『ウルトラマンアーク』(24年)前半総括! ~鎧・アイテム・内宇宙・倒置法の作劇・昭和怪獣・タテ糸! 今後の「ウルトラ」はどうあるべきなのか!?
『帰ってきたウルトラマン』(71年)#1「怪獣総進撃」 ~第2期ウルトラシリーズ・人間ウルトラマンの開幕!
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映画『ウルトラマンアーク THE MOVIE 超次元大決戦!光と闇のアーク』(25年)が2月21日(金)から公開中記念! とカコつけて……。『ウルトラマンアーク』(25年)完結総括評をアップ!
――映画版『アーク』は拙ブログ主としては面白かったです。歴代「ウルトラマン」映画のなかでも一番、1本の「映画」としても成立していたような……。子供たちが観たい映画はもっと戦闘の羅列のようになっている映画なのでは? とは思うものの……(笑)――
『ウルトラマンアーク』完結総括! ~アークの出自・背景設定・魔界を通じた前作とのクロスオーバー! 最終回にふさわしい、壮大なる映像&スケール感を構築するための方策とは!?
(文・T.SATO)
(2025年2月16日脱稿)
特撮巨大ヒーロー作品「ウルトラマンシリーズ」の2024年度の新作「ウルトラマン」作品でもあったTV特撮『ウルトラマンアーク』も、2025年1月末には無事に最終回を迎えた。
かつてとは異なり、無料で鑑賞できるTV媒体にて新作の「ウルトラマン」作品が、数年間や10数年間ものシリーズ中断期間を挟むことなく、今のところは恒常的に放映ができている。
それは関係各位の雇用の確保の面でも、「ウルトラマン」の製作会社である円谷プロダクションの恒常的な安定した財政・経営面においても、子供たちへの接触面積の維持としての面でも、実に喜ばしいことではあった。
昭和の時代とは異なり、変化が早くて児童向けコンテンツも多い時代に、「充電」名義でブランク期間を空けてしまうことには、個人的には危惧をいだかざるをえない。
平成ゴジラシリーズが3年の歳月を空けてミレニアムゴジラシリーズで復活をとげたことはイイものの、子供間での人気はすっかり『ポケットモンスター』(97年)の方に移っており、その人気を奪回することはついにできなかったこととも同様の悲劇が起きてしまう可能性が高いであろうからだ……。
加えて、「充電」などと称しつつ、保守反動・反革命(笑)的かつ、原点回帰志向の作品を作ることでのシリーズ再開にもなってしまって、一部の守旧的なマニア連中だけが喜ぶのみで、子供間での人気はサッパリ……といった事態が起きそうでもあるのだし。
本作『ウルトラマンアーク』の一応のポイント・特徴は、以下のあたりに整理ができるであろう。
●リアル&シリアスかつ、物理的なシミュレーションSFといったものではなくって、主人公青年の子供時代の「想像力」といったものがカギとなる精神主義的・ファンタジー的な原理の方が優先されるような世界観
●3原色の隊員服やスーパーメカなどの戦闘機などを保有する怪獣攻撃隊がメインで登場するような舞台設定ではなくって、2010年代以降のウルトラシリーズの主流ですらあった、普段着を着用している民間(半民間)の怪獣調査組織が登場する舞台設定
●昭和のウルトラマンたちのようにシンプルな素体のデザインではありながらも、主人公青年の子供時代のお絵描きに起因すると設定された、「太陽」や「月」に「銀河」といった属性の3種のヨロイをまとうことができるウルトラマン
●シリーズの節目のイベント編に登場した、宇宙怪獣ならぬ「宇宙獣」といった共通項の別称カテゴリーも与えられた、1本ヅノのモノゲロス、2本ヅノのディゲロス、3本ヅノのトリゲロスといった、ヒト型の直立二足歩行ではあっても鼻や口が存在しない、黒色系の巨大怪獣たち
●「宇宙獣」が地球に出現するようになった、その根本原因とは、ウルトラマンアークの故郷の母星の太陽に発生した異常。つまりは、その太陽のエネルギー過多を、宇宙の虫食い穴であるワームホールを通じて、「他の銀河」や「他の宇宙」へと放出する計画それ自体にあったこと
●その計画による他の銀河や宇宙への被害を阻止せんとして地球に飛来はしたものの、地球での「宇宙獣」との戦闘中に幼き日の主人公青年の両親を被害に巻き込んでしまって、亡き者にしてしまったことへのウルトラマンアーク自身の悔恨……
近作ウルトラ作品に大差はありやなしや!? 幼児層はドコを観ているのか!?
2010年代以降の「ウルトラマン」作品も、いやここ5年ほどの「ウルトラマン」作品も、昭和の第2期ウルトラシリーズなどの作品群に負けじ劣らず、いやそれ以上に個性的ではあった。
●地球に潜伏する宇宙人たちを、移民・難民・外人たちにも風刺的に見立てていた『ウルトラマンタイガ』(19年)
●「昭和ウルトラ」や「2010年代ウルトラシリーズ」の世界観やキャラクターたちとも太い接点を持たせた、明朗な『ウルトラマンZ(ゼット)』(20年)
●往年の『ウルトラマンティガ』をタテマエ的にはリメイクしようとしていた『ウルトラマントリガー』(21年)
●その続編として『ティガ』の続編『ウルトラマンダイナ』(97年)を一応はリメイクするといったお題目で、やはりイイ意味で好き勝手に改変していた『ウルトラマンデッカー』(22年)
●それらとは一転して、やや本格シリアス志向を目指していたであろう『ウルトラマンブレーザー』(23年)
●そして、本作『ウルトラマンアーク』(24年)
正直に云って、あるいは個人の好みとしても、もしくは特撮マニア間での評価や人気の高低なども、もちろん一枚岩ではなかったものの、相応なる大差が出てしまっているのやもしれない。
「昭和ウルトラ」や「2010年代ウルトラ」の世界観やキャラクターたちとも大きな接点を持っており、なおかつ明朗・熱血・ギャグ風味もあった『ウルトラマンZ』などは実に高い人気を誇ったものの、そうではなかった作品も登場している……。
――むろん、マニア諸氏にあられては、嗜好品でもある以上は、多数派の意見に屈服する必要もない。ネット上などでも「ヒトの好みはそれぞれ」が実に可視化されやすくもなった、価値観も多様化されまくった今の時代に、そーいう「長いモノには巻かれろ」的なマニアも極少ではあろうけど――。
とはいえ、未就学児童=幼児層が観る分には、良くも悪くも、『タイガ』であろうが『Z』であろうが『トリガー』であろうが『ブレーザー』であろうが、どれについても「大差がない」とも感じているとは思うのだ(笑)。
自身の幼少期の記憶の古層を丹念にたどってみても、「児童」の年齢に達して以降はともかく、「幼児」の時分には、そういった各作の「作風」や「設定」に「ドラマ性」などの相違については、さして気にもしていなかったか、もしくは気付いてはいても、それが致命的な弱点たりうるものだ、などといった認識などはしていなかったからだ。
基本的には、シリーズの最新作でありさえすればそれでイイ! 目新しく見える! もうそれだけで夢中!
ヒーローと怪獣怪人がド突き合ってさえいれば、平日夕方の帯(おび)の5分番組『ウルトラファイト』(70年)であろうが、ミニチュアのビル街などは登場せずに光学合成・光線ワザなどはカケラも存在しなかった、その意味では字義どおりの「特撮」=「特殊撮影」作品であったのかも怪しい、後年でいうところの「赤い通り魔」(爆)こと『レッドマン』(72年)であろうが、それだけで満足をしていたものなのだ(笑)。
そう考えると、「ウルトラマン」作品のメインターゲットである幼児層であれば、充二分に2010年代ウルトラの各作品を楽しんでいたとは思うのだ。
もちろん、これが往年の『ウルトラマンレオ』(74年)のように、歴代のウルトラ兄弟たちとは明らかに異なり、両腕から必殺光線を放てない! といったような、シリーズのフォーマット・レベルでの大きな変化でもあれば別である。
あるいは、往年の東映メタルヒーロー『超人機メタルダー』(87年)のように、それまでのメタルヒーローのような相応の尺数を費やしての、美麗で大袈裟かつ様式美的でもある、長々とした必殺ワザの「バンクフィルム」システムを廃するようなことがあったのであれば別である。
年長マニア層にとっては、それらがまた「地味シブ」な良さだとして映っていたのだとしても、幼児層にとっては見逃せにはできない、悪い意味での大きな変化、ひいては華(はな)のなさ、欠点・弱点としても印象に残ってしまったことでもあろうからだ……。
あるいは、例えに挙げてみせた『レオ』の#1ラストや、同時期の円谷プロ製作の特撮巨大ヒーロー『ファイヤーマン』(73年)#1のラストのように、ヒーローが第1話にして早くも大苦戦をして、次回に「つづく」になってしまったり……。東映メタルヒーロー『超人機メタルダー』(87年)#1のラストシーンのように、のちにレギュラーのライバル格となる幹部級の怪人キャラに敗北してしまって(!)、断崖絶壁の底へと転落してしまうような展開になってしまったならば……。
もちろん、小学校の中高学年以上にでもなれば、その「弱さ」や「意外性」といったスパイス・ニガ味・変化球にも、滋味としての味わいを感受できるだけの感性を有するようにも成長しているものではあるだろう。
しかし幼児層にとっては、それは「強さ」や「カッコよさ」といった「ヒーロー」なる存在の「本質」、あるいは「ヒーロー性」の「本質」とはまったくの相反するものとしての、単なる「弱さ」の発露、「憧憬」「あこがれ」の対象たりえないものだとして、スルーをされてしまう要素でもあったのだ。
それゆえに、これらの作品が当時の年長マニア間では実に高い人気の獲得ができていたり、あるいは長じてからの再鑑賞で「多少はイビツではあったとしても、実はドラマ性やテーマ性が意外にも高かったという事実」に気付けることがあったとしても、本放映当時の子供たちからの高い人気は獲得ができずに、視聴率も低落していって、シリーズの続行にトドメを刺してしまったり、放映時間ワクの「都落ち」を惹起してしまったりもしたのであった……。
とはいえ、こういった「子供そっちのけで、一部のシリアス志向の中二病的なマニア人種たちだけが喜ぶようなTV特撮作品」については、やはり低視聴率かつ放映短縮の憂き目にもあってしまった、往年の『ウルトラマンネクサス』(04年)が最後になって久しい。つまりは、さすがに、もうこのような失敗を、作り手たちが繰り返すことももはやないのであろう。
――しかも、実はこの2004年の時期にもなってくると、特撮マニアの側も成熟してしまっていた。ハードでシリアス志向な作品を至上のモノとするようなモノサシはとっくに相対化されきってもいたのだ。ネット上の超巨大掲示板・2ちゃんねるなどでも、同作のことを高尚だとして擁護する特撮マニアたちのことを、「基本は子供向け作品たるTV特撮に対して、的バズレどころか逆効果にもなりかねないようなモノサシを当てている『中二病』の御仁たちだ」として、揶揄する声が多数派にもなっていたほどだった――
その伝で、本作『ウルトラマンアーク』もまた、幼児向けTV特撮としてのノルマを充分に果たしていたことは、強く強調はしておきたいのだ!(笑)
その意味では、2010年代の「ウルトラマン」作品においては、直前作『ウルトラマンブレーザー』なども含めて、『レオ』や『メタルダー』に『ネクサス』などの域にも達してしまった、子供向けTV特撮としては盛大なる失敗をしてしまっていたワケでもない。
ウルトラマンアークやウルトラマンブレーザーは、各作の序盤におけるウルトラマンレオやウルトラマンネクサスやメタルダーのように、明らかに苦戦ぎみであったり弱かったワケでもなかったからなのだ。
主人公がウルトラマンに変身して戦闘シーンが始まってしまえば、それまでの人間ドラマがやや地味であったり陰鬱ではあったとしても、アークはもちろん、ウルトラマンブレーザーなども、ある意味ではノーテンキな野蛮人(笑)のような大活躍をするからでもあった。
――もちろん、『ブレーザー』の場合であれば、劇中ではまったく語られなかったウラ設定として(汗)、ブレーザー自身がウルトラマン型の宇宙の原始狩猟民としての設定を与えられていたからでもある――
その意味では、イイ意味で「ドラマ」と「バトル」が分離していたのだ(……ホメています!・笑)。
それでは、幼児でもない、児童層はドコを観ているのか!? 児童間での人気をどこで判定すべきなのか!?
とはいえ、幼児向けのTV特撮としてのノルマは果たしていたところでの、その次なるステップにして、ステージをも議題視・課題視をしたいのだ。つまりは、それでは「単なる未就学児童の幼児層だけが喜べる『幼児向け作品』であるだけであってもイイのか!?」といった問題なのである。
そう。「未就学児童」=「幼児」ならぬ、「就学児童」の方。つまりは、「幼児」よりかは1段上の存在だとしての「児童向け子供番組」としての仁義やノルマ! 本作『アーク』や前作『ブレーザー』なども、そちらの仁義やノルマについてを、充分に満たしていたとはいえるのか!?
正直に云って、小学校に上がるような年齢にでもなれば、『タイガ』『Z』『トリガー』『デッカー』『ブレーザー』『アーク』の各作は、カナリな別モノとして感じられていたとは思うのだ。それはもう「これらは同じウルトラシリーズ作品なのか!?」といったくらいに……(笑)。
おそらく、各作品に対する、各人ごとの好悪の相違もカナリあって、まさにバラバラだとも思われるのだ……。
その意味では、TV特撮の各話ごとの「視聴率」も、視聴習慣をも含めた定性的・静的なモノとしては充分に参考にもなりはする。しかし、視聴者や子供たち側での各作品に対する「好悪」や「評価」に「執着」といった、もうちょっとだけ能動的でもある要素については、各作品の「劇場版」の興行収入や、無料動画配信サイト・YouTube(ユーチューブ)上での各話ごとの「再生回数」などもまた、非常に参考にはなるようにも思うのだ。
たとえば、往年の『仮面ライダーカブト』(06年)とその次作『仮面ライダー電王』(07年)である。TVシリーズの視聴率だけを見れば、両作には大差がないのだ。しかし、「劇場版の興行収入」なり「玩具の売上高」にはカナリの相違が出てしまってもいたのだ。
つまり、いわゆる「人気」といったものは、もちろん視聴率それ自体がメインではあって、それもまた参考にはなっても、「視聴率」には大差がなかった場合においては、「劇場版の興行収入」や「玩具の売上高」の方もまた大いに参考にはなるものなのだ――とはいえ、個人の好みとして云わせてもらえば、『仮面ライダーカブト』もまた個人的にはスキではあったのだけど――。
……エッ? YouTubeなどで現行のTV特撮を視聴しているメイン層には、さすがに幼児層はいないって? それはたしかにそうであろう。幼児の大多数がパソコンやスマホを使いこなせるバリに、大新聞ではともかく三流週刊誌やネット媒体などでは騒いでいたりもするものだけれども、アクセス数稼ぎの誇張・極端化したネタ記事でもあったであろう。
おそらく、パソコンやスマホを介してのYouTubeの視聴者層は、早くて小学校の高学年以上の10代~30・40代までの特撮マニアであろうとも思われるからなのだ――筆者の観測してきた範疇では、50~60代の特撮マニアでYouTubeそれ自体を鑑賞している御仁は少ないとも感じている。……不肖の筆者なぞは、TV特撮にかぎらず、あまたのジャンルの動画を入浴中に鑑賞しているものの(爆)――
20世紀の特撮マニアと21世紀の特撮マニアの違い! それは年齢か!?
しかして、今の時代の年長マニア――オタク第1~2世代から見てしまえば、まだまだ若年のマニア?――はまた、20世紀の時代における年長マニア像とも異なってはいるのだ。
つまり、20世紀における年長マニアとは、「年長」とはいっても、今から思えばまだ20~30代の若造(笑)ばかりであったからなのだ。しかし、21世紀の年長マニアたちといえば、30~40代がメインになっている。20世紀のむかしには20~30代の年代のことを意味していた年長マニアたちよりも、その平均年齢それ自体がまた高くなっていたりもするのだ(爆)。
しかも、ネット上での膨大なる情報&多様なるマニア言説にもふれることができることによって、さらに加えて、10~20代の歳若い特撮マニアたちもまた、成長&老成(笑)、スレ方(汗)のスピードがスポンジが水を含むような感じで、実に早かったりもするのだ。
20世紀の時代における、当時の年長の特撮マニアたちのイメージ・旗印といえば、「昭和ウルトラ」の人材で云ってしまえば、脚本・佐々木守(ささき・まもる)&監督・実相寺昭雄(じっそうじ・あきお)コンビ、あるいは、脚本・上原正三(うえはら・しょうぞう)、脚本・市川森一(いちかわ・しんいち)などといったエピソード群における、ドラマ性やテーマ性にアンチテーゼ性などを賞揚するものだと相場が決まっていたものだ――もちろん、筆者も含めてだ(汗)――。
しかし、21世紀以降の時代においては、それはそれとして優れていることを認めたうえでなお、「娯楽活劇」としての各作品なり各話なり、ジャンルとしてのフォーマット・インフラストラクチャー(基盤)を作ってみせた脚本家・金城哲夫(きんじょう・てつお)や、東映ヒーロー作品でいえば、脚本家・伊上勝(いがみ・まさる)などといった御仁たちの功績なりを、古代中国にて紙を発明した蔡倫(さいりん)や、近世初頭に活字印刷を発明したグーテンベルグなどの、「文明の土台」を用意してみせたスケールでの「発明」だとしての再発見を果たしている。
そのうえで、それらに乗っかるかたちで初めて実現されている、上積み液としてのドラマ編・テーマ編・アンチテーゼ編でもあった……といった、立体的なフレーム・パラダイム・骨組みをも透かし見たかたちでの、全的に物事を捉えてみせるような見方が主流となってきてもいるのだ。
それゆえに、『ウルトラマンギンガS(エス)』(14年)#11「ガンQの涙」や、『ウルトラマンX(エックス)』#15「戦士の背中」に、『ウルトラマンオーブ』(16年)#22「地図にないカフェ」などといった異色作風味なドラマ編などもまた、それはそれとして相変わらずに高くは評価はされてもきた。
――ちなみに、筆者個人が上記のエピソード群がダメだと云っているワケではない。やや昭和回顧的に過ぎるからダメだと云っているワケでもない。単独作としては高く評価されてしかるべき作品群でもある。ただし、異色作・変化球としての位置付けであるべきであるのに、「これぞ、古き良きオールデイズな『ウルトラマン』作品だ!」バリに持てはやされてしまった場合にのみ、やや危惧を覚えなくもない……といった程度ではある――
しかし、TVシリーズ全体として見てみて、基本は明るく楽しい子供向け娯楽活劇作品としても成立しているのか否や? あるいは、むしろ「大きなお友だち」にこそウケているのやもしれないコミカル要素やギャグ要素(笑)、そしてまた最終回に向けてのタテ糸や、それに伴なうじょじょなるスケールアップ……といった要素などの成否こそが、年長マニア間でも評価のモノサシともなってきたのだ。
実のところ、こういったモノサシであれば、いわゆる「年長マニア間でのモノサシ」と、「幼児ならぬ児童間でのモノサシ」とは、イイ意味でもうほとんど大差がなくなっているようにも思われるのだ(笑)。
その意味では、YouTubeでの各話ごとの「再生回数」なども、児童間やネット上で散見するような特撮マニア間での「人気」とも、生活実感としては、ほぼほぼ正比例の関係にあるようにも思えるのだ。
「1話完結」であるべきか!? 「連続大河ドラマ性」があるべきか!?
その伝で、本作『ウルトラマンアーク』については、あるいは直前作『ウルトラマンブレーザー』についても、やはり失礼ながらもイマイチ、イマニな部分もあったのではなかろうか?(汗)
それはすなわち、「1話完結」の「ルーティン(繰り返し)」といった要素が強かった点である。
いや、「昭和ウルトラ」もまた、基本は「1話完結」ではあった……といったリクツもわかるのだ。そしてまた、90年代中盤~00年代前半までの「平成ウルトラ」もまた、云われているほどには「連続大河ドラマ性」などはなかったのであった。
「平成ウルトラ」については、某話に登場したゲストキャラが後続の話数にも再登場したことをもってして、「連続大河ドラマ性」がある! などと称されることもあった。しかしゲストキャラが再登場したり、再登場はせずともセリフのみでその去就が言及されるといったことは、昭和の1970年代前半の第2期ウルトラシリーズの各作でも実現していたことなのだ。同時期の合体ロボットアニメ『ゲッターロボ』(74年)などでも実現していたことなのだ(笑)。
いわゆる字義どおりでの「連続大河ドラマ性」についてならば、往年のスーパー戦隊作品こと『超電子バイオマン』(84年)や『電撃戦隊チェンジマン』(85年)の時代に、もっと高いレベルで達成ができていたこともまた強く主張をして、特撮ジャンルの歴史の記録にも残しておきたい。
とはいえ、シリーズにタテ糸を設けることで、幼児はともかく小学生には背伸び(笑)をした興味関心を持ってもらおう! もちろん我々のような大きなお友だちにも興味関心を持ってもらおう! といった、魅惑的な方策が、本作『ウルトラマンアーク』にもなかったワケではない。いやむしろ、実にワクワクとさせてくれる趣向もたしかに存在はしていたのだ!
『ウルトラマンアーク』のターニングポイントたる#14~15 アークの出自&バックボーンが判明!
それは、TVシリーズ全25話分の後半戦の1話目ともなる#14「過去の瞬き」~#15「さまよえる未来」なる前後編での設定編だ!
そこでは、ウルトラマンアークの母星から来た同族でこそなかったものの、同じ銀河から飛来してきたという意味では、広義での同郷だともいえる女刺客こと、往年の長身グラビアアイドル・佐藤江梨子がかつてのキャピキャピ声ではなく地声(?)の低音で演じてみせた、黒ずくめの服装をした宇宙人ことスイードなる敵キャラクターも出現!
――余談だが、同時期のグラビアアイドル・眞鍋かをりもまた、『ウルトラマンR/B(ルーブ)』(18年)のシリーズ後半にレギュラーキャラクターとして出演を果たしていた前例もあった――
そして、彼女との抗争を通じて、ウルトラマンアークの出自もまたナゾのままとしてしまうのではなくって、小出しには明かしていき、その本名までもが判明したのであった!
その名はアークではなく、ジョーニアスでもなく(笑)、ルティオン!
そして、自身の母星の太陽、または自身が所属している銀河系にあった太陽こと「恒星ソニア」に生じた異変による膨張によって、その銀河の星々が破滅に瀕してしまったことが発端でもあったのだ! ……といった、実にスケールの大きなSF大設定が明かされることにもなったのだ!
その膨大にも過ぎる、発散される太陽エネルギーを抑制するためにも、宇宙空間に「虫食い穴」こと、別の空間にも通じている「ワームホール」を人工的に構築して、そこからその太陽の余剰エネルギーを「別の銀河」や「別の宇宙」へと逃がしてもいる!
――「ワームホール」とはもちろん造語ではなく、20世紀の前半から存在する天文学用語にして、ジャンル作品でもおなじみの用語でもある――
加えて、そのことによって、「他の銀河」や「宇宙」にも、つまりは『アーク』の世界における「地球」にも、巨大怪獣が出現してしまうような大異変が生じていたともされたのだ!
――余談にはなるが、前作『ウルトラマンブレーザー』においても、ネット媒体などではブレーザー自身はウルトラマン型の宇宙の原始狩猟民(であるらしい)といったウラ設定が、メイン監督・田口清隆などによって明かされてもきた。
しかし、そういった要素こそを、映像本編においても小出しで明かしてきてほしい! そういったことが果たされなかったがゆえに物足りない! と思っていた特撮マニア諸氏は相応にも多かったことではあるだろう。
むろん、すべてを明かさなくてもイイのだ。しかし、それこそ「そうであるらしい……」といったボカしたかたちにて、「すべてを明かすこと」と「まったくの未知なる神秘性」との狭間にあるような、新たなる中間地点をねらうべきではなかったか!?――
本作『アーク』における、このSF大設定それ自体はまた、もちろん3~4歳児の幼児層には理解ができないような要素ではあったであろう。
しかし、その説明シーンにおける映像は、主人公青年の「夢」の中、つまりは1950年代の「古典SF」ならぬ、1970年前後に勃興した当時の「ニューウェーブSF」なるジャンル内での、今となっては懐かし用語でもあった「インナースペース」(=内宇宙・精神世界・心の中)といった描写でもあったのだ。
つまり、主人公青年&ウルトラマンアークとの精神世界における交流としての「心象風景」として、無人のサビれた場末(ばすえ)の映画館の観客席やロビー! といった、「非日常」性をも感じさせてくれるようなロケ地を舞台背景にもしていた。
そして、人間サイズに縮小したかたちで出現させたウルトラマンアークと、主人公青年とを並べて登場させたり、映画館の座席で並んで映画を鑑賞させるといった、通常回とは異なるかたちでの神秘的なビジュアルを見せてもいたのだ。
加えて、本作のシリーズ序盤などでも見せていた、往年の昭和ウルトラでもウルトラセブンやウルトラマンレオなどが披露したこともあった、児童の時分であるどころか幼児の時分であっても実に印象的でもあった、「鏡」のなかの世界へと潜入できるウルトラマンたちの神秘的なる超能力の発露!――近年(?)でも、『仮面ライダー龍騎(りゅうき)』(02年)などでは、この「ミラーワールド」が題材にすらなっていた――
厳密には「鏡」のなかの世界といった存在は、疑似科学的な「SF」性というよりかは「ファンタジー」性といったものの方にも交通整理ができるのであろう。しかし、特撮変身ヒーローものとは、やはりハイブロウな「ハードSF」ではないのだ。イイ意味でのB級「SF」。つまりは、「SF風味」の作品群でもあるからなのだ。
そういったヒーローの特殊能力は、物理的・肉体的・科学的な限界をも超えており、もはやオカルト・魔法・仙術の域にも達している、ヒーローの超越性・圧倒性・神秘性をも補強して、子供たちや視聴者にも憧憬を抱かせるための装置でもあったのだ。
――もちろん、それはヒーローには「憧憬」要素のみが必要なのであって、弱点や活動限界に精神的・人間的な苦悩なぞはいっさい不要なのだ! などといった極論を云っているワケではないのだ。強弱の二重性もまた必要なのではある――
おそらく、映像演出の二次的なねらいとしては、幼児たちをも飽きさせないための趣向でもあって、それと同時に作り手たち自身もまた、そういった「神秘性」といった「風情」を出したかったがゆえの処置でもあったのではあろう。
アークの出自でもあった「銀河」や「恒星ソニア」にまつわる一連もまた、主人公青年が子供時代にスケッチブックにたどたどしい筆致でのクレヨンによる描画のようなタッチの絵柄でも表現されることになった。しかし、本作のそもそもの基本設定――主人公青年の子供時代の落書きを基に実体化してみせたウルトラマンアーク――によっても、絵的な面での唐突感はウスらいではおり、一種の統一性や味わいすら出せてもいたことで、たしかに映像演出的にも成功はしていたのだ――これによって、CG予算を浮かすこともできたのであろうし(笑)――。
むろん、大きなお友だちであれば、SF設定的にもウルトラマンアーク自身が合体している主人公青年の精神の方に対して、超能力で直接的にはたらきかけるかたちで、我々地球人にも理解がしやすいようにも翻訳・簡略化、子供の落書きのようなイメージ映像に変換したかたちでの説明をしてくれてもいるのだ! といった解釈・深読みも可能なものにもなっていたのだ。
もちろん、児童であれば、ここまで明晰・明快には言語化ができないことであろう。しかし、子供の落書きのような筆致の絵柄で説明されることになった宇宙規模でのSF大設定については、それもまたアーク自身の配慮なのだ! といったSFウラ設定についても直観的には認識・把握ができたことではあるだろう。
そのまた逆に、まだ物事の詳細な理解なぞはできないであろう幼児層でとっては、いかがなものであったのか? その意味するところそれ自体すら感受ができなかったとしても、ウルトラマン自身が画面に出ずっぱりになることによって、タイクツすることなく鑑賞ができていたことであろう。
よって、まさに一石三鳥のクレバーな演出にも仕上がっていたのだ(笑)。
そして、他の銀河の星々に被害を与えてでも、悪い意味での「命どぅ宝(ぬちどぅたから)」「生命至上主義」で、「自分たちさえ生存できれば、それでイイ!」「キレイごとなぞは云うな!」「滅私奉公なぞクソ喰らえ!」「他人の命を救うための自己犠牲なぞもクソ喰らえ!」「女子供や他人を蹴落としてでも、自分だけは生き残りたい!」「『公』よりも『私』だ!」……なぞといった、下劣なミーイズムやエゴイズムな生き方なぞは良しとはしない善良なる陣営もカラんできて、アークの出自の銀河のなかにおいては、一大悶着が発生していたことも明かされる!
これもまた、銀河規模での文明の衝突といったSF風味を醸し出しつつも、ナンとも普遍的にして根源的でもある問い掛けの大テーマでもあったことよ!
前作『ウルトラマンブレーザー』の敵怪獣がぞくぞく再登場の果てに、ブレーザーとも共演できたが!?
しかして、つづく#16~19における4話分については、イイ意味での「B級」と化して、直前作『ブレーザー』にも登場した新造怪獣たちによる、「幽体怪獣」名義での「ぞくぞく再登場月間」(笑)ともなっていたのだ!
もちろん、今どきのスレた年長マニアの目線で見てしまえば、誰もがピンと来たことではあろう。要は新規デザイン&新規造形の新怪獣を造形できる予算がないので、流用怪獣を登場させることによって製作予算を安く済ませて、玩具店での前年度の怪獣ソフビ人形の在庫もこの機会に極力一掃してしまおう! といった意図なのでもあるのだろうと(笑)。
それが悪いとは云わない。どころか、特撮マニア諸氏もまたこうした趣向は大カンゲイしていたのではなかろうか!?(笑) 自身の子供時代やその当時の同級生たちの感慨を振り返ってみても、あるいは大きなお友だちであるマニア連中たちの好悪や反応を含めてみせても、人気怪獣どころかマイナー怪獣たちの再登場、2代目・3代目・Jr(ジュニア)・再生~・改造~といった、着ぐるみ流用による同族の別個体などの登場は、児童レベルでの博物学的な興味関心を妙に惹起させられて、大いに喜ばれてきたことでもあったからだ。
――もちろん、昭和ウルトラにおける、流用でもなく新造ではあったものの、2代目・3代目怪獣たちの造形技術の不備や不出来といった問題点はたしかにあった。しかし、それはまた中高生以上の年齢にもなってマニア化してしまった、いわゆる「中二病」の時期にこそ、過度に気にしてしまうような要素でもあったのだ。我々のように児童の時分にしてすでにマニア予備軍でもあった子供たちはともかく、平均的な児童であれば、それらの不備にも気付けても、憎悪をおぼえるほどの極端な感慨などはなかったことでもあろうから(笑)――
前年度の『ブレーザー』のシリーズ序盤に登場していた実に印象的な巨大怪獣たちこと、幻視怪獣モグージョン・深海怪獣ゲードス・甲虫怪獣タガヌラー・宇宙甲殻怪獣バザンガの面々……。彼らはお目めはつぶらで可愛らしくって、色彩も暗褐色ではなく、あざやか寄りでもあったことに改めて気付かせられもした。
かの『ウルトラマンネクサス』などに比すればドーということもなかったものの、相対的にはリアルでシリアス志向ではあった『ウルトラマンブレーザー』ではあっても、その登場怪獣たちは良くも悪くもイイ意味での子供向けの怪獣たちそのものでもあったということなのだ。
『ネクサス』に登場していた怪獣種族たちこと「スペース・ビースト」や、SF洋画『エイリアン』(79年)や『プレデター』(86年)などに登場するようなゲロゲロモンスターのような存在では決してなかったことも明記はしておきたいのだ。
そして極めつけは、『ブレーザー』にも登場していた、同作のややハイブロウ(高尚)な作風とも実はカナリ程遠くもあった、日本の「時代劇」調の「侍(さむらい)言葉」で人語をしゃべってしまうような「宇宙侍」(笑)こと、「日本刀」そのものをモチーフともしていた宇宙人キャラクター・ザンギルまでもが再登場を果たしていたことだ!
ザンギルはもちろん、大きなお友だちから見れば「斬(ざん)」&「切る」といった語句を接着しただけの安直な名称でもあることがミエミエのキャラではあった。この『ブレーザー』らしからぬ、適度なB級感あるネーミング!
20世紀のむかしであれば、こういったドラキュラス・サボテンダー・バイブ(振動)星人などといった怪獣たちのヒネりのない安直ネーミングが年長マニア間では猛烈なる批判を受けてきたものだ。しかし、21世紀も00年代の中盤になってきてしまうと、英単語そのまんまの「リフレクト(反射)星人」や「ザムシャー(ザ・武者)」などといったダジャレ的な名称の怪獣キャラクターが登場してきても、「このテの番組はそーいうものだよネ。むしろ、その稚気は愛すべし!」「そこにツッコミを入れるのはヤボだ! 中二病だ!」なぞといったかたちで、当たり前のように受容されるようにもなっていたのだ(笑)。
ザンギルもまた、そういった文脈でも受容されていたのだ。『ブレーザー』#1の本格リアル志向とは明らかに異なる存在ではあったものの、それゆえにこそ批判を受けてきた……といったこともまた一切なかったのだ。
むろん、製作予算・ギャラを少しでも浮かすためにか、ザンギルの人間態は登場しなかった。
往年の『仮面ライダー555(ファイズ)』(03年)のレギュラー敵キャラ・海堂直也(かいどう・なおや)や、『ウルトラギャラクシー大怪獣バトル NEVER ENDING ODYSSEY』(08年)のレギュラー敵キャラ・キール星人グランテに、『侍戦隊シンケンジャー』(09年)のレギュラー敵キャラ・腑破十臓(ふわ・じゅうぞう)役でもおなじみのジャンル俳優・唐橋充(からはし・みつる)。
名性格俳優でもあった彼が、声のみでの出演で終わってしまったことにはたしかにマニア的には残念でもあった。しかしむろん、完成フィルムにおいては、そういった欠如・不足なぞはさらさら感じさせない仕上がりにもなっていたのだ。
その意味では、『ブレーザー』#1の原理主義者、……たとえば『ブレーザー』は他の「ウルトラマン」作品とはパラレルワールドを越境したかたちでの共演すらなされない、孤高の屹立した独立作品でもあるのだ! なぞといった主張をしてしまうような御仁それ自体を、実は筆者個人はついぞ見かけたことなぞなかったのであった(笑)。
いや、たとえ存在はしていたとしても、今どき極めて少数派ではあったであろうし――もちろん、少数派の意見だから無視してもイイのだ! といったことではないことは、くれぐれも念のため――。
その伝で、『ウルトラマンX』(15年)以降はほぼ恒例ともなってきた、過去作のウルトラヒーロー共演編を、前作『ブレーザー』のシリーズ中盤においてもまたシレッと挿入してしまってもよかったのではあるまいか!? むしろ、今どきのマニアたちであれば、かえって大カンゲイをされたのではあるまいか!?
同作におけるコレクション玩具アイテムでもあった「ストーン」(石)なる名義の「メダル」群についても同様であるのだ。たとえば客演ウルトラマンから貸与された先輩ウルトラマンたちの顔の文様などが刻まれており、その超能力までもが秘められた神秘のメダルなどを、そこで大量にゲットでもしてくれれば、子供たちや今どきの年長マニア諸氏もまた大喜びをしてしまって、『ブレーザー』の人気までもが高まったり、そのことで実に広い「振れ幅」(笑)を持ったバラエティー性も豊かな作品だとして、かえってその評価も上がったのではあるまいか!?
とはいえ、同様なことは、本作『アーク』についても云えてしまえることでもあるのだ。
『ブレーザー』の怪獣・宇宙人たちを再登場させてきた果てに、ついにはその4話目の最終編にて真打ちが、前作の主役ヒーロー・ウルトラマンブレーザーまでをも再登場して、ウルトラマンアークとも共演させてしまったその趣向それ自体はとてもイイのだ。
しかし……。それは直前作におけるウルトラマンブレーザー当人や、同作における怪獣攻撃隊・SKaRD(スカード)の隊員たち当人ではなかったのであった……。
SKaRDの隊員たちは、本作『アーク』における怪獣調査組織・SKIP(スキップ)のレギュラーメンバーの「並行同意体」(笑)であったからだ! つまりは、『ブレーザー』のレギュラー役者陣は誰ひとりとして客演しなかったのだ(汗)。
そして、ウルトラマンブレーザーもまた、前作『ブレーザー』とは似て非なる、『ブレーザー』の正編ともまた別の並行宇宙で活躍していたウルトラマンブレーザーの「並行同位体」でもあったのだ。
――近年では、この「並行同位体」なる用語が、ネット配信の「ウルトラマン」作品『ウルトラギャラクシーファイト 大いなる陰謀』(20年)が初出の造語であったことが知られないまま、オタク間にて流通しだしているようだ。往年の『仮面ライダーカブト』が初出であった「キャスト・オフ」や、リアルロボットアニメ『ターンエーガンダム』(99年)が初出でもあった「黒歴史(くろ・れきし)」などの造語とも、同じ運命をたどっているゾ~(笑)――
しかし、この趣向はいかがなものであったか? 最後の最後で「画竜点睛を欠く」といった感慨を、子供たちにも年長マニア諸氏の大勢にもいだかせてしまったこともまた間違いがないのだ。
これが往年の『仮面ライダーディケイド』(09年)のように、#1においては前作の主役ヒーロー『仮面ライダーキバ』(08年)が、変身前の役者さんも含めて登場したソバから、#2以降においては本家の役者さんとも別人の役者さんが演じる平成仮面ライダーたちや、子役が変身してしまう仮面ライダーキバの並行同位体(笑)まで早々に登場し続けてきたのであったのであれば、それが広義での「伏線」にもなって、この作品はそういった趣向のモノなのだ……といった割り切り方を、多くの視聴者もできたことではあるだろう。
しかし、本作『アーク』においては、視聴者はそんな身構え方をした観賞なぞしてこなかったのだ。『アーク』や2010年代のウルトラ作品における先輩ヒーロー客演編においては、変身前の役者さん当人がゲスト出演を果たしたり、声だけでの出演も果たしてきたからだ。
いやもちろん、作り手側でも「前作のレギュラー役者陣が登場してくれた方が、絶対的に盛り上がる!」といったことは、「百も承知」であったことであろう。
しかし、たしかに前作『ブレーザー』は、他の「ウルトラマン」作品とは並行宇宙の関係にはあっても、越境したかたちでの共演などは発生することがない、独立・屹立した作品だともされてきた。だから、そういった設定やら、同作のメイン監督&メイン脚本家たちにも遠慮などをしてしまって……といった忖度(そんたく・笑)などもあったのやもしれない!?
けれどももちろん、ヒーローキャラクターは監督や脚本家の所有物ではなかった。映像制作会社の所有物・版権管理物でもあった。遠慮なぞをする必要もないのだ(笑)。……いや、仮に遠慮をしたのであれば、そもそも前作『ブレーザー』ではなく、前々作『デッカー』やその前作『トリガー』などの怪獣やヒーローたちの方と、共演をさせていたハズであった。
よって、そもそもそういった殊勝なまでの配慮があったのであれば、最初っから『ブレーザー』怪獣やらブレーザー当人なぞは再登場をさせなかったハズなのだ。つまり、そこまでのマジメでかつ神妙でもあるような忖度なぞがあったとはとても思われないのだ(笑)
そうなると、もっと即物的な理由で……、つまりはゲストキャラが複数名は出演してしまうことでの臨時の追加ギャラを支出させる必要もなくなって、いつものレギュラー陣の出演料だけでも済ませることができるから……といった、予算面での苦肉の処置ではなかったろうか? そういった意味での処置であれば、スリ切れてウス汚れてしまったオトナのマニアとしては正直、理解も共感もできてしまったりはするのだ(笑)。
しかし……。純粋なる興行・見世物として考えてみせた場合には……やはりいかがなものであったろうか? ここで『ブレーザー』の役者陣も出演させて、ブレーザー当人も再登場を果たしていたのであれば……。やはり子供たちも年長マニア層のほとんども大喜びをして、関連ソフビ人形なども大いに売れたであろうことは想像にかたくないからなのだ。
仮にクチでは「『ブレーザー』は他作品とは独立した孤高の作品であるべきだ!」なぞとホザいている狂信的なマニアがいたとしても、実現してしまえば内心では喜んでいたとも思えるのだ。……ソコだよ! エンタメ作品はそーいったツボを、快感原則として突いていくべきものでもあるのだから!(笑)
とはいえ、その『ブレーザー』世界に近似した並行宇宙においても、怪獣攻撃隊は正義のロボット怪獣・アースガロンは保有していた。そちらを再登場させたこともまた当たり前のことではあっても、うれしくはあったのだ。
魔界! 冥府! 闇将軍! 怪獣幕府! 合体怪獣ヘルナラクが魅惑的!
加えて、複数体もの『ブレーザー』怪獣たちが、ギリシャ神話のキメラ(キマイラ)的に合体した、新規造形のヘルナラクなる合体怪獣までもが出現する!
昭和の第1期ウルトラシリーズの美術デザイナー・成田亨(なりた・とおる)センセイは、後続シリーズに登場した合体怪獣をキラっていたものだ。しかし、先人には敬意は表しても、前近代的・封建的にして宗教的なまでの忠誠心を示す必要まではさらさらないであろう。
合体怪獣なる存在! その在り方は科学的・SF的にはリアルではないにしても、呪術的・ファンタジー的にはなんだか合体した数の分だけ強くなっているようにも思えてしまって、ついついワクワクとさせられてしまうような趣向ではなかろうか!?(笑)
●往年の『ウルトラマンエース』(72年)に登場して、児童向け連載マンガ『ウルトラマン超闘士激伝』(93年)にも登場を果たした超獣ジャンボキング
●『ウルトラマンタロウ』(73年)が初出であって、『ウルトラギャラクシー大怪獣バトル NEVER ENDING ODYSSEY』(08年)以降にも再登場を重ねてきた怪獣タイラント
●90年代後半の平成ウルトラ3部作の人気怪獣5体が合体したという設定で、『ウルトラマンギンガS』(14年)以降に連投を続けてきた怪獣ファイブキング
ヘルナラクもまた、先達の合体怪獣たちにも負けじ劣らじで、左右非対称かつ色彩まで左右で異なってもいた! 個人的な好みで云ってしまえば、デザイン的にも造形的にもスキな怪獣ではあった――もちろん、イイ意味でB級な「ヘル」(地獄)&「奈落」(ナラク)といった接着ネーミングでもあったこともまた、大きなお友だちにとってはミエミエで、その適度なB級感がまた好印象をもたらすのだ(笑)――
そのヘルナラクをつかまえて、往年の友好怪獣ピグモンよろしく、自身もヤツに復活させられてしまった宇宙侍ザンギルはこうも語った。
「この世」と「あの世」の狭間にあるのだという「不思議界」ならぬ「魔界」(!)に君臨! 往年の酋長怪獣ジェロニモンのように、死んだ怪獣たちをも復活させることができるという「冥府の闇将軍」! その目的は……、「怪獣幕府」(笑)の設立!
やはりイイ意味での「B級」というのか、「劇画」チックな用語での大設定が登場したことについては、半分は笑ってしまったものの、もう半分ではスケールもデカくって、ついついワクワク・テカテカとさせられてしまったマニア諸氏もまた多かったことであろう……。
――ちなみに、「冥府」といった語句は造語でこそなかったものの、日本のサブカルチャーの文脈的には、時代劇劇画の不朽の名作『子連れ狼』(70年。72年に映画化。73年にTV時代劇化)における「冥府魔道」なる造語によって、ジャンル作品でも波及・普及していった語句でもあった――
この調子で、さらなる巨悪とも戦うヒロイズムを味あわせてくれるのであったのであれば、『アーク』もまたエンタメ活劇としての完成度&人気をここで大いに高めることができる! とも思ったのだけれども……。
しかして、そういった路線には『アーク』は必ずしも進んではいかないのであった(笑)。
往年のキングオブモンス再登場! 因縁のウルトラマンガイアではなくギヴァスが再登場!(笑)
続けて、1話を飛ばした#21においては、往年の映画『ウルトラマンティガ・ウルトラマンダイナ&ウルトラマンガイア 超時空の大決戦』(99年)に登場した、映画ならではのボリューム感もたっぷりとあった巨体のゲスト怪獣・キングオブモンスが再登場を果たしてもいた。
……一介のオタクの単なる憶測で申し訳がないのだが、すでに製作の経緯がドコかで発表されており、間違った憶測であるようであれば、先んじて謝らせてはいただくものの、本作後半の「シリーズ構成」の策定においては、以下のような経緯があったであろうことは、マニア諸氏であれば想像にはかたくはなかったことであろう。
●つまり、ウルトラマンアークの故郷の銀河の危機として、「恒星ソニア」の異常膨張による過剰エネルギーを、「他の銀河」や「他の宇宙」へと排出している! といったSF大設定が考案された。
●「他の宇宙」だということで、前作『ウルトラマンブレーザー』が住まっている並行宇宙の地球においても、その影響が出ているという設定まで考案された。
●そして、これによって『ブレーザー』怪獣やブレーザーとの共演にも、一応のSF設定的な必然性を与えることができるようにもなった。
●「並行宇宙」といえば、その概念をウルトラシリーズで初めて本格的に導入した作品に、往年の映画『ティガ・ダイナ&ウルトラマンガイア 超時空の大決戦』といった作品もあった。
●そこに登場した、同作におけるゲスト怪獣ことキングオブモンスの着ぐるみを新造して再登場も果たさせて、その怪獣の新規造形のソフトビニール人形なども発売して売りさばくことによって、版権収入も少しでも高めていこう!
……そんなところであったであろうと思うのだ。
――ググってみると、キングオブモンスの着ぐるみは、『ガイア』25周年記念のアトラクションショー用に、放映前年の2023年末までには新規造形されたものではあったことが正確なところではあったものの――
しかし、複数の「並行宇宙」や「冥府」や「魔界」などにもまたがった、SFチックな壮大なる「大危機」を設定することによって、世界観を異にする過去作のウルトラマンや怪獣たちとも共演を果たさせよう! といった発想それ自体はまた、21世紀的なエンタメ活劇としては実に正しいものでもあったとは思うのだ。
四半世紀も前の『ウルトラマンティガ』をリメイクした『ウルトラマントリガー』においては、ウルトラマンティガが! 『ウルトラマンダイナ』をリメイクした『ウルトラマンデッカー』においても、ウルトラマンダイナが! それぞれ予告なしでのサプライズ・ゲスト出演を果たしてみせたことで、子供たちやマニア諸氏をも狂喜乱舞させていたことは記憶に新しかったのだし……。
その伝で、同じく25周年を記念して、ウルトラマンガイアもまた、前作『ウルトラマンブレーザー』あたりにゲスト出演させる手もあったハズなのだ。しかし、同作独自の趣向として、先輩ウルトラヒーローの共演を排除してしまったことからも、それは果たされることがなかったのであった。
その意味では、怪獣キングオブモンスが出演を果たした『アーク』#21においても、並行宇宙から飛来したキングオブモンスを追って、同様に並行宇宙から飛来してきたウルトラマンガイアが助っ人参戦を果たして、アークたちとも共闘を果たすような「難敵攻略」だけのバトル編を、作り手たちは少なくとも初期構想の段階においては想定していたとも思うのだ。
しかして、実際の本編においては、往年の『ウルトラマン80(エイティ)』(80年)が初出であって、『ウルトラマンジード』(17年)以降はやはり何度も再登場を果たしてきた「だだっ子怪獣」こと、カワイらしイ有翼怪獣ザンドリアスが、よりにもよって醜悪なるキングオブモンスへと変身(爆)をとげてしまうようなストーリーになっていたのだ(笑)。
いや、このエピソードそれ自体は単発のものとしては充分に面白かったとは思うのだ。小説家になることを夢見るも、それが果たせないで悶々としている都会の鬱屈したイケていない女子を描いたストーリーでもあったからだ。
たしかに題材的にはやや陰鬱ではあったのやもしれない。しかし、演出や映像は明るくはあったのだ。登場するのはザンドリアスの手のひらサイズの赤ちゃん形態こと、初出は『ウルトラマンタイガ』(19年)でそれ以降も使い回しにされてきた、SD(スーパー・デフォルメ)調にまるっこく造形されているパペット状のベビーサンドリアス! そしてこのベビーや人間サイズのザンドリアスを隠蔽するためのコミカルな騒動劇でもあったりするあたりも含めて、過度に運鬱なワケでもなかったからなのだ。
陰鬱というのであれば、第2期ウルトラシリーズの『帰ってきたウルトラマン』(71年)第1クールや『ウルトラマンレオ』第1クールなどにおける怪獣攻撃隊の隊員間でのギスギスとした不和描写や、『ウルトラマンエース』(72年)における主人公青年隊員の組織内での葛藤&孤立描写の方がよっぽど陰鬱であって、それに勝るものなぞないのだし(笑)。
――それでも、第2期ウルトラにおける不和描写については、10代中後盤以降になってからの再視聴においては、いわゆる大上段に振りかぶったアンチテーゼ編以上に、「現実世界や現実社会における人間関係も、たしかにこうなっているよナ……」といった「重たいカタルシス」を感じさせてくれることで、それがまた実に味わい深くてクセにもなってくるのだけれども……。
とはいえ、10代中後盤にならないと完全には理解ができないような子供向け番組とはいったい……。いやしかし、児童の時分であればたしかにイヤ~ンな気持ちにはなってはいたものの、幼児の時分にはこれらの不和描写にはまったく気付けてすらおらずに、ヒーローvs怪獣怪人とのド突き合い番組として、単純に楽しんでもいたものなのだ。
そういったことまで考えあわせれば、幼児をタイクツさせない範疇にて、幼児には理解ができない人間ドラマも巧妙にブレンドさせておく手法。それこそが真にクレバーな作劇でもあったのやもしれない。……なぞといった思考を、延々と積み重ねていくことにもなっていくのだ(笑)――
そして、強敵怪獣キングオブモンスの大猛攻にあって、絶体絶命となったウルトラマンアークの大ピンチに駆けつけてきたのは……!? 誰であろう、やはりウルトラマンガイアそのヒトではなかった!(爆)
『アーク』のシリーズ前半のクライマックスたる#11~12の前後編にも登場していた、最後には改心を果たして宇宙へと飛び去っていってしまった、土星怪獣アンドロザウルスJr(ジュニア)ならぬ(笑)、自律型の知性を持った強敵巨大ロボット・ギヴァスであったのだ!!
……いや、ウラ事情の方はわかるのだ。怪獣ソフビ人形の「ウルトラ怪獣シリーズ」ブランド(83年~)ではなくって、それよりもサイズが大きく関節稼働もできる高額商品でもあった「ウルトラ怪獣アドバンス」ブランドでの同年2024年度の主力ソフビ人形商品が、このギヴァスでもあったからだ。よって、クリスマス商戦中の12月の放映回にも再登場を果たすことによって、露出を増やさなければイケナイといったノルマがあったのだ(笑)。
ギヴァスそれ自体は超カッコいいロボット怪獣といった感じではなかった。しかし、先にもふれてきたとおりで、怪獣キャラクターの再登場、あるいは怪獣の恩返し(笑)といった趣向それ自体は大カンゲイではあったのだ……。
しかし、おそらく初期の構想においては、ここに助っ人参戦していた存在は、ギヴァスではなくウルトラマンガイアであったろうことも想像にかたくないのだ。
けれども……。といったところで、ギヴァスが再登場するだけの必然性を持たせるほどの強敵怪獣は、このキングオブモンスしか存在しなかったことによって、ガイアとギヴァスを差し替え処置にしてしまった……といったところではなかろうか?
ここまでは、一応は製作スタッフたちへの苦悩にも理解を示すようなことを記してはきた。しかし、その二者択一の発想はよろしくはなかったであろう。正・反・合の「弁証法的発展」(=止揚)というヤツであって、そうであればこそイイとこ取りにして「プラス」に「プラス」を重ねて、ギヴァスとウルトラマンガイアの2大巨頭を、2体同時にアークの大ピンチに助っ人参戦させてあげてもよかったのではあるまいか!?(笑)
……アタマが硬いよな~。作劇的な発想についても、知的なフットワークの軽さには乏しいよなぁ~。いつの間にやらガイア&ギヴァスが意気投合して、仲良くなっていたことにでもしておいて、息もピッタリなコンビネーション・バトルでも繰り広げてみせてくれれば、同時に共演させてもまったくの無問題であったであろうに!
ロボット怪獣・ギヴァス! こうすれば、もっと活かせて、玩具も売れた!? クロコ星人! ビオルノも!
ぶっちゃけ、このギヴァスもなぁ。その後のシリーズ終盤に至っても連投させつづけるなどして、たとえば主人公青年の相棒格たる副主人公にして、防衛軍から出向してきたといった設定でもあった、黒背広姿でメガネの石堂シュウ青年あたりに操縦させて、アークとも共闘を果たすような存在にしていってもよかったのではあるまいか!?
そして、ラストバトルに参戦までさせてしまうような、熱血バトル漫画的にしてもっとロウブロウ(笑)な展開にしていってもよかったのではあるまいか!?――操縦席が存在していることは、初登場時に判明していたことでもあったのだし――
エッ? 内勤・ホワイトカラーの御仁だから、巨大ロボットなぞを操縦しそうにもないって? ……いや、このテのジャンル作品は、そういったリアリズムで作劇していってはイケナイのだ(笑)。知性を持ったギヴァスがサポートしてくれるとかのSF的なエクスキューズさえ満たしてあげれば、それでOKなのだから!
お笑い芸人・アキラ100%が演じていた、キノコ狩り(笑)のために地球に来ていた、人間サイズのクロコ星人にも再々登場を果たしてほしかったところだ。巨大化してもらって、アークの援護などもしてほしかったものなのだ。あのナヨナヨとした細めの見た目に反して意外と強かったら、ご都合主義そのものではあっても、燃えるでしょ!?
ウルトラマンアークの同郷で同族でもある「ビオルノ」なる半透明のキャラクターも、おそらく母星にいながらでのテレパシー通信によって、SKIPのロボット・ユピーの電子頭脳や廃墟のなかの電話機などを通じたコンタクトのかたちで登場してきた……。だったら、アークの着ぐるみの色替えで安く済ませるかたちで、終盤ではウルトラマンビオルノなども登場させればよかったのに!(笑)
欠点の指摘ではなく、消去法の発想でもなくって、プラスにプラスを積み重ねつづけていくような発想こそが、良質なエンタメ活劇を成立させてもいくのだ……。
「ウルトラマン」各作の終盤に欠如しているもの! ビジュアル面でのスケール感の不足!
そして、こういったことは、『アーク』の終盤全般についてもいえることなのだ――それは実は、本作『アーク』にかぎった話でもない、「ウルトラマン」作品の終盤全般にもいえることなのだけれども――。
最終展開における、ビジュアル面でのスケール感の不足。それがやはり物足りなかったりはするのだ。
あるいは、こういったことは、初期企画やストーリー構成を練る際の「ビジュアル・ボード」(映像イメージ)の欠如などにも原因があるのではなろうか?
ギャラの節約のために、本編監督が特撮監督を兼任するようにもなって久しいのだが、それもまたOKではある。そして、たとえ本編監督が特撮監督を兼任していようが、ビル街特撮などについては、昭和ウルトラや平成ウルトラをも、『ウルトラマンX』以降のここ10年ほどの作品は凌駕すらしてきたからだ。
よって、ここからさらなる特撮映像的なパワーアップをとげようとするのであれば、たとえば円谷プロ側の社員でもあり、キャラデザ担当でもあった後藤正行センセイあたりに、「イメージボード監督」なぞの役職なども与えて、そういった作品それ自体やシリーズ終盤における大舞台などを、絵的にも象徴・イメージもさせるような特殊ビジュアルなどを任せて、スタッフ間でもそれを共有するような、作り方をしていった方がイイのでなかろうか?
せっかくシリーズ中盤にて、宇宙のワームホールを通じて、異常なエネルギーが放出されていたのだ! といった壮大なるSF大設定を用意していたのだ。そして、シリーズの中盤回でこそ、それは子供のお絵描きのようなチャイルディッシュな図柄にて表現もされていた。
しかし、その最終展開においては、それをまた、実景の青い大空からでも常に見えてもおり、なおかつ我らが地球に迫ってもきていて、巨大なまがまがしい「黒い穴」のなかからも「太陽コロナのプロミネンス(火柱)」のごとき火炎が吹き荒れてもくるような、力強いビジュアルなどを見せてくれてもよかったのではあるまいか!?
純「脚本」のアラスジ次元でのレベルを超えたところでの、目で見てもわかるような超巨大さ・異様さ・迫力・絶望感! そういったものが欠如していると、「最終回」的な盛り上がり感が弱くなってもしまうからなのだ。
一応、中空には黒い「空間の穴」は空いてはいた。しかし、「絶望感」や「切迫感」には乏しいのだ(笑)。
――その意味では、往年の『ウルトラマンタロウ』#24~25の怪獣ムルロア前後編においても、地球の全域が闇に包まれてしまってもいたように、『ジード』の最終回や『トリガー』の最終回などもまた、闇や暗雲に包まれた世界を舞台背景としてみせたことで、たとえ万全ではなかったにしても、スケール感を大きくすることに成功していたとも思うのだ――
まずは「絵がありき!」で「イメージ先行」であった方がイイ! そこからストーリーを逆算して、そこに人間ドラマを作品のメンタル面でのテーマ性にも沿ったかたちで巧妙にトッピングをしていく……くらいの感覚で作劇をしていった方がイイ! といったことなのだ。
そういった作り方によって、作品のスケール感それ自体をも大きくしていくくらいでないと、幼児ならぬ児童や年長マニアたちを、ついに心の底からのナットクをさせたり、心の底から楽しませるといったこともまたできないのではなかろうか!?
たとえば、『仮面ライダービルド』(17年)の終盤では、中空にミニ・ブラックホールを出現させたり、並行宇宙のもうひとつの地球を出現させたりもしていた。
『機界戦隊ゼンカイジャー』(21年)の終盤でも、「天地創造の神さま」をも超えた、すべての並行宇宙を創造してきた超・神さま(爆)までもが登場してもいた。
ヒーローvs怪獣怪人のド突き合いは踏まえたうえでの、そうしたインフレ的なスケールの拡大感こそが、児童層や大きな友だちをゲットするためには必要でもあるのだ!――もちろん、最後の最後には地ベタの平和な日常世界へと回帰してくるのだけれども(笑)――
よって、本作『アーク』なども、ワームホールを逆にたどって、アークの母星やラスボスなどが住まっている母星などにも攻め込んでいくようなストーリー展開なぞも構築できたのではなかろうか!?
……いや、わかってはいますよ。そのあたりの現代日本のご近所さまにおける外出ロケでの撮影でも済ませることができるかたちではなく、グリーンバックで撮影して背景は3D-CGで合成するにしたって、それであってもけっこうな手間と金銭、特に期間などもかかってしまうのであろうといったことは……。
とはいえ、『アーク』最終回の翌週から放映が開始された、毎年恒例の場つなぎで、過去のウルトラシリーズの再編集・総集編番組でもある『ウルトラマン ニュージェネレーション スターズ』3期目の#1を鑑賞していて、もう早くも5年も前のヒーローになってしまったウルトラマンゼットの背後の背景に広がってもいた、3D-CGによるリアルな火星の地表のような辺境惑星などの大地の映像などを見せられてしまうとねぇ~。
こういった映像が構築できるのであれば、『アーク』の最終展開においても、アークの母星の近辺だ! などといった設定で、岩肌だらけの辺境惑星などを舞台にしたラストバトルなども映像化ができたのではなかろうか!? ……なぞといった考えを、後出しジャンケンではあってもシロウトとしてはどうしても思い浮かべてしまうのだ。
そういった意味では、宇宙から飛来してきた巨大ロボット・ギヴァスなども存在していたのであるから、SKIPの面々をギヴァスに搭乗させるかたちで、宇宙のかなたのラスボスが住まっている母星へと攻め込ませて、戦わせてもOKだったのではなかろうか!?(笑)
……エッ? よその星には地球型の空気がないって? いや、昭和ウルトラやその直系続編でもあった『ウルトラマンメビウス』(06年)の100年だか1000年後だかの未来世界を舞台にしていた映画『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE』(09年)においても、おおよそ空気なぞもなさそうにも思える夜の闇に包まれている惑星で、コニタンもといZAP(ザップ)隊員たちが宇宙服も身に着けずに、ナマ身で人間サイズの悪い宇宙人たちとも平気で格闘を演じていたものなのだ!
その時点においても、そういった描写に対してもはや誰もケチを付けなくなっていたのだ(笑)。よって、そのあたりのインチキはもう大丈夫なのだ!?
最終回! ラスボスとの決着の付け方をどう見るか!?
とはいえ、筆者個人は『アーク』の最終回に大きな不満を持っているワケでもないのだ。どころか、そういった壮大なるSFビジョンについては、オトナの事情で映像化は毎度のこと果たされないであろうと事前に予想もつけていた、スレたマニア諸氏もきっとまた多かったことでもあるだろう(笑)。
そのうえで云うのであれば、個人的には毎作においても多々あったのではあろう製作上での桎梏・制限の範疇内にて、本作もまた最終回としてはウマく着地をさせていたとも思ってはいるのだ。
具体的な映像こそなかったものの(爆)、アークの故郷の銀河での大戦に、アーク本人&彼とも合体している主人公青年クンが参戦して、ラスボスとも戦うことになったのだ!……といったことは、セリフだけでも忘れられずに描かれてもいたからだ。
……「そんなことは当たり前のことじゃないか!?」「評価が甘い!」などといったツッコミをもらいそうでもある。しかし、それすらもが忘れ去られてしまったような最終回になってしまうのでもあろうナ……といった予想を立ててもいたので(笑)。
エッ? 一応のラスボス存在たる「ゼ・ズー」との最終決着が、映像としては描かれなかったことが致命的であったって?
……これもなぁ。往年のロボットアニメ『グレートマジンガー』(74年)の最終回にて、ラスボスたる「闇の帝王」の存在が忘れ去られてしまった前例(笑)なども大むかしにはあってですね~……。筆者よりも上の世代のマニアたちはこれに対してのケチを散々につけてきたものなのだ。そして、それもまた当然のことではあったのだ。
しかし、まだ幼かった筆者や同世代の御仁たちなぞは、この処置にはそもそも気付けてすらおらずに、気にもしていなかったのでもあった(爆)。よって、おそらく「ゼ・ズー」の去就についても、幼児層は気にもとめていない! とも思われるのだ(笑)。
おそらく、かの「闇の帝王」は、燃えさかる炎に顔面が浮かんでくるだけの抽象的な存在で、物理的な実体なぞはなかったことから、それで幼児たちにとっては印象がウスくなってしまっていたのだ。だからこそ、決着がつかなかったことそれ自体もまたわからなかったほどであったのだ……。
そしてまた、「ゼ・ズー」なる存在もまた、スーツアクターが中に入るような着ぐるみの重々しい存在感などもあるような怪獣や宇宙人キャラクターではなかった。よって、小学生にはともかく幼児層にはそもそもラスボスには見えてはいなかったのではなかろうか?(汗)
――だから、それゆえにダメだった……といった意味でもない。まぁ、些事ですよ。昭和の時代の『ウルトラマンエース』のレギュラー敵こと異次元人ヤプールたちなども、半実体といった揺らめくような描写でもあったために、幼児層にはあまり印象がなかった存在でもあったことであろうし(笑)――
強いて云うならば、最終回に登場した、いわゆる二足歩行の怪獣タイプの姿をしている新怪獣のことなのだ。
往年の初代ウルトラマンをその最終回にて打倒をしてみせた宇宙恐竜ゼットンなぞのように目鼻口などもなかったことで、その感情なども読み取りにくくて、異質さの方を前面に押し出してもいた、モノゲロス・ディゲロス・トリゲロスたち「宇宙獣」シリーズの決定版! ……などではなかったことについては、個人的には少々の不整合を感じて引っかかりを覚えているのやもしれない。
「夢をあやつる超能力」などを持っているがゆえにか、動物のバクをモチーフのひとつにしていたともおぼしき、哺乳類型の目鼻口なども付いた小顔が腹部から突出している「夢幻獣」なる新怪獣。
その顔面は小動物チックで可愛らしくさえあるので(笑)、ラスボス怪獣っぽくは見えないのだ――まぁ、このテの作品にはよくある常套でもあるので、イチイチ手に取って憤慨しているワケではないにしてもだ――
エッ? ラスボス怪獣ポジションは、女刺客の方だって!? ……ハイ! もちろん、強敵巨大怪人の彼女の存在&健闘によって、ヒーローvs怪獣怪人とのド突き合い、そして戦闘&勝利のカタルシスを満たしてくれるノルマもまたキチンと満たされて、本作は無事に終了とあいなったこともまた確かなのだ!
――でも、合体怪獣ヘルナラクの方が強そうにも見えたよ~(笑)――
最終回! 「想像力」テーマについては一応の回答! 「想像力」のダークサイド!? 「想像力」は無力なり!?
とはいえ、「想像力」をテーマにしてきた本作においては、その「想像力」のダークサイドについても、向き合ってみせたことは評価をしたいのだ。
「想像力」のダークサイドとは、たしかに「現実に対して正面からは向き合わないこと」かつ「現実逃避に走ること」でもあったからだ。そして、そういった暗黒面については、青少年のマニア諸氏でも、あるいは早熟でシニカルなマニア予備軍タイプな児童であればあるほど、自然と脳裏にも浮かんでくる類いのものでもあったからだ。
たしかにそのとおりなのだ。ポエミー(詩的)な「想像力」には、そうしたウィークポイント(弱点)もたしかにハラまれてはいることについても、常に直視はしつづけるべきでもあって、避けてはイケナイものでもあったからだ。それに、たいていの物事は一長一短でもあるからだ。
もちろん、イイ意味での「しょせんは子供向け番組」でもあったのだし、作品世界そのものを崩壊させかねない、そこまでものセルフ・ツッコミを入れてしまう必要性なぞもなかったとも、一方では筆者個人は考えてもいる。
しかしその一方では、作品世界それ自体の「否定」ではなくても、こういったダークサイドの問題にもカスっておいて、作品世界を「相対化」しておくこともまた、作り手たちのせめてもの誠意であったことは認めざるをえないのだ。
これまでの『ウルトラマンアーク』がつづってきた物語は、そのすべてが主人公青年の現実逃避的な「想像」もとい「妄想」であったのやもしれない……!? ウルトラマンアークそれ自体からも「卒業」して「別離」をすることこそがまた、「正義」であって「成長」ですらあるのやもしれない……!? それもまた、半分は正しい命題ですらあったのだ。
しかし、そのロジックは特撮変身ヒーローものに耽溺している子供やマニア・オタク層だけに向けられて、当てはまるものでも決してなかったのだ。
いかに優れた社会派テーマを扱った重厚な本格ドラマであろうが、それすらもがニュースや報道や実地な市民運動・社会運動などからは遠ざけてもしまう、あるいは安直なところで分かった気にもさせてしまうような「毒物」でさえあって、偽善であり欺瞞ですらあるのだ!……なぞといったことを主張しているような御仁も、何十年ものむかしから常に一定数はいたからなのだ。
そんな彼らたちにしてみれば、「想像」なり「創作」といった行為そのものすら否定をしたいところであろうし、どころか断罪さえしたいやもしれないのだ……。
今を去ること60年も前の1964年にも、フランスの実存主義の哲学者にしてマルクス主義者でもあり作家でもあったサルトルは、
「飢えた子供たちを前にして、文学には何ができるのか?」
「……その回答は……、『何もできはしないのだ……』」
「よって、(当時の)20億の人民の飢えを満たすためにも、作家は文学を一時放棄すべきなのだ!」
なぞと主張をして、世界中の文学者たちを動揺させていた……。
もちろん、「文学などの一時放棄」が万全な回答だとも思われない。しかし、これはこれでまた倫理的にして合理的な意見でもあったのだ。筆者個人もこの見解は半分は正しいとすら思うのだ。
筆者もまた、「創作」や自身の「執筆」活動ごときを至上志向の高邁なる営為なのだ! なぞと思い上がることこそ、傲慢で堕落の一歩で危険ですらある! なそとも思ってしまうような人間でもあったので……。などと云いつつ、オタク活動やモノ書き趣味を放棄したりもしないけど(笑)。
その意味では、「想像力」といった、本作のテーマそれ自体に対しても、アンチテーゼを一度はブツけたうえでの再帰的な再肯定! といったかたちで、本作はテーマ的には一応の回答を与えることもできてはいたのだ!
――加えて、人間ドラマ面においても、正副主人公青年との「友情もの」としては一貫性を持たせることにも成功はしていた。所長さんとメインヒロインについても、役者さんご本人たちの存在感もあったのでもあろうが、盤石に確立されてもいた。
しかして、すでにオトナでもある脚本家陣は、子供たちにこそウケそうな人間サイズのマスコットロボット・ユピーに対しては、『X』におけるファントン星人グルマン博士や、『ジード』におけるペガッサ星人ペガに、『トリガー』におけるメトロン星人マルゥルのような、フェティッシュなまでの関心が向かっていってはいなかったようにも見えたことについては、少々残念でもあった。
これも後知恵ではあるのだが、ユピーとメインヒロインなどを常にベタベタ・なでなでと肌接触までさせるような愛着描写などで、この両者のキャラを外堀から立ててもいくような手法などもあったのやもしれない――
「想像力」以前! 人間はなぜ「娯楽活劇」を好むのか!? その物語的な効用とは何か!?
けれども、それらの「テーマ性」や「ドラマ性」なぞはさておいたところでの、つまりは現今の「ウルトラマン」作品においてこそ、最も充足させておくべきであった要素とは何であったのか!?
それはやはり、たとえ不謹慎ではあっても、娯楽活劇作品の最終展開にこそふさわしい、巨大なスケール感にも満ちあふれた「カタストロフ(破局)」描写だと信じているのだ!(爆)
もちろん、こらえにこらえて、がんばりにがんばり抜いたところで、最後にはメデタシめでたし……といったオチには落とすべきではあるのだ。
しかし一時的でも、不謹慎にして背徳的ですらあっても、非日常的なカタストロフに対してすら、(よほどの繊細ナイーブな御仁は別にしても)人間一般とはスリル&サスペンスを感じてしまったり、どころかウキウキ・ワクワクとしてしまったりもするものでもあったのだ(汗)。そうであれば、それこそを虚構作品なりエンタメ作品としては、味あわせてあげるべきなのだ。
けれども、最後には正義が勝利を果たすことによって、脳裏に浮かんでいたもろもろの不謹慎な背徳感・破壊願望といった「毒物」なりをも捨泄させることができて、観客たちを浄化もしていく……。そういったものが「娯楽活劇」でもあるのだし、活劇の「効用」もそこにあったのだ。
現実の世界で発生している戦争においては、あるいは学校や会社において発生している争いや不和についても、正義の側が……あるいは正義そのものではなくても、正義の側に寄っている方が、ホントウに最終的な勝利を迎えているのかについては、たしかに怪しいところがあったりはする(爆)。
しかし、そうであってほしいと過半の人間は願ってもいる。そして、そういった正義の側が勝利をおさめてほしい! といった願望を、子供や大衆に向けて延々と語っていくような行為によって、人々を慰めてもいくような……、あるいは非力さゆえに流されてしまうことがあっても、積極的には加担はしていかないようにも善導をしていくような、イイ意味での陳腐凡庸な物語の数々(汗)。
それらを延々とつづっていくことこそがまた、このテの正義のヒーローものの本質でもあったりするのだ。
壮大なる特撮カタストロフ描写に費やせない場合の、スケール雄大感の出し方とは!? 先輩ヒーローとの共演だ!
とはいえ、そんなことは百も承知であって、それであっても、そういった壮大なる特撮ビジュアルを伴なった逆転勝利の物語が、予算面でもスケジュール面でも作れない! といったこともあるのではあろう(笑)。
それでは、どうすればイイのであろうか?
いやしかし、壮大なるスケール感を、高い金銭なぞはかけなくても、疑似的にでも担保をしてみせる手法もあるのだ。
それは最終回においても、先輩ヒーローたちを客演させることなのだ(笑)。先輩ヒーローたちさえ協力しなければならないほどの巨悪とも戦っているのだ! なぞといった、疑似的なスケール感を醸し出していくような作劇論なのだ。
たとえば、本作『アーク』中盤においても、もしもウルトラマンブレーザーやウルトラマンガイアがゲスト出演を果たしてくれていたのならば、それらを広義での「伏線」だとして、『アーク』の最終回の戦闘シーンにおいても、仮にドラマ的にはまったくの無意味で唐突ですらあっても(笑)、両脇をかためさせるかたちで再登場をさせることによって、絵的に賑やかにするような方法論などもあったハズなのだ。
たとえば、往年の『仮面ライダー』初作(71年)の最終回では、仮面ライダー1号と2号が共闘してショッカー大首領を倒していたのだ。
『仮面ライダーストロンガー』(75年)の最終回でも、昭和の7人ライダーが共闘して巨人でもあった岩石大首領を倒していたのだ。
『仮面ライダー(新)』(79年)の最終回でも、8人ライダーがその正体は巨大怪獣でもあったネオショッカー大首領を倒してみせていたのだ。
往時の子供たちもまた、通常回とは異なるものとしての最終回にこそふさわしいスケール雄大感を味わってはきたのだ!
あるいは、東映の特撮変身ヒーロー『キカイダー01(ゼロワン)』(73年)の最終回においても、前作の『人造人間キカイダー』(72年)が助っ人参戦を果たしていた。
東映のロボットアニメ『グレートマジンガー』(74年)の最終回においても、前作の『マジンガーZ』(72年)が助っ人参戦を果たしていた。
我らがウルトラシリーズにおいても、TVアニメシリーズ『ザ☆ウルトラマン』(79年)の最終回においては、ラストバトルにウルトラの星・U40(ユーフォーティ)のウルトラマンたちでもあった、エレク&ロト&ウルトラの5大戦士たちも参戦してきて、都合8人ものウルトラマンたちが大活躍を見せていた。
往年の『宇宙刑事シャリバン』(83年)の最終回においても、前作の『宇宙刑事ギャバン』(82年)が助っ人参戦を果たしてもいた。
平成になってからでも、東映メタルヒーロー『ビーファイターカブト』(96年)の終盤においては、前作の『重甲ビーファイター』(95年)の3人のヒーローが助っ人参戦をしてくれたことで、それほどまでの大事態になっていることが表現できてもいたのだ。
――対するに、同一の世界観を舞台としていたのに、宇宙刑事ギャバン&シャリバンが助っ人参戦を果たさなかった『宇宙刑事シャイダー』(84年)の最終回や、マジンガーZ&グレートマジンガーが助っ人参戦を果たさなかった『UFO(ユーフォ―)ロボ グレンダイザー』(75年)の最終回などは、作り手たちのねらいはともかくとしても、「子供心」や「マニア心理」としては実に物足りなかったものなのだ――
前作ヒーローとの共演をメインに、昭和や平成のウルトラマンたちとも共闘を果たしてきた2010年代以降の「ウルトラマン」作品の毎春恒例の後日談としての映画版。しかし、それが一昨年2023年春の映画『ウルトラマンデッカー最終章 旅立ちの彼方へ…』から3作続けて、先輩ヒーローとの共演映画ではなくなってもいる。そのことから来る「お祭り感」や「スペシャル感」の欠如は残念でならない。
国会議事堂の破壊や、名優・竹中直人のゲスト出演もイイだろう。しかし、それ以上に子供たちやマニア連中たちが観たいものは、前作ヒーローとの夢の共闘劇ではなかったろうか!?
TVシリーズの「最終回」とも同様に、「映画版」についても「先輩ヒーローとの共演」ものを、ひいては「パラレルワールド」越境といった「SF」的な興趣においても、児童レベルでの知的関心(笑)をも喚起していくような作品群を、東映の特撮ヒーローものやその劇場版なども含めたかたちで製作しつづけることにこそ、この日本の特撮ジャンルの延命があるのだと信じて疑わないのであった……。
……でも、最終回でウルトラマンアークが放った必殺光線が、地球の表面を1周してしまったようなデタラメ特撮演出は、半分は笑ってしまうけどカッコよくって大スキだ!――もちろん、オタクな筆者が往年の深夜ワクのデタラメ合体ロボットアニメ『創聖のアクエリオン』(05年)における、同様趣向の「無限パンチ」(笑)を忘れているワケではないのは念のため――
ウルトラマンアーク Blu-ray BOX(特装限定版)
『ウルトラマンアーク』寸評
(文・フラユシュ)
観ているが、何か印象に残らない。残るのはコーヒーのみというストーリーが残らない珍しい作品。
しかし、カネゴンとピットコインもどきを組み合わせてみせる時事ネタの拾いっぷりや、後半の単発のホラー話や、夢に溺れそうになる話などは芥川龍之介の『杜子春』(とししゅん)などを彷彿させ、うまくエンタメに昇華していると感心した。けれど、この手の話ですぐ往年の名作映画『うる星やつら2 ビューティフルドリーマー』(84年)の影響云々を語る方はまだ浅いw
部分部分では光る点もあるが、最後に宇宙に旅立つ理由が弱かったりなど、芯が脆弱なシリーズだったという印象。
『ウルトラマンアーク』 ~後半評!
(文・中村達彦)
『ウルトラマンアーク』 ~急展開、眼が離せない後半突入
第14話「過去の瞬き」
シュウは、防衛隊上司丹生谷と接触する。ギヴァスの発していた光線の解析が出た。高エネルギー体を捜していたのであり、それは星元市の狐ヶ森にあるらしい。高エネルギー体のコードネームはオニキス。その頃、モノホーンに手をかざしている謎の女性がいた。モノホーンに異変が生じ、ユウマとシュウは調査に赴く。到着した2人に、女性の声が、続いて輝く立方体が2人を囲み、そこへアークが現れ2人を何処かへ。輝く立方体は透明な怪獣を実体化させ、直後に女性が姿を現す。目を覚ましたユウマは、昔祖母と来たことがある映画館の中にいた。そこへアークが。鏡の世界へユウマを連れて行き、対面、映画を通して今までの事情を語っていく。
地球から遥か離れた宇宙にあるアーク否ルティオンの銀河、その恒星ソニアが膨張、星々は危機に瀕した。星々の指導者の1人ゼ・ズーが開発したワームホールゼ・ズーゲートで、ソニアの過剰エネルギーを別の宇宙へ放出しようと。だが過剰エネルギー放出先は、地球であった。滅ぼすことになるが、ゼ・ズーは強引にゼ・ズーゲートを開き実行しようと。阻止するためルティオンが派遣された。ゼ・ズーゲートを塞ぐ。だが追って来たモノゲロスとの戦いで地球に墜落、ユウマを巻き込んでしまった。16年前のことである。眠っていたシュウは、謎の女性に記憶を調べられ、彼女ゼ・ズーの腹心スイードもオニキスを捜していた。ユウマやルティオンの前に姿を見せるスイード。変身するユウマ。スイードも宇宙獣ザディーメと一体化、アークと激突する。既にエネルギーを消耗していたアークはシュウの援護もあって撃退するが力尽きてユウマに戻ってしまう。その時、シュウに丹生谷から急報が。
脚本は#6以来の継田淳。監督は#3から引き続き辻本貴則。前後編で、鍵となるエピソードと伺える。
丁寧に、アークが地球に来た理由や前話までの謎が明かされた。謎の女性、宇宙人のスイード、演じるは元グラビアアイドルの佐藤江梨子。スイードは人間の姿だが、『ザウルトラマン』(1979)のアミアのような女ウルトラマンのような姿もあるのか? ルティオンを裏切り者と言っていたが、かつて『ウルトラマントリガー NEW GENERATION TIGA』(2021)のトリガーとカルミラのような関係だったのか?
語られる16年前のこと。口頭ではなく、幼い頃ユウマが描いた絵をアニメーションにしたような映画でわかりやすい。太陽が膨張して、滅亡を回避するため宇宙人のマッドサイエンティストが作ったワームホールが、地球の滅亡に繋がる。滅亡を防ぐためのワームホール、だが別種族の地球が犠牲に。それを防ぐため派遣されたルティオン。己の存亡を賭け、モノゲロスを次いでザディーメを派遣したマッドサイエンティストのグループ。地球を救わなければいけないが、ではルティオンたちのいる世界はどうなる? 70~80年代はこう言う地球か宇宙人かの存続に関わるSFプロットのアニメがよくあり、最近はずっとご無沙汰しているが。本作はそれを発展継承した。
並んで座って映画を観ているルティオンとユウマ。変だがほのぼのする。ルティオンは戦いに巻き込みユウマの両親を守れなかったことを悔いており、ユウマも両親が死んだことに檄せず、ルティオンに落ち着いて対している。
ザディーメ。モノゲロスやディゲロスの昆虫を思わせるラインとは一線を画し、ウルトラ怪獣より東映特撮の敵役デザインが強い。四次元超立方体を発生させたり、超獣のように空間を切り裂いて出入りするのも併せ個性大きい。
第15話「さまよえる未来」
病院で眠り続けるユウマ。SKIPでは、防衛隊はオニキスが発見された狐が森一帯の情報を隠蔽していると知る。シュウは隠していたことを詫び、16年前に確認されたオニキスについて、ヒロシやリンに打ち明ける。病院では、スイードがユウマの意識をSKIPへ連れ出す。シュウの話に一同聞き入る。皆に姿は見えないユウマとスイード。オニキスが想像を超える脅威と説明するシュウ。オニキスが発する重力波や高エネルギー粒子から古代から眠っていた怪獣が目覚め、シュウは調査で星元市へ来たのであった。星元市に次々に怪獣が出現しているのもオニキスが原因。更にオニキスに蓄積されているエネルギーがいずれ爆発、地球を消滅させると判明していた。その時、ユピーがスイードの気配に気づく。直後に急報が、防衛隊は、狐が森のオニキスを回収すると。だがオニキスには近寄れず、ザディーメも出現する。
ユウマは病院へ戻るが、ルティオンは地球の消滅するかもしれないことを述べなかったとスイードは挑発。ザディーメは防衛隊航空機を次々に撃破。狐が森へ急行するシュウに、ヒロシやリン、ユピーも同行する。姿を現すオニキス。鏡の中でユウマと再会したルティオンは、地球の危機を告げなかったことを謝る。ルティオンも16年の間に人類や地球のことを知り愛しく思うようになっていた。ユウマは「君は僕で、僕は君だ」と返し、2人の絆は強く、スイードの声も相手にしなかった。ザディーメに立ち向かう。スイードが超能力でアークを抑えるが、ユピーが掴んだ位置からシュウが撃って、その隙にソリスアーマーを装着してザディーメを攻撃。オニキスのエネルギー波に圧倒されるが「想像力を解き放て」ユウマの声と共に新たなギャラクシーアーマーが出現、ザディーメを撃破する。オニキスは消滅した。
前後編の後編。脚本も継田淳。監督も引き続き辻本貴則。強敵に苦戦するも、主人公の頑張りで新しい技が登場するのはヒーローもののパターン。『ウルトラマンブレーザー』(2023)の第11・12話に該当する流れ。
前回力尽きてアークは倒れ、ユウマの姿に戻ったが、直後に駆けつけたシュウは、何も疑問に思わなかったのか?
スイードは強気な様子でユウマの意識をSKIPへ連れて行き、共にシュウの話に聞き入るが、地球人を見下した様子で、ルティオンがオニキスを塞いだことも、少し終わるのを引き延ばしているだけで無駄だと言い放つ。サトエリ、優し気な雰囲気を持っていたが、このような演技がやれるとは。オニキスが解放される時、スイードは自らが死ぬことになるが、それを厭わないと、地球へ来て地球人が愛しくなったと言うルティオンとは対称的。
地球が破滅することを知らされても受け止め、ルティオンに呼びかけたユウマ、成長と強さが伝わってくる。
SKIP室内で、ユピーがスイードの気配を察知し、強気だったスイードも自分の存在を知られ、露骨に嫌な顔な顔をしていたが。続いてザディーメの戦いで、スイードが超能力でアークを抑えた時、ユピーが再びスイードの気配に気づき、皆に報せ、シュウの援護射撃でアークを援護する。その構成も良い。
ユウマの声に押されて、新しいアーマーが出現、圧倒的な力でザディーメを倒すのは、御約束。近年のウルトラシリーズではパターンになっている。ギャラクシーアーマーの彩色、悪役っぽく、何か好きになれない。
ザディーメとアークのバトル、四次元超立方体やアークギャラクサーを使った演出はCGを使ったもの。昭和の特撮技術では出来ないだろう。
何故ギャラクシーアーマーが出現したのかや、オニキスが消滅したのはわかりにくく説明不足。
ラスト、戦いの後、空中に何かが残り、空中を裂いたが、何? 新しいアークの光線技ギャラクサーファイナライズを浴び、スイードもザディーメと共に消滅したが、死んだのか?
特別総集編2「SKIPミヤコ市分所にて」
SKIPの中村は、転属が続き、ミヤコ市の支部に赴任した。また職員は1人。他にロボットのマイコピーが。マイコピーはアークのファンであった。ルーナアーマーでのアーク活躍が振り返られ、#14~#15も再び語られる。ギャラクシーアーマーを装着、4枚の羽根でテレポートできるアークフェザー、新たな武器アークギャラクサー、複数のキューブを装填して発射される光線技ギャラクサーファイナライズが加わる。オニキスのことは、中村は初耳であった。
オニキスにより星元市に怪獣が寄っていた。ノイズラーが来たのも、その原因となった違う星との交信が繋がったのも、その前に地球に飛来したクロコ星人の円盤が急に飛び去ったのも、ギヴァスが求めていたのもオニキスであった。SKIPのスタッフが星元市に集まっていたが、中村には連絡が来ていなかった。
脚本は足木淳一郎。演出は秦敏樹。ほとんど前の映像を繋ぎ合わせ、新作の怪獣バトルが無い恒例の総集編。だが注意して観ると、本編で見逃したところを説明してくれたり、新しいアークの力ギャラクシーアーマーについて丁寧に解説してくれたり、侮れない。
ギヴァスが、アークのエクサスラッシュ、オカグビラのドリル攻撃をコピーして、自身の技で使ったとは。#11では気付かなかったが、本話で観ると『ウルトラマンA』(1972)のエースキラーを彷彿させる。
#6、#10もオニキスが関わっていたと語られ、新しいギャラクシーアーマーについて、具体的に名前やその能力について述べられたのも良い。
日本否世界各地に怪獣が出現、前話でタッコング、エレキング、チャンドラーやベムスターが現れているシーンがあり、今回もギガス、ムカデンダー、バードン、サドラー、マグラ、レッドキングが地図で今まで出現したと。日本あちこちにSKIP分所があり、ユピーと同様のロボットが配備されていると、星元市やミヤコ市以外の分所、SKIP本部についても観てみたい。『ウルトラマンブレーザー』(2023)は、郊外あちこち地方も舞台であったが。
#14からこれも恒例、OP歌もカット(ネタバレになるが、これから登場する怪獣)も変わり、arc jump'n to the skyの2番が。ED歌が変わったが、前と同じARCANA PROJECTのミチカケ。最近のアニメ主題歌みたいで。楽しくなる明るいメロディ。
オニキスは16年前のK-DAYの時あった訳だが、それから16年間、ソニア膨張は続いていた筈。ゼ・ズーゲートで恒星エネルギーは送られていないのか? ゼ・ズー16年の間何をやっていたのか? スイードが来るの遅すぎないか? そう言えば#12でクロコ星人は、ギヴァスを作ったメグマ星人を知っていたが、メグマ星人はずっと前に滅んでいた。そのことを知らないとは何かおかしくないか?
アークは、ユウマがスケッチブックに描いたイメージに、ルティオンがその姿のままになったのだが、ルティオン本当の姿は? スケッチブックの姿がそのままヒーローの姿になるのは、『ウイングマン』みたいで。
第16話「恐れの光」
ザディーメを撃破した跡、生じた空間の穴から何かが落ちて来た。その頃、SKIPではオニキスの監視を続けていたが、問題無しで、シュウは宇宙科学局へ戻ることになった。その出勤途中、シュウとユウマは、シュウはこれからどんな任務にあたるのか、何故現在の仕事に就いたのか言葉を交わす。直後、緊急事態が、山のキャンプ場で人々が何かに怯え、錯乱していた。原因は不明だが怪獣の可能性も。シュウ、ユウマ、ユピーは調査に。怪獣探知機に反応は無い。一同をそっと見ている存在が。と閃光がきらめき、湯豆腐と連呼し、怯えている人が。続いて怪獣の姿が、手からきらめく閃光、ユウマをかばってシュウが光を浴び、シュウはSKIP面々から別れを告げられている光景を目の当たりにする。直後に怪獣から繰り出された長い舌がユウマを襲うが、舌はユウマを素通りする。シュウの銃撃も素通り。
その時、見守っていた人物が腕を組み合わせて、快音を響かせ、怪獣は消失する。その後、キャンプ場の人々は、視神経から扁桃体にダメージが見られ、嫌悪感や恐怖を刺激されたと、怪獣は気配も音もなく、実体がないのだとSKIPは分析する。そしてその幻視怪獣モグージョンは街中に現れた。実体化している。SKIPは出動するが、シュウのアドバイスで、眼を守ろうと。ヘルメットやサングラスを付けて行動する面々、外見は実体化したが、依然、幻で防衛隊のミサイル攻撃もすり抜けてしまう。ユウマは変身して立ち向かう。モグージョンの攻撃をアークは防ぐ。SKIP面々も奮起。だがモグージョンは地下に潜って反撃、アークは苦戦する。その時、山中で見守っていた人物が加勢、巨大化した姿は宇宙侍ザンギルであった。ザンギルとアークは2人で挑む。今度は攻撃がモグージョンに効く。モグージョン頭部からの光線照射に苦戦するも、アークファイナライズで倒す。戦い終わった翌日、シュウは、星元市分所勤務継続を願い許されたと告げる。これまでの付き合いで、ユウマに感化されていたのだ。そこへザンギルが呼びかけた。
脚本は#9に続いて根元歳三。監督は#8に続き越知靖。
シュウが宇宙科学局に戻る話から始まる。ユウマはピンピンして、皆といる。もう退院したのか。改めてシュウは、#14ラストでアークが消滅した場所に、ユウマが倒れていたことを、何も疑問を感じなかったのか。
空間へ空いた穴から落ちて来たもの。スイードやゼ・ズーからだと思ったが、新たな敵。
『ウルトラマンブレーザー』に登場したモグージョンとザンギルの再登場。単なる顔見せ、やられ役ではなく、何話も引っ張る役どころで。モグージョン幻覚で、嫌いなもの、苦手なものを見せるのは『ブレーザー』同様だが、頭部から強力な光線を出す、地下に潜って反撃と強くなっていた。自身は霊体で攻撃を加えられてもすり抜けて効果が無いが,2度目の出現で、自身の攻撃は相手に効く、不公平に感じた視聴者は多いだろう。
ザンギル、えっ『ウルトラマンブレーザー』では消滅したはずでは? 外見は凶悪な宇宙人だが、実は良い人であるのは承知の通り。武士がかった声も、仮面ライダーやスーパー戦隊にもレギュラー出演した唐橋充の声で変わらず。
シュウを巡るドラマに比重が置かれた。一見真面目で厳しい表情ながら、実はコーヒーに拘りを持つ好青年で、これまでもユウマたちに、防衛隊の任務との狭間にありながら、優しい人であるとエピソードが語られて来た。モグージョンの光を浴びた時、SKIP面々との別れを恐れている心情が描かれた。ラスト近くで、ユウマに転属を伸ばしてもらったと告げるシュウ。これからは石堂ではなく、シュウと呼んでくれと、バディとなって近づいたユウマとシュウの関係を感じる。2次創作でボーイズラブのネタにされそう。
モグージョンとの対決、バリヤーを砕き、剣と共に、モグージョンの光を反射させ、モグージョン自身が恐れている者を見せる演出、今一視聴者にはわかりにくい。そこでモグージョンが何かに怯えている様子、正体は次話で。
光を防ごうと、SKIPはそれぞれ目を防いで避難にあたっているが、その姿は奇異に、「真面目にやれ」の声が。それとユウマ、あんなに堂々と変身して、大丈夫か? 誰かに見られると思うが。
最初にモグージョンの光にやられた人々を動画で撮った人も、光にやられ、湯豆腐を怖がっていたが、何故湯豆腐を怖がるんだろう?
第17話「漸鬼流星剣」
ザンギルは、ユウマとシュウに脅威が迫っていることを告げる。その後、SKIPへ。リンやヒロシ、ユピーとも会う。シュウのコーヒーに意気投合、喜ぶシュウ。ザンギルは別の世界で命を失うが、冥府の闇将軍ヘルナラクに新たな命を与えられ蘇ったと言う。ヘルナラクは死んだ怪獣の残留思念を集めて卵に、卵は次元の裂け目を通ってこの世界へ、孵化して幽体怪獣で現れるのだと、先のモグージョンもその1つであった。悪霊、鬼とも言える。シュウは、ザンギル腕の刀流星剣が鳴る音が怪獣を不安定、幽体と実体を揺るがせ、斬ることが出来ると。ユピーが音を分析する。ヘルナラクはやがてこの世界にも来ると。ザンギルはユウマと同様に、戦っている勇士がいるとも語る。続いて心で斬らねばならないがユウマには雑念が多いと、自分の剣慚流星剣について語る。
ユーは次元の裂け目を調査、山中に発見する。落下した卵から甲虫怪獣タガヌラーと深海怪獣ゲードスが。怪獣は途中二手に分かれ、タガヌラーはエネルギー融合プラントへ向かっている。ザンギルがタガヌラーにあたり、リン、シュウ、ユウマがゲードスにあたることに。ザンギルは、ヘルナラクに蘇らされたが、闇のエネルギーを拒否したため、残り時間が限られていた。ゲードスは幽体で実体弾を受け付けないが、ユピーの分析が完了、ソニッターにデータが転送され、それでゲードスは実体化。直後にユウマは変身する。タガヌラーには巨大化したザンギルがあたるが、次々に孵化した大群が迫る。ゲードスを倒したアークが合流。ギャラクシーアーマーの力で、ソリッドアーマー、ルーナアーマーの姿も並び、ザンギルに教わった剣慚流星剣、ギャラクサーディフュージョンアローなどで大群をせん滅する。夕暮れ、ザンギルはユウマを称え、シュウのコーヒーを末期と美味しく飲み消えていった。
脚本は#9に続いて根元歳三。監督は#8に続き越知靖。
ゲストのザンギルが前後編で活躍。ユウマ以外の面々ともコミュニケーションを。『ウルトラマンブレーザー』(2023)同様、武士の喋り方もコーヒー好きで。だが、冒頭でヘルナラクの気配を感じて飛び上がったが、次の瞬間、頭の刃が地面に突き刺さっていて笑ってしまう。それからユウマとシュウは、二人がかりでザンギルを抱えてSKIPへ連れて行ったんだろうが、大変だったろう。時代劇がかった台詞、ヘルナラクが怪獣幕府を作ろうとしているとか、大げさな言い回しで。今回登場したタガヌラーも『ウルトラマンブレーザー』に登場した怪獣。
新たなる脅威へルナラクと復活したザンギルは、『ウルトラマン』(1966)のジェロニモンとピグモンと重なる。
シュウ、ザンギルがコーヒー党であるのに、嬉しそうに笑い声を上げるのは不気味だが、ラスト、ザンギルに末期にコーヒーを差し出すのは決まっている。ザンギル『ウルトラマンブレーザー』第17話ラストと違って、ちゃんとコーヒーを飲めた。良かったね。ザンギルから、ゲントの名前が語られ、うっと来た視聴者もいるであろう。
SKIPも、ザンギルの剣の音から、幽体の怪獣を実体化する方法を見つける活躍を。怪獣退治ではないウルトラマン援護は『ウルトラマンオーブ』(2016)『ウルトラマンタイガ』(2019)でもあった。こう言うシーンも嬉しい。
ユウマ、ゲードスから皆と逃げる時に、変身した。前回同様、よくばれなかったな。
今回登場したタガヌラーも『ウルトラマンブレーザー』に登場した怪獣。再生怪獣に留まらず、大量に現れて、最後大群で攻めて来て。CGやコンピューター技術が発達したから、1体のオリジナルだけでも可能で、昭和のウルトラシリーズなら、不可能だっただろう。ギャラクシーアーマー、ソリス、ルーナを装着したアークも並び、タガヌラー大群から一斉に放たれたティーテリウムエネルギーを防ぐ。ギャラクサーディフュージョンアローで殲滅するなど圧巻。
『ウルトラマンアーク』 ~ヒーロー共闘、秀作続く
第18話「アーク協力要請」
ザンギルとの邂逅後も、タガヌラー来襲は続いていた。防衛隊は音響兵器で実体化、アークはギャラクシーアーマーで撃破するが、10日間も経っていた。タガヌラーは最初大群で襲来したが、アークに駆逐されると、少人数での襲来に切り替えていた。疲弊を狙っている。打開策で、ギャラクシーアーマーからオニキスに関連したオニキシウム粒子が発生することに着目、アークは次元に干渉出来ると考え、宇宙科学局の主導でエネルギー収束装置の開発が進んでいた。アークが現れた時、発生したオニキシウム粒子を、収束装置で上空へ照射して次元の裂け目を塞ぐ作戦が準備された。作戦をどうやってアークに伝えるのか。シュウは、アークとよく接触するSKIP面々に考えて欲しいと。インチキ商売の宇宙語でコミュニケーションを取る。全身を使ったゼスチャーで伝えるなどの案が出る。
結局、いつも怪獣が出現するとアークが来てくれることから、疑似的に怪獣出現の状況になれば、怪獣発生の生体パルスでアークを誘い出そうと言うことになる。ユウマには、アークに作戦を伝える文書を作る任務が。あっと言う間に作戦当日。ユピーが生体パルスを放出。ユウマは抜け出して変身する。アークに、ユピーは宇宙語、ヒロシはゼスチャー、リンはユウマが描いた礼儀正しい手紙を読み上げる。当惑するシュウ。そこへ次元の裂け目から宇宙甲殻怪獣バザンガが出現する。実体化して戦う。アークは収束装置にオニキシウム粒子を照射しながら戦う。装置で増幅されたオニキシウム粒子が次元の裂け目に。続いて飛翔したバザンガに、ギャラクシーアーマーでの攻撃が爆散。その直後に次元の裂け目から冥府の闇将軍獣ヘルナラクが。アークは全力で押し返そうとするが、共に次元の向こうに。ユウマが目を覚ました時、彼は星元市ならぬ星下市に、ヘルナラクと戦うアースガロンがあった。そしてシュウの姿が。
脚本は足木淳一郎。監督は#12に続き武居正能。
前話からのエピソード。ヘルナラクとの戦いを描き。次話と合わせ3部作で構成されている。タガヌラーの大群をせん滅し、これで片付いたと思ったが、まだ少数が毎日来襲していたとは。ユウマもへとへとで、SKIP仲間をごまかし変身するのは大変だろう。
シュウ、その視線やユウマへ語りかける様子。ユウマがアークと気付いているのでは?
今回は皆真面目にやっているのだが、あちこち笑わせてもらった。作戦自体はリアルだが、アークとコミュニケーションを取るのはどうしたら良いか。視聴者は、ユウマがアークと知っているが、劇中ではそのことを誰も知らないから。以前からSKIPで、アークのことをそれぞれ語っており、そばで聞いていたユウマがバツの悪い表情を浮かべたり、慌てたり。皆にバレることを忘れて、素直に反応してみせたり。#10のSKIP会話をアークが聞いているシーンが回想され、それでアークにも地球人の言葉がわかると言う結論になったが。
短期間でよく次元裂け目下に音響兵器やエネルギー収束装置を建設できたな。それとユウマ、作戦前にトイレと偽って離れ、急ぎ変身したが、前々回、前回同様、すぐ人に見られてしまうぞ。
前半にタガヌラーとギャラクシーアーマーで、後半にバザンガがアークファイナライズで撃破されている。1話に2度戦い、その前にも毎日タガヌラーと戦い、変身が多いアーク。ウルトラセブンみたいに過労にならなければ良いが。
第19話「超える想い」
異次元の別世界、そこにも防衛隊員で戦うシュウがいた。ユウマに状況を説明する。救護隊員ではリンやヒロシが。シュウは、ユウマを協力者とかばう。彼はユウマが別世界の人と気付いていた。ユウマは、この世界でも人々のため頑張る人たちのことを知る。そして自分たちの世界のためだけではなく、他の世界のことも考えてシュウたちが戦っているとも悟った。最善のことをすると言い放つシュウ。アースガロンを圧倒したヘルナラクに、ウルトラマンブレーザーが対する。苦戦する中、駆け出すユウマは変身した。ヘルナラクに挑むブレーザーとアーク。スパイラルブレードが刺さり、アークファイナライズが放たれる。ダメージを与えるが、新たに発生したバザンガを殿に、ヘルナラクは次元の裂け目へ逃亡した。アークは、ブレーザーから力を与えられ、次元の裂け目へ放り投げられた。
目を覚ましたユウマは元の世界にいた。だが時間は4日も経過していた。ヘルナラクがいて、次々に卵を産んでいた。SKIPへ戻ると、市民は避難、防衛隊の総攻撃が迫っていると。星元市が犠牲になる。陽丘市に避難したSKIP。翌日、他の世界で戦っている者たちを思いながら、ユウマは再び駆け出し変身する。ヘルナラクとの戦い、卵が孵化する寸前だが、SKIPや防衛隊戦闘機が対する。別世界では、ブレーザーやアースガロンがバザンガと戦っていた。2つの戦いは、異世界だが重なる。アークにブレーザーから与えられた力が湧き上がり、スパイラルブレードが発生。ブレーザ-がバザンガを撃破した同時に、ヘルナラクを撃破した。産み付けられた卵も消滅する。それぞれの世界のシュウ、リン、ヒロシは喜び合う。ユウマは異なる世界のブレーザーたちに礼を述べた。
脚本は根元歳三。監督は前話から引き続き武居正能。ウルトラシリーズでほぼ恒例の共闘話だが、放送前に想像していたのとちょっと違う。ヘルナラクは、共闘話で立ち塞がる敵怪獣で申し分ない。『ウルトラマンブレーザー』に登場した怪獣たちのパーツを組み合わせた合体怪獣で。ファイブキング、デストルドスを彷彿させる。
異次元、『ウルトラマンブレーザー』の世界、そこにもユウマ、シュウ、リン、ヒロシはいたが、その世界でのBGMは、『ウルトラマンブレーザー』のものを使っており、ブレーザーやアースガロンが出て来ることも併せ懐かしい。ユウマが変身して、ダブルウルトラマンがヘルナラクと戦うところのBGMはアークのものだが、盛り上がる。
こちらの世界で、SKIPがアークに頼らず、ヘルナラク卵に自分が出来ることを対する姿もカッコ良い。
アークがあちらの世界でブレーザーと共に戦い、終盤で元の世界へ戻る展開と予想したが、中盤で元の世界へ戻り、並行して2つの話が描かれるとは思わなかった。向こうの世界のシュウは、ザンギルのことを知っていたが、ザンギルは#17で、こちらのシュウと会っても、何の反応も見せなかった。「?」。あちらのシュウは紅茶党らしい。実はユウマがあちらの世界の人ではない、アークとも気付いているようで。
あちらの世界では10分だが、こちらの世界では4日も経過、行方不明だったユウマはリンに最初は叱られるが、その後は特にお咎めなし、皆、ユウマがアークと知っているのでは。あちらの世界では、ヘルナラクとの戦闘で瓦礫が続く町だが、その後、シュウがリンやヒロシと合流した時、周りの様子は瓦礫が見当たらず、よく観たら変だ。
欲を言えば、アークがブレーザーから新しい力をもらった時に、ブレーザの意志で、ゲントの声を入れてもらいたかった。その後、ブレーザーはアークを次元の裂け目へ放り投げたが、会ったばかりのアークガ異次元から来たとわかるのか? そもそもブレーザーやアースガロンがいたとは言え、あちらの世界は我々が知っている『ウルトラマンブレーザー』の世界と同じものか? SKaRD面々の姿も見えなかったが。
第20話「受け継がれるもの」
平和で、怪獣ホットラインが鳴らない日が続いていた。そんな時、ヒロシの娘ツグミは、星元市の職業体験リポーターでその様子がTVで放送された。見入るSKIP面々。ツグミはウルトラマンアークに取材してみたいと言う。職業体験はSKIPでもやっていた。ヒロシはそっと娘の仕事ぶりを見ていた。ユウマと弁当を食べながら、ヒロシは、昔ツグミはSKIPに入りたいと言っていたことを語る。そこへ怪獣ホットラインが鳴り、山に怪獣が現れたと。ユーが偵察で飛ぶ。古代怪獣ゴメスであった。ゴメスは山頂に向かっていた。ユウマは釈然としないものを感じていた。徹夜でゴメスの動きを監視するSKIP。ヒロシはツグミの仕事ぶりも案じていた。
早朝、展開した防衛隊戦車から攻撃が開始されたが効かない。咆哮するゴメス。飛行を開始する。反重力光線を発し、星元市街へ向かっていた。リポーターをやっているツグミの近くへ着陸、進んで行くゴメス。市民の避難に務めるSKIP。ヒロシはツグミと会う。そこへゴメスが倒した送電線鉄塔が、助けようとするヒロシだが、それより先にアークが救う。ゴメスの身体は頑丈で、鉄塔を叩き付け、光線を浴びせるもはね返す。その時、宇宙生物がゴメスに擬態しているらしいと。光線を放ち攻め立てるゴメス。アークは攻撃を受けながらアークアイソードで一刀両断、ゴメスに擬態していた宇宙生命体スペッキオが暴かれる。ツグミはレポーターで、アークの活躍とSKIPの行動を讃えた。そしてヒロシと対面、自分を見てくれる父の姿を感じた。ヒロシもアークの姿を嬉しそうに見やった。
脚本は三浦有為子。『ウルトラマンX』(2015)で脚本を担当、『ウルトラマンジード』(2017)ではシリーズ構成にも関わった。太田愛の後継者と言うべきか。監督は初の秋武裕介。
隊長とその娘の話、『帰ってきたウルトラマン』(1971)第31話や第43話、『ウルトラマンダイナ』(1997)第33話、『ウルトラマンX』(2015)第15話(この話でもゴメスが出現)、『ウルトラマンオーブ』第18話がある。『ウルトラマンブレーザー』は父と息子だが、親子のドラマが相応に描かれた。
ツグミはレポーターを職業体験でやっている。父娘の関係は中盤までぎこちないが、ゴメスの出現で急接近。ツグミに鉄塔が倒れた時、ヒロシはかばい、ラスト、アークとヒロシが見つめ合い、ツグミはレポーターでアークとSKIPへ感謝を伝え、その後、ヒロシがずっと自分の活動を見てくれていたことを知り、笑みを浮かべる。良いドラマだ。
#18でアークとコミュニケーションを取ろうと、ヒロシはゼスチャーをしているが、今回、ユウマがアークであることも併せ、言葉やゼスチャーを使わなくてもわかり合い、視聴者も納得出来るだろう。ラストに、ヒロシが、アークが飛ぶ真似をするのも好感が持てる。アークはアーマー無しでゴメスを倒した。ユウマはどさくさに紛れ変身したが、誰も何も言わなかったが、気付いているのか?
ゴメスは『ウルトラQ』(1966)初登場。ウルトラシリーズで度々出現している。本作のゴメスは、同族よりも特別な大型種ゴメスSで、身長・体重が倍増している。シトロネラアシッドと言う言葉が出て来るが、『ウルトラQ』に登場したリトラの酸液、ゴメスの弱点であった。この世界では、防衛隊に人工精製されていると。効かなかったが……。
特撮を担当した内田直之は、あちこち力の入ったカットを撮った。山を進むゴメスが、反重力光線で浮遊し、町へ行く時の効果音は『ウルトラマン』(1966)と同じもので。町のセットが壊されていく様子、真上からアークとゴメスを撮ったシーンは印象深く、アークの鉄塔攻撃やアークファイナライズを弾き返すのは金属感が出ている。
今回のゴメスの正体スペッキオ、ガラス質の姿で、ゴメスに擬態して、光線技も披露するのは個性が出ている。
第21話「夢咲き鳥」
芝アオイはリンの高校時代の友人、子供に夢を与えるSF作家を目指していたが、現実は厳しかった。仕事は多忙で、貧乏アパートに暮らし、恋人もいない。リンにも愚痴ってしまう。夢咲き鳥と言う言葉が夢の中に出てきた。深夜作業をしていて、偶然、赤い玉を見つける。宇宙の彼方から訪れ、願い事を叶えてくれると言う。アオイは「夢咲き鳥に会いたい」と言う。それに応えて現れた怪鳥、アオイは鳥をドリちゃんと呼ぶ。その頃、SKIPは原因不明の怪電波が流れているのに首をひねる。怪電波の発信源はアオイの会社であった。ドリちゃんのことを社長にも隠すアオイ。彼女の小説はドリちゃんのアドバイスもあり認められていく。しかしドリちゃんは突然大きくなり、等身大に。社長たちに隠そうとするがバレてしまう。市民公園に逃げて来るが、市民に取り囲まれ、SKIPも駆けつける。
リンに抱いていた嫉妬をぶつけるアオイ。防衛隊の銃撃に倒れるドリちゃん。「こんな世界ぶっ壊れてしまえ」。アオイの言葉に反応して、ドリちゃんは最強合体獣キングオブモンスへと変化する。逃げ惑う人々。光線で破壊されていくビル。ユウマは木の陰で変身した。光線の応酬、ビル群の中でのバトル。次第にアークは苦戦する。リンはアオイと走る時、逃げ遅れた女の子を助ける。その姿に、アオイは、己の過ちを悟る。「誰かウルトラマンを助けて」。彼女の叫びに応えるように、宇宙からギヴァスが駆けつけ、アークと立ち向かう。ソリッドアーマーを装着したアーク。続いてアークアイソードで向かう。そしてギャラクシーアーマーを装着、ギャラクサーディフュージョンアローで撃破する、赤い玉は物質文明の究極体と明かし、欲望には際限がなく多くの者が破滅したのを見て来たと述べる。赤い玉は自分の旅を終わらせてくれと懇願。アオイは応じた。消滅する玉。再び繰り返される日々だがアオイに迷いはなかった。
脚本は『ウルトラマンギンガS』(2014)以来参加の中野貴雄。監督は前話の秋武裕介が続く。
1999年の映画『ウルトラマンティガ・ウルトラマンダイナ&ウルトラマンガイア 超時空の大決戦』のストーリーを踏襲したエピソード。同作は、子役時代の濱田岳、入野自由らが出演したSFファンタジー。同日公開された『ガメラ3 イリス覚醒』にも匹敵する。本エピソードは、濱田ら喜んだスタッフ、キャストは複数いるらしい。映画に登場したキングオブモンスの登場のみならず、『ウルトラマンタイガ』(2019)や『ウルトラマントリガー NEW GENERATION TIGA』(2021)登場のベビーサンドリアス、#11~12のギヴァスも登場する快作となった。
ゲストのアオイ。夢を抱いていたが、激務に追われる日々。友達が成功したり、結婚するのを横目で。折角ドリちゃんと言う愛を注ぐ存在が出来、夢は叶ってきたが、それも潰えた。防衛隊やリンはじめSKIPに投げた言葉、何か気持ちがわかる。現実にも、夢が叶わず、いろいろな重圧がのしかかり、狂気に向かう者がいるのだから。アオイを諫めるリンを疎ましく思って、感情をぶつけるのもあるあるで。『ウルトラマンオーブ』(2016)第19話が重なると言う声も。
リンが逃げ遅れた幼児を助ける姿に、己を悔い、その祈りに応えてギヴァスが駆けつける。アークとキングオブモンスに戦う姿は、#19のブレーザーとの共闘同様、BGMもあって、盛り上がる。前話も特撮を担当した内田直之が特撮を担当し、スピーディーなアクションや空中を舞う車から戦いを描くカットなどがあり、斬新。
アオイを見捨てず、赤い玉の消滅まで彼女に寄り添ったリン偉い。アオイとは高校の付き合いで、#9のエピソードが重なる。赤い玉が消滅したが、キングオブモンス出現が無かったことになったのか? ギヴァスはどうなった?
芝アオイのネーミングは、隣の芝生は青いから採ったもの。アオイの出版社がある北川町は、『ウルトラセブン』(1967)第7話、『ウルトラマンオーブ』と度々出てくる地名。
第22話「白い仮面の男」
お天気占いをしているユウマとユピー。SKIPは怪獣災害が無い日が1カ月も続いていた。定年になったら喫茶店を開く夢を語るヒロシ。ユウマはお気に入りの傘が無くなる。翌日、唐突にSKIPが無くなっていた。途方に暮れるリン、シュウ、ユウマ。ヒロシは喫茶店を経営しており、ユピーはその飼い犬。SKIPのことは知らないと言う。SKIPも、傘についても皆知らないと言うばかり。一同は、雨についても、最後に出た怪獣についても思い出せない。次々に失われていく記憶、シュウは連絡が取れた防衛隊へ確認のため赴く。リンとユウマは、撤去された絵画教室跡へ立ち寄る、そこに通っていたことがあるユウマは思い出を語るが、直後にリンの姿が消え、同時に、白い仮面を被った男の姿を見る。防衛隊の行き方を忘れたと言うシュウは、何者かの攻撃ではとユウマに伝えるが、直後に消えてしまう。
ユウマは再び現われた男を追う。雨のように消える記憶の脆さを語る男は、楽園を夢見ると言う。どうすれば社会から悩みや苦しみを無くすか考え、かつて存在した楽園の一部を発見したと、男に言われ、ユウマは空中に浮かぶ柱を見て、続いて天空高く浮かぶその上にいた。柱には不安や苦しみを吸収する力があるという男。憂いを消し去ろうと、人類が抱える憂い怪獣についての記憶や物事を消そうと考え、そのためSKIPも消そうとする。だがユウマとアークの繋がりは強い結びつきで消せない。ユウマの想像力が根本にあると、ユウマにアークの力を手放すことを。拒絶するユウマに柱の一部となった男は迫る。落下するユウマ。彼は記憶を失いヒロシの喫茶店でリンやシュウと働いていた。だが絵画教室跡地でユウマは、手についたチョークから記憶が戻り、変身した。アークファイナライズを柱側面の顔部に浴びせる。あっけなく崩壊する柱。同時に失われた記憶も周囲の色も元に。ユウマの傘も戻り、雨も降って来た。
脚本は#12も手がけた本田雅也、監督は越知靖、#16からそう経っていないが。本作はニュージェネレーションシリーズというより、昭和のウルトラシリーズ初期の作品を彷彿させる。特に実相寺昭雄監督作品、ウルトラシリーズではないが押井守作品が浮かぶ。視聴者の中にも、子供の頃、そんな話を観て、「何だったのかわからない」と首をひねった人が多いだろう。本田が手がけた巨大ロボットアニメ『THE ビッグオー』(1999、2003年)もそんな話で。もっとも初期ウルトラシリーズでは、スケジュールや予算がひっ迫していた事情もあったのだが……。
ユウマが天気占いをするところから始まり、雨に関する記憶、SKIPの存在がどんどん消えていき、リンやシュウも。時の経つのに合わせて不可解な状況が濃くなっていく。今回の話のカラーは、いつもよりグレイがかって暗く感じる。アークが柱を撃破した後、色が戻ってきて明るくなったが。
柱は怪獣というより物体で、側面の顔も特徴、青銅色のカラーリングが、古代文明の出土品と物語っている。なんか『TAROMAN 岡本太郎式特撮活劇』(2022)の奇獣のような。
仮面の男は、柱の意志としてユウマに語るが、仮面を外した素顔は、恐怖を覚えた子供もいるだろう。声を演じるは80歳のベテラン声優、俳優の津嘉山正種。元は人間で、どうすれば不安や苦しみをなくすことができるのか、研究を続けてきた考古学者。その話は難解で、柱の力で記憶や存在を消去、書き換えられるのか眉唾。元は人間だったと言うが、研究しているうちに、柱に取り込まれたとか。なんでユウマがアークと知っているんだ?
仮面の男の思惑通り、一度記憶を失ったユウマが絵画教室跡地で記憶を取り戻したのは唐突。アークとの戦いがあっさり終わったことも含め、前後編でじっくり観せて欲しかった。
ラスト、元に戻って皆晴れ晴れとしていたが、そうでない、何かすっきりしないものが残る結末もあるような。
『ウルトラマンアーク』 ~終盤、この後続く物語は如何に
第23話「厄災三たび」
ユウマは不調を感じていた。直後に星元市上空にリゲロス出現と同じ陽炎が。再びオニキスの可能性も。SKIPは警戒するが、ユウマは倒れかかる。シュウは案じ、ヒロシは待機するように言う。分所オフィスで待機していると電話が。受話器を取ったユピーは硬直、ルティオンと志を同じくするビオルノがユピーを経由して話しかけてきた。恒星ソニア膨張を回避する方法が見つかったと言う。しかし不確定で、ゼ・ズーは改めてゼ・ズーゲートを開こうとしていた。地球人のいうゼ・ズーゲート、オニキスは未だ失われていなかった。一方、星元市上空の異変に対応して、市民の避難が進められた。その最中、陽炎から宇宙獣トリゲロスが降りてくる。その直後、ビオルノからゼ・ズーが次の怪獣が送り込むと聞きユウマは駆け出す。市民を避難させながら、ユウマを見つけたシュウ。トリゲロスはユウマを襲う。オニキスはユウマの体内にあったのだ。ユウマを助け、車で逃走するシュウ。防衛隊のミサイル攻撃も加えられる。
シュウもユウマの胸の光を見るが、無理に聞き出そうとしなかった。相手の胸の内を思いやることをユウマから学んでいた。絶対に逃げ切ると言い切るシュウに。ユウマはSKIPやシュウがあったから走って来れたと言う。そして車から降りると、「僕はこれからも走り続ける」と言い、駆けていく。変身。トリゲロスは、アークアイソードに両腕を光線剣で対抗し、アークファイナライズに自身も光線で互角に。ルーナアーマーの超能力にも光の輪を発生させ向かい合う。ソリッドアーマーの攻撃も耐える。アークは地上へ落下。見守るシュウ、ヒロシ、リン。トリゲロスの攻撃が続き、アークは光の十字架につけられる。戦いは一方的に。その時、防衛隊援護が。十字架から解放されたアークは、ギャラクシーアーマーに。トリゲロスもエネルギーを集約して突撃、正面から激突した後、アークフェザー続いて近距離からアークファイナライズを発射、大爆発が起こり、クレーターが生まれる。
脚本は#16から続く足木淳一郎。監督は#22も手がけた越知靖。『ウルトラマンアーク』は6本手がけた。
ストーリー構成は、去年の『ウルトラマンブレーザー』第23話とも通じている。というか最終回は3部作で描かれるその第1回。ニュージェネレーションシリーズはそのパターンが続いてきた。
ユウマを襲う体の不調、これも『ウルトラマンデッカー』(2022)や『ウルトラマンブレーザー』(2023)でもあったこと。主人公がウルトラマンではと気づく仲間。これも過去に度々あり、クライマックスに向け、盛り上げた。今回はシュウが、そのポジションに。最初、SKIPに来てから、その性格や行動は、ユウマに影響され、かなり変わった。と言っても、コーヒーに異常な拘りを見せ、普段は冷静だがふと檄する最初から変わった人だったが。ユウマの様子から、#19異なる世界のシュウ同様、ユウマがアークだと解したようだ。戦いを見守りながら、リンやヒロシにいつもの姿からは感じられない、檄した姿。車での会話も併せ、またもボーイズラブを連想してしまう。
宇宙獣トリゲロス、先に現れたモノゲロス、ディゲロスと同じラインで、ヒロシ初対面なのに名前を知っていたんじゃあ。アークと後半13分以上も戦った。アークとの戦闘を想定し、アーマーを装着した戦いにも互角以上に対応、迫力あるバトルとなった。ゼットンのような強敵で、後半は優勢に転じた。防衛隊の攻撃がなければどうなっていたか。大爆発の後、アークの姿も見えなかったが、これも『ウルトラマンブレーザー』第23話ラストと同じで。
特別総集編4「SKIP星元市分所のみなさまへ」
中村イチロウは再び転属、保養施設サンボン島の分所にいた、メンバーは自分とロボットのマリンピーのみ。怪獣と対する機会は全くないが、星元市やアークのことは聞いていた。別世界へ行ったこと、キングオブモンスが出現した話、柱に記憶が操作された話などが振り返られる。そして現在、アークは行方不明になっていた。案じるが、マリンピーの助言もあり、大丈夫だろうと、そしてアークを招くことや、星元市分所の面々に騒動が終ったら、ゆっくり休んでもらおうと、施設の整備に精を出すのであった。
脚本は足木淳一郎。監督は特別総集編3から引き続き秦敏樹。
「特別総集編3」同様、本編のエピソードを振り返り、改めてナレーションで解説している。その経緯やどういう技を使ったか語られ、改めて予算節約やスケジュールに余裕を持たせる目的の総集編と侮れない。
SKIPは、全国に分所がある大きな組織だが、中村以外の他分所や本部は劇中に出て来ず、それほどの大きさが感じられなかった。2クールの構成上、仕方がないと思うが、何とかならなかったかとも。
この頃、TV放送終了後、映画『ウルトラマンアークTHE MOVIE 超次元大決戦!光と闇のアーク』の予告が、2月に映画があると、ウルトラシリーズ、本編が終わった後に新作映画が公開されるのは恒例だが、その間が短い。本編の後の映画が作られることは、本編後もストーリーがあるということで、現在「ウルトラマンはどうなる?」と展開にハラハラしているが、結局、うまくいくのだろうと安心してしまう。だが待てよ、中村の回想に、黒いウルトラマンが現われたとの台詞が、これって……。映画には、水野美紀も声で出演すると、夫・唐橋充もザンギルの声で出演したが。
第24話「舞い降りる夢幻」
廃墟と化した星元市を見るSKIP一同。その頃、ユウマは鏡の中にいた。アークは語る、K-DAY以来のことは夢、オニキスもアークの存在16年間の全てが、ユウマが作り出した幻に過ぎない。現在ユウマは目覚めようとしており、両親は無事であるとも。別れを告げようと言うアーク。ユウマは従おうとするが、腕時計のアラームが鳴り出す。ユウマの捜索に務めるシュウ、リン、ユピー、ヒロシ。トリゲロスの出現したワームホールでは強力なエネルギーの通過が確認されていた。そしてユピーはビオルノの接触を受けた。ユウマはシュウの声に反応して手を伸ばし、シュウは見つける。アークはスイードの偽者だった。ユウマからアークを引き離そうと目論んだのだ。瓦礫から助け出されるユウマ。その時、ワームホールから新たな怪獣が。ユピーに乗ってユウマは避難する。電子頭脳からビオルノが話す。
オニキスはアークが体内で分解再構成することで制御に成功した。だが気付いたゼ・ズーは汚染物資を送り込み、アークやユウマを蝕まれた。アークは自身でオニキスを制御しようとして、ユウマと対話する力は失われていた。ゼ・ズーは夢幻獣ギルバグを送り込んで来ていた。アークとユウマの絆を断ち切られると、オニキス制御が不能となり、地球は燃えてしまう。「想像力を解き放て」とビオルノは最後に伝える。一方、スイードは暗黒宇宙卿ゼ・ズーと交信、任務を遂行するよう伝えられていた。SKIP分所で眠るユウマに、シュウは案じる言葉をかける。ギルバグはSKIP分所へ向かっていた。ヒロシやリンはわからないことだらけだが、1つの仮説へたどり着いていた。それは……。シュウは、ヒロシやリンにユウマを守ると言い切る。聞いていたユウマは、皆の制止を振り切って、変身した。残り少ないエネルギーで対する。だがギャラクシーアーマーも制御できず、アークはギルバグの攻撃に晒され静止した。
脚本は継田淳。監督は辻本貴則。『ウルトラマンアーク』のシリーズ構成を担当した継田と序盤、中盤を撮った辻本のコンビが最終回も手がける。このスタッフ布陣も平成以来ウルトラシリーズではほぼ恒例である。
アークがこれまでのことは夢で、両親は実は生きていたと語る。昔のアニメでも似た話があったような、アークがそんなことを言うはずがないと思っていたら、やはりスイードが化けた謀略で。アークや地球人を見下している態度は相変わらず。眼帯姿が痛々しい。『仮面ライダーBLACK RX』(1988)最終回のマリバロンを連想させる。ユウマは惑わされるも、腕時計のアラームが鳴り、ユウマを捜索するシュウの声が入り、謀略は失敗する。この腕時計がいささか唐突、前に伏線で見せて欲しかった。
今回は、人間ドラマに比重が置かれている感が。前話に続いてユウマを案じ、時には檄したシュウの姿。本当にユウマを案じている気持ちが伝わってくる。
ようやくユウマがアークと察したヒロシ。リンやユピーも。知っていて知らないふりをしているかと思ったが。これまで本当に気づかなかったの? 皆の視線を後ろに受けながら変身するユウマ、感慨深い。
アークはウルトラセブンのように疲れが溜まったかと思ったが、ゼ・ズーゲートで送られた汚染物質が原因とは。
ギャラクシーアーマーもコントロールできず、アークファイナライズも発射できない。力尽きるアーク。
首魁ゼ・ズー。顔だけだが姿を現した。金色の彫刻で、これまでゼ・ズーは人間体と想像していたが違っていた。
ギルバグは、モノゲロス、ディゲロス、トリゲロスのラインとは違ったいろいろな生物の特徴を合わせた『仮面ライダー』(1971)ゲルショッカー怪人デザインみたいで。哺乳類ぽい眼がなんか可愛い。胸のクリスタルでドーム状のバリアーを作り出し、アークを閉じ込めてしまう。終盤に相応しい強敵だ。
最終話「走れ、ユウマ!」
目覚めたユウマを両親が迎えている。TVでは、モノホーンが撤去されるとの報が。K-DAYで、皆無事だったと父は語る。だがユウマはわかっていた。これはギルバグが見せているまやかしと。その通りと、TVから現れたレポーターに扮していたスイードは、夢の中に生きろと、ユウマたち地球人の持つ想像の力を自分たちが持たぬ力。その力で、両親が生きている夢を現実と受け入れるように言う。代わりに今までの現実は夢になるのだとも。選択に苦しむユウマ。今まで頑張ったんだからもう良いじゃないかと両親。「夢を現実にするにはさようならアークと言えば良い」迫る2人を振り切ってドアの外に駆け出すと、16年前のK-DAYの光景が。瓦礫から起きあがった両親、そこで周りの光景は一転。ビルの屋上でユウマと父は向かい合っていた。ユウマは1日たりとも忘れたことがない走り続けてきたと吐露した。父は優しくアークとの別れを告げるよう迫り、ユウマも言いかける。その時、後ろからつかむ手が。父の姿であった、先にいた父は、ギルバグの虚像であった。もう1人の父はアーク。「ユウマ、走れユウマ。走るんだ!」続いて現れた母にも推され、駆け出したユウマはアークへ変身した。
ギルバグのバリアーに晒され苦しむアーク。だがピーでギルバグを解析したSKIPは、リンがオニキシウムレーザー発生装置を急造でこしらえ、シュウがユーに乗って、ヒロシの誘導で地下から急接近、ギルバグを攻撃する。バリアーが破られたところに、防衛隊戦闘機隊が攻撃。態勢を立て直したアークはユウマに呼びかけた。想像力をもってすれば現実だって変えられる。未来を作るんだ。「想像力を解き放て!」再びギャラクシーアーマーを装着、汚染物質に苦しむも、想像力で制御する。ギャラクサーオーバー・ザ・トップが放たれ、ギルバクを撃破した。爆発で廃墟は元の町に戻っていく。
そこへスイードが、自らをゼ・ズーゲートと化し、暗黒宇宙戦士スイードへ変貌する。空中でバトルが続く。圧倒的パワーで、アークはモノホーンの森に吹っ飛ばされる。スイードは胸部のゼ・ズーゲートを開き、恒星エネルギーを開放しようとする。だがアークは巨大な立方体バリアーで反撃、モノホーンがゼ・ズーゲートに蓋をし、続いて放たれたアークファイナライズが地球を1周して、スイードに浴びせられ、顔面を貫いて撃破する。そして故郷の銀河へ恒星膨張を修復するため旅立つアーク。ユウマはSKIP面々に別れを告げ共に旅立つ。3カ月後、怪獣災害もなくなり、シュウもSKIPを去ることに。その時、怪獣ホットラインが鳴り、取った一同は歓喜に包まれた。
最終回のスタッフは、脚本は継田淳。監督は辻本貴則。特撮もストーリー構成も怪獣のデザインも何もかもよくできていた。毎回ウルトラシリーズの最終回は昔から傑作が多い。今に始まったことではないが。
冒頭、ユウマが目覚めた時、殺風景や部屋で冷蔵庫の中に入っている食材もほとんどなく、これも前回同様スイードの罠とわかる。ユウマがそれを口にした時、TVのリポーターがユウマに語りかけ、テレビの画面を通り抜けて這い出す。『リング』(1998年)の貞子のようだ。リポーターは#1から度々登場している乾あかりと言う同一人物で、演じるのは田中日奈子。劇場新作にも出演とか。スイードは、執拗にユウマに迫り、両親の虚像を見せてアークとの繋がりを断とうとする。拒み続けるユウマだが、少しずつ緩んでいき、遂に「さようならアーク」と言いかける。前半の山場、あっさりと終わっておらず、今まで語られなかったユウマの本当の気持ちも明かされている。寸前に踏み止まらせたのは、潜在的にあるユウマ父親の姿を借りたアーク。前話からアークの意志が登場しないので案じていたが、スイードの誘惑に屈する寸前のユウマを支え、2人の絆の強さを再確認させてくれた。
なおもギルバグに苦戦するアークを助けるSKIP。ウルトラマンの窮地助ける防衛チーム奮闘も御約束で。オニキシウムレーザー発生装置で援護する姿や演出は『ゴーストバスターズ』(1984)のような。解放されたアークが、想像力で汚染物質を制御、新たなキューブを生み出すのは、いささか駆け足かつ御都合主義に思う。トリゲロスの爆発で廃墟と化した町が、ギルバグに倒されると元に戻るのは「?」。
怪獣へ変貌するスイード、最後まで悪役を貫く。デザインは今までにないオリジナルの姿で女性ぽさを含んでおり、『帰ってきたウルトラマン』(1971)のケンタウルス星人と比べてしまう。アークとの戦闘で強力な戦闘力を発揮するが、後半のバトルはCG。モノホーンでゼ・ズーゲートを塞ぎ、そのままアークファイナライズを放射したままバックしてあっと言う間に地球を一周、スイードと背中合わせへ。#3のディゲロス戦のように光線を鞭状にして撃破。今までのウルトラシリーズになかった演出で、んな阿保なと言うか。合体ロボットアニメ『創聖のアクエリオン』(2005)の無限パンチみたいで。
別れ、ルティオンやビオルノの好意に応えるためにも、今度はユウマがアークの銀河を救いに行く。泣いて別れを惜しむリン、ヒロシ、ユピー。そしてハグするシュウ。ボーイズラブの同人誌が多く作られるだろう。そして現れたアークが、リン、ヒロシ、ユピー、シュウを包み込む。アークも、ユウマ以外のSKIP面々を仲間と認めていたと実感する。『ウルトラマンZ』最終回ラストと重なってしまう。
ラスト、姿こそ見えないが、怪獣ホットラインを取ったシュウと周りのヒロシ、リン、ユピーが喜ぶ様子から、ユウマが地球に帰ったと伺える。
ギルバグ、スイードと2度のバトルが劇中で繰り広げられたが、ボスキャラのゼ・ズーとの戦いは描かれなかった。このまま描かれないのか? 『ウルトラマンタロウ』(1973)のドルズ星人のようだ。あのう夏にまた新しいウルトラマンストーリーが作られるんでしょうか? 『ウルトラマンアーク』の続きが作られるのはダメなんでしょうか? と思うほど『ウルトラマンアーク』は面白かった。あとギヴァスやクロコ星人はどうなったのか?
昨2024年12月、能登の地震で被害を受けた小学校でウルトラマンショーが。ウルトラマンダイナ、ウルトラマンコスモス、ウルトラマンXとつるの剛士、杉浦太陽、高橋健介がそれぞれ防衛チーム制服姿で登場。子供たちにエールを送った。長く続いてきたウルトラマンの応援に力をもらった人は多い。これからもウルトラマンは希望を与えるヒーローで続くだろう。
ウルトラマンを「オワコン」にしないためには? ~『ウルトラマンアーク』の「総論」として~
(文・久保達也)
*最後まで伸び悩んだ再生回数
2024年7月にスタートしたウルトラマンシリーズ『ウルトラマンアーク』(24年)が、2025年1月に半年間の放映を終了した。
地上波では放映されていない地域に住んでいたり、あるいは仕事や所用などでリアルタイムで観られない人々が最も手軽に『アーク』を楽しめる媒体(ばいたい)だったハズである動画無料配信サイト・YouTube(ユーチューブ)のウルトラマン公式チャンネル・ULTRAMAN OFFICIAL(ウルトラマン・オフィシャル)での『アーク』の再生回数は、最終展開に至るまで惨憺(さんたん)たる結果に終わった。
第9話『さよなら、リン』は配信1週間で30万回だったが、つづく第10話『遠くの君へ』から第18話『アーク協力要請』に至るまでは、その30万回にも届かない25万回前後という低空飛行だった。
『アーク』の前作『ウルトラマンブレーザー』(23年)の主人公ヒーロー・ウルトラマンブレーザーとアークの共闘が描かれた第19話『超える想い』こそ1週間で40万回に達したが、その40万回を記録したのは実に第5話『峠(とうげ)の海』以来のことだった。
そして、つづく第20話『受け継(つ)がれるもの』から第22話『白い仮面の男』までは、最終展開を目前にした大事な時期であるにもかかわらず、再度25万回前後に落ちこんでしまった。
最終章三部作の序章である第23話『厄災三(やくさい・み)たび』は久々に1週間で30万回を超えていたが、第24話『舞い降りる夢幻(むげん)』はそれを下回る30万回であり、最終回(第25話)『走れ、ユウマ!』の1週間の再生回数は40万回、2週間で46万回だった。
1週間の再生回数が「40万回」というのは、前作『ブレーザー』後半の「通常回」の数字なのだが……
ちなみに、『ブレーザー』最終回(第25話)『地球を抱(いだ)くものたち』の配信1週間の再生回数は50万回であり、『アーク』の最終回はそれを10万回も下回ってしまったのだ。
『アーク』では2024年11月放映分の第16話『恐(おそ)れの光』から第20話に至るまで、5週連続でその『ブレーザー』とのコラボレーション企画が行われたが、先述した第19話以外はその試(こころ)みがほとんど効果をあげられなかったのが痛かった。
『アーク』のタイトルロゴやオープニングのタイトルバック映像が『帰ってきたウルトラマン』(71年)をまんまパクっていたのは、『帰ってきた』と同様に「11月の傑作群」をやりたかったからか?(笑) と思わせるものがあったのだが、残念ながら世間の風は冷たかった。
第16話の1週間の再生回数は23万回だったが、これは同日に東映特撮 YOUTUBE OFFICIALで配信された『仮面ライダードライブ』(14年)第22話『F1(エフワン)ボディでどうやって戦えばいいのか』の24万回を下回る数字であり、『アーク』第18話もその『ドライブ』第26話『チェイサーはどこへ向かうのか』の25万回よりも少ない24万回に終わっていたのだ。
かつては『ウルトラマンZ(ゼット)』(20年)でウルトラマンジードやウルトラマンゼロ、ウルトラマンエースといった歴代レジェンドウルトラマンがゲストで登場して主人公のウルトラマンゼットと共闘した回は1週間の再生回数が実に数百万回にまで達していたものだ。
にもかかわらず、前作『ブレーザー』とのコラボ回さえもが、10年も前に放映され、東映特撮 YOUTUBE OFFICIALでは再三配信されてきたがために、一般の視聴者的には「観飽(あ)きた」との感が強いであろう『ドライブ』にすらも負けてしまう惨状には、ウルトラマンはもはや「オワコン」ではないのか? と解釈せざるを得ないだろう。
*なんのための「コラボ」なのか?
まぁ、『ブレーザー』も前評判こそは高かったものの、そのなんともビミョーな出来のために人気も評価も低いままで終わったのだから、その『ブレーザー』とのコラボ自体が無謀(むぼう)だったとも思える。
だが、かの『ウルトラマンティガ』(96年)の25年ぶりのリメイク的作品だとハデに喧伝(けんでん)され、『ティガ』のリアルタイム世代をおおいに期待させたものの、実際には往年の設定やキャラをあまりにも雑に引用しただけの作風が世代人のファンの多くを失望させた『ウルトラマントリガー』(21年)とコラボした『ウルトラマンデッカー』(22年)第7話『希望の光、赤き星より』&第8話『光と闇、ふたたび』は、先述した『ウルトラマンZ』のレジェンドヒーローゲスト回と同様に再生回数は1週間で数百万回に達していたのだ。
この前後編には『トリガー』の主人公・マナカケンゴ=ウルトラマントリガーやヒロインのシズマユナ、敵キャラのチンピラ女(爆)・カルミラや『ティガ』と『トリガー』の最終章に共通して登場した最強怪獣・邪神メガロゾーアなどの多くのキャラを出すことで『デッカー』の世界観を『トリガー』と共有させていた。
だが、『アーク』の『ブレーザー』との「11月のコラボ群」(笑)には『ブレーザー』に登場した多くの怪獣たちは出たものの、主人公のヒルマゲント=ウルトラマンブレーザーをはじめ、防衛組織・SKaRD(スカード)の隊員などのレギュラーキャラは誰ひとりとして登場しなかったのだ。
『アーク』の世界とは別次元にある『ブレーザー』の世界にいたのは、『アーク』の防衛組織(?)・SKIP(スキップ)の隊員役の俳優たちが演じるSKaRDの隊員たちであり、『ブレーザー』の世界は「現実」ではなく、まるで主人公青年・飛世(ひぜ)ユウマ=ウルトラマンアークの中で描かれた「夢」の世界とでも解釈せざるを得ない演出では、数少ないであろう(汗)『ブレーザー』のファンにも喜ばれるハズもない。
まぁ、その『ブレーザー』自体が『Z』から『デッカー』に至るまでは恒例(こうれい)で行われてきた前作の主人公ヒーローとの競演を廃してしまったほどに、歴代作品の世界観とのつながりを「断絶」していたのだから、『アーク』の『ブレーザー』とのコラボ回に本来のSKaRDの隊員たちを出せなかったのはある意味必然だったのかもしれない。
ちなみに、先述した『デッカー』の『トリガー』とのコラボ回前後編を演出したのは『トリガー』の一応のメイン監督だった坂本浩一監督だが、先述した『仮面ライダードライブ』のメインライターだった脚本家の三条陸氏と坂本監督は『仮面ライダーW(ダブル)』(09年)の敵組織・園崎(そのざき)一家の陰で暗躍していた謎の集団・財団X(エックス)を、つづく『仮面ライダーOOO(オーズ)』(10年)と『仮面ライダーフォーゼ』(11年)にも登場させることでそれらの世界観をつなげることに成功していた。
そんなかたちでシリーズに連続性をもたせる手法に興味・関心がない脚本家や監督が圧倒的なことが、ウルトラマンに限らず近年のスーパー戦隊などが低迷している要因のひとつではないのか?
まぁ、次作の『ウルトラマンダイナ』(97年)とのみ世界観を共有していただけで「昭和」のウルトラマンとのつながりを「断絶」していた『ティガ』のリメイク版だった『トリガー』に、無理にそのつながりを持たせようとしたことが往年の『ティガ』ファンの多くから『トリガー』が反発を食らった要因でもあるのだが。
公平性を保つ意味で坂本監督にひとつ苦言を呈(てい)するなら、おそらくはリアルタイムでの視聴当時から抱(いだ)いていたのであろう、「オレなら『ティガ』をこうするのに」との想いを少々暴走させすぎたのではあるまいか?
確かに『ティガ』と坂本監督とではまさに「水と油」であり(爆)、その相性の悪さこそが『トリガー』をあんなふうにしてしまったのかと。
*『アーク』への興味を失わせたシリーズ構成と番組編成
『ブレーザー』のファンですらも辟易(へきえき)したであろうコラボ回を5週も連続させたのにつづき、翌12月、つまり、最終決戦の直前になっても「通常回」や「異色作」を放映してしまう近年のウルトラマンの悪しき伝統だけは『アーク』でもしっかりと継承されていた(苦笑)。
ヒロインの同級生で小説家を夢見るもののパッとしない日々を送る若い女性がなんでも願いをかなえてくれる夢咲き鳥怪獣ベビーザンドリアスと出会うも、それを攻撃してしまうような人間どもなんぞ滅びてしまえ! と願ったことでベビーザンドリアスが最強合体獣キングオブモンスへと変貌(へんぼう)してしまう――全然姿形が違うやろ(笑)――、いまさらこんなネタかよと失笑するしかなかった第21話『夢咲き鳥』。
『怪奇大作戦』(68年・円谷プロ TBS)第3話『白い顔』を彷彿(ほうふつ)とさせるような、幼児が見たら怖がること必至の白い仮面の男を中心にひたすら夢かうつつか幻か? といった世界が抽象的に描かれるばかりだった第22話『白い仮面の男』。
ちなみに、この第22話の1週間の再生回数は26万回であり、同日に配信された『仮面ライダードライブ』第33話『だれが泊進ノ介(とまり・しんのすけ)の命を奪ったのか』の35万回を大きく下回る始末だった。
これらにつづいて放映された最終章1発目の第23話は先述したように1週間で30万回を超えていた――正確な回数は失念した(汗)――。
だが、翌週の2024年12月28日が年末年始の特別編成で『アーク』の放映がなかったのはやむを得ないとしても、年明け1発目に放映されたのが第24話ではなく、「特別総集編」だったのは理解に苦しむしかなかった。
最終章「3部作」の間にフツーそんなものをはさむのか?
どうしても「特別総集編」をやりたいのなら(笑)、第23話が放映された2024年12月21日がクリスマス商戦向けの販促の意味でも妥当(だとう)なところであり、年末の休みをはさんで「3部作」を3週連続で放映するべきだっただろう。
そんな文字通りに「間(ま)の抜けた」、「3部作」であるハズの第23話と第24話の間に「3週間」ものブランク(!)を生じさせてしまったことが最終章「3部作」、ひいては『アーク』そのものに対する視聴者の関心を失わせてしまい、第24話の再生回数が第23話を下回る結果となってしまったのではあるまいか?
7月の放映開始で12月に番組が終了するのは玩具の販促で不利になるとして、「特別総集編」を何度も水増しすることで番組の終了を年明けに延ばすなどという小手先にすぎる手法は、むしろ完全な逆効果となっているのだ。
そんなことならクリスマス商戦ではもはや在庫がなくなるほどに、シリーズの前半で玩具がガンガン売れるような作品づくりをすべきだろう。
ちなみに、都合3回目となる年明け放映の「特別総集編」の1週間の再生回数は、わずか12万回にとどまった。
『ブレーザー』のファン以外は苦痛でしかなかったであろう5週連続の『ブレーザー』とのコラボ回、なにをいまさらな話や変食家しか喜ばないような異色作、やっと最終章かと思ったら3週間も番組がお休み……
これでは最終章を前に『アーク』をおさらいしておこう、などと考えるような熱心なファンはごく少数しかいなくなるのも必然だ。
*「人間ドラマ」は「アクション」と「特撮」で描け!
ただ、そうしたこととは別にして、『アーク』の「最終回」と前後して東映特撮 YOUTUBE OFFICIALでのシリーズの配信が終了した『仮面ライダードライブ』や『海賊(かいぞく)戦隊ゴーカイジャー』(11年)、『電磁戦隊メガレンジャー』(97年)などの最終展開を観るにつけ、『アーク』が「最終回」でさえも再生回数が「40万回」にとどまったのは当然だと実感せざるを得なかった。
つまり、『ドライブ』も『ゴーカイジャー』も『メガレンジャー』も、『アーク』よりはるかにおもしろいと思えたほどに、その「作劇」や「演出」は『アーク』よりも格段に優れていたのだ。
『アーク』の「最終回」はこんな感じだった。
第3話『想像力を解き放て!』で明らかにされたように、主人公のユウマは16年前に怪獣災害で両親を亡くしていた。
それをなかったことにして、現在でも生きている両親と楽しく過ごしたいと願うのならウルトラマンアークの力を捨てろと、かの庵野秀明(あんの・ひであき)氏が脚本と監督を務めた映画『キューティーハニー』(04年・ワーナー)に主演したほどに、2000年代前半には巨乳グラビアアイドルとして人気を博したハズなのに、今や完全にフツーのオバサンと化してしまった(爆)佐藤江梨子(さとう・えりこ)氏が演じた敵キャラ・スイードがユウマを脅(おど)しにかかる。
ユウマは悩んだあげくにそれを振り切って戦いを決意するに至るのだが、思えばこの流れは『海賊戦隊ゴーカイジャー』の最終展開とほぼ同じである。
「宇宙最大のお宝」を求めて地球にたどり着き、歴代スーパー戦隊の力を駆使して宇宙帝国ザンギャックの襲撃から地球を守ってきたゴーカイジャーは、終盤でなんでも願いをかなえてくれる「お宝」を手にする。
故郷の星を滅ぼされたとか、戦火の中で妹を失ったとか、尊敬していた先輩が悪の道に走ったとか、そんなつらい過去をすべてなかったことにして、宇宙のみんなが平和に暮らせるような、ザンギャックが存在しない世界を実現することも可能だと知り、ゴーカイジャーはその願いをかなえてもらおうとするが、その代償として歴代の34大スーパー戦隊の存在が歴史から消滅すると知り、激しく動揺する。
そこに膨大(ぼうだい)な数のザンギャックの宇宙艦隊が攻めてきてゴーカイジャーは大ピンチとなる。それに打ち勝つためには「お宝」に願いをかなえてもらうしかないのか? とゴーカイジャーは苦悩するが、廃墟と化した街で傷を負(お)いながらもかつて自分たちを助けてくれたスーパー戦隊を今でも心の支えとして懸命に生きている人々を見かけたことで、彼らは地球には戦隊が必要だとして「お宝」に頼ることなく最終決戦に挑(いど)む決意をする。
第49話『宇宙最大の宝』、第50話『決戦の日』、最終回(第51話)『さよなら宇宙海賊』で構成された最終章3部作で、ゴーカイジャーは歴代スーパー戦隊の力を使いまくり、等身大アクション場面ではさまざまな歴代ヒーロー&ヒロインへのチェンジを繰り返し、巨大戦の特撮場面では歴代スーパーメカや合体ロボットなどが総動員され、往年のファンとしては狂喜せざるを得なかった。
だが、これは失礼ながらともに特撮オタク出身である脚本家の荒川稔久(あらかわ・なるひさ)先生と竹本昇(たけもと・のぼる)監督が、アレも出したいコレも出したいとばかりに単に自分たちの趣味を露呈(ろてい)させたワケではない。
先述した本編ドラマの流れと等身大アクションや巨大特撮のクライマックスを融合させるために、つまり、ゴーカイジャーが長旅の果てにたどり着いた結論=地球にはスーパー戦隊が必要だと強調するためにこそ、荒川先生と竹本監督はオタ心を爆発させたのだ。
これはドラマ性を高めるために、いや、スーツアクターのアクションや巨大戦そのものを「ドラマ」として観せる手法であり、『ゴーカイジャー』に限らずスーパー戦隊では遅くとも1990年代の作品群ではすでに描かれており、そのカタルシスを絶大に高める効果を発揮していた。
それと比較すると、たとえば『アーク』第9話で女性隊員の先輩男性を怪獣細胞の横流しをしていた張本人として描いた本編ドラマと特撮場面を融合させるなら、本来なら登場した地底怪獣パゴスと透明怪獣ネロンガがその怪獣細胞から生まれる描写を入れるべきだったのに、パゴスとネロンガはそれとは何の関係もなしに登場する(笑)。
また、『ウルトラマントリガー』第21話『悪魔がふたたび』に登場した青色発泡怪獣アボラスと赤色火焔(かえん)怪獣バニラは本来「古代人」によってカプセルに封じこまれた存在なのに、「古代戦士」のカルミラらレギュラー悪との関連性は何ひとつ語られることはなかった。
先述したタイトルロゴやオープニングのタイトルバックと同様に、これらはともに映画『フランケンシュタイン対地底怪獣(バラゴン)』(65年・東宝)に登場した地底怪獣バラゴンの着ぐるみを改造したパゴスとネロンガを戦わせたいだの、元祖『ウルトラマン』(66年)第19話『悪魔はふたたび』を再現したいだのと、完全に単なるスタッフの趣味のみにとどまっており、ドラマ性には何の寄与もしていない。
それこそ『アーク』第9話は、かつて年長のマニアが「昭和」の第2期ウルトラシリーズに対して批判していた「怪獣と人間のドラマが分離したまま進む奇妙な現象」ではないのか?
「どんなにつらい過去でも、それを捨てることは今の自分を否定(ひてい)することになる」
今や絶大な人気を誇る若手役者の山田裕貴(やまだ・ゆうき)氏が演じた『ゴーカイジャー』のジョー・ギブケン=ゴーカイブルーが最終展開で発したセリフだが、同じそれを描くにしろ、『アーク』の最終回はあまりにも地味(じみ)だった。
両親が満面の笑顔でユウキに「アークとサヨナラしよう」などと呼びかけるような抽象的な幻想場面が、前半では延々とつづく。
イタチかタヌキのバケモノと形容するしかないような、丸っこくてあまりにかわいらしい(笑)夢幻獣ギルバグは、最終展開に登場する「最強怪獣」とは到底思えなかった。
なお、『ゴーカイジャー』の最終回は配信1週間で「40万回」と、『アーク』の最終回と同じ数字を記録した。
繰り返すが、『ゴーカイジャー』は十数年も前に放映され、再三に渡ってネット配信もされてきた作品である。
それでもいまだに高い数字を稼(かせ)げるのは、そこで描かれるアクションや巨大戦そのものに高い「ドラマ性」が感じられるためではないのか?
ウルトラマンが「最終回」でさえ、そんな「昔」の作品と同じ数字しか稼げないのは、あいかわらず本編は本編、特撮は特撮として描いているために、ウルトラマンや怪獣に「ドラマ性」が感じられないからではないのだろうか?
*「宿命のライバル」を「縦軸」として描け!
ところで『アーク』の物語の発端(ほったん)は、わかりやすくいえば以下のようなものだった。
滅亡の危機に直面したある星の住人が、その邪魔になる地球を滅ぼそうとして怪獣を差し向けた。
その中心人物が先述したフツーのオバサン(笑)=サトエリが演じるスイードであり、その星の数少ない穏健(おんけん)派で地球を滅ぼすことに反対するのがウルトラマンアークだった。
かの『ウルトラセブン』(67年)第6話『ダーク・ゾーン』で描かれた、軌道が狂って暴走した宇宙空間都市ペガッサを救うために地球に軌道変更を要請し、応じない場合は地球を爆破するつもりだった放浪宇宙人ペガッサ星人の物語と、その骨子はほぼ同じである。
つまり、スイードとアークは「宿命のライバル」的関係のハズなのだが、スイードは第14話『過去の瞬(またた)き』&第15話『さまよえる未来』の前後編に初登場して以降、最終章3部作までの間にはまったく登場しない(笑)。
本来なら『アーク』の後半はスイードを中心とする強硬派、そして、アークを中心とする穏健(おんけん)派のキャラをいくつか登場させ、それらの争いを仲間割れや心の変遷(へんせん)による立ち位置シャッフルといった関係性の変化を中心にして描くべきではなかったのか?
だから、若い特撮ファンから「ウルトラマンは縦軸が薄いからつづきを観る気がしない」などと批判されてしまうのだ。
『ブレーザー』とのコラボに5週も費(つい)やすくらいなら、そんな「人間ドラマ」こそを描くべきだっただろう。
たびたび『ゴーカイジャー』の話で申し訳ないのだが、その第48話『宿命の対決』は配信1週間で『アーク』最終回ひとつ手前の第24話の30万回を上回る32万回の再生回数を記録した。
『ゴーカイジャー』では敵組織のザンギャック以外にも、バスコ・タ・ジョロキアなる敵キャラクターがセミレギュラーで登場する。
元々バスコはキャプテン・マーベラス=ゴーカイレッドとともに赤き海賊団と称した宇宙海賊に属する仲間だったが、宇宙最大の宝を独占するためにザンギャックと内通してマーベラスたちを裏切った。
以降、東映では1960年代の時代劇作品から伝統で描かれてきた「お宝争奪戦」として、ゴーカイジャーとバスコとの間で歴代スーパー戦隊のヒーローやヒロインの形をしたレンジャーキー=「お宝」の奪い合いが描かれていたのは周知のとおりだ。
その終盤、バスコは相棒の宇宙猿・サリーをゴーカイジャーの海賊船・ゴーカイガレオンに潜入させて「お宝」が入った宝箱を奪わせ、「お守り」と称してサリーの首にかけたペンダントに仕掛けられた爆弾でゴーカイジャーを爆死させようとした。
だが、作戦のための芝居とはいえ仲間だったハズのバスコに狙撃されて傷を負い、その傷を敵であるハズのゴーカイジャーが手当してくれたことで猿のサリーにも「心の変遷」が生じ、爆発寸前にサリーはマーベラスをかばって爆死する。
マーベラスとバスコの「宿命の対決」は相打ちとなるが、バスコが捨て駒にしたサリーの首にかけた「お守り」はそのままマーベラスの「お守り」となり、バスコは最期をとげた。
バスコの「何かを得るためには何かを捨てなきゃ」なる定番のセリフは、「お宝」を得るためにマーベラスやザンギャックらを散々裏切ってきたバスコを最大限に象徴するものだ。
だが、「お宝」のためにサリーを捨てたバスコに対し、自身を守ってくれたサリーのペンダントの破片を捨てずに左胸のポケットにしまいこんだマーベラスが勝利するさまは、これまで縦軸として描かれてきた両者の「宿命の対決」の決着として絶大なカタルシスを得られるばかりではなく、最後の最後までふたりの実に「らしい」姿を描ききっていたのだ。
実に冷酷残忍で常に卑怯(ひきょう)な手段を使ってきたバスコだが、仲間から敵と化してもマーベラスを「マベちゃん」と呼ぶほどに常に笑顔を絶やさず、飄々(ひょうひょう)とした軽薄なにいちゃんという感じだったために視聴者に不快な印象を与えることもなく、むしろ愛されキャラとしてその人気は高かったものだ。
終始コワモテのために、演じる元グラビアアイドルがフツーのオバサンにしか見えなかったスイードとは実に対照的といえよう(笑)。
ただ、いわゆるニュージェネレーションウルトラマンでも、かつては主人公の「宿命のライバル」的存在が縦軸として印象的に描かれ、それが視聴を継続させる効果を発揮していたものだ。
『ウルトラマンオーブ』(16年)のレギュラー悪で、かつては「光」の勢力側で主人公のクレナイ・ガイ=ウルトラマンオーブとライバル関係にあったものの、自分よりも力が劣(おと)ると思っていたガイがウルトラマンに選ばれたことで「闇」の戦士となるに至った夢幻魔人ジャグラス・ジャグラー。
『ウルトラマンジード』(17年)の主人公ヒーロー・ウルトラマンジードの実の父親だが宇宙最大の悪党・ウルトラマンベリアルに故郷の星を滅ぼされたハズなのに、その圧倒的な力に魅せられてベリアルの手下となったストルム星人の生き残り・伏井出(ふくいで)ケイ。
『ウルトラマンR/B(ルーブ)』(18年)の主人公ヒーロー・ウルトラマンロッソとウルトラマンブル兄弟の1300年前の先代戦士の実の妹だが、ロッソとブルのあまりのふがいなさ(笑)に彼らをウルトラマンとして認められずに兄弟と対立してきた美剣(みつるぎ)サキ=グリージョ。
こうしたキャラが近年のウルトラマンに登場しなくなったのは、いまだに「ウルトラマンにレギュラー悪は必要ない」との信念をもつ高齢層のファンに配慮してのことだろうか?
いくら「3バカ大将」(笑)でも『トリガー』ではまだレギュラー悪の存在が明確に描かれていたが、原典の『ウルトラマンダイナ』と同様に宇宙の不定形生命体・スフイアを敵として描いた『デッカー』、「地球人がコワい」と主張する、どこぞの星の宇宙人が敵だった『ブレーザー』。
その姿形どころか背景や行動の動機すらもがひたすら抽象的に描かれる「作劇」や「演出」では、高い「ドラマ性」を感じられるハズもないのではなかろうか?
*「関係性の変化」を描いてこそ「人間ドラマ」だ!
さて、『アーク』のメイン監督だった辻本貴則(つじもと・たかのり)監督によれば、主人公のユウマが所属する怪獣防災科学調査所・SKIPに地球防衛軍の宇宙科学局から派遣された特別調査員・石堂シュウとユウマとの関係を「バディ」として描いたつもりのようだ。
それをやるのなら、定番にすぎるかもしれないがシュウをいかにも防衛軍らしいタカ派で序盤ではハト派のユウマと対立を重ねるも、中盤の怪獣事件を機にユウマに共感していき、終盤近くでユウマの良き「バディ」となるに至るまでの過程を描くべきだったハズだ。
にもかかわらず、そうした「関係性の変化」すらも実に希薄(きはく)な印象だった。
そもそもシュウは常に黒いスーツ姿で七三分けのメガネをかけた生真面目(きまじめ)なキャラであり、実におとなしくて優しい印象のユウマとその見た目は大差のない印象だった。
こまかく観れば実際には対立が描かれていたのかもしれないが、少なくともそれは激しいものではなく、常にアットホームな印象のSKIPの中に埋没(まいぼつ)してしまう程度のものだったかと思われる。
「みんななかよし」では「人間ドラマ」は生まれないのではないのか?
また、作品のキャッチコピーに「想像力を解き放て!」とあったように、シュウはユウマの「豊かな想像力」に共感して「バディ」となったようなのだが、この「想像力」の描き方には最後までピンとこなかった。
たとえば『魔進(マシン)戦隊キラメイジャー』(20年)の主人公・熱田充瑠(あつた・じゅうる)=キラメイレッドのように、「ひらめキーング!」と叫んで(笑)一心不乱にスケッチブックに描いた絵が武器や巨大メカに変化する描写が『アーク』にもあれば、ユウマは確かに「豊かな想像力」をもつキャラとして説得力を得られただろう。
だが、ユウマは子供のころに「さいきょうのヒーロー」としてさまざまなバリエーションのウルトラマンを描いていたとの回想はあったが、その「想像力」を青年となった現在でも持続させていると解釈が可能な「作劇」や「演出」は皆無(かいむ)だったといってよい。
だから、アークのタイプチェンジも何かの拍子に唐突に出てくるという印象でしかなく、ユウマの成長や心の変遷、ほかのキャラとの関係性の変化の象徴として描かれたものではないために、むしろ先述したように本編と特撮のクライマックスをよけいに分離させていたのではないのか?
シリーズ後半ではユウマの「夢幻」の世界がよく描かれていたが、それは「想像力」とはかなりニュアンスが異なると感じられ、個人的にはユウマは「想像力」が豊かな青年ではなく、常に夢見がちな「不思議ちゃん」(笑)としか思えなかったのだが。
そのあたりを実に的確に、しかも効果的に描いていたのが先述した『仮面ライダードライブ』だ。
だからこそ、『アーク』の最終回のあとに配信された第47話『友よ、君はだれに未来を託(たく)すのか』は、1週間で再生回数が34万回に達した――実際の最終回『ゴーストの事件』は主人公たちのその後を新番組『仮面ライダーゴースト』(15年)の宣伝を兼ねて描いた「特別編」としての位置づけのため、テレビシリーズの物語の実質的な最終回はこの第47話となる――。
この『ドライブ』では主人公刑事・泊進ノ介=仮面ライダードライブと親友の刑事、そして、テレビシリーズの前日譚(たん)として描かれた事件の中で重傷を負った親友刑事に代わり、進ノ介とコンビを組むこととなった婦人警官・詩島霧子(しじま・きりこ)との関係性を、最後まで「バディ」として描ききっていた。
また、シリーズを通して「敵」が「味方」に、「味方」が「敵」にといった立ち位置シャッフルが頻繁(ひんぱん)に描かれ、それが人物相関図を激変させる化学反応こそが最大の魅力のひとつであり、仮面ライダーのタイプチェンジや新キャラの登場はそのクライマックスの象徴として描かれてきたのだ。
『仮面ライダーW』や『獣電戦隊キョウリュウジャー』(13年)で確かな実績をあげた三条陸氏が『ドライブ』でもメインライターを務めたが、氏の作劇スタイルはまず玩具の「販促」ありきであり、そこから逆算して物語を組み立てていく技法である。
つまり、新しく発売される玩具の元ネタを視聴者に最大限に印象づけるためにこそ、高い「ドラマ性」を発揮させていたのだ。
レギュラーの怪人枠として登場した機械生命体・ロイミュードを生みだした狂気の科学者が実の父親であり、それを姉の霧子に知られないためにロイミュードを一刻も早く撲滅(ぼくめつ)しようとしていた詩島剛(しじま・ごう)=仮面ライダーマッハ。
元々は仮面ライダー0(ゼロ)号として誕生し、その後ロイミュードの幹部となるも、進ノ介や霧子との出会いで心の変遷が生じ、中盤以降は主人公側のキャラとなったチェイス=魔進チェイサー=仮面ライダーチェイサー。
この剛とチェイスの関係性の変化こそ、先述した化学反応がもたらした最大の効果ではなかったであろうか?
チェイスが味方側となって以降も、ロイミュードは人類の敵として彼を「仮面ライダー」とは断固認めなかった剛は終盤近くに至るまで、進ノ介や霧子の説得に耳をかさずに表面上はチェイサーに対して散々悪態をついていた。
だが、実の父が変身した悪の仮面ライダー・ゴルドドライブの攻撃から剛をかばってチェイスが壮絶な最期をとげたことで、剛は「チェイス、いっしょに戦ってくれ!」とチェイスの能力をも合体させた最強形態と化し、「さよなら、父さん……」とゴルドドライブを倒すに至る。
駆けつけた霧子の腕の中で、剛は「こんなことになるんなら、もっと早く云ってやればよかった。おまえはオレの「ダチ」だって」と後悔(こうかい)の念をもらして号泣する。
この直前には、先述した『ゴーカイジャー』のバスコのように、目的のために仲間を再三捨て駒にしてきたゴルドドライブに対してロイミュードの幹部・ハートとメディックが反旗(はんき)を翻(ひるがえ)し、人類支配装置を破壊するためにドライブ・マッハ・チェイサーの3人の仮面ライダーといっせいに変身をとげる超絶にカッコいい描写があった。
そのカッコよさは、あくまでも縦軸となってきた人物相関図の総決算として描かれた、高い「ドラマ性」があってこそのものなのだ。
「何かを得るためには何かを捨てなきゃ」とばかりに(笑)縦軸の要素やレギュラー悪の存在を捨ててしまったかに見える近年のウルトラマンは、「捨てるべきもの」を誤っているのではなかろうか?
*そんなにも「人類批判」をやりたいのなら
「販促」と「ドラマ性」を立派に両立させていた『ゴーカイジャー』や『ドライブ』よりもずっと以前に放映された作品だが、それをすでにやり尽くしていたのが『電磁戦隊メガレンジャー』である。
『ゴーカイジャー』『ドライブ』とともに、これも『アーク』の最終回と前後して配信が終了したが、その最終回(第51話)『つかむぜ! 俺たちの卒業証書』の再生回数は1週間で16万回に達した。
1990年代の作品だと通常回は7~8万回、1980年代以前の作品だとせいぜい5~6万回が関の山といったところなので、この『メガレンジャー』の最終回は結構注目を集めたといっても過言ではないだろう。
まぁ、今の若い世代がそれだけ20年も30年も「昔」の作品には興味がないというところだろうが、筆者も10代や20代のころは「特撮」といえば『ウルトラQ(キュー)』(66年)以後の1960年代後半以降の作品群にしか興味がなかったからそれを批判はできない(汗)。
『メガレンジャー』では「等身大の高校生」が主人公ヒーロー&ヒロインとして設定されていたが、終盤でその正体が敵組織の邪電王国ネジレジアにバレたことから、第49話『絶望! 俺たちは嫌われ者!?』で彼らが通う高校がネジレジアに直接攻撃されてしまい、担任教師や生徒の一部が負傷したのを機に主人公生徒たちは同級生どころか街の人々からもいっせいに非難され、学園を追放されてしまう。
いわばメガレンジャーはこれまで守ってきた人々から「手のひらがえし」をくらったのだが、まさにそれこそがネジレジアの地球攻撃総司令官・Dr.(ドクター)ヒネラーが悪へと走った「動機」でもあった。
ヒネラーとなるに至った鮫島(さめじま)博士は、かつては正義側のレギュラーキャラ・久保田博士の友人であり、宇宙開発用のスーツの研究者として注目を集めていたが、その人体実験で実の娘を死なせたことから「殺人科学者」として世間から激しくバッシングされて居場所を失い、人類を激しく憎悪(ぞうお)した。
その後、久保田博士が開発したメガスーツの実験が成功したことから、鮫島=ヒネラーは友人だった久保田をも恨むようになり、メガスーツ理論を応用したメガレンジャーの打倒に執念(しゅうねん)を燃やすのだ。
前番組だった『激走戦隊カーレンジャー』(96年)の敵組織・宇宙暴走族ボーゾックが完全なお笑い集団だった(笑)反動もあってか、ヒネラーやその実の娘をモチーフにしたアンドロイド・シボレナ、行動隊長のユガンデなど、ネジレジアの幹部集団はかなり悪辣(あくらつ)なキャラとして描かれていた。
だが、スーパー戦隊の敵組織によくある仲間割れや裏切りなどは中盤に登場した幹部・ギレール以外には見られず、ヒネラーはシボレナを娘、ユガンデを息子として大事に扱い、彼らもまたヒネラーを実の親のように慕(した)っていたのだ。
最終展開でシボレナはメガレンジャーの攻撃からユガンデをかばって倒れ、ユガンデはまるで家族を失ったかのように怒りを爆発させる。
致命傷を受けながらもシボレナはアジトに帰還し、ひとりの「娘」として感謝の念を示したあと、ヒネラーに「父上」と叫んで爆死した。
先述した『ドライブ』の最終展開で、剛がチェイスを指してゴルドドライブに「人間じゃない奴が、こんなに優しいのによぉ~っ!」と怒りを爆発させた描写をも彷彿とさせるが、『ドライブ』の主人公側の科学者で「変身ベルト」と化した(笑)クリム・スタインベルトと、悪側の科学者・蛮野天十郎(ばんの・てんじゅうろう)=ゴルドドライブが研究仲間から敵対関係へと至る過程は『メガレンジャー』の久保田博士と鮫島博士の関係が念頭にあったのでは? と思えてならない。
それはともかくとして、ネジレジアの幹部間の「家族」のような関係性と、いとも簡単に「手のひらがえし」をしてしまう人類の情愛のなさを対比して描くことで、人間が不完全で機械生命体以下の存在とするヒネラーの主張に、ある種の正当性や説得力を与えた作劇と演出は現在の観点でも高い「ドラマ性」を感じさせる。
これに比較すれば、先述した『アーク』第21話で怪獣を生みだすに至ったゲスト女性の動機は、近年頻発(ひんぱつ)するようになった通り魔殺人の容疑者たちとさして変わらないようにしか見えないのだ。
そればかりではない。
頭は薄いわメガネ男だわ小太りだわで、正直冴(さ)えないオッサンにしか見えなかった久保田博士が、メガレンジャーが学園から追放されたのは自分の責任だとして、特殊装甲車・デジタンクで単身シボレナとユガンデに特攻するような、周辺キャラをもカッコよく見せてしまう演出。
中盤から登場した「6番目の戦士」=メガシルバーに変身する青年が、高校生のメガレンジャーよりも年上なのにいっしょに遊んでしまうような(笑)軽薄なにいちゃんとして描かれるも、メガレンジャーに戦意を取り戻させるために説教するのではなく、ズタボロになりながらも単身で最強の敵と戦う姿を彼らの眼前で見せたことで、メガレンジャーが戦う決意をするに至る描写こそは、先述したようにスーツアクターのアクションそのものを「ドラマ」として描いた技法なのだ。
さらにいえば、『アーク』がある地方都市を舞台としていたように、『メガレンジャー』の舞台も彼らが通う高校の周辺だったことから、ともすれば「ご近所ヒーロー」に見えてしまう危険性もあった。
だが、メガレンジャーを支援する世界科学連邦・アイネットは、世界中から優秀な科学者と技術者を集めた地球規模の大組織として描かれ、シリーズ前半では衛星軌道上の宇宙ステーション・メガシップ、後半では月面に前線基地をかまえたことで、実に雄大なスケールを感じさせていた。
そこで活躍するスペースシャトル状の小型宇宙艇・メガシャトルや宇宙戦闘用メカ・ボイジャーマシンなどの出撃や合体描写は、この時期から本格的に導入されたデジタル合成の駆使により、同時期に放映された『ウルトラマンティガ』よりも、正直クオリティははるかに高かったのだ。
そうした作劇や演出を、まだ「平成」仮面ライダーも放映されてはいなかった、30年近くも前にとっくに実現させていたスーパー戦隊に比べ、ウルトラマンは果たして「進歩」したといえるのだろうか?
いや、近年のウルトラマンは、むしろその当時の作風に「逆行」しているかに見えてしまう。
「想像力を解き放て!」は、そっくりそのまま円谷プロにお返しせざるを得ない。
ウルトラマンを「オワコン」にしたくないなら、それを即座に実行してもらうしかないのだ。
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