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ウルトラマンティガ・ウルトラマンダイナ&ウルトラマンガイア 超時空の大決戦 〜合評


『ウルトラマンティガ』評 〜全記事見出し一覧
『ウルトラマンダイナ』評 〜全記事見出し一覧
『平成ウルトラ』シリーズ評 〜全記事見出し一覧
[ウルトラ] 〜全記事見出し一覧


(99年3月6日封切)
(配給収入・3億5千500万円)
(脚本・長谷川圭一 監督&特技監督小中和哉

ウルトラマンティガ・ダイナ&ガイア 〜評1 夢と現(うつつ)の逢魔が時

(文・彦坂彰俊)
(99年7月執筆・11月加筆修正)


 もしかすると邦画史上最長かもしれない、本作の正式名(さらなる上手を御存じでしたら一報ドウゾ・笑)。



 ……しかしまぁ、その直球勝負なネーミングを裏切ることのない(?)豪気なノリは、劇場版という“お祭り”の場にふさわしく開放的でイイ感じ。


 上映時間と内容とのバランスからみても、観客の予備知識に寄り掛かり過ぎたり、ドラマオンリーな中盤で展開が平板になってしまうこともなく、単独作品としての尺に見合ったまとまりのよさが、非常にポイント高い。


 (とはいえ昨年の前作『ウルトラマンダイナ』(97年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971215/p1)の劇場版『ウルトラマンティガウルトラマンダイナ 光の星の戦士たち』(98年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971206/p1)もスキだし、作劇的な方向性の差異については安易に優劣をつけるべき問題でもないけれど)



 そもそも作品世界を異にするティガ・ダイナとガイアを共演させるためには、パラレルワールドの概念を導入するのが最も説得力のある方法だということ。
 とすれば、普通に思いつくプロットの選択肢は、大ざっぱに分けて二通りになるはずだ
 (つまり、主人公青年・我夢(ガム)=ガイアをティガ・ダイナの世界に放り込むか、逆にあちら側の誰かをガイアの世界に引っ張り込むか、そのどちらか)。


 ところが実作品はさにあらず。
 ストーリーの主舞台を「どちらでもないもうひとつの世界」に設定したのは、現実的な制約(キャスティングの可能範囲など)まで考慮するなら、妥当という以上に賢明な処置と言っていい。
 ただ、プラスアイデアとしてのメタフィクション構造――『ウルトラマンガイア』(98年)がTV放映されている世界――については、やはり賛否が別れるところだろうという気はするのだが。


 ああ。でも本作については、こーゆーヘンに冷静な語り方はどうも似つかわしくない。
 どちらかといえば理性よりもむしろ感情に直截(ちょくせつ)訴えかけるタイプの物語内容でもあるし、とりあえず感想をこう表現しておきたい。

一言…… 「泣けた」(笑)

●TVシリーズでおなじみのOP(オープニング)が始まったぞ!
 と思いきや、それはカイジュー好きの小学生・勉くんが見ているTV特撮ヒーロードラマ『ウルトラマンガイア』のオープニングだったという導入部。


 虚構であることなど元より承知のドラマの中で「この内容はうそっぱちです」と作り手の側から宣言されるなど、一般的な視聴者の立場からすれば、興醒めさせられることこの上ないシチュエーションだろう(……本来ならば)。
 しかし本作の場合、論理的には無限にありうるパラレルワールドという大設定によって、すべての虚構と現実が相対化されてしまうような感覚が(作中虚構を作中現実の側に引き入れるギミックが)、観客を興醒めから救い得るだけの説得力を与えているとは言える。


 その感覚の暴走から、個人的には奇妙な想像をも喚起させられてしまうけど。
 ――もしかしたら、僕らが存在するこの世界の他ならぬ僕らの日常生活そのものも、どこか別の世界ではOP・ED(エンディング)付きでオンエアされてるかもしれないぞ!……みたいな。
 (↑なんだかイヤな世界だな、オイ)


●もっとも(劇中では言及されないものの)サタンビゾー登場回は13話という設定で、すでにガイアは、TV本編では26話で初登場する胸肩のプロテクターの色が赤ではなく黒であるガイアV2バージョンなわけで。
 つまり、勉の世界の『ウルトラマンガイア』は、僕らの世界で放映されているそれとは言うまでもなく別物なのであり、ゆえに我夢が存在している世界ともイコールではありえないというあたり……考えれば考えるほどにフクザツだ(オイオイ)。


 さらに言えば、ライバルである藤宮=ウルトラマンアグル(青いウルトラマン)との決着がばかに呆気なくついてしまったのか? とか、事によると彼自身が存在しないのかもしれないとか、謎は尽きることがない
 (って、そんなこと本気で悩まないけどさ・笑)。


●で、その勉くんがお母さんからビデオを取り上げられてしまい、


 「いーかげん怪獣は卒業しなさい」


 的なオコゴトを賜(たま)わる場面では、多くのトクサツマニアが共感を覚えたらしい(笑)。
 そりゃまぁ当の子供たちの中にも身につまされるコはいるだろう。お父さんやコトによるとお母さんの中にもそんな思い出がある往年の怪獣好きはいるかもしれない。


 ただ、イイトシで子供のひとりもいないような独身男性(自分のことなんだけどね、念のため)にはシャレにならない切実さがあって……。
 ほどほどで卒業できないとこーゆーオトナになっちゃうぞっていうか(爆苦笑)。


 少なくとも劇場に居合わせた人間なら心当たりのひとつやふたつあるのでは?
 ……そんな確信に裏打ちされた描写は、それなりに的を射ているであろう確かさも事実だが、個体験に通ずる点で実はきわめて最大公約数的な気がしないでもない。
 もちろん、だからこそ、ここで勉に肩入れできるかできないかが本作の印象を左右するかなり重要なポイントになることは、もはや言うに及ばないだろう。


●対するにいじめっ子の描写に関しては、どうもストーリーの都合上で動かされている印象の方が強いように思う。
 (日常世界に対する破壊願望までイッてしまうのは、キャラ造形そのものとしてはちょっと“やりすぎ”では?)


 怪獣ファンの勉をバカにしている本人が怪獣マニアで(一応、コトバ選んでます・笑)、本当はほかの誰よりも勉に近しいかもしれないというあたり、強いて理由を付ければ近親憎悪ってヤツかもしれないけど(笑)。
 ただ逆に、あくまでもいじめられっ子の目から見た存在の不可解さ・不条理さの点では納得できないこともないというか……。


 もっとも怪獣キングオブモンスを生み出す過程自体には限りない共感を抱いてしまう元・怪獣少年(現役・怪獣青年)な自分。
 アレはもぉなんとゆーか、とにかくカタチを生み出すこと、能力を設定すること、さらにお話を夢想すること、そのものが純粋に楽しいと言う以外にないワケで。


 (まぁ個人的にはヒーローより怪獣のほうにメンタリティの傾斜を覚えたことはあまりない。
 むしろ、とにかく強い怪獣をブチ当てて、その大ピンチをヒーローが如何にして切り抜け、見事に打ち勝つか!? ――その強敵打倒プロセスのカタルシスに独り酔い痴れるタイプだったからなぁ。
 でも子供の空想ごっこって、大抵そーゆーもんでしょ?)


●劇場版オリジナルメカ・アドベンチャーは、実質的な登場場面が少なく活躍する間もなくアッサリ大破してしまうワリに、けっこーカッコよかった好印象を残す果報者だ。
 次元跳躍なんて性能そのものからムチャクチャで、我夢が以前から開発していたなんて説明もほとんど「こんなこともあろうかと……」的なノリなんだけど、このテのアバウトさは大スキだ(笑)。


 ただ、こーゆー御都合主義を有無を言わさず了解させる言外の説得力は、我夢じゃちょっと役不足かなぁ……。
 『ウルトラマンA(エース)』(72年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061012/p1)の兵器開発研究員・梶隊員なら一も二もなく即座に納得しちゃうんだけど(爆笑)。


●そしてメインイベント!!
 ティガ&ダイナ&ガイアのトリプルヒーロー揃いぶみは、余計な意味づけにこだわらなかったぶん、そこにはカタルシスだけがあった。非常に正しい在り方だと思う(笑)。


 ここにガイアのライバル・ウルトラマンアグルがいなかったことが残念だと言えなくもないけど、出てくると話がムダにややこしくなる気もするので(……)、容赦のない切り捨ても止むを得ず
 (アグルに関しては、そもそもヒーローとしてのキャラクターからもっと活劇向きに設定すべきじゃないか? と思っていたクチだが、長くなるので省略)。


 “ダブルヒーローVS超巨大怪獣”という『ティガ&ダイナ』との差別化から“トリプルヒーローVS怪獣軍団”に落ち着いたのも、発想の流れとしては当然のプロセスだ。
 画面的には
・ティガVS巨大顎海獣スキューラの海中戦
・ダイナVS骨翼超獣バジリスの宇宙戦
・そしてガイアVS最強合体獣キングオブモンスの地上戦
 それぞれの舞台へ移行する展開に泣いた!


 でも何よりカンドーしたのは、ティガもダイナもそれぞれ必殺技を繰り出して相手を葬り去り、ヒーロー単体としても没個性的には描かれていないことである!!
 ――まぁ確かにトリプル合体技を見せてほしかったってのも、当然の如く思ったりしたけど、ボク自身はここまでやってくれた時点でもう十分ですオナカいっぱいです


 (とはいえ、ティガもダイナもすでに特定個人に集約され得ないキャラクターである点、イマイチ感情移入しにくいってのは本音としてあるんだけど……
 これはもぉ映画『大魔神』(66・大映)みたいなもんだと割り切るしかないんだろうなぁ、人々の願いによって光臨するなんてモロにそれっぽいし)


●怪獣軍団もトリプルヒーローによって倒され一件落着。
 いや、まだ問題は残っている。この事件のすべての元凶である赤い珠(たま)をどう処分すべきだろうか?


 ここで明らかになる赤い珠と謎の転校生リサとの関係、そしてその正体。
 願えばどんなことでも叶えられる文字通り“機械仕掛けの神”、それがゆえ暴走する所有者の欲望から世界そのものが破滅する様を幾度となく見つめてきたという“彼女”の告白。
 珠がなくなることを願う所有者が現われれば悲劇は終わる。しかしそれと同時にリサは……!?


 オチバレバレと言わば言え! でもやはり、ここで勉に託された最後の選択こそ本作最高の泣かせどころだろう。


 ――個人的に一番好きなのは、ラストで悪気のない我夢がわざわざ言わでものことをムズカシイコトバで説明しようとして、


 「そんなこと聞きたいんじゃないよ!(台詞不正確)」


 と勉にさえぎられるシークエンス。
 防衛隊・XIG(シグ)の少年博士クン的な主人公・我夢(ガム)というキャラクターの持ち味と場の雰囲気とを逆手にとって、勉の感情の機微を強く印象づけた名場面ではなかろうか?
 (あ、思い出したらナミダが……・笑)


 「己に過ぎたる力を放棄する」という結着パターンは確かに意外でもなんでもない。
 しかしそこには明らかに、物語の法則性というか、生理に基づく恣意が働いていると考えるべきであろう。そのことを認めた上でなら、作中の説得力は十分にあると思う。


 ともすれば鼻につくこともあるほどの“人間至上主義”を信条とする長谷川圭一の脚本も、あえてミニマムな視点での展開に徹したことによって浮き足立つこともなく(小中和哉監督の要望なのだろうが)、だからこそ逆に、クライマックスの重大な選択がそれだけの重みを持って描出され得たのだと言っていいだろう。


 そしてそれは、本作が“児童ドラマ”として結実した瞬間でもあったのだ。



 総括。本作はロジック(論理)ではなくエモーション(情緒)でこそ語られるべき映画である。
 常套的ではあるが、それこそ「オモチャ箱をひっくりかえしたような……」といった形容句が似合いそうな映画である。


 深読みすれば、虚構と現実の境界線を突き崩しかねない破壊力を持つ映画である(笑)。


 ――ある意味で、シリアス志向の平成ウルトラシリーズの本流とはいささか異なるポジションに位置するかもしれないが、制約を逆手にとり大胆不敵な設定でエンターテイメント性を全(まっと)うした、愛すべき快作には違いない。




付記。
 ちょっと今更な気がしないでもない、来春(00年)公開の『ウルトラマンティガ』(96年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19961201/p1)劇場版(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19961209/p1)だが……。
 円谷プロの立場として、TVシリーズは中断しても商業ラインとしての『ウルトラ』をもはや手放すわけにいかないことは、容易に想像がつく。
 それならばそれで、『ティガ』劇場版のあとは、新シリーズ再開まで『ダイナ』と『ガイア』の劇場版で場をつなぐというのも、ひとつの手ではあるまいか?
 まぁ多分に落穂拾い的ではあるけれどソコはソレ、完結編 とか銘打って派手に盛り上げてほしいところだ
 (特に『ダイナ』あたりは最終回(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971211/p1)で主人公が帰還しなかったこともあり、ファンからの突き上げもあってカナリ有望? もっとも平成シリーズのうちでは一番続編を作りやすそうな気が……・笑)。


(了)
(初出・特撮同人誌『假面特攻隊2000年号』(99年12月26日発行)「ウルトラマンティガ・ダイナ&ガイア」評より抜粋)


ウルトラマンティガ・ダイナ&ガイア 〜評2 子供の願いと大人の夢 ――映画『ウルトラマンガイア』に寄せて――

(文・いちせたか)
(99年上半期執筆)
 今回の映画化にあたって取るべき道は二通りあったと思う。


 元々『ウルトラマンガイア』(98年)の持つミリタリックな集団劇の要素を前面に出し防衛組織・XIG(シグ)の総力戦を描くスペクタクルバトル編と、


 逆にTVシリーズではあまりやっていない、あるいは出来なかった角度からのアプローチを試みた作品……。



 おそらくウルトラマンティガ(96年)やウルトラマンダイナ(97年)と共演させる必要性から、後者の方向性が採択されたのだと推察するが、前作映画『ウルトラマンティガウルトラマンダイナ 光の星の戦士たち』(98年)との兼ね合いや、『ウルトラマンガイア』という作品の裾野を広げたということから考えても、いい選択であったと思う。



 『ウルトラマン』に限った話ではないが、ヒーロー作品を作る、あるいは語る際に一番難しいのが「子供の視点」である。


 作り手がこれを見誤ると作品は失敗するし、これを考えずに評論しようとすると理屈が先走って大事なことを見落とす破目になる。
 過去ウルトラシリーズも常にこのせめぎあいの中で年を重ねてきた。
 元祖『ウルトラQ』(66年)においても、「空想映画なら下手な理屈をこねる必要なし」という一部の大人の意見に対し当の子供たちは「もっと理屈っぽい方がいい」と言ったという逸話もあるそうだし、逆に名作の誉れ高き『ウルトラセブン』(67年)は、劇中で子供受けする怪獣や宇宙人のキャラクター性に重きが置かれていない話が多い点には今も根強い批判があるようだ。
 (最近になってか? 特撮雑誌『宇宙船』(80年〜)での特撮ライター・金田益実氏の連載「TBS空想特撮シリーズ30年 ウルトラゾーンの時代」第10回「(ウルトラセブン)第2クール強化案」〜最終回「シリーズの完結」(『宇宙船』VOL.83・1998冬号〜Vol.85・夏号)参照)


 それでも早いうちから一応は社会的地位を確立し定評を得た『ウルトラQ』『ウルトラマン』(66年)『ウルトラセブン』はまだいい方で、『帰ってきたウルトラマン』(71年)以降の第2期ウルトラ作品は当時の現役児童はいざ知らず、70年代後半にはじまる特撮マニア第1世代による特撮マニア向け書籍では酷評されてきた。
 近年になってようやく熱心なそれらのファンの研究が実を結び、再評価の気運が高まりつつあるのが現状だが、未だにファンの間で意見が分かれている。


 むろん『ウルトラマンティガ』に始まる平成のシリーズにおいても同様で、呑気な話を作れば一方のマニアから子供騙しと言われ、ハードに作れば他方のマニアから子供に難解だと言われてしまう。


 そんな中で、冒頭で述べたように前2作に比べシリーズとしてのドラマ性が重視され、宿敵・根源的破滅招来体やライバル・ウルトラマンアグルの存在、またXIGなどの設定にハードなイメージを感じさせる『ガイア』が劇場版であえて提示したものはなかなか興味深いのだ。



 自分たちの世界では特撮ドラマでしかないウルトラマンたちスーパーヒーローが、現実に活躍しているパラレルワールドがある――。


 誰もが一度は空想したことがあるはずだし、行けるものなら行ってみたいと思うだろう。
 まあこれが微笑ましい子供の夢ですんでいるうちはいいのだが、成長するにつれそうもいかなくなってくる。
 こうした想いを例えば心理学的に現実逃避だと切り捨てて批判するのはたやすいが、我々のように「ウルトラマン」と「仮面ライダー」の洗礼を受け、70年代の空前絶後のヒーロー黄金時代に浴した世代には特にそうした感覚は理解しやすいものだろうし、さほど異常な心理ではない。


 これはそれ以前の『月光仮面』(58年)などを原体験として育った世代や現在のようにウルトラもライダーもいて当たり前の世代のそれとは微妙に異なるものだろう。
 変身願望の一種には違いないのだろうが80年代中盤以降に隆盛するファンタジー作品によく見られるような、平凡な少年が異世界に召喚され勇者となって戦うといった話に憧れるのともちょっと違う心理だ。
 ま、こんなことは今これを読んでくれている人には言うまでもないことだし、筆者自身子供の頃はもとより年を重ねてもまだそれに夢をはせているからここでこうしてこの文章を書いていたりするのだが(笑)。


 余計なことはともかく、基本的には現在の子供たちに向けての作品であるにも関わらず、マニアの我々がこの映画から何かを感じ取らずに誰が感じるのだ、と言えるくらいのシンパシーを覚えたのも事実である。



 今回登場する我々と同じこの世界に生きているとされる子供たち――。彼らは皆我々の分身である。
 いつまでも純粋にウルトラマンが好きで、そのように強くありたいと思いながら現実にはそうなれない勉も、社会の枠組みに恭順するふりをしながら世の中に対する不満を抱えた優も、カイジュウなど卒業したふりをしていても実は隠れオタクの浩も、皆我々の心の中に一人ずつ棲んでいるはずだ。
 だから勉の気持ちに素直に共感したり、浩の言動にムカつきつつもそこにもう一人の自分の姿を見てなんとなく気恥ずかしさを覚えたりもするのである。


 その辺りはもちろんこの作品の「狙い」でもあるわけだが、あまりにストレートな投影ぶりに多少のあざとさを感じるのを我慢すればそれなりの効果はあげていたと思う。
 ただ逆にガイアや我夢(ガム)がいるのは自分たちのこの世界じゃなくて別世界なんだよーと断定されてしまったようでもしかしたら寂しい思いをする子供も……いないかな?



 正直なところ今回の話の展開に性急な部分があるのは否めない。
 実際にああいう不思議な球が手に入ったとして、一つしか願いが叶わないというのでもないかぎりいきなり一番の願いをかけることはあまりなかろう。


 もちろん「一つしか叶わないかもしれないと思ったから」とか「勉にとってはそれ以外のことなどどうでもよかった」という可能性もなくはないが、ドラマのセオリーとしてはまず手近な望みで試してから、という段階を踏んでも良かったと思うし、それがエスカレートしていく様子が描ければ「人の欲望には際限がない」という赤い球(たま)の主張も自然に見せていくことができたのではないだろうか
 (一応浩の願いはエスカレートしていったけど)。


 また、球の化身である少女リサがあまり目立っていないのも残念だ。勉たちにはクライマックスまで正体を隠しておく、というストーリー上の都合もあるがそれにしても後ろに引っ込みすぎな気もする。


 まあ作り方としてはド真中の豪速球だった前作に比べ、やや変化球気味(テーマ自体は結構ストレートだが)の今回、やたらと盛り込むべき要素が多いので一つ一つがやや薄味になったというところだろうか。



 さて、今回の最大の呼び物であるティガやダイナとの共演だが、結構いろいろな解釈が考えられる。
 試しに書き出してみると、


1 同一世界の話ではないものの、時系列的に順当なものとした上で、映画『ティガ&ダイナ』における2人と同様である
 (つまりダイナは最終回後ではなく活躍中の世界からの召喚であり、ティガの方はダイゴの変身ではなく光の化身で、ダイナはアスカの変身)。


2 同様に時系列的にはTV『ダイナ』最終回後の2人とする考え
 (ティガの方はダイゴの変身ではなく光の化身で、ダイナは無事最終回ラストの光の世界から帰還を果たしたアスカの変身、あるいは赤い球の力によってこのとき帰還した)。


3 勉は「光よ!」と願ったのだから、2人とも『ティガ&ダイナ』におけるティガのような光の化身であって、ダイゴやアスカ本人とは基本的に無関係。


4 3もそうだが、勉がTVで見ていたティガやダイナのイメージを赤い球の力のみで実体化させた(光の化身である要素は薄い)。


5 時系列的な制約は無視し、ティガもダイナもそれぞれ最終回後ではなくダイゴやアスカが変身して活躍中の時間世界から召喚された。



 製作者の意図はわからないしこれらが全てではないが、サブタイトルが『超時空の大決戦』なのだから5のようなことも可能だろうし、『ダイナ』の最終回でアスカが仲間の元へ帰ってこなかったのが不満の人は2のように考えれば少しは気が晴れるだろう。


 ただ、『ガイア』は前2作と設定的にリンクしていないので、TVにしろ今回の映画にしろ、我夢ら『ガイア』ワールドの住人がティガやダイナの存在を(別次元の話としても)はっきりと認識したことはない。
 つまり、今回の映画の中で勉たちの世界と我夢の世界はパラレルワールドとして存在しているが、ティガとダイナのいるもう一つの世界が実際にパラレルワールドとしてあるのかどうかはわからない。
 そういう視点に立てば3や4のような観念的な存在としてのティガやダイナでいいわけだ。その意味ではこの3作品で「光」をキーワードにしたのはやはり卓抜な着想だったと言えるだろう。


 ただ、既にあちこちで言われているように今回の共演、バトルに限定して見ると確かに物足りなさもある。
 遂に出たと思ったらいきなり陸・海・空に分かれてしまいそれぞれ勝手に敵を倒してしまうのだから無理もない意見である。各々(おのおの)の個性を活かした戦いぶりやBGMの選曲など、嬉しい部分もあるのだが……。
 最近はともすれば小難しいデザインや名前になりがちな怪獣たちも、今回は最強合体獣キングオブモンス・巨大顎海獣スキューラ・骨翼超獣バジリスとネーミングも由来のわかりやすいもので(小学生レベルとは言い難いが)能力ともども視覚に訴えるものは持っている。
 スキューラの変形は『ティガ』のムザン星人に通じるインパクトを持つものだし、海棲怪獣が出るのは結構嬉しい(海に棲んでないけどね)。


 それだけにもう少しティガやダイナ、それに怪獣たちにも見せ場が欲しかった。
 もっともかつて先輩ウルトラマンの弱っちいゲスト出演に涙した筆者
 (同世代なら誰でも経験したはずのことだが……特に初代ウルトラマンがスキだった筆者などはもう……映画『ウルトラマン物語(ストーリー)』(84年)と『ティガ』の第49話『ウルトラの星』以外のゲスト出演では容姿からしてダメダメで……)
 としては、活躍してるんだからこれでも充分と感じてしまう向きもあるのだが、まあ批判の声も分からんではないということで……。


 ラストのオチはあまりにストレートでかえって恥ずかしくなるくらいだが、別にリアルなだけが能ではないし、また今回のストーリーから言ってもこれでいいのだろう。
 夢を持ち続け、最後には勇気を示した勉、勉の想いを守るためにあえて危険な賭けに挑む我夢。
 『ガリバー旅行記』を介してそんな2人の対比をてらいなく描いた爽やかさには拍手を贈りたい。


 子供が見て興奮し、大人が見て感じ取り、そして共に楽しむ映画――。
 言うのは簡単だが実際に作るのは難しい。何かと言えばディズニーやジブリ作品ばかりがそれに値すると思われがちだが、今回の映画は充分そう評するに足るものであったと思う。


 筆者の胸にも今一度ウルトラの星が、「光」が、見えたような気がした。




付記……
 併映の『ウルトラマンM78劇場 Love & Peace』、ウーンつまらなくはないんだけど……同じときたひろこ監督(『タッチ』(85年)、『陽あたり良好!』(87年)、『YAWARA!』(89年)、『水色時代』(96年)などのシリーズ監督としても有名)なら、『ウルトラニャン3』が見たかったなあ(OVAでもいいから続き作って!)。
 でもまあ見ててほのぼのしたし、度々挿入されるアイキャッチみたいなののとき子供たちが一緒に「ミニ、ミニ」と唱和してたからこれはこれでいいのかな。でもやっぱ最近の怪獣はディフォルメ難しいみたい。
 パンフレットのキャラ図鑑見ても炎魔人キリエロイド(『ティガ』)なんかかなり苦しいものが……。ディフォルメしてもしなくても同じのテルテルボーズがモチーフの円盤生物ノーバ(『ウルトラマンレオ』74年)なんか笑えたけど。


(了)
(初出・特撮同人誌『假面特攻隊2000年準備号』(99年8月14日発行)「ウルトラマンティガ・ダイナ&ガイア」評より抜粋)


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