『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』(15年) ~ニュータイプやレビル将軍も相対化! 安彦良和の枯淡の境地!
『機動戦士ガンダムNT』(18年) ~時が見え、死者と交流、隕石落下を防ぎ、保守的家族像を賞揚の果てに消失したニュータイプ論を改めて辻褄合わせ!
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『機動戦士ガンダム』シリーズ評 ~全記事見出し一覧
[アニメ] ~全記事見出し一覧
2025年度に(?)、日本テレビ系列にて放映予定のロボットアニメ『機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ガンダム・ジークアクス)』。TV放映に先駆けて、そのシリーズ序盤が『機動戦士Gundam GQuuuuuuX -Beginning-』と銘打って、2025年1月17日(金)から劇場にて先行公開記念!
そろそろネタバレのレビューを公表してもイイであろう!? とカコつけて……。『機動戦士ガンダム ジークアクス ―ビギニング―』評をアップ!
『機動戦士ガンダム ジークアクス ―ビギニング―』 ~初作の分岐並行宇宙! 異なる歴史! 時が見えて時空も超えられるニュータイプ!? 宇宙世紀0085年である意味とは!?
(文・T.SATO)
(2025年1月25日執筆)
個人的にはシンプルにスナオに面白い! 楽しめる! とは思った。
「話運び」なり「間」とか「テンポ」などがたどたどしい……、拙(つたな)い……、といった低い次元で、引っかかるようなことはさらさらなくって、ナチュラルにスンナリとは観られた。
冒頭シーンからあそこまで、原典「ファーストガンダム」こと巨大ロボットアニメの金字塔『機動戦士ガンダム』初作(79年)の冒頭シーンでもある、作品の世界観の説明……
「宇宙世紀0079(ダブルオー・セブンティナイン)……。人類が、増えすぎた人口を宇宙に移民させるようになって、すでに半世紀……。地球から最も遠い宇宙都市・サイド3(スリー)はジオン公国を名乗り、地球連邦政府に独立戦争を挑んできた……」
といった、ナレーションもろともに――故人となってしまったので声優は異なってはいるものの――、ストレートにリメイク……。
というか、トレース・まる写しにして、数キロメートルサイズでの超巨大な円筒型で銀色金属な人工物たる「宇宙コロニー」群やその内壁でもある街並み……、そして「スペースコロニー」それ自体を地球の表面に落下・激突させて、都市近辺にて超巨大爆発を起こさせてしまうカタストロフ(破局)映像までをもディテール・アップしたかたちで、忠実に再現してしまうとまでは思いもよらなんだ……ではあったものの……。
もちろん、スマホ・タブレット・パソコンなどでブラウザを開けば、封切り前後から「アナタにオススメです」的に本作『機動戦士ガンダム ジークアクス』に関する記事が浮上してきてはいた。しかし、ネタバレを回避するために、その該当の記事は実際には読んではこないできた。
けれども、その記事の「タイトル」だけでも、事前に本作はかの「ファーストガンダム」とも同一の世界観での物語ではあるらしい……、もしくは、SF用語でいうところのパラレルワールド・並行宇宙の関係性でもあるらしい……といった予備知識は入ってきてしまってもいた。
しかし、冒頭のシーンからして、そういった要素をモロ出しの、「前面」にどころか「全面」にまで押し出してくるような作品でもあったとは!(笑)
「ガンダム大地に立つ!!」 ~サイド7、ジーン・スレンダー・デニム! ガンダムvs赤い彗星の戦い!
もちろん新規作画ではあって、各種の敵味方の巨大ロボットのメカデザインも、もう幾度目になるのかは忘れてしまったけれども(笑)、現代風にディテールアップはされている。しかし、最初の10数分(?)は「ファーストガンダム」#1の前半こと「Aパート」を、ほぼそのままにトレースしていくのだ。
一応の敵勢力こと、地球から最も遠い「宇宙コロニー」こと「サイド3」に巣くっており、地球連邦政府に対しての独立戦争を仕掛けてきた「ジオン公国」の主力ヒト型巨大ロボット兵器こと「ザク」が、宇宙空間を飛行するシーンから本編も開幕する!
目許を仮面で隠した美形の青年将校・シャア少佐専用の赤いザクと、黄緑色の量産型ザク数機とが、初作序盤の舞台ともなる宇宙コロニー「サイド7(セブン)」に潜入してくるサマが描かれる!
もちろん、シャア少佐をはじめとして、若手声優陣に変更はされている。しかし、ジオンの量産型ザクに搭乗する兵士たちは、ガンオタ(ガンダム・オタク)の皆さんはもとより、特にガンダム・オタクではなくても「ファーストガンダム」世代のオジサンたちであれば、相応数がその名前&ルックスも記憶に濃厚に残っているであろう、ジーン伍長・デニム曹長・スレンダー軍曹でもあったのだ!
しかして、サイド7にて秘密裏に開発されていた、地球連邦軍の最新鋭・巨大ロボットこと、その型番はRX-78でもあったガンダムの機体を、このシャア専用ザクが率いるザク部隊による潜入部隊が発見したところから、様相が変わってくるのであった……。
ガンダムに搭乗するのは、「ファーストガンダム」の主人公少年ことアムロではないのだ! ガンダムに搭乗したアムロ少年の終生のライバルともなる、仮面のイケメン悪役ことシャア少佐が本作では、偶然に発見したガンダムの機体に搭乗してしまうのだ!
そのコクピットの電光パネル群を見て、原典「ファースト」ではナイーブな主人公・アムロ少年が発していた、
「5倍以上のエネルギーゲインがある!」
などのセリフとともに、ガンダムの操縦を始めて、原典の#1のサブタイトルよろしく、あの印象的な勇ましいBGMやメカの駆動音が鳴り出して、大型トレーラーに横たわっていた「ガンダム大地に立つ!!」のシチュエーションを再現してしまうのでもあった!(爆)
……そもそも、「ファーストガンダム」の#1においては、シャア少佐はサイド7内への潜入工作に、みずからシャア専用ザクを用いて赴いてはいなかった。そこからして、パラレルワールドと化してはいたのだ。
しかし……。「ガンダムだけがお友だち……」といった人生は送ってはいないので(笑)、そこは正直に云って観賞当時は気付けてはいなかった。あとで思い返してみて、気付いた次第ではあったけど……。
かの赤い機体のシャア専用ザクをサイド7内には放置することにはなってはしまっても、地球連邦軍の最新鋭巨大ロボット・ガンダムを強奪させることを優先させるシャア少佐! 続けて、このガンダムを搭載・格納するべき地球連邦軍の宇宙戦艦・ホワイトベース――劇中では「ペガサス」と呼称――が停泊している、サイド7内の宇宙港をも襲撃して、しかもその艦橋の内部をも攻撃してしまう!
「ファーストガンダム」の序盤数話にだけ登場していた、ホワイトベースの初代の壮年艦長こと、基本的には「いいヒト」でもあったパオロ艦長は、本作でもセリフは与えられてはいる。しかし、ここで早くも退場してしまうのでもあった……(汗)。
続けて、「ファーストガンダム」の#2に相当させるかたちで、宇宙空間にてガンダムvsシャア専用ザク! ……ではなくって、「シャア少佐が操縦するガンダム」vs地球連邦軍の初期型ガンダムこと「01(ゼロひと)ガンダム」との戦いも描かれる!
そのバトルもまた、往年のガンダムvsシャア専用ザクのバトルを、その印象的な戦闘BGMや効果音なども含めて、基本的にトレースしたものでもあった(笑)。
とはいえ、今のガンダムオタク諸氏は、「ファースト」こと最初のいわゆる「1年戦争」の世界に、ガンダム型のモビルスーツが複数体も存在していることには疑問を抱かないのであろう。
しかし、80年代前半までは、「1年戦争」におけるガンダムはまさにプロトタイプであって、だから基本的には1体しか存在しない存在だともされてきた。
けれど、それが実は3機は存在していた! 8機は存在していた! もっと存在していました!(笑) さらにはさかのぼって、さらなるプロトタイプまでもが存在していた。劇中で活躍したガンダムは実は2号機であって、1号機が存在していた! ……と時代を降るにつれて、どんどんと設定が改変されていったものなのでもあったのだ(汗)。
当方のようなオッサンである元祖「ファーストガンダム」世代としては、そういったご都合主義的な設定変更には「怒り」をおぼえていたことを、あるいは周囲のガンダムファンたちも同様に「違和感」や「苦言」を呈していたことを、「歴史の証言」としては記録に残しておきたい。……今となっては、追認するしかないので、もうドーでもよいけれども(笑)。
本作におけるシャア少佐が操縦する我らが「白いガンダム」と戦うのは、各部に黒いパーツをまとってやや無骨にも見える「ゼロひとガンダム」。この機体は、「白いガンダム」との絵的な差別化の一環としての意味合いもあるのであろうけど、実はその顔面は我らが「ガンダム」一般とは異なり、ヒト型の両眼を備えてはいなかった。
ガンダムの援護ロボットとしても活躍しており両肩には大砲を備えていたRX-77こと「ガンキャノン」や、初作のTVシリーズ後半に登場した量産型ガンダムこと「GM(ジム)」のように、両眼がつながったかたちの巨大なサングラスのような広域カメラアイ型の顔面ともなっている。
「ゼロひとガンダム」を操縦するパイロットの姿は、作品的・ドラマ的・テーマ的にはノイズ(雑音)になってしまうので、描かれてはいない。しかし、けっこう強くて善戦はしており、最終的にはもちろんシャアが駆るガンダムには敗退してしまったものの、ここもまた映像・戦闘シーン面における見せ場にもなっていたのだ。
その後、「白いガンダム」は、赤色であったシャア専用のザクにも合わせて、「赤いガンダム」へと塗装し直されるサマも描かれる! その母艦にもなるジオン軍に接収されてしまったホワイトベースともども、ジオン側の兵器として使用されていくことがここで示唆されていくのだ!
……エッ!? シャア専用ガンダム(=キャスバル専用ガンダム)こと「赤いガンダム」は、「ファーストガンダム」をシミュレーションTVゲーム化した『信長の野望』(83年~)ならぬ、『機動戦士ガンダム ギレンの野望』(98年~)シリーズにも登場していたのだって!?
……し、知りませんでした。……フン! 知らなくったって、恥ずかしくなんかないもん!!(……開き直り・笑)
オデッサ作戦! 宇宙要塞ソロモン! モビルアーマー・ビグザム量産! ニュータイプ、シャリア・ブル!
作品は省略技法で、飛んで「ファーストガンダム」のTVシリーズ中盤における、今まさに係争の地ともなっているウクライナ国における、黒海を南に望んでいる要衝・オデッサ(オデーサ)の地を舞台とした、地球連邦軍vsジオン軍との大規模な会戦を描いた「オデッサ作戦」なども点描されていく。
シャア少佐がガンダムを強奪したことによって、アムロ少年兵が操縦するガンダムが大活躍する歴史もなくなってしまったことで、地球連邦軍はさぞや大苦戦をしているのかと思いきや……。
「ファーストガンダム」同様に、地球に降下して制圧作戦を展開してきたジオン軍は、地球連邦軍の圧倒的な物量に押されていた! そして、オデッサの地を守備していたジオンの部隊は宇宙へと逃げ帰ったことで、正史と同じ歴史をたどっていることも描かれるのだ!
なるほど! 地球連邦軍側にガンダム1機がなかったくらいで、基本的には「物量」や「兵站(へいたん・補給)」が勝利を決定していき、結局のところは戦争の大局は変わらなかったのだ……といったことを描いているのでもあろう。
この一連のシーンでは、原典「ファースト」同様に、オデッサ基地の総司令として、陰気で不健康そうな顔色をしていた陶磁器マニアのマクベ少佐も登場していた。
もちろん、マクベを演じた名声優・塩沢兼人(しおざわ・かねと)もすでに故人であるので、今では中堅の杉田智和(すぎた・ともかず)に声優は変更されている。
マクベの横にはセリフこそなかったものの、これも世代人にはおなじみの無骨で無愛想そうな眉毛もご太いウラガン少尉が直立不動で起立していた(笑)。
さらに飛んで、舞台は大宇宙へと戻る……。そこには、原典ではTVシリーズ終盤における、四芒星のようなかたちの突起を持った数キロサイズの小惑星を流用した、ジオン軍の「宇宙要塞ソロモン」の巨大な勇姿が!
ここでも、地球連邦軍側のガンダム抜きでも、宇宙要塞ソロモンは陥落ができてしまって、地球連邦軍側が勝利を収めていたことも示唆されている。
しかして、ソロモン総司令でもあったドズル・ザビ中将も、地球連邦側のガンダムは前述にて奪取されたとおりなので存在はしえないけれども、セリフのみではあったものの、「白いヤツ」が討ち取った! 戦死してしまった! とサラッとさりげに語られてもいく……。
……「白いヤツ」(!?)。
しかして、ドズル・ザビが搭乗した、両腕はない2本脚だけの超巨大メカことモビルアーマー「ビグ・ザム」については、原典とも異なり量産化がすでに成功しており(!)、同様に小惑星を改造した地球連邦軍側の宇宙要塞「ルナ・ツー」は、量産型ビグ・ザム(!)によって陥落していることも語られる!
大局では地球連邦軍の優位ではあって、原典こと正史とも変わってはいなかったようにも見えていた歴史が、このあたりから大きく変わってくる。
一度は奪われた「宇宙要塞ソロモン」改め、地球連邦軍の宇宙要塞と化した「コンペイトウ」に対しての、ジオン軍による小規模な反撃!
ここでジオン軍側にてシャア少佐とともに活躍するのは、原典終盤でのメインヒロインとして活躍するララァ・スン少尉ではなかったのであった!
原典においては、終盤の#39「ニュータイプ、シャリア・ブル」に1話だけゲスト出演したことがあった、木星帰りの男で白髪の初老でチョビ髭の男でもあったシャリア・ブル大尉の方であったのだ!(爆)
そして、ララァ・スン嬢は、以降も本作には登場してこない(汗)。シャリア・ブルの方が主要なキャラクターとして、その人間味も含めて、何ならばララァ・スンのポジションとして(!)、シャア少佐の信頼もあつい相棒格としても活躍していくのだ!
シャア少佐が駆る赤いガンダムと、シャリア・ブル大尉が駆るモビルアーマー「ブラウ・ブロ」!
――実際には、劇中では「ブラウ・ブロ」ではなく「キケロガ」なる名称ではあった。こちらも、原典においては放映短縮によって未登場で終わってしまった「ブラウ・ブロ」型メカの名称からの引用なのだそうだけど。……原典の往時の各巻が数千円台の書店売りでもない通販のみの高額書籍『機動戦士ガンダム 記録全集』全5巻(79~80年)なぞは、さすがにまだまだ未成年の「原オタク」ばかりがほとんどであった時代に、周囲でも購入していた御仁なぞはひとりもいなかったので、「キケロガ」なんて知らなかったゾ(笑)――
しかして、本作におけるシャリア・ブル大尉は薄緑色の髪の毛で、片側の前髪を垂らして片目も隠した、「イケオジ」ことイケてるイケメンのオジサン(?)にビジュアルが変更されてもいる!
ググってみると……。原典においては年齢は未設定。しかして、原作の富野カントク自身による当時の「小説版」におけるシャリア・ブルの設定年齢は、まだまだ若造の28歳(爆)であったそうな!
そして、原典のTVシリーズ終盤における、「新人類」こと「ニュータイプ」だけが駆動することができるとされていた、パイロットの脳波とも連動したメカニックこと「サイコミュ」と、多数の「ビット」なる精神感応波での無線による小型の飛行ビーム兵器群も登場してくる。
それらを装備したのは、ララァ・スン専用のモビルアーマー「エルメス」なぞではなく、シャアが駆る「赤いガンダム」の方であったのだ!
赤いガンダムは「ブラウ・ブロ」ならぬ「キケロガ」とともに、地球連邦軍の宇宙戦艦を次々と撃沈していくのでもあった!
この際の巨大ロボットや宇宙戦艦が爆発した際の映像表現についても、原典における終盤が初出であった「白や黄色のまるい光」で表現されている!
加えて爆炎なども、原典の再編集劇場版3部作の最終作であった『機動戦士ガンダムⅢ めぐりあい宇宙(そら)編』(82年)においての、黒トレスではなく色トレスの描線によるピンクがかった色彩にて表現されている!(笑)
BGMには、原典終盤ではたしか1~2回のみの使用であった、少々恥ずかしかった出来の挿入歌「シャアが来る」をアレンジしたBGMも流れている(爆)。
ルナ・ツー陥落! 月面グラナダ基地へのコンペイトウ(宇宙要塞ソロモン)落とし! アクシズ・ショック!
またまた飛んで、原典作品のはるか先の時代を描いた後続作たる、初作の14年後の「宇宙世紀0093年」を描いていたアニメ映画『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』(88年)における、ネオ・ジオン総帥になってしまったシャア大佐による、地球表面への「隕石落とし」や、やはり小惑星を改造した「宇宙要塞アクシズ落とし」よろしくといったシークエンスもが描かれていく……。
地球連邦軍は「ソロモン」もとい「コンペイトウ」(金平糖)を核パルス・エンジン(?)にて航行させて、ジオンの月面上の都市にして巨大工場でもあり基地でもあった「グラナダ」へと落下させる大作戦によって、イッキに劣勢を挽回せんとするのだ!
しかして、シャアの父親にして「宇宙移民者たちによる人類の革新」たる「ニュータイプ」理論を提唱したジオン・ズム・ダイクンを暗殺し、ジオン公国を簒奪して公王制を敷いたデギン・ザビ公王の酷薄なるハイミス娘でもあった低音ボイスのキシリア・ザビが、グラナダの総司令として控えてもいた!
これを原典におけるTVシリーズの最終回とも同様に、ついでに親の仇を討っておく好機とも見たのか、シャア少佐は「コンペイトウ」落としを阻止せんと内部から爆破する作戦に従事するフリをしつつも、それには失敗してしまったとも見せかけることによって、キシリアを亡き者にしようともする!
そのさなかに、「コンペイトウ」の迷宮のなかに潜んでいた、先の「白いヤツ」にも遭遇してしまうのだ!
けれども、それは我らが「白いガンダム」ではなかった! 量産型ジムも建造されなかったことになってしまった本作においては、ジムですらもなかった!
両肩に大砲を装備した赤い「ガンキャノン」ならぬ「量産型ガンキャノン」こと、右肩だけに大砲を装備した「軽(けい)キャノン」! さらに加えて、それに対して白の塗装をほどこされた「白い軽キャノン」!
――ググってみると、これら量産型「軽キャノン」の型番は、原典の「ジム」の型番とも同じである「RGM-79」でもあった(笑)――
しかして、そのパイロットがまた地球連邦軍の我らがアムロ少年兵でもなかった! そのパイロットの正体は……あのヒト(爆)であったのだ!
……といったところで、この両者の精神感応によって、「サイコミュ」なるメカも『逆襲のシャア』のラストにおけるメカ素材「サイコフレーム」のように発光を開始する! その光はどんどんと巨大化していく……。
「時が見える……」
といった、原典においてはララァ・スン嬢の今際の際の最期(さいご)のセリフをシャア自身も放った。
それと同時に、「コンペイトウ」はその巨大なまるい発光部分については、まさにまるまるとエグられてしまったかたちで巨大な空洞へと変貌してしまう!
そして、月面基地へのグラナダ落下作戦は結果的に阻止されてしまうのでもあった……。
――シャアの親の仇でもあるキシリア・ザビもまた生き延びてしまったことであろう。てか、ザビ家一党は、ドズル中将を除いて誰も死んでいない?(汗)――
そして、1年戦争はジオン公国の一応の勝利で終わってしまうのでもあった……。
初作の分岐並行宇宙、異なる歴史だとしたアプローチへの是々非々! しかして、それでも最も「ファーストガンダム」っぽい!?
ストーリーの途中から、歴史を分岐させることによって、また別の「仮想の歴史」をつづっていく試みは――原典それ自体が「仮想歴史」だというツッコミはさておき――、その「志が高い」かどうかもともかくとしても、ガチのオタクでもある筆者としては、手放しで純粋作品としては絶賛する気もないものの、心情的には充分に楽しめてしまったのであった。
そして、その「仮想歴史」それ自体の経緯・変遷、その詳細・ディテールもまた、面白いといえば実に面白いのだ。
とはいえ、原典初作の直続編たる『機動戦士Z(ゼータ)ガンダム』(85年)以降も含めた富野ガンダムシリーズ作品の至上主義者というよりも、「ファーストガンダム」原理主義的なオジサン世代の作り手なりアマチュアたちであって、なおかつ、
「もしも、『ファーストガンダム』の再構築をするなり、そのパラレルワ-ルドな世界そのものをも描こう!」
といったお題を与えられれば、あーいった作品になってしまいそうな気がしないでもないのだ。
そういった意味では、広義では「簡単なお仕事」といった気がしなくもないのではあった(笑)。
それはまた、「歴史改変」それ自体はともかくとしても、本作『ジークアクス』における分岐並行宇宙としての「1年戦争」の経緯をつづっていく際の「ノリ」「口調」「文体」「映像文法」のようなものこそが、原典「ファースト・ガンダム」の「ノリ」「口調」「文体」「映像文法」に、イコールではなくても、実に近しいものにも思えたからでもあったからだ。
以下に述べていく私見は、世間一般的なガンダム・オタク諸氏の見解とは異なるものであることは重々承知はしている。
それは、「ファースト・ガンダム」ではなく、その続編『ゼータガンダム』以降の常套ともなっていく、悪い意味でのクセの強い、あるいは「新劇」――明治時代以降の近代演劇――的にして、いわゆる「富野的」なリクツっぽくって生硬でコナれてはいないセリフまわしが極力避けられてもいたことなのだ!
そして結局は、いつも実に小さな世界における人間関係や、矮小な男女間での痴話喧嘩になっていくようなストーリー展開ではなかった点などもまた、実に「ファースト」っぽくもあったのだ!
つまり、その次元においては、富野カントクが最後に手掛けたTVアニメシリーズ『ガンダム Gのレコンギスタ』(14年)までをも含めた富野ガンダム全体の平均値としての感触とは異なってはいたものの――それはイイ意味で!――、本作前半の「1年戦争」パートは、「実にファーストガンダムっぽい!」といった感慨を、個人的にはおぼえた次第でもあったのだ。
「時が見える!」 ~先読み能力などを持ったニュータイプは、3次元物理世界を超えた4次元世界以上の超知覚を持った存在か!?
議題を変えてみよう。いわゆる「ファースト」における一応の「新人類」もどきテーマこと、「ニュータイプ」のことである。
「ファースト」当時の富野カントクは、そこまで深くは考えてはいなかったのではあろうし、作品それ自体を当時の青少年たちにいかにも「深いもの」として見せるためにも、「思わせぶり」にしてみせたり、明瞭な回答なぞはない、「味付け」「スパイス」といったものとしての「ニュータイプ」でもあったのであろう。
しかし、当時の「原・オタク」たちというのか、古典SF小説でも育ってきたような評論系のアニメマニアたちは、「ニュータイプ」なる存在を、SF作家のアシモフやクラークが描いてきたような「新人類」や、高次なる「精神生命体」の萌芽のようにも、勝手に捉えていたものなのだ。
「時が見える」といったセリフや「先読み能力」といったものを、3次元物理世界をも超越して4次元以上の高次元世界にも拡張していく「超知覚」としても勝手に捉えて、SF的にも擁護しよう! 理論武装をしよう! 深読みをしていこう! などといった読者投稿などもちょこちょことはあったものなのだ(笑)。
そういった「ニュータイプ」観は、インターネットなどもない時代のこととて、アーカイブ化されて残ることがほとんどなかった。それゆえに、続編『ゼータガンダム』以降のガンダムオタクや富野信者たちには継承はされてはいかなかった点でもあったのだけれども……。
そのあたりを、はるか後年の40年近くも経ってから(汗)、今さらながらに掘り返してきたのが、富野カントクご自身はカラんではおらずに作家の福井晴敏が放った、「宇宙世紀0097年」を舞台としていたアニメ映画『機動戦士ガンダムNT(ナラティブ)』(18年)であったりもする。
局所的に時間を逆行してしまったかのように、巨大ロボットの部品が組み立て前のパーツの状態に戻ってしまっていたりとか、ニュータイプでもあった女性パイロットの肉体などはすでに存在しておらず、彼岸の彼方に去ってしまったようでもあり、しかしてその精神・残留思念だけでも巨大ロボットが稼働できているようでもあって、しかもその機体も亜光速(笑)で飛行ができてしまったりもするような事象・超常現象をも描いていたからだ。
その目論見が特別にスゴい! ……とまでは云わないものの、個人的にはその発想それ自体のねらいはわからなくもないのだ。いわゆる『ゼータ』以降も含めた世間一般的なガンダムオタク諸氏や、「宇宙世紀」シリーズの信者たちが好むような設定ではなかったことも事実ではあるのだけれども(汗)。
とはいえ、「ねらいはわかる」どころか、個人的にはキライではないし、どころかそもそもキライにはなれない(笑)。
「ファーストガンダム」に続編をもしも仮に作るのであれば、「ニュータイプとはそもそも何ぞや!?」といった命題に、つまりは国vs国なり、組織vs組織なぞではなくって、「新人類」vs「旧人類」の図式であるべきであろう……。
そんな感慨や意見などは、80年代前半~85年にTV放映がなされた続編『ゼータガンダム』放映当時などにも、アニメファンのなかにはけっこうあったものなのだ――そして、不肖の当方なぞも、そのようなことを思っていたものだ――。
その伝で云ってしまうと、月面のグラナダ基地に、宇宙要塞ソロモンを落下させようとしたところで、『逆シャア』ラストの奇跡(笑)もどきの「光の奔流」が発動してきて、『ガンダム Gのレコンギスタ』における「G-フェネクス」もとい、『ガンダムNT』におけるユニコーンガンダム3号機こと金色の機体のガンダムでもあったフェネクスのように、彼岸の彼方なり異次元の彼方(?)へと去っていってしまう……といった「SF的なオチ」へと落とし込んでいくあたりにも、
「原典にもそういったSF物語的な可能性はあったものの、しかして実現することはなかった隘路(あいろ)が、急に穿(うが)たれて、貫通までしてしまった!」
……かのような「懐かしさ」(?)を勝手に覚えていなくもないのではあった(笑)。
しかし、ここでまた、矛盾したことを云ってしまうと、『逆シャア』のラストそれ自体に対しても、その当時には、
「ニュータイプって、もっと精神的なものなのであって、物理的にもあそこまでハイパーインフレを起こしてしまって、精神主義的にして奇跡の発生による勝利の物語にしてしまうことには、個人的には反発を覚えていた……」
ことなども思い出してしまったり……。
まぁ、今さら富野ガンダムにおける「宇宙世紀」の歴史のなかから『逆シャア』をなかったことにもできないので、認めざるをえないのだし、「価値判断」の次元ではともかく「事実」の次元では、同作のことや同作における超常現象のことを認めてはいるものの……。
その意味でも、『逆シャア』の次の時代である「宇宙世紀0096年」を、先の作家・福井晴敏が描いていたアニメ映画『機動戦士ガンダムUC(ユニコーン)』7部作(10~14年)などでも、『逆シャア』におけるサイコフレームによる物理的な限界を超えた超常現象の要素をひろってくる試みそれ自体は、個人的にはアリだとは思ったのだけれども……。なかなかにガンオタの皆さまは手キビしいようではありまして……(汗)。
同じく初作のパラレルワールドでも、『ジークアクス』と『ガンダム・オリジン』&『サンダーボルト』との相違とは!?
そして、本作『ジークアクス』におけるシャアが、断末魔の「光の奔流」のなかで観たものとは!?
その「光の奔流」それ自体が、原典におけるララァ嬢とアムロ少年との精神感応の際の情景――心象風景?――や、甲高い「ラ、ラァ……」といった効果音などもたしか響いていたことから、並行世界にある原典こと「ファースト」の世界における出来事や歴史にララァ嬢のことなども、シャアは垣間見ていたのやもしれない!? なぞと、勝手に「パラレルワールドSF」モノ的な妄想を膨らませてしまうのでもあった……(笑)。
むろん、「ファーストガンダム」もまた、「TVシリーズ」と「再編集の劇場映画3部作」の両者は、いわゆるパラレルワールドの関係にはなっていた。
TVシリーズ中盤から登場してきた、ヒト型巨大ロボット・ガンダムにも合体できる、カド張った飛行メカや戦車メカこと、「Gスカイ」「Gブル」「Gアーマー」などのいわゆる「Gパーツ」などは、いかにも子供向けの玩具展開との折衷・妥協の産物でもあったために、ガンダムとは合体もしない、そのフォルムもカド張ってはいない流麗な白色の飛行メカ・コアブースターに、再編集劇場版では改変もされていた。
地球連邦軍の主人公側の母艦が擁する主要な3大ヒト型ロボットであったガンダム・ガンキャノン・ガンタンクにおいても、「劇場版3部作」の最終作においては、下半身が戦車型になっているガンタンクはオミットされて、原作者でもある富野カントクの筆による「小説版」とも同様に、ガンキャノンが合計2機の配備となったかたちで改変されてもいた。
「ファーストガンダム」に先立つ、日本の往年のSFアニメの金字塔『宇宙戦艦ヤマト』初作においても、そのTVシリーズ(74年)と再編集劇場映画版(77年)においては、主に尺の都合ゆえではあったろうけど、宇宙の彼方の救いの星・イスカンダル星に住まっている美女・スターシャが、当地に到着してみればすでに死亡していたかたちで改変されていた。
その続編映画『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』とそれを翻案したTVシリーズ『宇宙戦艦ヤマト2(ツー)』(共に78年)に至っては、云わずもがなであった。
本題の「ファーストガンダム」においても、やはり富野カントクではなく原典ではアニメーションディレクター名義の役職でもあった安彦良和センセイの手による、初作の前史を描いていたマンガを劇場アニメ化した『機動戦士ガンダム THE ORIGIN(ジ・オリジン)』6部作(15~18年)や、初作と同時代における別の戦場を描いたマンガを劇場アニメ化した『機動戦士ガンダム サンダーボルト』2部作(16・17年)においても、大スジにおいてはともかく細部においては、初作との設定とは相違が見られるので、「パラレルワールド」だとの解釈も可能ではあったのだ。
しかし、一般的には「パラレルワールドSF」とは、やはりパラレルワールドの設定それ自体に「SFギミック」を仕込むことによって、何らかの「SFマインド」「SF的な興趣」「センスオブワンダー」「価値観の転倒による知的快感」といった情動を喚起させるものを、そう呼称するものなのである。
その意味では、「ファーストガンダム」の「TVシリーズ」とその「再編集総集編映画」、『宇宙戦艦ヤマト』の「TVシリーズ」とその「再編集総集編映画」などは、やはり単なる「バージョン違い」に過ぎない。
「パラレルワールド」をまたがって移動してみせたり、複数の「パラレルワールド」をその外側や上方などから俯瞰・鳥瞰して見下ろしてみせるような、SF的な感慨をねらったものではない、といった意味では、「パラレルワールド」ではあっても「パラレルワールドSF」なぞではなかった……といった整理もできるのだ。
たとえば、「前史」の部分ではなく「原典」部分の改変・再構築でもある箇所までをもアニメ化してしまったならば、『THE ORIGIN』アニメ映画版もまた原典とも「競合」してしまって完全にパラレルワールドにはなっていたと思う。
しかし、「原典」とは競合しない「前史」の部分の映像化のみにとどまったことで、細部にはともかく致命的な大きな矛盾は生じてはいなかったことから、『THE ORIGIN』アニメ映画版はパラレルワールドではなく、原典アニメ版のまさにストレートな「前史」だとして個人的には捉えておきたいのだ。
今となっては、ガンオタとしてはヌルいオタクでもあるので、『サンダーボルト』についても、どのあたりに矛盾があるのかわからないくらいの認識であって、同作アニメ版についても原典とも同一世界での出来事だと解釈しても問題がないようも思っているくらいでもある(笑)。
……けれどもこの見解を、ウルさ型のガンオタ諸氏に強制するものではないことは、くれぐれも念のため(汗)。
「宇宙世紀0085年」! 赤いガンダム&シャア少佐は時空を超えたのか!?
本作『ジークアクス ―ビギニング―』の後半パートは、ネット上での本映画の「予告編」なりホームページなりでも明かされてきたとおりで、マニア諸氏もご存じのとおり、本作における主要な少年少女たちの登場人物たちにとってのホントウの「ビギニング」ともなっていた。
時代は「1年戦争」の終結からでも早5年後。
舞台は原典でも地球連邦ともジオン公国とも一線を画して中立を保ってきたスペースコロニー・サイド6。
そこには、時空を超えてきてしまったのか(?)、「赤いガンダム」が宇宙世紀0085年の時代に出現してしまってもいる!
――民間での隠れての違法なロボットバトルで、クールで無頼な少年が操縦するかたちでの登場ではあったものの――
しかし、シャア少佐は登場していない。どこかに身を隠しているのであろうか? それとも、シャアは肉体を喪ってしまっており、残留思念のようなかたちで存在しているのであろうか?
エッ!? あの「赤いガンダム」の機体そのものに、シャアの思念そのものが宿っているのやもしれないって!? そういった見解は思いついてはおらず……。仮に今後にシャアの残留思念が登場したとしても、機体とは離れて、別個に存在……といったイメージではいた。しかし、機体と半ば一体化している方が、作劇的にはまとまりがよいし、「赤いガンダム」の存在それ自体やその意義もまたシンボリックには高まるという意味では、よいアイデアだとも思う。
とはいえ、シャアなり●●なども肉体を備えたままで再登場を果たしたり、もしくは肉体は失っており精神だけの存在にはなっていたとしても、本作『ジークアクス』の主要人物たちに、高みの達観した境地から啓示のようなかたちであいまいに関与したりして、ロートル世代やガンダムオタクたちをファンサービス的にちょっとは喜ばせる……といったストーリー展開を、本作のシリーズの中後盤などには用意することを、腐れオタクとしてはどうしても期待してしまったりもするのだ(笑)。
――そういった処置を小賢しいとして捉えるか? アリだとして捉えるのか? ……については、真逆な双方の意見があってイイとも思うけれども――
ただし、富野ガンダムや「宇宙世紀」シリーズの『ガンダム』とはまったくの無関係な世界観であった、「宇宙世紀」や「未来世紀」や「アフター・ウォー(戦後)」ならぬ「西暦」(爆)であって、放映当時の現在から300年後の未来であった西暦2307年を舞台としていたTVアニメ『機動戦士ガンダム00(ダブルオー)』(07年)にて、初作の主人公・アムロ少年を演じた古谷徹(ふるや・とおる)がナゾめいた美形の悪役を演じた際には、一部のガンダムオタク間では、その正体は「並行宇宙」を超えてきたアムロの闇落ちした姿なのだ! なぞといった、SF的な深読みが一部で流行っていたことなどを思い出すと、ガンダムオタクの諸氏を引っかけるための「フック」としては、そういった要素も少しは忍ばせておいた方がイイのやもしれない。
個人的には、ガチで「戦争根絶」といった「社会派的な要素」を一応のテーマに掲げていた同作にとっては、そのような浮世離れした「SF要素」はノイズ(雑音)になってしまうのでは? なぞとも思ってはいたものの――同作の小説版にも、そういったことを示唆する描写があったそうではあるけれども――
そういったSF的なギミックの方を深読みすることに、喜びを感じるオタクも多数派とまではいわないまでも、無視はできない数で多いのであれば、そこもマーケティング的にも、サブ要素としては少々ねらっておいた方がイイようにも思うのだ(笑)。
――ただし、『ゼータガンダム』の時点において、すでに富野御大(おんたい)は、「作劇」の巧拙や「人間ドラマ」面よりも、「SF性」なり「歴史年表」的なことしか語らないようなマニアたちのことを、毛嫌いしていたものだけれども……(爆)。もちろん、当方も他人事ではない(笑)――
あまりに抽象的・観念的な「ニュータイプ」概念の問題点! アンチテーゼ・解毒剤としての具象的・具体的な「肉体」「体温」「大地」への回帰!
とはいえ、「SF形而上(けいじじょう)」性な方面にだけ行ってしまうと、頭デッカチで理屈っぽい作品にもなってしまうものだ。
それとは相反する「形而下(けいじか)」でも、たくましくも即物的に、退屈ななかでも、肉体的・生命的な充実感をも求めて生きている人間たちの「象徴」としても、一応の平和な日常生活には満足することができずに「違法なロボット同士でのバトル」に興じることにもなっていく女子高生主人公や、不法移民者たちの刹那的な生活ぶりなり、彼らの人となりをも同時に並行して群像劇としても描いていこう、いったところが本作の眼目でもあるのであろう。
――でも、それもまた、世評は実に低かったものの、『ゼータガンダム』の直続作でもあった『機動戦士ガンダムZZ(ダブルゼータ)』(86年)のシリーズ前半においても、富野御大がギャグやコミカルでまぶしつつもすでに描こうとしていたことではあって、しかして当時のガンダムオタク諸氏にはウケなかった要素でもあったのだけれども――
とはいえ、「ヒトはパンのみにて生きるにあらず」。「日常性」なり「肉体性」なり「生命力」なり「パン」や「食物」だけでも飽き足りないものだ。やはり何らかの「精神性」といったものをも求めてしまうものでもあるのだ。
そういうワケで、やはり本作においても、主要登場人物でもある少年少女たちが、彼岸の彼方なぞも覗き見てしまうことによって、その知見を広げることにもなったりはしても、最終的には日常の地ベタの次元に帰ってくるオチにするしかないような……。
……いや、そういった落とし方が陳腐凡庸だとか、ダメだと云っているワケではない。その逆であって、もしも作品を良心的に作るのであればもう、「それしかない!」といった感覚でもあるのだ(笑)。
往年の『ゼータガンダム』を20年後に富野カントク自らが再構築した『劇場版 機動戦士Zガンダム』3部作(05~06年)のオチにしたって、先の『機動戦士ガンダムUC』や『機動戦士ガンダムNT』のオチにしたって、そういった「抽象」や「観念」だけの存在になってしまうような「ニュータイプ」や「オタク的な浮遊」なぞではなくって「現実に帰れ!」、「肉体」や「体温」を兼ね備えたナマ身の個人とも向かい合って、地ベタの世界で生きていけ! といったオチではあったのだし……。
後出しジャンケン的には、原典「ファースト」の最終回はいかに偉大で傑作ではあっても、当方も「ニュータイプ」に対する古典SF的な解釈をさんざんに紹介しておきながらナニではあるけど、地道で堅実な生活を無視して求道にだけ走っているような小説『かもめのジャナサン』(70年)的な空理空論でもあって、コスモポリタン(世界市民)的な生き方の賞揚というよりかは、地域やご近所を無視した「オタク的な根無し草の生き方」や「自身は決して責任主体にはならずに知的な観念遊戯だけに明け暮れて、地道な日常や地域における炊事・家事・洗濯・掃除などの汚れ仕事などは引き受けない無責任な生き方」の肯定にしかならない可能性も高いものなので……(汗)。
「宇宙世紀0085」における、平和な中立宇宙コロニー・サイド6が舞台! 0085年であったことの意味とは!?
その伝で、本作のホントウの舞台となる「宇宙世紀0085年」における、地球連邦ともジオン公国とも中立のスペースコロニー・サイド6における、東西冷戦下におけるウス皮の1枚の上ではあっても、一応の「平和」な日常生活や学校生活の描写なども興味深いものがあったのだ。
細かく顕微鏡的に腑分けをして解剖して云ってしまうと、基本的には身の回りはまぁまぁ「平穏」で「平和」ですらあるのだけれども、たとえ(相対的には)恵まれた身のゼイタクではあっても、人生のルールが「1億・総サラリーマン化」で決められてしまっているかのような、いわゆる「ガラスの天井」を感じつつ、それゆえにこそ自身が「カゴのなかの鳥」で「退屈」にも感じられてきてしまう……といった日常生活面での「鬱屈」なり「不全感」。
しかして、それとは相反する「生」の「充実感」などを得ることができそうな、「非日常的な世界」なり「非凡なる生活」へのあこがれ。そして、それに向けてのエグゾダス……「脱出」!
オッサンオタク的には、この「気分」には何か既視感があるのだ。これは1980年代における青少年たちの「気分」そのものなのではなかろうかと!?
いやもちろん、こういった心情はいつの時代の青少年たちにも共通するものではあるのだろう。しかしとりわけ、そういった心情が強かった時代が、日本あるいは西欧諸国における80年代の青少年たちであったようにも思えるのだ。
スマホやインターネットなどで仮初めにでも学校や地域以外の世界へと即座に直結することなぞ想像もつかなかった時代において、80年代初頭に目指された若者たちのアニメ趣味やアニメファンの市民権の獲得! といった旗印が、当の若者たち自身が実は一枚岩ではなかったことがバレていき、高度大衆消費社会化が急進展するにつれて、若者世代の内部でも後年でいうイケてる系とイケてない系へと急速に分化して、ファッション&髪型などでも可視化されるようになってしまって、「80年安保の挫折」ならぬ「来なかった『アニメ新世紀(宣言)』」……といった挫折感を抱えながら(笑)、イケてない青春を送っている原オタクたちの鬱屈感。
とはいえ、こういった感覚は古びてしまっている可能性もある。それは我々ロートル世代の若いころの感覚に過ぎなくって、1億総サラリーマン化どころか「雇用の不安定化」や、往時の東西冷戦ではなく熱戦的な「近隣諸国からの軍事的な脅威」によって、「不安定」こそが常態になっており、それゆえにこそ(雇用などの)「安定」の方を求めているのやもしれない、むしろそんな悩みなどはゼイタクな時代におけるプチ・ブルジョワ的な悩みですらあった! といったことさえ思われかねない、今の若者世代の実感とは少々異なっている可能性があるとも思ってしまうからなのだ。
その意味では、「今」という時代との「マッチング」感、今の青少年一般との「マッチング」感は少々少なくなってしまっている可能性もなきにしもあらずなのだ……。
とはいえ、若者たちの何かしらの鬱屈や不全感それ自体は普遍的なものだとも思うのだ。そちらの意味では、筆者がコネくりまわしているような「今」という時代との「マッチング」感うんぬんなぞも些事ではあって、本作の致命的な弱点だとは云えないのやもしれない……。
そのうえで個人的には、この「宇宙世紀0085年」パートもまた、「話運び」的にも「演出」的にもつっかかることなくナチュラルに観られて面白かった。
世代人やガンダムオタクゆえの好意的な評価やも!? 一般層やライト層にも開かれた作品であるためには!?
しかし、「宇宙世紀0079年」こと「1年戦争」の分岐並行宇宙を、その前半にて長尺で描いてきた本作の面白さは、やはり筆者が「ファーストガンダム」世代のオッサンでもあって、「ファースト」に対する「血肉」と化した知識や思い入れから来る、その前提ありきでの二次創作的なモノに対する面白さなのやもしれない。
『ガンダム』なり「ファーストガンダム」についての知識がない若いオタクなり一般層が観賞したならば、本作がそこまで面白い作品として仕上がっているのかについては分からないからだ(笑)。
いや、ムダに無意味な難解さはカケラもないので、「ファースト」の再構築部分についても、フツーにスンナリとは観られるようにも思えなくはない。
しかし、「ファースト」の再構築部分についても、#1分の尺ではなく、2~3話分の尺を使っていたことで、一見(いちげん)さんにはあまりに長かった可能性もあるであろう。
――後日付記。40分程度でしかなかったそうで、そうなると2話弱程度であったことになる? 個人的には3~4話分のボリュームを感じていたけれども(笑)――
つまり、一気呵成に観ることができてしまう、今回の先行劇場公開版とは異なり、TVの#1の30分尺にて、「ファースト」の再構築部分だけを途中までは見せられて、そこでブチッと切られて、次回の#2へと「つづく」になってしまった場合には、実に収まりが悪い#1になってしまうような気がしないでもないのだ。
そうであれば、話数の配置を逆転させて、「宇宙世紀0085年」の主人公少女たちのパートからスタートさせた方がイイのやもしれない。それでも、相応には面白いような気はする。
しかし、単体作品として一見さんにも開かれた「作り」として、バランス面ではともかく「話題性」といった点では、やはりこの「ファースト」の再構築部分からスタートさせた方が、作品としてはイビツではあっても、インパクトとしては効果絶大ではあって、「商品」としても正しい気がしてくる……。
結論! 往年のTV特撮『仮面ライダーキバ』(08年)なり深夜の美少女アニメ『ef - a tale of memories(エフ ア・テール・オブ・メモリーズ)』(07年)などのように、最初の数話分は各話のなかで2つの時代を、つまりは「宇宙世紀0079年」と「宇宙世紀0085年」のエピソードを同時並行に……というのか、交互に描くかたちで、再構成をするべきではなかろうか!? 即刻、TV放映用には、序盤の4話分だかを再編集にすべきである!?
――もちろん場面転換時には、デカデカと「宇宙世紀0079」「宇宙世紀0085」などの字幕を入れるかたちで(笑)――
エッ!? 日テレ金曜夜9時からの『金曜ロードショー』ワクにて、深夜アニメ『葬送のフリーレン』(23年)#1~4相当分をまずは放映してみせたように、今回の先行劇場版もあらためて放映すればイイ!? そして続けて、#5に相当するエピソードは、23時ワクに新設されている深夜アニメ枠にて放映すればイイ!? なるほどォ……。
あるいは、金曜23時ワクで#1~4を放映したところで、「今からでも間に合う!」といったアオリ文句で(笑)、見逃し配信の拡充ブローアップ版のような位置付けで、今回の先行劇場版を『金曜ロードショー』ワクにて改めて放映して、23時ワクの#5につなげるなどなど……。
――それであれば、『葬送のフリーレン』とも同季に放映されていた深夜アニメの良作『薬屋のひとりごと』(23年)なども、たとえ放映途中ではあっても『金曜ロードショー』ワクにて、#1~4分などを宣伝・お披露目的にもあらためて放映してほしかったなぁ~――
しかし、ガンオタ諸氏の誰もが思うことではあろうけど、少女2人のダブルヒロイン制で、高校が舞台であって、ロボット同士の私闘が描かれて……。って、直近作のTVアニメ『機動戦士ガンダム 水星の魔女』(22・23年)ともネタがカブりまくりなのは、マニア世間やガンオタ間ではOKなのであろうか?
もちろん個人的には、面白ければネタが少々カブろうともそれでもOKですけどね! 『水星の魔女』には欠けていた、学校の校舎の外観描写や、今――厳密には1970年代後半以降――の日本とも変わらない、教室のスチール製の「机」や「教室」の描写なども、「生活感」「日常感」といった感慨をブースト・増幅させる意味でも実によかったとも思うのだ。
でもまぁ、かのロボットアニメのやはり金字塔と化した『新世紀エヴァンゲリオン』(95年)の庵野秀明(あんの・ひであき)カントク作品ではなかったとしても、氏が率いるアニメ製作会社「カラー」ブランド=実質、「庵野ブランド」に良くも悪くもなってしまっているので、本作『ジークアクス』も相応にはヒットするのであろう(笑)。
他に競合する大作映画がなかったことも大きいだろうが、週末興行ランキングでも1位を達成!
――もちろん、「宇宙世紀」シリーズの「ガンダム」作品とは世界観を異にする往年のヒット作『機動戦士ガンダムSEED(シード)』シリーズ(02・04年)の後日談映画であった『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』(24年)のような大ヒットの域に達する……なぞとは思いませんけども(汗)――
とはいえ、まずは入り口・引っかかり・フックとして、『ガンダム』ブランドではなく「庵野」ブランドではあったとしても、それをも必要悪として援用してしまって、良くも悪くも『ゴジラ』『ウルトラマン』『仮面ライダー』のブランドだけではなく『ガンダム』でさえも、今や「権威」と化してしまった「庵野」ブランドでも引っかけることによって、オタクの周辺層・ライト層・一般層をも少しでもゲットする手法も、第1段階としてはアリだとも思うのだ。
もちろん、内容が優れていることが一番大切ではある。しかし、これだけ膨大なコンテンツが発表されている世の中にあっては、二次的にはそういったことも含めての、網を張っておくべきだとも思えるのだ。
そういった意味でも、『ガンダム』シリーズにも少しでもの延命を図ってほしいものである。
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