『ヒーリングっど♡プリキュア』終盤評 ~美少年敵幹部の命乞いを拒絶した主人公をドー見る! 賞揚しつつも唯一絶対の解とはしない!?
『映画 プリキュアミラクルリープ みんなとの不思議な1日』 ~テーマ&風刺ではなく、戦闘&お話の組立て方に注目せよ!
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往年の女児向けアニメ『Yes! プリキュア5(ファイブ)』(07年)とその続編『Yes! プリキュア5 GoGo!』(08年)の正統続編『キボウノチカラ ~オトナプリキュア’23~』(23年)が完結記念! とカコつけて……。『キボウノチカラ ~オトナプリキュア’23~』評をアップ!
『キボウノチカラ ~オトナプリキュア’23~』評 ~社会人となって世にモマれる往年の少女たち。再会・歓談・変身・バトルでのカタルシスも忘れずに再現!
(文・T.SATO)
(2023年12月23日脱稿)
2023年にはまる20作を数えることになった、少女戦士たちが往年の大人気TVアニメ『ドラゴンボール』(86年)並みに空中を超高速でグルグル前転しながらパンチやライダーキック(笑)をお見舞いして、質量バランスやスピードとの物理法則を無視して敵の巨大怪獣をグイグイと高速で押し込んでいったりしながら戦ってみせる快感をも描けている、女児向け戦闘ヒロインアニメ『プリキュア』シリーズ。
その第3チームにして、通年で数えれば4年目&5年目の作品に相当する『Yes! プリキュア5(ファイブ)』(07年)とその続編『Yes! プリキュア5 GoGo!』(08年)。
放映終了15年の歳月を経て、その5人ならぬ6人(笑)の少女戦士たちが成人して社会人となって、世にモマれている姿などを描いた作品が、NHK教育テレビの土曜夕方の子供番組ワクにて登場! 我々オッサンオタクにとってはつい最近の作品に思えてしまうが、それは老害だからであって、世代人にとっては充分に琴線を刺激してくる懐古対象ではあるハズだ。
しかし、15年が経ったワケであるから、彼女らはちょうど30才のハズだけど、描かれ方としては20代の中盤といったイメージではある。婚期うんぬんといった話を出さなくてよい年齢設定としては、適度なチューニング・微調整だともいえるであろう。
NHKにて放映されること自体も、アイドルアニメ『ラブライブ!』(13年)の第4チームを描いた『ラブライブ! スーパースター!!』(21年)や、民放で放映されていた人気アニメ『進撃の巨人』(13年)の第3期(18年)以降がNHKにて放映されていたことを思えば、もはや驚きではない平常運転でもあるのだ――まぁ、NHKの上層部が自局のTVアニメのラインナップを把握しているとも思えないし、下任せではあろうけど(笑)――。
とはいえ、アマチュア同人誌の二次創作などでは20世紀のむかしから相応によくあったようなネタではある。日本のアニメの表現の幅が広がって爛熟しきった現在、小さな驚きはあっても意外の念に打たれるといった域にまでは行かない。凡人オタクでも思いつく、ワリとフツーな発想・着想の作品といった作品である……といった感は、多くのオタクたちが抱いているとは思うのだ。
むろん、これは企画そのものへの批判ではない。企画それ自体をもってしてホメてしまうような批評モドキではなく、真にその企画意図が実作品において結実したか否かの成否の方を、看板倒れか否かの方を、全員とはいわずとも大勢のマニアが必然的に気にする風潮になったことをも意味するからだ。
とはいったものの、そんなに重たい作品でもない。近年は深夜ドラマや実写映画でリメイクもされた弱小会社の青年営業マンの苦悩を描いた往年の青年誌マンガ『宮本から君へ』(90年)や、大学生たちのその後の社会人2年目の姿を描いてみせた山田太一脚本の名作人気TVドラマ『ふぞろいの林檎たちⅡ』(85年)などのような
「現実世界は実にキビしい! 一応の希望の職業には就けたようには見えても、相手の意向・経済状況・価値観の相違などもあるので、個人の理想や努力が叶うとはかぎらない! 単純に叶えばイイといったものでもない!」
といった価値相対化や、実に不本意ではあっても自分も絶対正義ではない以上は、相手や状況との妥協・折れてみせることの必要性! などといった描写もあって、そこにてプチ重たい共感を呼びはする。
しかし、ドラマが重たくなりすぎそうになると、かつての仲間たちとも偶然の再会(笑)などを果たすことで、彼女らの少女時代とも変わらぬ素の人格や振る舞い方での酒盛りなどもはじまることによって、作品の明るさも担保されてはいる。
加えて、本作の製作決定の第一報時には「敵のゲスト怪獣・怪人とのプリキュア戦士に変身しての戦闘などは本作では存在しないのか?」などとも想起されたものだ。
しかし、結局はナゾの敵怪人たちやワケありな悲壮感を背負った女敵首領などが登場してきて、#1のラストでは戦闘ヌキでの「次回につづく」とはなったものの、#2では主人公女子の熱い想いに劇中では彼女らの成長過程でいつの間にか消失していたらしい変身アイテムも復活を果たして華麗に再変身!
『プリキュア』諸作のシリーズ序盤などとも同様に、#1から一度に全員が変身できてしまう東映スーパー戦隊のパターンではなくて、各話ごとにまたひとり、あるいはふたりが変身能力を復活させる! しかも、集団合体ワザや主役プリキュア戦士ではなく、各個人の必殺ワザだけでも敵怪人を倒してみせることによって、原典とも同様に各個人ごとの強さ・カッコよさ・有能さをも見せつけている! それらのシーンにおいては、気分はすっかり往年の『プリキュア5』ともなっていた。
しかも、変身の直前には原典時代の14才の少女の姿になぜだか戻ってしまって、それ以降の変身・名乗り・必殺ワザのシーンなどは、往年のバンク映像やBGMの流用なのである(笑)。もちろん、1クールしかないTVアニメ作品なので、作画枚数や撮影などの手間が最もかかってしまうコレらのシーンの新規作画を省略したいという台所事情もあったのであろう。
それと同時に、10代の少女の姿に一時的に戻ることによって、マニア視聴者や年長視聴者であれば、
「超人めいたフィクショナルな存在へと変身できるためには、原始キリスト教めいた『純真な幼な子のようでなければ天国へは行けない』」
といった含蓄もある深読みをそこに勝手に想起もしてくれるであろう……といった期待もあったのであろう。その意味ではこの目論見も成功している。
しかし、このテの往年の子供向けアニメを得意げに論じてしまうことには憚(はばか)りも覚えてしまうのだ。すでに同作の原典放映時でもイイ歳であったオッサンの筆者なぞが、往年のメインターゲットであった当時の女性ファンをそっちのけで作品の内実について暑苦しく語ろうとする行為自体が、
「オジサンたちがわかった風なクチをきいて、ワタシたちのテリトリーに勝手に入ってこないで! 美しくなくてキモいから! 穢れるから! しかも『コレじゃない』感の批評だし! もっとキラキラだったし! ファッションやスイーツの魅力についても語っていないし!」
といった感覚を惹起しているであろうといったことは、容易に想像がついてしまうからだ(汗)。
キモオタの典型である筆者なぞも、近年のオタクの全員とはいわずともワリと大勢がそうしているように、「日アサキッズ」ワクの東映ヒーロー特撮や『プリキュア』シリーズは「大スキで……」といったことではなくて、「お勉強」や歳若い野郎アニオタとの話のネタやキッカケの「共通言語」にもなるであろう……と思って観賞するようにもしてきた。……不純に思われてしまったならば、返す言葉がないのだけど。そして、あまりにも自分に合わないと思えた『プリキュア』作品については、途中で視聴を打ち切ったものも多々ありはするものの。
そもそもオタク趣味とは、「現実社会の軽佻浮薄さとはオルタナティブ(代替的)なモノを求めて、宣伝や流行に乗せられるのではなく、自分のセンスだけでオタクの世界を選び取った! といったものであったハズだ。
しかし、これだけジャンル作品の数が膨大となって多様化までしてしまうと、筆者も含めてネット上での事前宣伝において大作・話題作然としている作品に、どうしても「長いモノには巻かれろ」的に吸い寄せられていったり、「バスに乗り遅れるな!」「勝ち馬に乗れ!」的なかたちで作品チェックをしているようにもなっていったり、「ムラ世間」的に同好の士と話を合わせるための作品鑑賞になっている面も否めないのである。
それは半ばは必然的な現象なのだとしても、そのことも自覚しておき、状況の流れに対しては少しでも棹を刺していたいものである。……むろん、世間の人気作品や高評価作品にムダに反発をしてみせれば、それだけで真理にたどりつけるといったモノでもないので、そういった反対方向におちいってしまうことにもまた注意が必要なのだけど。
原典の『プリキュア』の最初の3年間の3作品は基本、メンタイトルに『ふたりはプリキュア』と銘打っていたので、メインキャラの女子中学生の少女も2人だけだとしてきた。通算2年目の作品には3人目の少女戦士がいたりもしたけど、プリキュアとは別カテゴリーの少女戦士だとすることで(笑)、看板には偽りはないことにしていた。つまり、その時点では世間の記憶がまだ新しかった5人戦隊ものでもある往年の女児向けアニメ『美少女戦士セーラームーン』(92~97年)との差別化を執拗に図っていたのだ。
しかし、第2チームである『ふたりはプリキュア Splash Star』(06年)が子供向けの範疇での実にていねいでマイルドでも良心的かつ高品質な児童ドラマ作りと内容面で、筆者も含めて年長マニアたちには高い評価を誇ったものの、肝心の女児たちは実に移り気で、ドラマの外形面はともかく深いところは良くも悪くもロクに理解はしていなかったのであろう(笑)。
オッサン世代の例でたとえれば、『秘密戦隊ゴレンジャー』(75年)の直後の『ジャッカー電撃隊』(77年)や、『がんばれ!! ロボコン』(75年)の直後の『ロボット110番』(77年)、『超電磁ロボ コン・バトラーV』(76年)の直後の『超電磁マシーン ボルテスV(ファイブ)』(77年)のように、露骨な「二番煎じ」に見えていたようでもあったのだ(……世代人でなければわかりにくい例えだとも思うので、ゴメンなさい・汗)。
加えて、同時期にまた別の大人気女児向けカードゲーム『オシャレ魔女ラブandベリー』が勃興したがために、作品それ自体の罪ではないのだけど、玩具売上や映画版の興行収入もガクンと低下して歴代シリーズのワーストまで記録している。
それら直前作『Splash Star』での事態も受けてか、本作の原典『プリキュア5』では、露骨に5人体制の『セーラームーン』化を果たしてもいる。映像面での華も増やして、5人(6人)もの少女たちが集うことによって必然的に日常場面でのにぎやかな姦(かしま)しさ・明るさも増量させているのだ。
しかし、メインの5人(6人)を描いているだけでも尺が持つために、半面ではそれまでのシリーズでは描かれてきたメインキャラの両親や弟などもカラめたミニマムな小市民的ホームドラマ要素はほぼ消失している。
メインキャラが2人だけであれば、「熱血元気」と「大人しめ」といったキャラクターシフトが有効ではある。しかし5人ともなれば、「熱血元気」と「大人しめ」の要素は脇キャラの方へとふって、往年の『セラムン』TVアニメ版以来は定番・王道とも化している、センター主役女子には「元気」であっても暑苦しいまでの域には行かずに爽やかさを、しかして仲間たちほどの特技はなくても「癒やし」「人望」「人徳」といった性格設定が「差別化」として与えられることによって、特技や能力とは異なるものとしての「人間性」の理想とは何であったのか? といったテーマをも含意ができてくるのだ。
とはいえ、そういった小ムズカしい話ではなく、5人(6人)の実に何気ない自然で無意味なやりとり・日常トークだけでも実に楽しく観ていられたものだ。
年長オタクからすれば、従来のシリーズが両親キャラなどの視線も介在することによって上から目線で見守る「娘」のような対象となっていたのに比すれば――もちろん、メインターゲットの女児層がそういった目線で観ていることはアリエないにしても――、原典『プリキュア5』ではアイドルグループをペンライトを振って応援したくなるような「萌え」的な目線で見てしまうようなニュアンスなども強まっていたとは思うのだ。……優劣の話ではないのは、くれぐれも念のため。
良くも悪くも東映動画(東映アニメーション)作品は、20世紀のむかしから健全経営に徹しており動画枚数にもキビしい制限があったのは有名な話であった――各話で3000枚弱であったとか。それにしては往年のアクションアニメ『ドラゴンボール』などは実によく動いているようにも見えたものだけど、「演出」の勝利といったところであろう――。
同じく東映製作でかつてのベリー・スペシャル・ワン・パターンな作劇が21世紀以降の今では実に複雑化したストーリーともなってしまった「スーパー戦隊シリーズ」作品などとも比してしまうと、『プリキュア』作品は相対的には実にシンプルな各話ストーリーでもある。
複数人の変身・名乗り・必殺ワザのバンク映像なども各話で延々と流していることによって、批判としての意味ではなく云うのだけれども、原典『プリキュア5』にかぎらず『プリキュア』諸作の正味のドラマ部分の尺数は実に短い(笑)。しかし、ツボや普遍や王道は押さえてはいるので、シンプルでもフツーにナチュラルに面白いし、子供向けとしては適度な塩加減だとも思うのだ。
その意味では、『プリキュア5』シリーズの後日談でもある本作も、基本的には原典の「明るさ」や「アクション」も見事に継承されている。本作の原典作品を知らない現代の女児層が本作の滋味あるドラマをさほどに理解はできてはいなかったとしても(……まったく理解ができていない、なぞとも云わないですヨ)、
「適度にドラマが進行したところで敵怪人が出現! 変身して必殺ワザで撃退!」
といった子供向け活劇番組としての結構やカタルシスをも満たしているので、土曜夕方の子供番組ワクでの放映にも支障がない、実にクレバーなバランスに満たされた作品だとも思えるのだ。……その意味では、仕方がないにしても、本作のドラマ部分「だけ」を語ってしまうマニアのレビューについても少々の違和感はあるのだ。
ただし、原典『プリキュア5』のシリーズ敵にも、往年の『タイムボカン』シリーズ『ヤットデタマン』(81年)の3悪トリオのように悪の組織を「会社」組織として、幼児層には理解がしきれるとは思えないものの「サラリーマンの悲哀」をもコミカル・ドタバタ劇的に与えていたことを思えば、本作はその要素を正義のヒロイン側に与えた復元でもあったのだ。
……ウソです。心にもないコジツケを、自動的に言葉遊びでフザケて執筆してみせただけであって、企画意図がそうであったハズがないことも強調しておこう(笑)。
もちろん、マニア層には高評価でも女児間においては不人気に終わった前作『Splash Star』のふたりについても、本作ついでにスタッフが陽の目を見させようとしてなのか、イレギュラー的に登場させていることもまた特筆事項ではある。映画『プリキュア オールスターズ』シリーズ(09年~)における遭遇・共演描写も継承して、『プリキュア5』のメンバーとも旧知の仲として登場させている趣向は、かつての女児層にも我々大きなお友達にもオイシい趣向だともいえるであろうし、個人的にも実にうれしかったところなのだ。