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ゴジラ評論60年史 ~50・60・70・80・90・00年代! 二転三転したゴジラ言説の変遷史!

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 2019年5月31日(金)から洋画『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』が公開記念! とカコつけて……。
 「ゴジラ評論60年史」をアップ!


ゴジラ』評論60年史 ~50・60・70・80・90・00年代! 二転三転したゴジラ言説の変遷史!

(文・久保達也)
(14年7月12日脱稿)

2014年 ~『ゴジラ』第1作リバイバル公開


 14年7月25日公開のハリウッド版『ゴジラ』宣伝の一環としての意味合いが強いのだが、『ゴジラ』第1作(54年・東宝)の4Kスキャン・デジタルリマスター版が、14年6月9日から2週間の期間限定で公開された。


 実は正直、画質も音質もどこが向上しているのか、個人的にはまったく気づかず、こんな「違いがわからない男」ではマニアとしては失格か、と思ったりもする(汗)。
 むしろそうした部分ではなく、これまで再三鑑賞してきたにもかかわらず、今回初めて気づいた演出・描写があったりしたのである。


ゴジラ上陸の被害に遭った大戸島の住民たちが国会で陳情する場面で、故・志村喬(しむら・たかし)演じる山根博士が見解を述べる際、最初スーツからハミ出していたネクタイを、話しながら上着の中に突っこむ描写があること。
 生物学者たるもの、やはり日頃は身なりに無頓着(むとんちゃく)であるということが、こうしたさりげない演出で端的に表現されているようにも思える。
 マニアがいうところの、故・本多猪四郎(ほんだ・いしろう)監督の怪獣映画では、登場人物たちの「日常」がキチンと描かれている、という点は、まさにこうしたものを指しているのであろう。


ゴジラが国会議事堂を破壊する場面に続き、燃え上がる東京の街を背景にゴジラが進撃するのをロングでとらえたカットの中で、ナゼか破壊されたハズの国会議事堂が無事な姿で映っている(笑)。
 これはおもいっきりの編集ミスかと思われるのだけど、これまで星の数ほど出された『ゴジラ』関連書籍の中で、筆者が知る限りでは、これについて指摘したものは皆無だったかと思えるのだが。


ゴジラ東京上陸や品川襲撃の場面など、巨大感を表現する手段として、ゴジラをあおりで撮影したカットが散見されるが、路面電車の架線ごしにゴジラをとらえたカットがあること。
 都電荒川線は現在でも走っているが、それ以外の東京都内の路面電車は67年に全廃されており、ほかの東宝特撮映画では見られない描写ということもあるのだが、画面に奥行きが感じられる味わい深い特撮演出となっている。


・個人的には、山根博士の娘で本編ヒロインの恵美子を演じる故・河内桃子(こうち・ももこ)に、「昭和」の女優が「昭和」の女性――ただし、高度経済成長期以前――を演じている、と痛感し、こうした「絶滅危惧種」に想いを馳(は)せる筆者的にはたまらないものがあったとか(笑)。
 ただし、これはあくまで「個人的趣味」の範疇(はんちゅう)にとどめておくべきものであり、「昭和」の女優&女性が「平成」のそれよりも優れている、などと断言してはならない性質のものである。
 これは「特撮」評論でも同じことがいえるのではなかろうか?


 あと、観客の反応で驚かされたことがある。


ゴジラ東京襲撃の場面にかぶる、


アナウンサー「テレビをご覧の皆さん、これは劇でも、映画でもありません! 今我々の目の前で起きている、現実の出来事なのです!」


なるアナウンサーの実況。


・そして、ゴジラテレビ塔を破壊する場面で、


アナウンサー「右手を塔にかけました! ものすごい力です! いよいよ最後! さようなら皆さん! さようなら!」


と、実況したアナウンサーやカメラマンたちが、テレビ塔ごと地上に落下していく場面。


 これらに対しては、80年代から90年代初めのリバイバル公開では、必ず観客から「笑い」が起きていたものであった。
 現在のようにはジャンル作品がまだ「市民権」を得られてはいなかったこの時代は、80年代が若者たちの間で躁病的な「軽薄短小」のお笑い文化が隆盛を極めた時代であったこともあってか、コアな特撮マニアはともかく文化的なものに多少は関心があってもサブカルチャーの一環としてリバイバル公開を観に来るようなヤング層にとっては、怪獣映画そのものが「お笑い」の対象であったのだが、それをまさしく象徴するような現象であったと、今は思えてならないものがある。
 それが今回は老若男女(ろうにゃくなんにょ)問わず、観客の層は幅広かったが、これらの場面に対し、誰ひとりとして笑い声をあげる者はいなかったのである。
 11年3月11日に起きた東日本大震災津波からの避難に伴う人間模様などを経(へ)ていることもあるかもしれないが、ゴジラの世間における位置づけ、そして観客の意識というものが、時代とともに確実に変化し続けている、とも読みとれるのではなかろうか?


 そうなのである。2014年に誕生から60年、まさに「還暦」を迎えたゴジラだが、その60年というあまりに長い歴史の中で、ゴジラに対する評価の基準もまた、目まぐるしく二転三転の変遷(へんせん)を遂げてきたのである。


1954年 ~『ゴジラ』第1作封切時の評価


 今はなき朝日ソノラマ――07年に朝日新聞社に吸収合併――が78年5月1日に『ファンタスティックコレクション』No.5として刊行した『特撮映像の巨星 ゴジラ』(ASIN:B00CBS4EXI)の巻頭文「刊行によせて」において、昭和から平成に至るゴジラシリーズをプロデュースしてきた東宝の故・田中友幸(たなか・ともゆき)は、『ゴジラ』第1作の公開当時の評判について、以下のように述懐(じゅっかい)している。


「当時の評判はあまり芳(かんば)しくはなく、“ゲテもの”扱いされたものですが、ただひとり、作家の三島由紀夫(みしま・ゆきお)氏が“文明批判の力を持った映画だ”と、高く評価して下さったのを記憶しております」


――故・三島はその後も初期東宝特撮映画をよく観ており、当時の文壇仲間に宛てた書簡の中で、それらについての感想を述べている。いわば特撮「マニア」の先駆けともいえる人物だったか、と思えてならないものがある――


 なお、『ゴジラ』公開翌日の54年11月4日付『毎日新聞』夕刊に掲載された、「ちょっとスゴイ!? 放射能の怪獣『ゴジラ』(東宝)」と題した映画評では、特撮の出来に関しては概(おおむ)ね好意的に評価している一方で、本編部分に関しては以下のように記述している。


志村喬の学者以下人間の方のお話がついているがこっちはあまりうまくない。最後にナントカいう新発明の一物をもって若い学者が海底に潜っていき、ゴジラが一休みしているところにぶっつけるところなんか、やたらに決死隊みたいでかえってナンセンスである。
 人物はどれもセンチメンタルでミミっちく、人臭くてゴジラ氏の感じとちぐはぐだ。何となく科学的で、何となく学者らしいという程度でいいわけだが、その程度の人間を出すのにも日ごろの教養ということになりそうだ。この点外国製はやはりもっともらしい。(O)」


 これは80年代にウルトラシリーズの同人『ペガッサ・シティ』でご活躍されていた籾山幸士(もみやま・こうじ)氏が、82年11月25日に発行した同人誌『特撮資料再録集』に掲載されていたものである。
 同じく籾山氏の同人誌『東宝特撮映画新聞広告集』(発行日不詳)には、出典未記入だが(54年11月3日付『朝日新聞』夕刊)、「新映画」なるコラムにおいて、「企画だけの面白さ 『ゴジラ』(東宝)」と題し、以下のように論評した記事が掲載されている。


「とくに、ゴジラという怪獣が余り活躍せず、「性格」といったものがないのがおもしろさを弱めた。『キング・コング』(33年・アメリカ)の時代と比べても、なんとかなりそうなものであったし、『放射能X(エックス)』(53年・アメリカ)のアリのような強烈さに及ぶべくもない。
 ただ、企画だけのおもしろさはあり、一般受けはするだろう。宝田明(たからだ・あきら)と河内桃子の二人の青年と娘の恋愛が、なにか本筋から浮いているが、これは構成上の失敗だった」


 これらを見るかぎり、当時の『ゴジラ』に対するマスコミの評価は、先にあげた田中の「ゲテもの扱いされた」という証言とは、若干(じゃっかん)ニュアンスが異なるような印象がうかがえる。
 怪獣=ゲテもの=くだらない、などという分析やロジックはなしにレッテルを貼るだけの最初から見くだした紋切り型では決してなかったのである。


 むしろ、ゴジラの登場場面の少なさや、そのキャラクター性の弱さ、いささかセンチメンタルな本編演出など、『ゴジラ』を「特撮映画」として観た場合に、不満が残る点について、あまりに「的確」に指摘されていたのではないのかと、現在の視点からしても思えるほどなのである。


1950~60年代 ~各界の批評家が語った傾聴すべきプレ特撮評論


 実際「新映画」では『ゴジラ』を酷評する一方、映画『空の大怪獣ラドン』(56年・東宝)については「迫力もあり面白い」と題し、以下のように絶賛している。


「『ゴジラ』と同じような設定なのだが、今度の方が大分(だいぶ)迫力があり技術の進歩が見られる。話にこだわらないで見ていると、相当におもしろい。特殊技術の撮影に心魂を打ち込んでいる円谷英二つぶらや・えいじ)の努力を認めたい。
 九州北部の大都市が、ラドンの飛ぶ勢いで、メチャメチャに破壊されるところは、特に見ものだ。自動車や電車がオモチャのように(実際にもオモチャを撮影したのだが)飛ぶところは、理屈抜きに痛快でおもしろい。
 本ものの部分とトリックの部分の見わけも、なかなかつきにくいところもある。三、四年前はアメリカの空想映画と比べて、はるかに劣っていた日本映画も、この作品あたりではかなりのところまで来た。色の調子も悪くない」


 「ゲテもの扱い」どころか、まさに「特撮評論」とはこうあるべき! と、現在でも立派に通用する視点をもって書かれた「名文」であるように筆者には思えるのだが。


 実は『ラドン』については、飛んで70年代前半には映画雑誌『キネマ旬報(じゅんぽう)』(キネマ旬報社)で、今で言うジャンル系映画のレビューを一手に引き受けていた感のある映画評論家の故・石上三登志(いしがみ・みつとし)も、『キネマ旬報1973年11月20日増刊 日本映画作品全集』(キネマ旬報社・73年11月20日発行・ASIN:B00LWS6OEU)で「わが国のSF映画中、ベスト・ワンにおくべき秀作」として、以下のように高く評価している。


ラドン登場に至るまでの様々な伏線がサスペンスを盛りあげ、演出・本多猪四郎としては最良の出来である。
 さらにクライマックスは、終始ロング・ショットでとらえ、大スペクタクルの中に、見事な悲壮美さえ描き出しており、これは特撮担当の円谷英二の功績だろう。
 ここには、怪獣映画を単なる子供だましとは考えず、少なくとも怪獣そのものに“生命”を与えようとする、本来のドラマ作りがあった」


――さらに後年のことだが、年末の復活『ゴジラ』公開が迫る84年夏にも、


「数年前(ゴジラ復活と騒がれ出す前)までは東宝特撮、怪獣映画の中では「ラドン」が最高傑作だというのが最も一般的な意見で、私も「ラドン」を最高傑作だと固く思っていた(今でもそう思っている)一人です。ところが最近は、皆が口を揃えて「ゴジラ」が最高傑作で、後の作品はどれも「ゴジラ」を超えてはいないなどと言うではありませんか」


という意見が『宇宙船』第19号(84年8月号)の読者投稿欄にも掲載されている――


 その一方、封切当時の『キネマ旬報』57年1月下旬号(№167)(ASIN:B01L5OBUNA)で文芸評論家の故・荒正人(あら・まさひと)は、


「空想科学映画の本質は、スペクタクル映画を越えて、文明批判を行う点にあるのではないか。その点で、『ラドン』は反省の余地を残している」


と書いており、マニア第1世代よりも上の世代も、決して一枚岩ではなかったことがうかがえよう。


 さらに『キネマ旬報』61年9月上旬号(№293)では映画『モスラ』(61年・東宝)について、哲学科の大学教員(のちに教授)でもあった故・福田定良が以下のように好意的な評価をしている。


「今度の作品は全体の感じが何となく童話的なので、わざとらしく見えるところも御愛嬌(ごあいきょう)になっている場合がある。
 子供たちが適当にこわがったり、げらげら笑ったりしていたところを見ると、おとぎ話的スタイルはこの作品にふさわしいとも言えそうである」


 筆者はこの『モスラ』を契機に、東宝特撮映画が当時の東宝のキャッチフレーズであった「明るく楽しい東宝映画」へと、文字通りに変貌(へんぼう)を遂げていった、との印象を強く感じている。
 子供が「適当に」こわがり、「笑って」観ていられるという、「怪獣ファンタジー」の路線すらも、当時の『キネマ旬報』では、既に肯定(こうてい)する声が見られたのである。


1960~70年代 ~黎明期のSF陣営が否定した怪獣映画


 だが、50~60年代においては、やはりそうした声は少数派だったようである。


「怪獣があばれまわっているぶんにはこの種の作品として結構たのしめるのであるが、困ったことに脚本家と監督者はいとも現実的なみみっちい場面をもちこみ、小市民映画みたいなぼそぼそとした演出をえんえんとはさみ、なんだか深刻な理屈まで加えて普通の劇映画も及ばぬくらい人物を懊悩(おうのう)させる。
 そのために全体がひどくちぐはぐになり、空想を空想としてたのしめず、うす暗いいやな後味がのこる。
 もちろんこの怪獣によって水爆時代に対するレジスタンスをこころみようという意図があったにちがいない。
 が、それはいささか欲張りすぎだし失敗である」


 『キネマ旬報』54年12月上旬号(№106)で、SF・ホラー映画も批評してきた映画評論家の故・双葉十三郎(ふたば・じゅうざぶろう)によって書かれた『ゴジラ』第1作に対する批評である。『毎日新聞』や「新映画」と論旨は同じであり、『ゴジラの逆襲』(55年・東宝)の娯楽性の方を高く評価した氏は、それはそれで筋が通っている――マニア第1世代の故・竹内博は「双葉十三郎に至っては論外で、大伴昌司の爪の垢でも飲むがよい」と『円谷英二の映像世界』(実業之日本社・83年12月10日発行・ASIN:B000J79QN6→01年に増補版・ISBN:4408394742)で猛反発したが――。


 70年代から現在に至るまでの特撮論壇において、『ゴジラ』第1作を最も『ゴジラ』たらしめているとされている要素、つまり怪獣映画を単なる「ゲテもの」にさせないために付加された部分が、公開当時は完全に「否定」されていたのである!


 だが、だからといって、テーマ性よりもエンターテイメント性を追求するようになったその後の東宝怪獣映画が「肯定」されるようになったかと思えば、決してそういうワケでもないのである。


 明治・大正・昭和初年代の戦前生まれの評論家がまだ多数を占めていた当時の『キネマ旬報』で、70年前後からは「SF」ジャンルに思い入れる世代の評論家が台頭してくる。


「怪獣映画は本来はSF映画の一テーマにすぎないのだが、わが国では独立して論じてもよいほどの特異な存在となる」


と、「前世代」の「SF」プロパーに属する石上(昭和10年代生まれ)が定義したように、「怪獣映画」は「SF映画」よりも一段低いものとする論調が登場したのである。


 「SF」も当時の日本においては新興のジャンルであり、まだ「市民権」を得ていなかった「SF映画」というジャンルを日本に成立させようという使命感にかられて、彼らも伝道活動にいそしんでいたのであろう。
 だが、「SF」プロパーの「前世代」の人々は、『ゴジラ』第1作に限らず「怪獣映画」の存在そのものを、「SF」というモノサシだけで図(はか)って「否定」的に捉えて斬り捨てようとしていたのである。


「63年の『キングコング対ゴジラ』――62年の誤りである・笑――あたりから、この種の作品は“人間不在”の巨獣トーナメント的傾向をたどりはじめ、次第に年少者のみを対象とし、“怪獣映画”なる名称を定着。
 以後それは他社に飛び火し、大映の『大怪獣ガメラ』(65年)、東映の『怪竜大決戦』(66年)、松竹の『宇宙大怪獣ギララ』(67年)、日活の『大巨獣ガッパ』(67年)が誕生。
 これらはすべて、66年の『ウルトラQ』を出発点とする、テレビ用怪獣映画に吸収され、いわゆる“怪獣ブーム”となった。
 わが国の怪獣映画の幼児化現象の最大の要因は、怪獣創造のほとんどすべてを“ぬいぐるみ”方式にたよったことにあり、これは欧米の“アニメーション”方式とは決定的に異なる。
 いいかえれば、わが国の怪獣は、あくまでも中に“人間が入る”スタイルなのであり、そこにすでにイマジネーションの基本的飛躍が見られないのである。
 これは、わが国に本格的SF映画の生まれない理由でもある」


 先にあげた73年発行の『日本映画作品全集』において、当時30代の石上は「怪獣対決」路線へとシフトしていった、わが国の怪獣映画を、日本で本格的なSF映画が生まれない「元凶」であるとして切り捨てている。


 実は石上は『ラドン』とともに、映画『大怪獣バラン』(58年・東宝)を、


東宝怪獣映画中、徹底した攻防戦だけで構成された作品であり、小品ながら大いに評価すべきもの」
――これ自体には筆者も強く賛同する! 実は筆者は隠れ『バラン』ファンであり、個人的には『ゴジラ』第1作よりも面白いと思える!――


として高く評価している。
 だが、『ラドン』も『バラン』も、ひょっとしたら、着ぐるみ以外に飛行タイプの造形物が多く活躍していたことが、石上に評価を高くさせる一因になったのではないか、とさえ思えてしまうほどである。


 ミニチュア特撮が衰退し、CG全盛となったわが国において、平成仮面ライダースーパー戦隊の劇場版で、巨大モンスターが「アニメーション方式」で暴れるようになってから久しい。
 だが、いまだ日本に本格的な「SF」実写映画が生まれていない現状からすれば、その理由となるものが、決して怪獣映画の「ぬいぐるみ方式」にあったのではなかった、という事実は、もはや明白であるだろう。


「この(怪獣)ブームの重要なことは、おとながいままでは、「なんだ、怪獣なんて」ということがあった。ひいてはそれがSFが、普及しないことにもつながっていた。それは一種の習慣だと思うのです。
 ああいうものもある、おもしろいと。それに慣れてきたのは、たいへんいいことだと思います。これで、SFものを次に出してもばかにしないでしょう」


 これは『世界怪物怪獣大全集』(キネマ旬報社・67年5月15日発行・ISBN:4873761913)において、第1次怪獣ブーム時に講談社少年マガジン』巻頭グラビアの怪獣特集や、数々の怪獣図鑑を執筆したことで知られる故・大伴昌司(おおとも・しょうじ)が述べた言葉である。
 怪獣映画の存在が日本で本格的「SF」が普及しない元凶である、としていた石上に対し、石上と同世代でもあった大伴はまったく逆の立場であり、むしろ怪獣映画のブームを契機に、世間一般に「SF」を普及推進させようという狙いがあったのだ。


 だが、第1次怪獣ブームも終焉(しゅうえん)を遂げて久しかった、69年11月20日にキネマ旬報社が発行した『キネマ旬報臨時増刊 世界SF映画大鑑』(ASIN:B07PX8QJX4)において、大伴は、


ゴジラが現れるまでの不安な状態や、異常なパニックの描写が優れ、特撮シーンと本編(劇の部分)との調子が分裂せずに融和している唯一の作品である」
――マニア第1世代が継承し、人口(じんこう)に膾炙(かいしゃ)した「本編と特撮の一体化」理論の誕生でもある。この理論が本当に特撮ジャンルの無謬(むびゅう)の尺度・目標であったのかの疑義については、本稿全体で検証し、結論も提示するつもりだ――


として、『ゴジラ』第1作を高く評価する一方、掲載された「SF映画ガイド」の中では、


「国産の宇宙怪獣映画は、そのほとんどがSFとは認められないので除外した」


と、「SF」の普及推進につながるのならと、67年の『世界怪物怪獣大全集』では擁護(ようご)していた怪獣映画を切り捨ててしまっていたのである。


「どうかみなさんがおとなになっても、たくさんの人たちの心のなかから生まれたすばらしい怪獣たちを忘れないでください」

(大伴昌司「あとがき」・小学館入門百科シリーズ18『怪獣図解入門』小学館 72年7月10日発行・ISBN:4092200188・ISBN0:4092203349)


 小学館入門百科シリーズ15『ウルトラ怪獣入門』(小学館・71年9月10日発行・ISBN:4092200153)と並ぶ怪獣図鑑の「名著」を、第2次怪獣ブームの頃にも手がけていた大伴が、それ以前に先のような見解から、「怪獣映画」を「SF映画」から切り捨てていた。
 「SF性」とは異なり、自身の「幼児性」から来る「ヒーロー」や「怪獣」への理屈抜きの好意や執着を、この時代の特撮ジャンルに関わる人々はまだうまく言説化することができなかったのだろうなと思いつつも、やはり心の底から「怪獣」を好きだったわけではなく、あくまで方便として「怪獣」を擁護していたのかもしれないと、個人的にはかなり複雑な想いも残る。
――「怪獣映画」や「特撮映画」を、「SF映画」のサブカテゴリーだと捉えて心のどこかで卑屈になる必要はさらさらなく、自立した別個のジャンルであると自信を持って言い切れる現在の筆者ではあるものの――


 第1次怪獣ブームが衰退した68年に公開された映画『2001年宇宙の旅』を機に、当時のマスメディアは「SFブーム」を起こそうとしたが不発に終わり、子供たちの間では「妖怪もの」や「スポーツ根性もの」が人気を得るようになった。
 結局は「怪獣ブーム」が「SFブーム」を誘発することはなく、むしろそれとはあまりに相反する「土着的」なものや「肉体的」なものがブームとなってしまったのだが、そうした背景もまた、大伴を「心変わり」させる一因となったのではなかろうか?
 60年代最後の年の末に至るまでの時点では、東宝特撮映画はまだ「神格視」されてはいなかったのである。


1970年代 ~オタク第1世代によるゴジラ東宝特撮の神格化


 だが、70年代になると、手塚治虫(てづか・おさむ)の漫画やアメコミヒーロー、海外SFで育ち、『ゴジラ』第1作に中学生で触れた昭和10年代中盤生まれの小野耕世らが台頭するや、『ゴジラ』第1作を「傑作」として神聖視するようになる。
――小野耕世(おの・こうせい)。映画&漫画評論家、海外コミックの翻訳家として知られる。なんと、元NHKの職員であり、在職当時から早川書房の『SFマガジン』に「SFコミックスの世界」を連載、海外漫画作品の紹介に力を注いでいた。だが73年、ミュージシャンの矢沢永吉(やざわ・えいきち)が所属していたロックバンド・キャロルのドキュメンタリー映画を、ATGで製作したことがバレてNHKを解雇され、それ以降映画やアメコミの評論家になったという、異色の経歴の持ち主である――


「そう、この映画――『日本沈没』(73年・東宝)――が少しも恐くないのは、急速な経済成長をとげた〈豊かな国・日本〉の壊滅を描いているからなのだろう。思えば、「ゴジラ」には、当時の日本人の飢餓感が反映されていて、映画を鮮烈なものにしていたのだ。私は「ゴジラ」を見ながら恐怖に恍惚(こうこつ)となって震えていたことを思いだす。
 再び日本人が飢餓意識にとらわれる時が来るとするならば、SF映画はあの「ゴジラ」の輝かしい緊迫感を取りもどすだろうか」

(『キネマ旬報』74年2月上旬決算特別号(№624) キネマ旬報社


 「恐怖」をキーに、『ゴジラ』第1作を称賛する論法「怪獣恐怖論」が誕生したのだ。
 ただし、当時既に30代である氏も後続の東宝特撮映画にはやはり否定的であり、『キネマ旬報』では映画『惑星大戦争』(77年・東宝)を以下のように酷評している。


「それは、よく見れば、『スター・ウォーズ』(77年・アメリカ)も、かなり荒っぽい映画なのだが、ぐいぐいと観客をひっぱっていくテンポと熱気はすばらしい。なによりも、全編にユーモアがゆたかである。
 その点、『惑星大戦争』は、いやになるほどユーモアがなく、またしても、特攻隊的悲壮感の押し売りには、うんざりしてしまう。
 こうした映画で人間を描かなくては――などという情けないことは、どうか考えないでくださいね」

(『キネマ旬報』78年2月上旬号(№727)・ASIN:B07CMF6BPX


 筆者的には最後の一節にはおおいに賛同するが(笑)。


 50年代から70年代半ばにかけては、国産の特撮映画は、このように概ね酷評される傾向が強かったのである。


 だが、70年代中盤から『PUFF(ぱふ)』『怪獣倶楽部(クラブ)』(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20170628/p1)などのアマチュア同人誌活動を展開してきた、1955~60年(昭和30~35年)前後生まれのマニア第1世代(オタク第1世代)のマニアあがりの諸氏が、70年代末期に勃興(ぼっこう)したマニア向け雑誌やムックでゴジラを語るようになるや、状況は一変する。
 同じ頃、劇場版『宇宙戦艦ヤマト』(77年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20101207/p1)の公開が発端(ほったん)となった「SF」アニメブーム、『スター・ウォーズ』(77年・日本公開は78年)が起こした海外「SF」ブームに付随(ふずい)する形で、第3次怪獣ブームが巻き起こったのである。


 ただ、その当時のジャンル評論の論調は、


・石上が『ラドン』を高く評価するのに用いた、
 子供だましではない、大人の鑑賞に耐えるような、高い「ドラマ性」(人間ドラマ)


・荒が『ラドン』に欠けているとした、
 文明批判をするのが空想科学映画の本質であるとする「テーマ性」(社会派テーマ)


・大伴が『ゴジラ』第1作以外には「皆無」であると断じた、
 「SF性」(SF的リアリズム)


など、それまで『キネマ旬報』において、SFプロパーたちが怪獣映画を「断罪」するのに用いたフレーズを重要視し、その手法をほぼ「継承」する形をとっていたのである。


 当時関西で活躍していた特撮ファンダム・コロッサスによる『大特撮 日本特撮映画史』(有文社・79年1月31日発行・ASIN:B000J8INIE・80年に朝日ソノラマから再刊・ASIN:B000J893VU・85年に改訂版・ISBN:4257031883)では、「“怪獣映画”ばかりが“特撮映画”ではない」とアピールするために、いわゆる怪獣やメカが活躍するキャラクターもの以外の特殊撮影を含んだ作品をも幅広く紹介し、論評が加えられていた。
 そこでは決して怪獣映画が切り捨てられていたわけではないのだが、『キネマ旬報』が怪獣映画を日本で本格的な「SF」映画が誕生しない「元凶」としたように、当時のマニアたちも、日本で本格的な「特撮」映画が誕生しない原因は「マンネリズム」に陥った怪獣映画にあり、それ以外の新たな鉱脈を見つけださねば、日本特撮の「復興」はあり得ない、と考えたのではなかったか?


 「前世代」によるジャンル批判に対抗するための論理として、当時まだ20代前半であったマニア第1世代は、当時の映画評論=社会批評の流儀に依拠(いきょ)することを「戦略」とした――仕方がないことだが、当時においてはそれしかお手本にする理論武装の武器がなかったこともあるのだろう――。


 彼らは日本特撮を「復興」させるためのドグマとして、


ゴジラは「恐怖」の対象であるべきだ。


ゴジラ「正義の味方」ではなく、「悪」の怪獣でなければならない。


・「怪獣プロレス」ではなく、「人間対ゴジラ」を描くべきである。


ゴジラを「反核」の象徴として描くような、
 文明批判・人類批判といった「テーマ」がなければならない。


といった論調で、『ゴジラ』第1作を含む「初期」東宝特撮映画を「神格化」することで、以降の怪獣対決路線や、70年代に興行された「東宝チャンピオンまつり」時代のゴジラシリーズの存在を「否定」していたのである。
 まるでSFプロパーたちが、怪獣映画を「SFではない」として、その存在を「否定」していたように。


「大学生になって上京した昭和50年――1975年――前後、その頃から流行し始めた特撮映画やアニメのオールナイト、あるいは自主上映会などでそれらの作品を再見し、子供の頃に観ていた以上の感動と衝撃を味わったとき、僕は自分が観てきたものが決してプロの映画評論家やSF作家たちがいうように幼稚な内容で、技術的にも稚拙(ちせつ)で、同時代のアメリカのSF映画に比べて見劣りのするものだとは、とても思えないという事実を再確認できた。
 そして、そうやって特撮映画やアニメを貶(おとし)めてきた大人のほうにこそ、大きな偏見があったのだということに思い至ったのだ。
 だから特撮系の同人誌に参加して文章を書き始め、その縁で児童雑誌の編集のアルバイトをするようになってからは、そういった間違った世間の認識を少しでも変えたい、と考えるようになった」

中島紳介・『僕たちの愛した怪獣ゴジラ学習研究社 96年3月1日発行・ISBN:4054006574


「高校生の頃に、「空想創作団」というSFファンダムに所属したんです。ところが、SFの人は活字中心なんです。怪獣なんかは見向きもされない。「おいおい、ゴジラは入らないのかよ」と思わずいいたくなってしまう。
 ヴィジュアルなものは全然といっていいほど、相手にされない。子供時代にそういうものを見てSFに入ってくるんだから、SF史の中で映像セクションというものがあってもいいのじゃないかと思うわけですよ。
 SFはもともと世間の偏見を笑っていた集団ですよ。その集団の中でさらに偏見があるんですからね。特撮とか、怪獣なんかは見もしないで駄目のレッテルを貼られている。
 ぼくなんか、それが悔しいから、何とか特撮映画を映画論として語っていきたかった。『ガス人間第1号』(60年・東宝)や『マタンゴ』(63年・東宝)、『ゴジラ』のドラマ派を重視したのはそのためだった」

池田憲章・『宇宙船』第83号(98年冬号) 98年3月1日発行・ASIN:B007BJ0HWO


 特撮映画やアニメに対する世間の偏見と戦うこと、そして、特撮映画を立派な「SF」として認めさせること。それが彼らを突き動かす原動力となったのである――後出しジャンケンで恐縮だが、それは無意識に「特撮」よりも「SF」を上位に見立てているのだが――。


 そうした動機の部分では、それまでひたすら虐(しいた)げられてきたという経緯を踏まえれば、世間一般に認知させるため、ひいてはこのテのジャンルにイイ歳こいて拘泥(こうでい)する自分自身を正当化するために、当時10代後半から20代前半であったオタク第1世代が、ただの娯楽作品・子供向け作品ではない、と擁護するための手段としてこれらのドグマや論法を採択したのには、同情する余地が充分にあると思える。


 ましてやほぼ同じ頃である、77年6月30日に奇想天外社から発行された『吸血鬼だらけの宇宙船 怪奇・SF映画論』(ASIN:B000J8VDFO)においてさえも、先にあげた石上が『ゴジラ』第1作に対し、


「わが国のSF映画を、奇形のままあらぬ方向へと導いた最大の原因」


「SF映画の無限の可能性をもろくも砕き去った愚劣(ぐれつ)な存在」


などと、いまだ徹底的にコキおろしていたような時代だったのである。


 昭和30年(1955年)前後生まれの中島紳介(なかじま・しんすけ)や池田憲章(いけだ・のりあき)が『ゴジラ』第1作を「神格化」したのも、心情的には充分に理解できるというものである。


 そして彼らは、東宝特撮映画のみならず、円谷プロウルトラマンシリーズに対しても、そうした主張を展開することとなる。


「特撮映画は、特撮以上に本編の部分が重要となる。
 映画にとっては、まずストーリーとドラマだ。
 すばらしい特撮シーンも、特撮に至るまでのドラマの盛り上がりがあってこそ、はじめて生きるのである」

(『ファンタスティックコレクション No.11 SFヒーローのすばらしき世界 ウルトラセブン朝日ソノラマ 79年1月20発行・ASIN:B00CBS4ILQ


 M78星雲光の国の、「ウルトラ兄弟」3番目の戦士・ウルトラセブンが、「変身ヒーロー」や「スーパーヒーロー」ではなく、「SFヒーロー」として定義されたのは、まさに象徴的である。


 本書において、池田は『セブン』全49話の中で、


・第8話『狙われた街』
・第42話『ノンマルトの使者』
・第44話『円盤が来た』


の「SF」風味ないわゆるアンチテーゼ編の3本を「傑作」としてあげ――はるか後年の98年12月20日に発行された『ファンタスティックコレクション ウルトラセブンアルバム』(ISBN:4257035544)に再録されたこの池田の『セブン』総論では、自身の見解を改めたのか、娯楽活劇編の第39~40話『セブン暗殺計画』前後編を追加していたが――、その理由を、


「SFの機能のひとつである現代の寓話(ぐうわ)になり得ている」


と述べている。


 「特撮怪獣番組」をそうした基準によって評価する価値判断は、そうした要素が著(いちじる)しく欠落しているとされた第2期ウルトラシリーズを、彼らが酷評する充分な理由となり得たのである。


1980年代 ~ SF > 初期東宝&円谷 > 変身ブーム。カーストの再生産


 だが、第2期ウルトラシリーズは酷評されただけ、まだマシだったのかもしれない。
 平成仮面ライダースーパー戦隊が隆盛を極める現在からは考えられないかもしれないが、当時は東映が製作した等身大スーパーヒーロー作品なんぞ、「特撮」として認められてはおらず、論壇にのぼることがあるとしたら、「お子様ランチ」の代表=「軽蔑」の対象として扱われるくらいだったのである。
 池田は若い頃にSFファンダムの中で偏見に遭(あ)ったことに不満を述べていたが、当時の特撮ファンダムの中においてさえ、偏見は相似形で既に形成されていたのである。


「いわゆる怪獣ファンダム第一世代、ゴジララドンとともに生まれウルトラシリーズで育った世代の中にあって東映怪人番組のファンであることは偏見との戦いの連続だった。
 我々の年代の中では円谷怪獣番組→大人の鑑賞に耐えるSFドラマ、東映怪人番組→幼児向け単純アクションもの、といった固定観念が厳として存在し、変身ものと言えば『仮面ライダー』(71年)も『快傑ライオン丸』(72年・ピープロ フジテレビ)も『トリプルファイター』(72年・円谷プロ TBS)も十把(じっぱ)一からげに一段低いカテゴリーへ押しやられていたわけである」


 『宇宙船』第6号(81年春号)に掲載された「初期東映怪人番組論」において、故・富沢雅彦(とみざわ・まさひこ)はそう述べたうえで、


・『人造人間キカイダー』(72年・東映 NET→現テレビ朝日)、および『キカイダー01(ゼロワン)』(73年・東映 NET)の「キャラクターの魅力」、


・『イナズマンF(フラッシュ)』(74年・東映 NET)の「ドラマ性」


を高く評価していた。


 また第8号(81年秋号)では、富沢はスーパー戦隊シリーズ『バトルフィーバーJ』(79年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20120130/p1)を「カッコいいヒーロー」として絶賛していたが、その富沢すらも、「昭和」の仮面ライダーシリーズに対しては、


「昭和30年代的感性で作られているからカッコ悪い」


としていたのである。


 意外にも、この時代に遂に最後まで正当に評価されずに終わったのは、現在は「日本特撮」の頂点を極める『仮面ライダー』だったのである。
 81年春にも初期13話のいわゆる旧1号ライダー編だけに焦点をあてた『Town Mook増刊 Super Visualシリーズ4 仮面ライダー』(徳間書店 81年4月25日発行)という先駆的な書籍は刊行されていたが、『ライダー』を本格的に再評価しようとする動きが出始めたのは、84年秋から東映ビデオがビデオソフトのリリースを始めたり、86年春に講談社が『テレビマガジン特別編集 仮面ライダー大全集』(86年5月3日発行・ISBN:4061784013)を発行したりという動きがあった、80年代も半ばに入ってからのことではなかったか?
 そして、その富沢でさえも「昭和30年代的感性」と評した『仮面ライダー』は、のちに「平成時代の感性」でつくられることによって、ゴジラやウルトラに代わる「日本特撮」の「最高峰」として、現在に至るまで君臨することとなったのである。


 この当時の動きを思うにつけ、やはりマニア第1世代の「戦略」には、重大な見落としがあったのかと思える。
 彼らは初期東宝特撮映画や第1期ウルトラシリーズを成長してから再見することにより、「子供の頃に観ていた以上の感動と衝撃」を受けることとなった。
 それと同じように、「東宝チャンピオンまつり」や第2期ウルトラシリーズ東映の変身ヒーロー作品などを、成長してから再見することにより、「子供の頃に観ていた以上の感動と衝撃」を受けた世代が、いずれは社会で発言権を得られるようになるということを。


 チープ・チャイルディッシュ・破天荒(はてんこう)・奇想天外といった要素、ドラマやテーマ性よりも優先された娯楽性や肉体的アクション、そして、実は職人芸的だったストーリーテリングや不条理コメディ……
 マニア第1世代が切り捨て、いっさい文章化しなかったそうした魅力があればこそ、先にあげた作品群に夢中になった人間は、いくらでも存在したハズだったのである!
 案の定、マニア第1世代は90年代以降、そうした世代から「逆襲」されるハメになる。


「ただ、そのときに戦略を誤ったと思うのは、僕自身が「これは大人の鑑賞に耐え得るドラマで」というふうに、それまでの評論家と同じ論法で作品のイメージアップを図ろうとしたことだ。
 子供向けだから、あるいは単なる娯楽映画だから低級で、大人向けだから、芸術作品だから、社会的なテーマをもっているから高級で――などといった区別は、実はまったく無意味である。
 というより、前にも触れた興行成績や観客動員数による権威づけと同じで、“木を見て森を見ない”の愚を犯すだけなのだ」

中島紳介・『僕たちの愛した怪獣ゴジラ』 96年)


 彼らの活動は、たとえばそれまでは世間一般には「子供向け」と思われていた『ウルトラセブン』にも、「大人の鑑賞に耐える」ドラマが存在することを知らしめることとなった。
 そうした部分では、一定の成果をあげることができたといえるであろう。


 しかしながら、実は「大人の鑑賞に耐える」ドラマもあるんだよ、くらいでとどめておけばよかったものを、それを「絶対的」に崇(あが)めてしまったことが、「諸刃(もろは)の剣」となってしまったのである。


 石上三登志は「SF」を持ち上げるあまりに、『ゴジラ』第1作を「(日本の)SF映画の無限の可能性を砕き去った」としていた。


 それと同様に、初期東宝特撮や第1期ウルトラシリーズを持ち上げるあまりに、後期ゴジラシリーズや第2期ウルトラシリーズや70年代変身ブーム(第2次怪獣ブーム)時代の作品群を「特撮映画の(SF的な方向性での)無限の可能性を砕き去った」とばかりに「否定」するというマニア第1世代がとった戦略。


 それは、


・バラエティに富んだ路線の作品や、
・クールなSF性は欠如していて野暮(やぼ)ったいけど高いドラマ性は達成した作品、
・あるいはノンテーマ、ノンドラマのナンセンスな作品、
・チープでチャイルディッシュな作風でも高いエンターテイメント性を確保している作品、


などなどの別方向での広大な可能性をも「否定」してしまうという、それこそ「特撮映画の無限の可能性を砕き去」りかねないものではなかったろうか?


「怪獣をズバリ恐怖の対象として描いているところが『ゴジラ』の特徴である。
 日本の怪獣映画は『ゴジラ』の頃から、あくまでも“恐怖”から出発し、そしてそれが怪獣映画の本質のはずなのだ」

(『ファンタスティックコレクションスペシャル 世界怪獣大全集』朝日ソノラマ 81年3月20日発行)


 だから「こわい怪獣映画」をつくれば、このジャンルは再び世間に受け入れられるという、現在の観点からすれば実に素朴(そぼく)な「幻想」を元に展開された、当時の「怪獣恐怖論」。
 『世界怪獣大全集』では『ウルトラマン』(66年)や『マグマ大使』(66年・ピープロ フジテレビ)に登場した怪獣たちを、


「ここでは怪獣は完全に「悪役」に回ってしまうわけだが、それでもまだ怪獣の「恐怖」は残されていた」


としている。


 怪獣に「恐怖」――人間にとっての広い意味での一種の「悪」――を求めながらも、「正義」の味方に倒される「悪役」としては描かれてはならない。


 怪獣が登場する物語を終結・着地させるためには、どうやっても「破綻」してしまうこの論理への弥縫(びほう)策として、そもそも怪獣が「ほかの怪獣」や「ヒーロー」なんぞと対決すべきではなく――怪獣に感じる「恐怖」が消滅してしまうから――、あくまでも怪獣は「人間」の勇気や英知と対決するべきである――対峙する人間側が感じる「恐怖」が一応は残せるから――、とする趣旨の主張が垣間(かいま)見える。
――だから、初期東宝特撮ファンの中には、変身ヒーローが登場する第1期ウルトラシリーズの存在さえ許せないとする特撮マニアも存在した。だが、そんな彼らも『ウルトラQ』だけは許せたという・爆――


 怪獣親子の「情愛」を描いた『大巨獣ガッパ』に至っては、


「怪獣というものを、何か勘違いした作品であった」


と手厳しい。


 小学生の頃にテレビ放送された際、子ガッパを探しに静岡県熱海(あたみ)市の温泉街に上陸したガッパの巨大な足が、旅館の宴会場の天井をブチ破り、酔客(すいきゃく)の上に覆いかぶさるカットには、個人的には充分に「恐怖」を感じたものであるのだが。
 「勘違い」はアンタらやろ! といまさらつっこむのも大人げないので(笑)、これについてはのちほど、具体的な現象面を、順を追って例にあげることにより、反論していくこととする。


1983~84年 ~『ゴジラ』復活ムーブメント


 さて、80年代も半ばになると、マニア第1世代よりも少し下の世代、第1次怪獣ブーム期に小学校高学年や中学生ではなく、幼稚園児や小学校低学年だった人々が社会で発言権を得ることとなった。
 ミュージシャンやイラストレーター、コピーライター、作家や漫画家、落語家、学者の卵といった文化人たちが、サブカルチャーの一種として、「ゴジラを語るのがトレンド」とばかりに、一斉に声をあげ始めたのである。


 こうした動きが、80年代当時のマニアの間で起きていた「ゴジラ復活運動」を、強く後押しすることとなったのだ。


 ロックグループ・サザンオールスターズのリーダー・桑田佳祐(くわた・けいすけ)は、著書『ただの歌詩じゃねえか、こんなもん』(新潮文庫・84年5月1日発行)において、以下のように語っている。


「数ある怪獣の中で、一番しっかりした怪獣なのね。
 完成品に近い怪獣。イイ男、なの。
 プロレスラーで一番イイ男はアントニオ猪木(いのき)。
 プロ野球で一番イイ男は長嶋茂雄(ながしま・しげお)。
 怪獣ならやっぱりゴジラ


 また、当時を象徴する出来事としては、筆者的には女性たちの間で大人気だったアイドルグループ・チェッカーズのボーカル・藤井郁弥(ふじい・ふみや)が、歌謡番組『ザ・ベストテン』(78~89年・TBS)において、「ゴジラ大好き宣言」をしたことが、鮮烈に印象に残っている。
 彼らの2枚目のシングル『涙のリクエスト』が、番組のランキングで5週連続1位を獲得した際(84年4月26日)にそれがなされたのである。
 曲の冒頭では『ゴジラ』第1作の名場面が流れ、間奏部分ではスタジオに用意された簡素なミニチュアセットを、藤井がメンバーの高杢禎彦――たかもく・よしひこ。のちにスーパー戦隊シリーズ星獣戦隊ギンガマン』(98年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/19981229/p1)でギンガマンたちに住み家を提供する青山晴彦(あおやま・はるひこ)役でレギュラー出演している――らやゴジラとともに破壊する、というパフォーマンスを披露したのである!
 以来、藤井の所属事務所には連日大量のゴジラグッズがファンからのプレゼントとして届けられるようになったのだが、これは当時の若い世代にゴジラを幅広く再認知させることとなったのである。


 マニアの「怪獣恐怖論」ではなく、「ただの怪獣映画じゃねえか、こんなもん」といわんばかりの、こうしたパフォーマンスの方が、世間一般に対しては圧倒的に影響力が強かったように思う。


『宝島84年10月号』&『ニューウェイブ世代のゴジラ宣言』


 当時サブカル誌の中心に位置していた雑誌『宝島』84年10月号(JICC出版局→現・宝島社・ASIN:B07JBVK7DP――90年代にはいつの間にかアイドルグラビア誌へと変貌を遂げてしまったが・笑)でも『ゴジラ』が特集された。
 ただ、この特集「ゴジラがくる!」中の「ゴジラ・カルチャークラブ」に寄せられた若手文化人たち―――当時流行した80年代ポストモダンニューアカデミズム(現代思想)の旗手である若手学者・中沢新一浅田彰も名を連ねている――の声を見る限り、当時はいくら「サブ」ではあっても「カルチャー」=文化なのだからと、ゴジラになんらかの「象徴」としての意味を求めていた感が見受けられ、マニア向け書籍の影響を直撃した世代でもあったからか、第1作至上主義の傾向が強い。


 なお、論壇誌などで学者がマジメにジャンル作品を論じた第1号がこの中沢新一であり、『中央公論』83年12月号に掲載された「ゴジラの来迎 もうひとつの科学史」がこれに当たる――『雪片曲線論』青土社・85年3月1日発行に収録・ASIN:B000J6VQTO→中公文庫・88年7月9日発行・ISBN:4122015294)――。


 『ニューウェイブ世代のゴジラ宣言』(JICC出版局・85年1月1日発行・ASIN:B00SKY0MJW――「ニューウェイブ」という用語自体がモロに80年代前半!・爆)に掲載された「ゴジラ映画30年史」では、まさに当時の「ゴジラ観」を象徴する文面が踊っている。


「(作家)筒井康隆(つつい・やすたか)の疑似(ぎじ)イベントSFを思わせるような、ブラック・コメディの傑作だが、これ以降の怪獣映画が「恐怖」を失った原因ともされる作品である」(『キングコング対ゴジラ』62年・東宝


「怪獣どうしが闘う場所を、広大な空き地にしてしまったのがこの映画の罪である」(『モスラ対ゴジラ』64年・東宝


――以上は、約10年前の本誌バックナンバー『仮面特攻隊2004年号』(03年12月29日発行)にて自主映画監督としても名を知られた特撮同人ライター・旗手稔が中心となった「日本特撮評論史」大特集に採録されていた図版コピーからの引用で、当の『ゴジラ宣言』の書籍自体は手許にないので記憶になるが、当時タレントのタモリによる、名古屋をバカにするネタがウケていたためか、本作については確か「舞台が名古屋だからダメだ」とも書かれていたような・爆――


「ついにゴジラにガキまでできた。もうゴジラもダメである」(笑・『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』67年・東宝


ゴジラシリーズ最低の内容である。福田純(ふくだ・じゅん)監督にとって映画作りは、生計の手段でしかないのだろうか。その彼が、この映画ではシナリオまで書いているのだから頭が痛い」(『ゴジラ対メガロ』74年・東宝


 「怪獣恐怖論」のみならず、「怪獣映画では都市破壊が描かれねばならない」とか、「子供だましはダメ」だとかいう、当時のマニアの主張がここでも展開されている。


 しかも、


・故・円谷英二特撮監督=「善」、中野昭慶(なかの・あきよし)特撮監督=「悪」


本多猪四郎本編監督=「善」、故・福田純本編監督=「悪」


・故・伊福部昭(いふくべ・あきら)の音楽=「善」、故・佐藤勝(さとう・まさる)の音楽=「悪」


といった、あまりに素朴で極端な「善悪二元論」により、「善」のスタッフによる作品は「善」であり、「悪」のスタッフによる作品は「悪」である(爆)などという基準が、各作品の評価にものの見事に反映されていたのである。


――「過去の作品から映像を大量に流用している」とか、「子供が主人公である」といった理由により、それまで特撮マニアからは「駄作」扱いされていたハズの映画『ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃』(69年・東宝)が、本書では児童ドラマとしての出来のよさを批評的に語るというより、「本編監督が本多猪四郎だから」というロジック(爆)によって、史上初めて「傑作」として扱われたようにも記憶する。
 本書ではなかったと思うが、怪獣が1体しか登場しない作品は優れており2体、3体と数が増えていくほど劣っていくという論法などなど、むかしは色々あったよな・笑――


 当時のマニア間では、こうした妙な尺度により、60年代後半から70年代にかけ、娯楽志向や子供向けの作風が強まり、ゴジラが悪役から正義の味方へとシフトしていった昭和の後期ゴジラシリーズは、「下等」な存在として「断罪」されていたのだ。


1984年12月 ~復活『ゴジラ』公開とその反響


 実は「ゴジラがくる!」や「ゴジラ映画30年史」の構成と文を担当したのは、現在はコラムニストや映画評論家として、マニアの一部では広く知られているであろう、当時はJICC出版局→宝島社の編集者であった町山智浩(まちやま・ともひろ)だったりする。


 ところで町山が翻訳(超訳?)を担当した、『オタク・イン・USA(ユー・エス・エー) 愛と誤解のAnime輸入史』(太田出版・06年8月9日発行・ISBN:4778310020ちくま文庫・13年7月10日発行・ISBN:448043061X)では、著者のパトリック・マシアスが、『ゴジラ』(84年・東宝)について、以下のように評している。


「うーん、確かにかったるくて意味なく重い映画で、自分勝手にシリアスで、(ヒロインを演じた)沢口靖子(さわぐち・やすこ)の聖子ちゃんカット――当時の人気アイドル・松田聖子(まつだ・せいこ)に似せた髪型――は巨大すぎる」


 この指摘、ほぼ、いや、完全に的を得ている(爆)。


 ちなみに、『オタク・イン・USA』の著者のパトリック・マシアスは、雑誌『Otaku(オタク) USA Magazine(マガジン)』の編集長である。
 氏は6歳のときに深作欣二(ふかさく・きんじ)監督の「SF」映画『宇宙からのメッセージ』(78年・東映)を観たのを機に、日本の特撮・アニメ・マンガにハマってしまい、今日(こんにち)に至っている。
 なお、この『宇宙からのメッセージ』は全米で程々にヒットを飛ばしたにもかかわらず、国内での興行は失敗に終わっている。
 国内での失敗について、先にあげた『大特撮』では、本作が『スター・ウォーズ』のブームにあやかった「借りもの」の映像作品だからであり、「オリジナリティ」に欠けていたから、などと分析している。
 だが、それならば『スター・ウォーズ』の本場であるハズのアメリカで「パクリ」と非難されるどころか、むしろヒットしてしまった理由の説明がつかないワケであり、問題の本質はもっと別の部分に存在したのではなかろうか?
 なんせ同じ頃にヒットしていた映画『スーパーマン』(78年・アメリカ 日本公開は79年)と、「語感が似ている」として輸入された『スペクトルマン』(71年・ピープロ フジテレビ)が好評を得てしまったほど、アメリカではブームにあやかった「借りもの」は立派に通用したのだから(笑)。


 上は20代後半に達したマニアたちのゴジラ復活運動と、サブカル界で起きたムーブメントが80年代前半に渾然(こんぜん)一体となって盛り上がったことにより、遂に84年末、ゴジラは復活した。観客動員数360万人、84年度の邦画興行成績では第2位を記録するなど、興行的には立派に成功をおさめた。


 にもかかわらず、この花火を一発打ち上げただけで、せっかく巻き起こった「ゴジラ・フィーバー」――表現が古いか?・笑――は急速に萎(しぼ)んでしまい、単なる一過性のブームに終わってしまったのである。
 続編は元号が「昭和」から「平成」と変わった年に公開された映画『ゴジラVSビオランテ』(89年・東宝)に至るまで、5年間も製作されることはなかったのである。


 マニアたちは「第4次怪獣ブーム」が「幻」に終わってしまったことをおおいに嘆いたものであった。
 「怪獣恐怖論」を忠実に反映し、「こわい」「悪役」のゴジラが描かれたハズなのに、どうしてそうなってしまったのか?


 それどころか、当時の『宇宙船』では、確かこれは特撮ライター・聖咲奇(ひじり・さき)の発言だったと思うのだが、


「少なくともこれはマニアが望んでいたゴジラではない。そのことはハッキリしていると思う」


って、オイ!(笑)


 マニアが望んでいたように、せっかく東宝が「こわい」「悪役」のゴジラをつくってくれたのに、それが「マニアが望んでいたゴジラではない」って、どういうこっちゃ?(爆)


「物書き仲間には、「ひどい作品でも褒(ほ)めないと興行的に失敗するかもしれない。そうなったら、日本から特撮の火が消える」と主張する人達もいた。
 しかし、僕にはとても納得出来なかった。くだらんものは、くだらんのだし、そういうジャーナリズムの無責任が特撮映画の質の低下につながったのではなかったか」

聖咲奇・『宇宙船』第72号(95年春号) 95年6月1日発行)


 これは10年飛んで95年の発言だが、96年のゴジラ書籍で、自分たちのかつての「戦略」の「失敗」を潔(いさぎよ)く認めていた中島紳介とは、あまりにも対照的である。


 84年版『ゴジラ』の不評の原因は色々な要素が複合しており、「怪獣恐怖論」を作劇に採用したからダメになったのだ、などとはもちろん単純には言えない。
 だが、少なくとも聖は、作品を「くだらん」というレッテル貼りの一言で片づけず、せめて、「怪獣恐怖論」という「戦略」が、「万能」ではなかったことにも思いを馳せて、そこをこそデリケートに腑分(ふわ)けして分析、言説化していくべきであったと思える。それこそが、ジャーナリズムの「責任」ではなかったか?


1960~80年代 ~ゴジラ東宝特撮・イン・USA


 さて、これに関連して、先にあげた『オタク・イン・USA』の中で、実に興味深い話が紹介されている。


 映画『フランケンシュタイン対地底怪獣(バラゴン)』(65年・東宝)、ゴジラ映画『怪獣大戦争』(65年・東宝)、映画『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』(66年・東宝)などを、東宝と共同製作したベネディクト・プロの持ち主だったヘンリー・G・サパスタインの話である。


 サパスタインは映画の放映権をテレビ局に販売する事業を展開していたのだが、60年頃、テレビ局がSF映画を欲しがっていることを知り、そこで目をつけたのが東宝の怪獣映画だったのである。


 ロサンゼルスにあった日系人向けの映画館で『ゴジラ』第1作――といっても、「核」に関するくだりをいっさい削除し、アメリカ人俳優のレイモンド・バーが出演する場面を追加した『Godzilla, King of the Monsters!』(56年・57年に日本公開・邦題『怪獣王ゴジラ』)の方であり、オリジナルの第1作が全米で初公開されたのは、実に初封切から50年目の2004年のことである――を試しに観たサパスタインの目に映ったのは、東京の街を破壊し、炎で焼き払うゴジラを、まるで「ヒーロー」に対するかのように、「応援」する観客たちの姿だったのである!


 「反核」の象徴どころか、少なくとも60年頃のアメリカではゴジラは、「恐怖」の対象ですらなかったのである!


 サパスタインは東宝と契約を交わし、北米におけるゴジラシリーズの劇場とテレビへの配給権、さらにはマーチャンダイジング権すらも手に入れた。
――『サンダ対ガイラ』にクラブ歌手役で出演しているキップ・ハミルトンなる女優は、サパスタインの恋人だったとか(笑)。なお、本文では「彼女はガイラに食べられてしまうが」と書かれているが、これは誤り。ガイラの手に握られるものの、光を嫌うガイラに照明があてられたことにより、間一髪難を逃れているのだ。もっとも同じ誤りは往年の書籍『大特撮』も犯していたが(爆)――


 そして先にあげた3作品を共同製作するに至るのだが、『怪獣大戦争』の際、氏は東宝に以下のようなアドバイスをしたというのである!


ゴジラを明快なヒーローにするべきだ。何かのややこしいメタファーじゃなくて。
 もし私の言うとおりにすれば、ゴジラは世界的ブームを巻き起こすだろう」


「古典的な勧善懲悪(かんぜんちょうあく)の話がいい。ゴジラは10ラウンドまで敵に打たれ続けるけど、最後に逆転勝利するんだ」


 『怪獣大戦争』以降のゴジラシリーズが、人類の「味方」という側面を強くしていったことを思えば、時期的にはこれはピッタリと符合する。
 また、映画『ゴジラ対ヘドラ』(71年・東宝)や、映画『地球攻撃命令 ゴジラガイガン』(72年・東宝)のクライマックスにおいて、公害怪獣ヘドラやサイボーグ怪獣ガイガン――かつては腹部の回転カッターが「幼児でも思いつきそうなアイデア」と酷評されていた・爆――に大苦戦した末に勝利するゴジラの姿は、まさにサパスタインがアドバイスしたとおりなのである!


 60年代半ば当時、政府が支援をしてまで、輸出による外貨獲得のために特撮映画が盛んに製作されていたという背景を考えれば、東宝ゴジラシリーズの方向転換をしたのは、怪獣映画の観客に占める子供の比率が次第に増えていったこと、『ウルトラQ』『ウルトラマン』を筆頭とする第1次怪獣ブームも起きたからそれに合わせたということが主因であろうが、サパスタインのアドバイス東宝首脳陣たちの心の隅っこにあったからこそ背中を押したのではないか、と思えてくるのである。
 ゴジラが「核」のメタファー(隠喩(いんゆ))から、「勧善懲悪」のヒーローへと変貌を遂げたのは、世界的ブームを巻き起こすためであったのか!?(笑)


 マニア第1世代はそうした事情は知る由(よし)もなかったであろうが、少なくともこれによって、ゴジラの海外への販売・浸透ははるかにやりやすくなったハズである。


 もしサパスタインのアドバイスを聞かずに、どこか愛嬌もある戦う「ヒーロー」ではなく、「反核」「恐怖」としての姿だけを60年代後半以降もずっと貫いていたならば、果たしてゴジラは、世界的に知られるキャラクターに成り得ていたであろうか?


 「昭和」のゴジラシリーズが休止になって以降も、サパスタインはゴジラグッズを販売することで儲(もう)け続けたが、それらはどれもケバケバしいアメコミ調のデザインであり、本物のゴジラにはまるで似ておらず、パチモンみたいな出来であったようだ。
 しかしながら、84年版『ゴジラ』公開の際、サパスタインが香港のインペリアル社に作らせたゴジラ人形は、1年でなんと300万個(!)も売れたらしい。
 かつて日本でマルサン商店ブルマァクが出していた怪獣ソフビ人形も、派手な原色の整形色に蛍光(けいこう)スプレーが着色されているなど、本物とは似ても似つかない装(よそお)いだったものである。
 だが、玩具としては実際その方がよく売れたのだ。


 この点に関しても、とかくマニアたちは、派手な原色のケバケバしいデザインの怪獣や超獣を嫌う傾向が強く、黒や茶色などの地味な色合いの怪獣を好んだものである(笑)。
 だが、派手でケバケバしいコンセプトでデザインされているからこそ、平成ライダーの変身ベルトやスーパー戦隊の合体ロボの玩具はバカ売れしているワケであり、それがまさに作品の人気を不動のものにしているのである。


「私が言いたいのは、ゴジラというのは単なる映画のシリーズではないということだ。ゴジラはひとつの産業なんだよ」


 映画そのものよりも、版権商売の方が儲かるということを、サパスタインはアメリカで最も早く気づいた人物であるとされている。
 これまであげてきた彼の戦術を、日本の映像産業も学ぶべきだと思えてならないものがある。


 そのためには、作品やキャラクターを、あくまでひとつの「商品」である、と割り切る発想が必要なのだ。
 その数を多く、幅広く売ろうと思えば、それが「マニア」ウケではなく、「大衆」ウケすることが「必須」条件であるのは、いうまでもなかろう。
 「こわい」ものや、「ややこしいもの」では、販売数を増やすことはできないのである。


1990~2000年代 ~「怪獣恐怖論」の去就


 これは先にあげた、『キネマ旬報』における61年版の元祖『モスラ』評の中にも、よいヒントが隠されているように思える。


 観客の子供たちの反応として、


「適当にこわがったり、笑ったりしていた」


とあるが、この「適当に」という点がポイントであるように筆者には思える。


 まったく「恐怖」が感じられない怪獣というのも、子供には魅力が感じられないのかもしれず――筆者的には『ゴジラの息子』で初登場したゴジラの息子=ミニラの、あからさまに人間の乳幼児の仕草を表現した、まったく「恐怖」が感じられないスーツアクターによる演技を、「絶品」だと思っているほどなのであるが――、「ある程度」こわがらせてくれる、というのが、キャラクター的にはちょうどいいのであろう。


 これがサジ加減を間違えると……


「怖いゴジラでは集客に自信がなかったのでしょう。その結果、観客動員数は前作と比べ80%も増えたのです。
 ただし、怖いゴジラハム太郎とでは水と油。ハム太郎目当てにやってきた園児たちが、ゴジラを観て泣き出す騒ぎが続出したため、劇場入り口には注意書きまで張られる始末です」

(映画記者・『週刊文春』02年6月30日号)


 時代が飛ぶが、70年代末期~90年代初頭の特撮論壇で隆盛を極めた「怪獣恐怖論」を、異論はあろうがわりと忠実に継承・体現したと思われる映画『ゴジラ2000 ミレニアム』(99年・東宝)が200万人、続く映画『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』(00年)が135万人と、90年代前中盤に大ヒットを記録した平成ゴジラシリーズ休止から4年を経て再開したミレニアムゴジラシリーズは、観客動員数の低迷を続けた。
 その救世主として、当時の子供向け人気アニメ『とっとこハム太郎』(00年)の劇場版を併映するも、「凶暴な悪役ゴジラ」を表現するため、眼球のない「白目」で造形されたゴジラが登場した映画『ゴジラモスラキングギドラ 大怪獣総攻撃』(01年・東宝)は、「怪獣恐怖論」にいまだに固執(こしつ)していた古いタイプ(失礼)の特撮マニアや、マニア向け映画誌『映画秘宝』などではカルト的な評価を得たが、先にあげたように幼い観客からは「拒絶」されるハメになる。


 既に少子化が顕著になっていたこの時代、『ハム太郎』を目当てにやって来た幼児たちを新たなファンとして開拓するという試み自体は、将来的な展望からすれば、うまくやれば戦略としては充分に機能するハズだったのである。
 だが、「こわすぎる」ゴジラは幼児たちのトラウマとなってしまい、新たなファンを開拓するどころか、ゴジラという存在を、この世代にとって「必要のないもの」にしてしまったのだ。
 2014年現在、既に彼らも10代後半にさしかかっているハズだが、果たして00年代前半に子供であった世代の中でゴジラに思い入れが強いファン・マニアは、90年代までの子供時代にゴジラや怪獣たちに接した世代ほどには、ある程度規模のあるマス層としては存在していないのではなかろうか?
 「こわい怪獣映画をつくれば世間に受け入れられる」とした「怪獣恐怖論」は、やはり「幻想」でしかなかったのである。


 その一方、平成ゴジラシリーズで「400万人」(!)という、最高の観客動員数を記録した映画『ゴジラVSモスラ』(92年・東宝)は、いわゆる怪獣の「恐怖」を描いた作品ではなかった。『キネマ旬報』で元祖『モスラ』を評するのに用いられた、「おとぎ話」という作風を継承した作品だったのである。


 元祖『モスラ』では、当時の人気女性デュオだったザ・ピーナッツにインファント島の「小美人」を演じさせていた。彼女らを起用することで「歌謡映画」「アイドル映画」としての側面も持たせたことにより、集客に成功したという点は大きいと思える――ちなみに『ゴジラVSビオランテ』と『ゴジラVSキングギドラ』(91年・東宝)の間に大森一樹監督が構想した流産企画『モスラVSバガン』でも、小美人をバブル期当時の超人気デュオ・Wink(ウインク)に演じさせる想定であったとか(笑)――。


 『ゴジラVSモスラ』でも、当時の東宝シンデレラあがりの新進女優ふたりが小美人=コスモスを演じ、「モスラの歌」を歌唱した。


 モスラが幼虫から生物感あふれる蛾(が)というよりもヌイグルミのパンダのようにモフモフした(笑)成虫へと変貌を遂げる場面では、観客の女子児童――平成ゴジラシリーズの観客層の中心は、ウルトラマンシリーズや東映ヒーローの劇場版とは異なり、「幼児」ではなく「小学生」だった!――から「かわいい!」「きれい!」などの「感嘆(かんたん)」の声があがっていたのである!


 もちろん愛玩動物のような平成モスラの造形に対する特撮マニアの批判が当時もあるにはあった。しかしそれに対して、技術やセンスの未熟ゆえではなく、作品自体や造形のコンセプト自体がリアリズム至上ではなくマイルドでファンシーになっていることに気付いて、複雑な気持ちになりつつも、意図的に確信犯でそのように造形・演出されているのだと正しく指摘する者もいた。


 90年代に入ると特撮マニアも上の方は30代に達して、それより下の若い世代も既に特撮批評の蓄積が充分ある時代ゆえにスレてきて、自己のそれまでの信念を多少は相対化できるようになったせいか、個人としてはその特撮映像クオリティに必ずしも讃嘆はできなくても、その隣で少女たちが「かわいい!」「きれい!」と称賛する声と、自身の感慨とのあまりにものギャップにアイデンティティが揺らいでいる旨の述懐が、当時の特撮雑誌『宇宙船』のライター陣による合評記事や読者投稿欄などでは散見されたものだ。


 思えば筆者が小学生の70年代中盤の頃は、決してマニア気質の強い子供ばかりではなく、ゴジラガメラは当然としてギララやガッパすらも、小学生男子であれば「一般常識」としてクラスの大半の者が知っているのが当然だったのである。
 そして、当時の筆者たちは、ゴジラガメラ、ギララやガッパが、「こわい」から好きなのではなかったのだ。


 『ゴジラVSモスラ』で描かれた、「リアル」とは対極にある「ファンタジック」な要素。
 映画『ゴジラVSキングギドラ』で描かれた、「怪獣」はもちろんだが、「未来人」に「タイムマシン」、「アンドロイド」に「メカキングギドラ」といった、「男の子」であれば「ワクワク」を感じずにはいられない「非日常的」な要素。
 オタク第1世代の大勢からは蛇蝎(だかつ)のごとく嫌われた「平成ゴジラシリーズ」が、「小学生」の間に怪獣映画を幅広く認知させるのに成功したのは、まさしく筆者たちも子供の頃に夢中になった、「スーパーメカ」や「宇宙人」や「南海の孤島・怪獣ランド」に類するものが描かれていたからだったのだ。決して怪獣の「恐怖」なんぞではなかったのである。


 90年代後半に、ゴジラが4年も眠りについている間に登場したアニメ『ポケットモンスター』(97年~)などにマーケットを奪われてしまったのも、かつての怪獣映画には存在したそうした要素を『ポケモン』が継承しているにもかかわらず、その元祖であるハズのゴジラでそれらが描かれなくなってしまったためではないのか?


1990年代 ~平成ゴジラシリーズ時代のゴジラ観の分裂


 こうした新たな「現実」から、マニアの『ゴジラ』観にも変化が見られた。


 インターネットがなかった90年代前半、「平成ゴジラ」の商業的成功に「日本特撮の再興」を夢見た、オタク第1世代よりも下の世代の当時20代のマニアたちは、『宇宙船』やケイブンシャから92~96年に年2回、刊行されていた『ゴジラマガジン』(ASIN:B00BN0GOYC)の読者投稿欄や特撮評論系同人誌などで、「平成ゴジラシリーズ」各作の出来に一喜一憂を表明していた。


 それだけでなく、『ゴジラマガジン』の作品人気投票の読者コメント欄などで、70年代末期~80年代に望まれていたリアル&シミュレーション路線ではなく、SFやファンタジーやチャイルディッシュな方向に傾斜していく「平成ゴジラ」の作風を肯定したり、『ゴジラ』第1作の神格化に疑義を呈して相対化してみせたり、70年代の東宝チャンピオン祭り時代の昭和の後期ゴジラシリーズをも再評価・肯定するような論調も多々見られたのだ。


 しかしながら、『ゴジラVSビオランテ』『ゴジラVSキングギドラ』の監督・大森一樹(おおもり・かずき)の


「“昔はよかった”と言うのはもうよしましょうよ」


という発言が、大勢のマニアから反発を食らったように、自由奔放(ほんぽう)な作風の「ファミリー路線」として製作された「平成ゴジラシリーズ」は、いくら興行的には大成功していても、あるいは『宇宙船』に80年代末期に新たに参加した編集者――のちにアニメ・特撮の脚本家となる古怒田健志(こぬた・けんじ)と、90年代末期以降は『ハイパーホビー』誌で編集者を務める江口水基(えぐち・みずき)――や、本同人誌主宰者に本誌古参寄稿者たちをも含む(爆)『宇宙船』読者投稿欄の常連投稿者たちの一部が「平成ゴジラシリーズ」の奔放な路線を肯定して、「特撮論壇」の風潮がいっときは変わるかのように見えても、当時の特撮マニアたちの大勢にはそれは気に食わないことだったようである。


 先の中島紳介による、かつての自身らの「戦略」が誤っていたとする発言のラストであげた例えとは真逆になるが、当時は「視聴率」「興行成績」「玩具売上高」で作品を少しでも語ろうものなら、潔癖(けっぺき)にも「権威主義」「視聴率・商業主義こそ悪である」として罵倒されていたくらいなのである(笑)。
 「平成ゴジラ」の興行が成功したのは「大衆」への「迎合」によるものであり、それこそが「諸悪の根源」であるなどという、現在で言うところの「中二病」的な実に浮き世離れした主張がまかり通っていたくらいなのだから(爆)――特撮マニアのほとんどだれもが、特撮ジャンルの継続には興行成績・玩具の売上高なども大切だよね、ということが充分にわかっている現在とは隔世の感――。


「振り返ってみれば、VSシリーズは、マニアや熱心なファンをターゲットにはしない、ファミリー路線ということだろうか。
 もちろん、ドキュメント映画のような昭和のゴジラのリアルなモンタージュは、スピーディーな現代の見せ方でないかもしれない。
 昭和から平成に変わって、湾岸戦争(91年)、雲仙・普賢岳(うんぜん・ふげんだけ)災害(91年)、オウム(真理教)の地下鉄サリン事件(95年)など、信じられない光景が次々と報道されるなか、ゴジラのドキュメントのインパクトはもはやそれらに及ばない。現実の事件・事故・災害がはるかに想像力を越えていたからだ。
 そこで、子供たちを飽きさせないため、ゴジラが数分おきに登場する作劇が計算された。ゴジラ自体も生物の息吹(いぶき)をリアルに見せるのではなく、ゲームのキャラクターのように分かり易く描かれた。特に怪獣の出す光線とミニチュアの爆発は、チャンピオンまつり以上に連発された。
 スタッフとマスコミとファンとが遊離した時代……」

(ヤマダ・マサミ「ゴジラという現象」・『ゴジラ/見る人/創る人―at LOFT・PLUS ONEトークライブ』ソフトガレージ 99年12月26日発行・ISBN:4921068453


 何かのメタファーではない、わかりやすいキャラクターのゴジラが数分おきに登場し――これはオーバーだが・笑――、派手な光線をブッ放してミニチュアを爆破させて大暴れする!
 これこそがゴジラ最大の魅力であり、それをメインで描くことで、マニアや熱心なファンではなく「小学生」を中心とする観客にウケたことこそ、「平成ゴジラ」が興行的に成功した要因であることがわかっているハズなのに、自分たちが主張してきた「恐怖」だの「リアル」だのとは相反する要素で「平成ゴジラ」が成功したことに対し、やはり当時のマニアの大半は素直に受け入れることができなかった、というところであろうか?


 ヤマダが構成・執筆を担当した、「特撮」や「SF」ですらなく「幻想映画」という斬り口で東宝映画のあまたのジャンル系作品群にアプローチした竹書房の『ゴジラ画報 ―東宝幻想映画半世紀の歩み』(93年12月9日発行・ISBN:4884752678→『GODZILLA』1998年版公開に合わせて増補『ゴジラ画報第2版』98年7月発行・ISBN:4812404088→『ゴジラ2000』公開に合わせて増補『ゴジラ画報第3版』99年発行・ISBN:4812405815)が刊行され、映画『ゴジラVSメカゴジラ』(93年・東宝)が公開された93年も押し迫った頃、ひとりのマニアあがりの若手評論家による『ゴジラ』第1作至上主義を暴走させた書籍が物議(ぶつぎ)を醸(かも)し出すこととなった。


 それは『さらば愛しきゴジラよ』(著・佐藤健志(さとう・けんじ) 読売新聞社 93年11月10日発行・ISBN:4643930802)である。


「問題点を指摘する前に、著者の論旨を要約しておこう。著者は「恐ろしい脅威」として象徴的なリアリティーを持つ怪獣を


①人間社会にとって外部的(非日常的で異質)


かつ


②人間社会を襲撃し、大規模な破壊をもたらす存在


と定義したうえで、「正統的な怪獣映画」とは、そういった怪獣が「人間の正義と力によって撃退される物語」としている。
 そして歴代すべてのゴジラ作品の対立の図式を分析しながら、昭和29年の第1作では満たされていた前記の条件がいかにして崩壊していったかを論証しようとする。


(中略)


 結局、著者はゴジラを愛しながらも、自身の中で第1作しか認知することができないのである。ジレンマに苦しみそれを正当化するために以降の作品を否定し支配しようともがいているのだ。その心情は実は非常によく解る。
 なぜならそれは、84年の復活ゴジラ以前のファンダムに広く見られた感情だからだ。当時のファンダムには、第1作を至上とするファンの比率も高く、ゴジラの一般的な評価もこれからという時期だったため、ゴジラ作品は第1作たるべしという認識が支配的だった。そのため後期の作品がお子様ランチと呼ばれて必要以上に過小評価されることも多かった。第1作をリアルタイムで鑑賞した世代にとってそれは正論である。
 だが、昭和41年生まれ――1966年生まれ――の著者がこの世代の感覚を持ち得るはずがない。昭和30年代以降に生まれた世代のほとんどが愛していたのは子供のころ親しんだ対決路線、もしくはまさにお子様ランチと呼ばれる後期シリーズのゴジラだったのだ。それらの作品が無ければ、現在ゴジラがこれ程多くのファンに支持されていただろうか?
 それはいい歳をして怪獣映画などに夢中になっている自分を肯定できないいらだちの表れでもあっただろう。時代的に、ファンがまだ大人として自分の中の幼児性を客観視することに慣れていなかったが故(ゆえ)の苦しみだったのだ。
 権威主義的な映画ジャーナリズムの中で唯一正当に評価されていた昭和29年の『ゴジラ』――引用者註:先にあげてきた1950~70年代後半までの『ゴジラ』の評価を思えば、これはやや正確さには欠ける指摘であるようにも思えるが、70年代後半以降はその評価を「不朽の名作」であるかのように盤石(ばんじゃく)にしていったのも事実だろう――を免罪符にし、後期作品をいけにえに捧げることが救済の道だった。
 この行為の繰り返しが『さらば愛しきゴジラよ』の正体である」

古怒田健志・「ゴジラ論」10年の呪縛(じゅばく)を解(と)く。・『宇宙船』第67号(94年冬号) 94年3月1日発行)


 80年代に怪獣映画の時代は終焉し、既にゴジラ映画は時代の後ろ盾を失っていると結論づけ、今後のシリーズ制作を発行年に27歳になった佐藤は完全に否定。
 そのくせ、失礼ながらあまり出来がいいとは思えない自作の長大なシノプシスを掲載し、これをシリーズを終結させる作品として映像化したら大成功する! などと自画自賛する始末(爆)。


 佐藤は『さらば愛しきゴジラよ』を上梓した93年の前年92年にも『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』(文藝春秋・92年7月25日発行・ISBN:4163466606)を刊行。今ではともかく当時はとても珍しかった、「戦後」や「戦後民主主義」を批判・相対化もしてみせる右派的な論客の走りとして実質的なデビューを果たした。
 右派的な観点から、それまでのアニメや特撮の評論における常識・スタンダードを引っ繰り返していく論法はとても鋭いものがあり、見るべきものも大いにあったと思うが、それはまた左派的なマニアの反発を大いに買う内容のものではあった。


 とはいえ、そんな逆張りを得意とする佐藤でもまだ、『ゴジラ』第1作至上主義や第1期ウルトラシリーズ至上主義、ひいてはドラマ性やテーマ性至上主義、ハードでシリアスな作風の至上主義といった、往時主流であった原理主義的なテーゼ自体の逆張り・相対化はできていなかったようである。
 よって、特撮作品の政治思想的な内実――反核反戦や平和主義など――が「近代」や「戦後民主主義」の理念にいかに合致していたかを強く主張して擁護する手法を、佐藤が小バカにするかのごとくそれらは偽善であり欺瞞であり米軍への奴隷的依存であるとして全否定をしてみせる論法で、旧来の特撮マニアたちからの反発を買い、その逆に『ゴジラ』第1作至上主義の呪縛から逃れ始めた一部の若い特撮マニアたちからも、佐藤は旧態依然とした守旧的な『ゴジラ』第1作至上主義であるという一点でもって反発を買ってしまう。
 真逆でもある新旧2方面の特撮マニアたちから、『さらば愛しきゴジラよ』は案の定、感情的な猛反発を食らってしまったのであった。


――かといって、後述するヤマダ・マサミのように、当時の『ゴジラ』関連の全書籍を紹介したその著作『ゴジラ博物館 ―世界初のゴジラアイテム40年史』(アスペクト社 94年11月1日発行・ISBN:4893662953)から、右派的な佐藤健志の著作一切をあえて除外、黙殺した行為は大いに問題だとも思う。そういう行為は右側からのファシズムならぬ、左側からの全体主義・言論封殺なのであって、学術的な専門用語ではスターリニズムと呼称される批判されてしかるべきふるまいである――


 佐藤より2歳年上の1964年生まれで当時、『宇宙船』編集者であった古怒田は


「時代遅れなのはゴジラではない。佐藤健志さん、あなたのファン意識なのだ」


と結んでいる。


 ただこの当時、マニアの世代交代やマニアの一部に急速な意識の変化が実際に起こっていたのだとしても、翌95年に公開された怪獣映画『ガメラ 大怪獣空中決戦』(95年・角川大映)が特撮マニアの間で大絶賛され、「平成ゴジラ」に対するバッシングが一斉に巻き起こったことを思えば、ファン意識が「時代遅れ」だったのは佐藤だけではなかったように思える。


 そもそも古怒田自身が94年初頭に発表した先の論考のちょうど3年前、本同人誌主宰者が90年12月に発行した、車に乗りレーザーブレードを必殺技とし三段変身もして、「こんなの『仮面ライダー』じゃないやい!」(爆)と当時の特撮マニアたちから猛烈なバッシングにさらされた『仮面ライダーBLACK RX(ブラック・アールエックス)』(88年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20001016/p1)を肯定してみせた同人誌『太陽の子だ!』を、91年初頭の『宇宙船』の同人誌欄で紹介する中、


「最終展開に触れずにケンカ売ろうっていうのは虫がよすぎるんじゃないのか」


などと編集者が一介の投稿者に対して「暴言」を吐いていたではないか?(笑)


 救われるべき怪魔界50億の民もろともに敵首領を滅ぼして、大物議を醸した『RX』の最終回に一切触れないで、『RX』の同人誌をつくってみせた若き日の本同人誌主宰者のセンス(暴挙?)も確かにドーかしていたとは思うけど(爆)。


 というか、94年初頭の時点では先進的でも、少なくとも80年代末期~90年代初頭の古怒田は先の佐藤健志同様、『仮面ライダー』観に限らずその『ゴジラ』観についても、当時の『宇宙船』各号で手懸けた各記事での記述を読む限り、ファン意識の面ではまだまだ「古い」人だったはずである(苦笑)。


――この時期、「怪獣恐怖論」も、84年版『ゴジラ』の失敗を受けてか、若干の進展が見られた。「恐怖」とは「未知の脅威」に対する「一回性」のものであり、だから人類がゴジラに「初遭遇」した『ゴジラ』第1作は怖かったのだ。しかし、同じく「怪獣恐怖論」をめざした84年版『ゴジラ』はかの『ゴジラ』第1作の世界に直結する30年後の続編として描かれた。よって、ゴジラは人類にとっては「既知」の存在である。ゆえに「恐怖」が感じられなかったのだ! という論法である。その論法の当否については、読者諸兄の判断に委(ゆだ)ねたい(笑)――


1995年 ~平成ガメラ登場と平成ゴジラへの猛烈バッシング


「今や子供でも失笑する類(たぐ)いの生命感のないぬいぐるみや、金の浪費としか思えない巨大な機械人形の代わりに、『ガメラ』で我々が見るのは、本来の権威を取り戻した大怪獣の姿である。
 ガメラを見た時、涙が出るほどうれしかったのは、日本でもこんな作品が作れたという事実だった。僕が宇宙船創刊から10年近くかけて書き続けてきた事を、この作品はたった2時間程度で具体的に証明してくれたのだ。
 長い間、メインストリームであるゴジラに裏切られ続けてきた人民による、これは革命のようなものだと僕は思う」

聖咲奇・『宇宙船』第72号(95年春号))


 あからさまに平成ゴジラを批判したうえで――当時は怪獣のスーツを「着ぐるみ」と称するのが既に一般的であったにもかかわらず、あえて旧来の言い方である「ぬいぐるみ」と書いているのは、明らかに「侮蔑(ぶべつ)」の意味を含んでいる――、聖は映画『ガメラ 大怪獣空中決戦』を絶賛した。


 これは決して氏だけではなかった。平成ゴジラシリーズとは相反する、リアルでこわい『ガメラ』こそ、長年求めてきた本来の怪獣映画であるとして、マニアたちは絶大に支持する一方、それを裏切ってきた平成ゴジラを徹底的にバッシングしたのである。
 やはり90年代半ばの時点では、マニアの「意識改革」は、決して進んでいるとは言えなかったのだ。


 「怪獣映画はかくあるべき」と、聖が「成功例」とした『ガメラ』は、同作の樋口真嗣(ひぐち・しんじ)特撮監督がアニメ誌『ニュータイプ』の連載コラムで女性客が実は少ないと当時明かしていたように、配給収入が20億円前後――21世紀以降の興行収入基準だと40億円前後!――で推移していた平成ゴジラに対し、その半分の10億の壁を突破することができず、営業的には「大成功例」であったとはいえなかった。
 「怪獣恐怖論」同様、「マニアが観たいと思うものをつくれば、特撮映画は必ず復興する」などという第1世代の主張もまた、根拠のない「幻想」に終わってしまったのである。


――70年代後半から始まる「日本特撮 冬の時代」は90年代中盤まで続いて、平成ガメラの誕生をもって終了したとする意見までもがあるようだが、それはいかがなものだろうか?
 平成ゴジラが大ヒットする中、平日夜のゴールデンタイムから日曜朝8時の放映枠に飛ばされて視聴率も下落していた東映メタルヒーローは、90~93年のレスキューポリスシリーズが最高視聴率15%を記録し(!)、同じく金曜夕方に飛ばされたスーパー戦隊も『鳥人戦隊ジェットマン』(91年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20110905/p1)と、当時の戦隊マニアは酷評したが高い幼児人気を誇った『恐竜戦隊ジュウレンジャー』(92年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20120220/p1)で10%を突破した。
 特撮マニア第1世代のお眼鏡には適(かな)わなかったか、視野の外にあっただけで、言説化はされていないけど、90年代前半にも実は平成ゴジラシリーズを筆頭に「特撮ブーム」はあったのではなかろうか?――


 これは翌96年にスタートした『ウルトラマンティガ』(96年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/19961201/p1)、『ウルトラマンダイナ』(97年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/19971215/p1)、『ウルトラマンガイア』(98年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/19981206/p1)の「平成ウルトラ三部作」にしても同じことが言えるであろう。
 「16年ぶりのウルトラマン」などと、世間の飢餓(きが)感を煽(あお)るような触れこみでスタートした『ティガ』は、昭和ウルトラで育った世代が親になる時代とちょうど重なったこともあり、親子二世代のヒーロー作品として、特にバンダイ製関連玩具の売り上げでは商業的にも一応の成功をおさめた。
 また、そのリアルでアダルトな作風は、マニアの間では圧倒的な支持を獲得したのも事実である。


 だが……


「視聴者層を未就学児童から一気に底上げしたテレビの『ガイア』の特異性は特筆ものだった。まるで深夜枠で見せるようなカルトサスペンスのノリで、ウルトラマンを通じて人間と地球の関係を探っていく一種哲学的なシリーズとなった」

(ヤマダ・マサミ「ゴジラという現象」・『ゴジラ/見る人/創る人』)


 ウルトラマンで「カルトサスペンス」に「哲学」……(苦笑)
 平成ウルトラ三部作は幼児層にも一定の人気を得たとは思うが、『ポケモン』や『遊☆戯☆王』(98年)といった、現在にまでその系譜が継続している、カプセルやカードから「モンスター」を召喚して「戦わせる」、平成ウルトラ三部作よりもはるかにチャイルディッシュな作風のアニメの方が、当時の児童間での「王者」だろう。
 その証拠として、映画『ウルトラマンティガウルトラマンダイナ 光の星の戦士たち』(98年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/19971206/p1)の配給収入は4億5千万円に留まったが、同年夏に公開された『ポケモン』映画第1作『劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲』(98年)の配給収入はその10倍近くの41億5千万円(現在の「興行収入」基準だと75億4千万円!)であったという事実をあげておきたい。


1998~99年 ~ヤマダ・マサミのトークライブとその観客のゴジラ観。両者間に生じた亀裂


ヤマダ・マサミ「ウルトラを子供からとりあげろ! が合い言葉ですから」
開田あや「子供にはもったいないよ」


 新宿・歌舞伎(かぶき)町のロフトプラスワンで、ヤマダ・マサミが特撮映画をテーマにしたトークライブを主催するようになったのは、98年1月からのことであった。


 98年6月、平成ウルトラ三部作で異色作を連発していた川崎郷太(かわさき・きょうた)監督――ゴジラ映画『三大怪獣 地球最大の決戦』(64年・東宝)の劇中番組ではないが、「あの方(かた)はどうしているのでしょう」・爆――をゲストに招いて開かれた「いまどきのウルトラマン」は、濃いマニアたちよりも「女性客」の姿が目立ち、当のヤマダ自身が驚いたという。それまでには見られなかった新しいファン層を獲得し、裾野(すその)を広げたことが、平成ウルトラ三部作の功績のひとつではあった。


 だが、翌99年5月1日開催の「朝までウルトラ」でかわされたのが、先のヤマダと開田(かいだ)あや――マニア第1世代のイラストレーター・開田裕治(かいだ・ゆうじ)夫人――の会話である。新たな鉱脈を築いたのはよいが、それまでの最大の支持層だった「子供」たちから、ウルトラをとりあげたらダメだろう(笑)。この「子供からとりあげろ」発言に対しては、老舗の特撮サークル「日本特撮ファンクラブG」の当時の会報での主要メンバーによる記事でも批判的に言及されていた。


「子供にとって怪獣との出会いは通過儀礼だ。しかし大人になってこそ特撮映画は楽しめる」

(ヤマダ・マサミ「ゴジラという現象」・『ゴジラ/見る人/創る人』)


 ここには、「大人」になっても特撮映画や怪獣やアニメなどを楽しんだり執着してしまったりするのは、我々のようなアダルトチルドレンだけかもしれない、それはそれなりに優れた特性かもしれないけれど、同時にひょっとしたら何らかの人格的な欠陥かもしれない、少なくともそんな可能性があるかもしれない……などというような自己懐疑・自己相対視が微塵(みじん)も見られない(笑)――むろん、そんな「趣味」や趣味にかまけてしまう「自分」のことを、過剰なまでに卑下する必要もないけれど――。


 アラフォー(40歳前後)に達していたヤマダも開田夫人も、99年の時点においてさえ、古怒田が言っていた自分の中の「幼児性」を客観視できてはいなかったのである。


 これらのイベントに、大ヒットロボットアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』(95年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20110827/p1)で有名な庵野秀明(あんの・ひであき)監督が突如乱入して、


「『ウルトラマンタロウ』は面白いので観てください!」


と主張して去っていったという例外的な椿事(ちんじ)が、ヤマダ自身の『ホビージャパン』誌・連載コラム「リング・リンクス」でも写真付きで明かされたというような突発的な例外事項もあるにはある。


――70年代前半に放映されて長年マニア間では低評価に甘んじてきた第2期ウルトラシリーズの再評価は、特撮評論同人界では既に80年代には始まっていた(「特撮評論同人界での第2期ウルトラ再評価の歴史概観」:https://katoku99.hatenablog.com/entry/20031217/p1)。しかし、一般的な特撮マニア間では00年前後になってもまだまだ低評価に甘んじることが多かった、それも特にチャイルディッシュな作風であった『ウルトラマンタロウ』(73年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20071202/p1)を、よりにもよって第1期ウルトラ至上主義者の牙城であるヤマダ・マサミ主宰のイベントの場でワザワザ持ち上げてみせるとは!(笑)――


 とはいえ、一部の(大勢?)特撮マニアたちがこうした主張を00年代初頭になっても断固として貫き通して、そしてそれを作品の側でも一部採用してしまったがために、ゴジラやウルトラは子供たちから本当に「とりあげられる」こととなってしまったのである……


「平成シリーズを振り返ると大森さんが89年の『VSビオランテ』で新しいゴジラ像を作ったと思うんです。
 しかし、それ以降のゴジラ映画になると、どこから観てもゴジラが出てるという子供を飽きさせないためのつくりが特徴としてあって……
 大人の視点からみるとゴジラが5分おき10分おきに出るのは、子供っぽく感じるんで、僕はもう少しドラマをしっかり見せるゴジラを観たいなと思います」

(ヤマダ・マサミ「ゴジラ復活祭・トークライブ」・『ゴジラ/見る人/創る人』)


 同じ「大人」でも「コアなマニア」と「ヌルい一般層」の対極的な両者がいることを区分けできずに、当時の東宝映画プロデューサー・富山省吾(とみやま・しょうご)に、こんな主張を平気でぶつけてしまうくらいだからなぁ。
 特撮評論同人界ですら1990年前後には、「マニア向け」作劇を懐疑する視点、逆に「子供向け」「一般向け」作劇を評価するという風潮が誕生して、90年代前中盤にはもうそういった論調が主流となっていたというのに……――特撮マニア雑誌の読者投稿欄レベルだと、まだまだ「子供向け」作劇の賞揚という意見は極少だったけど(汗)――。


 スーパー戦隊や近年の平成ライダーは、冒頭からヒーローや怪人が5分おき10分おきに出てきても、ドラマもしっかりと見せることに成功、バトルの最中でも会話をさせることでドラマを継続させることにも成功しており、だからこそ長年に渡って支持を集め続けているのである。それを思えば、多少チープでラフな作風であろうと、平成ゴジラの手法は極めて正しかったということが実証されているようなものである――そういや、ゴジラの登場が遅ければ遅いほど作品として優れているという論法もむかしはあったよな・笑――。


 映画『ゴジラ2000 ミレニアム』の製作が正式決定したのを機に、ヤマダはロフトプラスワンで「ゴジラ復活祭」と題したトークライブを、99年に隔月で計6回開催した。
 平成ゴジラシリーズが公開されていた頃を、「スタッフとマスコミとファンとが遊離した時代」としたヤマダが、スタッフとファンに同じ時間と空間を提供することで自由闊達(かったつ)な意見交換をさせ、ホビー誌やマニア誌の自らの連載コラムでそれをレポートするという試みは、まだインターネットが黎明(れいめい)期であった時代を思えば、確かに画期的ではあった。


 「ゴジラ復活祭」では、会場に来たファンが富山プロデューサーに直接要望を伝えることができた。
 しかしその中には、ヤマダみたいに「ドラマが見たい」ではなく、ヤマダの意向に反して(?)、70~80年代の特撮マニアにはありえなかった、「反核」の象徴・「怪獣プロレス」批判というドグマを相対化する、以下のような意見も見られたのである。


「今度の新しいゴジラでは、ゴジラが水爆、核から生まれたことにどのくらいまでこだわるおつもりなのか。もうあまりこだわらなくてもいいんじゃないかと思ってるんですが」


「平成になってから、どうも怪獣同士の取っ組み合いが少ないような気がするのですが。例えば、ガバラを一本背負いしたり(会場笑)、キングコングに蹴りを食らわせて崖から突き落としたりですね、あれやっぱりいいんですよ。ああいうのをやってほしいなと思うんですが」


「僕はゴジラアンギラスが特に好きなんです。平成ゴジラアンギラスが復活するかと楽しみにしてたんですけど(会場笑)、無理でした。今度アンギラスが出てくるということはあるんでしょうか。取っ組み合いもあるとなるとアンギラスなど適任だと思うんですけど」


 これらは99年3月18日に開催された第1回のライブでファンから出た意見だが、この時点ではゴジラスーツアクターはまだ正式には決定してはいなかった。


「怪獣は大好きでした。ただおれはウルトラマンが好きだったんですよ。ウルトラマンになりたくて東京に出てきたんですけど、なれなかったんです。JAC(ジャパン・アクション・クラブ)はそういうのはやっていなかったし」

(喜多川務「ゴジラは入る人を選ぶ」・『ゴジラ/見る人/創る人』)


 ミレニアムゴジラシリーズでゴジラを演じることとなったのは、『バトルフィーバーJ』以来、90年代半ばくらいまでのスーパー戦隊シリーズスーツアクターを務めてきた喜多川務(きたがわ・つとむ)であった。
 氏は1957年生まれの第1期ウルトラ世代であることから、ウルトラマンになりたくて東京に出てきたというのは、充分にうなずけるところである。
 氏を起用したことで、ドラマ面や作風はともかく、特撮怪獣バトル演出においては、たとえば『大怪獣総攻撃』における箱根(はこね)での対バラゴン戦や、映画『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』(03年・東宝)における対メカゴジラ戦など、実に印象に残る怪獣同士の派手な取っ組み合いが描かれるようになったのは喜ばしい限りだ。
 ひょっとしたら、先の「取っ組み合いをやってほしい」なるマニアの要望が、反映された成果かもしれない!?
――かつては怪獣映画の幼稚化の根源のように批判されてきた昭和ゴジラの「怪獣プロレス」を、平成ゴジラが避けてスマートにバトルしてみせれば、今度は「光線作画の垂れ流しだ!」などと批判するように変わり身してしまう特撮マニア連中もつくづくワガママな存在ではあるが・笑――


 『大怪獣総攻撃』に「護国聖獣」として登場したモスラキングギドラも、当初案では実はアンギラスとバラン(!)であったという。
 興行側からの「もっと知名度がある怪獣を」との要望により、モスラキングギドラに差し替えられてしまったのであるが――確かに客寄せ面では賢明な判断ではあった(笑)――。


 アンギラスの復活は、映画『ゴジラ対メカゴジラ』(74年・東宝)以来、実に30年ぶり(!)のこととなった映画『ゴジラ FINAL WARS(ファイナル・ウォーズ)』(04年・東宝https://katoku99.hatenablog.com/entry/20060304/p1)まで待たねばならなかった。
 先のマニアの悲願(笑)がここでようやく達成されたのであるが、「チャンピオンまつり」世代の筆者としては、『対ガイガン』や『対メカゴジラ』にゴジラの相棒として登場したアンギラスには思い入れも強かったワケであり、確かに再登場を強く願っていたものであった。
 第一「ピャ~オ」というかわいい鳴き声がたまらんではないか(笑)。


 好きな怪獣を出してほしいとか、怪獣同士の取っ組み合いが見たいとか、ビジュアル面の充実に対する要望が反映される分には、この「ゴジラ復活祭」なるトークライブは非常に意義深いものとなったかと個人的には思われる。


――時期はこのトークライブの数年後となるが、「怪獣プロレス」を展開した昭和の後期ゴジラシリーズを数多く演出した福田純監督が逝去された折り、朝日新聞01年1月22日の文化欄「惜別」コーナーの求めで、生前の福田が「後期ゴジラ批判」を気にしていたとの記者の言に、マニア第1世代の特撮ライター・竹内博は「でも今見ると結構面白い」とコメントしている。故人へのリップサービスも当然あろうが、氏もかつての昭和の後期ゴジラシリーズ批判の見解を改めて心変わりをしているさまも伺える一節だ――


 ただ……


2000年代 ~平成ガメラ要素のミレニアムゴジラシリーズへの投入


「これは東宝のファミリー路線とは相入れないと思うんだけど、ぼくは昔からどんなにうまくミニチュアが壊れても、死の恐怖が描かれているかどうかが凄く気になるんですよ。


(中略)


 だから『VSビオランテ』の(故・)峰岸徹(みねぎし・とおる)さんや『VSキングギドラ』の土屋嘉男(つちや・よしお)さんが死んだときは嬉しかった(笑)。
 でもああいう特別な人じゃなく、無辜(むこ)の民(たみ)の死を描いてほしいなというのあるんですよ。何で戦後まだ9年目の人々が、自分たちが復興した暮らしをメチャクチャにしてしまうゴジラに拍手したのかもう一度考えてみるべきだと思う。だって普通に考えれば、自分たちが殺されるわけですから」

切通理作(きりどおし・りさく)「ゴジラ復活祭・トークライブ」・『ゴジラ/見る人/創る人』)


 『ミレニアム』のラストで阿部寛(あべ・ひろし)が死んだのも、氏にとってはきっと嬉しかったんだろうな(笑)。


 いや、こう考えていたのは、決して氏ばかりではなかったであろう。
 映画『ガメラ3 邪神(イリス)覚醒』(99年・角川大映)がマニアの間で評判を呼び、『ゴジラ』を平成『ガメラ』的に描くべきだ、とする声が高まりを見せていた。
 90年代末期から00年代初頭にかけては、まだまだ大半のマニアの意識はそうしたものであったのだ。


 いや、平成ゴジラに対する反発もあってか、再び「怪獣恐怖論」が声高に叫ばれるようになり、それを反映した、いささか過激な作品が生み出されることとなっていった。


 『ガメラ3』ではガメラと宿敵の超音波怪獣ギャオスの戦いに巻きこまれ、夜の渋谷の街にいた人々が多数犠牲になるさまが描かれていた。


 翌00年、『仮面ライダーBLACK RX』以来、久々のテレビシリーズ復活となった『仮面ライダークウガ』(00年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20001111/p1)では、敵組織グロンギがゲームと称し、怪人たちが競いあい、毎回人間を大量に殺戮(さつりく)していたのである。


・警官の眼球をえぐって殺害。
・毒針を高度数千メートル上空から発射して人間を刺殺。
・トラックをバックで走らせて人間を次々とひき殺す。
・バイクからひきずり降ろした人間をひき殺す。
・地下街に閉じこめた人々を大量撲殺(ぼくさつ)。
・東京23区をあいうえお順に各区9人づつ襲い、5時間で126人を殺害。


 今思えば、「日曜朝」に、よくこんなことやってたよな(爆)。


 そして翌01年、平成『ガメラ』シリーズでマニアから絶大な支持を集めた金子修介(かねこ・しゅうすけ)を監督に迎えた『大怪獣総攻撃』では、怪獣たちがガメラやギャオス、グロンギのように、大量に人間を殺戮するさまが描かれた。
 バラゴンが暴走族を、モスラが遊び人の大学生たちを、ゴジラが箱根の観光客を、といった具合に、快楽主義に走る、いわば「リア充」――オタ趣味やネットではなく、リアル=現実の生活が充実している人間――たちが徹底的にターゲットにされ、殺されていった。


 しかも、この際のゴジラには「太平洋戦争の犠牲者」の怨念という、妙な属性までが背負わされていたのである。
 また、金子監督の意向を受け、品田冬樹(しなだ・ふゆき)が造形したゴジラの目には、「黒目」の眼球が存在せず「白目」だけとなった。これにより、生物・動物である以上はゴジラにも最低限は存在するであろう「感情」もまったく見えなくなり、観客の「感情移入」も拒絶されることで、ゴジラは徹底的な「悪役」を演じることができたのである。
 案の定、『大怪獣総攻撃』はミレニアムゴジラシリーズ中、マニアの間ではカルト的な高い人気を獲得することとなった――もちろん一部では、「これは中二病的なやりすぎの作劇であり、ここまでやると幼児や子供層をゴジラ映画からムダに排除してしまう」と批判する意見もあったことは付言しておく――。


 だが、ここで描かれたゴジラは、正直『ウルトラマンレオ』(74年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20090405/p1)初期に登場した、「通り魔」星人たちと、やってることはほとんど変わりがないように思える。
 「スーパーヒーロー」としてのゴジラよりも、マニアたちは、「通り魔」としてのゴジラを観たかったのであろうか?
 だが、少なくとも子供たちは、「感情移入」もできないような、「通り魔」としてのゴジラなんぞ、好きになるわけがなかったのである。


 『大怪獣総攻撃』・映画『ゴジラ×メカゴジラ』(02年・東宝)・『東京SOS』を上映した劇場では、『ハム太郎』を観終わった親子連れが『ゴジラ』を観ずに、観ても人々がゴジラに無下に蹴散らされて死んでいく冒頭の残酷シーンだけで子供の情操に悪いと思ったのかワラワラと足早に退場し、観客が半減してしまう現象が数多く見受けられた。
 そして、それを見越したマニアたちの多くは、『ハム太郎』を観ずに、『ゴジラ』の回から入場していたのである。


 これでは併映どころか、完全に「入れ替え制」である(爆)。
 それはそうだろう。『大怪獣総攻撃』を、「今回のゴジラはとてもこわいのでご注意下さい」などと、興行側の方から観客に注意喚起(かんき)を促したのだから、以降の『ゴジラ』を親子連れが警戒するようになったのは必然である。


 『クウガ』の時点では怪人の「怪奇」「恐怖」が強調されていた平成ライダーではあるが、近年の作品ではそうした要素は薄れ、あくまで主役のライダーの活躍の方に重点を置き、明朗・軽快なバトル面を充実させる方向にシフトしてきている印象が感じられる。
 もし『クウガ』のような「怪人恐怖論」がその後も継続していたならば、現在まで平成ライダーの人気は果たして持続していたであろうか?


 また、スーパー戦隊の近年の傾向としては、怪人の「怪奇」「恐怖」が描かれることは、ほぼ皆無と言ってよい。
 『獣電戦隊キョウリュウジャー』(13年)では、もう見た目からしてギャグ系の奴ばかりだったが、『烈車(れっしゃ)戦隊トッキュウジャー』(14年)では、敵組織シャドウが貴族として描かれているからか、見た目は結構スマートでかっこいいデザインなのに、やってることはギャグという(笑)、新たな怪人の鉱脈の例が散見されるのである。


 そもそも元祖である『秘密戦隊ゴレンジャー』(75年)からして、機関車仮面・野球仮面・牛靴仮面といったギャグ系怪人が児童間で大きな話題となったことが、放映が2年にも渡るロングランとなった遠因であるように思われるのである。
 もっとも放映中に小学4年生に進級した筆者的には、そのギャグ系怪人の登場こそが幼稚に思えて、『ゴレンジャー』を「卒業」する原因になってしまったのだが。「怪獣恐怖論」と同様にこのへんのサジ加減もむずかしい(笑)。


 とはいえ、「怪人恐怖論」を廃しても、変身ヒーロー作品が立派に成立することを、スーパー戦隊は「40年」にも渡って証明し続けているのである!
 「怪獣恐怖論」に改めて固執し続けたからこそ、ミレニアムゴジラは低迷を続けた末、シリーズの打ち切りを招いてしまったのではなかろうか?


ミレニアムゴジラシリーズが連続性・大河ドラマ性を放棄したことの成否


 そして、ミレニアムゴジラシリーズが興行的に低迷した理由がもうひとつある。


「“平成ゴジラ”以降は1作1作が完全な続編になってますよね。たとえば“84ゴジラ”のときのゴジラ細胞を奪い合うとか(中略)、アニメのシリーズ設定のようになってしまって。(中略)完全に世界が続いているのでなく、ゆるい縛りで作ってくれるといいな、という願望があるんです」

切通理作・「ゴジラ復活祭・トークライブ」・『ゴジラ/見る人/創る人』)


 切通の願望を実現させたミレニアムシリーズでは、毎回世界観がリセットされてしまい、1作1作が独立した作品となってしまっていた。かろうじて『東京SOS』が、前作『×メカゴジラ』の続編として描かれたのみである。
 そのくせ毎回『ゴジラ』第1作の続きであることだけは語られており、それ以外のゴジラの物語は、全て「なかったこと」にされていたのである。
――ただし『×メカゴジラ』『東京SOS』では、かつてモスラフランケンシュタインの怪獣ガイラなどの巨大生物に日本が脅(おびや)かされていたことが語られており、特に後者には『モスラ』に登場した言語学者・中條信一(ちゅうじょう・しんいち)を、小泉博(こいずみ・ひろし)が42年ぶりに演じることで、世界観をつなげることに成功していた――


 平成に入ってからのウルトラシリーズもそうであったが、これでは同一世界観の長期シリーズを歴史系譜的に追い続ける楽しみを奪われてしまうのであり、それこそがゴジラとウルトラの商品的価値が凋落(ちょうらく)した原因のひとつであると思える。
 アメリカでは日本のミレニアムゴジラシリーズや平成ウルトラシリーズとは真逆で、むしろアメコミ(アメリカン・コミックス)原作の超人ヒーロー、アイアンマンや超人ハルクに雷神ソーやキャプテンアメリカらがそれぞれの主演シリーズ映画を持ちながらも、同一の作品世界を舞台としてシリーズを継続させる手法を2008年から継続させており、巨悪に対しては超人ヒーローたちが全員集合して立ち向かう映画『アベンジャーズ』(12年)を商業的にも大ヒットさせて、今もなおシリーズを継続中である。
――そもそも超人ヒーローたちを作品の壁を超えて共演させる『アベンジャーズ』の原作マンガは、今から50年以上も前の1963年に端を発する由緒もある企画なのだ。日本でも昭和のゴジラシリーズを始めとする初期東宝怪獣映画や昭和のウルトラシリーズは、コレと同じようなクロスオーバー作劇に奇しくも独力で到達していたのだから、21世紀の今日こそゴジラシリーズやウルトラシリーズも改めてアメコミ洋画を見習うべきではなかろうか?(笑)――


 平成ライダースーパー戦隊の新旧ヒーローが共演する劇場版では、旧作テレビシリーズや前作の映画の設定・セリフ・描写を受けた演出が毎回のように描かれている。
 旧作を知らない観客にもストーリーの理解に支障が生じない範囲での、こうした適度にマニアックな点描(てんびょう)としての連続性にはニヤリとさせられるし、シリーズを追い続けることの動機付けのひとつにもなっている。だからこそこの少子化の時代に少しでも子供たちの卒業を遅延させたり、移り気な女性ファンたちにも数年に渡って支持されることができている。
 にもかかわらず、ゴジラとウルトラはそれを放棄(ほうき)したことにより、人気と関心を長期に渡って確保しにくくなっている面もあると思う。


 「怪獣恐怖論」の今さらの過度な強調と「連続性」の放棄により、ミニレアムゴジラシリーズは平成ゴジラシリーズよりもアダルトな作風で作劇上の隙(すき)や粗(あら)もはるかに少なかったハズなのに、シリーズをまたいで次作や前作をも鑑賞する子供や若いマニア予備軍の固定ファン・お得意さまの開拓にも、完全に失敗してしまったのである。
 『ハム太郎』を目当てに劇場に足を運んだ世代も、今や10代半ばから後半に達しているであろうが、その中に、ミレニアムゴジラに想い入れが強い者なんぞ、果たして存在するのであろうか?
 同じ頃に人気が絶頂となった平成ライダーに夢中になり、現在でもファンを続けているという者は、いくらでも存在すると思うけど。


 そうなのだ。当時の子供たちの大半もそうであったが、マニアたちもまた、低迷するばかりで実績を出せないゴジラやウルトラに見切りをつけてしまい、平成ライダーやそれとともに勢いを盛り返してきたスーパー戦隊へと、この頃から興味の中心が移り変わってしまったのである。
 マニアの世代交代やインターネットの普及などの要因もあるだろうが、商業誌や同人誌といった紙媒体において、ゴジラ論が展開されることは、それ以前と比べて激減してしまったことは確かである。
 しかも、30数年前に雑誌やムックで読んだゴジラ論はいまだに記憶しているものがあるほどなのに、この00年代当時に書かれたものの中には、個人的には印象に残っているものがほとんどないのは、筆者の加齢に起因するだけではないだろう。


2014年 ~『GODZILLA』来航


 90年代には『宇宙船』が年末になると、「ゴジラの本はこれだけ出たのだ!」と題し、その年に出版された何十冊にも及ぶゴジラ本を紹介していたものだが、既にゴジラについて語ることは、マニアたちにとって「トレンド」ではなくなってしまったのである。


 『ゴジラ FINAL WARS』でシリーズが打ち切られてから、早いもので10年になる。
 映画『メカゴジラの逆襲』(75年・東宝)から84年版『ゴジラ』の間に生じた長いブランクと、ほぼ同じほどの年月が経ってしまった。
 だが、あの頃積極的に行われた再評価や、復活に向けての熱心な運動といった主立(おもだ)った動きは、この10年間、ほとんど見られることはなかったのである。


「映画の初期に、かつてトリック映画と呼ばれていたもの、たとえば児雷也(じらいや)が印を結ぶと大ガマになるとか、そんな忍術映画みたいなものの延長で怪獣映画って存在しているとも思うんですけど、つまり「見世物(みせもの)」ですよね。
 最初の『ゴジラ』のすごいところって、当時ゲテモノとも呼ばれていた類いのものに、メッセージ性やドラマ性を盛りこんだことで、完成度の高い名作映画として成り立っているところです。
 でも、本来の怪獣映画って、むしろ『ゴジラの逆襲』(55年・東宝)のような、何もないけど、とにかく怪獣が暴れて街が破壊されてスゲエという方かと」

(「座談会 現役クリエイターが語るミニチュア特撮の魅力」庵野秀明・『特撮映画美術監督 井上泰幸』キネマ旬報社 12年1月11日発行・ISBN:4873763681


 本稿執筆時点の2014年現在、マニア第1世代(第1次怪獣ブーム世代)も50代に突入し、70年代前半の変身ブーム世代(第2次怪獣ブーム世代)も40代中盤、70年代末期の第3次怪獣ブーム世代もアラフォー、90年代前半の平成ゴジラシリーズ世代はアラサー、90年代後半の平成ウルトラ三部作世代も20代に達した、そんな2014年夏。


 遂にゴジラが海の向こうから帰ってくる!


 だが……


・「最高の恐怖」
・「テーマは『リアル』」
・「1954年の第一作『ゴジラ』の精神を受け継ぐ」


 こんな文面が踊る『GODZILLA』2014年版(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190531/p1)のチラシを劇場で見かけたとき、筆者はおもわずコケそうになった(笑)。これではまさに、「いつか来た道」ではないか……


 本誌『仮面特攻隊』では、


・旗手 稔氏による長編論文 「歴代特撮演出家〈作家性〉解析」
 ――新たなる『大特撮』を目指して―― (仮面特攻隊2002年号)


・伏屋千晶氏による長編論文 「スーパー戦隊アクション監督興亡史」
 ――[山岡戦隊]×[竹田戦隊]――  (仮面特攻隊2003年号)


といった特集が、「作家性」といえば脚本家や本編監督のみが注目されがちだった00年代初頭に掲載されていた。


 それまでのテーマ性やドラマ性の解析一辺倒ではなく、「特撮演出」「アクション演出」といった、観客が実際にもそこに強烈に「視線」を誘導されている映像・見せ場・ヤマ場そのものを重視しようという文脈で、そこから逆算して作品のテーマ・ドラマ・作劇などを語り直していき、特撮ジャンル自体の本質・特徴・アイデンティティーをも浮かび上がらせようとする、転倒・逆立ちした試みは、当時としてはまさに画期的であり、筆者も含む本誌ライター陣にも大いに影響を与えた。


――それらの先駆け的な試みとして、おそらくは両名のロジック構築にも影響を与えたとおぼしき、「演出」ではないが「キャラクター」――ヒーロー・登場人物・敵幹部・怪人たち・役者さんや、それらのデザインの「美術的意匠」や風貌・人となり――を軸にして、キャラクター自体に既に作品の傾向やドラマ展開やテーマも孕(はら)まれている……と語った、森川由浩氏による長編論文「『仮面ライダー』 キャラクターの成り立ち」(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20140407/p1)(仮面特攻隊2001年号)も忘れがたい――


 そして、それらがその後の特撮マニアたちの意識にも大きな影響を及ぼした……らよかったのだが、そのような事実は残念ながら見当たらない(笑)。
 しかし結果的には、その後の特撮作品や特撮マニアの風潮・論調を先取りしていたと思えるほど、現在の観点から見てもこれらは超一級の評論である――同じ頃に筆者が書いていたものは、もう文体も内容もあまりにフザけすぎであり、とても読むに耐えない(汗)――。


 今となっては、まさにそれら「特撮演出」「アクション演出」「ヒーロー」「怪獣・怪人」「スーパーメカ」「スペクタクル」などの映像的な見せ場こそが「特撮」の魅力であり、――以下につづっていく事項については、特撮マニア間でも明瞭に言語化・意識化されているとは言いがたいけれども――そこをヤマ場とするためにテーマやドラマや登場人物も配置されるべき……とでもいったニュアンスの世論が形成され、平成ライダースーパー戦隊の新作の作り手たちもそれを反映したかのように、マニア向けなだけの独り善がりな作品には決して堕(だ)さずに、子供・ファミリー・女性層にも多角的な目配せができている、ある意味ではとても理想的な娯楽活劇・特撮ジャンル作品を、実に巧妙に仕上げてみせているという「いい時代」になってきてはいる。


 だが、ゴジラの場合、そうした兆(きざ)しがようやく出始める前にシリーズが打ち切られたことにより、以後現在に至るまで、そうした文脈で語られる機会がないまま、つまり「前時代的」な「怪獣恐怖論」で思考が停止したままに、10年という歳月が過ぎ去ってしまったのだ。
 先のパトリック・マシアスではないが、「フジヤマ・ゲイシャ」といった誤解されたイメージではなく、いまやゴジラという存在が、日本でどのように受容されているのかさえ、海の向こうまで正確に伝わってしまう時代になっているのである。
 それを反映し、どのようなゴジラをつくれば最もウケるかを、ハリウッドがそれなりに分析した結果が、今回の「恐怖」「リアル」「1954」というキーワードになったのかと思えるのだ。
 個人的にはいっそのこと、「チャンピオンまつり」時代のゴジラ作品しか観ていないような、ゴジラが核のメタファーであることさえ知らない、正義のヒーロー怪獣であると思いこんだ人間が、監督だったらよかったのに、と思えるほどである(笑)。


 今、我々には新たな使命ができたように思える。
 海の向こうにいるマニアたちの頭の中を一挙に変えてしまうような、そこまでの影響力を発揮することは困難かもしれない。
 だが、ゴジラが「反核」だとか「恐怖」や「悪役」や「善悪を超越した神」だとかいう見方や、「大人の鑑賞にも耐えうる」などの物言いは、あくまでゴジラの「本質」ではなく「一面」に過ぎなくて、長い歴史の中でゴジラを「権威主義的」に持ち上げるために編(あ)み出されてきた「論法」にすぎないんだよ、と我々は世間を新たに啓蒙(けいもう)していかねばならないのではなかろうか?――我々はそれらの「論法」を用いてゴジラへの「信仰」の強さを競い合う中世キリスト教的な「神学論争」(爆)をしてきたのだともいえる――。
 そもそもゴジラや怪獣とは、恐竜や動物型の巨獣がガオガオ連呼して闊歩(かっぽ)し建物を破壊するのを見て「スゲェ」と歓喜し、闘鶏(とうけい)のように同類と戦わせてどちらが強いかに「ワクワク」するような、いささか不謹慎で、しかしスプラッタの域に達するような残酷描写は巧妙に回避された、きわめて「幼児的」でプリミティブ(原始的)な暴力衝動の疑似的発散こそが最大の魅力であり、それこそがゴジラの「怪獣王」たる所以(ゆえん)ではないのかもと思えてくるのである。


「ひとくちに「特撮評論」と言っても、そこには本当に多くの「立場」があります。そして、「立場」が異なれば出てくる結論もおのずと違ったものになるでしょう。
 「自分」が書いているのは「SF評論」なのか「映画評論」なのか「怪獣評論」なのか「脚本論」なのか「監督論」なのか「メカ論」なのか「俳優論」なのか「サブカル論」なのかそれとも「自分論」なのか。
 それを前もって明らかにしておくことで、対立や衝突のいくつかは事前に回避することが出来る筈(はず)。
 ちなみに、私は飽くまでも<特撮演出論>にこだわっていくつもりです」

(旗手稔・「日本特撮評論史」マニア出現以後の四半世紀~マニア出現以前のプレ特撮評論・『仮面特攻隊2004年号』03年12月29日発行)


 先の伏屋氏や旗手氏の両名は同人活動をフェードアウトされてしまったが、筆者は今後、両名の巨人の両肩の上にまたがる小人ではあるものの、ゴジラに限らず特撮映画をあくまでも「特撮演出」「アクション演出」などの見せ場・ヤマ場を軸に、「ヒーロー」「怪獣・怪人」「スーパーメカ」「スペクタクル」を経由してから、「ドラマ」や「テーマ」も語っていく。


 そして、それらの最終目的でもある「観客や子供たちに、それらがウケたのか、ウケなかったのか? ウケなかった場合でも、潜在的にはウケる要素があったのか、なかったのか?」などといった観点で、以上にあげてきた要素群をも統合するような「商品」としても見つめ――言葉としては適切ではないかもしれないし、「視聴率」や「売上高」のことだけを指すわけでもなく、子供向けテレビ特撮・マニア向け深夜特撮やビデオ作品・一般層向けジャンル系映画・子供やパパママやマニアや女性層など複数のターゲットにまたがっている作品などなど、それぞれで評価尺度も変わってくるだろうが、暫定(ざんてい)的にここでは「商品」という言葉にしておく――、その価値を中心に論じていく「商品論」とでもいうような立場にこだわっていこうと考え始めている。
――自分の好みや理念に合わない作品が大ヒットしてしまった場合に大丈夫なのか? という問題もありはするものの、そこは自分の好みや理念に固執せずにフェア・公平であるように努めたいと思います・笑――


 その観点からすれば、「反核」だの「恐怖」だの「悪役」などという付加価値がつけられたゴジラは、現在の市場を考えるならば、到底売れる「商品」とは思えないのである。
 ではどうすれば売れるのか、それを考えていくことが、今後の大きな課題である。


後日付記


 2014年夏、CS放送・日本映画専門チャンネルで『ゴジラ総選挙』が行われた。
 6月5日発表の「第一次投票 中間発表」で発表された上位10位にノミネートされたのは、ミレニアムゴジラ1本・昭和ゴジラ4本・平成ゴジラはなんと5本も(!)。
 「第一次投票」(5月5日~6月22日)で決定した4トップは、昭和ゴジラ2本・平成ゴジラ2本。この4トップに投票する「決戦投票」(7月1日~7月18日)では上位2本を平成ゴジラが占め、「最終プレゼン」「最終投票」(7月19日)を経て決定した「ベスト・オブ・ゴジラ」は、『ゴジラ』第1作を2位に抑(おさ)えて、平成ゴジラ作品『ゴジラVSビオランテ』が1位に輝いた。まさに平成ゴジラ世代の台頭であり、隔世の感である。


(資料出典調査協力:樹下ごじろう)


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2015年号』(14年12月28日発行)所収『ゴジラ評論60年史』より抜粋)


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トクサツガガガ』(TVドラマ版)総括 ~隠れ特オタ女子の生態! 40年後の「怪獣倶楽部~空想特撮青春記~」か!?

  https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190530/p1



円谷英二の映像世界 (1983年)

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大特撮―日本特撮映画史

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ニューウェイブ時代のゴジラ宣言

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ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義

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さらば愛しきゴジラよ

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ゴジラ博物館―世界初のゴジラアイテム40年史

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