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仮面ライダーアマゾン 〜初期4話のみが傑作か? 5話以降再評価!


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仮面ライダーアマゾン

〜初期4話のみが傑作か? 5話以降再評価!(発掘・再UP!)

(文・ヤフール)
(00年11月執筆)


 「仮面ライダー」のシリーズというと、自分の場合、リアルタイムで見たのは、もう『スカイライダー(『仮面ライダー(新)』)』(79年)と『仮面ライダースーパー1(ワン)』(80年)だということになる。


 この、マニア的には第二期ライダーといわれるこれらの作品は、如何せん社会現象にならなかったという弱味があり、第一期といわれる『仮面ライダー』第1作目(71年)から『仮面ライダーストロンガー』(75年)までのシリーズに比べると、知名度の点でやや劣る。


 (とはいえ第二期ライダーも、第三次怪獣ブームの金曜夜7時のゴールデンタイムに放映されていた作品群なので、80年代以降のゴールデンタイムを追われた特撮作品群よりも、マニア的にはともかく一般的にはメジャーであるはずだ)


 自分がリアルタイムかどうかは定かではないが、子供のころに見た記憶がある第一期ライダーは『仮面ライダーストロンガー』で(編註:『ストロンガー』は関東圏では再放送がなかったので、それはリアリタイムでの記憶です)、特にシリーズ後半で電気人間から超電子人間(仮面ライダーストロンガー・チャージアップ)に2段変身するシチュエーションは、原体験として記憶にある。


 そんな自分がなぜか今回『仮面ライダーアマゾン』(74年)について書くのは、別に『アマゾン』という作品自体にそれほど思い入れはないにせよ、少々マニア的に興味を感じたからである。



 と書くと当然『アマゾン』は、「仮面ライダーの“原点”に返った」として、旧1号編(『仮面ライダー』第1作の1〜13話)とともにマニア的には評価の高い作品だからと思われそうだが、自分が今回『アマゾン』に興味を感じたのは、そういう“原点回帰”への興味からではない。


 『アマゾン』が本当にマニア間で高い評価を受けているのは、実は初期4話に限定されている感じが強く、それ以降の『アマゾン』はなにかと批判される傾向にある。


 では5話以降の『アマゾン』とはどういう作品になっていったのか、という部分に引かれたのだ。


 これについての興味は色々ある。
 一つに、そもそもそんなに区別しなくてはいけないくらい内容が変化したのか? という問題。


 そして、仮に変わってしまったとしても、「仮面ライダー」のシリーズは、
 『仮面ライダーV3(ブイスリー)』(73年)での“「V3・26の秘密」の設定の消滅”や、中盤での“怪人のモチーフの変更”(機械と動物の合成から、呪術的・伝奇的モチーフへの変更)、終盤でのもうひとりのライダー・“ライダーマンの登場”、
 『仮面ライダーX』(74年)での神話怪人からGOD悪人軍団への“怪人のモチーフの変更”、“ヒロインが初期8話で死亡降板”、“ライバルキャラ・アポロガイストの途中退場”、“RS装置の争奪戦の未決着”、
 といった試行錯誤を例にとるまでもなく、元々設定の改変が目立つシリーズである。


 なので変わるのは当たり前として、変わったなりに楽しめるのではないか、ということ。
 そしてもう一つは、時系列的にどういう風に作品が変わっていったのか、ということなどだ。



 始めはそれこそ5話以降の『アマゾン』を全てエアチェックし、丹念に作風の変化を分析したかったが、当方、仕事などでプライベートで忙しいことが多く、中々すべてチェックすることができなかった。


 なので、ここでは自分が視聴した5話以降の『アマゾン』、5・6・13・14・23・24(最終)話を中心に語っていきたい(言い訳といえば言い訳。ごめんなさい)。



 そもそも『仮面ライダーアマゾン』の再評価の火をつける切っ掛けになったのは、特撮雑誌『宇宙船』Vol.30号(1986年6月号)における『仮面ライダーアマゾン』特集だった。


 (編註:おそらく担当は、現在アニメ・特撮の脚本家として活躍している、平成ライダーシリーズでも『仮面ライダー剣ブレイド)』(04年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20041113/p1)後半や『仮面ライダーディケイド』(09年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20090308/p1)第1クールを担当した、当時は駆け出しのマニア系雑誌のフリー編集者だった会川昇(現・會川昇))


 この特集では、『仮面ライダー』第1作〜『アマゾン』当時助監督で、80年代中盤〜90年前後の「戦隊シリーズ」『電撃戦隊チェンジマン』(85年)〜『地球戦隊ファイブマン』(90年)をその独特の映像美で特撮マニアに注目されながら監督として支え、『超力(ちょうりき)戦隊オーレンジャー』(95年)〜『救急戦隊ゴーゴーファイブ』(99年)で復帰、現在(00年)も『仮面ライダークウガ』(2000年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20001104/p1)に参加し、カルトなファンの多い長石多可男氏(映画監督)のインタビューが掲載されていて、当時の制作状況を語っている興味深いものだ。


 このインタビューでは長石氏が、『アマゾン』は旧1号の原点に返る、という目的で企画されていたという事実を明かしている。
 そのうえで、助監督である長石氏が実は企画のブレーンになっていた、という当時としては画期的な新事実があかされる。
 助監督が作品のブレーンになる、ということは通常のテレビ番組では異例の事態であるように思える。


 また長石氏はなんと第1話『人か? 野獣か? 密林から来た凄い奴!』の脚本まで書いており(大門勲(だいもん・いさお)名義)、プロの脚本家ではない人間がパイロット(第1話)の脚本を執筆するというのも珍しい。


 これも、当時の「仮面ライダー」が実に特殊な製作体制だったということを思わせる。


 一部で『アマゾン』は「仮面ライダー」の“原点”ではない、という評価もある。
 たしかに『アマゾン』は旧1号と比べても、あまりに異なるイメージのキャラクターであり、“原点”を意図して企画されたということ自体に、懐疑の念をもつファンもいるかもしれない。
 が、こういう長石氏の証言や、企画書にも“原点回帰”をコンセプトとする記述がある通り、『アマゾン』が「仮面ライダー」の“原点”を意図して製作されたのは事実である。


 ただ旧1号の持っていた、ダークでありながらどことなくシャープでメカニカルな魅力を、『アマゾン』は持ち得ておらす、結果として『アマゾン』が旧1号を意識した作品だということは、言われてみないと気が付かない、という非常にわかりずらいものになってしまったのも事実である。
 そういう意味では、「旧1号への回帰」という企画意図が空回りした、という評価もあっていい気がする。


 だが逆に、この「原点にして原点にあらず」という部分にこそ、『アマゾン』の面白さがあるのかもしれない。
 旧1号が“原点”の「1号」なら、『アマゾン』は言わば“原点”をさらに遡(さかのぼ)った「0号」ないし「−(マイナス)1号」とでもいえる存在ではないだろうか。


 この『宇宙船』Vol.30号の長石氏のインタビューでは、インタビューの終わりの方で、


 「モグラ獣人は路線変更だ」


 という趣旨のことをインタビュアーの方からふっていて、これがマニア間での5話以降の『アマゾン』の低い評価につながっていった淵源・原因となっているようだ。



 しかしこの5話、実はなかなかハードな作品で、視聴して驚いたのである。
 『地底から来た変なヤツ!』(脚本・鈴木生朗)というタイトルのこの回は、レギュラーになるモグラ獣人の初登場編だ。
 しかし、ストーリーの前半はアマゾンの孤独をシリーズ中で一番ストレートに画面に叩き付けたと思える程の秀逸な展開だった。


 山林で逃走したライフル魔をアマゾン(こと山本大介)が捕まえたため、参考人としてアマゾンも警察へ連行され事情聴取される。
 そしてライフル魔を捕らえたアマゾンを記事にしようと駆け付けた新聞記者に取材攻めにあうと、日本語や近代社会における習慣が理解できないアマゾンは、


 「人間きらいだー!」


 と叫んで夜のドヤ街を逃走するのだ。


 ライフル魔を捕らえるという善行への、人々のアマゾンへの悪気ないリアクションを、アマゾンはあたかも自分が虐待をうけているかのように誤解する。
 この展開は人間社会のなかのアマゾンの特異性を浮き彫りにしており、暗に警察権力やマスコミを批判しているシーンのようでもあり、またネオン輝く夜のドヤ街へアマゾンが疾走するというシーン自体も、文明社会のなかでの異端児・アマゾンという存在を象徴していて秀逸だ。


 初期4話まででも、東映PD(プロデューサー)の平山亨(ひらやま・とおる)氏自らが脚本を書いた(長石氏と同じ「大門勲」名義)という3話『強くてハダカで速い奴!』における、


 「バカヤロー」


 という言葉を覚えるアマゾンというシーンは中々に強烈で、このシーンもアマゾンの異端としての孤独を象徴している。
 この話は初期4話の内で、筆者の一番好きな作品だが、上記のシーンを見て、この3話よりも筆者は5話の方が気に入ってしまったくらいなのである。



 で、5話の後半はどうかというと、いよいよタイトルにある地底から来た変なヤツのその人、モグラ獣人が登場する。
 だがモグラ獣人。この話ではアマゾンの敵として登場するも、のちの6話『インカ縄文字の謎!!』で裏切ってアマゾンとともに悪の組織ゲドンと戦うことになる。


 この設定、良く考えてほしい。
 仮面ライダー1号は、そもそも悪の組織ショッカーの怪人として作られ、ショッカーを裏切ったという設定である。
 つまり元怪人で、あとに悪の組織を裏切るという設定は、あたかも「仮面ライダー」の本来の設定に非常に似ていることに気が付く。


 『アマゾン』は「仮面ライダー」の“原点”に返るという設定でありながら、実はこの「敵組織から逃げて来た」という旧1号の設定だけは踏襲していなかったのである。
 しかし、敵組織を裏切ったというこの仮面ライダー1号の設定は、「仮面ライダー」の設定でもかなり有名なもので、“原点”に返るといいながら、アマゾンはこの「敵から逃げてきた」という重要なファクターを置き忘れていた。


 モグラ獣人をどういった意図で作品に登場させたのかは定かではない。
 が、アマゾンが持ち合わせていなかった「敵組織のOB」という設定を持ち合わせたキャラである以上、モグラ獣人もある意味アマゾンとは別の意味での「仮面ライダー」の“原点”、だったのかもしれない。


 かねてからの視聴者の疑問で、仮面ライダーは敵組織から逃げてきた怪人の一種なのに、なぜ敵の怪人とあまりにスタイルが違うのか? という疑問がある。
 もちろんこれは、大衆・子供向けのテレビ番組の主役はあくまでスマートで、敵と区別が付くようにという配慮なのだが、これが整合性という観点から見ると、少々無理があるというのも事実である。


 モグラ獣人はその点、善玉でも敵の怪人と全く同じテイストのスタイルであり、そういう意味では整合性という点で無理がない。
 なのでモグラ獣人も、ある意味「仮面ライダー」の本来あるべき姿というものを描いたといえなくもない。


 ただ、怪獣的なボリュームのある体型のゲドンの怪人(劇中では“獣人”と呼称)が善玉になると、やはりどちらかというと愛玩動物的なニュアンスが強くなり、よってモグラ獣人は設定的には「仮面ライダー」の“原点”的存在なのだが、作品の上ではギャグメーカーという扱いになった。
 それはそれで、凶暴そうなアマゾンとはいいコントラストになっていたが。



 余談だが、モグラ獣人ってなんで鼻の先がひまわりみたくなっているんですかね……。


 獣人の造型は、ワニ獣人などウレタンを粗くけずっているだけだったり、今見るとさすがに粗い造型のものが多い。
 昆虫的なデザインの獣人などは、あまりに細部を簡略化し過ぎというものも多い。
 やはり怪獣的な大きい着ぐるみとなると、当時の技術力では作りにくくて大味で粗いものが多くなってしまうのだろうか。



 また、アマゾンの名物必殺技「大切断」が見られるのは実はこの路線変更以後とされている6話以降であり、6話ではアマゾンの腕についている“ギギの腕輪”に秘められた謎についても描いている。
 こういったことを考えると、『アマゾン』は4話までと5話からで路線変更はされておらず、1話から6話までが設定編だったのではないだろうか。



 さて、ここからいきなり飛んで、中盤の盛り上がりである13話『迫る! 十面鬼! 危うしアマゾン!!』、14話『十面鬼死す! そして新しい敵?』の前後編に話が移ってしまうのだが、ここではそれまでの設定が若干変更、整理される。


 まず、話の冒頭でアマゾンが日本語をいきなり喋れるようになっていて、それを知ったおやっさんこと立花藤兵衛(たちばな・とうべえ)が驚く、という展開があって筆者自身も驚いた(笑)。
 これはマサヒコ少年がアマゾンに先週と今週の話の間の時間に教えた、ということがマサヒコ自身によって語られる。
 日本語をしゃべれるといっても、いわゆる「カタこと」の日本語であり、それ以前でも「バカヤロー」などといった言葉を覚えたり喋ったりしていたので、思ったより違和感はなかった。


 またこの話では、ゲドンに復讐をしようとしていた美里(実は赤ジューシャ(戦闘員)が化けた女スパイ)とアマゾンが出会うとき、握手を求められても意味が分からず、1話ほかで見られた両手の指を組んで廻して交わす「ともだち」のサインをやって、やっと友だちとして認めるというシーンもある。


 また、ゲドンはアマゾンのつけている“ギギの腕輪”を狙ってアマゾンを襲撃するのだが、この話でも獣人ヘビトンボが“ギギの腕輪”を狙ってアマゾンを襲っており、これらのことから、すでに1クール(初期13話)を消化した段階で、まだ初期の設定がいたるところに継承されていることが分かる。



 そして最終回『やったぞアマゾン! ゼロ大帝の最後!!』とその前の作品、23話『にせライダー対アマゾンライダー!』へ話が飛ぶ。
 この作品、一応前後編になっているが、これといってドラマはなく、屈指のドラマ的盛り上がりを見せた『V3』の最終回1話前などと比べると、やや常套的な最終回のようだ。


 だが、14話でゲドンが滅んでからやや忘れかけた感のある“腕輪”の超エネルギーの設定が、クライマックスに活かされているのは評価できる。
 14話以降の敵組織、ガランダー帝国の首領・ゼロ大帝を倒す際に、“腕輪”から発せられる超エネルギーによってアマゾンライダーがパワーアップするという展開は、大首領を倒すために超エネルギーが使われ、アマゾンの戦いに終止符を打ったという点で、それなりに設定が活かされていたと評価できよう。



 良く考えると、“V3の26の秘密”などが、作品の半ばで完全に消滅したことを考えると、この“ギギの腕輪”の設定をシリーズ構成面では雑だった当時の「仮面ライダー」のスタッフが忘れなかったことは特筆できる。
 (まあ「仮面ライダー」シリーズが特別にラフだったわけではなく、当時の子供向けヒーローものの設定は、一貫性の面ではいいかげんな作品が多かったし、子供たちも今のマニアたちのようにその矛盾を過剰につついたりはしなかったのだが・笑)


 また、“獣人”と名付けられた敵の怪人のイメージもシリーズ中で統一感をもっており、この点もなぜか怪人のモチーフを途中で変更してしまった『V3』などと比べると、より一貫性を持っていたという点で評価したい。


 敵の組織も、初期のゲドンは首領・十面鬼のキャラクターは面白いもののスケール感に乏しい組織であり、そういう点では後期のガランダー帝国の方がより強大な組織というイメージがするので、筆者はそれなりに評価したいが
 (そういう意味では前作『仮面ライダーX』(74年)の後半の大幹部キングダークも、実物大のセットのインパクトや、立ち上がれない巨大ロボという設定が中々味があり、番組初期からキングダークが首領だったらもっと良かったのに、と思ってしまうくらいに魅力的だった)。



 アマゾンが故郷に帰るというラストも実に本作らしくて評価できる。


 文明社会で異端児となり、人々との誤解と戦い続けた野獣のようなアマゾン。
 そのアマゾンもシリーズを通して、マサヒコ少年やおやっさんとの触れあいによって文明人との信頼を育み、より人間らしく成長する。
 6話以降のアマゾンは、そういうアマゾンの成長と触れあいのドラマという縦糸が存在するシリーズだったのかも知れない。


 しかしそのアマゾンが、文明人とある程度の信頼を築きつつも、最後に故郷のジャングルに帰っていったのは、やはり文明社会での軋轢(あつれき)に耐えられなかったのだろうか。
 惜しくはこういったアマゾンの内面を、少しは作品中で説明する描写が欲しいところだ。
 作品中の描写では、ただラストにいきなり船で故郷へ帰っていく、というだけなのが惜しい。
 こういった人間ドラマの描き込みが弱いのは、良くも悪くもこの時期の「仮面ライダー」シリーズの特徴であり限界なのかも知れないが。


 (そういう意味では旧1号編にも同じことが言えるが……
 どことなく暗い雰囲気の作風はともかく、旧1号編で本当に改造人間の苦悩を描いた作品は何本あるだろう?)
 (ヤボな編註:第1・2話にのみ、それも微量にしかないんじゃないかと・汗)


 ともあれ最後にジャングルに帰るというシーンは非常に本作らしいテイストのラストシーンだった。



 『アマゾン』は作品後半も、初期の作品コンセプトを完全に否定してはおらず、またシリーズ初期に足りなかったものをいくつか補っている部分もあり、それなりに楽しめた。


 『アマゾン』が後半になるにつれ、殺陣(たて・アクション)などにやや従来の仮面ライダーのテイストを加えていくというのも、アマゾンが文明人たちとの信頼を築いた上で成長したことの象徴として捉えて見てみると、中々味わいを帯びてくるものだ。


 企画時は、変身前のアマゾンが古典映画「ジャングルの王者ターザン」(1912年原作小説・1918年映画化され度々リメイク)的な野生児キャラなのは作品の初期のみという予定で、もっと早い段階で従来の「仮面ライダー」的な存在に成長し、変身前のアマゾンに洋服を着せようというプランだったそうなのだから、実際に製作された『アマゾン』の方こそが、路線変更があってもかなり引っ張った方なのだ。



 機会があれば、6話以降の『アマゾン』も改めてじっくり見返したいが、とりあえず筆を置く。


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2001年号』(00年12月30日発行)所収『仮面ライダーシリーズ大特集』「仮面ライダーアマゾン」合評より抜粋)


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