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仮面ライダー(新)総論 ~スカイライダーの〈世界〉!

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 「東映特撮 YouTube Official」にて配信中の『仮面ライダー(新)』(79年・通称「スカイライダー」)が完結記念! とカコつけて……。「スカイライダー」こと『仮面ライダー(新)』評を発掘アップ!


仮面ライダー(新)』総論 ~スカイライダーの〈世界〉!

(文・T.SATO)
(2000年11月執筆)


 4年のブランクを経て復活した第2期ライダーシリーズの第1弾! その名も初作と同じ『仮面ライダー』(79年)こと『スカイライダー』!
 『スカイライダー』を語るにあたっては、同作シリーズ序盤の“原点回帰”のあたりは個人的にはドーでもイイ感じである(汗)。やっぱり『スカイライダー』といえば、同作シリーズ中盤以降の「先輩ライダー客演編」の嵐のようなツルベ打ちだろう!


 初作『仮面ライダー』(71年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20140407/p1)の悪の組織ショッカー初代幹部・ゾル大佐のナチスドイツ風軍服を模したとおぼしきネオショッカー初代幹部・“G(ゼネラル)モンスター”! その彼が#17で敗れるやいなや、ネオショッカー南米支部から、日本支部2代目幹部にして最終回まで居座ることとなる、デザイン的には初作の3代目幹部・地獄大使のヨロイ武者的な系譜に属する“魔神提督”が着任した!


 さぁココからが『スカイライダー』がブレイクする瞬間でもある! 南米からやって来たという魔神提督。そう、コレはネオショッカーの組織が「世界中」にはりめぐらされ、「世界各地」のそこかしこでも悪事が展開されているという広大な「世界観」を薄明のもとに浮かび上がらせてくれる。
 このような「世界」規模での設定自体はかつての第1期『ライダー』シリーズでもあるにはあったものだけど、それに血肉を通わすかのごとく以降は毎回、「世界各地」の怪しげな海外支部(笑)から個性豊かなゲスト敵怪人たちがぞくぞくと馳せ参じてくるのだ!


 日本でのポッと出の、ひょっとしてたった今、生まれたばっかなのか? みたいな、背景設定もさしてない、その回ですぐにヤラれてしまうようなゲスト怪人ではなく、海外でも悪さのかぎりを尽くしてきたという一応のボックボーンと少々の厚みがある過去も感じさせる、一部にヘンな外人(笑)みたいなヤツらも含むユカイな猛者(もさ)の怪人ども!


 さらには、別々の海外支部からそれぞれ別個に来日した2大ゲスト怪人が互いに反目しあいながらも作戦を遂行するというストーリーも展開! 2大怪人のキャラがカブらないように明確に差別化するための「描き分け」も施(ほどこ)されて、怪人たちはますますキャラが立っていく!
 かてて加えて、そんな一癖も二癖もある2大怪人を睨(ね)めつけることだけで押し黙らせ、引き下がらせることができるネオショッカー2代目幹部・魔神提督のキャラも相対的に引き立つ、引き立つ(笑)。


 そして2大怪人が同時に、あるいは並行して登場して、前後編形式の2話にもわたって悪事を展開し、我らがスカイライダーとも数ラウンドにわたってバトルをくりひろげていく形式も定着する。
 しかし強力2大怪人を前にしては、さすがのスカイライダーも危うい。そこに駆けつけてくるのが、ネオショッカー怪人を追って日本に帰国してきた先輩・仮面ライダーたちである!


 このシチュエーションによって、我らが5、6、7年前(笑)に親しんできた、馴染みが深い先輩ライダーたちをチャンネル・経路として――もちろん彼らと初対面の幼児たちではあっても、格上の先輩ライダーたちに対してドッチラケということはなく、感情移入や憧れを抱くことであろう――、彼らはいつもはいちいちスカイライダーを助けたりはしないけど、「海外の地」ではネオショッカーの悪事を阻止せんがために戦っているのだ! という劇中での設定にもますます地に足が着いてくる。
 と同時にネオショッカーと先輩ライダーたちによる、「点」と「点」ではなく「線」や「面」や「立体」となっているワールドワイドな「世界」規模でのスケールの戦いにも、フィクションなりのウラ打ちが与えられてその「実感」が伴なってくることともあいなるのだ!


 かつて、あるいは本作以降も、コレほどまでに「作品世界」のウラ側に「世界」レベルでの「同時多発性」、「ヨコ方向」での「奥行き&広がり」をも感じさせてくれた『ライダー』シリーズ、もしくは特撮変身ヒーロー番組があったであろうか!?


 ……まぁコレらの前述した「世界観の拡がり」や「2大怪人の登場」と、それに伴なうその「キャラ」や「ドラマ」性の向上は、ホントウは本作の「世界観」または2大怪人の「キャラクター性」やそれに伴なう「ドラマ性」を優先するかたちで構想されたワケでは毛頭なく、それは結果論ではある(笑)。
 ホントウのところは単なるテコ入れであり、まずは「先輩ライダーの客演ありき」が先行しているのである。
 そして、「正義の側」に主役ライダーとゲストライダーの「ふたりの仮面ライダー」を登場させることになるので、正義のヒーローふたりによるひとりのゲスト敵怪人に対するイジメ(笑)とはならないようなバランス・オブ・パワーを取るために、「悪の側」にも「2体のゲスト怪人」を配置する。
 しかして前後編2話形式での2体の怪人の登場とすることで、怪人の造形面での制作予算も変わらない! ……といったところが、企画会議の席上や各話単位の作劇における発想のスジミチであったのであろうということは、筆者個人もよくわかってはいる(笑)。
 ただし、結果論にて結実したものであろうとも、「イイものはイイのだし、面白いものは面白い」のであり、過程がドーであろうとも、それは肯定すべきなのである。


人間キャラではない怪人キャラたちが演じる「仮面劇」でも「人間ドラマ」は発生しうる!


 今回、本作を本放映以来の約20年ぶりに全話を観返してみて、特に感銘をウケたのは、この2大ゲスト怪人を登場させることで生じるエンタメ活劇的なメリットである。2体の怪人を「性格」や「特殊能力」のちがいで必然的に差別化して描くこととなることで、その両者のキャラを立たせつつ、「世界」規模での文字通りの作品の「世界観」までをも浮かびあがらせてくるという一石二鳥!
 この2大怪人パターンは、ヒーロー番組においては基本的には戦闘の「コマ」にすぎない敵怪人に対して、その戦士としての「バトル性」を決して減じさせることなく、しかしてその怪人に「キャラ性」&「ドラマ性」という肉付けを付加しながら、各話の本編ドラマ&ストーリー展開の全体に「抑揚」や「彩り」をも与えており、1話完結のルーティンな展開になりがちな特撮ヒーローvs敵怪人の娯楽活劇番組にもまだまだ未開拓のエンタメ的な鉱脈があることの豊穣な可能性をも感じさせてくれるものなのだ。


 この2大ゲスト敵怪人が同時に登場するという作劇パターンは、『ライダー』といわず今どきの変身ヒーロー番組においても、大いに有効で魅惑的なパターン破り、かつ豊饒な新たなストーリーのパターンとなりうるのではなかろうか!?
 もちろん2大怪人が前後編にわたって登場するというシチュエーションは、本作『スカイライダー』が本邦初だったというワケではない。それは『仮面ライダーV3(ブイスリー)』(73年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20140901/p1)のシリーズ前半の特色にして、それが嚆矢(こうし)であったことを筆者が忘れているワケではないのは強調しておこう。
 まぁ『仮面ライダーBLACK』(87年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20001015p2)のゴルゴム怪人みたいに、人語をしゃべらず奇声・獣声のみを発するIQが低くて人語もしゃべらないようなキャラ付けの敵怪人たちであれば――それはそれでアリにしろ――、敵怪人同士の売り言葉に買い言葉(笑)の会話劇によるドラマの構築はムズカしいのであろうけど。


 個人的に特に印象が深くて推してみたい2大怪人コンビは、以下の2例である――『ライダー』マニア間での世間一般的な評価でも同じやもしれないけれども(汗)――。


1.ベテラン脚本家でもある本作のメインライター・伊上勝(いがみ・まさる)脚本による7号ライダー・仮面ライダーストロンガー客演編である、#20「2人の仮面ライダー もう1人はだれだ?」~#21「ストロンガー登場 2人ライダー対強敵2怪人」の前後編に登場した、インドのガンジス支部からやってきた力押しの怪人“サイダンプ”――尻尾メカの支えでスカイライダーのスカイキックをはじき返す!――と、九龍(クーロン)島支部からやってきた頭脳派・作戦派の怪人“クラゲロン”!


2.本作のサブライターでもある江連卓(えづれ・たかし)脚本による5号ライダー・仮面ライダーX客演編である、#31「走れX(エックス)ライダー! 筑波洋(つくば・ひろし)よ死ぬな!!」~#32「ありがとう神敬介(じん・けいすけ)! とどめは俺にまかせろ!!」の前後編に登場した、サハラ支部からやってきた正々堂々とした勝負を挑むヤリの名手・怪人“黄金ジャガー”と、卑怯な手を使ってでも相手を出し抜こうとするモンゴル支部の弓矢の名手・怪人“トリカブトロン”!


 この対比・対照も明瞭な2大怪人コンビである。


 とかくマンネリで記号的なキャラクターに陥(おちい)りがちな各話のゲスト敵怪人たちではあるけれども、前掲の怪人たちはそのキャラクター(性格)を見ているだけでもアキさせない。
 もちろんそれは、『仮面ライダーストロンガー』(75年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20201231/p1)におけるスマートな人間体型をした2大敵幹部・タイタンとジェネラルシャドウふたりのシリアスなやりとりほどには丁々発止の息詰まった緊迫感のあるようなものではない。
 しかし、適度にIQが低そうな異形(いぎょう)の怪人たちによるやりとりはドコかでコッケイさや可愛さも漂っていて……。それがまたこのテの子供向けのヒーロー番組の塩加減としてはイイのである(笑)。


 『スカイライダー』に登場するネオショッカー怪人たちについての他に特筆すべき事項は、主人公ライダーによる必殺のライダーキックならぬ“スカイキック”が効かない特異体質・特殊技能を持つ怪人が幾体も登場したことでもあるだろう。
 これによって、悪い意味での「予定調和」の蛇足・お約束・BGVタイムになりがちな「バトル」シーンにも、「コレからドーなる!?」「ドーいうワザや作戦で、ドーやって戦って、ドーやって倒すのか!?」という広い意味での一種の「ドラマ性」が……「ドラマ的興味」というモノも生じてくるのだ。
――もちろん最終的にはゲスト敵怪人を倒してみせなければ「メデタシ、メデタシ」で終わらないので、最後は「予定調和」に到達するかたちでも大いに結構ではある。しかし、相応のテンション・緊張感をハラんで帰結した「予定調和」であるのならばともかく、低次な次元で弛緩(しかん)・妥協してしまったような80年代スーパー戦隊シリーズ的なあまりに「予定調和」なルーティンにすぎるバトルではツマらないし退屈にもなってくる――


 何も「ドラマ性」といった場合に、それはゲストやメインヒロイン、あるいは彼女らの年下の児童の年齢の弟たちとの「人間ドラマ」、あるいは「恋愛ドラマ」「ホームドラマ」ばかりが「人間ドラマ」だということではないハズだ。「バトル」場面の中でも、あるいは人外の存在――ゲスト敵怪人や敵幹部――たちによっても、広義の「人間ドラマ」は成立しうるのだ。
 むしろ、神話やむかし話が、人外の存在をも含む「英雄」「超人」「化け物」たちによる「活劇」、つまりは「活の『劇』」であるのならば、「バトル」の中にも人間や人外の存在の内面にも存在するデリケートな「心理」の動きが、つまりはバトルの最中ではあってもお互いに対する技量や度量や胆力を心の中では計り合うワケである。それが広い意味での「ドラマ性」を醸していることを認めない御仁はいないのではあるまいか?
 生死をかけたキャラクターたちの内面の情動変化も含んだ「対立」・「葛藤」・「バトル」は、ある意味では「恋愛ドラマ」や「ホームドラマ」よりもよほど普遍的で根源的でもあり、人間一般・老若男女の情感の根っ子にも通じているとは云えまいか? そこに普遍的な「ドラマ性」がつゆほどもナイ! などとは誰にも決して云えないであろう。


 着ぐるみによる敵怪人同士の会話も、「演劇」の原点に未開人による「仮面劇」というものにも求めるのであれば、そしてまた仮面によって「表情」&「性格」の表現、あるいは仮面をかぶったことによって「神々」や「悪霊」といった人外の超常存在をも演じることができるのであれば、我々が視聴している特撮変身ヒーローvs怪人番組こそが、それら「演劇」の原初的な原点ともいえる「仮面劇」の精神を最も色濃く残した、しごく正統な正真正銘の末裔(まつえい)であるとも理論武装ができるのだ。


 「人間ドラマ」や「恋愛ドラマ」を筆者が否定しているワケではなくむしろスキでもある。しかし、「バトル」ものや「仮面劇」には「ドラマ」がナイとか、それは「ドラマ」ではナイというようなことを、あたかも「原理」「公理」のように発言することは的ハズれですらあると思う。「剣豪小説」や「戦記文学」「政治小説」には「ドラマ」などはナイ! などとドコかの御仁が云いだしたのならばそれは暴論である。
 たとえば、往年の特撮変身ヒーロー『人造人間キカイダー』(72年)にはあった「センチメンタリティー」やレギュラー姉弟による「ホームドラマ性」などにはたしかに欠けていたとしても、「キカイダー」の一種のリメイクとも目されてきた『超人機メタルダー』(87年)には「仮面劇」による着ぐるみのレギュラー・ゲストを問わない敵味方の着ぐるみ怪人たちによる「人間ドラマ」があったがごとく……。


 この『キカイダー』と『メタルダー』のちがいは優劣ではない。もし、「怪人ドラマ」よりも「人間ドラマ」や「恋愛ドラマ」の方により関心が向くというのであれば、それは「個人の好み」というべきモノであろう。もちろん偏向にも通じていく「好み」というモノはどうしても誰にでもある拭いがたいモノではあるけれども、自分の「好み」は意識的にカッコにくくって棚上げにして、ドチラか片方を一方的には否定はせずに、両者を努めて均等・公平に目配せしようと心掛けることこそが望ましい。
――ところで、『メタルダー』にも着ぐるみによる怪人ドラマだけでなく、ロボット主人公たるメタルダー自身に、実存的な懊悩のドラマがあったことを筆者が忘れているワケではないので、コレも念のため――。


先輩ライダーぞくぞく登場の前後編が連発! ~変身した姿のままで、声も異なる先輩ライダーたちをドー捉える!?(笑)


 さてさて、次はいよいよ『スカイライダー』中盤の目玉でもある、待望の先輩・仮面ライダーたちによる助っ人客演について語っていこう。
 先輩ライダー客演編のツルベ打ちについては、『スカイライダー』直撃のリアルタイム世代の子供であった者としても、とてもうれしくて非常にコーフンした! というキョーレツな印象が残ってもいる。
 しかし、もう当時すでに小学校高学年でありながら、ごくごく個人的には同年に放映されていた円谷プロ作品『ザ☆ウルトラマン』(79年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971117/p1)などと比較すると、実は細部についての記憶が少し……いやカナリごっそりとヌケ落ちていたことを再確認もした(笑)。
――余談だけど、70年代末期の小学生たちは、当時は舶来SF洋画、第3次怪獣ブームとしての日本特撮ブームや、SFアニメの大ブーム時代であったこともあってか、まだまだクラスの大勢が特撮変身ヒーロー番組を観ていた時代であったことも付け加えておこう――


 のちの『仮面ライダーBLACK RX』(88年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20001016/p1)のシリーズ終盤で客演した歴代ライダーたちについては、当然ながら諸般の都合で、彼らは仮面ライダーに変身したままの着ぐるみ姿のままであり、その声もオリジナルの役者さんとは異なっていた。そしてそのことで、当時もう成人年齢(汗)に達していた年長の『ライダー』マニアたちからよくヤリ玉にあげられていたものである。
――極私的なことを云わせてもらうと、筆者個人は当時の特撮マニアとしては物分かりがよすぎるタイプであったために(笑)、オトナの都合や玩具を販売したい都合で、それはもう仕方がナイことであろうと割り切れるようにもなっていた。年長のマニアたちが不満を抱いたとしても、世代的にもそのへんにはコダワリがないメインターゲットである子供たちは喜ぶであろうからOKであろう! それまで歴代『ライダー』とはつながりがない作品として始まった前作『BLACK』の続編であるハズの『RX』であったとしても、そのあたりの整合性は少々壊してもイイので(笑)、先輩ライダー客演についてはドンドンやればイイ! なぞと思っていたクチである。ただまぁ、当時は「視聴率は悪である!」「商業主義は悪である!」「玩具を売ることは悪である!」とのたまう素朴な特撮マニアたちが圧倒的大多数ではあったので、このテの意見を述懐しようものなら異物を見るような奇異の目や排除の目で見られたものではあったけど(汗)――。


 ならば、『スカイライダー』における、終止ライダーに変身したままの姿でありその声もオリジナルとは異なる先輩ライダー客演編に対して、年長マニアたちからクレームが付くことはなかったのか? と疑問に思う向きも当然にあるだろう。


 その事情は以下の通りなのである。すでに『宇宙船』誌(朝日ソノラマ)や今は亡き『B-CLUB』誌(バンダイ)といったマニア向けの書籍媒体や、特撮ジャンルの批評・感想系同人誌やファンサークルといったものが一般化しており、70年代変身ブームで産湯をつかった世代がその声を同士たちの間で増幅して可視化されやすくなっていたのが、80年代末期の『RX』の時代なのである。しかしそれを10年ほどさかのぼった『スカイライダー』の時代は、ようやっと『宇宙船』誌が創刊(80年)されたようなころなのだ。この時代のちがいというものは実に大なるものがある。


 しかも『スカイライダー』放映当時の『宇宙船』誌は、初期東宝特撮や初期ウルトラシリーズや50年代洋ものSF特撮がメインであったり、当時の特撮マニアの主流は世代的にも東映特撮を圧倒的に「下」に観て、『スカイライダー』なぞは観てはいない御仁が圧倒的な大多数であったのだ。よって、当然ながらに先輩ライダーたちの声がオリジナルとはちがう声優によるものであることにクレームをつけるような動きは、潜在的にはもう中高生の年齢に達しつつあった第1期ライダー世代たちにはあったのやもしれないけれども、公に表面化することはまだなかったのである。


 当時まだ小学生であった筆者の記憶に戻そう。
 『スカイライダー』シリーズのちょうど折り返し地点である、第3クール巻頭の#27「戦車と怪人二世部隊! 8人ライダー勢ぞろい」~#28「8人ライダー 友情の大特訓」前後編や、#52「洋の父が生きていた! 改造人間FX777(スリーセブン)とは?」~#54(最終回)「さらば筑波洋! 8人の勇士よ永遠に…」の最終章3部作などといった先輩ライダー総登場編が、歴代ライダーたちが変身したまんまの姿であり、変身前の人間姿の役者さんも登場せず、その声もオリジナルとはちがうことについては、もう小学校高学年であることからして当時から気付いてはいた。
 しかし「アレ?」と思いつつも、そこはまだまだしょせんはガキ・子供であったのであろう。訝(いぶか)しむ気持ちをはるかに上回る喜びを感じていたのが、当時の筆者にとっての心的事実であったのだ(笑)。


 とはいえ、今回の再視聴で、実はかの折り返し地点での「8人ライダー勢ぞろい」前後編の直近にあたる、第2クール中後盤の3編、


・#21「ストロンガー登場 2人ライダー対強敵2怪人」
・#23「怪人ムササビ兄弟と2人のライダー」(V3登場)
・#26「3人ライダー対ネオショッカーの学校要塞」(Xライダー&ライダーマン登場)


といったゲストライダー登場編も、変身したまんまで声もちがう(声優さんによる)先輩ライダー編だったのにはオドロいた!(笑)


 エーー!? そうだったっけー? 『スカイライダー』といえば、先輩ライダー勢ぞろい編はともかく個々の各ゲストライダー客演編は、記憶の中で歴代の『仮面ライダー』主演者ご本人がその声をアテているシリーズであったのだ……というかたちで記憶が美化されるかたちで改変されていたことに気付いた筆者であった(汗)。


 マニアであればご承知の通り、『スカイライダー』は第3クールのゲストライダーたちがぞくぞく登場する前後編の連発シリーズこそが、歴代ライダーを主演された役者さんご本人が出演するシリーズなのである。どうやら本放映当時のこの第3クールのキョーレツな記憶によって、その直前である第2クール中後盤でのライダーに変身した姿のままの着ぐるみのみ&声優さんがその声をアテていた歴代ライダー客演編の記憶を上書きしてしまっていたようだ(汗)。


 とは云うものの、それらのエピソード自体を視聴したことや、翌朝の小学校への登校班ではご近所の子供たちがそれら先輩ライダー客編編の話題で持ち切りになっていたことは鮮烈な記憶として残っている。しかし、登校班や教室で子供たちが「変身前の役者さんが登場しない! その声がちがう!」などと息巻いてクレームをつけていたという記憶はないのである。
――いやまぁ、2学年ほど上の当時もう中学生になっていたという本誌ライターいわく、先輩ライダーが変身時や活躍時にカブる効果音がオリジナルとは異なることに猛烈な不快感を抱いていたという声なども、後年になってからは聞いたけど(笑)――



 そういえば、筆者個人は幼少時のリアルタイム鑑賞や再放送時の鑑賞でも、『スカイライダー』放映開始(79年10月)を半年さかのぼる79年4月からの毎週土曜早朝6時からの再放送でも、初作『仮面ライダー』の初期13話分こと通称“旧1号ライダー”編の末期におけるライダー1号・本郷猛(ほんごう・たけし)を演じた藤岡弘の声が名声優・納屋六郎氏のアテレコに変わっていたことには気が付くことはなかったのであった(汗)。加えて、近所の子供たちや小学校の同級生たちがその声変わり(笑)を指摘している光景を見た記憶もないのだ。
 だから先輩ライダーの声をオリジナルの役者さんがアテないことをオールOKだとも云わないけれども、大丈夫。うまくやればガキんちょたちをダマせるし、あるいは気付かれてもトータルでそのお話が面白くありさえすれば許されるって!(笑)


 『スカイライダー』での初客演時の仮面ライダーストロンガーの声をアテていたのは、『仮面ライダー』初作終盤でも仮面ライダーのニセものたち(同型の改造人間)が一挙に6人も登場した際にはショッカーライダー1号を演じたこともある声優の池水通洋(いけみず・みちひろ)。ちなみに、『仮面ライダー』初作の#1と#3ほかでの変身後の“旧1号”の声をアテていたのも、その声質から池水通洋ではなかろうか?(ちがっていたらゴメンなさい) 氏は初作同様、本作『スカイライダー』でもあまたのゲスト怪人の声を担当していたのだけれども、この配役……。
 個人的には今となっては、池水通洋の声を聴いていると、小学生向け魔法少女マンガのTVアニメ化作品『姫ちゃんのリボン』(92年)における、主人公少女の中学校担任教師・ゴリ先生のご尊顔が浮上してきて困ってしまうのだが(笑)。


 ただし、この第2クールの着ぐるみのみでの先輩ライダー客演編における「唯一の例外」がある。#23「怪人ムササビ兄弟と2人のライダー」における3号ライダー・仮面ライダーV3の初客演がそれなのだ。このエピソードでは変身前の姿はお出ましにならずともV3=風見志郎(かざみ・しろう)こと宮内洋ご本人が声をアテられていて、気分はもうサイコー!(でもテロップにはなぜだかお名前が出ていない(汗)――


 しかし、そのようなライダーに変身したままの姿での再登場ではあっても当時、感動したのは筆者にとっての事実である。そして今また改めて観返していても……やっぱり感動してしまう(笑)。いや、感動してしまう前から、このエピソードには先輩ライダーがゲスト出演するゾ! とサブタイトルでわかっていると、当時も……そしてイイ歳をした今になっても、気もソゾロとなって「いつ出るのか!? いつ出るのか!?」とワクワクしてきて、それが甘味料となってエピソード自体も面白さのレベルを浮揚させているようでもあり、そしてついに先輩ライダーが登場してバトルをくりひろげるに至る段となると、「待ってました!」「玉屋!」とばかりに拍手喝采の気分!


 まぁ『スカイライダー』初の先輩ライダー客演編(ストロンガー登場編)でこそキチンと伏線やタメがあったうえでようやくストロンガーがバトルに参戦するワケだけれども、その直後の先輩ライダー客演2編に至ってはナンの伏線もナシにいきなしラストバトルでゲストライダーが登場してしまっている! という唐突さ・デタラメさではありますが……。あの「8人ライダー 友情の大特訓」の前後編でさえも、何の伏線もナシに前編のラストバトルで突如、全員が登場してしまうという恐ろしさ! 今コレをやったらウルさいマニアのお兄さんたちのクレームが殺到して……(笑)。


 しかし、それであっても個人的には面白い! この先輩ライダー登場前の「ワクワク」感と、先輩ライダー登場後の「待ってました!」感は消えないのである。本放映当時もそう感じたし、今でも変わらずそう思ってしまっている。好意的に見てあげれば、初の先輩ライダー・ストロンガー客演編自体が、のちの先輩ライダーぞくぞく客演編全体の伏線になっているのだとも理論武装ができなくはないのだし……(少々苦しい弁解だ・笑)。


 当時のジャンル作品群はビデオソフト化などは「夢のまた夢」の時代なのでJASRAC日本音楽著作権協会)への支払を考慮する必要がなかったからか、同じ作曲家や同じ録音スタジオで扱った旧作や他作品のBGMや音源を流用することが往々にしてあったのに、『ウルトラ』シリーズと比較すれば低予算の『ライダー』シリーズとしては意外なことに、それまでほとんど旧作の『ライダー』BGMを流用することなく新曲でまかなってきた『スカイライダー』。しかし、コレらのゲストライダー客演編では当該の先輩ライダー個々に合わせた旧作のバトルBGMをついに流用しだしたことで、音楽演出面でも雰囲気を大いに盛り上げる!


 ダメ押しで歴代ライダーの主演者ご本人による仮面ライダーへの変身シーンも忠実に再現されて――さすがに当時の効果音源は行方不明であったようだけど――、必殺ワザである各個各種のライダーキックまでをも見せられた日には……もう悶絶(笑)。
 2号ライダー・一文字隼人(いちもんじ・はやと)と7号ライダー・ストロンガー城茂(じょう・しげる)の変身ポーズを構える直前の、その一瞬のタメや手のひらの動きのワンポイントの絶妙・熟練を見てやってくださいョ! 
 そして、ストロンガーなんて初登場編での必殺ワザは、『ストロンガー』終盤で強化変身を果たしたチャージアップ・ストロンガーが放っていた超電子ドリルキックですョ! よりにもよって、あのインパクトのあるキック技を。さすがにパワーアップ形態であるツノが銀色のストロンガーの着ぐるみは残ってなかったようだけど……。でもイイのだ。うれしいのだ(笑)。



 #34からはさらにそこに、ロボットなのだか怪人なのだか、一見するとよくわからない第三勢力(?)の正義の味方……というよりも、コミックリリーフ・キャラクターである“がんがんじい”もカラんでくるようになる。2人ライダー+がんがんじいの正義の味方の3巨頭体制によるゴージャス感(笑)。
 マニアやマニア予備軍の少年たちにはマジメな朴念仁(ぼくねんじん)が多いけれども――筆者もドチラかといえばそちらの方だったけど(汗)――、筆者も足繁く子供向け映画『クレヨンしんちゃん』シリーズや女児向け映画『美少女戦士セーラームーン』シリーズに通った経験からすると(汗)、こんなに素朴で原始的でスラップスティックなギャグで大ウケするのか!? というくらいに、子供たちはスベったり転んだり鼻をつままれて息を止められたり……といった、往年のザ・ドリフターズhttps://katoku99.hatenablog.com/entry/20200419/p1)的なプリミティブなギャグが大スキなことも厳然たる事実なのである。ゆえに“がんがんじい”の存在も筆者は支持をするのである(笑)。


シリーズ中盤と最終回3部作には歴代ライダー全員が勢揃い! ゴージャス感&スケール感をも味あわせる理想的なシリーズ構成&ドラマ性!


 当時における全ライダー8人が登場するエピソードは、前述したシリーズ折り返し地点である第3クール巻頭の前後編と最終回3部作のみである。しかし、この取っておきの2編だけに留めたことで、通常編とも先輩ライダー個々人が登場する客演編ともまた異なる、別個で格上のスペシャル感を醸(かも)せてもいるのだ。


 前者においては、「特殊戦車」による砲撃で町がひとつ廃虚になる(!)という大スケールの描写で物語が開幕して、8人ライダーが集結しなければならないだけの大事件が起きたという描写もできている。
――と同時に、東映ヒーローものお得意のイイ意味での記号的で絵空事的な事件に留まることで、過度に陰惨な空気も漂ってはいない。そしてコレもまた結果論ではあるけれど、東映作品特有の低予算ゆえの安いフィルムの使用(?)によるザラついた画質もまた、この陰惨さを中和することにも貢献している(笑)――。


 後者においても、地球上の酸素すべてを破壊するという「酸素破壊爆弾」(!)による世界スケール規模での危機が描かれつつ、ついにその正体を現わした巨大宇宙怪獣の偉容を持ったネオショッカー大首領との闘いもつづられることで、8人ライダーが一致団結して戦わなければならない必然性も出せている。
――スカイライダーひとりでネオショッカー大首領を倒せてしまうのであれば、ネオショッカー大首領が弱く見えてしまうことだろう(笑)――


 つまりは、8人ものライダーが登場することから、ヒーローたちによる弱いものイジメには見られないように(笑)、その活躍する舞台や宿敵たちにもそれ相応のスケールが与えられているのだ。そしてそれに応じて、最終回3部作のラストバトルはそれにふさわしい大スケール・大バトル・大団円をも実現することとなっていく!
 通常編のゲスト敵怪人に毛が生えた程度の強さしかなかったラスボスを戦隊巨大ロボがいつもの必殺剣(プラス・アルファ)程度で倒せてしまって「ラスボス、弱(よわ)!」と思わせてしまう弱点があった80年代『戦隊』シリーズのアクション演出とは異なる、長命シリーズ作品の最終展開にはふさわしい、というよりもそういう作品でもあるならば「かくあるべし!」でもあるストーリー展開でもあったのだ!


 先行シリーズ作品がすでに何作品も存在している「ご存じ」ものの長命シリーズで、かつての主人公キャラクターたちも登場させて、作品世界の奥行きをも拡げる。そしてもちろん、その最終回では番組の看板でもあるスカイライダー・筑波洋(つくば・ひろし)を立てる意味でも、そのプライベートドラマにスポットを当ててみせる。
 表層的には大スケール&大バトル。内面的には主人公自身のプライベートドラマ。その両者を同時に両立するかたちで描き出して、大団円を迎えさせた『スカイライダー』。変身ヒーローものとして、そして幾作もの先行シリーズ作品をかかえる長命のシリーズものとしての在り方・作劇・最終回の作り方は、むしろ教科書的にも正しかったとすら思うのだ。


 本作『スカイライダー』自体は『ライダー』マニア間での世評が高いとはとてもいえない。どころか、そもそも本格的に解題・批評されることすらマレである。しかしそれはマニアたちによる「批評」の方が遅れているのだ。「批評」の方が怠慢だったのである。『スカイライダー』という作品自体の完成度は非常に高いと私見する。



 ……ここで私事で恐縮だが、実は本稿は私的な実験を試みてみた。
 「脚本」や「ドラマ性」といったモノは、もちろん作品の「設計図」にして「根幹」だとはいえる。しかし、それらはある意味では、まだまだ基盤の上に乗っかる「ソフトウェア」にすぎない。
 「脚本」や「ドラマ性」といったモノよりも、はるかに基底にある「インフラストラクチャー」や「OS(オペレーティング・システム)」の次元。つまりは、「ドラマ性」や「テーマ性」を超えた、あるいは「ドラマ性」や「テーマ性」よりも先んじて前から存在している、その作品自体を根底から規定してくる「空気感」「気分」「テイスト」にも通じていく「ハードウェア」「番組の様式」「基本フォーマット」といったモノ。
 あるいは、東映の撮影現場に特有のセットや造形のセンスといったモノ、荒っぽさやホコリっぽさをも含めた、低予算ゆえの適度な「チープさ」や「空気感」や「肌ざわり」。そんなファクターの方こそを剔抉(てっけつ)、エグり出してみせようと心掛けてみた――それが成功したかはともかくとして――。よって、あえて個別具体の各話のエピソードや人間ドラマ面・脚本面にはあまりふれてはこなかった。


 しかし、筆者が『スカイライダー』のそういった面に気付いていなかったワケではむろんない。やはり隠れた傑作・名作でもある最終回3部作については、カルくでもふれておかざるをえないだろう。


 この最終回3部作は、まずは7号ライダー・ストロンガーこと城茂が、次いで2号ライダー・一文字隼人が、スカイライダー・筑波洋の脇を補佐するかたちで徐々に参戦して、最後には歴代先輩ライダーたち全員も救援に駆け付けてくるという、最終回3部作にこそふさわしい小出しのスケール拡大感と並行して、「この先、ドーなる!?」「ドーなっていくのだ!?」という「ヒキ」に次ぐ「ヒキ」のドラマともなっていく。


 『スカイライダー』後半ではメインライターに昇格して、その後の1980年代においては大映テレビ製作の一般層向けのTVドラマ『不良少女とよばれて』(84年)・『ヤヌスの鏡』(85年)・『このこ誰の子?』(86年)等々のあまたの作品でも大ヒット作を連発していくこととなる江連卓(えづれ・たかし)先生お得意の、因習にまみれた家vs家! ……というようなストーリー展開にはならなかったけれども、江連先生ファンにはおなじみの「血縁ネタ」がココでも展開されている。
 我らがスカイライダーこと主人公・筑波洋に、究極の「選択」と「決断」を迫っていくというそのドラマ。それは“家族の生命の重視”と“ネオショッカーの悪事には加担しない正義”、そのドチラを選ぶのか!? といったドラマでもある。この究極的なイジワルにすぎる天秤! 彼ははたしてそのドチラを採るのやいなや!?


――余談だけれども、個人的には江連先生には『仮面ライダーBLACK』にも参加してもらって、ライダーBLACKことブラックサン=南光太郎(みなみ・こうたろう)の南家と、彼の親友にして悪のライダー・シャドームーン・秋月信彦(あきづき・のぶひこ)の秋月家、この両家の両親の代から続いている愛憎と暗黒結社ゴルゴムにも陰に通じているダークサイドにあふれる因縁関係をもカラめたストーリーをも延々と描いてほしかったものだった(笑)――


 そしてこの最終回3部作では、他の江連脚本回の『スカイライダー』でも見られる「幻想的」「民話的」「呪術的」「英雄神話的」なテイストに、「いけにえ」「おんぶ」「月の光」などの要素もカラめつつ、筑波洋個人に迫ってくる究極の「選択」と「決断」のドラマだけではなく、彼の父の顛末はドーであったのか!? そして父の「選択」と「決断」もドーであったのか!? という「公」と「私」の高邁(こうまい)にして究極の「選択」と「決断」にも迫っていく深遠なる展開ともなっていく。未見の方々にはぜひともご視聴をお勧めしたいところだ。


――またまた余談だけど、氏の「民話的」かつ「英雄神話的」なテイストは、氏が本格的にメインライターを務めた次作『仮面ライダースーパー1(ワン)』(80年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20210822/p1)での、敵怪人カイザーグロウが全身に血をあびて不死身になるものの、しかしてその弱点は!? ……という、古中世のゲルマン神話ニーベルンゲンの歌』の英雄・ジークフリートからのシャレた引用にて頂点に達している――


『スカイライダー』のアクション・BGM・テンポの良さ! 同時代のヒーローものとの比較!


 とはいえ、こう書いてくると、『スカイライダー』にはシリーズ中盤の先輩ライダー客演編以降や最終回3部作にしか「見どころ」がなかったのか!? と捉えられても仕方がなくなってきそうではある……。しかし、さにあらず! シリーズ前半だってなかなかに面白いのである!


 今回、本作を観返してみて特に印象に残ったことは、以下のようなことどもである。泥クサい空気がまだまだ残っていた70年代初頭の時代から、70年代も末期に至って当時なりにアカぬけてきた世の中に――まぁこーいう感慨も、世代世代で相対的なものだとも思いはするけれど――、4年ぶりの再登場を果たした『仮面ライダー』の、その当時までの東映ヒーローもののの蓄積を活かしまくった、そしてその時代なりにアップ・トゥ・デートもされまくった諸要素のキラめきのことである。


 テンポのよい演出! お話運びの軽妙さ!(イヤ、基本的にははそれまでの『ライダー』シリーズと同じだけれども・笑) 何よりもスカイライダーのスマートなプロポーション&カッコよさ!
 洗練された、かつスピーディーな殺陣(たて=アクション)の見事さ! そして適度なカット割りの細かさによるアクション演出のキレのよさ!
 ジャンプ・空中回転といったトランポリン・アクションも実に伸び伸びとしており爽快ですらある!


 長じてしまうと忘れられがちであり、あるいはドラマ&テーマ至上主義の観点からは黙殺されがちでもあるけれど、ある意味この「身体」を自由自在に動かす「万能性」の「快楽」への願望をかきたてるファクターこそが、『仮面ライダー』にかぎらない特撮変身ヒーローものの最大の眼目であり魅力でもあるのではなかろうか!? 筆者なども運動オンチのクセに、幼少時は自分が仮面ライダーのように空高くジャンプして空中で1回転してみせるような「夢」を就寝時にはよく見たものである(笑)。


 その伝で、70年代前半の第2期ウルトラシリーズウルトラマンたちが仮面ライダーたちの影響でジャンプして空中で1回転をしたり、側転やバック転をするようなアクション演出を処置されたのも正しいとすら思うのだ!
 後年、コレらのアクションは『ウルトラマン』作品としてはムダである、邪道であるとして否定する第1世代オタクによる論法が普及してしまうのだが、筆者は70年代前半の変身ブームや70年代末期の第3次怪獣ブームのリアルタイマーとして、筆者も含む同世代の子供たちや同級生たちがそれらにワクワクとして憧憬を覚えたり、「ごっこ遊び」で側転をマネしていたことを目撃していた立場から、ウルトラマンの空中回転や側転を否定する論法については断固として拒否をする。ウルトラマンたちはその超能力で大空を雄飛できるにしても、純粋にその肉体的な脚力だけでも相応の高空までジャンプができるのだと! その自由落下の衝撃をもってキックの威力にもするのだと!


 そして、そうしたコレらのアクションを、当時出始めの電子楽器でもあるシンセイザーも使用して、『仮面ライダー』らしからぬ(しかしてやっぱり『ライダー』の楽曲ではあるけれども)アップテンポで軽快かつ力強くて少々シャレめかしたBGMがいやおうもなく盛り上げていく! 今回の再視聴で、初期編~シリーズ前半も含めて『スカイライダー』にハマってしまった筆者は、アタマの中でスカイライダー登場時&アクション時のBGMがエンドレスで鳴り響いてもいる(笑)。


 とにかく展開に淀みがない、モタツキがない、ダレがない、アキさせない、悪い意味での引っかかりはない。ひたすらにナメらかな展開だと感じるのだ。といって、80年代前半の『戦隊』シリーズや『宇宙刑事』シリーズで奇形的に発達して、80年代いっぱいまでその痕跡を残す、もう目まぐるしくて眼がチカチカして、何をやっているのかよく分からない、タメが全然感じられない、秒単位の細かいカット割りによるJAC(ジャパン・アクション・クラブ)的なアクション演出……といった域にまではまだまだ達してはいない、当時の大野剣友会による『スカイライダー』のアクション演出。コレくらいの塩梅がちょうどイイのではなかろうか!?
 ただまぁ80年代前半という時代は、筆者が生意気ざかりの子供番組卒業期だった時期でもあるので、その時期の特撮変身ヒーロー作品に対して過剰にバイアス(偏見)かかっている可能性があることも自覚はしているので、ご不興に思われた方々には伏してお詫びをしておきたい(汗)。


 もちろん「淀みのなさ」というのは、コレはテンポのよい演出だけに起因するものではないだろう。それはやっぱり「ドラマ」と「バトル」が分離せずに、付かず離れずでギリギリ融合しているからでもあるからだろう。敵怪人との攻防と、それを主軸に付随して発生するゲストや民間人レギュラー・おやっさん&ヒロインたちのリアクション&交流劇などもイイ塩梅ではある。


 コレには異論もあろうし、例示する作品群をスキな方々にはホントウに申し訳がないけれども、同時期のスーパー戦隊『バトルフィーバーJ』(79年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20120130/p1)などに、個人的にはドコかで淀みを感じてスカッとした感じを抱けずに、どころか不満感を抱いていたのは、今になって自己分析をしてみれば「ドラマ」と「バトル」のあからさまな分断感であったと思うのだ。
 もちろん『バトJ』は『バトJ』で、「ヒーロー性」と小洒落た「キャラクター性」を併せ持つ――でもその両者は少々乖離もしている?――優れた作品ではあったと、今になっては捉えてはいる。しかし、子供番組卒業期に達していた筆者は、同時期の本作『スカイライダー』や『ザ☆ウルトラマン』や『メガロマン』(すべて79年)などのヒーローものと比すると、その過剰にルーティン化というよりもパターン化されてしまった各話のラストバトル、つまりは必殺ワザにバリエーションがなくなってほぼ一種類に固定されてしまった「様式美」的な「ヒーロー性」に非常なる抵抗感を覚えていたものだ。


 かといって、東映特撮も視聴する当時のごくごく一部のスレた年長特撮マニアたちが『バトJ』に注目していたポイントにはまだ感度もなかった。すなわち、70年代前中盤に流行したフォークソングやニューミュージックが象徴するような落ち着いたダウナーな優しい若者像ではなく、80年代中盤以降のイッキ飲み強制ノリ笑いの狂騒・狂躁的な若者像ともまた異なる、その中間の一瞬である80年前後のカルみはあるけど落ち着きもある若者像の体現でもあったバトルフィーバー隊5人の青年たちの「小洒落たC調キャラ」描写の良さである。コレらの若者描写の魅力をまだ理解をすることができないでいる、子供と青年の狭間にいる成長段階にあったのが当時の筆者の立場でもある。


 80年代中盤以降の『戦隊』は、ゲスト敵怪人や前線に出張ってきたレギュラー敵幹部とのセリフの応酬が戦闘中にも導入されたことで、敵味方の登場人物たちの「感情ドラマ」や「人間ドラマ」が「バトル」の最中でも継続するように進化していく。
 しかし、それ以前の草創期の『戦隊』においては、「バトル」がはじまるとそこで「ドラマ」はブチンと断ち切られて終わってしまっていたのである(汗)。近年でも初期『戦隊』を担当してきた上原正三センセイがひさしぶりに登板された映画『東映スーパーヒーローフェア』(95年)中の1本、劇場版『超力戦隊オーレンジャー』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20110926/p1)における、ラストバトルの直前におけるゲスト少女の絶叫で「人間ドラマ」がそこで実質的には終了してしまって、あとの「バトル」はいかにも付け足し……といったストーリー展開がよいサンプルともなるだろう。
 そう、『スカイライダー』における「テンポのよさ」&「淀みのなさ」とは、「ドラマ」と「バトル」が見事に融合していたとまでは云わないけれども、80年代前半における東映特撮でのJACのアクション演出の進歩とはウラハラの、埼玉県寄居のアリゾナ州(笑)の採石場にラストバトルのロケ地が固定されたことにも象徴されるような、「ドラマ」と「バトル」のもろもろの分断感が、少なくともこの時代にはまだ付かず離れずの関係に留まっていたことにも多大な一因があったと私見するのだ。


 とはいえ、『スカイライダー』初期編で個人的には唯一イヤだと思ったこともある。それは原点回帰の目論見からか『仮面ライダー』初作の「旧1号編」にならって、ゲスト敵怪人がライダーキックでヤラれると爆発せずにアブクになってブクブクと消えてしまう描写のことである。……敵怪人のその最期(さいご)は盛大なるガソリン火炎爆発の方が絶対にカタルシスがあるって!(笑)
 またまた私事で恐縮だけど、幼少期のころには頻繁にあった『仮面ライダー』初作の平日夕方の再放送でひさしぶりに「旧1号編」を観たときには、怪人がヤラれても爆発しないでアワとなって消滅していくことに「アレ? 爆発しないじゃん……」と物足りなさを感じたものであった。
 同じことは第3期『ライダー』シリーズの第1作目である『仮面ライダーBLACK』にもいえる。「旧1号編」にならったとおぼしき、アブクにはならないけど爆発したと思ったら瞬時にフィルムが逆回転をはじめてショボショボッとなって爆発が消えてしまうという映像表現についてはもう……。観ていても息を吸い込んだらそこで吐き出せずに止まってしまって窒息してしまうような(笑)、爽快感・開放感とは正反対の感慨を覚えてしまうのだ。……ナンでもカンでも原点回帰をすればイイってなものではないのだゾ!


強化スカイライダー登場! ダークグリーンからライトグリーンの体色への変化をドー見る!?


 本来はイの一番に語るべきことであったかもしれないけど、スカイライダーというヒーローそれ自体の見てくれ・手ざわりについてもやはり一筆したためておこう。


 のちのちあまたの新たなる仮面ライダーたちが登場したことで、西暦2000年の時点では人数的にも時代的にもちょうど折り返し地点的なポジションに存在するために、今では少しジミめな印象もしてしまうスカイライダー。
 しかし今回、ビデオで改めて全話を観返してみて感じたことは、その立ち居姿が実にシンプル・スマート・シャープであったことである。足も細くて長くて小顔で、しかも流麗かつハンサムな顔つきである。色は濃ゆいダークグリーンといいつつも、映像本編中ではフィルムの若干(じゃっかん)の退色ゆえか、曇天シーンがそれに拍車をかけるのか(笑)、ほとんど黒にも近しいグリーンの色彩にも見えてしまう……。でもそれがまた彼のシルエットに引き締まった印象を与えていて超絶カッコいい!!


 ご存じの通り、スカイライダーは中盤のクライマックスである「8人ライダー 友情の大特訓」回で、先輩7人ライダーたちによる猛特訓を受けてパワーアップを遂げている。仮面ライダーストロンガーの得意ワザ・電ショック(!)やら何やらをスカイライダーのボディーに叩き込まれた果てに、7人ライダーのエネルギーが注ぎこまれると……。あら不思議、スカイライダーは装いも新たな、色もライトグリーンの新生・強化スカイライダーとして生まれ変わってしまうのだ!
――超古代文明の呪術出自のアマゾンライダーや、神近き意志を持つ玉石・キングストーンと太陽エネルギーの神秘のパワー由来のライダーRXのような超自然的なライダーならばともかく、純然たる物理的な機械や科学技術による改造人間がそんなことで体色が変わるのはオカシいけれども、細かいことは気にするな(笑)――


 コレがまたドーだったか? って云うと……。要はカラーリングが明彩色にシフトしただけなので大差はありません(爆)。変身時の掛け声がただの「変身!」から「スカイ! 変身!」にマイナーチェンジをするのは、その数話後のV3客演回からというあたりも、整合性・同期が取れていない。この時代の特撮作品のラフな製作体制やシリーズ構成も偲ばれる(笑)。


 ただ、このスカイライダーのカラーリングの変化はオトナの目線、もとい中高生以上のマニア目線で見てしまうと、おそらくは少しだけカッコ悪くなってしまったようにも写ってしまうやもしれない――もちろん細部に異常にこだわったり、こだわるでもなく細部の相違に気付いてしまうような我々マニア人種たちとは異なる、フツーに健全に育った真っ当なオトナたちであれば、そんなにマニアックでトリビアル(瑣末)な差異には逆に気が付かないとも思うけど――。しかし、そこらへんはもう高学年とはいえまだ小学生の少年。当時の筆者はライトグリーンの強化スカイライダーの方を、そして何よりもとてもキレイなライトグリーン(というよりかは黄緑)のカラーリングの方を大変カッコいいと思っていたのではある(笑)。


 ただしこの時期の子供の成長スピードもまたとても速い。その第一印象のあとの1~2ヶ月後になるともう、そろそろ日本人的な“わび・さび”のシブ好み的な感覚もわかってきたようだ。強化スカイライダーのカラーリングに対する見解に若干のブレ・揺り返しも生じていたようで、「アレ? ひょっとしてひょっとするとひょっとしなくても、前のスカイライダーの方がカッコよかったかもナ~」などと迷いはじめた記憶もまた残っている。そういえば、急に日本茶がオイシイと思いはじめたのもこのころであった(汗)。……付け加えておくと、クラスメートにはすでに旧スカイライダーの方がカッコよかったと主張していたマセてたガキもいたものだ。


 などと、ココまで散々にもっともらしいことを云いながらも、煩雑になるので避けていたけど、実は筆者個人はスカイライダーが8人ライダー大特訓の回でカラーリングが変わったことに当時は気が付かなかったくらいのヤツではあった――もちろんその数話後には気が付くことになるのだが――。求められてもいないのに自己弁護をさせてもらえば、おそらく8人ライダー大特訓回は、天候の悪い曇天下で撮影した回であったので、映像的にその体色の変化がわかりにくかったのだとも分析する(笑)。


 今では特撮マニア間ではドチラかといえば、旧スカイライダーの地味シブな体色の方が好みだとのたまう御仁の方が多そうではある。しかし、スレすぎて1回転してしまった今ならば自信を持って云える。もちろん全員ではないけれども、たいていの子供たちにとっては、ライトグリーンの強化スカイライダーの体色の方がアピールするハズであると!
 それは自身の記憶の古層を丹念にたどってみても云えることである。幼児のころの感覚では、地味シブなライダー“旧1号”よりもシャープでライトでメタリックなマスクになってボディーに白いストレートラインも入った“新1号”の方がたいていの子供たちならばスキであったハズであると! ジミよりも若干ハデ! あるいは赤・青・黄などの原色!(黒色も含む!) こういった子供たちの耳目を引き付ける要素もまた、良くも悪くも子供向け変身ヒーローものの真髄・エッセンスなのであろう。


 ……などと、10年前ならばまだまだ「旧1号至上主義」的な風潮が根強くあったけど、最近ではそーでもなく「旧1号至上主義」の相対化も進んできて、シリアス・リアル・ドラマ性至上主義の一辺倒から、変身ベルトや仮面ライダースナック、ライダー自転車等々の子供心理・子供文化にも密着した児童間での大人気ヒーローとしての再評価の視点も確実に普及してきている今であれば、あえてキバって子供ウケの重要性を主張してみせる必要もなかったか?(笑)


「幼児」と「児童」の感性の違い! それによる世代ごとで異なる作品評価! そしてそのループ!(歴史の愚行は繰り返される・笑)


 もちろん、この問題はシロ・クロではバッサリとは割り切れない。「幼児」たちが喜ぶ要素を気恥ずかしく思って、子供番組卒業期の「児童」たちが背伸びをしてみたくなるという、同じ「子供」というネーミングの存在ではあっても、相反するその両者がグラデーションのかたちで連続しているビミョーな問題がハラまれていることも、筆者個人は認識はしている。
 だから、「子供向け」を過度に主張することで、子供番組卒業期の「児童」たちを切り捨てにしてしまうマイナス面にも目を向けざるをえない。成人した今から思うに、成長発達速度の速い子供時代のことだから、小学校中高学年にもなれば、チャチいものやチャラいものがクダラナくて幼稚に見えてしまって、それが子供番組卒業の後押しをしてしまうという心理もたしかにあるのだ。
 ジミよりもハデ。暗褐色よりも原色。基本はコレなのだが、ヒーロー番組卒業期の「児童」を卒業させずに、むしろ彼らこそをゲットするためには、このサジ加減がまたムズカしい。最終的には物心が付く原体験時期の「幼児」と子供番組卒業期に足を一歩踏みかけた「児童」の両者を同時に満足させることは至難のワザではあるけれども、そこをアキラめずに両手に長天秤をもって慎重にソロリソロリと試すすがめつ綱渡りをするべきだ! といったところが辛うじての暫定解ではあるのだろう。


 たとえば、筆者にかぎれば『仮面ライダーアマゾン』(74年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20141101/p1)がよいテキストになる。
 まだ幼児の段階で同作に遭遇したとき、異色な見てくれ・風貌という以上に、そのシリーズ初期編においてはアマゾンライダーが発展途上という設定ゆえにか必殺ワザが明確ではなく、敵のゲスト怪人――アマゾンでは「獣人」と呼称――にトドメを刺すことができなくて、敗退したゲスト敵怪人が逃げ帰った先のアジトで敵首領に処刑されるというストーリー展開には物足りなさを、と同時に主役ヒーロー・アマゾンライダーにはヒーローに不可欠な「強さ」の欠如を感じたのであった(汗)。
――ただし公平を期するために付け加えておけば、新興住宅地のご近所の子供共同体の中で、数学年歳上のお兄さんは『アマゾン』のこのストーリー展開をスゴい! と主張していたことも濃厚に記憶はしている(まぁその子はマニア予備軍のお兄さんにすぎなくて、その世代の平均値とはいえない可能性もあるけれど・笑)――


 『アマゾン』に限定するのはフェアではないので、他作品にもある同様の事例も紹介しておこう。共に特撮巨大変身ヒーローである『ウルトラマンレオ』(74年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20090405/p1)の#1と『ファイヤーマン』(73年)の#1である。コレらの作品は変身ヒーローものの乱造期の製作でもあったから、類似作品との差別化を図るためでもあったのだろう、#1からして前後編の形式を取ったのだが、#1では爽快に敵怪獣を倒すことなく主役ヒーローがピンチに陥(おちい)ったところで「次回につづく」となってしまう。それまでにそのヒーローの強さが存分に描かれてきた果てのヒーロー大ピンチであれば、そのような描写も効果的ではあるものの、序盤からピンチに陥ってしまってはそのヒーローが頼もしくは見えないのである(汗)。よって、コレらのヒーローたちもまた『アマゾン』初期編にも通じる感慨を抱いたものであったのだ。
 時代はグッと下る。東映メタルヒーロー超人機メタルダー』もまた同様なのである。児童の子供向けヒーロー番組の卒業時期が早まって「幼児」視聴者の比率が増大した80年代後半において、当時としてはドラマ性は高かった『メタルダー』が視聴率的に苦戦したのも、ひとえに#1ラストでメタルダーがシリーズを通じた宿敵となる幹部怪人・クールギンに負けてしまったゆえだろう!
――『メタルダー』の時期にはもうイイ歳の青年特撮マニアの年齢に達していた筆者は、当時の特撮マニアの圧倒的大多数とも同様、このドラマチックな#1にはもちろん猛烈な感動&衝撃を覚えたクチである(笑)。しかし、同時にコレは幼児にはウケないだろうな……とも考えていたことは付言をしておきたい――


 『アマゾン』がキライだったというのでは決してない。むしろその特異なキャラクターはスキでもあった。けれども、それは幼児の筆者にとっては無条件で頼りにしてアテになる強いヒーロー像ではなかったようで、そこに一片の物足りなさを感じていたのは否めない。そんな幼児であった筆者にとっては、『アマゾン』の次作である『仮面ライダーストロンガー』の登場は、フツーの正統派の「仮面ライダー」に戻ったという感覚はあったのだ――もちろん幼児なので、“正統派”なぞというボキャブラリーは当時は知らないけれども――。


 しかし、それもまた世代によりけりなのである。そしてまた、世代以上に個人差の方もデカかったりもするのである。筆者にとっては正統派に戻ったように見えた『ストロンガー』も、当時すでに小学校高学年で子供番組卒業期に達していたという特撮マニアのひとりが云うには、ストロンガーのアメフト・ラグビー調のブ厚くてたくましい胸板ボディーに対して、ゴテゴテとした異色のイロモノ的な仮面ライダー像を感じたのだともいう。


 オトナになってからの要素要素に仕分けしての理性的な認識をあえてせずに、たいていの子供たちがそうであるようにヒーローのルックスと作劇・作風・設定を未分化のままでザックリと捉えた場合に、『ストロンガー』とは「正統派」だったのか? 「異色作」だったのか? それが問題だ(笑)。……もちろん「正統派」と「異色作」、その両面を同時に兼ね備えていた! というのが、真の意味での正解ではあるだろう。


 実はこのようなその作品に出会う年齢のちがいによっても生じる齟齬というモノは、筆者よりも年上の特撮マニアたちとの見解の相違で、あるいは筆者よりも年下の特撮マニアたちとの見解の相違で、その素材を変えるかたちで延々と繰り返して再現されていることに気付くこともある。自分にとっては、『スカイライダー』の次作である『仮面ライダースーパー1』がそれなのだ。


 必殺ワザに定番のライダーキックならぬレーザー剣を使って、自動車を乗りまわして3段変身まで遂げてしまう異色の仮面ライダーであリ、年長マニア間では非難轟々であった『ライダーRX』を大肯定している筆者(悪いか!?・笑)がこんなことを云うのは明らかな矛盾となることを、コレから述べさせていただこう。
 筆者はこの9号ライダー・スーパー1が従来のライダーと比すればあまりにもメカニカルな存在であり――今見ると旧時代的なメカにしか見えないけれども(汗)――、その腕からは「火炎」や「冷凍ガス」や「レーザー光線」までをも発射できてしまう「ファイブ・ハンド」なる装備を持っていたあたりで、対するゲスト敵怪人に対してその能力が過剰で重武装で強すぎてヒキョーに思えて、「仮面ライダーとしては邪道である! 許せない!」と思ったものであったのだ(笑)


 筆者よりも年下の世代の特撮マニアたちが『スーパー1』を愛しており、彼らがその少年期の感慨をキッチリと特撮批評感想系の同人誌や特撮マニアたちの会合などで言語化・成文化できる年齢となった90年代前半に至って、「メカニカルなライダーの先例である『仮面ライダーX』の延長線的な存在として『スーパー1』をウケとめていた」などという発言をナマの声や誌面で見聞したときに、もちろん筆者の『スーパー1』放映当時の反発・感慨ははじめて相対化されたのではあるのだが……。


 余談どころか煩雑になるけど、筆者個人のこの感慨はまだまだ繰り返されていく。ふれたらアッという間に焼けこげて斬り落とされそうな、圧倒的に強力でキョーアク(笑)な超近代的ハイテク兵器でもある超高熱レーザー剣(レーザーブレード)なぞというモノを正義の味方は振り回しているのに、対する悪のゲスト怪人たちは旧石器時代のようなヤリやオノで戦っている――絶対ェ勝てねーョ!(笑)――『宇宙刑事ギャバン』(82年)の登場でそれは頂点に達するのだ。
――あくまでも子供番組卒業期のクソ生意気な筆者が一時的にそう思ったというだけのことであって、今でもそのように思っているワケではないのは念のため――


 三度、歴史はくりかえす。今度は『宇宙刑事』世代のその年下の特撮マニアたちが、その約10年後の同枠であるメタルヒーローレスキューポリスシリーズに対して、「最近のヒーローは武装過剰でその“強さ”がイコール“武器の強さ”になっている!」なぞという、さももっともらしい理論武装で当時の現役作品に対する批判を繰り広げるようになったのだ!


 ……玩具の売上がこのテの特撮変身ヒーローものの主要な版権収入なのだから、もう特撮マニアたちは割り切ってイイ加減にしろ!(笑)


 エッ!? 仮面ライダースーパー1の「ファイブ・ハンド」に抵抗・反発を覚えたのならば、それ以上に仮面ライダーとしては異色な、スカイライダーの名前の由来でもある「重力低減装置」による「セイリング・ジャンプ」ことスカイライダーの空中浮揚・飛行能力についても反発をしないとスジが通らないってか!?
 ……そこらへんは、あの当時の年齢の子供の成長速度の速さゆえか、『スカイライダー』に初遭遇時にはまだまだ筆者も精神年齢が幼くてスナオでもあったようで、中高生以上の特撮マニアたちのような近代的自我(笑)は芽生えていなかったようである。少々引っかかりながらも「こんなの仮面ライダーじゃないやい!」なぞというような反発は抱かずに、スンナリとウケとめていたのでありました(笑)。


特撮マニア間における『スカイライダー』の立ち位置。マニア評論におけるエアポケット!


 と、こう書いてくると、「オマエは純然たる『ライダー』第1期世代ではないから、空を飛べるスカイライダーを抵抗なくウケとめたのだろう!?」というツッコミを入れられそうではある。
 それはそうかもしれない。『スカイライダー』当時にすでに中高生の年齢に達していた第1期ライダー世代たちは、第2期ライダーである『スカイライダー』や『スーパー1』当時はもう年齢的にもコレらの作品を観てはいない。それらの作品が放映された数年後にようやく特撮ジャンルに帰ってきてオタクであることに居直ることができたといったあたりが、この当時の最大公約数的な第1期ライダー世代の特撮マニアたちの在り方ではあったのだ。よって、彼らの世代が『スカイライダー』や『スーパー1』には思い入れがないのは筆者も承知をするところではある。


 しかし、ココまででも言及してきたように、筆者個人は70年代前半の第1期『ライダー』シリーズが幼児期の原体験でもあるけれども、70年代後半に再度やってきた第3次怪獣ブーム(=第3期『ウルトラ』シリーズ)や第2期『ライダー』シリーズの時代にも、まだ小学生であったという世代になるのだ(歳がバレるなぁ・汗)。つまり、この双方の2大ブームに対してアイデンティファイをしているのである。
 よって、「ライダー評論」に関して云えば、筆者よりも少々年長の特撮マニアたちが、個人的な感慨として語るのならばともかく、あたかも最終評価が確定してしまった一般論であるかのように、第1期『ライダー』と第2期『ライダー』の関係を「切断」して、クオリティ的にも「上下」の関係として断定的に語る論調には不快の念を覚えている。


 政治権力ではない市井(しせい)の一個人の何気ない発言やアマチュア評論ではあっても、それは時に自分個人の思惑(おもわく)を超えて、小権力(スモールパワー)として機能して、異なる意見を持つ人間たちに対する抑圧、あるいは抑圧とまでは云わなくても不快感、他人を少々傷つける可能性を含むものとして発揮されることもあるワケで、無罪・無垢(むく)では決していられない原罪性を常にかかえたものである。
 もちろん自身の意見を披露することを自粛しろ! などという「言論の自由」に反することなどは主張しない。しかし、それは自身とは異なる意見の持ち主の「人格の否定」に陥ってはならない。そして自身とは異なる意見については「同意」はせずとも「尊重」はすべきなのである。いわんや「発表の機会」を奪うべきでもない。論敵に対して「発言の封鎖」や「退場」を求めるような攻撃などはもっての他である。
 欠席裁判をも含む仮想敵や論争相手に対して、「反体制」や「反権力」や「下からの抵抗・革命」だからという、ある種の「絶対正義」に自身をなぞらえる大義名分を確保さえできれば、いかに品性下劣な言辞を投げかけても構わない、自身にはその権利があるのだ! ということには絶対にならない。仮に相手の方が先に口汚く攻撃を仕掛けてきたのだとしても、同じ土俵に降りての罵詈雑言による反論などを正当化してはならない。
 もちろん論敵に対して反論すること自体は構わない。しかしそれは、失礼・無礼・ヒステリック・品性下劣には陥らないところでのその一歩手前の寸止めで、エスプリの効いたイヤミや皮肉や当てこすり程度に留めるべきなのであり、その口調・論調・文体にも機智(ウィット)と諧謔(ユーモア)を交えるなどの「洗練」・「品位」・「節度」のミガきをかける必要はあるのだと――もちろん自戒も込めてである――。


 筆者個人は第1期『ライダー』シリーズ信者が云うような、第1期『ライダー』シリーズ最終作である『ストロンガー』で『仮面ライダー』シリーズが実質的な終焉を迎えたなぞとは思わない。たとえ第1期『ライダー』シリーズの製作スタッフやプロデューサーや原作漫画家が後続のシリーズ作品群にイイ思いをしていなかったとしてもである。そんな業界の権威を「錦の御旗(にしきのみはた)」としてロジック抜きでの自説を開陳するような御仁は、人治主義的・封建的・前近代的メンタリティの輩(やから)にすぎない。そして、そんなことで自説がゆらぐような輩も、近代的な合理人だとはとても云えない(笑)。


70年代末期におけるSF・特撮・アニメの大ブーム! ~『スカイライダー』の〈時代〉!


 ただし、『スカイライダー』と『スーパー1』を含む第2期『ライダー』シリーズが、ムーブメントとしては70年代前半の第1期『ライダー』シリーズに劣っていたのはたしかに事実である。それは認めねばならない。
 しかしコレは『スカイライダー』や『スーパー1』それ単独の作品としての出来に、その原因を求めるのは間違いである。作品の外にもその原因は求めるべきなのだ。つまりは、当時なりの児童文化における人気作品の多様化である。70年代末期当時は複数のブームが同時並行して多数併存していた百花繚乱・百家争鳴の時代となっており、ブーム全体としてのマスは変わらなくても、パイが分割されることで少々細かくはなっていたのだ。


 あの時代の小学生たちは、SF洋画『未知との遭遇』や『スター・ウォーズ』(77年・日本公開78年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200105/p1)や『スーパーマン』(78年・日本公開79年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20160911/p1)などの当時の最新にしてそれまでとは一線を画した特撮技術による大作SF映画の出現に甚深なるカルチャーショックを受けていた。
 そしてTVアニメ(74年)の総集編映画である『宇宙戦艦ヤマト』(77年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20101207/p1)の大ヒットにはじまった、『銀河鉄道999(スリーナイン)』(78年・79年に映画化)などの松本零士(まつもと・れいじ)作品を中心としたSFアニメブームの到来にも心酔していた。加えて、それらに連動・並行して、「SF」の文脈でそれまでのジャンル作品を捉え直して市民権を得ようする「怪獣映画」や「ヒーロー番組」の再評価もはじまった。


 当時の中高生や成人年齢にようやく達した、いわゆるオタク第1世代による非・SF作品をも含むTVアニメなどのジャンル作品全般の再評価運動――オタクという用語はまだないし、よって彼らは遠巻きにして奇異の目で見られることはあっても、同世代の若者のイケてる系から露骨な差別や侮蔑が表明されることはまだなかった時代でもある!――。
 そして、それらすべてに対する、子供向けではなく青年向けの本邦初であるマニア向けの単独ムックの出現や、アニメや特撮ジャンル限定の定期刊行物などの出現。


 コレらが渾然一体のワンセットとなった中のひとつとしての『スカイライダー』の受容でもあったのだ。個別の作品に対する評価というものは、ドーしても作品の外にある「時代の空気」に対しては言及しにくくなるものではある。よって、それは仕方がナイことでもあるのだが、この時代を体感していない世代もそろそろ多くなってきたので、「時代の空気」の生き証人として一筆したためておこう。


 最近ではマニア向けムックやビデオのリリース順から、第2期『ライダー』シリーズの『スカイライダー』や『スーパー1』よりも第3期『ライダー』シリーズである『BLACK』や『RX』の方が視聴率も高くて人気があったと捉えている若いマニアも多いようだが、それは誤解である。当時の今でいうオタク系ジャンルの大勃興期により、子供番組卒業期も遅延されて小学校高学年になってもこのテの作品を観ていた当時の小学生たちの間では、第2期『ライダー』シリーズは第3期『ライダー』シリーズとは比較にならないくらいの注目を集めていたとも私見する。


 第1期『ライダー』シリーズ(70年代前半)は、原点作品ゆえにマニア人気と一般人気が合致した幸福な作品群でもあった。
 第3期『ライダー』シリーズ(80年代後半)は、すでに年長マニアによる雑誌媒体での読者投稿欄や同人誌などのコミュニティーティーン以降の女性ファンも含む)が確立して以降の作品である。そしてマニアとしての自意識をもって鑑賞した、はじめての『ライダー』シリーズでもあり記憶も鮮明であるだろう。
 対するに第2期『ライダー』(80年前後)は、マニア世界の黎明期・勃興期であり、特撮マニア的には往年の東宝特撮・円谷作品の整理・再評価に関心がくだかれて、現行東映特撮に対しては注意が払われていなかった時代ゆえに、当時の現役児童を除けばその評価が低くなっている。というよりかは、そもそも語られなかったり鑑賞さえされていない。あるいは、当時の『ゴジラ』シリーズ(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190601/p1)や『ウルトラ』シリーズにも見られた「原点至上主義」でシリーズ後期作を「下」に見立てる論法が『ライダー』シリーズの批評にも援用されだしたことで、後年の人気や評価が低くなってしまったのだとも私見をするのだ。


歴代シリーズの歴史をタテ糸として肯定! ワールドワイドで広大な世界観もヨコ糸として提示! 『スカイライダー』にこそ日本特撮再興のカギがある!!


 「ご存じ」ものの域に達した有名・長命シリーズであるヒーロー作品が、完全に過去の作品と決別してリメイクされようが、シリーズの延長・続編として作られようが、正直ドチラでも面白ければイイとは個人的には考える――逆に云うなら、ドチラにしてもツマラナいものでは困ってしまうのだが(汗)――。
 そういう意味ではファナティック(狂信的)にドグマ(教条主義)的な原理・原則として、ある種のテーゼを主張をする気はさらさらない。しかし近年では分が悪い、長命シリーズの延長世界・続編モノにも、実は多大なる物語的な可能性の鉱脈があるのだということも指摘してみたくて、筆者は『スカイライダー』を「先輩ライダー客演編」を中心に語ってみせた。


 現在放映中の最新作『仮面ライダークウガ』(00年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20001111/p1)では、それまでの歴代ライダーシリーズとは切断・刷新された世界観で作品が構築されている。それはそれでイイとは思う。
 しかし、歴代ライダーシリーズや歴代ウルトラシリーズの延長線上で、多数の先輩ヒーローたちが「世界規模」や「宇宙規模」でも同時多発的にバトルを展開していく物語の新作があったとして、人々はそれにもワクワクさせられるのではなかろうか? そこにもまた豊饒な娯楽活劇の物語的な可能性があるのではなかろうか?
 原点回帰ではなくその正反対でもある、そんなワールドワイドに拡大していく物語の原型・プロトタイプとしても、『スカイライダー』という作品の物語を賞揚したいのだ。


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2001年号』(00年12月30日発行)所収『仮面ライダーシリーズ大特集』「仮面ライダー(新)」合評より抜粋)


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