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騎士竜戦隊リュウソウジャーTHE MOVIE タイムスリップ!恐竜パニック!! ~因縁&発端の恐竜絶滅寸前の時代に時間跳躍!

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『騎士竜戦隊リュウソウジャー THE MOVIE タイムスリップ!恐竜パニック!!』 ~因縁&発端の恐竜絶滅寸前の時代に時間跳躍!


(文・J.SATAKE)
(19年8月3日脱稿)


 東映特撮ヒーローの夏映画が今年も公開。『騎士竜戦隊リュウソウジャーTHE MOVIE タイムスリップ! 恐竜パニック!!』(19・脚本/山岡潤平氏・監督/上堀内佳寿也氏)はテレビシリーズの前日譚につながる内容となっていた!
 6500万年前、リュウソウ族とドルイドンとの戦いは地球に落下した隕石によって断絶。ドルイドンは地球を脱出し、恐竜たちは絶滅した……。しかしその最後の戦いにはコウたちリュウソウジャーのメンバーが深く関与していたことが明かされる。


 劇場版とはいえ、テレビシリーズ1本とほぼ同等の尺である本作。過去の戦いの歴史・背景と現在のリュウソウジャーたちをつなぐため、みっちりとバトルアクションドラマを展開する。過去におけるリュウソウ族とドルイドンの雑兵・ドルン兵との集団戦を、TVではロケ地となったことがない広大な山岳部の裾野を舞台に繰り広げる様。そして幹部怪人・タンクジョウ&ガチレウスを相手に恐竜形態で突撃し、巨大ロボット形態では素早く回転して二刀流の斬撃を繰り出す巨大戦を見せる新キャラクター・キシリュウジンのアクションの切れの良さで、冒頭から観客を引きつける!!
――キシリュウオーの一部パーツとカラーリングを変更したリデコレーション版なのだが、濃紺と金色の組み合わせが大きく印象を変えている!――


 リュウソウジャーたちの等身大アクションにも工夫が凝らされている。グルグルと視点が回転するカメラワークが特徴であった『快盗戦隊ルパンレンジャーVS(ブイエス)警察戦隊パトレンジャー』(18・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190401/p1)ほどではないが、高低差の大きい場所での各自のバトルに密接しながらも途切れることなくそのアクションを捉える「長回し」で混戦の臨場感を伝える画が印象的であった。


 コウたちが過去へ飛ばされ様々な恐竜と出会うシーンも劇場版ならではの特撮シーン。まあ、海辺にあれだけ多くの種類の恐竜たちが集うことが本当にあったかどうかはわからないが、造形物による恐竜の卵と生まれたばかりの個体、CGでの大型恐竜たちの姿をアップそして俯瞰で海岸線をも収めた画で見せることで、古代の地球の雄大さを演出していた。



 本作のクライマックスバトルを展開するのは、テレビシリーズでも謎の暗躍を続けている鎧(よろい)騎士・ガイソーグ。それは騎士竜たちを生み出したリュウソウ族のひとりヴァルマが作り上げたものであった! ――特撮に造詣の深い俳優・佐野史郎氏は、学者肌のヴァルマが「力による支配」に取り憑かれてゆく姿を好演!!――
 恐竜の絶大なパワーを利用して力を得たガイソーグ。しかしそれがリュウソウ族の心を犯し、ヴァルマは力ある者のみを隕石落下から守る選民思想へ向かわせる! ――これが原因となってテレビシリーズでの「海」と「陸」のリュウソウ族の争いへと至ったのか? ガイソーグの今後の動向と共に注目すべきポイントとなりそうだ――


 一方、邪心に飲み込まれたヴァルマの娘・ユノが時を超えてコウたちリュウソウジャーと邂逅することで、未来へと続く希望を象徴させる。父の非道に心を痛める子の情愛と、隕石からリュウソウ族と恐竜を守りたい使命感に挟まれる健気な彼女を、アイドルグループ・AKB48(エーケービー・フォーティエイト)を卒業し女優として活動している北原里英嬢が熱演。未来の世界で騎士竜たちと心を通わせるリュウソウジャーの勇姿を目の当たりにしたユノが、父を鎧の呪縛から解き放って欲しいとコウに願う。それに応えるべく戦うリュウソウレッドこそ真のヒーローの姿だ!
 ジャンル作品の定番の図式ではあるが、力ある者の支配が正しいと吠えるヴァルマ=ガイソーグに、みんなを守り一緒に笑える世界を創りたいと応えるコウ! 騎士竜ディメボルケーノを竜装したリュウソウレッドが放つ猛火炎がガイソーグを撃退するバトルシーンこそが、種族を超えて手を取り合う仲間の強さを強くアピールしている!!
 そして地球に迫る巨大隕石にはメルト(リュウソウブルー)・アスナリュウソウピンク)・トワ(リュウソウグリーン)・バンバ(リュウソウブラック)の4人が操る戦隊ロボ・キシリュウジンが立ち向かう。騎士竜の何万倍はあろうかという強大な質量に挫けそうになる4人だが、何者にも負けず挑み続けるコウの姿と「限界を決めるのは自分だ!」の言葉に勇気を奮い立たせ隕石を粉砕! 


 結果は隕石による恐竜の絶滅を防ぐことはできなかったが、現在に続く地球の歴史を守ったのがコウたち未来のリュウソウジャーであったとする。無事現在に帰還したコウたちは、福井県立恐竜博物館に佇む恐竜たちの化石と、ユノら過去のリュウソウ族が残してくれたリュウソウジャーの姿を描いた石板に胸を熱くする。コウたちが守った過去が師匠であるマスターの生命につながり、その彼らの精神を受け継いで今の自分がある……彼らが騎士竜戦隊としての使命感を一層強めるラストシーンだ。


 一方で残念な面もあった。ユノが本シリーズにおける敵怪人・マイナソーの源である点は絶望的な未来を変えたい、という思いで理解できるのだが、そのマイナソーもコウたちの操るキシリュウオーに比較的あっさりと撃退されてしまうため、中盤のバトルに盛り上げが欠けたように思う。
 ここは追加戦士であるカナロ=キシリュウゴールドと騎士竜&ロボであるキシリュウネプチューンの出番を願って短いながらも活躍させてあげるのが理想なのだが、本作のカナロは恐竜博物館で理想の結婚相手探しにご執心! キシリュウゴールドへの変身シーンもなしという初見の方にはタダの女たらしキャラとなってしまった感が……(涙)。映画はテレビでの初登場よりも先行して撮影するスケジュールの都合もあるのだろうが、追加戦士としては非常に残念なスクリーンデビューであった。


 ヒーローの持つ「使命感」がテレビシリーズでは今ひとつはっきりとしていない印象であった『リュウソウジャー』だが、本作を経たことでコウたちにもそうしたキャラクターの厚みが少しずつついてきたように感じている。これからの展開に期待を持たせてくれる劇場版であった。


(了)
(初出・『仮面特攻隊2020年準備号』(19年8月10日発行)所収『騎士竜戦隊リュウソウジャー THE MOVIE』合評1より抜粋)


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ウルトラマンタイガ序盤総括 ~冒頭から2010年代7大ウルトラマンが宇宙バトルする神話的カッコよさ! 各話のドラマは重めだが豪快な特撮演出が一掃!

(文・T.SATO)
(19年8月9日脱稿)


 2010年代の「ウルトラマン」シリーズもついに7年連続の番組製作という快挙を達成!――そーいう意味では円谷一族や旧態依然のメンツによる万年赤字体制で通年での番組製作が不可であった時代よりも、映像会社やパチンコ会社を経てバンダイに主導権を握られた今の時代の体制の方を筆者は高く評価する――
 この間、敵も味方もソフビ人形を使って怪獣を召喚したりヒーローに変身したり、右腕をあまたの怪獣の豪腕に換装できたり、幾多のカードでヒーローや怪獣の属性を備えた複数のヨロイに着替えるウルトラマンや、ふたりの先輩ウルトラマンの能力をブレンドして活躍するウルトラマン、ついには常時ふたりのウルトラマンが主役ヒーローとして活躍する作品までもが作られてきた。
 もちろんそれは競合ジャンルや刺激の多い現今の移り気な子供たちの関心を喚起し、「前作と同じじゃん」と見クビられて早めに卒業されてしまうことを回避するためでもあるが、作品ごとの目先の新しさや旗印、キャッチーなヒキとして、本作では3人ものウルトラマンが主役級として同時に登場するサプライズを採用!


・しかも、3人の中核となる新ウルトラマンこと「ウルトラマンタイガ」は昭和の「ウルトラの父」と「ウルトラの母」の実子でありサラブレッドでもある「ウルトラマンタロウ」のそのまた息子(!)と設定され、顔のデザインもタロウを踏襲しつつもやや丸顔で未熟さ&可愛さをアピール、両耳部から斜め上方にはタロウのようにツノが生えている!
・ゴッツいマッチョな「ウルトラマンタイタス」は、往年の70年代末期の第3次怪獣ブームの頂点で誕生して、昭和ウルトラとは別世界であるも第3期ウルトラシリーズのトップバッターであるTVアニメシリーズ『ザ☆ウルトラマン』(79年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/19971117/p1)ことウルトラマンジョーニアスの故郷の惑星・U40(ユー・フォーティ)を出自とし、かの星のウルトラマンたち同様に額や胸中央のカラータイマーが五芒星のかたちとなっている!
・ネーミングからして忍者モチーフでありスマートで身軽そうな青いウルトラマンこと「ウルトラマンフーマ」の出自は、『ウルトラマンオーブ』(16年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20170415/p1)や『ウルトラマンR/B(ルーブ)』(18年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20180826/p1)の2大ウルトラマンことウルトラマンロッソとウルトラマンブルの故郷の惑星・O50(オー・フィフティ)!


 2009年の映画『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE』(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20101224/p1)で「ウルトラ」作品にも「平行宇宙」のSF概念が導入されたことで、異なる作品世界の「次元」の壁を超えて「平成ウルトラマン」たちと「昭和ウルトラマン」たちが共演できるようになってから早10年! 2010年代に入ってからは、平成ウルトラとも昭和ウルトラともまた別の並行宇宙で作品ごとに異なる地球を舞台として、太古の伝説超人・ウルトラマンノアから受領した並行宇宙を越境できるヨロイ・ウルティメイトイージスを装着したウルトラマンゼロが各世界のウルトラマンたちを友人知人としてつないできた(※1)。
 それがついに本家のTV正編でも、往年のTVアニメ『ザ☆ウルトラマン』まで正式に連結されて、それがサプライズ&マニアの大勢の喜びとともに歓迎されて、昭和ウルトラ・平成ウルトラ・2010年代ウルトラ・TVアニメのウルトラも全肯定されて奇跡の共演が果たされる日が来ようとは!
 幼少時に昭和のウルトラ兄弟が共演するサマに驚喜しつつも、70年代末期から始まるオタク第1世代による「特撮ジャンルに市民権を得るためには特撮ジャンルはオトナの鑑賞にも堪えうる本格志向でなければならない。そのためにはイロモノ要素は不要。怪獣には恐怖性を、ヒーローには人間味ではなく神秘性を、そのためには人類がヒーローや怪獣と初遭遇した作品こそが至上とされて、ヒーローの共演などは邪道であり子供たちへの媚びへつらいだ!」(大意)とされたことで、昭和のウルトラ兄弟たちのTV本編での共演・共闘が長年叶わなかった時期から幾星霜!(感涙)
――もちろんアトラクショーや児童向け漫画などでは、好き者でそのへんの機微もよくわかっているマニア上がりの世代人のスタッフや漫画原作者が、昭和のウルトラ兄弟ウルトラマンジョーニアスを当時の最新ヒーローたちと共闘させてきた。90年代中盤に児童誌『コミックボンボン』で連載された漫画『ウルトラマン超闘士激伝』(93~97年)でもウルトラマンジョーニアスが同族のU40のウルトラ戦士、エレク・ロト・5大戦士らと噛ませではなく頼れる助っ人として二度も参戦したことを覚えている御仁もいることであろう――


『レオ』準備稿に登場したウルトラマンタイガーを知ってるか!?(笑)

 そして、「ウルトラマンタイガ」なる新ウルトラマンのネーミング。実はこの名前に酷似したウルトラ戦士は、往年の『ウルトラマンレオ』(74年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20090405/p1)#1準備稿の冒頭にも登場している由緒ある(?)名前でもあったのだ――「タイガ」ではなく「タイガー」ではあるのだが――。
 レオがまだ亡国の獅子座L77星出自ではなく昭和のウルトラ兄弟の故郷・M78星雲ウルトラの星出自の設定であった時期に執筆されたこの検討稿では、ウルトラセブンの下で若きウルトラマン3人が修行に励んでいる。その3人の名前がウルトラマンレオウルトラマンタイガー・ウルトラマンジャック(帰マンそのヒトではナイけど)なのだ! 前作『ウルトラマンタロウ』(73年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20071202/p1)や学年誌でのグラビア特集記事であの時点なりの完成の域に達していたウルトラ一族とその故郷や彼らが結成した宇宙を守護する「宇宙警備隊」の下部組織などのウラ設定! すでに学年誌での内山まもる先生の漫画版『ウルトラマンタロウ』終盤などでも南極大陸での超巨大怪獣vsウルトラ兄弟&ウルトラの一般兵士数百名といったスペクタクルなビジョンは提示されていたけど、それにも通じる人間世界とはまた別の「天上世界」でも繰り広げられている抗争劇を70年代中盤の『レオ』の時点でTV正編でもやろうとしていた構想には、スケール雄大な世界観の拡大が感じられてワクワクせずにはいられない!
――以上は老舗特撮サークル『夢倶楽部』主宰・大石昌弘氏が所有していたシナリオの提供を受けて、同じく老舗特撮サークル・ミディアムファクトリーで特撮同人ライター・黒鮫建武隊氏がそれを紹介した往年の名同人誌『続ウルトラマンレオ大百科事典』(92年)からの情報に基づく。レオが単調な訓練にアキて持ち場を離れた際に、マグマ星人&怪獣マグマギラスが襲撃してきてセブンは重傷を負い、タイガー&ジャックは惨殺されてしまうという役回りではあるけれど――


冒頭から10年代7大ウルトラマンが活躍、新ヒーローへバトンタッチ!

 
 それから45年の『タイガ』#1の冒頭! 幻のセブン・レオ・タイガー・ジャックの宇宙での戦いを再現どころかそれをブローアップしたかのような、エメラルド色に輝く巨大な「ウルトラの星」を間近にした宇宙空間で、光に照らされた部分とそーでない部分との陰影が照明の当て方で強調された2010年代の全主役ウルトラマンたち、通称ニュージェネレーションことウルトラマンギンガ・ウルトラマンビクトリー・ウルトラマンエックス・ウルトラマンオーブウルトラマンジード・ウルトラマンロッソ・ウルトラマンブルらの7大ウルトラマンたちがのっけから全員集合して超高速で軽快に飛行・旋回、敵の光線をアクロバティックにかわしながら、ナゾの青黒い超人とのバトルを繰り広げる!
 ようやく合わせ技の連発と強力なWパンチで悪の超人を小惑星群のひとつに叩きつけることでその強さも見せて、そこに降り立った7人のウルトラマンのヨコ並びの勢揃いを斜めヨコから写した映像!
 たしかにこの7人勢揃いの映像は、本作『タイガ』の前番組にして1週間前の過去作再編集番組『ウルトラマン ニュージェネレーションクロニクル』(19年)最終回にも使用されていたモノだが、『ニュージェネレーション』最終回用に撮り下ろされた番外サービスカットだとばかりに思っていたけど、まさか『タイガ』本編の映像からの抜粋であったとは!
 それだけでもワクワクさせられるのだが、そこに後輩として「先輩!」と叫びながら本作の主人公ウルトラマンたち、タイガ・タイタス・フーマも駆けつける! さらには御大(おんたい)・ウルトラマンタロウも駆けつける! 都合10人もの新旧ウルトラマンが集結する感動!!


 もちろんヒーローの頭数が大ければイイというワケではない。たとえばポッと出の新戦隊ヒーローが新番組#1の序盤でこのようにイキナリ出てきても、さしたる感動はナイであろう。
 あくまでも半年なり1年なりあるいは1本の映画作品で看板を張った単独主役級のウルトラマンなり仮面ライダーなりアメコミ洋画ヒーローなり東宝特撮怪獣たちが集合するからこそ、それら単独主演作の次元をひとつ上回るメタ的・高次元的な作品の品格という感慨をもたらすのだ。


 70年代前半の第2期ウルトラシリーズの先輩ウルトラマン客演編ではよくあった、現役最新ウルトラマンを立てるために噛ませ犬として先輩が敗北してしまうことで、爽快感や先輩たちの魅力を減じてしまうパターンでもあまり意味はナイ。
 同時期の昭和の第1期仮面ライダーシリーズでは先輩ライダーが客演すると勝って勝って勝ちまくることでドラマ性よりエンタメ性やイベント性を優先させることで当時の子供たちを熱狂させていた。ヒーロー共演のイベント編でこそニガ味のあるドラマをブッ込んできた往時の第2期ウルトラの製作者たちのキマジメな意図も長じてからの再視聴でわからなくもないけれど、やはりそのへんは第2期ウルトラのあれやこれやをムリやりにでも全肯定をしないと気が済まないというのも狂信者のふるまいで公平さや説得力に欠けるのであって、残念ながら第2期ウルトラのそれより昭和ライダーの先輩ヒーロー客演編に一日の長があったことを認めざるをえない――100かゼロかではなく、6対4か7対3の違いの指摘で第2期ウルトラの客演編が無意味であったと云いたいのではナイので、くれぐれも誤解のなきように――。


 『タイガ』#1の冒頭では新米戦士のタイガ・タイタス・フーマが悪の超人に敗北、タロウと悪の超人は全身を互いに炎上させて自爆特攻する超必殺ワザ・ウルトラダイナマイトで相打ち! というかたちで、ニュージェネレーションの7大ウルトラマンは直接的な敗北描写が巧妙に避けられることで、勝ったワケでもないけれども、彼らが弱かったようには写らないように描かれている塩加減・アクション演出のマジックも実にうまい。


 そして、新旧ウルトラマンが10人がかりで対峙しないとイケナイくらいに強い、新たなる強敵超人の出現! その正体は仮面舞踏会の黒い仮装目飾りを付けたような群青の青い悪のウルトラマンことウルトラマントレギア!
 本作『タイガ』放映をさかのぼること4ヶ月前、春の映画『劇場版ウルトラマンR/B(ルーブ) セレクト!絆のクリスタル』(19年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190407/p1)でも先行して同作の主人公青年やゲスト青年を試してくる悪魔・メフィストフェレスのような立場のボスキャラとして終始出ずっぱりで戦闘力も高かった彼だが、こうして直前作のヒーローと最新ヒーロー作品をまたいで登場することで醸される、ユルやかでメタ的な連続感や越境感や架橋感! コレ、コレ! こーいう感覚が現今の子供たちやマニアたちの知的関心や興味関心を惹きつけるのに必要なモノなのだ!――いやもちろん先の映画を観ていないと理解ができない、観客を絞る類いのドラマ的な連続性ではなく、一般層にも開かれたモノにはなっているので、閉じた方法論だとの批判は当たらない――


ゲスト怪獣に加えて、レギュラー敵や第三勢力を設定して、作劇を拡張!


 なんというか、ヒーローvs怪獣の1vs1の戦いを1話完結で描くのが、近代的ヒーロー以前の古来からのヒーローものの基本フォーマットではあるので否定もしないけど、それもまた一長一短ではあって、あまりにもマンネリのルーティンに過ぎると、幼児はともかく児童であれば次第に単調・退屈・幼稚に感じられてくるのも事実だろう。
 しかし、そこに1話ぽっきりのヤラれ怪人やヤラれ怪獣だけではなく話数をまたいで中長期にわたって登場するライバルヒーロー・ハカイダー(『人造人間キカイダー』72年)やタイガージョー(『快傑ライオン丸』72年)などの第三勢力を配すればアラ不思議、作品は予定調和を逸脱して戦闘シーンのパターン破りや、作品に二層構造が与えられることで物語の展開は豊穣性をハラみだす。
 このへんの機微を30年以上も前に分析したのは、女流作家の故・中島梓による書籍『わが心のフラッシュマン』(88年・91年にちくま文庫化・ISBN:448002591X)である。TVのない中島家で(爆)子供にせがまれて買い与えていたヒーローvs怪人の単調バトルを描くのかと思われたスーパー戦隊超新星フラッシュマン』(86年)の写真絵本に、中盤から第三勢力として銀河の彼方から美形のダンディーな顔出し悪役、サー・カウラーとボー・ガルダンが乱入して混戦となるサマにワクワクしてしまう。そして、彼ら美形悪役の知られざる前日談や隙間の物語をつい妄想したり創作したくなる衝動を自覚して、自身が執筆する小説も子供向け作品もあるいは物語作品全般が、結局はそのような情動に突き動かされて生産され、あるいは消費されていることに思い至る……といった内容だ。


 本作『タイガ』も各話単位では古典的なヒーローvs怪獣のフォーマットを取っている。しかし、メタ・上位の構造としては、タイガのみならずウルトラ一族とも因縁があって敵対している悪の超人ウルトラマントレギアとの戦いも潜在的に背後にハラまれているという二重構造となっている。劇中ではまだ語られていなかったと思うが、事前のマスコミ情報ではウルトラマントレギアはタイガの父・ウルトラマンタロウと過去には親友同士であったという!――第3次怪獣ブームの時期の79年にも、過去に親友同士であったタロウとエルフという名のウルトラマンが対決する内山まもるの漫画があったことも思い出す。同名のTVアニメとはまた別の『ザ・ウルトラマン』名義の漫画作品として単行本に再録されているので未見の読者はぜひに!――
 そしてそれは各話単位での怪獣をも上回る格上の強敵をも同時に相手にしなければならない身震い・ヒロイズムを喚起して、「天上世界」では神話的な神々の抗争劇も控えているといった広大なスケール感をも感じさせてくる!


 ……コレですよ! 「ウルトラ」にかぎらず「仮面ライダー」であろうが「スーパー戦隊」であろうが「ライダー」&「戦隊」が共闘する「スーパーヒーロー大戦」であろうが「2代目宇宙刑事」たちが「新旧東映ヒーロー」たちをクロスオーバーする「スペーススクワッド」であろうが、各話のルーティンバトルの背部にある上層での巨悪との抗争劇の二重構造! かつてのヒーロー・仮面ライダーV3(73年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20140901/p1)はヨーロッパで、人造人間キカイダー(72年)はモンゴルで、仮面ライダーアマゾン(74年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20141101/p1)は南米でいま戦っているとされた映画『ジャッカー電撃隊VS(たい)ゴレンジャー』(78年)冒頭のようなモノである。
 このへんで子供たちやマニアたちの興味関心を中長期にわたって喚起して、あまたの作品群が連結もしている広大なメタ作品世界の中で、我々マニア観客たちを人間的にスポイル・廃人・ダメにしていく(笑)、もとい空想の広大な作品世界の中で中長期にわたって遊ばせてくれる方向性を、ジャンル作品全般は目指すべきではなかろうか!?


 そして実際に『タイガ』#1冒頭の4分間強こそウルトラマンが総計10人も登場して神話的な大バトルを繰り広げてくれたけど、本稿執筆時点の#5までを観るかぎりでは、まだ本作には明瞭な連続性のようなモノは発生していないし、作品の背景に神話的な神々の戦いがあったとはイチイチ描かれない。しかし、イチイチ描かれてはいないけど#1冒頭の圧倒的な残り香で、この作品の背部にはそれがあると我々の脳内の片スミをイチイチ刺激してくることで、作品世界にプリプリとした密度感やワクワク感、イイ意味での底上げ(笑)で、作品世界への興味関心・視聴意欲を惹起してくるのだ。


本編ドラマ部分に等身大宇宙人とのアクションを導入! そのメリット!


 「天上世界」の話ばかりしてしまったので、『タイガ』の「地上世界」の話にも戻ろう。
 本作における「昭和ウルトラ」の地球とも「平成ウルトラ」の地球とも「2010年代ウルトラ」のあまたの地球とも異なるこの地球では、すでにあまたの歴代ウルトラ宇宙人が潜伏していることは、オープニング主題歌映像の冒頭でナレーションにて毎回毎回クドいくらいにごていねいにも説明している通りだ。
 この世界観ビジョンは『劇場版ウルトラマンジード つなぐぜ!願い!!』(18年)や先ごろフル3D-CGアニメ化(19年)もされた漫画『ULTRAMAN』(11年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190528/p1)にも見られるモノでもある――細かく云うとウルトラシリーズの元祖『ウルトラQ』(66年)#21「宇宙指令M774」が初出やもしれないが、アレはラストのナレーションでその可能性を提示しているだけなので(汗)――。
 コレによりゲスト役者に予算を使わなくても、既存の宇宙人の着ぐるみ&スーツアクターの投入で安く済ませることができるし(笑)、幼児の目から見ればフツーの人間の悪党よりも着ぐるみの宇宙人の方に視線が向くであろうから、幼児を特撮ならぬ本編ドラマ部分でも退屈させないというメリットもある。2010年代のウルトラでは同様の試みがすでに散々になされてきたけど、人間サイズの宇宙人たちを東映ヒーローものにおける戦闘員のように扱ってバトルアクションを盛り込むことで、――ここは筆者個人が特に愛する第2期ウルトラに対する少々の批判にもなってしまうけど――子供番組としてはやや重ためでイヤ~ンな感じも残ってモヤモヤしかねない本編ドラマ部分、いわゆるBパート終盤でのウルトラマンvs怪獣の特撮バトルに至る前菜・前段の部分であるAパートの部分でも、東映ヒーロー作品のように子供の目を引く活劇性やエンタメ性を高めることができている。


各話のドラマは重め。しかし、豪快な特撮演出がそれまでの重さを一掃!


 などと『タイガ』のバトルエンタメとしての軽妙さを賞揚するようなことをココまで散々につづってきたけど、そーは云うものの各話のドラマの出来は2010年代のウルトラとしては重ためで、ナゼだか映像も後処理でやや明度や彩度を下げている気配もある――いやもちろんウルトラにかぎらず70年代前半の特撮・アニメ・時代劇などと比すれば軽やかなのだけど、牧歌的な60年代作品や経済的安定の70年代後半以降の作品と比すると、あの時代は例外・特殊な特異点なので(笑)――。

 #3は、宇宙空間の人工衛星軌道上で事故にあった宇宙飛行士の夫妻カップルのうちの旦那さんの方が地上に怪獣化して復讐しに来るという、テーマとしては重たいエピソードである。長年の特撮マニアであれば、初代『ウルトラマン』(66年)の欧州の宇宙飛行士が怪獣化して地球に復讐に来る棲星怪獣ジャミラが登場する#23「故郷は地球」。搭乗員まるごと宇宙船自体が怪獣化して襲来してくる『ウルトラマンティガ』(96年)#4「サ・ヨ・ナ・ラ地球」(https://katoku99.hatenablog.com/entry/19961201/p1)を想起せずにはいられない。
 #4は、副主人公ともいえる青年・宗谷ホマレ隊員を今エピソードの主人公として、地元の下町でギャング宇宙人どもを巻き込んでダーティーでもある捜査をするうちに、往年の東映Vシネマばりのバイオレンスな展開ともなっていき、ホマレ隊員とは幼なじみである青年との悲痛な展開になっていく――と同時に#1につづいて彼もまた超人的な体力や跳躍力を誇ることから、その正体は地球人ではなくウルトラマンでもないけれども宇宙人であることは示唆していく――。
 #5では、女性隊員・ピリカちゃんを主人公として、彼女と偶然接点を持った女性ゲストとの交流が描かれる。ややブラック企業が入った彼女のリアルな労働疲労感が吐露されて、オッサンオタクとしては実に滋味も感じられるけど、#3~5のコレらの一連は幼児がタイクツしそうなストーリー展開だろうと思いきや!
――ヒロイン・ピリカ役の当初の女優さんが台湾の民主化の英雄、李登輝・元総統の映画に出演していたばかりに、中国に忖度(爆)して放映直前で交代・撮り直しが発生したミソが付いたのは残念だけれども――


 #3では宇宙飛行士夫妻の片割れの嫁さんの精神体(魂)が飛来してきて、彼女を通じてウルトラマンタイガと合体しているヒロユキ青年主人公の許に、長年生き別れであった力持ちの賢者・ウルトラマンタイタスも帰ってきて合体し、巨大ヒーローとしても実体化! 夜のビル街でのハデハデでダイナミックな特撮怪獣バトルが、タイタスのユカイなトークとともに明るく繰り広げられることで、このエピソードの重めの雰囲気が一掃されるどころか、ある意味ではタイタスがすべてを持っていってしまう! コレは脚本の時点でそれを目論んでいたのやもしれないけど、それを実現してみせる特撮演出側のパワーであるともいえる。
 #4も同様で、ウルトラマンフーマのスピーディーで忍者チックなカッコいい特撮バトルで、それまでの東映Vシネマばりのダーティーさを忘れてしまう(笑)。
 #5もまた同様で、女性ゲストの述懐や女性隊員とのやりとりがその回のゲスト怪獣との攻防劇と分離しすぎだろ! と思っていたら、ゲスト女性こそ侵略宇宙人(の手先)でもあり、尖兵として彼女が怪獣を召喚していたとすることで、本編ドラマと特撮バトルが一体化!
 理性ではそれでもシミったれた重ためな話だよなぁ、子供はこーいう話はスキじゃないだろと思いつつも、改心したゲスト女性が自身の身を犠牲にしてでも怪獣の暴虐を阻止せんと身を呈するのを、女性隊員がやめさせようとする熱演の一連に、感情面では筆者もホダされて実は落涙していたりもするのだが。
 コレもゲスト女性がもたらした解毒ワクチンにより復活したウルトラマンタイタスの豪快な反撃が始まるや、ジメジメした泣きの要素を一掃、愉快痛快な読後感の方が勝ってしまうのだ!
――ゲスト女性の正体が宇宙人だとはいっても、それはセリフのみで処理されて着ぐるみの異形の宇宙人の正体はさらさない。彼女が担当したのは抽象や観念が優先されるキャラクター仮面ドラマではなく、あくまでもナマっぽい地ベタの人間ドラマなので、彼女が人間の姿を終始取りつづけること自体はこのエピソードには合っているし、作り手もバカではナイのだから(汗)、意図的にそのようにもしているのであろう。もちろん後付けの怪獣百科的な設定は地球人・ヒューマノイド型の宇宙人ということになるのだろうけど――


 映像作品の演出・ディレクション・方向付けによる視聴者の情動の誘導――広い意味での洗脳(笑)――。本作序盤は本編ドラマ部分よりも特撮バトル部分の演出の方がイイ意味で主導権を握って、陰鬱なドラマをカタルシス強制発生装置でもある各話の終盤の定型バトルで払拭して昇華してしまった好例だともいえるだろう。
――とはいえ何事も程度問題ではあって、往年の『ウルトラマンエース』(72年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20070430/p1)の名編、#48「ベロクロンの復讐」(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20070402/p1)のように、「シリアス」な本編演出と「ヒロイズム」ではなく「オフザケ」の方向に行ってしまった特撮演出とが水と油にすぎて観客をシラケさせてしまっては失敗なので、それをも擁護しようとする一部の狂信者のふるまいはかえって第2期ウルトラ擁護派全体のお株を下げて脚も引っ張るネトウヨやパヨクのような行為であってメーワクなので、そーいう低次な論法はやめてくれ(汗)。まぁ80年代前半の『宇宙刑事』シリーズの時代あたりまでは、本編ドラマが異色作や泣きの話なのに、アクション部分はいつもと同じ演出で、今やJAC社長の金田治アクション監督、脚本を読まずに殺陣(たて・アクション)を付けてるだろ? と思わせるようなことがむかしは多々ありましたとサ(笑)――
 あと、音楽演出も大きくて、コレも第2・3期ウルトラや平成ウルトラ3部作の音楽演出に対する批判になってしまうけど、他社のヒーローものや合体ロボットアニメと比して、ピンチのときに「いかにもピンチです!」という楽曲を定型的に流しすぎてしまうと、そのヒーローがやや弱く見えたり殺陣の流れがマンネリに見えすぎてしまうところを爽快な楽曲一発で通してみせるところも大きいと思う。
――筆者などもウスウスとその欠点を子供心に感じつつも信者的に黙っていたところを、子供番組卒業期の小学校の同級生たちが忖度せずに(笑)このテの音楽演出のマンネリさで「ウルトラ」を小バカにしていた光景の記憶が、彼らに一理も二理もあるだけにトラウマとなっていて――


マニアの成熟。リアル・シリアスよりエンタメ性重視が当たり前な今日!


 などとエラそうにホザいてきたけど、まとめサイト巨大掲示板に個人ブログなどをザザッとググって巡回してみると、「やや重ための本編ドラマを豪快で壮快でカッコいい特撮バトルで一掃して明朗なカタルシスを喚起!」といったレビューが今の時代はけっこうフツーにどころか膨大にありますネ。というか、特撮世論の多数派だよネ。
 ナンという成熟度合い! イイ歳こいて子供番組を観ている自分をナンとか自己正当化するために、この作品には人間ドラマや社会派テーマがあるんだゾ! と息巻いていた時代。そして、ドラマ性やテーマ性の素晴らしさも充分に理解したその上で、でもそれもまた幼少時の素朴な感慨とは離れたモノであり、幼児置いてけぼりの本末転倒になる危険性もあるよネ! とそんな風潮を相対化しようと長年四苦八苦していた筆者やあまたの80年代後半の第3世代以降の特撮評論同人ライターたちの労苦も遠くなりにけり。
 コレはもちろん筆者ごときの泡沫の努力の成果ではなく(汗)、結局のところ特撮同人ライターの努力はムダとはいわずともほぼ影響力は皆無であり(笑)、特定のオピニオンリーダーがいたとかでもなく、時代を経るうちに特撮マニア諸氏が20年にもわたる巨大掲示板などでの言説や論戦の積み重ねで、徐々にそのような変遷を遂げるに至って、作り手たちもまたそのようなシリアス至上ではなくエンタメ性至上の理念で番組製作や作劇を考えるようになっていった……といったところが事の真相だろうと思う。
 ロートルな特撮評論同人としては、現実の方が追いついたどころか先に行ってしまって置いていかれたような気にもなるので、今後の身の振り方としては、現状のイイ意味での追認的な言説化くらいしかヤルことがナイような気もしてくるけれど……(汗)、いや待て。本邦特撮ジャンル作品をアメコミ洋画『アベンジャーズ』(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190617/p1)や来年2020年公開予定の『ゴジラvsキングコング』のような複数の「作品世界」を連結&シリーズ化していく路線はまだまだうまく行っていない。ここが残された最後の尽きない物語的な鉱脈だと見定めて、それが実現するメリットを高らかに主張していくこととしよう(笑)。


「ウルフェス」に新造スーツのジョーニアス登場! 本編への逆採用を!


 なので、『ウルトラマンX(エックス)』(15年)みたく、クールの変わり目の中盤回には前作のO50のウルトラマンロッソ&ウルトラマンブルが助っ人参戦するようなエピソードも毎年毎年作ろうよ~。U40のウルトラマンジョーニアスが助っ人参戦するようなエピソードも作ろうよ~。毎夏開催されるイベント『ウルトラマン フェスティバル2019』のアトラクショーでは、ウルトラマンジョーニアスの超スマートでハンサムな顔&スタイル抜群の着ぐるみが新造されて助っ人参戦して、観客たちを感動のルツボに叩き込んでいるのだからさぁ――この新造着ぐるみは『ウルトラマン ニュージェネレーションクロニクル』最終回には登場しなかったことから、アトラク部門の円谷プロ直属のアクションチーム「キャスタッフ」側の今年度の予算でそちらの好き者スタッフが新造させたモノだろうと憶測しているけど、TV本編でも逆採用してほしい!――。
 ヘンに人間ドラマ主導やレギュラー主導で物語や続編劇場版のストーリーを構築しないて、もっとイベント性主導でそっち方面から逆算するかたちでお話を構築していってほしいものである。
 とりあえず、ジョーニアスの登場が実現した暁には、ギャラ面では厳しそうだけど、原典通りのベテラン俳優・伊武雅刀(いぶ・まさと)氏にボイスをアテてほしい! 実はちょうど10年前にCSファミリー劇場で『ザ☆ウルトラマン』の毎週放映が開始されるにあたっての宣伝番組『ザ☆ウルトラマンのすべて』――同局での昭和ウルトラシリーズの毎週放送と連動していた『ウルトラ情報局』の出張版で、各作の『~のすべて』のゲストは該当作品の主人公を演じた役者さんが登場し、この流れの熱気が昭和ウルトラの直系続編『ウルトラマンメビウス』(06年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20070506/p1)の一源流にもなっているとも私見!――で、TVガイド誌等の出版物でも伊武雅刀氏がゲストだと表記されたことがあったのだ。
 この勢いで実写の映画版ウルトラマンにも伊武雅刀にワンポイントでもイイのでゲスト出演してもらって、スポーツ新聞に騒いでもらうことで話題性を高めてもらい、ついでに科学警備隊のヒカリ超一郎隊員を演じたベテラン声優・富山敬(とみやま・けい)があの時点でも故人であったので、ヒカリ隊員と合体していた古代ギリシャ風の貫頭衣を着けていた人間体のジョーニアス本人として地球に登場してウルトラマンジョーに変身してほしいと思って幾星霜!――実際にはスケジュールが合わなかったのか伊武雅刀は同番組には出演せず、同作の科学警備隊の2代目隊長・ゴンドウキャップを演じた大ベテラン声優・柴田秀勝が出演した――


 レギュラーたちの人間ドラマの集大成とかは別にイイので(爆)、本作の来春の続編劇場版は「ウルトラマン フェスティバル2019」を見習って、まずは映画『仮面ライダー平成ジェネレーションズ』シリーズ(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20171229/p1)(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190128/p1)みたいなイベント・お祭り性重視の総力戦体制で行くべきなのである!



(※1)厳密にはウルトラシリーズにおける「並行宇宙」の導入は、映画『ウルトラマンティガウルトラマンダイナ&ウルトラマンガイア 超時空の大決戦』(99年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/19981206/p1)が初である。当時のマニア上がりの作り手たちはティガに変身するジャニーズ・V6(ブイシックス)の長野博が出演不能でダイナに変身するつるの剛士(つるの・たけし)は出演可能でも、『ティガ』『ダイナ』いずれかに偏らずに中立を気取るためか、『ティガ』&『ダイナ』世界とはまた別の「並行宇宙」を映画の舞台とした。
 とはいえ、それならば昭和のウルトラ兄弟と「並行宇宙」のSF概念を使って共演した方が、話題面でも客寄せ面でも盛り上がるのでは? などと筆者は主張していたのだが、当時のウルトラ兄弟の設定を悪とする特撮マニア間での風潮の中では「ナニを奇妙キテレツなことを云っているの?」的に華麗にスルーされたのであった(笑)。
(ウルフェス情報提供:佐藤弘之・清水忠彦)


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2020年準備号』(19年8月10日発行)所収『ウルトラマンタイガ』序盤合評7より抜粋)


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『仮面ライダー』シリーズ評 ~全記事見出し一覧


映画『劇場版 仮面ライダージオウ Over Quartzer(オーヴァー・クォーツァー)』 ~平成ライダー・平成時代・歴史それ自体を相対化しつつも、番外ライダーまで含めて全肯定!

東映系・2019年7月26日(金)公開)


(文・久保達也)
(19年7月27日脱稿)

*「平成」仮面ライダーの総決算!


 これまで毎年夏休みの時期に公開されてきた「平成」仮面ライダー映画の慣例に従い、本作も『仮面ライダージオウ』(18年)の「真の最終回」として位置づけられている。
 だがそれだけではない。「平成」最後の仮面ライダー・『ジオウ』の「最終回」は、20年にもおよぶ歴史を誇る「平成」仮面ライダーシリーズ自体の「最終回」でもあるのだ。


 本作で悪役として登場する「歴史の管理者」を名乗る謎の軍服集団・クォーツァーは仮面ライダーをはじめ、「平成」生まれのすべてのものをこの世から消滅させ、「平成」の30年間の歴史を最初からつくり直そうとする。
 クライマックスで「平成」生まれの若者たちばかりが空に吸い上げられる中、2012年=平成24年生まれの東京スカイツリーが宙を舞いながら破壊されるのに、1958年=昭和33年に建造された東京タワーは無事(爆)な描写には、個人的に「平成」の時代に対して圧倒的に悪印象が強い筆者としては、おもわずクォーツァーに賛同しそうになったものだ。
 だが、本当にいろいろあった「平成」の「負」の側面をすべて消し去り、「正」ばかりの歴史で統一しようとする「歴史の管理者」を最後の悪役としたのは、設定や世界観、そして、そこに登場してきたヒーローやヒロイン、悪役や周辺キャラに至るまで、「正義」は人の数だけ存在するのだとして、さまざまな人物像を多面的に描き、多様な価値観をたがいに認めあうことの重要性を訴えてきた「平成」仮面ライダーの「最終回」として、当然の帰結といえるだろう。


*『仮面ライダードライブ』世界消滅の危機を追って戦国時代へ!


 クォーツァーが「平成」をやり直す前段として、本作の前半では『仮面ライダードライブ』(14年)の世界の消滅の危機が描かれる。
 周知のとおり、『ドライブ』で主人公の泊進ノ介(とまり・しんのすけ)=仮面ライダードライブを演じた竹内涼真(たけうち・りょうま)は、『ドライブ』以降あまりに多忙となっているために残念ながら今回も欠席だが、『ドライブ』の2号ライダー・詩島剛(しじま・ごう)=仮面ライダーマッハを演じた稲葉友(いなば・ゆう)と、クリム・スタインベルト=ベルトさんを演じたクリス・ペプラーがゲスト出演している。


 そのベルトさんを抹殺(まっさつ)することでクォーツァーは『ドライブ』の歴史を消滅させようとするのだが、クォーツァーは『ドライブ』の時代・2014年=平成26年ではなく、1575年=天正(てんしょう)3年に現在の愛知県新城市(あいちけん・しんしろし)で繰りひろげられた、織田信長(おだ・のぶなが)&徳川家康(とくがわ・いえやす)の連合軍と武田勝頼(たけだ・かつより)の軍勢による合戦(かっせん)・長篠(ながしの)の戦いに乱入するのだ。
 現在は徳川美術館に所蔵されている、この長篠の戦いの屏風(びょうぶ)絵の中の信長が、ナゼか『ジオウ』の2号ライダー=仮面ライダーゲイツの姿に差し替わるのみならず、ゲイツが時間移動する際に使う巨大ロボット・タイムマジーンまでもが屏風絵に描かれている(笑)ことが冒頭で報じられる。


 実は本作にはクリムの祖先として、オランダの商人を父とする少女=クララ・スタインベルトが登場、そのクララを抹殺しようとする過程でクォーツァーは長篠の戦いに乱入するのだが、クララに恋い焦(こ)がれる信長は、クォーツァーを追ってこの時代にやってきたゲイツを影武者に仕立てあげ、戦いを放り出して(笑)クララの旅に同行する。
 本作では信長は自身を「第六天魔王」と自称したほどの、そして我々が信長にイメージする戦国武将とはあまりにかけ離れた、終始なさけないツラ構えのさえない男とされているのだが、これこそ「平成」ライダーが従来描いてきた多面的な人物描写を象徴するものだろう。
 そして、これまで「魔王」とされてきた信長をあえてなさけない姿で描いたのは、『ジオウ』の男子高校生主人公・常盤(ときわ)ソウゴ=仮面ライダージオウを信長と重ね合わせることで、ソウゴに秘められていた「魔王」になる可能性を後半でひっくり返すための、『ジオウ』のメインライター・下山健人(しもやま・けんと)による、実に緻密(ちみつ)な構成でもあるのだ。


*「平成」の「闇」ライダーたちの大逆襲!


 ソウゴ・ゲイツ・神秘系の美少女=ツクヨミは実際の信長の姿に触れたことで、我々が歴史上の信長に感じる「魔王」としてのイメージは、実はつくられたものだったのではないのか? との疑問をもつ。
 西暦2068年の世界で「魔王」として君臨するとされていたソウゴを抹殺するために、2018年の世界にやってきたゲイツツクヨミが目にしたソウゴもまた、実際には誰よりも心優しい、深い思いやりの心を持つ少年だったのだから、これは俄然(がぜん)説得力を帯びることとなるのだ。
 そして、これまでソウゴに仕(つか)えてきた未来から来たネタキャラ(笑)青年・ウォズは、ソウゴを「魔王」として擁立(ようりつ)しようとしていたのではなく、実はソウゴを本来の「魔王」の替え玉にするために暗躍していたという、恐るべき事実が明らかになる!
 ウォズが本来の「魔王」に擁立しようとしていたクォーツァーのリーダー・常盤SOUGO(ソウゴ)=仮面ライダーバールクスを演じたのは、大の仮面ライダーファンとして知られ、『仮面ライダー555(ファイズ)』(03年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20031102/p1)の主題歌歌唱や、映画『仮面ライダー THE FIRST(ザ・ファースト)』(05年・東映https://katoku99.hatenablog.com/entry/20060316/p1)の敵組織・ショッカーの幹部役、そして『ジオウ』の主題歌・『Over “Quartzer”』をShuta Sueyoshi(シュウタ・スエヨシ)とともに歌唱するボーカルグループ・DA PUMP(ダ・パンプ)のリーダー・ISSA(イッサ)だが、氏以外のDA PUMPのメンバーもクォーツァーの団員を演じており、本職でもないのに軍服姿でソウゴにニラみをきかせる表情演技は結構サマになっていた。


 このSOUGOが変身する仮面ライダーバールクスは、1988年=昭和63年10月に放映が開始されるも、その3ヶ月後の1989年1月7日に昭和天皇崩御(ほうぎょ)で改元となったことで、放映期間としては実際には「平成」の方が長くなった『仮面ライダーBLACK RX(ブラック・アールエックス)』(88年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20001016/p1)の主人公ライダーのアナグラムであり、RXの武器・リボルケインという名前の長剣を使うのみならず、すでに「昭和」の時代にヒーローのタイプチェンジを披露していた(!)『RX』のロボライダー&バイオライダーのライドウォッチも駆使する、黒を基調とした武将的デザインのライダーなのだ。
 また『獣電戦隊キョウリュウジャー』(13年)や『動物戦隊ジュウオウジャー』(16年)のエンディングのダンスを担当するなど、振付師として広く知られるアフロヘアのパパイヤ鈴木が演じたクォーツァーの幹部・カゲンが変身する仮面ライダーゾンジスは、オリジナルビデオ作品『真(シン)・仮面ライダー』(92年・バンダイビジュアル)、映画『仮面ライダーZO(ゼット・オー)』(93年・東映https://katoku99.hatenablog.com/entry/20001015/p2)、映画『仮面ライダーJ(ジェイ)』(94年・東映)の主人公ライダーの名前をあわせたものであり――SIN+ZO+J=ZONJIS(笑)――、ZOやJのような、緑色でクラッシャー部分が大きくめだつマスクを元ネタとしたデザインがその象徴として機能している。
 さらに『キョウリュウジャー』でイアン・ヨークランド=キョウリュウブラックを演じた斉藤秀翼(さいとう・しゅうすけ)が演じるクォーツァーの幹部・ジョウゲンが変身する仮面ライダーザモナスは、ネットムービーとして配信された『仮面ライダーアマゾンズ』(シーズン1・16年 シーズン2・17年)のアナグラムのみならず、そこに登場するアマゾンオメガ・アマゾンアルファ・アマゾンネオ・アマゾンシグマを合体させたようなデザインなのだ。
 つまり、クォーツァーの幹部が変身するライダーはれっきとした「平成」ライダーなのに、その正史として扱ってもらえず、なかば「黒(くろ)歴史」とされてしまっているライダーたちの怨念(おんねん)の結晶(笑)であるかのように描かれており、そのライダーたちが「平成」ライダーの歴史をつくり変えようとするのは、ブラックジョークとしては実に秀逸(しゅういつ)であるといえるだろう。


*「平成」仮面ライダー、全員集合!!


 クライマックスではこれらの「黒歴史」ライダーたちと、ソウゴを中心に歴代「平成」仮面ライダー20人が横一列に並び立つ(!)中で変身をとげるジオウの最強形態・仮面ライダーグランドジオウが歴代ライダーたちを次々に召還するのみならず、詳述は避けるがウォズの心の変遷(へんせん)によって歴代ライダーの力が元の持ち主へと戻るオチとなっているのは、「平成」ライダーの最終回として実にきれいにまとめられている。
 しかも今回のクライマックスバトルでは、「平成」の時代に20年に渡って放映されてきた日曜朝のテレビシリーズに登場した仮面ライダー以外にも、ネットムービーやバラエティ番組、コミックなどのさまざまな媒体(ばいたい)で描かれてきた「平成」ライダーが集結し、グランドジオウが召還する正史の仮面ライダーたちと夢の競演を繰りひろげるのだが、果たして何が登場するかは観てのお楽しみ! ということにしておく。
 ちなみに先述した『仮面ライダーBLACK RX』と同時期に某(ぼう)バラエティ番組の枠内で描かれ、『RX』の東映側のプロデューサー・吉川進氏を「昨今のスーパーヒーローのギャグ化は、ヒーローの否定につながります。それにより数多くのヒーローが消滅していったことを銘記すべきです。高倉健クリント・イーストウッドと、「とんねるず」は同居できないのです」(「てれびくんデラックス 仮面ライダーBLACK・RX超全集」(89年8月10日・第1刷発行・ASIN:B00JTTHGT6))と、それこそ「ぶっとばすぞぉ~!」とばかりに否定的に語らせてしまった(爆)、あのとんでもないキャラまでもがソウゴを勇気づけるメッセージを放つ重要な役回りで登場しているのだ。


 まさに「平成」仮面ライダーの総決算として、百花繚乱(ひゃっかりょうらん)な顔ぶれが実現することとなったのは、「平成」ライダーのパイロット=第1話&第2話を定番で演出しながらも、意外や意外、劇場版は映画『仮面ライダー×仮面ライダー 鎧武(ガイム)&ウィザード 天下分け目の戦国MOVIE(ムービー)大合戦』(13年・東映)以来、久しく演出していなかった田崎竜太監督の手腕によるところが大きいだろう。
 なお、この『戦国MOVIE大合戦』は、『仮面ライダー鎧武』(13年)で「平成」仮面ライダーシリーズが15作品となったことを記念して製作されたものであり、戦国時代ならぬ戦極(せんごく)時代を舞台とし、織田信長をモチーフにしたノブナガ、徳川家康がモチーフのイエヤス、豊臣秀吉(とよとみ・ひでよし)がモチーフのヒデヨシなどのオリジナルの武将が登場したり、歴代「平成」ライダーのレギュラー俳優がお楽しみゲストとして多数出演するなど、製作の経緯や設定・世界観、演出に至るまで、今回の劇場版『ジオウ』ときわめて相似(そうじ)する作品だった。
 それを彷彿(ほうふつ)とさせたほどに、「平成」ライダーの総決算として充実した仕上がりになった本作だが、正史の仮面ライダーばかりではなく、「黒歴史」扱いされたライダーや「番外編」のライダーたちまでもがズラリとせいぞろいすることとなったのは、決して映画ならではの絢爛(けんらん)豪華な雰囲気を醸(かも)しだすばかりではなく、これまで「平成」ライダーが20年にも渡って描いてきた最大のテーマを総決算させるためでもあったのだ。


*「平成」ライダー最大の必殺技とは何か!?


 クライマックスバトルの直前、SOUGOは「平成」の時代を石ころばかりがめだつデコボコ道みたいな「醜(みにく)い」時代だったと定義し、我々はそれをきれいに舗装(ほそう)してやるのだと語るが、これに対し、ソウゴは「デコボコ道で何が悪い!」と云い放つ。
 確かに「平成」仮面ライダーは設定も世界観も主人公像も見事なまでにバラバラであり、作品ごとにファンの好みも大きくわかれてきた。筆者も大好きな作品もあれば、正直どうしてもハマれなかったり、許容したくない作品もあったものだ。
 ただ、自身の「仮面ライダー観」を声高(こわだか)に叫び、それにそぐわない作品を仮面ライダーとして認めようとしないのは、「平成」ライダーが20年にも渡って多様な価値観を訴えてきたにもかかわらず、それを認めようとはせず、反対勢力や少数意見を「敵」として徹底的にたたきつぶし、画一(かくいつ)的な価値観を押しつけるような輩(やから)が跋扈(ばっこ)することで、生きづらさを感じる人々が続出している近年の風潮(ふうちょう)に通じるものではないのだろうか!?


 先述した『仮面ライダー鎧武』の2号ライダー・駆紋戒斗(くもん・かいと)=仮面ライダーバロンは、「弱者が踏みにじられない世界」を実現させるために、最終展開で現在の世界を滅ぼそうとしたが、放映された2013年=平成25年の時点で、製作側はすでにその風潮を肌で感じていたのだろう。
 だが、現実世界が『鎧武』の放映当時以上に多様な価値観が否定される傾向が強まりを見せていることに危機感をおぼえたスタッフは、多種多様に描かれてきた「平成」仮面ライダーを総登場させることで、世の中にはさまざまな人間・考え方が存在し、それらはすべて尊重されねばならないというきわめてあたりまえのことを、あらためて訴えるべき必要性に迫られたのではなかろうか?
 ソウゴがSOUGOに放った「みんなバラバラであたりまえ」こそ、この20年間の「平成」ライダーの総決算なのだ。
 そして創作物ではない以上、「人生が醜いのもあたりまえ」とのソウゴのメッセージは、「平成」ライダー最大の必殺技ではないのだろうか? 


*新時代の仮面ライダーが継承すべきものとは?


 『ジオウ』の後番組であり、2019年5月1日の改元以降、初の仮面ライダーとなる『仮面ライダーゼロワン』(19年)の主人公ライダーのお披露目は、今回は冒頭と本編終了後のラストにて行われた。
 2019年7月17日に開催された『ゼロワン』の新番組制作発表会でも高々と喧伝(けんでん)されたように、今回の劇場版でも早速新元号・「令和」が何度も語られている。
 そして2019年末に公開される『ゼロワン』の劇場版は、映画『仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション』(19年・東映)と名づけられた。
 だが、仮面ライダーは「平成」で描かれてきたように、今後も多様な価値観を訴えつづけることで、「令和」=「和を命じる」=同調圧力には決して屈することなく、それと戦う姿勢を貫(つらぬ)いていくことだろう。


 近年では映画の封切を金曜日とすることで興行をロケットスタートさせる戦略があたりまえとなっているが、今回の劇場版は仮面ライダー映画としてはこれが初めての試みとなった。
 実は筆者が毎回ライダー映画を鑑賞している静岡県静岡市のシネシティザートは、これまでライダー映画を完全な子供向けのプログラムとして位置づけてきたことから、夜の上映回がいっさい設定されなかったために、仕事帰りに観るのが不可能だったのだが、今回は初めてそれが実現することとなったのだ。
 ライダーオタの男性と家族連れが圧倒的な昼間の上映とは異なり、スーツ姿のサラリーマンたち、ひとりで観に来た若い女性、ヤンキーっぽい連中など、さまざまな層が劇場に押し寄せていたものだ。
 そうした観に来てくれるハズの層をずっと切り捨ててきたのだと、シネシティザートの浅はかさをあらためて実感させられたものだが、仮面ライダーがそんなにも幅広い層に受け入れられるのは、さまざまな人物像・価値観を決して否定することなく、そのすべてを尊重しているからではないのだろうか?


2019.7.27.
(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2020年準備号』(19年8月10日発行)所収『劇場版 仮面ライダージオウ』合評より抜粋)


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少女☆歌劇 レヴュースタァライト ~声優がミュージカルも熱演するけど傑作か!? 賛否合評!

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[アニメ] ~全記事見出し一覧


 2019年7月から昨夏の深夜アニメ『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』(18年)が「スタァライト夏休みプロジェクト」と銘打って再放送中記念! とカコつけて……。
 『少女☆歌劇 レヴュー・スタァライト』評をアップ!


『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』 ~声優がミュージカルも熱演するけど傑作か!? 賛否合評!

『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』 ~賛否合評1・『少女革命ウテナ』の劣化コピーでも本家の作品群よりは上かも? 最上級の美麗なルックだが内容的にはイマ半か?


(文・T.SATO)
(18年8月2日脱稿)


 宝塚や今は亡きSKD松竹歌劇団みたいな、少女だけの歌あり踊りありのお芝居学校を舞台とした作品。と要約してイイのか? 多分違う(笑)。
 すでにBSやCSでは先行して、三森すずこら声優たちがアニメと同じ役柄を務める2.5次元の舞台版も放映されている。筆者は録るだけ録って観てはいないけど(笑~ググってみると、舞台版の方が原作扱い!)。


 毎回の各話ラストでは、少女2~3名が知られざる学校の地下劇場に突如拉致される。「アタシ 再生産」の巨大字幕とともに、美麗なバンク映像で長々と描かれる、カラフルな軍服か制服もどきのミニスカ衣装が、自動機械や自動ミシンで衣料から裁断、超高速で裁縫され、金具類の鋳造描写まである不条理な変身シーンが描かれる。
 ロートルのアニオタなら皆が思うだろうが、「セーラームーン」シリーズ2年目の『セーラームーンR』(93年)以降や『少女革命ウテナ』(97年)、『輪るピングドラム』(11年)に『ユリ熊嵐』(15年)などを手掛けた幾原邦彦カントクのスタイリッシュで様式美的・前衛芸術的な演出へのオマージュでもあるだろう。
 ついでに云うなら、『ウテナ』はともかく『ピングドラム』『ユリ熊嵐』での長尺不条理バンク映像は、自己模倣・劣化コピー・少々クドめ、キャラデザが萌えというより少女漫画系で、女性ファンもゲットしようとイロ目を使っているのもわかるけど、今の女オタの好みの絵柄とも違うのでは? という感じで、筆者個人は評価していなかったので(異論は受付ます・汗)、本作の塩梅&尺の取り方くらいがちょうどイイ。


 そして、ナゾの軍服・戦闘服に身を包んだ少女たちが、主役・センターだかメンバー選抜をめぐって、低音ボイスでしゃべる動物のキリンさんの審査員が見守る中、即興演劇だか剣戟バトルだかをくりひろげる。
 良くも悪くも歌&踊りがある作品は、集客的にも強いよネ。あわよくば、2.5次元演劇や、巨大ライブも開催して、スマホ音ゲー(ム)でも集金ができる。それの何が悪い。誰も不幸になってないゾ。ファンたちも確信犯で消費・蕩尽してるのだ! と思いつつも、長いモノ・流行りモノには巻かれたくない反発心からまた、別種の作品が誕生したりもするので、本作みたいな作品に反発する輩のメンタルもわかるし、半分同意もするけれど。


 製作はあまた(ほとんど?)の深夜アニメの製作委員会やスポンサーに名前を連ねるカードゲームのブシロードで、ついには主幹事会社の立場で、歌モノ・アイドルものの変化球として、昨17年にはガールズバンドを主題にしたゲーム&深夜アニメ『バンドリ! ガールズバンドバーティー!』を放ったが、続けて本作ではミュージカルを主題にしてみせたといったところか?
 しかも、前者は作劇的には良くても、少々低予算の並作画作品という感があったけど、本作は明らかにカネ&手間をかけた美麗かつアクションもある高作画作品になっている! てなワケで、前宣伝の段階からメジャー感も醸せていたワケだが……。


 ウ~ム。映像的には一級でも、お話の方は何やら索漠・散漫とした印象を受けなくもないのは筆者だけか? それとも、筆者もイイ歳こいて少々前衛ぶったメジャー感ある作品にムダに無意識に反発せんとして目が曇ってしまったか?(汗)


(了)
(初出・オールジャンル同人誌『SHOUT!』VOL.72(18年8月11日発行))


『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』 ~合評2・多数のキャラを見事に描き分け! 百合的三角関係も描くが、キモは各話ラストの不条理舞台劇バトル!


(文・久保達也)
(18年11月24日脱稿)


 歌劇を扱ったアニメとしては、個人的には♪ていこ~くかげきだん~という主題歌が妙に耳に残る『サクラ大戦(たいせん)』(00年)を連想してしまうが、その「ていこくかげきだん」の実体は、帝国「歌劇」団の皮をかぶった秘密部隊・帝国「華撃」団だった。
 まぁ、「過激」の意味もこめられていたような気もするが、本作は近年過剰(かじょう)気味なアイドルアニメのヴァリエーションに見えながらも、実はこの『サクラ大戦』的な戦闘美少女を主役にしたバトルファンジー路線に対するオマージュこそが、製作側が最もやりたいことであるのだろう。


 筆者が歳(とし)を食ったことが大きいのだろうが、近年の深夜アニメは第1話を観ただけでは主人公や主要キャラの名前が覚えられず、エンディングのクレジットで確認せざるを得ないものが多いような印象が強い。
 それらに比べると、本作の第1話で主要キャラが出席番号と名前を名乗りながら次々とレッスン場に入ってくるのが実に親切に思えたのみならず、ショートカットの娘はリーダー格、金髪モデル体型のコはスター級、パープル髪のメガネっ娘(こ)は負けず嫌いなど、キャラ同士のちょっとしたやりとりや仕草のみで視聴者に知らしめてしまう演出は、個人的には好感度が高い。


 いくらブシロードの製作とはいえ、オレンジとブラウンの中間色のショートボブヘアを髪飾りで結(ゆ)わえた、「はぁ~」「てへぇ~」なんて調子でやや天然ぶりを垣間(かいま)見せる、アイドルアニメ『ラブライブ!』(13年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20160330/p1)の主人公・高坂穂乃果(こうさか・ほのか)をまんまパクったような主人公の元気少女・愛城華恋(あいじょう・かれん)が、歌劇学校のルームメイトである青髪ロングヘアでおっとりした少女・露崎まひる(つゆざき・まひる)の大きな胸に、ストレッチの最中に顔を埋(うず)めるや、まひるが至福の表情でにんまりするだけで、「華恋ちゃん大好き!」であるのを描写しているのも絶妙だ。
 アイドルアニメのみならず、近年めだつ女性同士の恋愛を描いた百合(ゆり)ものの要素までをも導入しているのは心憎いが、そんな華恋とまひるの関係性が、第1話で早くも揺らぎはじめることとなる。


 イギリスの王立歌劇学校(爆)から転校してきた、黒髪ロングヘアに星の髪飾りをつけた、華恋曰(いわ)く「クール&ミステリアス」な美少女・神楽ひかり(かぐら・ひかり)は、実は華恋が幼いころに撮ったツーショット写真をいまだに自室に飾っているほどのおさななじみだ。
 その写真にも示されているのだが、かつて華恋が贈った星型の髪飾りを、ひかりがいまだにつけてくれていることに、華恋が感動の意を表しても、ひかりはただ一言、「別に……」。
 『ラブライブ!』では穂乃果の教育係(笑)的な側面もあった、やや潔癖性(けっぺきしょう)で神経質な同じく黒髪ロングの美少女・園田海未(そのだ・うみ)を演じていた三森すずこ(みもり・すずこ)が、海未とはまったく異なる演技で、穂乃果みたいな華恋とからむのも要注目だ。


 こんな華恋とひかりのやりとりを見ているだけでパニックになり、これまでふたりで暮らしてきた寮の部屋に、よりによってひかりも同居させると主張する華恋に「絶対ムリ……」とつぶやくまひる。そして、「迷惑なら」と、ひとりで住むことを選んだひかりもまた、華恋と同じ写真をいまだに大事に持っているのだ。
 この百合的な三角関係はもちろん男性オタを狙い撃ちにしたものだが、彼女らのデリケートな関係性を作品の縦軸としてうまく描写できれば、『ラブライブ!』同様に男性キャラが皆無(爆)でも、女性オタをもゲットできるやもしれない。


 だが、製作側が本当にやりたいのはここからだ。


 寮で姿が見えなくなったひかりを捜していた華恋はエレベーターに乗りこむや、超高速で地底深くに墜(お)ちていき、レヴュー=歌劇の客席に放りこまれる。その舞台では、ひかりと負けず嫌いのメガネっ娘が、先述した『サクラ大戦』みたいな軍服に身を包み、剣術バトルを繰り広げていた!
 ナゼかキリンの姿で低音の中年ボイスで語るそこの支配人(?)によれば、ここは歌劇のオーディション会場であり、華恋みたいに自分は到底スター級の同期生に追いつかないなどと嘆(なげ)くような向上心がない者が来る場所ではない、などと華恋を追い返そうとする。


 それに突然奮起した華恋は、「アタシ 再生産」なる字幕(爆)につづき、縫製(ほうせい)工場というよりは、赤い鉄が流れる溶鉱炉やプレス機械などがカットバックされる中でつくりだされた、軍服と制服のいいとこ取りみたいな萌(も)え衣装を装着するという、まさに『仮面ライダービルド』(17年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20180513/p1)みたいな変身を遂(と)げる!
 変身描写のラストに、多数のカラフルなルージュ(口紅)が並んでいることで、かろうじて女の子らしさが演出されているのはポイントが高い。


 「第99期生、愛城華恋! みんなをスタァライトしちゃいます!」と、華恋がスーパー戦隊みたいな名乗りをあげると同時に勇壮かつ可憐(かれん)な挿入歌が流れだし、華恋は舞台を超高速で駆け抜け、メガネっ娘が連射する多数の短剣をかわし、宙を蝶(ちょう)のように舞って蜂(はち)のように刺す! って、絶対人間業(わざ)じゃねぇよなコレ(爆)。『ビルド』の上堀内佳寿也(かみほりうち・かずや)監督以上にアバンギャルドな演出かも(笑)。


 この『少女☆歌劇』もあまたのアイドルアニメ同様に、声優たちが演じるキャラの衣装に身を包んで繰り広げるライブならぬレヴューが展開されているが、やはりバトル場面はワイヤーアクションで再現されるのか? 声優にも若干(じゃっかん)の運動神経が必要とされるなんて、エラい時代になりました(笑)。


(了)
(初出・オールジャンル同人誌『DEATH-VOLT』VOL.81(18年12月29日発行))


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翔んで埼玉 ~忌まわしき軽佻浮薄な80年代出自の北関東ディスりギャグを昇華!

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『翔んで埼玉』 ~忌まわしき軽佻浮薄な80年代出自の北関東ディスりギャグを昇華!

(19年2月22日(金)・封切)


(文・T.SATO)
(19年6月7日脱稿)


 我々オッサン世代にはTVアニメ化(82年)もされたホモ・ギャグ漫画『パタリロ!』(78年)で有名な魔夜峰央(まや・みねお)原作の同名のマイナー漫画(82年)が実写映画化。


 時は前世紀である20世紀。東京都は大いに栄えており、白亜の豪邸にゴシックな服装をした都民たちが裕福な生活をしていたが、荒川を挟んだ埼玉県では江戸時代か縄文時代のような暮らしをしており(!)、埼玉県民が東京都に入るには通行手形(!)が必要であった――さらに田舎の群馬県に至っては恐竜も生き残っている!?――。
 しかも埼玉県民が変装して都心で遊んでいても、特殊センサーがその田舎クサさを感知して警報が鳴って逮捕もされてしまうのだ!(笑)


 ドコから見ても完璧な身ごなしで東京都民にしか見えないGACKT(ガクト)演じる男子高校生(笑)が都心の白亜の大校舎の学園に転入してきた。しかし、彼の正体は埼玉解放戦線のメンバーでもあったのだ!
 そして始まる逃避行、そんな彼にホレてしまった東京至上主義者でもある生徒会長の少年――実質的には見た目もメンタルも少女(二階堂ふみちゃん・笑)――との道ならぬ恋&思想的成長。
 東京vs埼玉の合戦になるかと思いきや、東京とつるんだやはり縄文時代な千葉vs埼玉との合戦ともなり、しかして最終的には千葉&埼玉連合軍が神奈川県とも通じている東京都庁へと殴り込むのであった!
 もちろん設定からしてギャグであり、お芝居もオーバーアクションの学芸会のバカ映画でもある(イイ意味で!)。


 が、オッサンとしては、この原作漫画が発表された1982年末の時代背景との濃厚なつながりを想起せずにはいられない。オッサンの繰り言で恐縮だけれども、1982年よりも前の1970年代前半の若者文化とは、まだまだ日本が貧乏であり四畳半フォークソングが流行っていた時代で、70年代後半には少々音楽性(ポップス性)を高めた当時はニューミュージックと呼ばれた楽曲が流行しはじめるも、今も延命している中島みゆきに象徴されるように、それは演歌のポップス版とでも呼ぶべきモノで、消費文化の中でオシャレな自分に半ば陶酔しながら周囲に見せつけるためにリア充を装うといった体ではなく、ある種の実存的なヤルせない情念を歌い上げて、今で云う弱者やイケてない系にも手を差し伸べてくれるような包摂性があった。


 しかし、70年代末期に突如勃発したMANZAIブームで時代の空気――というか若者文化――は急に軽佻浮薄へと変わる。そこに82年10月からはじまった平日正午の帯番組『笑っていいとも!』でタレントのタモリが司会を務めて、それまでのアングラ芸人臭を払拭して躁病的な芸風で番組を盛り上げて、「ネアカ」「ネクラ」や「ダサい」という言葉も流行らかす。今で云う「陰キャラ」はダメ人間意識・過剰な劣等感を持たされて、今日的なスクールカーストもこの時代に誕生するのであった。
 それらの派生形としてタモリは、卓球はクラいスポーツ、埼玉や千葉(に名古屋)はダサい地域・田舎だとする芸も披露していく……。個人的には実に不愉快な忌まわしき時代であったけど、差別が大スキな大多数の庶民・大衆・愚民の皆さまには楽しくて楽しくて仕方がナイ黄金時代だったんじゃないのかとも思う(笑)――今では立憲民主党辻元清美も、30年も前の80年代末期に中型船舶で東アジア各地をまわる「ピースボート」活動を記した自著で「昔はイイと思っていたけど、今では『神田川』などのフォークソングは貧乏クサくてイヤだ」と語っていた(爆)――。


 40年近くが経った今ではそれらの地方イジりギャグも干からびて、皆もスレて慣れてしまって乾いた半笑いで受け流すようにも変転しているけど、往時のネクラ人種や埼玉や千葉などの北関東や東北地方の住民(の若者)は、TVに出て出身地なぞを聞かれると、ホントにガチで隠れキリシタンみたいな表情になっていたのだゾ(汗)。
 その反対に70年代末期には、『ポパイ』などの若者雑誌でアメリカ西海岸がカッコいいものとして紹介されることで、享楽的で南国的なフンイキもある沖縄などはカッコいい別格エリアとして昇格されていったというのが筆者の実感でもある。
 なので、今でも沖縄県民が本土に来ると差別されていると感じるなぞとのたまう御仁もタマにいるけど、失礼ながらそれは被害妄想であろう。ドー考えても若者文化の中では沖縄はオシャレであり、特に80年代における北関東や東北は笑いのめしてもイイ、小さなイジメもOKな対象になっていたとも思うゾ(笑)。


 90年代後半以降のネット普及後であれば、人数的には実は少数派でも声はデカいので多数派に見えるネット民が噴き上がってくれて、TV局やタモリにDQNな視聴者どもをネット上で叩いてくれることで圧力となって自粛も働いたのであろうけど、その前後の時代とは異なり80年代とはホントにヤリたい放題、お笑い芸人が視聴者や観覧客もほとんどイジメのイジりたい放題であったのだ。
――ネット民とはネトウヨやパヨクも含む。連中にはまだ何らかの社会正義・公共への関心がある。身の回りの半径数十メートル・地元の友人たちへのウケ狙いにしか関心がナイ私的快楽至上主義者で食材を粗末に扱うバカッター民たちの方が筆者にははるかに呪わしい。ヒトが物理的・肉体的に傷つくワケでもないのにネットの炎上の方を批判して、バカッター民を弱者として擁護するリベラル連中も倒錯しているとも思う(爆)――


 とはいえ、それから30年以上が過ぎると、バブル崩壊により狂騒的な空気も消え去って、お笑い芸人も元からクラスの中心にいた連中らではなく「中学ン時イケてない芸人トーク!」のようにコミュ力弱者がリハビリのために芸人になったようなヤツらが多数派を占めるようになった昨今(笑)、江戸の仇を長崎で取ろうとする気力は筆者にももうナイ。
 タモリもあそこでブーストをかけなければ80年代を生き残れずに、70年代末期のアングラ芸人として消え去っていたとも思うので、今がイイから過去もすべて許すとかではなくその功罪両面は明らかにしたいけど、そこにルサンチマンを過剰に忍び込ませる気もまた毛頭ナイ。
 まぁそれは筆者自身も加齢で枯れつつあるからでもあるし、埼玉ディスりのギャグが陳腐化・形骸化・歌舞伎的様式美と化して、そのまた後世にイジられても三枚目を演じて笑いで受け流すようなコミュニケーション流儀が日本人の間で新たに勃興するようにもなったからでもあるけれど。何気ないコミュニケーションの仕方にもここ数十年の間でいろいろと変化がありました。そのへんは別の作品評にカラめて今後とも「ついで」のオマケとして語っていく所存だ。


 ちなみに「翔んで埼玉」の「翔んで」の方は、1976年に大ヒットした司馬遼太郎西郷隆盛&親友・大久保利通を描いた歴史小説翔ぶが如く』(薩摩隼人らのことを指す)での意図的な漢字誤用のタイトルに端を発しており、それを受けて77年には「翔んでる女」が流行語、78年の歌謡曲かもめが翔んだ日」&大人気漫画「翔んだカップル」でも一般化を果たして、筆者も子供心にカッコいいと思った漢字語句でもある。
 79年には我らが愛するジャンル作品でも『機動戦士ガンダム』(https://katoku99.hatenablog.com/entry/19990801/p1)主題歌「翔べ! ガンダム」やTV時代劇『翔べ! 必殺うらごろし』などのタイトルにも引用されるほどであり、かつてほどではナイけれども現在でも衰えることはないカッコいい漢字でもあるので――一番好んでいるのはヤンキー連中だとは思うけど(笑)――、「翔」に「とぶ」という読みは本来はナイのに、今ではすっかり日本語に定着した新造語句でもある。本作のタイトルもそんな時代風潮を受けたモノでもあったのだ。
 以上、歴史証言的な豆知識!


(了)
(初出・オールジャンル同人誌『DEATH-VOLT』VOL.82(18年6月16日発行))


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(19年5月31日(金)・封切)
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(19年6月13日脱稿)

空前のゴジラブーム再び!?


 ギャレス・エドワーズ監督による映画『GODZILLA ゴジラ』(14年・東宝https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190531/p1)で東宝の怪獣映画・ゴジラシリーズが、映画『ゴジラ ファイナル ウォーズ』(04年・東宝http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060304/p1)以来、実に10年ぶりに復活して以降、かのロボットアニメ・『新世紀エヴァンゲリオン』シリーズ(95年~・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20110827/p1)で有名な庵野秀明(あんの・ひであき)総監督による映画『シン・ゴジラ』(16年・東宝http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20160824/p1)に、魔法少女アニメ・『魔法少女まどか☆マギカ』(11年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20120527/p1)や、『仮面ライダー鎧武(ガイム)』(13年)のメインライターとして知られる、虚淵玄(うろふち・げん)が脚本を務めたアニメ映画『GODZILLA 怪獣惑星』(17年・東宝http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20171122/p1)にはじまる三部作と、この5年間は毎年のように、新作ゴジラ映画が観られる状況がつづいている。
 先述した『GODZILLA ゴジラ』で劇場を埋めつくした客は、もうあきれるばかりに中年のオッサンばかりで、そこにオバサンとおじいさんがわずかに混じるという惨状(笑)だったのだが、これはまる10年間も新作ゴジラ映画が製作されなかったために、ゴジラの商品的価値が完全に地に堕(お)ちていた当時を象徴するものだった。


 それがあの庵野監督がゴジラを撮る! といった話題性のみならず、そこで描かれた政界ドラマを、左右の政治家連中をはじめ、識者やマスコミが大絶賛、怪獣映画としては異例の82億5千万円(!!)――ちなみに『GODZILLA ゴジラ』は32億円にとどまった――もの興行収入をあげた『シン・ゴジラ』を契機に、世間は一転してゴジラに注目することとなり、さらにゴジラがアニメ映画の三部作として製作されたことも、それまでゴジラを知らなかった、あるいは無関心だった若者たちを誘致するには、一定の効果をあげてきたかと思える。
 今回の『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』を、筆者は公開初日のレイトショーで鑑賞したのだが、金曜日の夜だったこともあってか、昔からの熱心な中年ゴジラファン以上に、一般のカップルや老夫婦(!)などの姿も多く見られ、若者たちも男子のみならず、ひとりで観に来た女子も目立ち、それもオタではないであろう、フツーにリア充に見える娘までもがいたほどだったのだ。
 わずか5年前に公開された『GODZILLA ゴジラ』の当時とは隔世(かくせい)の感があったのだが、まさに「継続は力なり」というべきであり、映画『ゴジラVSデストロイア』(95年・東宝)と映画『ゴジラ2000(にせん) ミレニアム』(99年・東宝)の間に生じた、たった4年のブランクが、いわゆるミレニアムゴジラシリーズ(99~04年・東宝)の興行を低迷させる要因となったことを思えば、今後もゴジラ映画を継続して製作・公開していく必要があるだろう。


「モンスター・ヴァース」=怪獣世界シリーズ最新作!


 さて、『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』は、先述した『GODZILLA ゴジラ』の続編なのだが、ゴジラが主役ではなく、アメリカの「キング・オブ・モンスターズ」=怪獣王・キングコングが主役の映画『キングコング:髑髏島の巨神(どくろとうのきょしん)』(17年・アメリカ・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20170507/p1)とも、世界観を共有した続編でもある。
 これのエンドタイトル後の映像にて、今回登場する怪獣王ゴジラ・宇宙超怪獣キングギドラ・巨大蛾(が)モスラ・空の大怪獣ラドンが描かれた太古の壁画が登場するのが、まさに今回の予告編の役割を果たしており、『GODZILLA ゴジラ』にはじまる一連の作品群を、製作側では「モンスター・ヴァース」、直訳すると「怪獣宇宙」=「巨大怪獣たちが存在する作品世界のシリーズ」と名づけていることから、正確には本作はその第3弾にあたるのだ。
 先述したミレニアムゴジラシリーズの興行が低迷したのは、毎回世界観がリセットされてしまい、1作1作が独立した作品となっていたために、観客がシリーズを歴史系譜的に追いつづける楽しみを奪われていたことも大きかったのであり、それぞれ主演作品を持つアメコミヒーローが大集合する映画『アベンジャーズ』シリーズ(12年~・アメリカ)のように、ゴジラキングコングの世界観をクロスオーバーさせた今回の作劇の手法は、戦略的には実に正しいものだといえるだろう。


 その怪獣対決=「怪獣プロレス」路線は、1970年代末期から2000年代初頭に至るまでの特撮論壇では、1950年代半ばから1960年代前半に東宝が製作した、初期の特撮怪獣映画のマニアたちから最も毛嫌いされたものであり、あの『シン・ゴジラ』に対しても、ゴジラしか怪獣が登場せず、怪獣対決が描かれないのがいい、として評価を高くするような、あいかわらずの輩(やから)がいたほどだった。
 だが、今回の『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』は、1945年8月6日に米軍が広島に原爆を投下した直後からゴジラが目撃されるようになったと設定したほどに、「最高の恐怖」「テーマは『リアル』」「1954年の第1作『ゴジラ』の精神を受け継ぐ」がキャッチコピーだった『GODZILLA ゴジラ』の続編にもかかわらず、そのテイストはまったく相反するものであり、まさに怪獣対決=「怪獣プロレス」を前面に押しだした、きわめてエンタメ色の強い作風となっているのだ。


 人間側の主人公は、生物の生体音を流すことでその行動を操作することが可能な装置・オルカを、大学時代に共同で開発し、その後結婚して息子と娘をさずかるも、2014年にサンフランシスコで起きたゴジラVS怪獣ムートーの戦いで息子を失い、怪獣に対する考え方の違いで離婚した、ともに生物学者のマーク&エマのラッセル夫妻と、その12歳の娘・マディソンであり、一家が怪獣災害に巻きこまれる中で心の変遷(へんせん)や関係性の変化が生じた末に、家族再生を果たすという、近年では『ウルトラマンR/B(ルーブ)』(18年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20180826/p1)でも見られた、いわばホームドラマ的な展開を主軸に据(す)えている。
 そして彼らを取り巻く存在として、先述したように、広島原爆投下直後から謎の巨大生物が目撃されたのを契機に、1946年に現実世界のトルーマン大統領によって(!)秘密裏(り)に設立された、世界中に前進基地を置いて怪獣たちの動きを監視する未確認生物特務機関・モナークが、『GODZILLA ゴジラ』、そして『キングコング:髑髏島の巨神』にひきつづき登場することで、世界観の共有を観客に印象づける。
 そのモナークに所属する生物学者であり、『GODZILLA ゴジラ』につづいて登場する、今や国際スターとなった渡辺謙(わたなべ・けん)が演じる芹沢猪四郎――せりざわ・いしろう。『ゴジラ』第1作のもうひとりの主人公・芹沢大助博士と、「昭和」の東宝特撮映画の多数を監督した故・本多猪四郎(ほんだ・いしろう)をかけ合わせたネーミングだ――博士をはじめとする科学者陣と、黒人女性のダイアン・フォスター大佐が率いるG(ジー)チームなる武装部隊でモナークは構成されており、それぞれのゴジラや怪獣たちに対する思惑の違いが描かれる。
 そして人間側の悪役として登場するのは、元イギリス軍の大佐であるも、現在は多数の傭兵(ようへい)を従え、環境テロリストとして暗躍するアラン・ジョナであり、先述したオルカで怪獣たちを操って世界を支配することをたくらみ、エマ&マディソン親子を拉致(らち)、エマに自身の野望への協力を強要するのだ。


*「怪獣プロレス」を盛りあげるための「ホームドラマ」!


 先述したゴジラのアニメ映画三部作もそうだったが、これだけ多数の人間キャラが登場すれば、その群像劇を観ているだけでも充分におもしろく、そのアニメ三部作でゴジラの登場が少なかったことが、正直個人的には全然不満に思えないほどだった。
 熱心なゴジラファンからすればやはりそれが難点だったのであろうが、『シン・ゴジラ』もゴジラの登場場面はかなり少なかったのであり、その政界群像劇を絶賛しておきながら、ゴジラアニメ三部作を批判するのは、おもいっきりのダブルスタンダードかと思えるのだが(笑)。


 それはさておき、先述したように、本作は科学者夫妻とその娘が中心となるホームドラマ的展開であるのみならず、環境テロリストのアランに積極的に協力し、世界各地を怪獣に襲撃させたエマが、それこそ『ウルトラマンガイア』(98年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/19981206/p1)の藤宮博也(ふじみや・ひろや)=ウルトラマンアグルをはじめ、90年代後半から00年代前半の特撮作品にありがちだった、人類は地球を汚すガン細胞だから滅ぼすべき(笑)といったセリフをモロに放つ描写まであるほどなのだ。
 だが、ホームドラマ的な展開が世界観を矮小(わいしょう)化するワケでも、人類批判セリフによって陰鬱(いんうつ)な作風に陥(おちい)ることもないのは、本作の人間ドラマが怪獣対決=「怪獣プロレス」の魅力を阻害しないかたちで点描されるというよりは、むしろ「怪獣プロレス」を盛りあげるために欠かせない要素に至るまでに昇華しているからだ。


 先に今回の本編部分をホームドラマ的展開と書いたが、それは決して、かつて揶揄(やゆ)されたような「メシ食いドラマ」(笑)ではない。
 もちろん冒頭ではマディソンが実の父・マークから来たメールへの返信に夢中だったために、つけっぱなしのガスレンジで朝食を焦(こ)がしてしまう、なんて「日常」が描かれるが、中国の奥地にあるモナークの基地にエマが呼び出されて以降、ラッセル家はマークもエマもマディソンも、ほぼ「非日常」の世界に放りこまれたままとなり、家族の心の変遷や関係性の変化はそこで描かれていくのである。


 これは娘のマディソンの描写に最も色濃く表れており、中国のモナーク基地でモスラの卵が突然孵化(ふか)し、芋(いも)虫のような幼虫が基地内で暴れ、口からの粘液(ねんえき)で固められたり巨体に吹っ飛ばされたり瓦礫(がれき)の下敷きになったりして、大勢の隊員が死んだと思われるも(汗)、エマがオルカを発動させるやモスラがおとなしくなったことに、マディソンは母・エマの研究に敬意を表し、満面の笑(え)みでエマと抱き合うのである。
 だが、その後エマとマディソンはアランが率いる傭兵たちによって、奴らが占領したモナークの南極基地に監禁され、マークがモナークの主要キャラたちと救助に来るも、エマがそれを拒絶するどころか、基地で氷漬(づ)けにされていたキングギドラを起動させ、エマの夫であり、マディソンの父であるハズのマークを絶体絶命の危機に追いやったことから、マディソンは次第にエマ、そしてエマの研究に対して疑念の目を向けるようになるのだ。
 そして決定打となったのは、メキシコの火山で眠っていたラドンをエマが起動させたことだ。せめて住民の避難が完了するまで待ってほしいとのマディソンの頼みに、エマが耳を貸さずにオルカでラドンを眠りから覚ましたことで、映画『ゴジラVSメカゴジラ』(93年・東宝)に登場したファイヤーラドンのように、全身がマグマの熱で燃えたぎったラドンの急襲により、麓(ふもと)の市街地は壊滅してしまう。


 ここに至り、ついにマディソンは「ママこそモンスター」だとして、エマ、そして怪獣を自在に操るエマの研究を非難し、ひそかにオルカを持ち出して、アランたちのアジトからただひとりで脱出するのだ。
 カットによっては少年のようにも見える、マディソンを演じる黒髪ショートヘアのミリー・ボビー・ブラウンは本作がスクリーンデビューだそうだが、その演技はとてもそうとは思えないほどに絶品かと思えた。
 このように、ラッセル家の心の変遷や関係性の変化は、怪獣の出現・大暴れ・対決といった特撮の見せ場と常に連動するかたちで描かれており、本編のホームドラマと特撮の「怪獣プロレス」のクライマックスが、渾然(こんぜん)一体となって盛りあがるように組み立てられているのだ。
 これは近年の「平成」仮面ライダーと同じ手法だといえるだろう。


*「怪獣プロレス」至上主義のオタ監督(笑)


 もちろん今回の怪獣たちも、日本の怪獣映画の伝統として用いられてきた、怪獣の着ぐるみを着用したスーツアクターによる演技ではなく、CGで描かれているのだが、特にゴジラキングギドラのデザインや動きは、巨大怪獣というよりは、中に人が入った怪獣の着ぐるみをリアルに再現しているかのような印象が強いのだ。
 たとえばキングギドラをCGで描くのなら、先述したアニメ映画版三部作の最終章・『GODZILLA 星を喰(く)う者』(18年・東宝http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20181123/p1)に登場したギドラのように、全長20キロメートル(!)もある超巨大な竜だとか、半透明で実体のない高次元エネルギー体だとか、その気になればもっと自由奔放(ほんぽう)なイメージにすることもできたハズだ。


 だが、今回登場したキングギドラは、デビュー作となった映画『三大怪獣 地球最大の決戦』(64年・東宝)以来、「昭和」「平成」のゴジラシリーズで継承されてきた3本の首・2本の尾・巨大な羽根のスタイルを踏襲(とうしゅう)しており、映画『ゴジラモスラキングギドラ 大怪獣総攻撃』(01年・東宝)に護国聖獣として登場したキングギドラほどではないにせよ、首や足がかなり太めなマッチョなスタイルなのだ。
 マークたちの危機に颯爽(さっそう)と駆けつけたゴジラは、南極に上陸するや、いきなりキングギドラの首を両腕でかかえこみ、氷原にたたきつけたのだ!
 筆者はこの場面を観て、脚本も担当したマイケル・ドハティ監督が今回描きたかったのは、「怪獣対決」ではなく、あくまで「怪獣プロレス」であり、そのためにはキングギドラは先述した『星を喰う者』のギドラのように、あまりにもデカすぎるとか、ファンタジックなイメージではなく、それこそ中にマッチョなアクターが入っているかのような、「人間体型」でなければならなかったのだろう(笑)。


 本作でキングギドラは「モンスター・ゼロ」と呼称されているが、古い世代のマニアであれば、映画『怪獣大戦争』(65年・東宝)に悪役として登場した、自分たちも名前という固有名詞を持たず、すべての生物を番号で呼んでいたX(エックス)星人が、キングギドラを「怪物0(ゼロ)」と呼称していたのを引用したのだと、即座に気づくことだろう。
 ただ『怪獣大戦争』は、かつて『GODZILLA VS.MONSTER ZERO(モンスター・ゼロ)』なるタイトルで公開されたこともあることから、元々アメリカではキングギドラの「モンスター・ゼロ」なる別名義は、むしろ日本以上にポピュラーだったようである。
 ちなみにX星人はゴジラを「怪物01(ゼロワン)」、ラドンを「怪物02(ゼロツー)」と呼んでいたのだが、たったそれだけの描写が、X星人が地球外生命体であることを濃厚に感じさせ、子供心をワクワクさせたものであり、幼いころにゴジラ映画に感じた、そんなワクワク感を、ドハティ監督は今回徹底的にブチこんでいるように思えるのだ。


 ラドンが市街地に巻き起こした衝撃波で、メキシコ軍の隊員たちが必死に樹木にしがみつきながらも吹っ飛ばされてしまう描写は、映画『空の大怪獣ラドン』(56年・東宝)の福岡襲撃場面を彷彿(ほうふつ)とさせるが、ここで市街地の広告看板がやたらとめだつのは、『ラドン』の該当(がいとう)場面にあった「森永ミルクキャラメル」とか、「お買い物なら新天町」に対するオマージュなのか?(爆)
 そもそもラドンの造形――あえてこう書く――や動きも、そのモチーフとなった実在した翼竜プテラノドンのようなシャープなイメージではなく、『ラドン』で使用されたギニョールを操演で動かす演出を、ワザワザ再現しているかのようだ(笑)。
 戦闘機のコクピットからの主観映像と、ラドンが蝶(ちょう)のように舞い、蜂(はち)のように戦闘機群を次々に撃墜させる描写を交錯させた演出もまた然(しか)りだ。


 キングギドラが目覚めたのを機に、世界各地で17匹(!)もの怪獣がいっせいに暴れだすのは、もはや映画『怪獣総進撃』(68年・東宝)や、『ゴジラ ファイナル ウォーズ』のうれしいパクリとしかいいようがないのだが、その中には先述した『キングコング:髑髏島の巨神』に登場したキングコングや、巨大グモのバンブー・スパイダー、『GODZILLA ゴジラ』に登場したムートーらが含まれており、本作がそれらのれっきとした続編であることを強調しているのは実に好印象だ。
 幻想的で優雅(ゆうが)な巨大な羽根以外、昆虫らしさをCGでリアルに描いたモスラが成虫と化す場面では、映画『モスラ』(61年・東宝)でインファント島の小美人が歌唱して以来、「昭和」から「平成」に至るまでモスラのテーマ曲として継承された「モスラの歌」のメロディが流れ、ボストンでのゴジラVSキングギドラのラストバトルでは、とうとう故・伊福部昭(いふくべ・あきら)作曲の「ゴジラのテーマ」まで流れてしまった。
 先述した『シン・ゴジラ』でも、『エヴァンゲリオン』の音楽を担当した鷺巣詩郎(さぎす・しろう)による劇伴(げきばん)が流れる中、庵野総監督もこれをやらかしたが、ドハティ監督のオタクぶりは、まさに庵野氏に匹敵するというところか?(笑)
 その『シン・ゴジラ』や『ゴジラVSデストロイア』のクライマックスバトルみたく、最後はついにゴジラは全身が真っ赤に発光する、バーニングゴジラと化してしまいましたとさ(爆)。


アメリカで流通した「ゴジラ観」とは?


 まぁ、アメリカではすでに1960年代の昔から、ケーブルテレビにてゴジラ映画をはじめとする日本の特撮怪獣映画が再三放映されており、かのスティーブン・スピルバーグジョージ・ルーカスティム・バートンといったハリウッドの巨匠(きょしょう)たちも、それを機にゴジラに夢中になったクチである。
 1974年生まれのドハティ監督もまた、幼いころから日本のゴジラ映画を観ていたようだが、先述した巨匠たちが幼かったころには当然ながらアメリカではまだ放映されるハズもなかった、娯楽志向や子供向けの作風が強まり、ゴジラが悪役から正義の味方へと次第にシフトしていった、「昭和」の後期ゴジラシリーズに触れたことが、「怪獣プロレス」をウリにした、今回の『キング・オブ・モンスターズ』の作風に影響を与えたのかもしれない。


 なお、かつて『ニューウェイブ世代のゴジラ宣言』(JICC出版局・85年1月1日発行・ASIN:B00SKY0MJW)に掲載された「ゴジラ映画30年史」と題したコラムにて、「ついにゴジラにガキまでできた。もうゴジラもダメである」(笑)とされた映画『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』(67年・東宝)や、「ゴジラシリーズ最低の内容である」とされた映画『ゴジラ対メガロ』(73年・東宝)など、80年代から90年代の日本の怪獣評論では「駄作」扱いされたそれらの作品も、アメリカではリピート率が高かったためか、結構人気があったそうだ。
 もちろん国民性の違いもあろうが、決してドハティ監督に限らず、少なくともアメリカでは、ゴジラは「反核」の象徴だの、「恐怖」の対象だの、「悪役」の怪獣だのと認識されていたワケではなかったのは確かだろう。
 そもそも全米で『ゴジラ』第1作が初公開されたのは意外や意外、なんと日本の封切から50年後(!)の2004年のことだったのだから――1956年にアメリカで公開された映画『GODZILLA,KING OF THE MONSTERS!(ゴジラ キング・オブ・ザ・モンスターズ)』は、『ゴジラ』第1作から核兵器に関するくだりをすべて削除し、ハリウッド俳優の出演場面を加えた「改変版」にすぎなかった――。


 ちなみに日本で第3次怪獣ブームが起きていた1978年、つまり、ドハティ監督が4歳のころに、アメリカのアニメ製作会社ハンナ・バーベラ・プロダクションによる『Godzilla』と題したテレビアニメの放映がスタートしている。
 内容は「人間の味方」の怪獣王・ゴジラが、映画『大怪獣バラン』(58年・東宝)の主役怪獣・バランのように、手足の間の皮膜(ひまく)で空を飛べる親戚(しんせき)怪獣(笑)・ゴズーキーや、調査船・カリコ号の船長や乗組員たちと、人間の言葉で会話をしながら(爆)、世界を旅する中、さまざまな怪獣や古代恐竜、雪男に宇宙人、はたまた犯罪組織やクローン人間(笑)などと対決するものだった。
 ここで描かれたゴジラは、たしかに「反核」でも「恐怖」でも「悪役」でもなく、おもいっきりの正義のヒーロー怪獣だったのだ(爆)。


 これがアメリカで放映されていたころ、日本では東宝怪獣映画やウルトラマンシリーズが盛んに再放送されていたが、初期東宝特撮映画や第1期ウルトラマンシリーズの至上主義者たちが書いたマニア向けの商業本を、まだ読めるハズもなかった当時の就学前の幼児や小学校低学年の子供たちは、そんな大人向け書籍の影響を受けることも、初期だの後期だの第1期だの第2期だのと区別することもなく、ゴジラウルトラマンも、すべての作品をありがたく享受(きょうじゅ)していたのだ。
 そんな彼らと同世代のドハティ監督が、旧来のゴジラファンからすればとんでもアニメとしか思えない『Godzilla』を、「これがゴジラだ」とありがたく受け入れ、氏の「ゴジラ観」が形成される中で、多大な影響を及ぼすこととなった可能性も充分に考えられるだろう。


*ドハティ監督が「怪獣プロレス」にこだわった理由とは?


 今回の『キング・オブ・モンスターズ』で、『ゴジラVSメカゴジラ』のファイヤーラドンや、『ゴジラVSデストロイア』のバーニングゴジラに対するオマージュが見られたことから、ドハティ監督は20歳前後になってもゴジラ映画を観つづけたと思われるのだが(笑)、映画『ゴジラVSビオランテ』(89年・東宝)から『ゴジラVSデストロイア』に至る「平成」ゴジラシリーズでは、「昭和」の時代と違って高層の建築物が激増したのを背景に、作品を重ねるごとにゴジラの身長と体重が巨大化する一方となり、その着ぐるみはかなり重量感を増した造形となっていた。
 ゆえに撮影の現場ではスーツアクターが思うように動けなかったことから、「平成」ゴジラシリーズの故・川北紘一(かわきた・こういち)特撮監督はその代わりとして、光線や熱線をはじめとする怪獣たちの必殺技を、作画合成でハデに描く演出を優先したのだ。


 だが……


「平成になってから、どうも怪獣同士の取っ組み合いが少ないような気がするのですが。たとえば、ガバラ――映画『ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃』(69年・東宝)の敵怪獣――を一本背負いしたり、キングコングに蹴(け)りを食らわせて崖(がけ)から突き落としたりですね、あれやっぱりいいんですよ。ああいうのをやってほしいなと思うんですが」


 これは東京の新宿・歌舞伎町(かぶきちょう)にあるロフトプラスワンで、1999年3月18日に開催された「ゴジラ復活祭」と題したトークライブ第1回にて、当時の東宝映画プロデューサー・富山省吾(とみやま・しょうご)に対してファンから出された意見だが、先述した「平成」ゴジラシリーズの特撮演出を「光線作画の垂れ流しばかりでおもしろくない」とする批判の延長として、かつては怪獣映画が幼稚になった根源としてさんざん非難されてきた「怪獣プロレス」を肯定(こうてい)してみせたのだ。
 ホントにマニアは勝手だが(笑)、当時20代半ばとなっていたドハティ監督も、やはりマニアのはしくれとして、「平成」ゴジラシリーズにはこれと同様の感想を抱(いだ)いていたのかもしれない。
 今回のゴジラは、先述したアニメ映画三部作のゴジラのように、森林が生(お)い茂った巨大な山が動いていると思えるほどに、かなりマッチョなスタイルだが、ドハティ監督は重すぎて動けなかった「平成」ゴジラのデザイン・造形をわざわざ再現することで、故・川北特撮監督に代わってデカいゴジラをCGで自在に動かすリベンジをやらかしたのではあるまいか!?


 もちろんCGを駆使して描かれた、青白く発光するゴジラの背びれ、空のキングギドラに向かってゴジラが首を真上にして(!)口から放つ青白い放射能火炎、キングギドラの全身に常にほと走る金色のイナズマ、マグマの高熱で全身が真っ赤に染まったラドンなどの描写は、『ウルトラマンA(エース)』(72年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20070430/p1)第21話『天女の幻を観た!』(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20061009/p1)で実にハデな必殺技を多数描いた特撮演出デビュー以来、カラフルな作画合成を得意とした故・川北特撮監督に対するリスペクトとも解釈できる演出であり、ゴジラを「青」、キングギドラを「金」、ラドンを「赤」とするカラーイメージの統一にも成功しているのだ。
 また、高熱を体内に有したキングギドラの周囲では常に雷雲が発生するために、気象レーダーではその姿が台風のように表示されるとか、ゴジラとの対決を含めた活躍場面が常に暴風雨の中で描かれるのは、CGの利点を駆使したビジュアル的なハデさのみならず、キングギドラが南極基地で捕獲されたことに説得力を与えるほどに、かつての東宝怪獣映画の魅力だった疑似(ぎじ)科学性をも継承したものだといえるだろう。
 さらにゴジラキングギドララドンの巨大な目を、人間たちの背景に強調して描くことで怪獣の「恐怖」をあおったり、ラドンとの対決で勝利したキングギドラが、麓の街が壊滅したメキシコの火山の頂上で、勝利の雄叫(おたけ)びをあげるさまをロング(ひき)でとらえたカットで、画面手前に教会の十字架を大きく描いた「滅びの美学」的な演出――個人的にはキングギドラのカッコよさが最も感じられたカットだ――には、初期東宝特撮映画至上主義の古い世代のマニアたちも、おもわず注目するかと思えるのだ。


*芹沢博士に自己投影した特撮マニアの『ゴジラ』第1作へのリスペクト


 もちろん『ゴジラ』第1作への原点回帰を狙った『GODZILLA ゴジラ』の続編である以上、やはり原点に対するリスペクトも見られないワケではないのだが、そちらは実にあっさりと済まされている感が強いものがある。
 たとえば冒頭の議会の中で、モナークによる怪獣の生態や研究調査の報告・成果などの発表に対し、年配女性の議長が「小学生が喜びそうな講義をありがとう」と、あからさまにバカにした態度を見せ、議場で笑いが起きるさまは、『ゴジラ』第1作での初老の生物学者・山根恭平(やまね・きょうへい)博士の発言が国会で嘲笑(ちょうしょう)される場面を彷彿とさせるものだろう。
 ただ、科学者の言動が政界や自衛隊、マスコミなどの人間に嘲笑されるのは、『ゴジラ』第1作に限らず、「昭和」の東宝特撮映画では定番だったものであり、これはむしろ東宝特撮映画全体に対するオマージュであるとも解釈できるものだ。


 中盤でキングギドラをはじめとする怪獣たちを殲滅(せんめつ)する超兵器として登場する、『ゴジラ』第1作のラストで芹沢博士が使用したのと同じ名のオキシジェン・デストロイヤーも、アメリカ海軍のウィリアム・ステンツ大将――今回出番は短いものの、「少将」だった前作につづいて登場させることで、続編であるのをさりげなくアピールしている――が、あまりにもフツーに、かつ唐突(とうとつ)にそれを出すために、さほどの感慨もわかないくらいである。
 これも『ゴジラ』第1作に対するオマージュというよりは、むしろ半径3キロメートル以内の生物をすべて死滅させるハズのオキシジェン・デストロイヤーが通用しなかったことから、キングギドラを宇宙怪獣だと定義するのに説得力を与えるために、絶妙に機能させたという印象の方が強いのだ。


 ただし、今回のクライマックスバトル直前に見られた、「二代目」芹沢博士の行動は、まだ公開間もないことから詳述は避けるが、『ゴジラ』第1作ラストシーンの「初代」芹沢博士を彷彿とさせる姿で描かれた。
 芹沢博士を演じた渡辺謙は前作の公開時に、自身の役名の元ネタである故・本多猪四郎監督の名を「いしろう」ではなく、「いのしろう」と思っていたと発言し、大のゴジラ好きで知られる俳優・佐野史郎(さの・しろう)から「なんだおまえは!」と一喝(いっかつ)され、平謝りしたというエピソードがあるが、いや佐野センセイ、そりゃ一般人なら「いのしろう」と読んでしまいますって(笑)――ちなみに佐野氏は1955年、渡辺氏は1959年生まれで、ともに1966年~1967年の第1次怪獣ブーム世代である――。
 そんな渡辺氏ではあるが、前作、そして本作でも、共演するハリウッドスターたちが、皆ゴジラを「ゴッズィ~ラ」と発音する中、ただひとり「ゴジラ」と呼ぶことを、個人的には敬服に値すると思っていたのだ。


 そして氏が演じる「二代目」芹沢博士は、先述したオキシジェン・デストロイヤーによって一度は生体反応を止めてしまったゴジラに、日本語で「さらば、友よ」と呼びかける……
 ひたすら自宅にこもって研究の日々をすごすばかりで、先述した山根博士の娘・恵美子にひそかに想いを寄せるものの、リア充的な好青年・尾形秀人(おがた・ひでと)と恋仲だと知って落胆(らくたん)するなど、故・平田昭彦(ひらた・あきひこ)が演じた「初代」芹沢博士は、まだ(ひとり)ボッチアニメが存在しなかった70年代末期――この時代はようやく『宇宙戦艦ヤマト』(74年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20101207/p1)が注目されはじめたころであり、そもそもアニメは「大人」が観るものではなかったのだが――に起きた第3次怪獣ブームにおいて、その心象風景の描写が怪獣マニアたちから過剰(かじょう)なまでの感情移入を集めることとなり、それが当時『ゴジラ』第1作を神格化させる一因にもなったのではなかろうか?
 そんな「初代」芹沢博士にとって、ゴジラは実は唯一(ゆいいつ)の「友」といえる存在だったのではないのか!? と、今回「二代目」芹沢博士が放った「さらば、友よ」に、筆者は感慨を深くせずにはいられなかったのだ。


 「二代目」芹沢博士の自己犠牲によってゴジラは復活、キングギドラを倒すに至るほどの圧倒的なパワーを得ることとなるが、クライマックスバトルでは、キングギドラが口から放つ金色の電撃光線に敗れたモスラが光の粒子と化し、それを浴びたゴジラがさらにパワーアップを遂げ、全身を赤く発光させたバーニングゴジラとなる。
 モスラが成虫と化し、優雅な羽根を広げて飛翔する場面で、アジアの超美人女優=チャン・ツィイーが演じるチェン博士が、モスラを「怪獣の女王」(!)と呼び、モナークの隊員が「ゴジラモスラはいい仲なのか?」とつぶやくが、そんなモスラと同様に、ゴジラに力を与た「二代目」芹沢博士が、たしかにゴジラの「友」であったことを反復して描く演出は、本編の人間ドラマと特撮の「怪獣プロレス」のクライマックスを絶妙に融合させていたのだ。


*ハリウッドにお株を奪われた本家が進むべき道とは?


 キングギドラを倒し、天空に向かって勝利の雄叫びをあげるゴジラの周囲に、バンブー・スパイダー、ムートー、ラドンが集結、そこに入る字幕は「GODZILLA,KING OF THE MONSTERS!」=「怪獣王 ゴジラ」なる称号である。
 これは先述したように、1956年に『ゴジラ』第1作の「改変版」がアメリカで公開された際につけられたタイトルをそのまま引用したものだが、「怪獣の王」として君臨するゴジラをそのまま絵にして幕となる本作は、「怪獣映画」が好きな人間にとっては、実に満足度の高い作品になり得ていることだろう。
 本作の主人公親子・マークとマディソンがひきつづき登場する、まさに映画『キングコング対ゴジラ』(62年・東宝)の再来となる続編映画『ゴジラVSコング』が、2020年公開予定ですでに待機しているが、本作のラストシーンに、筆者的には先述したアニメ版のゴジラ映画三部作にもつづいていくかのような印象を受けるのだ。


 1999年5月、アメリカにカマキラスが出現して以降、21世紀前半にドゴラ・ラドンアンギラスダガーラ・オルガ……と、次々に現れた怪獣たちにより、世界各地は壊滅的な打撃を受けてしまう。
 そして2030年、アメリカ西海岸に出現したゴジラは、人類、そしてほかの怪獣たちをも駆逐(くちく)してしまう脅威(きょうい)的な存在であり、以後15年以上に渡り、人類は地球の覇権(はけん)をめぐり、ゴジラとの戦いを強(し)いられることとなる。
 これはアニメ版ゴジラ映画三部作の第1章・『GODZILLA 怪獣惑星』の導入部にて、その世界観を示すためにあらすじ的に描かれたものだが、今回の『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』は、まさにこれを1本の作品として映像化したかのような印象が強いのだ。


 『GODZILLA 怪獣惑星』では、コンピューターが選抜した1万5千人の人々が移住先を求めて2048年に地球を脱出するも、生存可能な星を発見できなかったために、20年後=地球時間では2万年後(!)に再度地球に帰還するが、そこはすでに人類が駆逐され、ゴジラをはじめとする巨大生物が君臨する星となっていた。
 『キング・オブ・モンスターズ』で、エマはこのまま人類が繁栄をつづけることによる地球の滅亡を阻止するために、怪獣を使って地球を本来の姿に戻すのだと主張していたが、アニメ版ゴジラ映画三部作の最終章・『GODZILLA 星を喰う者』では、先述した『怪獣大戦争』の悪役・X星人が元ネタの異星人・エクシフの神官・メトフィエスが、


「各惑星で知的生命たちが科学的に繁栄した末にゴジラ型の原子力怪獣が生まれて、その惑星の知的生命たちも怪獣災害による苦悩の果てにいずれは絶滅するのならば、この大宇宙も最後は時間・空間ごと「虚無」と化して終焉を迎えることの象徴でもある高次元怪獣キングギドラに人身御供(ひとみごくう)として捧げて、それら知的生命の終焉を人工的に早めることで、その苦悩も早めに除去してあげよう」(大意)


と語っており、この両者の行動の動機はイコールではないにしても相似(そうじ)しているとはいえるのだ。
 エマの願いが実現するには2万年もかかったのだが、次回作『ゴジラVSコング』の勝者が「怪獣王」のみならず、地球の「王」として君臨するようになれば、人類の行き着く先は、アニメ版ゴジラ映画三部作に描かれた未来と同様のものとなるだろう。
 『キング・オブ・モンスターズ』のラストで描かれた、壊滅した大都会で雄叫びをあげる怪獣たちの姿は、まさにその伏線であるといっても過言ではないのだ。


 また、息子を殺したゴジラに中盤までひたすら恨みをつのらせていたマークが、侵略者=キングギドラと戦うゴジラの姿に、実は地球の「守護神」であることを悟(さと)る関係性の変化も、かつて両親をゴジラに殺され、ゴジラ打倒に執念(しゅうねん)を燃やしつづけたものの、三部作の間に心の変遷を遂げ、最終章のラストで芹沢博士のようにゴジラと心中した、アニメ版の青年主人公=ハルオ・サカキにも相似するものだ。
 これらは創作の神様によるいたずらというよりは、今回のハリウッド版もアニメ版も、人類の原水爆実験によって誕生させられたゴジラは、そんなものを生みだしてしまう人類に時に牙(きば)を向けることで、前者はこの星を本来の姿に戻そうとする地球の「守護神」であると定義し、後者は放射能による突然変異で生じた新たなる生態系の「王」であると定義している点においてはきっちりと相違があり――優劣ではなく――、各作がそれぞれのゴジラ像を見事に描ききったとはいえるだろう。


 そんなゴジラの出自にも前作の『GODZILLA』2014年版よりは敬意を示しつつも、「反核」でも「恐怖」でも「悪役」でもなく、おもいっきりの正義のヒーロー怪獣・ゴジラで「怪獣プロレス」をメインに描いた、きわめて娯楽性の高いゴジラ映画が、とうとうハリウッドでつくられてしまい、興行通信社調べによるシネマランキングで、堂々初登場第1位に輝いたのだ!――ちなみに2週目は案の定、ディズニーのアニメ映画『アラジン』(19年・アメリカ)に首位を奪われたものの、第2位に踏みとどまった――


 『シン・ゴジラ』以来、日本の特撮怪獣映画としてはゴジラは3年間も眠りつづけたままとなっているが、2024年のゴジラ誕生70周年の際にでも……なんて悠長(ゆうちょう)に構えていたら、またハリウッドに先を越されてしまい、海の向こうで公害怪獣ヘドラやサイボーグ怪獣ガイガン、昆虫怪獣メガロやロボット怪獣メカゴジラが復活するかもしれない。
 巨大なイグアナがニューヨークの街をドタドタと走っていたハリウッド映画『GODZILLA』(98年・アメリカ)の時代ならともかく、ここまでやられてしまった以上、本家の日本としては、このまま手をこまねいている場合ではなく、早急に次の手をうつべきではないのか?
 近年の仮面ライダースーパー戦隊ウルトラマンメタルヒーローなどで、バトルアクションを中心に描きつつも、作品のテーマや人間ドラマもきっちりと内包した作品を手がけてきた坂本浩一監督にでも、日本版の『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』を早急に実現させ、本家としてのゴジラの真価を、世界中に見せつけてもらいたいものだ。


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2019年初夏号』(19年6月16日発行)所収『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』合評3より抜粋)


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 2019年4月28日(日)深夜から映画館で先行公開のオリジナルビデオ『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』6部作が、全13話に再編集されて『機動戦士ガンダム THE ORIGIN 前夜 赤い彗星』との副題を付けてNHK地上波にて放映中記念! とカコつけて……。
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機動戦士ガンダム THE ORIGIN』 ~ニュータイプレビル将軍も相対化! 安彦良和の枯淡の境地!

(文・T.SATO)
(19年6月6日脱稿)


 巨大ロボットアニメの金字塔『機動戦士ガンダム』(79年・81年に映画化・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19990801/p1)初作の「前史」を描いた『機動戦士ガンダム THE ORIGIN(ジ・オリジン)』(15年)6部作が、この2019年春からNHKの深夜ワクにて『前夜 赤い彗星』の副題を付けて、25分・全13話に再編集されて地上波初放映。


 読者諸兄の大勢もご承知の通り、この『ORIGIN』の原作は、初作のキャラデザ&作画監督を務めた安彦良和が早くも20年近くも前の西暦2001年に「ガンダムエース」誌・創刊号の目玉として連載を開始した、初作を若干の新解釈を踏まえてリメイクしたマンガ作品であり、足掛け10年もの連載がつづいた作品でもある。
 同誌のドル箱であった同作を少しでも延命させたい編集部の意向か、物語は中盤で初作の「前史」を単行本6巻もの分量を費やして延々と描いていく番外編へとスライド。『ORIGIN』で映像化されたのはこの「前史」の部分だけであり、奇しくも「ORIGIN」=「起源」というタイトルが、あとから「前史」だけを映像化した作品のタイトルの方にこそピタリとハマった印象だ。
 ゆえに本来は、初作とは細部が異なるリメイク漫画版『ORIGIN』序盤につながっていく物語ではあるけれど、少々の不整合に眼をつむればTVアニメ版初作やその再編集たる映画版の序盤につながる作品として捉えても大きな違和感がナイものともなっている。映像主体の「ガンダム」シリーズにおいては、小説や漫画などの番外編作品でも、それらを原作にあとから映像化されたモノの方が正史として扱われる傾向があるようにも思うので――『機動戦士ガンダムUCユニコーン)』(10年)など――、今回の『ORIGIN』もそのような位置付けとなっていくのであろう。


 原典たる初作では、旧独を模したとおぼしきジオン公国の侵攻を受けた、宇宙空間に浮遊する地球連邦側の植民用巨大円筒スペースコロニー・サイド7に住まっていた少年少女たちが、人手不足の地球連邦軍の最新戦艦に避難して、故郷を脱出する道程で生き延びるために仕方なく現地徴用兵士として戦争に身を投じていく「十五少年漂流記」スタイルの物語が描かれた。


 しかし、「前史」たる本作では、原典で主役巨大ロボ・ガンダムを操縦する少年主人公の宿敵となる敵ジオン軍の巨大ロボ乗りでありエースパイロットでもある金髪イケメン青年・シャアの方を主人公とする。
 そして、彼の少年時代からの来歴を、彼の父であり「宇宙移民こそがニュータイプ(新人類)だ」と主張したジオン・ダイクンを、彼の死に乗じてその権威を簒奪していくTV初作でもおなじみなザビ家の面々やその角逐に亡き次兄の顛末、シャアことキャスバル・ダイクンがその偽名を名乗るために幾人かの青年の命を奪ってきた策謀を、月のウラ側にある最果てのコロニー・サイド3における地球連邦の圧政や現地民の不満、その自治独立の機運をザビ家も代弁して「ジオン公国」を名乗らせて、かの国の巨大ヒト型ロボ=モビルスーツの開発史を通じてそのテストパイロットともなる初作の有名敵将、青い巨星ランバ・ラル黒い三連星ガイア・オルテガ・マッシュ、初作にシャアやランバ・ラルの配下として登場したスレンダー・デニム・クランプ・ドレンらの前歴を、ついには地球連邦政府に対して独立戦争を、そして地上にコロニー落とし作戦を敢行していく一連をも映像化していく。


 初作やその劇場版をリアルタイムで鑑賞した往年の少年少女であれば、特別に濃ゆいオタではなくとも、TV本編でもほのめかされ、当時のマニア向け書籍でも語られた「ルウム戦役」だの「南極条約」だのの「前史」はフワッとではあってもご存じであることだろう。若年の後追いマニアであってもガンダムオタクであれば、そのような「前史」はもちろん承知にちがいない。そんな「前史」がついに最高級の作画クオリティーにて本格的に映像化を果たす日が来たのだ。しかも安彦の達筆で柔らかい描線をも見事に再現したキャラたちは、身振り手振りや表情も実に豊かにお芝居をしている――時には古き良き大時代のマンガのようにコミカルに崩したりもするけど、それもまた愉快(笑)――。


 もちろんこのような一連は「爛熟の果ての徒花」、ニッチなニーズをねらった狭いビジネスだとの批判も正しい――とはいえ「ガンダム」や「宇宙戦艦ヤマト」に実写版「機動警察パトレイバー」などのオッサンホイホイ新作は、平均的な深夜アニメの10~100倍の規模で円盤を売り上げてはいるけれど(汗)――。
 しかし、出来上がった作品は、ムダに無意味な難解さはカケラもナイので一見さんお断りではなく、「ガンダム」を知らないお客さんがたとえ間違って観てしまったとしても、充分に理解ができて楽しめるだけの普遍性や面白さを獲得できているとも思うのだ――思春期的な繊細メンタルやヒロイズムではなく、政治的な権謀術策を主眼としているあたりで、幼児や児童層であれば理解しがたいモノではあろうけど(汗)――。
 なので、マニア諸氏が本作のことを「初作をよく知っていてこそ楽しめる」と評するのはその通りではあるけれど、ホメているつもりで実はライト層を遠ざけてしまう行為でもあり、むしろ本作を起点に「ガンダム」諸作に興味を持ってもらえるだけのポテンシャルもある作品だとも思うので、愛情ゆえの言動なのは承知するけどクレバーな言動だとはとても思われない。


 初作を除くとムダに無意味に難解で生硬な作風となっていった歴代『ガンダム』を手懸けた富野カントクの作風と、判りやすくてナメらかでナチュラルに仕上げてみせる本作の監督を務めた安彦良和の作風。この両者は実に対照的でもある。
 この安彦や同世代の脚本家陣と組んでいたころの富野はイイ意味で彼らの作風や意見具申や牽制などで中和され、『ガンダム』初作はちょうどイイ塩梅に仕上がっていたのだとも痛感する。氏が当時手懸けた初作の小説版や、あるいは数年後に富野が1~2世代も歳下とアニメを作るようになってワンマン体制が確立した以降の作品群に象徴的だが、登場人物たちのセリフが饒舌かもしくは舌足らずに二極化、血肉の通ったナマなセリフではなくムダに思わせぶりで観念的・生硬なセリフとなっていったのがその証左でもある。


 『ORIGIN』以降の安彦はオトナの態度・営業トークで富野を立てるようにはなったけど、ロートルオタクであれば安彦が自身は関わってはいない続編「ガンダム」諸作や「ヒトの革新」とされた「ニュータイプ思想」に対して、陰に陽に批判的な見解をほのめかしていたことを覚えているであろう(笑)。
 後年、富野も転向してニュータイプを前面に出すことをやめて、宇宙移民よりも地上の保守的家族像の方を称揚するようにもなるのだが、安彦が手懸けた『ORIGIN』でも、宇宙移民の先進性や地球連邦からの独立を唱えた「ニュータイプ思想」の先導者でもあるジオン・ダイクンは、先駆的・前衛的な思想の持ち主であったとは決して描かれない。
 その正体はただのイカレた誇大妄想狂のチンケな小人物として描かれる。しかも、彼は子供を産めなかったけど才女ではあった老妻を捨てて(爆)、学はなくとも癒やしだけは与えてくれる従順な若い酌婦に走って、その彼女に産ませた子供たちが初作の宿敵・シャアや、その妹でもあり初作で地球連邦軍の最新戦艦にて主人公少年らと行動をともにするセイラ嬢であったとするのだ。


 安彦は人類がニュータイプへ進化するなぞという絵空事はツユほども信じておらず、その思想は害毒ですらあり、そのようなSFビジョンを信じてしまうガンダムオタクたちをお節介にも幻滅させて解毒しようとしているのがミエミエだ(笑)――近年では富野や安彦の逆張りとして、作家の福井晴敏ニュータイプに「虫の知らせ」レベルではないアシモフやクラークのごとき古典SF的な補強を施した作品『機動戦士ガンダムNT(ナラティブ)』(18年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20181209/p1)なども登場。個人的にはココまで徹底するならコレはコレで興味深く、相矛盾する両極のニュータイプ解釈が並立すること自体は歓迎する――。


 そして、初作や従来のウラ設定ではジオン・ダイクンはザビ家に暗殺されたことになっていたが、本作ではそれもまたステレオタイプな旧態依然の勧善懲悪図式と見たのか、ただの心臓発作であったと描く(汗)――とはいえ、この事態に驚愕しつつも機を見るに敏で、ザビ家が権力を掌握していったサマも描いていくのがまたリアル――。


 しかして少年時代のシャア少年も無垢なる悲劇の被害者として描くワケではない。


「自分はザビ家にひざまづく人間ではない!」
「貴様らを従える人間なのだ!」


と豪語させることで、劇中内絶対正義ではなく彼もまた、少なくとも子供の時分には利発であっても、自我を肥大させて気位・プライドも非常に高い、なおかつザビ家の女傑・キシリアを前にしても物怖じしないどころか、一歩も引かない胆力を兼ね備えた少年としても描かれる――ザビ家の同年代の末弟・ガルマ少年の歳相応の落ち着きのなさとの対比がまた絶妙!――。
 なるほど、こーいう子供であれば、長じて正体を隠して立身出世も遂げてザビ家に近付きひとりひとり暗殺していく執念を発揮しても不思議じゃない……というような半分は突き放して相対化もされている描き方――シャア少年に父を暗殺したのはザビ家だと憶測を吹き込んだのは、初作中盤の人気中年敵役ランバ・ラルの父君だったことにもなるけれど(爆)――。



 リアルロボアニメの嚆矢(こうし)として往時は衝撃的であった『ガンダム』初作といえども、後年に観返せばまだまだヒーローロボアニメの尻尾を引きずっており、ザビ家の面々は美形の末弟・ガルマ青年を除けばいかにも悪党な面構えで、彼らが住まう公邸もトゲトゲした意匠の悪の巣窟であったけど、『ORIGIN』6部作の最終章ではココにもひっくり返しを図ってくる。
 初作中後盤にも登場する日本の初代首相・伊藤博文みたいな白髯の風貌で、温厚な人格者としての性格を与えられてきた地球連邦軍レビル将軍翁と、ザビ家筆頭でジオン公国・公王でもある杖をつき肥満した巨体のハゲ頭でマフィアのフィクサーのごときスゴ味のあるデギン・ザビ翁。


 レビル将軍ジオン軍黒い三連星に囚われたあとに脱出を果たして、その後に「ジオンに兵なし!」のフレーズで有名な名演説を果たしたとされてきた。
 コレは通常、ジオンの「独裁」には屈しない「自由主義」を称揚するモノとして解釈されてきたが、本作ではむしろ人類の半数を死に至らしめる危機的状況を惹起したジオンのコロニー落とし作戦に恐怖して、戦争が継続することでの大破局への憂慮を深めるデギン翁の方が現実的な「和平派」なのである。デギンは地球連邦と講和を結ぶために、捕虜となっていたレビル将軍ともお忍びで面会し、レビルに恩を着せるかたちで、実権を握る強硬派で実子の長兄ギレン・ザビを出し抜いて、連邦と通じてひそかにレビル将軍を脱出させるのだ!


 そこでレビル将軍も忖度して折れてくれれば、戦争は一旦の集結となったハズではあるけれど……。妥協・利害調整・義理人情による偽りの「平和」より、良くも悪くも「理念」「正義」を優先する御仁であったのであろう。すでに南極条約のサミット会場でも両国の一部高官の間で利権も込みでの停戦交渉がはじまっていたのに、レビル将軍は会場に乱入して徹底抗戦を唱える「ジオンに兵なし!(ジオンに国力なし!)」演説を全世界にTVでナマ発信をしてみせる!
 コレを観て、裏切られたと激怒するデギン翁! 戦争は継続することになってしまうのであった(汗)。


 妥協の「平和」と、悪しき体制は殲滅してでも勝ち取る「平和」。
 ムズカしいところではある。日独伊が滅びても延命したスペインのフランコ独裁のごとく、戦争を経ずとも30年後に穏健な政権に着地できれば、妥協の「平和」でもよかったとなる。
 反対に第1次大戦の大惨禍の反省で欧州では空想的平和主義が流行、ナチドイツを刺激せず各国が宥和(ゆうわ)的に接したら増長して周辺諸国を電撃併合、第2次大戦も勃発したとなれば、妥協の「平和」は失敗だったとなる――世界史の授業でも習った英チェンバレン首相の「宥和政策の失敗」――。
 強硬策でも同じことで、相手が折れれば成功、暴発してこちらも大損害を被れば失敗である。つまりは、自己の意図ではなく相手の出方次第。当たるも八卦、当たらぬも八卦のギャンブル。成否は結果から逆算するしかないので、「宥和」に出るか「強硬」に出るかの手法に甲乙は付けられないのだ。


 もちろん「反独裁」ですらもが絶対正義ではない。ジオン派が少数派であるコロニーでは彼らが弾圧され、生来粗暴なヤンキー不良どもがバイクやジープを駆り、「反独裁」という理念に共感したのではなく、大暴れしたい想いを正当化できる口実を見つけただけなのであろう、野蛮にも猟銃や火炎瓶で焼き討ちをかけてくる!
 それに対して、非暴力・無抵抗ではなく、年齢不相応にも妙に落ち着いている十代中盤の少女の身で、咄嗟に人々に指示を下してバリケードを築かせて自身も猟銃で応戦し、暴徒らをケダモノだと見下しつつも涙を流してその手を血で汚していくしかないセイラ嬢の姿も描かれる。


 「生まれてきたばかりの(自身の)赤ん坊を守るためにも俺は戦う!」という正論めいた誓いもその類いであり、相手が変身ヒーローものの敵のような絶対悪であれば、その誓いも自動的に正義になるけど、コロニー落としで億単位での生命を奪った大罪の重さで泣き崩れるザビ家三男の猛将・ドズル大将がその発言で自己を保とうとすることで、意味合いを変えてしまうあたりは実にイジワルな作劇でもある。


 劇中人物も語っていた通り、「(互いに引くに引けないから、人類が絶滅しない範疇で)世界は行き着くところまで行かねば気が済まない(大意)」のが、各位で異なるあまたの思惑・意地・信念などのベクトルの合力としての「ヒトの歴史」でもある、というある種の諦観を『ORIGIN』終盤は語り出してしまうのだ。


 素朴な「左翼革命ごっこ」を描いて、革命を成功させても権力を握って責任主体となることは放棄することで無垢さを保とうとするナイーブな青年主人公を描いた、安彦が監督を務めていたアニメ映画『アリオン』(86年)&『ヴィナス戦記』(89年)などとは随分と遠い達観した地点に来たものだ――仮に近代国家が悪だとしても、それを革命で打倒すれば即座に地上天国が訪れるワケではなく、地域のジャイアンどもが跋扈してもっとヒドい状況になるのはイラク・アフガン・シリアを見てもわかるだろう――。


 とはいえ、信者の方々には申し訳ナイけど、初作を作った富野御大が久々に降臨した『ガンダム Gのレコンギスタ』(14年)のあまりの出来に信者もほとんどが眼を覚まし、若年オタも「ジャンルの古典・教養のように云われてきたけど、こんなにもイビツな作品ならば『ガンダム』なぞは観なくてもイイや!(大意)」という声が大量に飛び交って、円盤売上的にも爆死したところで、現在進行形での生命力もあるビビッドな作品としての存在意義を失って、「ガンダム」は一旦はトドメを刺されたようにも思う。20代のアニメ評論同人などと会話をすると、京都アニメーション製作作品は基礎教養・スタンダードでも、「ガンダム」は観てすらいなかったりもするワケで……(汗)。いつまでも「ガンダム」や「ヤマト」の世ではナイことを理性の次元では喜ぶべきだと思いつつも、心情面では少々残念に思っているのも、ロートルな筆者にとっての事実だ。


(了)
(初出・オールジャンル同人誌『DEATH-VOLT』VOL.82(18年6月16日発行))


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(文・久保達也)
(18年12月7日脱稿)


 突然かまいたちに襲われたかのように全身に切り傷ができる。朝起きたら胸に猛獣のツメに切り裂かれたかのような大きな傷跡がある。周囲の人間に話しかけても誰ひとりとして自分の存在に気づかない……主要キャラが見舞われるこうした不可思議現象を、本作では「思春期症候群」と定義している。


 茶髪のギザギザヘアで表情や態度が常にやさぐれてはいるものの、言動は敬語を使うことが多い主人公・梓川咲太(あずさがわ・さくた)の、たったふたりしかいない友人(汗)のひとりで、灰色髪のロングヘアにメガネで制服の上から白衣をまとった理系女子・双葉理央(ふたば・りお)は、咲太から「思春期症候群」が発症する謎について問われ、自身はそれに否定的だと語ったうえで、オーストリア理論物理学者であるエルヴィン・シュレーディンガーの思考実験・「シュレーディンガーの猫」を引用してそれを解明しようとしていた。


 この「シュレーディンガーの猫」――咲太の家で猫が飼われているのもここからだろう――からシュレーディンガーが提唱したのが、一般的にも広く知られるパラドックスであり、これは正しそうに見える前提と、妥当(だとう)に見える推論から、受け入れがたい結論が得られることを意味している。
 第1話ではこの受け入れがたい結論=「思春期症候群」が起きるに至る「正しそうに見える前提」、そして「妥当に見える推論」が全編に渡って描かれているのだ。


 咲太の妹・かえでは中学時代にクラスのリーダー格に嫌われたために、SNSで執拗(しつよう)なイジメを受け、書きこみを見るたびに身体に傷が刻(きざ)まれ、それに衝撃を受けた咲太の胸に、翌朝大きな傷跡があった。これらは「正しそうに見える前提」だ。


 この胸の傷跡が、咲太が過去に暴力事件を起こして何人かを病院送りにしたというウワサになってしまい、咲太はクラスで孤立してしまう。もうひとりの友人・国見佑真(くにみ・ゆうま)の彼女からも、クラスで浮いてる奴といっしょにいると佑真の株が下がるから近づくな! とホザかれてしまうほどだ――激高する佑真の彼女に「生理か?」と云ってしまう、咲太のデリカシーの欠如(けつじょ)を批判する声もあるかもしれないが、それを云うなら「死ね!」とまでホザくほどの彼女の方がよほどヒドイだろう――。


 人のウワサとは現在では読むのが当然とされている「空気」みたいなものであり、それを読めないだけでダメな奴扱いされてしまう。それをつくっている連中には当事者意識がまったくなく、一度決まったクラスのかたちは簡単には変わらない。つまらない、おもしろいことはないか? と嘆きながらも、本当は誰も変化なんか求めてはいない。めだてばウザい、調子にのってると云われてしまう。そうなったらもう元に戻れない。それが学校という空間……


 本作は江ノ電での通学描写が象徴するように、いわゆる「湘南(しょうなん)」の地、神奈川県藤沢市周辺が舞台となっているが、海岸沿いの美しい風景や、校門・教室・校庭・学食といった、一見楽しそうな学園生活のカットバックに、学校という空間の現実を語る咲太のモノローグがかぶさる演出は絶妙な対比が効(き)き、「思春期症候群」に至ることの「妥当に見える推論」となり得ているのだ!


 そんな学校という空間の「空気」を読み、自ら「空気」を演じていたのが、本作の黒髪ロングのツンデレヒロイン・桜島麻衣(さくらじま・まい)だ。
 子役として芸能界にデビューして以来、華(はな)やかな日々を過ごすも、自分のことを誰も知らない世界に行きたいと願っていた麻衣にとっては、芸能活動のために1年生の途中から咲太の高校に通うこととなり、すでにかたちが決まったクラスの中では完全に異分子であり、誰も話しかけることがなかったのは、むしろ好都合であったろう。


 だが、麻衣は「空気」を演じつづけることで本当の「空気」=透明人間と化してしまい、好物のクリームパンを買おうとしても店員にまったく気づかれず、しまいには藤沢駅周辺で買いものが不可能となり、食事もままならなくなってしまう!
 麻衣が自ら「空気」になることを望み、それを演じていたのは、透明人間と化した「正しそうに見える前提」、「妥当に見える推論」と解釈すべきかもしれないが、自身の存在に気づいてほしいがために、ついに麻衣はバニーガールのコスプレをして図書館を徘徊(はいかい)するという、あまりに痛い行為に走ってしまうが、それでも誰にも気づかれない(汗)。


 理央は「思春期症候群」の解明にあたり、観測理論として長岡技術科学大学名誉教授・松野孝一郎が発見した「内部観測」についても語っている。物質は相互作用を通して相手を検知する、という定義だ。つまり、現在の麻衣と藤沢駅周辺の人々の間には、相互作用が発生していないという推論が成立するのだ。
 「人間の脳は見たくないものは見ない。誰かが観測することで、初めて皆がその存在を認識する」と理央は語ったが、学校も、そして社会も、見たくないものを見ようとしない輩(やから)であふれているがために、「透明人間」にされてしまう人々が存在するという現実を鋭くえぐりだした本作に、筆者は賞賛の声を惜しまずにはいられない。


 もっとも存在するハズの人間が最初からいなかったことにされてしまう恐怖は、アルフレッド・ヒッチコック監督のサスペンス映画『バルカン超特急』(38年・イギリス)や、航空事故で亡くなった息子の写真や思い出の品々が、主人公の手元からすべて消えてしまう映画『フォーガットン』(04年・アメリカ)など、古今東西で結構ネタにされている――『SSSS.GRIDMAN(グリッドマン)』(18年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20190529/p1)の悪のメインヒロイン(笑)・新条アカネに殺された人間の扱いもまた然(しか)りだ――ことを思えば、この問題は決して現代ニッポンに限ったことではないのだろうが。
 せめて我々だけでも、誰からも見えなくなった空腹の麻衣に、クリームパンを差し出すような人間でありたいものだ。


(了)
(初出・オールジャンル同人誌『DEATH-VOLT』VOL.81(18年12月29日発行))


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[アニメ] ~全記事見出し一覧


 2019年6月15日(土)からアニメ映画『ガールズ&パンツァー 最終章 第2話』が公開記念! とカコつけて……。
 『ガールズ&パンツァー』(12年)の水島努カントクと、名作深夜アニメ『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』(11年)やアニメ映画『心が叫びたがってるんだ。』(15年)などを手懸けた実力派脚本家・岡田麿里がタッグを組むも、不人気に終わっている深夜アニメ『迷家マヨイガ―』(16年)評の擁護・絶賛評をアップ!


迷家マヨイガ―』

(16年・Project迷家


(文・久保達也)
(16年8月2日脱稿)

迷家マヨイガ―』 ~水島努×岡田麿里が組んでも不人気に終わった同作を絶賛擁護する!

心に傷をかかえた現実世界からの脱走兵30人! 廃村へと移住!


「我々はこれから行方不明者となり、納鳴(ななき)村で人生をやり直すことになります! 今までのしがらみからすべて解放され、人生をやり直すのです!」


 観光バス内で27歳のやや軽薄そうな大学院・助教授のメガネ青年、ハンドルネーム「ダーハラ」が高らかに宣言する。
 行方不明となった者たちが新しいコミュニテイをつくって生活しているなどと都市伝説で噂される、地図にも存在しない村・納鳴村――劇中、「北都留(きたつる)郡」というセリフがあるため、モデルとなる村は山梨県に存在すると思われる――。
 10代から20代にして早くも人生に疲れ果てた30人もの若者たちが、「第1回人生やり直しツアー」と銘打たれたバスツアーに参加し、その納鳴村で人生をやり直そうというのだ。


♪月曜日 めでたく生まれたよ~
 火曜日 学校優等生~
 水曜日 かわいいお嫁さんもらう~
 木曜日 苦しい病気にかかり~
 金曜日 とっても重くなり~
 土曜日 あっさり死んじゃって~
 日曜日 お墓に埋められた~


 「運の悪いヒポポタマス 本当についていないヒポポタマス」という歌いだしで始まる、かのロシア民謡『一週間』をパロったこの歌を、参加者たちがバス車内で合唱するこの描写は、彼らが背負ったものを端的に象徴する絶妙なセンスと遊び心にあふれたものである。
 第1話『鉄橋を叩いて渡る』が「石橋を叩いて渡る」をもじったものであるように、全話のサブタイトルがことわざ・慣用句のパロディであることにしてもそうであるのだが。


 主題歌のタイトル『幻想ドライブ』そのままに、第1話のラストから第2話『一寸先は霧』の冒頭にかけ、白い霧に包まれる夜の闇の中をヘッドライトを点灯させたバスが徐行運転で静かに橋を渡り、運転手や乗客たちの表情に緊張の色が走るスリリング描写。
 そして第1話の後半、休憩に立ち寄ったドライブインの時計塔が夜の12時を指すや、突如オルゴールのメロデイが鳴り響いて一同がざわめく中、納鳴村に古くから伝わるという「わらべ歌」を口ずさみながら、今回のツアーの案内人であり民俗学を専攻する大学院生ではあるものの学究の徒っぽくはなく、明るい栗色の髪でフェミニンかつパステルな暖色系の可愛らしい服装に身を包んだ人当たりも良さそうな女性「こはるん」が登場してくる演出。
 これらの描写は実に幻想的な雰囲気が醸し出されており、まさにこれから始まる『幻想ドライブ』の導入部としても充分に機能している。


 だが、苦難の末に一同がようやくたどり着いた納鳴村は、先住民によるコミュニティが形成されているどころか、人が住む気配すらまったく感じられることのない完全なる廃村状態であった――いかにも地方の過疎地といった風情ではなく、一見新興住宅地のようなモダンな風景であることで、人の気配がないことによけいに不気味さを感じさせる効果をあげている――。
 新天地を求めて来たハズの若者たちの間に不安や不信感が募る中、参加者の失踪騒ぎや正体不明の怪物の不気味な鳴き声が響き渡るなど、村では怪事件・怪現象が続発!
 やがて彼らは、納鳴村が理想郷=ユートピアであるどころか、さまざまな形態の化け物が次々に出没する、世にも恐ろしい場所であることを思い知らされることとなる。


密室群像劇の60年代和製SF特撮ホラーの古典『マタンゴ』&『吸血鬼ゴケミドロ』が元ネタか!?


 監督の水島努(みずしま・つとむ)は、美少女たちが戦車でドンパチを繰り広げる一見おバカな世界観を大真面目に描くことで大ヒット作となった『ガールズ&パンツァー』(12年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190622/p1)で広く知られている。
 そんな水島監督が、和製SF特撮ホラー映画の古典である『マタンゴ』(63年・東宝)や『吸血鬼ゴケミドロ』(68年・松竹)を彷彿(ほうふつ)とさせる、外部との連絡が絶たれた辺境の地に取り残された人々が謎の怪物に次々と襲われていくという、ぶっちゃけB級チックな展開を今回もまた実に大真面目に描いているのである。


運転手「だったらみんなで事故ればいいじゃないか!」


 第1話の後半、「遺書を読む」という車内で繰り出された罰ゲームに対して「あまりに不謹慎すぎる」と感じたのを契機に若者たちに説教を垂れだすも、「説教垂れるなら、てめえの仕事をキッチリと果たしてからにしろ!」と運転席を蹴りあげられるなど、若者たちに悪態をつかれたあげくに、ブチギレした運転手がバスを蛇行運転させて暴走!
 本作の初っぱなのツカミともなるクライシス描写は、臨場感あふれるCGバス演出もさることながら、過当競争による運転手の超過勤務が原因で実際に発生している深夜バスツアーの事故を容易に連想させる「現実感」を伴なった「恐怖」として描きだされている。


 第3話『傍若無人』――「ぼうじゃく“ぶ”じん」ではなく「ぼうじゃく“む”じん」と読ませている――の後半では、右目に眼帯をした海賊ルックの15歳の男子高校生「氷結のジャッジネス」からハンドルネームが似ていることをパクリだとされ、これからはハンドルネームを「ジャージャー麺」にしろとバカにされた緑髪のボサボサ頭の寡黙な16歳の少年「ジャック」が、生活の拠点として割り当てられた民家の中で鍬(くわ)を手に突然「氷結のジャッジネス」に襲いかかってくる!
 これまた身近にもたまにいそうな、恨み・憎しみを逆ギレで衝動的に晴らそうとする不良少年による「現実感」を伴なった「恐怖」が描かれる。


 本作のセカンドヒロインであり、少々キツそうな見た目と言動をとる美少女の女子高生「マイマイ」の証言により、「ジャック」少年は同級生を刺して少年院に入っていたことがあると判明、ツアー参加者たちに危険人物視された「ジャック」は、村の民家にあった地下牢に閉じこめられることとなる。


ジャック「大人はみんなこうだ。最初はやさしく声をかけて油断させ、意にそぐわなきゃ殺す! いつもそうだ」


 往年の『ウルトラマンA(エース)』(72年)第36話『この超獣10,000ホーン?』(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20070109/p1)に登場した暴走族の青少年・俊平もまた、これに酷似したセリフを語っていたが、ジャックが第1話でこのセリフを口にしながら、バスを暴走させる運転手を襲う描写は、彼の背景を端的に描くとともに、今回の鍬を手に「氷結のジャッジネス」に襲いかかる伏線としても充分に機能している。


 それにしても、少年院あがりのやつがツアーに参加しているというのは、やはり先述した『吸血鬼ゴケミドロ』の舞台となった航空機に「要人の暗殺犯」や「爆弾魔」までもが乗り合わせていたことに対するオマージュか?(笑)
 宇宙からの侵略者の存在を明かすこととなった精神科医を誤って崖から転落させてしまった「爆弾魔」が、乗客たちによって墜落した航空機の操縦室に閉じこめられてしまう点まで同じだし(爆)。


 そして、第3話のラストでは、本作のメインヒロインであり、軽めのソバージュヘアにやや垂れ目で従順そうな癒やし系の可憐な女子高生「真咲(まさき)」をナンパしようとして失敗したあげく、第2話の中盤で行方不明となっていた、短髪の黒髪に赤いキャップを前後反対にかぶりカラーのサングラスをかけて、ウスく髭も生やした軽薄なラッパー青年「よっつん」が、闇に包まれた夜の川をどざえもん=水死体のように流されていくショッキング演出が!!


ドザえもん「よっつんがどざえもんになっちゃったら、ボク、ドザえもんとしての立つ瀬がないよう~!」


 ショッキングな描写の直後に、27歳のデブでニートの青年「ドザえもん」にこう嘆かせることで、視聴者に対しては過度な緊張を緩和して笑いを取りつつ、脇役のキャラクターをついでに紹介することも忘れない(笑)。


 衝撃の第3話のラストの直後に流される次回予告で明かされる第4話のサブタイトルが『よっつんの川流れ』(爆)とは実にフザけているが、こうしたセンスで中和せざるをえないほど、「よっつん」を捜索する中でも闇夜に謎の化け物の叫び声が響き渡るなど、矢継ぎ早に絶妙なホラー演出がたたみかけられていく。
 ついに一部を残して多くの者が下山を決意するが、降りしきる雨と化け物の声が一行を襲い続ける。
 下山するキャラクターたちの愁眉の表情に地図をオーバーラップさせるアリがちな演出がまた、その不安感を一層あおりたてることにも貢献している。
 そして木々にスプレーで番号をマーキングしてきたにもかかわらず同じ場所に戻ってしまう、これまたアリがちでも迷宮内での迷子になった焦燥感あふれる描写で、それは最高潮に達する!


 さらに雷鳴とともに、地下牢に閉じこめられていたハズの少年院上がりの少年「ジャック」が、一行の前に姿を見せる! あまりの恐怖に悲鳴をあげながら一行は崖を駆け降りる!


助走台の「現実的」な「恐怖」が、本番の「非現実的」な「恐怖」&「笑い」へとスライド!


 そして彼らは地図には載っていないハズの線路があることを発見する。これをたどれば確実に下山して街に着けると線路上を進んでいく一行だったが、ついにここで「現実的」な「恐怖」ではなく「非現実的」な「恐怖」を描いていく方向へと作品の転轍機(てんてつき)が切り替わる! 彼らはトンネルの中でついに異形の「化け物」に遭遇したのだ!! おおわらわで村に逃げ帰る一同!


 「化け物」が登場する前兆として、絶妙な緊張感・緊迫感が醸し出された演出が終始なされているが、『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』(15年)でも音楽を担当した横山克(よこやま・まさる)による劇伴が、先述した『ゴケミドロ』の菊池俊輔(きくち・しゅんすけ)によるおどろおどろしい音楽とはまた違った魅力を放つ新たな曲調のホラー音楽として、それらを盛りあげることに大きく貢献している。


 これらを経(へ)て、ついに第6話『坊主の不道徳』では、「怪獣総進撃」となる!
 黒髪ポニーテールに袖なしで素肌の肩を露出したファッションなのに、どこか不安定で気弱そうで何かにつけて黄色い声で「処刑です!」とエキセントリックに叫ぶ女子中学生「らぶぽん」に、巨大な「般若(はんにゃ)の面」が襲いかかるのだ!
 「銃火器大好き」と語る、あちこちがハネた黄土色の髪に透明な防風ゴーグルを乗っけたミリタリールックに身を包んだ女子高生のアーミー少女「ニャンタ」は、無数の蜂(ハチ)が集結した「巨大な蜂」に襲われる!
 同じくミリタリールックに軽いモヒカン髪型でサバイバルゲーム好きな少年「地獄の業火(ごうか)」を襲うのは、「巨大なシリコンの塊に足が生えた怪物」である!
 元商社マンでありサラサラ黒髪にオシャレなメガネをかけて背広型のスーツを羽織ったクールなエリート風情で、やたらとイライラとリーダー格として振る舞おうとする青年「美影ユラ(みかげ・ユラ)」を追いかけるのは、「目をギョロつかせ無数にある口で彼のことを嘲笑(あざわら)いながら追走してくる妖怪列車」だ!


 実際には第9話に登場するのだが、先述した『鉄血のオルフェンズ』で主人公少年が所属する鉄華団の団長であるオルガ・イツカ青年みたいなガラの悪い(笑)荒くれ者であり、痩身でも日焼けした肌には筋肉や腕っぷしの強さが感じられる長身青年「ヴァルカナ」を襲うこととなるのは、「机の木目(もくめ)模様をした不定形生物」である!
 そして、本作の主人公でもあり、いかにも善良そうでおっとりとした男子高校生「光宗(みつむね)」くんの前に現れた巨大怪獣は、「可愛らしいペンギンのぬいぐるみ」なのだ!


 「般若」の登場場面での「お経」や「巨大蜂」の登場場面での「不快な蜂の羽音」などが、絶妙な恐怖感を醸し出していることもさることながら、「美影」青年を襲う「妖怪列車」は電車であるのに、あえて汽車の汽笛や走行音を使っていることで不条理感もいや増している。


 基本的には本作は、そうしたB級チックなホラー映画・怪獣映画的な趣きを楽しむためのエンタメ作品であると個人的には考える。
 しかし、『ガールズ&パンツァー』が美少女アニメとしての「萌え」要素と戦闘ものとしての「燃え」要素を立派に両立させていたのと同様、本作もまたホラーもの・怪獣ものとしてのB級的な「怪奇」要素を徹底的に追求する一方で、若干(じゃっかん)リアル寄りのキャラクターデザインではあるものの女性キャラには多数の美形を揃えることによって、「萌え」の文脈での「客寄せ」にも十全ではなくとも気を遣ってはいる。
 第3の要素としては、シュール(超現実的)な「お笑い」「ギャグ」の要素だ。実にホラーな雰囲気なのに、そこに挟み込まれてくるヘンテコ脱力なギャグ描写。異形の怪物たちのどことなく笑えるデザイン。「なんちゃって」感もあって半分は笑ってしまうメタなセンスがある描写の数々――


熱帯夜「大きければいいってもんじゃないのに……」


 これは第5話『ユウナ3人いると紛(まぎ)らわしい』で、金髪ロングヘアに両肩の素肌や胸の谷間も見せつける水商売風のキャバクラ嬢みたいなミニスカ・ワンピースで靴はヒールしか持っていないという(爆)、常に気怠るそうでムダな色気も発散しまくりの設定上ではまだ19歳(!)の女子大生「熱帯夜」(笑)が、トンネルの中に出現した巨大な「化け物」が本作の主人公「光宗」のような姿をしていたと語ったセカンドヒロインの女子高生「マイマイ」の証言を聞いて口にしたセリフである。
 そうした何気ないセリフまでもが「熱帯夜」が口にするといちいちエロく聞こえてしまえるようにした声を務めた中村桜の演技と、本作の遊び心にあふれたそうした演出が実に秀逸である。


――ちなみに、同話のサブタイトル『ユウナ3人いると紛らわしい』は「女3人寄れば姦(かしま)しい」が元ネタだろうが、元々はハンドルネームが「ユウナ」である女性が参加者の中に3人もいたために、第1話冒頭のバス内での自己紹介場面で混乱を避けようとしたツアーの主催者「ダーハラ」によって「ユウナ」「ユウネ」「ユウノ」と勝手に名づけられた地味めで垂れ目で覇気のない系の3人の女性脇役キャラが並んだカットが本話ではやたらと多いだけであり、本編の内容とはまったく関係のないサブタイトルであったりもする(笑)。
 それにしても「ダーハラ、またテキトーに流したぜ」なんていうセリフもあるように、主催者として参加者同士の争いに一応は仲裁に入る場面が多く描かれるものの、先のネーミング騒動の一連は「ダーハラ」が単なる事なかれ主義者であり、実は適当で無責任であることが端的に描かれた秀逸(しゅういつ)な演出でもある(笑)――


明かされる「非現実的」な「恐怖」と、各人の「動機」&「背景」との関係性!


 本作はホラーテイストでありながら、そうした息抜き描写や笑える描写の面でも優れている。
 だが、30人ものレギュラーキャラクターが繰り広げる群像劇の中で点描されていく各人の行動の「動機」・「モチベーション」にとどまらず、納鳴村で奇怪な化け物を目撃することに至った各人の「背景」・「バックボーン」の描き方が優れていたからこそ、ホラー映画・怪獣映画としても、より恐さが増しているのである。


 テレビ時代劇『必殺』シリーズ(72年~・松竹 朝日放送https://katoku99.hatenablog.com/entry/19960321/p1)によく登場したような悪徳僧侶から依頼される戒名(かいみょう)の代筆で生活費を得てきたものの、愛人でもあるその僧侶から日々繰り返される理不尽な暴力に、エキセントリックな女子中学生「らぶぽん」の母、そして「らぶぽん」自身も長年苦しめられてきた。
 僧侶に殴られるたび、「らぶぽん」はこの苦しみから逃れるためには、悪徳僧侶を「処刑」せねばならないと考えるようになっていったのだ。
 そして、納鳴村で「らぶぽん」を襲撃した怪物である「般若の面」は、僧侶が好きな日本酒のラベルに描かれていた図柄だったのである!


らぶぽん「どうして犯罪者をかばうんですか! 犯罪者に情けをかけちゃダメなんです!」


 主人公少年「光宗」に阻止されて未遂に終わったが、第3話で「らぶぽん」が地下牢に閉じこめられていた前科持ちの少年「ジャック」を、夜陰に乗じて秘かに処刑しようとしたのは(!)、そんな心の傷に苦しんでいたからこそなのである……


 コンビニでの万引きを強要されるなど、アーミー少女の「ニャンタ」もまたヤンキー女子高生たちから虐待される学園生活を送っていた――店内の防犯カメラからのアングルで「ニャンタ」の様子を俯瞰(ふかん)したモノクロ映像で描かれる回想演出が実に凝(こ)っている!――。
 帰り道にたまたま見かけたモデルガンの店でBB弾を発射する銃を購入した「ニャンタ」は、自分をいじめたヤンキーたちを狙撃するようになる!


ニャンタ「アタシは(人を)撃ったことあるよ。壮絶な戦いだったにゃあ」


 だが、やがてヤンキーのひとりに犯行現場をおさえられた「ニャンタ」は橋の下に連れていかれ、取りあげられた銃が撃ち落とした蜂の巣から一斉に飛び出した蜂の大群の襲撃を受けることとなったのである!


 「レンジャーwwwww」などとニコニコ動画の字幕でネット民にさげすまれながらもその様子を動画配信するほどに、ミリタリールックのフリーター青年「地獄の業火」も自衛隊のレンジャー部隊入隊をめざして訓練の日々を送っていた。
 だが、身長が入隊の基準に達してはいなかったために、頭頂部にシリコンを埋める手術をして試験に臨んだものの、結果的に不合格となった過去を持つのであった――低身長なので頭頂部にシリコンを埋めて合格、しかも華麗な活躍もすることで業界基準の見直しにもつながった、近年あった某お相撲取りさんの美談とは真逆の展開となる悲劇だ(涙)――。
 結果を告げる試験官の声を背景に、美しい夜桜が散る中で「地獄の業火」がひとりたたずむ回想カットが、実に感傷的な雰囲気を醸し出す……


美影「どいつもこいつも……どうしてオレの云うことを聞かないんだ!」


 輸入玩具を扱う商社に勤めていたメガネ男のクールな青年「美影」は、急勾配(きゅうこうばい)のレールでも登坂(とうはん)力を誇る新製品の電車の玩具を「日本おもちゃショー」に出展し、大々的に宣伝することを営業会議で提案した。
 上司からの反対を押し切ってそのプロジェクトを実現させたものの、肝心の商品がイベント前日になっても会場に届かない。
 「美影」が海外のメーカーに送ったメールを再確認するや、自身が納期を誤って連絡していたことが発覚する……


上司「私の意見を聞けば間違いないだと? ガキの使いじゃあるまいに」


 「美影」が「妖怪列車」に向けて叫んだ「笑うな!」は、本来は会議の席上で自分を嘲笑った者たちに対する「美影」の心からの叫びだったのである!


ヴァルカナ「オレは社会に殺された」


 「人生やり直しツアー」の参加動機をそう書いた、色黒でアゴにチョビ髭を生やしたロン毛のチョイ悪そうなダンディーな青年「ヴァルカナ」は意外や意外、元はフリーのシステムエンジニアであった。
 だが、彼が開発したシステムを導入した某社で機密情報が漏洩(ろうえい)し、「ヴァルカナ」はその責任をすべてなすりつけられて解雇されたのである!
 彼を襲った「怪物」が木目(もくめ)模様をしていたのは、重役連中に責任を追及されている間に「ヴァルカナ」がうつむいて眺めていたのが机の木目模様だったからなのだ。
 第3話で行方不明の「よっつん」をひとり捜し続ける理由を「こはるん」にたずねられた「ヴァルカナ」は、その過去の傷について語り、こう絶叫する!


「もう同じ轍(てつ)は踏まねえ! 他人の責任を背負わされることも、他人に対して責任を感じることもしたくねえ! オレの人生はオレだけのもんなんだよ!」


 第4話では「マイマイ」も「ヴァルカナ」と同じように、「人の人生に口出しするやつがもっとキライなだけよ!」などと叫んでいる。


「そんなに違う。見ているものが……」


 これは「化け物」についての目撃証言が各人によってバラバラであることに対して、第6話で「こはるん」が語ったセリフであるが、「ヴァルカナ」の「オレの人生はオレだけのもんなんだよ!」や「マイマイ」の「人の人生に口出しするやつがもっとキライなだけよ!」という心からの叫びに対する返答にもなり得ているものである。
 そして最終回でもこれが反復されることで、「こはるん」はそれをイヤというほど実感させられることとなるのだ。


美影「声や形がバラバラでも、そのことについて会話がなかった。ナゼだ? 口にしたくなかったからだ。それが、それ自体が、口にするのに抵抗があるものだからだ……きっとこの化け物は、オレたちの心に巣食っているもの」


 このように「美影」に実に的確に分析させることで、彼はクセが強いエエカッコしいでも慧眼の持ち主ではあるとそのキャラを立ててみせている。
 そして、納鳴村に出現する目撃者によってまったく姿形や声が異なる「怪物」=「ナナキ」は、本作においては各人の心の傷が具現化した存在として描かれるのだ。
 先の「美影」のセリフに、一同がバツの悪そうな顔をして無言となる演出も、その分析が図星であることを端的に示すものであり実に効果的である。


ニャンタ「あんなの見ちゃったら、現実が化け物よりよっぽど怖(こわ)いって思い出しちゃった……」


人畜無害なオボコい少年主人公「光宗」の場合の症例


 主人公少年の「光宗」が目撃することとなった「巨大ペンギン」も、先の「熱帯夜」のセリフ「大きければいいってもんじゃないのに」に象徴されるように、実にぬいぐるみ然とした可愛らしい姿だった。
 そんな「化け物」=「ナナキ」なんかよりも、よっぽど怖い「現実」から逃れるために、そもそも「光宗」は「人生やり直しツアー」に参加したことを思い出すのであった……


 幼いころの「光宗」には、双子の兄弟「時宗(ときむね)」がいた。クリスマスプレゼントに可愛らしいペンギンのぬいぐるみをねだったほどおとなしくて手のかからなかった「光宗」に対し、買ってもらった変身ヒーローの人形を振り回して「女ペンギン!」と叫びながら「光宗」が大切にしているペンギンのぬいぐるみにキック攻撃(!)を仕掛けてくるほどに、「時宗」は実に元気で悪く云えばやや無神経でサディスティックな子供だったかもしれない――子供間ではよくある他愛のないことではあるけど、「光宗」と「ペンギンのぬいぐるみ」を同時に罵倒する意味も込めただろう「女ペンギン」なる即興言葉を叫びながらキックを喰らわす行為は、気持ちの優しすぎる子供には確実にトラウマになる出来事だ――。


――余談だが、その変身ヒーローの人形はなんと『ウルトラマン』シリーズで有名な円谷プロが製作した往年の特撮巨大ヒーロー『ミラーマン』(71年)の主人公ヒーローを全身黄色に塗り替えただけの存在である! その気になればいくらでもオリジナルの変身ヒーローをデザインできるのに、あえてこんなもので通してしまうとは、世代人の水島監督は趣味に走りすぎ! 映像ソフト化の際には差し替えになるのだろうか?(爆)――


 ふたりが並んでカレーを食べる場面で、「時宗」が口の周囲や机を汚しまくりであるのも象徴的だが、「時宗」が描いた実に幼稚園児らしい落書きのように下手くそな母の絵が壁に飾られ、やんちゃな「時宗」を抱きながらそれを恍惚(こうこつ)とした表情で眺める母の姿を、上手に描いた母の絵を手に控えめで甘え下手な「光宗」が物陰から悲しげに見つめる描写は、残念ながら少数ではあっても一定の比率で常に存在していることが近年とみに指摘されている「毒親(どくおや)」――このケースでは好悪の情が激しく、腹を痛めた実の子供たちであってもあからさまに偏愛とネグレクト(無視・放棄)の使い分けで不公平にふるまう母親像――の風刺にも成り得ており、子供時代の「光宗」の心の傷をも絶妙なまでに表現した名演出である。
――新約聖書イエス・キリストが「放蕩息子のたとえ話」で、浪費のかぎりを尽くした弟を許した父に不平を述べる兄を諭(さと)して、神の深い愛とはそのようなものであるとする話があるけど、それもまた程度問題ではあって、そんなことをされたらマジメな人たちはワリに合わないし、正直者はバカを見るよネ(汗)――


 幼児の時分ですでに「光宗」は、母が自分よりも「時宗」のことを溺愛(できあい)していることに気付いていても、あまりに気持ちが優しすぎる子供ゆえに母に不快感を与えまいと、それに不平不満を述べることさえできなかったことが容易に看て取れるが、やがてそれは永遠に確定・固着された関係性となってしまう。
 ある日のこと、高い塀によじ登り、それをつたって歩く危険な遊びをしていた「時宗」は、それを注意した母の声に驚いて塀から転落、そのまま命を落としてしまうのだ!


 ショックで入院した母を見舞いに来た「光宗」に、母はこう声をかける。


「もう時宗、ダメじゃない! 時宗、ちゃんとゴメンなさいしなさい」


 以来、「光宗」は高校生となった現在に至るまで、いまだ「時宗」の死を受け入れることができない母のために、家の中ばかりでなく、元教師で教育委員会で実権を握る父のはからいによって、学校でも亡き兄の「時宗」の名の方で通っていたのである……


真咲「光宗ってとってもいい名前。キラキラ明るい感じがして、すごくよく似合ってる」


 赤茶色の髪にソバージュが軽く入ったショートボブの左側に小さな赤いリボンを付け、やや垂れ目の緑色の瞳が印象的な、他のキャラとは明確に差別化されて劇中でも画面上に浮かび上がるような特権性を与えられた、正統派の萌えキャラとしてもデザインされた本作の女子高生メインヒロイン「真咲」。
 その愛くるしくてもトロトロとした口調やどこか受け身で弱そうな風貌が、同時にのちにツアー客たちの嗜虐心をそそってしまう「異質な存在」として迫害を受ける事態に陥(おちい)ってしまうことに、道義的な当否はともかくある種のゆがんだ説得力も与えている。


 そんな「真咲」から第1話でハンドルネームを賞賛されたことに、それまでずっと「ぼくは、光宗じゃないの???」と、自分の存在意義を常々内心で幼少時から問いかけてきた「光宗」は、おもわず一筋の涙を流す……


真咲「大丈夫? ずっと、泣いてる……」


 第7話『鬼のいぬ間に悪だくみ』で、「巨大ペンギン」に遭遇したのを機に、過去のつらい記憶が甦った「光宗」は再び涙を流すが、それを「真咲」は自身の指先でそっと拭(ぬぐ)ってくれたのである!
 その優しさに触れた「光宗」は、自身のハンドルネームが本名であることを「真咲」に明かす。


光宗「ぼくは時宗じゃない。誰も知らないところで、光宗として生きてみたいと思ったんだ」


 これを聞いた「真咲」は、ふたりで腰掛けていた場所から軽々とジャンプするや、「光宗」の方を笑顔で振り返り、「行こう」と、手を差し伸べるのである。
 正直に告白すると、この場面こそが、筆者が本作の中で最も好きな名場面なのだ。第1話でバスが暴走したことに、車酔いをひどくした「真咲」が運転手にゲロを浴びせてしまう描写があるが、こんないいコのゲロなら浴びてもいいと思えるほどであり、運転手のことがうらやましいくらいである(笑)。


真咲「光宗くんといると、なんだが勇気が出てくる。だって、こんなにあったかい」
光宗「真咲さんも、あったかい」


 満月に照らされる中、ふたりが手をつないで歩き、「光宗」が顔を赤らめる描写にはトドメを刺された。イイ歳したオッサンが、こんなものに素直に感動してていいのか? と我ながら思ってしまう(笑)。
 しかし、やはりアニメにかぎらずフィクション・エンタメ作品一般は、思春期のウブな少年少女にこそアピールすべきだとするならば、群像劇とはいえその作品の視点人物たる主人公やメインヒロインには、複雑な心理が織りなす人間模様が交差する大人社会の入り口に立って戸惑うような初々しい少年少女を配して、彼らと同年代の視聴者にも身近に思わせて、あるいは年長視聴者にもいつか来た道の甘酸っぱさとともに感情移入をさせていった方がいい。
 いささか気恥ずかしくて初々しい異性同士の接近描写なども、老若男女への「引き」としては大いに描いていくべきだと思えるのだ……などと言い訳をしておく。


真咲「光宗くんは誰にも似ていない。あったかい手と、あったかい気持ちを持っている。自信を持って。きっとそのままの光宗くんで、みんなに受け入れてもらえるハズだから」


 「光宗」は常に笑顔で人当たりがよい少年で、第3話で「ジャック」が少年院あがりであることが発覚した際も、


「だってぼくたち、そのときのこと何も知らないじゃないか! それにも理由があったかもしれないし!」


などと必死でかばったほどだ――驚きの表情で「光宗」を見つめる「ジャック」の描写も、視聴者に対する「光宗」のお株を上げるうえで実に効果的である――。
 人を疑うということを知らない、他人に対する思いやりの心を持つ、大きな瞳が印象的な紅顔の美少年として、彼は造形されている。


 シニカル(冷笑的)にイジワルに見てしまえば、オタク諸兄が愛好する美少女アニメの主要キャラクターたちの多くが、弱者男子にとっても都合がいい従順な弱者女子であるのと同様であり、これはその性別反転版でもある。
 つまり、深夜アニメを愛好するような、現実世界ではうまく生きられない、か若き繊細ナイーブな弱者男子にとっても感情移入がしやすい鏡像として、「光宗」は構築されていると見てもいい。
 もちろん我々のようにトオの経(た)ったオッサンオタクの目線で見れば、彼は女のコに少しでも優しくされるとすぐにテレて舞い上がってナビいてしまったり、いわんやホレてしまったりもする、女性に対する免疫がない実にチョロい童貞少年にも見えるのだけど(爆)。


真咲「どうしてこんなに私に優しくしてくれるの?」
光宗「真咲さんは、絶対に、笑顔がいいんだ!」


 「光宗」にとっては、それがすべてなのである(笑)。


キツめの美少女サブヒロイン「マイマイ」の場合の症例


マイマイ「根拠もなくかばうってバカみたいだけど、かばわれた方はうれしいよね。ああいうバカってさ、探せばどっかにいるのかな」


 だが「マイマイ」にそんな「光宗」は「バカ」でもあると指摘させるあたりで、思春期の少年少女の発情や錯覚・幻想にすぎないかもしれない瞬間湯沸かし器的な「情動」を、素朴な美談ではなく相対化もしてみせるのが、この作品の秀逸なところでもある。


マイマイ「カヤマくんと付き合いだしたら、ニコイチ――2娘1。とても仲が良い女子ふたりだけのグループの意味――だったそのコからハブられた。カヤマくんもかばってくれなくてフラれた。帰りたくない。幽霊がいたって化け物がいたっていい。学校でも家でも誰もしゃべってくれない!」


 第7話で異性との交友経験もすでにある「マイマイ」は、一同の前で自身の心の傷をそう告白するが、そのカヤマくんに「光宗」が似ていたことだけが、「マイマイ」が「光宗」に関心を示すこととなるミーハーな発端だった。
 後述する「光宗」の幼なじみの友人「スピードスター」からは「ホレっぽい」と実に適確に人物批評され、それを気にしていた「光宗」であったが、第2話で納鳴村に到着後に「マイマイ」とふたりきりになった際、


「あれ? 大丈夫だ。(真咲さんとちがって)ドキドキしない」


と、「光宗」は「マイマイ」に面と向かってバカ正直に云ってしまう。


マイマイ「それ失礼(しつれ)くない!」


 以降、「マイマイ」は本作序盤の段階では「光宗」に対し、露骨に敵意を示すこととなり(笑)、第3話の冒頭、「よっつん」と「真咲」が行方不明になった際に、メンバーの「もしかして、ふたりで仲良くなっちゃって、ちょっとシケコミ中ってことも……?」との下世話な憶測に対して、「真咲さんはそんなん(そんな人)じゃない!!」といきなりかばって、「真咲」にホレていることがバレバレなヒイキの引き倒しの擁護をはじめる「光宗」のことを、「マイマイ」は眉をひそめて、


「熱くなっちゃって、ウザッ」
「あぁいういかにも人畜無害なやつが、いっちばん信用できないの!」


などとヒステリックに語り返し、炊事当番では「光宗」のお椀(わん)にほんの少ししかミソ汁を入れてあげないというイヤがらせをする始末である(爆)。
 オープニング映像ですらも不機嫌そうな表情が描かれているほど、「ヴァルカナ」にまで食ってかかるくらいに負けん気が強い、ツンデレ系の茶髪ロングで端正なルックスの「マイマイ」であるが、それも先述したような失恋や傷心からそんなふうにやさぐれてしまったのだと、好意的に解釈してあげよう!?――もちろん性格というのは、後天的な境遇よりも先天的な要素が圧倒的に強いけど――


 しかし同じ第3話で、ひとりで地下牢に閉じこめられているのは寂しいだろうからと、夜こっそり「ジャック」の様子を見に行った「光宗」は、「マイマイ」と鉢合わせすることとなるが、


「私が云わなければこんなことにはならなかった。佐々木くん(ジャックの本名)、ひどいいじめにあってたみたいだし……」


と、「マイマイ」に後悔の念を口にさせることで、それで彼女が生来からの勝ち気な性格ではなく「真咲」のように柔和な性格であったことの証明にもならないけど、意外に優しい側面も見せることで、彼女を一面的な悪女としては描かない。
 後悔発言の直後、作り手たちは「光宗」に無邪気な笑顔で「マイマイさんってなんか印象が違った!」と述べさせる。それを受けて、嬉し・恥ずかし・ドン引きの三つが混ざったような表情をしている「マイマイ」もまた……彼女も意外とチョロそうだ(笑)。


 そんな「マイマイ」が中盤以降、劇的に変わり始めたのは、以下に記す事件だ。
 「マイマイ」みたいな気が強くて短気で活発な元気女子が概して一番キラうタイプであろうおっとりした女子で、しかも何もしてないのに清純だったり従順だったりするだけで男性ウケがよいどころか、結果的に男をヨコ取りすらしていくので、輪を掛けてヘイト(憎悪)の対象になったりする女子の典型ともいえる、半ば恋仇的な存在だった「真咲」。
 彼女は第6話から第7話にかけて、旧宅のむかしの新聞記事が発掘されたことで、彼女が幼いころに納鳴村で一度行方不明になっていたことが発覚する。
 村に伝わる「わらべ歌」の歌詞に「化け物を引き連れて幼い少女がやってくる」などとあることから、「真咲」は実は幽霊であり、彼女だけが化け物を目撃しないのも自分が化け物を連れているからだなどとツアー客たちの間で憶測が広がった果てに、「幽霊退治」「魔女狩り」と称して世にもおぞましい「真咲狩り」の儀式が決行、「真咲」が磔(はりつけ)にされ一同から拷問を受けたのだ!


傷ついた「弱者」が集ったハズのコミュニティーにも発生してしまう「カースト」(汗)


「それってあたしをイジメてた連中とおんなじじゃん! あぁいうの、もうイヤだったからここに来たのにウンザリだよ!」


 第8話『納鳴訪ねて真咲を疑う』で、「マイマイ」はそう語っている。もともと現実世界では心に傷を負った「弱者」だったハズで、「社会的カースト」に疑問や不平をいだいたり、「弱者」の気持ちにわりと鋭敏で同情的なハズの者たちが集って形成されたコミュニティーの中ですら、「カースト」が生まれてしまうのだ。
 「弱者」も「弱者」で(草食)動物的な直感で長いものには巻かれろの保身に走って、メンバー内では相対的な「強者」の側につくことで、より弱い「弱者」を新たにつくってピラミッドが細分化されていく。
 「弱者」を憐れんだり助けたりするのではなく、「劣位に置かれなくてよかった……」と安心したり、「わたしはあそこまでは劣ってはいない……」などと秘かに悦に入ったりして、どころかイザとなれば恥も外聞もなく「弱者」から収奪もするスネ夫くん的な中間収税人の立場に成り上がって優越感にひたりたいとすら思っている、実に卑しい連中が多数派を占めている悲しい現実を思い起こさせる。
 「弱者」たちの正体も一皮むけばこんなもの! という監督&脚本陣の真実を突いた人間観の主張でもあるこれらの描写に、筆者も我が身を顧(かえり)みて胸を刃物で刺し貫かれるような想いもするが(汗)、そんなあまりに厳しすぎる現実を目の当たりにしたことで「マイマイ」はすっかり失望してしまうのである……


 だが、そんな低劣で薄情な連中ばかりではないのも事実なのだ。


ナンコ「登場人物みんなが信じているものを疑う。それが名探偵。君も同じでしょ? 真咲を幽霊だって思ってない」
リオン「真咲は生きてるって思ったから」


 まったく化粧っ気がない、黒髪ショートの長身でややポッチャリ目の、男性にはモテそうにない気怠げな女子高生であり、第3話の畑での農作業の場面では、


プゥ子「ナンコさん、ブルドーザーみたいでかっこいい!」
ナンコ「それ、うれしくない!」(爆)


なんてやりとりもあったが、実は推理好きで、推理する際に左脇腹をつまんでボリボリとかくクセのある、誰がどう見ても『名探偵コナン』(96年~)を逆さ読みにしたハンドルネームの(笑)「名探偵ナンコ」。
 ツアー参加者の中では最年少の14歳(!)であり、頭部に小さな「猫耳」を想起させる小突起がついた「黄色いパーカー」で常に頭部から腰までを覆うことで、弱い自分を防御する対人バリアとしていることがミエミエな、同時に確信犯で幼児的な出で立ちをすることで他人や男性の庇護欲を誘って、テンション高めやキツめのコミュニケーションが平常運転の人種からもソフトな配慮あるコミュニケーションを引きだそうとしている姑息な気配も感じられる(笑)、紫色の瞳が印象的なスピリチュアルな雰囲気を持つ低身長の少女で、本作ではサードヒロインに相当すると思われる少女「リオン」。


 空気・同調圧力に屈せず「真咲」を擁護する「光宗」にも味方する、学級カーストでは底辺にいたような「ナンコ」や「リオン」とも、「あたしにもあのとき誰かかばってくれる人がいたら違ってたのかな?」などというガールズトークを繰り広げるほどに親密となり行動をともにするようになっていく「マイマイ」。
 納鳴村に来る前は美人で強気で彼氏持ちで学級カースト上位者だったろうから、イケてない「ナンコ」や「リオン」とつるむことも絶対になかっただろう(笑)サブヒロイン「マイマイ」のお株も本作後半ではあげていく。


 第9話のラストでは、この3人を弓矢で襲撃しようとした「ジャック」から颯爽(さっそう)と守ってくれた新たなキャラクター「レイジ」少年が登場!
 彼と出会ったことで、本作終盤では納鳴村の真実を究明することになる、物語内ではいかにも主要人物にふさわしい(笑)特権的で有能なオイシい役回りも「マイマイ」は兼ねることになる。
 「レイジ」とは、第8話で「真咲」がかつて納鳴村をともに訪れた「いとこ」の少年であると明かした存在だが、「レイジ」が「向こうが一方的にオレを好きなだけ」と「真咲」について語ったことには、「女の敵!」「最低男!」と直情的にすぐ罵倒してしまうあたりで、やっぱり「マイマイ」の本性は全然変わっていないけど(爆)。


 もっとも最終展開でもサブヒロイン「マイマイ」と主人公「光宗」とのからみがまったく描かれないのは少々残念な点であり、「光宗」とメインヒロイン「真咲」の危機を「マイマイ」が救うとまではいかなくとも、せめてこのふたりの仲を嫉妬しつつも少しだけ認める、あるいは「光宗」と結ばれることはあきらめてプチ傷心するもサバサバと心機一転するなどの、何らかの心情的な係り結びの描写くらいはほしかったと個人的には思える。


オボコい主人公「光宗」を突き放して分析してみる。「いい人」とは何か?(笑)


「いい人ぶってなんでも受け容れて(他人に)合わせて、あとで後悔するクセに」


と見透かしてしまうほどに、「リオン」も当初は「光宗」のことを、かなり冷ややかに見ていたものだ。


 他人を不快にさせまい、他人に優しくしよう、それは良いことなのだから……。そのうちにこんなに優しいぼくのことを理解してくれる慈悲深い運命の女性も現れてくれるにちがいない……などと思っているおめでたい往年の『電車男』(04年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20070617/p1)みたいな「いい人」なだけの弱者男子諸兄は、世のほとんどの女性たちはそういう「いい人」なだけの弱者男子のことを頼りなくて情けない男だと見くだしていて、セクシュアリティーなどはさらさら感じていないどころか、生涯の甲斐性あるパートナーとしては論外で軽蔑すらされていることは知っておいた方がいいと思う。トオの経ったオタクとしては老婆心からそう忠告しておく(大爆)。
 女性に幻想などいだくな! しかし、だからといってやさぐれたりせず、報われなくても他人に対して常に優しく、個人の私的な好悪ごときで差別をつけずに博愛的にふるまおう!(笑)


 もっとも「リオン」は、村に怪事件が続発したことで、他の参加者が狂乱に陥る中でも常に冷静さを保っており、第5話でこのまま村にとどまるか脱出するかをめぐって、参加者の間で激しい対立が起きる中、「光宗」を突然「幽霊!」呼ばわりすることでその場の雰囲気を凍りつかせた行為も、


「くだらないことで云い争って、バカみたいだったから」


なのだと、実は理性的で合理的な理由に基づく緊急避難的なヒートした「場の空気」を冷ますための政治的なウソだった本意を端的に明かしてみせたほどなので、ムラ世間的な空気・同調圧力に屈して、非合理的な前近代的・呪術的な発想に容易に感染していく連中に対する反発から、自身もスピリチュアル少女のクセに(笑)、少数派の「光宗」側の擁護にまわったようにも見えるのだ。彼女も気性からして弱い少女なのだろうとは思うが、一面ではオトコ気もあってブレずにスジを通してみせる少女なのである。


「ホントに見えるのは、これから死ぬ人」


などと最後にはスピリチュアルに戻り、不穏当(ふおんとう)な捨てゼリフを放って「光宗」のもとを去っていく「リオン」のナゾめいた沈んだ表情を、夜の闇の黒い影で包んで見えにくくしている演出もまた「暗示」としては絶妙な効果を発揮している――意外と理性的なコなのかと思いきや、結局は霊感少女だったのか? それともミステリアスな少女を演じているだけだったのか?(笑)――。


 冒頭にあげた怪奇映画『マタンゴ』では満たされない食欲をめぐって一同が争うなか島に生息する怪奇キノコ・マタンゴを唯一口にしなかった主人公の青年が、『吸血鬼ゴケミドロ』でも乗客の命を守り抜こうとした機長とスチュワーデスが、つまりは「いい人」たちが最後まで生き残ることとなっていた。
 もちろん「フィクション」には、道徳説話的な要素もあるので、悪党や軽挙妄動する愚か者が先に死んで、知恵や思いやりもある善人が助かっていく展開の方が気持ちがいいから、そうなっていく側面がある。
 しかし、「リオン」が指摘したように、「いい人」の方が損をしたり、自己犠牲や悪党にダマされたりして先に死んでいくのが「現実世界」の実態ではあるだろう。


 実際、「光宗」は第3話で「ジャック」をかばったために彼を地下牢から脱走させたのでは? と第5話では「美影」たちに疑われる。
 そして、彼を捕らえてその真相を白状させようとした「美影」陣営に協力した「なぁな」「プゥ子」「ユウノ」といったルックス的に上の部類に属する美少女たちが、自身のルックスや笑顔の可愛さを自覚している女子特有のズルさで、自身たちの色香(いろか)も利用した村の夜間警護の交代の懇願劇を仕掛けてくる。
 「光宗」が鼻の下を伸ばしてそれをやすやすと引き受けたことで――ホントにチョロいやつだよなぁ(笑)――、夜陰に待ち構えていた「らぶぽん」「氷結のジャッジネス」「ニャンタ」の3人組に襲撃され、黒幕の「美影」たちのもとに連行されることとなったくらいなのだから(爆)。


 その直前にも「光宗」は、


「今日はずいぶん女の子としゃべったなぁ。なんか信じられない!」


などと非モテの童貞男子まるだしでノーテンキに喜んでいるほどであり、「真咲」や「ジャック」を盲目的にかばった結果として自身が危機に陥る展開も含め、このあたりは主人公とはいえ「光宗」をかなり突き放して相対化して描いている。


脇役の中高年たち。脚本・岡田麿里が手懸けた『あの花』『ここさけ』の高齢版!?(汗)


 話は少々ズレるが、本作に登場する中高年のキャラたちは、本作を手懸けた岡田麿里(おかだ・まり)の代表作である深夜アニメ『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』(11年)や、アニメ映画『心が叫びたがってるんだ。』(15年)などで反復して描いてきた、過去の失敗に対する罪悪感をひきずっている人々の高齢版にも思える。


 第10話『苦しい時の神様頼み』で、一時的に元の下界に戻ることとなった「光宗」に対し、「時宗」の死を受け入れられない妻のためとはいえ、すべてを押しつけてきたことに苦悩し続け、ついに詫(わ)びることとなった光宗の父。


 10年前、自身の不甲斐なさから死なせてしまった娘・美里(みさと)のことが心の傷になっており、納鳴村で化け物としてではなく幼女のままの姿の美里=ナナキと再会することとなったツアーバスの小太りの中年「運転手」。
――第11話『バスに乗れば唄心』では美里に土下座し抱きしめて謝罪していたが、これを満天の星空の下で多くの蛍が舞う中で描くことにより、感動的な美しいシーンとして昇華することに成功していた――


 そして、自身の納鳴村に関する研究発表によって噂が広がり好奇心で村に行く若者たちを続出させたことを反省し、その懺悔(ざんげ)の気持ちから自分にできることをと最終展開で「光宗」に協力することとなる「こはるん」の実の父であり心理学者でもある「神山」。


 本作の大人たちは若者たちとは異なり、人生をリセットすることなく、誰かに助けを求めたり誰かに「依存」することもなく、ひとり静かに苦虫を噛みつぶしたように罪悪感にさいなまれながらも、こらえつつ生き永らえている人々として描かれているのである。


弱者を助ける行為にも付きまとう偽善と欺瞞。相手よりも上位に立ちたいという邪心と陶酔!


 岡田磨里作品では、ヤンキー不良的なミーイズムやエゴイズムと比すればはるかにマシな行為だとしても、「弱者を助ける善なる行為でも、それもひょっとしたら相手を支配したり上位に立って悦に入りたいだけなのでは?」という実にシニカルな視点が、フジテレビ・ノイタミナ枠での深夜アニメ『ブラックロックシューター』(12年)などをはじめとしてしばしば描かれてきた。
 先にあげた『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』も岡田麿里がメインライターの作品だが、#16『フミタン・アドモス』で、金髪ロングの高貴なメインヒロイン、クーデリア・藍那(あいな)・バーンスタインが幼いころ、スラム街の少女にキャンディーを手渡そうとしたのを、侍女のフミタンが「その場限りの施(ほどこ)しにすぎない」とたしなめる回想場面は、その典型例であると思える。


 本作でも当初の「光宗」と「真咲」の関係はそのような要素も微量に含むものとして描かれているようでもあり、自分をかばうことで「光宗」の立場が悪くなると思いつつも、「真咲」はそういった「上から目線の施し」も感じたからこそ、第3話で「もうかばってくれなくていいよ。わたしなんてかばったら、光宗くんが浮いちゃうから」と、いったん光宗から離れてしまったのではなかったか?――この際の「真咲」を顔の下半分しか写さないことで、彼女の「光宗」に対する感謝の念やさらなる救援要請の想い、しかして同時に迷惑な気持ちと拒絶の念といった、相反する複数の想いが渾然一体となった複雑なゆれる心情を視聴者に想像させてくる演出も見事だ――。


 チョロくて頼りない幼なじみの「光宗」のことを放っておけずにツアーに同行した、「光宗」とは対照的に常に鋭い眼光を放つ青髪のクールな少年「スピードスター」こと「颯人(はやと)」。
 その彼と「光宗」との関係も、先にあげた「弱者を助ける行為にすら宿ってしまう、相手よりも上位に立って悦に入りたい気持ち」というテーマを、「真咲」<「光宗」、「光宗」<「颯人」という相似形の強弱関係を照らし合わせることで浮かび上がらせるために導出された図式だろう。


颯人「イライラすっから。だからオレが守ってやる」


 小学校時代、常にいじめられていた「光宗」をかばって以降、「颯人」は一見「光宗」の親友であるかのように振る舞ってはきたが、実はそれは「颯人」が「光宗」に自我を捨てさせ、なんでも自分が云ったとおりにやるのを強要することで生まれた恐るべき関係性でもあった。
 だが、「真咲」との出会いによって、「光宗」が次第に自己主張をし始め、「颯人」に反発するまでになったことに、第9話『月下氷結』で「颯人」は包み隠さず困惑して、


「おまえに自分を変えられると困る」


と「光宗」に以下のような過去を語り出す。


 「颯人」は表面上は何不自由なく育てられたが、それは両親が世間との体面を保つために、「颯人」に自分たちの望む息子を演じさせていたにすぎなかったのだ。
 父には自分の趣味をすべて強要され、母には着せかえ人形にされた。
 近年たまに事件記事などで見る、小学校の通学時でさえ高級ブランドの服を着せられている子供たちや、その逆に親のアウトドアな趣味を強要されたがために海や山で遭難して事故死する子供たちの例を見れば、それが決して絵空事ではないと実感できるハズである。
 先にも「ジャック」が語ったように、最初は優しくしながらも、少しでも自分たちの意にそぐわないことをすれば、両親は「颯人」に暴力を奮い、屋根裏部屋に閉じこめた。
 だから「颯人」は自分にも従順(!)な相手が必要だと考えるようになったのであり、「光宗」と出会った際には解放された気分になったとまで語ったのである!


光宗「もう振り回されるのはイヤだ! ぼくはもう、時宗なんかじゃない!」


 ずっと感謝し、尊敬さえしていた「颯人」から聞かされた真実に、「光宗」は大きなショックを受け、「颯人」のもとを去ってしまうが、それは決して「光宗」ばかりではなかった。


こはるん「あなたには、光宗くんしか信じられる人がいないんだもんね」


 さすが「こはるん」。「光宗」と「颯人」の心理学でいうところの「共依存」的な関係性を見抜いて、そこを攻めてくる。男性同士の「共依存」はそれすなわち「BL」こと美少年同士の「ボーイズ・ラブ」の真髄そのものでもあり、オタク女子の中でもコア層の「腐女子」の皆さまが黄色い声でキャーキャー騒ぎそうな要素への商業的な目配せにも、本作は手抜かりがない(笑)。
 しかし、第5話の時点で早くも「美影」が「黒幕がいる」と感づいていたが、納鳴村で起きた一連の怪事件は、後述する理由によってすべてこの「こはるん」に仕組まれたものだったのだ!


 「颯人」の心の傷は、両親に屋根裏部屋に閉じこめられた際に常に目にすることとなった祖母の遺影だった。
 痴呆(ちほう)を患った祖母は、体面を保つために両親によって屋根裏部屋に閉じこめられた果てに亡くなったのである!


こはるん「大切な人を、真咲ちゃんにとられちゃったんだもん」
颯人「しゃべるな! もうやめてくれ! あの女のことは!」


 昨日今日知り合った女と理解しあえるハズもない。ましてや「真咲」をかばうことで変に悪目立ちしているのだからと「あの女はやめておけ」と再三警告し――一理も二理もある忠告ではある――、「今までどおり」の関係を求めた「颯人」を捨て、「光宗」は「真咲」のもとへと去ってしまった……
 第11話で今回の一連の騒動の首謀犯「こはるん」が「颯人」の心の深い傷をさらに深めることにより、「颯人」のナナキ=「祖母」が、従来には見られなかったほどの巨大怪獣と化す!
 その叫び声も含め、半獣半メカの姿は個人的には巨大ロボットアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』(95年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20110827/p1)に登場した各話の巨大敵キャラたち「使徒(しと)」のデザインを彷彿とさせるほどである。


こはるん「育ってきた」(!)


 最終回(第12話)『ナナキは心の鏡』で、「颯人」は「あいつらを殺せ!」(!!!)と、巨大ナナキで「光宗」や「真咲」を襲撃する!
 ナナキの巨大な手にとらわれながらも、「光宗」と「真咲」は、巨大ナナキが第9話で「光宗」から切り離されたペンギンをかごに閉じこめていることに気づく!


真咲「光宗くんを、自分のものにしておきたいから」
光宗「そうか、あれはぼくだ! ぼくは守ってもらっていた。颯人がつくった檻(おり)の中で」


 今こそ新しい自分に生まれ変わるときだとばかりに、「光宗」は「颯人」に心からの叫びをあげる!


光宗「颯人を助けられる自分になりたいんだ! ぼくは颯人と同等になりたい! 友達として、颯人が悩んでいるときは話を聞いてあげられて、助けてあげられて。なりたいんだ! そんな関係に! そんな友達に!」


 激しく動揺した巨大ナナキは「光宗」と「真咲」を地上に解放するが、


こはるん「あなたはだまされているの!」


などとけしかけられたことから巨大ナナキは暴走を遂げ、「颯人」をも標的にしようとする!
 「颯人」を背負い、全速力で駆け逃げる「光宗」!


颯人「光宗、オレを降ろして逃げろ!」
光宗「イヤだ!」
颯人「おまえは、力もないし」
光宗「ここで颯人を降ろしたら、前の自分と何も変わらない!」


 これまでに見せたことのない「光宗」のゲキアツぶりには、「光宗」の本気度の高さがうかがえようというものである!
 これこそまさに、「人間ドラマ」とB級チックな「見せ物」のクライマックスが華麗に融合した瞬間である!
 トンネルの中にまで追いかけてきた巨大ナナキの前に立ちふさがった「颯人」は「光宗」にこう語りかける。


「おまえを助けた気になることで、自分に自信が持てた。おまえに助けられていたのは、いつもオレの方だったんだ。ありがとう、光宗」


 これにより巨大ナナキは消滅、「颯人」自身もまた元の世界に帰還することとなる。


レイジ「颯人くんは自分の気持ちと、過去の出来事を受け入れたんだよ」


弱者救済に必然的に付随する不健全な「共依存」や「現実逃避」。しかしてそれを全否定はしないラスト!


 とはいえ、「光宗」と「颯人」の一見単なる主従関係でありながら、ともに精神的には不健全なまでに依存しあっている「共依存」も、脚本の岡田麿里は決して全否定はしていないように思える。
 上から下へと見くだすように露骨に施しをしたり暴君的にふるまっているのならばともかく、「共依存」性が少しでもある人間関係であれば「弱者救済」などは「偽善」だから即座にやめるべきだ! などという安直なニヒリズムにも陥らず、そこに多少は醜い優越感というグレーの要素が残ったとしても、それでも目の前の危急存亡の状況にいる「弱者」にはシノゴノ云わずに救いの手を差し伸べてあげるべきだ! という、矛盾すれすれの相反する主張のブレンドもどこかに感じられる深みのある展開には、岡田のクレバーさ・人間観察の深さも感じられてならない。


 本作にはラストでこれに通じるトドメの一押しがもうひとつある。これは納鳴村にとどまることによって自我を失い、廃人と化してしまう危険性が発覚したことから、大半の者が村を去ることを決意する中、それでも一部の者たちが村に残ろうとする選択に、一理を認めて否定的には描かなかったことだ――もちろん完全肯定もしていない――。
 それはリーダー格の「ヴァルカナ」が納鳴村にとどまる連中の選択を「逃げ」だと非難した際、最年少の冷めた少女「リオン」が語ったセリフにも表れている。


「逃げて何が悪いの? 逃げないで戦うの? 人それぞれだけど、そんなことできない人だっている。私もやっぱり帰りたくない。ここにいる」


 まさにその通りだ。だれもが他人や社会と戦えるほどに気が強いわけではない。気持ちが優しすぎる弱い人間には、それは酷なことである。そう、西欧的で近代的な自立した強い個人というのも、一応のめさずべき目標ではあってもついには達成できないフィクションのようなものではなかろうか?
 人間の心の強弱は本当に人それぞれだ。「弱者」とされる人間の中においてさえもグラデーションがある。確実には勝てない勝負に打って出て、心を壊してしまうことがミエミエであるなら、人間関係が苦手でも務まるような仕事を探したり、いっそのこと「引きこもり」や「世捨て人」になる行為も、一概に間違っているとは断じがたい。
 なんと岡田は「共依存」のみならず「現実逃避」すらも完全否定はしておらず、それどころかその理や効用をも認めてさえいるのだ! これにもまた、岡田の安直二元論的な二者択一ではない、真逆の理念の双方にも理を認める実に多面的な世界認識や人間観、そしてなにより「弱者」に対する暖かい視点が感じられる。


 20世紀末に一世を風靡した『新世紀エヴァンゲリオン』やその完結編の劇場版ラストは、我々オタク観客たちに対して「現実へ帰れ!」というメッセージを放った。もちろんそのメッセージにも一理はあると思うが、一時の娯楽であるフィクション作品自体を自己否定して破綻させかねないものであり、なによりもよけいなお世話であったり(笑)、あるいは「現実」でうまく生きられない者たちにとっては「救い」にもならない冷たい「正論」で、そのことに反発を覚えた者もきっといたことだろう。


 それにひきかえ、本作ラストの少女「リオン」のセリフはどうか? 「正論」だけでは反発と敗北感を覚えかねないほどの「弱者」たちにとっては、「現実逃避」を正当化してくれるその言葉に、かえって寄り添いや癒やしを、そしてうまく行けば一部の軽傷の「弱者」たちにはその言葉を与えられたことで気が済んで、逆説的に勇気を与えられて現実に少しでも立ち向かう背中を押してくれる言葉になったかもしれないのだ。
 人間とは「正論」だけでも動かない、実に逆説と背理に満ち満ちた複雑な心理を持つ存在でもあるのだ。
――もちろんダメな自分を自堕落に正当化する品性下劣な「弱者」もいるから、「リオン」のセリフは一方では毒になるのもたしかだけど――


 いや、むしろ現実の世界に戻った者たちの方を批判しているとさえ思える部分もあるのだ(汗)。それはあれだけ「光宗」や「真咲」を散々迫害し、ぶっちゃけ殺人未遂までやらかした(爆)ツアーの参加者たちが、誰ひとりとして「光宗」や「真咲」に謝罪する姿が最後まで描かれないことである。
 筆者の専門とする就学前の幼児を視聴対象にした変身ヒーロー作品ならばこれは絶対にありえない、ふつうはラストで取って付けたようでも謝罪してハッピーエンドに持っていくところだ(笑)――もちろん思春期以降の年齢層をターゲットとする本作のような深夜アニメの作風で、それをやったら非常に安っぽくもなるけれど――。


 実際、納鳴村に残ったメンバーを見ると、そちらの方が「いい人」が多かったりするのである。
 参加者の中で争いが起きるたび、主催者の「ダーハラ」以上に必ず仲裁に入る姿が描かれていた、もうキャラデザからして「光宗」以上におもいっきり「人畜無害」(笑)で、親の介護を終えて抜け殻になっていたという枯れた感じの28歳の青年「山内」。
 「真咲」にハーブティーを入れてあげるなど、常に優しい姿が描かれていた元・看護婦で、緑髪ショートボブにメガネをかけた女性「ソイラテ」。
 この本作でももっとも目立っていない(汗)脇役キャラのふたりは、他の参加者たちが終盤で次第に廃人のように無気力状態に陥る中、最後まで正気を保ち続けていたのである。


 また、悪質なストーカーから逃れてきた「熱帯夜」や、「戻ったら確実にヤバいやつらに殺される」と、多額の借金を踏み倒してきた居酒屋の雇われ店長で、金髪で軽薄な雰囲気ではあるものの目下の者にまで常に敬語で話すほどの意外に穏和な青年だった「鳥安(とりやす)」。
 そうした者たちを納鳴村に残すことで、「現実逃避」にムダに説得力まで与えているほどなのである(笑)。


 その究極となっているのが、以下のセリフである。


神山「気持ちはね、みんな違うの。気持ちは人それぞれなんだよ。だから(私のことも)自由にさせてほしいな」


 「神山」は娘の「こはるん」が自身に対する善意でやってきた今回の一連の事象で、救済が果たされることを拒絶するのだ。


 まぁ、父の「神山」が自身のナナキを切り離したことで、まだ50手前なのに白髪の老人と化したほど(爆)急速に老化を遂げたことから、それを阻止するために「こはるん」が強力なナナキを生みだそうとしたという動機は充分に同情できるものではある。
 だが、そのために「こはるん」が多くの若者を巻きこんでしまったことについては、さすがに一同に謝罪する姿を描いた方がよかったとは思える。
 自分が傷つけてしまった人たちへの罪滅ぼしのために、村にいても自我を失わずに済む研究を続ける、なんて気持ちがあるのなら(笑)。


 だが、それすらも、


「オレよくよく人を見る目がないからよ。この先また現実でやっていけるかわからねえから、チラッとでもいいやつだと思っちまったやつが、ホントにいいやつかどうか、この目で見届けてから帰るわ」


なんて、「ダーハラ」が嫉妬するほどいい雰囲気になりかけていた「ヴァルカナ」から云われた言葉に、「こはるん」が顔を赤らめるなどというかたちでキレイに決着させてしまうとは……。
 そもそも村に残る行為を「逃げ」だと糾弾しだしたのも「ヴァルカナ」じゃなかったか!?(笑)


弱者男子にとっての都合がいい弱者少女・メインヒロイン「真咲」の症例の決着


レイジ「ぼくは、おまえのナナキ」


 「ナンコ」は「真咲」にだけ化け物=ナナキが見えないのは「心の傷」がないからだと推理していたが、「真咲」にとっては見た目は化け物ではなく人間である「レイジ」少年こそがナナキであったことが最後に判明する。
 「真咲」が幼いころから「レイジ」という灰色髪のイケメンで優しいお兄さんタイプの「空想」の遊び相手を生み出すに至っていたということは、それだけおとなしげで気弱げで内向的な「真咲」が重度のコミュニケーション弱者だったということでもあり、その「孤独」は充分に「心の傷」に該当するということは、同じくコミュニケーション弱者であられる読者諸兄も痛感するところだろう(……心が痛い!・爆)。


 だが、第11話であくまで彼女がすべての元凶であると信じる「美影」と「らぶぽん」によって処刑されそうになった「真咲」は、いったんは「レイジ!」と叫びかけたものの「光宗!」の名に変えて助けを求めたのである! 「真咲」が「レイジ」以外の現実世界の人間に対しても、本格的に関心を向けはじめた証左でもある!


レイジ「初めてぼく以外の名前を呼んだんだよ、光宗くん!」


 レイジから託された「光宗」が「真咲」に語りかける。


光宗「レイジさんは、ここから出てほしいって願ってた。真咲さんは、本当は変わりたいって思ってんだよね」


 「ぼくは、真咲自身だから」と語っていた「レイジ」=「自分」を「真咲」が受け入れることで、「レイジ」の姿は消滅するが、


真咲「レイジが帰ってきた! ここ!」


と、おぼこい幼女みたいな感じの可憐な「真咲」が嬉しそうに左胸を指す描写もまた、最後の最後まで「萌え」欲求を満たすための巨大な釣り針としてはヌカリがなかった(笑)。バスに戻ってきた「光宗」に「真咲」が「おかえり」と微笑むのもそうだが。つーか、個人的にはたまらん(爆)。


 まぁ、彼女はルックスには恵まれているので、その後の人生でもオトコがたかってきて救ってもらえそうな感じなので、なんとかなっていくのだろう(オイ)。これでルックスにも恵まれていないコミュニケーション弱者の少女だったら、深夜アニメ『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』(13年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190606/p1)の主人公・黒木智子ことモコッチになってしまう(爆)。


ラストへの小さな違和感。「苦悩」があるという一点をもって、人間は誰しも同じだといえるのか!?


 ただ、最後にヤボなツッコミをひとつだけ。


レイジ「君たちはどうしてここに来た。人生をやり直したい? それは今までの自分を否定しているんだよね。他の誰よりも『自分に捨てられる』。それがいちばん怖いんだ」
マイマイ「私ってさ、今まで自分だけが苦しいような、そんな気でいたんだ」
リオン「そうだね。まわりの人たちはみんな幸せそうに見えた。正直嫉妬だってしたよ。だけどここに来て、みんな同じなんだって気づいた」
ナンコ「うん。みんなつらいことがあって、それこそナナキを生んでしまうくらい悲しいことがあって……」


 「みんな同じ」「みんなつらいことがあって」というのは、あくまで「人生やり直しツアー」に参加した者たちの中だけで見たら、たしかにそういうことになるのだろう。
 だが世間には、たいして苦しいこともつらいことも経験せずに、幸せに生きている連中も多いんじゃないのか?(笑)
 「心の傷」なんか全然なくて、納鳴村に来ても化け物の姿が見えないやつだって、結構多いかと思うぞ(爆)。


 やはり生まれつきの性格・気質・体質・体力などの自分ではどうにもできない、各個人の手持ちのカードの多寡によって、前者はさして努力もせずに幸せになれるだろうし、後者は苦しむ可能性が高いと思えるのだ。
 そういや本作と同時期に放映されている『動物戦隊ジュウオウジャー』(16年)に途中から黒色の「6番目の戦士」として登場した、生まれつき体も気も弱くて常に孤独であだ名で呼びあう友達すらもいなかった門藤操(もんどう・みさお)=「ジュウオウ ザ ワールド」なんかは、後者の典型そのものではないか?(爆)
 まぁ、操みたいなキャラでも「ヒーロー」になれたのは、『ジュウオウジャー』が「子供番組」だからであり、現実世界では到底ありえない話である(大爆)。
 また、先にあげた神山の「みんな違うの」のセリフではないが、苦悩を背負っている人々の中でさえも、個人によってグラデーションがあるワケで、「みんな同じ」というのは私的には微妙に違和感が残るものもあるのだが……


 もっとも10代の少女たちが自己を相対視することで、そこまで達観できるようになったこと自体が、ひとつの進歩・気づきであることだけはたしかだ。「リオン」なんかはまだ14歳だぞ(笑)。
 また、それだけ「マイマイ」「ナンコ」「リオン」が、皆あまりにもモラルがある「いいコ」にすぎて、だから世間で苦労するんだよ、もっとテキトーにズルして手抜きもして生きてもいいよ……などと、これまたスタッフ陣が彼女らを若干突き放して描いているようにも解釈ができ、しかし個人的にはそこまでニヒルに「生き方のズルさ」を賞揚するような主張が込められていたりすると、さすがに賛同しかねるので、今回はこれくらいにしておこう(笑)。


 今を生きるすべての悩める人たちに、視聴することを勧めたいと考える力作である。


(了)
(初出・オールジャンル同人誌『DEATH-VOLT』VOL.75(16年8月13日発行))


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 アニメ映画『ガールズ&パンツァー 最終章 第1話』(17年)評をアップ!


ガールズ&パンツァー 最終章 第1話』 ~微妙。戦車バトルを減らしたキャラ中心の2期も並行させた方がよかった!?

(17年12月21日(土)公開 ガールズ&パンツァー 最終章 製作委員会)


(文・久保達也)
(17年12月20日脱稿)


 まるで華道や茶道のように、「戦車道」を女子のたしなみとし、美少女高校生たちを戦車で他校の生徒たちと戦わせる、荒唐無稽(こうとうむけい)な世界観のアニメ『ガールズ&パンツァー』(12年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190622/p1)の放映から、早5年が経過した。


 今回の『最終章』は1時間弱の作品全6話で構成されており、これは30分のテレビシリーズ1クール分に相当する。
 最初のテレビシリーズが製作が追いつかずに放映を落としたり(汗)、OVA『ガールズ&パンツァー これが本当のアンツィオ戦です!』(14年)や、映画『ガールズ&パンツァー 劇場版』(15年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190623/p1)などの続編が告知されながらも、再三の延期でファンをやきもきさせ、代わりに声優たちが総出演するイベントを連打することで、『ガルパン』はかろうじて人気を持続させてきた。
 その諸悪の根源が、高いクオリティを維持するために、「早くやれよ!」とのファンたちの声に、いっさい耳をかたむけようとはしない(笑)水島努監督の、職人としての頑(かたくな)な姿勢であることは、もはや明白である。


 空や山々をリアルに描いた背景美術をバックに、ロング(引き)や俯瞰(ふかん)で戦車群が進撃するさまをとらえたり、戦車の頑丈(がんじょう)な装甲が砲弾をはねかえすさまをアップでとらえたり、戦車がなめらかな動きで市街地の狭い路地を自在にカーブやバックしたりすることで得られる臨場感は、今回も存分に演出された。
 クライマックスで木製の橋を進撃する主人公側の大洗(おおあらい)女子学園の戦車群に、新登場したBC自由学園の戦車群が不意に砲弾の嵐を浴びせ、崩壊する橋から大洗の戦車隊が間一髪で逃れる描写は、砲弾の発射音やキャタピラの走行音が重低音で響き渡る音響演出が最大の効果をあげ、まさに映画媒体だからこそ得られる大迫力であった。


 アニメ映画『GODZILLAゴジラ) 怪獣惑星』(17年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20171122/p1)と比較するのは申し訳ないと思えるほどの、そうしたミリタリー描写のクオリティを維持しようと思えば、ひたすら年月が過ぎてしまうのは必然であろう。
 今回の映画『最終章』シリーズは全6話と告知されてはいるものの、本編終了後に『最終章 第2話』の予告編は流れなかった。
 全3話構成による『GODZILLA』のアニメ映画の続編は2018年春公開(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20180622/p1)との告知が出たのだから、やはり『ガルパン』のつづきは「鋭意製作中」なのだろう(苦笑)。この『最終章』の最終回が公開されるのは、10年くらい先になるのだろうか?(爆)
 こうした商売に見切りをつけた者も多かったのか、筆者が在住する静岡市シネコンでは、まだ公開二日目にもかかわらず、客は数十人程度であり(汗)、遂に『ガルパン』もオワコン(終わったコンテンツ)と化したのか? と感じてしまったほどだ――興行的には初登場第4位だったが――。


 このお寒い現状を招いたほど、『ガルパン』の魅力とは、果たして水島監督がこだわりを示す、高クオリティのミリタリー描写だけなのか? いや、決してそうではない。
 先のテレビシリーズ評や劇場版評で、「戦車バトル」こそが本作の主眼であり、その他の要素はラストの「戦車バトル」を最大限に盛りあげるための前段に過ぎない旨の主張を散々に語ってきたのにナンではあるのだけど、大洗女子学園だけでも4~5人で構成されたチームが多数存在し、他校も含めて何十人も登場しながらも、明確に個性が描き分けられた美少女キャラたちもまた、やはり『ガルパン』の大きな魅力のひとつではあったハズだ。


 先述したOVAや『劇場版』、および今回の『最終章』との合間に、「戦車バトル」のクオリティを多少下げてでも、あるいは「戦車バトル」を1クール中の数話にとどめてでも(笑)、美少女たちがワイワイキャッキャと騒ぐのを中心に、時にはホロリと泣ける回を描いたり、水着編で2週もたせるなどして(爆)、第2期のテレビシリーズを製作すべきだったかと思えるのだ。
 いや、どうせ今回の『最終章』も各話に間が空くのだから、『最終章』の前日談とか『最終章』では描かれないサイドストーリーの第2期をやるべきではないのかと。


 そんなワケで、BC自由学園や大洗女子学園に新規に加入したサメさんチームの美少女たちについては、『最終章 第2話』公開の際にでも語ることとしたいが、果たしてそれはいつのことになるのやら?(大爆)


(了)
(初出・オールジャンル同人誌『DEATH-VOLT』VOL.80(17年12月30日発行))


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