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金城哲夫論!? 光の国から僕らのために-金城哲夫伝- ~金城・上原・円谷一の業績を凝縮した良舞台!

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 ウルトラマンシリーズ55周年! ウルトラシリーズ創始者ともいえる脚本家・金城哲夫没後45周年! とカコつけて、舞台『光の国から僕らのために-金城哲夫伝-』(16年)合評をUP!


金城哲夫論!? 光の国から僕らのために-金城哲夫伝- ~金城・上原・円谷一の業績を凝縮した良舞台!

(文・T.SATO)
(2016年2月28日脱稿)

開幕は「米軍追放! 沖縄への自衛隊の誘致!」を主張する1970年代前半の金城哲夫


 開幕早々は意表外なことに、誰でも予想するであろう、初代『ウルトラマン』(66年)を製作中の1960年代中ばの円谷プロを舞台にした、甲斐甲斐しくも頼もしく立ち回る、ウルトラシリーズを立ち上げた脚本家・金城哲夫(きんじょう・てつお)の若き日の勇姿……といったアリガチな導入部にはなっていなかった。


 飛行機に搭乗しての――実は航空自衛隊(!)のヘリコプターだと徐々にわかってくる――、金城のレポートによるラジオ中継の姿が描かれるのだ。そして最後には、


「米軍を追い出して、代わりに自衛隊を沖縄に誘致すべきだ!」(!)


といった趣旨の発言をしてしまうのであった……!


 当然のことながら、沖縄の故地では物議を醸してしまう金城哲夫


 特撮マニア的には沖縄における仕事での光景ということで、コレは金城が円谷プロを退職して沖縄に帰省したあとの1970年代前半のことだろう、という推測はつくのだけど。


 あとでめくった本舞台のパンフレットでの解説や関係各位へのインタビューでの発言を総合すると、コレは1972(昭和47)年を舞台とした一幕である。つまり、太平洋戦争での1945(昭和20)年の日本の敗戦以来、そして沖縄ほかを除く日本本土が1952(昭和27)年に独立を回復したあとも、アメリカの占領下にあった沖縄が日本に返還された年である。


 72年にホントウに起きた出来事であったのかについては、筆者の乏しい調査力ではウラ付けが取れなかったのだけれども、コレは沖縄のローカルラジオ局の番組『トヨタ・モーニング・パトロール』(RBC琉球放送ラジオ)において、自衛隊のヘリに搭乗してラジオ中継を行なっていた際のエピソードであるようだ。


 その結果として、



自衛隊を賛美したと沖縄の教職員に嫌われ、袋叩きにされたみたいですね」

(本作パンフレット「金城の同僚の脚本家・上原正三インタビュー」)



ということになり、このラジオ番組を降板(!)することになってしまったという逸話の舞台化なのであったのだ。



 浅学にして筆者も知らなかった歴史的な事実なのだけど、コレは世間一般でイメージされている「沖縄ナショナリスト」、あるいは沖縄と日本本土との仲介者たらんとしたような「インターナショナリスト(国際人)」としての金城の姿でもない。
 米軍の駐留には反対するけれども、日本の自衛隊の駐留には賛成する! あるいは米軍には出ていってもらうけれども、その代わりに自衛隊には入ってもらおう! などという、当時の日本や沖縄の左派はもちろん、アメリカに奴隷的に屈従するどころか、むしろ安全保障や経済発展のためには米軍に駐留してもらおうとさえする、自主防衛などは可能性としてすら考えもしない御仁が圧倒的な多数を占めるに至っていた当時の右派や政府自民党ともまた異なる、第3の思想的な立場ですらあるのだ(汗)。


 1990年前後からの東西冷戦体制終了後、あるいはアメリカの国力が相対的に低下してホントに有事の際には日本を防衛してくれるのかについてが怪しくなってきた21世紀の日本でならば、アメリカに頼らないかたちでの日本の自存自衛や自立について考える、などといった言説なども表面化はしてきたけれども、コレはそんな言説などはほとんど微塵もなかった、あるいは表面にはなかなか出てこなかった1972年時点での発言なのである。
 金城の右派でも左派でもない、その両者をもはるかに踏み超えて、時代もはるかに先駆けていた高踏派といった感じの発想ではあり、しかもそれを沖縄内での空気も読まずにシレッと発言してしまっているあたりで、筆者には金城の頭脳がやはりイイ意味での「宇宙人」、時代をはるかに超えていた異能のヒトに思えてきてしまう。


 しかも、この金城の発言は、いわゆる特撮評論におけるあまたの金城論での、「近代」や「戦後民主主義」の理念に合致した良心的な御仁であったということにしておこう! というような文脈には合致しない、ある意味では不都合な事実ですらあるのだ。
 おそらく、本舞台の脚本家さんもその取捨選択には迷ったことであろう。しかし、仮にご自身の思想的な立場とは異なっていたとしても、このような歴史的な事実を見て見ぬフリをする……それは自身の思想的な立場とは真逆な陣営を利することになるので、お仲間・身内を守るためにも隠蔽しておこう! なぞといった左右双方で共にアリがちでも実に卑劣なふるまいなどはせずに、金城の発言自体の是非・価値判断はいったん棚上げとして、それをも包み隠さずに舞台劇の脚本としてみせた! といった事実にまず、筆者個人は絶大なる誠意を感じてしまうのであった。


 そんな意表外な短い導入部を経て、本舞台は時代を7年ほどさかのぼっていく……。


ウルトラシリーズを立ち上げた金城哲夫の略歴! 本舞台を公演した劇団民藝


 金城哲夫。1960年代後半の第1期「ウルトラ」シリーズのメインライターにして、同シリーズを製作した円谷プロの企画文芸部の部長を20代後半の若さにして務めた御仁である。といっても、創立当初の円谷プロはあくまでも弱小映像製作会社に過ぎなくて、部員がひとりしかいないような「部」の部長ではあったそうだけど。
 それに「20代後半の若さ」とはいっても、筆者個人の子供時代の記憶でも、1980年前後よりも前の時代における20代後半~30歳前後の人間というのは、1990年前後以降からの昨今とはまるで異なり、今の基準でいったら充二分に見た目もオトナであり、思春期・青年期的なモテ/非モテなどの価値観の内面化などもあまりないことから、そこのあたりに過剰にマウント心や劣等感を持つことなどもなく、メンタリティも含めて早々に落ち着いて成熟もできていたオジサンですらあったと思うのだ。


 そして、劇団民藝(げきだん・みんげい)。筆者のように関心領域が実に狭くて特撮やアニメといった虚構性の高いジャンルしかロクに鑑賞してこなかったような重症なオタクであっても(汗)、マニア向けムックなどでのジャンル作品に登場した役者陣の略歴紹介などは読んできたので、その存在くらいはナンとはなしに知っていた歴史と実績のある「新劇」の一派であるベテラン演劇集団である。
――「新劇」というのは、歌舞伎などの江戸時代以前の歴史時代を舞台とした伝統演劇ではない、明治以降に誕生した近代演劇・現代演劇一般のこと。しかし、1970年前後に誕生した、いわゆる「アングラ劇団」や下北沢の小劇場などで公演している、さらなる新しい演劇集団ともまた別モノとして区分する慣習であるようだ――。


 ほかの「新劇」集団などとも同様に、「劇団民藝」からも有名俳優を多数輩出していたハズだと記憶していたので、試しにネットでググってみると……。奈良岡朋子(ならおか・ともこ)・宇野重吉(うの・じゅうきち)・大滝秀治(おおたき・ひでじ)・多々良純(たたら・じゅん)・加藤嘉(かとう・よし)・佐野浅夫(さの・あさお)・佐々木すみ江(ささき・すみえ)・米倉斉加年(よねくら・まさかね)・吉行和子(よしゆき・かずこ)・中尾彬(なかお・あきら)・山田康雄(やまだ・やすお)・綿引勝彦(わたびき・かつひこ)……と主に昭和後期に活躍していた壮々たるメンツが出てくるワ、出てくるワ。
 このうち、綿引勝彦については、我らがウルトラシリーズである『ウルトラマンメビウス』(06年)#15「不死鳥の砦(とりで)」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060924/p1)において、昭和の歴代ウルトラシリーズの怪獣攻撃隊の戦闘機の整備士だったとして出演を果たして、重厚な演技を見せているのはご承知の通りである。


 そんな由緒もある「劇団民藝」が金城哲夫を主人公とした舞台を2016年2月10日(水)~21日(日)にかけて上演するという。場所は21世紀以降に開拓されたオシャレな新興エリアである、新宿駅は南口正面に横たわる甲州街道の横断歩道を渡ったさらに先、高島屋東急ハンズが南一直線に連なっていく木製テラスの通路の徒歩10分弱の先の果て、紀伊國屋(きのくにや)書店・新宿南口店ビルの7階、数百人は収容可能なサザンシアターである。試しに2月の晴れた暖かい日曜の午後、オタク仲間数名とともに鑑賞に行ってみた。


 「劇団民藝」さまも我々オタク層に媚びやがって! なぞと思わないでもなかったけれども(笑)、実際に出掛けてロビーで待ち合わせをしていると、少なくとも筆者の観劇した回では、同好の士のオタク層がワラワラといるというようなことはまったくなかったのであった。明らかに我らと同類の異形の士(失礼)だと看て取れたのは、2~3人の年輩オタク集団1組だけである。
 してみると、オタク層の誘致には失敗したと見るべきか?(汗) 映画の3.5倍ほどの高額料金がオタクたちを遠ざけているのか? 単に宣伝不足なのか? 意外にも60~70代以上の年輩層の観客がほとんどであり、彼らのみで満席となっているような状況であった。
 彼らは招待客や長年の「劇団民藝」ファンや演劇マニアの方々なのであろうか? パンフレットによると、「民藝」協賛会員で年会費を払えば、年に数回ある毎回の公演に招待券が配布されるようではあるけれど……。


実在の著名人を材に取った舞台を観る際の心構え!


 舞台は15分の幕間(まくあい)休演を挟んで、約1時間ずつの前編・後編トータル2時間ほどの芝居を通じて、金城哲夫の1965年~1976年にかけての10年強、その若すぎる享年37歳の逝去を、簡にして要で手堅くまとめていた。


 筆者のようなスレたロートル・オタクにとっては、金城についての目新しい発見は冒頭の導入部を除けばあまりなかったのも事実ではある。しかし、もちろん我らのようなスレた特撮マニアたちに向けた舞台であろうハズもない。より広くに開かれた、金城哲夫はおろか『ウルトラマン』すらもロクに知らないような一般層――厳密には一般層ではなく演劇マニア層とでもいうべきだろうけど――にも理解ができるように、翻案されて表現された舞台劇であるべきだ。
 もちろん本舞台はドキュメンタリーではなく、ノンフィクションや人物研究・評伝でもない。あくまでもフィクションである。であるからには、細部がことさらに正確である必要はさらさらなく、トータルでの事物や金城とその時代の本質・エッセンスを抽出・凝縮して「事実よりも真実」、そのへんをシンボリックに表現ができていれば、細部の大胆なアレンジも問題はないのである。


 もちろんフィクションとはいえ、金城はマニア間での研究も進んでおり、ある大ワクの中での評価や人物像も確定してしまった実在の人物ではある。その人物の可能性的には充分有り得たかもしれない別の一面を付加してみせる……というようなことではなく、それは有り得そうもない、その解釈はさすがにいかがなモノなのか? といったようなハズしてしまった描写があったのならば、それはたしかに長年の特撮マニアとしての金城への一応の理解からしても「こんなのは金城じゃないやい!」などとイヤ~ンな気持ちになってしまったことだろう。


 しかし、そのような極端な不備などはまったくなかった。そして、金城の性格・人となり・その想いや、その人生の精髄・キモなどを手堅く抽出して、舞台劇として見事に仕上げることができていたとも思うのだ。


遡って穏当に『ウルトラQ』『ウルトラマン』『ウルトラセブン』の1960年代後半!


 1965(昭和40)年。本邦初の本格的TV特撮番組『ウルトラQ』(66年)の放映間近、すでに次作である初代『ウルトラマン』(66年)をも企画中であった円谷プロ企画文芸部が描かれる。


 特撮の神様・円谷英二つぶらや・はじめ)特撮カントクの長男にして、兄貴分でもある長身スマートなTBSのディレクター・円谷一つぶらや・はじめ)カントクを前にして、明朗快活・豪放磊落(ごうほうらいらく)にふるまって、『ウルトラマン』の企画を披露している若き日の金城哲夫が登場する。
 ついでにその場で、『ベムラー』⇒『レッドマン』⇒『ウルトラマン』と、特撮マニア間では知られてきた仮題タイトルが連呼のかたちで正式タイトルへと変化していき、一挙に一瞬にして決定していく。そして、興が乗った円谷一も、その場で即興で初代『ウルトラマン』の主題歌を作詞してみせて、金城と肩を組んで仲良く合唱をはじめてしまう(笑)。


 コレらはタイムスケールを極端に縮めてしまったウソである! 歴史修正主義である! なぞと糾弾するヤボな特撮マニアなどは今さらいないだろう(多分)。微笑ましいシークエンスではある。



 同じく1965年。『ウルトラマン』の準備が本格的にスタートする。そこに新たに登場するのが、本舞台の副主人公でもある同郷の沖縄出身の新参脚本家・上原正三(うえはら・しょうぞう)である。


 すでに前作『ウルトラQ』などに登場した怪獣の着ぐるみを流用、もしくは改造した怪獣を用いて、1話あたりの登場怪獣の個体数を増やしてしまうことを着想する金城哲夫たち。しかし、ヒーローに倒されるためだけの存在としての怪獣に早くも疑念をいだいて、そのアンチテーゼとして善良なる可愛らしい小怪獣である友好珍獣ピグモンのキャラクターの着想も同時に得るのだ。


 その着想イメージの舞台演出的な具現化として、実際にスーツアクターが着用したピグモンの着ぐるみまでもがココで登場。可愛らしい挙動をさせることで、劇場の観客までをもナゴませる。なお、本舞台ではピグモンピグマリオン・モンスターの略だとされていた――今では差別用語になってしまったので黒歴史(くろ・れきし)として大声で語るべきことではナイのだろうけど、元々はアフリカの低身長部族の名称から取ったピグミー・モンスターの略称としてのネーミングであったハズである(汗)――。



 飛んで1968(昭和43)年。円谷プロ製作である空飛ぶ空中戦艦が活躍する『マイティジャック』と怪奇現象を科学的に解決する専門チームを描いた『怪奇大作戦』(共に68年)が視聴率的には低迷して、関係各位からのプレッシャーにさらされている金城哲夫が描かれる。
 『ウルトラマン』の視聴率が異様に高すぎたのであって、直前作『ウルトラセブン』(67年)や今作『怪奇大作戦』の視聴率も充分に高いじゃねーか!? と金城はのたまってみせている。この観点はドチラかといえば後世の我々特撮マニア諸氏による後出しの視点のような気もするけれども、そんなメタ視点をも代弁するかのようにグチってみせる金城が描かれることで――観客とのメタ対話だとも受け取れる――、金城の苦悩がセリフや演技としても体現されていくのだ。


1970年代初頭の『帰ってきたウルトラマン』でのゲスト脚本は、上原脚本の名作前後編に刺激されたと解釈!


 さらに飛んで1971(昭和46)年、故郷の沖縄に帰還後――69年の帰郷前後の悶着は描かれない――、ひさしぶりに金城哲夫は上京して顔を出した円谷プロで、子供間で勃興してきた新たな第2次怪獣ブームに乗じて製作されることになった新番組『帰ってきたウルトラマン』(71年)のメインライターとなった上原正三や、円谷英二逝去後に2代目社長となっていた兄貴分・円谷一らと旧交を温めていた。


 人前では子供じみた強がりであろうか、『帰ってきた~』の上原のシナリオを提示されても「フ~~ン」と気のナイ返事で、手をつけないでいた金城を描写する。


 だが、上原と円谷一が席をハズすや、パッと手に取って熟読玩味をしだすのだ(笑)。周囲には誰もいないのだから目撃されたハズがないであろうその光景に対するベタな脚色は、もちろん舞台劇としてのストーリー展開上での都合論ではあるだろう。
 しかし、「そーいうこともあってもイイかも……」「金城ならば、いかにもそーいうこともアリそうだ……」といった感慨とともに、金城個人の陽気でヤンチャな子供性、幼児っぽいところも多分に残っている性格、そしてイイ意味でそれをカリカチュア(戯画的)のかたちで描くことで、そのキャラクター・人物像を立てることもできている。ごくごく個人的にはこーいう描写も許容範囲だし、喜劇的な描写として私的には好印象ですらある。


 けれど、上原が手掛けた『帰ってきたウルトラマン』のシナリオは、金城が手掛けた初代『ウルトラマン』のシナリオとはやや異質な手ざわりを持っていた。そう、それはある意味では牧歌的ですらあった初代『マン』での局所的な怪獣による匿名的な都市破壊の物語ではなかったからだ。
 局地的な怪獣災害ではなく巨大怪獣の大移動を伴なう広域災害ですらあり、2大怪獣が実在の記名的な大東京の各所を荒らしまくって、ついには怪獣攻撃隊・MAT(マット)の上部組織である地球防衛庁の長官たちが1千万都民を避難させて、東京に小型水爆級の火力を持ったスパイナー爆弾を使用することで怪獣を撃滅せんとするストーリーとなっていたのだ。そう、それは上原が執筆した脚本回である#5「二大怪獣 東京を襲撃」~#6「決戦! 怪獣対マット」の前後編であったのだ!


 その内容に深甚なる衝撃・感銘を受けて執筆を決意する金城! 在京中の数日間のうちに、『帰ってきたウルトラマン』#11「毒ガス怪獣出現」を執筆してみせるのであった……。


 金城執筆の動機が『帰マン』#5~6の前後編にあったという逸話は寡聞にして知らないので、このへんは脚色だとは思われる――新たに発掘された新事実に基づいていた描写であったのならばスイマセン(汗)――。


 ドチラかといえば本舞台の脚本家さんが、この舞台を書き起こすにあたって歴代ウルトラシリーズを再鑑賞して、この金城ならぬ上原脚本回である、子供時代にも幾度か鑑賞したハズであろう『帰マン』#5~6が、――我々特撮オタクたちも子供のころはともかく中高生、あるいは青年期の再視聴で改めて絶大なる感銘を受けたように――「太平洋戦争」や「東京大空襲」に「疎開」といった先の大戦での国民的な記憶にもセリフや記録写真でふれてみせている、非常に重厚なる内容であったことを再発見!


 この名作前後編の劇中での、先の大戦がらみのセリフの数々も長々と引用してみせるかたちで、


「ただの子供番組だと思われている『ウルトラマン』シリーズだけど、実はこんな社会派の題材も扱われていたんだゾォ~!」


などというように、ココぞとばかりに一般層にも紹介・啓蒙をしてみせたかった! という気配もプンプンとしてくるのであった……。スレたマニア的には一方で「何を今さら」的な気恥ずかしさもあるのだけれども、むろんそんなごくごく少数の自意識過剰な老害オタクなぞは無視しても問題はないのだ。これらの引用をカンゲイいたします(笑)。


 ただし、舞台作品にかぎらずフィクション・ドラマというモノは、正確性が求められるドキュメンタリーではない以上は、ディテールを超えたエッセンス、「事実よりも真実」を目指すべきではあるのだ。
 金城がナンとはなしに『ウルトラマン』シリーズのシナリオをフワッと再び手慰みで書いてみました! というようなナチュラルなストーリー展開では、劇的ではないのでフィクション・物語作品としてはあまり面白くはないだろう。
 やはりふたたび筆を執るに至るまでのキョーレツなる背景・原因・動機などをウソでも設定してみせたり、あるいはココで『帰マン』の大傑作回である#5~6にも同時にスポットを当ててみせることで、ウルトラシリーズの傑作編自体の紹介やその裏面史などもダブらせるかたちで、ダブルミーニングやトリプルミーニングで事物を全的に一挙にウキボリにもしてみせよう! といった作劇の方が、劇的・ドラマチックでもあり、事物の「事実」ならぬ「真実」にはより接近していけるともいえるだろう。
 そして、その方が観客も金城の変心自体に腑が落ちてナットクもできるだろうし、ストーリー展開自体にもメリハリ・抑揚も出てきて、フィクションの作劇術としては正しいとすら思うのだ。


 なお、本舞台においては、『帰マン』#11の初稿は「毒ガス」が「米軍」由来ということにされていた。そして、TBSのプロデューサー側からそれでは「マズい」というダメ出しが出たことで「旧日本軍」由来の毒ガスとして改稿することになったというストーリー展開になっている。
 浅学で恐縮なのだけど、コレも新発見の実話なのであろうか? たかが一介の子供番組にもTV局側からの介入があったのだ……という「一般論」を、ココで具現化させるための脚色であったのだろうか?――繰り返しになるけど、脚色があっても構わないと考えていることは、くれぐれも念のため――


 本舞台においても、この#11の劇中セリフの数々がコレまたそのまま長々と引用されることになる。この「旧日本軍由来の毒ガス」が、MATのイヤミなレギュラーキャラでありエリート隊員でもあった岸田隊員の父――もちろん旧日本軍のおエライさんだったのだろう――の汚点、そしてそれは岸田隊員の兄の自殺の原因にも関わってくる「家系の恥」でもあったのだ! という一連のシーンでの実に重たいセリフの数々のことである。


 ただし、ヤボを承知で細かいツッコミを云わせてもらえば、「米軍出自の毒ガス」を「旧日本軍由来の毒ガス」として、それを岸田隊員の苦悩や人物像への肉付けともした改稿版の方が、ドー考えてもマイルドな方向には中和されておらず、子供番組としてはよっぽどヘビーでヤリすぎで踏み込みすぎてしまってヤバい方向へと振り切れてしまっているのではなかろうか?(汗) 『帰マン』#11の内容自体もさることながら、金城の劇中初稿の「米軍」出自を「旧日本軍」出自の毒ガスに改訂させてもっとヘビーにして、しかも結局はそれにOKを出してしまった、そのTBS側のザルなチェック体制に至っては、もっとマズいだろ!(笑)


 いやまぁ本舞台では、TV局側を一種の無理解で作品内容にも干渉してくるプチ権力としての「悪役」に割り振って、それであってもウラから抜け道を探し出して、むしろよりテーマを明確にした作品を仕上げて、しかもそれを通してみせる老獪なところもあった金城! といったところでの、物語的に主人公を立ててみせた一連の描写ではあるのだろうけど。


 とはいえ、コレが実話であろうがなかろうが、金城の独力のみならずTBS側の横ヤリによっても、むしろこの『帰マン』#11のドラマ性やテーマ性は格段に高まったことにはなってしまうだろう。小説ならぬ映像作品というモノは集団作業・総合芸術でもあるので、この事実を描いてしまうことで、金城個人の才能の特権性についてはややウスれてしまうやもしれない。そして、創作において多数といわず複数の人間の意向が入り込んでいく過程自体には「船頭多くして何とやら」に陥(おちい)る危険性ももちろんあるのだ。しかし、作品に作家個人の初期構想以上の多層性・重層性をも付与していくという効用があるのも事実である以上は、むしろTV局や玩具会社などの外部からの介入も適宜には肯定されてもイイようには思うのだ。


 ただし、1970年代初頭当時においても、我々日本国民にとってはそこまでアメリカさまが怖かったり、アメリカへの反対意見表明や在日米軍基地批判、日本政府批判や政府自民党批判などがタブーであったことなどはないだろう(汗)。むしろ「米帝批判」(アメリカ帝国主義批判)は常套的なスローガンですらあったハズである。
 それは本作『帰マン』放映直前の1970年秋クールに放映が開始された、我らが初代『ウルトラマン』にも関わった脚本家・佐々木守脚本による、左派的な志向も多大にあったコミカルなホームドラマ『お荷物小荷物』が沖縄問題をテーマに据えており、その最終回では日本国憲法9条が廃棄されて人々が戦地に招集されていくようなストーリー展開を持った作品が平気で放映されて、視聴率も30%を達成していた事実でもわかることである。
 学生運動の成れの果てである連合赤軍が翌1972年に起こした「あさま山荘事件」とその後の取り調べで仲間内での大量リンチ殺人が発覚するまでは、むしろ国民間では相応の規模でこのテの左派的な社会派テーマと共鳴するような空気が良くも悪くもあったのだ。
――もちろん近隣諸国の国際情勢が大きく様変わりした21世紀においては、『お荷物小荷物』などが提示していた問題意識は古びてしまった面があるのも否めない。しかし、それはまた別の議論であるし、全肯定でも全否定でもない是々非々で、各自が個々に判断すべきことではあるだろう――


75年海洋博:「科学の光と影」以前、沖縄の「南海楽園性」と「ムラ世間的因習性」!


 1975(昭和50)年、沖縄で開催された海洋博「EXPO 75」の開会式やその前夜祭、閉会式の構成・演出を務めて、実質プロデューサー&各位への折衝役をも務めることになった金城哲夫


 式での披露に備えて、いかにも沖縄的で南洋の多幸感に満ち満ちた、浅黄色の着物を着た娘たちによるハイテンポな沖縄舞踊の練習光景が相応の長尺を使って描かれる。
 と同時に、この海洋博に特に限定した話でもナイ、どこにでもある話だとは思うので、この出来事を特にヒドい話として特権化することもないとは思うのだけど、日本本土のお役人や主催者側からは「さらにもっとハデに!」「人員を増員して!」「でも、予算の範疇で!(笑)」などとハッパをかけられている、中間管理職的な悲哀に満ち満ちた金城の姿も描かれていく――古今東西・世界中、下請け会社は皆こーなっているとも思うけど(汗)――。


 増員したことで、踊り子の娘たちから「ひとりひとりの給金が減らされた」ことを知らされる金城……。


 ここの展開で安直な善悪二元論に陥(おちい)って、本土=日本が「絶対悪」の加害者で、沖縄こそが被害者で純粋無垢(むく)な「絶対善」なのだ! 沖縄こそが大正義! なぞといったような陳腐凡庸(ちんぷぼんよう)で単純な構図になってしまったのならば、思いっきり小バカにしてやろうか!? そーいう論評をする観衆の側も小バカにしてやろうか!? などと構えていたのだけれども……(心の中だけで・笑)。


 ここでは古き良き、もとい古き忌(いま)まわしき「日本」、もしくは古き忌まわしき「地方」、ついでに古き忌まわしき「沖縄」の、悪い意味で因習的で土俗的なムラ世間といった要素も露呈してくるのであった……。


 会場前の大海原に漁船を大量に登場させることについての交渉の際の出来事である。海洋博によって漁場を失ってしまったガラの悪い漁師たちは、ムリからぬことではあるし同情の余地もあるのだけれども、「武士は喰わねど高楊枝」で乞食のようなマネはせずにストイック(禁欲的)にふるまってグチも吐かない! ……などといったことはさらさらなくって(汗)、すでに充分とはいえないまでも補助金が出ていたハズなのに、したたかにもおカネをせびってきて、あいさつに来る際には前近代的なワイロまがいの酒瓶の持参までをも金城に要求してくるのであった……。


 そんな理不尽なことがあっても、「日本ナショナリズム」の側にも、「沖縄ナショナリズム」の側にも付かない(性格的にも付くことができない)、筆者から見ると実にカッコよくて左右双方に存在しているそれぞれに種類が異なる悪へと自堕落に墜ちていく道には決してハマっていくことがない気高き苦渋の金城哲夫! しかして、その行為はまた「日本」からも「沖縄」からも同情されずに、つまりはその両者からの挟撃・板挟みにあってしまって、誰にも理解されない細くて高き尾根の道を進んでいくことをも意味していたのであった。


 一応の「コスモポリタン」(世界市民)的な先駆的な理想の持ち主が、前近代的な意識を保持したままである「日本」と「沖縄」の両陣営の人々に、自身の一応の高邁なる理想を理解されずに糾弾されてしまう理不尽と苦悩が、二元論ならぬ三元論(!)として、ここではシッカリと描かれているのだ……。


76年昇天:後年の特撮マニアや40年後の上原正三とメタ会話する臨終の金城!


 1976(昭和51)年、逝去の年。アルコール中毒と化して、妻にお酒を制限されている金城哲夫が描かれる。


 そこに、後年の我々オタク族の代弁者の役目も務めさせているのだろう、『ウルトラマン』シリーズのマニアであるという青年が金城のもとに訪ねてくる――当時はまだオタクという言葉もオタク差別すらもがなく(イケてる系/イケてない系のスクールカーストの分化すらもがまだナイ時代であり)、そもそもオタクやマニアの存在すらもが世間には認知はされていなかった時代だけれども――。


 1960年前後生まれのオタク第1世代が青年期を迎えてマニア活動をはじめた70年代末期の第3次怪獣ブームというモノは、TVアニメ『宇宙戦艦ヤマト』(74年)の総集編映画化(77年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20101207/p1)にはじまる第1次アニメブームや、SF洋画『未知との遭遇』や『スター・ウォーズ』(77年・78年日本公開・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200105/p1)にはじまるSFブームとも一体化した超特大ブームでもあった。


 しかし、この1976年とは、そのブームの直前の雌伏の時期であり、本邦初のマニア向けムックが発行されるのも翌77年末のことであるからして、金城や上原が沖縄出身であることは世間や特撮マニア間でも知られてはいなかったので、コレも実話ではなく本舞台劇におけるフィクションなのだろう。そして、彼を後年のオタクの代弁者――あるいは本舞台の脚本家の分身?――として、金城と仮想的に対話をさせることで実現させるメタ・フィクションでもあるのだろう。


 初代『ウルトラマン』放映からでもすでに10年が過ぎた1976年。放映当時の子供が青年へと成長した姿でもあり、早稲田大学に在学中だという彼は、『ウルトラセブン』における金城脚本回である#42「ノンマルトの使者」における、地球の先住民(!)である海底人・ノンマルトたちが地球人こそが実は侵略者なのだ! と糾弾してみせるシーンを身振り手振りで再演してみせる(笑)。そして、


「アレは沖縄の怨念の象徴ですよネ!」


などと、いかにもオタク的な、自分の得意なジャンルの話題になると急に冗舌となってテンション高くて、空気も読まずにマクし立てていく光景が描かれる。


 それを面映ゆそうに受け止めている金城……。


 1980~90年代におけるマニア向け書籍などでの研究で、その沖縄出自の境遇とストレートに紐付けるかたちで深読み・解読されるかたちで確立してきた金城哲夫論。しかし、90年代末期以降は金城の周辺人物へのインタビューなどによって、「金城は当時そこまでストレートに沖縄問題を『ウルトラ』シリーズなどの虚構作品に仮託していたワケではなかった(大意)」とする証言が多々出てくることにもなっていく。
 それもごもっともなことではある。沖縄出自の要素が無意識に作品にも反映されていた面はたしかにあったのだろうけど、その一方で作劇の都合論でのストーリー展開にすぎなくて、深読みすれば沖縄論にも接続できるストーリーに着地しただけのこともあっただろう。つまりは「出自」と「作劇的都合」というコーヒーと牛乳の双方があったのであり、あるいはその両者がコーヒー牛乳的に混合していたこともあったのであろう。


 ということは、「ノンマルトの使者」というエピソードには、金城による「沖縄の怨念の象徴」といった面もたしかに無意識にはハラまれていた可能性はある。しかし、さすがの金城もそこまでは考えてもいなかった可能性もある。つまりは相矛盾する両方の可能性が論理的には同時に成立してしまうのだ!


 「ノンマルトの使者」というエピソードにはそんな両義的なところもたしかにある。よって、金城個人にそのような作品解題を捧げてみせることで、しかも「無意識」の次元において発揮された作劇のことまで指摘されてしまえば、それはたしかに自分でも「肯定」だとも「否定」だとも取れない、あるいは「肯定」&「否定」の両者を同時に「メタ肯定」するような態度を、つまりは「面映ゆそう」なドッチだとも取れる複雑な表情をさせてみせることこそ、実に正しいストーリー展開であったかもしれないのだ。


 そして、このシークエンスは我々特撮オタクたちにとっては実にイタい(笑)。まぁこの描写の一点だけをもって、本舞台は「オタク差別」というモノを作り手たちがそのメンタルの根底にはやどしていた作品でもあったのだ! なぞとケツの穴の小さい糾弾などをする気は毛頭ナイけれど。
 個人的には、オタク第1世代のライターたちであるオタキング岡田斗司夫唐沢俊一的な「オタク・イズ・ビューティフル」言説や「オタク・エリート」論などの方がネタであってもドーかとは思ってきたし(汗)、オタクの在り方について少しでも疑義や異論を差し挟んでみせたら「それはオタク差別だ!」、「オタクの側にも改善すべき欠点があるんじゃネ?」などというような異論を述べてみせたら、即座に「裏切り者!」呼ばわりをしてきて、我々オタク自身を批判も許さぬ神聖不可侵の天皇的な存在に祭り上げかねない、狭苦しい論法もドーかとは思っているけれど(笑)。



 アルコール中毒の更正のために(汗)、病院へと入院することになった金城。しかしそれなのに、自宅のウラにあるさとうきび畑に隠し埋めておいた酒瓶で最後の一杯とばかりによろしくやっているダメンズ金城哲夫も描かれる。


 そこにちょうど40年後の現在、つまりは2016年の未来(!)から、かつての同僚・上原正三のお迎えがやって来てしまう!


 そして、時空を飛び超えて、その後の40~50年間の歴史・世相風俗・戦争廃絶の有無・国際情勢をふたりが問答しながら鳥瞰(ちょうかん)していく、反則ワザでメタフィクション形式でのしばしの邂逅(かいこう)が行われて……。


総括:鑑劇を終えて。脚本&演技ともに金城のエッセンスの抽出には成功!


 ムチャクチャに面白かったとまではいえないけど、ダレることなくタイクツすることなく、鑑賞することができた。要所要所でウルッとも来た。筆者よりもウルサ型のイジワルな特撮マニア連中がナニを云うのか、どのようなキビしい持って回った感想を持つのかはわからないけれども……(汗)。大名作だった! なぞとは確言しないけど、脚本・演出・役者陣が、作品の題材を見事に自身たちの血肉と化して消化できた上で、金城の半生を物語として表現・定着できていたとも個人的には思うのだ。


 舞台劇である以上は、美術セットの関係からも細かい場面転換は不可能である。しかも主要な登場人物は実質3人だけなのである。よって、TVドラマや映画の演出技法で云うならば、長廻しのワンカットで延々と少数の役者陣の芝居を観続けているような作品でもある。


 もちろん鑑賞中はよけいなことは考えずに、筆者も基本はストーリー展開に没入している。しかし、あとで冷静に考えれば、金城哲夫役の役者さんはほとんど全編出ずっぱりの一人芝居に近いものがあり、金城の生前の人柄も再現するために、基本は終始テンション高くて明るくしゃべりっぱなしなのであった……。ある意味でこの演劇は、演者である氏の技量にかかっている。そして、氏はその責務を充分に果たしていたといってイイだろう。


 加えて我々マニアには、見た目からして眉毛が太くて意志的でエネルギッシュさをも感じさせる、昭和末期の1980年代に大ヒット曲も放った豪放なコミックソング的な演歌歌手・吉幾三(よし・いくぞう)をもほうふつとさせる金城哲夫の風貌は、マニア向け書籍に掲載されてきた写真によってもよく知られてきたところでもある。
 もちろんフィクションである以上は、ソックリさんを演者に起用する必要は毛頭ナイ。筆者個人のことをいえば、仮に金城にそれほど似ていない御仁が演者を務めていたとしても、そのへんは割り切って金城だと見立てて鑑賞することもできるタイプではある。


 しかし、それが役者さんの演技の力というものなのだろう。本舞台を鑑賞していると、この「金城」はいかにも豪放・快活で、伝え聞いて個人的にイメージを膨らましてきた「金城」らしいのである。


 当初はTBSの映画部ディレクターで、円谷英二の没後には円谷プロの2代目社長に就任する「円谷一」もまた、ムダに粘らず早撮りで有名で快活な御仁であったと各種マニア向け書籍で伝聞されてきた。この役を務められた長身で若干(じゃっかん)年輩ながらも快活な役者さんの方も、筆者個人の脳内補正もあるのだろうけど、七三分けっぽい髪型からしてコチラがイメージしてきた円谷一、あるいは円谷一の息子さんであられる往年の『宇宙刑事シャイダー』(84年)こと、こちらもすでに故人であられる俳優・円谷浩つぶらや・ひろし)の風貌からも類推される、いかにも円谷一らしい姿に見えてきてしまうのだ。


 脚本家でありながらも円谷プロ文芸部の部長として対外交渉・プロデューサー的な役回りも務めていた金城や、撮影現場にいる大人数を大声でまとめあげていた円谷一監督と比すると、相対的に線が細くて凡人の平均的なテンションの持ち主であることからしてホッともさせられる「上原正三」役の役者さんのルックスや演技もまたしかり。


異色派ならぬ埋没気味な王道派作家・金城哲夫に陽が当たるまでの歴史!


 正直、スレた特撮マニアであれば、70年代末期に本邦初のマニア向けムックが発行されて以来、金城哲夫は研究も進んでいて、その人物・人となりも昭和特撮マニア間では充二分に知られてもいる。
 ここ四半世紀の間でも金城は、すでに1993年8月5日(木)にNHK-BS2での90分枠特番『ウルトラマンの世界』などの1コーナーでも金城の足跡目当てで沖縄まで取材に行ったり――近年では読売新聞の鈴木美潮(すずき・みしお)が特撮スポークスマンだが、当時はNHKのアンドロイド美少女もといニュースキャスター・宮崎緑(みやざき・みどり)が『ウルトラマン』マニアであることをカミングアウトして本番組の司会も務めていた――、『知ってるつもり?!』(日本テレビ・89~02年)1998年9月13日(日)放映回や、2010年にも『歴史秘話ヒストリア』(NHK・09~21年)2010年9月15日(水)放映回などの、一般層に向けた評伝形式の人気TV番組でも幾度か紹介されてきたほどなのである。


 とはいえ、昭和特撮も遠くなりにけり。平成も約30年に至ろうとする、昨今の若い平成特撮マニアたちにとっては、金城も重きを置かれた特別な存在ではナイのだろう――それが悪いというのではなく――。しかし筆者のように昭和特撮で産湯を浸かったロートル・マニアたちにとっては、金城哲夫は相応に大きな存在なのである。


 とはいえ、その人物・作品評価も一朝にしてなったものではない。オタク向けのジャンルが青年層の間ではじめて勃興した70年代後半~80年代初頭にかけては、第1期ウルトラシリーズが神格化されるようになるに伴ない、それらを支えた脚本家たちや本編演出の監督たちに対する注目や神格化が始まった。
 それでも「ウルトラ」評論史の黎明期においては、いわゆる変化球・アンチテーゼ編、怪獣攻撃隊の隊員たちの意外な一面や湿った苦悩、ゲストキャラとのカラみなどをヒューマンに描いた「人間ドラマ」や、科学の進歩やヒーローの正義に疑義を呈してみせる「社会派テーマ」などを扱った「問題意識」が明瞭な作品の方が、圧倒的な注目を浴びていた。


 つまり、「怪獣もの」や「変身ヒーローもの」の本来の魅力、本来の路線である、怪獣との一進一退の乾いた攻防劇、作戦・知謀のゲーム的な面白さ、怪獣自体の特殊能力から着想して作ったエピソード、ヒーローの特殊能力を活かして爽快な戦いのカッコよさを描いた作品などには、あまり注目は集まってはいなかったり、批評的な言辞や解題などは与えられてはこなかったのだ――今でも同じか?(笑)――。
 よって、変化球・アンチテーゼ編のエピソードの作り手たちであった、佐々木守脚本・実相寺昭雄(じっそうじ・あきお)監督コンビなどの作品群の方が、年長マニアたちによる「ウルトラ」評論の俎上に真っ先にのぼることになったのだ。続けて、沖縄・辺境・弱者の怨念といったカラーを感じ取ることができる上原正三作品や、スパイスもある独自の叙情性を備えていた市川森一(いちかわ・しんいち)作品が俎上にのぼるようになっていく。


 しかし、金城哲夫は第1話・最終回・イベント編などといった、カラッと乾いたSF的な世界観設定をも提示する基本設定編を手掛けた脚本家だというイメージはあっても、その「作家性」がどのようなものであったのかについては判然としない感じではあり、そのような観点から70~80年代においては、その作家性の詳細についてはあまり語られてはこなかったのも事実なのだ。


 そこに転機が訪れる。もう早くも四半世紀も前の出来事になってしまうけれども、1992年に発行されたムック『別冊宝島 映画宝島vol.2 怪獣学・入門!』(JICC出版局 現・宝島社)に掲載された、当時ともにまだ20代の若者であった切通理作(きりどおし・りさく)と佐藤健志(さとう・けんじ)による長編論文の鮮烈な登場である――両論文はともに切通の方は『怪獣使いと少年 ―ウルトラマンの作家たち 金城哲夫佐々木守上原正三市川森一』(JICC出版局・93年6月1日発行・ISBN:4796606718)、佐藤の方は『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』(文藝春秋・92年7月1日発行・ISBN:4163466606)の名義で、単著として刊行されることになる――。


 ココで現在までにつづく、金城哲夫の「作家性」と「作家像」がはじめて断片ではなく体系的に言語化・成文化されて確立されたといってもイイだろう。正直、筆者もこの両者が確立してみせた「金城像」については当時、大いに感銘を受けている。影響も受けているし、大ワクとしては異存もないのだ。


 ただし、そのころには筆者ももう子供ではなく小賢(こざか)しい若造になっていたので(汗)、読後数ヶ月もすると細部においてはコレはいかがなものであろうか? というような疑問をいだくようにもなっていく。コレはやはり、金城哲夫を「王道」の「娯楽活劇作家」として語るというモノではない。今までの佐々木守上原正三を持ち上げていたのと同じく、旧態依然の社会派テーマ優先主義的な「論法」のバリエーションの応用ではないのかと……。
 しかも、完成作品それ自体ではなく、作品の外側にある彼の生育環境・志し・挫折・逝去時の模様などの情報によった答案の答え合わせですらあり、金城のあまたの作品群の中から必ずしも金城らしくはない……と云っては云い過ぎやもしれないけれども、数は少ない例外的なドラマ性やテーマ性が高く感じられるエピソードの断片や描写などをひろってきて、そこに金城の人生模様から汲み取れた苦悩を代入してみせることで、「そーだ、そーだ、金城の人間性や作家性、沖縄と本土との架け橋たらんとしたテーマ意識がここに表出されているのに違いない!」といったかたちで証明するといったモノである。


 あげくの果てに、金城が東京では沖縄での戦争体験のことや基地問題をあまり語ってはこなかったという、当時の円谷プロのスタッフ側の証言が出てくると、今度は特撮マニア諸氏は別所での上原正三などによる推測発言なども援用するかたちで、


「安易には語れないほどに重たい、封印したい体験があったのだ……」


などという、歴史上の敬虔(けいけん)なクリスチャンの修道者がよくやるような「艱難辛苦(かんなんしんく)、我にのぞみたまえ!」ばりに、「戦争体験が重たければ重たいほど、作家としてのステータスやステージが上がる」のだと云わんばかりの、新たな神格化が始まりだしたり、深読み競い合い合戦・信仰告白競争が始まったりもする。


 オイオイオイ。怪獣との一進一退の攻防劇、作戦や知謀のゲーム的な面白さ、怪獣自体の特殊能力から着想して作った王道の娯楽活劇エピソードの作劇術の方こそを、分析・解析する気はもうまったくなくなってしまったのかヨ!?(笑)



 ところで、金城の作家性については、後天的な環境や学習によらない、もって生まれた先天的な気質・性格面の要素の方が大きいとも私見する。筆者個人の見解や人間観で恐縮なのだが、社交的な人間と控えめな人間の「性格」の違いから来る感情表現の違いや人生観や人間観は、享楽的であったり厭世的であったりして、筆者の乏しい経験からも非常に大なる落差をもたらすものだとも思うのだ。
 そして概して、生まれつき快活で豪放磊落な「性格」の人間は、シミったれた陰気なお話や、自分に同情・憐憫(れんびん)を乞うているような話題が「卑屈」にも思えてキライだくらいに思っているようなのである――偏見であるのならば失礼(汗)――。だからこそ、単に自身の明朗な「性格」ゆえに、過去の悲惨な戦争体験を積極的には語らない、といったようなこともあるようには思うのだ。


 筆者も含むシミったれた「性格」の弱々しいオタク一般は、自身の悲惨な境遇(汗)をドコかで打ち明けて、自戒も込めて云うのだけど、ダメ人間同士の間でだけは認め合ったり慰め合ったりキズをナメ合ったりしたいと思っているフシがあると思う(笑)。コレは若いオタク世代であれば、2010年前後から勃興する(ひとり)ボッチを題材としたライトノベルや深夜アニメの隆盛などにも通じていると私見


 しかし、金城哲夫はその点では我々のようなオタク側の「性格」類型の人種ではナイようではある。そーいう意味では従来の金城論は、「性格」の問題と「境遇」の問題を混同して、「性格」問題をあまり見ないか、見えてはいても意識的にか無意識にか無視して「境遇」問題の方ばかりを優先しすぎていたようにも思うのだ。
 筆者個人の見立てでは、「後者」も無視はできないものの、金城の作風に大きな影響を与えているのは、あくまでも「前者」の「快活」「豪放磊落」たる底抜けに明るい「性格」であったと思えるのだ。そしてそれに挫折を与えて鬱屈させるのではなく、自由気ままを可能にして、あの時代のアメリカ占領下の沖縄で湯水のように大枚はたいて、琉球王国時代の実在の遊郭の遊女を主人公にした自主映画『吉屋チルー物語』(62年)を20代前半の若さで製作ができてしまったような、実家のプチ・ブルジョワ的な裕福さが、その純粋培養を可能にさせてもいる。


 とはいうものの、60年代後半における第1期ウルトラシリーズにおいては、その楽天的なカラーが脚本作品にもある程度まではストレートに表出されていたともいえるけど、先の『帰ってきたウルトラマン』#11「毒ガス怪獣出現」の作風を見てみれば、コレはある意味では上原正三よりも上原正三らしくて、『帰マン』そのモノといった作品に仕上がっていたとも思うのだ。
 そう考えると、オトナたちはともかく70年代初頭の子供たちはまだ濃厚には感じていなかったかもしれない、科学や進歩や高度経済成長に対する楽天的な希望があった60年代とそれへの懐疑が前面化した70年代との時代風潮の断絶・亀裂を、金城個人もその全身でナチュラルに体現していただけのようにも思えて来るのだ。


 第1期ウルトラシリーズ至上主義者のオタク第1世代の特撮マニアたちは、第2期ウルトラシリーズでも金城が登板さえしてくれれば近未来的な明るいSFテイストを維持できたであろうものを……とグチってみせる言説が、20世紀においては定番ではあった。けれども、やはり金城自身が仮に登板を継続していたとしても、70年代前半の「時代の空気」の中で執筆したのであれば、今あるかたちの日常寄りの『帰ってきたウルトラマン』(71年)のような作品に仕上がったのではなかろうか?
 もっと云うなら、『帰マン』の反転として日常性よりもスペクタクル性を志向した次作『ウルトラマンA(エース)』(72年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070429/p1)、『A』のアンチとしてマイルドで牧歌的な作劇となった次作『ウルトラマンタロウ』(73年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20071202/p1)、そのまた『タロウ』の反転としての実にシビアで切迫感と孤立感にあふれる作劇となった次作『ウルトラマンレオ』(74年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20090405/p1)。たとえ金城でも70年代前半という「時代の空気」の中では、結局は今あるいわゆる第2期ウルトラシリーズのような作風の変遷を遂げていったような気がしないでもないのだ。
 それは金城が沖縄に帰郷後に手掛けた、沖縄の史実に材を取った沖縄芝居に、子供向け特撮ではないからだとの理由もあるのだろうが、牧歌的な要素があまり感じられないところからも察せられてくる。


 加えて、沖縄の米軍を追い出して、その代わりに自衛隊に駐留してもらおう! なぞと、同時代の左右の思潮とも次元の異なる着想を得てしまう金城が、その後も生き長らえていたとすれば、その後にどのような思想的な変遷を遂げていき、どのような高い境地へと到達していたかについても興味はそそられる――もちろん始末が悪くて出たがりでおしゃべりな老害的な存在に堕してしまった可能性だって有り得るけれども(笑)――


 とはいえ、まずは60年代後半における初代『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』における、ドラマ性やテーマ性よりも明るく楽しいエンタメ活劇を実現できていた金城脚本回の妙味を、いかにそのように言語化・言説化していくのか? そして、それをそのままに踏襲とは云わず、いかに日本特撮の進むべき道標の補助線ともしてみせるか? それをさしあたっての筆者個人の課題としていきたい。


追伸:沖縄でも居場所を見つけられないであろう我々オタクたち(汗)


 我々オタクは地縁・血縁・学校・会社などにはさして帰属意識なぞは持っていないのがフツーである。しかし、そーいう意味では虐げられしものの象徴とはいえ、金城や上原には帰るべき、あるいは依拠すべきものとしての密で牧歌的な人間関係も保持した楽園性のある沖縄があったのは幸いなのだろう。
 しかし、コミュニケーション弱者であり、現実世界・3次元世界ではなく特定のマイナー文化趣味にアイデンティファイしてしまった我々のようなオタクたち、もとい筆者にとっては、そのような地縁・血縁的な濃密な人間関係の中で生きている沖縄もまた、典型的なムラ世間ではあり、気が合う人間が見つけられなかった場合には息も付けない場所となってしまう可能性が高い気もしている(汗)。そして、そのような空間には馴染めない趣味人に対する異物を見るような蔑視の視線までもが先回りして想定されてくる。
 やはり我々のようなオタク人種は、周囲が後腐れのない他人ばかりの匿名性が維持できる都心や近郊などでこそ、浮かぶ瀬もあるようには思うのだ(爆)。


追伸2:隣席の上品な高齢女性が円谷一役の役者さんの母君であらせられた!


 観劇終了後、隣席の上品で小柄な高齢女性が突如として話しかけてこられた。しばしの社交辞令的なカルい雑談のあと、どのような関係や興味でこのような舞台を観に来られたのですか? といった趣旨の質問をされてきた。ガチのオタクであることをカミングアウトすることは憚られたし、マニアといった存在自体を知らない可能性もあるので(汗)、遠回しに『ウルトラマン』などのファンなので……といった返答で、こちらも逆に同様の質問を返していった。
 すると驚くなかれ。この高齢女性は円谷一役の役者さんの母君だというのだ! 「スゴいじゃないですか!?」と返すも、この役者さんはどうも役者の道を進まれてからはご実家には帰省されたことがないらしい……。エ~~~ッ!? ……ウ~ム。
 たとえTVドラマでは見ない役者さんではあっても、劇団民藝ほどの団体で、端役ではなく主役級の役者さんとしてご活躍されている以上は相応のポジションにはいるハズなので、その旨を語り合いつつ、貴重な5分間ほどの時間を座席に座ったままで過ごしたのであった……。


(了)


『光の国から僕らのために-金城哲夫伝-』寸評

(文・フラユシュ)


 最近の金城の研究で発掘された新たな事実を踏まえつつ、基本的には山田輝子の『ウルトラマン昇天 -M78星雲は沖縄の彼方』(朝日新聞・92年7月1日発行・ISBN:4022564903、『ウルトラマンを創った男 -金城哲夫の生涯』として朝日文庫化・97年8月1日発行・ISBN:4022612088)や上原正三の『金城哲夫 ウルトラマン島唄(しまうた)』(筑摩書房・99年10月1日発行・ISBN:4480885072)を基に再構成したといった印象。
 論壇誌中央公論』か『文芸春秋』だったかに90年代に発表されたルポ――現物紛失のため詳しい内容を記載できず――なども参考にしているかもしれない。


 自衛隊賛美発言なども再現。ここでその発言に対して思想的なことをカラめると、左右いずれの陣営にも思考停止をした議論にならない輩がケンカを吹っかけてきそうなので、ヘタレてしまうけど、そこには深くはふれないようにする。
 各関係者の発言をまとめた人物伝としてよくできていた。ただ何か物足りなさというか、「夢見る心」や「舞台劇的な飛躍」が少し足りないような気もする(最後に夭折する直前、2016年の上原と通信するあたりなどはスキなのだが)。それは、本舞台以前に観賞した、別の金城哲夫の舞台劇の印象が筆者の心の中に残っていたからかもしれない。


 最後の方で、特撮ファンらしき大学生が金城を訪ねて、金城本人も意識していなかった(?)ような沖縄問題や日米問題などの風刺を、『ウルトラ』シリーズに対して深読みして演説しているシーンには、我ら深読みオタクのまさに鏡像にもなっていて思わず苦笑。以前、リアルロボットアニメの金字塔『機動戦士ガンダム』(79年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19990801/p1)を手掛けた富野監督が、自分の下に付いた若いアニメーターに「僕もインドに行けばニュータイプ(新人類)になれるでしょうか?」と真顔で言われたという話も思い出してしまった(笑)。
 この芝居では金城自身がポカンとそれを聞いていて、それに対して特にコメントはしないで終わるのだけど、実に妥当な表現だろう。



 実は90年代にも金城哲夫の伝記芝居が上演されたことがある(題名失念)。先日の芝居に刺激を受けて、もう手持ちの資料も散逸してしまったこの芝居に関して、記憶のみだが覚えていることを書き綴ってみよう。この芝居、Wikipediaにも記載がないのだが、92~93年の冬であったと記憶している。まだ当時は先の『中央公論』か『文芸春秋』に掲載されたルポと『映画宝島 怪獣学・入門!』(92年・JICC出版局(現・宝島社))が出たばかりで、切通理作の『怪獣使いと少年』(93年・JICC出版局(現・宝島社))も書籍化されていなかったと思うからだ。場所は東京は両国の舞台だったと思う。


 では、筆者が覚えているかぎりでのアラスジを記そう。


 冒頭は晩年の金城の2階からの転落事故から始まる。そして舞台は、青春時代の円谷プロ時代と沖縄へ帰ってからの地元との衝突が、交互に描かれていたと思う。
 そんな中、沖縄へ帰郷してから、金城は米兵の子を宿した自殺未遂の少女と知り合う。仕事のさなか親身になり彼女の世話をする金城。最初は自暴自棄だった彼女は、親身になる金城にだんだんと心を開いて、やがて彼女は自分の子の父親を探すために米国へと旅立つことを決意する。
 そのとき彼女は金城に対して「あなたは私の命の恩人でヒーローだ」と言っていたような。あるいは「あなたは私のウルトラマンだ」と言っていたような。
 希望の空へと旅立つ彼女を空港で見送ったあと、金城は以前から家族が薦めていたアル中治療をする病院に入院することを決めて、もう一度イチからやり直そうと決意して、希望を見出したところで幕だったと記憶している。


 なにぶん資料も残っておらず、記憶のみで書いているので、間違っていればご容赦を願いたい。ちなみに往年の円谷プロの特撮巨大ヒーロー『ミラーマン』(71年)の発端企画は69年に沖縄へ帰省する直前の金城による企画書で、発想の元は米兵と沖縄人の少女とのハーフの子供達がヒントにあったとする説があることを記載しておく。もちろんその少女とのエピソードは架空のエピソードなのだろうが、物語としては妙にカタルシスがあったことを記憶している。


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2016年春号』(16年2月28日発行)~『仮面特攻隊2017年号』(16年12月29日発行)所収『光の国から僕らのために-金城哲夫伝-』合評より抜粋)


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劇場版ウルトラマンタイガ ニュージェネクライマックス ~ヒーロー大集合映画だが、『タイガ』最終回でもあった!

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 ウルトラマンシリーズの正統番外編であるネット配信『ウルトラギャラクシーファイト』(19年)の第2弾『ウルトラギャラクシーファイト 大いなる陰謀』(20年)が、2021年5月26日(水)にBD&DVD発売記念! そして、同作にウルトラマンタイガも登場記念! とカコつけて、『劇場版ウルトラマンタイガ』評をUP!


『劇場版ウルトラマンタイガ ニュージェネクライマックス』 ~ヒーロー大集合映画だが、『タイガ』最終回でもあった!

(松竹系・2020年8月7日(金)公開)
(文・久保達也)
(2020年8月31日脱稿)

*超豪華! 12人ものウルトラマンが大集結!!


 『ウルトラマンタイガ』(19年)の後日談の劇場版として本来2020年3月6日(金)に公開されるハズだった映画『劇場版 ウルトラマンタイガ ニュージェネクライマックス』(20年・松竹)が、後述する事情で公開延期の憂(う)き目に遭(あ)い、2020年8月7日(金)にようやく公開された。


 近年のウルトラマンシリーズの劇場版は、直前作のウルトラマンのみがメインゲストであり、新旧2大ヒーロー共演ものではあっても先輩ヒーロー大集合! といった感じの特大イベント性が高い劇場版ではなかった。
 しかし本作では、『ウルトラマンメビウス』(06年)以来、長らく途絶えていたテレビ放映のウルトラシリーズを、ひさしぶりに毎年放映可能な製作体制で樹立した『ウルトラマンギンガ』(13年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200819/p1)以降、直前作『ウルトラマンR/B(ルーブ)』(18年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20180826/p1)、そして本作『ウルトラマンタイガ』までのウルトラシリーズ7作品に登場した主役格のニュージェネレーションウルトラマンが全員登場して勢ぞろい!!


ウルトラマンギンガ
ウルトラマンビクトリー
ウルトラマンエックス
ウルトラマンオーブ
ウルトラマンジー
ウルトラマンロッソ
ウルトラマンブル
・ウルトラウーマングリージョ
ウルトラマンタイガ
ウルトラマンタイタス
ウルトラマンフーマ


 そして、タイガの父で昭和の時代のウルトラマンであるウルトラマンタロウも含めて、合計12人ものウルトラマンが登場するのだ!


 しかも、本作では「声の出演」のみでなく、ウルトラマンギンガに変身する礼堂ヒカル(らいどう・ひかる)からウルトラマンタイガに変身する工藤ヒロユキ(くどう・ひろゆき)に至るまで、変身前の主人公を演じた役者さんが全員出演する快挙も成し遂げた!――ただし湊アサヒ(みなと・あさひ)=ウルトラウーマングリージョを演じた其原有紗(そはら・ありさ)は登場せず、グリージョの声のみを担当されている――


 もちろん本作の企画は、平成仮面ライダーシリーズの年末年始の新旧2大ヒーロー競演映画が興行的にも長期低落傾向にあった中で、直前作の仮面ライダーのみでなく、過去数作品の仮面ライダー複数名を変身前の役者さんも含めて客演させる方向性で、華やかさやイベント性や物語やバトルのスケールも拡大させて、そのタイトルも『仮面ライダー×仮面ライダー』シリーズではなく、『仮面ライダー平成ジェネレーションズ』シリーズに改めたことで、興行収入も右肩上がりに急増していった先例にならっての企画であったことはまず間違いはないだろう――加えて、製作会社・円谷プロ側の主導ではなく、玩具会社・バンダイ側からの売り上げ増が見込める商品点数を増やせるゆえの要望だったりして・笑――


 そういう意味では後追いのモノマネ。二番煎じの企画ですらある。
 しかし、アメコミ(アメリカンコミック)ヒーローが大集合する映画『アベンジャーズ』(12年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190617/p1)シリーズや映画『ジャスティス・リーグ』(17年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20171125/p1)に、女児向けアニメ『プリキュア』シリーズの歴代プリキュアが大挙登場する映画『プリキュア オールスターズDX(デラックス)』(09年)シリーズ(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20201227/p1)など、世界でも日本でもヒーロー大集合映画の企画がここ10年ほどは途切れることなく続いているではないか!?


 70年代~00年代初頭の日本の特撮評論では、シリーズ化やそれに伴うヒーロー共演自体が、ヒーローの神秘性・唯一絶対性を損なう「悪」とされていた時代があった(汗)。今さらではあるのだが、その論法は間違いであり、むしろ世界でも日本でも、そして昭和の時代でも、子供たちだけでなく人々は、時に巨悪に対しては作品を越境してヒーローたちが一致団結して立ち向かうという作品に興奮を覚えてきたのだ。つまりそれは、「普遍の心理」「普遍の真理」であり「普遍の方法論」でもあったのだ!


*『タイガ』の共生テーマを象徴するマグマ星人の大活躍!


 さて、テレビシリーズの『ウルトラマンタイガ』では地球人・宇宙人・アンドロイド・ウルトラマンなどさまざまな生命体の共存がテーマとして描かれていた。
 しかし、映画『劇場版 ウルトラマンR/B セレクト! 絆(きずな)のクリスタル』(19年・松竹・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190407/p1)でデビューを飾り、Web(ウェブ)ドラマ『ウルトラギャラクシーファイト ニュージェネレーションヒーローズ』(19年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200110/p1)でも継続して悪役として登場したレギュラー悪・ウルトラマントレギアにそそのかされ、地球での平和な暮らしを望んでいた宇宙人が悪へと落ちる話があまりに多かったために、個人的には正直今ひとつの印象を感じていたものだ――暗殺宇宙人ナックル星人や触覚宇宙人バット星人、幽霊怪人ゴース星人など昭和のウルトラシリーズでは凶悪だった宇宙人がそんな役回りだったために、よけいに違和感があった――。


 ただ、最終回(第25話)『バディ ステディ ゴー』(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20210606/p1)ではそのテーマの結晶として、悪の宇宙人の犯罪組織=ヴィラン・ギルドに所属していたサーベル暴君マグマ星人と宇宙商人(あきんど・笑)マーキンド星人が地球に迫りつつあった危機を前にそれまで敵対していた民間警備組織・E.G.I.S.(イージス)に協力・共闘し、そのまま就職するに至っている。
 今回の劇場版では導入部でマグマ星人とマーキンド星人がE.G.I.S.の一員として描かれることでテレビシリーズの続編であることが存分に示されているのだ。


 特にマグマ星人はE.G.I.S.の実働部隊としてヒロユキや正体は宇宙人である宗谷ホマレ(そうや・ほまれ)隊員とともに、「バラージの青い石」――初代『ウルトラマン』(66年)第7話『バラージの青い石』で砂漠の街・バラージを長年に渡って磁力怪獣アントラーから守ってきたアイテムが元ネタ――を博物館から強奪(ごうだつ)した三面怪人ダダが率(ひき)いる一団と対戦し、ホマレをダダの攻撃からかばって負傷するさまが描かれ、しかもホマレがマグマ星人を見舞いに行こうと主張する描写まであり(!)、そのキャラの立ち位置が完全に逆転していた。
 トレギアにそそのかされて悪へと転じた宇宙人たちよりも、元々悪だったキャラクターが正義側へと転じたマグマ星人の方がはるかに感情移入できるよな(笑)と実感したほどに、この場面は映画のツカミとしてもテレビの『タイガ』の続編としても有効に機能しているのだ。


 別個体ではあるもダダが『ウルトラマンジード』(17年)第18話『夢を継ぐ者』(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200523/p1)で搭乗していた、元は映画『ウルトラマンゼロ THE MOVIE(ザ・ムービー) 超決戦! ベリアル銀河帝国』(10年・松竹・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20111204/p1)に登場したベリアル軍のロボット兵器で、全身にダダと同じく黒白の縞(しま)模様が新たに塗装されたロボット怪獣レギオノイド・ダダカスタマイズで夜の市街地を破壊したのも個人的には実にうれしいサプライズであり、ウルトラマンタイガ→ウルトラマンタイタス→ウルトラマンフーマと3段変身をとげるヒロユキとの戦いが描かれたことにより、その後の展開に期待をふくらませずにはいられなかったものだ。
 いやホントにダダカスタマイズ、劇場限定ソフビなどで出してほしかったものだけど、今はこういうキャラの商品化はお金持ちのマニアを対象にしたプレミアムバンダイくらいにしか期待できないのか?(苦笑)


*ピンチの度に次々と集結してくる先輩ヒーロー!


ヴィラン・ギルドのアジトに単身潜入したE.G.I.S.の女社長・佐々木カナの危機にはクレナイ・ガイ=ウルトラマンオーブが!
・テレビシリーズ終盤で正体がアンドロイドと判明した――その伏線(ふくせん)はまともに描かれなかったが(爆)――オペレーターの少女・旭川ピリカ(あさひかわ・ぴりか)が機能が狂って踊りつづけるや大空大地=ウルトラマンエックスが!
・湊カツミ(みなと・かつみ)=ウルトラマンロッソからの警護の依頼を受けたヒロユキが屋外のマーケットに出向けば、そこには出店する湊イサミ=ウルトラマンブルと朝倉リク=ウルトラマンジードが!
・本作のメイン怪獣である邪神魔獣グリムドに敗れたヒロユキが宙から転落するや、彼をガッシリと受けとめるショウ=ウルトラマンビクトリーと礼堂ヒカル=ウルトラマンギンガが!……


 メインキャラの周囲に次々と強者が集結するさまは、本作と同じく近年の仮面ライダー役者を揃えることでおおいに盛りあがり、興行的にも大成功した映画『仮面ライダー平成ジェネレーションズFINAL(ファイナル) ビルド&エグゼイド with(ウィズ)レジェンドライダー』(17年・東映http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20171229/p1)には及ばないまでも、それと同趣向の作劇ではあった。


 特にガイがカナ社長をお姫さまダッコ(笑)してカナの足を利用して宇宙人を蹴散らすさまは、『ウルトラマンオーブ』(16年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20170415/p1)でもヒロインの夢野ナオミを同様のシチュエーションで救う描写が何度か見られたものだし、坂本浩一監督の演出でよく見られる男女のペアダンス(爆)によるアクションの応用のようでもあり、ガイの風来坊らしさを巧(たく)みに見せた演出といえるだろう。


 アンドロイドであるピリカの不調を、『ウルトラマンX(エックス)』(15年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200405/p1)で防衛組織・Xio(ジオ)の研究開発セクション・ラボチームに所属していた理系男子の主人公・大地が治(なお)すのもまた然(しか)りである。ピリカがラストシーンでもタイガに「大地さんによろしく」と語っていたほどにテレビシリーズでは見せることのなかった恋愛感情が初めて描かれたのも、『タイガ』のヒロインであるピリカを立てつつ、そのお相手が理系男子だというあたりで、それらしくて妥当だろう。
 ちなみに、Xioには健啖(けんたん)宇宙人ファントン星人のグルマン博士が所属していたが、今回ピリカとホマレがヴィラン・ギルドの情報を得ようとしてたずねたのはグルマン博士とは別個体で(着ぐるみは同一)、『タイガ』第4話『群狼(ぐんろう)の挽歌(ばんか)』に登場したファントン星人であり、彼を見て一瞬戸惑うもグルマン博士とは別人だと即座に無言で判断する大地の表情演技が描かれていたのもまたよかった。


 さらに、魔獣グリムドに苦戦するタイガ&ロッソ&ブルを助けるために颯爽(さっそう)とM78星雲・光の国から駆けつけたものの、逆にグリムドの魔力によって闇堕(やみお)ちしたウルトラマンタロウと敵対することとなって悩むタイガ=ヒロユキを励ますことができる役回りは、これはもうタイガ同様に実の父であるウルトラマンベリアルと戦わざるを得なかったウルトラマンジード=リクが一番適切であり、それぞれのキャラ設定を適格に活かすことで観客を感激させる作劇的技巧が存分に発揮されていたといえよう。
 一方、『ウルトラマンギンガ』当時はまだ高校生であり、ファンの方々には申し訳ないが個人的には常にニヤけたチャラ男(爆)という印象が強かったヒカルは、まぁ演じる根岸拓哉(ねぎし・たくや)自身が年齢を重ねたことが大きいだろうが、本作ではニュージェネレーションウルトラマンのリーダーとしての風格を感じさせる精悍(せいかん)な表情も見せており、これは気がつけばもう7年間もウルトラマンシリーズが継続していることの最大の象徴として感慨を深くせずにはいられなかったものだ。


 そのヒカルの「行こうぜ~!」を合図に変身前のニュージェネヒーローが横並びでいっせいに同時変身をとげ、変身バンクが連続して炸裂する描写こそ、子供たちも観客も最も観たかった場面だろう。ヒーロー名を叫ぶだけなどワリとシンプルな変身方法のヒカル・ショウ・大地・ガイに対し、


リク「ジ~ッとしてても、どうにもならねぇ!」
カツミ&イサミ「オレ色に染めあげろ! ルーブ!」


と変身時に長々とした前口上(まえこうじょう)まで口にするのも、マニア的には2010年代のウルトラシリーズも長期に渡ったことによる作風や演出の変遷、そしてそれらの優劣ではなく全肯定をここに感じてしまう。
 変身を果たしたニュージェネウルトラマンたちが順番にズシーン! と着地していくさまがスローで描かれる演出もまた、ウルトラマンたちを有象無象のその他大勢ではなく個々人でも存在感を高めさせている。


*待ってました! 再生怪獣軍団!!


 そして、本作で特筆すべきはウルトラマントレギアや魔獣グリムドのみならず、


・最凶獣ヘルベロス
・毒炎怪獣セグメゲル
・悪夢魔獣ナイトファング
・惑星守護神ギガデロス
・雷撃獣神ゴロサンダー


で構成された再生怪獣軍団が登場したことだろう。


 近年のウルトラマン映画では等身大の宇宙人軍団を登場させることでレギュラーの登場人物たちを人間ドラマのみならずアクション面でも活躍させる演出がなされており、本作もヴィラン・ギルドの構成員として先述したダダ以外にも、


・策略宇宙人ペダン星人
宇宙帝王バド星人
・暗黒星人シャプレー星人
・宇宙怪人ゼラン星人


のほか、もう今となっては一見では名前も出自となる作品もわからないような(汗)宇宙人たちが多数登場している。


 だが、本作のような大所帯の再生怪獣軍団となると、たとえば、


ウルトラマンゼロの相手としてウルトラマンベリアル
ウルトラマンメビウスには暗黒宇宙大皇帝エンペラ星人
ウルトラマンティガウルトラマンダイナとウルトラマンガイアには超合体怪獣ファイブキング


といった因縁の相手をぶつけていた、映画『劇場版 ウルトラマンギンガS(エス) 決戦! ウルトラ10勇士!!』(15年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200404/p1)以来のこととなるのだ。


 『ギンガ』ではじまったテレビシリーズの当初は、円谷プロの倉庫に眠る過去怪獣の着ぐるみの再利用が中心だった(汗)。しかし、作品を重ねるごとに新規にデザイン・造形される怪獣が増えていき、『タイガ』に至ってはそれら新怪獣だけで立派に怪獣軍団を構成できる数に至ったこと自体が実に喜ばしい。


 ただ、怪獣の数ばかりではない。
 第1話に登場したヘルベロスとニュージェネ最初のウルトラマンであるギンガとビクトリーが対戦! コミカルなゴロサンダーとやはりコミカルなロッソ&ブルの兄弟(笑)が戦うようなマッチメイク!
 当初は優勢だったニュージェネウルトラマンたちが魔獣グリムドの力によって凶暴化した怪獣軍団によって劣勢となるシーソーバトル!
 これらにより怪獣軍団が決してにぎやかしなだけ、ましてや昭和の時代にあった「再生怪獣は弱い」という常識(爆)をくつがえすだけの確固とした存在感が示されていたのはやはりうれしい!


 再生怪獣軍団に取り囲まれたニュージェネウルトラマンたちが一斉攻撃を受けて炎に包まれるさまが上空から市街地を俯瞰(ふかん)して描かれる! しかし、その炎の中から、


・ギンガとビクトリーが合体したウルトラマンギンガビクトリー
ウルトラマンエクシードエックス ベータスパークアーマー
ウルトラマンオーブ オーブトリニティ
ウルトラマンジード ウルティメイトファイナル
ウルトラマングルーブ


と、かつてそれぞれの劇場版で披露された各ヒーローの最終&最強フォームが登場!!


 大ピンチに際して最強形態に変身するのも合理的でうれしい! 先ほどとはまったく逆に、ニュージェネウルトラマンの最強形態に取り囲まれた再生怪獣軍団が必殺光線の一斉発射で燃えあがるさまを俯瞰して描く特撮演出も実に対比が効いていた。ニュージェネウルトラマンのカッコよさを最大限に盛りあげる役目を本作の再生怪獣軍団は立派に果たしていたのだ。


*トライスクワッド、そしてウルトラマン合体の感動再び!


 さらに、本作ではウルトラマンタイガ・ウルトラマンタイタス・ウルトラマンフーマがヒロユキの体を長らく借りている間にヒロユキの力なしでもそれぞれが単独で実体化できるようになるまでに回復したとして、


「われら、トライスクワッド!」


と、テレビシリーズではついに描かれなかったタイガ・タイタス・フーマのそろいぶみ・共闘がクライマックスバトルで実現したのも感動的だった。
 72分という短い尺で多数のキャラを登場させているワリには本作は先述した導入部のバトルをはじめ、半透明で人間大サイズやミクロ化した姿となったタイガ・タイタス・フーマのコミカルなやりとりも意外に多く点描(てんびょう)されている。
 テレビシリーズ序盤でこれこそがライト層を『タイガ』に注目させ、作品カラーも明朗にさせたのにもかかわらず、中盤以降これらの点描を省略したことも番組の人気・勢いが失速した一因だったことを思えば、やはり大衆向け作品としてもこれは必要不可欠な要素だったのではなかろうか?


 テレビシリーズではその中盤でヒロユキ・タイガ・タイタス・フーマの4人が合体したウルトラマンタイガトライストリウムが登場した。本作のクライマックスではそのトライストリウムに全ニュージェネウルトラマンが力を結集させることで新ヒーロー・ウルトラマンレイガが誕生する! タイガのやや横長の黄色い目や頭部と目の周囲のヘコみ部分を継承し、両耳のツノは廃したデザインだ。


 ニュージェネウルトラマンがトライストリウムのツノにその力を結集させる場面は、ゾフィー初代ウルトラマンウルトラセブンウルトラマンジャックウルトラマンエースのウルトラ5兄弟がタロウの両耳にあるウルトラの父ゆずりのツノ・ウルトラホーンに力を結集させたことでタロウがスーパーウルトラマンと化した映画『ウルトラマン物語(ストーリー)』(84年・松竹)の再現だ! とネット上では狂喜する声が多い。
 それはたしかにそうだし、個人的にも感動させてもらった。しかし、それ以前に『ウルトラマンタロウ』第25話『燃えろ! ウルトラ6兄弟』でも宇宙大怪獣ムルロアが吐いた黒煙に包まれた地球を救うために、タロウがウルトラ5兄弟とウルトラ6重合体(!)で身体密度を上げてウルトラタワーに安置されたウルトラベルを取り出す場面があったのだけれど、それとの共通性をあげる声は極少なのが隔世の感である。


 2000年代初頭くらいまでは見られた「ヒーローはひとりで戦うべきだ!」などという主張に至っては、まったく見られない。ヒーロー競演を大喜びする声であふれている今日は、昭和のウルトラ兄弟の設定さえ全否定するマニアが多かった時代と比すれば、個人的には天国である(笑)。


 地球を去っていくニュージェネウルトラマンたちがカメラ目線(笑)で観客にあいさつする、ウルトラマンの神秘性よりも親しみやすさを強調した描写などは、まさに今の時代のヒーローにはふさわしい演出だろう。


*結局語られなかったトレギアとタロウの因縁


 さて、ここまで百花繚乱(ひゃっかりょうらん)で実に見せ場にあふれている本作だが、個人的な感想では先述した映画『劇場版 ウルトラマンギンガS』や、映画『劇場版 ウルトラマンX きたぞ! われらのウルトラマン』(16年・松竹)、映画『劇場版 ウルトラマンオーブ 絆の力、おかりします!』(17・松竹・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200406/p1)などに比べて、その完成度は今一歩という感がある。その原因はいったい何なのか? 順に考察してみたい。


 まず、ウルトラマンタロウのかつての親友で、ウルトラマンヒカリらと同じく光の国の科学者だったが、闇堕ちするに至ったウルトラマントレギアとタロウの因縁に関しては、本作は『タイガ』の「完結編」であるにもかかわらず、今回もトレギアがナゼそこまでタロウへの復讐に執着するのかが、いっさい明かされることはなかったのであった。
 導入部とタイトルにつづいて、かつて魔獣グリムドが封印されていた宇宙遺跡ボルヘスの墓場にタロウが現れ、トレギアが


「かつてはこんな場所をよく探検したな」


などとタロウに語りかける描写があるが、両者の関係性が示されるのはホントにそれだけ(汗)。いったいトレギアとタロウの間に過去に何があったのか? タロウの何がそんなに気にいらないのか? タロウへの嫉妬や対抗意識だとはだいたい想像はつくものの(笑)、それをお約束でも具体的なセリフとしてトレギアにしゃべらせなければ、ドラマ的にも盛りあがらないではないか!?


 たとえば、ウルトラマンベリアルはかつてはウルトラの父の戦友であり、3万年前のウルトラ大戦争ウルトラの父とともに大活躍した功績もあったのだが、宇宙警備隊の初代隊長にウルトラの父が任命されたことでプライドが傷つけられ、さらなる強大な力を求めて光の国の人工太陽・プラズマスパークのコアを奪おうとして光の国を追放されたあげく、復讐しようと怪獣軍団を率いて光の国を襲撃しようとするも、ウルトラマンキングによって宇宙牢獄に投獄されるに至った経緯が、初登場作品の映画『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE』(09年・ワーナー・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20101224/p1)で語られていた。
 『ウルトラマンオーブ』のレギュラー悪で、『ウルトラマンZ(ゼット)』(20年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200723/p1)では「正義にめざめた」――ウソつけ!(爆)――として地球防衛軍日本支部のロボット部隊・ストレイジのヘビクラ・ショウタ隊長として活躍することでその人気が再燃中のジャグラス・ジャグラーは、かつてはガイと同様に光の勢力に身を置いてガイとは良きライバルの関係にあったのだが、その力はガイより上であったにもかかわらずガイがウルトラマンとして選ばれたことを恨んで闇の力に魅せられるようになった発端(ほったん)の物語が、『オーブ』放映終了直後に配信されたWeb(ウェブ)ドラマ『ウルトラマンオーブ THE ORIGIN SAGA(ジ・オリジン・サーガ)』(16年)で描かれた。


 『魔進(マシン)戦隊キラメイジャー』(20年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200712/p1)のレギュラー悪で、兄で宝石の国・クリスタリアの王・オラディンよりその能力は優れていたにもかかわらず、次男のためにオラディンに使われることに反発して敵組織・ヨドンヘイムの将軍となったガルザにしてもそうだ。ウルトラマンベリアルもジャグラス・ジャグラーもガルザもそうした因縁がていねいに描かれることでキャラクターとしての厚みが増し、その動機におもわず同情の余地を感じてしまうほどに観客や視聴者の感情移入を誘ったのだ。


 だが、トレギアは最後の最後まで、ついにそれが描かれずに終わってしまった。これではそのキャラクターは初期設定のままであり、設定を血肉化できていないのだ。トレギアといえば、人間態の青年・霧崎(きりさき)を演じた七瀬公(ななせ・こう)へのやや静的な演技演出にも問題はあった。『オーブ』のジャグラス・ジャグラー、『ジード』のSF作家・伏井出ケイ(ふくいで・けい)、『R/B』の愛染マコト(あいぜん・まこと)社長など、若いマニアいわく「円谷のヤベー奴ら」(笑)とネタにされるほどの半分笑ってしまうハッチャけた悪役演出も必要だったのではなかろうか?


 少なくともそこまで陰湿なキャラとなるに至った背景が、映像でも具体的に描かれていたならば、トレギアに対する印象も全然違ったかと思える。その動機を小出しで掘り下げずにただ出てきて翻弄(ほんろう)しながら戦うだけの、きわめてドラマ性が希薄なキャラとしてトレギアを終わらせてしまったのは、やはりもったいなかったのではあるまいか?
 ちなみに、『ウルトラマンタイガ超全集』(小学館・20年3月25日発売・ISBN:4091051677)には『タイガ』のシリーズ構成を務めた中野貴雄(なかの・たかお)によるトレギアの過去を描いた書き下ろし小説が掲載されている。本来のターゲットである子供たちがそんな高価な書籍を手にできるハズもなく、やはりこれは映像本編でもキッチリと描くべき性質のものだろう。そこだけ立ち読みしようにも近所の書店で全然売っていないのだが(笑)。


*悪側に「円谷のヤベー奴ら」(笑)も登場してほしかった!


 『劇場版 ウルトラマンギンガS』では、敵の新キャラとして『ウルトラギャラクシーファイト』にも再登場した超時空魔神エタルガーと、エタルガーによって故郷の星をウルトラマンに滅ぼされたというニセの記憶を植えつけられたアレーナ姫が登場した。
 『劇場版 ウルトラマンX』では、新怪獣として閻魔(えんま)獣ザイゴーグが、それを封印から解いてしまう張本人としてWebTV番組のネタのために世界を探検する男・カルロス黒崎や、ウルトラマンティガに変身をとげるに至る少年・玉城ユウト(たまき・ゆうと)らが登場。
 さらに、『劇場版 ウルトラマンオーブ』では、かつてオーブとの戦いに敗れて、体の半分を機械化して復活した奇機械宇宙人ガピヤ星人サデスや、美しいものを宝石にして奪う宇宙魔女賊(まじょぞく)ムルナウがメインの悪役として登場した。


 そうした映画限定の新キャラが、本作ではグリムド以外、本編にも特撮にもいっさい登場しなかった。そのグリムドすらもトレギアと合体しても超巨大化するのみであり、もっとそれらしい強化&最終形態に姿を変えないあたりは、画面の変化が足りなくてイマイチかもしれない。


 本作の場合、ニュージェネレーションウルトラマンの変身前の役者を総出演させるために、これ以上キャラを増やすのはたしかに限界だったかと思えるし、ギャラ予算の方だってもう限界に近かっただろう(汗)。また本作のような「お祭り映画」において、ゲストキャラ側の本編ドラマを主軸に描くことは避けて正解だったかと思える。


 ただ、人格のある憎々しげな悪役として登場するのが、いつものトレギア=霧崎のみという構図自体もいかがか? やはり、7大先輩ウルトラマンが変身前の役者さんも含めて勢ぞろいした本作としては、悪の側にも善側と拮抗するだけのボリュームが必要だったのではなかろうか?


 やはり、ここは近作の悪役を務めた役者さんたちにも功労賞として、「円谷のヤベー奴ら」(笑)こと、


・ジャグラスジャグラー
・SF作家の伏井出ケイ
・愛染マコト社長
永遠の17歳(笑)らしい美少女・ツルちゃん


の四天王が、その一部は死者をよみがえらせられる亡霊魔導士レイバトスの呪術などで復活! 彼らに往時のままの強烈な演技を再演してもらえば、客寄せ面でも善悪のメリハリ面でも効果大だったのではなかろうか!?


 個人的には、『タイガ』のセミレギュラーとして登場した、カナ社長がかつて所属していた宇宙人がらみの事件を扱う警察組織・外事X(がいじエックス)課の警部・佐倉が不在なのも、やや不満だったりする。
 佐倉を演じた風見しんごは、映画『ウルトラQ(キュー) ザ・ムービー 星の伝説』(90年・松竹)の戸川一平役を皮切りに、『ウルトラマンコスモス』(01年)の各劇場版や映画『ウルトラマンメビウスウルトラ兄弟』(06年・松竹・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070128/p1)、映画『大決戦! 超ウルトラ8兄弟』(08年・松竹・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20101223/p1)などウルトラマン映画に多数出演してきただけに、出演交渉は容易に思えるのだが、やはりギャラがネックになったのだろうか?(汗)


*地球の危機なのだから市民のエキストラも必要!


 さて、不在といえば地球最大の危機がおとずれ、これまで何度も地球の危機を救ってきたニュージェネレーションウルトラマンが全員集合しているにもかかわらず、その場に一般市民の姿が皆無であり、何のリアクションも描かれなかったことも正直残念であった。


 仮面ライダークウガから仮面ライダージオウに至る平成仮面ライダーが大集結した映画『仮面ライダー平成ジェネレーションズ FOREVER(フォーエヴァー)』(18年・東映https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190128/p1)のクライマックスでは、メタフィクション的な作品世界ゆえに市民が仮面ライダーたちの存在を知っており、バトルを見守る観衆たちがそれぞれの世代にとっての最も印象深い仮面ライダーに声援を送る描写もあり、観客の代弁者として劇中内の観衆が盛りあがることで疑似的に一体感を得られる演出としてもおおいに機能した。


 ウルトラマンジードが実の父であるウルトラマンベリアルの強化形態・キメラベロスと決闘を演じた『ジード』第17話『キングの奇跡! 変えるぜ! 運命!!』(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200523/p1)でも、市民がジードに声援を送る描写もクライマックスを盛りあげていたことを思えば、タイガが実の父・タロウと対戦する本作でもそれがあって然るべきだろう。


 『ウルトラマンメビウス』(06年)第1話『運命の出逢い』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060625/p1)のウルトラマンメビウス初登場場面で、


息子「あっ、ママがむかし見たって云ってた……」
父親「あぁ、ウルトラマンだ!」


などというやりとりがあったのを記憶されている方々もおられるだろう。本作のような「お祭り映画」こそ、大集結したウルトラマンたちを感慨深く見つめる代弁者としての市民の描写は必要不可欠だったかと思えるのだ。


 近年のテレビシリーズでは都市破壊場面でエキストラが大量に動員されているだけに、この処置は意外だった。たとえ1人1日1万円でも「チリも積もれば……」でギャラが問題だったのなら、それこそ「円谷プロファンクラブのみなさま」(笑)に声をかければ、ノーギャラで大画面映画にふさわしい大動員が可能だっただろうに。


 これまで各ニュージェネウルトラマンたちが住む並行宇宙を渡り歩いてきたウルトラマンゼロを、個人的には本作に登場させてほしかった。ゼロは『タイガ』テレビ本編でも第23話『激突! ウルトラビッグマッチ!』(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20210606/p1)に登場したことで、『タイガ』世界の市民たちにも認知されているし、


「こいつらみんな、こことは違う地球の平和を守りつづけてきたスゲぇヤツらなんだぜ」


などという調子で、右ヒジから先をグルグル廻して指差しながらゼロがニュージェネの面々を市民に紹介することでウルトラマンたちが大喝采を浴びる、などという描写をぜひ観たかったものである(笑)。


 しかし、ゼロが登場すると、場面を全部かっさらってしまって、メインゲストであるハズのニュージェネウルトラマンたちも霞んでしまい、本作のニュージェネ先輩ウルトラマンたちを立てるという焦点もボケてしまった可能性を考えると、今回は作劇的にも除外するのが正しいだろう。


 エキストラの大量動員が不可能であるならば、『劇場版 ウルトラマンオーブ』のクライマックスバトルをネットで中継していたレギュラーキャラである怪奇現象追跡サイト・SSP(エスエスピー)の夢野ナオミ・早見ジェッタ・松戸シンが、


「みんなでウルトラマンを応援しよう!!」
「せ~~~のっっっ!!!」


などと観客である子供たちに呼びかける描写で、毎年夏の恒例催事『ウルトラマンフェスティバル』、いや20世紀のむかしからアトラクショーでは付きものだった、子供たちが「がんばれ~~~!!!」と返すことで、観客に映像との一体感を喚起した演出などもアリだったかもしれない。
 しかしまぁご周知のとおり、全世界がコロナウィルスの脅威に包まれているご時世では、飛沫による感染防止のためにも、劇場でウルトラマンに声援をあげるなんぞは百害あって一利なしですな(汗)。


 ちなみに、このコロナ禍で2020年夏の『ウルトラマンフェスティバル』も中止となり、その代わりとしてYouTube円谷プロ公式チャンネル・ULTRAMAN OFFICIAL(ウルトラマン・オフィシャル)では過去のライブステージの傑作選が配信されていた。それらを鑑賞していると、コレはやはりナマで観るにかぎると実感してしまう。


 クライマックスバトルに向かうヒロユキを


「待ってるから……」


などと見送ったE.G.I.S.の面々がラストまでずっと不在となってしまうのもやや違和感があり、所詮(しょせん)は警備会社で超兵器を持っていないのだから、共闘せよとまではいわないが、せめてヒロユキらニュージェネウルトラマンの決戦を見守って、声援をひんぱんに送っているような描写は入れてほしかった。


*タイガを守るためでなく、悪と戦い宇宙を救うために集結すべき!


 先輩ニュージェネのヒカル・ショウ・大地・ガイ・リク、そしてカツミ&イサミ兄弟が、皆一様にヒロユキが宇宙人たちにねらわれていることを知って地球に駆けつけたと語るのも少々違和感があった。あの『タイガ』第1話冒頭での7大ウルトラマンVSトレギアの宇宙空間での大決戦を思えば、行動動機のスケールが小さくはないだろうか?(笑) 封印を解かれた魔獣グリムドが地球に向かったから、復活したトレギアが再度何かをたくらんでいるから、といった理由ではなく、タイガと合体しているとはいえヒロユキ個人がねらわれているからだという理由では、「公」よりも「私」としての動機で動いているようにも見えてしまう。
 ガイやリクはそんな私情でも似合うが、他のメンツは宇宙の危機を動機としたり、7人の中にもある微差を描いて、そのキャラをもう少し描き分けてもよかったのでは? もちろんジャグラー襲撃に対してはガイが! 伏井出ケイにはリクが! 愛染社長には湊兄弟が! といったシチュエーションでの助っ人であれば、もっと盛りあがったことだろうが(笑)。


 『タイガ』の最終回でタイガがトレギアを倒したことで、実はトレギアの体内に封印されていたグリムドが抜けだして、再度グリムドを封印したニュージェネウルトラマンたちがその代償として変身能力を失ったとする後日談が映像で描かれたのはよかったが、その変身前の姿である人間たちが変身能力を取り戻すために、かつて授けた自分たちの力を返してくれとヒロユキに頼みこむ描写も、やや「ウン?」と思えるものがあった。
 『タイガ』第1話冒頭ではニュージェネウルトラマンが自分たちのエネルギーをアクセサリー状にしてタイガ・タイタス・フーマに授ける描写があった。だが、それはあくまでも各ウルトラマンの片手間程度のエネルギーにすぎないだろうから、それを返してもらっただけでグリムド封印で喪失しただろう全身全霊の変身エネルギーまで復活するというのは、吊り合いが取れていないような気がする(笑)。


 タイガによってグリムドの魔力から解放されて以降のタロウにも見せ場らしい見せ場はほとんどなく、せっかくウルトラ兄弟が登場してもロクに活躍もせずに危機に陥(おちい)ってばかりだった昭和の第2期ウルトラマンシリーズの悪い点を継承している(汗)。『タイガ』の「完結編」として本作はタイガの「父超え」も意識されていたと思う。それなら父であるタロウの善に目覚めてからのカッコよい反撃も相応に描いてこそ、そのタロウをも超えた最後のタイガのスゴさを示すことが可能になるのでは?


 映画『劇場版 ウルトラマンR/B』で高校の同級生を怪獣化してしまったトレギアとの因縁対決を継承して、「トレギアは自分が倒す!」と主張するカツミとヒロユキが対立し、イサミが「まぁまぁ」などとなだめる描写が数回あった。しかし、テレビシリーズの『R/B』では弟のイサミの方がゲストキャラと対立することが多く、兄のカツミが抑(おさ)え役として描かれていた印象が個人的にはあったので、コレは逆な気がする(汗)。


 ヴィラン・ギルドの宇宙人に勝利したリクも、かつてあこがれた劇中内での特撮変身ヒーロー番組『爆裂戦記ドンシャイン』のキメポーズを「ドン・シャイン!」と披露していた。彼は特撮オタクだからいつまで経っても卒業できないのはリアルな描写かもしれないが、あれから数年は経ったハズなのでややイタい気もする(笑)。


 余談になるが、本作のパンフレットは小学館『てれびくん』編集部による編集ではなかった。従来のパンフレットは映画に散りばめられた小ネタに関する詳細な解説が楽しめたが、今回はそういう記述がほとんどない。やはりマニア上がりのこだわり編集者が担当しないと、覿面(てきめん)に誌面クオリティーが下がってしまうということか!?


*別離も描く『タイガ』真の最終回としても成立!


 そんなワケで本作は、『仮面ライダー平成ジェネレーションズ』シリーズなどのヒーロー大集合映画と比較しても、勝っていたとは云いがたい。
 しかし、意表外にも『タイガ』の真の最終回にはなっている。そして、ヒロユキをはじめとするE.G.I.S.の面々とタイガ・タイタス・フーマとの別れを描いた感動的なラストは、失礼ながら『タイガ』にさほど夢中になっていたワケではなかった筆者ですらも感慨深くさせてくれた。


 ショウ=ビクトリー、ガイ=オーブ、リク=ジード、カツミ=ロッソ、イサミ=ブルは変身前の青年主人公と変身後のウルトラマンが完全な同一人格や同一人物であり、視聴者の目線からすればその方が感情移入はしやすいという利点はあるだろう。
 ただ、未来からやってきたウルトラマンことギンガと一体化して『ギンガ』の最終回で一度は分離したものの次作『ギンガS』で再度ギンガと一体化することとなったヒカル。データ生命体と化した電脳世界のウルトラマンことエックスとユナイト(一体化)した大地。ウルトラマンと人間が別人格である彼らの物語の最後で描かれたウルトラマンとの切ない別れも、個人的には捨てがたい。


 まぁ、『X』完結編の『劇場版 ウルトラマンX』ラストは、エックスと大地をはじめとするXioのメンバーとの涙ながらの別れが描かれ、エックスが「地球に再び危機がおとずれるとき、私はふたたびやってくる!」と約束したのに、その地球の危機がすぐに来たことでアッという間に帰ってくるオチではあったのだが(笑)。
 ちなみに、ネット上ではエックスの声を声優の中村悠一(なかむら・ゆういち)ではなく、大地役の高橋健介だけが演じたことに不満の声が多数(汗)。ストーリー展開が煩雑になったり、『X』を未見の観客の混乱を避けたり、声優のギャラの節約などが理由だろうが、たしかにエックスと大地のやりとりは『ウルトラマンZ』でのウルトラマンゼットと主人公のナツカワ・ハルキの元祖のようなノリだっただけに、久々にそれを見たかったという意見もわかる。
 なお、中村は先述した『魔進戦隊キラメイジャー』ではガルザの声を熱演している。そういや兄のオラディン王の声を演じる杉田智和(すぎた・ともかず)は『ギンガ』でウルトラマンギンガの声をやっていた(爆)。


 新型コロナウィルス感染拡大防止のために政府から出された自粛要請によって公開が5ヶ月も延期されて、『タイガ』の後番組『ウルトラマンZ』の放映開始後に公開されたことで、あまりに完成度の高い『Z』と比較すると本作はやや見劣りするという意見もネット上では散見する(汗)。


 おもわぬ不幸に見舞われることとなった本作だが、ニュージェネレーションウルトラマンの華麗なる大競演を期待する向きには万全とはいわないまでも、その期待を裏切る出来でもなかった良作だったとは思うのだ。

2020.8.31.


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2020年秋分号』(20年9月27日発行)~『仮面特攻隊2021年号』(21年8月16日発行予定)所収『劇場版ウルトラマンタイガ』合評2より抜粋)


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 2020年6月26日(土)午後に『世にも奇妙な物語'20 秋の特別編』が再放送! 同日夜には新作『世にも奇妙な物語'21 夏の特別編』が放映記念! とカコつけて、『世にも奇妙な物語'19 雨の特別編』評をUP!


世にも奇妙な物語´19 雨の特別編』 ~30年目の『世にも奇妙な物語』回顧・特撮ヒーローネタも登場!

(2019年6月8日(土)放映)
(文・田中雪麻呂)
(2019年10月24日脱稿)


 嫌な世の中です。個人的には現行のTVドラマがつまらなくて仕様がありません。


 こういう同人誌にものを書いておりますと、連続ドラマでしたらそういうものを8話なら8話分観なければいけませんで、大変にホネが折れるものでございます。ネットという奴が発達しているものですから、ちょいちょいと飛ばし見もできません。
 いや、ビデオに録り忘れちゃったんだよね、と言い訳してはみるものの、じゃあペイチャンネルで見なさい、どこで見なさいと矢の催促。


 仕方なくAmazonでDVDを買ったりしまして、こちらも気が弱いですから。また最近の作品はDVDが中途半端に求めやすいんです。話数が少ないので。


 昔は良かったなぁ。面白いドラマばっかりだったもの、などと昔日を美化して夢想しております。そんな時間があれば1行でも書きゃいいんですが、そもそもドラマの説明や解説自体が野暮天(やぼてん)のすることでありまして。額に汗する日々でございます。


世にも奇妙な物語』30年ひと昔


 『世にも奇妙な物語』には説明は要らないでしょう。フジテレビのTVドラマといえばこれでございます。何でも番組開始は´90の春だそうでして平成2年、ざっと30年前でございますな。
 毎回異なる3話のオムニバスドラマ。ストーリーテラータモリさん。ドラマの異世界に誘(いざな)う橋渡し、語り部(べ)でございます。


 そうそう、オムニバスドラマとかストーリーテラーというマニア間だけで流通していた用語が、一般層にも普及したのは、この番組の影響が大きかったように思います。


 現在は好好爺(こうこうや)で国民的な人気者のタモリさんですが、30年も前は常識を嗤(わら)い文化人でも平気でコキ下ろす、エッジの効いた怪人物でした。
 タモリさんのストーリーテラーは、特別な扮装をするわけではない、場所を選ぶでもない、神出鬼没でございます。裏を返せば、タモリさんがいるところならばどこでも「奇妙な空間」となりうるわけでして、これはキャラクター的にとても強い。


 ご当人のタモリさんも、バラエティーで興が乗ると「奇妙な世界の入り口には……」と、ストーリーテラーの雰囲気でセルフパロディをやってくれたりと視聴者にサービス。この衒(てら)いのなさが番組の長続きのひとつの力なのかもしれませんですね。


「サングラスをかけていて、あれだけ売れた芸能人はタモリだけだ」。


 テレビウォッチャーで名を馳せた、故・ナンシー関(せき)さんの言葉でございます。



 『世にも~』のテーマ曲は、厳(おごそ)かな讃美歌のような、どこか不安を煽る旋律のような、蓜島邦明(はいしま・くにあき)さん作曲の名曲「ガラモン・ソング」でございます。わたくし、放送開始当時にお小遣いを貯めて、この番組のサントラCDを買いました。


 タモリさんが画面に出てくる際に決まって流れる、「♪タッタンタカタン」という軽快な曲の名前は、ズバリ「ストーリーテラー」。
 他に初期の名作のサブタイトルに因(ちな)んだ「猿の手様(てさま)」や「悪魔のゲームソフト」といったBGM。
 「噂のマキオ」や「楊貴妃(ようきひ)の双六(すごろく)」などの佳作の劇中音源の聞きどころを繋いだ、ラジオドラマのようなトラックもあり、それを聴くことは当時の番組ファンの至福のひとときでございました。



 初期の初期から、番組の構成はかっちりしたものでして、まずはアバンタイトル


 これは数秒のシュールな寸劇でございます。


「(テレビの)画面に指を着けて下さい」


とアナウンスがあり、着けるとそこから血が滴(したた)り落ちたり。


 ドールハウスで遊ぶ子供たちを、突然巨大な子供たちが覗き込み、自分たちが人形だったことに気づくとか。


 レストランでトイレを無理に借りた客が、そのまま便器に流されてしまうとか、不条理劇が展開いたします。



 次にタイトル。


 ストーリーテラーの前口上(まえこうじょう)を経(へ)て、1話目のストーリーが始まるという体裁(ていさい)でございます。こういうおシャレで知的なイメージの連続ドラマは、わたくしは初めてでございました。
 オムニバスドラマのスタイルを生かして、ドラマの撮影所(下請けの製作会社)も毎回代わり、物語の内容もホラーあり、コミカルなものあり、感動作品ありと変化に富んでおります。
 コミカルに見せて怪奇譚だったり、コワいお話かなと思ったらグダグダだったり。まあグダグダは神代(かみよ)の昔の日本神話(笑)からの付きものでございますが……。



 シリーズの作品で思い出されるのは、少々ドラマとしては作りが荒いものの、メッセージ性が強いものでございます。


 弱者と思われていた者が実は黒幕だったという「息づまる食卓」や「悪魔のゲームソフト」。


 今様(いまよう)の説話のようなクラシカルな「猿の手様」や「海亀のスープ」や「着せ替え人形」。


 中でも「着せ替え~」は、主演の笑福亭鶴瓶師匠が当時のトーク番組でこのドラマの裏話を披露され、それに続けて、


「俺はね、こういうドラマに出といて何ですけど、奇妙な世界といっても、何でも受け入れるのは何や違うと思う。たとえば鏡の中に入っていくとかね」


と持論を展開していて、強く記憶に残っております。



 コントと人間ドラマの融合のような愉(たの)しげな作品も多かったです。


 苦労惨憺(くろうさんたん)で東京近郊にマイホームを手にした男(柄本明)が、その場所を見つけられずに、同じ境遇の迷い人(きたろう)と遭遇する「我が家はどこだ」。


 ツキ過ぎている主人公(山下真司)のもとに、悪運の申し子のような男(斎藤晴彦)が部下で赴任して来たことから起こる悲喜劇の「ラッキー小泉」。


 博識で時代の先端を行っていると自負している業界マン(草刈正雄)が、全く知らない新語に慌てふためく、あの名作の「ズンドコベロンチョ」。



 挑戦的な作品も多かったと思います。


 仲谷昇さんと佐野史郎(さの・しろう)さんの会話劇で魅せる「超・能・力!」。


 自分の不手際を隠蔽するために、いもしない犯人をでっち上げた警察官(片岡鶴太郎)ですが、それが突如実体化して逃走を始める「追いかけた男」。


 町の薬剤師(小堺一機(こざかい・かずき))が、住民に怪しげな薬を処方して獣性化を企(くわだ)てる「モルモット」。


 極悪非道な病院の院長(佐野史郎)に命を奪われてきた多くの患者がゾンビ化して大挙して押し寄せ、院長を八つ裂きにする「地獄のタクシー」と凄まじいものでございます。



 また、トラウマになる程、怖いお話があることでも知られたシリーズでございます。


 織田裕二さんが物入れのロッカーに入ったまま出られなくなり、それごと廃棄処分される「ロッカー」。手違いで棺桶に入ってしまい、生きたまま火葬される「死ぬほど好き」は、わたくしが閉所恐怖症なのでトラウマでございます。



 怖がらせることに工夫を凝らした作品もあります。


 座敷童(ざしきわらし)風の小児の幽霊が、いつも画面のどこかで見切れている「見たら最期(さいご)」。


 岸田今日子さんが演者で語り部となり、闇の精霊の圧倒的な暴力を、三人組の愚連隊(そのひとりはレースクイーン上がりのバラエティ系人気タレントだった岡本夏生(おかもと・なつき)サン!)に切々(せつせつ)と訴える「闇の精霊たち」。
 この作品ではサブリミナルの手法で、禍々(まがまが)しい精霊たちの姿がイラストで、岸田の像に何秒かに一度の割で掛かり、恐怖を煽るという斬新さでございます。ラストを迎えて初めて総毛立つ筋運びは、いかにも『世にも~』らしい作風でもございます。


 いかりや長介さん出演の「穴」は、底の知れない穴に産業廃棄物を長年捨て続けていると、ある日、空の狭間からそれらが降り注いでくる……という恐怖でございます(SF作家・星新一(ほし・しんいち)の有名な名作古典SF短編『おーい でてこーい』(´58)が原作)。


 「おばあちゃん」は草村礼子さんが出演されました。山奥の病院で瀕死のお婆さんが、小学生の孫の女児に一日だけ自由な時間が欲しいと懇願し、渋る孫と魂を入れ替えます。お婆さんの肉体に入った孫の魂は、途端に筆舌に尽くしがたい苦痛と絶望感に苛(さいな)まれます。
 一方、孫の身体を得たお婆さんは、現世で暇乞(いとまご)いを済ませるも、敢えて魂の再交換はせず、孫をお婆さんの肉体と共に見殺しにいたします。
 更に怖いのは、長じて年頃の娘(演じるのは片平なぎささん!)となった、孫の肉体を持つお婆さんは、自分を粗略に扱った自分の嫁(孫にとっては母親)を山奥の病院に移し、敢えて無理な延命治療を施します。自分がかつてそうされたように、なるべく苦しめて殺すためなのです。


 「サブリミナル」は、為政者がこれ以上の人口増加を食い止めるべく、蠱惑(こわく)的なサンバ・ガールズの愉しげなお菓子のCMを繰り返して流します。実は「65才以上は自殺しろ!」というメッセージをフィルムの何コマかに一回挿入していたというオチです。「パラダイス、ガム!」という劇中のコマソンが怖かったなぁ。


世にも奇妙な物語´19 雨の特別編』


 さて、そのような大変な歴史のあるシリーズの、令和初のスペシャルドラマ『世にも奇妙な物語´19 雨の特別編』でございます。


 ストーリーテラータモリさんですが、最近ではキャラクター自体が人間離れをしてきておりまして。いきおい別の俳優さんと絡ませて怪人振りを際立たせることにスタッフも腐心されてんじゃないでしょうかね。


 今回のパートナーは佐藤二朗さん。人を殺して逃げてきて、タモリさんと雨の山小屋に閉じ込められるという筋立てでございます。


 ラスト、犯罪をタモリさんに看破され、口封じに刃物を突き立てます。
 するってえと、タモリさんの姿は瞬時に佐藤さんに変わり、刺したハズの佐藤さんの実体が消滅し、刺された佐藤さんの骸(むくろ)だけが残ります。
 オチとしては前出の「追いかけた男」のパターンではあるんですが、佐藤さんに変貌を遂げるタモリさんの画像処理の技術が見事の一言でございます。
 まあ、何てんですかね。モーフィングを更にデジタル化したような凄まじいものでして。兎に角(とにかく)サングラスをかけたままのタモリさんが、無理なくあの佐藤さんの小さい目になるんですから。



 ドラマ本編は、「さかさま少女のためのピアノソナタ」・「しらず森」・「人間の種」・「大根侍」・「永遠のヒーロー」の5本立てでございます。  


「さかさま少女のためのピアノソナタ


 「さかさま~」は、曰(いわ)くありげなドイツの古い楽譜の曲を弾くと、その演奏時間だけ「時」を止められるというキテレツな物語でございます。
 時間を止める、もしくは演奏者の半径何メートルだけの時間が流れる、という設定なのでございましょうか。


 玉森裕太さんの主人公がビルの窓外を落ちゆくヒロインの黒島結菜(くろしま・ゆいな)さんを何とか救おうと尽力いたします。しかし彼は楽器を演奏し続けなくてはなりません。
 曲を演奏し終われば時間が流れだしてヒロインは落下、曲を間違えれば楽譜の呪いで玉森さんが重症を負う、という新手のカットバック!


 かたや室内で楽器を演奏し、もう一方は窓外で虚空にさかさまで受け答えをしております。ヒトの命がかかっているのに何やら呑気(のんき)で楽しげで、この状況は大変に落語的でございます。玉森さんの編み出した起死回生の窮余の一策もシャレていて秀逸でした。


しらす森」


 「しらず森」は、吉田羊(よしだ・よう)さんが母親役で主演です。


 同窓会で息子と帰郷したヒロインは、30年前に小学校で埋めた自分のタイムカプセルを受け取ります。その後、実家の近くの森に息子と入った折、突如子供が神隠しに遭い、悲嘆に暮れます。
 このご時世、心配でございますよね。子供への事件がニュースで流れたり、「不審者に注意!」という張り紙もカットインされ、緊張を煽りに煽ります。


 30年前に彼女が埋めたタイムカプセルの中に入っていたものが息子とその一家を救う、という粗筋でございます。いかにも『世にも奇妙な物語』なシノプシスでございます。
 お話自体は王道なんですが、捜索するヒロインたち、さ迷う息子と双方のドラマをきちんと描いておられて見応えがありました。


 森の神社の神主役で、㈱アンカット所属の個性派俳優・春木生(はるき・せい)さんが出ておりまして、これが怖い怖い! まだ40才くらいかと思いますが、カラコンと白髪のメイクで不気味な怪老人となって画面に不穏な空気をもたらします。
 彼が若くて優しい神主だった時に小学生時代のヒロインに伝えた言葉がキーワードとなりハッピーエンドとなりますが、この神主の存在自体が時を重ねる負の面を象徴していて、爽快感だけではない、視聴後には鉛を飲みこんだような感慨もあり、物語を深めております。


 ひとつ難を言わせて頂ければ、ヒロインのタイムカプセルが手で簡単に開閉可能なタイプだったことが惜しいなあと。アレが缶切りで開けるタイプの缶詰めだったら、更に開封へと至るまでの「一場面」が増えることで、より盛り上げることができたでしょうし、外からの介入が全くなかったことが断定できて神秘性ももっと高まったハズですが。


「人間の種(タネ)」


 「人間の種」は人間讃歌の物語です。母親を自分の過(あやま)ちで死なせてしまったと、自責の念を持ち続けているヒロインがいまして、これが女優・木村文乃(きむら・ふみの)さん。


 ある日、庭の花壇から子供の手首が生えている。慌てて掘り出すと、それは女児。
 女児は「あなたのお母さんよ」と名乗り、ヒロインを甲斐甲斐しく世話をしようといたします。最初は懐疑的だったヒロインも、母と名乗るそれの心根(こころね)の優しさを知り、家族のようなものが始まります。


 ところが、それは水を与え過ぎると、早く終焉を迎えてしまう生き物で……というのが粗筋でございます。


 木村さんが母親と称する存在に振り回されるコメディエンヌぶりが冴えております。母親も6才の女児から15才の少女、31才のオトナの女性へと変貌を遂げていきますが、それぞれを子役・粟野咲莉(あわの・さり)ちゃん、山田杏奈(やまだ・あんな)さん、岡本玲(おかもと・れい)さんが演じておられます。
 自身とは対等ではありえない幼女から対等である成人女性へと次第に変身していく順序を踏むことで、ヒロインは無理なく対象(母親)に歩み寄れ、最終的には自らの心の澱(おり)まで吐露することに至ります。その頃には一介の視聴者であるわたくしなぞも、そして劇中ヒロインも、その母親の人間性に惹かれております。


 いい作品ですね。危うく泣きそうになっちゃいましたよ。


「大根侍(だいこん・さむらい)」


 「大根侍」は、何か云うだけ野暮(やぼ)。まぁ、創り手とキャストがこれで良いんならそいで結構! というお話で。


 ただ、侍の得物(えもの)の大根を女子高生が齧(かじ)って撃破するというくだりは、クスッと笑いました。


 タモリさんが昔やっていた密室芸に「将棋寿司(しょうぎ・ずし)」てえのがありまして。将棋の要領で棋盤(きばん)に寿司(すし)を並べ、斜めに置いたり重ねてみたり、時には駒(こま)である寿司を食べたりなぞする、まあ高等遊民のお遊びですな。それを連想いたしました。現代ならば「食べ物を粗末に扱うな!」とネットで炎上する奴でございます。


 わたくし思いますに、この作品もそうなんですが、最近の『世にも奇妙な物語』は、パロディ喜劇のような軽い題材のものを番組の中で分散して何回かに分けて放送、それもオーラス(オールラスト・一番最後)に後編を持ってくるきらいがございます。


 番組当初は、ストーリーテラータモリさんが「振り」も「回し」も「オチ」も担当していました。番組と視聴者を繋ぐフィルター役だったからです。劇中でカラダを張ってのオチもこれまた多い。開腹手術をされたままで放置されたり、宇宙空間に放り出されたり、侍に首をはねられたりと、死ぬような(?)目に遭っております。


 しかし、タモリさんは何のご功績かは存じませんが、国民的な存在となられ、今や完全なる番組の象徴となりつつあるんじゃないかとあたしは睨んでます。まぁあたしなんかが睨みましても、街の信号が早く変わるわけじゃなし、赤いポストが青くもなりはしないのでありますが。


「永遠のヒーロー」


 そして殿(しんがり)は、郷ひろみさんが初めてヒーロー役に挑戦した「永遠のヒーロー」! もう期待値が嫌が応でも跳ね上がります。


 それで、脚本担当が…… エッ! ブラジリィー・アン・山田さんですか……。……もう嫌な予感しかいたしません。テンションだだ下がりてございます。


 時代は近未来。人間に超人的なパワーを与える「改造人間手術」が一般化いたしまして、それによって犯罪も激増。そこで日本の政府は「怪人対策室」を設営、こちらにも改造手術を受けたチームを作って対抗しようという趣向でございます。


 郷ひろみさんの演じるのは怪人検挙率ナンバーワンの隊員でして、コードネームは「レッドライガー」。来年定年退職で、病身ながらも可愛らしい一人娘とのんびり暮らすのが今の生きる張りでございます。


 冒頭に市民を脅かす、往年の特撮変身ヒーロー『超人バロム・1(ワン)』(´72)のドルゲ魔人(怪人)ならぬ「ゲルゲルゲ」なる悪い怪人の声を、ベテラン人気声優の山寺宏一(やまでら・こういち)サンが演っております。


 これがもういけません。「七色の声でアニメファンを幻惑する、現代の中村メイコ」として声優界に君臨している御仁でございます。
 ああ、これはきっと全ての敵役(かたきやく)の声をアテるのかな? という胸騒ぎ。そしてそれらを聞き逃すまいと耳をそばだてるわたくしがおります。結果、敵のラスボスから中ボス、全ての戦闘員、ナレーションに至るまで計10名を巧演! やっぱり上手いなぁ。


 郷ひろみさんの同僚の改造人間たちの名前もふるっております。


・桜井五郎(演、神尾佑)――戦隊シリーズ第2作『ジャッカー電撃隊』(´77)のレッドことスペードエースの変身前の名前
・山本大介(演、森田甘路)――『仮面ライダーアマゾン』(´74・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20141101/p1)の変身前である山本大介からの引用
小牧りさ(演、木本夕貴)――『秘密戦隊ゴレンジャー』(´75)でモモレンジャーことペギー葉山を演じた女優さんのご尊名


 往年の特撮ヒーローの登場人物名で統一するのかと思えば、女優名まで役名になってたりと、訳が分かりませんが。


 ちなみに、桜井五郎には「さすが、エース!」の台詞(セリフ)があります(笑)。


 山本大介は何故かポッチャリ体型で、いつも口を動かしております……。しかも、アマゾンこと山本大介がはじめて覚えた日本語である


「バ、バカヤロウ! バカヤロウ!」


という台詞までもが……。こういう悪ふざけはよろしくございません。すっかり気持ちがそれに行ってしまいまして、筋立てを見失うこと夥(おびただ)しい。


 ヒーローを描く作品でございますので、沢山のヒーロースーツ・着ぐるみが出て参ります。やけに出来の良い仕上がりだなぁと思っておりましたら、これは既成の作品、それも茨城県では大人気のローカルヒーローでございます。その名も『時空戦士イバライガーR』!
 「永遠のヒーロー」に出てくるヒーロースーツも悪側の着ぐるみも全て、『~イバライガーR』からの言わば「客演」でございます。


 興味が湧いたのでネットで調べてみましたら、これが大変なものでして、何と20体もの着ぐるみの多さ! ´07夏からの立ち上げ、2年後にはTBSテレビに密着取材され、現在までステージショー・撮影会・サイン会・イベント出演は数えきれず、商品化やコラボ企画も引きも切らないという歴史のある大ヒット作品でございます。


 また、このヒーローの作品世界観が入り組んでいる、入り組んでいる。主役級のイバライガーは複数存在いたしまして、未来の人類が現代の我々のために送り込んだヒューマノイド(人造人間)が「初代イバライガー」。初代の代替品だったのが奇跡的に起動したのが「イバライガーR」。Rが時空の狭間で別のスタイルを持った「イバライガーブラック」。イバライガーの試作機の一体がサポートロイドとなった「イバガール」、Rより更に未来から来たのが「ハイパーイバライガー」と一個師団もかくや(笑)。


 「ジャーク」なる敵の組織も充実しております。悪のエネルギー生命体で、負の感情を媒介として人間に寄生いたします。
 「首領」「四天王」「怪人」「戦闘員」と大まかな階層もございます。首領と四天王の一部はまだ謎の存在。四天王のひとりは、戦闘員の「片腕」に寄生。全貌は明かしておりません。
 怪人には兄弟の者もおり、見た目は生き写しでございます。戦闘員には黒・赤・緑の種類がありまして、黒は怪人クラスの能力、赤はそれに準じ、緑はジャークに寄生された初期段階の人間、という色分けでございます。緑色の戦闘員はまだジャーク化が進んでおりませんので人間に戻れる可能性があり、赤にはそれが殆(ほとん)どないという設定。


 もうお分かりになりましたか? そうです、ごっこ遊びの要素。着ぐるみの流用・改造多用は、『ウルトラQ』(´66)⇒初代『ウルトラマン』(´66)や、『人造人間キカイダー』(´72)⇒『キカイダー01(ゼロワン)』(´73)の世界でございます。シリーズの世界観が入り組み、キャラクター設定が煩雑なのは、それだけショーの場数(ばかず)が多く、製作者の愛情が深いのでございましょう。


「♪タッタンタカタン、タカタンカタン」。


 わたくしめの原稿にもそろそろエピローグが近づいて参りました。


 「永遠のヒーロー」のラス前、郷ひろみさんの主人公は、自分や怪人対策室の仲間が、実際にはスマートフォンのゲームの中だけのバーチャルな存在だということを知らされます。


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2020年号』(19年12月28日発行)所収『世にも奇妙な物語'19雨の特別編』評より抜粋)


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ウルトラギャラクシーファイト ニュージェネレーションヒーローズ総括 ~戦闘連発でも多数キャラの動機・個性・関係性は描破可能! 物語よりも点描に規定される作品の質!

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 ウルトラマンシリーズの正統番外編であるネット配信『ウルトラギャラクシーファイト』の第2弾『ウルトラギャラクシーファイト 大いなる陰謀』(20年)が、2021年5月26日(水)にBD&DVD発売記念! とカコつけて、『ウルトラギャラクシーファイト』の第1弾『ウルトラギャラクシーファイト ニュージェネレーションヒーローズ』(19年)総括・合評をUP!


『ウルトラギャラクシーファイト ニュージェネレーションヒーローズ』総括 ~戦闘連発でも多数キャラの動機・個性・関係性は描破可能! 物語よりも点描に規定される作品の質!



『ウルトラギャラクシーファイト』総括・合評1 ~尺は短いがウルトラヒーロー共闘でまとめられたストーリー

(文・中村達彦)
(2020年2月8日脱稿)


 2019年3月公開の『劇場版ウルトラマンR/B(ルーブ) セレクト!絆のクリスタル』と2019年7月放映開始の『ウルトラマンタイガ』第1話を結ぶ作品。『ウルトラマンギンガ』(2013年)から『ウルトラマンR/B』(2018年)までのウルトラマンロッソとウルトラマンブルの兄弟、更にウルトラマンタロウをはじめウルトラ6兄弟やウルトラマンゼロウルトラマン妹のグリージョや外国で製作されたウルトラマンリブットも登場している。アクションを重視したストーリーだ。俳優は登場せず、着ぐるみスーツで占められている。
 監督は坂本浩一。海外の『パワーレンジャー』シリーズ(1993年~・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20080518/p1)をはじめ、日本ではウルトラシリーズ以外にも東映特撮などを手がけている。東映でもヒーロー大集合映画を手掛けており、それぞれの見せ場を見事に作っているので、担当監督としては申し分ないだろう。


 ストーリーは各惑星でウルトラマンが襲われる事件が続発し、ウルトラマンロッソとウルトラマンブルが去ってしまった地球でも、ウルトラウーマングリージョと彼女を助けに来たゼロがウルトラダークキラーに襲われ捕まってしまう。ロッソとブル兄弟は強制的に召喚されて、昭和ウルトラ一族の故郷である光の国でウルトラマンタロウからその異変を聞かされて、彼らの妹であるグリージョの捜索に向かうが、岩の惑星ペノルで『劇場版ウルトラマンギンガS(エス) 決戦!ウルトラ10勇士!!』(2015年)に登場した超時空魔神エタルガーの攻撃を受けてしまう。同じ頃、ウルトラマンオーブウルトラマンX(エックス)、ウルトラマンジードに極似したふたりの黒い戦士の攻撃を受けていた。
 ロッソとブルを救ったのはタロウの依頼を受けたウルトラマンリブットで、他の惑星にいたウルトラマンX・ジード・オーブも駆け付けてきたウルトラマンギンガ・ウルトラマンビクトリーに助けられる。


 改めて光の国に集まるウルトラマンたちへウルトラダークキラーからのメッセージが。囚われのグリージョとゼロは惑星テンネブリスにいるという。2人を助けるため、飛び立つ7人のウルトラマン
 ウルトラダークキラーは、かつてウルトラマンたちを苦しめた強敵エタルガーやダークルギエル、ウルトラマンXやウルトラマンオーブウルトラマンジードのエネルギーを吸収して作った3体の悪のウルトラマンXやウルトラマンオーブウルトラマンジードとともにダークネスなる軍団を構成している。それらを見守る謎の影。


 テンネブリスに到着したウルトラマンたちを迎え撃つダークネス軍団。次々に敵を引き受けていくが、残ったロッソとブルはウルトラダークキラーの攻撃を受ける。だがグリージョを助けるため、エネルギーを与え続けていたゼロの姿にウルトラマンたちは奮起。各々はゼロの力を由来とする姿にタイプチェンジして、ダークネス軍団を撃破する。
 残ったダークキラーはなおも暗黒エネルギーで巨大化、ウルトラマンゼロダークネスを生み出すなど抵抗するが、ウルトラマンタロウの援護、ジードの力を借りて強化形態に変身したゼロビヨンドと、ロッソ・ブル・グリージョが合体したウルトラマングループが登場。ウルトラマンたちの一丸となっての一大攻撃で倒される。


 新鋭ウルトラマンリブットにその存在を暴かれて、ラストにウルトラマンたちの前に姿を表す、事件の黒幕である悪のウルトラマンでもあるウルトラマントレギア。トレギアを追って飛び立っていくウルトラマンたちと、ゼロとともに故郷の綾香市へと戻っていくグリージョの姿で終幕となる。



 2010年代に登場した新世代ウルトラマンたちの共闘を描いて、『ウルトラマンタイガ』の物語の直前に起きていた戦い。トレギアが黒幕であったことは周知のことであろう。歌唱グループ・ボイジャーなどが奏でる各『ウルトラマン』の主題歌BGMが劇中に流れて、否応なく盛り上げてもいる。また各所にウルトラファンをニヤリとさせる単語があちこちにありそれらも嬉しい。海外製作のウルトラマンリブットも顔見せ程度に終わっておらず、その強さを見せている。
 他にもウルトラ5兄弟とウルトラ6重合体したウルトラマンタロウがその全身を炎上させて自爆特攻するウルトラダイナマイトでダークキラーを倒した過去の戦いが、セリフのみならずきちんと映像で描かれたり、ゼロやグリージョにも見せ場が用意されているあたりもよい。もっとも最新作『ウルトラマンタイガ』の3大新ウルトラマンであるウルトラマンタイガ・ウルトラマンタイタス・ウルトラマンフーマが最後までチラリとも現われなかったのは残念だし、ウルトラマンオーブの好敵手・ジャグラスジャグラー登場が外されたのも残念だったが……。


 しかし、近年では作品ごとに異なっているはずのパラレルワールドで、その越境は容易ではないとされていたはずなのに、特に説明もなく越境ができていたり、昭和ウルトラの世界である光の国に、他の並行宇宙の世界にいるウルトラマンたちが簡単に集合してしまえるのは少し安易な気がする。何らかの説明なり秘密の次元越境が可能な人工ルートができたなどのウラ設定を作った方がよいのでは?


 ウルトラマンの敵は回りまわってウルトラマンというのがここ10年のパターンだが、同様に強敵に苦戦する中でウルトラマン同士の絆からスーパーパワーが発揮されて、超ウルトラマンが登場し、戦いに勝つパターンも目に付く。その流れは、今度の映画『劇場版ウルトラマンタイガ ニュージェネクライマックス』でも継承されるようで……。


 飛び立った7人のウルトラマンは、変身前の俳優ごと今度の映画に登場するが、『タイガ』第1話の冒頭と『タイガ』本編の間でも時間は12年くらいが経過しているはずなので、変身前の地球人たちは12年分の歳を取っていないと矛盾が発生してしまう(笑)。次の『ウルトラマン』ではこのへんにも矛盾が発生しないように、あるいはSF的な言い訳をつけることで実は矛盾はないとするような工夫をして、そういった要素でも子供やマニアたちを疑似SF的な知的遊戯で楽しませてほしい。


(了)


『ウルトラギャラクシーファイト』総括・合評2

(文・久保達也)
(2020年1月25日脱稿)

*『ウルトラマンR/B』と『ウルトラマンタイガ』の間に起きた史実!


 2019年9月29日(日)から無料動画配信サイト・YouTube(ユーチューブ)の円谷プロ公式チャンネル・ULTRAMAN OFFICIAL(ウルトラマン・オフィシャル)にて毎週日曜朝に週1回で配信されてきた各回約5分の短編シリーズ『ウルトラギャラクシーファイト ニュージェネレーションヒーローズ』(19年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200110/p1)が、同年12月21日(日)に全13話で完結した。


 本作『ウルトラギャラクシーファイト』では、映画『劇場版 ウルトラマンR/B(ルーブ) セレクト! 絆(きずな)のクリスタル』(19年・松竹・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190407/p1)でデビューを飾った敵キャラ・ウルトラマントレギアが一応のウラのラスボスキャラである。
 しかし実質的には、パチンコメーカー・京楽が2012年にリリースした『CRぱちんこウルトラマンタロウ 戦え!! ウルトラ6兄弟』以降、同社のウルトラマンを題材にしたパチンコにラスボスとして登場してきたウルトラダークキラーが本作のラスボスキャラを務めている。


 そして、トレギアとダークキラーが手を結んでつくりだした偽ウルトラマンこと黒いウルトラマンであるウルトラマンエックスダークスネス・ウルトラマンジードダークネス・ウルトラマンオーブダークネス・ウルトラマンゼロダークネスに、歴代シリーズのラスボス級キャラである暗黒の魔神ダークルギエルや超時空魔神エタルガーたちと、『ウルトラマンギンガ』(13年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200819/p1)から『ウルトラマンR/B(ルーブ)』(18年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20180826/p1)に登場してきた、いわゆるニュージェネレーションウルトラマンたちが宇宙を狭(せま)しと激闘を繰りひろげてきた。


 最終回となったEpisode(エピソード)13のラストにて、唯一(ゆいいつ)生き残ったトレギアを追って、ダークキラーの本拠地・惑星テンネブリスを飛びだしていく7人のニュージェネレーションウルトラマンたちに、トレギアが高笑いするイメージ映像をかぶせて幕となる……
 本作は昨2018年度の直前作『ウルトラマンR/B』の後日談である『劇場版 ウルトラマンR/B』後のエピソードであり、そしてこの『劇場版R/B』で初登場したトレギアがレギュラー悪として登場した最新作『ウルトラマンタイガ』(19年)第1話『バディゴー!』(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190811/p1)冒頭のウルトラマントレギア VS 7大ニュージェネレーションウルトラマンとの宇宙空間での大決戦の間に起きた史実として、両者をつなぐ役割をも担(にな)っていたのだ。


 だが、決してそればかりではない。映画『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE(ザ・ムービー)』(09年・ワーナー・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20101224/p1)でデビューを飾って、2010年代のウルトラシリーズではニュージェネレーションウルトラマンたちを常に支える頼もしい先輩としても描かれてきたウルトラマンゼロを起点とした、後輩ウルトラマンたちの「人物相関図」が点描されることで、本作は『ギンガ』以降のニュージェネレーションウルトラマンの総決算ともなりえていたのである!


*登場キャラ全員をカッコよく描いてみせる、感覚的なようで実は技巧的な作劇&演出!


 映画『劇場版R/B』で女子高生・湊アサヒ(みなと・あさひ)が初変身したウルトラウーマングリージョを、Episode1では『R/B』の舞台となっていた並行宇宙の地球である日本の綾香市(あやかし)で、ウルトラダークキラーからその身を呈してかばって以降、本作でのゼロはEpisode10に至るまで、ダークキラーがつくりだした無限の闇・ダークキラーゾーンの中でグリージョとともに囚(とら)われの身となってしまっている。


 これはたとえば、『ウルトラマンA(エース)』(72年)第13話『死刑! ウルトラ5兄弟』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060803/p1)にゲストとして登場したウルトラ4兄弟=ゾフィー初代ウルトラマンウルトラセブンウルトラマンジャックのように、せっかくマイナス宇宙にあるゴルゴダ星に全員が集結したのも束の間(つかのま)、ロクな活躍も見せないうちに異次元人ヤプールによって十字架に磔(はりつけ)のままになってしまったり、第26話『全滅! ウルトラ5兄弟』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061030/p1)では地獄宇宙人ヒッポリト星人にブロンズ(青銅)像として固められてしまったウルトラマンエースを助けに来たのに、自分たちもほとんど一矢(いっし)も報いずにすぐにブロンズ像に固められてしまったり、『ウルトラマンタロウ』(73年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20071202/p1)でウルトラ兄弟の長男・ゾフィーが火山怪鳥バードンに火だるまにされたあげくにやられっぱなしだったり、ウルトラ5兄弟が暴君怪獣タイラントに次々とあっけなくやられていったりなど、同時期の70年代前半の昭和の仮面ライダーシリーズに客演した先輩仮面ライダーたちと比べると「兄さん」なのに「弱い」「情けない」といった印象がつきまとっていたのと同様だとの批判も論理的にはありえるかもしれない。


 しかし本作のゼロは、70年代前半の第2期ウルトラシリーズに客演した先輩ウルトラ兄弟たちのようには必ずしも弱くて噛ませ犬のようには見えてはいないだろう。それは単身で一方的にヤラれているような負け方では決してなく、あくまでもウルトラウーマングリージョを守るための重荷を背負ったハンディキャップ・マッチになっているというエクスキューズがある作劇、そしてそれらを適格に体現してみせているアクション演出があるからだ。
 つまり、反実仮想で暗黙裡にグリージョがこの場にいなければウルトラマンゼロはウルトラダークキラーにここまで一方的にはヤラれることはなかったハズなのだ! 敵わずとも拮抗はできたかもしれない! と視聴者の心の片隅にそう思わせるような作劇&演出ができているからでもあるからだ。



 平成仮面ライダーシリーズのヒロインたちは決して守られるだけの存在ではなく、中にはライダーに変身までするほどに活躍を見せるコもいるのとは異なり、昭和の仮面ライダーシリーズにレギュラーで登場してきた「ライダーガールズ」たちは単なる「人質要員」(笑)としての印象が強かった。グリージョも一見するとその「ライダーガールズ」のような扱いかと思われそうではある。


 だが、そのグリージョもEpisode10では


「私だってウルトラマンです!」


と叫んで、全身から強い光を放ってウルトラダークキラーとウルトラマンゼロダークネスといった2体の強敵を勢いよく吹っ飛ばしてみせる点描を入れてみせている。敵に一矢を報いてみせることで、ゼロの足を引っぱっているだけといった、ややもすれば昭和の先輩ウルトラ兄弟やライダーガールズたちのように視聴者に少々の不快感をも与えかねない印象を回避(かいひ)することにも成功しているのだ!


 これらは脚本の足木淳一郎氏や坂本浩一監督が、先述した『A』や『タロウ』のウルトラ兄弟客演編などで、当時や後年の子供たちや特撮マニアたちも感じていただろう不満や鬱憤を、ここぞとばかりに数十年後のリベンジ(笑)として解消しようとした作劇&演出だったのだろう。


 先輩ウルトラ兄弟たちがワリを喰ってしまうことで往時の子供たちをガッカリさせてしまっていた作劇とは異なり、『ウルトラギャラクシーファイト』においては先輩ウルトラ戦士やライダーガールズ(笑)にも大活躍の場面を、あるいは結局は敵に押されて負けてしまうような場面であったとしても、敵に対して一矢は報いていたり、別のキャラクターを助けたり守ったりするためのハンディキャップがあったからだ! とするようなディテール描写を随所に挟んでいっているのだ。


 「最初は負けても、最後には勝つ!」という作劇が勧善懲悪活劇の普遍ではあり、ひいては昭和のウルトラ兄弟客演編や本作『ウルトラギャラクシーファイト』でも、「アラスジ」のレベルではそこに還元されてしまう同類項のものではある。しかし、そのような「エクスキューズ作劇」や一矢は報いてみせたという「反撃アクション演出」の有無などで、作品の印象やクオリティーといったものは天と地ほどにも異なって感じられてきてしまうものでもあるのだ!
 そういう意味では「ストーリー」「アラスジ」なぞは作品の「本質」などではまるでなく、「エクスキューズ作劇」と「反撃アクション演出」の有無こそが作品のキモであり、作品の「本質」ですらあるのかもしれないくらいなのだ!



・映画『劇場版 ウルトラマンギンガS(エス) 決戦! ウルトラ10勇士!!』(15年・松竹・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200404/p1)が初出で本作でも復活した超時空魔神エタルガーを倒すために、地獄の特訓(笑)をウルトラマンギンガとウルトラマンビクトリーに課したゼロ
・映画『劇場版 ウルトラマンX(エックス) きたぞ! われらのウルトラマン』(16年・松竹)ではウルトラマンエックス・初代ウルトラマンウルトラマンティガが東京で戦っている間に、世界各地の主要都市に現れた溶鉄怪獣ツルギデマーガを倒すために歴代ウルトラマンたちとともに駆けつけたゼロ
・映画『劇場版 ウルトラマンオーブ 絆の力、おかりします!』(17年・松竹・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200406/p1)でもウルトラマンオーブとともに奇機械改竜ギャラクトロンと戦ったゼロ
・テレビシリーズ『ウルトラマンジード』(17年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20170819/p1)ではレギュラーキャラとなってウルトラマンジードと共闘したゼロ


 ニュージェネレーションウルトラマンたちの頼もしい先輩として大活躍をさせてきたウルトラマンゼロを本作ではあえて囚われの身として描いたのは、もちろんそろそろ従来作との差別化として年輪を重ねてきたニュージェネレーションウルトラマンたちの方を逆にゼロよりも大活躍させることで、彼らもまた強く成長したのだということを描いて、視聴者にゼロの活躍とはまた別種のカタルシスも与えよう! といったところが、本作最大の目的でありコンセプトでもあったためだろう。


 恩人でもあり師匠でもあるゼロを救出するために、若き7大ウルトラマンが邁進(まいしん)する姿がひたすらカッコよく描かれる。そして、彼らにはゼロに助けられてきた「恩義」を感じているといった「行動動機」をそのセリフでも語らせてみせたり、歴代ウルトラシリーズを長年にわたって鑑賞してきた特撮マニアたちや、後追いでも歴代シリーズを鑑賞してきた特撮ファンや子供たちが、それらの作品に対する記憶までをも勝手にダブらせてしまうことまで計算したことで、単なるアクションものとしてだけでなく、クドクドとした説明ヌキでの端的な「点描」だけでも「ドラマ性」を宿らせることができているのだ。
 教科書的な意味での狭義のドラマツルギーとしては反則ワザでも(笑)、このような「点描」もまた広義の意味では「作劇的な技巧」そのものだ! といってもよいのではなかろうか!?


*「ドラマ性」を高めるためのものとしての「ヒーローの最強形態」!


 本作の終盤で、そのニュージェネレーションウルトラマンたちによるゼロへの「恩返し」の最大の象徴として描かれているのが、Episode11のクライマックスである。
 その直前回であるEpisode10でニュージェネウルトラマンたちの大活躍によって倒されたハズのウルトラダークキラーが、トレギアの力によりジャンル作品の毎度のお約束によって「質量保存の法則」を無視してデタラメにデカい姿となって復活する!――科学的・ハードSF的にはオカシいけど、ヒーロー活劇・ライトSF的には正しい作劇だと思うので、もちろん大カンゲイ・笑――


 ここでジードが


「今度はボクたちがゼロを助ける番だ!」


と、テレビシリーズ『ジード』では小型カプセルから機動される先輩ウルトラ戦士個々の超パワーを模したエネルギーであったものが、ウルトラマンギンガ・ウルトラマンビクトリー・ウルトラマンエックス・ウルトラマンオーブ本人たちのエネルギーを浴びせることで、ウルトラマンゼロをその強化形態・ウルトラマンゼロビヨンドに変化させるのだ!
 このゼロビヨンドは『ジード』の中盤ではギンガ・ビクトリー・エックス・オーブの超パワーを再現するニュージェネレーションカプセルを使うことで、ゼロが地球で合体している妻子持ちのさえないサラリーマン・伊賀栗レイト(いがぐり・れいと)が「オレに限界はねぇ!」という掛け声とともに強化変身するに至った形態であったハズだった。
 4人の新世代ウルトラマンの超パワーの結晶として、本作でもこのニュージェネレーションカプセルでの変身のバンク映像をキッチリと再現するのみならず、地球でのゼロとレイトとの間に生まれた絆をヌキにしてもゼロがビヨンドに変身できてしまった設定矛盾については、ジードはゼロに対して「レイトさんにはナイショで……」と頼みこんでいる(笑)。


 もちろん「アラスジ」レべルでいえば、ニュージェネウルトラマンたちがウルトラマンゼロに「恩返し」をするのならば、ぶっちゃけ単にウルトラダークゾーンからゼロを救出したというノルマさえ達成できれば、それだけで済むのである。
 しかし、Episode9のラストにてウルトラマンギンガ・ウルトラマンビクトリー・ウルトラマンエックス・ウルトラマンオーブウルトラマンジードに、それぞれウルトラマンゼロに対する「恩義」を端的に象徴するセリフを激アツに叫ばせながらウルトラマンゼロの力に由来するそれぞれの強化形態にタイプチェンジしていった描写を反転させるかたちで、今度は逆に後輩ウルトラマンたちの方からその力でウルトラマンゼロを強化形態に変化させるような描写を挿入することも、各ウルトラマンたちのタイプチェンジ形態をたくさん出して画面をにぎやかにしたり変化をつけようという意味ももちろんあるのだが、それだけでもないだろう。
 ニュージェネウルトラマンたちがウルトラマンゼロを単に物理的・形式的に救出ができたということのみならず、各々の想いが込められたエネルギーが注入されていくことで、その「恩返し」を具体的で「ドラマチック」な「ビジュアル」としても象徴させることができている「映像演出」にも昇華していたのだ!


 今回のゼロビヨンドは、その姿への変身からEpisode12における、ゼロ自身のネガ像でもあリ短編シリーズ『ウルトラゼロファイト』第2部『輝きのゼロ』(12年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200314/p1)が初出でもある、悪のウルトラマンであるベリアルの怨霊に憑依されたウルトラマンゼロがその全身の体色を黒色に染めた姿でもあったウルトラマンゼロダークネスの単独出現版とのガチンコバトルに至るまで、その全身が金色に光り輝いたままであり、キックの残像までもが星のようにキラキラと金色に輝くほどの演出がなされることで、テレビシリーズでは白銀主体の体色であったゼロビヨンドよりも強化されている、その全身が金色と銀色にキラキラと輝いていた最強形態・シャイニングウルトラマンゼロにも近いような形態なのだろうことも含意させている――後日付記:後付けのようだが(?)、この形態にはウルトラマンゼロビヨンド・ギャラクシーグリッターという正式名称が付与されていた――。


 もちろん最後の最後に正義の味方であるウルトラマンたちが勝利することは幼児であっても充分にわかりきってはいる(笑)。しかし、先述したように本作ではニュージェネウルトラマンたちを立てるためにもウルトラマンゼロが相対的にはワリを喰ってきたが、もちろんそれだけでも視聴者のフラストレーションが少々たまってしまうので、クライマックスではゼロにも相応のバトルを演じてもらうためにも、この処置は有効に機能しているのだ。


 父であるウルトラセブンのトサカ部分が外れてブーメラン武器となるアイスラッガーを継承する、ウルトラマンゼロの姿では2つ、ゼロの力を借りたウルトラマンオーブのタイプチェンジであるウルトラマンオーブエメリウムスラッガーでは3つあったトサカを、4つ(!)もそびえさせてそこから放ったクワトロスラッガーをゼロダークネスに向けて飛ばしたゼロビヨンド! しかし、ゼロダークネスにハネかえされてしまった金色に輝くスラッガーを、今度はその両腕の中で2体ずつで合体させて巨大な三日月状の刀2振りと化さしめた!
 ゼロビヨンドがその二刀流「ツインギガブレイク!」でゼロダークネスをスレちがいざまにブッた斬るさまはまさに時代劇や劇画調の演出となっており、斬られたゼロダークネスが燃えあがっている炎を背景に、二刀流をかまえたゼロビヨンドをあおりでとらえたカッコいいカットは最高にカタルシスが得られるものとなっている!



 先述した往年の『A』や『タロウ』のウルトラ兄弟客演編でも、兄さんたちがカッコいいところをほとんど見せずに終わるのではなく、たとえばウルトラ5兄弟を一度は全滅させたほどのヒッポリト星人相手であるのならば、いつものウルトラマンエースの必殺ワザ・メタリウム光線一発で倒せてしまっては通常編の並みの怪獣の強さしかなかったことになってしまって、子供心にも辻褄が合わなくなってしまうような矛盾した描写になってしまうのだから、そこはウルトラ5兄弟が必殺光線を一斉照射!
 もしくは超強敵・異次元超人エースキラーを倒した際のようにエースの頭頂部に4兄弟のエネルギーを照射してからエースが放つ合体光球・スペースQをここぞとばかりに再披露をすべきだっただろう!
 「敵に一矢を報いる」アクション演出を敵キャラにも援用してみせれば、合体光線やスペースQを浴びてしまったヒッポリト星人にも即座に爆発四散はさせずに、しばらくは堪え忍んでみせているさまをヒイてジラして描いてみせる「タメ」の演出を挿入することで、最後には敵キャラが爆発四散するのは確定路線だとしても(笑)、それによってヒッポリト星人がますます強く見えることで、最後の勝利のカタルシスをも倍増させることができたハズなのだ!


――歴史的な大傑作ではあるものの、一度にウルトラ一族100万人を敗退させたほどのジャカル大魔王に対して、最後にウルトラ一族の長老・ウルトラマンキングの神秘の力によって復活したウルトラ6兄弟の合体光線でアッサリ決着がついてしまう漫画『ザ・ウルトラマン』(75年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20210110/p1)のラストバトルと、復活を果たした(厳密にはジャッカル四天王のひとりが進化した)ジャッカル大魔王との戦いで今は亡き暗黒宇宙大皇帝エンペラ星人のヨロイ・アーマードダークネスの一部をやむをえず着用してジャッカル破壊光線を阻止するウルトラマンメビウス! しかし、ヨロイの闇の意思に飲まれそうになってしまうメビウス! それに対抗するためにウルトラ6兄弟がメビウスとウルトラ7重合体して最強形態・ウルトラマンメビウスインフィニティーが出現! されど、宇宙の各所からヨロイの全パーツが飛来してきてメビウスインフィニティーの全身を包んでしまうという大ピンチ到来! そこに駆け付けたキングがヨロイの呪いを弱めるためにウルトラの国の秘宝・ウルトラベルの鐘の音(かねのね)を響かせる! ……といった攻防劇のつるべ打ちの一連でおおいに盛りあげてみせる、先の『ザ・ウルトラマン』の続編でもあった漫画『ウルトラマンメビウス外伝 アーマードダークネス ジャッカル軍団大逆襲!!』(08年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20210117/p1)のラストバトルとの相違を例に出してみてもよいだろう――


 ハッキリ云って、「ストーリー」や「アラスジ」なぞではなくって、この手の勧善懲悪エンタメ活劇のキモとは、このようなシーソー的な秘術の尽くし合いのパワー合戦の連発や、たとえ敗退してしまうにしても一矢は報いる「反撃アクション演出」、一時的にでも耐え忍んでみせるような「タメ演出」といったディテール描写の有無によって「傑作か否か」や「名勝負か否か」の品格が決まってしまうものなのだ。むしろソコしかないともいえるのだ。
 そして、「作品批評」もまたソコを析出して語っていくことこそが、作品の「本質」にも接近していくショートカット・近道ですらあるともいえるだろう!――加えて、「読ませる文章」一般の極意といったものも、この「シーソー感覚」や「タメ演出」といったものであって、エンタメ活劇の作劇やアクション演出の巧拙のテクニックに通じているものがあるようにも思えるのだ・汗――



 変身怪人アンチラ星人が化けていた偽・郷秀樹の前に、ホンモノの郷秀樹が再登場して、帰ってきたウルトラマンことウルトラマンジャックに変身してウルトラマンエースとも共闘! アンチラ星人&サイゴン VS エース&ジャックの激闘を描く!
 火山怪鳥バードンに一度は殺害されたゾフィー兄さんも最後にはウルトラの母の力で復活して、タロウと共闘して地球最強の怪獣であるバードンをやっつける!
 暴君怪獣タイラントに太陽系の各惑星でひとりずつ対戦して敗退していったウルトラ5兄弟たちだが、最後にはリベンジのために地球に飛来してきてタロウを含むウルトラ6兄弟が組んずほぐれつの果てに超強敵怪獣タイラントを打ち負かす!


 往年の昭和の第2期ウルトラシリーズでのウルトラ兄弟客演編でも、こんなストーリーであれば往時の子供たちに失望感を与えることなく、最後には気持ちのいいカタルシスだけが残ったハズであったのだ――その伝ではそのへんの子供たちの機微をわかっていて、客演編では先輩ライダーたちをほとんどピンチに陥(おちい)らせることなく大活躍をさせてきた昭和のライダーシリーズを担当してきた東映の故・平山亨(ひらやま・とおる)プロデューサーは偉大であったのだ(氏の感覚自体が非常に子供っぽかったともいえるのだが・笑)――。


*各ヒーローの関係性&立ち位置を最大限に活かす作劇とは!?


 バトル演出のみならず、ニュージェネの中では最も後輩である『R/B』の主人公ウルトラ兄弟の兄であるウルトラマンロッソが妹のグリージョをずっと守ってくれたウルトラマンゼロに対して深々と頭を下げる演技や、先輩たちを


「(初代)ウルトラマンさん! (ウルトラマン)ティガさん!」


と敬称をつけて呼んでみたり


「お疲れさまです!」


と労をねぎらっていた(笑)オーブが、


「ゼロさん、大丈夫ですか?」


などと語りかける描写は、鼻につく域には達していないがやや不遜(笑)だったギンガ――というかギンガと合体している地球人青年・礼堂ヒカル(らいどう・ひかる)――がゼロに対してもタメ口だったり、基本的には腰が低い常識人キャラであるジードがその看板番組ではずっと共演してきたゼロに対してだけは先輩というよりかは友だち感覚(笑)で接している中では、先輩に対する敬意の象徴としては実に印象強く残るものであり、それぞれのキャラクターたちの個性やゼロとの関係性のちょっとした相違を端的に示してもいる名演出ともなりえている。


 そのゼロが右手を後頭部に当てながら頭を左右にコキコキと動かす、「あ~疲れた」とでも云いたげな妙にオッサンくさい仕草(爆)を見せる演出・演技も、すでにデビューから10年が経過して、ニュージェネウルトラマンたちからすればゼロが立派な大先輩=レジェンドウルトラマンと化していることを最大限に象徴する秀逸(しゅういつ)な描写にもなりえている。
――その寿命が数万~10万年単位にも達するウルトラ一族にとっての10年間などは、地球人の寿命100歳で単純換算してみせれば人間にとっての半日にも満たないくらいの短期間なのだが、細かいことは気にするな!・笑――



 そして今回はニュージェネウルトラマンたちの中では最も年長であるウルトラマンギンガにリーダー感を与えて、先輩格キャラとして立てることにも成功していた。


 加えて、ゼロダークネスをゼロ本人にまかせて、ニュージェネウルトラマンたちがウルトラダークキラーと決着をつけようとしたそのとき、先述した『CRぱちんこウルトラマンタロウ 戦え!! ウルトラ6兄弟』などのパチンコでの展開までをも本作は前史・史実として肯定(こうてい)したことで、そのウルトラマンタロウがダークキラーの因縁の相手としても必然性をもって現れることとなったのだ!


 ウルトラマンオーブウルトラマンジード、ウルトラマンロッソにその弟のウルトラマンブルに至るまで、近年のウルトラマンが歴代レジェンドウルトラマンのパワーを使って変身するのが当たりまえとなる中で、「昭和」のウルトラマンの中では両耳から巨大なツノを生やしている強烈なルックスもあってか、キャラクターとしては根強い人気を誇(ほこ)っているウルトラマンタロウは、各ウルトラマンのタイプチェンジの一形態の元パワーのひとつとして扱われることが多かった――ロートルな筆者などよりもさらにはるかに年上である、初代『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』などの第1期ウルトラシリーズだけを神格視してきた、今や還暦戦後の第1世代の特撮マニアにとっての『タロウ』とは、いまだに否定されるべき作品なのだとしてもだ!――。


 だが、今回もウルトラマンギンガの因縁の宿敵として再登場した悪の人型巨人・ダークルギエルが、かつてM78星雲・光の国で勃発(ぼっぱつ)したウルトラマンVS怪獣軍団との全面戦争の最中(さなか)に、ウルトラマンたちや怪獣たちもすべてを手のひらサイズの人形と化したために、『ギンガ』本編ではタロウも人形のかたちとはいえレギュラー出演することとなっていた――そして『ギンガ』終盤では、その巨人としての本来の姿を復活させていた!――。
 つまり、タロウと「相棒」として直(じか)に常に接してきたのは、ニュージェネウルトラマンたちの中では『ギンガ』の男子高校生主人公・礼堂ヒカル=ウルトラマンギンガだけだったのだ。ギンガのみがレジェンドウルトラマンであるタロウと旧知どころか実に親しい仲であった史実を踏まえた描写がここで正しくなされているのだ。


 Episode12のクライマックスでは、さらにそのギンガのリーダーとしてのキャラを立てるための作劇&演出がなされていた。


 その前段ではタロウの力を借りることで、テレビシリーズ『ギンガ』の続編『ウルトラマンギンガS(エス)』(14年)におけるタロウのデザイン意匠(いしょう)をまとった強化形態・ウルトラマンギンガストリウムへと久々に変身する!
 そして、ウルトラマンビクトリー・ウルトラマンエックス・ウルトラマンオーブウルトラマンジードもこれに合わせてそれぞれの最強形態に、ウルトラマンロッソ・ウルトラマンブル・ウルトラウーマングリージョの3兄妹はオーロラのシャワーが降り注ぐ中で手をつないで、映画『劇場版R/B』で初披露となった最強形態・ウルトラマングルーブへと合体変身をとげた!


 タロウの力を得たギンガがタロウの必殺光線でもある「ストリウム光線」を放ったのを皮切りに、ウルトラダークキラーが紫色の細いストレート光線を何重にも発射する中で、ウルトラマンビクトリー・ウルトラマンエックス・ウルトラマンオーブウルトラマンジード・ウルトラマングルーブが、レーザーブレード・電撃スパーク・七色の光輪など見た目も含めてあざやかにダークキラーに猛反撃を繰りだしていく! オーブに至ってはエックスの攻撃に隙(すき)を見せたダークキラーに「よそ見するな!」と空から急襲してキックをかますのがちょっとヒドかったりするが(笑)。
 元々無敵の強さを誇っていた悪の巨人であるダークキラーをワザワザ「超巨大化」させる手法は、アタマの硬い旧型オタたちには「近年の特撮によくあるマンネリのラストバトルだ!」と批判をするのだろうが、多数のヒーローの大活躍を気兼ねなく気持ち良く描写するためには、ラスボスがウルトラマンたちと同じサイズであると集団イジメに見えてしまうことを回避するためには絶対的に必要な演出でもあるのだ! ウルトラシリーズにかぎらずあまたのヒーロー大集合作品のラストバトルがこうなるのは必然だとさえいえるのである(笑)。


――ヒーローよりも巨大なサイズのラスボスと戦うヒーロー集団といったシチュエーションの原典は、『仮面ライダーX(エックス)』(74年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20141005/p1)の劇場版で昭和の5人ライダーと戦ったラスボス・キングダークや、『仮面ライダーストロンガー』(75年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20201231/p1)の最終回で7人ライダーと戦った岩石大首領に、『(新)仮面ライダー(通称・スカイライダー)』(79年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20210102/p1)最終回で8人ライダーと戦ったドラゴン型の巨大怪獣がその正体であったネオショッカー大首領などの、やはり平山亨プロデューサー作品であったのだ! ……いや、往年の名作特撮時代劇映画『妖怪大戦争』(68年)が元祖か?・笑――


 2019年11月28日に惜しくも亡くなられた特撮研究所矢島信男特撮監督が、『ジャイアントロボ』(67年)にはじまる東映特撮を発端(ほったん)として、外様として招聘(しょうへい)された円谷プロ製作の『ミラーマン』(71年)や『ウルトラマンタロウ』(73年)に『ウルトラマンレオ』(74年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20090405/p1)などでもそのような演出をしていたように、ダークキラーの背面を画面手前に配して、股下(またした)と両脚の間から(!)その奥にいるビクトリーをとらえて巨大感&遠近感を両立させていた特撮演出や、画面左に超巨人と化したダークキラー、その右には通常サイズの巨人であるウルトラマングルーブを配して、しかしてそれでも最強形態ではあるグルーブの強大なるパワーがもたらす攻撃をもってすれば超巨大ダークキラーでさえもが後方へと吹っ飛ばされていくダイナミックなアクション特撮などは、ダークキラーとウルトラマンのどちらかがワリを喰っているものではなく、双方の強さが同時に両立して描けてもいるカタルシスあふれるアクション演出たりえてもいるのだ!
 深読みさせてもらえば、ダークキラーを攻撃する直前のグルーブの腕の構え方にやや女性的な仕草が感じられるのも、グルーブにウルトラウーマングリージョも合体していることを表現しようとしたスーツアクターの演技、もしくはアクション監督によるディレクションではなかろうか?



「みんなのエネルギーをストリウムブレスに集めるのだ!」


 タロウの指示で、左手首のストリウムブレスにニュージェネウルトラマンたちのエネルギーを結集させたギンガストリウムは単身でダークキラーに突撃する!


「これがオレたち、ニュージェネレーションの力だ!」


 そう叫んでいる声はギンガのみならずグリージョも含めたニュージェネ勢全員の声であり、燃えさかる炎を背景にギンガの周囲に全ニュージェネウルトラマンの表情をイメージ的に合成して繰りだされた最強の必殺ワザは、タロウがその全身を炎上させて体当たりする自爆特攻ワザ「ウルトラダイナマイト」を継承した「ニュージェネレーションダイナマイト」だ!


 『ウルトラマンメビウス』(06年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070506/p1)以来、地上波での放映に長らくブランクが空いたこともあってか玩具の売上高も半減しており、製作資金の調達には苦労したと思われる『ギンガ』では、国内特撮のミニチュアを一手に製造・保有もしているマーブリング・ファインアーツ社――東宝東映・円谷作品を股にかけて活躍した特撮美術監督である故・大澤哲三などもここの所属であった――から、都市街を組めるような大量のミニチュアセットをレンタルしてくる予算を確保できなかったためだろうが(汗)、山間部の小さな村落にある高校を舞台にしたほどに、低予算ゆえの小さな世界観や若い役者陣によるお芝居を中心とした作風には評価が分かれるところもあるだろう。
 だが、この『ギンガ』を皮切りとして毎年、ウルトラマンシリーズが製作できるようになって、その間に玩具展開的にも特撮技術的にも一定の進歩をとげていくこととなったのも一方では見逃せにできない貴重な事実の積み重ねの第一歩でもあったのだ。



 そして、このギンガをニュージェネウルトラマンたちのリーダー的な存在として本作『ウルトラギャラクシーファイト』では描いてきたのも、昭和の第2期ウルトラシリーズではウルトラ兄弟の長男であるゾフィー兄さんや次男であった初代ウルトラマンが真っ先に噛ませ犬(汗)にされてしまった、当時の子供たちも残念に思っていたその処置を反面教師にすれば、2010年代のニュージェネウルトラマンのトップバッターであったギンガこそを最も頼もしい存在として描いて、そのキャラを立ててみせる方法論がベストでもあるのだろう――その逆に近作のニュージェネウルトラマンたちはお約束でもまだまだ未熟さが残るキャラクターとして描いておいた方が、差別化としてもそのキャラが立つだろう――。


 2010年代のニュージェネレーションウルトラマンが続々と生まれる好況を生みだす発端となった『ギンガ』に対するリスペクトが感じられるところはとにかく望ましいところだ。もちろん、このギンガやゼロのみを特別扱いして、他のウルトラマンたちをつくり手のたかが個人の好悪ごときで噛ませ犬にするような不公平さなども一切感じさせずに、全ウルトラマンたちをひとりのムダもなく個性豊かに活躍させることによって、最後の最後に勝利のカタルシスが到来することになる、微に入り細をうがった至れり尽くせりの作劇で、このクライマックスは最高に高揚感があふれるものともなっていた!


*本作の仮面劇&作劇をテレビシリーズでこそ実現せよ!


 最終回であるEpisode13にて、今回の真の黒幕であるウルトラマントレギアがグリージョを真っ先に囚われの身とした理由は、先の『劇場版R/B』にてトレギアが一敗地まみれてしまった、ロッソ・ブル・グリージョの合体であるウルトラマングルーブの登場を阻止するためだったことがゼロによって語られる。そう、ここでもたしかにトレギアは以前にグルーブに負けている史実をキチンと押さえてもおり、こういう念押しの描写がまたマニア心や怪獣博士タイプの子供心をそそるものでもあったのだ!


 その場に姿を見せたトレギアのことを、『劇場版R/B』でも共演したウルトラマンジードとウルトラマンロッソが既知の存在として先輩たちに語ることで、ここでもまた本作がジード・ロッソ・ブル・グリージョの4大ウルトラマンが共闘してトレギアに立ち向かった『劇場版R/B』のすぐあとの続編でもあることが改めて示される。


 そして、トレギアとタロウがすれ違うホンの一瞬の回想カットにつづいて、


「やはり消すしかないな。タロウを、光の国を……」


とつぶやくことで、今後の展開への伏線フラグを立ててトレギアはその場を去っていく……


「これはオレたちだけの問題じゃない!」


とエックスが語ったのを皮切りに、ニュージェネウルトラマンたちが同じウルトラマンとして、彼ら自身の故郷ではないもののM78星雲のウルトラ一族の故郷・光の国を守る決意を固めるさまを象徴的、というかそのまんま即物的(笑)に描くために、円陣を組んでこぶしを合わせる7人の姿が真下からとらえられ、ウルトラマンたちはトレギアを追うためにゼロとグリージョに別れを告げる。


 兄であるロッソとブルに『R/B』の舞台であった並行宇宙の地球の平和を託されたグリージョは、当初は兄たちのことを心配するものの、「仲間を信じるのもウルトラマンの大事な資質だ……」と、Episode2でゼロにかけられた言葉を絶妙な係り結びで口にしてみせることで、『R/B』の続編として、そしてグリージョのさらなる精神的な成長までもが描かれているのがまた秀逸な作劇である。宇宙空間で浮遊しているグリージョがゼロと会話を交わしている場面では、その背景映像に地球がかなりの大きさで描かれているのも、その地球防衛の使命・責任の重さを映像演出面でも象徴する効果を高めている。



 時系列的には『ウルトラマンタイガ』直前の物語である本作『ウルトラギャラクシーファイト』の方が、製作的には同時期にテレビで放映された『ウルトラマンタイガ』よりもあとに企画も製作もスタートしているのだろうが(?)、この『ウルトラギャラクシーファイト』最終回の直後が、『ウルトラマンタイガ』第1話冒頭における光の国があるウルトラの星を眼前に控えた大宇宙空間でのトレギア VS 7大ニュージェネウルトラマン&タロウ・タイガ・タイタス・フーマの激闘シーンに直結していくこととなる……
 そのことは事前に製作側でも喧伝されてきたし、大方の特撮マニア諸氏であれば想定もできていたことでもあり、だからこそ「そこにつながってくれなければウソ!」ではある描写ではあったのだ。その意味でも『ウルトラギャラクシーファイト』最終回のラストは特撮マニア諸氏の望みも叶えてくれていた。


 そして、できれば『ウルトラギャラクシーファイト』直後の物語でもあった『ウルトラマンタイガ』の最終展開は、『タイガ』の物語の一応の終結点であるのと同時に、『ウルトラギャラクシーファイト』でのストーリー展開もすべてとはいわずとも一部は受けている壮大なる展開であってほしかったのだ。


 しかし……


 『ウルトラマンタイガ』は第1話冒頭でこそトレギア VS ウルトラ戦士団との激闘が描かれて、子供たちやマニア諸氏をおおいに狂喜させることとなったのにもかかわらず、その後の『タイガ』は本作『ウルトラギャラクシーファイト』での出来事などは想起すらされずに、どころか大宇宙スケールでのウルトラ一族の因縁錯綜劇とは接点すらほとんど持たない、作風的にも『ウルトラギャラクシーファイト』とは完全にかけ離れた作品になっていく……



 2020年3月6日(金)公開予定(執筆時点)の『タイガ』後日談である映画『劇場版 ウルトラマンタイガ ニュージェネクライマックス』(20年・松竹)では、ニュージェネレーションウルトラマンたちが『ウルトラギャラクシーファイト』や『タイガ』第1話冒頭につづいて再び集結するのみならず、その最新の予告編では新ヒーロー・ウルトラマンレイガの誕生も告知されている。


 もちろんテレビとは異なる映画ならではの豪華な雰囲気を醸(かも)しだす意味でも先輩ヒーロー大集合という企画自体は戦略として大正解だとは思える。しかし、あの第1話があったのであれば、『タイガ』はシリーズ中盤なり終盤などではニュージェネウルトラマン全員とはいわずとも数名程度は客演するエピソードも配置しておくのが、基本設定的にも適切だったであろうに……と思えてならないのだ。


 いや、『タイガ』にかぎった話ではなく、テレビのウルトラシリーズでも年に一度だけの劇場版のみではなく、いっそのことテレビシリーズ中盤などでも地球をメインの舞台とすることからはいったん離れて、宇宙空間や地球以外のどこかの惑星を舞台として、ニュージェネウルトラマンたちが変身前の役者陣の確保ができないのであれば声の出演だけの仮面劇になってもよいので、前後編で大活躍をさせるようなエピソードを毎年つくるべきではなかろうか?
 オッサンである第2期ウルトラ世代がそのリアルタイムで、あるいはその下の世代たちでも20世紀のむかしには途切れなく放送されていた再放送などで鑑賞して、全国の小学校中で大興奮していたウルトラ兄弟勢ぞろい編! この手法は現代の子供たちにもいまだに有効であると信じて疑わないのだ!


 たとえ「バトル中心」のストーリーではあっても、そのちょっとした作劇的な技巧によって、やや頭デッカチなテーマ主導の作品となってしまった『タイガ』などよりもはるかに地に足が着いているたしかなドラマ性が感じられた『ウルトラギャラクシーファイト』を鑑賞していると、改めて手前ミソでもその持説を強く主張をしてみせる必要性を感じてしまうのだ。


 実際にYouTubeでの再生回数も『ウルトラギャラクシーファイト』の方が『タイガ』の中盤以降のエピソードの倍くらいの数字をほぼ毎回稼いでいるのだし(汗)、『タイガ』第1話の冒頭部が特撮マニア界隈(かいわい)を壮大ににぎわせていたことを思えば、1970年代の学年誌や児童漫画誌コロコロコミック』などにおける内山まもる先生をはじめとする、大宇宙を舞台にウルトラ兄弟たちが大活躍するウルトラ漫画群(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20210124/p1)の数十年後の実写映像化作品ともいえる『ウルトラギャラクシーファイト』などの「多数ヒーロー登場の連続ストーリー活劇」の方法論の方こそを、むしろ今後のウルトラシリーズの「主軸」「中核」に据えるくらいでないと、もうこれ以上のウルトラシリーズ浮揚の勝算はないのではなかろうか!?


――その逆に、昭和の1話完結形式に戻って、「外国人」差別を「宇宙人」差別にヘタくそにも(失礼・汗)代入していたような『ウルトラマンタイガ』の方法論は、その志(こころざし)自体は壮とすべしではあっても、子供向けあるいは大衆向けエンタメとしてはやや問題があったのではなかろうか?・汗――


追伸


 『ギャラクシーファイト』のEpisode11から12にかけて、ゼロやニュージェネウルトラマンたちのラストバトルと並行して描かれた、M78星雲のウルトラ兄弟たちが所属する「宇宙警備隊」とはまた別の組織であるらしい「ギャラクシーレスキューフォース」の一員であるウルトラマンリブットの戦いでは、どくろ怪獣レッドキングの初代と二代目がコンビで登場するという、それこそ年季の入った特撮マニアたちの妄想にすぎなかったものがホントに映像化されてしまっていた(笑)。
 しかも二代目の方は、初代『ウルトラマン』(66年)に登場した原典が水爆を飲みこんでいた設定を忠実に再現するかたちで、ワザワザ首を太くして初代とは正しいかたちで差別化されていた! この二代目は、基本的にはやはり低予算作品で流用キャラクターや色を黒く塗り替えただけの偽ウルトラマンたちの登場で済まされてきた本作『ウルトラギャラクシーファイト』の中では珍しく、実はわざわざ新造された着ぐるみであったそうだ。
 ……おカネの使い方を誤っているような気がしないでもないのだが、ロートル・マニア的にはついつい歓迎してしまう(爆)。


――後日付記:このレッドキング初代と二代目は、『ウルトラマンZ(ゼット)』(20年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200723/p1)第11話『守るべきもの』に、早くも初代は「レッドキングA」(オス)、二代目は「レッドキングB」(メス)という、それぞれ原典や『ウルトラギャラクシーファイト』に登場した個体とは別個体として、同時に再出演を果たしていた・笑――


2020.1.25.


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2020年冬号』(20年2月9日発行)所収『ウルトラギャラクシーファイト ニュージェネレーションヒーローズ』総括合評1~2より抜粋)


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ウルトラマンオーブ』(16年)最終回「さすらいの太陽」 ~田口清隆監督の特撮で魅せる最終回・ジャグラス改心の是非・『オーブ』総括!

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20170415/p1

ウルトラファイトオーブ』(17年)完結評 ~『オーブ』・『ジード』・昭和・平成の結節点でもある年代記的な物語!

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20170603/p1

ウルトラマンジード』(17年)最終回「GEEDの証」 ~クライシスインパクト・幼年期放射・カレラン分子・分解酵素・時空修復方法はこう描けば!?

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20180213/p1

ウルトラマンタイガ』(19年)最終回「バディ ステディ ゴー」 ~『ウルトラギャラクシーファイト』『スカイウォーカーの夜明け』『仮面ライダー令和』 ~奇しくも「父超え」物語となった各作の成否は!?

  https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200112/p1

ウルトラマンタイガ』(19年)最終回「バディ ステディ ゴー」 ~タロウの息子としての物語たりえたか!?

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『ウルトラギャラクシーファイト ニュージェネレーションヒーローズ』最終回 ~戦闘連発でも多数キャラの動機・個性・関係性は描破可能! 物語よりも点描に規定される作品の質!

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ウルトラマンエース』(72年)最終回「明日のエースは君だ!」 ~不評のシリーズ後半も実は含めた集大成!

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『ザ☆ウルトラマン』(79年)最終回 #47「ウルトラの星へ!! 第1部 女戦士の情報」

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『ザ☆ウルトラマン』(79年)最終回 #48「ウルトラの星へ!! 第2部 前線基地撃滅」

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『ザ☆ウルトラマン』(79年)最終回 #49「ウルトラの星へ!! 第3部 U(ウルトラ)艦隊大激戦」 ~大幅加筆!

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『ザ☆ウルトラマン』(79年)最終回 #50「ウルトラの星へ!! 完結編 平和への勝利」 ~40年目の『ザ☆ウル』総括!

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宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち 第七章「新星編」 ~不評の同作完結編を絶賛擁護する!

『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち 第一章~第三章』(17年・TVアニメ先行上映) ~戦争モノの本質とは!? 愛をも相対視する40年後のリメイク!
『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち 第一章「嚆矢篇」』 ~キナ臭い主張を期待したい(爆)
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 総集編アニメ映画『「宇宙戦艦ヤマト」という時代 西暦2202年の選択』(21年)が、コロナ禍で2020年下半期公開予定が2021年1月15日(金)に延期の果てに、ついに2021年6月11日(金)から公開中記念! とカコつけて……
 毀誉褒貶がうずまいている、いや不評の声の方が多かったらしい(汗)、『宇宙戦艦ヤマト2202(ニーニーゼロニー) 愛の戦士たち 第七章 新星編』(19年・TVアニメ版#23~26(最終回))の肯定評(爆)をアップ!


宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち 第七章「新星編」』 ~不評の同作完結編を絶賛擁護する!

(文・T.SATO)
(2019年4月27日脱稿)


 『ヤマト2202』は『第一章』~『第三章』が神懸かっており、『第四章』・『第五章』で下がって『第六章』で盛り返し、最後の『第七章』でやや下がる……というのが私的印象だけど、それでも最後の『第七章』の健闘を称えたい。本作に口角アワを飛ばしているのはアラフィフ以上のオタだけで、若いオタがドン引きしている姿が眼に浮かぶけど(汗)。


 本作の原典である1978年夏のアニメ映画『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20101207/p1)はラストで「自爆特攻」というかたちで幕を閉じて、往時の少年少女たちの感涙を振り絞った――当時もう20歳前後のオタク第1世代の中でもスレていた庵野秀明竹熊健太郎はコレを冷ややかに観たそうで、その見解もアリなのだけど、ソレらはあくまでも極少数派の感慨にすぎない――。


 この原典を早々にTVアニメでリメイクした同年秋に放映が開始された『宇宙戦艦ヤマト2』(78年)では、主要スタッフである漫画家・松本零士(まつもと・れいじ)の反対で、右翼的とも目される「特攻」エンドは回避がなされて、「反物質」組成の身体を持っている異星の美少女・テレサの単身特攻で幕を閉じていた。


 しかし、ポリティカル・コレクトネス(政治的に正しい)が作品のクオリティー&高揚に連動するワケでもない。正直、TV版『2』のラストが映画版『さらば』のラストに勝っていたとは云いかねる。


 その後に、『機動戦士ガンダム』(79年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19990801/p1)に代表される、『ヤマト』と比すればやや乾いていたリアルロボットアニメの勃興で、やや浪花節の『ヤマト』や『銀河鉄道999(スリーナイン)』(78年)に『宇宙海賊キャプテンハーロック』(77年)などの当時は革命的であった松本アニメは急速に古びて見えてきて、公開当時は左派系のオトナだけが批判をしていた「特攻」描写も、リアルロボットアニメ至上主義者と化したアニメファンたちがその数年前のオトナたちの口マネ(汗)をして「特攻」描写を批判するようにもなっていく――当時はローティーンであった筆者などもその典型の俗物のひとり(爆)であったので、後悔しております――。



 そして、40年後の『さらば』&『2』のリメイクたる本作『2202』ラストが新たに出した回答とは!?


 「特攻」を肯定もしていないが全否定もしていない! 少年マンガや女児向けアニメ的な「奇跡」で無事に生還ができたでもナイ! かといって、『さらば』&『2』とはまるで別モノだとのそしりを受けるものでもナイ! ソレは「特攻」&「生還」の両立でもあり、その過程をSF&テーマ的にディテールUPすることでもあったのだ!


 すなわち、ヤミクモな単艦「特攻」色を緩和するために、旧敵にして今や地球と同盟関係にあるガミラス帝国の「次元潜航艇」や、新敵である白色彗星帝国・ガトランティス帝国側の巫女などの助勢も得ることで、精神主義でもなく知恵と作戦でも戦っていく!
 ヤマト乗員たちがムダに無意味に好戦的であるのではなく、激戦の渦中でも老獪でシニカルな白色彗星帝国に対しては何度も講和を申し入れて、「そんな愛や平和主義の主張なぞは地球人が初ではナイ」と鼻で嗤(わら)われる!
 クローン技術で子孫の代を重ねていくのでDNAが完全に同一であるハズなのに、それでも各個人・各個体ごとには個性の違いが、ひょっとすると脳内電気信号だけには還元できないのやもしれない「実存」(人間性)といったモノや、物理的な存在証明のしようがない「魂」といったモノに、白色彗星帝国のズォーダー大帝やその次代の大帝候補らをして想いを馳せさせる!


 ここに、「利己主義」&「自己犠牲」の双方がともに常に抱えてもいる一長一短・是々非々・表裏一体といったモノを、激戦中でも自問自答をしてみせるヤマトクルー&旧敵ガミラスの武官などの姿を通じて、たとえ人間や大宇宙の最期(さいご)といったモノは究極的には「虚無」やエントロピー的な「熱的死」であることを重々承知しつつも、人間といったモノは「生きる意味」・「死ぬ意味」・「戦う意味」といったモノを求めて、そしてそれをついつい考えてもしまう過剰な「知性」を獲得してしまった「業深き生物」であることをカブらせてもいく。


 さらには、テレサいわく「人間は単なる物理的な星の輝きにも意味や道義性を与えてしまう」という発言で、物理学の一部では大マジメに云われている――筆者個人としてはマユツバに思える――「人間・知的生命体がこの大宇宙を認識・観測ができるようになるために、この大宇宙自体も誕生したのだ」という、実に倒立・逆立ちもしている科学的な学説でもある「人間原理」とも通底させていく。


 ここで、アメコミ洋画『アントマン』(15年)&その続編『アントマン&ワスプ』(18年)でも描かれていた、超ミクロの量子レベルでは「空間」に折り畳まれているようにも解釈ができる「余剰次元」(=高次元&時間)を、ヤマトの次元波動エンジンの臨界暴走が、本作では高次元存在に設定が改変されていたテレサ降臨をも招来して、高次元世界(天上世界)からの戦死者の再臨や、ヤマトの質量&エネルギーでは見合わない超巨大敵艦の撃破といった行為をSF物理的にも正当化をしてみせる。


 でも、それだけならば、やはりまだ「特攻」にすぎないので(笑)、直前作『宇宙戦艦ヤマト2199』(12年)のラストで善意の種族が住まっている惑星イスカンダルから持ち帰っていた、量子レベルでは空間に永遠に刻まれているとされる記憶(=波動)の力で、大海原もが蒸発して放射能汚染で赤茶けた荒涼の惑星と化してしまっていた地球それ自体を元の青い惑星へと復活させたオーバーテクノロジー、「コスモクリーナー」ならぬ「コスモリバースシステム」の副産物として生じた地下空洞――地表よりも時間が10倍早く流れるので「波動砲艦隊」急造ドックとして使用されていた「時間断層」――の海面に、大宇宙空間での「特攻」のその半年後にヤマトが突如として浮上してきて1名の生存を確認!
 超常的な存在である「時間断層」の空洞深奥が「高次元世界」にも通じており(さもありなん!)、その「時間断層」を周囲から爆縮した超エネルギーであれば、空洞経由で帰還してきたヤマトを再度、高次元世界へと飛ばすことも可能であって、文字通りの生死の狭間の高次元世界で懊悩している主人公男女の救出も可能なのだと目される!



 軍事的アドバンテージでもある「波動砲艦隊・急造ドック」と「男女2名の命」、いずれを採るのか? この軽々には決められない重大事は国民投票にかけられる……。


 今となっては心がウス汚れてしまった筆者なぞは文句ナシに前者を採るけども(汗)、往時の原典の作り手たちの年齢も超えてヤマト艦長たちの齢に近くなってしまった作り手&受け手たち(爆)の想いをも代弁するかのように、ヤマト乗員にして技術長かつ副長(副艦長)でもある真田(さなだ)さんが主人公男女ふたりの救出を求めての大演説も一席ぶつ!


 この一連の流れには賛否もあろうけど、個人的にはこの演説が大いに泣かせてくれもするのだ! 「英雄」よりも「小市民」がうんぬんといったあたりだけは、現代では逆説的に「小市民」こそが疑義を許さぬ神聖不可侵化された現代の「天皇」である! と考えている筆者なぞはソコだけは共感しないけど(爆)。


 「講和」を求めつつも、それがダメならば「奴隷」「敗北主義的」な「絶対平和」ではなく、延命のためには何度でも引き金を引いてきて、最後にはその身を「爆弾」として「特攻」してしまった「矛盾」までをも指摘しつつ、せめて不可避ならば「戦争」にも「節度」や「ルール」や「抑制」といったモノを、その象徴としての「主人公男女ふたりの救出」を主張してみせる!
――ひいては我々マニア・オタクたちも、カッコいい「宇宙戦艦」や迫力あふれる「戦闘シーン」といったモノを、ドー言い繕ろおうとも愛(め)でてきたことは否めないので、原理主義的な意味での無抵抗・非暴力の絶対平和主義者ではアリエない!――


 ……ココまでの手数を踏まなければ、主人公男女ふたりの「生還」でさえ描けなくなっているとは、ひいては右派的な軍国主義作品としての批判を恐れなくてはイケナイとなると、作り手たちも実に大変な時代になってしまったモノだとも同情する(汗)。


 「永遠の闘争」&「各自が不確かなモノでも何らかの『意味』や生きる『意味』などを求めて彷徨するのが、『過去の人類』たちとも変わらない『人類の未来』の姿でもあるのだ!」と膨大な数の並行宇宙や分岐宇宙の視覚化で示唆してみせるのも、やや理に勝ちすぎた描写だとは思いつつも満腔から同意したい。


(了)
(初出・オールジャンル同人誌『SHOUT!』VOL.74(19年5月4日発行))


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『劇場版 機動戦士Z(ゼータ)ガンダム -星を継ぐ者-』(05年) ~映画『Z』賛美・TV『Z』批判!

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劇場版『エスカフローネ』(00年) ~いまさら「まったり」生きられない君へ……

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マクロスプラス MOVIE EDITION』(95年)

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超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』(84年) ~シリーズ概観&アニメ趣味が急速にダサいとされる80年代中盤の端境期

  https://katoku99.hatenablog.com/entry/19990901/p1

ウルトラマンタイガ最終回「バディ ステディ ゴー」 ~タロウの息子としての物語たりえたか!?

『ウルトラマンタイガ』序盤総括 ~冒頭から2010年代7大ウルトラマンが宇宙バトルする神話的カッコよさ! 各話のドラマは重めだが豪快な特撮演出が一掃!
『ウルトラマンタイガ』中盤評 ~レギュラー&ゲストの人間ドラマのみならず、ボイスドラマで描かれた3大主役ウルトラマンのドラマも本編に導入すべき!
『ウルトラマンタイガ』『ウルトラギャラクシーファイト』『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』『仮面ライダー令和』 ~奇しくも「父超え」物語となった各作の成否は!?
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[ウルトラ] ~全記事見出し一覧


 ウルトラマンシリーズの正統番外編であるネット配信『ウルトラギャラクシーファイト』(19年)の第2弾『ウルトラギャラクシーファイト 大いなる陰謀』(20年)が、2021年5月26日(水)にBD&DVD発売記念! そして、同作にウルトラマンタイガも登場記念! とカコつけて、『ウルトラマンタイガ』最終回合評をUP!


ウルトラマンタイガ』最終回「バディ ステディ ゴー」 ~タロウの息子としての物語たりえたか!?

(文・久保達也)
(2020年1月12日脱稿)

*「最終章」ではなかった『ウルトラマンタイガ』の最終章(汗)


 仮面ライダースーパー戦隊もそうだが、近年のウルトラマンシリーズの「最終章」は、レギュラー悪との最終決戦に的をしぼった連続ものの形式で描かれることが常だったものだ。


・『ウルトラマンオーブ』(16年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20170415/p1)におけるライバル青年ジャグラス・ジャグラー
・『ウルトラマンジード』(17年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20170819/p1)におけるラスボス・ウルトラマンベリアル、そして彼と通じている壮年SF作家・伏井出ケイ(ふくいで・けい)=ストルム星人
・『ウルトラマンR/B(ルーブ)』(18年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20180826/p1)における大企業社長・愛染マコト(あいぜん・まこと)=ウルトラマンオーブダーク=精神寄生体チェレーザに、ナゾの美少女・美剣サキ(みつるぎ・さき)――彼女は厳密には「悪」ではなかったが――


 「昭和」や「平成」中盤までの時代に放映されたウルトラマンシリーズとは異なり、『ウルトラマンギンガ』(13年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200819/p1)以降のいわゆるニュージェネレーションウルトラマンシリーズでは、もはやレギュラーの敵キャラが登場するのが当たりまえとなっている。仮面ライダースーパー戦隊のように正義側のキャラと悪側のキャラの間にある深い因縁で結ばれた人物相関図を描く群像劇のクライマックスとしてもおおいに盛りあがり、視聴者につづきを早く観たくてしかたがないと思わせるこの手法。近年のウルトラマンシリーズがこの手法を採用したこと自体は正解だったと見てよいだろう。


 本作『ウルトラマンタイガ』(19年)でも、レギュラー悪としてナゾの青年・霧崎(きりさき)=ウルトラマントレギアが登場してきた。
 しかもトレギアは、『タイガ』で主役ヒーローとして活躍するウルトラマンであるウルトラマンタイガの父であるウルトラマンタロウのかつての友人として設定されていた。そして、第1話『バディゴー!』(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190811/p1)の冒頭で描かれたように12年前に、


ウルトラマンギンガ
ウルトラマンビクトリー
ウルトラマンエックス
ウルトラマンオーブ
ウルトラマンジー
ウルトラマンロッソ
ウルトラマンブル


 といった7大ニュージェネレーションウルトラマンと宇宙空間で一大決戦を展開した!


 トレギアはウルトラ一族の故郷で自身の故郷でもあるM78星雲・光の国を攻撃しようとするも、


ウルトラマンタイガ
ウルトラマンタイタス
ウルトラマンフーマ


 といった、『タイガ』に登場する新米ウルトラマンたちも駆けつけてきてこれを阻止するが、圧倒的な猛威を見せつけるウルトラマントレギアによって3人のウルトラマンは宇宙の藻屑となって消え去ってしまう!
 タイガの父・タロウもまた、自身の全身を炎上させて自爆特攻する捨て身の荒技・ウルトラダイナマイト(!)でトレギアと相打ちになって姿を消してしまう!



 ウルトラマントレギアがこれだけの因縁も深い強敵として描かれた以上は、『タイガ』の終盤でも近年のウルトラマンシリーズの作劇を踏襲してタイガ・タイタス・フーマとトレギアの最終決戦を「最終章」として連続ものの形式で描くのだと、筆者は当然のように思っていたものだ。


 だが、『タイガ』終盤である第21話『地球の友人』~最終回(第25話)『バディ ステディ ゴー』は、そんな「最終章」「最終展開」とは呼びがたい構成となっていた。


 まず、第21話『地球の友人』は第18話『新しき世界のために』の続編的な内容であり、往年のウルトラシリーズでは初代ウルトラマンを倒したこともあるほどの最強怪獣である宇宙恐竜ゼットンの都市破壊で母親が重傷を負ったことで、宇宙人に復讐を果たそうとする青年をゲスト主役としていた。これは『ウルトラマンタロウ』(73年)第5話『親星子星一番星』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20080511/p1)でのタロウと大亀怪獣との戦いで両親を失った少女をゲスト主役にした名作回である第38話『ウルトラのクリスマスツリー』を彷彿とさせる趣向ではあった。


 ただ、そのゲスト青年が霧崎にそそのかされて復讐を果たそうとした相手は、宇宙恐竜ゼットンとは何の関係もないどころか、『ウルトラセブン』(67年)第48話~最終回(第49話)『史上最大の侵略』前後編では全人類を地底ミサイルで滅亡させようとした強敵宇宙人である幽霊怪人ゴース星人であった。
 『タイガ』第10話『夕映(ゆうば)えの戦士』に登場した暗殺宇宙人ナックル星人オデッサや第18話『新しき世界のために』に登場した触覚宇宙人バット星人のように、昭和のウルトラシリーズでは強豪宇宙人であったナックル星人やバット星人が人類に友好的で平和に暮らす宇宙人として、そのキャラを大幅に改変されての登場となっていた。


 いくら『ウルトラセブン』や『帰ってきたウルトラマン』(71年)などの昭和ウルトラシリーズとは別の並行宇宙にある別次元の地球が舞台である『タイガ』で、たしかにその宇宙人種族の全員が悪党ではない可能性もあるとはいえ、このようなエピソードにやや善良で同情の余地もあるゲストに割り振るのであれば、かつてのウルトラシリーズでは問答無用の凶悪宇宙人であったキャラクターを配するのではなく、それこそ先の『タロウ』第38話『ウルトラのクリスマスツリー』に登場した善良な宇宙人であるエフェクト宇宙人ミラクル星人などの方がよかったのではあるまいか?――当時の着ぐるみも現存しており、映画『ウルトラマンギンガ劇場スペシャル ウルトラ怪獣☆ヒーロー大乱戦!』(14年)でも再登場したのだし!――。


 これではゴース星人ではなく、その着ぐるみを流用して別キャラクターとして登場した円谷特撮『戦え! マイティジャック』(68年・円谷プロ フジテレビ)第16話『来訪者を守りぬけ!』に登場した友好的な宇宙人・モノロン星人ではないか!?――つーか、それをねらったんだろうが、そんなネタは我々オッサン世代にしか通じないわい!(笑)――
 先に挙げた『セブン』最終回前後編でもウルトラセブンを絶体絶命の危機に追いやったハズの強敵怪獣である双頭怪獣パンドンに至っては、モノロン星人が飼っていた小さな猿が環境の激変で巨大化して大暴れした悲劇の怪獣・パッキーと同等の扱いであった(爆)。


*「王道」回のハズなのに『タイガ』の中では「異色作」!


 まぁ、上記の「変化球」のエピソードは『タイガ』としては「通常回」だったワケだが(苦笑)、つづく第22話『タッコングは謎だ』では、『帰ってきたウルトラマン』第1話『怪獣総進撃』~第2話『タッコング大逆襲』に登場したオイル怪獣タッコングが、それこそ『セブン』のカプセル怪獣のように「人類の味方」として、タイガとタッグを組んで『帰ってきた』第1話に登場した凶暴怪獣アーストロンの兄怪獣・凶猛怪獣ギーストロンと戦った。


――往年の初代アーストロンの着ぐるみを改造しての登場となった『帰ってきた』第8話『怪獣時限爆弾』の爆弾怪獣ゴーストロンはアーストロンの弟だったとウラ設定されていた。同じく近年のアーストロンの着ぐるみを改造したギーストロンを、筆者も特撮マニア諸氏らの見解と同様、アーストロンの兄だと解釈させてもらおう(笑)――


 『帰ってきた』の劇中音楽を大量に流用したり――しかもクライマックスバトルではかの名BGM『夕陽に立つウルトラマン』が流れた!――、『セブン』第42話『ノンマルトの使者』に登場したゲスト少年・真市(しんいち)みたいに、鼻の左に大きなほくろがあるボーダーシャツを着た少年・シンジ(笑)をゲスト主役にしたりと、かなりマニアックな演出が目立つ回ではあった。
 しかしながら、ギーストロンが両腕にある金色のトゲ状部分から発射した三日月(みかづき)状のカッターをタッコングが高速回転してカワしたり(!)、宙をジャンプしたタッコングがギーストロンにケリを入れたり、夕陽が水平線に沈んでいく海へとタッコングが帰還するラストシーンなどに、東宝の怪獣映画・昭和ゴジラシリーズ(54~74年)の後期作品群や、大映の怪獣映画・昭和ガメラシリーズ(65~80年・大映)のラストシーンなどを彷彿としてしまったのは、決して筆者ばかりではないだろう。


 球形のボディーの股下部分に小顔が突き出ている可愛らしくて親しみやすいデザインである怪獣タッコングは、その憎めないルックス的にも「悪の怪獣」としてよりも「正義の怪獣」としての配役の方が望ましいとしての処置だろう。たしかに『タイガ』としては「異色作」ではあるのだが、ゴジラガメラといった「正義の怪獣」「ヒーロー怪獣」に声援を送った世代としては、タッコングのヒロイックな描写も広い意味での「王道」ではあるのだろうし、本来のターゲットである現代の子供たちにも受け入れられるように思えてならないのだ――ただし、この回ではレギュラー悪のハズである霧崎=トレギアが登場する余地がなくなってしまっていたが・汗――。


 そして、第23話『激突! ウルトラビッグマッチ』には、第15話『キミの声が聞こえない』に登場した頭脳宇宙人チブル星人マブゼが、凶悪宇宙人サラブ星人・反重力宇宙人ゴドラ星人・高速宇宙人スラン星人とともに再登場。
 第15話では、『ウルトラマンジード』第1話(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20170819/p1)ほかに登場した、同作の宿敵であるSF作家・伏井出ケイが悪のウルトラマンであるベリアルの力と、どくろ怪獣レッドキングと古代怪獣ゴモラの能力を秘めた携帯型の怪獣カプセル2種を起動して変身していた、いわゆる合体怪獣であるベリアル合成獣スカルゴモラの着ぐるみの使い回し(笑)だった培養(ばいよう)合成獣スカルゴモラをつくる際に使用した「ベリアル因子(いんし)」を再利用して、チブル星人がニセウルトラマンベリアル(!)を誕生させる! そして、今は亡き本来のベリアルの長年の宿敵であったウルトラマンゼロ、そしてトレギアを巻きこむかたちで、市街地をリングとしたタイガ&ゼロ VS トレギア&ニセベリアルのタッグマッチが繰りひろげられた!


 ニセベリアルはオリジナルとの差別化として手のツメが黄色く塗装されていたが、これは元祖『仮面ライダー』(71年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20140407/p1)終盤の白眉(はくび)となった第92話~第94話=ニセ仮面ライダー編3部作に登場した、ショッカーライダー1号から6号の手袋とブーツが黄色かったのを意識したものか?(笑)


 ゴドラ星人がベリアルのことを


「あいつは(ウルトラマンジードに負けたハズでは?」


と語るのは、ゴドラ星人(の同族)が『ウルトラマンジード』第16話『世界の終わりがはじまる日』(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200523/p1)にも登場していたこともあり、『タイガ』と『ジード』が異なる並行宇宙を舞台としていても、近年のウルトラシリーズに登場する宇宙人たちは拳銃の連射で空間の一部を切り取って別の空間につなげることができたりと、並行宇宙間での越境が技術的にも容易になっているようなので(笑)、広い意味では歴代シリーズがつながった世界であることを表現もできており、「ハードSF」ならぬ「ソフトSF」(笑)としてワクワクさせるには絶大な効果をあげていた。


 その『ジード』ではレギュラーのサブヒーローであったゼロがニセベリアルを指さして、


ジードがせっかく成仏させたっていうのに……」


と語るのもまたしかり。タイガが自身と合体している主人公青年である工藤ヒロユキ(くどう・ひろゆき)に、ベリアルを「光の国の大罪人」としてやや説明的(笑)に紹介するのは、映画『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE(ザ・ムービー)』(09年・ワーナー・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20101224/p1)にて父であるウルトラマンタロウがベリアルと直接対決したことから、タイガにとっても因縁深い敵であることを表現した実に秀逸(しゅういつ)な描写だろう。
 そればかりか、ニセタイガに変身しようとしたザラブ星人をゴドラ星人が「光の国の連中に目をつけられる」(!)と制止する場面は、たとえ「昭和」のウルトラマンの世界とは別次元の並行宇宙ではあったとしても、今や『タイガ』の並行宇宙でも「昭和」の「光の国」出身のウルトラマンたちの存在が宇宙人たちに知られていることが明確にされたことになるのだ!


 また、先の第15話では苦労して誕生させたスカルゴモラをトレギアに瞬殺されたにもかかわらず、そのままチブル星人が退場してしまったことには違和感が残ったが、今回はニセベリアルを「でくのぼう」と称したトレギアに、再登場したチブル星人が「ワタシの芸術を愚弄(ぐろう)するか!?」と怒り心頭となって、配下の宇宙人たちにさらにベリアル因子を注入させた描写は、知能指数5万(笑)で「宇宙最高の頭脳」を自称するほどにプライドが高いチブル星人でも、知識はあっても知性はない(笑)、知識はあっても人格や徳性面では劣ったキャラ(笑)であることを的確に描けていたかと思えるのだ。


 さらにタイガとニセベリアルが戦う最中にトレギアがビルに腰かけて高見の見物を決めこんだり、乱入したかと思えば「ホラよ」と両腕をうしろに組みながらウルトラマンフーマの足を蹴って転倒させたり、


「こんにちは、みなさん。そして、さようなら……」


と人間大サイズの侵略宇宙人たちが潜伏している部屋を覗(のぞ)きこんで――室内からの主観で窓越しにトレギアの巨大な顔面をとらえたカットが実に効果的だった――、そこに突進してきたニセベリアルをトレギアがかわしたことでそのビルがガラガラと崩れていくや、トレギアが軽やかにスキップして去っていく(笑)といった一連の描写は、トレギアをいわゆる「ネタキャラ」として存分に描きつくした演出となっていた。


 地球でひっそりと暮らしている宇宙人たちの人間態をゲスト主役とした話が「通常回」(汗)であった『タイガ』では、着ぐるみのままの宇宙人キャラを多数登場させてシーソーバトルに徹したこんな「王道」回が「異色作」に見えてしまったが(苦笑)、「子供番組」で「重い話」をひんぱんに描くのなら、視聴者を逃さないためにもこうした回も合間合間に挟むべきではなかったか?


*1話完結形式の弊害。そして「いきなり最終回」!(笑)


 「通常回」である第21話、「異色作」である第22話、「王道回」である第23話と、『タイガ』の終盤は良く云うならばバラエティに富む構成で、悪く云うならば最後の最後まで「昭和」のウルトラマンさながらの「1話完結形式」であり、視聴者の興味を完結まで持続させるにはどうなのか? と思えたものだったが、残るはもう第24話『私はピリカ』~最終回『バディ ステディ ゴー』の前後編だけである。
 かつて宝島社が名作マンガの最終回だけ(!)を集めて発行していたオムニバス本のタイトルではないが、連続ものの様相を呈していた近年のウルトラマンシリーズの終盤とは異なり、『タイガ』はまさに「いきなり最終回」となっていた(笑)。


 それにしても、主人公のヒロユキが所属している民間の警備会社・E.G.I.S.(イージス)でオペレーターを務めていた娘・旭川ピリカ(あさひかわ・ぴりか)までもが、「いきなりアンドロイド」(爆)だったとして語られてしまうとは……


 映画『ゴジラモスラキングギドラ 大怪獣総攻撃』(01年・東宝)の主人公・立花由里(たちばな・ゆり)役や、映画『特捜戦隊デカレンジャー THE MOVIE フルブラスト・アクション』(04年・東映http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20041106/p1)のレスリー星人マリー・ゴールド=デカゴールド役ですでに特撮出演歴のあるグラビアアイドル上がりの女優・新山千春(にいやま・ちはる)が演じたE.G.I.S.の女社長・佐々木カナは第24話で、ピリカの正体が実は7年前にカナが道端でひろったアンドロイドであると、E.G.I.S.の隊員ですでにその正体が地球人ではなく宇宙人として描かれてきた青年・宗谷ホマレ(そうや・ほまれ)とヒロユキに唐突に語ったのだった。
 これは『ウルトラマンA(エース)』(72年)第28話『さようなら夕子よ 月の妹よ』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061111/p1)で、それまで主人公の北斗星司(ほくと・せいじ)といっしょにウルトラマンエースに合体変身していた南夕子が突然、月星人の正体を明かして退場したのを彷彿とさせたほどの唐突さであった(笑)。


 いや、彼女の正体が実はアンドロイドだったなんて、それまでのシリーズで何の伏線もなかったよね? 『A』の場合は種々の「大人の事情」で夕子を退場させねばならなくなったのだが、そんな「昭和」の時代ならばともかく、今の時代にこんな荒っぽい展開は通常ありえないのではあるまいか?


 これについてはカナ社長とホマレとヒロユキがカップラーメンの銘柄(めいがら)をめぐってジャンケンで争う場面にピリカだけがいなかったなど、ピリカだけが食事をする描写がなかったために、それがアンドロイドとしての「伏線」だったとする意見がネットで見られたものだけど、筆者のみならずほとんど全員の視聴者や特撮マニアたちが気づかないような「伏線」ではそもそも「伏線」としては機能していないし(笑)、いくらなんでもそれはあまりに好意的に解釈しすぎなのではあるまいか?
 たとえばもっとあからさまに、ヒロユキとホマレが人間大サイズの宇宙人たちに囲まれてピンチに陥(おちい)る中に乱入してきたピリカが突然、常人とは思えない怪力を発揮して宇宙人たちを全滅させるさまや、ピリカには子供時代の記憶がなくてそのことを自分でも悩んでいたりするようなさまをベタでもシリーズ中盤で描いたりして、「ピリカの正体とはいったい?……」といった、視聴者の興味関心を持続させる手法くらいはとるべきだったと思えるのだ。


 前作『ウルトラマンR/B』では、主人公兄弟の湊カツミ(みなと・かつみ)=ウルトラマンロッソと湊イサミ=ウルトラマンブルの妹として描かれてきた女子高生・湊アサヒ(最終的にはウルトラウーマングリージョに変身!)が、シリーズ中盤で家族アルバムの写真や思い出の品が何ひとつ存在しないと判明したことで、アサヒの正体をめぐってネット上では特撮マニアたちがさまざまな憶測が飛び交わせる二次的な楽しみ方もできるつくりになっていた。
 これと並行して兄妹(きょうだい)たちの母親である湊ミオ(演じたのは元グラビアアイドルである真鍋かをり!)が行方不明となっていることのナゾ解きなども展開されたことで、アサヒは実はミオが変身した姿ではないのか? といった憶測なども、筆者も含めた当時のマニアたちが下馬評を楽しく展開していたものだ。
 実際にはその予測は見事にハズれてミオとアサヒは別人だったワケだが(笑)、いくら1話完結形式とはいえ、いや、だからこそ、せめてこうしたナゾ解き展開で視聴者の興味を持続させようともしなかったのは、やはり今どきの21世紀の作品としてはいかがなものだっただろうか?


 第17話『ガーディアンエンジェル』のラストにて霧崎がカナ社長を狙撃したのを皮切りに――ゲスト主役の宇宙人・ミードが身代わりとなってくれることで難を逃れたが――、ホマレとピリカが順に霧崎の襲撃を受けていく…… これらはヒロユキを精神的に動揺させるためにあえて周囲の大切な人物たちをねらったのだと霧崎自身が語ってもおり、霧崎=トレギアが最終回前後編で宇宙から呼び寄せた宇宙爆蝕(ばくしょく)怪獣ウーラーの活動を阻止する重大な使命を実は担(にな)っていたピリカのことが邪魔だからとして襲ったワケではなかったのであった。


 シリーズ途中からでもトレギアがピリカの正体に気づいたりするようなかたちで接点をつくることもなく、むしろトレギアの陰謀阻止とはまったくの無関係なものとしてピリカが抱えていた怪獣ウーラー撃滅の使命が設定されていたために、ピリカ暗殺未遂劇や第24話のピリカの正体明かしがより唐突に感じられてしまうのである……
 強(し)いて云うならば、霧崎がピリカを襲おうとした際に、ウーラーが地球に迫(せま)ってくるビジョンをピリカから感じとった霧崎がほくそ笑(え)んでいる描写があって、ピリカとウーラーにはなんらかの関係があるとは示されてはいたのだが、彼女の正体が宇宙人製造のアンドロイドである伏線としては説明不足にすぎるというものだろう。


*トレギア&ヴィランギルドの動機が「理由なき反抗」でイイのか!?


 最終回前後編ではウルトラマンタイガ・ウルトラマンタイタス・ウルトラマンフーマ VS ウルトラマントレギアの最終決戦よりも、単身でウーラーの阻止に向かったピリカをE.G.I.S.のメンバー、そしてピリカの勇気ある行動に心を動かされたサーベル暴君マグマ星人と宇宙商人マーキンド星人の共同による救出劇に主眼が置かれた印象が強かった。
 一見は感動的な展開に見えるのだが、このようなストーリー展開にする予定があったのであれば、マグマ星人とマーキンド星人を毎回のレギュラーとまではいかなくとも、数話に一度くらいは憎めない宇宙人として登場させることで、彼ら侵略宇宙人たちの地球人に対する心の変遷(へんせん)劇なども描くべきであったと思えてしまい、やはり唐突感は否(いな)めなかったものである。


 彼らはその最後の行動動機を「怪獣兵器を売る商売がしやすかった地球を守るためだ」などと偽悪的にウソぶいて主張していたが(笑)、それまでにもマグマ星人は第1話『バディゴー!』、マーキンド星人も第1話と第2話『トレギア』に登場しただけだったし、そもそもの彼らの「商売」自体がシリーズ全編を通して描かれてもこなかったし、彼らの商売を邪魔したトレギアに対して一泡(ひとあわ)吹かせてやるといった発言すらもがなかったのであった(汗)。
 本作『タイガ』における侵略宇宙人たちの犯罪組織として設定されていた「ヴィランギルド」だが、たとえば時にはタイガたちと共闘して彼らの商売の邪魔になるトレギアを攻撃したり、その逆にトレギアと同盟してタイガたちを襲ってくるといった、敵が味方に味方が敵にとその立ち位置をシャッフルさせて三つ巴(みつどもえ)の戦いを描くこともなかったほどに、『タイガ』においてはこの「ヴィランギルド」の存在感がいかに希薄(きはく)であったかを改めて露呈させてしまったような感もある。
 本作『タイガ』のコレクション玩具でもある「怪獣の力を秘めたリングタイプのアクセサリー」をトレギアから奪ってオークションにかけてしまい――それこそこの作品世界に登場する宇宙人たちには高値で売れるだろう(笑)――、怒り狂ったトレギアとヴィランギルドとの壮絶なお宝争奪戦が展開する! といったような第3勢力としてのエンタメ的な対立劇などもやるべきではなかったか?
 最終回では「宇宙人(外国人のメタファー・汗)を地球から追い出せ!」と叫んでいたデモ隊のメンバーを、よりにもよってその宇宙人たちである第18話で古い木造アパートのひとつ屋根の下でバット星人と暮らしていた変身怪人ピット星人がラスボス怪獣ウーラーの攻撃による都市破壊から救う描写があったのだが――ピット星人は第18話に登場した人間態の「やさぐれ女」(笑)と同じく黒の皮ジャンにジーンズを着用することで同一個体であることを表現していた――、やはり『タイガ』では「愉快なヴィランギルド」よりも、トレギアにそそのかされて悪事に走ってしまったゲストたちである「お気の毒な宇宙人」たちの方が目立ってしまっていた……


 そのトレギア=霧崎が、第24話で自身には「何の目的もない……」などとニヒルなことをピリカに語っていたのに至っては、さすがに少々絶句せざるを得なかったものだ。そこは旧友・ウルトラマンタロウに対する妬みや恨みや憎しみでなければ『タイガ』という作品の基本設定的にもダメだろう! おそらく一種の意外性をねらって、タロウとその息子であるタイガへの「憎しみ」ですらなく、もっと「虚無的」「ニヒリズム」なところに行動動機を設定しようとしたのだろうが、それが成功していたとはとうてい思えない。
 タロウの古い友人だと設定されても、トレギアがいったいタロウとの間に何があって、なぜに闇堕(やみお)ちしてしまったかについてが結局、最後まで語られなかったこともあってか、これまでタイガやヴィランギルドに対して散々やらかしてきたイヤがらせの類いは、その行動動機を裏づけるものが何もない、「ニヒリズム」ですらなく単なる「愉快犯」に近いものに堕(だ)してしまったようにも思えてならないものがあるのだ(汗)。


 こうなると、『タイガ』はその「シリーズ構成」が最後の最後で破綻(はたん)してしまったというよりかは、「1話完結形式」として個々のドラマ性を重視したあまりに、シリーズとしての全体的な流れを考えないままで突き進んでしまったために、しかもその最終展開や一応のラスボスとして君臨してきたトレギアのキャラに関してはその最後があまり盛り上がらないものになってしまったのではなかろうか?
 どんな作品でもスタッフは良かれと想って作品をつくっている以上は失礼な発言になってしまうのだが、『タイガ』がこうなってしまったA級戦犯は、各所でのインタビュー記事などで推測はつく。


 ウルトラシリーズ番外編シリーズである『ウルトラギャラクシー大怪獣バトル』(07年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20080427/p1)~『ウルトラマン列伝』(11年)~『ウルトラマンX(エックス)』(15年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200405/p1)までのメインプロデューサーを務めたのは、『列伝ブログ』なども執筆していたバンダイから出向してきたプロデューサー・岡崎聖(おかざき・ひじり)であって、テレビシリーズにおけるウルトラマンエックスの最終形態のアーマー(ヨロイ)は、アーマーを着用したエックスの着ぐるみをチェックしている際に、それまでに登場してきたあまたの形態のアーマーの各所を合体させた最強アーマーを思いついて急遽それを実現させたという、実にチャイルディッシュな発想に基づいた逸話(いつわ)に象徴されるように、ウルトラマンシリーズを21世紀の子供たちにも合うようなエンタメ性や玩具性を高める方向性での番組づくりを進めてきた御仁であった。
 その次の『ウルトラマンオーブ』(16年)・『ウルトラマンジード』(17年)・『ウルトラマンR/B』(18年)では、『ジード』のメインライターに人気作家の乙一(おついち)を連れてきた製作畑上がりの鶴田幸伸が主導権を握っていたのであろうことが読み取れる。
 しかし、本作『タイガ』では円谷側の筆頭プロデューサーであり、かの実相寺昭雄監督の製作プロダクションである株式会社コダイ出身で、平成ウルトラ3部作ではシャープでクールな本編演出や空中戦特撮を披露してきた北浦嗣巳(きたうら・つぐみ)が主導権を握っていたようであり、氏は「昭和の時代のような1話完結形式のウルトラシリーズに戻したい」という主旨の発言を各所でしてきた御仁でもあったのだ。そんな氏だから、おそらくタイガがタロウの息子であるという設定にも関心はさほどなく、そこの設定を掘り下げてタイガ自身のドラマも構築していくという発想もなかったのだろう(汗)。


 ……ウ~ン。1話完結スタイルのテレビシリーズに、今の子供たちや特撮マニアたちが喰いつくと想っているあたりでそうとうに絶望的に感覚が古いような(汗)。てゆーか、今から40年も前の特撮マニアたちも、特撮雑誌『宇宙船』の創刊号(80年)などで「当時の『宇宙戦艦ヤマト』(74年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20101207/p1)や『機動戦士ガンダム』(79年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19990801/p1)などの人気テレビアニメが続きものとしての連続ストーリー性を獲得して年長視聴者の鑑賞にも堪えうるものをつくっているのと比較して、当時のスーパー戦隊シリーズなどのテレビ特撮の方は1話完結型式の『VSOP(ベリー・スペシャル・ワン・パターン)』になっていて観るに堪えない……(大意)」といった主旨の批判をしていた時代があったというのに……(汗)


 筆頭プロデューサー側がそういう意識でも、いやだからこそ撮影現場ではそれに抵抗して、むしろ良い意味での「愉快犯」としてトレギア=霧崎を描写・演出していった方がよかったのでは? という想いもある。『タイガ』放映開始の数ヶ月前に公開された『劇場版ウルトラマンR/B セレクト! 絆のクリスタル』(19年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190407/p1)では、主に主役ではない2号ウルトラマンや悪のウルトラマンを演じてきた名スーツアクター・石川真之介による、他人を小バカにしたようなピエロ的に小気味よく軽やかにしなやかな仕草やアクションをしてみせる演技と、声優・内田雄馬によるイケメン悪役なボイスによって、「悪」ではあっても過剰な重たさはないようなキャラクター造型が、同作で初登場したウルトラマントレギアにはなされていた。
 しかし、『タイガ』では第1話~第2話のパイロット編を担当してメイン監督ともなった市野龍一監督による、トレギアの人間態である霧崎役の役者さんに対するディレクション・演技付けの方向性にはやや問題があったのではなかろうか? その正体であるトレギアとは異なり霧崎は、その出で立ちがモノトーンのピエロ的な扮装でも直立不動のままで静的に佇んでいるだけであり、道化(どうけ)て狂ってもいるような軽妙なお芝居を与えられてはいなかったのだ。そのへんでジャグラー・伏井出ケイ・愛染マコト・美剣サキちゃんといった、若い特撮オタたちいわく「円谷のヤベーやつ」(笑)といった強烈なインパクトが出せなかったのも事実ではなかろうか? まぁ、このへんは役者さんの一存でできるお芝居ではないので、メイン監督がヘタに前作までの差別化としてそのように静的にディレクションしてしまったことにも責任があったのではないのかとも推測するのだ。
 脚本内容が仮にまったくの同一であったとしても、霧崎役の役者さんにジャグラーや愛染マコト社長のようにテンション高くてフザケまくったお芝居をさせてあげていれば、本作『タイガ』の作風はもっと明るく弾(はじ)けて、ひいてはバランスも取れて、対比の妙で「お気の毒なゲスト宇宙人」たちの人間ドラマも際立って、「明るさ」と「暗さ」の行き来でメリハリもついたのではなかろうか?――完成作品としての『タイガ』については、近年のウルトラシリーズとしてはやや「暗さ」の方が勝ってしまった作品に仕上がった……という結論が、衆目の一致するところでもあるだろう――



 それでも『タイガ』で最後まで一貫していたのは、最終回に登場した宇宙の星々を食い尽くすウーラーまでもが、ピリカが語ったように「おなかが空いてるだけ」の「お気の毒な宇宙人」ならぬ「お気の毒な怪獣」として描かれたことだった(笑)。
 先述したジャグラス・ジャグラーや伏井出ケイ、愛染マコトらがたとえ「ネタキャラ」ではあってもその行動には「悪」なりの明確な動機があったのに対して、そういう動機が実は「何もなかった」とされてしまった以上は(汗)、トレギアがもはや憎々しげな倒してしまっても構わない、むしろ倒してしまうことで爽快感も得られる「大悪党」としての精彩を欠いてしまっていただけに、これでは「変身ヒーロー作品」のラストとして本来ならば最大限に描かれてしかるべき「勧善懲悪のカタルシス」が得られるハズもないだろう。


 それにしても、『ウルトラマンギンガ』のラスボスである悪のヒーロー・ダークルギエルから『ウルトラマンR/B』のラスボス怪獣であるルーゴサイトに至るまで、ニュージェネレーションウルトラマンシリーズの最終回に登場した怪獣たちはバンダイのソフビ人形『ウルトラ怪獣シリーズ』ですべて商品化が先行して登場したのにもかかわらず、『タイガ』の最終回に登場したウーラーだけは発売されることがなかった。
 玩具会社・バンダイ側の意向や販売スケジュールが先行して、子供たちに売れそうな怪獣デザインも昭和の時代とは異なり脚本完成以前に決定しているのだろうと思われる近年のウルトラマンシリーズとしては珍しい処置なのだが、そういう意味ではバンダイ側の『タイガ』担当者も悪い意味での右から左へと流していくだけのサラリーマン仕事で、最終回の怪獣のデザインなどにも強く関与してこなかったのだとすれば、この場合はその処置が「凶」と出てしまったのではなかろうか?(汗) 製作現場のトップたちにエンタメ的なセンスがなさそうならば、玩具会社の担当者の方でエンタメ性の増強のためにシャシャリ出てきて、ウチで販売するこのラスボスにふさわしい怪獣を大活躍させるようなストーリーをつくりなさい! なぞと介入をするべきだったのだ!(笑)


*テーマ・ドラマ・人間描写の方が優先か? ウルトラマンたちの描写の方が優先か?


 全世界的に自国第一主義が蔓延し、移民排斥の動きが強まる中で、日本も決して例外ではなく、悪化する一方の日韓関係や中国で新型コロナウィルスが発生した件に便乗した、韓国人や中国人に対するヘイトをはじめとする民族差別が、ネトウヨだけならまだしも出版物や一部のマスコミにまで横行している始末である(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20210213/p1)。
 そんな惨状の中で、宇宙人たちがひそかに暮らしている並行宇宙の地球を舞台に、カナ女社長=地球人、ヒロユキ=ウルトラマン、ホマレ=宇宙人、ピリカ=アンドロイドで結成されたE.G.I.S.の活躍を描くことで、人種を超越したさまざまな生命体の共存を訴えていた『タイガ』の志自体は、おおいに評価してもよいだろう。ウーラーを一見、醜悪に見える怪獣としてデザイン・造形して、最後にはウーラーとも共存へと至るのも、好意的に解釈するならば、そのテーマゆえのものかと思える。


 ただし、『タイガ』よりも2ヶ月遅れで放映が開始されて、AI(エーアイ)=人工知能を備えたヒューマノイド型ロボット=ヒューマギアと人類との共存を訴える『仮面ライダーゼロワン』(19年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200517/p1)と比べると、実は同じような異種族同士の共存テーマをやっているのにもかかわらず、そのテイストはあまりにも異なっている。
 アメリカで同時多発テロが起きた2001年に放映されて、『タイガ』と同様に怪獣と人類との共存を訴えていた『ウルトラマンコスモス』(01年)の商業成績はイマイチに終わったが、テロを口実にイラクを武力攻撃したアメリカが主張した「正義」に異を唱えた東映のプロデューサー・白倉伸一郎が、多くの「正義」をぶつけることで自分とは異なる意見の持ち主をどう許容するのか? を世に問いかけた『仮面ライダー龍騎(りゅうき)』(02年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20021109/p1)は空前の大ヒットを飛ばすことになった。
 地球環境の保護を訴えるために『ウルトラマンガイア』(98年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19981206/p1)では2号ウルトラマン・藤宮博也=ウルトラマンアグルが「地球環境を汚している人類」に対する批判を再三口にしていたが、『炎神(エンジン)戦隊ゴーオンジャー』(08年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20080824/p1)では敵組織の蛮機族(ばんきぞく)・ガイアークが「地球環境を汚している作戦」を深刻にではなくあくまでもコミカルに描きつつ、ゴーオンジャーが動物と乗りものの特性を兼ね備えた異種族でもある機械生命体・炎神たちともカッコよく共闘しているさまが描かれていった。
 同じような環境テーマを描くにせよ、深刻な「人間ドラマ」主導によってテーマを陰気に強調してしまうのか? それともあくまで悪が暴れてそれを倒すヒーローを描くための背景・舞台装置としてとどめるか? 時代は移り変わっても、円谷プロはあいかわらず前者であって、東映は後者であるように思えてならないのだ……


ウルトラマンゼロ客演・先輩ヒーロー客演・追加ヒーロー登場編の突出した再生回数でも明白!


 たとえ「重い話」が多かろうが、3大新ヒーローであるウルトラマンタイガ・ウルトラマンタイタス・ウルトラマンフーマの初登場時のバトル演出のカッコよさや、彼らがかわすコミカルなやりとり、戦闘のプロフェッショナル集団ではない警備会社にすぎないE.G.I.S.が人間大サイズの敵宇宙人たちと頻繁に格闘してみせたりと、『タイガ』は序盤の時点では社会派テーマが明朗なアクションといい感じに中和できているとたしかに感じられたものだった。


 だが、中盤を経ても「お気の毒な宇宙人」をゲスト主役にした「重い話」ばかりがあまりにもつづいたことに、さすがに疲れてしまった視聴者も多かったのではなかろうか?
 本誌に掲載された関東地方での視聴率表を参照すると、最高だったのは第5話『きみの決める未来』と第9話『それぞれの今』が1.1%、最低が第13話『イージス超会議』と第14話『護(まも)る力と闘う力』の0.6%だったが、その差はわずか0.5%(大汗)では正直指標としてはほとんど意味をなさない。悪い意味で安定していたと解釈すべきところだろう。関西に至っては最高が0.6%、最低が0.1%であり、こうなるともう最高視聴率と最低視聴率も誤差の範囲内だろう(苦笑)。
 ただ、中部地区では最高が第1話と第2話の1.8%、最低が関西の最高よりも高い(笑)第9話『それぞれの今』と第19話『電撃を跳(は)ね返せ!』の0.7%であり、少なくとも1980年前後のころから関東や関西に比べて変身ヒーロー作品の視聴率が高くなる傾向が強かったことを思えば、いまだにウルトラマンが受け入れられやすい土地柄なのかもしれない。


 旧態依然の集計方法が現在の時代にはそぐわないかと思える視聴率よりも、個人的には動画無料配信サイト・YouTube(ユーチューブ)の再生回数の方が、番組の人気がストレートに表示される指標だと最近では考えている。もちろんメインターゲットの子供たちが占める割合は極少だろうし、リアルタイムでの視聴にこだわったり、しっかりと毎週タイマー録画して、高額の映像ソフトを購入するような熱心なマニアたちの数もそこにはさして含まれていないかとは思える。むしろ週末に早起きして観るのもタイマー録画も面倒だ、映像ソフトなぞは買う気にもならない、でもちょっとは気になる……といったライト層の若い世代こそが、YouTubeで現行番組を視聴する場合が多いのではなかろうか?


 『タイガ』の場合、第1話の再生回数は1週間で100万回を超えていたのだが、その後は右肩下がりをつづけて、中盤以降は30万回を超えるのがやっとという状況がつづいていた――第18話に至っては30万すら下回る29万回だった(汗)――。
 『仮面ライダー電王』(07年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20080217/p1)や『仮面ライダーW(ダブル)』(09年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100809/p1)、『仮面ライダーOOO(オーズ)』(10年)といった10年も前の平成仮面ライダー作品が毎回50万回~60万回だったのだから、現行作品の『タイガ』がそんな旧作の半分程度の再生回数しか稼げなかったあたりで、現在のウルトラマンの人気の低さが如実(にょじつ)に表れているといえるだろう――2019年12月から配信中の『仮面ライダーフォーゼ』(11年)に至っては、毎回「急上昇ランキング」の上位に入るほどの高い人気を誇っている!――。


 だが、2019年でデビュー10周年を飾って、いまだに根強い人気を誇っているウルトラマンゼロと、その宿敵であるウルトラマンベリアルのニセもの=ニセウルトラマンベリアルがゲスト出演した『タイガ』第23話の再生回数は、1週間で通常回の倍以上となる70万回にまで達していたのだ!――そしてその翌週に配信された第24話=「最終回前後編の前編」は1週間で35万回と、またいつもどおりに戻ってしまったのであった――


・高速道路を走っている自動車のミニチュアからの主観(!)で白昼の都会に現れたニセベリアルをとらえて、次の瞬間にニセベリアルが高速道路を破壊したり!
・ニセベリアルが右手のツメから紫色のブーメランを発射して、空中のウルトラマンタイガを撃ち落としたり!
 ウルトラマンタイタスとニセベリアルが拳法アニメ『北斗の拳』(84年・東映動画→現東映アニメーション フジテレビ)のごとく、すばやい高速の動きで両手のこぶしを打ちあったり!
ウルトラマンフーマが放った手裏剣(しゅりけん)を、ニセベリアルが持ちあげたビルでかわしたり!
・宙に浮かぶオーロラのシャワーの中から、ウルトラマンゼロが腕組みして登場したり!
・タイガ&ゼロ、そしてトレギア&ニセベリアルが発射した必殺光線がX(エックス)字状に交錯するさまを、上空から俯瞰(ふかん)してとらえたり!
・ゼロの父であるウルトラセブンウルトラマンジャックにウルトラブレスレットを与えたように、ゼロが「オレの力をこめたブレスレット」をタイガに与えたり!


 現在の若い層が「変身ヒーロー番組」「特撮番組」に求めているのは、やはりこんな作品ではないのだろうか?


 ちなみに、昭和の時代に高い人気を誇った『仮面ライダーV3(ブイ・スリー)』(73年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20140901/p1)や『仮面ライダーX(エックス)』(74年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20141005/p1)、『仮面ライダーアマゾン』(74年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20141101/p1)などの再生回数は、先述した平成ライダー作品群からゼロを取った5万回前後にとどまっている(汗)。しかし、『V3』第43話『敵か味方か? 謎のライダーマン』は1週間で20万回! 映画『五人ライダー対キングダーク』(74年・東映)と連動して昭和ライダーの総集編として製作された『X』第27話『特集 5人ライダー勢ぞろい!!』は11万回! 仮面ライダー2号仮面ライダーV3がゲストで登場した第33話『恐怖! キングダークの復しゅう!!』は9万回に達していたのだ!
 これは「昭和」の作品群にはあまり興味がないかと思われる若い層ですらもが、新ヒーローの登場や新旧ヒーローの競演・大集合が描かれた回だけはついつい観てしまうという事実を裏づける現象ではないのだろうか?


 なので、『タイガ』の最終回におけるトレギアとのラストバトルは、ヒロユキ青年との合体抜きでもその肉体も含めてついに完全復活を果たしたタイガ・タイタス・フーマの3人を第1話の冒頭のように並べて登場させて、3対1のかたちで描くべきだったと思えるのだ。
 主人公のヒロユキが3タイプではなく3人もの別人のウルトラマンに変身できる画期的な設定こそが『タイガ』最大の特徴であり魅力であったように、タイタスは第3話『星の復讐者』、フーマは第4話『群狼(ぐんろう)の挽歌(ばんか)』と、それぞれの初登場回ではバトルスタイルがじっくりと描かれた。だが、それ以降はネット上で「従来のヒーローたちのタイプチェンジと変わらない」という声が散見されたほどに、ほぼ毎回、ヒロユキはまずタイガに変身して、戦況に応じてタイタスやフーマにチェンジするといった調子であり、タイタスかフーマが劇中一度も登場せずに割を食う回すらあったほどだった。
 ニュージェネレーションウルトラマンが総登場した第1話や、先輩ウルトラマンであるゼロとの競演が描かれた第23話が突出した人気を呼んだことからすれば、もちろん3人のウルトラマンが全合体している状態である強化形態であったウルトラマンタイガ・トライストリウムもいいのだけれど、せめて最終回くらいはタイガ・タイタス・フーマが個別に登場して大活躍して、その共闘を描いたあとにトライストリウムに再合体するかたちにして、3大ウルトラマンの活躍をまんべんなく見せるべきではなかったのか?


*ドラマ性を重視でも、肝心のウルトラマンたちにはドラマ性が希薄


 ただ、これは決して最終回としての絵的なハデさばかりを求めた上での提言ではない。先述したように、『タイガ』はさまざまな生命体の共存をテーマにした作品だった。であるならば、


・M78星雲にある光の国出身であるタイガ
・U40(ユー・フォーティ)出身であるタイタス
・O‐50(オー・フィフティ)出身であるフーマ


 出自が異なる3人のウルトラマンがいかにして過去においてトライスクワッドなるチームを結成するに至ったかについても、劇中でキッチリとしかるべき本編と連動した回想のかたちで描くべきではなかったのか?
 YouTubeで配信されていた『トライスクワッド ボイスドラマ』では、3人のウルトラマンが「しょーもないこと」(笑)でコミカルに争うさまが再三描かれていたが、『タイガ』の劇中ではタイガ・タイタス・フーマの対立はほとんど描かれてはおらず、やはりその回のゲスト宇宙人や怪獣に対する各自の考え方・思惑(おもわく)の違いで少々争うくらいの不和描写はあってもよかったかと思えるのだ。
 そうした中で各自の成長・関係性の変化・心の変遷が生じたことにより、タイガ・タイタス・フーマが人種の違いを乗り越えた結果として、因縁の敵であったトレギアを共同で倒すに至る群像劇こそが、「共存」をテーマにした『タイガ』のクライマックスとして描くべきではなかったか? 「お気の毒な宇宙人」たちと比べ、タイガ・タイタス・フーマには劇中で描かれたかぎりでは、彼ら自身の「ドラマ性」があまりにも感じられなかったものである。それこそが『タイガ』が中盤以降に失速したり、マニアたちの興味関心を維持できなかった要因ではないかと考える。


 もっとも変身前の主人公と変身後のヒーローが完全に同一人格である仮面ライダースーパー戦隊に比べると、変身する主人公とヒーローが一心同体ではあるものの、あくまで別個体であることが多かったウルトラマンの場合には、合体している人間とヒーロー双方のドラマを描きこむのはやや難しいところなのかもしれない。しかし、主人公青年・野上良太郎(のがみ・りょうたろう)に人格や個性もある複数のユカイなイマジン怪人たちが交互に合体することでヒーローのタイプチェンジも表現していた『仮面ライダー電王』が大ヒットしたことを想えば、やはりヤリ方次第なのには違いない。
 たとえばシリーズ中盤から終盤にかけては、タイガ・タイタス・フーマがE.G.I.S.の各隊員たちと合体して、隊員たちが変身できるようになったりすることで、イベント性を高めることもできたのではなかろうか? 「お気の毒な宇宙人」たちのドラマばかりをやっている場合ではないのである!


 ネット上でも散見された声ではあるが、「タイガがあのタロウの息子である必然性がない」とされてしまったほどに、この魅力的な設定は結局はほとんど活かされることがなかった。
 自身の因縁の敵であるトレギアを息子のタイガが苦労の末にようやく倒したのだから、せめてタロウが「よくやった。さすがわたしの息子だ」などと云って、ウルトラサインでタイガを誉(ほ)め称(たた)える描写くらいは入れるべきではなかったか? 先述した映画『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE』のラストシーンでも、戦闘中に亡くなったと思われたウルトラセブンがゼロの前に現れて、見事にベリアルを倒したゼロを「さすが、オレの子だな」と称えたあげくに抱きしめる場面があったくらいなのだから。
 まぁ、そんな描写は2020年3月6日公開予定の映画『劇場版 ウルトラマンタイガ ニュージェネクライマックス』(20年・松竹)に期待すべきなのかもしれないが。ちなみに最新の予告編によれば、テレビシリーズの最終回で死んだように見えたトレギアは実はしぶとく生き残っていたことが判明している(笑)。


 いや、それ以上に、『タロウ』最終回(第53話)『さらばタロウよ! ウルトラの母よ!』に登場した宇宙海人バルキー星人を再登場させることで――アトラクショー用の着ぐるみの流用だろうが『ウルトラマンメビウス』第16話『宇宙の剣豪』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060928/p1)でも同族の別個体が登場、『ウルトラマンギンガ』前半でもまた別の個体がレギュラー悪として登場している――、その因縁の敵を相手に、巨大化しているバルキー星人をタロウの力を捨ててあくまでもひとりのナマ身の人間としての才覚と力だけで倒してみせた(!)『タロウ』主人公こと東光太郎(ひがし・こうたろう)を篠田三郎(しのだ・さぶろう)氏(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20071118/p1)が再度演じて(!)、東光太郎が並行宇宙を越境してきて闇堕ちしたタロウを救うこととなる展開を、望みウスでも個人的にはおおいに期待したいものである(笑)。

2020.1.12.


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2020年冬号』(20年2月9日発行)所収『ウルトラマンタイガ』終盤合評4より抜粋)


ウルトラマンタイガ』最終回間近、迫る地球の危機

(文・中村達彦)
(2019年12月14日脱稿)


 『ウルトラマンタイガ』(2019年)も2019年12月が最終回。その展開は近年の「ウルトラマン」シリーズの中でもややハードだ。

第21話「地球の友人」


 民間警備組織E.G.I.S.(イージス)に入社したい青年・田崎修がやって来る。第18話「新しき世界のために」の宇宙恐竜ゼットン襲撃で、母親を負傷させられた修は、宇宙人に異様な敵意を抱いており、カナ社長は修の態度に危惧しつつ彼を仮採用するのであった。主人公青年・ヒロユキやホマレ隊員は修に研修を行い、それにはE.G.I.S.に支給されたばかりの宇宙人識別装置・CQの使用法も含まれていたが、修はCQを持ち出してしまう。彼の背後には霧崎(悪のウルトラマンことトレギア)がいた。
 霧崎に導かれて修は市民に交じっている幽霊怪人ゴース星人を発見し電磁警棒で痛めつける。ゴース星人は駆け付けたホマレを翻訳機代わりにして、修とのコミュニケーションをとり敵意のないことを示すが、修は聞く耳を持たない。
 一方、霧崎はヒロユキと対峙し、挑発する口調でタイガのことをジグソーパズルになぞらえる。そのうちにゴース星人の飼っている双頭怪獣パンドンが山中から出現する。ヒロユキはタイガに変身して対峙する。火炎を吐き岩石を投げつけて対抗するパンドン


 拘束されたゴース星人はパンドンが暴れている理由は親代わりになっている自分を助けたいからだと言う。その様子に母を案じる自分と重ねて心を動かされた修は、ゴース星人のいましめを解いてタイガへ戦いの中止を訴える。
 しかしトレギアはパンドンを切り裂いて一瞬にして絶命させてしまう。そしてタイガから強化変身したトライストリウムの攻撃をかわしながら自分の真の狙いを明かす。ゴース星人の円盤には地底ミサイルが搭載されており、その地底ミサイルを手に入れるためにゴース星人を引き離す。修は利用されていたのであった。
 トレギアは去る前に地底ミサイルを発射する。ミサイル発射で地底から放出された地球や天体を構成する超物質・エーテルを目当てに、ナゾの存在が地球に接近してくる。
 パンドンの墓を作ってあげたゴース星人に謝罪をする修。それを許す星人。そして修は母の看病のこともあって、E.G.I.S.を退職するのであった。


 『ウルトラセブン』(1967年)第48&第49話(最終回)「史上最大の侵略」前後編に登場したゴース星人とパンドンが登場する。『ウルトラマンタイガ』第18話も関係している。しかし題材から当初想像していたストーリーとは異なっていた。『ウルトラセブン』では侵略者であったゴース星人が、パラレルワールドとはいえ『ウルトラマンタイガ』では善良な宇宙人として描かれた。霧崎からの地底ミサイル使用の依頼も断っている。力づくで地底ミサイルを奪えばよいのに、修を利用しようとするあたりは霧崎らしい。だがこのゴース星人はなぜ地球に来ていたのだろう? そこが語られなかったのは残念である。
(ゴース星人といえば、30年前に『ビッグコミックスピリッツ』に連載された漫画家・澤井健による『表萬家裏萬家(おもてまんけうらまんけ)』(1989)第1巻後半に、「史上最大の侵略」に登場したウルトラセブンそっくりのセブンの上司こと「セブン上司」のパロディと共に登場していた・笑)


 前話である第20話「砂のお城」で登場したCQが配備されており、その回でカナ社長が心配していた事態になってしまった。地球人の友情で物語は締めくくられたのが救いである。しかし第18話のゼットン出現の正確な経緯をホマレやヒロユキは修に説明したのか、それが明かされなかったことは残念である。本話と第18話に似た姉妹編的なエピソードは、『ウルトラマンタロウ』(1973年)の第5話「親星子星一番星」と第38話「ウルトラのクリスマスツリー」が姉妹編になっていた前例もある(ウルトラ兄弟が助命したほどの善良な亀怪獣の美談の裏にも怪獣災害にあった被害者がいたという話)。本話の脚本を執筆したのは、本作第11話「星の魔法が消えた午後」~第12話「それでも宇宙は夢を見る」の前後編も担当していた小林弘利
 そしてトレギアの計画も明かされた。親切そうに修に接していたが、実はそれは地底ミサイルを奪うためであった。地球から放出された超物質・エーテルに導かれて迫るもの、それは第19話でピリカの奥に霧崎が見たものであった……。


第22話「タッコングは謎だ」


 夜、本部でTVの前で語らっていたE.G.I.S.メンバーは、埠頭に怪獣が上陸したと知る。飛び出すヒロユキ。ウルトラマンタイガ・ウルトラマンタイタス・ウルトラマンフーマへと次々変身してそれぞれで対するが、戦意はないものの吸盤や石油で対抗する怪獣に次々に撃退されてしまう。翌日、怪獣は埠頭で眠り続けている。ヒロユキは出会った少年シンジに、そのオイル怪獣タッコングは凶猛怪獣ギーストロンを鎮めるために現われたが、タッコングは老いているとのこと。更にシンジはヒロユキとウルトラマンたちの関係についても知っており助けを求める。
 ヒロユキが事の次第が呑み込めないでいるうちに、地面を貫いてギーストロンも姿を現わした。眠っていたタッコングは目を開け、全身にツノを張り巡らせたギーストロンに立ち向かう。ヒロユキもタイガに、次いでトライストリウムに変身して、タッコングと共同でギーストロンに戦いを挑む。ウルトラマンと怪獣が共に戦う!
 ギーストロンからレーザーを受けるが、タッコングはその巨体をジャンプさせ、続いて口から吐く炎で全身を包んで体当たり攻撃! 同時にトライストリウムも攻撃も浴びせかける。ギーストロンを倒したあと、夕焼けの海へ帰っていくタッコング。その背中にはシンジの姿があった。
 その後、ヒロユキは宇宙から迫る何かを感じていた。


 タイガと『帰ってきたウルトラマン』(1971年)に登場した怪獣タッコングの共闘が描かれた。『ウルトラマンタイガ』の傑作話のひとつに数えられるであろう。『セブン』のペロリンガ星人が登場した第6話や『帰ってきた』のナックル星人が登場した第10話とも比べてしまう。
 怪獣アーストロンに類似したギーストロンの登場や、『帰ってきたウルトラマン』のBGMの使用など、タッコング登場回と同じ演出も見られる。本話は『帰ってきたウルトラマン』第1話へのオマージュが強い話だが、シンジ少年の立ち位置は『ウルトラセブン』第42話「ノンマルトの使者」に登場した真市(しんいち)少年とも重なる。ふたりを対比させると、シンジの方がヒロユキたち地球人に理解を示していて好感が持てるのだが。
 タッコングもギーストロンも地球人の環境破壊に怒りを感じているとシンジを通して語られている。ラスト近くで、ヒロユキも環境問題に前向きである様子にシンジは安心しているが、現在も日本内外で環境破壊が問題になっていることも思い浮かべてしまう。それがスタッフの狙いでもあるのだろう。
 人々が宇宙人のことを、続いて怪獣のことを、各々TV番組での街頭インタビューで否定的に語って、それにヒロユキやホマレが反応を見せるシーンがあるが、我々が日々感じていることと相通じている。


 特撮面では後半の戦いにおけるギーストロンのレーザー照射や、タッコングとトライストリウムが両者ともに全身火炎状態になって突撃するタロウの必殺技・ウルトラダイナマイトを模した攻撃描写に力が入っている。街のミニチュアセットにタコがモチーフの怪獣タッコングが登場しているせいか、たこ焼き屋や公園のタコ型すべり台などタコも強調されている。第20話での「タイ焼きが好きでタコを食べない」描写を念押しするように、ピリカがタコの玩具を見せホマレが嫌がるシーンもあった(笑)。


第23話「激突! ウルトラビッグマッチ!」


 ウルトラマンタイガやウルトラマントレギアのために地球侵略ができない宇宙人たちの前に第15話にも登場したチブル星人が再登場して、ベリアル因子を使って悪のウルトラマンであるベリアルを復活させようと提案する。最強のウルトラマンベリアルを我々宇宙人たちが倒せば、光の国も手が出せないと言う。宇宙人たちはその案に乗る。
 市街に姿を見せるニセウルトラマンベリアル。ヒロユキはE.G.I.S.を脱け出し、タイガに変身してニセベリアルに対抗するが、偽者とはいえ強い戦闘力を持つベリアルはタイガやタイタスをものともしない。霧崎もウルトラマントレギアに変身して戦いに加わり、チブル星人はベリアル因子を注入してニセベリアルを狂暴化させる。激化する戦い。トレギアの策略でニセベリアルは宇宙人たちのいるビルを破壊してしまう。強化形態フォトンアースに変身したタイガも苦戦する。だがベリアルの攻撃からタイガを救ったのは、ベリアル因子を追って現われたウルトラマンゼロであった!
 タイガは強化形態トライストリウムに変身してゼロと共にベリアル・トレギアと戦う。ゼロとトレギア、超高速でパンチを浴びせ合う。互いに光線を撃ち合う4人のウルトラマン。タイガはゼロから与えられたブレスレットであるプラズマゼロレットでタイガダイナマイトシュートを発射する。トレギアに盾にされてニセベリアルは消滅する。ゼロは手の上でヒロユキを介抱し言葉を交わしたあと、別のベリアル因子捜索のために地球を去っていく。
 だが、ゼロの攻撃を逃れたトレギア=霧崎は宇宙へ視線を向けていた。


 本話の見どころは、タイガとゼロの共闘である。昭和のウルトラシリーズを彷彿させるが、当時の多くはただの顔見せに過ぎなかったウルトラ兄弟の客演に比べて、ゼロの活躍が相応に描かれている。
 今年2019年はゼロとベリアルが初登場してからちょうど10年。その再登場は嬉しい。ちなみにゼロはウルトラセブンの息子、タイガはウルトラマンタロウの息子だが、むかしの小学館学年誌などのでの設定によると、ウルトラの母の姉はウルトラセブンの母だから、タイガとゼロは「はとこ」の関係になる。
 宇宙人たちの会話やゼロの発言で、本物のベリアルは既に前々作の最終回でウルトラマンジードに倒されていることにもきちんと触れている。第15話「キミの声が聞こえない」で登場したチブル星人マブゼも再登場。ベリアル因子でベリアル・レッドキングゴモラを融合させたスカルゴモラを作った設定を生かしてニセベリアルを登場させたが、納得できる展開である。
 イベント性の高い熱血の共闘話ながら前半はギャグ話でもあり、初代『ウルトラマン』(1966年)第18話に登場した凶悪宇宙人ザラブ星人、『ウルトラセブン』第4話に登場した反重力宇宙人ゴドラ星人、『ウルトラマンマックス』(2005年)第4話(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060311/p1)に登場した高速宇宙人スラン星人が集まって(皆、人間への変身能力を持った宇宙人だ!)、ウルトラマン対策を話し合うシーンには笑ってしまう(深夜の特撮コメディ番組だった『ウルトラゾーン』(2011年)か?)。
 E.G.I.S.も個々の隊員たちの活躍を描きつつ、ランチ選びにも熱心で、続いてTVに映ったベリアルの姿を「カッコ悪い……」と評するなど普段の緊張感がなく、ギャグ的に演出されている(このシーンに登場するインスタントラーメンの商品名は、過去のウルトラシリーズ作品でウルトラマンゼロと合体したことがある人間たちの名前になっている(笑)。ちなみに2012年の映画『ウルトラマンサーガ』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20140113/p1)でゼロに憑依されたのはDAIGO演じるタイガ・ノゾム隊員)。
 宇宙人たちはそれなりに作戦を考えてはいるが、チブル星人の方はベリアルを復活させたのは良いけど、その後どう扱うのかは考えていないようだし、ザラブ星人やゴドラ星人は『タイガ』とは別作品での個体だったが、利用しようとしていたベリアルに瞬時に倒されたことがあるのを忘れていてマヌケとして演出されている(笑)。結局、トレギアの策略により自分たちが生んだベリアルに、彼らが潜伏していたビルに突っ込まれてまとめて落命してしまった。
 その寸前にチブル星人が「チブルの科学は宇宙一~~~!!」という大人気漫画『ジョジョの奇妙な冒険』(1986年~)で聞いたような台詞を口にするのには笑ってしまう。


 トレギアは自分のゲームに熱心で、タイガやヒロユキに比べて偽者のベリアルやゼロの方には関心がない。ビルの上に乗っかって戦いを見ているシーンもある。そしてゼロもベリアルを倒したあと、すぐに別の平行宇宙へと去ってしまうが、もう少し滞在していてもよかったのでは? プラズマゼロレットは返却せずにまだタイガが持っているのだろうか? もうすぐこの世界の地球にもトレギアが呼び寄せた大いなる脅威が訪れるのだからこの武装は必要である。ゼロとタイガは10年ぶりの再会だそうだが、光の国のウルトラ一族たちはこの別の平行宇宙にいるタイガの所在がわかっているのだろうか?


 そしてこの次の回では、いよいよトレギアが招いた大いなる脅威がその姿を見せる……。


第24話「私はピリカ」

(以降、2020年2月8日脱稿)


 地球に迫ってきていた大いなる脅威が遂に埠頭近くの海に降りてくる。その衝撃に晒されるE.G.I.S.基地でピリカは失っていた記憶を取り戻した。カナ社長はホマレとヒロユキに7年前に宇宙から飛来したアンドロイドであったピリカとの出会いについて明かす。ピリカの正体についてはショックだが、ヒロユキに憑依している3人のウルトラマンたちもピリカが地球人ではないことに今まで気づかなかったのだろうか?(笑)
 外へ出たピリカだが、地球人としての意識も失ってはいなかった。そして霧崎は『ウルトラマンオーブ』(2016年)や『ウルトラマンジード』(2017年)、そして『劇場版ウルトラマンオーブ 絆の力、おかりしますす!』(2017年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200406/p1)や『劇場版ウルトラマンジード つなくぜ!願い!!』(2018年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20180401/p1)にも登場したロボット怪獣であるシビルジャッジメンター・ギャラクトロンMK2(マークツー)を繰り出してきた。ヒロユキはタイガに変身して戦いを挑み、プラズマゼロレットの力を使って額からウルトラセブンの必殺技エメリウム光線と同様の光線を放つ。


 だが、必殺技が強敵を撃破するより先に、地下から現われた宇宙爆蝕怪獣ウーラーがギャラクトロンを食べてしまう! タイガは強化形態トライストリウムに変身してウーラーにあたるが、長剣トライブレイドやエネルギーすら食べてしまうウーラーになすすべがない。
 ウーラーは宇宙のある文明が宇宙にゴミの廃棄を続けた結果、生まれた疑似生命であり、体内にブラックホール(!)を持つ。更にビルを食べ続けて、このままでは地球という惑星自体が食べられてしまう!
 その頃、ピリカはヴィラン・ギルドのアジトに向かい、地球から逃走しようとする宇宙人たちからコントロール装置を奪って操作する。自分にはウーラーを止めることができるとわかっていたのだ。
 アジトへ駆け付けたカナ社長やホマレ・ヒロユキらの説得を振り切り、自らの身をウーラーに突入させるピリカ。直後に外へと駆け出すヒロユキ。


 第19話や第21話でトレギアが仕組んだ計略は、地球にウーラーを呼び寄せることだったことが明らかになる。ピリカの正体も明かされて話は盛り上がるが、取ってつけた感もある。
 ウルトラシリーズにおけるアンドロイドの存在は、『ウルトラマンマックス』の女性ロボット隊員・エリーや『ウルトラマンギンガS(エス)』(2014年)でレギュラー敵のチブル星人が造ったアンドロイド・ワンゼロなどの前例がある(後者は改心して怪獣攻撃隊の隊員になる)。ピリカも宇宙人に作られたアンドロイドで、7年前にカナ社長に拾われたと明かされるも、それを裏付ける台詞やシーンはこれまでになく(コンピューター操作に優れているくらいか?)、伏線が語られて来なかったのでピンと来ない。
 第13話などでウルトラマンたちはピリカが地球人ではないと気付かなかったのか? 第23話ではたしかにひとり、ランチをめぐるジャンケンに加わっていなかったが遅すぎる。その前から皆と物を食べるシーンはなかったのか?
 今までは記憶を封じられていて、怪獣ウーラーが地球に飛来したから、アンドロイドとしての記憶に目覚めたわけでもなかった。本話で街をさまよっていたピリカは霧崎と出逢い、第19話では一方的に圧倒されていたのと違って、今回のピリカは霧崎に言い返してもおり、彼を苛立たせてもいるが、スカッとさせる半面、唐突すぎる変化でもあるから、キャラクターの不統一を感じてしまう。


 トレギアの策略も今までの陰険さから比べれば、実際にその策略の正体を見せられると内容が小さく感じられてしまう。もっと別にタイガを追い詰める方法があったはずだ。とはいえ霧崎は、先にギャラクトロンを送り込んでタイガと戦わせると見せかけて、実はウーラーに食わせることで、その威力やそれまでの作品のボスキャラとの違いを視聴者にも見せているが。
 宇宙に棄てられたゴミから生まれた疑似生命・ウーラーの設定は、母星に見捨てられた者の復讐を描いた第3話や環境破壊ネタの第22話も反映しているのだろうか? グロテスクなデザインが効いている。


 悪い宇宙人たちの犯罪集団であるヴィラン・ギルドは、


・『ウルトラマンレオ』(1974年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20090405/p1)や『アンドロメロス』(1983年)に『ウルトラマンメビウス』(2006年)、『ウルトラマンギンガ』(2013年)や『ウルトラマンX(エックス)』(2015年)に本作『タイガ』第1話にも登場してきたサーベル暴君マグマ星人
・『ウルトラセブンX(エックス)』(2007年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20080413/p1)第3話や『ウルトラマンX』第14話にも登場してきた宇宙商人マーキンド星人


 などが登場するが、ピリカやE.G.I.S.の面々に圧倒されており、本来の悪人面を発揮できていない。ギャグキャラになっている(しかもそのギャグキャラを最終回まで引っ張るとは)。反面、ピリカに思いとどまるように説得するカナ社長・ホマレ・ヒロユキの様子には迫力ある。


第25話「バディ ステディ ゴー」


 タイガは再びウーラーに対するが、光線エネルギーすら食してしまう怪獣ウーラーにまたも敗れ去る。そのヒロユキへと歩み寄る人影。人々はウーラーの出現を地球に居住している宇宙人たちの仕業だと思い込む。一方、E.G.I.S.のカナ社長やホマレに佐倉警部は、ウーラーの体内に入ったピリカからのメッセージをキャッチする。それによると、ウーラーには悪意はなく、ただ怯えているだけだという。そこへヒロユキが戻ってきて、同行したヴィラン・ギルドのマグマ星人やマーキンド星人がピリカの行動に感動して力を貸してくれることを伝える。マグマ星人の円盤に搭載されたマグマウェーブでウーラーを地上に引っ張り出し、タイガの力で宇宙へと放り出す作戦になる。その会話内容から、やはりE.G.I.S.メンバーはヒロユキとウルトラマンタイガの関係にすでに気づいていたことが判明する。
 ホマレとマグマ星人が操縦する円盤から発するマグマウェーブで地表に出てきたウーラー。そこへタイガが飛びかかるが、群衆の慌てる様子を見ていた霧崎もウルトラマントレギアに変身して割って入る。ウーラーを叩きのめすトレギア。その時、崩落してきたガレキから宇宙人排斥デモをしていた地球人を守ってみせる潜伏宇宙人たち。
 その後、トレギアに空へと飛ばされたタイガのブレスレットであるプラズマゼロレットがウーラーを宇宙へ。その時に地球を覆った輝きのあと、トライストリウムとトレギアとが戦う。その戦いの中で遂に「タロウの息子」であることを受け入れたタイガ。最後にタイタスとフーマ、そしてヒロユキの力を合わせた必殺光線・クワトロスクワッドブラスターが放たれて、トレギアは爆発の炎に飲み込まれていく……。
 地球は救われた。戦いのあと、佐倉警部にも認められてE.G.I.S.に入社するマグマ星人とマーキンド星人。続いてウーラーの体内から実は脱出ができていたピリカが姿を見せて物語は終わる。


 敵対していたヴィラン・ギルドのマグマ星人たちとE.G.I.Sの共同作戦、加えてラスボスのような怪獣を倒さずに地球を救ってみせるのは歴代ウルトラシリーズになかった展開でもある。トレギアとの戦いではタイガが「タロウの息子」であると受け入れたことに加えて、タイタスとフーマもそれぞれが初登場した第3話と第4話でトレギアに翻弄されていたのに、今回はトレギアを大いに苦戦させたのには、それぞれの成長を感じさせてくれる。
 そしてトレギア。大空に広がった輝きの美に思わず見とれてしまって、タイガにそのことを突っ込まれてしまう。直後に笑い出してタイガに敵対したが、一瞬改心しかけたのか否かについては、視聴者それぞれの想像と今後のウルトラシリーズでの展開に任せるしかないだろう。トレギアを注意して見てみれば、顔面のあちこちにまだウルトラ一族の名残りを感じさせてくれる。さすがに今までの悪行を考えると仮に改心したとしても簡単には受け入れられない。一方、以前にヒドい目に合わされたのにも関わらずトレギアをも許してみせるような態度のタイガには人格的な器量の成長を感じさせてくるが……。


 前作『ウルトラマンR/B(ルーブ)』(2018年)最終回ラストの主人公兄弟の妹・アサヒ同様、ピリカがなぜ助かったのかが描かれなかったことについては疑問に残る。それと『ウルトラマンX』最終回のように、E.G.I.S.隊員たちとタイガら3大ウルトラマンたちが遂に最後に言葉を交わしあうようなシーンが観たかったのだが。
 マグマ星人たちもE.G.I.S.に入社した。『ウルトラマンタイガ』においては作品テーマ的にも「地球人と宇宙人の共存」を示しているシーンとして許容されるが……。次作では宇宙人たちとの関係描写はどうなるのだろうか? 欲を言えば、『ウルトラマンタイガ』にこれまでゲストで出演した宇宙人役の役者さんたちにも最終回で再出演してもらうかたちで、戦いに巻き込まれた地球人を助けるシーンを作ってもらいたかった。


第26話(最終話)「そしてタイガがここにいる」


 最終回だが総集編であり新作ではない。実質的な最終回である前話の時点で来春2020年3月に公開される映画『劇場版ウルトラマンタイガ ニュージェネクライマックス』の予告編が流れて、この劇場版がTV最終回の後日談であり、E.G.I.Sの活躍や真の最終回である前話で死亡フラグが立っていたピリカの姿も確認できてしまっていたが、先にネタ晴らしをしてしまうようで面白さが半減した。予告編は今回の本当の最終話の方で流してほしかった。
 しかし、2013年の『ウルトラマンギンガ』からの歴代主人公たちが勢ぞろいするのにはシビれる。TV最終回で死んだように見えたトレギアがまだ生きていて、この劇場版でも敵役になることは紛れもなくなったが。



 総体的には『ウルトラマンタイガ』は全体としては、前作『ウルトラマンR/B』よりもハードな作品カラーであった。ここ数年のウルトラシリーズは昭和の旧作オマージュや旧作エピソードの変形後日談のような作品も多く、むかしの怪獣や宇宙人に寄り掛かっている感は否めないのだが、同時に現代社会に通じる問題を描いてみせていた。奇しくも本作最終回の直後の2020年1月に亡くなられた脚本家・上原正三のテイストを多く含んでもいる。果たして上原氏は『ウルトラマンタイガ』を観ていたのであろうか? とはいえ、上原テイストとは真逆かもしれない『ウルトラマンタロウ』テイストを含んだエピソードなども観たかったものだが。
 ヴィラン・ギルドの犯罪者宇宙人たちをはじめ、それとは別に地球に移民として住んで生活している宇宙人たちの事情についても、もう少し説明してほしかった。2014年の『ウルトラマンギンガS』以来のウルトラシリーズでは地球人に扮装して生活している宇宙人たちについてもたしかに描いてきており、今回の『ウルトラマンタイガ』ではそれらをより突っ込んで描いた作品であったとも捉えることができるが。地球で暮らす宇宙人たちとの共存は、次作以降のまた異なる平行宇宙が舞台となる『ウルトラマン』シリーズでも認められている設定になるのであろうか?


 ヒロユキはその前向きさと勇敢さは主人公としては申し分がない。しかし、E.G.I.S.の面々や霧崎の方も個性が出ていた。E.G.I.S.も一見は地球人でもその正体は宇宙人にアンドロイドなど、出自の違う者が集まって作られた組織で、予算や装備もなく怪獣と戦わない優しい民間企業の防衛チームとして、霧崎もまた主人公と相対するライバルキャラクターとして最後まで描かれ切っていた。
 ウルトラマンウルトラマンタイガの他にも、ウルトラマンタイタス、ウルトラマンフーマ、そしてタイガ強化形態フォトンアース、タイガ強化形態トライストリウムと5体も登場した。玩具を売る必要もわかるのだが、2クールしかない作品としては数が多すぎないだろうか? タイタスとフーマは、昭和の光の国出身のウルトラマンではない。しかし映像本編ではそのへんの説明があまりなされていない。1話分をまるまる費やしてタイガ・タイタス・フーマの3人の出会いとトライスクワッド結成を見せる番外編的なエピソードなども観てみたかった。


 果たして次作以降の『ウルトラマン』はどういうかたちになっていくのだろうか? その敵役はトレギアなのだろうか? 注視していきたい。


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2020年冬号』(20年2月9日発行)所収『ウルトラマンタイガ』終盤合評2より抜粋)


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 ウルトラマンシリーズの正統番外編であるネット配信『ウルトラギャラクシーファイト』(19年)の第2弾『ウルトラギャラクシーファイト 大いなる陰謀』(20年)が、2021年5月26日(水)にBD&DVD発売記念! そして、同作にウルトラマンネオスウルトラセブン21(ツーワン)が登場記念! とカコつけて、「『ウルトラマンネオス』1995年版とは何だったのか!? 〜Wヒーローならテーマへの多角的アプローチが可! 防衛隊も巨大ロボを持て!」評を改題して再UP!


ウルトラマンネオス』1995年版 ~Wヒーロー制が現代社会の価値観の多様化をも投影できた可能性に想いを馳せる!



ウルトラマンネオス』1995年版とは何だったのか!?

(文・T.SATO)
(2019年7月13日脱稿)


 もう早くも四半世紀も前の大むかしなので、当誌を読まれる若い読者諸氏が生まれたころ、あるいは物心がついたころの時期になってしまうのだろうが(汗)、1994年11月23日(祝)の3大新聞の三面記事(社会面)に、往時の特撮オタクたちにとっては驚くべき記事が掲載された。
 同日は他に大きな事件もなかったからであろう、そしてそろそろ新聞記者や紙面構成の権限を持つ役職に、1960年前後生まれのいわゆるオタク第1世代~1970年前後生まれのオタク第2世代が入り始めたこともあったのであろうか、一挙に同時にふたりものウルトラマンがデビューした旨の小さな囲み記事が飾ったのだ!


・銀色主体の初代ウルトラマン(66年)型のデザインでありつつも、そのバリエーションでもあり、頭頂部に向かって左右に末広がりするラインのようにも見える小さな段差はウルトラマンエース(72年)の頭頂部を少し想起させ、鼻部からトサカに至る細長い突起部の「額」に位置する部分にシャープな長方形の青くて発光している透過パーツでもある、いわゆる小さな「ビームランプ」も備えているあたりが新鮮な「ウルトラマンネオス」!


ウルトラマンタロウ(73年)やウルトラマンレオ(74年)以来、久しく絶えてなかった、赤色主体のウルトラセブン(67年)型のデザインでありつつも、耳にあたる部分に突起物はなく、ウルトラマングレートの耳朶を想起させる丸い曲線で囲まれた段差のあるクボみ・ヘコみとして耳が表現されている「ウルトラセブン21(ツーワン)」!


 当時1994年における彼らのすぐ上の先輩であるウルトラ戦士は、日豪合作のビデオ販売作品『ウルトラマングレート』(90年)&日米合作のビデオ販売作品『ウルトラマンパワード』(93年)だ。この両者のデザインは原点回帰指向で、初代ウルトラマンを模したモノでもあった。コレは当時のマニア論壇の影響で、ウルトラ戦士や怪獣たちのデザインはシンプルなものが「絶対正義」で、複雑で突起物などが存在する装飾的なデザインは「悪」とする風潮を反映したモノでもあった。
 グレートやパワードと比すると、ネオス&セブン21はウルトラシリーズの2大始祖・初代『ウルトラマン』&『ウルトラセブン』に範を取りつつも、デザイン的にはリアル指向の原点回帰ではなく、当時においては明らかな変化球で、少々ユルくてヤンチャな感じのイイ意味で適度なB級指向、ケバケバした華のあるバリエーション指向を目指したモノに見えたものだ。21世紀の今日になってみれば、それはまだまだ保守的なデザインだったと見えるだろうが、当時のマニア諸氏には賛否いずれであっても、往時主流の原点回帰志向にはまったく見えないデザインだったのではなかろうか?


 ネオス&セブン21はその後の詳報がしばらく出ることはなく、インターネットなどはまだ普及していないどころか、世間的にはその名称すら知られていなかった94年当時、彼ら新ウルトラ戦士のことが気になった当時のマニア諸氏は悶々として過ごしたことと思う――パソコン通信はすでにあったが非常にニッチな極微の世界で、当時のマニアの在り方の平均値ではない――。
 しかし、半年近くがたった翌1995年初夏。特撮雑誌『宇宙船』などのマニア向け媒体にて、ネオス&セブン21がついに巻頭カラーグラビアでもお披露目される日が来た。往時では珍しい新造のミニチュアの中層ビルを背中に――このビルは『ウルトラマンティガ』(96年)#3(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19961201/p1)で爆破される(笑)――、スタジオ内の照明ではなく屋外の太陽光に照らされることで、リアルな質感・空気感・巨大感でそびえ立つネオス&セブン21!
 しかも、パブリシティ面でもネオス&セブン21だけがフィーチャーされていたワケではナイ。背景や床が無地である広いスタジオで撮影された歴代21人のウルトラマンの全員集合写真までもが前面に出された。そして、通算20人目のウルトラマンである「ウルトラマンネオス」と、21人目である「ウルトラセブン21」として大々的にカウントもすることで、ネオス&セブン21が歴代ウルトラマン世界とも直結するサラブレッド・血統種であることも示唆したのだ!


往時のマニア論壇に主潮に反旗を翻した、勇士司令部・ネオスと宇宙保安庁・セブン21の衝撃!


 極め付けが、たしかネオス&セブン21の写真に付されていたキャプションだ。


・「ウルトラマンネオス」は宇宙警備隊の部署である(ウルトラセブンの父が長である)「勇士司令部」に所属!
・「ウルトラセブン21」も宇宙警備隊の部署である(初代ウルトラマンの父が長である)「宇宙保安庁」に所属!


 出典に直接当たらず、意訳として記述させてもらったが、その衝撃たるや!
 「宇宙警備隊」とは、初代『ウルトラマン』(66年)最終回で宇宙恐竜ゼットンに敗れた初代マンを召還しに来た、のちにウルトラ兄弟の長兄にして隊長に昇格したと設定されるゾフィー兄さんが、その隊員であると自称した用語に端を発する。そして1970年代に入るや、小学館の編集者やその下請けのアルバイトとして当時は円谷プロに在籍していたオタク第1世代の特撮ライター、故・竹内博(酒井敏夫)などが「宇宙警備隊」の内実をウラ設定的に肉付け・拡張していく。
――もちろん世代的にも第1期ウルトラ至上主義者である竹内は本意ではなかった可能性もあるが、往時の学年誌の記事や付録の小冊子には竹内(酒井)の署名があり、初代マンが地球に飛来するはるか前からウルトラ一族やウルトラ長老が地球に幾度も飛来していたことを明かす、数十万年にも渡る「歴史年表」なども氏は作っていた!――。


 そして、ついにはそれがTV本編にも逆流。『ウルトラマンタロウ』(73年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20071202/p1)#25では「3万年前にウルトラの星を襲撃したエンペラ星人率いる怪獣軍団を撃退したウルトラ一族が、それを機に設立したのが宇宙警備隊なのだ」と明言される。
 「勇士司令部」や「宇宙保安庁」はTV本編では言及されたことはなかったが、小学館が「ウルトラ」を独占掲載していた70年代前半の学年誌や70年代末期に発行された子供向け豆百科などでは言及されており、当時の怪獣博士の少年たちにはなじみの深い設定だ。


――21世紀になってから再発見されたことだが、「勇士司令部」や「宇宙保安庁」の設定自体も、実は70年代ではなく講談社が「ウルトラ」を独占掲載していた60年代にまでさかのぼる。今は亡き児童誌『ぼくら』68年10月号で、故郷「光の国」に帰還したウルトラセブンが林立する未来建築群の上空を初代マンとともに飛行する(~ウルトラ兄弟設定の萌芽だ!)見開きイラストの周囲に、ウルトラ一族がレッド族・シルバー族・ブルー族に分かれている旨や、セブン&初代マン各々の家族構成(!)も明かした「カラー特集 さようならウルトラセブン」が初出なのだ。
 してみると、第1期ウルトラ至上主義者たちが神格視してきた編集者、故・大伴昌司(おおとも・しょうじ)自身が、彼らのキラった第2期ウルトラにおける「ウルトラ一族を擬人化・矮小化」した元凶(笑)でもあり、コレを根拠に竹内や学年誌の編集者がウラ設定を拡充していったことになる。大伴にはウルトラ兄弟設定に激怒してコレを義兄弟に改めさせたという風聞もあるが、コレも後年のマニア論壇における原理主義的なテーゼ「ウルトラマンの神秘性」の毀損に依拠した反発ではなく、単にセブン&初代マンに各々父母がいて実の兄弟ではアリエナイからではなかったか?(笑)――


 そして、「宇宙保安庁」や「勇士司令部」という文言は、多くを語らずとも雄弁に『ウルトラマンネオス』という作品の基本設定を物語る、決定的な情報開示でもあった。
 アニメ映画『ウルトラマンUSA』(87年・89年日本公開・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100821/p1)や『ウルトラマングレート』に『ウルトラマンパワード』などは、やはり往時のマニア間での主流の論調を反映して、ヒーローや怪獣たちが「既知」の存在ではなく、「未知」なる「神秘」や「恐怖」を体現した「1回性」「ファースト・コンタクト」の存在であるべきで、ゆえにシリーズ化やウルトラ兄弟にウルトラ一族の組織化などはもっての他! といった論法に大いに影響を受けて、人類とウルトラマンや巨大怪獣との「初遭遇」を描いてきた。
 しかし、『ネオス』95年版は当時主流の通念を軽々と無視してその対極を志向しているのだ。歴代ウルトラシリーズとも地続きで、往時の宇宙規模でのウラ設定まで肯定・引用して、先輩ウルトラ兄弟の客演・共闘も大いにアリかも!? と大声で宣言したかのような無言のマニフェストへの驚き!


怪獣&宇宙人の適度なB級さ! 特撮セットの幻想的な色味の空! ヒーローなヤンチャな戦い方!


 そして、ネオス&セブン21にとってのレギュラー敵も、この95年初夏には公表されている。それが往年のゴドラ星人やペガッサ星人も想起させる、白&黒のモノトーンのカラーリングで直立二足歩行のヒト型体型、その顔面中央が埋もれた巨大な緑色の半球型の単眼にも見える「脳魂宇宙人ザム星人」と、四足歩行で首長竜型の重量級怪獣である黒鉄色の「宇宙鉱石怪獣ドレンゲラン」だ――後者はのちに『ウルトラマンティガ』#35に登場した宇宙鋼鉄竜グワームに改造される――。
 クリーチャー的で恐ろしげでもある風貌ではなく、ドコとなく甘さ・ユルさ・ゴム臭さ(笑)もあって、適度な着ぐるみ丸出し感・小悪党臭も感じられて、子供たちにもパターン認識面でのわかりやすさ・適度な可愛さも感じさせるデザイン&造形。コレもまた、怪獣や宇宙人に擬人化されたチンピラ的な悪ではなく、人智を超えた「未知」や「神秘」に「恐怖」を体現した、子供向けではなく大人の鑑賞にも堪えうる存在であるべきだ! とする往時主流のドグマとは相反する、適度にB級のデザイン&造形になっている(笑~筆者個人はこの点にも好意を持った!)。


 この初夏のお披露目では、すでにプロモーションビデオが撮影されたことも明かされ、その映像の一部も掲載されている――コレらは歴代ウルトラシリーズ名場面を編集して、レンタルビデオ店にもよく置かれていた児童向けビデオ『ばっちしV(ブイ)』シリーズでも公開。新宿駅東口前のアルタ壁面の巨大画面でも上映された――。
 『パワーレンジャー』(93年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20080518/p1)や東宝特撮映画『ヤマトタケル』に『忍者戦隊カクレンジャー』(共に94年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20120109/p1)などでようやく導入され始めた、CGでのモーフィング技術による画質の劣化がまったくナイ映像で、セブン21がその眼を細めたり、怪獣ドレンゲランの節のある長い首が超高速で延長していく実験的な映像も、(半分は笑ってしまうけど)映像的サプライズには満ち満ちたモノだった。


 特撮映像自体もまたマニアの大勢が往時望んでいたリアル・シミュレーション指向とは逆張りであった。まず、空の色味を単なる青空や夜空としては描写しないのだ。記憶で書くので少々誤りがあってもご容赦願いたいが、大胆にもカラフルな照明でセットのホリゾント(背景)の空を、ピンクや黄色や紫や緑などに変えていくことで、映像・色彩面ではアバンギャルド・シュールでさえあるのだ!
 そのような色味の中で、ネオスは怪獣たちとの激闘のさなか、咄嗟に手から放った光線を球形バリアに変化させ、電話ボックスの中にいた女性を守り、セブン21も頭頂部のトサカが分離したブーメラン型武器を元祖セブンのように放つも、それは原典『セブン』における発光するも回転しないで飛んでいくソレではなく、往時のあまたの漫画化作品群でのソレのように高速回転しながらハイスピードで飛んでいく!


 ネオス&セブン21の格闘も、グレート&パワードの重厚鈍重スローモーションとは異なり、ややスピーディーでオーバーアクションかつヤンチャな戦いぶりであった。
 極め付けは、両腕や額から放つ必殺光線発射時のポーズだ。そのポーズは歴代ウルトラ兄弟が多用した両腕を「十字」に組んだり「L字」型に組んだモノではない。往時の第1期ウルトラ至上主義者たちが『仮面ライダー』初作(71年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20140407/p1)のマネだと批判していたウルトラマンエース(72年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070430/p1)の必殺ワザ・メタリウム光線やウルトラマンタロウ(73年)のストリウム光線などのように、前フリに「タメ」として身構えて上半身や両腕をヒネったり振るったりするポーズを取ってから、今までアリそうでなかった両腕を「X字」型にして放つ、やはり原点回帰ではなくバリエーション・ヒロイズム指向のそれなのだ!
――合理的に考えれば、前フリ動作などはムダでありサッサと撃てよ! というツッコミも可能だ。しかし、様式美的には盛り上がる。むろん無意味な様式が子供番組卒業期のヒネた子供やマニアたちに不満をもたらすからと否定するのも、その逆にムリやり肯定するのも浅知恵である。エネルギー充填のための必然だとかの設定を構築して、「SF合理性」&「古典的様式美」を両立させ、マニア予備軍の小賢しいガキどもの卒業も極力回避させるのが、真の意味でのクレバーというモノだろう(笑)――


アトラク&複数の漫画で展開されたネオス&セブン21の仮面劇の作劇と、彼らの性格設定の相違!


 当時の円谷プロは、ホンキでこの『ネオス』95年版の映像化を狙っていたのだろう。「ウルトラマンネオス」と「ウルトラセブン21」のテーマソングが、当時の東映メタルヒーローシリーズの主題歌なども手掛けていた作詞・松井五郎&作曲・鈴木キサブローのコンビで作られた。その爽やかな楽曲がイベント会場の内外に響く中、同年夏休みには20世紀中は後楽園遊園地のプリズムホールで開催されていた『ウルトラマン フェスティバル95』のアトラクショーでもネオス&セブン21が主人公に据えられる。
 ここでの彼らの性格設定は、ネオスの方が沈着冷静な若き優等生で、セブン21の方はヤンチャな小僧。特に後者は「早く一人前になって戦場で戦いたい!」と血気にハヤるも未熟で甘さも残っており、時にショゲてもみせる可愛げもある少年といった擬人化された演技で描写されていた。女性……といっても一般女子ではなくオタク女子(笑)の母性本能をくすぐりそうな誇張化された仕草でもあり、筆者個人はココにも新たな鉱脈を予感!


 そして、「怪獣はすべて倒すべき敵だ!」と息巻いていたセブン21が「怪獣にも善良なモノがいるのだ」とその見解を改めていくアリガチ・単純(笑)な道徳説話的な子供向けのステージ脚本は、良くも悪くも現実の多面性・複雑性をハラみすぎてしまうナマ身の役者さんが演じると、たとえそのテーマ的な主張が正しくても、陳腐でハズかしくてシラケてしまったことだろう。けれど、コレを着ぐるみキャラや漫画・アニメなどの2次元キャラが演じればナマ臭さが脱臭され、仮にまったく同じシナリオであったとしても、かえって作品テーマが鼻につかずに観客へストレートに届くという、媒体の違いゆえに生じるアドバンテージの発見!
 コレは第1期ウルトラの牧歌的なSFドラマや、第2期ウルトラのシビアでイヤ~ンな苦みも残る人間ドラマともまた別の、第3のパターンのモノとして、子供がタイクツしがちな本編人間ドラマパートではなく、子供の視線が向きかちな特撮着ぐるみキャラクター仮面劇パートで、ヒーローや侵略宇宙人に道徳テーマやその逆の悪徳発言なども吐かせて、お互いの戦う動機やその対比でメリハリを作り、バトルの決着がそのまま作品テーマの決着ともなるような作劇術の発見への気付きでもあった!


 このアトラクショーには準主役格として直近のグレート&パワード先輩が登場し、歴代ウルトラ兄弟も参戦、ウルトラの父&母が見守る中、ネオス&セブン21がバトルする。そして最後は、ネオス&セブン21が近いうちに地球へも派遣されるであろう! といった観客の期待を煽るかたちでシメくくる。
 コレを受けてか、幼児誌『テレビマガジン』でも、ネオス&セブン21が地球に派遣されるまでの位置付けのストーリーが半年間、漫画連載されたらしい――。そのシナリオはナンと! その10年強あとに『ネオス』95年版のリベンジか、昭和ウルトラ直系のその四半世紀後の正統続編としてついに実現した『ウルトラマンメビウス』(06年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070506/p1)でメインライターを務める赤星政尚(あかほし・まさなお)!


 この時期には児童誌『コミックボンボン』でも、玩具会社・バンダイガシャポン玩具とも連動した、昭和ウルトラの1000年ほど先(?)を舞台に、いわゆるSD(スーパーデフォルメ)体型で描写されたウルトラ兄弟たちが未来の地球人の超科学力で造ったヨロイを着込んで、宇宙をまたにかけて悪と戦う漫画『ウルトラマン超闘士激伝』(93~97年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20210131/p1)も連載されている。
 ウルトラ一族の群像劇ではあるも、第1部では初代ウルトラマンが、第2部ではウルトラマンタロウが、第3部ではウルトラマングレートウルトラマンパワードが主人公として活躍していたが、95年ならぬ96年度の連載分となる第4部(最終部)では、往年の『ウルトラマンタロウ』でも言及されて『超闘士激伝』の10年後に放映された『ウルトラマンメビウス』でもラスボスとして登場したエンペラ星人を宿敵に定めて、ついにウルトラマンネオスウルトラセブン21のコンビが主人公としてフィーチャー!
 後年に明かされたことだが、『超闘士激伝』のシナリオを担当した瑳川竜(さがわ・りゅう)とは、のちに『仮面ライダーW(ダブル)』(09年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20100809/p1)や『獣電戦隊キョウリュウジャー』(13年)に『仮面ライダードライブ』(14年)などのメインライターを務める三条陸(さんじょう・りく)! 『超闘士激伝』で披露される小ネタの数々を見るかぎり、先の赤星とも同様に三条もまた第1期ウルトラのアンチテーゼ編のみを偏重するヌルオタではなく、(商業誌ではともかく90年前後の特撮評論同人界ではすでに言及・研究もされ尽くしていた)第2期・第3期ウルトラ各作の細部や埋もれた佳作群にも非常にくわしいことが看て取れる。
 そんな三条が手掛けた、ウルトラ一族も大活躍する『ウルトラマン』のTVシリーズ新作を観てみたいと願っているのは筆者だけではないだろう!


 ちなみに、『超闘士激伝』におけるネオス&セブン21も、先のアトラクを踏襲したのか、ネオスは優等生でセブン21はヤンチャなお坊ちゃんとして描写されている。しかし、いま思い返してみるに、往時の『宇宙船』誌もほのめかしていたように(?)、『ネオス』95年版のセブン21にはそのような熱血設定はなく、のちのビデオ販売作品『ウルトラマンネオス』00年版(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20120226/p2)とも同様、むしろネオスと合体した地球人青年の前に忠告や導きのために現れる、特定の人間体を持たずに様々な人間に変身または憑依する神秘のヒーローとして設定されていた気配もある――95年版の企画書を読んだワケではないので、間違っていたらゴメンなさい――。だとすると、『ネオス』95年版がTV放映にこぎつけたとしても、アトラクとは逆にネオスが熱血でセブン21が冷静として描写されたのやもしれない。


 ちなみに、さらに後年の2010年頃、『ウルトラマン80(エイティ)』(80年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971121/p1)が御年8000歳の若者(笑)だとされて以来、マニア論壇の悪しき影響で「神秘性」を毀損するからと自粛したのか、絶えて久しく設定されてこなかったウルトラ一族の年齢が、それまで未設定であったウルトラ戦士たちに対して30年ぶりに付与された。それによるとネオスは8900歳だがセブン21は1万8千歳!
 元祖セブンはむかしは1万9千歳だったのに、いつからかすぐ下の弟である『帰ってきたウルトラマン』(71年)ことウルトラマンジャックと同じ1万7千歳に再設定されたので(誤記が流通?)、セブン21の方が元祖セブンよりも年上になってしまったゾ! ウ~ム(笑)。


2大正義vs2大悪党ならば、ルーティンには陥らないバトル&テーマの豊穣さも達成可能!


 『ネオス』95年版は『電光超人グリッドマン』(93年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190529/p1)のスタッフを中心に営業活動中だと告知され、まだ見ぬ『ネオス』本編への意見具申・アイデアなどを読者から募集するコーナーも『宇宙船』誌では連載され、当時はそれなりに盛り上がったようにも記憶する。
 筆者なども、新ヒーローがふたりも登場するなら敵怪獣が1体だけでは卑怯だから、『地球戦隊ファイブマン』(90年)などの当時のスーパー戦隊がすでに達成していた2体の戦隊巨大ロボvsゲスト怪人&敵のレギュラー巨大ロボ・黒ゴルリンor巨大化した敵幹部という2vs2の構図の転用なども着想。各話のゲスト怪獣とは別にコレと共闘するレギュラーの敵幹部宇宙人やダークヒーローなどを導入、シリーズを通してライバルとの因縁ドラマを毎回積み重ねていくことで、終盤でのライバルとの最終決着を盛り上げるバトル作劇なども夢想した。
 ウルトラシリーズも(当時のそれまでの)1話完結ルーティンが延々と続くスタイルではなく、古くは『快傑ライオン丸』や『人造人間キカイダー』(共に72年)、『科学戦隊ダイナマン』(83年)やスーパー戦隊超電子バイオマン』(84年)などのようにライバルやダークヒーローなどの第三勢力も登場させて三つ巴とさせてはいかがか? 青年マニアだけが喜ぶような社会派テーマではなく、幼児向け番組卒業期で「週刊少年ジャンプ」漫画などの愛読者に移行しつつある時期の小学校中学年の子供たちが喜びそうな、戦闘シーンにおける「パターン破り」などから来る高揚で、「コレは単なる幼児向け番組ではない!」と驚かせることこそ(笑)、その卒業を遅延させるためにはもっとも有効な手法ではなかろうか? 手前ミソで恐縮だが、自身が主宰する同人誌などでもそのような主張を往時繰り広げていたモノだ。


 マジメな話、ウルトラシリーズだってその殺陣・アクション・戦闘シチュエーションをもっと凝ってみせてもイイはずだ。ネオスだけでトドメを刺す回! セブン21だけでトドメを刺す回! ネオス&セブン21の合体ワザでトドメを刺す回! 合体ワザでもどちらがトリを取るのかのその順番! ストーリーではなくアクション面でも単調さ&予定調和を廃して、最後の特撮怪獣バトルもお約束の蛇足タイムではなく、ドチラのヒーローがトドメを刺すのかという自然と脳裏に浮かぶ小さな予想も視聴者側の秘かな楽しみとさせる。もちろんその回のドラマの主役を務めたヒーローにトドメを刺させることは視聴者を感情移入させるためにも鉄板、そのことでドラマ&アクションの一体化も図ることができるのだ!


 我々が住まう現実・3次元・物質世界には具体的な固形物の一点としての「絶対正義」はたしかにナイ。けれど、かといって「善悪」などナイのだといったニヒリズムも大ウソである。抽象・観念・理念の世界に一定の幅をもって「公共」に到達するために複数ある手段としてなら「正義」も複数存在するハズだ――もちろんその幅の外にある「私利私欲」でしかないモノまで「正義」だと云い募るのは、行き過ぎた誤てる価値相対主義である――。
 そういった「正義」の幅や「多面性」に「複数性」を提示するためにも、ネオス&セブン21の完全対等なWヒーロー体制こそ実に適したモノではなかったか? ネオス&セブン21のバディー(相棒)ドラマ的な性格対比劇を通じて描かれる、ネオスに理がある回、セブン21に理がある回、双方に理がある回、双方ともに正しくない回、老賢者的なゲストにこそ理がある回。
 この延長線上には、95年時点でもすでに陳腐化していた「社会への警鐘」や70年代「人類ダメSF(小説)」的なアンチテーゼ編を乗り越えて、細部の瑕疵(かし)はともかく「人類」のトータルでの肯定や、より高次な「真の正義」を探求してみせる、テーゼ(正)やアンチテーゼ(反)の次のステージ、ジンテーゼ(合・止揚(しよう)・アウフヘーベン)に到達せんとするテーマ作劇の光明なども垣間見えるではないか!?
――『ウルトラマンガイア』(98年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19981206/p1)や『ウルトラマンR/B(ルーブ)』(18年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20180826/p1)も2大ウルトラマン体制でそれぞれに良さがあったが、後者のウルトラマンロッソとウルトラマンブルもたまには兄弟喧嘩をする程度の家族協調劇であり(笑)、前者もネガティブなウルトラマンアグルの価値観がポジティブなウルトラマンガイアに屈服してしまうことがミエミエで、『ネオス』95年版が潜在的にハラんでいた「正義」の複数性や多面性にその止揚といった思想的な高みには達しなかったと私見する――


 ムズかしい話はこのへんにしておこう。


怪獣攻撃隊は巨大ロボを建造せよ! 終盤ではウルトラ兄弟vs再生怪獣軍団の絵図を観せろ!


 それよりも、善vs悪との構図が2大ヒーローvs2大悪党となってしまうことで、今度は地球人側の怪獣攻撃隊の存在感がますますウスれて「役立たず感」も際立ってしまうとする、マニア諸氏の危惧もまたムベなるかな
 ならば、怪獣攻撃隊がシリーズ中盤で巨大ロボットを建造するのはいかがだろう!? 各話の特撮怪獣バトルに参戦、搭乗する隊員たちにも戦闘中にベラベラとしゃべらせることで(笑)、ドラマとバトルが分離せず、戦闘中でも人間ドラマを継続させることができ、ヒーローと怪獣が戦い出すや人間が傍観者になってしまうという、このジャンルの宿痾も回避することができる!
 そして、たまには巨大ロボットが敵怪獣をその必殺ワザで倒してみせれば、ウルトラシリーズの一大弱点でもある怪獣攻撃隊の無用感も解消! 玩具売上面でも円谷プロを喜ばすことができるハズだ!
――後年の『ウルトラマンメビウス』では、昭和ウルトラシリーズで撃墜された侵略宇宙人の円盤の残骸などから採取したオーバーテクノロジーの超科学「メテオール」も使用して戦う怪獣攻撃隊が登場したが、あともう一押し! ロボット怪獣・キングジョーやロボネズにガメロットなどの残骸を参考に、クリスマス商戦合わせで(笑)たとえば「ガンジャイアント」なる名称の黄色い巨大ロボットなども登場させてほしかった!――


 内山まもる大先生が手掛けた往年の学年誌の連載漫画『ウルトラマンタロウ』終盤(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20210124/p1)では、南極大陸でのウルトラ兄弟&ウルトラ一族の一般兵士数百人vs超巨大怪獣! 第2期ウルトラシリーズ終了直後のTV新作がない75年度に連載された漫画『ザ・ウルトラマン』(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20210110/p1)においても、ウルトラの星を舞台に数万人の宇宙警備隊のウルトラ戦士vsジャッカル大魔王! ……などといった当時の実写特撮では実現不可能であったパノラマ絵図は、漫画作品ではすでに達成できていた。
 よって、最終回でもラスボスをいつもの必殺剣で倒すような初期スーパー戦隊チックなデタラメなパワーバランスではなく(笑)、中ボスが登場したり敵幹部の交代劇があったり、『仮面ライダーストロンガー』(75年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20201231/p1)や『仮面ライダー(新)』(通称スカイライダー・79年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20210102/p1)のごとく次第にスケールを増していき、その終盤では歴代ウルトラ戦士vs再生怪獣軍団が激突するような大スケール・大バトル・大団円も、『ネオス』95年版ではぜひとも観てみたい! ……当時の筆者の妄想の暴走は留まるところを知らなかった(笑)。
 しかし、筆者が最終審判者でも、あの時代の必ずしも平均的な特撮マニアでもなかった以上は、上記の意見に抵抗・反発を示した原点回帰・本格リアル指向の同世代の特撮同人仲間たちが幾人もいたことは公平を期するためにもココに記しておく。


95年安保(笑)の挫折。しかし今こそ『ネオス』95年版の再評価を切望したい!


 そして残念。読者諸兄もご承知の通り、『ネオス』95年版の企画はTV局に通らずじまいで、翌1996年に放映が開始されたのは16年ぶりの国内TV新作となる『ウルトラマンティガ』であった。
 それはまたも昭和ウルトラとは直結しておらず、70年代末期の本邦初のマニア向けムックで流布された第1期ウルトラ至上主義寄りの文脈や、ジンテーゼよりも旧態依然のアンチテーゼ寄りの指向を感じさせ、単純明快な痛快娯楽アクションよりもテーマ主義を指向した作品でもあって、筆者個人もまぁまぁ楽しみはしつつも、それは当時の子供たちも熱狂させていた「週刊少年ジャンプ」の漫画的なヒロイズムや戦闘の高揚をもたらすモノではないであろうと懐疑の目線も向けていた。
 とはいえ、そのようなスレた見解の持ち主もまた極少であったというべきだろう。当時のマニア世間や商業誌などにおいては「コレこそが我々が観たかった現代的なウルトラマンだ!」という熱狂が巻き起こっていく。
 『宇宙船』誌などでの『ネオス』95年版への期待&盛り上がりは所詮、井の中の蛙でしかなかったこと。そして、90年前後の特撮評論同人界で盛り上がっていた第2期ウルトラ再評価の多種多様な論点・尺度・論法の登場&成熟が、その外部の一般の特撮マニアたちにはほとんど還流していなかったことも、無力感・徒労感・挫折感とともに思い知らされたのであった(笑)。


 公的な特撮史を語るときに、個々人の好みの問題を除外する大文字・太字の年表で、『ウルトラマンティガ』をはじめとする平成ウルトラ3部作を特筆大書すること自体は、「歴史」とは動員数があった最大公約数を語るモノだからそれでイイとは思う。
 しかし、個人的には民俗学者柳田國男(やなぎた・くにお)の『明治大正史・世相篇』(1931・昭和6年)で、大文字の歴史年表には残りにくい時代の空気・気分も書き留めて記録に残そうとしたように、少数派から見えていた歴史も隅っこではヒッソリと語らせてほしいと思う。歴史とは右派・左派・それ以外の多数の立場の史観を相矛盾したまま併存させて、永遠に突き合わせをし続けるべきモノであると信じる。


 西暦2000年に『ウルトラマンネオス』はビデオ販売作品としてようやく陽の目を見る。しかし、95年版とは異なり、円谷昌弘プロデューサー&武上純希脚本の平成『ウルトラセブン』コンビで製作された同作では、彼らの好みや意向であったか、ネオスは「X字」型ではなく初代マンのごとく「十字」型で必殺光線を放つように改変されたことに象徴されるけど、またまた人類とウルトラマンが「初邂逅」する「原点回帰」作品となったことで、昭和ウルトラとは直結していないことに絶望し、ザム星人が下品に哄笑する悪党キャラではなく(笑)、母星を失った悲劇性&人類との共存の可能性が強調されたことで、娯楽活劇としての爽快なカタルシス・高揚・勧善懲悪を低次なモノとしていまだに見下すカビ生えコケむしたような作劇思想に絶望する。


 昭和のウルトラ兄弟が復活した『ウルトラマンメビス』が2006年。「平行宇宙」の概念の積極的な導入で、昭和ウルトラ&平成ウルトラが越境可能となった映画『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE』が2009年。往時に妄想していたことは遅れてあらかた実現されたとも、部分的には先に進んでしまったとも、いまだに実現できていないこともあるとはいえ、すでに実に長い歳月が過ぎて、『ネオス』95年版も半世紀にも渡るウルトラシリーズの歴史の折り返し地点を占める過去と化し、死んだ子の歳の数をかぞえる浦島太郎となってしまったのであった(笑)。
 とはいえ、『アベンジャーズ』(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190617/p1)で『ジャスティス・リーグ』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20171125/p1)で『スーパーヒーロー大戦』(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200115/p1)で『プリキュア オールスターズ』な昨今、単独で主人公を張れるヒーローたちが時に共闘、シリーズとしても並行して連続していくスケール雄大な「世界観消費」とでもいうべき作劇に、全世界的にも人々がワクワクしている昨今、ウルトラ一族の仮想歴史や『ウルトラマンネオス』95年版もまた同様のワクワク感を喚起した、それらの早過ぎる先駆けであったことも強く主張して再評価を促したい。

(執筆協力:彦坂彰俊・久保達也)


(了)
(初出・特撮同人誌『夢倶楽部VOL.3X』(19年8月10日発行)『ウルトラマンネオス』特集号より抜粋)



後日付記:


 特撮同人誌『夢倶楽部』の『ウルトラマンネオス』特集号に掲載された、秘密のルート(汗)で入手した95年版『ウルトラマンネオス』企画書――ワープロで印字されたものであるあたりが90年代中盤という時代を忍ばせる――によると、往時の特撮マニアたちが妄想したダブルヒーロー前面押しどころではない!? セブン21は年間を通じて8回くらいしか登場させないキャラクターとして設定されていた(爆)。……ガックシ。
 ただし、ウラ設定は充実しており、ウルトラ一族の防衛組織である宇宙保安庁・庁官の名前や勇士司令部・部長の名前までもが設定されているのだ!
 好事家の方はコミックマーケットの特撮ジャンルのサークル「夢倶楽部」さまにてご入手くださいませ~(当選していた場合に限定されますけれども……)。


以下、1995年前後に執筆した『ウルトラマンネオス』95年版への所感

(文章が若書きでヤワいのはご容赦くださいませェ・汗)

ウルトラマンネオス』1995年版とは何だったのか!? 〜Wヒーローならテーマへの多角的アプローチが可! 防衛隊も巨大ロボを持て!



来なかったウルトラ新世紀哀歌 ~蘇れネオス、立ち上がれ21、深い闇を越えて…

(文・彦坂彰俊)
(1997年脱稿)


 1994年11月23日(水)勤労感謝の日
 この日、読売新聞朝刊にとあるニュースが載せられた。扱いは非常に小さなものだったが、それでも僕の受けた“衝撃”は、「筆舌に尽くし難い」という表現すらあまりにアタリマエすぎると思えるほど大きかった。


 『新ウルトラマンが二人同時にデビュー!!』
 『ひとりはウルトラマン型、もうひとりはセブン型』


 さすがにTVシリーズ化のことについてまで言及されていなかったものの、なまじ情報が少ないだけにコチラの妄想はフル回転・勢いあまって300%(爆笑)。


 もし実現すれば、いままでありそうで実はなかった、“本格的ダブルヒーロー活劇”の誕生ではないか! スゴイ! スゴすぎる!!(笑) と、まぁ我ながら呆れるほどのハイテンションで続報を待つ日々であった(多少誇大な表現だけど)。
 ――ちなみに、この話題は同日の朝日新聞朝刊でも取り上げられていた(扱いそのものはこちらの方が断然よくて、実相寺昭雄監督や『ウルトラマン研究序説』執筆者などからコメントまで取ってきている)。察するにおそらくこの日がネオス&21プロジェクトのマスコミ公式発表だったのだろうと思われる。――


 そんなこんなで94年が暮れ、95年が明けて、まもなく新ウルトラマンの名前が、


 “ウルトラマンネオス
 “ウルトラセブン21(ツーワン)”


 と判明。周辺の設定も次第に明らかになってきた。が、それとともに不安要素も一緒についてきた。
 対戦相手である重量級怪獣ドレンゲランはともかく、敵役の宇宙人・ザム星人が“ライバル”という位置付けには今一つパンチに欠けるキャラクターであること。
 なによりも、主役はあくまでもネオスで21は助っ人にすぎないということ。


 ……嗚呼なんてこった。これじゃキャラクターバランス滅茶苦茶だし、ファーストインパクトの強烈な魅力がかなり損なわれてしまうじゃないか!!
 ……………………………………ムダだとは思うけど。
 でも、みすみす失われてしまうかもしれない可能性を、黙って看過することには堪えられない。とりあえず言っておけば、なにかが変わるかもしれないし。TV化企画が難航しているらしいのも、考え方次第では好都合だぞ。いまのうちに言っちゃえ!! ということで草の根活動。ようするに特撮マニア雑誌への投稿だ(笑)。


(’95年3月執筆・投書原稿)
 CM『ばっちしV』での勇姿もまぶしい(笑)、ウルトラニューフェイスの御二人(イマイチなじみにくいネーミングがナンだけど)。
 ただ昨年暮れのダブルデビュー情報があまりにもセンセーショナルだっただけに、「当面は営業活動に専念」てなオチには思わずガックリ。まぁ「よりイイモノ」をつくるための準備期間ということならば、我慢のしがいもあるってものだけど……。
 てなワケで(?)もしかしたらの新作シリーズに希望すること。
 防衛隊の超兵器に可変合体の巨大ロボを!!(爆笑)……ゴジラ映画に巨大ロボが登場しちゃうこの御時世、どうせやるなら原点回帰より痛快エンターテイメントでっせ。ハチャメチャだって、いーじゃん♪いーじゃん♪(具体的にメリットを挙げるならば、何よりもまず戦闘シーンにバリエーションが生まれるし、ある面では隊員の個性も打ち出しやすくなるはず)
 よく考えたら『電光超人グリッドマン』(93年)で既に巨大ロボ・ゴッドゼノン&ダイナドラゴンを輩出させている円谷プロ
 ここはひとつ、是非とも英断をのぞむ!!

(―没―)


(’95年6月執筆・投書原稿)
 TVシリーズ化企画もどうやら本格的に始動、今後の展開がおおいに気になるネオス&21。なんといっても絶えて久しかった純血国産シリーズ! それだけ『ウルトラ』というブランドの重責がかかるのも無理からぬことではあるけれど、そのこだわりがファーストアイデアの可能性・発展性をみすみす切り捨ててしまうようでは全く意味がない。特に今回の場合、ダブルデビューという企画の発端が既にして衝撃的かつ前衛的なのである。ならばこそ……。
 ここはひとつ、『T―ツイン―』でも『W―ダブル―』でもこの際『SS―スーパーズ―』でもいいから(爆笑)、是非とも、「ふたり主人公」のシリーズが見たい!!
 異なる主義・思想をもった二人のヒーロー、事件そのものに対して見せるリアクション・スタンスの相違、対立・葛藤あるいは相互理解……それはアクション設定のみならずキャラクタードラマとしての方向性をも提示するだろう。実際、キャラシフトだけでも様々なパターンが考えられるはずだ(明朗快活な正義漢と沈着冷静な理論家・熱血野郎と皮肉屋・あるいは防衛隊のクルーと無所属のアウトローなど)。
 なるほど、たしかにセンスオブワンダーやエポックメイキングとは縁遠い内容になるかもしれない。しかし、この際、純然たるヒーロードラマとしての魅力に目を向けてほしい。……胸がワクワクするでしょ? 見たいと思うでしょ? それがポイント♪(by高橋由美子
 ってなワケで、とりあえず21のランクを、助っ人でなく同格―タメ―に!!(笑)
 願わくば、ブランドよりも不変のエンターテイメント性に真摯な作品であらんことを……。

(―没―)


 どれもけっきょくボツってるのはナンだが(……)。自分の言いたかったことは、とりあえずこの二つの文章に凝縮されている。あとは各要素の詳述・補完である。
 クドイようだが、この企画の最大のセールスポイントは「ダブルヒーロー活躍の図」にこそある。両者ともに引けを取ることのない互角のキャラクター性を魅力的に描き出せなければ、その意義がないのだ。
 ……このことに、たとえば「どちらが主人公か判らなくなるため両者ともにヒーロー性が中途半端になり、けっきょくは失敗するのではないか」という危惧があったとしても、それを結果論的な言い訳には、少なくとも用いるべきでないだろう。
 多少の否定要素だけで、すでに見えかけている可能性・発展性のすべてに対して無自覚を決め込んではならない。それよりむしろ、設定を徹底的に活かしめるための基礎構造をシッカリ整備しておくことを考える方が重要である。


 そこでまず必要なのがネオス・21両者の個性を確立させること。(細々とした諸設定は、後から附いてくるもの・場合に応じて微調整を加えるべきものである)
 まぁ個人的なイメージにこだわるなら、


 ネオス=明朗・熱血・防衛隊
 21 =冷静・皮肉屋・アウトロー


 といきたいところなのだけど(笑)。とにかく、ここで二人に対極的なキャラクターを与えるのがポイントだ。
 それぞれの事件に対する関わり方・考え方の相違から生まれる対立・葛藤のドラマ。さらに踏み込んで言えば、ある局面ではネオスの行動の方がより正しく、別の局面では21の判断の方がより正しい、時にはどちらも同じ距離だけ正しくないかもしれない……。


 単なるキャラクタードラマの領域を越えて、個人の価値判断基準をするどく見据える段階まで達してしまってもいいだろう。


 この意味、作劇的な到達目標と言うべきは“ジンテーゼ”の体現にこそあるのだ。


 ――対立した二つの概念を総合する概念。作劇のレベルで言えばテーゼ・アンチテーゼ相半ばするテーマ主張。
 たとえば、『ウルトラマン』(66年)23話「故郷は地球」、『ウルトラセブン』(67年)26話「超兵器R1号」、同「ノンマルトの使者」といったアンチ急先鋒的な作品群の題材は、そのままの形で現在に当て嵌めるにはかなりキツイ。
 しかし、否定要素・肯定要素を異なる視点から改めて捉え直すような作劇ができるなら……。
 (『ウルトラマンティガ』(96年)28話「うたかたの…」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19961204/p1)など、そのアンチテーゼ要素に拒否反応を起こす向きが意外に多かったあたりは健全でいいなと思う=笑=反面、実をいえば、このジンテーゼ指向の萌芽と認めるべき作品ではないかとも思うのだ)


 ネオス&21は、それをあくまでキャラクタードラマという形態から突き詰めることができたかもしれない企画だったという点で、まず惜しい。



 しかし実はもっと単純に、アクション設定のバリエーションが恐ろしいまでに充実するという一点において、もっとも想像力が駆り立てられるあたりが、この企画の真価と言えよう。ヒーロー側の状況設定のみ列挙しても


  ネオスのみ変身、21のみ変身
  ネオス巨大化・21等身大(またはその逆)
  ダブル巨大戦闘
  ダブル等身大戦闘


 と、これだけあるわけだし。
 さらに、必殺技をキメるのはどちらか、あるいは合体技かとか、対戦相手によっても、


  怪獣+宇宙人、怪獣複数、宇宙人複数、
  狂暴怪獣一体、極悪宇宙人一体


 思いつくだけでコレだけあるのだ。これらを単に組み合わせるだけでも、ゆうにワンシリーズ分のネタは供給できようというもの(笑)。
 (ストーリーの必然によっては変身するのは一人でも構わないし、必殺技は基本的にその回の主役にキメさせるとしても、手強い敵には最強合体技!!――ってあたりが一応のセオリーになるとは思うけど。)
 マジメな話、『ウルトラ』だって戦闘描写に凝ってもイイ。それができたかもしれない企画だったということでも、やはり惜しいと言わねばならない。


●ネオスVS巨大怪獣・21VS宇宙船内の等身大星人……てなアクション設定、燃えない?(笑)


 ネオス&21は辛うじてパイロットフィルムのなかにその雄姿をとどめはしたものの(ちなみに未見だが)、これはやはりTVシリーズでなければそのポテンシャルを十二分に活かしきれない企画であったことを、あらためて痛感してしまう。
 実際、テーマ性とエンターテイメント性の両方を、ここまで極端な形態を取りつつ同時に満たしてしまう可能性を持った企画もまれであろう。
 国産TVシリーズ制作の悲願は、幸いにも良心作・『ウルトラマンティガ』にて果たされるものの……。
 しかし、だがしかし。


 セブンコンプレックスはないけれど、来なかったウルトラ新世紀トラウマが強烈すぎるのだ。今はただ、この企画に対して過剰なまで入れ込んだ市井の一ファンがいたことをここに記すのみである。


(了)
(初出・特撮同人誌『假面特攻隊98年号』(97年12月28日発行))


妄想ウルトラマンネオス! 〜Wヒーローならテーマへの多角的アプローチが可! 防衛隊も巨大ロボを持て!

(文・T.SATO)
(1995年夏脱稿)


 さてさて、待望の国産新作ウルトラマン=『ウルトラマンネオス』の製作決定! まずはおめでとうございます。たいへんに期待しております。
 もうムズカしいことはともかくとして、見ていてとにかく歯切れがよく、楽しい大娯楽活劇に仕上がってくれれば……、と小生などは祈っております。
 あまり従来の路線にとらわれることなく、いかに斬新なことをやれるか、いかに今の子供たちにウケるものをやれるか、いかにサービス精神旺盛に作れるか、という方向で考える方がウマく製作できそうだし、90年代作品としての同時代性の点でもよいのでは? などと当方、不遜にも考えております。


 たとえば『ウルトラマンネオス』における、“ウルトラマンネオス”&“ウルトラセブン21(ツーワン)”の、2人ウルトラマン登場で気になるのは、防衛隊の相対的比重低下とやられ役のさらなる拍車化です(笑)。
 ……ここはひとつ、故・円谷皐(つぶらや・のぼる)会長の生前の発想に報いるべく、いっそ中盤から防衛隊は巨大ロボットを建造してみてはドーでしょう!(『ウルトラマンUSA』(87年・89年日本公開)において、円谷会長は合体ロボを出そうとしていた)
 ただ、『電光超人グリッドマン』(93年)のサポートロボみたく、商業主義へのささやかな抵抗か(?)、平成の御代に『ウルトラセブン』(67年)のカプセル怪獣的な前座にとどまり、敵怪獣にトドメを刺せないようではイミがないけど……(作り手のこだわりが、キャラやメカの魅力、ストーリーの自由度を削ぐ消去法・貧乏症な方向でのものならば有害無益!)。
 数話に1回はロボットがトドメを! すると、防衛隊の役立たず感も解消。傍観者になりがちな隊員たちの人間ドラマも、クライマックスのバトルシーンまでひっぱれて、バトルと隊員ドラマの両立も可となります!
 ……まぁロボットは極論としても、いつもいつも防衛隊はやられっぱなしではなく4、5話に1回はトドメをキメるとかしてほしいものです。


 味方側が増員されると、敵怪獣が劣勢でかわいそう、だからやめよう……となるやもしれませんが。
 そこはそれ、マイナス発想ではなくプラス思考で……。
 敵側も、近年の合体ロボアニメ『絶対無敵ライジンオー』(91年)シリーズ(エルドランシリーズ)や、東映スーパー戦隊』シリーズみたく、その回のゲスト怪獣の他に、敵幹部のキャラを作って、巨大化させて戦わせてみたらドーでしょう? 1vs1ではワンパターンになりがちなバトルも、複数vs複数ならば無数のバリエーションが生じえます!
 敵幹部をうんぬんしたところで、ついでに云わせていただくと、敵たる悪の軍団も、今の時代の『ウルトラ』ならばアリでイイのではないでしょうか? それによって、クライマックスの怪獣プロレスシーンに、ヤラレ怪獣の他にライバル敵宇宙人または敵幹部宇宙人も参戦するシチュエーションが設定可能となります。
 あるいは、往年の円谷プロの巨大ヒーローもの『ジャンボーグA(エース)』(73年)のように、1クールごとに敵幹部が交替し、そのつど最後の大決戦があるとかに設定すれば、バトルものとしても大いに見せ場が作れて、盛り上がれるのでは!?


 また現在、まじめに『ウルトラマン』を作るとなると、宇宙の警察官たるウルトラの戦士が恒常的にローカルな地球に何故にとどまるのか、なぜに悪の尖兵や侵略怪獣でもない地球の自然でもある怪獣を倒してしまうのかの、作劇上での疑問が生じてこざるをえないと思います。このテの子供向けヒーローもの作品は、少々のムジュンは気にしなくてもよいともいえるのですけど、それでも若い作り手の方では、脳裏で若干そこに抵触してくるのを意識してしまわざるをえないと思います。
 少々といえどひっかかるものがあるならば、事前にこのジレンマを解消しておくにしくはありません。
 まさか、地球の怪獣を倒すために、宇宙からはるばるやってきたというのも、90年代ではナンですから、1年間のシリーズを通しての、宇宙からのレギュラー侵略者から地球を護る使命を帯びてやってきている、という設定にしておいて、この問題から回避しておくのが妥当なのでは?
 そして最終回では、レギュラー侵略者を倒す、大スケール・大バトル・大団円で決着が付き、勝利のカタルシスも保障するような……。


 むろん、レギュラー侵略者がまったくカラまない従来どおりの怪獣話がたくさんあってよいし、当方の考えとしましても、従来とは逆の方向で、ワンパターンな融通の効かない設定にしてみたり、それに金科玉条にしばられるつもりは毛頭なく(笑)、作品の幅が出ますから、そこはそれ臨機応変・融通無碍に、多彩なお話を作ればイイと思います。
 ただ、なによりもレギュラー悪がいたほうが、最終回も画面的に盛り上げやすいように思います。子供たちもホームドラマ的な子供たちへのメッセージよりかは、大バトル・大団円の方が見たいでしょうし……。またそーいう展開の方が子供にもわかりやすく、かつナットクもするでしょう。


 また、いわゆる怪獣ものとしては、既に初代『ウルトラマン』(66年)でパターンは出尽くしているともいえ、あとはそれの大なり小なり焼き直したらざるをえないのは宿命必然ともいえるわけですから、後続作品の差別化もまた必然。まったくちがった発想を持ってくるのもテではありましょう。
 たとえば、時代劇や武道もののように道場破りパターン、ネオスたちの強さを聞き付けて宇宙の武芸者が決闘をいどんでくるとか……。むろん人格をもっていてオトコとオトコの一騎打ちにしてほしく、またそれは第3勢力的だったり、悪の組織の傭兵だったり、旧友だったり、私怨だったり、純然たる技くらべであったり……。


 やはりこーいった作品は、基本設定からして戦いのドラマですし、センスオブワンダーやSF性よりも世界の命運をかけて戦うヒロイックなロマンこそを重視してほしいのです(中島梓の『わが心のフラッシュマン』(88年・91年にちくま文庫ISBN:448002591X)ではありませんが……)。
 また物語の元祖が、神話の英雄譚ならば、それこそが普遍的・根源的な物語の在り方ともいえないでしょうか?
 けっしてセンスオブワンダーやSF性を否定しているのではありません。しかし、このテの作品……にかぎらず活劇というものは、戦いのドラマであり、ヒロイックな高揚をもたらすものであることは否定ができないと思います。
 それを完全肯定してしまうわけではなく、危険性・ダークサイド・毒をもハラんだものであることを重々承知しつつ、そしてときどきはその危険性を指摘するストーリーも構築すべきであるとも思います。
 しかし、ただ単に悪いイミでの戦後民主主義的な「戦いは絶対悪である」的な価値観を、疑問を許さぬ絶対自明の大前提にして、ヒロイックなロマンを完全否定してしまいかねない論調には疑問を覚えます。アナタは『ウルトラマン』や活劇映画を観ていて、バトルシーンで高揚を覚えたことはないのか!? と。
 それなのに、「戦い」や「武力」を十把ひとからげに悪しきもの・おぞましきものとしてのみ定義して事足れりでタブー視・思考停止して、自らを良識的な立場寄りに属せしめた気になっているヤカラには偽善と欺瞞を感じます……。まずは、ヒロイックなロマンを前提としたうえで、センスオブワンダーなりSF性を描いてほしく思います。


 閑話休題。……まぁ道場破りパターンも、実は『ウルトラマンレオ』(74年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20090405/p1)の怪獣アンタレス編に前例を求められ、あのエピソードも宇宙人であるレオこと主人公ゲンと同僚の防衛隊MAC(マック)隊員たちとのどちらにも一理ありしかもエピソードの最後まで互いに和解しない(!)軋轢・葛藤が、オトナになってから見返すと実に深くて面白いのですが、怪獣アンタレス自身には人間態(少年)があるのにも関わらず人間的人格がないからなぁ(笑)。
 『レオ』といえば、通り魔タイプの宇宙人がいますが、あのパターンも巨大化特撮バトル場面ならぬ本編部分でのアクション面強化に貢献できますし、当時は仮に好印象がなかった視聴者やマニアが多かったとしても、洗練して活用してみれば、また魅力的な場面設定になりうるのではないでしょうか? ――その意味では平成『ウルトラセブン』(94年)「地球星人の大地」も、個人的には本スジたるストーリーも味わい深くてとても面白かったのですが、さらに人間時・等身大時のメトロン星人との格闘場面も設定して、1時間の長丁場の中盤でも活劇としてアキさせない展開になっていた点は大いに評価できます―― 脇道に切り捨ててきたとおぼしき、『レオ』の通り魔宇宙人の設定にも可能性があったという……。
 キャラにしろ設定にしろドラマにしろ、一方をオトしめ他方をタテるとかはせず、全要素を魅力的にして、ヒーローものの集大成にして、今のチビッ子の心をつかまんことを!


 その他に……。話によっては、敵に人格を持たせて、ワンシーンではなく全編を通して(等身大時でも特撮巨大バトル時でも)、テレパシーを用いて会話をさせながら、ドラマ(&バトル)を展開するのはドーでしょうか?
 『ウルトラ』の新たなドラマパターンを構築することができますし! ジメッとしがちなゲスト子役のドラマではなく(それもまたアジがあるのですが)、主人公(ウルトラマン)自身が傍観者ではなくドラマに直結できて、バトルにカモフラージュさせることで、子供たちにも高度なドラマや高尚なテーマを伝達できることと思います。
 あるいは、『グリッドマン』における改造怪獣の頻発から察するに、製作費の問題があるとするならば、それを逆手にとって、安く作れるウェットスーツのスマートなヒューマノイド型のカッコいい敵宇宙人とか、それの2世・Jr・弟の復讐劇を創造すればよいでしょう。「設定や製作条件は拘束されるものではなく、活用するためにあるのだ!」というテーゼにも従えばなおさらのこと……。
 夏休みは、宇宙でのウルトラ戦士総登場の仮面劇にして、人間側の役者のギャラを浮かすとか(笑〜60年代までなら南洋の孤島にエキゾチズム・ロマンを感じられたろうけれど、開発が進んで未開の孤島・大陸がなくなった70年代以降ではムリですよ。南洋じゃなくて遠宇宙のドコかの星や小惑星ならば、まだロマンを感じられるのでは?)。
 シリーズ後半は、ウルトラ一族の宇宙規模のバトル(宇宙伝説やウルトラキー&ウルトラベルなどのウルトラ伝説。あるいは内山まもるマンガ版(ASIN:B000J8L868ISBN:4091941214ASIN:4575935514ASIN:4091402410ISBN:4091087183)の、宇宙にはジャッカル大魔王や宇宙海賊スペースパイレーツの他にもまだまだ恐ろしい大魔王がいるというような世界観)と平行して、地球での話が進むとか。
 そして最終展開では、第1期ライダー最終作『仮面ライダーストロンガー』(75年)終章5部作みたく、先輩ウルトラ戦士が総登場! ……までは、今では多すぎるからやらなくてもイイけど(笑)、複数人は登場して画面的にも盛り上げて、ウルトラ戦士のドラマと地球人のドラマが大決着・大団円!
 もちろん、どちらかというと、比重的にもドラマのトリ的にも、地球人のドラマが優位に立つべきではあるけども……。
 過去、これを実現したのは、第3期『ウルトラ』作品TVアニメ『ザ☆ウルトラマン』(79年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971117/p1)終章4部作と、
 学年誌連載の内山まもる版『ウルトラマンレオ』終章(06年にコンビニ漫画『ウルトラマンレオ完全復刻版』として再刊・asin:409108575Xhttp://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061028/p1)の2作品のみ……
 (80年代前半に児童誌『てれびくん』で連載された居村真二の漫画『ウルトラ超伝説』(81年・82年に単行本化ASIN:B000J7LFBM・88・98年に大都社で復刊・ISBN:4886533647ISBN:4886531067)も名作だけれど、地球人がメインではない、超人たちのみのドラマなのでここでは別格にします)。


 これらによって逆に、従来パターンの話(いわゆフツーの怪獣もの……古代怪獣なり地底なり海底、火炎・冷凍怪獣なり)も、その存在と魅力が明快に対比され、クッキリと浮かびあがってくるかもしれません。
 配役には、東映メタルヒーローレスキューポリスシリーズ『特捜エクシードラフト』(92年)にドラフトレッダーで主演した、円谷プロ芸能部の影丸茂樹氏主演が予想されますが、W(ダブル)ウルトラということで、相棒にかわいい(?)リーゼント野郎の東映五星戦隊ダイレンジャー』(93年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20111010/p1)で青の戦士テンマレンジャー・将児をつとめた羽村英クンみたいなタイプはいかが! 近年いそうで意外にいない、『ウルトラマンエース』(72年)主人公・北斗星児(ほくと・せいじ)のような、『マジンガーZ』(72年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200119/p1)主人公・兜甲児(かぶと・こうじ)のような、熱血バカキャラクター!(彼は『私が愛したウルトラセブン』(93年)にも出演していて縁があるし)
 彼ならば、作風を下品(笑)、もといアクティブにできるハズ! マニア間での一般評価はともかく、『ウルトラ』シリーズ最高のキャラクターシフトは、突っ走る北斗・押える南・怒鳴り突っ込む山中(笑――信じる南・疑う山中)の、『ウルトラマンエース』前半が最高と信じる筆者は、彼のようなタイプをプッシュします。……熱血バカファイターがいないとドラマが走り出さないゼ。
 空想特撮だから、SFだからと高尚ぶらず、むろんホームドラマにもせず、煮え切らないものではなく、まずは見通しのよいシンプルでもツボを押えた感情ドラマを! その上で、プラスアルファなり、高尚な(笑)空想特撮なりセンスオブワンダーなりホームドラマなりアンチテーゼ編を!


 より完成度の高いアンチテーゼ編や社会派テーマの話を作るためにも、フツーの通常編を大切にすべきであると考えます。
 すなわち、フツーの回でレギュラーたちの人物像をしっかり確立して、シリーズも後半に至ってからテーマ編をやるのなら、そのレギュラー人物たちのテーマに対するリアクションも「いかにも」というムリのない、そらぞらしくない自然な説得力が出てきて、感情移入もできるという……。
 つまりは、レギュラーがテーマを自然に背負いこめるワケですが、そうではない段階でテーマ編をやると、そらぞらしくなると思うのです。
 特撮マニアによるアンチテーゼ編評価が確立した70年代末期以降に製作された、第3期『ウルトラ』シリーズの『ウルトラマン80(エイティ)』(80年)あたりから、『ウルトラマングレート』(90年)、『ウルトラマンパワード』(93年)に至るまで、そーいうアンチテーゼ編を過剰に重視してしまい、基本設定やレギュラー人物たちを確立すべき初期編のうちから、アンチテーゼ編や異色作を作りたがってしまうような本末転倒な傾向があるように思います(過去にそーいうタイミングでの異色作を、自分も評価していた自己反省も込めて)。
 『80』初期編早々で怪獣親子を助けたり(それも絶対にダメだとはいわないけど)、『グレート』#3で少年が新たな生命に進化してしまったり(笑)、『パワード』に至っては怪獣レッドキングジャミラザンボラーゴモラ編と、シリーズの1/3近くがシメッぽいアンチテーゼじみた話になる始末。『ウルトラ』シリーズの本質・魅力は、本当にそんなアンチ編にしかなかったのでしょうか?
 本来、初期編なりシリーズ前半は、フォーマット、ヒーローの能力・強さや、レギュラーの性格こそを中心に描くべきなのに、そーいう王道・屋台骨を忘れている末端肥大な風潮はよろしくないと考えてます。
 今の若いスタッフたちが『ウルトラ』を作るなら、極端な話、現状では2、3年アンチテーゼ編をやらずに王道の話ばかりにしてほしい。そこまでやって初めてキチンとしたアンチテーゼ編ができるのではないかと……。
 それに、筆者もマニアですから、人一倍アンチテーゼ編やテーマ編が大スキなのですが、でも振り返ると子供のころ、ただ単に強い怪獣が出てくるだけの話にコーフンしたことや、ウルトラ兄弟共演回がスキだったことも、厳然たる事実でありまして……。そーいう感覚も忘れてはイケナイと思うのです。むしろ重視すべきでありましょう。
 思春期のティーンが大挙して観る番組ではないのだし、まずは幼児から小学生が観る番組なのですから……。


 もしドーしても、アンチテーゼ編をやりたいというのなら、オウム真理教による地下鉄サリン事件以後の今日、慎重であるべきでしょう。教祖の麻原はともかく信者は、イヤ麻原でさえもトータルではともかく一理はあるハズで、おそらく彼らは要するにこの世の中を不純であり、また自分たちは社会から疎外されていると見てとったのでありましょう。
 弱者や少数者の悲哀。脚本家・佐々木守市川森一上原正三の世界。ただ、それが弱者に留まっているうちは悲劇にもなるけれど、それ(弱者や被差別者)がスジを通して力(武力)をもって、現実社会に挑戦してきたときにはドーなるか? 被害まで及ぼしたときにはドーするか? 故なきことではなく一理二理はあっても、かといって彼らの行動は許されるのか? 70年代によくあった弱者にスポットを当てたドラマの限界も、今回の事件で筆者は感じました。ただもちろん一定の理はあるのだけれど……あくまでも一定程度のものでしかなかったという。
 その点にもっとも敏感に反応したのが、市川森一でしょう。自身の作品群に、ニーチェ云うところの弱者のルサンチマン(怨恨)的危険性の要素をかぎつけたからこそ、あのような言動――ヒーロー作品がオウムを産んだ――をしておられるのでありましょう(むろん現在でも弱者への同情・共感は有効です。しかし弱者であるがゆえに無謬の絶対正義であるなぞという言説は過ちですらあるといえるでしょう)。氏の言動は極論ではあり、そのままイコールに受け取るワケにはいきませんが、それだけショックを受けたということであり、誠実なヒトなのでもありましょう。氏が明晰に言語化して認識しているかはともかく、たとえアンチテーゼ編であっても、王道活劇の危険性やヒーローの正義の危険性を撃ったつもりが、実はアンチテーゼ編自体が弱者や被差別者であればどんな反撃をしてもよいという、別種のダークサイドを正当化する可能性があったという……。
 むしろ、オウム後の今日では、アンチ・アンチテーゼ編(正→反→合のジンテーゼ編?)が望まれます。


 ヒーローが悪をやっつけることや、防衛隊のミリタリーという要素もダークサイドをたしかにハラんではいます。
 しかし、物語は毒をハラんでいるから面白く、またひかれてしまうという説もあるくらいでして……(古代ギリシャの哲学者アリストテレスカタルシス理論。人間自体も毒をハラんでいるが、適度な〈←これ重要〉毒を含んだ物語によって、毒の瀉泄・浄化も果たされるという)。
 ドラマ編はドラマ編でしっかりと。アクション編はアクション編で徹底的に。
 冒頭、ウルトラ兄弟からウルトラサイン……凶悪怪獣が地球に逃亡したから倒してくれってのが出て、あとはそれをいかに倒すかというだけの娯楽編とか。
 あるいはクライマックスバトルで、宇宙に逃げた怪獣を外宇宙から救援に駆けつけたウルトラ戦士と協力してやっつけるとか(『ザ☆ウルトラマン』後半ではよくやってましたけど……。次作『ウルトラマン80』でやらないのが子供心に大いに不満だった・笑)。……これも理論武装すれば、『ウルトラセブン』の防衛隊ウルトラ警備隊の設定の活かし方を、ウルトラ一族の宇宙警備隊にまで拡大敷延したものだともいえますが。
 仮に、新マン(帰ってきたウルトラマン)が客演するなら、そのときは登場時に主題歌イントロがかかったり、ラストバトルではNG主題歌(!)のもと、新マンにハナをもたせてトドメも刺させるとか、燃える演出を! そーいうアクションのカタルシスが最終目的の話も、年に数本はあってもイイと思います(むろん全話をそーしろなどという、単細胞な主張ではないつもりです)。


 ……一介のトーシロが、ズラズラと個人的妄想を書きつらねてしまい大変恐縮です。すでに『ウルトラマンネオス』の企画内容は決定済でしょうから、貴重な時間をこのようなたわごとに費やさせてしまいまして誠に申し訳ございませんでした。ただ、願わくばこれらの提言の一部分でも……、あるいは『ネオス』以降の作品において叩き台的な一助にでもなれば……などと厚かましいことを考えております(汗)。
 なにはともあれ、『ネオス』の成功を陰ながらお祈りいたしております。
 このテの番組は、空想の番組なのですから、イマジネーションの消去法に陥らず、単純比較してはイケマセンが、メリケンの地でも『ウルトラマンパワード』より『パワーレンジャー』(93年)の現状を覆し、子供番組の頂点に立ってほしいです。
 ……アッ、あとタイトルが『ウルトラマンネオス』だからって、ネオスばかりがトドメを刺さず、話によっては21がトドメを刺したり2人の合体光線だったりってのは最低限、実現してくれんことを(笑)。21だけ等身大で戦ったり、その逆をやったり。ネオスの最大身長200メートル巨大化も、字面だけの設定ではなくたまには本当に実現を。子供はそーいうことに大喜びしますョ。いや、ワタシはイイ歳こいて、もうそーいうことにはコーフンしませんけどネ……(←ホントかよ?・笑)。


(了)
(95年版『ウルトラマンネオス』に対して円谷プロファンクラブに投稿したもの(ボツ・笑)〜同人誌『假面特攻隊98年号』(97年12月28日発行)所収)


『假面特攻隊98年号』「ウルトラマンネオス」関係記事の縮小コピー収録一覧
・読売新聞 1994年11月23日(水) 30年目の新兄弟二人、来年デビュー
朝日新聞 1994年11月23日(水) 新ウルトラマン来年3月デビュー


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からかい上手の高木さん・上野さんは不器用・宇崎ちゃんは遊びたい! ~女子の方からカマってくれるアニメ3本評!

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[アニメ] ~全記事見出し一覧


 いわゆる「高木さん系」の決定版!? 『イジらないで、長瀞(ながとろ)さん』(21年)が放映中記念! とカコつけて……
 「高木さん系」の深夜アニメ3作品、『からかい上手の高木さん』(18年)・『上野さんは不器用』(19年)・『宇崎ちゃんは遊びたい!』(20年)評をアップ!


 ……いや、『イジらないで、長瀞さん』#1はガチで他人や弱者に対する共感性には乏しい加虐的な性格類型の少女のリアルを描いていて(!)、コレは原作マンガ自体がそーなのか? アニメ化の際にリアルな「演出」で肉付けしたモノゆえなのか? 浅学にして知らないけど、もっと志の低いネタに走ったお約束反復ギャグ作品なのかと思いきや……。マジでスゴい。ノックアウトされてしまいました(汗)。


からかい上手の高木さん』『上野さんは不器用』『宇崎ちゃんは遊びたい!』 ~女子の方からカマってくれる、高木さん系アニメ3本評!

(文・T.SATO)

からかい上手の高木さん

(2018年冬アニメ評)
(2018年4月27日脱稿)


 落ち着いてるけど少々コケティッシュな、栗色の髪を真ん中分けしたセミロングの女子高生・高木さん。彼女が片ヒジをついて傾げた小首を片手に乗せて、隣席の男子生徒をジッと見ているビジュアルが印象的だ。


 シニカルに解剖すれば、ある種の男子どもが女である自分の眼差しにテレてくれることで、広いイミで間接的・限定的に男子を手玉に取ってプチ・コントロールできるワケだから、彼女は自分のルックスや女性性にも自信を持てて、オボコい男子よりも精神的には優位に立てるだろう。
 あぁ何という不平等。近代的で対等な個人の付き合いとは程遠い。実に嘆かわしい。日本に「近代」がやってくる日は遠い。……などと思いつつ、筆者もこんなコが相手なら屈服して溺れて靴の底までナメてみたい(オイ)。


 とはいえ、彼女にはクラスの中心で君臨するギャル娘ほどの強さやコミュ力はナイし、運悪く付き合った男がDV野郎だったら反撃できずに精神的に支配されてしまう程度の強さしかナイようにも思える(私見)。コレは彼女のことをバカにしているワケではない。強すぎず弱すぎずもせず、ちょうどイイ塩梅だなぁと(笑)。


 ただし、キャラ造形はそれなりに秀逸でも、それだけで間が持つワケでもない。それ以外の面ではキャッチーさに欠けるようにも思えて、ワンアイデアだけの作品に留まっているとも私見。加えて、現在主流の萌え4コマの人畜無害な美少女キャラを愛するオタにもウケそうにはないけど、ニッチな鉱脈には思うので支持者は貢ぐべきだろう……と思っていたら。意外な爆死の「漫画タイムきらら」系の萌え4コマ原作の同季深夜の美少女アニメスロウスタート』をはるかに上回る6千枚超のヒットを記録!
DJCD「TVアニメ『からかい上手の高木さん』Presents からかい上手の高"橋"さんラジオ」

からかい上手の高木さんVol.1(初回生産限定版) [Blu-ray]
(了)
(初出・オールジャンル同人誌『SHOUT!』VOL.71(18年5月4日発行))


『上野さんは不器用』

(2019年冬アニメ)
(2019年4月27日脱稿)


 ラブコメ・ギャグ作品とでもいうべきか?


 大雑把に云えば、内向的な性格に分類される我々オタに近しそうな人種が住まう「文化系部活」――ここでは理系の「科学部」――。その部室に、女の子2名とさわやか安全癒やし系の中性的なハスキーボイスの小柄でオボコい黒髪少年が集っている。
 そして、そこでコジらせた自問自答の自意識を、「私小説」テイストで見せるのではなく、「ドタバタ悲喜劇」テイストとして見せるような作品である。


 基本は痩身小柄なオレンジ色髪でツインテールの美少女だけど、性格は三枚目でスットコドッコイな荒々しい言動をする上野さん。彼女はこの少年クンに対して秘かに――公然と?(笑)――好意を持っていて、部室でさまざまな遠回しでクドクドしいモーション(誘惑)を顔を真っ赤にして掛けてくる。
 頭デッカチで俗っぽい知識だけはあるので、思春期の男のコであれば同年齢の異性のソコかしこに性的刺激を受けるであろうと計算して、あの手この手を繰り出しもする。


 しかし、主人公男女が片方の告白を受け容れて相思相愛となって結ばれてしまっては、それまでの接近・離反・誤解といった「綱引き」の妙味を眼目とするこのジャンルの物語は終焉を迎えてしまう(笑)。
 そこで、ラブコメ作品の連載を継続させるための永遠の歌舞伎的様式美・作劇的本能というのかご都合主義で(笑)、少年クンは異性からの誘惑には「鈍感」であったりもする。


 コレが陳腐化してきたところで、新たに勃興してきたのが、空気や他人の言動に鋭敏ではあっても「照れ屋さん」であり、加えてオトナの度量の大きさで異性を受け止めて包容するだけの器量がナイばかりか、パニくってしまうであろう自身の小心さ&動揺を隠すために、何も聞こえていないフリをして、耳に手をあて「エッ!? 何だって!?」とふるまう、いわゆる「ヘタレ難聴」パターンである。


――告白者の女性キャラの方も赤面して、「もう、恥ずかしいこと二度も云わせないでよネ!(プンプン!)」……となる可愛いサマを見せることで、視聴者に「萌え感情」をも惹起させるので、作劇的には一挙両得ではある(笑)――


 で、本作の眼目は、水面下では相思相愛である両者の接近模様を描くのではなく、オレンジ髪ツインテ少女の一人相撲の滑稽さで笑いを取ることにある。よって、少年クンは無垢なる天然で、気付かないフリや難聴のフリではなく先祖返りの「鈍感」としての描写で徹底されていて、それはそれで絶妙にイイ味を出している。


 てなワケで、


 オレンジ髪ツインテのモーション → 少年クンの鈍感ボケ → オレンジ髪ツインテ


 以上の「赤面自爆」の連発で、楽しく鑑賞することができる佳作である。


 主演は少女マンガの深夜アニメ化『3D彼女 リアルガール』(18年)主演や、昨2018年も『魔法少女サイト』(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20201122/p1)・『異世界魔王と召喚少女の奴隷魔術』(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20201206/p1)などで主要キャラを演じた新進のアイドル声優芹澤優


 イジワルに引いた視線で作品を観れば、このオレンジ髪ツインテ嬢が耳年増なだけで手足身体が棒(笑)の未成熟なキャラデザ(もしくはヒラメ的・平面的な身体)だから、この誘惑失敗ギャグが成り立つし、怒って殴ってきても非力そうだから安全に回収されるのであって、アイドルアニメ『ラブライブ!』シリーズ(13年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20150615/p1)やら近年の『響け! ユーフォニアム』(15年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20160504/p1)などの京都アニメ作品のように、デッサン骨格・太モモに筋肉・躍動・バネも感じられるような性的・腕力的にも成熟した身体描写だったら、このギャグは成り立たないであろう。
TVアニメ『上野さんは不器用』オリジナル・サウンドトラック

上野さんは不器用
上野さんは不器用

上野さんは不器用

  • メディア: Prime Video
(了)
(初出・オールジャンル同人誌『SHOUT!』VOL.74(19年5月4日発行))


『宇崎ちゃんは遊びたい!』

(2020年夏アニメ)
(2020年8月11日脱稿)


 低身長で銀髪ショートカットだけど八重歯に奇形的な超巨乳の少女・宇崎ちゃんが、無口で無愛想で(ひとり)ボッチ気味な長身の先輩青年クンに明るくウザったくチョッカイをかけてくるのがキモの深夜アニメである。
 ググってみると、元々はツイッター媒体で展開していた個人連載マンガが商業媒体にスカウトされて、ついに深夜アニメ化されるまでに至ったモノ。


 通常、マンガやアニメにおいては「銀髪」は影のウスさや意思の弱さや理知的なイメージを象徴させるモノであり、小ナマイキさを示す「八重歯」やお色気要員であることを示す「巨乳」といった記号とは組み合わせにならないハズだけど、この作品では「銀髪」なのに「八重歯」と「巨乳」を掛け合わせたキャラクターデザインともなっている。


 いや、だから「スゴい!」とか「斬新だ!」とか云う気もまったくナイけれど(笑)。でもまぁ「黒髪」や「赤髪」の美少女がオトコにチョッカイをかけてきたら、やや重たいオンナ臭がするやもしれないので、それをウスめるためには「銀髪」がちょうどイイのかもしれないネ――金髪の場合は華麗なオンナ臭が強まってサバサバ臭が出ないかも――。


 まぁ基本はおバカな作品なので(失礼)、そのへんを意識化・言語化・理論化してキャラデザしたともツユ思わないし、作者が本能的・直感的・フェティッシュにデザインしていったらこうなっただけだとは思うけど。


 いわゆる女子の方からコミュ力弱者や頼りない系の男子クンに声をかけたりチョッカイを出してきてくれてコミュニケーションが始まる『からかい上手の高木さん』(18年)の系列が近年流行っているけど、この作品も広い意味ではその類い。
 ググってみると……「高木さん系」という用語がすでにあり、同工異曲のマンガが数十本も出現している事実にブチ当たる(爆)。


 で、この作品を評価する方々にはスイマセン。筆者にはワンアイデアだけの出オチ作品、さしたる物語的膨らみもキャラ的膨らみもない作品に思えてイマイチです(汗)。
宇崎ちゃんは遊びたい! 1-5巻セット (ドラゴンコミックスエイジ)

(了)
(初出・オールジャンル同人誌『SHOUT!』VOL.77(20年8月15日発行))


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2020年夏アニメ評! 『宇崎ちゃんは遊びたい!』 ~オタクvsフェミニズム論争史を炎上作品のアニメ化から俯瞰する!?(長編論文)

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『イジらないで、長瀞さん』放映中とカコつけて「高木さん」系アニメ3本評!
#からかい上手の高木さん #上野さんは不器用 #宇崎ちゃんは遊びたい



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7SEEDS・A.I.C.O. Incarnation ~NETFLIXお下がりアニメ2本評!

『ULTRAMAN』 ~人間サイズの初代ウルトラマン・セブン・エース型強化服vs人間サイズの宇宙人! 高技術3D-CGに溺れない良質作劇! 歴代作品へのオマージュ満載!!
『天気の子』『薄暮』『青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない』 ~「天気の子」は凡作なのでは!? 2019年初夏アニメ映画評!
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 動画配信サービス・NETFLIX(ネットフリックス)にて先行配信されていたアニメが地上波にお下がりで、昨2020年末には『HERO MASK Part2』(19年)が一挙放映、21年冬アニメでも『7SEEDS(セブンシーズ)』2期(20年)が放映完結記念! とカコつけて……
 NETFLIXのお下がりアニメで昨2020年に放映された2本、『7SEEDS』1期(19年)と『A.I.C.O. Incarnation(アイコ インカーネーション)』(18年)評をアップ!


7SEEDS』『A.I.C.O. Incarnation』 ~NETFLIXお下がりアニメ2本評!

(文・T.SATO)

『7SEEDS(セブンシーズ)』

(2020年冬アニメ)
(2019年夏配信)
(2020年8月11日脱稿)


 2020年冬季の昆虫パニックもの(?)かつサバイバルものでもある深夜アニメ。


 アレ? 同時期に封切された同じく昆虫パニックもののアニメ映画『巨蟲列島(きょちゅうれっとう)』(20年)とネタがもろカブりやないけー! ……とは思ったモノのググってみると、本作『7SEEDS』の方は製作は先であり、実は昨2019年夏に世界的な動画配信サイト・Netflix(ネットフリックス)にて配信された作品の地上波へのお下がりなのであった(笑)。


 暗室でハッと眼が覚めた黒髪オカッパの少女が、扉から懐中電灯で照らしてきた姉御肌の女性に「沈みそうだから、早く来なさい!」と命令されて外に出るや、そこは夜の嵐の中で翻弄されている船舶! テント付きのボートに乗り移って漂着した先での無人島(?)で、襲いかかってくる巨大昆虫を相手に10人弱の青年男女がサバイバルを繰り広げていくといった内容である。


 そして、往年の名作SF洋画『猿の惑星』(68年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20171107/p1)パターンで、この世界は天体落下で人類が滅んだ世界であり、7人ずつ5チームに分けた若い男女が選抜、拉致されて日本各地で冷凍睡眠の果てに目覚めた終末世界なのであった……。


 通常、怪獣・怪人・ヒーローを題材とした作品では「アクション」がヤマ場となる。しかし、ゾンビものやパニックものといった作品群はそれらと比するとやや「人間ドラマ」寄りである。本作もいかにして敵の化け物を倒すのか? この世界はどうしてこうなってしまったのか? といった要素がありつつも、青年男女たちの極限状況下でのムキだしホンネの人間関係や性格悲喜劇といった要素の方も印象に残るモノとなっている。
 モラルがあるヤツ、モラルがウスいヤツ。しかしてモラルがウスいがゆえに他集団の悪意を察知できて、味方集団を窮地から救ってみせるような逆説劇まで描いてみせている。


 加えて、サバイバル作品なのに、チーム中でも一番体力的にも劣っていて気も弱そうでボッチ気味な黒髪オカッパ少女が主人公! よって、実際に戦っているのは周囲の男性キャラや先の姉御肌キャラであって、彼女は足手まといにもなっている。
 行軍中にコケたりすると、姉御肌の女リーダーに「ドジっ娘を演じて男に助けてもらおうと媚びるのはやめなさい!」(大意)などと糾弾されたりしてしまう。彼女はロリ可愛いけどそれをハナにかけたりはしていないし、単に素で意志薄弱でトロいだけなのに(爆)。


 とはいうものの、ストーリー展開以前のこーいう描写がフック・引っかかりとなって、視聴者の感情移入の端緒を作っていることも指摘しておきたい。


 ググってみると、原作は2001年スタートで、「別冊少女コミック」連載の長寿マンガだとのこと。少女マンガ!? たしかに絵柄的には少女マンガだけれども……。内容は本格的だし面白いしウェルメイド。


 よくよく原作マンガ家のご尊名を拝見してみると、文明崩壊後の遠い未来で『三国志』状態の争乱に陥った日本を舞台にした、本邦初のUHFアニメ(!)とも称されている深夜アニメ『LEGEND OF BASARA』(98年)の大ベテラン・田村由美であった!


(後日付記:21年冬アニメとしても放映された同作第2期も、7大チームの大群像劇といった体に変化していくけど、実に面白いストーリーテリングに滋味あふれる人間観やリアリティーショー的な人間関係シミュレーションにも仕上がっている! 余力があったら詳述してみたい……)
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(了)
(初出・オールジャンル同人誌『SHOUT!』VOL.77(20年8月15日発行))


『A.I.C.O. Incarnation(アイコ インカーネイション)』

(2020年夏アニメ)
(2018年3月配信)
(2020年8月11日脱稿)


 近未来的な清潔な街の防壁の外側には、人外の化け物チックな人工生命たちがウヨウヨと跋扈して非常に危険であるらしい近未来の日本が舞台。
――ググってみると、街の外の世界すべてが怪物に埋め尽くされているワケではなく、北陸は黒部峡谷にだけ割拠しているようだけど、序盤の完成フィルムからはそうは感じ取れなかった(汗)。まぁ序盤でだけ誤認をさせようというフェイク演出やもしれないけど――


 リハビリしつつ病院から車イスで学校に通う15歳の可憐で健気な黒髪オカッパの制服女子高生・アイコちゃんから物語はスタート。


 その病院で少し陰があるけどストイックそう、かつハンサムな制服高校生少年クンとも一度ゴッツンコして、お姫様抱っこで助けてもらう。


 そして学校に転入してきたのは先のカレ! 驚きのあまりに、彼女は両脚で立ち上がれてしまう!(笑)


 安直といえば安直。だけれども、#1冒頭では人外との絶望的な超常バトルが描かれていたので、元からそーいう超常要素があると、あるいは美麗な作画・背景美術・演出が作品の品位を上げてくるのか、「アリエナイ!」「安っぽい!」といった感慨はあまり浮かんでこない。むしろ、「少女マンガの王道」&「囚われの姫君を助ける少年活劇の王道」、両者のイイとこ取りといった印象も醸してくるのだ。


 夕景の放課後、ふたりが部活動の「折り紙部」(笑)で紙ヒコーキを飛ばしているヒューマンな描写を挟んで、その後日に亡き家族を偲んでアイコちゃんが実家をひさしぶりに訪れるや、彼女を拉致しようと迫る悪いオトナたちの魔手が迫ってくる!


 危険を察知した高校生少年クンはアイコちゃんをまたまたお姫様抱っこで逆奪取! 未成年なのに無免許運転で住宅地を逃走して、壮絶作画(CG)によるカーチェイスのヤマ場でも魅せてくれる。


 制服高校生の兵士を描いた往年のラノベ原作深夜アニメ『フルメタル・パニック!』も一瞬想起させるけど、有刺鉄線を越えた先のスラム街に逃げ込むと敵は追ってこない。そこで出会ったムサいオジサン・オバサンたちに彼女は自身の身の真相を知らされる……。


 彼らに不意に鈍器で殴られてもビクともせず、殴打された彼女の顔面に青黒いヒビが細かく入ったモノのすぐに修復されていく映像がショッキング!――この時点では彼女はロボットなのかサイボーグなのかも判然としないけど、ホントウの身体を直すために人工生体ボディーに脳だけを移植した存在である……とあとの回では明かされる――


 とはいえ、彼女も彼女で少年クンやオジサンたちを信用しきれず――それもそうだ(汗)――、#2以降ではこのアジトを脱走するなど、ストーリー展開も撹乱させつつ物語を紡いでいくことで、#1と比すると#2以降はややツカミに欠ける気もするけど、ていねいに作品世界を見せていく。


 事故で死んだとばかりに思っていた家族の生存可能性、その家族が人外が巣喰っている土地の中心地にいることもほのめかされることで、彼女に「動機」&「目的」を与えていく作劇も実に手堅い。


 虚淵玄(うろぶち・げん)脚本の深夜枠の巨大ロボットアニメ『翠星(すいせい)のガルガンティア』(13年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20140928/p1)や、野崎まど脚本のSFアニメ『正解するカド』(17年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190929/p1)など、本格志向の作品を手掛けてきた村田和也が監督。


 ググってみると2年も前(2017年)にNetflixで配信されたアニメの地上波初放送作品であった。ググる過程で糞アニメだとの文言もまとめサイトのコメントでチラ見したけど(笑)、序盤を見るかぎりではハイソな映像に加えて語り口にも拙さはナイので、最終回までその出来を確認してみたい。
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(了)
(初出・オールジャンル同人誌『SHOUT!』VOL.77(20年8月15日発行))


『A.I.C.O. Incarnation』 ~完結評

(2020年11月15日脱稿)


 病院でリハビリしながら車イスで学校に通う15歳の健気な黒髪オカッパの制服女子高生・アイコちゃんが主人公。彼女が住まう街と黒部峡谷との間には万里の長城があって、彼の地に住まう怪物たちから侵入を防いでくれる壁にもなっている。
 ナゾの転校生少年との出会いで彼女は歩行ができるようになり、自身を悪人の魔手から匿ってくれた郊外のスラムに住まうアウトロー集団との出会いで、彼女は生き別れた家族が怪物の住まう黒部峡谷の深奥部に生存している可能性を知らされる。
 三者三様の思惑を秘めて、彼らは怪物と戦いながら徐々に峡谷を突き進んでいき、途中の廃施設に残された資料やメンバーの述懐などから、この世界の真相と怪物(人工生命)が誕生した理由がヒロイン・アイコの過去にも密接にカラんだものであったことが明かされていく……。
 さらには怪物が最新技術の産物でもありうまく飼い慣らせば諸外国に対するアドバンテージになるけど一線を超えれば破却も辞さない、政府や官公庁のイザとなればドチラにでも転がすつもりの綱渡りポリティクスも描かれて……。


 世界規模での大配信サイト・NETFLIXに食い込んで製作したアニメでもあるから、高予算で作画も背景美術も高精細である。#1や序盤のツカミも強くて教科書的にも良くできている。
 平凡な日常とは無縁に生きてきたアウトローのプロ集団にも、無骨で頼もしいオジサンや姉御に未熟さを残すもプロではある10代の少年少女も配してキャラクターシフトも斜線交錯させて多角的にもしている。
 彼らがスケートのように大地や岸壁を失踪する強化スーツメカを駆って怪物たちとスピーディーなバトルを繰り広げることで、アクション面も充実させている。


 主人公少女は実は致命傷の重傷を負った身体を治療するために、脳以外は本人も気付いていない人工生体であることが判明。そして、本来の身体はやはり峡谷の中核に保存されているけど、彼女の脳や記憶をコピーしたホンモノと寸分違わぬ人造脳と接続するかたちで治療がなされているという。
 しかして人造脳とはいえ、すでに自我や実存まで持ってしまった存在をモデルとなった人間(主人公少女)を救うための犠牲・踏み台にしてもイイのか? という議題も浮上してきたところで、その真相をさらに二転三転させていく。


――巨大量子コンピューター内での膨大な計算で構築された現実世界の写し絵としての仮想世界内の人々が、自身も生きていると感じて独自の人生を歩みはじめた場合に、その自律的に変容していくデータの消去は倫理的にも許されることなのか!? という議題を提起した昨2019年秋のセル画ライクなCGアニメ映画『HELLO WORLD』とのテーマ的な相似もつい想起――。


 まぁまぁ面白いし充分に及第点ではあるけれども、コレは作品自体の罪ではナイことは重々強調しておくけど、ジャンル作品を膨大に観すぎてあまたの作劇パターンが見えてきてしまうスレたマニアであれば、二転三転の果てのオチが推測できないこともナイ。ただしまぁ、こんな物言いでは「自分語り」になってしまって、純然たる「作品批評」でもなくなってしまうけど(汗)。


 本作は大スジにしろオチにしろ妥当であり、水準以上の作品ではあると思う。しかし、シリーズ中盤以降はやや失速した印象も受けてしまう。おそらくチョットした肉付けとパワーと勢いが少々欠如していただけなのではあろうけど。
 もちろん本作にかぎらず序盤は神懸かった吸引力はあっても中盤以降でダメではないけどイマ半な感慨を抱かせる作品の方が多数派ではある。ケナしたくはない良心作だけれども、諸手を挙げてホメたり他人に自信を持って薦めるほどでもナイ。そんな作品に留まってしまったようにも思えて実に惜しい。
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(了)
(初出・オールジャンル同人誌『DEATH-VOLT』VOL.86(2020年12月20日発行)所収)


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7SEEDS』2期が再放送中! とカコつけて、NETFLIXお下がりアニメ2本評!
#7SEEDS #AICO #アイコ



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純潔のマリア・リヴィジョンズ・ID-O・コードギアス 復活のルルーシュ ~谷口悟朗監督作品アニメ4本評!

『天気の子』『薄暮』『青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない』 ~「天気の子」は凡作なのでは!? 2019年初夏アニメ映画評!
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 実力派・谷口悟朗監督による2021年冬の深夜アニメ『バック・アロウ』が2クール放映中! 同じく21年冬の深夜アニメ『スケートリーディング☆スターズ』の方は完結記念! とカコつけて……
 谷口悟朗監督によるアニメ4本、『純潔のマリア』(15年)・『revisions リヴィジョンズ』(19年)・『ID-O(アイディー・ゼロ)』(17年)・『コードギアス 復活のルルーシュ』(19年)評をアップ!


純潔のマリア』『リヴィジョンズ』『ID-O』『コードギアス 復活のルルーシュ』 ~谷口悟朗監督作品アニメ4本評!

(文・T.SATO)

純潔のマリア

(2015年冬アニメ評)
(2015年4月27日脱稿)


 純潔(処女)で聖母マリアと同じ名前なのに魔女! という存在自体が不謹慎(?)な少女が主人公。


 戦争が大キライな彼女が、中世末期の英仏百年戦争のフランスを舞台に――アルプスより南ではもうルネサンスの時代だけど(汗)――各地の戦場で異教(キリスト教以外)の巨大怪物たちをその魔法で召喚! その都度、英仏両軍を驚愕させて退かせる。


 まずは胸の谷間や両肩に背中を露出した現代風の黒革ボンテージを身にまとったSMの女王さまみたいな魔女像が中世にあるのかヨ!? と一応はツッコミ。だが、そこはあくまでも虚構作品。マンガ的な絵から入る「キャラ立て」であって、問題ナシだと私見したい。


 問題ナシではあるけれど(?)、ボリュームのある金髪ショートの主役魔女の少女は、お眼めがデカくても若干吊り目でややクセのあるキャラクターデザイン。
 本作はオタク系というよりかはマニア系といえる月刊「アフタヌーン」誌の連載マンガが原作である。それゆえに当世風の萌え媚び絵柄の文脈を考慮していないのは吉か凶か?
 しかし、領主様の伝令を務めている青少年クンに対しては、ちょっとテレたりしてみせる性格的な弱さやハニカミもあるので、我々のような弱いオタク男子的にはそこが少々の取っつきやすさの救いにもなるのだけれども(笑)。


 その逆に、


・主人公少女の「使い魔」なのにナゼか年上で(笑)、主人公が処女であることをからかう、極小の包帯水着(?)をまとった露出度大のナイスバディーで銀髪ロングの淫魔のお姉ちゃん
・金髪巻き巻きドリルツインテールのイギリス魔女の美女
・そして、フランス魔女組合の年若い魔女たち数名……


 彼女らはキャラデザ的にもアクやクセは少なく吊り目でもなく端正なので、我々萌えオタ的にも抵抗ナイよね?(笑)――結果的に彼女らの中ではクセのある絵面の主役魔女少女がビジュアル的にも立ってくる?――


 以上はいわゆるマンガ・アニメ的な虚構パートでのキャラデザ面でのお話。



 だがそれ以外は、本格歴史モノの大作映画もかくやといわんばかりの緻密な絵作り!


・貧しいけど慎ましい中世農民の衣服・住居・農耕・村落
・馬上のヨロイ騎士に率いられたヤリとタテを持った徴発歩兵と傭兵たちの行進


・従軍神父さんによる開戦直前のお説教や祈祷(きとう)
・弓矢の雨アラレ!
・刀剣での歩兵同士の乱戦!


・西欧中世社会の典型を象徴もしている、魔女マリアと私的に関わってもいる貧しく慎ましい農家の家族たち
・善人ではあるもその時代相応の身分意識はあり、領地安堵のためには政治的なふるまいもせざるをえない領主と、前述した伝令をもっぱらとしている家臣の青少年
・傭兵たちと行動をともにする娼婦たち
・町の金髪青年修道院長さまと少年修道士


 このテの作品の常で、「よくお勉強しましたネ」的な内容に留まって「物語」としてはウマく昇華ができていないのに、扱っている題材やディテール面での歴史的な正確さだけで作品をホメてしまったり、『まおゆう魔王勇者』(13年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200126/p1)や『狼と香辛料』(08年)などもそーだったけど、「エラいヒトの学説を当てハメま評!」(笑)みたいな、作劇面での巧拙を論じずに作品外の歴史蘊蓄トークを得意げに披瀝する本末転倒なプチインテリオタクが跋扈しそうでもある(汗)。


 だが本作は、設定倒れや役割人物像だけの作品にも陥ってはいない。主要人物各々の人生を紡ぎつつも、それぞれが対角線の関係でも交わって因縁&人間ドラマを織り成してもいく。


 そして、あまたの「反戦平和」のお気楽な作品群とも異なっているのだ。
 たとえ魔女マリアの善意からではあっても、知恵のない直情的な戦争仲裁で、稼ぎにありつけなかった傭兵たちは村々の略奪を開始する! フランスの勝利で海の彼方へ放逐できたかもしれないイギリス兵の反撃をも招く!
 実は彼女の行為が戦争を長引かせてもおり、領主による庶民たちへの新たな徴兵が発生している逆説・皮肉までをも描いていく八方ふさがり……。



 そんなマリアの行為を、それぞれ異なる理由で見咎めてくる「地の教会」――地上のキリスト教会――と「天の教会」――天上世界の大天使ミカエルに、天の父ことユダヤキリスト教的な一応の唯一絶対神!――。
 あげくの果てに、今や落ちぶれて森の奥に逼塞(ひっそく)している、キリスト教普及以前のゲルマン・ケルトの土着の神々までもが登場してきて、マリアと抗争や禅問答を繰り広げて、「マリアの行為の是非」、「秩序と自由という実は相矛盾している2大原理の相克」、「全知全能かつ天地創造絶対神がいるのならば、不幸はナゼにあるのか?」といった議題までもが輻輳(ふくそう)されていく。


 最終的には魔女マリアは大天使ミカエルとも対決!


 あぁ、「天」や「神」を「国家権力悪」に見立てて、「反体制」や「反権力」でありさえずれば、その内実の正否は何も問われずに即「正義」扱いとされて、「オレ、カッケェェェーー!」みたいな、それはそれで今ではあまりに陳腐凡庸で害毒もある善悪逆転観のオチかよ……と思いきや。


 「天」や「神」を汚れキャラにするのでもなく、魔女マリアこそが道徳的な最終勝利者でもナイ、第三のオチがそこには待っていた!


 それまで本作に登場してきた大人数キャラクターの証人喚問の末に、彼女を――キリスト教新約聖書的な意味での――「善き隣人」だと認めつつ、互いに妥協させる大岡裁きは、狡猾な大天使ミカエルの条件闘争での作戦勝ちだったとも見えなくはない。
 「戦争廃絶」をめざしてきた彼女が、大空を超高速で雄飛して武具をも飛ばしてみせる「魔法」という戦略的機動力を失って、好いた男と結ばれて身の丈のできる範囲で今後は理想をめざしていくというオチも、それまでのストーリー展開や彼女の言動とはやや不整合があるようにも思えて多少腑に落ちないところもある。しかし、ミクロでのアット・ホームな幸福もドコかで求めていた彼女がココで報われたようでもあって感涙……。



 エッ、魔女マリアと農民少女を除いて、神父さまや傭兵や娼婦や領主さま他ほとんどのキャラクターは、原作マンガには存在しない、深夜アニメ版のオリジナルキャラクターだったの!? ナ、ナンダッテェェェーー!


 魔女マリアの純潔(=魔力)を傭兵にけしかけて奪おうとした青年修道院長(爆)も、彼女への異端審問での「何もしない神ならば、存在しないのと同じだ!」という魔女マリアの反駁に啓発されて、「神の存在証明」を唱えた神学者トーマス・アキナス、「理性による神の存在証明の不可能性」を唱えたオッカム、「実在論」――「普遍」が実体として存在する――と「唯名論」――「普遍」とは名称・概念としての存在にすぎない――の神学論争も経由して、「普遍」よりも「認識」こそが存在・実在・本体であるのだと後世の哲学者・デカルトみたいな「神の否定」の一歩手前にまで至るも、「神を否定しない範疇での自由意志」を肯定した古代末期の異端教父・ペラギウスに先祖帰りする自問自答を早口60秒間でまくしたてて、エビ反りして知的恍惚に浸っていた青年修道院長クン。


 最終回、「天は地上に不干渉」という自説を固めたその青年修道院長クンの眼前に、大天使ミカエルが別用(爆)で降臨してくる。自説とは矛盾する超常現象に遭遇して「アリエナイ!」と狂乱させるイジワルな作劇もサイコー!(笑)



 「より長大で歴史的な時間尺度の中では、大天使ミカエルもまた、いずれは消滅はせずとも“過去の遺物”と化して連鎖していくだけだ……」という趣旨のことを、欧州先住のゲルマン・ケルト神話の神々であろう存在に語らせて、神々や宗教の存在を相対化しつつも条件付きで肯定もしてみせているようでもある、作り手の思想的な達観もダテではない。


 2015年冬季のベストアニメだと私見するけれども残念、円盤売上は爆死なのであった(汗)。
純潔のマリア

純潔のマリア

純潔のマリア

  • メディア: Prime Video
Philosophy of Dear World(アニメ盤)
Philosophy of Dear World(アニメ盤)

Philosophy of Dear World(アニメ盤)

  • アーティスト:ZAQ
  • 発売日: 2015/01/21
  • メディア: CD
(了)
(初出・オールジャンル同人誌『SHOUT!』VOL.64(15年5月2日発行))


『revisions リヴィジョンズ』

(2019年冬アニメ)
(2019年4月27日脱稿)


 フジテレビ「ノイタミナ」枠に続く第2の深夜アニメ枠「+Ultra(プラス・ウルトラ)」の第2弾は、『無限のリヴァイアス』(99年)・『スクライド』(01年)・『プラネテス』(03年)・『ガン×ソード』(05年)・『コードギアス 反逆のルルーシュ』(06年)などの今やベテラン実力派監督・谷口悟朗が登板した。


 一応は巨大ロボットアニメに分類されるのだろうけど、楳図かずおの名作マンガ『漂流教室』(72年)やら名作深夜アニメ『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』(11年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20191103/p1)あたりの現代的な換骨奪胎版だともいえはする。しかし、筆者には「ヒーローになりたい正義感はあるけど、空気(文脈)が読めておらず虚栄心も満々(汗)なので独善的な行動を取るイタい熱血少年」を主人公に据えていたマンガ原作の巨大ロボットアニメ『鉄(くろがね)のラインバレル』(08年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20090322/p1)をキチンと上手に作ったバージョンに思えた(笑)。


 映像的には同季の2019年冬の深夜アニメ『バンドリ!(2期)』(19年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190915/p1)や『荒野のコトブキ飛行隊』(19年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20201101/p1)に、ちょい前の『シドニアの騎士』(14年)や『蒼き鋼のアルペジオ -アルス・ノヴァ-』(13年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190922/p1)と同様に、手書き作画ではなくセル画調のCGでキャラクターを動かしている。個々人の好みではあろうけど、筆者個人は本作も含むコレらの作品の人物芝居部分に過剰な違和感を抱いてはいない――アニメ業界を描いた深夜アニメ『SHIROBAKO』(14年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20160103/p1)で若いアニメーターたちが心配したように、遂にアニメーター大失業時代も目前到来か!? と心配はするけれども(汗)――。


 小学生時代に仲良しグループで集団誘拐されて、未来人の戦闘美少女に救出されて、将来に待ち受ける災厄を警告されるも、高校生となって同世代の男女との身近な交友関係の中で「モテ」や「虚栄心」や「オイシい目」に会いたいなどという青春期特有の俗事にウツツを抜かしている友人たちは「アレは夢まぼろしであったのだ……」と、いつまでも子供時代の過去にこだわっている主人公青年をバカにしている。
 ここで通常の物語だと、「怪獣」や「幽霊」などの非現実的な存在をバカにする連中がイタい目を見て、信念を貫き通した方が劇中では正しかった! となるモノなのだけど、この作品は先にも述べた通り、そこにヒトひねりを加えている。
 「事実」面では彼の認識やこだわりが正しかったのだとしても、当の少年の「メンタル」面にはカナリ偏りや選民意識もあって問題アリ! と屋に屋を重ねる作劇でもあるあたりが実に面白いのだ――この少年の言動には、筆者なぞもオモテにこそ出さないけど内心では似たようなことを考えてもいるので(爆)、我が身を相対化されてしまって耳がイタいところもあるけれど(汗)――。


 かの未来人戦闘美少女とも再会を果たすも、その彼女は小学生時代に救出してくれた彼女よりも前の時点(!)での彼女らしくて(汗)、彼女は少年たちを知らないあたりで、ディスコミュニケーションなドラマも構築。


 渋谷駅周辺がまるまる荒野化した未来へ転移することで、渋谷区役所や警察署に自治会などのオッサンたちも大活躍! 彼らもスクランブル交差点に集っていた烏合の衆である庶民・大衆・愚民の皆さんや、ナゾの敵勢力に対して懸命に対処することで、物語の序盤では怪獣映画『シン・ゴジラ』(16年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20160824/p1)的なリアル・シミュレーションの妙味も出せており、少年少女ばかりが活躍していて、往年の「大人は悪だ! (30歳以上は)信じるな!!」(笑)的な陳腐凡庸さはナイので、世界観や人間観も狭くない。
revisions リヴィジョンズ BD-BOX [Blu-ray]

(了)
(初出・オールジャンル同人誌『SHOUT!』VOL.74(19年5月4日発行))


『ID-0(アイ・ディー・ゼロ)』 ~谷口悟朗×黒田洋介×サンジゲン! 円盤売上爆死でも、宇宙SF・巨大ロボットアニメの良作だと私見

(2017年12月13日脱稿)


 遠未来の遠宇宙を舞台にした、原作なしの巨大ロボアニメ。といっても戦争状況を描く作品ではナイ。
 往年のOVA『おいら宇宙の炭鉱夫』(94年)みたいな、無骨なワケあり海賊まがいの家族的小集団が、陰謀で鉱石発掘中に宇宙に捨てられた学生少女を救ったことから、同業の大企業や惑星連合との抗争に巻き込まれて、マクロはこの世界の星間文明を成り立たせる超光速航法を可能とするオリハルコンもといオリハルト鉱石のヒミツ&危険性、ミクロは記憶喪失の主人公青年が自身の忌まわしき出自を探る物語をパラレルで進行させていく。


 かつては下請けCG屋で、今やセル画ライクでも手描きではない艦隊戦アニメ『蒼き鋼のアルペジオ -アルス・ノヴァ-』(13年)や巨大ロボットアニメ『ブブキ・ブランキ』(16年)などを元請けで手掛けたサンジゲンが製作したフルCGアニメ。


 一応の本格SFモノだともいえるけど、それだけではマニアックにすぎて絵的にも色気がないし、今のオタにはウケないとでも思ったか、


・学生のメインヒロインは頭はイイけど慌て者で、茶髪のボリュームもウスくてショートでデコ出しのキューピーちゃん髪型(?)のロリ系童顔少女
・海賊船まがいの宇宙船のオペレーターも小柄なウス青グレー髪のメガネっ娘
・オリハルト鉱石が人間化した少女などはハッキリとピンク髪の幼女!


に設定していて手ヌカりがナイ!?


 巨大ロボットも人間搭乗型ではナイ。『攻殻機動隊』(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20170510/p1)ライクに人間の精神活動も電気信号に還元できるのであれば、ロボットの電脳にコピーして人間は休眠状態とし、ロボでの活動が終わるやその間の記憶を人間に戻して、活動中にロボが破壊されても人間は死ぬことなく、死の瞬間のトラウマを継承することもナイ。
 とはいえ、人間を休眠させずに巨大ロボと並行稼働も可だろとか、同一個人の精神データを多数の巨大ロボに同時コピーも可だろとのツッコミの余地はあるけれど、そこまで描くと煩雑だし、この作品の主題とは乖離するから、そこに頬かむりしたことは正解には思うのだ。
 あと、巨大ロボの動きは人間そのもので巨大感はさしてナイけど、その世界観からいってもコレで正解ではあるだろう。


 無骨なメガネの学者風情のラスボスも登場して、この世界の高度文明を成り立たせる鉱石の「ヒミツ」と、記憶喪失かつ肉体も所在不明か消失してしまった主人公青年の「ヒミツ」も、イイ意味でのお約束かつご都合主義で実は「同一のヒミツ」であった! として収斂していくけど、物語作品一般のウェルメイドな符合感を醸すのにはこのテに尽きる!(笑)


 その過程で明らかになる、主人公青年の記憶喪失以前の非人間的で、自身の妻子さえをもモルモットにするような冷徹・酷薄極まりない人格。ラスボスこそが世界を守ろうとして、主人公青年の前世(?)こそが危険なマッド科学者の悪党じゃん! という逆立ちした展開となっていくのが、この作品の秀逸なところでもある。


 もちろんエンタメとしてのカタルシスも確保する都合上、ラスボスにもやはり改めて邪な面を持ってもらい、現在の主人公青年はかつてのマッド科学者とは連続しつつも、別人としての人格を育んだ独立した存在であるとも位置付けて、最後の対立構図を巨大ロボvs巨大ロボに持っていくことで、巨大ロボものとしての仁義も立ててみせている。


 監督はともに名作である『コードギアス 反逆のルルーシュ』(06年)や『無限のリヴァイアス』(99年)などを手懸けた谷口悟朗。脚本も『リヴァイアス』や『機動戦士ガンダム00(ダブルオー)』(07年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100920/p1)などの黒田洋介で、今ではともにベテランだけれど、その実力をいかんなく発揮したというのが筆者の認識。


 しかし、円盤第1巻の売上は600枚弱の爆死。500枚弱の同季2017年春の本格SFアニメ『正解するカド』(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190929/p1)の不人気同様、日本のロボットアニメやSFアニメの未来は暗い……(笑)。
オリジナルアニメ『ID-0』OP主題歌「ID-0」(アニメ盤)

オリジナルアニメ『ID-0』OP主題歌「ID-0」(アニメ盤)

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  • アーティスト:佐咲紗花
  • 発売日: 2017/04/26
  • メディア: CD
ID-0 Blu-ray BOX 特装限定版

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  • 発売日: 2017/08/29
  • メディア: Blu-ray
(了)
(初出・オールジャンル同人誌『SHOUT!』VOL.70(17年12月30日発行))


アニメ映画『コードギアス 復活のルルーシュ

(2019年4月27日脱稿)


 2006年と2008年の全2期で放映された当時の覇権アニメ『コードギアス 反逆のルルーシュ』(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20081005/p1)。


 優勝劣敗の英米流「新自由主義」を戯画化した「大英帝国」モドキによる占領下で、「爆弾テロ」で抵抗を続ける「日本人」を描いて、当時の「イラク戦争」をも想起させた本作。良くも悪くも第2次大戦戦勝国では抵抗のシンボルにすらなる「ナショナリズム」が、敗戦国の日独などでは絶対悪とされたことで、本作でも大英帝国は敵役だけど、独立抵抗運動に「日の丸」を掲げることでキナ臭さも漂い、しかしてコレならタブーも正当化できるような背徳感もブレンド、作品の構図に安直な勧善懲悪ではない複雑性をも与えていた。


 極め付けは日本独立運動の首魁に収まる黒仮面の男の正体! それは母を殺され廃嫡されたことで父皇帝に復讐を誓う、東京の英国租界で正体を隠して暮らす、戦災で死んだハズの大英帝国第11皇子の少年主人公! 彼は天才的な戦略眼とナゾの少女に授与された制限ルール付きの超能力で大英帝国と対峙し、日本独立はダシにすぎない!


 まぁイラクやアフガンの地での反米レジスタンス、2~3世になってもチャイナタウンやコリアンタウンを維持できている中韓などの世界標準とは異なり、「ギブ・ミー・チョコレート!」と米兵に群がったり、空気を読んで過剰に同化したがる我が日本民族は、サヨクの分析とは真逆で世界で最も「ナショナリズム」が弱い卑屈な民だと私見する。大作映画『日本沈没』(73年)のラストで世界各地に散らばった亡国の日本人たちは、2~3世代で日本語&日本文化を消失、現地に同化するだろうから、爆弾テロで抵抗する日本人像はホントはリアルじゃないと思う(笑)。


 「ナショナリズム」の話かと思いきや、世界各国の亡命政権とも結んで――「グローバリズム」な「世界統一政府」ではない――「各国」の存在は残したままでの「インターナショナル」な「合集国」vs「大英帝国」、劇中内超能力の源泉たる心理学者・ユング的な全人類の「集合無意識世界」での「神」殺し(?)を経て、世界を平和目的で一致団結させるために自身は大悪党のフリ(!)をして、憎悪を一身に集めて殺されていく主人公! 真相は少数だけが知っている。まさに男子の本懐と云ったら今だと男女差別だが(汗)。



 個人的にも高く評価する大傑作の続編が、放映終了10年後に3本の総集編映画を経て登場。


 ちなみに、総集編1作目はTVアニメ版1期全25話の冒頭11話、成田山の攻防で弱小抗英組織が名を上げるまでのTV版通りの展開。
 2作目は1期中盤~2期全25話の中盤までを駆け足で展開。1期終盤~2期序盤はヤマ場とせずに、大英帝国皇族たちから見た辺境の事件として流していく。
 3作目は2期終盤をジックリ描くけど、尺の都合かオレンジ髪の長髪少女は延命。完成作品ではともかく脚本のト書きの公表で明かされた、死んだハズの少年主人公がラストで馬車の馭者として延命か? という描写は批判も多かったか馭者ナシに改変されている。


 その続編たる本作では、冒頭から精神が幼児退行した状態で少年主人公が早々に登場。先に超能力を授与した少女が未練で先の集合無意識世界から復活させたとした。


 あとは劇中世界のその後の平和な光景と、往時は敵味方に別れて戦った主要キャラが一同に介する結婚式の二次会(笑)を経て、主人公が目指した「弱者が虐げられない世界」の象徴でもあり、実は主人公少年の妹でもある車椅子で盲目の少女――だから廃嫡皇女でもあり、戦後は高官――が、超能力教団の残党に拉致されることで新たな紛争が勃発!
 かつては骨肉の争いを繰り広げた姉でもある元日本総督の皇女や、日本最後の総理の息子でありながら大英帝国内では名誉白人として体制内改革を目指した親友少年、日英混血少女らとも心ならずも共闘して、ベテラン・戸田恵子が演じる敵の女首領と中東チックな土地で大攻防戦を繰り広げる。


 ジャンルの歌舞伎的様式美と化した「時間ループ」要素も導入して、その能力を幾度も駆使する女首領とそれを見抜いてウラをかく知謀合戦をも描いていく。しかして策謀が成功するや狂的に高笑いする描写で、主人公少年を劇中内での絶対正義ではなく中2病としても描いている二重目線は、この続編映画でも健在だ(笑)。


 もちろん10年後のファンムービー、石原莞爾『世界最終戦論』(1940(昭和15)年)の域に達した原典終盤と比すれば実にミニマムな話に過ぎないけど、劇中内での世間では「世界制服を一時は達成して世間を震撼させた最悪の独裁者でもあるあの悪逆皇子」の復活ではない活躍としている。キレイに完結した大名作でもある原典を毀損(きそん)させずに、ファンサービス的なボーナス続編を構築するのならば、見事に妥当な落としどころのストーリーだったとは思えるのだ。


 ベタつかないけど、主人公少年に超能力を授与したクールな少女の不老不死にまつわる裡(うち)に秘めた孤独に寄り添って、主人公&少女が歴史の闇へと消えていくボーイ・ミーツ・ガール・アゲインのミクロな帰結も、本作のキャラクタードラマを完結させる「小さな救い」で良としたい。
コードギアス 復活のルルーシュ [Blu-ray]

(了)
(初出・オールジャンル同人誌『SHOUT!』VOL.74(19年5月4日発行))


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