『仮面ライダーゼロワン』最終回・総括 ~力作に昇華! ラスボス打倒後もつづく悪意の連鎖、人間とAIの和解の困難も描く!
『仮面ライダーゼロワン』前半総括 ~シャッフル群像劇の極み! 滅亡迅雷net壊滅、新敵・仮面ライダーサウザー爆誕!
『仮面ライダーゼロワン』序盤合評 ~AI化でリストラに怯える中年オタらはこう観る!(笑)
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2021年11月6日(土)深夜にNHK・BSプレミアムで放映された『全仮面ライダー大投票』で16位(映画作品では上から3位)にランクイン記念! とカコつけて…… 『劇場版 仮面ライダーゼロワン REAL×TIME』(20年)合評をアップ!
『劇場版 仮面ライダーゼロワン REAL×TIME』合評1
(文・久保達也)
(2021年1月11日脱稿)
*テレビシリーズ中の出来事から完全な後日談へ!
さて、『仮面ライダーゼロワン』テレビシリーズ(19年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200517/p1)のメインライター・高橋悠也(たかはし・ゆうや)や『ゼロワン』のメイン監督で本作でメガホンをとった杉原輝昭(すぎはら・てるあき)監督がパンフレットで語るところによれば、本作は本来の時系列としてはテレビシリーズ終盤の中で起きた1日の出来事として位置づけられていたようだ。
それが一連のコロナ騒動で夏から冬の公開に延期されたことで、テレビシリーズの最終回から約3ヶ月後、つまり公開日とほぼ同時期の時系列となるテレビシリーズの続編・後日談へと変更された経緯がある。
「楽園」を創造するために謎の男・エス=仮面ライダーエデンが世界の滅亡を願う者たちを率(ひき)いて全世界でいっせいにテロ活動を開始、このおおいなる「悪意」に主人公側の仮面ライダーが立ち向かうといった大筋は、夏の公開を想定して準備されたものと比べても大きな変更はない。
また、『REAL×TIME』のタイトルどおり、60分の間に起きた事件発生から解決までを、画面左下に逐一(ちくいち)残り時間や場所をテロップで表示させる、緊迫感と臨場感にあふれるタイムリミットサスペンスとする当初の作劇も継承されている。
ただ『ゼロワン』の場合、当初の公開予定だった2020年7月18日(土)の翌日に放映された第39話『ソノ結論、予測不能』の前後と、8月に放映された最終展開とでは主要キャラを取り巻く状況があまりにも激変していたのだ。
その最たるものは主人公・飛電或人(ひでん・あると)=仮面ライダーゼロワンの秘書を務める女性型ヒューマギア――AI(エーアイ)=人工知能を持つヒューマノイド型ロボット――=イズ、そして『ゼロワン』で一応の敵組織として描かれた「滅亡迅雷.net(めつぼうじんらい・ネット)」のリーダー格の青年・滅(ほろび)=仮面ライダー滅(ホロビ)の立ち位置である。
2020年8月9日に放映された第42話『ソコに悪意がある限り』(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200921/p1)でイズは滅によって破壊されてしまい、同年8月30日に放映された最終回(第45話)『ソレゾレの未来図』のラストでは復元不能なイズの代わりに或人がイズの姿を模したヒューマギアを機動させ、再度イズと名づけてラーニング(学習)するさまが描かれた。
また、シリーズ中盤で主人公側の味方的キャラへと変貌をとげた「滅亡迅雷.net」の青年・迅(じん)=仮面ライダー迅(ジン)とは異なり、滅は最終回に至るまで敵キャラとして描かれていた。しかし、人間態として或人と殴り合う中で、或人の呼びかけによってシリーズ終盤には芽生えてきていた「心」を機動させたことで、ゼロワン=或人には倒されることなく、自身にとっての息子的な存在であった迅とともに人間の「悪意」を監視する立場となったのだ。
つまり、この展開を前にした夏の公開であれば『REAL×TIME』に登場するイズは破壊される前のいわば「初代」だったのであり、滅はまだ味方化する前で主人公側の仮面ライダーと共闘するにせよ、エス=仮面ライダーエデンなる邪魔な存在を排除するための映画限定の動機による行動として描かれたことだろう。
それが公開延期で時系列がテレビシリーズの後日談へと変更されたことで、イズは「初代」ではなく「2代目」が、滅は敵キャラではなく完全なる「正義側のキャラ」として登場することとなったのだ。
ただ、ケガの功名(こうみょう)ではないが、公開延期でやむなく生じたこの改変こそが、筆者としてはこの『REAL×TIME』を深い感動につつまれる傑作へと至らせる要因となったかと思えるのだ。
*「群像劇」から「お祭り映画」へ!
人類滅亡を企(くわだ)てていた当時とは異なり、金髪を束(たば)ねていたバンダナをはずして、一見は和装かと思える黒の衣装に身を包んでいる、筆者が女子ならキャーキャー騒いでいたこと必至(爆)なほどに実にカッコよい姿へと変貌をとげた滅。
エスの配下や信者たちが変身したグレーの強化スーツ姿の仮面ライダーアバドンの大群と都心のビル街で単身戦っていた本作の2号ライダーに相当する仮面ライダーランペイジバルカン=不破諫(ふわ・いさむ)をビルの屋上から俯瞰(ふかん=見下ろす)したアングルで、滅はその場に飛び降りながら仮面ライダー滅スティングスコーピオンへと変身! ランペイジバルカンに加勢してみせるカッコよさで、「味方キャラ」となったことを観客に強烈に印象づけていた!
そればかりではない。或人のもとにエスから宣戦布告が送られてきた件を不破に伝令に来た2代目イズは、「社長命令」として或人が社長を務める企業・飛電インテリジェンスで待機するために即座に戻ろうとするが、そんな2代目イズに滅が声をかける。
「飛電或人のところに行かなくていいのか? それはおまえの意志か? それがおまえの心なのか?」
単身でエスのもとに向かおうとした或人に、2代目イズは同行を主張するも、或人からは「ダメだ!!」と激しく拒絶されてしまう。それは初代のイズが滅に破壊されたように、
「もう大切なものを失いたくない!」
という或人の想いが動機だった……
その初代イズを破壊した当人ではあるものの(汗)、或人によって文字どおりに「心」を動かされた滅が、今度は2代目イズに「心」の変遷(へんせん)を生じさせる!
テレビシリーズ後半ではイズが自身の「心」のままに行動するに至っていく展開だった。それをなぞるかのように、破壊されたハズの初代イズのわずかに残っていた残留思念データに飛電が所有する人工衛星・ゼアの中で2代目イズが出会って、初代から或人と過ごした日々をラーニングされたことで生前の初代イズの夢が
「いつかヒューマギアが人間と笑いあえるようになれば……」
であったことを知って、その実現のために2代目イズはクライマックスで大活躍をするに至る!
当初の予定どおりに2020年夏に公開されていたら、こうしたシークエンスは存在しなかったワケであり、たとえ話の大筋は同じでもその趣(おもむき)はかなり異なっていたかと思えるのだ。
実は本作の或人は、先述した2号ライダーの不破や女性ライダーこと3号ライダーの刃唯阿(やいば・ゆあ)=仮面ライダーバルキリー、4号ライダーの天津垓(あまつ・がい)=仮面ライダーサウザーに滅や迅などと直接カラむ描写は皆無であり(!)、デバイスを介して通信するだけにとどまっている。
本作は黒をベースにマスクや胸部・肩などに配された青いパーツに血管を思わせる赤い模様が施された敵キャラである仮面ライダーエデンと、テレビシリーズでは終盤のわずか数回程度の活躍にとどまった、ゼロワン同様に黒地に蛍光の黄色いパーツを中心にアンテナや胸元、手袋にアクセントとして赤が添えられた仮面ライダーゼロツーが真っ暗闇の中で戦うことで、エデンの赤いラインとゼロツーの蛍光パーツがインパクト絶大となる超カッコいいバトル演出で開幕する。
そして、或人は円形コロシアムやエスがアジトとする教会でエス=エデンと対峙したり、エスの正体を知る謎のゲスト女性キャラ・遠野朱音(とおの・あかね)以外にはテロ攻撃で意識を失って現実世界から転送された人々しか存在しない、都心のような駅や地下街のある謎の異空間で朱音と対話したりと、クライマックスまではほぼ単独で行動している姿のみが描かれるのだ。
ただ、80分弱の尺で60分間に起きた出来事をリアルタイムで描く形式である以上、それこそリアルに考えたら或人がほかのキャラとカラみようもないのは確かだ。
或人がエスのアジトや異世界でエスや朱音といったゲストの主要キャラを相手にし、不破・唯阿・垓・滅・迅が現実世界のそれぞれの持ち場でエスの配下や信者たちと戦った末に集結に至るさまを並行して描く演出は、タイムリミットサスペンスとしてはやはり正攻法であるだろう。
まぁ、第3クール終盤でそれまでの強敵から「味方キャラ」へと転じた垓は、夏の公開だったらまだ「敵キャラ」だった可能性もある。いや、時期的に唯阿も「敵キャラ」として描かれたのかもしれない(笑)。
だが、ヒューマギアを人類の「夢」とする或人の想いを守るために彼らが結束を固めるに至った最終展開のその後へと時系列が変更されたことで、本作は主要キャラのさまざまな思惑(おもわく)が複雑に交錯する「群像劇」ではなく、純粋に仮面ライダーの強者集結劇こそを「お祭り映画」として楽しめるようなつくりになった面もあったかと思えるのだ。
だから、テレビシリーズの最終展開で「悪のAI」やその「悪意」に呑(の)まれて暴走してしまった或人が変身した仮面ライダーアークワンに、脳に埋めこまれていた変身用チップを破壊されて仮面ライダーに変身不能となったハズの不破と唯阿が本作では変身可能となっていたのを、「私が復元した」という垓のセリフ一言のみで済ませているのも正解だろう(笑)。
*人物相関図の完成型としてのバトルアクション!
そういえば、「テレビシリーズが短縮されたことで浮いた予算を全部この映画で使ったのでは?」などというコメントをネット上で散見したものだが、その仮説に説得力を感じてしまうほどに本作はビジュアル面もあまりに豪華だった。
特に唯阿が変身したネコ耳でオレンジと白を基調とした仮面ライダーバルキリーラッシングチーターが、本作序盤での湾岸の商業施設で披露したガン&バイクアクションにはドギモを抜かれた観客も多かったことだろう。
テレビシリーズにつづいてバルキリーを演じたのは『仮面ライダーウィザード』(12年)の仮面ライダーメイジや『仮面ライダー鎧武(ガイム)』(13年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20140303/p1)の仮面ライダーマリカなどの女性ライダー以外にも、『仮面ライダーOOO(オーズ)』(10年)のメズールや『仮面ライダーフォーゼ』(11年)のヴァルゴ・ゾディアーツといった女性幹部怪人などの経験を重ねてきたスーツアクター・藤田彗(ふじた・さとし)だ。
バルキリーがバイクをウイリー走行の状態で前輪を駆使して敵戦闘員キャラであるアバドンたちをなぎ倒したり、ワイヤーで吊られたバイクにまたがって銃をブッぱなすアクションは、まさにバイクに乗っているからこそ仮面ライダーなのだ! という筆者のような昭和ライダー世代にとってはうれしい絵であった!
予算やロケでの規制やお役所への許諾の手間の都合でテレビシリーズでは仮面ライダーの危険なバイク走行場面がなかなか描かれない現状だけに、個人的にはこのバイクアクションを観られただけでも本作に満足した感があるほどだ。
そればかりではない。まるで銃から発射された弾丸の主観で捉えたかのような(!)、カメラが自動車の開いた車窓を高速で通り抜けてバルキリーのバトルに迫っていく!
そのバトルをカメラがカットを割らずに商業施設のバルコニーからの視点に移動しながら俯瞰して捉えてみせる!
巨大怪獣や巨大メカ戦ではない等身大バトルを地上からのアオリで捉えて360度の全包囲から見せてみる!
初のメイン監督を務めた『快盗戦隊ルパンレンジャーVS(ブイエス)警察戦隊パトレンジャー』(18年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190402/p1)でも存分に披露されていた杉原監督による小型カメラも縦横に動かすアクション演出が、仮面ライダーをよりカッコよく魅(み)せたといっても過言ではないだろう。
そんなにカメラがローアングルで寄っていったらスーツアクターたちに蹴り飛ばされてしまいそう!? と心配をしてしまうほどにバトルアクションに肉迫・接写していくカットが多かった。小型カメラをケーブル上で移動させるケーブルカムなどの手法がこうした演出を可能にさせているようだ。
あと、バルキリーの変身前である唯阿を演じる井桁弘恵(いげた・ひろえ)チャンが、バルキリーが工場の敷地内でバイクを疾走させる場面でカンフー映画の名優ブルース・リーのような奇声(笑)を上げていたのも場面のテンションを上げていた。
私事で恐縮だが、このバルキリーのバトルステージとなっているヨットハーバーやレンガづくりの建築物やアーチ橋や観覧車などに妙に見覚えがあるなぁと思っていたら、なんとロケ地は筆者が松竹系のアニメ映画やウルトラマン映画の上映をいつも観に行っている静岡県静岡市のシネコン・MOVIX清水(ムービックス・しみず)がある商業施設・エスパルスドリームプラザだったのだ!
ライダー映画は市の中心部にあるシネシティザートで観ている筆者だが、これに気づいたことで2回目の鑑賞は聖地巡礼(笑)を兼ねてワザワザMOVIX清水にまで足を運んでしまった。付近を歩いてみると、このバトル場面は隣接する物流会社・アオキトランスの敷地内でも撮影されたようで、おそらくは晩夏から初秋の時期にロケされたのだろうけど、こんなに近くで撮影されていることを知っていたならば、ぜひバルキリーや唯阿チャンに会いたかったものである(笑)。
さて、先述したように今回の『劇場版』ではバルカン=不破のバトルに「味方化」した滅が加勢する描写があった。テレビシリーズ中盤以降に主人公側の「味方キャラ」となった迅とバルカンの迷コンビぶりも描かれる。
攻撃してきた敵側の戦闘機に仮面ライダーバルカンパンチングコングに変身して飛び移った不破はついウッカリ手を放してしまうが(笑)、その際ふだんの熱血キャラとはあまりに相反して「アッ……」と放つ、まるで女性の吐息のような短い悲鳴は、不破を演じていた岡田龍太郎のアイデアか杉原監督の演出によるものなのかはわからない。
ただ、イザとなったときに表面化するこうした人間の意外な一面や滑稽みをさりげなく見せたりギャグとすることでキャラを多面的に描く意味でも、それこそ大事な彼女(笑)の危機とばかりに全身赤い炎をモチーフにした飛行能力を誇る仮面ライダー迅バーニングファルコンが八面六臂(はちめんろっぴ)で助けに来る大活躍を見せる意味でも、ここのコミカルさは実に効果的な演技だったと思えるのだ。
先述したバルキリーのアクションとの差別化としてか、迅と戦闘機との追撃戦は両者が高速道路を上に下にと華麗に舞いながら超高速で画面手前に迫ってきて、さらに画面奥へと両者が都心のビル街の間を高速でスリ抜けていくさまがCGで描かれるが、その臨場感という一点ではバリキリーのアクション演出とも共通するものだ。
さらに、迅に破壊された戦闘機が炎上しながら建物の屋上にいたバルカンに落下しそうになって、迅が「しょうがねぇなぁ~」などとボヤきながらバルカンを蹴り飛ばして(笑)自身が盾(たて)になる描写もかなりコミカルに描かれてはいたが、両者の関係性の劇的な変化を象徴させるドラマ性にあふれる演出となっていた。
さて、テレビシリーズの最終展開では自身が経営していたZAIA(ザイア)エンタープライズの社長の座からサウザー課(笑)の課長へと降格してしまった垓=仮面ライダーサウザー。本作での垓はサウザーが武器にしていた長剣・サウザンドジャッカーを手に仮面ライダーに変身しないでナマ身で敵と戦うアクションまでをも披露している!
テレビシリーズではそんな武器を使わなくともその「毒舌」や数々の「汚いやり口」が最大の必殺ワザ(爆)となっていた垓だけに、この華麗なる剣さばきはそれこそ垓の「変身!」ぶりを最も象徴する姿として演出されたのだろう。
また、ラストシーンで不破・唯阿・滅・迅にかけたサウザー課への誘いの言葉を、全員から口をそろえて(笑)断られた垓は――コミカル演出だが彼らの関係性の好転を象徴しているこの演出は、ずっとテレビシリーズを見守ってきた観客からすれば実に感慨深い!――、完全なカメラ目線(笑)で観客に向かって「これから仲よくなればいい……」と語りかける。
このセリフは垓を演じた桜木那智(さくらぎ・なち)によるアドリブだったそうだが、自身の野望のために翻弄(ほんろう)された不破・唯阿・滅・迅に対する贖罪(しょくざい)の念も感じられてくる垓ならではのセリフである。ふだんは周囲からは浮いてしまっている我々オタク……もとい控えめな性格類型の子供たちや悪事をヤラかしてムラ八分になってしまった子供たち(笑)に対する暖かなメッセージとしても解釈可能な実に秀逸(しゅういつ)なセリフになっているのではなかろうか?
*周辺キャラにも与えられたカッコいい見せ場!
ところで、本作ではテレビシリーズでは悪役だった「滅亡迅雷.net」のメンバーのその後として、滅と迅以外にも亡(なき)=仮面ライダー亡(ナキ)と雷(いかづち)=仮面ライダー雷(イカヅチ)も登場した。亡を演じた中山咲月(なかやま・さつき)のパンフレット掲載のインタビューによれば、亡と雷は本作の公開延期で時系列が後日談へと変更されたことで、幸いにも出番がつくられたそうだ。そのようなウラ事情からしてともにごく短い出番にとどまってはいる。
しかし、雷は宇宙野郎雷電としてオレンジ色の宇宙服姿で、クライマックスで或人のもとにゼロワンの専用バイクであり蛍光の黄色と黒を基調としたライズホッパーを大型トレーラーで届けに来るオイシいさまが描かれる!
亡も日本政府直属の組織に返り咲いた対人工知能特務機関・A.I.M.S.(エイムズ)内での技術顧問(ぎじゅつ・こもん)としてテレビシリーズ最終回で入隊が描かれていた。そして、本作では隊長・唯阿の部下としてA.I.M.S.の専用車内にて解析の業務に励(はげ)んでいる!――その姿があまりにも場に馴染んでいるので最初は誰だかわからなかったほどだ(笑)――
或人のメッセージを唯阿に伝令に来た飛電インテリジェンスの福添(ふくぞえ)副社長の女性秘書型ヒューマギア・シエスタまで再登場! 彼女も含めた『ゼロワン』ヒロイントリオの華麗なる競演までもが描かれたのだ!
まぁ、厳密には亡には性別がないのでヒロインとは呼ぶべきではないのかもしれないが(笑)、テレビシリーズ終盤に至るまでにとてもではないが協調するハズもなかった「飛電インテリジェンス」・「A.I.M.S.」・「滅亡迅雷.net」の3陣営個々に所属している各ヒロインが手を取り合うさまは、単なるヒロインの競演にはとどまらないドラマ性の高まりを感じさせてくれるところだ。
さらにいえば、垓の口癖「1000%(パーセント)」にカラめて引っぱりだされたのであろう、全裸で局部を盆で隠すだけの姿でコントを演じるピン芸人「アキラ100%」(笑)が演じるZAIAの常務取締役でZAIAのテクノロジーを外部に流出させた男に――あくまで個人的な見解だが、自分に子供がいたらアキラ100%の芸は見せたくない(笑)――、飛電の山下専務が云い放ってみせる
「我々は(或人)社長の夢と心中(しんじゅう)する覚悟がある!」
というセリフや、福添副社長の
「いつか(ヒューマギアと)笑いあえる未来が来ると信じている!」
と主張する描写はなかなかにカッコよかった!
全世界を大混乱させている新型コロナウィルスなんぞに決して感謝するつもりはないのだが、本作の公開延期で完全なる後日談へと内容が変更されたからこそ、テレビシリーズの最終展開を踏まえたこれらの感動的な場面が描かれたのは確かなのだった。
*イズを「変身!」させたものは……
その最たるものは、テレビシリーズ終盤で滅に破壊されて、
「いつか人間とヒューマギアが笑いあえる日が来るように……」
と或人に云い残して逝(い)った初代イズの願いを知った二代目イズが大活躍を見せるクライマックスだ。
エスが世界を滅亡させるために使用する変身補助アイテムであるヘルライズ・プログライズキーを自ら使うことで世界の滅亡を防ごうとした或人は、全身黒に上半身が赤いギザ状の突起に覆われた仮面ライダーゼロワンヘルライジングホッパーへと変身! テレビシリーズ終盤同様に暴走状態となってしまう!
自身が暴走してしまうことを予想もできていて、変身直前に仲間たちとのこれまでを回想した或人が、「みんな、ゴメン……」とつぶやきながらキーを変身ベルト・ゼロワンドライバーにセットする描写は、自己犠牲・滅私奉公の精神にあふれる或人らしさにあふれる演出だった。
だが、そのヘルライジングホッパーに突撃して暴走を止めようとしたのはなんと仮面ライダーゼロツーだ! 或人が強化変身した姿だったゼロツーが或人がヘルライジングホッパーに変身中なのにナゼ!? とまずは観客を唖然(あぜん)とさせて、間髪入れずにその意外な正体を明かしてさらなる衝撃を与えてくる二段構えの作劇的技巧は実にあざやかだった。
そして、ゼロツーに変身していたのは二代目イズだった! もし公開が延期されていなければこのクライマックスは果たしてどう描かれていたのだろうか? と想像せずにはいられない。
テレビシリーズ第2クールの「お仕事五番勝負」(笑)でZAIAに敗れた飛電インテリジェンスが、垓が経営ずるZAIAに買収された直後に、初代イズは或人から、そして迅からも
「これからは(人工)衛星ゼアの指令ではなく、自分の意志で生きるんだ」(大意)
などと説得されていた。
だが、その後も初代イズは最終展開に至るまで、自身の「意志」よりもあくまで飛電の社長・或人の忠実な秘書であろうとする、完全サポート的な立ち位置で描かれていた印象が強い。そんな初代イズが自らの「意志」で仮面ライダーに変身するなど、個人的にはちょっと想像がつかないものがあったのだ。
或人の最大の夢である「人間とヒューマギアがともに笑いあえる世界」を秘書として願った初代イズの「意志」を実現させるためには、自身の「意志」のままに行動すべきだという滅の言葉から悟(さと)るところがあった二代目イズ。彼女は秘書としての裏方・サポート的な役回りにとどまらず、社長の或人と対等・平等である、ある意味での「人間」としての立場に立とうと決意したのだろう。繰り返しになるが、この感動的なクライマックスは初代イズが滅に破壊されたあとの物語として描かれたからこそ実現可能となったのだ。
もちろん初代イズ自身が仮面ライダーへと変身してみせるも、それはそれでアリだったのかもしれない。ただ、「人間とヒューマギアがともに笑いあえる世界」を実現させるために、その初代イズの強い想いを「未来」に継承する存在としての二代目イズが描かれたことで、そのテーマにいっそうの深みが与えられた面もあったと思えるのだ。
先述した数々のバトル場面のみならず、エスがアジトとしている教会で変身ポーズをキメる或人と二代目イズを周囲360度の全包囲から見せる杉原監督ならではの回転演出が、まさに阿吽(あうん)の呼吸で結ばれた両者の関係性をも強調する!
「変身!!」
仮面ライダーゼロワン&仮面ライダーゼロツーの2大ライダー揃い踏みは、或人と二代目イズの関係性の進化としてのドラマ演出のみではない! ゼロツーのデザインが黒を基調に蛍光の黄色いパーツが施されたゼロワンのデザインの触覚や胸部・ベルトに赤いラインを、そして赤い手袋や両腕に太くて白いラインを添えたマイナーチェンジという印象のために、古い世代からすればどうしても「昭和」の仮面ライダー新1号と仮面ライダー新2号の通称「ダブルライダー」を彷彿(ほうふつ)としてしまう! まぁコレも確信犯の年配マニア転がしの演出であることはミエミエだ(笑)。
それよりも驚かされたのはテレビシリーズ終盤、そしてこの『劇場版』の冒頭に登場した或人が変身したゼロツーと、クライマックスで二代目イズが変身したゼロツーが完全に差別化して描かれていたことだ。
前者のゼロツーはゼロワンのスーツアクターを務めつづけた縄田雄哉(なわた・ゆうや)が兼任していたが、高身長でスリムボディーな氏が演じたゼロツーとは違い、二代目イズが変身したゼロツーはやや身長が低いトランジスターグラマー、つまりイズ同様の女性らしいややポッチャリとした可愛いらしい体型なのだ(笑)。
おそらくはマスクは流用してスーツを新調、もしくは胸部や腰部にたっぷりと積めもの(爆)をして改修したのだろうけど、このイズが変身したゼロツーを超スレンダーで長身な唯阿が変身していた仮面ライダーバルキリーのスーツアクター・藤田彗が兼任していたのがまたビックリ!
唯阿同様のクールビューティーなバルキリーの演技とは異なり、イズが変身したゼロツーは登場直後から最後の「ダブルライダーキック!」に至るまで、両手を前で軽く組んで、頭を右に少し傾けるイズの定番ポーズをバトルの合間に何度となく披露するのがラブリー!(笑) 藤田のゼロツーは一般層の観客からしたら女性が演じていると信じこむほどの完成度の高い演技だった。
個人的には或人が変身したゼロツーではなく、ややポッチャリ体型でイズの定番ポーズをキメるゼロツーのフィギュアがほしいところだ(爆)。
ただ、いくらゼロツーの仕草がラブリーとはいえ、クライマックスバトルは決してコミカルに演出されていたワケではない。
ゼロワンとゼロツーが宙に飛び上がって体にヒネリをきかせてキメる「ダブルライダーキック!」をはじめとするアクション演出は、いかにも『ゼロワン』らしいカッコよさにあふれていた。そして、
「おまえを止められるのは、オレたち(わたしたち)だ!!」
とのキメゼリフをゼロワンとゼロツーが叫ぶと同時に、テレビシリーズの主題歌『REAL×EYEZ(リアライズ)』が流れはじめる音楽演出も超絶にカッコよかった!
00年代の第1期平成ライダーシリーズの時期を除いて昭和や第2期平成ライダーシリーズに至るまで、仮面ライダーシリーズではバトル場面で主題歌や挿入歌を流して盛り上げるのが定番演出だった。しかし、それが近年のライダー作品ではまたかなり少なくなってしまった印象を受けるのだが、それが残念でもある。
ウルトラマンシリーズなども昭和の時代からクライマックスの戦闘シーンに主題歌をほとんど使っていないあたりはやや欠点に思える。この手の子供向けヒーローものや合体ロボットアニメなどは、昭和の時代の作品群のようにクライマックスの戦闘シーンでは勇ましい主題歌を使用してほしいものである。ただまぁ、東京スカパラダイスオーケストラが演奏・歌唱するラテン的・楽天的な管楽器の響きが印象的な最新作『仮面ライダーセイバー』(20年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20201025/p1)の主題歌はバトル場面では使いにくそうだが(笑)。
さらに本作で秀逸なのは、タイムリミットサスペンスとしたことで異空間でのゼロワン&ゼロツー、現実世界でのバルカン・バルキリー・サウザー・滅・迅と、同じ時間軸での異なる舞台で展開されたクライマックスバトルを並行してダブルで描いていることだ。
先述した敵の戦闘機とのバトルでエラい目にあわされた不破と迅がフラつきながらも「遅れてスマン」と、かつての敵同士、人間とヒューマギア同士でありながらも肩を組んで助けあいながら(!)歩いてきたり、人類滅亡をたくらんでいたハズの滅が世界の滅亡を願っている敵集団に対して、
「この世はまだ捨てたもんじゃない」(!)
などと云い放って、5人横並びのスーパー戦隊状態で「同時変身」をキメるさまは、彼らの関係性の進化や心の変遷が凝縮された高いドラマ性をも感じずにはいられないヒーロー性演出であり、まさにそれらのテレビシリーズも通じての背景があってこそのカッコよさだったのだ!
*仮面ライダーの真の魅力を描くための作劇的技巧!
ところで、本作の悪役・エス=一色理人(いっしき・りひと)=仮面ライダーエデンは人工知能搭載型の医療用ナノマシンを開発する科学者だったという。しかし、十数年前に人工衛星のAIの暴走によって実験中だった同僚の彼女=先述した朱音が死亡してしまい、その朱音のための楽園を創造せんとして世界を滅ぼそうとしている。
この人工衛星の暴走とは、もちろん『ゼロワン』の物語の発端(ほったん)となった、劇中世界の2007年12月に起きたという「デイブレイク」=人工衛星・アークにハッキングされてしまった旧型のヒューマギアが人類にいっせいに反乱を起こした事件のことだ。
テレビシリーズとは縁もゆかりもない事象から事件が起きたのではなく、テレビシリーズの世界観とも密接なつながりのある「もうひとつの真実」を象徴している敵の設定は、『ゼロワン』のメインライターで本作も脚本を担当した高橋悠也ならではとウナらさられるものがあった。
ただ「デイブレイク」が、垓によって人間の「悪意」をラーニングされたアークが引き起こした事件であったことを思えば、本作での医療用ナノマシンの暴走も元はといえば垓の責任が問われるべきだろう。
だが、垓がエスや朱音に対して罪悪感を示すような描写はなく、誰も垓にそれを問うこともしない。むしろ、垓や福添副社長&山下専務らに情報流出を徹底的に追及されるアキラ100%演じる取締役の方が、必要以上に「悪」として描かれすぎているような気もする(笑)。
コレは人によっては欠点だと捉えるかもしれない。個人的にも本作では垓が中心となってヒューマギアのみならずナノマシンに対する責任をもキッチリと果たすことで、いまだに垓のことを煙(けむ)たがる不破や唯阿、滅や迅にもようやく受け入れられることになる垓の姿を観たかったという想いもある。
だが、そのような描写が尺の都合でカットされたのでなければ、本作ではあえてラスボスのエスを別世界に配置して現実世界にいる垓とはカラませないことで、垓にいわば当事者意識を与えない作劇にしたかと思えるのだ。
エスがアジトとする教会は「デイブレイク」さえなかったら朱音と式を挙げたかったハズの場所だろう。エスがストライプのスーツの上に羽織る赤い裏地の白いマントも、式を進行させる牧師を彷彿させるかのようだ。特にエスの仮面ライダーエデンへの変身は、血管のような赤いラインに包まれたエスの背後から女性の姿をした青いイメージがバックハグのようにおおいかぶさるという、やや淫靡(いんび)な描写なのだ!
こうしたエスの背景・出自は観客の感情移入をおおいに誘うこと必至の設定である。しかし、それだけにヘタな演出をすれば必要以上に重苦しくて湿っぽい陰鬱(いんうつ)な作風となりかねない危険性もあったかと思える。
だが、本作ではまったくそんな印象を感じなかったのは、近年の仮面ライダーやスーパー戦隊のテレビシリーズのように、ゲストキャラのドラマに必要以上に深入りすることなく、レギュラーキャラの関係性の変化や心の変遷の「象徴」でもある、仮面ライダーのタイプチェンジや新必殺ワザ・共闘などを描く方に重点を置いた作劇や演出によるところが大きいからだろう。
ちなみに、エスを演じた著名な俳優・伊藤英明は『仮面ライダーストロンガー』(75年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20201231/p1)が放映された1975年生まれで、『(新)仮面ライダー』(79年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20210102/p1)や『仮面ライダースーパー1(ワン)』(80年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20210822/p1)をリアルタイムで観ていた世代であり、リップサービスでなければ、そのころの氏と同年齢になった息子さんといっしょに氏は『ゼロワン』をよく観ていたのだとか。
氏は『ゼロワン』の仮面ライダーたちがさまざまな形態に変身することについて、「元をたどれば『スーパー1』の5色の手袋を交換することでさまざまな特殊能力を発揮する万能武器・ファイブハンドに行き着く」という趣旨のことをパンフ掲載のインタビューで語っていた。コレは実に正鵠を射ているスルドい指摘であり慧眼(けいがん)であるとすら思う。
思えば、『ストロンガー』終盤にストロンガーがカブトムシのような触覚アンテナと胸のプロテクターに銀のラインが入る新スタイルに「チャージアップ!」で変化し、「超電ドリルキック!」を新必殺ワザとしたり、『(新)仮面ライダー』後半でスカイライダーが深緑から黄緑を基調とした新形態となり、「99の技」を披露するようになったのも、平成以降の変身ヒーローで頻出するようになった「タイプチェンジ」と同じだろう。
まぁ、当時は「新たな改造手術」だとか、「8人ライダー友情の大特訓」を受けたとかで、主人公青年の「心」の成長それ自体の象徴としては描かれなかったものだった――科学的にはオカシいが、先輩ヒーローのワザや想いやエネルギーや武器が伝授されて、新人ヒーローの姿などが変化するというのはドラマチックではあるのだし、メンタルの成長ではなくボディーのパワーアップであり、せいぜいが友情の感得といったところではあっても、そのドラマ性を視覚化したシンボリックなものではあっただろう――。
本作の本編ドラマの中心部分で「人間ドラマ」面を担当していた伊藤英明の指摘どおりに、昭和の時代にすでに描かれており、平成以降も進化をつづけた仮面ライダーどころかヒーロー一般の変身! さらなる強化変身! 身体性の拡張感から来る全能感や万能感といった快感! といった、人間も捕食をする動物である以上は本能的に持っている情動にして、子供ウケするどころか実はオトナたちにも潜在しているものの言語化はできていない、そんな動物の本能的な要素こそを、今後もヒーロー作品は強調して描いていくべきなのだろう。
*終わりなき「悪意」との戦い!
個人的には「夏映画」としてはおおいに満足させられた今回の『劇場版』だった。しかし、公開1週目の興行成績(2020年12月21日発表 興行通信社調べ)は初登場第5位にとどまっている。
アニメ映画『ハウルの動く城』(04年・東宝)やアニメ映画『君の名は。』(16年・東宝)の記録を抜いて、この時点で「10週連続の首位」(!)に輝いたアニメ映画『劇場版 鬼滅の刃(きめつのやいば) 無限列車編』(20年・東宝)や3DーCGアニメ映画『STAND BY ME(スタンド・バイ・ミー) ドラえもん 2(ツー)』(20年・東宝)、「週刊少年ジャンプ」連載漫画で深夜アニメ化もされた『約束のネバーランド』(19年)と同名の実写映画(20年・東宝)など――3作とも東宝配給で、あいかわらず東宝のひとり勝ち(苦笑)――、あまりに強敵映画が多い状況下ではいたしかたがないところだろうが、充分に健闘していたのではなかろうか?
そして2020年12月22日、東映は来年2021年度の作品ラインナップを発表した。
冒頭で挙げたように2021年2月20日公開の『スーパー戦隊MOVIEレンジャー2021』のほかに、特撮映画としては夏公開の『仮面ライダーセイバー』と『機界戦隊ゼンカイジャー』の劇場版2本立てと、年末公開の仮面ライダー映画が上がっている。
つまり、本来ならば本作が公開された2020年末の公開となったであろう、毎年恒例の本来の『ゼロワン』と次作『仮面ライダーセイバー』との共演映画は公開延期ではなく、事実上の消滅となってしまったようだ……
せめてもの救いは、通例であるライダーシリーズ各作の放映終了後に「後日談」や「番外編」を描いたオリジナルビデオ作品で展開される「東映 V CINEXT(ブイ・シネクスト)」のブランドで、2021年3月26日に『ゼロワン others(アザーズ) 仮面ライダー滅亡迅雷』(21年・東映ビデオ)が期間限定で公開されることである――映像ソフトは同年7月14日に発売――。テレビシリーズの話数短縮にとどまらずにテレビシリーズ終了後に恒例だった本来の正月映画で描かれたハズである新旧ライダー共演映画までもが中止の憂(う)き目にあった『ゼロワン』と『キラメイジャー』については、救済策としてさらなる続編の製作を願いたいところだ。この世から「悪意」が原理的にも消えることはないということは、ゼロワンたちの戦いにも終わりはないハズなのだから(笑)。
ラインナップ発表会の席上にて、東映取締役の白倉伸一郎プロデューサーは「年末のライダー映画は『仮面ライダー』(71年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20140407/p1)50周年にふさわしい作品にしたい」と語っていた。
だが、『仮面ライダー』50周年! の記念すべき2021年の1月8日、東京都・神奈川県・埼玉県・千葉県に2度目の「緊急事態宣言」が発令された。『ゼロワン』や『キラメイジャー』のように、これが『セイバー』や『ゼンカイジャー』の製作や放映スケジュールに悪影響をおよぼすことが早くも懸念(けねん)されてならない。
悪の組織よりもよほどタチが悪い新型コロナウィルスなんぞのために、「『仮面ライダー』50周年」に水を差されたら堪ったものではない。この緊急事態の終息を真剣に願うのならば、日本政府もマスゴミも庶民たちも、まずは「悪意」を捨てさることはできないにしても減らそうとする努力はすべきだろう。批判をしあうことはよいことなのだが、それがお上に対してだろうが下々の庶民に対してだろうが、没論理で提案抜きでの単なるヒステリックな悪口や呪詛(じゅそ)や人格批判に堕(だ)してしまってはいけないのだ。「みんなが笑いあえる未来」のためには、まずはそこからはじめるべきだろう。
『劇場版 仮面ライダーゼロワン REAL×TIME』合評2
(文・フラユシュ)
TVシリーズの終盤をまだ観ていないので、一部判らない展開やキャラもいたが、まぁまぁ楽しめた。60分のリアルタイムサスペンス作品である。ちなみに、往年の円谷プロの特撮巨大ヒーロー『ミラーマン』(71年)第19話「危機一髪! S.G.M』も25分のリアルタイムサスペンスの佳作であった。あの作品同様に、本作も割とうまくいっていたと思う。
特筆すべきは1995年のオウム真理教による毒ガステロ事件から四半世紀の時間が経った今だからこそできる「毒ガステロ」ネタ。スサまじいの一言。1990~94年に青年漫画誌『ヤングキング』に連載されていた柴田昌弘による『斎女伝説(ときめでんせつ)クラダルマ』も、本当にオウム真理教のような教団が超能力を持っていてテロを起こしたら……といったシュミレーション作品で、連載終了後に似たような事件が起きてしまってシャレにならないと思ったものだった。
そんな20世紀のむかしを知っていると、遂にマンガやアニメではなく実写特撮でもチャチくはないスペクタクルな映像化ができるようになったことが実に感慨深い。最もメインターゲットの子供たちにとっては、オウム真理教事件などは遥かむかしの歴史の教科書に記されているような実感のない事件なのだろうが。
そして、現代的なインターネット上で炎上騒ぎを起こす輩を敵に廻した展開はなかなかの見もの。ロボットと人間の融和テーマも頑張っていたし、やはり『仮面ライダーゼロワン』(19年)は各キャラが立っていて面白い。
『劇場版 仮面ライダーゼロワン REAL×TIME』合評3 ~【或人とイズの結末】
(文・戸島竹三)
私事で恐縮だが、『仮面ライダー』の映画は『仮面ライダーJ』(94)以来の鑑賞。26年ぶりに劇場に駆けつけた理由は、主人公・或人とヒューマギアのヒロイン・イズとの結末に期待したからに他ならない。人間とロボット(的な存在)との恋愛は成就するのか?
かつての石ノ森章太郎原作作品『人造人間キカイダー』(72)では明確に描き切れなかった、アンドロイドのジローと人間のミツコとの問題に答えが出るのでは? と考えたのだ。
ライダーシリーズの劇場版ではそれなりの役者がキャスティングされるとはいえ、それでも驚いた伊藤英明が演じる敵役・エスとその恋人とのふたりも対比として描かれた或人とイズのゴールは、テレビシリーズでもおなじみのダジャレ漫才(笑)。
「新イズ」に「旧イズ」の記憶が宿ったということで、まぁハッピーエンドではあるのだろうが、大人のマニア観客としては正直はぐらかされた感も拭えない。子供番組だしラブシーンはムリ。ましてや性愛問題を突き詰めて描くわけにもいかない。だとしても、もっとストレートな愛の叫びがほしかった! という意見は筆者がオッサンだからだろうか?
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