『仮面ライダー555』最終回・総論 〜終了評 ―平成ライダーシリーズ私的総括―
『劇場版 仮面ライダー555 パラダイス・ロスト』 〜賛否合評1
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『仮面ライダー555(ファイズ)』前半合評1 ~「夢」を持たないのは悪いことか?
『仮面ライダー555』前半評1
(文・T.SATO)
(2003年4月執筆)
私事で恐縮だが、筆者は今となっては、各マニア誌で新番組の設定や最新情報などの事前情報を熟読するタイプではない。なので、#1では誰が主人公なのか戸惑った。
正義側の主人公青年ではなく、敵(?)の怪人オルフェノクに突然変異してしまうレギュラーの美形青年・木場(きば)の幸福がコレでもか! と不幸に一転していくドラマを延々と描いていく構成。事故、植物人間化、2年後に復活すると家族も財産も家屋も恋人も失っている……。そして、自身の身に起きる怪人化してしまう突然変異。
周囲の特撮マニア連中に聞くと、平成『ライダー』スタッフ陣や、特に脚本家・井上敏樹のかつての作品におけるダークキャラらのドラマの変奏や発展型なのだとわかる。分析されれば、その通りだとも思う。しかし、一般層向け・子供向けとして、最低限のウェルメイドの体裁を整えなければならない「商品」としての出来としてはどうなのか?
また、ドラマ以前の要素としても、#1のBパートで実質、初登場する主役ライダーに変身する青年・乾巧(いぬい・たくみ)が、平成ライダー3作において共通していた「癒し系」ではなく、「険」があるところも「商品」として気になる。視聴率調査の結果にも如実に現れていた、せっかくにゲットしていたF1・F2の女性層の視聴者が減少しないのか心配になるのだ(笑)。まぁ、スタッフも広告代理店ふくめて当然、プロだから、そのあたりも判っていて、あえて平成『ライダー』4作目ゆえに「変化球」として確信犯であーしたのであろうが。
敵側(?)の異形のオルフェノク怪人に変身できるようになってしまったレギュラーたちの存在も、フツーの悩める、むしろ正義側のレギュラーよりも人間的にはマシな人間たち(笑)による、異形になってしまった者たちの苦悩と煩悶の群像ドラマを展開しようという、番組のねらいがあったことが、1クール中盤でやっとわかってくる。
……エッ、マニア誌ではすでに発表されていたって? うるせぇナ、残業サラリーマンは立ち読みするヒマがないんだよ(笑)。
本作の初期編の出来については、個人的にはあまり買ってはいない。まぁ、『仮面ライダークウガ』(00年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20001105/p1)、『仮面ライダーアギト』(01年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20011103/p1)、『仮面ライダー龍騎』(02年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20021103/p1)の初期編も、個人的にはあまり買っていなかったけども(笑)。
一般層・ミーハー両者とも、初期編は前作に思い入れているがゆえに、新番組に「理性」ではなく「感覚」の次元でハマれないけど、ストーリー展開の進展につれて徐々に……といったことは多分にあるであろうから、ブレイクの可能性は当然にあるであろう。
敵(?)怪人側の人間たちこと青年男女ふたり、木場と結花(ゆか)は不遇に見舞われた「いいひと。」(?)たちではあった。
しかし、3人目はモラルには欠けていそうな軽薄なアンちゃんこと海堂(かいどう)青年。コイツこそが殺戮と復讐に狂うワルになるかと思いきや……。彼にも音楽家としての挫折の過去ドラマと、その怨念がまた音楽によって、そして自身と同様に、音楽を目指す青年によって癒されるドラマを与えられる。
この、細部やストーリー展開は毎度、たぶん、おなじみの思いつき・行き当たりばったりではあるだろうけれども(?)、ワケわかめな激情&叙情パッションのドラマのテンションが超スゴい! やはり井上敏樹は異形の天才だ!(笑 〜もちろん田崎竜太による、井上敏樹の意図を再現してみせる、激情&叙情演出もイイのですけれども) このエピソードで、本作『仮面ライダー555(ファイズ)』(03年)にハマッた!
ただ、敏樹作品全般がそうだけど、変身ヒーローのバトルなり勝利のカタルシスにドラマが集約していかずに、人間ドラマ面でクライマックスが来てしまうので、彼は子供番組・活劇ものとしては王道ではないし、その点では昭和の東映特撮を支えた父君・伊上勝(いがみ・まさる)とは明らかに異なる作家だと、筆者は考えるのであった……(それは優劣の話ではない)。
敵のレギュラー怪人たちとは別に、怪人化現象のカギをにぎるスマートブレイン社の存在。
実は孤児であったヒロイン・真理(まり)が育った施設の、同級生グループたちの登場。
そして、第2のライダー・仮面ライダーカイザの出現。
前々作『仮面ライダーアギト』におけるミュータント(突然変異)種族の集団が2種類も登場といった趣きだが、初期編とくらべて確実にドラマ的アピールとヒキは向上している。
前作『仮面ライダー龍騎(りゅうき)』での13人もの仮面ライダー登場に比すれば、美形男性キャラの少なさ、あるいはライダーの頭数の少なさという点では、「商品」としての「華」の点でやはり危惧はあるのだが、ごくごく個人的にはドラマ的・物語的な観点から充分及第点だし、今後の展開に眼が離せなくなってきた。期待して注視していきたい。
追伸
敵(?)怪人の一般名称オルフェノク。名前の後半部の由来は、旧約聖書の偽典・外典『エノク書』の預言者エノクだってサ――『エノク書』とは、西欧中世のダンテや平安時代の源信や近世のスウェーデンボルグのような天上界や地獄界の見聞記である――。80年代の日本SF小説の影響下にあった世代ならば、SF作家・平井和正が言及していたから、メジャーであろう。マイナーか?(笑) 作り手がそーいう世代になったってことですナ。
(2003年7月付記:主人公青年が「癒し系」でないことを危惧してみせたら、畏友から、前作『龍騎』でも「癒し系」ではない、仮面ライダー王蛇(おうじゃ)・浅倉や、仮面ライダーゾルダ・北岡が大人気だった厳然たる事実を指摘さる……た、たしかに・笑)
『仮面ライダー555』前半評2
(文・久保達也)
『仮面ライダーミカヅキ?』 〜『555』序盤評!
(2003年4月上旬執筆・2003年7月上旬一部改稿)
新番組『仮面ライダー555(ファイズ)』(03年)がメカライダーってことで、各雑誌媒体では『仮面ライダーX』(74年)を引き合いにして語られていることが多いが、オイオイ! 万能武器・ファイブハンドを売りにしたり、チェックマシンで健康診断をしていた『仮面ライダースーパー1(ワン)』(80年)を忘れちゃ困るぜっ!
などという、個人的不満は置いといて(笑)、携帯電話が変身アイテムだとか(これは『百獣戦隊ガオレンジャー』(01年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20011102/p1)でやったばかりだから批判が多いと思うが……)、デジカメが必殺技になったり、バイクが往年の『電人ザボーガー』(74年)のごとくロボットに変形するなどのギミック的な魅力にあふれている点は、子供の目を惹くには充分過ぎるくらいだろう。
その一方で、『仮面ライダークウガ』(00年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20090907/p1)から続いていた「癒し系」の主役とは違って、まるで『忍風(にんぷう)戦隊ハリケンジャー』(02年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20021112/p1)に登場した第2戦隊ゴウライジャー・霞(かすみ)兄弟の初期のイメージを思わせるような、やたらと横柄で無愛想な今回の主役・乾巧(いぬい・たくみ)は、イケメン目当ての主婦はともかく、子供は絶対引くぞと思ったが、第2話でさっそく子供と戯(たわむ)れさせているあたりなんかはウマイと思う。それでもたぶんマニア諸氏には最も気に入らないタイプだろうが(笑)。
まぁ、たしかに筆者もキムタクとか福山雅治とか坂口憲二とか「ぶっちゃけ」嫌いだが(笑)、彼らが出演しているドラマを批判するつもりは毛頭ない(っていうか、観てないけど・汗)。大人気・長命ホームドラマ『渡る世間は鬼ばかり』(90年〜)を観て、赤木春恵に「泉ピン子をいじめるな!」なんて不幸の手紙を送るようなオバハン連中みたいに、ドラマの役柄と俳優の人格を同一視するほど愚かではない。
逆に、筆者個人は赤木春恵は『3年B組金八先生』(79年〜)の君塚校長みたいな人なんだろうなと思っている(笑)。それはともかく、乾巧を演じる半田健人(はんだ・けんと)は、角川書店『特撮ニュータイプ』№6(03年)によれば、60〜70年代の歌謡曲のレコード収集が趣味だそうで、筆者と共通しているから絶対に悪人ではない(笑)。「いまどきの若者」からすれば「いまどきの大人なんかに、なんにも云われたかねえよ」とか思ってるだろうよ、きっと。
で、彼が演じる主人公像について。「夢に向かって突っ走るとか、クサイんだよ」なんて云わせてしまうあたりで、メインライター・井上敏樹と亡き父親で昭和ライダーのメイン脚本家・伊上勝(いがみ・まさる)の親子関係を疑ってみたり(笑)。まぁ、たしかに子供番組にはあるまじきセリフかなとは思うのだけど、筆者自身も若いころから現在に至るまで全然、夢というものを持たずに生きてきた人間なので(汗)、彼にはどうしても共感を覚えてしまう部分が強い(笑)。
あと、第8話の
「知ってるか? 夢を持つと、時々すっごい切なくて、時々すっごい熱くなる……らしいぜ。……オレには夢がない。でもな、夢を守ることはできる!」
などは久々に心に残る名セリフだと思ったし、滅私奉公的な「王道」精神にあふれているかと思えるのだ。
そのようなワケで、メイン視聴者である子供たち&ミーハー主婦層(FI・F2なんて専門用語は使いたくないので・笑)、あと筆者的にも喜べる要素はちゃんとそろっているのだけれど、これまで支持してきた一般層がちゃんとついてこれるかとなると、微妙なところである。
と云うのは、せっかくのそれらの魅力があまりにもダークな作風のために、かき消されている印象が強いからだ。同じく井上敏樹がメインライターを務めた作品で特撮巨大ロボットもの『鉄甲機ミカヅキ』(00年)などという作品があった。「商品化できるキャラクターを百体登場させる」などと、オモチャ箱ひっくり返し路線を期待させながらも、実際には挫折した人間のオドロオドロしい内面吐露に終始して、おもいっきりコケた前例があるだけに、『ファイズ』がその二の舞となるのでは? といった不安がいまだにあるのだ。
筆者なぞは、第2話で敵側(?)レギュラーの青年・木場(きば)=ホースオルフェノク(オルフェノクは本作における敵怪人。人間の突然変異。新人類?)が自分を裏切った元彼女・千恵を殺害するシーンで、「殺(や)れ〜、殺れ〜、殺っちまえ〜!」などと狂喜したものだが、そういうのってハタから見てるとコワイだろうし(笑)。そんな苦悩は「悩みなんか全然ない」なんて平然と云ってのける、健全な精神を宿した(笑)一般層には理解できないだろうから、敬遠する向きも出てくるのではないか?
ただまぁ、ネットによる集団自殺が流行るような御時世では、不健全な心の持ち主が占める割合はけっこう多いかとも思える。就学前の幼児って、人間部分のドラマのあいだは、玩具で遊んだりお絵描きしたり絵本見たりで、ヒーローが登場したら画面に集中……って、ウチの3才の甥のことだが(笑)、そんな子にはどうせドラマなんか判らないから、悪い影響も何もあったもんじゃない。
作品を理解できなくても、甥は立派にファイズのソフビで遊んでいる。だから、ヒーロー番組に「教育」的要素を期待するなんてヤボだと思う。子供の人格形成の決定的要素になるほど影響力が強いと云うなら、バイオレンス描写などの負の側面も考慮されて然るべきだし、「教育番組」で「正義」と「愛」を徹底的に叩き込まれたハズの30代・40代が中心となって支える今の世の中が、果たしてマトモと云えるんかい?(笑)
脚本家の市川森一(いちかわ・しんいち)先生は「ウルトラマンから何かを学ぼうとするガキなんてロクなもんじゃない」(爆)などとかつて語っていた。これは極論としても、神の名のもとに「正義」を振りかざして戦争が起きるようなご時世では、勧善懲悪よりも『仮面ライダー龍騎』(02年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20021106/p1)のように世の中にはさまざまな立場・考え方の人々が存在することを子供たちに教えた方がよいように思うのだ。
まぁ、『龍騎』だって個人的には喜びつつも、「こんなのガキに見せてもいいのか?」と内心では思っていたものだが、各地のイベントなどの熱狂や玩具の売れ行きなど、商業的には大成功だったのだ。各マスコミの扱いも破格のものがあった。これらの現象をキチンと受け止め、「平成ウルトラ」がナゼそこまでのムーブメントを巻き起こすことができなかったのか? もう少し真剣に検証してみる必要があるのではなかろうか?
『仮面ライダーコスモス?』(笑) 〜「俺には夢がない。でも、夢を守ることはできる!」 『555』海堂主役編! 「夢」を持たないのは悪いことか?
(2003年7月上旬執筆)
「夢を追いかけて すべてが変わる」
『ウルトラマンコスモス』(01年)のエンディング・テーマ『ウルトラマンコスモス 〜君にできるなにか』の歌詞に象徴されるように、従来の変身ヒーロー作品は、子供の夢を育むことを定義として製作されてきた。
まぁ、当然と云えば当然過ぎるワケだ。しかし、そんな作品群に長年ふれつづけた人々は、純粋に夢を追いかけてさえいれば、充実した人生を送れるのだと錯覚しはしまいか? そして、ともすれば、夢を持って生きている人間こそが素晴らしく、夢のない人間は生きる資格がないなんて、差別意識を芽生えさせはしまいか?
「考え過ぎだ」と云われてしまえばそれまでだ。しかし、若いころから現在に至るまで、まともに夢というものを持たずに生きてきた筆者なぞは、この「夢」などというキーワードのために、非常に居心地の悪い思いをすることが度々あった。「夢を持っているのがそんなにエラいのか?」などと反発したくなることがしばしばあった。
そんな筆者がハマってしまったのが、『ファイズ』第7・8話だ。
山手音楽大学に通っていた天才ギタリスト・海堂直也は不慮の事故で指を痛めて夢を失い、オルフェノクとして覚醒するや人間たちに復讐を誓うようになる。
一方の主人公青年・巧は、「世界中の悩みや不幸を全部洗い流すようなクリーニング屋になる」なんて脳天気な夢を持った啓太郎(けいたろう)に人助けを手伝わされる。「子供のころからの夢」を実現させるために美容院で修行する真理にはまともな晩メシを作ってもらえず、自分が「夢の被害者」であることを主張する。
――しかし、ただでさえ男女同権がウルサイこのご時世で、巧の「おい、メシにしろ!」の発言はないだろう。巧がこれまでの平成ライダー主役と比べて今ひとつ人気が出ないのは、この回で全女性を敵に回したからか?(笑)――
夢を追い続ける者。夢を失った者。そして、夢を持たない者。
それらを絶妙に対比させながら、この前後編は「夢」の奥底にはらんでいる負の側面を、残酷なまでにあぶり出していく。
海堂が木場に告げる。「夢は呪いと同じ。呪いを解くにはそれをかなえなければならない。途中で挫折した人間は呪われたままだ。俺の苦しみはお前にはわからない」と。
「夢を持つ」ということは、それくらいの覚悟が要求される過酷なものなのだ。夢を持つのは楽しいけれど、夢をかなえるのは楽じゃない。それを明らかにせず、ただひたすら夢を持つことを強要するばかりでは、自殺志願者に「生きていれば、きっと良いことがあるよ」などと何の根拠もなく平然と云ってのける気休めと同じで、あまりに無責任ではなかろうか? そういうものに非常に懐疑的な筆者としては、「夢」を描くのであれば、こういう面も見せなければ絶対に嘘だと思わずにはいられないのだ。
だが、夢を失った者=海堂は、夢のためなら死んでもいいと考える者=和彦に生き甲斐を見い出すことになる。和彦に才能を見た海堂は、熱心にギターのレッスンを施すことによって、自分の夢を和彦に託す。オルフェノクの力におぼれ、身も心も本当にモンスターに変身する寸前だった男が人間として生きていく決意をした瞬間だ。
そして、海堂の才能を妬み、偽装事故で海堂の才能を潰した「夢を壊す者」=音楽大学の教授――演じる小倉一郎の特撮作品へのゲスト出演は『キャプテンウルトラ』(67年)以来? 〜編:『ウルトラマンティガ』(96年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/19961201/p1)に数度ゲスト出演――こそが、実は本当のモンスターだった。彼の悪行を知り、海堂を仲間として慕う木場は「あなたの罪は重い」と決戦を挑む。
結花(ゆか)にねだられて、海堂が弾くアコースティク・ギターの音色をバックに繰り広げられるオウルオルフェノク(教授) VS ホースオルフェノク(木場)。そして、「夢を守る者」=仮面ライダーファイズの戦い。「夢」をキーワードに繰り広げられた群像劇のクライマックスはただひたすら美しく、『仮面ライダーアギト』(01年)における仮面ライダーギルス・葦原涼(あしはら・りょう)のセリフである、
「夢なんか、なくても生きていける」
を彷彿とさせる、実に勇気付けられるものがあった。
日本人は基本的に人間の多様性を認めない国民性であるように思う。2003年春に世間を騒がせた白装束の集団を例にあげるまでもなく、異質なものは徹底的に排除しようとする。ゆえに、これまで散々な辛酸(しんさん)を舐めつくし、「人間が恐い」はずなのに、せっかくオルフェノクとして覚醒しながらも、人間として生き、泣いたり笑ったり人を愛したいと願う結花を主軸に据えた第15話から第17話までは、「心」をキーワードに「戦うことの意味」を問い直す作品群だった。
オルフェノクとの戦いで傷付いた巧を廃屋で看病していた結花は、その場所をアジトだと主張する暴走族の集団に襲われ、やむなくオルフェノクの能力を発揮して連中を始末してしまう。巧はオルフェノクの中にも人間の心を持った者が存在することを知り、のちに結花の正体=クレインオルフェノクに容赦ない攻撃を加える2人目のライダー・仮面ライダーカイザから彼女をかばい、真理や啓太郎から「オルフェノクなんか殺って当然」とばかりに非難されてしまう。
だが、オルフェノクにも人間を襲うことを拒絶する者、そして彼らを「裏切り者」として始末しようとする「ラッキー・クローバー」と呼ばれるエリート集団、ドラマの流れに関係なくヤラレ役として登場する奴(笑)など、さまざまなタイプが存在するのだ。
もちろん、真理や啓太郎はそんなこと知る由もなかろうが、結花がこれまでオルフェノクの能力を発揮したのは、街の粗大ゴミを掃除(笑)したときだけであり、その被害にあったのは、云うならば人間でありながら、オルフェノクの心を持ったような連中であった――例によって、「いまどきの若者」ばかりだが、昨今は少年犯罪よりも中年世代の方が実に短絡的な動機で罪を犯すことが多いので、始末するならそういう「いまどきのオッサンたち」にしてほしいような気がするのだが――。
人間の心を持ったオルフェノク。オルフェノクの心を持った人間。果たして、どちらが本当に罪なのか? 巧の心が揺れ動くのも一理あるだろう。だが、オルフェノクと戦えなくなった巧は、「戦う相手のことは考えない」と語る仮面ライダーカイザこと草加(くさか)から「ファイズ失格」の烙印を押されてしまう。
一方、木場が第2話で殺してしまった千恵の兄(実はオルフェノク)が犯人捜しの過程で、千恵の悪口を聞いたことから復讐の心に燃え、千恵が通っていた大学構内で猛威を奮ってしまう。木場から、
「あの人はもう人間じゃない。心を、人の心を失っている」
と聞かされた巧は、
「俺はもう迷わない。迷っているうちに人が死ぬなら」
と遂に戦うことを決意。人の心を失ったオルフェノクだけはやはり倒すべきなのだ。
第17話の直前の時間枠に放映された『爆竜戦隊アバレンジャー』(03年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20031112/p1)第14話『発掘! アバレサウルス』(脚本・會川昇 監督・坂本太郎)でも、悩み続けたヒロインであるアバレイエロー・らんるが「みんなの夢を守るため」と戦う決意を固めるまでの過程を描いていたことが、このシークエンスに絶妙な相乗効果を与えることになった。
巧の力強いセリフのあと、絶妙なタイミングで流れ始める主題歌をバックにした2大オルフェノクとの壮絶な戦いは、実に爽快感あふれる演出が冴えわたり、見応えのある出来であった。
この展開はシリーズを通して守るべきものと倒すべきものを描きつつ、終盤において「戦うしか道はないのか?」などと主役を苦悩させた揚げ句に、「すべての命を守る!」などと結論付けた『ウルトラマンコスモス』とはまさに雲泥の差である(笑)。同様のテーマでも、持っていき方次第で、本来のヒーロー作品らしいバトルのカタルシスの醍醐味が味わえる工夫が成されていたのであった。
だが、どうやらそんな作風を手放しで喜んでばかりもいられないようだ。2003年7月2日にバンダイが発表した子供の好きなキャラクターについての調査結果によると、『仮面ライダーファイズ』の順位は意外に低くて第9位。その支持率はたったの5.7%である。これがそのまま視聴率だったらイヤだなぁ(笑)。
東映側は平成『ライダー』のアダルトな作風をよく『戦隊』との「差別化」だと強調する。しかし、視聴対象が「子供向け」と「大人向け」ではなく、せいぜい「幼児向け」と「小学生向け」くらいの差別化にとどめておいた方が良いのではないだろか? 同じような路線でも、前作『仮面ライダー龍騎』が総勢13人にもおよぶライダーを続々登場させたことで、子供たちにも好評だったのだから、ただでさえ2人にまでライダーの数が減ってしまった『ファイズ』はそれに匹敵するくらいのオモチャ的な魅力を強調することが、子供番組としての責任であるように思う。
せっかく登場した新ライダー・カイザが第17話でいったん姿を消してしまうようでは、玩具の売れ行きにも差し支えるのではないか? まぁ、真理の父親の消息やら、地下に眠る教室やら、流星塾の同窓会で起きた何かやらの「謎解き」を一切放ったらかして進んでいく展開も問題だが、そんなことは毎度のことだし(爆)、それよりも子供たちは平成の『電人ザボーガー』(74年)=オートバジンがあまり登場しないことの方が不満なのではないか?(笑)
前作『仮面ライダー龍騎』との差別化として、本作ではオルフェノクの群像劇を描くことに主眼を置いている。商品化できるライダーの数が減った代わりに、オルフェノクのソフビが続々と発売されているが、こちらの方もかなり弱い。モノトーンを基調とした地味な色合いの奴ばかりでは、いくらデザイン的に優れていても、あまりいじくり回して遊ぶ気にはならないものである。
『龍騎』に登場したミラーモンスターは、原色を基調とした派手なカラーリングの奴が圧倒的だったので玩具化するにはふさわしかった。都合5種類も発売されたソフビを筆者は全部買ってしまった(笑)。オルフェノクのソフビは、玩具売り場で見かけてもなにか「置きもの」みたいでオモチャに見えないんだよね。商品化するなら、『戦隊』に登場する怪人たちの方がよほどオモチャとしてふさわしいように思うのだが。
そして、もっと気になるのが、これまで平成『ライダー』人気を支えてきたミーハー主婦層の盛り上がりが本作ではあまり感じられないことだ。さすがに女性誌まではいちいちチェックできないが、半田健人のグラビアなどはきちんと載っているのだろうか?
これも単にイイ男の数が減ったのが理由ばかりではないように思う。啓太郎 → 結花 → 海堂 → 真理 → 木場 などとい、どうにもならない恋愛関係や、最近ではそれに草加までもが加わるなど、いかにも主婦が好きそうな要素を取り入れようが、そんなものは主婦層は飽きるほど他で観ているワケで、ことさらヒーロー作品の中にそんな要素を求めているともとうてい思えない。海堂やカイザ=草加みたいに自分の想いの押しつけをさんざん繰り返した果てに、恋愛なんてものにとうに関心を失い、原則としてトレンディ系のドラマは観ないことにしているこちらとしても迷惑なのだ(笑)。
やはり、当初危惧したように、本当は人を好きになりたいのに、周囲にいる連中がオルフェノクの心を持った奴ばかりだから、つい破壊的行動に走ってしまう筆者(爆)のような屈折した者が好むような作品は、一般層には「お呼びでない」といったところであろうか? マニアと子供とミーハー主婦層。観たい要素はまったく違うのだなぁと、イヤでも実感せずにはいられない今日このごろである。
しかし、本当の「夢の犠牲者」は往年の東映ヒーロー作品の屋台骨を長年支え続けていた故・伊上勝が父であるがために、何かと氏と比較されては、特撮マニアに批判されるメインライター・井上敏樹その人ではなかろうか?(笑) 第7話で巧に「特訓? そんな恥ずかしいマネができるかっ!」(笑)と云わせたかと思えば、第18・19話では母親と洗濯をするのが好きだった少女が不慮の事故で母親が記憶喪失に陥ったことから、町の洗濯ものを汚して回るものの、啓太郎と少女がいっしょに洗濯する様子を見た母親が記憶を回復するなどという、いまどき珍しいご都合主義の話を描いている。
少女をつけ狙うオルフェノクの人間体が怪しいピエロのおじさんだったりするあたり、往年の東映作品を彷彿させ、こういうのも書けるのかと少しは感心したが(まぁ、あえてワザとやっているのであろうが)。氏の苦労がそんな面からも忍ばれるのではないかと思うのだ(笑)。
個人的には、どうやっても同情するしかない身の上の持ち主である木場・海堂・結花が「復讐」として人間たちを粛清していくような安直な展開にはならずに、あくまで人間として生きていくことにこだわっている姿勢にはおおいに好感を持っている。
人間の心を持ったオルフェノクたちの今後にはおおいに注目したいところではある。しかし、第24話で真理に決定的にフラれちまった海堂は、元の木阿弥と化していくような兆しを見せ、新たにオルフェノクとして覚醒した若者とともにファイズとカイザの変身ベルトを奪ってしまう!
それを受け取ったオルフェノクのエリート集団・ラッキークローバーの琢磨逸郎(たくま・いつろう。センチピードオルフェノク)と影山冴子(ロブスターオルフェノク)が。その腰に変身ベルトを巻いて、ダブルライダー変身を見せたのにはひっくり返ったが(笑)。決して一筋縄にはいかない意外性に満ちた展開だけはこの先も楽しめそうである。
とりあえずは、「第三のベルト」で変身する新ライダーの大暴れを期待して、「子供の好きなキャラクター」調査で『ファイズ』がせめてベスト3にランクインできるように願いたいものだ。
P.S.
2003年7月に長崎市で無残に殺害された4歳の男児は、『ファイズ』が大好きだったそうだ。七夕の短冊には「仮面ライダーになりたい」と書くことになっていたという。彼の夢を奪ったのは12歳の少年であったが、中学生になったばかりの者がそんな凶行に走ってしまうほど、「夢」も人の「心」も失ってしまうような現代ニッポンの閉塞した状況は本当になんとかならないものであろうか……
『仮面ライダー555』前半評3 ~『ファイズ』初期評
(文・フラユシュ)
悲しみを繰り返し僕らは何処に行くのだろう? ほんとに何処に行くのでしょうね。
当初の主人公・巧の無気力ぶりに一抹の不安を感じたのは遠い昔。今ではその普通の人らしいところと、無気力ながらも目の前でピンチになっている人をほっとけない当たり前(ここがポイント)の倫理観の持ち主なところが、けっこう高ポイントだ。白倉&井上路線らしいと言えるか?
ただ、それに反して敵側のオルフェノクに関しては、むかついたら殺すという「動物化するポストモダン」ならぬ「動物化する人間」どもという感じか。いや、動物の方がましかもしれない。少なくとも動物は自分が生きるためにしか殺さんからね。動物に対して失礼かもしれませんね。
やっぱり今時の衝動殺人の世相の反映? 平成ライダー前3作に比べると、最も殺人に美学がないので筆者としてはかなり敵側が矮小化した印象。まぁ、筆者は殺人や悪の行為にも美学や信念がなければならないと考える古臭い人間ですので。こんな考えももはや時代遅れなのかもしれませんが。
『假面特攻隊2004年号』「仮面ライダー555」関係記事の縮小コピー収録一覧
・朝日新聞 2003年7月2日(水) 仮面ライダー、鈴鹿疾走 8耐レース参戦へ バンダイ・ホンダなど 〜バンダイが東映・ホンダと組んで「仮面ライダー555Honda」のチーム名で参戦
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#仮面ライダー55523周年 #仮面ライダー555 #仮面ライダーファイズ23周年 #仮面ライダーファイズ #乾巧 #仮面ライダーカイザ #井上敏樹
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