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円谷フィールズHDの中期経営計画は正論!  近作ウルトラマンの弱点! 玩具性・連続ドラマ性の軽視! SF性や原点回帰より、異形の好敵手や巨悪と戦うヒロイズム・高揚感を強調すべきだ!

『ウルトラマンオメガ』(25年)序盤総括 ~宇宙人の超人・正義の味方の怪獣たち・変身アイテム・先輩ウルトラ戦士の図像のコレクションアイテムらを活かすためには!?
『ウルトラマンアーク』(24年)前半総括 ~鎧・アイテム・内宇宙・倒置法の作劇・昭和怪獣・タテ糸! 今後の「ウルトラ」はどうあるべきなのか!?
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[ウルトラ] ~全記事見出し一覧


円谷フィールズHDの中期経営計画は正論! 近作ウルトラマンの弱点! 玩具性・連続ドラマ性の軽視! SF性や原点回帰より、異形の好敵手や巨悪と戦うヒロイズム・高揚感を強調すべきだ!

(文・久保達也)
(2026年6月6日・脱稿)

今度こそ「ウルトラマン」は変われるのか!?


*この3年間のテレビシリーズは「失敗作」だった!?


 2026年5月12日(火)、円谷プロダクションとパチンコなどの遊戯興行会社のフィールズの親会社にあたる円谷フィールズホールディングス株式会社は、東証(東京証券取引所)の株主向けに、2025年度の決算を公表する中で、


●『Beyond the Legacy(ビヨンド・ザ・レガシー)』――直訳すると「遺産を超えて」。あるいは「遺産の向こう側」――


と題して、2027年度から2029年度の3ヶ年にわたる今後の事業・経営計画を発表して、特撮ファンの間でもおおいに話題になっている。


 その前段として、2024年3月期から2026年度3月期にわたる「中期経営計画」の振り返りがなされている。


【営業利益推移】


●2024年3月期 中期目標60億円→実績38億円
●2025年3月期 中期目標40億円→実績28億円
●2026年3月期 中期目標32億円→実績 9億円


 これはあくまでも玩具会社・バンダイ側ではなく「ウルトラマン」を製作している円谷プロダクション側のそれである。そして、世間一般に開示されがちな「売上高」の方ではなく「営業利益」の方である。上記の資料のさらに前年である2023年3月期の「営業利益」の方の実績は、同資料によれば43億円であった。この3年間はずっと右肩下がり。特に2025年度から2026年度の激減ぶりは深刻なレベルだ。



 ちなみに、株式会社バンダイナムコホールディングスが発表している「営業利益」ではなく「売上高」については、以下のとおりであった。


●2024年3月期:191億円(国内83億円)
●2025年3月期:140億円(国内67億円)
●2026年3月期: 96億円(国内55億円)


 バンダイ側の玩具の売上高だけを見ても、やはり大きく半減していたのだ(爆)。



 また、この3年間の


●「テレビ世帯視聴率」
●「Google(グーグル)トレンド検索回数」


 両者の推移がグラフ化されている。


●前者の分析では、「メインターゲットの3歳から6歳の視聴層を現状では取りこめておらず」
●後者の分析では、「『有名特撮の関心度水準』と比較すると低水準だ」――ぶっちゃけ、『仮面ライダー』との比較だろう(笑)――


などと言及している。



 平均視聴率も、


●『ウルトラマンZ(ゼット)』(20年)が1.18%(パーセント)
●『ウルトラマントリガー』(21年)が1.09%
●『ウルトラマンデッカー』(22年)が0.84%


とこちらも右肩下がりの傾向がつづいている。『ウルトラマンオメガ』(25年)に至っては、資料によればシリーズ終盤の数字はたった0.4%である。
 おそらくは、映画『東映まんがまつり』で『仮面ライダー電王 プリティ電王とうじょう!』(20年)とも同時上映になったことがある、絵本が原作で東映アニメーションが製作した、NHKの「Eテレ」(旧・教育テレビ)で放送中の幼児向けテレビアニメ『おしりたんてい』(18年~)だとも思われる1.8%との差は歴然だ(汗)。


 そして、映画『シン・ウルトラマン』(22年・東宝)の公開前後の時期は、Googleの検索回数が異常なまでに爆上がりしたものの、それも一時的でせっかく集めた一般の大人たちの関心も持続されることはなかった。


 2019年からの再ブームやトレカ(トレーディング・カード・ゲーム)の大人気などで躍進がいちじるしい中国市場などと比べて、これら日本市場の厳しい現状を資料では


「日本ではTVシリーズ最新作を毎年投入し続けている一方で、“母国”でありながら、ファン獲得・熱量の維持がしきれていない」


と自己評価しているほどだ。


 つまり、作品自体の評価はともかくとして、この3年間に投入されたテレビシリーズの最新作


●『ウルトラマンブレーザー』(23年)
●『ウルトラマンアーク』(24年)
●『ウルトラマンオメガ』(25年)


は「営業」的には「失敗作」であったと、当の円谷プロダクションの本体ではないが、その親会社である円谷フィールズホールディングス株式会社の方は自ら厳しい評価を下したことになるのだ(汗)。


*「ファン獲得」「熱量の維持」ができなかったテレビシリーズ(汗)


●「本編の人間ドラマが長すぎて、ウルトラマンや怪獣の出番があまりにも少ない」
●「基本的に1話完結の話ばかりで縦軸が薄いから、継続視聴する気になれない」
●「シリーズが変わっても似たような話が繰り返される。しかも、『ブレーザー』にあった話を『アーク』でやっても何の支障もない」(笑)
●「玩具の販促(販売促進)をする気がない」


 このところの『ウルトラマン』に対する、特撮マニア諸氏による批判のなかに、よく見られた定番の声がこれらである。個人的にも、実にごもっともな指摘だと思う、


 いや、「50年」もの歴史に幕を閉じた『スーパー戦隊』シリーズの『暴太郎(あばたろう)戦隊ドンブラザーズ』(22年)に対しての意見も、同様なものが多かった。つまり、『ウルトラマンブレーザー』の前作『ウルトラマンデッカー』(22年)放映の時点でも、すでにそうした意見は各所で見られていたのだ。


 東映のプロデューサー・白倉伸一郎氏と脚本家の井上敏樹(いのうえ・としき)先生がタッグを組んだゆえの作品の「長所」。つまり、往年の『仮面ライダーアギト』(01年)や『仮面ライダー555(ファイズ)』(03年)などでは濃厚だった「謎解き展開」・「群像劇」といった魅力については、『ドンブラザーズ』では完全に影を潜(ひそ)めてしまっていた。


 ネットでの瞬間風速的な「バズり」を優先したかのような(汗)、あまりにも誇張した作劇と演出。本編ドラマの流れと関係なしに、唐突に出てくるヒーローの強化形態や新たなロボット&その合体バリエーション。白倉&井上の「短所」ばかりがめだっていたのだ(笑)。
 変身ヒーロー作品なのに、最終展開に至るまでヒロイズムやカタルシスがほとんど感じられない、もちろん確信犯だろうグダグダとした変化球のノリについては、特撮マニア間では相応に人気を集めたことは認めるし、子供間での玩具の売上がよかったことも事実として認めるのだが、個人的には致命的に思えたものだ。


 今にして思えば、『戦隊』崩壊への序曲(汗)とでも解釈できそうな作風だったのだが、それと同じとまでは云わないまでも、似たようなことを『ウルトラマン』もこの3年間にわたってひたすら繰り返してきたのではあるまいか?



●主人公と敵のレギュラー悪に強い因縁(いんねん)をもたせ、その出自や関係性にまつわる謎解き展開で視聴者をひきつける連続ドラマ性にあふれる作劇
●往年のレジェンドウルトラマンの力を「お借りします!」の変身で、歴代シリーズとも関連をもたせて新旧双方のファンを取りこむ手法


 それらを両立させていた


●『ウルトラマンオーブ』(16年)
●『ウルトラマンジード』(17年)


 そして、コミカルにすぎた作風については批判も多かったが、


●『ウルトラマンR/B(ルーブ)』(18年)


 それらの2010年代のニュージェネレーションウルトラマンシリーズは、少なくとも「ファン獲得」「熱量の維持」には成功していた印象が強いのだ。



 だが、


●「初代ウルトラマンみたいなシンプルなデザインにしたい」
●「変身アイテムを長々と映(うつ)したくない」


などとゴネた(笑)メインの田口清隆(たぐち・きよたか)監督を、玩具会社・バンダイ側が必死に説得したことで、実際のかたちになったという『ウルトラマンブレーザー』(23年)以降、「連続ドラマ性」よりも「1話完結」の傾向が強くなってしまった。


*話数をまたがって登場する、敵の中堅幹部や幹部交代劇にラスボス! 第三勢力やライバルの投入で、ワンパターン化を回避した、新世代ウルトラマン作品!


●『ウルトラマンギンガ』(13年)では、話数をまたいだ敵として「闇のエージェント(代理人)」なる中堅幹部が設定され、バルキー星人からナックル星人へと代替わりしていった。
●次作『ウルトラマンギンガS(エス)』(14年)でも、敵の中堅幹部がチブル星人からガッツ星人へと交代していく趣向が設けられていた。そのチブル星人が製造した量産型の戦闘員キャラことチブロイドまで登場して、特撮部分のみならず本編部分でもアクション場面を拡充して、実に飽きっぽい子供たちの興味・関心をテレビ画面へと持続させることにも貢献(こうけん)していたのだ。そして、両作の最終的なラスボズは偽ウルトラマンギンガともいえる闇の巨人・ダークルギエルであった。
●『ウルトラマンX(エックス)』(15年)の第1話冒頭でバトルが繰り広げられた青い球の正体も、最終回の前後編に登場した虚空(こくう)怪獣グリーザであった。


●『ウルトラマンオーブ』(16年)では、主人公のライバル青年としてジャグラスジャグラーが登場。シリーズを通した好敵手として描かれていた。
●次作『ウルトラマンジード』(17年)では、悪のウルトラマンベリアルとも通じているクールでダンディーな壮年のSF作家センセイがシリーズを通じた宿敵でもあった。
●その次作『ウルトラマンR/B』(18年)でも、シリーズ前半では地方の大企業のユカイな壮年社長が悪のウルトラマンことウルトラマンオーブダークに変身して立ちはだかった。シリーズ後半では1300歳以上(笑)の女子高生(?)・ツルちゃんが宿敵として立ちはだかっていた。
●その次作『ウルトラマンタイガ』(19年)では、ウルトラマントレギアが宿敵であって、その飄々とした人間態も登場していた。


 こうした趣向は若い特撮ファンやジャンルファンの注目も集めて、これらの宿敵を「半分は指をさして笑いながら観ている」といった意味でありながらも、やはり目が離せなくなるといった二重の意味もこめて、「円谷のヤベーやつら」と呼称するネット・スラング(俗語)も生まれていたほどだ(笑)。



 第3勢力としては、『ウルトラマンオーブ』には「惑星侵略連合」という歴代ウルトラシリーズの人気悪役宇宙人の集団が登場していた。『ウルトラマンタイガ』にも「ヴィラン・ギルド」という歴代ウルトラシリーズの人気悪役宇宙人による犯罪者集団が登場していた。こうした趣向もよかったとは思うのだ――後者については、そもそもほとんど登場しなかったという問題点もあったものの(汗)――。



 しかし、『ウルトラマンデッカー』の続編映画『ウルトラマンデッカー最終章 旅立ちの彼方へ…』(23年)、そして『ウルトラマンブレーザー』(23年)以降は、レジェンドウルトラマンどころか、前作の主人公ウルトラマンとの共演! といった、巨悪に対して先輩ヒーローとの共闘で立ち向かうような、「各話の人間ドラマ性」はさておいたところでの、爽快なる「イベント編」「バトル編」すらもがいっさい描かれなくなってしまったのだった。
――次作『ウルトラマンアーク』(24年)のシリーズ中盤でこそ、ブレーザーとの共演はあったものの、そのブレーザーは本家とは別人で、パラレルワールドの並行同位体(笑)としてのそれであって、本人との共演ではなかったあたりが物足りなかったので、これは除外としておきたい――


 その『ウルトラマンアーク』では、アークの活躍が1分間にも満たなかった回が、一部の中二病的な特撮マニアからは絶賛されていたものだ(爆)。しかし、そうした試みはあくまでも我々のような年長のマニア受けする「異色作」や「パターン破り」としてのそれにすぎないのだ。そして、そうした華(はな)が感じられない作風は、子供向け番組としては営業的にはなんの利益ももたらさないという厳然たる事実を、今回公表された資料は我々に突きつけているのだ。



 ところで、インターネット上の巨大掲示板『5ちゃんねる』で、『ブレーザー』まではたしかに存在していた「アンチスレ(ッド)」(掲示板)が、ここ2作の『アーク』と『オメガ』に関しては放映終了までいっさい立てられることがなかった。


 「ニュージェネレーションウルトラマン」のシリーズ全体に対する「アンチスレ」は存在する。しかし、作品個別に対する「アンチスレ」がないということは、『ブレーザー』あたりで「ウルトラマン」に愛想をつかしてしまった若い特撮ファンは、もう『アーク』や『オメガ』をアンチの立場ですらなく、いっさい視聴していなかったり、たとえ視聴はしていたとしても、もはや語る気にすらならなかったのではあるまいか?


 『オメガ』にはアンチファンがめだたず、(特に年配の特撮マニアには)絶賛の声が多かったのも、そういった事情かと推測されるのだ。よって、今や「ウルトラマン」を視聴しているのは、少しでも作品に批判的なコメントをしようものなら「ウルトラマンの「悪口」を云うな!」(苦笑)とばかりに即座にかみついてくるような、いわゆる「信者」たちばかりではないのか?


 2025年度に28億円だった円谷の「営業利益」が2026年度に9億円にまで激減したというのは、そのことをも如実(にょじつ)に示しているように思えてならないのである。


*懸念される「実行性」のある「現実的」な打ち手


「実行性のある現実的な打ち手で“母国”である日本からアジア起点のグローバルIP(アイピー・知的財産)企業を目指す」


 「価値創造」「収益化」の両面から「勝ち筋」をつくりきれていないとする現状に対する反省を踏まえたうえで、円谷は2027年度から2029年度の3年間の「基本」方針として「熱量を生む作品展開」を打ちだしている。


 「熱量」! ここ20年ほどでのオタク間でのネット・スラングであったものが、いつのまにやらこのようなビジネスの世界においても使用されるようになってしまうとは……。ドラマ性やテーマ性を超えたところでのいろいろな「何か」、我々が作品についつい執着させられてしまうさまざまな「何か」を示すためには、この「熱量」という言葉は実に的確な用語ではないだろうか。


 それによれば、「今後3年間に放映される新作のテレビシリーズはすべて同一の世界観での連続性のあるストーリー展開」として製作して、ファンを1年だけで卒業しないようにするのだそうだ。


 ……「そんな当たり前のことに、今ごろ気づいたんかい!」とツッコミたくはなるのだが(笑)、遅くはあっても、それはたしかに望ましい方向転換ではある。


 そして、これらと並行して例年、テレビシリーズが終了した直後の2~3月頃に公開されてきた「冬~春映画」に加え、「今後は毎年夏にもテレビシリーズと連続性をもたせた「映画」を公開する、途切れのない映像製作体制によって、「ウルトラマン」を「視聴」「鑑賞」する「習慣化」をつくりだす」としているのだ! そういった処置も決して悪くはないだろう。


YouTubeの再生回数での各作の人気の度合いを実証! そこから透かし見える、あるべきウルトラの姿とは!


 ちなみに、ウルトラマンゼロの弟子だと設定され、M78星雲のウルトラ兄弟たちが所属する宇宙警備隊の新米隊員だと設定されたことで、歴代ウルトラシリーズの世界観とも直結させて、先輩ウルトラマンたちとの共演も重ねたのが『ウルトラマンZ』であった。その熱血バカで明朗な作風で、若い特撮ファンからの人気もおおいに集めていた。動画無料配信サイト・YouTube(ユーチューブ)の「円谷公式チャンネルYouTube」での各話の限定2週間の再生回数も全話が100万回(!)を突破していたほどだ!
 次作『ウルトラマントリガー』や『ウルトラマンデッカー』の再生回数は、さすがに『ウルトラマンZ』の域には達していない。放映を重ねるごとに再生回数は減少していった。しかし、それでも少なくとも50万回には達していたし、その50万回もあくまでシリーズ後半になってからのことだ。


 『ウルトラマンブレーザー』第1話『ファースト・ウェイブ』の再生回数は、そのアダルティーかつミリタリックで本格的な特撮ビジュアルの衝撃が話題になって、2週間で724万回(!)もの驚くべき再生回数を稼いでいる。しかし、第6話『侵略のオーロラ』が2週間で62万回にしか達しないほどに大激減してしまっていた。第7話『虹が出た 前編』の再生回数は、配信開始の2023年8月26日(土)から1週間を経た同年9月2日(土)朝9時の時点で46万回にしか達していなかった。繰り返すが、『トリガー』や『デッカー』はシリーズ後半でも50万回には達していた。それと比較すれば、早くも序盤の時点で1週間の再生回数が50万回を下回っている『ブレーザー』は、危うい状況にあったと解釈せざるをえない。


 『ウルトラマンアーク』の再生回数は最終展開に至るまで、もっと残念な結果に終わっている。第9話『さよなら、リン』は配信1週間で30万回にしか達していない。つづく第10話『遠くの君へ』から第18話『アーク協力要請』に至るまでは、その30万回にも届かない25万回前後という低空飛行だった。『アーク』の前作『ブレーザー』のウルトラマンブレーザーとウルトラマンアークの共闘が描かれた第19話『超える想い』こそ1週間で40万回に達した。しかし、その40万回を記録したのは実に第5話『峠(とうげ)の海』以来のことだった。


――ちなみに、第6~7話あたりで徹底した華やかな先輩ヒーロー客演編を配置していた『ウルトラマンZ』・『ウルトラマントリガー』・『ウルトラマンデッカー』では、いずれも変身前の青年を演じた役者さんはもちろんのこと、それぞれの因縁の敵までもが総登場して、YouTubeでの再生回数も1週間で数百万回にまで達していた! 『ウルトラマンZ』で「昭和」のウルトラマンエースがゲストで登場して、ウルトラマンゼットと共闘した回は、1週間の再生回数が150万回を突破! ウルトラマンジードが助っ人(すけっと)参戦した回は、5日ほどで200万回を突破していたのだ! にもかかわらず、前作『ブレーザー』とのコラボ(レーション)回はそうはなっていないのだ――


 そして、つづく第20話『受け継(つ)がれるもの』から第22話『白い仮面の男』までは、最終展開を目前にした大事な時期であるにもかかわらず、再度25万回前後に落ちこんでしまった。特に『白い仮面の男』はマニア間では高い評価を獲得しているが、再生回数を見るかぎりでもやはりマニア受けの回であって、手放しでの絶賛はできないのではないのか?
 最終章三部作の序章である第23話『厄災三(やくさい・み)たび』はひさびさに1週間で30万回を超えていた。しかし、第24話『舞い降りる夢幻(むげん)』はそれを下回る30万回であった。最終回(第25話)『走れ、ユウマ!』の1週間の再生回数は40万回、2週間で46万回だった。1週間の再生回数が「40万回」というのは、前作『ブレーザー』後半の「通常回」の数字なのだが…… ちなみに、『ブレーザー』最終回(第25話)『地球を抱(いだ)くものたち』の配信1週間の再生回数は50万回であり、『アーク』の最終回はそれを10万回も下回ってしまったのだ。


 第16話『恐(おそ)れの光』の1週間の再生回数は23万回だった。これは同日に「東映特撮 YOUTUBE OFFICIAL」で配信された『仮面ライダードライブ』(14年)第22話『F1(エフワン)ボディでどうやって戦えばいいのか』の24万回を下回る数字であった。『アーク』第18話も、その『ドライブ』第26話『チェイサーはどこへ向かうのか』の25万回よりも少ない24万回に終わっていたのだ。10年も前に放映され、「東映特撮 YOUTUBE OFFICIAL」では再三配信されてきたがために、一般の視聴者的には「観飽(あ)きた」との感が強いであろう『ドライブ』にすらも負けてしまっているのだ。なお、『アーク』の「最終回」と前後して「東映特撮 YOUTUBE OFFICIAL」でのシリーズの配信が終了した『海賊(かいぞく)戦隊ゴーカイジャー』(11年)の最終回も配信1週間で「40万回」と、『アーク』の最終回と同じ数字であった。


 近作の批判ばかりをしてしまったが、『ウルトラマンZ』以前にも、YouTubeの再生回数が低かった作品はある。『ウルトラマンタイガ』のシリーズ後半がそれだ。1週間の再生回数が毎回30万回程度にしか達していなかったのだ。同作も「昭和」の時代に逆行したかのように縦軸・連続性がきわめてウスい「1話完結」形式の趣(おもむき)が強かった。しかも、レギュラー悪のウルトラマントレギアにそそのかされた、地球人に擬態している平和的なゲスト宇宙人が葛藤(かっとう)の末に「悪」に走るといった陰鬱(いんうつ)で湿っぽい話が多発したために、こちらもシリーズ後半は失速したと見てもよいだろう。
 しかし、『タイガ』は第1話『バディゴー!』冒頭(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190811/p1)でせいぞろいした7大ニュージェネレーションウルトラマンたちの宇宙空間での大活躍を描いたり、ウルトラマンタイガ・ウルトラマンタイタス・ウルトラマンフーマといった3大ウルトラマントリオを主人公格とし、彼らの間でかわされるコミカルなやりとりが「カワイイ」(!)などとコメントされたほどにシリーズ序盤は好調だったのだ。第1話の再生回数は1週間で100万回を超えていたのだ!



 そうであれば、今後のあるべきウルトラマンのあり方はもう自明のことだろう! 先輩ウルトラマンが共演できるような、良い意味でのB級SF的で広大なる世界観! そして、陰鬱な人間ドラマよりも、もっと明朗な戦闘・バトル・作戦中心・怪事件中心のストーリーだ! 人間ドラマや社会派テーマなどは、それらに付随して発生するくらいでちょうどよいのだ! むしろ、その方が鼻につかずに、かえってドラマやテーマが視聴者や子供にも素直に伝わるくらいではなかろうか!?


*「連続ドラマ性」を実現していた、ネット配信シリーズ『ウルトラギャラクシーファイト』に学べ!


 YouTubeの「円谷公式チャンネル」にて2019年9月29日から12月22日まで配信されていた


●『ウルトラギャラクシーファイト ニュージェネレーションヒーローズ』(19年)


 その最終回のラストは、やはり同時期に最終回を迎えたばかりのテレビシリーズ『ウルトラマンタイガ』(19年)の第1話の冒頭へとつながる内容で、ウルトラシリーズのファンたちをおおいに喜ばせていたものであった。



●ウルトラマンゼロを「師匠」と呼ぶ、コミカルなウルトラマンを主人公としたことで、ひさびさに若い特撮マニア層にもおおいに注目され、新規のファンを獲得することにも成功した『ウルトラマンZ』(20年)
●『ウルトラマンティガ』(96年)やその続編『ウルトラマンダイナ』(97年)の並行世界だったとはいえ、近似した世界観を共有するとされたことで、若い特撮マニア間では賛否両論が激突するに至った、『ウルトラマントリガー』(21年)と『ウルトラマンデッカー』(22年)


 これら3年間の3作品は少なくとも往年のファンにも「ウルトラマン」に再度注目させることにも成功し、話題性は大きかったのだが、そればかりではない。


 これらと並行して、YouTubeの円谷公式チャンネルにて2020年11月22日から2021年1月31日まで配信された


●『ウルトラギャラクシーファイト 大いなる陰謀(いんぼう)』(20年)


 そして、2022年4月29日から同年7月1日にかけて配信された


●『ウルトラギャラクシーファイト 運命の衝突』(22年)


 これらの作品では、歴史をさかのぼって、往年の『ウルトラマンタロウ』(73年)第25話や『ウルトラマンメビウス』(06年)終盤などでも描かれたことがあった、「昭和」のウルトラマンたちの故郷・M78星雲・光の国で数万年前に発生した、暗黒宇宙大皇帝エンペラ星人&怪獣軍団の襲撃による通称「ウルトラ大戦争」まで、新撮映像で描写されていたのだ!
 エンペラ星人に立ち向かった、若き日のウルトラの父ことウルトラマンケンと、のちに悪の黒いウルトラマンへと闇落ちすることになる若き日のウルトラマンベリアルとの共闘までもが描かれたのだ。そして、ウルトラの母ことウルトラウーマンマリーに横恋慕(よこ・れんぼ)するベリアルの姿も描かれたのだった。


 そればかりではない。映画『劇場版ウルトラマンR/B セレクト! 絆(きずな)のクリスタル』(19年)にて敵として初登場し、次作『ウルトラマンタイガ』の宿敵としても登場した、悪の青黒いウルトラマンことウルトラマントレギアが闇落ちする以前の時代においては、『ウルトラマンメビウス』で初登場した青いウルトラマンことウルトラマンヒカリとも、光の国の宇宙科学技術庁での同僚であり、その時代の交流も描かれていたのだ。


 そして、往年のネット配信短編シリーズ『ウルトラマンメビウス外伝 ヒカリサーガ』(06年)でも描かれていた、ヒカリの闇落ちの現場には、なんと! トレギアも居合わせていたとされた! そして、その闇落ちを制止できなかったトレギアの落胆をも描いていたのだ。


 ウルトラマンタイガの変身アイテム・タイガスパークも、実は皮肉にも、のちのタイガの宿敵・トレギアが闇落ちする以前に開発したものであったと判明する!
 しかも、それがウルトラマントレギアとその親友(!)でもあった「昭和」のウルトラマンことウルトラマンタロウとの交流を懐古して、それとダブらせるダブル・ミーニング(二重の意味を持たせる)のかたちで描かれるのだ。
 そして、タロウの「正義」や「光」を信じすぎるようなあまりに健全にすぎる心では、闇落ちしたウルトラマンヒカリをまのあたりにして落胆し傷ついて弱ってもいるトレギアの心に寄り添ったり包摂して癒(いや)すことなどできはしない! かえって、繊細な心の機微(きび)や襞(ひだ)には欠けていて単調にすぎてしまう「正義」に対する疑念を、そして親友・タロウに対する距離感・疎隔(そかく)感を拡げてしまっているさまも描いて、後年のトレギア闇落ちの「伏線」ともしたのだった!



 「後付け設定」(笑)でパズルのピースを埋めているところもあるのだが、これもまた広義での「連続ドラマ性」! いや、「大河ドラマ性」ではなかろうか! ウルトラマンたち自身による「人間ドラマ」そのものでもなかろうか!?


 それらは、たしかにウルトラシリーズ各作内での「連続ドラマ性」ではない。しかし、それを超えたところでのウルトラシリーズ全体を通じた「連続ドラマ性」「大河ドラマ性」ではなかろうか!? こうした「内容」面でも実に秀逸(しゅういつ)な作品群の存在が、若い特撮マニアたちを「ウルトラマンシリーズ」へと注目させて、その「習慣化」にもおおいに貢献していたとも思うのだ。



 すでに、映画『ウルトラマンゼロ THE MOVIE(ザ・ムービー) 超決戦! ベリアル銀河帝国』(10年)以来、並行宇宙を越境できるとするSF設定を導入できてはいた。それによって、作品世界が異なるレジェンドウルトラマンたちの共闘も可能になっていた。
 2016年度以降の「ニュージェネレーションウルトラマン」作品の映画『劇場版ウルトラマンオーブ 絆の力、おかりします!』(17年)以降の「劇場版」では、前作の主人公ウルトラマンとの共闘を描いてもいた。作品世界が異なっている歴代「ウルトラマン」作品でも、それらの作品にはすべて「放映順」(笑)での前後関係があったとされた。広義での「連続ドラマ性」も付与されたのだ。そして、近作のウルトラマン同士が知己(ちき)になっていく過程なども描いてきたのだ。


 『トリガー』のテレビシリーズ序盤には前作『Z』の主人公・ウルトラマンゼットが、『デッカー』のテレビシリーズ序盤にも前作『トリガー』の主人公・ウルトラマントリガーがゲストで登場して共闘を見せたことで、その前後編形式でのエピソードもおおいに盛りあがって、そうした趣向はさらなる強固なものとなっていったのだ。


 もちろん、そういった試みの先駆者(せんくしゃ)は、「昭和」と「平成」の「ウルトラマン」ならぬ「ウルトラ怪獣」たちが同一世界で共演することになった、BS媒体で放送されたテレビシリーズ『ウルトラギャラクシー 大怪獣バトル』(07年)であった。
 そのウラ設定としては、初代『ウルトラマン』(66年)にも登場したことがある四次元怪獣ブルトン(!)によって「ギャラクシークライシス」なる事象が発生し、次元(並行宇宙)に裂け目が生じて、「昭和」ウルトラの未来世界に「平成」ウルトラ世界の「ウルトラ怪獣」たちが召喚されてしまったとしていたのだ(笑)。
 その後、「平成」のウルトラマンであるウルトラマンダイナがその看板番組の最終回のラストで、「次元」を越境していった設定を援用・拡張して、「昭和」ウルトラの未来の世界に再登場させた映画『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE』(09年)もあった。
 その次作『ウルトラマンゼロ THE MOVIE』では、「昭和」ウルトラの「宇宙」の外へといったん出てから、宇宙の外にアブクのように多数の宇宙が浮かんでいるビジョンで、マルチバース=多元宇宙=平行宇宙=パラレルワールドの概念を視覚的にもわかりやすく映像化してみせていたのだ。



 それらの設定の有効活用の一例として、『ウルトラマンオーブ』と『ウルトラマンジード』との間に半年間放映されていた再編集番組『ウルトラマンゼロ THE CHRONICLE(ザ・クロニクル)』(17年)の枠内で放映された新作ミニドラマシリーズ『ウルトラファイトオーブ 親子の力、おかりします!』(17年)を挙げておこう――ちなみに、この『ゼロ ザ・クロニクル』の平均視聴率は1.4%で、『オーブ』の1.2%よりも高かったのだ!(爆)――。


 この『ウルトラファイトオーブ』では、『オーブ』の主人公・ウルトラマンオーブが、「昭和」のウルトラ兄弟の一員であるゾフィー・ウルトラセブン・ウルトラマンジャックと共演するのみならず、かつてはウルトラ兄弟が敗北したこともある「昭和」の強敵怪獣でもあった火山怪鳥バードン・宇宙ロボットキングジョー・地底怪獣グドン・古代怪獣ツインテールに今回こそは快勝! ウルトラシリーズのファンや特撮マニアたちをおおいに熱狂させていたのだ!


 そのラストでは、一瞬の登場ではあったものの、次作『ジード』の主人公・ウルトラマンジードまでもが、まさかの顔見せ的にサプライズで登場する! 同作のラスボスである亡霊魔導士レイバトスをその必殺光線で倒してみせてしまうほどの活躍をするのだ!
――『ウルトラマンジード』の最終回におけるこのシーンの回想では、ジードではなくベリアルが必殺光線を放ったかたちで、映像が差し替えられてはいたが(笑)。映画『劇場版 仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー』(09年)以降、および映画『侍(さむらい)戦隊シンケンジャーVS(対)ゴーオンジャー 銀幕BANG(版)!!』(10年)以降、次作の仮面ライダーや次作のスーパー戦隊が短時間だけ助っ人参戦して、観客側でもおおいに喜ぶ趣向が、すでに東映特撮作品では恒例化はしていたものの。ついでに云っておくと、次作の新ヒーローが先行して顔見せ登場する趣向は、「後楽園(こうらくえん)ゆうえんち」の今はなき「野外劇場」で公演されていた1979年末の「スーパー戦隊」の年末年始興行が元祖であったそうだ――


 「昭和」ウルトラも『オーブ』も、そして『ジード』も、その出自となる世界は並行宇宙の関係にあって「別世界」ではある。しかし、平行宇宙を越境可能とする設定の導入で、すべての作品に広義での「連続性」があって、広義での「同一世界」であるとされて、さらにそこにちょっとした知的な「SF」風味まで付与されていたのだ!


 これらファンの大勢も歓迎していた成功例を踏まえれば、先述した今後3年間の「同一の世界観での連続性のあるストーリー展開」が導きだされたのは必然であろう。遅きに失した感は否(いな)めないものの、「営利企業」の方針としても実に正しい判断ではあるだろう。


*「中期経営計画」は来年2027年度以降のもの! 今年2026年度の『ウルトラマンテオ』には適用されないことから来る「玩具展開」への懸念!


 ただ、これに関してはいくつかの懸念(けねん)されることもある。


 まずひとつは、2026年7月から放映予定の最新作『ウルトラマンテオ』(26年)は、例年どおりの製作スケジュールであれば、この「基本」方針が表明される以前の製作開始になるので、すでに「撮影」の大半が終わっているだろうことだ。「脚本」に至っては全話がその執筆をとっくに完了させていることだろう。
――いわゆるポストプロダクション(合成などの後処理)などは未完了だと思われる。CGモデルづくりやCG合成などは結局、アナログ特撮よりも時間がかかるようで、合成カット自体は増える一方なので、下請けの日本映像クリエイティブ社などには、やはり結局は人件費を安価におさえるためにも(汗)少人数体制で長期間をかけて対応してもらっているのではなかろうか?――


 つまり、今年2026年度の『テオ』では、「ウルトラマンシリーズ60周年記念作品」であるのにもかかわらず、「シリーズ40周年記念作」であった『ウルトラマンメビウス』や、「平成仮面ライダー10作記念作品」であった『仮面ライダーディケイド』(09年)に、「スーパー戦隊シリーズ35作記念作品」であった『海賊戦隊ゴーカイジャー』(11年)などのような、歴代先輩ヒーローがぞくぞく登場するような「お祭り作品」にはならない可能性が高いのだ。
 『ブレーザー』『アーク』『オメガ』とも同様に、「連続ドラマ性」には乏(とぼ)しい、直前作のウルトラマンとも共闘を果たさないような、「独立した世界観」の地味な作品になってしまう可能性が高いのだ。


 『ウルトラマンブレーザー』『ウルトラマンアーク』『ウルトラマンオメガ』、そして『ウルトラマンテオ』と、実に4年にもわたって、それぞれが「独立した世界観」による、地味でおとなしめの作品がつづいてしまっては、来年2027年度からはじまるであろう「新展開」まで、ファンの「熱量」がはたして持続できるのだろうか?


 仮に、来年2027年度からはじまるウルトラマン作品が「連続ドラマ性」を持つことができていたとしても、心配は残る。それまでの「昭和」や「平成」や2010年代~2020年代初頭までの「ニュージェネレーションウルトラマン」とは縁もゆかりもない「独立した世界観」での作品になってしまうことだ。
 そんな作品になってしまっては、今の子供たちも若い特撮ファンたちも決して喜びはしないだろう。やはり、巨悪が襲来した際には頼もしい先輩ウルトラマンが客演してきて大活躍もするような作品を皆は観たいのだから!



 そして、『ウルトラマンテオ』の玩具展開への懸念だ。すでに発表されているウルトラマンテオに変身するための変身アイテムには、ついに各種のカード・メダル・カプセルなどを挿入したり、可動部分があるような、いわゆるプレイバリューを有するギミックが見当たらないのだ。


 こうしたオモチャおもちゃした趣向をイヤがる年配のウルトラシリーズファンは多いことだろう。しかし、「光る! 回る!」といったギミックが付いていた「昭和」の仮面ライダーの変身ベルトを、我々ロートル世代も喜んでいたではないか?(笑)
 ここ15年ほどの「仮面ライダー」の玩具の売上高の好調も、変身アイテムに挿入できるような、比較的に安価で多種多様なカード・メダル・カプセルなどの小物の売上が押しあげているのだ。
 そうしたことを考えれば、こうしたコレクションアイテムを画面上どころか、玩具展開においてすらも前面には押し出していないことについては、玩具の売上高の面では暗澹(あんたん)たる気持ちにならざるをえない。
 『ウルトラマンオメガ』の変身アイテムに挿入できるハズの小物アイテム・ウルトラメテオの数々も、劇中にはまったく登場しなかったものだ。そんなことだから玩具の売上高も右肩下がりに半減してしまうのだ。円谷のスタッフのみならず、バンダイ側の近年のウルトラマン玩具の担当者もいったいなにをどう血迷ったらそうなってしまうのか?(汗)


 やはりウルトラマンに変身したあとも、ウルトラマンのインナースペース(内宇宙・体内)では、変身前の人間が顔出しで登場してきて、その右手で変身アイテムを持って、左手でカードやメダルをこれ見よがしに挿入して、タイプチェンジ名や必殺技名を絶叫するような、「ニュージェネレーションウルトラマン」独自の個性でもあった「演出」も復活させるべきではなかろうか?
――そして、この趣向には、特撮バトルになっても、変身前の人間が顔出しで登場してきて、セリフをベラベラとしゃべらせて、表情演技などもさせることで、「バトル」と「ドラマ」の分離を回避するといった効用もあったのだ!――



 ちなみに、『ウルトラマンギンガ』(13年)から『ウルトラマンアーク』(24年)までは、シリーズ終了後の2~3ヵ月後にその後日談が「劇場版」として上映されてきた。しかし、前作『ウルトラマンオメガ』(25年)につづけて今年度の新作『ウルトラマンテオ』もまた、テレビシリーズ終了後の「冬~春映画」は製作・公開されないことが、各種のパブリシティー資料ですでに明らかとなっている(汗)。


 『オメガ』の最終回は、一度は命を落とした副主人公ホシミ・コウセイ青年が、それまでの主人公として描かれてきたオオキダ・ソラト青年=ウルトラマンオメガの命をもらって一心同体、オメガと合体したことで、「最終回なのに、(歴代ウルトラシリーズ通例の)第1話が描かれた!」などと、少なくない数のマニア諸氏に大絶賛されていたものだ。
 そうであれば、このコウセイ青年が新しいオメガとして活躍するような「続編映画」を製作してほしかったところなのだ。しかし、ここ数作のウルトラマンの「劇場版」の興行収入もかんばしくはなかったのだろう。よって、おそらく「劇場版」の制作予算を調達できなかったゆえに、この「劇場版」の企画も流れてしまったとも憶測するのだ。


――『オメガ』の最終回で、歴代ウルトラシリーズ第1話とも同様の、地球人の青年とウルトラマンとの合体を描いてみせた趣向それ自体は悪くはなかったとは思うのだ。しかし、それ以上に、通常回とは異なるスケールの大きな地球規模の危機や、シリーズを通しての宿敵でもあるラスボス存在を倒してみせるようなカタルシス・爽快感には不足していたという一点で、個人的には『オメガ』の最終回を手放しでは推せないのだが(汗)――


*ナチュラルなお芝居よりも、漫画・アニメ・喜劇的に誇張されたオーバーアクション演技で、作品の空気感を明朗・快活にせよ!


 『オメガ』と『テオ』の間に半年間弱の期間で現在、放映中の再編集番組『ウルトラマン ニュージェネレーション スターズ(4期)』(26年)では、なぜウルトラマンゼットやウルトラマンジードではなく、新米ウルトラマンとして誕生したばかりのコウセイ青年=新生オメガの方をホスト(主人)役にして、先輩ウルトラマンたちのことを「知る」「学ぶ」といった形式にできなかったのか?


 これもおそらく、オメガよりもゼットやジードの方が良い意味で漫画的に誇張された明るくにぎやかなキャラクターだからだろう。子供たちや若い特撮マニアたちにも親しみやすくて取っつきやすいゆえの処置だろう。
 そして、メインターゲットの幼児にとっては、やはりソラト青年=オメガであったことだろう。最終回でのコウセイ青年=新生オメガといった図式それ自体がそもそも理解ができていない可能性も高いといった、『ニュージェネレーションスターズ』側のスタッフ、ぶっちゃけ「構成」職の足木淳一郎氏などの考えもあっての処置なのではなかろうか?


 とはいえ、仮にも直近の最新ヒーローは、ウルトラマンオメガであったのだ。つまり、子供たちには最も馴染み深いウルトラマンとはオメガであったハズなのだ。来年2027年度以降の「ウルトラマン」作品では、こういったチグハグな問題点は、本当に改善できるのだろうか?



*半年放映して半年は再編集番組! 後者には発想の転換が必要! そして、夏映画の投入の是非!


 次に、従来のようにニュージェネレーションウルトラマンシリーズの新作を半年強放映し、残る半年弱は過去作の名場面集や再放送で構成される作品を放映する体制は、来年2027年度以降も変わらないのであろうか?
 今回の「3ヶ年計画」では、それについては具体的に言及されてはいない。もちろん、放映期間が半年から1年になるということは、話数も倍になる。つまり、作品トータルでの制作予算の総額も倍はかかってしまうのだ。それだけの金銭をスポンサー・製作委員会の各社から調達したり、銀行から借り入れしたりすることは、今のウルトラの商業規模・玩具売上高では困難なことだろう。


「わずか2クールしかないのに、3回も4回も「総集編」がはさまれることで、興味が削(そ)がれてしまう」


 このところの新作「ウルトラマン」では、毎年このように若い特撮マニア間でも批判されている。ただでさえ、「独立した世界観」の作品がつづくなかで例年、半年弱にもわたって「使い回し映像」ばかりの「総集編」シリーズをはさむことで、「連続性」どころかより「分断」を招いているのは、ファンの「熱量」を維持する意味ではマイナスではあるのだ――ウラ番組の『おしりたんてい』も、その半年分は実は再放送なのだが(笑)――。


 予算の問題で2027年度以降もこの放映形式が変えられないのであれば、どうしても相応にギャラがかかってしまう人間の役者さんなどは登場しない、ロケ撮影なども発生しない、全編を合成用のグリーンバックのスタジオ撮影だけで済ませられる、先述した『ウルトラギャラクシーファイト』のような大宇宙を舞台にした「仮面劇」のシリーズ作品を、せめて低予算でも新たに製作すべきではなかろうか!? 「同一の世界観での連続性のあるストーリー展開」をつくりだすうえでも、これはきわめて有効な戦略かと思えるのだが……


――その意味では、『ウルトラマントリガー』のシリーズ中盤の前後編で、『ウルトラギャラクシーファイト』シリーズの宿敵である金色の悪の超人・究極生命体アブソリュート・タルタロスらが出現し、それを追って同作で活躍中のウルトラマンリブットが助っ人参戦したような趣向もまたやってほしいものである。次には同じく同作で初登場したばかりの新戦士・ウルトラマンレグロスなどにもテレビの新作のウルトラマンシリーズやその続編映画などで助っ人参戦して、アブソリューティアンたちとも戦ってほしいものなのだが…… 2代目・宇宙刑事ギャバンが『特命戦隊ゴーバスターズ』(12年)と『宇宙戦隊キュウレンジャー』(18年)に助っ人参戦したような、子供レベルでの知的・SF的な好奇心(笑)などもクスぐられるような趣向を、今後のウルトラシリーズでもぜひとも恒例化してほしいものである!――



 さて、先述したように2027年度以降の「基本」方針では、「毎年夏」と「冬」に映画を製作・公開としていた。しかし、個人的には正直これは「無謀(むぼう)」であるとしか思えなかった。


 先述した映画『シン・ウルトラマン』は44億円もの興行収入を記録した。しかし、これはかの巨大ロボットアニメの大ヒット作『新世紀エヴァンゲリオン』(95年)で有名な庵野秀明(あんの・ひであき)監督が手掛けた『シン・ゴジラ』(16年)に始まる『シン』シリーズとして製作されたことで、一般層をも広く誘致できたからにすぎないのだ。
 ウルトラマン映画でこれに次ぐ興行収入をあげたのは映画『大決戦! 超ウルトラ8兄弟』(08年・松竹)である。しかし、その実績は8億4千万円であった。『シン・ウルトラマン』以外のウルトラマン映画は興行収入が10億円を超えたことはただの一度もなかったのだ(汗)。


 あいかわらず営業成績が好調な『仮面ライダー』でさえもが、2010年代においては毎年春・夏・冬と年に3回も「劇場版」を公開していたにもかかわらず、2020年代初頭のコロナ渦(か)を経て、現在は毎年夏の1回だけの公開にとどまっている。しかも、興行成績も先述した『大決戦! 超ウルトラ8兄弟』程度であり、今や10億に届くか届かない程度なのが現状なのだ。


 これを思えば、ウルトラマンは「映画」を年2回公開するよりも、テレビシリーズと連動した低予算のサイドストーリーの短編シリーズなどをネット配信する方が、はるかに「現実的」なのではあるまいか? あるいは、『ウルトラギャラクシーファイト』の続編も毎年、それがムリなら2年に1回くらいは製作できないものなのか?
 「昭和」のウルトラ6兄弟の海外での版権を主張する、タイ国の今はなきチョイヨー・プロダクションや、そこから権利の譲渡を受けた日本のユーエム株式会社でもなく、さらにそのユーエム社から権利の譲渡を受けたという(汗)、中国の某・珠海奇奥天尊文化発展・有限公司による訴訟での2022年8月の広東省・高級人民法院での判決によって、中国での展開がネックになっているというのなら、一時的に「昭和」のウルトラ6兄弟が登場しないストーリー展開に改変すればよいだけなようにも、筆者のような素人(しろうと)には思えてしまうのだが……



 「映画」の公開が年1回にとどまる一方で、「仮面ライダー」や「スーパー戦隊」は最新作のヒーローが往年のレジェンドヒーロー&ヒロインとも共闘するコラボレーション短編シリーズや、テレビシリーズのサイドストーリーの短編シリーズが、把握(はあく)しきれないほどに数多く、東映公式のYouTubeチャンネルでは配信されるようになった。
 その東映公式のYouTubeチャンネルでは、往年の「仮面ライダー」と「スーパー戦隊」の旧作も定期的に配信されている。つまり、それらの旧作が「新作とも同一の世界観での、その過去の時代における連続性のあるストーリー展開」だとして視聴者の目に映ることで、「ライダー」と「戦隊」を「習慣化」させる効果をも発揮しているのだ。


 円谷のウルトラマンも、「映画」よりもそちらの方向性に活路を見いだすべきだと思われる。


 現状の円谷プロの公式YouTubeチャンネルでは、旧作はセレクト形式でしか配信されなくなっている。有料会員のみでしか全話を視聴できなくなっている「旧作テレビシリーズ」も、かつては地上波テレビで再放送を重ねたことで、その時代ごとの新世代のファンを獲得してきた。
 それを思えば、「旧作テレビシリーズ」も定期的に全話を配信して、新作の「テレビシリーズ」や「映画」ともつながった「同一の世界観」での過去作だとして、子供たちや若い特撮ファンたちにも印象づけるべきだろう。



 時に怪獣や宇宙人にも同情すべき余地があるので、ウルトラシリーズは単なる勧善懲悪ではない! といった意見はもっともである。
 しかしそれ以上に、秘術を尽くし合って怪獣や巨悪をやっつける爽快感が、この手のヒーローものの本質、ひいてはスポーツや格闘技観戦の本質であることも否めない。その意味では、ヒーローものとは本質的に不謹慎なジャンルなのだ(汗)。
 そこにじゃっかんの問題はある。でも、それでもよいではないか? まずは小難しいドラマやテーマなどではなく、派手派手な特撮カットとカッコいいアクション! そして、巨悪と戦うヒロイズムや高揚感こそを主眼としてほしいものである!




 最後に、50数年前の1973年10月に勃発した「第4次中東戦争」を契機とした第1次「オイルショック」が当時の特撮ヒーロー番組に大打撃を与え、ひいては変身ブーム=第2次怪獣ブームが下火となったことを、リアルタイムで幼少期に体感したロートル世代からすれば、核兵器などよりもよほど危険な(爆)アメリカのトランプ大統領が招いた中東情勢の悪化こそが最大の懸念材料だ。


 昨年度の『ウルトラマンオメガ』の時点でも、レギュラーキャラがたったの3人しかいないとか、「本編も特撮も「山」ばかり」(笑)だと揶揄(やゆ)されたほどに、「低予算」の作品であることが顕著(けんちょ)であったものだ。


 せっかく円谷フィールズが見せた「構造改革」の姿勢が、広げすぎた大風呂敷とならないよう、その情勢の推移もあわせて注視していきたい。


2026.6.6.



(了)
(初出・特撮同人誌『『仮面特攻隊2026年6月号』(26年6月7日発行)所収『ウルトラマン』評より抜粋)


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*素直に喜べなかった「四十数年ぶり」の復活


 『ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー』(25年)をもって「50年」の歴史に終止符をうった『スーパー戦隊シリーズ』に代わり、その後番組として2026年2月15日に『超宇宙刑事ギャバン インフィニティ』(26年)が放映を開始した。


 1982年3月5日から1983年2月25日にかけてテレビ朝日系で毎週金曜19時30分に放映され、『宇宙刑事シリーズ』三部作、および『メタルヒーローシリーズ』の第1弾としてその後位置づけられた『宇宙刑事ギャバン』(82年)を知る世代からは「あの『ギャバン』が帰ってくる!」などとして歓迎する声もけっこう見られた。
 その一方、それぞれが赤・銀・金を主体としたデザインのヒーロー&ヒロインが主役をはることが事前に告知されるや、「コレやったらフツーに『戦隊』でええやん!」と反発する声が多くあったのもまた事実だ。『戦隊』終了に対する恨み節(うらみぶし)の感情が根強く残っていたこともあったのだろう。
 年長マニアのなかにはスレすぎて枯れてしまっており、ギャバンのカラーリングが銀ではなく赤であっても、商業主義的な配慮もオトナの態度で割り切れてしまえるようになってしまった御仁も多いのかもしれない。その逆に、今の若い特撮ファンは、『ギャバン』も『宇宙刑事』も『メタルヒーロー』も知らない、あるいは彼らが生まれる前の作品なので、さほどに想い入れがなく、その色彩や集団ヒーロー化についてもこだわってはいないのかもしれない。


 そんな「昭和」の特撮ヒーローを知らない若い世代に対して、個人的に最もお勧めしたいと近年考えていた作品が『宇宙刑事ギャバン』なのだ。だから、テレビシリーズとしては実に「四十数年ぶり」となる今回の復活は、素直に喜ぶべきところなのだ。
 ただ、近年業績が右肩下がりとなった『戦隊』を打ち切って『ギャバン』を復活させるに至った経緯について語った東映の大幹部、ぶっちゃけ白倉伸一郎氏の発言に対しては個人的にどうも釈然としないために、今回の復活話はいささか唐突に感じるばかりか安直とすら思ったほどだ。したがって、『超宇宙刑事ギャバン インフィニティ』に対する期待値は、個人的にはほぼゼロに等しかった(汗)。


*「多次元宇宙」を舞台に描かれるヒーローたちの「共闘」!


 だが、実際に放映された『インフィニティ』のパイロットとなる第1話『赤いギャバン』、および第2話『二つの刃(やいば)』にはまさに度肝を抜かれた。


 本来なら、序盤のこれらを元祖『ギャバン』と比較してアレが足りないだのココがダメだなどと書くつもりだったのだが、そんなものはまったく無意味としか思えなくなったのだ。


 まず、第1話の冒頭で視聴者にいきなり「最終展開」を見せたのが見事だった。


 宇宙空間にそびえ立つ金色の巨大な要塞から無数の攻撃機が地球に向かい、まるで銃を思わせる機体の5機の戦闘機がロボットに変型してそれらに反撃する!
 古い世代としては、『ギャバン』と同年に放映されたリアルロボットアニメ『超時空要塞マクロス』(82年)で描かれた、宇宙空間での迫力あふれるドッグファイト=スペースオペラを彷彿(ほうふつ)とするしかなかった。


 ロボット軍団が再度銃型の戦闘機に変型するや、それぞれの銃砲の上で5人のメタルヒーローたちが攻撃態勢に入る姿が真横から映される。


 雄叫(おたけ)びをあげて戦闘機から飛び降りたヒーローたちは、レーザーブレードをかまえて敵機の集団に突撃する!


 めっちゃカッコええやんけ!


 これは『インフィニティ』の主人公側の組織として登場する銀河連邦警察の地球支部保安局長カレル・コム・ウィギレスが見た「運命」=「悪夢」として描かれたものだが、この1分にも満たない描写の中に『インフィニティ』の設定・世界観・主要キャラが集約されているのだ。


 この中でヒーローのひとりが「すべての地球は魔空空間に飲みこまれる!」と叫んでいるように、『インフィニティ』では宇宙はひとつではなく、「コスモレイヤー」と称される多元宇宙にはいくつもの別の地球が存在すると語られている。それぞれの次元にある地球で「ギャバン」と名乗る宇宙刑事が活躍しており、主人公の「赤いギャバン」はさまざまな次元に駆けつけ、彼ら「ギャバン」たちと協力して犯罪捜査にあたる。その物語の行く末にあると思われるのが、第1話冒頭の描写なのだ。


 映画『ウルトラマンゼロ THE MOVIE(ザ・ムービー) 超決戦! ベリアル銀河帝国』(10年・松竹)で「マルチバース」と称した多次元宇宙が設定され、M78星雲人でただひとりウルトラマンゼロだけが次元を超える能力を誇るとして描かれて以降、テレビシリーズや劇場版ではそれまで不可能だった「昭和」と「平成」のウルトラマンの共闘を無理なく描くことが可能となり、大多数のウルトラマンたちを共闘させたネット配信の『ウルトラギャラクシーファイト』シリーズ(19~22年)は日本のみならず全世界を(!)熱狂させたほどだった。
 だが、『ウルトラマンブレーザー』(23年)以降はそのあまりにも魅力的な「マルチバース」の設定を捨ててしまい、「昭和」と「平成」どころか前作の主人公ヒーローとの共闘すらも描かなくなってしまった。『インフィニティ』第1話の冒頭で描かれた、5大ヒーローのあまりにカッコいい共闘からすれば、円谷プロは実に愚(おろ)かな選択をしたと云わざるを得ないだろう。


*「ポジティブ」と「ネガティブ」の対決!


 さて、第1話と第2話は前後編として描かれており、『インフィニティ』の基本設定や世界観、主要な登場人物が実にシンプルな作劇で端的に描き尽(つ)くされていた。


 後述するが、元祖『宇宙刑事ギャバン』のアノ描写の再現のために『インフィニティ』では近年の特撮ヒーロー作品としては珍しくナレーションが多用されているが、仮にそれがなかったとしても就学前の幼児でも物語の理解に支障はないと思える演出がなされているのだ。


 本作では、生命体の感情を受けて力を発するエネルギー生命体・エモルギーが諸悪の根源として位置づけられ、そのエモルギーを悪用した犯罪が各次元の地球で多発しているのだが、使用者が憎悪(ぞうお)・怨念(おんねん)・欲望といった悪意を暴走させるや、そのネガティブな波動は次元を超え、別次元の地球どころか全宇宙を崩壊させかねない危険な威力(いりょく)を誇る。


 その最悪の結末が第1話の冒頭で呈示(ていじ)されていたのである。だからこそ、「ギャバン」たちは次元を超えてエネルギー犯罪の共同捜査にあたるのだが、毎回クライマックスで全宇宙の危機を描くとはなんと雄大なスケールをもった豪華な世界観であろうか!


 いきなり第1話で、別次元の地球がほかの地球を崩壊させるほどのネガティブな波動に包まれてしまうが、映像ではそれがピンク色に染まった地球として表現される。


 これに対し、銀河連邦警察が誇る大型宇宙戦艦コスモギャバリオンはポジティブな波動を充填(じゅうてん)し、まさに波動砲としてポジティブエネルギーをブチこんでネガティブな波動を消滅させ、ワープ航法でその地球に突撃していく!


 ほとんど『宇宙戦艦ヤマト』(74年~)だが(笑)、これが端的に象徴するようにポジティブとネガティブの対比が「子供番組」として実にわかりやすく描かれている。


 劇中ではエモルギーを収納するための透明で小さく、喜怒哀楽(きどあいらく)をはじめとしたさまざまな表情がマンガチックに描かれたエモルギアと称するカプセルが多数登場する。これは『仮面ライダーガヴ』(24年)で変身やタイプチェンジ、必殺技の発動などで多数描かれ、玩具の売り上げも好調だったコレクターズアイテム・ゴチゾウのモロパクリとしか思えないが(笑)、ゴチゾウみたく「エモエモ」などとワチャワチャはしゃぐエモルギアがポジティブとネガティブを絶妙に対比させているのだ。


 ギャバンの「蒸着(じょうちゃく)!」=変身で使われるギャバンシステムはエモルギーと自身の感情を完全に共鳴させることで起動する感情共鳴型システムであり、精神力が不足すると肉体に重大な負荷がかかってしまうとの裏設定がある。また、このエモルギアを入れ替えることでギャバンは各種能力や必殺技の発動が可能となるのだ。


 一方、今回の怪人枠であるエモンズは悪意で黒く染められたネガエモルギアと使用者のネガティブな感情が共鳴して誕生するに至る。


 主人公側と敵側の変身システムを等しくさせることで、ポジティブ=善意とネガティブ=悪意を明確に描き分けているのには、『宇宙刑事ギャバン』どころか「昭和」の東映ヒーロー作品に顕著(けんちょ)だった「勧善懲悪(かんぜんちょうあく)」の趣(おもむき)が強く感じられるのだ。


*個性が明確に異なる「ふたり」のギャバン!


 こうした対比の妙は、第2話の時点で「ふたり」の存在が確認される宇宙刑事たちのキャラクターの描き方に最大限に活(い)かされている。


●ひとりは銀河連邦警察の窓際部署とされる資料課の捜査官であり、本編の主人公である弩城怜慈(ドキ・レイジ)=ギャバン・インフィニティ。
●もうひとりは銀河連邦警察の治安維持本部特捜部隊の隊長であり、フザけているのかとしか思えない(笑)ネーミングの哀哭院刹那(アイコクイン・セツナ)=ギャバン・ブシドーだ。


 怜慈の第1話での初登場は銀河連邦警察捜査一課の捜査官・和仁淵力哉(ワニブチ・リキヤ)と、一見丸っこいロボットに見えるが宇宙人の捜査官・パトランの追跡から逃れた犯罪者の前にフラリと現れる場面だ。


 ちなみに、和仁淵とパトランが怜慈を「窓際」だの「ヒマなのか?」などとバカにする描写は、長寿刑事ドラマ『相棒』(02年~・東映 テレビ朝日)で捜査一課の連中が主人公刑事の特命係・杉下右京とその相棒を邪険に扱うのを彷彿とさせるものであり、銀河連邦警察における資料課の立ち位置が端的に描かれている。ふたりの「パトラン様」「ワニブチ君」との掛け合いも、その関係性が如実(にょじつ)に表れているといえよう。


 話を戻すが、チンピラたちとの乱闘にはじまり、悪党どもの砲撃で爆煙が炸裂するのを背景にビルの屋上を全力疾走、そこから飛び降りながら「蒸着!」と叫び、着地するやギャバン・インフィニティの姿に変身をとげている、たたみかけるような躍動感にあふれる怜慈=インフィニティの描写こそ、キャラクター紹介として非のうちどころがない演出だ。


 ほんの数秒にすぎないが、「蒸着!」の直前に怜慈の横顔・変身アイテムの特殊宇宙銃ギャバリオントリガー・エモルギアを握る手・走る怜慈の正面カットを画面分割で映しだす演出も飛躍的に躍動感を増してる!「怒り」のエモルギア・ゲキドーエネルギーによって赤のコンバットスーツを蒸着する怜慈=「赤のギャバン」は実に的確に描かれたのだ。



 一方の刹那の第1話での初登場は、先述したピンクに染まる地球で特捜部隊の隊長として、テロリスト集団の首謀者を取り囲む部隊を専用の隊長機内で指揮する姿だ。


 怜慈が熱血漢だが普段は軽口をたたきがちで一見やや軽薄そうにも見えた『宇宙刑事ギャバン』の主人公・一条寺烈(いちじょうじ・れつ)=ギャバンや、その『ギャバン』放映30周年を記念して製作された映画『宇宙刑事ギャバン THE MOVIE』(12年・東映)でコードネーム「ギャバン」を継承した十文字撃(じゅうもんじ・げき)=宇宙刑事ギャバン typeG(タイプ・ジー)らを継承したキャラなのに対し、刹那は感情を表面に出さない。
 第2話で刹那の左頬(ほお)にできた傷が自然に治癒(ちゆ)する描写が端的だったが、刹那はその自己修復機能で数千年も生きてきた(笑)人工生命体であり、感情をもたない「戦闘人形」として、ただ命令に従って多くの星を渡り歩いてきたそうだ。


 先述した保安局長のカレルが「この危機を救えるのは全宇宙で君だけ」と怜慈に告げたように、「宇宙刑事ギャバン」とは銀河連邦警察によって宇宙でただひとりのみに与えられる称号であるにもかかわらず、怜慈も刹那もその「ギャバン」を名乗っている。
 先述した異星人の捜査官パトランが怜慈に「栄光のギャバンに泥塗っといてその云い方は何よ!」と怒鳴る描写があったが、その「栄光のギャバン」とは何を意味するのか? 彼らはなにゆえギャバンになったのか?


 第1話ではほんの一瞬だが怜慈の回想として「師匠」と呼んでいた上司の死が描かれていたが、それらをめぐる縦軸によって多数のキャラの思惑を複雑にからませ、対立構造を生みだす連続性に富む作劇こそが、視聴者に「つづきを早く観たい」と思わせるのだ。


 「宇宙でギャバンを名乗れるのは某(それがし)ただ一人(いちにん)」と、ナゼか日本の武士のような口調で和服のような衣装に身を包み、敵とは木刀で戦う(笑)刹那は第2話の冒頭でインフィニティに手錠までかけたのに、クライマックスであっけなく和解してしまう。


 まぁ、刹那はクールなキャラではあるが冷静沈着との意味合いが強く、決して非情なキャラとしては描かれてはいないので、怜慈とは最初から激しい対立が描かれたワケでもなく、ふたりの関係性の変化は刹那の「蒸着!」と2大宇宙刑事の共闘を最大限に印象づけるために用意されたものだろう。


 第2話のクライマックスでインフィニティはネガエモルギアを流通・拡散させていた、道化師メイクの小太りの中年男として描かれた犯罪組織の元締めに対し、「そこで犯罪が起こればどこにでも行く!」とか「全次元の全宇宙がオレの管轄だ!」などとタンカを切る。
 宇宙の星々をただひたすら観測し、それらに危機が起きようとも干渉をいっさいしないことが宇宙平和のためなのだと主張していた『ウルトラマンオメガ』(25年)に登場する「宇宙観測隊」に対し、それは「使命」じゃなくてアンタらの単なる「趣味」だろう(爆)とツッコミを入れたくなったものだが、「全次元の全宇宙がオレの管轄だ!」は刹那に限らず、変身ヒーロー作品を大好きな者なら誰もが共感するカタルシスにあふれていたのだ!


 ちなみに、「(エモルギアを)買った奴の方が悪いよの~」などとうそぶいた元締めに対し、「オレにあんまりそういうこと云わない方がいいぜ…… 何するかわかんねぇぞ」と静かにつぶやく怜慈の表情を視聴者には見せず、怜慈の襟(えり)首のみを映す演出はそれだけで怜慈が子供には見せられないほど「激怒」しているのを端的に表現しており、実に秀逸(しゅういつ)だった。


 インフィニティを無言で見つめる刹那の中で、滅亡したと思われる星の荒野で「あなたはあなたのために生きて」と語る謎の女神の回想が浮かぶのがより効果的だ。「全宇宙を守るのが自分のため」とのインフィニティの叫びが「強く響いた」と、心の変遷(へんせん)を遂げた刹那が「蒸着!」へと至る過程は、「人間ドラマ」として実にていねいに描かれていたのだ。


*やっぱり「ギャバい」! 「蒸着!」と「魔空空間」


 さて、『宇宙刑事ギャバン』の「独自性」といえば、その「蒸着!」とバトルステージにあたる「魔空空間」だろう。


 ギャバンのコンバットスーツが光速を超える特殊粒子=ギャバリオン粒子で生成される過程=「蒸着!」を肉眼でとらえるのは不可能だとして、今回の『インフィニティ』でも「では、そのプロセスをもう一度見てみよう」と、ナレーションによる解説入りで「蒸着!」の過程がスローでリピートして描かれる。


 元祖『ギャバン』ではその演出が変身ヒーロー作品では最も重要な要素である「変身!」をより視聴者に印象づけることに成功していた。今回はギャバリオントリガーなる銃型の変身アイテムがあらたに加わったことで、『インフィニティ』ならではの「独自性」が発揮され、その効果をより倍増させているのだ。


 「赤いギャバン」=インフィニティの「蒸着!」は、古い世代的にはどうしても「赤い」宇宙刑事が主人公ヒーローだった『宇宙刑事シャリバン』(83年)の変身=「赤射(せきしゃ)!」が頭に浮かんでしまうため、正直当初は違和感があったものだ(笑)。
 これに対し、ブシドーは元祖『ギャバン』の主人公ヒーローと同様に「銀のギャバン」であるため、こちらの「蒸着!」の方が個人的にはより説得力が感じられる。名乗りのセリフが「宇宙刑事ギャバン・ブシドー、参る」、そして、「蒸着!」のテーマ音楽までもが「和風」に徹しているのもすばらしい(笑)。


 ちなみに、「蒸着!」前の怜慈は赤い皮ジャン、刹那はグレーを主体に水色をワンポイントとした和服を着用しているが、これは「蒸着!」後のヒーローのパーソナルカラーとイメージを統一させている。『スーパー戦隊』でも変身前と変身後のヒーロー&ヒロインのカラーを統一させる手法がよく見られたものだ。


 『百獣戦隊ガオレンジャー』(01年)から『海賊戦隊ゴーカイジャー』(11年)に至る『戦隊』の大半でレッド=「赤い」主人公ヒーローを演じた福沢博文氏が、このパイロット作品では本編監督とアクション監督を兼任していた。


 インフィニティが敵の光線攻撃を宙返りでかわしたり、すべりこみながら怪人に攻撃を加えたり、第2話でブシドーにはめられた手錠をはずして歩道橋にジャンプして逃れたり、廃工場の上階にある窓の踏みはずさない方が不思議なほどのあまりに狭いフェンスから飛び降りてみたり! などの冴(さ)え渡るアクション演出はもちろんのこと、本編演出でも今はなき「スーパー戦隊」の長所を継承させているのは実に好印象なのだ。なお、先述したパトランの着ぐるみを演じているのは福沢監督の奥様で『戦隊』で数多くのマスコット的キャラを務めた神尾直子氏であった。


 ブシドーの武器は木刀ではなく(笑)、水色のクリスタル状の刃のギャバリオンブレードだが、これを鞘(さや)から抜くと同時に2本の刀=「二刀流」へとチェンジさせる演出こそ「独自性」の極みだろう!


 これをモニターで見た資料課のAI(エーアイ)アシスタントで、一応の感情をもつ人工エモルギー人間と設定されている美少女キャラのアギは「とってもギャバいですよ!」と喜んでいた。


 「ギャバい」とは「いかにも『ギャバン』らしい」と解釈できそうだが、元祖『ギャバン』ではレーザーブレードの「二刀流」は描かれなかったため、この「ギャバい」なるあらたな造語は「あの『ギャバン』を彷彿とさせるほどにカッコいい!」との意味なのだろう! まぁ、「二刀流」といえば世間では投打ともに大活躍中のメジャーリーガー・大谷翔平氏をすぐさま連想するところであろうから、元祖『ギャバン』のようにそうした時代の流行を即座に拾うところも立派に「ギャバい」のだろう(笑)。



 いや、もっと「ギャバい」のが「魔空空間」なのだ!


 「魔空空間」とは「不条理世界」であり、人間が吸いこまれるとバラバラになってしまうなどとコワいことをアギが実に楽しそうにサラリと解説(爆)したように、元祖『ギャバン』では敵の宇宙犯罪組織マクーがベム怪獣の能力を地上の3倍に増幅させてギャバンとの対戦を有利にするために、地軸転換装置でつくりだす一種のブラックホールとして描かれた。
 これはギャバンのスーツが銀だったために太陽光や照明の照り返しで屋外での撮影に支障が起きたことから生まれた設定であり、いつもの採石場(笑)の背景に異世界のイメージを合成したり、スタジオ内でさまざまな異物を配置して色とりどりの照明を加えるといった手法が併用された。


 土星の輪の上でギャバンとベム怪獣が戦う!――科学的には完全にデタラメだが(笑)――みたいな絶大なインパクトのある絵も生まれたが、当時の技術的な限界でビデオ合成になると必ず画質は荒くなり(汗)、スタジオ内で撮られた場面も狭さが気になり、「空間」的な広がりがあまり感じられなかったため、現在の観点では少々チープな映像に見えてしまうのは否(いな)めないところだろう。


 それから四十数年を経たのだから当然といえば当然なのかもしれないが、当時は故・矢島信男特撮監督が描いた「魔空空間」を、佛田洋(ぶつだ・ひろし)特撮監督はその「不条理世界」に圧倒的な空間的広がりを加えて再現している!


 上空を飛行するコスモギャバリオンを地上にいるインフィニティとブシドーの上半身からあおりでとらえたカットが、「魔空空間」突入の導入部として実にワクワクさせる演出だ。
 コスモギャバリオンの船首でふたりの宇宙刑事が臨戦態勢をとるのを真横からとらえ、その背景には漆黒(しっこく)の闇に包まれた高層ビル群が多数そびえる広大な大都市のイメージが描かれる!
 その中心に位置する敵のアジトから攻撃が加えられる! そのアジトは第1話の冒頭で描かれた「最終決戦」に登場した幾何学(きかがく)的な巨大要塞と同じ形状であり、視聴者に今後の展開をより期待させる演出ともなっている!



 コスモギャバリオンの船上で怪人=エモンズと対決し、そこからともに飛び降りていくブシドーを、闇都市を背景に上空から俯瞰(ふかん)してとらえた場面の臨場感は絶品! これと並行してインフィニティはアジトの要塞を徹底攻撃する!


 先述したように、コスモギャバリオンは戦艦フォームからロボットフォームへのチェンジが可能である。


 これは、『烈車(れっしゃ)戦隊トッキュウジャー』(14年)のヒカリ=トッキュウ4号を演じて大ブレイクした横浜流星氏を彷彿とさせるインテリタイプのイケメン若手俳優が演じる資料課の課長であり、その名から怜慈からは「大佐(たいさ)」と呼ばれる伊達大佐(ダテ・ダイスケ)が、銀河連邦警察本部に「強襲フォーム」の「認可」を求めることではじめて行われる。
 『機動戦士ガンダム』シリーズ(79年~)の地球連邦軍の軍服みたいな制服を着たお偉方(えらがた)たちがタッチする「認可」のパネルが次々に映しだされていき、最終的に「最高議長」が「認可する」ことではじめて「強襲フォーム」が実現する描写は、「銀河連邦警察」としての組織の巨大さが絶大に表現されているのだ!


 ちなみに、「最高議長」を演じたのは、『仮面ライダー電王』(07年)で主人公の相棒怪人(イマジン)・モモタロスの声を演じたのをはじめ、声優として大多数の作品でご活躍の関俊彦(せき・としひこ)氏だ。氏は『ウルトラマン』(66年)最終回(第39話)『さらばウルトラマン』をリアルタイムで観て、宇宙恐竜ゼットンを一発で倒したペンシル爆弾を開発した岩本博士にあこがれ、「地球防衛軍に入りたい」と思ったそうなので、今回のゲスト出演は感無量だったことだろう。


 クライマックスでは「強襲フォーム」に変型したコスモギャバリオンがアジト内で攻撃する巨大特撮と、ブシドーがエモンズ&元締めと対決する等身大アクションのバトルが細かなカット割りで並行して描かれる!


 コスモギャバリオンが「コスモエモーショナルバースト!」なるビーム砲撃でアジトの心臓部を破壊するのもカッコいい!


 元締めが怪力で放り投げたレール状の鉄骨がブシドーのギャバリオンブレードに直撃するものの、その刃が鉄骨を真っ二つに切り裂いていくさまをスローで描いた演出も超絶にカッコいい!


 まさにこれこそが、究極の「ギャバい!」なのである!



 第3話『キキとコト』以降、祝喜輝(いわい・きき)=ギャバン・ルミナス=「金のギャバン」と、その相棒捜査官・高鳴寿(たかなり・ことぶき)もレギュラーに加わる。


 元祖『ギャバン』といえば銀河連邦警察のコム長官の娘であり、助手としてギャバンをサポートし、アギの能力=「レーザーコンバージョン」として再現されたように映像転換装置・レーザービジョンでさまざまな姿に変身が可能だったミミーをはじめ、コム長官の秘書・マリーン、ギャバンの父・ボイサーの親友・星野博士の娘として描かれ、縦軸の構築にも貢献(こうけん)するキャラだった星野月子など、レギュラーヒロインの存在がめだっていたものだ。その意味でも、『インフィニティ』は立派に「ギャバい」といえるだろう。



 バンダイ発売の変身アイテム・ギャバリオントリガーの玩具はなりきり玩具にとどまらず、形状を同じくしたコスモギャバリオンの戦艦モードとロボットモードも再現可能な1台3役のスグレモノだ。


 それを中心とした商品展開が成功するか否(いな)かは、今後の『インフィニティ』が視聴者をどれだけ「ギャバい!」とうならせるかにかかっているのだ。
 『インフィニティ』がずっと「ギャバい!」作風であることを期待して今回は幕とさせていただく。

2026.3.7.


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2026年3月号』(26年3月8日発行)所収『宇宙刑事ギャバン インフィニティ』評より抜粋)






超宇宙刑事ギャバン インフィニティ
超宇宙刑事ギャバン インフィニティ
超宇宙刑事ギャバン インフィニティ序盤評! ~「戦隊」終了の後継者としての「宇宙刑事」リメイクは、むしろリブート! その成否は!?
#超宇宙刑事ギャバンインフィニティ #超宇宙刑事ギャバン #ギャバンインフィニティ #ギャバン



スーパー戦隊シリーズ評 ~全記事見出し一覧
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逃げ上手の若君・アンゴルモア元寇合戦記・平家物語 ~平安時代・鎌倉時代・室町時代! 日本の中世の争乱を材にした傑作アニメ評!

(2026年3月18日(水)UP)
『天穂のサクナヒメ』『烏は主を選ばない』『超訳百人一首 うた恋い。』『光る君へ』 ~日本神話・奈良時代・平安時代を材にしたアニメや大河ドラマ評!
『薔薇王の葬列』『純潔のマリア』『アルテ』 ~薔薇戦争・百年戦争・ルネサンスなど、人間集団・戦争・宗教・芸術・栄枯盛衰・戦いでの潮目の変化(引き際)!
☆☆☆☆☆
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[アニメ] ~全記事見出し一覧



 2026年7月から深夜アニメ『逃げ上手の若君』2期が放映開始記念! とカコつけて……。『逃げ上手の若君』1期(24年)・『アンゴルモア 元寇合戦記』(18年)・『平家物語』(22年)評をアップ!


『逃げ上手の若君』『アンゴルモア 元寇合戦記』『平家物語』 ~平安時代・鎌倉時代・室町時代! 日本の中世の争乱を材にした傑作アニメ評!

(文・T.SATO)

『逃げ上手の若君』 ~西暦1330年代(鎌倉時代・終了~建武の新政~室町時代・開幕)

(2024年夏~秋アニメ)
(2024年12月23日脱稿)


 ムチャクチャに面白い!


 「鎌倉時代」と「室町時代」の狭間。つまりは、武士中心の「鎌倉幕府」が滅亡して、後醍醐天皇による平安時代以前の天皇・朝廷・貴族中心の政治「建武の新政」が再開されるも失敗。再び武士中心の「室町幕府」が開府されるも、天皇家は2系統に別れて「南北朝時代」の争乱になっていく、いわゆる『太平記』の時代が舞台でもある。


 しちメンドくさいことはない。前提知識も要らない。子供向けの「週刊少年ジャンプ」連載マンガでもあるからだ。むしろ、子供や一般層には本作を真っ先に勧めたいほどなのだ。


 本作は、かの「時代」の「傍流」(汗)の出来事だ。真っ先に滅ぼされた側であった「鎌倉幕府」の北条執権家の遺児による、教科書にも一応は載っていて大学受験にも設問はされていたものの、最終的には鎮圧されて歴史の大勢には影響を与えなかった「中先代の乱」(なかせんだいのらん)が材なのだ。


 もちろん、不肖の筆者なぞも「中先代の乱」は知ってはいても、その詳細や彼らの視点から見た見解なぞは知らなかった。あの時代を全的に描いていたようにも見えた、筆者も後年にCSの時代劇専門チャンネルで鑑賞したNHK大河ドラマ『太平記』(91年)においても、本作の若君主人公・北条時行の存在自体はセリフで言及されるだけであったほどだ(笑)。


 北条の亡国のプリンス・お坊ちゃんとして、齢は10歳前後のいかにも性格よさげで、しかして利発そうではある、まだ声変わり前なので女性声優が演じている主人公少年が魅力的である。水色系の紋服や逃避行では白い神職の着物がまた、彼の清廉潔白感を補強・増強もできているのだ。


 いや、もちろん知的遊戯として、たとえ若君とはいえども北条氏は、源氏の将軍家による鎌倉幕府を簒奪し、その代わりに公家(藤原氏)や皇族(の少年親王)をお飾りの将軍にしてきた立場でもあるからして、ホントに北条氏は鎌倉幕府の正統なのか!? といったツッコミも可能ではある。


 しかし、それは日本にかぎらず欧州でも中国でも同様なのだ。3代も続けば王さまはお公家さん化して実権は下の氏族が、もしくは行政官僚が握っていたりする。


 それが必ずしも悪いワケではない。「三権分立」ならぬ「権権分離」論(=「権威」と「権力」の分離)といって、その方がトータルでは政体が安定し、緊急時には互いに補完ができたりもする。


●中世における、「ローマ法王」と「欧州の王たち」
●古代中国や古代エジプトにおける、「王」と「宰相」(総理大臣)
●近代になっても、「大統領」と「首相」
●あるいは、北欧諸国や英国や日本における、「立憲君主」と「首相」を並存させたりする政体


 それらも、表層的には非合理ではある。しかし、人間は「機械」ではない。「理性」や「合理」だけでも動かない。「シンボル」・「物語」・「過剰&蕩尽」などを求めてしまう本性などもある以上は、これもまた相応に合理的な知恵なのだ。


 といっても、このテの歴史を材に採った作品の論評で強調したいのは、「歴史的な細かい事実を反映しているから、この作品は優れている」とか、「その時代の歴史の全的な全体像を提示・反映できているから、この作品は優れている」といった、「よくお勉強しましたね」「よく全的な絵解きができましたね」的なところで、その作品を作品論的には語ってはならないということだ。


 まずは、「ドラマ」「エンタメ」として面白いか否か? 面白かったとすれば、それはいかなる理由で面白かったのか? といったことが、「物語批評」としては重要なのだ。


 いや、もちろん、「ドラマ」や「エンタメ」ではなく、あえて「学習マンガ」の体裁を採った作品の意義もある。CSのヒストリーチャンネルにてエンドレスで放映されている往年のTVアニメ『まんが日本史』(83年)なども、語り口・視点・角度、あるいは教科書の範疇を超えて、歴史学などが無視をしがちな「人間」間での「好悪の情」や「相性」の問題なども巧みに取り組んでいて、実に面白いのだ。それゆえに、無味乾燥ではなく頭にも入ってくるのだ。


 つまり、本作もまたイイ意味での「ジャンプ漫画」であって、手練手管を尽くした「バトル」に収斂していくからこそ面白いのだ。


 エッ? 本作の「若君」は戦争をキラっているって? いやしかし、彼は戦場で逃げ回ることに「生の充実感」を不謹慎にも味わってもいる。ホントにホントの平和主義者であるのであれば、「戦場」や「戦闘」それ自体をそもそも避けるハズでもあるのだ。つまり、「カノッサの屈辱」を「世俗王」(ドイツの王)に強いていた「ローマ法皇」のように、こういった「逃走」や「非・物理的」な行為もまた、やはり広義での「戦争」なり「政治」ではあるのだろう(汗)。そういった観点も忘れてはイケナイのだ。


 そして、マンガ・アニメ的にも際立っている、逃避先の「信濃の国」(長野県)の「諏訪」(すわ)の地における、地元の「豪族(武士)」や「神職」に「盗人」(笑)などの、主人公の少年とも同年代(=小学生の年齢!・爆)の魅力的な少年少女のキャラたちや、悪辣そうな敵キャラに、実に強そうな敵キャラたちと、彼らとの群像劇なども魅せていくこと。


 敵味方のドラマや過去なども、バトルの最中に回想シーンのかたちで挿入してみせることで、「バトル」と「ドラマ」の「分離」も回避ができているのだ。


 「ジャンプ漫画」の出自ではなかったものの、古代中国における「秦の始皇帝」の若き日を描いた漫画『キングダム』(06年~)や、往年のスポ根マンガに、名作の時代劇・劇画の『子連れ狼』(70~76年)などもこのパターンであった。そういった王道・普遍の手法からはハズれないこともまた、本作の成功要因でもあったのだ――年長諸氏にはキャスティング的にも学芸会に見えてしまうやもしれないけれども、実写映画版『キングダム』(19年~)もこの文法に沿っていたことが興行的な成功の一因だったとも私見するのだ――。


 もちろん、武家の領主にして諏訪大社の神官・諏訪頼重の超能力(!)による、メタ的な「歴史解説」もマンガ的には実に楽しい。
逃げ上手の若君 フィギュア 北条時行
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【コンプリートボックス全巻】逃げ上手の若君,DVDプレーヤー ブルーレイ対応 再生専用
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(了)
(初出・オールジャンル同人誌『SHOUT!』VOL.90(24年12月29日発行))


『アンゴルモア 元寇合戦記』 ~西暦1270年代(鎌倉時代・後期)

(2018年夏アニメ)
(2018年8月2日脱稿)


 鎌倉幕府の御家人(ごけにん)崩れの不穏で不敵な主人公武士が、罪人たちとともに流刑(るけい)にあった先。そこは蒙古(もうこ=モンゴル)襲来目前で、前哨戦の地ともなった対馬(つしま)であった!


 かの地への海路、荒波に揉まれて泣き言を吐いた流人(るにん=流刑に処せられた罪人)の言を聞いて、それに情をかけて縄をほどいてやった甘っちょろいお役人さまの図にて本作は開幕する。


 情けはヒトのためならず! 隙を突いてそのお役人さまを殺害してしまう悪辣な罪人たち!!
 しかし、トーナメント演出! その罪人らよりもはるかに上回る高い戦闘力の持ち主だとして主人公を描いてみせた序盤で、彼のキャラを立ててみせているあたりで、導入部からしてカッコいいのだ!!


 しかも、その彼の流派とは「義経流(ぎけいりゅう)」。そんな流派が実在していたかは怪しいけど、読んで字のごとく、かの鎌倉幕府初代将軍・源頼朝(みなもと の よりとも)の弟にして夭折(ようせつ)の天才武将・義経(よしつね)の武術・兵法といったイミなので、何やら強そうではないか!?(笑)


 世はお公家さん主導の「国司・郡司の律令体制」から、鎌倉武士主導の「守護・地頭体制」へと移行して100年弱。対馬の老地頭やその郎党らは「やぁやぁ、我こそは!」を地で行く源平合戦のむかしのような老害ともなっており、軍議でも元寇襲来のウワサをナメてかかって、むかしの武勇談に花を咲かせている。


 対するに、本作のメインヒロインたる、老地頭の娘でもあり麗(うるわ)しくても気高そうなお嬢さまは、#1では老父とは真逆で、大軍の蒙古が高麗(こうらい=朝鮮)を出港したという情報に対して、内心では「過剰評価」でも「過小評価」でもない「正当評価」としての意味合いで正しく警戒もしている。


 そして、この対馬を守るために、外ヅラとしては実に高飛車・横柄(おうへい)にもふるまって、流人どもに対しても「座して死を待つのか!? 戦さで手柄を立てるのか!?」と迫って、戦さに備えてその陣に加えんとする!


 この気高きお嬢さまキャラについては、今は昔の『新機動戦記ガンダムW(ウイング)』(95年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/19990805/p1)や『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』(15年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20191105/p1)などに登場した、天性の物怖じしない気高き王女さまキャラたちのことを、筆者のようなキモオタなどはつい想起もしてしまう(笑)。


 しかし、本作のそれは、実は「演技」であって内心ではブルっている……としても描くのだ! #2においては、主人公を対馬や自身につなぎとめんと背伸びをして色仕掛けまでしてくるも、それが一枚上手(うわて)の相手(主人公武者)に対しては見透かされてしまって空転している描写などで「ギャップ萌え」をも喚起している(笑)。


 対馬での出来事とはまた別に、当時の一応の政治・軍事の中心でもある本家の鎌倉方も決して無策ではない。すでにかの地に物見(ものみ=スパイ)なども入っている。流人といえども主人公の剛毅(ごうき)さ&統帥(とうすい)の才をも見込んで、「7日、持たせろ……」などと増援を約して、海の彼方の本土へと去っていく侍なども登場させることで、舞台背景も狭くはないのだ。


 そして、はじまる蒙古との戦い!


 スポーツや交渉事などとも同様に、物理的な戦力の優劣こそが勝敗の基本ではある。しかし、細部や局面においてはたしかに個人や現場のリーダーの才覚・覇気・勢い、人格力・カリスマ性も必要なのだ。


 たとえ論理的には同じことを演説して鼓舞していたのだとしても、声の大きさ・野太さ・スルドさ・頼もしさ、弁舌の勢いや抑揚! といったものでも、人々の動き方の勢いといったものは変わってくるものなのだ。
 それによって、相手を気圧(けお)することができて敵の怯(ひる)みをも生んで、局地戦での勝利や、戦場での潮目の変化をもたらすことにもなっていく。


 しかして、戦場の中を推し進みすぎてしまってもイケナイのだ。戦場での縦深があまりに行き過ぎて戦線が伸びきってしまうと補給・援軍・密度には乏しくなってしまう。かえって、位置的にも敵兵にも囲まれてしまう情勢となってしまうことで、相対的にも不利になる新たな潮目の変化も訪れてしまうのだ。


 そういったことを「空気」や「ハダ感覚」という名の「高速論理演算」にて瞬時に察知して、小さな勝利を勝ち取ったところでの成功体験にとどめて、適度なところで撤退してみせることで、そこまでの戦いを一応の「勝ち」として、次の戦闘に備えて鋭気を養っておくこともまた肝要なのであった。


――云うは易(やす)く、行なうは難(かた)し。切れ味のよい活舌・弁舌や、危機に際してパニくらないで物事を決断してみせる胆力に、勇猛果敢なファイティング・スピリッツとは最も縁遠い、筆者のような弱者男子であるオタクが「どのクチで云うのか!?」といった話でもあるけれど(笑)――



 鎌倉中期の若き8代執権・北条時宗(ほうじょう・ときむね)or日蓮聖人(にちれん・しょうにん)を材とした歴代の作品群では、物語のヤマ場としても描かれる2度の蒙古襲来。


 その緒戦(しょせん)として、対馬・壱岐(いき)といった島嶼(とうしょ)にも、蒙古軍&朝鮮・韓国のご先祖さまである高麗の軍が襲来しており、島民はほぼ皆殺しという大虐殺が繰り広げられていたことは、歴オタ(歴史オタク)の皆さまであればご存じのとおりなのだ。そんな逸話を知る身からすれば、7日後の増援でもますます無理ゲー(ム)で、先行きには絶望感しかないのだけど(汗)。



 映像表現面では「デジタル様さま」で終始、和紙のムラのようなモノやその紋様などもごくウスく画面にオーバーラップさせつづけることで、ある種の風情も醸せてはいる。しかし、その和紙の文様はカメラのヨコ移動などには追随していかないあたりで、少々の違和感もある(笑)。


 現代に至るまでも


「ムクリ(蒙古)、コクリ(高句麗)、鬼が来る」


といった、子供をたしなめる際の慣用句が一部の地方では残っているほどの、対馬におけるジェノサイド(大虐殺)。生き残った女たちは手のひらに穴を穿(うが)たれ、そこに通した縄にて数珠(ずじゅ)つなぎにされて、船の側面に吊され「人間の盾(たて)」とされることとなった。生き残った子供たちは奴隷として蒙古こと元朝に上納もされていた――日蓮聖人は古代の百済(くだら)の時代の故事の前例から、これらの残虐行為自体は高麗軍の方の仕業だったと断定していた(汗)――。


 ググってネタバレしない程度に、本作についてのWikipediaを斜め読みしてみた。すると、教科書にも出てくる、鎌倉時代の直前の平安時代における「刀伊の入寇(といのにゅうこう)」ネタまであった!


――平安時代の当時も、新羅(しらぎ)・高麗・女真(のちの金や清帝国)の海賊が日本に襲来していたのだ。日本も後年の倭寇などで決して無罪ではないのだが、そういうこともあったのだ(汗)。さらに古い時代の史料にあたってみると、どうも弥生時代のむかしから(!)モラルには欠けていたようである善良なる日韓の庶民たちは(笑)、不作や飢饉などになると中央政府の指示などはナシで、タフで逞しいことに座して死を待たずに互いに泥棒・略奪・殺戮し合ってきたようである(爆)。……エッ? 日韓にかぎらない!? 世界中のドコでも隣国や隣村との歴史や関係性なんてそんなモノだって!?――


 こういったあたりも、本作ではドコまで映像化ができるのか?


 筆者も好事家かつ人間が下世話にできている。よって、近隣諸国ではイザ知らず、日本の子供向けの教科書には残虐すぎるゆえに掲載はしにくい、あるいは敗戦国特有の周辺諸国への過剰な忖度(笑)もあってか言説化・映像化がしづらい、こーいう二重にネジくれたかたちで半ばタブー視されてきた歴史秘話については、不謹慎にも怖いモノ・残酷なモノ見たさもあって心惹かれてしまうのであった。


 そして、たとえそれ自体が歴史の大局においては些事ではあったとしても、二重三重にモツれた糸玉やゴルディアスの結び目をシンボウ強く解きほぐしていき、もろもろの「結ばれ方」を理解・ナットクしてみたくなってしまうのだ。


 元寇が襲来した対馬における、夜の山陰に隠れるも赤ん坊の泣き声で村人ごと発見されて全員が殺戮! 赤ん坊まで股裂きにされたなどの故事も描かれるのであろうか?(汗)


 別に旧・日本軍だけに特有ではなくって(?)、古今東西の戦時ではなくても、平時でも常に一定数(相当数?)は存在してしまう、軍事作戦の域を超えたかたちにて残虐行為に走れてしまうような、人格が品性下劣で他人に対する共感性にも乏しくて粗暴にできている一部の輩の存在(汗)。


 あるいは、泣き声で敵兵に見つけられないように泣く泣く赤ん坊の首を絞めたり、口をふさいで窒息死させてしまった母親の話など……。


 良し悪しや割り切ることができるのか!? といった話もまた別として、対馬にかぎらず先の大戦での沖縄での集団自決だけにはとどまらない、サンデル教授の「白熱教室」における、ひとりの命を救うのか!? 多数の命を救うために少数には犠牲になってもらうのか!?
 いわゆる「(暴走)トロッコ問題」と呼ばれる議論ばりに、瞬時に直観的に村人(多数)と赤ん坊(少数)の命を天秤にかけた末での母親の究極の苦渋の選択に対して――たとえそれが殺人であったとしても!――、後世の価値観における安全圏からの「後出しジャンケン」での全否定などは筆者はしたくない――もちろん、全肯定などもしないけど(汗)――。



 同様に、それが現代日本における民族差別・在日差別を誘発し、日本の排他的ナショナリズムに加担する一面があるからといって、750年もむかしの史実に対してさえも、微塵たりとも言及することすら許さない、あるいは「自粛」や「忖度」(笑)を強要しかねない良識派・人権派・リベラルな向きに対しても、疑問を禁じえない。


 もちろん、彼らの「忖度」行為にも一理程度はあるのだ。しかし、物事を要素要素に微分化・細分化して、


●Aという要素は是
●Bという要素は非
●Cという要素には一長一短・善悪両面
●Dという要素は評者個人に知識・素養といった判断材料がないので、判断もできない


なぞとパターン分けして選り分けて考えることができずに、「赤勝て白勝て、巨人か阪神か」レベルの全肯定か全否定、「右」か「左」かのレッテル貼りだけをする輩は、失礼ながら筆者には、近代的・合理的な思考ができない未開の土人や原始人だとしか思えない(汗)。


 不倫やガールズバー通いをしていたことが発覚しても(笑)、敵対陣営の政治家に対してとは異なりダブルスタンダードでコレを擁護して恬として恥じない輩も同様なのである。もちろん、不倫やガールズバー通いなどは殺人強盗ほどの罪ではないので、むろん肯定はできないものの全否定などはしなくてもイイ。


 しかし、「不倫や援交まがいのことは肯定できないものの、彼女や彼の政治的スタンスにはまぁ同意なので、勘案の末に苦渋を飲んで、そこには反対するし肯定はしないけど、その政治主張の部分についてだけは賛同・応援していきたい!」、「これは特定の国家や民族といった生まれつきの属性それ自体への差別を正当化するものではさらさらない! しかし、ことこの局面における事象については批判されるべきである!」などといったように、瞬時にデリケートに腑分け・分解して物事を語ってくれれはイイのである。


 けれど、そこを未分化なままでモヤモヤとさせて忖度して一応は隠しきれたつもりになって語るから、日本人は総体としては愚劣なバカになってしまって、より高い次の精神的・思想的なステージ・境地へと昇っていかれないのだ! ……エッ? 欧米でも同様になっているって?(笑)


 そして、かえって彼らの複雑系での是々非々ではない、善悪二元論的でムリやりな擁護の態度に、矛盾・党派性・ダブルスタンダードを感じてしまって、不信・反発をいだかれることで、皮肉にもいわゆる「右傾化」なるモノもますます拍車がかかっていく。要はザル頭のいわゆる左派の側にも問題点&原因があったのだ(爆)。


 おそらく、そんな外野からの下馬評や議論とも無縁ではいられないであろう(?)本作ではある。しかし、もちろんそんなところは無視してもイイ。基本的には、アクション・サバイバル・ショッキング・オトコ気を見せることが主眼の良質なエンタメ作品として仕上がっていることは強調しておきたい。


 そのテーマ的なスパイスについては、浅くてウス味では面白くもないし、ヤリ過ぎで踏み越えてしまっても、ともに弛緩(しかん)してしまってダメなのである。


 寸止めのところでの臨界点、つまりはクレーターの狭いフチの上に爪先立ちで緊張感を持って屹立してみせる。
 そして、そこから内外を広く遠く見渡してみせるような、極限状況下での人間の愚かさ・おぞましさ・残酷さと同時に際立ってもくる、そんな中でも悪事や暴力にも染まらずに、しかして過度に気張らずに正しく気高くあらんとする姿!


 しかして、小さな悪事や殺傷行為は必要悪として犯してしまったとしても、苦渋・罪悪感・鎮魂の痛みとともにサバイブしてみせることのビター(苦味)さ! といったものまで同時に描くこともできれば、作品としての勝算も出てくるとは思うのだ。
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(了)
(初出・オールジャンル同人誌『SHOUT!』VOL.72(18年8月11日発行))


『平家物語』 ~西暦1180年代(平安時代・末期)

(2022年冬アニメ)
(2022年4月30日脱稿)


 武士の時代が到来する直前に栄華を極めたものの、没落していった武家である平家一族を、まるびて線も少ないシンプルな描線で描いた深夜アニメである。


 本来は日本の歴史における在り方的にも、国民的な叙事詩であったハズである『平家物語』。しかし、今では信長・秀吉・家康の戦国時代と幕末~維新の時代しか、一般ピープルには馴染みがないであろう。


 あるいは、往時の人々も琵琶法師や庶民による弾き語りなどを何度も聴かせられているうちに、悲劇的な各自の末路を熟知してしまったことで、何十回目かでの再聴では彼らの前半生の部分の拝聴においても、自然とその彼らの悲壮な末路を重ねてしまって、ますます「無常感」も強調されてきた……といったこともあったのだろうと思われる。


 その伝の応用でもあるのか、本作では未来予知も可能であるオリジナルの少女キャラも登場して、平家一族とも同居する!


 彼女が答案用紙の答合わせ的に、平家一族個々人の未来や末期(まつご)を時に垣間見てしまうかたちも採ることによって、


●今では元気なこの少年が……
●天皇に嫁ぐも、今でも不遇なこの少女が……
●ようやくに生まれた幼帝もまた、最後には壇ノ浦に没して……


といった未来が点描されることによって、歴史に疎(うと)い人間たちにも間口を拡げて、なおかつ興味を持たせることもできている。


 もちろん、すでにご存じの歴史マニアな御仁たちにとっても、「復習」かつ「無常感」をさらに強調するシーンとしても仕上がっているのだ。


 本作においては、平清盛(たいら の きよもり)の子供や孫たちも別に悪人ではない。むしろ、清盛とも異なる常識人であったり、傑物の父の不始末に奔走していたりもする(汗)。


 NHK大河ドラマ『義経』(05年)では、幼き日の源義経(みなもと の よしつね)が清盛宅に身を寄せて平家の子供たちとも兄弟同様に育っていったといったオリジナルな描写が付与されていた。
――義経と弁慶が出逢った五条大橋は実は当時はまだ存在していなかったし(笑)、弁慶に至ってはその実在自体が疑わしいのだから(爆)、どうせフィクションなのだし適度なウソもOKだとは私見!――


 しかし、同作でののちの源平合戦では、その意味でドラマチックな「義兄弟対決」にもできて「宿命の対決」としても盛り上げることができたハズなのに! そういった過去のことは想起もされず、清盛の息子の兄弟たちもお団子状態でキャラクターの描き分けもできていなかっただけに、その15年越しでの筆者の溜飲も下がったのであった――ウソです。大河ドラマ『平清盛』(12年)ですでにとっくに溜飲は下がっていました(笑)――。


 しかし、時代の総体としては「平家独裁」の時代ではあり、「禿児(かぶろ)」こと黒髪オカッパで赤服の少年密偵(私兵)たちによる横暴なども漏れなく描いていくことで、逆に庶民たちの禿児や平家への反発や恨みも描いて、のちに来たる彼らの没落の予兆ともしている。つまり、「信じれば夢は叶う」「不可能を可能にする」といった少年マンガ的な世界観ではさらさらないのだ(笑)。


 学術的には正しくても、教科書的な干からびた「人名や事象の羅列」であっては、よほどの歴史オタクの気がある子供でもなければ記憶に定着などしない。そういった意味でも、子供向けの『平家物語』や『忠臣蔵』や『太平記』(=鎌倉幕府滅亡~室町幕府成立を描いた軍記)などの簡略物語を、歴史の授業といわず義務教育である小中学校の国語の授業などでも1回くらいは教えた方がイイと個人的には考えてもいる。


 しかし、おそらくそーなると「日本スゴい!」の右傾化だ! なぞといった反対運動が起きそうではある(笑)。いや、『平家物語』や『忠臣蔵』などは負けて滅びていく物語なのだから「日本スゴい!」とは真逆であろう。


 そうなると、「あー云えば、こー云う」であって、今度は「滅びの美学が危険だ」なぞと云われそうでもある。しかし、「ドーして独裁化して、ドコが反発されて、ドコで反逆の流れが起きて、ドコで没落していったのか?」などといった「旧・日本軍」や「戦前の日本」的な「失敗の本質」の研究といった冷徹な意味でも、『平家物語』などはもう少し一般化されてもイイ。


 時には「平家」主体で、時には「源氏」主体で――後者は源義経を主役として描いた『義経記(ぎけいき)』などで――、対立する2大陣営を「善悪二元論」ではなく、それぞれの主観的な視点や立場から描いた「文化多元主義」は、実は日本の中世においてもすでに両立が達成されており……(掲載媒体の制限字数の都合で、以下略・笑)。
平家物語 アニメーションガイド

CONTINUE Vol.76
わたしたちが描いたアニメーション「平家物語」
(了)
(初出・オールジャンル同人誌『SHOUT!』VOL.82(22年5月8日発行))


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『逃げ上手の若君』・『アンゴルモア 元寇合戦記』・『平家物語』 ~平安時代・鎌倉時代・室町時代・日本の中世の争乱を材にしたアニメ評!
#逃げ上手の若君 #アンゴルモア #元寇合戦記 #アンゴルモア元寇合戦記 #平家物語



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天穂のサクナヒメ・烏は主を選ばない・超訳百人一首うた恋い・光る君へ ~日本神話・奈良時代・平安時代を材にしたアニメや大河ドラマ評!

(2026年3月17日(火)UP)
『逃げ上手の若君』『アンゴルモア 元寇合戦記』『平家物語』 ~平安時代・鎌倉時代・室町時代! 日本の中世の争乱を材にした傑作アニメ評!
『薔薇王の葬列』『純潔のマリア』『アルテ』 ~薔薇戦争・百年戦争・ルネサンスなど、人間集団・戦争・宗教・芸術・栄枯盛衰・戦いでの潮目の変化(引き際)!
☆☆☆☆☆
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 2026年2月15日と22日に、日本神話に材を採った深夜アニメ『天穂のサクナヒメ』の番外編『天穂のサクナヒメ ココロワ稲作日誌』が放映記念! とカコつけて……。『天穂のサクナヒメ』(24年)・『烏は主を選ばない』(24年)・『超訳百人一首 うた恋い。』(12年)・『光る君へ』(24年)評をアップ!


『天穂のサクナヒメ』『烏は主を選ばない』『超訳百人一首 うた恋い。』『光る君へ』 ~日本神話・奈良時代・平安時代を材にしたアニメや大河ドラマ評!

(文・T.SATO)

『天穂のサクナヒメ』 ~紀元前後!?(弥生時代・古墳時代・日本神話)が材の和風ファンタジー!

(2024年夏アニメ)
(2024年12月23日脱稿)


 『天穂』は「てんすい」と読むのだそうな。


 「日本神話」というのか、「高天原(たかまがはら)」(天上界)の「神々」に材を採ったかのようなゲーム原作のアニメである。絵柄的には頭身も低くて、かといって繊細な「萌え描線」などでもなく、幼児・児童向けにシンプルにデフォルメされたような絵柄である。にもかかわらず、土曜の深夜ワク(!)にて、前季の『怪獣8号』の後番組(笑)として放映されるTVアニメなのでもあった。


 こう記すと、「日本スゴい!」「天皇制の強化につながる!」「右派政権による陰謀だ!」なぞと息巻く御仁もいるのだろう。


 しかし、このテの作品は戦前・戦中であれば、そもそも「不敬罪」だとして発禁処分になっていたとも思うので、なにか明後日な方向で戦っている気がする。まぁ、スキにしてください(笑)。


 「コノハナサクヤヒメ」ならぬ「サクナヒメ」という「食物の豊饒神」でもある少女の神さまが、地上界から登ってきた山賊上がりの気のイイ大食漢の青年ガラみで失態を犯して、下界に追放されてしまって、そこで世間の広さを知るといったお話でもある。


 もちろん、タイトルに『穂』の文字があるとおりであって、一次産業たる地道な「稲作」がテーマなのでもあった……。


 ほとんど、「天上界」と「地上界」とが、上下の位置関係だとはいえ、隣の村よりも近そうな、歩いて行ける距離ですぐ隣に接しているような世界観でもある(笑)。


 ちなみに、キリスト教・仏教・イスラム教などの「禁欲」を説くような「高等経典宗教」における「神」や「天使」たちは一応の「人格の完成者」でもある。
 しかし、それらと比すれば原始的で、「経典」もなく「戒律」などもほとんどない日本神話・ギリシャ神話・北欧神話などの「神々」は、ただの超能力・神通力を持っただけである「古代の野蛮人」にしてユルユルなメンタルの持ち主である場合がほとんどであった(笑)。


 けれども、本作のネタに既視感がないワケでもない。トロトロ・ボケボケ・おっとりとした女子中学生が「高天原」で「日本神話」の「神々」のひとりとしても兼業(?)することになってしまった名作深夜アニメ『かみちゅ!』(05年)などもあったからだ。


 とはいえ、別に和風ファンタジーであっても中華ファンタジーであっても西欧中世風ファンタジーであっても、ナンでもイイとも云えはするのだ。


 つまりは、空の上には「天上界」が、地の底には「冥界」や「地獄界」が、海の底には「竜宮界」があったりもするような、三層構造・多層構造なぞが現実世界には存在していないことなど、子供であっても承知していることでもあるからだ。
――かの名作深夜アニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』(06年)の真の#1(笑)の冒頭ではないけれども、「サンタクロースの逸話はスキではあっても、サンタの実在なそを信じたことなどない子供」も多いことであろう。筆者などもそのひとりであった。しかし、そういう子供が逆説的に長じてからでも、卒業できずに「虚構」に「耽溺」していたりもするのであった(笑)――


 しかし、そういったことは「百も承知」ではあっても、そのような「世界観」を持った物語作品に対して、子供たちや思春期・青年期の若者たち、あるいはオトナになっても、特に現実社会では満たされない「不全感」を抱いているようなオタク的な人種たちが、そういった「虚構」作品のヨコ方向での「広がり」やタテ方向での「歴史」などが感じられる「世界観」なり「異世界」そのものなりに、ワクワクとしたロマンを感じてしまうのはナゼなのであろうか!?


 かの「孫悟空」こと『西遊記』にしてからが、その劇中内での「天上世界」においては、「仏教のお釈迦さま」もいれば、「中国の道教の天帝・神々」なども同時に並存しており、海の底には「竜宮城」なども存在している、中国における「神仏習合」の世界観でもあったのだ。


 スパイダーマン・アイアンマン・キャプテンアメリカなどが共闘するアメコミ映画『アベンジャーズ』シリーズの世界観では、劇中内では実在のヒーローでもある「北欧神話」の「雷神ソー」の世界が前史として存在している。そして、北欧神話の「天上界」こと「アスガルド」は、物理的な「上空」のことではなく「異次元」なり「高次元」などの別世界のことであると解釈できるようにもなっていた。


 スーパーマン・バットマン・ワンダーウーマンたちが共闘するアメコミ映画『ジャスティス・リーグ』の世界観でも、ワンダーウーマンの前史として「ギリシャ神話」の世界が存在していた。


 昭和『仮面ライダー』世代たちの脳裏には、あるいは「平成ライダー」世代であってさえも、歴代の仮面ライダーたちは今でも世界の各地や日本の各地で戦っていることであろう。


 ウルトラマンたちに至っては、地球を離れた大宇宙を股にかけて、昭和のウルトラ兄弟&21世紀以降の新世代ウルトラマンたちが共闘もして、数万年単位での因縁を誇っている敵たちとも戦っていることが映像化されており、ファンたちを感涙させてもいる。


 そういった「世界観」そのものを楽しんでしまうようなマニアの心の機微を、平成のアタマにオタク第1世代の評論家・大塚英志(おおつかえいじ)は「物語消費」と名付けて、『物語消費論』(89年、01年に角川文庫・ISBN:4044191107)なる書籍も上梓していたほどだ。より厳密に云えば、「物語消費」ではなく「世界観消費」と名付けるのが正しい気もするのだが(笑)。


 同じく大塚英志による講談社現代新書『「おたく」の精神史 一九八〇年代論』(04年・ISBN:4061497030)においては、ヤングアダルト&児童向け作品の架空世界&歴史の発達例の先進例として、70年代後半の第3次怪獣ブーム時代のウルトラシリーズを例に挙げてもいた。



 シニカル(冷笑的)に見てしまえば、虚構の作品の中であっても「いつになっても戦争は終わらない……」とも云えてしまう。しかし、より正確に云えば、たとえ不謹慎であっても、そこに対して我々は「勇ましさ」や「誇らしさ」の方を感じていたりもするのであった(笑)。


 さらに、そういった我々の行為もまた、もっと引いて外側から客観的に見てしまえば、やはり「虚構」の世界のなかに「耽溺」することで、我々は「現実逃避」をしているだけだとも云えてしまえるワケなのだ。そして、そういった冷笑的な見解もまた半分以上は、正しいのであった。


 しかし、「ヒトはお米」、もとい、「ヒトはパンのみにて生きるにあらず」。「実業」の世界のみにて生きるにあらず。


 何らかの精神性・虚構・物語・シンボル・娯楽などを欲してしまうような「心的な傾向」があることもまた事実ではあるのだ。そうであれば、「耽溺」しすぎない範疇にて、適量でたしなんで、憂さを発散すべきでもあるのだろう……。


 と云って、それっぽく締めたいところだったのだけれども……。少なくとも、この作品の深夜アニメ版は、そういった「世界観」や「世界」それ自体をも楽しく魅せていく……といった類いの作品には必ずしもなってはいなかったのであった(汗)。



 でも、我らの「主食」とされている、糖尿病や成人病の基(汗)でもある、本作の主題にもなっている「お米」、あるいは「小麦」などの農作物の成分でもある「炭水化物」については、人類にとっては実は邪道・変則的な食物なのでもあるそうな……。


 人類が農耕を開始したのは、たかだか5000年~1万年前のことなのだ。しかし、我ら現生人類ことホモ・サピエンスの誕生は数十万年も前のことであった。つまり、我々人類はその歴史のほとんどで、「米」や「麦」などの「炭水化物」を食してはこなかったのだ。
 それ以前は「肉」・「魚」・「豆」・「卵」・「牛乳」などといった「タンパク質」、つまりは「血液」・「筋肉」・「細胞」それ自体の直接的な成分とも近しい「タンパク質」(アミノ酸)を、「農耕」以前の「狩猟採集」生活などをしてきた我々人類は食してきたのでもあって……(以下略)。
TVアニメ『天穂のサクナヒメ』オリジナル・サウンドトラック
TVアニメ『天穂のサクナヒメ』オリジナル・サウンドトラック

(了)
(初出・オールジャンル同人誌『SHOUT!』VOL.90(24年12月29日発行))


『烏は主を選ばない』 西暦600~700年代(飛鳥時代・奈良時代)が材(?)の和風ファンタジー!

(2024年春~夏アニメ)
(2024年8月4日・脱稿)


 『烏(カラス)は主(あるじ)を選ばない』と読む。天下のNHKで土曜深夜に放映の和風ファンタジーの毎週土曜放映の深夜アニメである。ムリに性別ターゲットを決めつける必要はないが、基本的には女子向けファンタジーでもある。


 といっても、女子向けの逆ハーレム作品でもない。異世界の「情景」で引き込みつつも、合戦モノではなく宮廷陰謀劇なのである。しかも、恋愛要素には乏しい(そもそも存在すらしない?)。NHK大河ドラマ『光る君へ』(24年)から「恋愛要素」を除いたような感じなのだ(笑)。


 背景美術的には本作のそれは、飛鳥時代・奈良時代・平安時代のそれである。古墳時代(神話時代)以前や源平合戦以降の武家の時代ではない。しかし、平城京や平安京のような都なども登場しない。
 山間の澄み切った谷間に、直立した数十メートルはあろうかという柱群の上に、和風建築の内裏(だいり=皇居)やら各種の建造物が並んでいて、廊下状の橋でつながっている、といったビジュアルイメージでもあるのだ。


 序盤の第1クールでは、クールでも聡明そうな皇太子さまの気乗りのしない「姫さま選び」の話となっている――天皇家・皇族にあたる家系は、本作では「宗族(そうぞく)」と呼称されている――。


 姫さま候補は、奈良時代の「藤原北家」や「藤原南家」などをイメージしたのであろう、「北家」・「南家」・「東家」・「西家」といった名称の家系の姫君のなかから代々選抜されているようだ。それによって、各家の当代の繁栄や権力の強さの度合いも決まるのであろう。



 といったところで、年齢相応の美少女キャラたちが登場するのだろうと思いきや……。これらの美少女キャラたちには浮わついたところがないのだ。そもそも、どうやっても自由恋愛ではない、といった大前提もあるのだが……。


 一家・一族を背負った重責感・悲壮感をまとった、凛とした感じでもあって、もう「個人」ではなく「法人」(爆)としての存在になっているのである――約1名ほど、ポワポワとした天然女子もいたけれども――。


 さらに、彼女らにはお付きの「侍女」や「乳母」に「従者」らもカラんでくる。ミカドの「后」(きさき・皇后)となるために、他家の「姫」を少しでも出し抜くための「権謀術数」や「会話合戦」に「芸事の見せ合い」!


 しかして、そんな彼女らも血も涙もない、万事に割り切れてもいる人間なのかと思いきや……。
 身分違いの想い人がいたとか、「直系の姫」ではなく「親族出自の養女」に過ぎなかったとか、冷徹なようでもそれに徹しきれなくって「ナマ身の人間らしさ」や「他人に対する同情心」などもふと見せてしまうなどで、ひと筋縄ではいかない「人間としての多面性」、といったところで人間ドラマも作ってみせているのだ。


 とはいえ、フツーに面白いともいえるけど、超面白い! といった域にも至ってはいないような……。なぜであろうか? ちょっと作画がイマイチかな? といったところで、お耽美的には没入できなくなっている可能性を個人的には想定している。
烏は主を選ばない
烏は主を選ばない

(了)
(初出・オールジャンル同人誌『SHOUT!』VOL.89(24年8月8日発行))


『超訳百人一首 うた恋い。』 西暦800年代~1200年代前半(平安時代・初期~鎌倉時代・初頭)

(2012年夏アニメ)
(2012年12月24日・脱稿)


 かの『百人一首』を題材とした短編マンガ集を、深夜アニメ化した作品。……実に面白い!


 日本の飛鳥時代(600年代)~鎌倉時代初頭(1200年ごろ)の歌人100人の和歌を、「かるた」形式にて遊ぶことで知られている『百人一首』。


 とはいえ、その本文が「古文」である以上は、子供には――いや、オトナであっても――意味が取りにくいものではある。


 よほどのハイソな家庭でもなければ、実際にも『百人一首』で「かるた」形式にて遊んだ御仁は少数派であろうとも思われる(?)。不肖の筆者なぞも、『百人一首』で「かるた」をした記憶なぞはない。


 「上(かみ)の句」を読まれて、それに対応する「下(しも)の句」の「かるた」をゲットするのは、暗記もしていない以上はムリである――私事で恐縮だが、筆者の母などは田舎の山村出身であって、『百人一首』の「下の句」だけを読んでの「かるた」などはしていたそうだけど――。



 著名でわかりやすくもある「戦国時代」や「幕末」などの暑苦しい時代からは程遠い、プチ・インテリオタクどもがペダンチック(衒学的)に、アタマ良さげに自分をよそおいたいときに弄しそうな、「平安歌人」たちによる歌を介した男女の色恋の数々。


 それを語る連中の、ドコかお勉強チックな物言いが気にさわるのであった(笑)。どうにも「対象」と「自己」との距離感がなくって、「対象」と「自分」とは別ものであって違うのだというのに、「自己」を「対象」といっしょに持ち上げたがってもいるような「下駄を履いているような上げ底」ぶり。


 どうせその時代に生きていれば、テメェらは(筆者も含むが・笑)「非モテ」の負け組にすぎないだろ! といった、「自分の身をも斬らせて、恥をも周囲に晒してみせるような自己相対視」。「自分」と「対象」との「彼我の差」や、それへの接近や背進のダイナミックな往復運動といったものが感じられない、「上澄み液だけを掬ってみました」といったノリが、気にさわるのであった……(笑)。


 本作もその程度の好事家留まりの作品だったら「大いにケナしてやろう」と手ぐすね引いて待っていたところなのだ。


 ……が、しかし、土下座して謝まろうと思いました(笑)。


 「知っています」「押えています」といった、「固有名詞」を列挙する程度のインテリオタの言説であれば、往々にしてスルーをしている、フィジカル(肉体的・物理的)な手ざわりや肌ざわり。ナンパして、モーションをかけたり、手にふれて眼で殺したり、好ましい相手だと思ってもお高く止まってみせたり、相手を値踏みして試してみせたり……。


 純愛であるのか遊んでいるのか遊ばれているのか、真剣勝負の果ての一瞬の気の緩みで隙が生じたことによって、男女の心が通じた場合には、ニワトリが先かタマゴが先であったのか? 色事のあわいにある「虚実皮膜」のようなグレーゾーン。


 もちろん、平安貴族たちの全員が、後代の人間たちとは異なり、皆が性的にお盛んだったワケでもない。一穴主義者もいれば、S男に懸命に尽くしつづける癒し系のM女などもいるのだ――往年の深夜アニメ『ヤミと帽子と本の旅人』でも、S男の少年とM女の少女とでの似たようなエピソードがあったことをも思い出したり――。


 恋にサメている女もいれば(清少納言)、恋には縁がないのに色恋物語を書いてる御仁などもいる(紫式部)。


 民衆風俗の「歌垣」などにもふれている――『∀(ターンエー))ガンダム』(99年)の#1における「成人式」の元ネタでもある。年に1回、若い男女が相手を選んで一晩中……といったアレである――。


 といったようなことを、色恋ドロドロの修羅場などでは描かずに、「王朝ロマンス」のオブラートで包んで、『超訳』の看板を掲げていれば許されてくる「ナンちゃって展開」や、笑えるギャグで観やすく仕上げるこの手腕!


 平安王朝期の女性たちに、ホントウに本作のような現代人女性の「実存」にも通じるような問題があったのかについては、「解釈」や「線引き」の仕方次第でドーとでも云える相対的なことでもある。


 しかし、1970年代・乙女チック漫画も遠くなりにけり。ロボットアニメ『マクロスF(フロンティア)』(08年)においても、「妹系の歌姫」より「姉御系の歌姫」の方がオタク女子には人気があった当今、そういった色恋要素に大胆にも踏み込んで、平安時代の彼女らをお文化的なものにも関心があるような視聴者たちにも身近に感じさせたことが、本作最大の成果であろう。


●好ましい異性に嫁いで家庭に入るより、自己の知性&才気(&美貌)をいかして世渡りし、自分の能力を試してみたいような女性。


●しかるに、ゲスト出演も含めて3話に渡って登場した彼女の盛りを過ぎた時期の迷いと不安。


●家庭に入って子供にも恵まれる、オルタナティブなありえたかもしれない人並みの人生。


●そちらの方が幸せだったかもしれないけれども、「枯淡の境地」を歌にして、人の心に残せる我らは、それほど淋しくはないのかも……と、双方ともに壮年に達した、歌人仲間のプレイボーイ・在原業平(ありわら の なりひら)&ダジャレ技巧派・文屋康秀(ふんや の やすひで)の両者に慰められている女流歌人・小野小町(おの の こまち)らの図に、オッサンの筆者もあぁ涙が止まらない。


――まぁ、我々アマチュア同人屋のオタク感想文ごときなどは、1000年どころか、自分の死と同時に消えちゃうのだろうけどナ!(笑)――


 恋にサバサバとした「仕事第一主義」同士だからこそ芽生えた、お互いに対するちょっとした好感。


 それにも関わらず、才媛・清少納言が忠勤している中宮(皇后)・定子を退けて、中宮・彰子の擁立に動かざるをえなかったクールな藤原行成(ふじわら の ゆきなり)の、お互いに恨みっこはナシでも、結ばれえない結末。


 内向的な自分とは真逆な性格であるお転婆ムスメの親友との「百合」的な交流。彼女は不本意にも結婚したけど、旦那の浮気に失意の日々を送っていると知る。そんな不遇な彼女らのいっときの平安や慰謝のためにこそ、物語をつづってみせるのだ! とあらためての決意をしてみせた、彰子のサロンに仕えている紫式部。


 コレらの現代的なアレンジに、不覚にも幾度か落涙。



 紫式部といえば、彼女が活躍した西暦1000年代の約10年ほど前、990年代の流行作家・清少納言に対する、その理由は不明瞭であっても何かレッテルを貼って悦に入っている、今で云う「清少納言はオワコン(終わったコンテンツ)」発言である。


 それらから連想して、在原業平や小野小町らのジャンルの草創期の西暦800年代の草莽の趣味人であった「六歌仙」を、ホメているフリをしてケナしてもいたジャンル確立後の西暦900年代初頭の勅撰『古今和歌集』の紀貫之(き の つらゆき)による序文なども思い出すのだ。


 後者についての言及は、本作でも存在していたけれども、コレらを「見苦しい」と取るのか、そういった小さな愚行も含めての「その稚気(ちき)は愛すべし」だとしての、「人間賛歌」だとして捉えるのか?


 前代の同業の有名人がうっとうしくてケナしたくもなってしまうといった心理。心がおキレイな皆さまにはわからないかもしれないけれども、筆者には身に覚えがありすぎるので(爆~露骨に表明こそしないけれども)、そういった彼らの愚行(?)もキライではないのであった(笑)。


 今でいう霞ヶ関に出仕した国家公務員キャリアどもが、職場で歌合戦をしてるだなんてノンキだよナ! 相対的には平和な時代であったとはいえ、関東一円を独立国にしてみせた平将門(たいら の まさかど)の反乱とか、西暦900年代にも大事件がなかったワケではないだろう! などといったツッコミも可能ではある。しかし、もちろん焦点がボヤケてしまうので、本作においては、そこいらはスルーをしても問題はナシなのだ。


 平安期の歌人らを軽妙ながらも、実に人間クサくて、時にお耽美にも描いた本作。個人的には2012年のアニメのベスト1なのである。
超訳百人一首 うた恋い。 三(通常版) [DVD]
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(了)
(初出・オールジャンル同人誌『SHOUT!』VOL.57(12年12月30日発行))


『光る君へ』 西暦990~1000年代の20年間が中心(平安時代・中期)

(2024年・NHK大河ドラマ)
(2024年8月4日・脱稿)


 歴史上の有名人・紫式部(むらさき・しきぶ)と、平安時代の摂関政治のトップに登り詰めた藤原道長(ふじわら の みちなが)が主人公。


 同時代ではなく数百年後(笑)の室町時代の系図史料『尊卑分脈』では、紫式部は道長の「妾(めかけ)」だったとの記述に依拠したのか、この両者を相思相愛ながらも身分違いゆえに結ばれなかった純愛関係に仕立ててもいる。


 そして、1年をかけた群像劇でもあるゆえに、この両者を起点に、社会の上層~底辺の人々までをも描くことで、平安時代中期を全的に描こうといったところだろう。


●1000年前の90年代こと、990年代の名著『枕草子』の清少納言!
●1000年前の00年代こと、1000年代の名著『源氏物語』の紫式部!


●清少納言(せい・しょうなごん)の方は、中宮(ちゅうぐう=皇后)の定子(ていし=さだこ)に仕えている。
●紫式部の方は、中宮・彰子(しょうし=あきこ)の方に仕えていた。


●定子は、平安貴族トップの長男・藤原道隆の娘。
●彰子は、トップの末弟・藤原道長の娘。


 両者ともに同時に一条天皇の后として並び立つといった、見事なシンメトリー・左右対称の構図になっていた!


 双方ともに、別個の文化サロンも作っている。しかし、彼女らはノンキに遊んでいたワケではない。皇后の取次・秘書・家庭教師・実務・陳情受付をする身でもある。現代における、霞ヶ関の官僚、(東京駅の南口の)丸ノ内のビジネス街の総合商社のOLといった位置付けでもある。


 彰子のサロンには紫式部以外にも、多数の男性と浮き名を流したプレイガール・和泉式部(いずみ・しきぶ)、この時代を物語化した『栄花物語』を著したともいわれる良妻賢母タイプの赤染衛門(あかぞめ・えもん)等々の女性文化人が大結集!


 ……といったことは、子供のころには知らなかった(笑)。


 戦国時代や幕末・維新などは外形的にもその変遷が分かりやすい。しかし、宮廷内での権謀術数なぞはまだ理解ができなかったし、色恋の相聞歌などについても男児には関心がなかったからでもあろう。


 紫式部は自身の日記『紫式部日記』で、「小賢しい文章で、学問も半可通! いずれ没落する!」(爆)などと清少納言をコキおろしている。それゆえに、「清少納言はネアカで、紫式部はネクラなのだ」といった説なども、高校や予備校の授業などでは聞いてもいた。


 しかし、この時分でも少々の関心は惹起されても、まだあまり関心を持ってはいなかったものだ(汗)。しかし、成人以降、そういった俗事が「芸能ワイドショー」的に面白くもなってきた。「日記になど記さずに、オトナの態度で黙って墓場まで持っていけばイイのに……」などとは思うものの、個人のちょっとした好悪・嫉妬・ツンデレ程度の愚かさであれば、半分は笑ってしまって、それをも含めての「人間賛歌」として愛おしくも許せてきたりもする。殺人・強盗・強姦などは絶対にダメだけれども、「小さな悪」や「消極的な悪」程度の許容であれば、凡人にとっての救済にも思えてくるのだ。


 とはいえ、


●陰陽師・安倍晴明(おんみょうじ・あべ の せいめい)
●教科書にも掲載されてきた歌人・藤原公任(ふじわら の きんとう)
●筆の名手の「三蹟」のひとり・藤原行成(ふじわら の ゆきなり)


 彼らが、道長とも同年代の友人かつ同僚。


●藤原氏の陰謀で、ダマされて出家させられる花山(かざん)前天皇。
●その護衛(逃走防止)が、「大江山の鬼」こと「酒呑童子(しゅてん・どうじ)」を退治した源頼光(みなもと の らいこう)――その配下には坂田金時(さかた の きんとき)ことマサカリかついだ金太郎がいる!――。
●道長のパパの妾がまた、パパが来ない悲嘆、浮気への嫉妬を記した『蜻蛉日記(かげろう・にっき)』の作者!


 筆者もまた彼ら皆がこの時代の人間であったとは知らなかった程度の「歴史ヌルオタ」ではあるので、エラそうなことを語る資格はないのだが。


 貴族なぞは庶民からの搾取(さくしゅ)で成り立っていると云ってしまえばそれまでだ。しかし、それは日本にかぎった話ではない。


 加えて、色恋ばかりの『源氏物語』なぞは退廃的だといった批判にも一理ある。けれど、旧日本軍の軍人も江戸期の儒学者もその同じ理屈で同作を批判してきたのだ。だから、そんな御仁は左翼リベラルを自称はしていても、メンタル面では彼らとも実は同じなのである。決してリベラルなどではないのだ。自称や主観ほどアテにならないものはない。そのヒトの評価は、他人や歴史が客観的に決めるのだ(笑)。


 とはいえ、当の儒学者・軍学者の山鹿素行(やまが・そこう)も、若いころには『源氏物語』ファンであったそうだ。よって、ヒトによっては文弱で軟弱な自分それ自身を変えたいからこその、あえての「逆張り」の態度や言動などでの『源氏物語』の批判などもありそうなのだが(笑)。


●毒殺されかかる円融前々天皇
●即位式の玉座の中で女官とHしてしまった花山前天皇。
●同じく即位式の玉座に血染めの生首が置かれていた一条天皇。


 史実や説話に由来する話だが、天皇の権力基盤がいかに弱かったことか。いかに単なるお飾り・象徴(汗)であったことか。「天皇制の美化」や「強化」からは程遠いのだ(笑)。



 清少納言と紫式部を「陽キャ(明るいキャラ)」と「陰キャ(暗いキャラ)」の2極とする、従来説もまた安直だったのやもしれない。


 本作の紫式部は、特に陰気でもない。甘ったるさも快活さもありつつ、アーパーでもなく外ヅラとは異なる「内面」(他者に遠慮して本心を隠すような少々陰気な「自我」)をも感じさせてくれるのだ――脚本でなく、主演女優の人となり・たたずまいも大きいとは思うが――。


 対するに、清少納言の方も、当初はその才気煥発さが自信過剰の軽率さにも至っており、史実でもこうであったような気もしてくる。


 末弟ゆえに出世するハズがなかった淡泊な藤原道長は、この2020年代前半のコロナ禍を想起させるような疫病の大流行で、公卿の半数以上が、兄も死んだことでの奇遇で政権トップにもおさまる。
 しかして、彼はのちの紫式部と偶然に再会したり、密会に及んだり、廃屋でキスを重ねたりといったあたりもまた、いわゆる「胸キュン感情」を喚起してくるのであった。


 青年貴族たちが女性貴族たちを「品定め」したり、女官たちがイヤがらせに少女マンガ的に「画鋲」をまいたりといった描写も実に面白かったものだが……。『源氏物語』にある描写の引用・オマージュでもあったのだとか! ナンだってェ~!!


 個人的には、歴史ウンチクも無関係に純粋に面白いと思う。しかし、本作にかぎらず、このテの作品鑑賞はたしかに予備知識に助けられている可能性は高い。本作にかぎった話ではないのだが、レギュラーキャラクターでも、各話で初登場時には人物名や役職名を、「除目」(じもく。人事発令)・「北の方」(かた。正妻)といった古語にも、音声・セリフだけで済まさずにテロップを入れるといった処置は必要だとも思うのであった。
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(了)
(初出・オールジャンル同人誌『SHOUT!』VOL.89(24年8月8日発行))


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スーパー戦隊シリーズ終了! 果たして「戦隊」を「終了」「休止」にしてもよかったのか!? ゴジラ・ウルトラのごとく、90年代末期以降の長期中断はアダになる!?

(2026年2月8日(日)UP)
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 栄光の「スーパー戦隊シリーズ」が終了! との報にカコつけて……。『スーパー戦隊シリーズ終了」についての動議をアップ!


『スーパー戦隊』シリーズ終了! 果たして「戦隊」を「終了」「休止」にしてもよかったのか!? ゴジラ・ウルトラのごとく、90年代末期以降の長期中断はアダになる!?

(文・久保達也)
(2025年12月13日・脱稿)

*「終了」「休止」に対する、おおいなる「違和感」!


 2025年10月30日、あの「スーパー戦隊」が『ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー』(25年)を最後に「50年」の歴史に終止符を打つとする「関係者」の証言が共同通信をはじめとする各報道機関によっていっせいに報じられ、戦隊ファンたちには「50年」のメモリアル気分を一気に吹き飛ばしてしまうほどの強い衝撃を与えた。


 それから1ヶ月近く経過した同年11月24日、東映は2017年10月以降、現在に至るまで「スーパー戦隊」が放映されているテレビ朝日系日曜朝9時30分の枠で、2026年度に『超宇宙刑事ギャバン インフィニティ』(26年)を放映すると発表した。その『超宇宙刑事ギャバン』は「赤い」ヒーローが活躍する新シリーズとして企画され、今後放映される作品群をクロスオーバーさせて多面的な展開をしていくとする『超次元英雄譚(たん) プロジェクトR.E.D.(レッド)』の第1弾とされている。


 さらに、同年11月30日に朝日新聞が有料会員限定記事として配信した『戦隊シリーズを放送終了にした理由 東映役員が明かす背景と次の挑戦』において、東映の上席執行役員・白倉伸一郎氏は記者の質問に対して、以下のように答えている。



――初代戦隊である『秘密戦隊ゴレンジャー』(1975年放送開始)から今年で戦隊は50周年。その記念作であるゴジュウジャーが来年で放送終了になることで、戦隊シリーズは終了してしまうのでしょうか。


 いえ、戦隊シリーズとしては終了とは思っていません。休止です。戦隊の放送枠(テレビ朝日系、日曜朝9時半)は新たなものに変わりますが、戦隊作品そのものはいずれ復活する可能性があります。発表前の10月から「戦隊終了」の報道が出て、ここまで反響があるのは想定外でした。戦隊がここまで愛される存在だったのかと、ありがたい思いです。ただいずれ復活するにしても、10年は間を置いた方がいいと私は考えています。


――その理由は。


 戦隊の限界が見えてきた。そこを打破すべくいろいろな工夫をしてきましたが、50周年という節目も迎え、根本的に考え直さないといけないという場所にきたのは確かです。


(以上、原文のまま)



 「関係者」って誰やねん!? と、「戦隊終了」は「フェイクニュース」とする向きも一部では見られたが、みんなが待っていた公式の発表では、「スーパー戦隊」は「終了」ではなく「いったん休止」とされていた。


 それに対してファンの間では安堵(あんど)の声が広まっているようだが、個人的にはむしろ違和感の方が強くなってしまった。この違和感は、「赤い」宇宙刑事ならギャバンじゃなくて『宇宙刑事シャリバン』(83年)だろ! などという、高齢層のファンなら誰もが入れたであろうツッコミ程度におさまるものではないのだ。


*「15年半」もの「休止」が許された時代!


 これは公式の発表前に、「戦隊終了」が最初に報じられた2025年10月末の時点でも各所で見られたが、「仮面ライダーやウルトラマンだって何度も休止や復活を繰り返して現在までつづいてきたのだから、戦隊もここらでいったん休んで充電してから復活させた方がいい」とする声があまりにも多い。


 だが、かつてなら許された「休止」も、現在では許されなくなっているのではないのか!?


 ウルトラマンシリーズは、『ウルトラマン80(エイティ)』(80年)の放映が終了した1981年3月から『ウルトラマンティガ』(96年)の放映が開始した1996年9月に至るまでの間、実に「15年半」にもわたって新作のテレビシリーズが途絶えた時期があった。にもかかわらず、それだけ長期にわたって新作が存在しなくとも「ウルトラマン」の人気や知名度、商品的価値は決して衰退することはなかったのだ。


 この空白期間に「昭和」のウルトラマンシリーズは全国各地で繰り返し再放送されていた。特に関東地区ではTBSが平日の早朝や夕方、夏休み期間の午前中などに積極的に再放送を行い、1990年代前半ごろまでは毎年、必ずシリーズのどれかが再放送される状況がつづいていた。


 そして、この当時は家庭用のビデオデッキが加速度的に一般家庭に普及した時代でもあり、「ウルトラマン」や「仮面ライダー」といった往年のヒーロー作品が続々ビデオソフト化されてレンタル店にも置かれたことで、それらの再放送が少なかった地域でもいつでも手軽に楽しめるようになった。講談社の『テレビマガジン』や小学館の『てれびくん』などの幼年誌もそれらと連動するように各種グラビア記事やコミカライズ作品を掲載し、バンダイからは『ウルトラヒーローシリーズ』『ウルトラ怪獣シリーズ』と称したソフビ人形をはじめとして、各種メカの合金玩具や防衛隊員の銃装備に至るまで、多岐にわたる玩具が継続して発売された。


 また、テレビシリーズの新作はなくとも、映画『ウルトラマンZOFFY(ゾフィー) ウルトラの戦士VS(ブイエス)大怪獣軍団』(84年・松竹)や映画『ウルトラマン物語(ストーリー)』(84年・松竹)、アニメ映画『ウルトラマンUSA(ユー・エス・エー)』(89年・東宝)に映画『ウルトラマンゼアス』(96年・松竹)などの劇場作品も、不定期ではあるが公開されていた。さらに、海外との合作『ウルトラマンG(グレート)』(90年・バンダイビジュアル)や『ウルトラマンパワード』(93年・バンダイビジュアル)がオリジナルビデオシリーズとしてリリースされ、これらは1995年に関東ローカルではあったが地上波で放映もされたのだ。


 たとえテレビシリーズの新作はなくとも「15年半」もの間、ウルトラマンは決して露出を絶やすことなく、世間では常に身近に存在していた。だからこそ、現在では中年層近くに成長しているであろうが、この当時にあらたなウルトラファンとなった人々が意外に多いのである。


 問題はむしろ、「昭和」から「平成」にかけて生じた空白よりも、「平成」以降に生じた空白の方なのだ。


*たった「数年」の「休止」が、命とりになる!


 先述した『ウルトラマンティガ』につづいて、『ウルトラマンダイナ』(97年)に『ウルトラマンガイア』(98年)と、「平成」に入って復活したウルトラマンは3年連続で放映されたあと、『ウルトラマンコスモス』(01年)の放映開始までに2年弱のブランクが生じた。そして、この期間にウルトラマンの存在を決定的に揺(ゆ)るがせてしまう大きな出来事があった。


 「ウルトラマン」と同様に、『仮面ライダーBLACK RX(ブラック・アールエックス)』(88年)の放映が終了した1989年9月から、実に「10年4ヶ月」にもわたって新作のテレビシリーズが途絶えていた「仮面ライダー」が、2000年1月30日に『仮面ライダークウガ』(00年)で完全復活を果たしたことだ。
 従来にはなかったハードでアダルトな作風で多くの大人たちのファンを獲得した『クウガ』につづき、『仮面ライダーアギト』(01年)は若い女性たちのみならず、メインターゲットの子供たちの母親層をもとりこにすることで「イケメンヒーローブーム」を巻き起こした。


 これらに対し、「怪獣保護」をテーマにした比較的ヌルい作風だった『コスモス』は劣勢となり、放映は1年半の長期となったものの、次作の『ウルトラマンネクサス』(04年)の放映開始までにまたしても2年間の空白が生じてしまった。
 そのあいだにも、『仮面ライダー龍騎(りゅうき)』(02年)に『仮面ライダー555(ファイズ)』(03年)と、「仮面ライダー」が快進撃をつづけたことで、「ウルトラマン」の影はすっかり薄くなってしまった。


 「平成」仮面ライダーのうわべだけをなぞって、平成ライダーには存在していたヒーロー単独での強さや、明るい映像に、女性層にも受けそうなオシャレなスポットなどを主人公たちの溜まり場・ホームベースにしてみせるような点などには無頓着な作品であった『ネクサス』が、視聴率的にも玩具の売り上げ的にも大惨敗となる以前のこの時期に、現在へと至る「ウルトラマン」の商品的価値の凋落(ちょうらく)はすでにはじまっていたと解釈した方がよいのかもしれない。


 『ネクサス』で再び復活した「ウルトラマン」は、『ウルトラマンマックス』(05年)、『ウルトラマンメビウス』(06年)と2年半のあいだに連続で放映されたあと、『新ウルトラマン列伝』(13年)の枠でわずか全11話が放映された『ウルトラマンギンガ』(13年)に至るまでのあいだ、新作のテレビ放映は「6年3ヶ月」にもわたって「休止」となってしまった。


 『ウルトラマン80』と『ウルトラマンティガ』の間に生じた「15年半」に比べれば半分にも満たない期間ではあるが、まさにこの「休止」こそがウルトラマンにトドメを刺したといっても過言ではないのかもしれない。


 『メビウス』と入れ違いで放映され、「愉快なキャラクター」たちによる「コミカルな作風」と「ハートウォーミングな物語」を見事に両立させて、子供にも大人にも大人気だった『仮面ライダー電王』(07年)。
 「平成」ライダー「10周年」でありながら、最終的には「平成」のみならず「昭和」のライダーたちをもコラボさせたことで、往年の世代をも熱狂させた『仮面ライダーディケイド』(09年)。


 往年の名作ドラマ『探偵物語』(79年・東映芸能ビデオ 日本テレビ)を彷彿(ほうふつ)とさせるハードボイルドならぬソフトボイルド(笑)な作風ながらも、玩具を売るための作劇も両立させつつ、実にカッコもよかった『仮面ライダーW(ダブル)』(09年)……


 「仮面ライダー」の勢いがとどまるところを知らない一方、当時の「ウルトラマン」は年に一度の割合で「劇場版」を公開するのにとどまっていた。


 映画『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE(ザ・ムービー)』(09年・ワーナー)では、昭和ウルトラマンたちの故郷・M78星雲のウルトラマンたちが大集合! 100体もの大怪獣軍団との決闘! 日本でもすでにレンタルビデオやCS放送などで放映されていた『パワーレンジャー』シリーズ(92年~)で、監督兼プロデューサーかつシリーズ構成職としても活躍していたことが知られていた、スーツアクターやアクション監督上がりでもあった坂本浩一監督の国内での初監督作品といった話題性もあってか、そこそこのヒットを記録した。


 だが、その『ウルトラ銀河伝説』にて、ウルトラセブンの息子として華々(はなばな)しくデビューしたハズのウルトラマンゼロを主役とした映画『ウルトラマンゼロ THE MOVIE 超決戦! ベリアル銀河帝国』(10年・松竹)は内容的にはおもしろかったものの、興行的には大惨敗となってしまっていた。
 筆者が観た静岡市の劇場では、公開初日の初回上映の客がたったの数十人しかいなかった(!)ことをいまだに鮮明に記憶しているが、前作『ウルトラ銀河伝説』から『ゼロ THE MOVIE』までに生じたわずか「1年」のあいだに、新作映画をバックアップするには必須であったハズの新作テレビシリーズや総集編番組などのシリーズを「休止」していたことが、その惨状を招いてしまったのだ。


 『ギンガ』以降、最新作の『ウルトラマンオメガ』(25年)に至るまで毎年、再編集番組を半年間はさむかたちではあったものの、「ウルトラマン」は「ニュージェネレーションウルトラマンシリーズ」として、「12年間」にもわたって放映を継続できてはいる。だが、その『オメガ』にもアシスタントプロデューサーとして撮影現場などにも参加していたものの、心身症で途中離脱したという話題でも知られた某氏は、2025年5月16日に自身の個人ブログに以下のように記していた。



「なまじ一般企業にいると、ニュージェネ作品群の知名度の無さに驚かされます。


 まだウルトラマンってテレビで放送してんの? 何チャンネルでやってんの? というレベル。


 確実に(パチンコ企業の)フィールズの傘下(さんか)に入った時点が分岐点(ぶんきてん)だったのかなとは思いますが、もう過去の勢いは完全に鳴りを潜めているのが現状でした。活気があまりない感じ」



 かつては、「15年半」も「休止」していたというのに、みんなが「ウルトラマン」を知っていたのに、今では「12年半」も放映しているのに「ウルトラマン」を知らない人々が多く存在する。


 そんな時代に「スーパー戦隊」を「10年以上」も「休止」させれば、将来的には誰も「戦隊」を知らなくなるのが必然ではないのか? ましてや『超次元英雄譚 プロジェクトR.E.D.』とやらが大人気となったのなら、それこそ「スーパー戦隊」は復活のしようがないのではあるまいか?


 ところで、先述した白倉氏のスーパー戦隊は「10年は間を置いた方がいい」なる発言における「10年」には、ふたつの意味があると考える。氏ほどの人物が何の根拠もなしに「10年」なる数字を提示するハズがないのだ。


 まず、1965年8月3日生まれの白倉氏は2025年12月現在で60歳であり、ひと昔前の一般企業であればすでに定年退職してもおかしくない年齢に達している。10年後の2035年には氏は70歳に達する。それでもまだ東映に籍は置いているかもしれないが、第一線からはすでに退(しりぞ)いている可能性がきわめて高いだろう。まぁ、そのあとは後進世代が自由にすればいいということなのだろう。


 そして、もうひとつは、「10年」も「休止」すれば、「時代の空気」も「スタッフの世代」も変わってしまって、必然的に従来のシリーズとはやや差別化された作品になる、ということである。「平成」仮面ライダーをはじめ、これまで氏が関わってきた長命シリーズの作品群には、意図はせずとも結果的にその「時代の空気」も実に的確に反映されていたことが伝わってくる。そんな白倉氏が語った「10年」には、あまりにも重みを感じずにはいられないのだ。


 しかし、この変化の速い時代で、子供向けの競合コンテンツも多い時代に、そして我々が幼少時にまず真っ先にその目を引きつけられた「キラキラとした光学合成」による「非日常」的な「特撮映像」なども、世間一般のテレビCMやゲームなどでも簡単に観られるようなってしまった今の世においては、「昭和」や「平成」の御世のように「ウルトラマン」や「仮面ライダー」のアドバンテージ(優位性)はゼロではないにしても減ってはおり、一度は卒業しても「懐かしさ」と「新鮮さ」といった矛盾するふたつの要素を両方ともに持って、幾度もの復活を遂げたようなことは、もう不可能なのではあるまいか!?


――むろん、それでも「キラキラ」とした非現実的な「特撮合成映像」や、奇抜で爽快感あふれる身軽でアクロバティックな「アクション」に、幼児の目を引き付けるような「異形の着ぐるみ」や「仮面のキャラクター」に「スーパーメカニック」などを前面に押しだしていくことは、「特撮」ジャンルのアイデンティティーとして、あるいは「子供向け番組」としても絶対の必須の要素ではあるのだけれども――


 たとえば、往時の年長の特撮マニア間では猛烈に酷評されてはいたものの、当時の小学生男児たちからは高い人気を獲得していた『平成ゴジラシリーズ』(89~95年)があった。しかし、『平成ゴジラシリーズ』が休止を迎えて、『ミレニアムゴジラシリーズ』(99~04年)で復活を果たしたものの、その間隙の時期に登場した『ポケットモンスター』(96年)や『遊☆戯☆王』(97年)にすっかり人気を奪われてしまったのだ。そして、子供間での「ゴジラ人気」はついに復活することはなかったのだ。


 映画『シン・ゴジラ』(16年)や映画『ゴジラ -1.0(マイナス・ワン)』(23年)の大ヒットそれ自体は喜ばしいことではある。しかし、あれらの作品は次代の特撮マニア予備軍をも相応のマス(大量・規模)でも産み出してくれるような、良い意味での適度な「B級感」をも伴ったような、子供間にも根付いていくような人気ではなかったのだ。


 そう考えると、今の時代に長命シリーズを休止させてしまうことは、シリーズの充電にはならずに、むしろかえって客商売としてはトドメを刺してしまうような行為なのではないだろうか!?


*ナゼにいまごろ、『宇宙刑事ギャバン』なのか!?


 さて、『プロジェクトR.E.D.』の第1弾として発表された『超宇宙刑事ギャバン インフィニティ』は、のちに「メタルヒーローシリーズ」の第1弾として位置づけられた『宇宙刑事ギャバン』(82年)の要素を継承しつつも、ゼロから世界観を構築した新作となるようだ。


 往年の『宇宙刑事ギャバン』は、かつて捜査中に行方不明となった宇宙刑事ボイサーと日本人女性とのあいだに生まれた混血児で、地球では母親の旧姓を使って一条寺烈(いちじょうじ・れつ)と名乗っていた主人公青年のギャバン=宇宙刑事ギャバンが、銀河連邦警察のコム長官によってボイサーの後任として地球に派遣され、地球征服をたくらむ宇宙犯罪組織マクーと戦う物語だった。


 撮影時に周囲の光景が映りこむほどに全身が銀色に輝くメッキのスーツで造形されたギャバン自体のカッコよさもさることながら、ふだんはコミカルで三枚目的なキャラクターではあるも、マクーとの戦いではアクロバティックにダイナミックなアクションを披露する烈を演じた大葉健二氏の存在が『ギャバン』では実に大きかった。


●クライマックスの必殺技・レーザーブレード
●電子星獣ドルに変型する超次元光速機ドルギラン
●あらゆる次元・空間への突入が可能なサイドカー・サイバリアン
●飛行能力を誇る高次元戦闘車ギャビオン
●小型ドリルタンクのスクーパー


など、さまざまな装備を誇るギャバンだった。しかし、その最大の魅力のひとつはギャバンに「蒸着(じょうちゃく)!」(変身)する前の烈による肉体派アクションだったといっても過言ではない。


 実際、第17話『走る時限爆弾! 白バイに乗った暗殺者』をはじめ、烈を演じる大葉氏のアクションを全編にわたって見せるために逆算して構築された脚本もいくつかあったほどなのだ。「昭和」の特撮ヒーロー作品を知らない若い世代に向けて、実は個人的に最もお勧めしたいと考えるのが、この『宇宙刑事ギャバン』なのである。


 それから時を経た2012年1月21日、この『ギャバン』をはじめとする「宇宙刑事シリーズ」の「30周年」を記念し、スーパー戦隊シリーズ第35作として当時放映されていた『海賊戦隊ゴーカイジャー』(11年)とコラボさせた映画『海賊戦隊ゴーカイジャーVS宇宙刑事ギャバン THE MOVIE』(12年・東映)が公開され、初日と2日目だけで興行収入が約1億6000万円、観客動員数約15万9000人を記録し、興行ランキング初登場第2位の大ヒットとなった。


 当時は『ギャバン』のリアルタイム世代が親となり、『ゴーカイジャー』が好きな子供とともに楽しむには絶好の企画だったからこそ、そこまでのヒットに至ったのだろう。


 同作の好評を受けて製作されたとおぼしき、同年10月20日に単独オリジナル作品として映画『宇宙刑事ギャバン THE MOVIE』(12年・東映)が公開された。ただし、初日から2日間の興行成績は興行収入が約7395万円、観客動員数が約5万9000人と、『海賊戦隊ゴーカイジャーVS宇宙刑事ギャバン』の半分以下の数字にとどまってしまった。


 『ゴーカイジャー』のような現行作品とのコラボで子供をも誘致するのならともかく、かつては大人気だった『ギャバン』ですらも、この当時にすでに単独では客を呼べなくなっていたのだ。


 その後、映画『仮面ライダー×スーパー戦隊×宇宙刑事 スーパーヒーロー大戦Z(たいせん・ゼット)』(13年・東映)を皮切りに、


●オリジナルビデオ作品『宇宙刑事シャリバン NEXT GENERATION(ネクスト・ジェネレーション)』(14年・東映ビデオ)
●オリジナルビデオ作品『宇宙刑事シャイダー NEXT GENERATION』(14年・東映ビデオ)
●映画『スペース・スクワッド ギャバンVSデカレンジャー』(17年・東映)
●映画『宇宙戦隊キュウレンジャーVSスペース・スクワッド』(18年・東映)


など、先述した『ギャバン THE MOVIE』にてコードネームの「ギャバン」を継承した主人公青年・十文字撃(じゅうもんじ・げき)=宇宙刑事ギャバンtypeG(タイプ・ジー)をはじめとする主要キャラらを、「仮面ライダー」や「スーパー戦隊」らとコラボさせた作品群が、何度かの「休止」をはさみつつも監督・坂本浩一と脚本・荒川稔久ほかのコンビで、足かけ5年間にわたって製作されてきた。


 『ギャバン THE MOVIE』の興行不振を教訓として、視聴者の記憶にまだ新しい「スーパー戦隊」作品のその後を描いた続編とカラめるかたちで、若い世代にギャバン・宇宙刑事・メタルヒーローを啓蒙(けいもう)したこれらは、実に意義深い作品群であった。


 ところで、現時点でギャバンが活躍する映像作品としては最後になっている『宇宙戦隊キュウレンジャーVSスペース・スクワッド』の公開は2018年6月30日である。2025年12月の時点で「7年半」もの「休止」が生じている。これは先述した『ウルトラマンメビウス』と『ウルトラマンギンガ』の間に生じた「休止」の「6年3ヶ月」をすでに上回っているのだ。



 ちなみに、『宇宙刑事ギャバン』の放映「40周年」だったハズの2022年度に、東映は続編や新作の放映、イベントなどの展開をほとんど何もしなかった。強(し)いてあげれば東映特撮YouTube Official(ユーチューブ・オフィシャル)でオリジナルの『ギャバン』を全話配信した程度だった。
 「40周年」のメモリアルイヤーですらも、『ギャバン』を世間に啓蒙しようとする動きを見せなかったのに、「戦隊」がダメだからと今になって唐突に『ギャバン』を引っぱりだしてくる節操のなさには閉口せずにはいられないのだ。


 あくまで、原典の『ギャバン』と世界観を共有していた『ギャバン THE MOVIE』や『スペース・スクワッド』などの「続編」として製作するのならともかく、それらからかなりの年月が経過した今、すべてを「リセット」して「ゼロ」から世界観を構築するという『超宇宙刑事ギャバン』に、果たして勝算はあるのだろうか?


 『ギャバン THE MOVIE』が公開された2012年の時点で、残念ながら『ギャバン』は単品ではすでに客が呼べないという厳しい現実が突きつけられているのだ。


 ここ3年ほどの「ウルトラマンシリーズ」を観ても、歴代ウルトラマンシリーズの怪獣たちを何度も再登場させながらも、歴代のウルトラマンたちが一切、客演しなくなってしまったことで、たとえ並行宇宙の関係にはあっても、地続きの世界観になっていた歴代ウルトラシリーズとは完全につながりを隔(へだ)ててしまっている。


 個人的に最も愚(おろ)かだと思えるのは、先述した映画『ウルトラマンゼロ THE MOVIE』にて「多次元宇宙=マルチバース」なる概念を生みだしたことで、その後の新作映画やテレビシリーズでは「昭和ウルトラマン」も「平成ウルトラマン」も「ニュージェネレーションウルトラマン」も、すべてのヒーローが無理なく共演可能となったにもかかわらず、『ウルトラマンブレーザー』(23年)以降はそれを廃してしまって、前作の主人公ウルトラマンとの共演すらも見られなくなってしまったことだ――ブレーザーは次作『アーク』にも客演したが、本物ではなく並行宇宙の別人のブレーザーであったことで、マニア層にも不満を残していた――。


 実際にも『ウルトラマンブレーザー』と『ウルトラマンアーク』(24年)は、それ以前の作品に比べて玩具の売り上げも落ちているのだ!――ちなみに、オタク第1世代などの高齢マニアはともかく、青年層~中年層(爆)間での特撮マニア人気のバロメーターにもなりうる、ネット上の無料動画配信サイト・YouTube上での各話の再生回数も、それまでの作品群に比べると半減しているのだ―― だからこそ、円谷プロも「戦隊終了」を「対岸の火事」として見ている場合ではないのだ。


 「戦隊」に代わる新しい枠が『超次元英雄譚』というのなら、それこそ『スペース・スクワッド』のような東映版『アベンジャーズ』として『超宇宙刑事ギャバン』を製作し、『スペース・スクワッド』のラストシーンで、宇宙の各地でも歴代メタルヒーローや歴代戦隊ヒーローが実は今でも悪と戦っていることが明かされていたように、往年の東映特撮ヒーローたちとの共闘を描くべきではなかろうか!! それこそが、「集団ヒーロー」であった「スーパー戦隊」の代替企画として最もふさわしいのではあるまいか!?


 その『超宇宙刑事ギャバン』が成功したのなら、その後、数年間は「宇宙刑事」をはじめとする「赤い」メタルヒーロー作品がつづくのかもしれない。


 あるいは、往年の「赤」い東映ヒーローとして世代的には真っ先に浮かんでしまう『快傑ズバット』(77年)をリメイクして、原典が視聴率が好調でも玩具が売れなかったから打ち切りとなった二の舞とならないよう、子供にも楽しめる作風にするとか(笑)。
 はたまた、『仮面ライダー響鬼(ヒビキ)』(05年)の当初の企画であった「赤」い『変身忍者 嵐』(72年)のリメイクを実現させ、今や完全に途絶えてしまった「時代劇ヒーロー」を復活させるとか。
 意外な「変化球」としては、『人造人間キカイダー』(72年)のリメイクで、全身が「赤」い「悪魔回路」ばかりの「キカイダー」を当初は悪のヒーローとして登場させ、人間たちとの出会いで「良心回路」がめばえて、次第に身体に「青」い部分が増えていき、第2クールに入るころには全身が「青」の正義のヒーローに生まれ変わるとか(笑)。


 いや、そんなことを年度が代わるたびに試行錯誤するのではなく、最初からそれらの東映の歴代ヒーローやそのリメイクヒーローを順次、小出しに登場させて、「戦隊」に代わる「集団ヒーロー」が登場できる世界観にすればよいのだ! 敵側についても、『スペース・スクワッド』におけるように、往年の「悪の組織」の幹部たちが結集した「連合軍」にすればスケール感の拡大にもつながるだろう。


 そうすれば、例年の夏休みに「仮面ライダー」と二本立てで公開される「劇場版」は、無理なく毎年「大集合系映画」とできるだろう!
――本来は、「ライダー映画」とも合体させて、1本の映画としてスッキリさせてほしいところではある。しかし、双方ともにテレビシリーズを撮影しながら、夏休みの「劇場版」のためだけに、2組の主役メンバーたちのスケジュールを調整することが難しいゆえの処置であることもよくわかるのだが――


*もはや「販促至上主義」を否定している場合ではない!


「『仮面ライダー』が革新路線なのに対して、『スーパー戦隊』は安定路線だと言われていますが、そんな流れに甘んじていると、安定どころか消滅するぞ、みたいな危機感は常に感じています。まだやれることがあるんじゃないか、もっとやれないか、今の作品を作っているプロデューサーには、まだまだ考えることがたくさんあると思います。等身大ヒーローという側面では、仮面ライダーとやっていることは変わらない。ではスーパー戦隊の独自要素は何かと考えると、それは『巨大ロボット』ではないかと。等身大ヒーローと巨大ロボットのハイブリッドこそスーパー戦隊の独自性なのですから、映像技術の面も含めて、いかに魅力的に見せることができるか、を考えてもらいたいんです」
(『スーパー戦隊50周年 東映・白倉伸一郎が見据(す)える未来 「ゴジュウジャー」に期待する“歴代戦隊の再定義”』シネマトゥディ 2025年3月30日配信記事・原文のまま表記)



 「昭和」の『バトルフィーバーJ(ジェイ)』(79年)以降、バンダイ(当時はポピー)は50年近くにもわたって、一貫して合体巨大ロボの合金玩具を「スーパー戦隊」の最大主力商品として発売しつづけてきた。


 「スーパー戦隊」を海外向けに翻案(ほんあん)した『パワーレンジャー』シリーズ(93年~)の玩具の版権が、バンダイ・アメリカから別の会社に取られてしまったことは当然、大きい。しかし、日本国内においても、「戦隊」の玩具が売れなくなってきたのは、「巨大ロボット」が売れなくなったということである。白倉氏が云うところの「スーパー戦隊の独自性」が、残念ながら世間や子供たちには受け入れられない時代になってしまったということなのだ。


 『獣電戦隊キョウリュウジャー』(13年)が玩具の売り上げで「戦隊」史上最高額を記録したということは、それからわずか10年ほどのあいだに「スーパー戦隊の独自性」のメソッド(手法)が次第に通用しなくなっていったのだろう。


 ちょうどその当時に再度の復活を果たした「ウルトラマン」も、「防衛組織」の「メカ玩具」が売れなくなったがために、ある意味では立派な「ウルトラマンの独自性」だったハズの「防衛組織」を近年では廃してしまっている。まぁ、「防衛組織」を出したらレギュラーの登場人物が増えてギャラが大変だとか、「防衛組織」の司令室のセットのためだけに映画会社の撮影スタジオを半年間もレンタルして、本編美術班が内装をつくって飾りつけもするので、そこで大きな予算がかかってしまう、といった理由も大きいのだろうけど(苦笑)。


 「スーパー戦隊の独自性」=「巨大ロボット」は、若者や子供間での「モービル(自動車などの乗りもの)幻想への減退」などとも連動していたのであろう。「巨大ロボット」の玩具がかなり高額であるとか、「巨大ロボット」への合体機構が幼児がパターン認識するには複雑になりすぎてきている、といったこともあるのだろう。少なくとも、2010年代後半以降には急速に売れなくなっていったようなのだ。



 いまさらになるのだけれど、たとえば「巨大ロボット」を登場させずに、戦隊ヒーロー&ヒロインが等身大のままで強化形態となって巨大怪人と戦うとか。あるいは、それこそ『ウルトラマンオメガ』の「メテオカイジュウ」や『星獣戦隊ギンガマン』(98年)の「星獣」たちのように着ぐるみの「味方の巨大怪獣」を戦わせたり、その「巨大怪獣」の能力や武器で戦隊ヒーロー&ヒロインがパワーアップするとか。過去のシリーズにも前例はあるものの、『忍者戦隊カクレンジャー』(94年)や『魔法戦隊マジレンジャー』(05年)のように戦隊ヒーロー自身が「メカロボ型の巨大戦士」に「2段変身」するとか。はたまた、5人の戦隊ヒーロー&ヒロインが合体して巨大ヒーローになるとか。


 同じ「構造改革」をするのなら、奇をてらった「設定」や「世界観」にするよりも、そういった「変身」や「怪獣」などの延長線上で「スーパー戦隊の独自性」を打ち出すべきではなかったか? いや、それらを今後の新作の「独自性」にすればよいであろう。



 しかし、筆者個人は中年と化しても、「戦隊」の合体巨大ロボがいまだに大好きである。ただ、00年代末期以降の「仮面ライダー」作品を観ていると、敵の等身大の怪人以外に、月に1回くらい(笑)、あるいは主にシリーズの序盤や主要な回などで時折りに、伏線もなく唐突に登場してくる巨大モンスターを、ライダーが「合体ロボット」も使わずに等身大のままで倒してしまう描写があるのだ!


●合体ロボットで巨大怪人と戦うスーパー戦隊。
●巨大な姿になって巨大怪獣と戦うウルトラマン。


 子供の目線でこれらを見比べたら、最も強そうに見えるヒーローは誰か? と考えれば断然、「仮面ライダー」に軍配があがるだろう。「ライダーひとり勝ち」の理由は、案外そんなところにもあるのかもしれない。



 先述したように、原典『宇宙刑事ギャバン』にはギャバンをサポートするカッコいいスーパーメカが多数登場していた。だが、「ウルトラマン」の「防衛メカ」や「スーパー戦隊」の「合体ロボ」が売れない時代に、『超宇宙刑事ギャバン』にそれらを登場させても売れないであろう。まぁ、「電子星獣ドル」だけは今でもウケるかもしれないけど。


 「ひとり勝ち」の「仮面ライダー」のバンダイの主力商品は、なんといっても「変身ベルト」をはじめとする「なりきり玩具」である。しかし、原典の『ギャバン』の変身は「蒸着!」と叫ぶのみであり、そもそも「変身アイテム」は存在しなかった。「ゼロ」から世界観を構築するようなので当然、今回の『ギャバン』には「変身アイテム」も用意されるのだろうけど、「各種メカ」や「巨大ロボ」も出せないような状況では、それだけではいささか心許(もと)ない。


 だからこそ、先述したように『超次元英雄譚』は最初から複数の「赤」いヒーローの共演ものとして製作し、それこそを「独自性」として強く打ち出すべきだと考えるのだ。


 製作費を回収できるだけの「売り上げ」が稼げなくなったがために、「スーパー戦隊」が実質的な「終了」に追いこまれるに至ったあまりに厳しすぎる現実は、「玩具の販促」なぞよりも「大人の鑑賞に耐えるドラマやテーマこそが第一」などといまだに主張している人々には、言葉は悪いがいいクスリになったことであろう。


 あんなにも楽しかった、おもしろかった「スーパー戦隊」を打ち切ってまで、『超次元英雄譚』などをやる以上は、この路線もまた「終了」「休止」に追いこまれたら「戦隊」も浮かばれまい。


 特撮ヒーロー番組の製作は、あくまで「ビジネス」である。それを抜きにして「特撮」を語るのは、もはや論外というべきだろう。

2025.12.13.


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2025年12月号』(25年12月30日発行)所収『スーパー戦隊・休止』評より抜粋)


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1000T-564 スーパー戦隊50周年
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スーパー戦隊・終了を論じる! 「戦隊」を「休止」にしてよかったのか!? ゴジラ・ウルトラのごとく90年代末期以降の長期中断はアダになる!?
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