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『ウルトラマンエース』27話「奇跡! ウルトラの父」 ~ヒーロー客演&共闘はドーあるべきなのか!?
(脚本・田口成光 監督・筧正典 特殊技術・川北紘一)
(ファミリー劇場『ウルトラマンA』放映・連動連載!)
(文・久保達也)
前後編の前編である前話こと第26話『全滅! ウルトラ5兄弟』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061030/p1)で、超強敵であるヒッポリト星人によってウルトラ5兄弟はブロンズ(青銅)像として固められて絶命してしまった!
美川隊員「違うわ。これは夢だわ。私たち、悪い夢を見てるのよ。こんなことがあるもんですか」
まさに悪夢のような光景だ。後編である本話はそのリベンジ編であり、ウルトラ兄弟の義理の父でもある「ウルトラの父」が初登場する、ウルトラシリーズの中でも歴史的で伝説的なエピソードなのだ。
ヒーローに変身する主人公がラストまで登場しないという穴を、脇のキャラクターたちが埋めるという作品構造から、『ウルトラセブン』(67年)第39~40話『セブン暗殺計画』前後編と比較してしまうが、スーパーヒーロー絶体絶命の危機に防衛組織が決死の覚悟で挑むさまは双方ともにやはり魅力的だ。
ただ、『セブン暗殺計画』が『ウルトラQ』(66年)以来、コメディ調の演出がお得意な飯島敏宏(いいじま・としひろ)が監督したとはいえ、防衛組織・ウルトラ警備隊のフルハシ隊員をコメディリリーフに据えて、地球最大の危機を前にわりと軽いノリで事態に臨(のぞ)んでいるシーンにやや浮いた感じがあったのに比べて、本作の前後編では最後までシリアスで重い印象が感じられる。いや、重たすぎるくらいであり、それゆえに『ゼブン暗殺計画』とは真逆の問題点も発生しているくらいだ。
ヒッポリト星人は地球の守り神であった我らがウルトラマンエースの引き渡しを要求してきた。恩人であるにも関わらず、防衛組織・TAC(タック)の武闘派隊員であったハズの山中隊員でさえ、
「エースを星人に渡してしまえば」
などと前話で主張してしまっていた。
そのことに恥じらいと強く責任を感じてか、
山中隊員「エース、すまない。俺たちがピンチになったとき、エースがきっと助けてくれると思っていたんだ。それで(戦闘機・タック)スペースがやられたとき、エースを星人に渡せなんて云っちまって……」
と後悔と反省の言葉を語ってみせている。
しかし、ヒッポリト星人による、
「地球人よ、TACよ、降伏しろ! 地球を我々に渡せ! TACよ、無駄な抵抗をやめろ! さもなくば、地球は地獄と化し、地球人は我々ヒッポリトの奴隷となるのだ。タックよ、返事をするのだ! 地球を我らに引き渡すか!?」
という宣告に対して、竜隊長は力強く、
「断る!! 君たちの要求は受け入れることはできない!! この地球は我々人間のものだ!! TACは自分たちの土地を死んでも守る!!」
と突っぱねるのだ!
しかし、吉村隊員は、
「隊長、あんな返事をしていいんですか?」
と不安げに問いかける。吉村隊員の懸念(けねん)も決して間違ってはいないのだ。
ウルトラシリーズでも『ウルトラセブン』(67年)最終回では、ゴース星人による「降伏した地球人は火星の地底都市での生存を保証する」との勧告に対して、防衛組織・ウルトラ警備隊のフルハシ隊員は「火星の地底都市でモグラになるんなら、死んだ方がマシだよ!」と憤慨したものの、キリヤマ隊長は「これは30億全人類の運命がかかった史上最大の侵略だ。軽率に行動してはならん」と戒(いまし)めていたものだ。
しかし、山中隊員は、
「バカヤロウ! ウルトラ5兄弟を見ろ! 彼らは自分の星でもない地球のために死んだんだ! 我々も戦うんだ!!」
と勢いよく叫んでみせる! これもまた義理人情としてはまことに正しい姿ではあるのだ!
TAC本部に戻って、作戦室での会議中に、我らが主人公・北斗星児(ほくと・せいじ)隊員と南夕子(みなみ・ゆうこ)隊員の席にそっと花を置く美川隊員。
「この世の終わりか……」
と最終決戦での荒野の戦場でつぶやいたかと思えばユーモラスに
「南無阿弥陀仏(なむ・あみだぶつ)」
などと念仏を唱えているのにキリスト教徒のように指でクロス(十字)を切ったりと、悲観的なのか楽観的なのかよくわからない、元からコミックリリーフの役回りを与えられているデブの今野隊員(笑)。
「私も連れていって下さい」
と竜隊長に直訴してくる、一部の例外は除いてふだんは内勤であった兵器開発研究員の梶。
地球の危機を前にしたTACの各レギュラー隊員たちの、いかにもな発言や行動、あるいは意外な言動が生き生きとしており、その描き分けの妙は実に見事だ。
しかし、本話でも前話に続いて、やはり竜隊長がひとりでオイシいところを持っていってしまっている。ある意味で、この前後編の主役は竜隊長でもあったのだ。
ブロンズ像化したウルトラ5兄弟をあとに、TAC本部に戻ろうと車両・タックパンサーを走らせていたTACの面々は、
「星人を攻撃するのをやめろ!!」
「俺たちの町を焼かれるのはもうイヤだ!!」
と、ある意味では絶対平和主義的な言動によって(汗)、東名高速道路の上に架かった細い横断道路の上で取り囲んできた群集に、タックパンサーを停車させられてしまうのだ!
「TACは星人に勝てるのか!?」
この根源的なムズかしい問い掛けに対して、
「『TAC』ではありません! これは『人間』と『宇宙人』の戦いです! もし私たちが負けたら、『人間』は『宇宙人』の支配を受けなければなりません。地球を渡すだけではなく、やがては心まで宇宙人に渡すことになるでしょう。みなさん、我々を信じてください! 今度の星人との戦いでは必ず勝ちます! 我々5人、5つの魂を失っても、地球に住む36億の魂を星人に渡さなければ、それはTACの勝利です!!」
と竜隊長は演説することで、群衆を引き下がらせるのだ!
竜隊長の「理屈」で群衆は引き下がったのではなく、ある種の「気迫」や「決意」に押されて引き下がっただけなのかもしれない。
そして、竜隊長の「理屈」もパーフェクトな「理屈」ではないのかもしれない。古代中国における『項羽と劉邦』の「韓信の股くぐり」の故事のように、のちに大将軍となる韓信のごとく一時は町のチンピラ風情に屈服したフリをして、未来での再起を待ってみせるような世渡りもあるかもしれないからだ。しかし、それもまた当たるも八卦、当たらぬも八卦である。古代においては多いことだが、敗戦国の国民は虐殺されたり、全員が奴隷として売られてしまって、民族まるごとが絶滅してしまうようなことも頻繁ではあったのだ(汗)。
ならば、ここでTAC隊員だけでも、戦ってみせる気概を見せることで、しかも卑屈にではなく気高く死んでみせることで(!)、逆説的に地球人類36億人(当時)の奮起を促したり、せめて支配者に対しての「面従腹背」の精神に持っていければ、それはTACとしては「次につなげられた!」ということでは勝利ではあるのだ!
しかし、それもまた、戦前に日本の「特攻」のような無駄死にや無意味な戦意高揚につながる可能性も高いために、安直に肯定できるものでも決してないのだが、そこには陥(おちい)らないように絶妙に回避してみせた細くて狭い爪先立ちの地点においては、「気高い戦い」や「抵抗」といったものもあるのではなかろうか!?
先のTACの作戦室内でも、北斗と夕子の座席の机に花をたむけようとした美川隊員に対して、
竜隊長「美川隊員、君の厚意(こうい)に水を差すようで悪いが、その花をどけてくれないか?」
美川隊員「は?」
竜隊長「いや、私は北斗と南はまだ生きてるような気がするんだ。いや、きっとどこかで生きてるに違いないんだ」
と云って、竜隊長は止めさせる。竜隊長の直観力をも好意的に描くことで、彼のキャラを立ててみせているのだ!
「散歩に行く」
と次にヒッポリト星人が出現した際の攻略計画が決定直後に出掛けたかと思えば、その行き先は星人に父を殺されたゲスト姉弟の自宅で、前話であれだけゲスト少年に罵倒されたというのに、再び訪れてみせているという、その責任感!
そして、前話では推測の域を出なかったものの、彼らの父親の死因がヒッポリト星人との遭遇であった可能性が高いことを自らの口で語って、TACの非力さと不備については謝罪をしてみせるのだ!
ヒロシ少年「そら見ろ! やっぱり父ちゃんは星人に殺されたんじゃないかぁ!!」
ヒロシ少年「エースもやられちゃったんだ! TACが星人と戦ったからイケナいんだぜ!!」
ヒロシ少年「星人の云うことをはじめから聞いていれば、父ちゃんもエースも死ななくても済んだんだよ!」
なんと! ヒロシ少年までもが先の群衆のように、奴隷的・乞食的・敗北主義的な卑屈な態度を、実にエラそうに肯定してみせていたのだ!(汗) なんとも嘆(なげ)かわしい……
しかし、竜隊長はそんな無礼に対しても、子供相手にヒステリックに反論したりはしない。もちろん、少年の意見に同意はしていないだろうが、いったんはワンクッションでオトナの態度で受けとめて一理を認めてみせてから、自分の意見を語ってみせるのだ。世の皆さんもかくあってほしいものである……(もちろん、自戒も込めてである……)
「ヒロシ君、君の云うことはよくわかる。だが、地球は君だけのものじゃない。みんなのものなんだ。たくさんの人間が住んでるんだ。それなのに、なんの理由もなしに地球を自分のものにしようとしている星人は許すことはできないんだ」
「ヒロシ君、誰かが君の大切にしているものを、黙って持っていこうとしたら、君は怒るだろう?」
「今、星人は人間たちの宝物である地球を、黙って自分のものにしようとしてるんだ。私たちは怒らなきゃいけない」
正論である。怒るべきである。
ただし、そのうえで、戦うべきであるか否かは、彼我の戦力差を鑑(かんが)みる必要もある。安易にムダに戦って敗北や自滅してしまってもいけない。
しかし、仮に戦力差で劣っていても敗北必定だとしても、相手が地球人類の根絶をめざしていて、互いにわかりあえずに妥協の余地もない! といった最悪のケースに至ったのであれば、背中から斬られて終わりではなく、敵わずとも戦ってはみせる! 死ぬにしても前のめりに死んでみせる! といった選択肢にも一理や二理は出てくる「道理」といったものも醸(かも)し出されてくるものなのだ!
ヒロシ少年「でも、星人は強いんだよ!」
竜隊長「星人にも命がある。私にも命がある。命と命を交換すれば、勝てる。君のお父さんの仇は必ず取ってあげる」
命と命の交換…… って、竜隊長はここではすでに「死」をも覚悟していたのだ!(汗) 尋常では勝てない相手に対しては、たしかに自分の命を賭した攻撃を仕掛けるしかないのかもしれないのだ……
竜隊長はヒロシ少年の両手をにぎるが、ヒロシ少年は竜隊長のやや難解で観念的・抽象的な発言が理解できなかったと見えて、その手を握り返してはこなかった(爆)。
このあたりが、第2期ウルトラシリーズ、あるいは60年代までとも70年代後半以降とも異なる、70年代前半の特撮・アニメ・時代劇などのシビアな人間観なのである(汗)。スゴいのだけど、長じてから再鑑賞すると実に観応えもあるのだけど、子供のころには理解ができなかったし(爆)、そういう意味では絶賛しつつも、子供番組の表現としては手放しでは肯定ができない、成功していたともいえなかった……といった評価も同時に浮上してきてしまうのだ(笑)。
しかし、姉の方は当然のことながら、竜隊長の必死の覚悟を察知した!
そして、姉弟の父が事件当日に20年間、肌身離さず身につけていた「お守り」を忘れて出掛けていたことを告白。竜隊長はその「お守り」を託される…… もちろん「お守り」など迷信だ! と云って片づけてしまうことも可能なのだ。しかし、せめてもの気持ちの問題やその現わし方の問題でもあることを考えれば、目くじらを立てて前近代的だ! などと否定をするべきものでもないだろう。
つまり、こうした竜隊長の一連の行動を中心に描くことで、人間ドラマ面でも厚みを持たせているのだ。
「心のどこかでエースに頼っていた」
強気な山中隊員が思わず漏らした意外なホンネである。
このセリフは、初代『ウルトラマン』(66年)第37話『小さな英雄』で、同作の防衛組織である科学特捜隊の科学技術担当・イデ隊員が、
「我々科学特捜隊もウルトラマンさえいれば必要ないような気がするんだ」
というセリフの、ウルトラマンのみならずヒーローもの作品全般につきまとっている根源的な問い掛けにも通じているのだ。このテーマは、次作以降の
●『ウルトラマンタロウ』(73年)最終回
●『ウルトラマンレオ』(74年)最終回
●『ザ★ウルトラマン』(79年)最終回(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200508/p1)
●『ウルトラマン80(エイティ)』(80年)最終回(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20210315/p1)
などでも、反復・変奏されていくのであった。
山中隊員の発言に象徴されるように、『セブン暗殺計画』に登場した分身宇宙人ガッツ星人も本話の地獄星人ヒッポリト星人も、物理的な侵略だけでなく、地球の守り神であるスーパーヒーローを暗殺することで、地球人たちの心の拠りどころを失わせて戦意を喪失させることが最大の目的であった。
つまり、ウルトラマンや超人ヒーローに頼るだけでは、我々人類もまた自堕落になっていくのだ。どころか、ウルトラマンが敗北した際には反撃の余地もなく共倒れとなってしまうのだ。あるいは、侵略者・圧政者により「奴隷」として扱われて、たとえ生命だけは維持できたとしても、人間としての「尊厳」「人権」は末代までも奪われて、卑屈に生きていくしか道はなくなって、結局のところは最終的に絶滅の道を歩まされてしまうのかもしれないのだ。
誰もがくじけそうになっているそのときに、「断じて屈してはならない!」と最後まで戦い抜く姿勢を貫き通そうとする竜隊長を中心に据えることで、地球人がひとつへと収束していく展開には熱いものを感じさせる。
たしかにこれも半分は……半分以上は正しいとすらいえるのだ。2001年の「9.11同時多発テロ」発生当時にはこうした強硬でレジスタンスなノリの作品はなかなか描けず、『ウルトラマンコスモス』(01年)のような平和と慈愛の精神に満ちた作品を世に送り出した円谷プロではあった――もちろん、同作は厳密には2001年7月の放映開始に半年弱、先駆けて撮影を開始していたので、それもまた偶然の一致でしかなかったが――。
しかし、2005年は衆議院選挙で与党が圧勝し、憲法改正すらも容易に成し遂げられそうな右傾化のご時勢だから、こうした徹底攻戦の姿勢もすんなり受け入れられそうであり、本稿執筆時点の2005年現在放映中の『ウルトラマンマックス』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060311/p1)で描いてみせるのも一考かと思われるのだ(笑)。
先のTAC作戦室では、前話では疑念を持たれて可能性が低いと思われていた、ウルトラマンの5倍もの身長があるヒッポリト星人は、今は亡き(?)北斗隊員が唱えていた「立体映像の投影説」が正しかったことが今さらながらに認められた。その科学的な裏付けとして、身長200メートルもの巨体を維持するためには、ヒッポリトの母星の重力はもっと小さい必要性があって、そうなると地球の重力は大きすぎて侵略対象としては彼らにとって不向きであったことも語られる…… が、イマひとつSF的なナットク感には欠ける説明だったかもしれない(笑)。
竜隊長はここで先の「細胞破壊ミサイル」の携帯版の開発を命じていた。姉弟宅から帰還するも、ヒッポリト星人が再出現! 携帯版の「細胞破壊銃」は完成していたが、エネルギーの充填が半分しか済んでいないという!
竜隊長はそれでも戦線に投入させるという。エネルギーの不足は近接射撃でカバーすると云うのだ!
山中隊員「俺にやらせて下さい。銃なら俺に任せて下さい」
竜隊長「いいか、ウルトラ5兄弟以上の力を出さなかったら我々は負ける。そうなれば、地球は星人のものになってしまうんだ。星人に対して接近して銃を発射するには、相当の危険が伴う。この役は私がやる!」
「ウルトラ5兄弟以上の力」とは何ぞや? 「精神主義的」「観念論的」な、そして「理屈」にはなっていないような発言なのだが、これはまさに「理屈」ではなく、その場の隊員たちを云いくるめるための「苦肉の発言」であって、要は「年長者の自分が犠牲になって、後事は若い隊員たちに任せよう!」といった趣旨から来ている発言なのであろう(汗)。
山中隊員「しかし、隊長……」
竜隊長「山中隊員、君にはやってもらう役目がある。それは私が谷間の星人に向けて潜入する間、君たちは街の上空に浮かぶ幻の星人とハデに戦ってほしいんだ」
そう。作劇的には山中隊員にも陽動作戦としての見せ場は与えられるのだ! しかし、竜隊長がひとりで単独行動するのもムリがあるだろう。
梶「待って下さい、隊長。私もいっしょに出動させてください。私だけ生き残るわけにはいきません」
オオッ、視聴者のそんな疑問に応えるためにか、ここで梶さんにも見せ場を与えてみせている! ……と思ったら、梶さんも山中隊員の方に同行することになるのであった(笑)。
竜隊長「我々は死にに行くのではないぞ」
竜隊長もイザというときの「死」の覚悟はあるのだとしても、最初から「死」するつもりでいるワケではないことで、戦前的な「特攻」との差別化もかろうじて果たされているのかもしれない。
……ここまででも、30分番組の前半Aパートという密度の濃さだ!
後半Bパートに入るや、竜隊長は山間部の谷間に、透明カプセルに入ってその内部から立体映像を投射しているヒッポリト星人を発見して、「細胞破壊銃」で銃撃してカプセルを破壊した!
ヒッポリト星人の本体に撃つべき「細胞破壊銃」の弾頭を、カプセルを破壊するために撃ってしまったように見えるあたりが、このシーンの弱点でもあって、カプセル破壊のみならず、ヒッポリト星人の体表のどこかにでもキズを負わせて、その有用性を見せつけてほしかったところだが(汗)。
その結果として、都心の工業地帯の「虚像」のヒッポリト星人の方は消滅した!
――余談だが、立体投影された方のヒッポリト星人は「虚像」であっても、「風地獄」や「火炎地獄」といった攻撃にはたしかに「物理的な実体」があった。よって、これについても「立体投影」のみならず「物理攻撃の瞬間移動」といった機能もカプセルにはあったのだ! といったような説明などもほしかったところだ――
そして、大型戦闘機・タックファルコンと小型戦闘機・タックスペースで攻撃してきたTACの隊員たちは、竜隊長の許へと駆けつける!
TAC隊員たちの常備拳銃・タックガンのみでヒッポリト星人に応戦していた竜隊長はあわやというところを彼らに救われた!
しかし、ファルコンもスペースもヒッポリト星人の火弾攻撃で撃墜させられていく!――フィルムの編集ミスなのだろうが、撃墜される前にスペースに搭乗していた吉村隊員と今野隊員が脱出してしまっているのはちょっと残念だが(汗)――
隊員たちは竜隊長と合流して地上戦へと切り替えるが、ヒッポリト星人は彼らを炎の円陣で取り囲んでしまった!
絶体絶命のピンチ!! 竜隊長もゲスト少年の姉に託された「お守り」を取り出して見詰めるしかない!!
そこに緑色に光った球体が斜めに落下してくる……
そして、ヒッポリト星人の間近に着弾した!!
爆発が起きて、ノンキに球体を目線だけで追っていたヒッポリト星人(笑)も衝撃でひっくり返った!
銅鑼(ドラ)のような金属的な重低音の響きが鳴りわたる!
そして、本話の最大の目玉であるウルトラ5兄弟の義父でもある、その両耳の部分から上方に沿った巨大なツノを生やした「ウルトラの父」が、握ったこぶしの両腕を両腰に構えてすっくとそこには立っていた!
そして、右手に鉄アレイのようなアイテム・ウルトラアレイを出現させて、そこからの強烈な閃光でヒッポリト星人を怯ませる!
ウルトラの父はウルトラ一族おなじみの技である、突き出した両手の先からウルトラ水流(ウルトラシャワー)も発射!
TAC隊員たちを取り囲んでいた炎の円陣を! 続いて、青銅化していたウルトラマンエースに浴びせて、その体表のタール液を洗い流してみせた!
むろん、エースの胸の中央にあるカラータイマーや両目の灯りはまだ消えている……――ここでのエースは新品のスーツを使用したのか、妙にキレイだ(笑)――
ウルトラの父は三日月状の光線・クレセントショットを放ってヒッポリト星人の顔面で爆発させる!
ウルトラアレイ! パンチ! チョップ! キック! ヒッポリト星人にダメージも与えていく!
ウルトラマンのファミリー路線の元凶として、70年代の放映当時には大人気であったウルトラ兄弟やウルトラファミリーの設定は、70年代末期の本邦初のマニア向けムックであり第2期ウルトラシリーズやウルトラ兄弟客演編を否定的に論述した『ファンタスティックコレクション№10 空想特撮映像のすばらしき世界 ウルトラマンPART2』(朝日ソノラマ・78年12月1日発行)刊行以来、特撮マニア間での大勢で否定されてきた。
筆者も一時はそういった風潮に毒されてきたので無罪ではない。しかし、80年代中盤以降に考え直して、第2期ウルトラシリーズやウルトラ兄弟にウルトラファミリーの設定にこそ、世代人としての個人としての好悪ごときを超えて、ウルトラシリーズが子供間での人気を復活できる可能性を感じている者でもある。
そのこととはまた別に、「ウルトラの父」の登場には、複数人の関係各位の意向も働いていた「合力」としての結果でもあった。
デジタルウルトラプロジェクト発売のDVD『ウルトラマンA』Vol.7(asin:B00024JJHY)の解説書によれば、当時は円谷プロダクション側のプロデューサーであった熊谷健(くまがい・けん)が映像の仕事を始めたときに、最初に出会ったのが円谷英二(つぶらや・えいじ)特撮監督と、もうひとりが戦後昭和期の名匠であった小津安二郎(おづ・やすじろう)監督(松竹)であったという。
――2005年現在、放映中である5兄弟を戦隊メンバーに据えて「家族」もテーマとしている『魔法戦隊マジレンジャー』(05年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20110228/p1)で、この5兄弟の名字を「小津」としているのは、この小津安二郎監督からの引用なのだ!――
つまり、『マジレンジャー』では見事に実現できているように、円谷英二の「ファンタジーの世界」と小津安二郎の「家族愛の世界」を融合させたいと熊谷氏は考えていたのだ。
そして、当時の最終決定権者でもあった、「人間ドラマ」や「テーマ至上主義」でも知られる橋本洋二・TBSプロデューサーは、翌年度もウルトラシリーズを継続させるために秋口くらいにインパクトをつけたかったとの思惑(おもわく)があったとも語っている。
それらが合致してウルトラの父が誕生したというのだ。それに伴って、事前に番組内でも先行してデザインの公募なども実施するかたちで宣伝していたのだ。
男女合体変身のエースが女性(南夕子)の優しさをデザインに取り入れたことから、逆にウルトラの父には男らしさ・強さの象徴として角(つの)がデザインされたのだという。
実際に、オンエア前にTBSホールで行われた本話の上映会は大盛況となったそうだ。
小学館の雑誌でもウルトラの父は再三、取り上げられたことで、変身ブームに沸く1972年当時は、『仮面ライダー』・『超人バロム・1(ワン)』・『変身忍者 嵐』・『快傑ライオン丸』・『人造人間キカイダー』・『トリプルファイター』・『サンダーマスク』・『突撃! ヒューマン!!』・『アイアンキング』・『熱血 猿飛佐助』、テレビアニメでも『デビルマン』・『アストロガンガー』・『科学忍者隊ガッチャマン』・『正義を愛する者 月光仮面』・『赤胴鈴之助』・『マジンガーZ』など、さまざまなヒーローが乱立する中でも、ウルトラの父はゾフィーやウルトラセブンらとともに大人気を誇ったのであった。
「ウルトラの父」がいるならば必然的に「母」もというワケで、次作『ウルトラマンタロウ』(73年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20071202/p1)には「ウルトラの母」が登場。ならば、「お爺さん」もと『ウルトラマンレオ』(74年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20090405/p1)には「ウルトラマンキング」が登場した。
製作に混迷を極めていたという『A』に「ウルトラの父」という切り札がなかったら、この前後編の個別の出来の作品評価ともまた別に、ウルトラシリーズが現在に至るまで脈々と続く大長寿シリーズ作品群と成り得ていたのかどうか? などと後知恵ではあるのだが、そのようなことも想起できてしまうのだ。
事実、本話以降、『A』の第3クールは特撮マニア間での低評価とはウラハラに、常時20パーセント以上の高視聴率を獲得していく。これは、第3クールの出来が特別によかったというワケではなく(いや、格別に悪かったとも思ってはいないけど・笑)、ウルトラ5兄弟の勢揃いやウルトラの父が登場したイベント編のインパクトが絶大で、またこのようなイベント編をいずれ『A』で観てみたい! という気持ちが子供たちに生じた結果なのだと分析もするのだ。
そんな子供たちの期待に『A』が応えられ続けられたのか? といった問題は残るものの……(汗) 『A』第4クールでまた視聴率が低下していくことを思えば、ウルトラ兄弟が個別にゲスト客演して戦闘も含めて大活躍をしてくれるような、しかるべきイベント編をこの第3クールが提供できなかったという恨みは残るのだけど。
第3次怪獣ブームのさなかである1979年にキングレコードが発売したLPレコード『ウルトラオリジナルBGMシリーズ4 ウルトラマンA <冬木透の世界*3>』には、「ウルトラの父の登場~エース復活のシーン」がMEテープ(アフレコのセリフを除いた、MUSIC(音楽)とEFECT(効果音)だけを録音したテープ)から収録されていた。
時間にして3分ほどあり、現在の観点ではBGM集なのだからそんなものより音楽を1曲でも多く入れてくれとなるところだが、映像ソフトどころかビデオすらも普及しておらず、再放送がなければ作品を観ることができなかった当時、こうした実作品からの音源収録は本当に嬉しかったものだ――ちなみにこのLPでは、エースの戦闘テーマの頭に第1話から収録した「ウルトラタッチ!」のシーンも添えられていた。純粋にBGMのみの収録にしてほしかったという意見もわかるのだが、当時の筆者はこういう構成は盛り上がった!――。
実のところ、特撮マニア諸氏もご存じの通りで、ウルトラの父は途中からヒッポリト星人に苦戦してしまうことがとても残念だ。ナレーションで「長旅の疲れだ」との趣旨の説明はなされている。しかし、これでは爽快感には欠けてしまうし、ウルトラの父の強さも充分には描けないことから、情けない役立たずな感じや悲壮感の方が大きくなってしまって、欲求不満が残ってしまうのだ。
イベント編だからこそ人間ドラマと社会派テーマといった意外性をねらったのであろうこの前後編は、ウルトラの父の戦闘シーンでも悪い意味での意外性をねらったことで、大成功といった感じにはならなかったのであった……
ウルトラの父はその胸の中央にあるカラータイマーを自らの手でモギ取って空に投げるや中空で静止して、そこから赤い一条の光線がエースのカラータイマーに注がれることでエースは復活した!
元気いっぱいに復活したエースは、TAC隊員たちと反撃を開始する! 今度は大活躍だ!
そして、優勢に戦いを進めて、エースはヒッポリト星人をメタリウム光線で木っ端微塵に粉砕してみせた!!
すると、ウルトラ4兄弟の体表からご都合主義にも青銅のヒッポリト・タールが消え失せた!(笑)
そして、先のウルトラの父のカラータイマーをエースが空中に投げるや、そこから赤い4条の光線が放たれて、ウルトラ4兄弟もエネルギーを充填されて復活した!――ウルトラの父にとってはエネルギー不足の状態ではあっても、ウルトラ5兄弟をまかなえるほどの充分なエネルギー量が残存していたのだとも解釈したいのだ!――
復活したエースの戦闘シーンでは珍しく『A』の主題歌も流れたことで、それはそれで勇壮でよかったのだが、視聴者が観たかったのは、ウルトラ5兄弟がそろって復活して、ヒッポリト星人とのリベンジ戦に爽快にいどんで必殺技を披露しまくるような姿ではなかっただろうか!?
本話も含めた『A』や次作『タロウ』でのウルトラ兄弟客演編では、先輩ウルトラ兄弟たちがカッコいいところをほとんど見せずに終わってしまっていた。そして、ウルトラ5兄弟を一度は全滅させたほどのヒッポリト星人が相手であるのに、基本的には通常回で使用するいつものメタリウム光線一発で倒してしまっていた。
けれど、それではヒッポリト星人は通常回に登場する並みの怪獣と同じ強さしかなかったことになってしまうのだ。そのへんが幼児期にはともかく児童の年齢に上がると、子供心にも辻褄が合わないように感じられて腑に落ちなかったところでもある(笑)。
第2期ウルトラシリーズを擁護したいばかりにその欠点には一言たりとも言及しない……などという行為では、戦前日本の大本営発表と同じになってしまう。それでは、第2期ウルトラ擁護派も戦前の軍国主義者と何も変わらなくなってしまうのだ。一部の狂信的な第2期ウルトラ再評価派はそこを自覚してほしいものである。あるいは、確信犯だとしてもヘタくそな手法なのである。自分が愛する作品の欠点をも包み隠さずに、そうだと言及すべきなのだ。牽強付会で珍妙な擁護も不要である。そのようなツッコミの隙がある再評価の仕方では、かえって逆効果になって反発されてしまうことで、再評価運動の足も引っ張ってしまうのだ。
だからそこは、助っ人に飛来したウルトラの父が放ったエネルギーをチャージ(充電)して復活したのはエースのみならず、ウルトラ5兄弟の全員だったとして、そこから組んずほぐれつの戦闘を再開したあげく、迫ってきたヒッポリトカプセルにも今度は幽閉されずに逆に粉砕! ここぞとばかりにヒッポリト星人に対して必殺光線を一斉照射!
もしくは、第14話『銀河に散った5つの星』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060805/p1)にてウルトラ4兄弟の光線技や武器を持たされた超強敵・異次元超人エースキラーを倒した際のように、それを前例にした設定も活用して、エースの頭頂部のエネルギーホールにウルトラ4兄弟がカラータイマーから放ったエネルギーを集めてからエースが放つ合体光球・スペースQをここぞとばかりに再披露をすべきであった!
そして、最終的には負けてしまうのだとしても「敵に一矢を報いてみせる」アクション演出を敵キャラ側にも援用してみせるのであれば、合体光線やスペースQを浴びてしまったヒッポリト星人にも、即座に爆発四散はさせてはイケナい! しばらくは堪え忍んでみせているさまを、ヒイてジラして描いてみせる「タメ」の演出を挿入する!
そのことで、最後には敵キャラが爆発四散して滅び去ることが確定路線なのだとしても(笑)、それによってヒッポリト星人がますます強く見えてくるのだ。しかして、そんな強敵をも撃破してみせるヒーロー側の強さも際立つことで、最後の勝利のカタルシスをも倍増させることができたハズなのだ! つまり、アクション演出の細部もつとに大事なのである!
5対1の戦いが卑怯だというのならば、初代『ウルトラマン』第33話『禁じられた言葉』でメフィラス星人が、バルタン星人3代目・ザラブ星人2代目・ケムール人2代目を配下に従えていたように、なぜかここで本来はすでに滅びた異次元人ヤプールの配下であったハズの再生超獣軍団を召喚! 5対5などの戦いにしてもよいだろう(笑)。
これは『A』第23話『逆転! ゾフィ只今参上』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061012/p1)において、『A』のシリーズ前半の宿敵であったヤプール人全員が合体して誕生した巨大ヤプールとの異次元空間での最終決戦にもいえたことだ。やはり、通常クラスとは異なる敵キャラである以上は、巨大ヤプールはウルトラ5兄弟を相手に戦ったり、あるいは再生超獣軍団を召喚してウルトラ5兄弟と対決するくらいのことをして、その別格の強さを描いてほしかった恨みは残るのだ。
ウルトラ5兄弟によるウルトラの父の葬送を見送ったあとに、お約束で北斗と南は元気な姿でその場に駆け寄ってくる(笑)。
ラスト、街灯が灯り出した夕刻に、訪問して勝利を報告したのか、竜隊長と北斗はゲスト姉弟宅から笑顔で出てきた。姉に「お守り」を返却しようとするが、姉は竜隊長に「持っていて下さい」と固辞をする。しかし、竜隊長はヒロシ少年に手渡して、父の気持ちがわかるようになったときにこの「お守り」を見返すようにと伝えた。ほぼ彼らとの和解は済んでいるのだが、ホントウの真の意味での和解とは、本話ラストでの描写にあるように将来に到来するようなものなのだろう。
夜空にひときわ輝く一番星を姉は見つけて、北斗はそれを「ウルトラの父の星」だと云った。それはウルトラ4兄弟とウルトラの父が地球を去っていく姿の光点だったのかもしれない。
そして、それは「姉弟の父の星」でもあるのだとも語る。それは文学的な表現、いわば慰めのための「優しいウソ」というものかもしれない。でも、実害がないものであれば、それでもよいではなかろうか? むしろ、そういった社交辞令的な慰めもまた、先の「お守り」のように人間社会や人間関係の潤滑化に益する「思いやり」の表現ですらあるのだ。そんなことすら機転を利かせて即座に云えないような野暮天(ヤボてん)は……(以下略・笑)
こうして、「いたわりの気持ち」から来る「和解」、そして将来のホントウの「和解」の予感とで満たされたようなかたちとなって、この前後編はハッピーエンドを迎えたのであった……
ウルトラの父の初登場回であるのに、さして父のバトルもその強さも披露せず、大活躍もせずにすぐに死んでしまうという一点については、たしかに問題点もあったエピソードではある。戦闘面での爽快なカタルシスにはやや欠如しており、子供心に小さなフラストレーション(欲求不満)は溜まっていたものだ。この問題点は第2期ウルトラシリーズにおけるウルトラ一族客演編の一大欠点にもなっていく。
そして、このフラストレーションを解消していたのが、小学館の学年誌に連載されていた内山まもる先生によるウルトラシリーズのコミカライズの数々であったのだ。本来あるべきウルトラ一族客演編の作劇とはどうあるべきであったのか!? といったことについては、機会を改めて詳述していきたい。
この1972年には年末の12月に「円谷プロダクション十周年記念作品」として、子供向けのプログラムピクチャー枠であった『東宝チャンピオンまつり』内の1本として、『怪獣大奮戦 ダイゴロウ対ゴリアス』が公開されている。これはこれで愛すべき牧歌的なジュブナイルの佳品だった。しかし、子供たちは(子供にかぎらず大人でも?)もっと戦闘的な作品が好きなのだし、そういった作品に対して憧れや高揚感を抱くものなのだ。
その意味では、後知恵(あとぢえ)で思うに、製作時期的には『ウルトラ5兄弟 対 超獣軍団』(!)といった映画でも製作してほしかった! そうすれば、ウルトラシリーズの人気はさらに盛り上がって、等身大の特撮変身ヒーローによる「変身ブーム」や翌73年以降に本格化していく「巨大ロボットアニメブーム」には勝てなかったとしても、巨大特撮変身ヒーローや第2次怪獣ブームはもっと延命ができたのではなかろうか!? 等身大ヒーロー作品に比較すれば巨大特撮作品は撮影に手間がかかるので、製作スケジュール的にも困難だったのだろうが、そこをなんとか……(笑)
<こだわりコーナー>
*今回の前後編にゲスト出演した先輩ウルトラ兄弟ことウルトラセブンも、腹部前面の白いラインが胸部のプロテクターには達しておらず、かなり離れて描かれている。だが、この前後編の印象がよほど強かったせいか、当時はまだ幼児だった筆者はセブンの絵を描く際には常に白いラインを胸のプロテクターと離して描いていた。それが正しいのだと信じこんでいたのだ(笑)。本話放映の4年後の1976年の小学校中学年で『セブン』の再放送を観ていて「アレ?」と思うまでは、オリジナルのウルトラセブンは腹部の白いラインが胸のプロテクターにくっつけて描かれているとは気付かなかったのだ(汗)。ちなみに、ウルトラの父も下手ながらよく絵を描かせてもらっていた。懐かしいなぁ……
*そのウルトラセブンの掛け声も、『A』では原典での東宝系のキヌタ・ラボラトリーのバンク音声テープの譲渡を受けたか東宝効果集団が効果音を担当していたのに、オリジナルのセブンの変身前のモロボシダン隊員こと森次晃嗣(もりつぐ・こうじ)による掛け声のバンク音声が散逸していたのか、『ウルトラファイト』でのセブンの掛け声とも同様に、初代ウルトラマンの掛け声が流用されている。どころか、ウルトラ4兄弟にも名声優・納屋悟朗によるエースの掛け声が流用されていて、納屋のひとり芝居のようだった(笑)。
次作『ウルトラマンタロウ』では録音スタジオ自体が異なっていたために、歴代ウルトラマンの掛け声が流用できず、ウルトラ5兄弟全員の掛け声にも、すべてタロウの変身前の東光太郎(ひがし・こうたろう)隊員こと篠田三郎による掛け声のバンク音声が使用されていた(汗)。幼児のころには気にもとめなかったが、小学校高学年のマニア予備軍になってくると、このへんの不整合が気になって気になって……(笑)
*ヒッポリトの名前はギリシャ神話の神の名からの引用だと思われる。
*視聴率26.3%
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