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機動戦士ガンダムSEED FREEDOM ~原典『SEED』&『DESTINY』も総括!

『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』(15年) ~ニュータイプやレビル将軍も相対化! 安彦良和の枯淡の境地!
『機動戦士ガンダムNT』(18年) ~時が見え、死者と交流、隕石落下を防ぎ、保守的家族像を賞揚の果てに消失したニュータイプ論を改めて辻褄合わせ!
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 2024年1月26日(金)から『機動戦士ガンダムSEED(シード)』(02年)とその続編『機動戦士ガンダムSEED DESTINY(デスティニー)』(04年)の続編新作映画『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』(24年)が公開記念! 同年6月8日(土)から各種動画配信サイトで配信開始記念! とカコつけて……。『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』評をアップ!


機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』 ~原典『SEED』&『DESTINY』も総括!

(文・T.SATO)
(2024年5月18日脱稿)


 ナンと! いわゆるリアルロボットアニメの『機動戦士ガンダムSEED(シード)』(02年)とその続編『機動戦士ガンダムSEED DESTINY(デスティニー)』(04年)の続編新作映画が、20年もの歳月を経て公開! 往時、アレほどまでにガノタガンオタ・ガンダクオタク)諸氏に叩かれまくっていた作品であったハズなのに、歴代『ガンダム』映画の興行収入すら2倍~数倍ものスケールで陵駕して圧勝してしまった!


往時は「ガンダム」オタク諸氏には叩かれていた『SEED』! しかして、同時に若年層には高い人気を獲得!


 もちろん、『ガンダムSEED』シリーズは往時においても人気は高かったのだ。むろん、それは「週刊少年ジャンプ」連載マンガのTVアニメ化作品の域には全然達してはいない。70年代末期の『宇宙戦艦ヤマト』の大人気や80年代初頭のファースト『ガンダム』の大人気、あるいは90年代後半のリアルロボットアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』(95年)の大人気とも比較にはならない。
 しかし、通勤電車のなかや特撮変身ヒーロー映画の試写会などで当時の歳若い女性オタクなどが『SEED』シリーズについて語っているサマを数度は見掛けたものだ。DVDも各巻の売上が10万枚を超えて総計で200万枚を超過しており(!)、プラモデルの売上も良好である情報も入ってきていた。そういった中堅規模での人気を獲得はできていたのだ。


 けれど! 今から思えばまだまだ草創期であったインターネットの世界では、『SEED』シリーズに対するオタク諸氏による肯定的な評価を見ることはほとんどなかった。クソ味噌のボロカスに罵倒調でケナされていたのだ(爆)。
 その批判の要点は2つに絞れる。要は本家の富野カントクが手掛けた作品ではなく、本家とは異なる世界を舞台としたいわゆる「アナザーガンダム」作品であったこと。そして、女子オタ層に媚びた大きなお目々がパッチリのややオボコい美少年キャラが複数名も登場。そして、主要キャラの少年ふたりは幼いころからの親友であって、因果の変転にて敵味方に別れて戦いあうことになってしまうという、往年のTVアニメ『天空戦記シュラト』(89年)や『仮面ライダーBLACK』(87年)に明治維新後の西郷隆盛vs大久保利通! といった鉄板(てっぱん)の悲劇パターンが陳腐でハナについて、さらにまたそれが女子オタ層にはウケていることが実に気に喰わない! といったところであっただろう。


 とはいえ、『SEED』放映前の数年間には、当時のアナザーガンダム最新作『機動新世紀ガンダムX(エックス)』(96年)がシリーズ最低作品として叩かれ続けていた。『X』放映の前年度に放映されていた『新機動戦記ガンダムW(ウイング)』(95年)もまた、『月刊アニメージュ』誌の巻頭カラーグラビア記事において「クマさん」ことアニメ系フリーライター小黒祐一郎までもが、その5人の美少年キャラが5体のガンダムに搭乗して活躍する設定それ自体がまた、「ガンダム作品であることを捨てて女子供に媚びた作品だ」(大意)として、商業誌なので遠回しではあったものの叩いていたほどなのだ。
 さらに云ってしまえば、当時はインターネットがなかったのでアーカイブ化されて後世にはあまり伝わらなかったものの、本家の富野カントクが手掛けた初作の続編『機動戦士Z(ゼータ)ガンダム』(85年)でさえも、往時は盛大に叩かれていたものだ。老害な筆者と同世代であるファースト『ガンダム』世代の御仁たちであれば覚えていることであろう(笑)。


 しかし! 本年2024年1月に封切された本作でもある映画『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM(フリーダム)』(24年)は5月になっても公開が継続されている。筆者も5月になってようやく観賞したのだが、シネコン内の中規模スクリーンとはいえ、座席がけっこう埋まっているほどの盛況! 知識ではなく実感としてあらためて驚いてしまう。すでにNHKのBSにて放映された『発表! 全ガンダム大投票』(18年)などでも、初作と『Z』に次ぐ第3位を獲得していたので、アタマではわかっていたことではあったものの、ファンや論者の世代交代が進んだことによって、『SEED』シリーズの高い評価&人気もついに確定したといったところであろう。


長命人気シリーズの宿命! ゴジラ・ウルトラ・ライダー・スターウォーズも、新作は常にほとんどマニアに叩かれてきた!(笑)


 長命シリーズにはアリがちな反応ではある。今では皆がスレてしまったり枯れてしまったので、奇抜な新作に対する批判が大幅に減じてしまったけれども、00年代前半あたりまでは「ゴジラ」も「ウルトラマン」も「仮面ライダー」も「ガンダム」も、新作が登場するたびに「こんなのゴジラじゃない!」「ウルトラマンじゃない!」「仮面ライダーとしては邪道だ!」といった、リベラルではない保守反動・反革命(笑)な批判がウズ巻いてもいたものだ。


 とはいえ、「慣れ」の要素も多分にあるのだろう。たとえば怪獣映画『シン・ゴジラ』(16年)においては、ゴジラがその容姿を幾度も変貌させていく。しかし、こういった変身描写をもっとむかしの90年代に実現していた場合に、たとえその特撮ビジュアルがチャチくはなくて精巧であったとしても、ゴジラマニアの大勢は激怒したのではなかろうか?(笑) それは90年代後半に蛾の怪獣・モスラが「飛び魚モスラ」や「鎧モスラ」に変身したことに対して、マニアの大勢が大いに反発していたことでも容易に推測がつくのだ(……今となっては、特にラスボス怪獣などについては、絵的・イベント的にも2段変身・3段変身くらいはしてくれないと物足りない、ナットクがいかないくらいになってはいるものの・笑)。
 映画『ゴジラ×コング 新たなる帝国』(24年)においては、ゴジラは人間のように両腕を大きく振って疾走してみせていた。しかし、これに対してはもう誰もケチを付けない。往年のハリウッド映画版『GODZILLA』(98年)ではゴジラがスピーディーに疾走していたことに対して、特撮マニアの大勢が「らしくない」として大ブーイングを飛ばしていたというのに!
 ナンという「ダブスタ糞オヤジ」(笑)な矛盾! ……つまりは、前例があることによって、我々もまたダブル・スタンダードながらも「それももうアリであろう」と受け容れてしまっているのだ(爆)。


 常なるシリーズ最新作に対する反発がテンプレ化・陳腐化していることそれ自体が、マニアの過半にも意識化されてしまった長命シリーズの域に至ると、そのシリーズではどんな作品が発表されようとも次第に驚かなくなってくる。「ガンダム」に「百合」の要素を導入した『機動戦士ガンダム 水星の魔女』(22・23年)なども、行くところに行けば叩かれているのではあろうけど、総体としては叩かれてはおらず、むしろカンゲイされていたくらいなのだ(笑)。


 とはいえ、その意味ではSF洋画『スター・ウォーズ』シリーズ(77年~)のマニアはまだ枯れてはいない。たとえば、70~80年代の3部作をさかのぼった前日談であった『スター・ウォーズ EPISODE 1』~同『3』(99~05年)についても、「こんなの『スター・ウォーズ』じゃないやい!」といった批判が巻き起こっていたものなのだ。
 しかし、世代交代は着実に進んでいく。子供時代に『1』~『3』をスナオに楽しんでいた下の世代に突き上げを喰らった映画評論タレント・ライムスター歌丸なども「同作群のことを悪く云いすぎた。自身も偏っていたのかもしれない」といった主旨で弁明したり、自己相対視をしていたりもする。
 かと思いきや、歴史は繰り返す! 今度は『1』~『3』の世代が、本家のルーカス監督が手掛けた『スター・ウォーズ』6部作までが「あるべき姿」であって、2010年代に公開されたディズニーへの譲渡後の「続3部作」こと「エピソード7~9」の作りや設定を酷評していたりもするのだ。たぶん、これも今から15~20年後にはおそらくは……(笑)。


 筆者個人はファースト『ガンダム』世代の老害オタクではある。しかし、TVシリーズであれば歴代作品すべてをほぼリアルタイムで観賞してきたキモオタでもある。その意味ではファースト世代の典型とは云いがたい。そして、当初はともかくある時期からは、玩具の販促番組としての側面も否定はしてこなかった。女子向け人気も否定はしてこなかった。さらに、それらのノルマを満たしたうえでなお、高いドラマ性やテーマ性を達成することも可能である! とも長年考えてきた。
 よって、筆者の個人的な『SEED』シリーズに対する評価は、実は同世代の大勢とも異なっており、往時から高かったりもするのだ(ご不興な方々にはゴメンなさいネ・汗)。
 その理由は、初作を除いた『Zガンダム』以降の本家・富野ガンダムには付きものであったムダに無意味な難解さや、新劇(=明治時代以降の近代演劇)調の「持って回ったセリフ廻し」が排されていることなど、マニア・オタク的な人種を超えて幼児にはともかく小学校の中学年以上であれば最低限は理解ができる作品として成立していたことだ。そして、女子層をもゲットすべく照れずに真っ正面から堂々と美少年キャラを前面に看板として押し出してもいたことだ。


女子人気をねらうことを肯定する! 女子人気をねらいつつ、高いテーマ性、そして商業性を同時に確保することの鼎立も可能であるハズだ!?


 後者の方向性での先駆者としては、『ガンダムW』がすでにあった。これは同作のカントクを務めた池田成(いけだ・まさし)が手掛けた、一応の美少年キャラが多数登場した『聖闘士星矢(セイント・セイヤ)』もどきで日本サンライズ製作の子供向けTVアニメ『鎧伝(よろいでん) サムライトルーパー』(88年)などにおける、大きなお姉さんオタクへの流通をもねらったところは確実にあったであろう。
 これを邪道であると批判する意見もあってイイ。しかし、往時のファースト『ガンダム』も女子ウケ人気は凄まじいものがあったのだ。本家の富野カントクが初監督を務めた往年のTVアニメ『海のトリトン』(72年)でもカントク自身がそういった女子人気があったことを認めているし、後年のTVアニメ『ターンエーガンダム』(99年)の美少年主人公についても、そのような女子ウケ人気をねらっていたとも公言している(……同作については、そういった女子人気は獲得できてはいないけど・汗)


 もちろん『W』もまた、女子くすぐりだけにとどまっていたワケではない。そこには、


●「戦争とは何ぞや?」
●「革命とテロリズムとの差異とは何ぞや?(……実に曖昧であって、勝てば官軍・負ければ賊軍といった側面も否めない!)」
●「独立戦争・革命戦争もまた、過剰防衛の攻撃的な戦争へとおちいってしまうこともありうる逆説!」
●「初作における『ニュータイプ』(=超能力を持った新人類)の唯物科学的な解釈だともいえる、当人に素質さえあれば戦術・戦略・政略、ひいては国際情勢の五手先・六手先の推移のシミュレーションや、複数の陣営&多数のプレイヤーのブラウン運動、自身の歩むべき道スジまでも、ビリヤードの玉突き的に見抜くことを補佐することができてしまえる『ゼロシステム』なる機械装置!(……ただし、赤勝て白勝て、巨人か阪神か、右翼か左翼か程度の2元論でしか物事が考えられないようなザル頭の御仁であれば、重負荷によって精神をヤラれてしまうともいう!・爆)」


 そういった高度なテーマをも、敵味方の陣営や各々の内部での二転三転する勢力交代劇などに巧妙に織り交ぜるかたちでストーリーを構築してみせていたのだ。


 本作『ガンダムSEED』もまた初作と同様に、地球と衛星軌道上に多数浮遊する宇宙植民コロニー間での紛争を題材としている。宇宙コロニーに住まっていた10代の少年少女たちが地球側の宇宙戦艦に避難して放浪することになり、そこでの10代の少年少女の集団にアリがちでも普遍的な人間模様や、偶然にも主役巨大ロボ・ガンダムを操縦してしまった主人公少年が、仲間を守るための成り行き上で戦いに身を投じていくあたりもまた、初作と同様なのであった。


 シリーズ作品が初作とは完全には同一の内容にはできない以上は差別化は当然である。しかし、歴代の後続シリーズが置き去りにしてきてしまった、10代の視聴者にとっては同世代である男女たちによる人間群像劇や、あるいはローティーンの視聴者たちから見えているチョイ歳上のお兄さん・お姉さんたちの世代による少々の不和も交えた性格群像劇やプチ大人びたやりとりへのあこがれ。それもまた初作の魅力のひとつではあったのだ。
 そのあたりを本作『SEED』においても再現してみせていたことについては、本来の主要ターゲットは10代・思春期の少年少女向けであるべき「TVアニメ」の作りとしては、もはやオッサンの筆者的には没入はしなかったものの「我が意を得たり」とは思ったものだ。


 むろん、少子化時代に商品の売上高を増やすためにも、味方側にもガンダムが複数機、敵側にも悪いガンダム(爆)が複数機は登場することが、メタ的・商業的な意味ではデフォルト(初期設定)にはなっていた。そのために、なぜに敵と味方で同じガンダムタイプの巨大ロボを使用しているのかについては、敵対陣営から強奪したという描写で言い訳も付けていた(笑)。しかし、カラーリングとしては敵側のガンダムは暗褐色にするなどして、映像的にもわかりにくさは回避ができている。
 劇中用語においては敵も味方組織も、たとえば『Zガンダム』における味方側が「エウーゴ」で敵側が「ティターンズ」など双方ともにカタカナ言葉にしてしまって、区別が瞬時には付きにくいといった煩雑さなどもない。味方側は漢語の「地球連合」で宇宙植民者側はカタカナ言葉かつ濁音の「ザフト」にすることで「一聴瞭然」ともさせていた。


 もちろん、今どきの青少年向け作品としては、それらの2者を善悪2元論的な存在だとして単純に扱うワケにもいかない。次第に両者を「どっちもどっち」的に相対化していった果てに、ここは軍事的にはリアルではなく、大本営の意向を無視して現場が暴走した旧・関東軍的な軍規違反だといった問題点はあるのだけれども(汗)、主人公たちが搭乗している母艦が「独立義勇軍」化することで、「地球」と「宇宙植民者」双方に対する倫理的な批判者としても昇華してみせていたりもしたのだ(……もちろん、厳密には日本+サウジもどきの中立国も設定しており、サブヒロインをここの出身にもすることで、さらに錯綜させている)。


新人類ならぬ、遺伝子操作ベビーvs一般人との図式がハラんでしまう複雑な入れ子の構造の秀逸さ!


 初作における「ニュータイプ」に相当する概念としては、「コーディネイター」なる存在を導入。字義的には「調整者」ではあっても、これは実はいわゆる「ルッキズム」「美容整形」(爆)の延長線上の存在ともなっていた。瞳や髪の色だの目鼻口のかたち、そして知力・運動神経なども遺伝子レベルで操作して誕生させたデザイナーベビーたちの成れの果てであり、彼らはすでに数世代を経ている存在たちでもあったと次第に明かしていく。そして、この設定によって、主要人物たちが見目麗しい美少年・美少女であったり、10代にして優れたロボット乗りとして活躍できているSF的な理由がたとえ後付けではあってもできているのと同時に、倫理的なヤバさをも感じさせていくようになっていくのだ。


 そう。本作における地球と宇宙植民者との争いの根源は、何十年にもわたって次第に増加してきた「コーディネイター」、そして「ナチュラル」と呼称されるようになった一般人との、双方がお互いを打倒すべき特権階級・上級国民(汗)として見立てることも可能な入れ子となった階級闘争。あるいは、お互いを蔑視・不気味視・排斥し合ってきたことの結果としての戦争だとしても描くのだ!


(……奇しくも、東西冷戦終結直後の世界的ベストセラー『歴史の終わり』で、「ソ連型のマルクス共産主義に対しての資本主義・自由主義の永世勝利」を宣言した日系人学者フランシス・フクヤマが自説を撤回して、今度は「行き過ぎた自由の乱用で、遺伝子操作された人間&一般人とのあいだでの不和が生じうる未来」を警告した『人間の終わり』なる書籍の邦訳が、『SEED』放映開始のちょうど前月に出版されていたりもする)



 本作が秀逸であったのは、この「コーディネイター」なる存在を古典SFのアシモフ&クラーク的な進化した「新人類」としては描かなかったことである(……『Z』以降の富野ガンダムにおける「ニュータイプ」の概念も同様ではあったけど)。
 彼らはたしかに知力・情報処理能力・反射神経などには多少は優れている。しかし、メンタル・喜怒哀楽・人間力・個人の性格・胆力のような部分では「ナチュラル」とも変わらない。その意味ではただの人間・ホモサピエンスではあるのだ。
 ゆえに、少年少女らしい恋情にも落ちてしまう。親しい友人や戦友が落命してしまえば、やはり感情的にも取り乱して敵対陣営に対して憎悪を覚えたりもする(……そこに付け込んで、自身の魅力で錯乱した主人公少年を一時的に籠絡、肉体関係(爆)まで結ばせてしまう悪女同級生まで登場していたあたりは現代的ではあったけど)。


 むろん、コーディネイターたる主人公少年がナチュラル側の地球に味方して、コーディネイター側たる宇宙側にも初作のライバル青年もどきのアイマスクの男が実はナチュラルだったとすることで、その作品の対立構図を単純にはしていない。


(……富野御大による90年前後からのニュータイプや宇宙植民それ自体に対してのややネガティブな言説に乗っかったのか、「ニュータイプ」を往年の「アニメ新世紀宣言」には傾倒したものの「80年安保」(笑)には挫折してしまったオタク第1~第2世代の「オタク的感性の肥大化のいびつさ」のメタファーともすることで、そして戦後15年(汗)の時代の若年世代でオールドタイプではあっても健全な少年主人公にニュータイプの操縦技量を陵駕させてしまうことでも、何事かを訴えていた『ガンダムX』といった前例もすでにあったけれども……)


敵味方の憎悪と復讐の増幅&連鎖描写の執拗さ! しかし! やはりイイ意味でのジュブナイルであった(笑)


 そして、敵味方の双方の陣営ともに、そういった戦友たちの落命描写が描かれていくことで、両方がイーブンに憎悪&復讐の念を募らせてもいく。
 まぁ、敵の顔が見えない近代的な海戦・空戦・機械戦においては、個別具体の敵兵に対しての憎しみはさほどには募らせないとする説もありはする。しかし、陸戦の歩兵や戦地・占領地となった地の庶民感情なども含めた「戦争一般」をフィクションに昇華させるのであれば、たしかにこういった憎悪描写・復讐感情はハズせない要素ではあったであろう。
 そして、ここまで見せられてしまうと、やはり憎しみが深まってしまった敵対陣営同士が和解を遂げて平和が到来することもまたほぼほぼ不可能だナ、といったことも思わされてしまうのだ(汗)。



 とはいえ、本作はやはり10代の少年少女向けのジュブナイルのエンタメ作品ではある。人類や人間一般に対する「絶望」でオトすワケにもいかない(笑)。シリーズ後半においてはアレほどまでに憎みあってきたライバル少年とも和解を成し遂げてみせている。
 そして、「もう誰も殺したくない!」という強い想いが最強のコーディネイターとしての能力を最大限に発動! ひとりイージス艦のようにガンダムの全身から一度に数十発ものビームを一斉発射して百発百中にできてしまえるようにもなっていく!
 しかして、暴れん坊将軍・吉宗の峰打ちか、SF西部劇『トライガン』のガンマン青年主人公か、銃撃百合アニメ『リコリス・リコイル』のごとく、誰をも殺さないように敵機の急所はハズしたかたちで「非殺生」を実現してしまうのでもあった!(……まぁ、自然落下して地面に激突してしまった敵ロボの操縦者はやはり死ぬだろうとは思ったものの・笑)


 ここから物語は一大戦争を集結させるためにヒロイックなフィクション・ワールドへも突入していく。これを是とするか? 非とするか? ……しかし、筆者個人は半分は思わず笑ってしまったものの、ウソ八百ではあっても実に爽快ではあった。「現実」的にはともかくとしても「SF論理」的な解決策としては合理的だとも思えたので、OKだとする立場なのだ(……と同時に、これをNGだとする見解もごもっともだとは思う。そして、そういった彼らを論破できないとも思ってはいる・汗)。


絶対平和主義・完全平和主義・非殺生は正しいのかもしれないが……


 とはいえ、先の『ガンダムW』においても、最終的には絶対平和主義・完全平和主義が賞揚されていたものだ。本作『SEED』においても非殺生が賞揚されていた。少年少女向け、あるいは一般大衆向けのエンタメ作品としては妥当な持っていき方ではあるだろう。しかしそれと同時に、この絶対平和主義や非殺生が個人的には隔靴掻痒・ムズがゆい感もあるところなのでもあった(爆)。


 もちろん、平和は大切なものであり目指すべき目標でもある。しかし、戦争それ自体を減らすことはまだ可能ではあっても、完全にゼロ・根絶することができるとまでは、さすがに筆者個人は思わない。
 大変に申し訳ないのだけれども、「自国が武装を放棄して友好的な態度をとれば、敵国や周辺諸国は攻めてこないのだ!」といった意見は、人間不信の筆者にはドーしても受け容れがたい。
(……「自国の軍備増強が他国への侵略につながる可能性がある」と主張したソバから、「他国の軍備増強にはそれがナイ」とするダブスタ糞オヤジな論理を持ち出す輩には、その知性を疑ってもしまう・笑)


 「国家権力にナメられたり弾圧されてしまう隙を与えないためには、デモやストライキをする側はもっと威圧的であってもイイ」とする、近年流行りの脱成長・共産主義者の見解にも一理程度はあるとは思うものの、一方ではそれは「軍事における抑止力」の肯定にも通底してしまうこともまた間違いがないのだ(汗)。
 「国家権力に対しての暴力は肯定するが、外国に対しての暴力(戦争)は肯定しない」といった反駁もまた想定内ではあるけれども、外国もまた国家権力そのものでもある以上は、筆者個人は外国の善性といったものにもあまり期待はしていない。


 かといって、戦争の主体たりうる近代国民国家を廃絶すれば、戦争は根絶できるのか? といえば、それもまた実に怪しい。全人類の半分とはいわずとも1/3くらいは、安倍ちゃん・トランプ・親の教育・社会の風潮によらずとも、幼児・子供も含めて法律・刑罰があるから悪事を犯さないだけの品性下劣な人間たちなのでもあるからして(笑)、あまたの西部劇や劇画『北斗の拳』に洋画『マッドマックス』のような各地域のジャイアンもどきが跋扈する無法地帯の世界が現出してしまうであろうと信じて疑わないのだ。
(……といって、そういった連中を『リコリス・リコイル』(22年)における某機関のように予防的に抹殺せよ! なぞといったことは思ってはいないので、くれぐれも念のため)


絶対平和主義・完全平和主義・非殺生のアンチテーゼ、『SEED』のアンチテーゼかとも思われた続編『DESTINY』!


 そういった自作に対するセルフ・ツッコミもスタッフ間の脳裏にはあったのであろう。『SEED』の続編『DESTINY』ではナンと! 前作における先の中立国での主役ガンダムによる戦闘の巻き添えで両親&妹を失ってしまった少年が新ガンダム乗りの主人公ともなっていた。そして、前作主人公に対して恨みさえ募らせてもいるのだ(汗)。腐れオタク的には怪獣映画『ガメラ3 邪神覚醒』(99年)や往年の『ウルトラマンタロウ』(73年)#38における怪獣災害孤児少女を思わせる設定でもある。


 そして、宇宙(ザフト)側の軍隊を舞台にして、前作のライバル少年を直属の上官(!)にも据えた、宇宙側が開発した新ガンダムに搭乗する少年を新主人公に据えた物語がつづられてもいく。


 同作の早々にて描かれる、地球と宇宙との和平を不服とした宇宙側の脱走兵たちによる超巨大な宇宙コロニー落とし作戦の成功(爆)を発端とする再度の開戦! 狂気の沙汰ではある。しかし、脱走兵たちの主観風景にカメラが向くや、かつて地球側の攻撃で家族や同胞が大量死にあったことへの行き場のない激しい悲しみの表情! これではもう、彼らがそういたしてしまったこともまたムリはないとも思わされてしまうのだ(汗)。


 個人的にはトータルでは肯定はするものの、ややキレイごとなオチには思えた『W』や前作『SEED』のアンチテーゼたりえてもいる。「復讐の連鎖を断ち切れ!」といったテーゼ。それは「正論」ではある。しかし、それで苦悶のなかにある人々の全員を救えるとはとても思えない。ついつい内心では復讐心・ルサンチマンをたぎらせてしまうような筆者、もとい庶民・大衆・愚民の皆さん(笑)をさすがに全肯定はしてくれなくてもイイのだけれども、そういった凡俗たちのどうしようもない怒り・憎しみ・俗情・劣情・屈託などのマイナス感情にも共感を示して寄り添ってもくれてこその、ちょっとした「救済」もまたあるものなのだ。そういった複雑デリケートな機微などにも一理は認めてくれるのか!? といった期待などもしていた。


 しかし、いかにリアルロボットアニメの端くれだとはいえ、毎週土曜の夕方6時ワクの作品としては重たすぎるネタではあった。扱い方を間違えれば、社会に対する無差別復讐テロの肯定にもなりかねない(汗)。よって、作品はこの問題提起に対して十全たる決着を与えていたとは云いがたい。
 最終回では新作主人公&彼の悲劇の戦友vs前作の主人公&彼の元ライバル少年、2vs2での巨大ロボット対決を通じた敗北(!)のかたちで、新主人公の想いは旧主人公によって最終的には否定されてしまうのであった……。
(そんな構図でイイのか!? といったオチではあったのだけど、チカラ技&勢いの展開&演出で押し切れてはいたとは私見している)


戦争の根源原因とは、「軍需産業」(武器)の存在ではない!? 人間それ自体の「遺伝子レベル」(本能)での「闘争本能」「利己的」「階級的性向」にこそある!?


 むろん、作品自体は多層構造を持っているので、同時に並行してファースト『ガンダム』でのライバル青年・シャアを演じた池田秀一が演じる、ナゾめいた黒髪長髪壮年イケメンの宇宙側の議長もまたカギとなるキャラとして描かれてもいた。終盤では「地球」側でも「宇宙」側でもない第3の陰の「軍需産業」が「戦争の原因」だと告発して、彼らを壊滅にも追い込んでみせている!


(……余談だが、同作にはもう一方の黒幕として、政治に食い込むことにも成功した急進的な「環境保護団体」も登場。コーディネイター生命倫理に反した存在だとして糾弾することで、その論理に一理はあっても「差別」に加担してしまってもいる逆説をも描いていく・汗)


 しかし、「戦争の根源」とは「軍需産業」にもまたなかったとして描くのだ。人間・生物自身に本能レベルで組み込まれている闘争本能・利己的・階級的性向にこそ根源があるとする。それらを遺伝子レベルで除去したうえで、平和な社会や個人の安定した人生をもデスティニー(運命)のレベルで保証・管理社会化することで、戦争をも根絶しようと主張しだすのだ。そして、それに反対する勢力に対しては「最後の戦争」(爆)を仕掛けてもいくのだ!


 これもまた、一理も二理もある主張ではある。しかし、「運命」よりも「自由」を賞揚する我らが近代市民社会における物語作品においては、この目論見は当然ながらに真のラスボス扱いとして否定もされていく……。



 とはいえ、「個人の(試行錯誤の)自由」を肯定してみせることは、原理的にはその「自由」そのものが、「自由と自由との相克」が「戦争」へと帰着してしまう可能性をも残してしまうということでもあるのだ。


 しかし他方では、生まれつきで肉体や精神が弱く生まれついてしまった人間や、イジメ・パワハラモラハラなどにも遭ってきて、そういった嗜虐的な人間たちを除外してほしいと願ってもいる厭世的なヒトたちにとっては、このデスティニー・プランがもたらす弱者に対する救済、そして議長の悲哀から来る想いもまた完全否定はできないものではなかろうか?


 加えて、議長の動機のひとつに


コーディネイター同士の婚姻は出生率が非常に低い。好いた女は子供がいる家庭がほしかったので、彼と結ばれる人生は選ばなかったのだ」


といった悲恋要素もまた、女々しくはあったものの心打たれたものである……。


 といったあたりで、筆者個人の『DESTINY』に対する総合的な評価も手放しではなかったものの実に高いのだ。しかし、もちろんバランスの悪さがあったことは認めるし、いわゆるガノタ諸氏の当時の評価は非常に低かったことも歴史的な事実としては記しておきたい。


20年後の続編映画『ガンダムSEED FREEDOM』寸評!


 その20年後の2時間尺の続編新作映画『FREEDOM』では、TVアニメ2作品・全100話を通じての複雑なテーマなどは描けようハズもない。よって、大傑作であったなどとも強弁する気もまたない。しかし、総花的なファンムービーとしてドラマの主軸を見失ってしまうことなく、戦闘シーンを必須とする巨大ロボットアニメ活劇としては、最低限の起承転結と終盤における勝利のカタルシスのノルマも満たしてはいる。


 たしかに原典『SEED』シリーズにも登場した宇宙コロニーレーザーもどきの超巨大兵器も再登場させて、映画の終盤では戦闘のスケールを大きくもしている。
(……まずは人体が発火してから器物の爆発が起きるので、電力をマイクロ波の周波数に変えて宇宙から地上に送電する太陽光発電の応用なのであろう。電子レンジもマイクロ波の電波で水の分子のみを高速振動させて熱するものなので。本シリーズの戦闘中のガンダムの小さな受信鏡にビームを当てるかたちでの充電も同じ原理であるのだろう……と思っていたのだけれども、あらためてWikiを参照してみると、相当にややこしいSF考証になっている・笑)


 しかし、本映画の舞台の基本は、東欧~中央アジア圏にて独立を果たした小王国による実に小さな紛争劇であった。そして、王国の親衛隊の巨大ロボ乗りの少年少女たちとの邂逅、男女間での三角関係、戦場での対決をデスティニー・プランの残滓も交えて描いてもいく。
(……相手の精神に干渉してきて思考を読んだり、幻覚を見せてくる敵が登場するあたりは『SEED』っぽくはないよなぁ……とは思ったものの、まぁ『ガンダム』ものとしてはアリなのかなとも・汗)


 『SEED』正編においては、当初は『マクロス』シリーズ的な天真爛漫なだけの白痴歌姫であるのかとも思わせておいて、実はその本性は理知的で政治的な判断やふるまいもできるメインヒロインであったラクス嬢と主人公少年との一応の相思相愛関係。相手が別の好ましい異性と会話をしているのを見掛けての気後れから来る疎隔感・プチ嫉妬・最終的な愛情確認……といったミクロなところへと決着していくあたりもまた、彼らがいまだに20歳前後の若者であって、『SEED』のドコに往時の女性ファンなり思春期のファンたちが関心を持っていたかを思えば、ストーリーの妥当な主軸ではあっただろう。


 メカロボ的には、『DESTINY』においてファースト『ガンダム』の敵ロボであったザクやグフにドムのバリエーションが名称もそのままに作品世界を超えて建造されていたことも継承しており、本映画においてもゲルググやギャンにシャア専用ズゴックもどきが主要メカとして登場。メカファンサービスにこれ務めてもおり、ロートルな筆者なぞも喜んでいた(笑)。


 続編『DESTINY』の新主人公少年が、『SEED』正編および本映画の主人公少年とも和解を遂げているどころか心酔すらしており、彼の部下として嬉々として働いているどころか彼に認めてもらいたがってもいるあたりは、個人的には彼にも救済が与えられたと感じられて肯定的に観ていたのだけど、賛否がありそうではある。しかし劇中では『DESTINY』のまだ2年後の世界ではあっても、作品の外側では20年もの歳月が流れたことによって(笑)、完成映像では描かれなかったところでの両者の和解もあったのであろうと好意的に脳内解釈もしてしまうのであった。


 しかし、ググってみると……。エッ!? 『DESTINY』本編最終回の3ヶ月弱後に後日談がTV放映されていたの!? そこで両者の和解もすでに描かれていたの!? 後年2013年のHDリマスター版ではこの最終回をさらに2話分に分けるかたちでの再製作もされていたの!?(結局は筆者もまたチェックの甘いぬるオタであって、エラそうに語る資格は本来はございませんでした~・汗)



 ファースト『ガンダム』の総集編映画の最終作『機動戦士ガンダムⅢ めぐりあい宇宙(そら)編』(82年)の「興行収入」をとっくに超えてみせた本作ではあったけど、215万人に対しての277万人! 「永遠に超えられない壁」だと思っていた同作を、「観客動員数」でもついに陵駕してしまった『ガンダム』映画が登場したのであった。メデタシめでたし。
 「アナザーガンダム」&「本家の歴史の隙間を埋めていくガンダム作品」の並存。玩具会社・バンダイアニメ製作会社サンライズの周到な延命マーケティングがありきとはいえ、今後もしばらくは多様な『ガンダム』作品&映画で楽しませてはくれそうだ。


(了)
(初出・オールジャンル同人誌『DEATH-VOLT』VOL.95(24年6月30日発行予定))


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