〜後半合評1 幼児と児童でのライダー人気の落差に着目すべし!


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仮面ライダー555 〜後半評①

(文・T.SATO)
(03年10月執筆)
 TVの数年後と喧伝された『劇場版 仮面ライダー555(ファイズ) パラダイス・ロスト』にてはじめて明かされた、主人公555(ファイズ)こと乾巧(いぬい・たくみ)の正体も、敵と同じオルフェノク怪人だった! との衝撃的な展開。
 そこではじめて、全キャラは敵味方ふくめて主人公の正体を知ったワケだ。
 (劇中キャラだけでなく、試写会でも封切り館でも観客にオドロキの声が! ……だから主人公の真の正体を察知してるヤツは“多数”なんていないし、そもそもフツーじゃない、特殊感性のそれこそオリジナル・オルフェノクなみの畸形人間なんだっつーの・笑)


 ところが、劇場版の公開期間が終わるや、現代を舞台とするTV本編でも早くも主人公が正体を露出。敵味方ふくめてキャラが驚嘆し(!)、劇場版とはパラレルワールドと化した!
 ……アッパレ! 個人的には、この展開をオイラは支持するゾ。
 まぁ前作『仮面ライダー龍騎』(02年)のTV版と『劇場版 仮面ライダー龍騎 EPISODE FINAL』の関係と同じだから、視聴者側にもあまり抵抗ないだろうし、気張って主張するほどのことでもないけれど。TVの数年後を謳っていた劇場版は、別にTV版の真の最終回とは一言も云ってなかったし(笑)。
 今後の展開が劇場版に収斂するのか? ということを確認するために作品を見るのも息苦しいし、細部のまちがいを発見するために見続けるイタイ輩が跋扈するのも不愉快なので、個人的にはホントウに心から大カンゲイ。


 まぁ主人公が、自身がオルフェノク怪人である記憶を抑圧していたという点は、ツッコミすればイロイロ矛盾点やムリはあるのだろうけれど(笑)、アダルティではあってもユルさもある平成『仮面ライダー』の世界観では、境界線でなにか許されるような許されないようなビミョーなヤリすぎ新事象・新展開は、筆者的にはドラマ・物語一般の作り方としてもまちがっていないと思います。


 小ウルサいマニアのみなさんはともかく、大多数の善良なる小羊の視聴者は「アレ?」と違和感をいだきつつも、そーいうモノか的に受け流していくものなのではないでしょうか?
 それこそが悪いのだ! とか、それでイイのだ! と思うかで、また意見は別れるでしょうが、筆者は後者です。


 平成ダークナイト(『科学戦隊ダイナマン』(83年)の敵ライバル)こと、3人目のライダー・仮面ライダーデルタは、敵側キャラになるのかと思いきや、いろいろ変身ベルトの持ち主が変遷して仮面ライダーカイザ同様、流星塾生のひとりの元・救急戦隊ゴーグリーン(笑)が変身ベルトを所有することで決着。
 かと思いきや、レギュラー敵(じゃないけど・笑)怪人のハンサム・ストイック兄ちゃん・木場が新たに仮面ライダー555(ファイズ)をやってたり。
 子供番組として正しい姿かはともかく、でもテンポはよいし、バトルは散発的でも華があるし、ヒーローも変身しちぇばナゼかヒーロー性豊かになってカッコいいし、結果的に子供にもアキさせないだろうから(劇場版の長時間では苦痛らしかったけど・笑)、イイんじゃないですか? 筆者はまぁまぁスキですョ。


 あと、メインキャラクターの恋情要素は、一般ドラマでもやってるから不要っていう分析は一理あるけど、逆に一般の女性・主婦層はそれを本来ありそうもない特撮変身ヒーローものに発見するからこそ、斬新・新鮮で底上げしてハイブロウに感じて、トキメいて支持したくなるという心理もあるのでは? という分析も成り立つのではなかろうか。
 恋愛要素は一般ドラマでも見れるって云うけど、それはバブル期のことで、バブル崩壊のここ10年ではむしろ少数派。ならば、平成『仮面ライダー』が世の女性層の潜在需要をイタダキしてしまおう。……て云うか、『555』にかぎらず井上敏樹作品は、三角四角五角六角関係が常なので、やはりフツーの恋愛ドラマじゃないけれど(笑)。


P.S.
 来年04年は石森章太郎作品『人造人間キカイダー』(72年)のリメイクというウワサも聞いてたけど、別スジから来年も『仮面ライダー』で、メインライターは宮下隼一(みやした・じゅんいち)氏というウワサも入ってきた。氏のクールな乾いた作風は、平成『ライダー』にマッチしてそうで、シリーズもまだまだ延命できるんじゃないですか?
 イケメン役者が左右が赤&青の原色ケバケバなキカイダーに変身するよりかは、一応シックなカラーの仮面ライダーに変身した方がまだ世間的にはオシャレな気もするので、イケメン特撮ブームの旗手としても、個人的には『仮面ライダー』にしばらく続投してほしいものだ。なお、東映は今秋開始の実写版『美少女戦士セーラームーン』(03年)に加えて、さらに第4の特撮番組を準備中だとか。

(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2004年号』(03年12月29日発行)『仮面ライダー555』劇場版&TV後半合評⑨より抜粋)

仮面ライダー555 〜後半評② 甦る「変身!」という魔法の言葉

(文・内山和正)
 主人公・乾巧(いぬい・たくみ)が髪型をかえたらジャニーズSMAP(スマップ)木村拓哉氏に似ていると思ったが、当初からそう言われていたとのこと。とするとあの巧の性格は……
 かつて最高視聴率41.3%を記録したTVドラマ『ビューティフルライフ』(2000・正式タイトルは『東芝日曜劇場・Beautiful Life 〜ふたりでいた日々〜』)において北川悦吏子さん(脚本家)は、我々凡百の男が女性に対して口にしたら軽蔑されるが木村氏が口にすれば魅力に転じるセリフを連打したものだが、巧の人物像に木村氏が影響しているのだろうか?


 その髪型の変化に前後して(だったと思うが記憶ちがいかも)変身できぬ状態での戦いが展開される。
 巧と木場勇治(きば・ゆうじ=ホースオルフェノク)の路上での危機、スマートブレイン本社の地下へ逃げ込んでの巧と草加雅人(くさか・まさと=仮面ライダーカイザ)の生き残りとベルト奪還をかけての戦いである。
 どちらとも相手がオルフェノクのエリート集団・ラッキークローバーであるだけにスリルが高まる。このような素顔での戦いが見られるようになったのも原点回帰をうたった作品であるせいだろうか。


 やがて巧がオルフェノクの姿を見せる回が来る。映画ですでに明かされているし、元々多くの人が予想していたことなのでそれ自体は驚くことではないがオルフェノクとわかったとき彼はどのようになるのだろうかというのが興味深かった。
 おそらく命を落としてオルフェノクに転生する展開だろうと思っていたのだが、子供のころにオルフェノクとなり自分でオルフェノクと知っていたというのは意外だった。
 人を傷つけるのを恐れて職場を転々としてきたとの設定はそれゆえと納得できるものの、そのこと自体はオルフェノクではない普通の人間でも要領悪い人ならあるもの。それ以外のこれまでの彼の行動・意識と辻褄はあうのだろうか?
 さらに流星塾同窓会でのオルフェノク襲撃事件に出くわして流星塾出身のヒロイン・真理と既に会っていたことも明らかになり、巧が記憶喪失、真理が記憶操作をされていたにしても、九州での偶然の出会い(実は再会だった)が都合良すぎるように思えてくる。これも誰かに操作された出会いだったのだろうか?


 自分が人を殺していると騙されて苦悩、いつ人を襲うかとの不安にかられ仲間のもとを去り生きる資格はないと苦しむ巧。それを克服して以後の姿もふくめ(彼らしさを残しつつも)倫理観を欠いていた前半とは別人の如くのいい人ぶりだ。そして、オルフェノクであることを抱えて生き戦っていくというテーマは序盤の意識が曖昧だった木場勇治たちよりもストレートに感じられる。


 流星塾の面々は人工的にオルフェノクにすべく一度殺され(澤田以外)オルフェノクにならなかったものの記憶を奪われた人間だったこと、仲間を殺してしまった元凶のオルフェノクなのかと多くの視聴者が思っていたであろう草加雅人が記憶を奪われるまえに抜け出した存在だったことが判明。
 もろに平山亨(ひらやま・とおる)プロデューサー時代の昭和ライダーでの悪の組織の人体改造の再構築であり、巧には“人間でなくなりながら人間の意識を持ち人間を守るため、同じ種族になった者と戦わねばならなくなった”要素が、草加雅人には“人体改造をほどこされ脳改造の前に脱出し、怪人化したかつての友を葬った”要素が分けて組み込まれており完全に原点回帰。
 こうなってくると白倉プロデューサーの、原点に戻るといっても旧1号に戻そうということではないとか、昔のライダー的な境遇が現在では主人公としては許されないから勇治たちに振り分けたとの発言が疑わしくなってきた。もちろんドラマの真相を見透かされたくなくて言ったことであろうし責める気もないが賛否両論だろう。


 当面の敵かと思われたラッキークローバーがズルズル長生きしているのには驚いた(前々作『仮面ライダーアギト』(2001)でもイヤミだが情けなくて性格の悪い北條刑事役で注目されて、本作でもセンチピードオルフェノクこと琢磨逸郎(たくま・いつろう)を演じる山崎潤氏の人気ゆえある程度長く登場するとは思ったが)。それどころかラッキークローバーは常に4人いないと……とこだわりすぎているのにもなかば幻滅。
 イケメン子役出身の内山眞人氏(後日付記:のちに『ウルトラマンネクサス』(2004)に変身する千樹憐(せんじゅ・れん)、『仮面ライダーカブト』(2006)の影山瞬仮面ライダーザビー仮面ライダーパンチホッパー))演じる気弱な少年・小林(ラビットオルフェノク)がラッキークローバー入りをそそのかされて野望につかれて人が変わり、木場勇治を倒す課題の遂行のために卑怯な手をうち勇治に殴りつけられてもとどめはさされず生き延びたものの、たまたま遭遇したカイザに息の根をとめられてしまう「弱者が大きな夢を持っても無駄」というダークな展開のころは、オルフェノクたちをそそのかす役職として必要なのかと思われたが、いまや本気でラッキークローバーの存在が必要なようで、オルフェノク界というかスマートブレイン社の村上社長の権力が貧弱に見えてしまう。
 しかし、流星塾という受難者集団が『アギト』でキーとなる海難事故に遭遇した客船あかつき号の人々を思わせるうえ、ラッキークローバーの琢磨にまで「さん」づけで呼ばれるため、「オルフェノク界の木野さん(あかつき号受難者連のまとめ役でアナザーアギトにも変身できる御仁)」的たくましく頼りになる中年男性を連想してしまっただけに、ラッキークローバー最強と噂されていた遂に登場した北崎(ドラゴンオルフェノク)が、知的障害者風のニヤけた長身・パーマ髪の少年であったのには衝撃をうけた(ナイストリック・ナイスミスディレクション!)。


 第3のライダー・仮面ライダーデルタは誰でも(オルフェノクや人体変造された者だけ?)変身できるため持ち主を次々変えて行く。
 その展開のなか円谷作品(映画『ウルトラマンティガウルトラマンダイナ&ウルトラマンガイア』(1999・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19981206/p1)や『ブースカブースカ!!』(1999)他)でおなじみの斉藤麻衣さん演じる木村沙耶(きむら・さや)がデルタとして戦っていることがわかる。(はじめて拝見した頃が子役だったせいもあり)やたら女っぽくなってしまった彼女に抵抗を感じつつもついに女性ライダーがテレビに登場かとよろこび、微妙な立ち位置に注目したのだがアッサリ死んでしまった。せめて変身ポーズを見たかった。
 デルタギア(変身ベルト)は北崎に渡り、ライダー対ライダーの戦いが展開する。あれこれあった末、流星塾出身の青年の一人・三原がデルタになる。戦うのが恐いので変身をこばむというキャラクターのせいもあるのだろうが、北崎はもちろん沙耶の変身したデルタよりも弱いのではないかと思われヒーローとしては少し残念。


 デルタギアの変転、巧から預かったファイズギアを使って勇治がファイズに変身など様々なパターンが見られたうえ、立ち直った巧の変身したファイズブラスターフォームの格好良さもあり、『555』初期には感じられなかった「変身!」という言葉へのときめき・あこがれが激しく甦ってきて心のなかで(もちろん口に出していては恥ずかしいから)叫んでいることしきり!


 人を殺さないのが人間の証とばかりに心の持ちようでオルフェノクでも人間でいられるという結論にたどりついた巧たちだが、外部の者である警察が関与してきたことでそうも言っていられなくなる。
 身を守るために警察をあやめてしまう結花と勇治(少なくとも初期編での彼らがした殺戮や人間を守る決意よりは納得いく行動である。だからといって一息に人間が信じられなくなってしまう勇治にも疑問を感じるが)、裏で利用しあう村上社長と警察幹部・南雅彦、メル友の相手であったことに気づきあいオルフェノクと知っても結花を愛する啓太郎、果たしてドラマの行方はどこへむかうのだろうか?


 この展開には『アギト』で放り出してしまった人とアギト(突然変異・ミュータント)の共存、警察による迫害をもう一度描こうという意向があるのだろうが今度こそ描ききれるのだろうか?
 劇場版への出場をのぞんだことがきっかけでか松田悟志氏(前作『仮面ライダー龍騎』(2002)の仮面ライダーナイトこと秋山蓮(あきやま・れん)役)が声のみ第42話のクラブオルフェノク役で出演されたり、南雅彦役で『超光戦士シャンゼリオン』(1996)のライバル・暗黒騎士ガウザーや『仮面ライダーアギト』の沢木哲也でおなじみ小川敦史氏が登板、北崎には白倉プロデューサーもかかわってはおられたという『仮面ライダークウガ』(2000)の最終敵ン・ダグバ・ゼバのイメージも感じられるなど、白倉プロデューサー卒業を記念してかイケメンライダーシリーズの集大成的様相を呈してきた。
 真理役の芳賀優里亜さんは偶然だろうが『アギト』のヒロイン・真魚(まな)役の秋山莉奈さんと洋画『スパイキッズ』(2001・アメリカ)のキャンペーンでユニットを組んだ過去もあり、まさか起用にそれが意識されていたりして?(違うと思うが)


 私事で恥ずかしいがかつて、その年のヒーローものがあまり楽しめないとき、自分なりのヒーローものを頭のなかで妄想・企画してたのしむことが多かった。しかしこの『イケメン仮面ライダーシリーズ』はそのような不満を感じさせはしない(『555』序盤を除く)。どの作品もたのしませてくれた(個人的に一番入り込んで見たのは『龍騎』か。もちろんどの作品も欠点や物足りない点などはあるが)。
 どうか、今後の『仮面ライダー』を引き継ぐ新しいスタッフにもこの至福の時を壊さず続けていってほしい。

(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2004年号』(03年12月29日発行)『仮面ライダー555』劇場版&TV後半合評⑩より抜粋)

仮面ライダー555 〜後半評③

(文・M.OOBA)
 『仮面ライダーファイズ(03)』ですが、番組当初掲げていた「正義も悪もなく、登場人物が敵味方に分かれて戦う群像劇」から「人間を守るオルフェノク(別に正義のオルフェノクでも可)」対「人間に危害を加えるオルフェノク(悪のオルフェノクでも可)」の戦いのドラマに変化している。


 ただ、ドラマの面白さについては平成仮面ライダーの中では群を抜いて面白いのであるが、ドラマ面を重視しすぎてヒーローの描写やアクション面が犠牲になっている。特に、「平成のザボーガー(『電人ザボーガー(74)』)」ことオートバジンや、ファイズのアクセルフォーム(短時間無敵という設定がイカス)の描写が少ないのが残念だ。
 ファイズ・アクセルフォーム、無敵だと思っていたのに、ドラゴンオルフェノクこと北崎に負けてしまった……。でも、逆に今度はファイズの新フォーム・ブラスターフォーム(ああ、ネーミングがイカス)にドラゴンオルフェノクが倒される展開は、さながら少年マンガごとき展開だ。


 ちなみに、ブラスターフォーム登場の前後の回は、新フォームの登場、三大ライダー勢ぞろい、巧がファイズでなく仮面ライダーデルタに変身、巧の改めて人間として戦うことの決意、流星塾の同窓会事件の真相、ファイズのアクセルフォームを破るドラゴンオルフェノクの圧倒的な強さ、澤田の最期などドラマ・イベント等がバランス良く構成されたエピソードで私は高く評価してます。


 ドラマという意味では、『ファイズ』は仮面ライダーやヒーローものというよりも「人間の心を持ちながら人間以上の力を持った者or人間でなくなった者」のドラマでも成立する。まあ、啓太郎以外は主要人物のほとんどがみんなオルフェノクオルフェノクに準ずる者)だからなあ(それにしても草加仮面ライダーカイザの唯我独尊・異常なキャラクター設定はすごいな)。
 一時期のキャラクター間のドロドロというか泥沼の人間関係は凄かった。特に、巧と木場の対立は深刻であったが、関係は修復したかと思ったら次の放送の回(03年11月30日)でまた関係が悪化しそうな気配が(しかも、木場が完全にオルフェノクになりそうな気配だし)。まさに昼ドラ(主に東海放送系)も真っ青の泥沼の展開だ。
 一部のファンに指摘されているが、『仮面ライダーファイズ』という作品は「70年代の特撮ヒーローものの解体・再構築」だということだ。しかし、『ファイズ』の根底に流れているのは、「人間の心を持った人造人間のドラマ(群像劇)」である『人造人間キカイダー(72)』、『キカイダー01(ゼロワン)(73)』なのだろうと思う。ハカイダーハカイダー四人衆を彷彿させる村上社長(ローズオルフェノク)とラッキークローバー4人(あと、サイドカー付きバイクのサイドバッシャーも・笑)。


 それにしても、残り放送回数少ないのに警察まで出して話を混乱させるなんて、白倉Pと井上敏樹コンビ、「ああ、また色気出しちゃったよぉー」。
 警察側の登場人物で、『仮面ライダーアギト(01)』の沢木哲也役の俳優さんが再登場するよりも、主に声優として活躍する石田太郎氏が老刑事役で登場する方がディープインパクトだったよ。個人的には石田太郎氏演じる老刑事にはファイズオルフェノクの戦いにの謎に迫る、人間側の代表(あと、巧たちの理解者)として頻繁に出てきてほしかったが。

(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2004年号』(03年12月29日発行)『仮面ライダー555』劇場版&TV後半合評⑪より抜粋)

仮面ライダー555 〜後半評④ 幼児と児童でのライダー人気の落差に着目・論考すべし!

(文・久保達也)
 夏の04年準備号において、子供たちの間での『ファイズ』の人気が意外に低いのではないかと思わせるバンダイの調査結果を紹介したのだが、毎年10月第3週日曜日の「孫の日」(まあ流通業界が勝手に決めたものなのだが……)を前にキャラクターデータバンクが調査した結果によれば、「子供が好きなキャラクター」の幼稚園児男の子部門では『ファイズ』がなんと第1位!
 ちなみに第2位は『星のカービィ』(01年)、第3位は『仮面ライダーシリーズ』(これは『仮面ライダー』(71年)に始まるシリーズ全般の総称ではなく、おそらく『仮面ライダークウガ』(00年)以降の平成作品を指していると思われるが)、第4位は『爆竜戦隊アバレンジャー』(03年)であり、第5位が『ポケットモンスター』(97年)であった。
 要するに幼稚園児の男の子の間では『ポケモン』よりも『ファイズ』の方が断然人気が強いのだ。


 だがこれを見て安心してはいけない。同じ調査の小学校低学年の男の子部門では第1位は『スヌーピー』(??? ホンマかいな?)、第2位は『NARUTO−ナルト−』(『週刊少年ジャンプ』連載の忍者マンガ(99年)のアニメ化(02年))、第4位が『ポケットモンスター』であった。残念ながら第3位と第5位は失念したが(この調査結果は大手スーパー・イオンの玩具売り場に掲示してあったもの。ちゃんとメモ取らんかいっ!)、少なくとも『ファイズ』と『アバレンジャー』ではなく、小学校に入ると子供は特撮ヒーロー作品を卒業するという現実を如実に示しているのである。


 冒頭にあげたバンダイの調査結果も調査対象が12才までの子供(を持つ保護者)であり、やはり小学生を含んでしまうと特撮作品の人気は相対的に低くなる傾向が出ており、いくら特撮ブームだか知らんが安穏としてはいられないものがある。


 確かに自身を振り返っても小学校中学年くらいになると変身ヒーロー作品やロボットアニメを視聴することに対して「早く卒業しなさい!」と親から云われた記憶がある。
 だが現在小学生くらいの子供を持つ親といえば60年代後半から70年代にかけて少年時代を過ごし、数多くの変身ヒーローを観て育った世代が大半を占める訳で、そんな人々が息子に対して「早く卒業しろ!」と云うとは到底思えない。
 従って子供たちは親の意向ではなく、自らの意思で変身ヒーローを卒業しているとしか考えられないのだ。どうしてこんな傾向が強くなってしまったのであろうか?


 78〜79年頃の第3次怪獣ブームは確かにマニアが仕掛けた側面は強かったが、小学生を中心とした児童層への広がりが無かったらあんな大きなものにはならなかったと思える。
 小学館の学習雑誌や『コロコロコミック』に連載された内山まもるのオリジナルウルトラ漫画や、ケイブンシャの『ウルトラマン大百科』(78年・ISBN:476691564X)の「うらばなし」にあった「モロボシ・ダンはカプセルを5つ持っていたが、カプセル怪獣は3体しか登場していない。残りの2つにはどんな怪獣が入っていたのだろうか?」(ゴジラガメラと主張する者がクラスでは大半だった・笑)等の記述を代表とする、本編から離れた独自の世界観を呈示することで子供の空想力を大いに刺激したり、講談社のワールドスタンプブック『怪獣の世界』(78年)や駄菓子屋売りの山勝『ウルトラマンペーパーコレクション』等で情報交換の場を提供する等、当時は児童間での人気を高めるための色々な工夫が成されていたものだ。


 だが今から思えばわずか5年後の83〜84年頃、『ゴジラ』復活の機運の高まりによって起こった「幻の」第4次怪獣ブームは児童の間への浸透はほとんど無く、半ばマニアと幼児層に限定されてしまっていた。
 あれから早くも20年が経過したが、その間特撮ヒーロー作品は児童マスコミ文化における王座をずっと明け渡したままと云っても過言ではない。
 これは新たなファン層の開拓を怠っていたか、もしくはそのやり方が誤っていたかのどちらかに違いないのではないか?


 この二十数年の間に児童の間で巻き起こったブームを振り返ってみると、ガンダムプラモ・キン肉マン消しゴムビックリマンシールポケモンカード等様々なものがあったが、作品に付随したそういうアイテムで子供たちの収集意欲をかき立て、情報交換の手段と成り得るものが特撮ヒーロー作品に果たして用意されてきたのか。その作品自体が児童の興味を喚起するような神話世界的な作品世界が形成されてきたのかどうか。残念ながらそれは誠に不十分であったと云わざるを得ないのだ。


 それどころか最近の製作側の発言には首を傾げたくなるようなものが多い。
 映画『ウルトラマンコスモスVSウルトラマンジャスティス THE FINAL BATTLE』(03年・松竹)のパンフレットに掲載された北浦嗣巳(きたうら・つぐみ)監督と撮影の大岡新一対談の中の
 「中高生の世代の子たちにも観てもらいたい」
 だとか、徳間書店ハイパーホビー』03年11月号の別冊付録『東宝特撮読本』においては『超星神(ちょうせいしん)グランセイザー』(03年)について村石宏實(むらいし・ひろちか)監督が
 「僕の中でのターゲットは中高生くらいですね」
 と語っており、小学生の存在なんぞまるで眼中に無いかと思える。一体彼らは子供番組というものを何だと捉えているのか?


 結局はこの二十数年の間、特撮業界の意識を支配し続けてきた「大人の鑑賞に耐えるドラマ」を実践した作品ばかりを近年製作し続けたことによって児童たちをどんどん追い出しにかかったことが前述の調査にハッキリと表れてしまっている訳であり、云うならば当然の報いである。
 以前ホビー誌『ホビージャパン』に連載されていた特撮ライター・ヤマダ・マサミのコラムの中で「子供をヒーロー作品から卒業させないためにも大人の鑑賞に耐えるドラマ作りをするべきである」という主旨の文章があったが、前述の調査結果からするとこれは全く逆の効果をもたらしたと考えざるを得ないのだ。


 なるほど、確かにドラマが理解不能であっても適度にバトルさえ折り込まれていれば当然幼児は喜ぶさ。でも小学生くらいになるとそういう訳にはいかんだろ。
 先頃カルビーから発売された『仮面ライダーチップス』の復刻おまけカードの裏面にあるような「ゲルショッカーの戦闘員はアメリカの軍隊と比べても強い」(笑)だとか、昔の大伴昌司の怪獣図鑑にあったような「ウルトラマンのキック力はジャイアント馬場の十六文キックの何万人分の威力」(爆)だとか、そういう現実の世界とリンクさせた嘘っぱちの世界観の呈示こそが本当の「リアル指向」ということだと思うのだが……


 そんな訳で「人間であろうとオルフェノクであろうと巧は巧に変わりないじゃないの」(笑)というドラマ自体は決して嫌いではないのだが、巧がオルフェノクであることは劇場版で既に先行して描かれてしまっていたことから衝撃も何もあったものではなく、随分と下手なやり方かと思えた。先ごろ描かれた仮面ライダーファイズ仮面ライダーカイザ・仮面ライダーデルタのトリプル変身とかもっと早く観たかったし、初期の頃にあれだけ劇的な描かれ方をされた海堂や結花が中盤以降単なるコメディリリーフに終始していたことも不満だった(最近ようやくエライことになってきたが)。
 まあ登場人物が多過ぎることの弊害である訳だが、流星塾中心の話だとラッキークローバーが全然出てこないだとか(その逆もまた真なり)、そういうことでドラマの流れ自体も収拾がつかなくなって破綻を来たすなんてことにもなりかねない。
 そんなことに苦心するよりもっと他に大事なことがあるだろうとどうしても云いたくなる。まあ人間としてもオルフェノクとしても満足に生きることができなかった中途半端な存在の澤田の最期には素直に泣けたんだけれども。


 ということで、そろそろ「大人の鑑賞に耐えるドラマ」とは違う路線の『ライダー』を用意した方が良いのではないかという気はする。イケメン路線で女性の支持も得ることができた平成『ライダー』作品だが、これまで女性が支えてきた様々なブームを振り返るとどれも期間は異常に短く、デザートにしてもティラミス・ナタデココ・ベルギーワッフルとどれもアッと云う間だったのだから。
 ……まあイイ男に関しては絶対に飽きることはないと思うが(笑)。

2003.11.30.
(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2004年号』(03年12月29日発行)『仮面ライダー555』劇場版&TV後半合評⑫より抜粋)


『假面特攻隊2003年号』「仮面ライダー555」後半合評・関係記事の縮小コピー収録一覧
朝日新聞 2003年8月23日(土) TV欄投稿欄はがき通信「子どもの心に責任を」 〜昔は悪者にも友情や仁義があったが、今は悪役が血も凍るような存在

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