假面特攻隊の一寸先は闇!読みにくいブログ(笑)

★★★特撮・アニメ・時代劇・サブカル思想をフォロー!(予定・汗)★★★ ~身辺雑記・小ネタ・ニュース速報の類いはありませんので、悪しからず!(笑)

仮面ライダーカブト最終回・総括 〜終了評 終戦の白倉ライダー


『仮面ライダーカブト』 〜全記事見出し一覧
『仮面ライダー』シリーズ評 〜全記事見出し一覧
『仮面ライダーカブト』 〜前半評 白倉+井上+田崎路線復活!?
『仮面ライダーカブト』 〜後半評 ドレイク風間大介&少女ゴンVS間宮麗奈

終戦の白倉ライダー 〜ライダー達の相剋路線の終焉

――『仮面ライダーカブト』最終回「天の道」――

(文・伏屋千晶)


 正邪相闘わば、邪、必ず勝つ。清と醜もまた同じ。剣士は醜く邪ま(よこしま)であることを恐れてはならぬ。生き残ることこそ、至極の正と思われよ。

隆慶一郎/新潮社/86年)


 闘わなければ、生き残れない――苛酷な〈競争社会〉の存在を前提とし、仮面ライダー同士の熾烈な闘争の数々を描出してきた白倉ライダー・シリーズは、『仮面ライダーカブト』(06)最終話をもって、その真骨頂たる作劇モチーフであった「複数ライダーの相剋」を一旦封印し、本年度の『仮面ライダー電王』(07・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20080217/p1)では、改めてまったく新しい番組のスタイルを模索するらしい。
 就きましては、最後にもう一度だけ、第1期・白倉ライダーの総括をごく簡単にやっちゃいましょう。



 さて、私が、白倉伸一郎P(プロデューサー) の手がけた一連の作品が、他の同種の作品群に比べて傑出していると考える理由は、通念化したヒーロー番組のパターンを借りず、極めて普遍的なスタイルを独特の工夫によって生みだし、それを短期間で完成させるに到ったという一点に拠ります。
 好評を博した『仮面ライダークウガ』(00・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20090907/p1)に続く『仮面ライダーアギト』(01・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20011108/p1)のプロデューサーに就任した白倉氏を“2匹目のドジョウ”“棚からボタモチ”などと揶揄するファンも居たようですが、実際には、前任者・高寺成紀(たかてら・しげのり)Pの「事務処理の面での尻拭い」というのが実情でした。
 『クウガ』の(営業的)続編という制約、久しぶりに盛り上がってきた仮面ライダー復活の気運に水を差すことはできないプレッシャー……。


 現在でこそ、ヒットメーカーとして名を馳せている白倉氏ですが、一部のマニアの間で高評価を博した『鳥人戦隊ジェットマン』(91)も、『超光戦士シャンゼリオン』(96)も、数字的にはイマイチの失敗作だったワケで、『アギト』以前の同氏のキャラクター番組のプロデューサーとしての実績はゼロに等しかった――という背景をお忘れなく。
 未熟な若手プロデューサーに過ぎない弱い立場にありながらも、自分の信じる作劇ポリシーを貫かんとする白倉氏は、三度、脚本に井上敏樹氏を指名――結果、『アギト』は、『ジェットマン』『シャンゼリオン』と同様のルーチンを繰り返していただけにも関わらず、『クウガ』を凌ぐ人気作品に成り上がり、「年間平均視聴率10%越え」の目標を達成してテレビ朝日も御満悦。(俗に“時代が作品に追いついた”と申しますが……)


 こうして、ひたすらアンチ・テーゼの裏街道を歩んできた白倉+井上コンビは漸く(ようやく)脚光を浴び、陽の当たる表舞台に立つことができたのです。
 なにしろ、自作が世間に受け入れられなんて初めての経験だったので、あらゆる点で匙(さじ)加減が分からなかった白倉氏は、後先を考えずに『アギト』へ全精力を傾注した結果、次なる新番組の企画の準備・構想には十分に頭も手も回らなくなり、バンダイから提案された“営業面”重視の〈多人数ライダー〉のコンセプトを鵜呑みにしてしまい、ある意味“やぶれかぶれ”の状態で『仮面ライダー龍騎』(02・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20021109/p1)に着手。
 『アギト』で消耗しきった後の虚脱状態で、深く考えもせずにスタートさせた[13人ライダーの戦い]のプロットがバカ受けしたのに加え、カードゲーム・ブームに便乗した[アドベントカード]の設定も子供たちの間で大好評。『龍騎』はバンダイを大いに満足させて、白倉ライダーは絶頂期を迎えました。


 2作連続のメガヒットの結果、白倉組のステータスは急上昇。企画段階で多少の余裕ができた白倉Pは、いま一度井上氏と組んで、『アギト』で遣り残したコトを改めて遣り遂げよう、未完に終わった“ミュータント”テーマを完遂しようというコンセプトの下、『仮面ライダー555(ファイズ)』(03・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20031108/p1)が誕生。
 (些細なことながら、『アギト』『龍騎』『555』と列記してみると一目瞭然ですが、題字がカタカナ・漢字・アラビア数字と、毎年タイトルに一工夫してあったことにお気づきですか? って幼児でも気付いてそうですね(汗))
 異形の怪人オルフェノクがハイテク・ギアを装着するという、「ミュータント譚(たん)」に「メタルヒーロー的な要素」を加味することによって、〈ドラマ〉と〈玩具セールス〉両面の充実を図るという、キャラクタービジネスのノウハウに対する白倉氏の精通ぶりが窺える“成熟した”作品となった『555』には、正に白倉ライダー進化系の「究極形態」としての趣(おもむき)が感じられました。
 (その反面、白倉+井上コンビには、もうこれ以上、遣ることは残っていないのではないか……という危惧を覚えたのも事実です)


 劇場用作品の面でも、第1作こそは[仮面ライダー生誕30周年]という既存のモニュメント企画の一環として製作されたものの、企画のイニシャティブを掌握した第2作では[最終回先行映画化!]、第3作では[1万人ライダー部隊!]と、インパクトの強いセールス・ポイント(付加価値)をもってファンの煽動にまんまと成功し、3年連続で10億円超の興行成績を達成して(しかも、右肩上がり)大成功を収めました。
 昨年の『劇場版 仮面ライダーカブト GOD SPEED LOVE』(06・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060820/p1)には、そういったサプライズの趣向が無かったのでガッカリした方も多かったと思いますが、実は、企画段階では“史上最強のライダー”コーカサスの人間体・黒崎一誠役には[K−1ファイター・武蔵(むさし)]氏ではなく[狂言師和泉元彌(いずみ・もとや)]氏(!!)がキャスティングされていたとか。
 この意表を突くキャスティングこそ、本作のサプライズの仕掛になる筈でしたが、和泉氏の身辺にスキャンダルが多いことを懸念した東映上層部から、NGが出てお流れとなったそうです。


 されど、白倉氏がシャレや冗談でメインキャスト決定の断を下すハズがなく、和泉氏起用には、武芸百般に通じると言われる〈能狂言の所作〉を、他のライダーとは一線を画す「史上最強のライダー」のアクションに取り入れようという、明確な狙いがあったのでした……残念!
 劇中の〔仮面ライダーコーカサス × 仮面ライダーラクス戦〕のシーンは、キャスト交替が決定される寸前に撮影されたので(?)、コーカサス役の[岡元次郎]氏は〈狂言〉の所作を意識し、無駄な動作の一切を極力排して“静”のイメージを強調した、従来にない殺陣を演じています。



 『555』の半ばで白倉氏がチーフプロデューサーの座を降りた理由については諸説ありますが、機を見るに敏な鋭敏なるセンスを買われ、人気が安定したライダー・シリーズ以外の新規企画に対して自由な立場でアタックできる“遊撃部隊”の長としての使命を仰せつかった――というのが最も実際的な解釈ではないかと思われます。


 (具体的には、実写版『美少女戦士セーラームーン』(03・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20041105/p1)を2年間担当した後、仮面ライダー生誕35周年記念関連イベントを包括的に取り仕切る予定だったようですが、高寺Pが『仮面ライダー響鬼(ひびき)』(05・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070106/p1)を中途で降番させられたお陰で、またしても同氏の不始末の“尻拭い”をするハメになり、そのままTVシリーズ担当Pに逆戻り
 /『響鬼』に於ける高寺P更迭の原因は、主に 「予算オーバー」によるもの。『クウガ』の時も、「長野ロケ」及び「教会&長野県警エントランスの特大セット」で、パイロットの段階で1億円以上の赤字を計上していたのですが、製作統括の鈴木武幸(すずき・たけゆき)氏が直々に乗り出して、以後の製作費チェックを厳しくしたので、なんとかシリーズ中途での更迭は免れましたが、『響鬼』の時には、鈴木氏は戦隊シリーズの塚田英明Pの教育に専念していたとかで(?)、高寺Pの暴走に歯止めをかけてくれる上司が居ませんでした。口うるさく叱ってくれる上司ってのは、本当は有り難いものなのですね
 /白倉Pが担当した『555』パイロットでの九州ロケの際には、現地の遊園地=三井グリーンランドとアトラクションショーのタイアップ契約を交わして、ロケ費用を格安で済ませています
 /『響鬼』打ち上げパーティーで上映された短編映像『仮面ライダー響鬼 五十之巻 ズバリ言う夕子』には、高寺・白倉両氏が画面に登場して、「仮面ライダー」から「戦隊」の制作デスクに異動する[青柳夕子]氏に対して労をねぎらうコメントを発するカットがあるそうですが、この両氏、プロデューサー交替の経緯について生々しいヤバイ事柄を喋ったらしく、完成作品ではかなり割愛されていたという噂
 /尚、この『ズバリ言う夕子』のノーカット版は、撮影と演出を担当した鈴村展弘(すずむら・のぶひろ)監督だけが所持しているそうです……見てぇぇッ!)



 以上、第1期・白倉ライダー3年間の興隆のプロセスを手短かに振り返りましたが、次は白倉ライダーが成立した時代背景に就いて考えてみることで、その“特異性”を改めて顕現化させてみましょう。
 ウルトラマン仮面ライダー・ゴレンジャー(戦隊)など画期的なヒーローのオリジン(原型)が数多く生まれた1960〜70年代とは違って、特撮ヒーロー番組のあらゆるパターンが出揃った(と思われる)80年代以降の今日までは、未知の新生ヒーローよりも、もっぱら過去に一時代を築いたお馴染みの人気ヒーローのネーム・バリューに依存して製作されたシリーズ物が成功した時代でした。


 このように伝統の踏襲を漫然と繰り返す風潮の中で、完成されたヒーロー神話の定型をブチ壊し、まったく新しいフォーマットをゼロから創り出すということに着目した人は絶無と言っても構わないでしょう。
 白倉Pは、その難事に果敢に挑んで、真摯に実践し、見事なまでに大きな成果を上げて、ヒーロー番組の「流れ」に革命的な変化をもたらした人だと思います。


 白倉ライダーの主人公には、いつ殺されても仕方がないけれど“決して死にたくはない”と願いながら、最終的には、進んで死地におもむく孤独な若者が多い。されど、そのような精神面での〈悟達〉の裏に、どんなに非情な手段を用いても血路を開いて生き残る男の、現実的な生き方がいつも貫かれていました。
 「凡人ヒーロー」の俗称を有する白倉P作品の主人公たちは、本来は世俗で平穏無事に暮らすことを望み、根本的に“闘争を好まない”気質であるにも関わらず、血腥い修羅場を幾度もくぐり抜け、敵の屍を乗り越えて、なお生きていました。何の為に?――死にたくないからです。


 “死にたくない”=〈自存自衛〉を第一義とする戦闘モチベーションの在り方は、慥かに(たしかに)主要視聴者たる子供たちの親御さん達から“辛辣すぎる”“殺伐すぎる”など多数の批判を受けました。
 が、世俗的なモラルに囚われることない幼児にとっては、「殺されたくないから殺す」という、至極単純明快にして、プリミティブ(原始的)な感情の下で率直に行動する白倉ライダーの方が、公的な道義心に基づいて行動する従来の型にハマった教条主義的なヒーローよりも共感し易かったようで、ここ数年間で番組のスタイルがすっかり定着してしまったのはご存じの通り。
 (「完全新生」=「脱・白倉ライダー」を旗印に製作された『仮面ライダー響鬼』で、2人目のライダー=イブキが最初からヒビキの“仲間”として登場したことに、違和感を覚えた子供が多かったらしい(?)。一度ならず殴り合った後に、初めて互いの胸襟が開かれる――という、白倉ライダー定番のフォーマットの浸透ぶりが窺える風聞ですね)
 まあ、“悪人正機の説(あくにんしょうきのせつ)”(鎌倉仏教・親鸞上人(しんらん・しょうにん)の弟子・唯円聞き書き『嘆異抄(たんにしょう)』〜悪人にこそ救いの機会がある)にも匹敵する奥深い真理を感じさせるとまで申しては大袈裟ですが、単一の正義を否定し、ヒーロー番組に於ける悪役の魅力・存在意義を改めて認識させてくれた功績は大です。



 闘いの場において、正しい生、美しい生はあっても、正しい死、美しい死はない。死を正しい、美しいというのは、戦闘に参加しない他人の評価である。己が生死を他人の評価に委せてたまるか。

隆慶一郎/新潮社/86年)



 『アギト』『龍騎』『555』で、一気にドル箱プロデューサーに大出世した白倉Pが、自身が創出したコンセプトの“新しさ”“正しさ”について、非常な自負を持っていたのは相違なく、同人誌「PLANETS Vol.2」(第二次惑星開発委員会/06年)のインタビューの中で、以下のように語っておられます。


①『ライダー』は子供番組なので、たとえいま理解されなくても、30年後に視聴者のお子さんが立派な人間に育ってくだされば、それで価値があります。


②価値観を押しつけるのには反対です。(中略)番組にメッセージを盛り込むなどというのも、同じく、公共的な番組を私物化する行為だと思います。


③しかし、私たち死すべき人間には時間がない。(中略)貴重な人生に於いて、テレビや映画を観る必要はまったくない。でも、もしもそれが人生を豊かにするとしたら……。その一点にのみ、私達は賭ける。明日死すとも、リンゴの種を植える覚悟で。


 ①は、白倉P一流のレトリックで、メイン・ターゲットとする視聴者の年齢層の限定を、さりげなく回避しているところが奥床しい。(“石ノ森先生の遺志を継いで”みたく、作り手が視聴者の幅を限定するような、僣越きわまりないスローガンを得意げに掲げていた誰かサンとは大違いです)
 また、この文節の前段では、成人オタク層はターゲットとして想定していない旨を開陳しておられますので、「立派な人間」とは、決してオタクを指していないのは明白。オタク同人誌の紙上でオタクに対する侮蔑の念をヌケヌケと表明するシニカルな態度が相変わらず最高ッス。


 ②は、ガチガチの〈テーマ主義者〉だったと伝えられる第2期ウルトラの[橋本洋二]Pや、子供番組の中で古めかしい道徳観を押しつける教育論モドキを展開しようとした[江連卓(えづれ・たかし) ]氏にも聞かせてあげたいナー。
 (もっとも、江連氏の本領は“天然”のアナクロニズムにあり、それがバクハツすると『仮面ライダーBLACK RX』(88・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20001016/p1)みたいな怪作・快作が生まれちゃうんですから、オモロイわ〜)


 ③なんてもう、金言、名言、至言の域ですね。ヨッ、さすがは東大卒のエリート・プロデューサー! 本当に白倉Pは弁が立ちます。再三の交渉にも関わらず容易にリメイクの版権が得られなかった『美少女戦士セーラームーン』の実写版が製作に漕ぎ着けたのも、白倉Pが巧みな弁舌で“気難しい原作者”武内直子氏を口説き落とし、みごと同女史を籠絡(ろうらく)することに成功したからだそうです。


 東映バンダイ関係者からのいかなる説得にも耳を貸さなかった難攻不落の武内氏に、誠意と情熱をもって『セーラームーン』の新作をつくることの意義を伝え、原作と異なるストーリー展開(改作?)をも承認させた、白倉Pの如才のない交渉の手腕は、正に非凡でありましょう。
 原点回帰でもリメイクでもなく、況(ま)してやアンチ・テーゼでもなく、過去に映像化された旧作からの先入観を一切排除して――まっさらな気持ちになって――原作『仮面ライダー』の世界を自分なりの感性と新しい映画手法を駆使して映像化し、改めて“初版”(=THE FIRST)を創ることに、なんらかの意義があるのではないか]という『仮面ライダー THE FIRST』(05・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060316/p1)の製作趣旨を聞いた時、あァ、あの時、白倉Pは『セーラームーン THE FIRST』をやりたかったのだなぁ、と遅れ馳せながら思い至った次第です。


 (尚、スーパー戦隊シリーズ30作記念作品として、昨年度製作が予定されていたと噂されるVシネマ『ゴレンジャー THE FIRST』の企画は、白倉PがTVシリーズ『仮面ライダーカブト』(06)の担当となった時点で御破算になった模様
 /イケメンライダー・ブームの陰の仕掛人=武部直美Pが、キレンジャー=大岩大太役に誰をキャスティングするか、密かに興味を抱いていたのですが……。(やっぱり、スマートなキレンジャーになっていたのかしら?)
 /長年サブを務めている武部Pは、子持ちの主婦という身上ゆえ、チーフPの重責+激務の皺寄せ(しわよせ)の影響で家事が疎か(おろそか)になるのを恐れて、敢えてチーフの座を辞退し続けているらしい。作品よりも家庭の方が大切ですか、コレだから女ってヤツは……!)



 上記の3項から読みとることができる最も興味深いポイントは、「作品の評価」と「物語の読みとり方」を視聴者(=受け手)の側の感性にすべて委ねている点で、コレは自信(過信?)の証明の裏返しでもあるのですが、更に深読みすると、“番組の成否は受け手のリアクション次第”という考え方が表れてきます。“受け手のリアクション”は、常に《数字》というカタチで具象化します。
 即ち、〔視聴率〕と〔関連商品のセールス〕――これら《数字》の結果こそが白倉Pの思想の精髄をなしており、彼は、この2点をトコトン極めて、遂に、従前の特撮作品の作り手たちが創造し熟成させてきた「観念」から遥かに遠いものを掴んだのではないでしょうか。


 いくら“良心的で、面白い番組を作ろう”と心がけても、視聴者に受け入れられなければ、番組としては存在意義がありません。視聴率至上主義というのではなく、「作り手の心情」と「視聴率」とは比例しないものなのです。そういう通念のバカバカしさを、彼は、数々の番組で失敗した経験から悟った。一所懸命に心血を注いだ番組でも受けない時はあるし、小手先で適当に処理した番組がまぐれ当たりしちゃう時もある。
 つまるところ、目的(=視聴率)を達成するのは、自分(=作り手)の普遍的な心意気(=創意工夫)ではなく、刹那的な小手先の“器用さ”だ――と、彼は学習した。


 〈視聴率という目的の遂行〉を第一義として番組成立のプロセスを考えないから、作品評価はすべてが転倒してしまうのだ。視聴率は、純粋な〈芸術的評価の観念〉の内にはない、有益な〈営利行為の実践〉の中にある。
 故に、番組製作ノウハウの有効な理論を観念的に極めることは不可能なので、評論オタクは[好き/嫌い][面白い/ツマらない][わかる/わからない]といった曖昧きわまりない相対的な判断で済ませているだけなのです。
 必要なのは、この“小手先の器用さ”という侮辱された考え方を解放することでしょう。


 「視聴率」といういうものに含まれた理外の理を極めることが、白倉Pの所謂「実の道」であったのではないかと推察します。
 ですから、たとえ人気ゲームのパクリから発した安直な企画〔甲虫王者ムシキング → 『仮面ライダーカブト』、桃太郎電鉄 → 『仮面ライダー電王』(07)〕であっても、「全然、仮面ライダーらしくない!」と旧作ファンから罵倒されても、恬(てん)として「ナニ言ってるんだ、それが白倉ライダーなんだよ!」と言い切ることができる潔さ(いさぎよさ) が、私には非常に好ましく感じられてならないのです。
 私は、白倉伸一郎という人を、「実用主義」というものを徹底的に思索した、恐らく、日本特撮界&子供番組界で最初のプロデューサーだとさえ思っています。



 そこまで来ると、彼の考え方(実用主義)が更に徹底したものとなるのは当然でしょう。番組製作(=創作)も、突き詰めてみれば、諸々の人間の生業(なりわい)の一つであり、従って「営利活動」であるということです。
 白倉ライダー作品の〔完結編(=一般的に、クリスマス&正月の玩具セールスのピークを経過した後の、1月放映分の最終エピソード群を指す)〕の展開が、急激にトーンダウンしてしまう理由はソコにあります(?)。「商品」としてのポテンシャルが稀薄となった残り滓(かす)みたいなラストエピソードに対して、“合理主義者”白倉氏が力を注ぐ道理がないのです。


 世に「龍頭蛇尾」なる慣用語がありますが、白倉ライダーの場合、物語の序盤=第1クールは“謎”の伏線が張り巡らされているばかりでサッパリ意味不明、娯楽性が稀薄ゆえ、頭も「蛇」と申せましょう。
 第2クールで登場人物のメンツがやっと出揃い、第3クールになるとキャラの完成度が熟してきた登場人物が各々に勝手に動きまわり始めてドラマの収拾がつかなくなります。この辺りの人間関係のグチャグチャぶり、キャラ同士の潰し合い or 共闘の態(さま)こそが、白倉ライダーの醍醐味に他なりません。
 そして、クリスマス決戦(12月)のクライマックスで最高潮に達したドラマは、年を越した途端、“紋切り型”の結末を間近に控えて未消化プロットの整理に終始する「蛇尾」の段階に入り、納得のゆかない“不完全燃焼”のフィナーレを迎えるワケです。
 ――ま、言わば「蛇頭龍胴蛇尾」ですな。



 年来の視聴者としては、もう慣れっこになったとはいえ、これだけ毎年々々、最終回で確信犯的な肩スカシを食らわせられては(今にして思えば他の白倉ライダーと比すればドンデン返しのオチが鮮やかに決まった『龍騎』は例外として)、いくら白倉ライダー・ファンでも、否、ファンだからこそ(!!)、文句の一つも言いたくなるのが人情ってものでしょ。
 いい加減な結末に対する白倉氏のエクキューズとして、「最終回まで至ると、もうキャラクターは作り手の手から離れて、受け手(視聴者)の心の中で勝手に成長し始めているので、各々のドラマの決着は視聴者の心の中でオトシマエを着けて貰った方が良いと思う。だからこそ、明確なピリオドを打たず、敢えて曖昧な終り方にする」という趣旨の発言を、何かの雑誌で立ち読みしました……


 このウソつきプロデューサーめ! かの宮崎駿氏も『もののけ姫』(97)以降、「善玉 × 悪玉の対決により勧善懲悪の決着をつけるステレオタイプは飽きたから、もう二度とやりたくない」みたいなコトを仰っていますし、庵野秀明氏も『新世紀エヴァンゲリオン』(95)で、結末を描くための映画(97)まで作ったのに敢えて不明瞭な終り方に拘りました。
 ウーン。頂点まで上りつめたクリエイターってのは、どうしても“そっち”の方向に陥っちゃうものなのかしら。それが、創造の神の性(さが)というものなのかなぁ。



 死んだ「いくさ人」に勝敗は問題ではない。戦いと死だけが彼等の現実である。

隆慶一郎/新潮社/87年)



 『仮面ライダーカブト』完結編が煮え切らなかった第一の理由は、主人公[天道総司(てんどう・そうじ)(仮面ライダーカブト)]の戦闘モチベーションの中核をなす[日下部ひより(くさかべ・ひより)]役の里中唯氏が、第3クール以降レギュラーから外されたことに他なりません。
 総司&ひよりの兄妹関係は、『仮面ライダー龍騎』の神崎士郎&優衣(ゆい)の兄妹に匹敵する重要なファクターだった筈なのに……。
 その筋の情報によると、里中氏御本人には何の問題も無かったのですが、彼女の所属事務所が当初の出演契約を反古(ほご)にして、東映に対しシリーズ後半の出演スケジュールに条件付けを一方的に要請してきたのが、トラブルの原因だったそうです。


 結局、最終回まで両者は和解に至らず、ひよりの役は物語の展開上どうしても排除することができないし、イエローフォー(『超電子バイオマン』84)やレッドル(『重甲ビーファイター』95)みたいに女優を交替させて“2代目”を襲名させる訳にもいかない。
 さすがに冷徹な白倉氏でも、里中氏を降番させることはできませんでしたが、里中氏の出番は最小限に抑えられてしまい、シリーズ終盤のメイン・プロットになる筈であった日下部兄妹のドラマは、甚だ薄っぺらくて不完全な仕上がりとなりました。


 ひよりのピンチヒッターとしてSALLE(サル)でウェイトレスを務めることになったのが、[高鳥蓮華(たかとり・れんげ)]役の手嶋ゆか(てしま・ゆか)氏です。
 当初、蓮華の役は、事前に誰が変身するかが公表されていなかった〔仮面ライダーパンチホッパーの資格者候補のフェイク〕を目的として設定されたキャラクターだったので、やたらにサバイバルソーを振りまわしていた登場当時の蓮華の物騒な性格描写には、少なくとも2〜3人はブッ殺した経験があるのではないかと思わせるほどに、異様に荒んだ雰囲気がありました。


 一方、[じいや]役の梅野泰靖氏が暫く(しばらく)出演しなかったのは、所属劇団“民藝”の公演への出演を優先させるという契約に基づくもので、別にトラブルに因る(よる)ものではありません。
 しかし、ストッパーとなるべき[じいや]の不在は[神代剣(かみしろ・つるぎ)(仮面ライダーサソード)]の果てしない暴走に拍車をかけ、無節操な演出も悪ノリが過ぎ、神代剣は単なる〈道化〉=コメディリーフに堕してしまいました。
 加えて“姉殺し”の一件について、テレビ朝日側から「話が暗くなるので、余り深入りしないでくれ」という申し入れがあり、急遽、神代剣の最終エピソード(#45〜#46)のメイン・プロットは[岬祐月(みさき・ゆづき) ]との恋愛関係に差し替えられ、井上脚本も切れ味が鈍ったようです。
 哀しきミュータント=神代剣にとどめを刺すのは、親友のカガーミか、愛するミサキーヌの役割ではなかったでしょうか。
 (地味なバイプレーヤーとして長年活動してきた梅野氏、若き日の代表作『完全な遊戯』(58・日活・石原慎太郎原作・舛田利雄監督・ASIN:B00008DYR6)で無名時代の小林旭と互角に渡り合った演技が印象的でした)



 この余りに予定調和的だった「仮面ライダーサソード(サソリモチーフ)の最期」に加え、「仮面ライダーザビースズメバチモチーフ)、仮面ライダードレイク(トンボモチーフ)の途中退場」 「仮面ライダーダブルホッパー(バッタモチーフ)の顛末(てんまつ)の不自然さ」 「カブトの味方となって死んだ仮面ライダーダークカブト」 と、いずれも《白倉ライダー最終戦争》への期待をアッサリ裏切ってくれたものですから、スッカリ意気消沈しちゃいました(私だけ?)。


 なかんずく、互いに相容れない〈陽〉と〈陰〉の両極端に位置する対照の関係にあるべきカブトとダークカブトが互いの心情を理解し合って手を結ぶ経緯は、井上敏樹脚本の「もう一人の自分との戦い」では絶対にありえない展開であり、第1次白倉ライダー戦争の終焉を象徴していたように思われてなりません。


 (尚、[影山瞬]が資格を喪失した後の仮面ライダーザビーに変身できるアイテム・ザビーゼクターは[三島正人]に引き継がれ、〈冷酷無比の最強ライダー〉として君臨するという予定もあったそうですが、スーツアクター伊藤慎(いとう・まこと)氏が仮面ライダーガタック役と仮面ライダーザビー役を兼任していたことから、着替えの面倒を配慮してザビーは退場させられることになったとか
 /一方、仮面ライダードレイクに関しては[風間大介]役の加藤和樹氏のスケジュールの調整がつかなかったらしい……もっとも、#40のラストをよく見直してみると、変身資格者が所有するドレイクグリップが放擲(ほうてき)されているので、#45に登場したドレイクは別人と見做すべきでしょう。12月中旬にザビーとドレイクが一時的に復活したのは、疑いもなく、クリスマスにフィギュアを売るための便宜です)



 ところで、本作の敵怪人・ネイティブとワームの区別って、地球に襲来した時期が早いか、遅いかだけなのでしょうか?
 “ネイティブ”なんて云うものですから、てっきり「ノンマルトの使者」(『ウルトラセブン』(67)#41)みたいに[地球の先住民 × 現人類(=侵略者)]という壮大なテーマに発展するのかと思っていたら、ネイティブが地球に定住し始めたのは精々35年前であり、“native”(=原住民)なるネーミングには疑問を感じます。
 ネイティブのリーダー・根岸の正体が単なるサナギに過ぎず、しかも一瞬でやられてしまったのも消化不良でした。
 もともと、三島が変身した〈最強のネイティブ〉が、根岸の正体として設定されていた様子で、それゆえ、根岸の変身体用のキグルミは製造されなかったものと思われます。
 (先述した事情で、ザビーに変身する設定が消えた三島の見せ場を作るための変更で、これは、白倉P作品常連俳優である三島=弓削智久(ゆげ・ともひさ)氏に対する配慮のようでした)


 ラストで見せ場があった三島とは逆に尻窄み(しりすぼみ) で終わったのが、本田博太郎(ほんだ・ひろたろう)氏が演じた[加賀美陸(かがみ・りく)]です。
 彼が、仮面ライダーガタック(クワガタモチーフ)に変身できる最強スペックを有する“戦いの神”ガタックゼクターを自身の息子である新(あらた) に与えたのも、エヴァ初号機パイロットに息子・シンジを選んだ碇ゲンドウ(『新世紀エヴァンゲリオン』) みたいに、屈折した父性愛が裏に隠されているのでは……な〜んて、ついつい勝手に深読みしてしまったのも、私だけではあるまい?


 本田博太郎氏のクサすぎるオーバーアクト(過剰演技)に対して不快感を抱いていた視聴者は存外に多かった(?)ようですが、スタッフの中にも同氏のベタなセリフまわしを疑問視する者も少なからず居たようですが、当の本田氏は別にフザケている訳でもなく、大仰な演技を披露して悦に入るような名優気どりのベテラン俳優特有の悪癖に陥っている訳でもなく、大マジメにあの怪演技に没頭していたそうです。
 その余りにも真剣な本田氏の演技姿勢が、他を圧倒し、その演技プランに対して監督以下、誰一人として文句を言うことができなかった、との由(よし)。



 07年1月末発売の『フィギュア王』最新号№108(ISBN:4846526429)を立ち読みしたところ白倉氏のインタビューが掲載されており、『カブト』に於ける〈複数ライダー〉のコンセプトについて「各ライダー間のバランスを保って……云々」と語っておられます。


 つまり、要約すると、『カブト』での〈複数ライダー〉とは「競い合う」のではなく「共存共栄」を目指していたというので。
 〔仮面ライダー龍騎仮面ライダーリュウガ〕の焼き直しである〔カブトとダークカブト〕が和解してしまうラストも、そういった方針の転換があったからだったんですねー。
 自分の分身を殺すことによって初めて“ライダー殺し”の罪を背負った[城戸真司(きど・しんじ)(龍騎)]の凡人ゆえの悲しみは、所詮、天才である[天道総司]には理解できないだろうなぁ――。


 とにかく、「白倉ライダー」はもう“僕が大好きだった白倉ライダー”ではなくなってしまったようです。



 終生の敵とは、なまなかな友とは較べものにならぬ、懐かしい相手といえる。誰が見ず知らずの相手と、二度、三度と生命のやりとりをするだろうか。生命のやりとりをするという一事が、既に、男が互いに心を通わせあう最高の儀式であるとは云えないか。

隆慶一郎/新潮社/87年)



 果たして、極めて合理的な精神の持ち主が作るヒーロー番組が目指す、新しいスタイルとは? そして、今後どのような進化・発展を遂げ、いかなる究極の形態に辿り着くのでしょうか?

――がんばれ、仮面ライダー電王


(了)


(*『電王』を“エレキング”と読んではいけません!)


(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2008年準備号』(07年8月18日発行)『仮面ライダーカブト』終了合評②より抜粋)


『假面特攻隊2008年準備号』「仮面ライダーカブト」関係記事の縮小コピー収録一覧
・全話視聴率:関東・中部・関西。各クール平均・全話平均視聴率
大阪スポーツ 2006年6月13日(金) 仮面ライダーバイクで公道爆走できる? シリーズ手掛ける東映に尋ねてみると 〜ウインカーもなくカウルを付けて改造しているので、警察の許可を得て撮影。04年の『555』以来の8耐マシンはホンダCBR1000RRをチューン・大枠記事
・日刊スポーツ 2006年6月29日(日) 芸能ファイル28日★吉川晃司(40) 〜劇場版『カブト』主題歌『ONE WORLD』の吉川が完成試写会で1号ライダーと対面(写真)
サンケイスポーツ 2007年7月25日(水) 「仮面ライダー」試写会 陣内大ボケ!どこに出てた? 〜お笑いタレント陣内智則(33)が完成試写会の舞台挨拶。妻の藤原紀香(36)からのアドバイス内容明かす。『ゲキレンジャー』ゲストの小野真弓(26)にボケかます 〜当該のみ次作『仮面ライダー電王』記事を例外掲載



仮面ライダーカブト』平均視聴率:関東7.7%・中部8.3%・関西7.7%
 1クール目:関東8.4%・中部8.3%・関西8.0%
 2クール目:関東8.2%・中部7.9%・関西7.8%
 3クール目:関東7.4%・中部8.8%・関西7.7%
 4クール目:関東6.7%・中部8.0%・関西7.0%
 最高視聴率:関東10.9%(#1)・中部10.6%(#32)・関西10.1%(#6)
 最低視聴率:関東5.6%(#28)・中部5.9%(#30)・関西4.0%(#29)
 (10%越え:関東2回・中部3回・関西1回)
 (平均視聴率EXCEL表計算:森川由浩)


テレビ東京の『ポケモン☆サンデー』(04年)が06年10月より日曜朝8:00〜30から7:30〜8:30に枠拡大、アイドルで戦隊オタクの中川翔子をパーソナリティに迎え、裏の「スーパーヒーロータイム」(戦隊&ライダー)に真正面からの勝負を挑んだ。勝利の軍配はどちらに? ちなみに特撮ヒーローもの『魔弾戦記リュウケンドー』(06年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061225/p1)は『ポケモン☆サンデー』の前座番組(7:00〜30)である。(森川由浩)

仮面ライダーカブト』はじめ、「スカイライダー」(79)〜「仮面ライダーW」(09)関東・中部・関西の全話視聴率表を、09年末発行の『假面特攻隊2010年号』「平成ライダー東西視聴率10年史」大特集に掲載!
[関連記事] 〜『仮面ライダーカブト』全記事一覧

仮面ライダーカブト』 〜全記事見出し詳細一覧

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20080210/p1

仮面ライダーカブト』 〜前半評 白倉+井上+田崎路線復活!?

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060806/p1

仮面ライダーカブト』 〜後半評 ドレイク風間大介&少女ゴンVS間宮麗奈

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070107/p1

仮面ライダーカブト』最終回 〜終了評 終戦の白倉ライダー

  (当該記事)


[関連記事] 〜平成ライダーシリーズ最終回

 (平成ライダー各作品の「終了評」の末尾に、関東・中部・関西の平均視聴率を加筆!)

仮面ライダークウガ』最終回 〜終了賛否合評

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20001111/p1

仮面ライダーアギト』最終回 〜終了評 ―俺の為に、アギトの為に、人間の為に―

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20011108/p1

仮面ライダー龍騎』最終回 〜終了賛否合評1

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20021108/p1

仮面ライダー龍騎』総論! 〜終了賛否合評2 ―『龍騎』総括―

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20021109/p1

仮面ライダー剣ブレイド)』最終回 〜終了合評 會川ヒーローは痛みと深みを増して

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20041113/p1

仮面ライダー響鬼(ヒビキ)』最終回 〜後半評 路線変更後の所感

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070106/p1

仮面ライダーカブト』最終回 〜終了評 終戦の白倉ライダー

  (当該記事)

仮面ライダー電王』 〜後半評 複数時間線・連結切替え!

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20080217/p1

仮面ライダーキバ』最終回 〜その達成度は? 王を消して一緒になろうと言い寄る弱い女の狡猾さ

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20090215/p1