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仮面ライダー555 〜前半評 夢を持たないのは悪いことか? 再UP!

仮面ライダーディケイド#7「超トリックの真犯人」 〜タイムパラドックス解析!(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20090308/p1

『仮面ライダー』シリーズ評 〜全記事見出し一覧


 平行宇宙をまたにかける『仮面ライダーディケイド』(09年)。
 平成ライダー初作「クウガの世界」、直前作「キバの世界」、「龍騎の世界」、「ブレイドの世界」につづいて、「ファイズの世界」前後編。


 全30話・7ヶ月の放映期間しかない中、先輩平成ライダー数人がなんと「クワガタ」になったり「龍」になったり「剣」になったり「大型銃器」に変型してしまうという、神をも恐れぬ超絶変形を現実に(!)実現してしまうFFRことファイナルフォームライドなる玩具の販促として、これらの先輩平成ライダー編が『ディケイド』初期編にラインナップされていた、ということですネ。


 玩具マニアであれば今さらなおハナシで、兼・アメコミヒーロー玩具マニアの畏友に云わせると、ここ数年の変型ヒト型玩具の流行で、来たるべき日がついに『ライダー』にも来た、といったところだそうですが。


 ……いやはやまったくもって、出資元である玩具業界にも儲からせて共存共栄を図る番組作りに、異論はなし!
 クリスマス商戦前に登場させなかった、最終回1本前に登場する仮面ライダークウガ・アルティメットフォームなんてちっともエラくない!(笑)


 しかし、20歳の小僧の仮面ライダーディケイドが主人のように主導して、先輩平成ライダーたちを武器化して奴隷のごとく(?)手足のように使いこなすのに、これでもしも先輩ライダーの変身前の1年間主役を勤め上げたご本人がありがたくも再出演してくれて、しかも彼が30代に突入していたら(いや30前後であっても)、「失礼感」「不躾(ブシツケ)感」がバクハツしてしまう(汗)。


 そう考えると、ディケイドこと門矢士(かどや・つかさ)クンが、『仮面ライダー電王』(07年)・『仮面ライダーキバ』(08年)と2作続いた弱い主人公とは異なり、『仮面ライダーカブト』(06年)以来の高飛車・高慢チキ主役なのは……
 そして、変身前の先輩平成ライダーがご当人の再出演ではなく、ほぼ無名の新人役者を採用することは、それらの予測されるバクハツする違和感(笑)を少しでも回避して低減させる半ば意図的な作劇的妙策でもあったのか?
 (でもそれだけだと剣呑(けんのん)でイヤミな主人公にすぎるので、ヒロインが笑いのツボを突いて、主人公を笑わせてイメージや作風を緩和させているとゆー?)


 まぁ先輩を武器化してディケイドが使う設定でさえなければ、あるいは世界を破壊する(した?)存在であるという不穏・不敵な設定さえなければ、ウルトラマンメビウスみたいな、先輩たちに教えを乞う天然・ド新人・ルーキー設定でもまったく問題はなかったとも思うけど(笑)。



 ……とカコつけて(汗)、『ディケイド』に仮面ライダーファイズが登場記念! 『仮面ライダー555』前半評を再UP!


『仮面ライダー555』 〜全記事見出し一覧

仮面ライダー555 〜前半合評 「夢」を持たないのは悪いことか?

仮面ライダー555 〜前半評①

(文・T.SATO)
(03年4月執筆)


 私事で恐縮だが、筆者は今となっては、各マニア誌で新番組の設定や最新情報などの事前情報を熟読するタイプではない。
 なので、#1では誰が主人公なのか戸惑った。
 正義側主人公青年ではなく、敵(?)の怪人オルフェノクに突然変異してしまうレギュラー美形青年・木場(きば)の幸福がコレでもか! と不幸に一転していくドラマを延々と描く構成。
 事故、植物人間化、2年後に復活すると家族も財産も家屋も恋人も失っている……。そして自身の身に起きる怪人への突然変異。


 周辺のマニア連中に聞くと、平成『ライダー』スタッフ陣や、特に脚本家・井上敏樹のかつての作品におけるダークキャラらのドラマの変奏や発展型だと判る。
 分析されればその通りだとも思うが、一般層向け・子供向けとして、最低限のウェルメイドの体裁を整えなければならない「商品」としての出来はどうなのか?


 またドラマ以前の要素としても、#1のBパートで実質初登場する主役ライダーに変身する青年・乾巧(いぬい・たくみ)が、平成ライダー3作において共通していた癒し系ではなく、険があるところも「商品」として気になる。
 視聴率調査の結果にも如実に現れたF1・F2の女性層の視聴者が減少しないか心配。まぁスタッフも広告代理店ふくめて当然プロだから判っていて、あえて平成『ライダー』4作目ゆえに変化球として確信犯であーしたのだろうが。


 敵側(?)の異形のオルフェノク怪人に変身できるようになってしまったレギュラーたちの存在も、フツーの悩める、むしろ正義側レギュラーよりもマシな(笑)人間たちによる、異形になってしまった者の苦悩と煩悶の群像ドラマを展開しようという番組のねらいであったことが1クール中盤でやっと判ってくる。
 ……エッ、マニア誌では既に発表されてるって? うるせぇナ、残業サラリーマンは立ち読みするヒマがないんだよ(笑)。


 初期編の出来は個人的にはあまり買っていない。
 まぁ『仮面ライダークウガ』(00年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20001105/p1)、『仮面ライダーアギト』(01年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20011103/p1)、『仮面ライダー龍騎』(02年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20021103/p1)の初期編も個人的にはあまり買っていないし、一般・ミーハー両者とも、初期編は前作に思い入れているがゆえに、新番組に理性ではなく感覚の次元でハマれないけど、展開の進展につれて徐々に……ということは多分にあるであろうから、ブレイクの可能性は当然あるだろう。


 敵(?)怪人側の人間たち青年男女ふたり・木場と結花(ゆか)は不遇に見舞われた「いいひと。」(?)たちだが、3人目はモラルに欠けてそうな軽薄アンちゃん・海堂(かいどう)。
 コイツこそ殺戮と復讐に狂うワルになるかと思いきや……彼にも音楽家としての挫折の過去ドラマと、その怨念がまた音楽によって、そして自身と同様、音楽を目指す青年によって癒されるドラマを与えられる。


 この、細部や展開は毎度、多分おなじみ思いつき・行き当たりばったりだろうけど(?)、ワケわかめな激情&叙情パッションのドラマテンションが超スゴい! やはり井上敏樹は異形の天才だ!(笑〜もちろん田崎竜太のそれを再現する激情&叙情演出もイイのですが) 本作『仮面ライダー555(ファイズ)』(03年)にハマッた!


 ただ、敏樹作品全般がそーだけど、変身ヒーローのバトルなり勝利のカタルシスにドラマが集約せず、人間ドラマ面でクライマックスが来ちゃうので、彼は子供番組・活劇ものとしては王道ではないし、その点では昭和の東映特撮を支えた父君・伊上勝(いがみ・まさる)とは明らかに異なる作家だと筆者は思うのだが……(優劣ではなく)。


 敵レギュラー怪人たちとは別に、怪人化現象のカギをにぎるスマートブレイン社の存在。
 実は孤児であったヒロイン・真理が育った施設の同級生グループたちの登場。そして第2のライダー・仮面ライダーカイザの出現。
 前々作『仮面ライダーアギト』でのミュータント(突然変異)集団が2種類登場といった趣きだが、初期編とくらべて確実にドラマ的アピールとヒキは向上している。


 前作『仮面ライダー龍騎』での13人ライダー登場に比すれば美形男性キャラの少なさ、あるいはライダーの頭数の少なさという点では、「商品」としての華の点でやはり危惧はあるのだが、ごく個人的にはドラマ的・物語的な観点から充分及第点だし、今後の展開に眼が離せなくなってきた。期待して注視していきたい。


追伸
 敵(?)怪人の一般名称オルフェノク
 名前の後半部の由来は、旧約聖書の偽典外典エノク書』――西欧中世のダンテや平安時代源信や近世のスウェーデンボルグみたいな天上界・地獄界の見聞記――の預言者エノクだってサ。80年代日本SF小説の影響下にあった世代なら、平井和正が言及してたからメジャーかナ? マイナーか(笑)。作り手がそーいう世代になったってことですナ。


(03年7月付記:主人公が癒し系でないことを危惧したら、畏友から、前作『龍騎』でも癒し系ではない仮面ライダー王蛇(おうじゃ)・浅倉や、仮面ライダーゾルダ・北岡が大人気だった厳然たる事実を指摘さる……た、たしかに・笑)


(了)


仮面ライダー555 〜前半評②

(文・久保達也)

仮面ライダーミカヅキ?』 〜『555』序盤評!

(03年4月上旬執筆・03年7月上旬一部改稿)
 新番組『仮面ライダー555(ファイズ)』(03年)がメカライダーってことで、各雑誌媒体では『仮面ライダーX』(74年)を引き合いにして語られていることが多いがオイオイ、万能武器・ファイブハンドを売りにしたり、チェックマシンで健康診断をしていた『仮面ライダースーパー1(ワン)』(80年)を忘れちゃ困るぜっ!
 なんて個人的不満は置いといて(笑)、携帯電話が変身アイテム(これは『百獣戦隊ガオレンジャー』(01年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20011102/p1)でやったばかりだから批判が多いと思うが……)だとか、デジカメが必殺技になったり、バイクが『電人ザボーガー』(74年)のごとくロボットに変形する等のギミック的魅力に溢れている点は子供の目を惹くには充分過ぎるくらいだろう。


 その一方で『仮面ライダークウガ』(00年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20090907/p1)から続いていた癒し系の主役とは違い、まるで『忍風(にんぷう)戦隊ハリケンジャー』(02年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20021112/p1)に登場した第2戦隊ゴウライジャー・霞(かすみ)兄弟の初期のイメージを思わせるようなやたらと横柄で無愛想な今回の主役・乾巧(いぬい・たくみ)は、イケメン目当ての主婦はともかく子供は絶対ひくぞと思ったが、第2話でさっそく子供と戯(たわむ)れさせるあたりなんかはウマイと思う。それでも多分マニア諸氏には最も気に入らないタイプだろう。


 まあ確かに筆者もキムタクとか福山雅治とか坂口憲二とか「ぶっちゃけ」嫌いだが(笑)、彼らが出演しているドラマを批判するつもりは毛頭無いし(っていうか見てないけど)、『渡る世間は鬼ばかり』(90年〜)を見て赤木春恵に「泉ピン子をいじめるな!」なんて不幸の手紙を送るようなオバハン連中みたいにドラマの役柄と俳優の人格を同一視するほど愚かではない。
 私個人は赤木春恵は『3年B組金八先生』(79年〜)の君塚校長みたいな人なんだろうなと思っているが、それはともかく乾巧を演じる半田健人(はんだ・けんと)は、角川書店特撮ニュータイプ』№6(03年)によれば、60〜70年代の歌謡曲のレコード収集が趣味だそうで筆者と共通しているから絶対に悪人ではない(笑)。
 「いまどきの若者」からすれば「いまどきの大人なんかになんにも云われたかねえよ」とか思ってるだろうよきっと。


 で、彼が演じる主人公像についてだが、「夢に向かって突っ走るとかクサイんだよ」なんて云わせてしまうあたり、メインライター・井上敏樹と亡き父親で昭和ライダーのメイン脚本家・伊上勝(いがみ・まさる)の親子関係を疑ってみたり(笑)、まあ確かに子供番組にはあるまじきセリフかなとは思うのだけど、私自身は若いころから現在に至るまで全然夢というものを持たずに生きてきた人間なので(汗)、彼にはどうしても共感を覚えてしまう部分が強い(笑)。


 あと第8話の


 「知ってるか? 夢を持つと、時々すっごい切なくて、時々すっごい熱くなる……らしいぜ。
 ……オレには夢がない。でもな、夢を守ることはできる!」


 なんかは久々に心に残る名セリフだと思ったし、滅私奉公的「王道」(この言葉も総理大臣が軽々しく口にするくらいだからあまりアテにはならんが・笑)精神に溢れているかと思えるのだ。


 そんな訳でメイン視聴者である子供たち&ミーハー主婦層(FI・F2なんて専門用語は使いたくないので・笑)、あとオレ的にも喜べる要素はちゃんと揃っているのだけれど、これまで支持してきた一般層がちゃんとついてこれるかとなると微妙なところ。
 と云うのはせっかくのそれらの魅力があまりにもダークな作風のためにかき消されている印象が強いからだ。同じ井上敏樹がメインライターを務めた作品で『鉄甲機ミカヅキ』(00年)なんていうのがあったが、「商品化できるキャラクターを百体登場させる」などとオモチャ箱ひっくり返し路線を期待させながらも、実際には挫折した人間のオドロオドロしい内面吐露に終始しておもいっきりコケた前例があるだけに、『ファイズ』がその二の舞となるのではという不安が未だにある。


 私なんかは第2話で敵側(?)レギュラーの青年・木場(きば)=ホースオルフェノクオルフェノクは本作における敵怪人。人間の突然変異。新人類?)が自分を裏切った元彼女・千恵を殺害するシーンで「殺(や)れ〜殺れ〜殺っちまえ〜!」などと狂喜したものだが、そういうのってハタから見てるとコワイだろうし(笑)、そんな苦悩は「悩みなんか全然無い」なんて平然と云ってのける健全な精神を宿した(笑)一般層には理解できないだろうから敬遠する向きも出てくるのではないか。


 ただまあネットによる集団自殺が流行るような御時世では不健全な心の持ち主が占める割合は結構多いかとも思えるし、就学前の幼児って人間部分のドラマの間は玩具で遊んだりお絵描きしたり絵本見たりでヒーローが登場したら画面に集中ってウチの3才の甥のことだが(笑)、そんな子にはどうせドラマなんか判らないから悪い影響も何もあったもんじゃない。
 作品を理解できなくても甥は立派にファイズのソフビで遊んでいる。だからヒーロー番組に教育的要素を期待するなんてヤボだと思う。
 子供の人格形成の決定的要素になるほど影響力が強いと云うならバイオレンス描写等の負の側面も考慮されて然るべきだし、「教育番組」で正義と愛を徹底的に叩き込まれたハズの30代・40代が中心となって支える今の世の中が果たしてまともと云えるんかい?(笑)


 脚本家の市川森一(いちかわ・しんいち)先生は「ウルトラマンから何かを学ぼうとするガキなんてロクなもんじゃない」(爆)などとかつて語っていたが、これは極論としても、神の名のもとに「正義」を振りかざして戦争が起きるような御時世では、勧善懲悪よりも『仮面ライダー龍騎』(02年
http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20021106/p1)のように世の中には様々な立場・考え方の人々が存在することを子供たちに教えた方が良いように思う。
 まあ『龍騎』だって個人的には喜びつつも、「こんなのガキに見せてもいいのか?」と内心思っていたものだが、各地のイベント等の熱狂や玩具の売れ行き等商業的には大成功だった。
 各マスコミの扱いも破格のものがあったが、これらの現象をキチンと受け止め、平成ウルトラがナゼそんなムーブメントを巻き起こすことができなかったのか、もう少し真剣に検証してみる必要があるんじゃなかろうか?

仮面ライダーコスモス?』(笑) 〜『555』海堂主役編! 「夢」を持たないのは悪いことか?

(03年7月上旬執筆)


 「夢を追いかけて 全てが変わる」


 『ウルトラマンコスモス』(01年)のエンディング・テーマ『ウルトラマンコスモス〜君にできるなにか』の歌詞に象徴されるように、従来の変身ヒーロー作品は特に円谷プロのものを中心に子供の夢を育むことを定義として製作されてきた。


 まあ当然と云えば当然過ぎる訳だが、そんな作品群に長年触れ続けた人々は純粋に夢を追いかけてさえいれば充実した人生を送れるのだと錯覚しはしまいか?


 そしてともすれば夢を持って生きている人間こそが素晴らしく、夢の無い人間は生きる資格が無いなんて差別意識を芽生えさせはしまいか?


 「考え過ぎだ」と云われてしまえばそれまでだが、若いころから現在に至るまでまともに夢というものを持たずに生きてきた筆者は、この「夢」などというキーワードのために非常に居心地の悪い思いをすることが度々あり、「夢を持っているのがそんなにエライか?」などと反発したくなることがしばしばあった。
 そんな筆者がハマってしまったのが『ファイズ』第7・8話だ。


 山手音楽大学に通っていた天才ギタリスト・海堂直也は不慮の事故で指を痛めて夢を失い、オルフェノクとして覚醒するや人間たちに復讐を誓うようになる。
 一方の巧は「世界中の悩みや不幸を全部洗い流すようなクリーニング屋になる」なんて脳天気な夢を持つ啓太郎(けいたろう)に人助けを手伝わされ、「子供のころからの夢」を実現させるために美容院で修行する真理にはまともな晩メシを作ってもらえず、自分が「夢の被害者」であることを主張する
 〜しかしただでさえ男女同権がウルサイこの御時世で「おい、メシにしろ!」はないだろう。巧がこれまでの平成ライダー主役と比べて今ひとつ人気が出ないのはこの回で全女性を敵に回したからか?(笑)〜。


 夢を追い続ける者、夢を失った者、そして夢を持たない者
 を絶妙に対比させながらこの前後編は「夢」の奥底にはらんでいる負の側面を残酷なまでにあぶり出していく。
 海堂が木場に告げる。夢は呪いと同じ。呪いを解くにはそれをかなえなければならない。途中で挫折した人間は呪われたままだ。俺の苦しみはお前にはわからないと。


 夢を持つということはそれくらいの覚悟が要求される過酷なものなのだ。夢を持つのは楽しいけれど、夢をかなえるのは楽じゃない。
 それを明らかにせず、ただひたすら夢を持つことを強要するばかりでは、自殺志願者に「生きていればきっと良いことがあるよ」などと何の根拠も無く平然と云ってのける気休めと同じであまりに無責任ではなかろうか?
 そういうものに非常に懐疑的な筆者としては「夢」を描くのであればこういう面も見せなければ絶対に嘘だと思わずにはいられないのだ。


 だが夢を失った者=海堂は、夢のためなら死んでもいいと考える者=和彦に生き甲斐を見い出すことになる。和彦に才能を見た海堂は熱心にギターのレッスンを施すことによって自分の夢を和彦に託す。
 オルフェノクの力におぼれ、身も心も本当にモンスターに変身する寸前だった男が人間として生きていく決意をした瞬間だ。
 そして海堂の才能を妬み、偽装事故で海堂の才能を潰した「夢を壊す者」=音楽大学の教授(演じる小倉一郎の特撮作品へのゲスト出演は『キャプテンウルトラ』(67年)以来? 〜編:『ウルトラマンティガ』(96年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19961201/p1)に数度ゲスト出演)こそが実は本当のモンスターだった。
 彼の悪行を知り、海堂を仲間として慕(した)う木場は「あなたの罪は重い」と決戦を挑む。


 結花(ゆか)にねだられて海堂が弾くアコースティク・ギターの音色をバックに繰り広げられるオウルオルフェノク(教授)VSホースオルフェノク(木場)、そして「夢を守る者」=仮面ライダーファイズの戦い。
 「夢」をキーワードに繰り広げられた群像劇のクライマックスはただひたすら美しく、『仮面ライダーアギト』(01年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20011106/p1)における仮面ライダーギルス・葦原涼(あしはら・りょう)のセリフ


 「夢なんか無くても生きていける」


 を彷彿とさせる、実に勇気付けられるものがあった。



 日本人は基本的に人間の多様性を認めない国民性であるように思う。03年春に世間を騒がせた白装束の集団を例にあげるまでもなく、異質なものは徹底的に排除しようとする。
 故にこれまで散々な辛酸(しんさん)を舐めつくし、「人間が恐い」はずなのに、せっかくオルフェノクとして覚醒しながらも人間として生き、泣いたり笑ったり人を愛したいと願う結花を主軸に据えた第15話から第17話までは、「心」をキーワードに戦うことの意味を問い直す作品群だった。


 オルフェノクとの戦いで傷付いた巧を廃屋で看病していた結花はその場所をアジトだと主張する暴走族の集団に襲われ、やむなくオルフェノクの能力を発揮して連中を始末してしまう。巧はオルフェノクの中にも人間の心を持った者が存在することを知り、のちに結花の正体=クレインオルフェノクに容赦ない攻撃を加える2人目のライダー・仮面ライダーカイザから彼女をかばい、真理や啓太郎から「オルフェノクなんか殺って当然」とばかりに非難されてしまう。


 だがオルフェノクにも人間を襲うことを拒絶する者、そして彼らを「裏切り者」として始末しようとするラッキークローバーと呼ばれるエリート集団、ドラマの流れに関係なくヤラレ役として登場する奴(笑)等、様々なタイプが存在するのだ。
 もちろん真理や啓太郎はそんなこと知る由もなかろうが、結花がこれまでオルフェノクの能力を発揮したのは街の粗大ゴミを掃除(笑)したときだけであり、その被害にあったのは云うならば人間でありながらオルフェノクの心を持ったような連中であった
 〜例によって「いまどきの若者」ばかりだが、昨今は少年犯罪よりも中年世代の方が実に短絡的な動機で罪を犯すことが多いので、始末するならそういう「いまどきのオッサンたち」にしてほしいような気がするのだが……〜。


 人間の心を持ったオルフェノクオルフェノクの心を持った人間、果たしてどちらが本当に罪なのか?
 巧の心が揺れ動くのも一理あるだろう。だがオルフェノクと戦えなくなった巧は「戦う相手のことは考えない」と語るカイザ=草加(くさか)から「ファイズ失格」の烙印を押されてしまう。


 一方、木場が第2話で殺してしまった千恵の兄(実はオルフェノク)が犯人捜しの過程で千恵の悪口を聞いたことから復讐の心に燃え、千恵が通っていた大学構内で猛威を奮う。
 木場から


 「あの人はもう人間じゃない。心を、人の心を失っている」


 と聞かされた巧は


 「俺はもう迷わない。迷っているうちに人が死ぬなら」


 と遂に戦うことを決意。人の心を失ったオルフェノクだけはやはり倒すべきなのだ。
 第17話の直前の時間枠に放映された『爆竜戦隊アバレンジャー』(03年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20031112/p1)第14話『発掘! アバレサウルス』(脚本・會川昇 監督・坂本太郎)でも悩み続けたヒロイン・アバレイエロー・らんるが「みんなの夢を守るため」と戦う決意を固めるまでの過程を描いていたことがこのシークエンスに絶妙な相乗効果を与えることになった。


 巧の力強いセリフのあと、絶妙なタイミングで流れ始める主題歌をバックにした二大オルフェノクとの壮絶な戦いは実に爽快感溢れる演出が冴え渡り、見応えのある出来であった。
 この展開はシリーズを通して守るべきものと倒すべきものを描きつつ、終盤において「戦うしか道は無いのか?」などと主役を苦悩させた揚げ句、「全ての命を守る」などと結論付けた『ウルトラマンコスモス』とはまさに雲泥の差であり(笑)、同様のテーマでも持っていき方で本来のヒーロー作品らしい醍醐味が味わえる工夫が成されていた。



 だがどうやらそんな作風を手放しで喜んでばかりもいられないようだ。
 03年7月2日にバンダイが発表した子供の好きなキャラクターについての調査結果によると『仮面ライダーファイズ』の順位は意外に低く第9位。その支持率はたったの5.7%である。これがそのまま視聴率だったらイヤだなあ(笑)。
 東映側は平成『ライダー』のアダルトな作風をよく『戦隊』との「差別化」だと強調するが、視聴対象が「子供向け」と「大人向け」ではなく、せいぜい「幼児向け」と「小学生向け」くらいの差別化にとどめておいた方が良いのではないかしら。
 同じような路線でも前作『仮面ライダー龍騎』が総勢13人にも及ぶライダーを続々登場させたことで子供たちにも好評だったのだから、ただでさえ2人にまでライダーの数が減ってしまった『ファイズ』はそれに匹敵するくらいのオモチャ的魅力を強調することが子供番組としての責任であるように思う。
 せっかく登場した新ライダー・カイザが第17話で一旦姿を消してしまうようでは玩具の売れ行きにも差し支えるのではないか? まあ真理の父親の消息やら地下に眠る教室やら流星塾の同窓会で起きた何かやらの謎解きを一切放ったらかして進んでいく展開も問題だがそんなことは毎度のことだし(爆)、それよりも子供たちは平成の『電人ザボーガー』(74年)=オートバジンがあまり登場しないことの方が不満なのではないか。


 『龍騎』との差別化として今回はオルフェノクの群像劇を描くことに主眼を置いており、商品化できるライダーの数が減った代わりにオルフェノクのソフビが続々と発売されているがこちらの方もかなり弱い。モノトーンを基調とした地味な色合いの奴ばかりではいくらデザイン的に優れていてもあまりいじくり回して遊ぶ気にはならないものである。
 『龍騎』に登場したミラーモンスターは原色を基調とした派手なカラーリングの奴が圧倒的だったので玩具化するにはふさわしく、都合5種類発売されたソフビを筆者は全部買ってしまったが(笑)、オルフェノクのソフビは玩具売り場で見かけてもなんか置きものみたいでオモチャに見えないんだよね。商品化するなら『戦隊』に登場する怪人の方が余程オモチャとしてふさわしいように思うのだが。


 そしてもっと気になるのがこれまで平成『ライダー』人気を支えてきたミーハー主婦層の盛り上がりが今回一向に感じられないことだ。さすがに女性誌まではいちいちチェックできないが、半田健人のグラビアとかちゃんと載っているのかしら?
 これも単にイイ男の数が減ったのが理由ばかりではないように思う。啓太郎→結花→海堂→真理→木場なんてどうにもならない恋愛関係や最近ではそれに草加までもが加わる等、いかにも主婦が好きそうな要素を取り入れようが、そんなものは主婦層は飽きるほど他で観ている訳で、殊更ヒーロー作品の中にそんな要素を求めているとも到底思えないし、海堂やカイザ=草加みたいに自分の想いの押しつけを散々繰り返した果てに恋愛なんてものにとうに関心を失い、原則としてトレンディ系のドラマは観ないことにしているこちらとしても迷惑だ(笑)。


 やはり当初危惧したように、本当は人を好きになりたいのに周囲にいる連中がオルフェノクの心を持った奴ばかりだからつい破壊的行動に走ってしまう筆者(爆)みたいな屈折した者が好むような作品は一般層には「お呼びでない」といったところであろうか。
 マニアと子供とミーハー主婦層、観たい要素は全く違うのだなあとイヤでも実感せずにはいられない今日このごろである。


 しかし本当の「夢の犠牲者」は往年の東映ヒーロー作品の屋台骨を長年支え続けていた故・伊上勝が父であるがために、何かと氏と比較されては批判されるメインライター・井上敏樹その人ではなかろうか?
 第7話で巧に「特訓? そんな恥ずかしいマネができるかっ!」(笑)と云わせたかと思えば、第18・19話では母親と洗濯をするのが好きだった少女が不慮の事故で母親が記憶喪失に陥ったことから町の洗濯ものを汚して回るものの、啓太郎と少女が一緒に洗濯する様子を見た母親が記憶を回復するなどという、いまどき珍しいご都合主義の話を描いている。
 少女をつけ狙うオルフェノクの人間体が怪しいピエロのおじさんだったりするあたり往年の東映作品を彷彿させ、こういうのも書けるのかと少しは感心したが(まあワザとやっているのであろうが・笑)、氏の苦労がそんな面からも忍ばれるのではないかと思う。


 まあ個人的にはどうやっても同情するしかない身の上の持ち主である木場や海堂・結花が「復讐」として人間たちを粛清していくみたいな安直な展開にならず、あくまで人間として生きていくことにこだわっている姿勢には大いに好感を持つ。
 人間の心を持ったオルフェノクの今後には大いに注目したいところではあるが、第24話で真理に決定的にフラれちまった海堂は元の木阿弥と化していくような兆しを見せ、新たにオルフェノクとして覚醒した若者とともにファイズとカイザの変身ベルトを奪ってしまう。
 それを受け取ったオルフェノクのエリート集団・ラッキークローバーの琢磨逸郎(たくま・いつろう。センチピードオルフェノク)と影山冴子(ロブスターオルフェノク)のダブルライダー変身にはひっくり返ったが(笑)、決して一筋縄にはいかない意外性に満ちた展開だけはこの先も楽しめそうである。
 とりあえずは「第三のベルト」で変身する新ライダーの大暴れを期待し、「子供の好きなキャラクター」調査で『ファイズ』がせめてベスト3にランクインできるように願いたいものだ。


P.S.
 03年7月に長崎市で無残に殺害された4歳の男児は『ファイズ』が大好きだったそうで、七夕の短冊には「仮面ライダーになりたい」と書くことになっていたという。彼の夢を奪ったのは12歳の少年であったが、中学生になったばかりの者がそんな凶行に走ってしまうほど「夢」も人の「心」も失ってしまうような現代ニッポンの閉塞した状況は本当になんとかならないものであろうか……

(了)

仮面ライダー555 〜前半評③ 『ファイズ』初期評

(文・フラユシュ)
 悲しみを繰り返し僕らは何処に行くのだろう? ほんとに何処に行くのでしょうね。
 まあ、当初の主人公・巧の無気力ぶりに一抹の不安を感じたのは遠い昔。
 今ではその普通の人らしいところと無気力ながらも目の前でピンチになっている人をほっとけない当たり前(ここがポイント)の倫理観の持ち主なところが俺的に結構高ポイント。白倉&井上らしいと言えるか?
 ただそれに反して敵側のオルフェノクに関してはむかついたら殺すという動物化するポストモダンならぬ動物化する人間どもという感じか。
 いや動物の方がましかもしれない。少なくとも動物は自分が生きるためにしか殺さんからね。動物に対して失礼かもしれませんね。
 やっぱり今時の衝動殺人の世相の反映? 平成ライダー前3作に比べると最も殺人に美学が無いので俺的にはかなり敵側が矮小化した印象。まあ、筆者は殺人や悪の行為にも美学や信念が無ければならないと考える古臭い人間ですので。こんな考えももはや時代遅れなのかもしれませんが。

(了)


(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2004年準備号』(03年8月16日発行)〜『仮面特攻隊2004年号』(03年12月29日発行)所収『仮面ライダー555』前半合評①〜③より抜粋)


『假面特攻隊2004年号』「仮面ライダー555」関係記事の縮小コピー収録一覧
朝日新聞 2003年7月2日(水) 仮面ライダー鈴鹿疾走 8耐レース参戦へ バンダイ・ホンダなど 〜バンダイ東映・ホンダと組んで「仮面ライダー555Honda」のチーム名で参戦
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仮面ライダー555 〜前半合評2 「特撮」ではない「555」

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劇場版 仮面ライダー555 パラダイス・ロスト 〜賛否合評1

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劇場版 仮面ライダー555 パラダイス・ロスト 〜賛否合評2

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仮面ライダー555 〜後半合評1 幼児と児童でのライダー人気の落差に着目すべし!

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20031106/p1

仮面ライダー555 〜後半合評2 ―完結直前! 『555』総括―

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20031107/p1