(脚本・會川昇 監督・長石多可男 アクション監督・宮崎剛 特撮監督・佛田洋)
(視聴率:関東7.3% 中部6.0% 関西7.9%)
(以下、1週後の日付記事の「前フリ余興」から抜粋して単独記事化したものです)
(文・T.SATO)
平行宇宙をまたにかける『仮面ライダーディケイド』(09年)。
かてて加えて、#7「超トリックの真犯人」ではプチ・タイムトラベル! ただでさえ乱れている時空連続体はもうグチャグチャ(笑)。
今回はたわむれで、まずそれで生じたハズのタイムパラドックスに少しツッコミ。
『仮面ライダー龍騎』(02年)TVシリーズ本編では最終回に登場した究極の反則ワザ「タイムベントカード」を使って、少し過去に戻って殺人事件のナゾ解きをしてしまうとは……。
そんなとっておきのカードを早々に切ってしまう作劇を、本作『ディケイド』は「龍騎の世界」編で行なってしまいますか!?
ミラーワールドでの激闘の末に仮面ライダーオーディンから奪った「タイムベントカード」を、仮面ライダーナイト・羽黒レンから譲り受けた仮面ライダー龍騎・辰巳シンジ。
仮面ライダーディケイド・門矢士(かどや・つかさ)とともに、近過去の前話冒頭、殺人事件現場の直前の時間へGO!
当然、変身ヒーローたるもの、救えない情けないヤツではカタルシスもないので、殺人事件は真相解明どころか阻止されてしまうワケで。
さらには事件の真相のみならず、TV本編では第2ヒロインの一記者だったのにオバサン編集長に昇格(?)して殺人事件被害者の役回りをふられたこの世界の桃井令子ならぬ玲子さんは、殺人事件の現場になる予定の編集部の応接室にレンを呼んだ真情を明かして、そこに同席していたプチ(少し)未来のシンジともレンは和解して……。
ということは、殺人事件の真相と、ふたりの被疑者・ヒロイン夏海(なつみ)と羽黒レンの無罪の証明以前に、歴史自体が変わってしまうことになるワケだ。
となると、夏海&羽黒レンが被疑者になっていた世界自体は消滅して無かったことになってしまうのか!?
それとも、世界はふたつの歴史に分岐! 夏海とレンが被疑者になっている世界と、そもそも事件自体が未然に阻止されたふたつの世界が出現してしまうのか!?
しかし、一部のオールドSF小説に由来するとおぼしきタイムパラドックスもののローカルルールだとは思うけど、『大長編ドラえもん のび太の魔界大冒険』の原作(1983連載・1984単行本化・ISBN:4091406041・ISBN:4124101988・ISBN:4091940153。もしくは映画版(1984)・ISBN:4099082059)のように、
「一度造られた“世界”は、いくらリセットしようとしても、〈パラレルワールド〉となって永遠に残る」
とするならば、龍騎=シンジ&ディケイド=士は元の世界の時間になんとか戻って、それから無罪の証明に奔走しなければならないワケで……。
……などとシチ面倒クサいことを、視聴しながら考えていたワケでは毛頭ないけれど。
大きなお友だちも観るとはいえ、しょせんは幼児がメインターゲットの変身ヒーローもの。しかも放映時間に制限のある30分ドラマ(の2本を費やす前後編)のオチであることが大前提だし、まとまり感や、めでたしめでたしのカタルシスを与えることも大切。
そこでネチネチグチグチとこだわってくれて喜ぶのはオタだけ。もしくはオタの中でもごくごく一部だけ(笑)。
しかも番組の主目的が、仮面ライダーVS仮面ライダーのバトル面。さらに加えて好意的に見るならば、せいぜいが登場人物たちの善意の勝利(笑)。
だとするならば、SF的ナゾ解きを仮にネチネチ説明しても、煩雑でまとまりが悪くなったりヤボ感やクドい感が出てきてしまうのならば、そのへんは突き詰めずにゴマカして落とすのが、このテの番組の作劇の正解だとも思う。
そのかぎりで、このテの特撮変身番組は、広義のSFであっても、狭義のSF、本格SFなどではさらさらないと思う(悪口じゃないよ)。
やはり、ヒーローや怪人の珍奇な特撮映像や爽快なアクション、あとは二義的に多少は屈折させてもジュブナイルとしての正義や善意の勝利が主目的なのであって、SF的な舞台立てはそれら主目的に貢献して際立たすための背景装置・小道具にすぎない。
SF至上主義の特オタは変身ヒーローものなんて観ないで、アシモフやクラークを読んでた方がスジが通るゾ!(笑)
……まぁでも、近過去への介入で、ふたつの世界に分岐したかもしれないという疑問は、龍騎&ディケイドを時間を越えて追っかけてきた悪の仮面ライダー・仮面ライダーアビスこと、イケメンばかりの13ライダーがバトルするのが本来の『龍騎』のハズなのに、顔が少しむくんではれぼったい(失礼!〜でもけっこうキャラが立っててスキです・笑)銀髪の中年オジサン・鎌田が、プチ過去の戸惑っている鎌田と強引に合体・融合してしまったことに、一応の正解のヒントがあるのだろう!?
そして、ラストシーンが、前話の冒頭時点に戻っていて、ただプチ未来から戻ってきたディケイドこと士だけが(&龍騎ことシンジもだけど)、「龍騎の世界」で未然に阻止した事件のことを覚えていて、他のキャラたちはまだ何も知らなくて(何も起きていなくて)、即座に次なる「ブレイドの世界」へ旅立つことになるという……。
でも鎌田のみならず、プチ未来からプチ過去に戻ってきた時点で、士とシンジもプチ未来とプチ過去の同一人物が同一時間にふたり存在してしまうハズ。
コレもまたオールドSFなローカルルール、『鉄腕アトム』のTV初作(63年)最終回(66年)後の後日談を原作者・手塚治虫(てづか・おさむ)大先生ご本人が描いた、アトムがアトム誕生時にタイムトラベルする長編「アトム今昔物語」(ISBN:4840109958・ISBN:4061732404)のように
「同一時間に同一存在がふたり存在してはならない」
という取り決め事は「ディケイド世界」にはない代わりに、おそらく矛盾が生じないように士とシンジも、プチ未来には帰らずにプチ過去の自分と合体したのだろう!……という(!?)。
ということは、プチ未来の世界は消滅したことになる? となると「龍騎の世界」(の少なくとも分岐した一部)は、預言者・鳴滝の発言同様、やはり「破壊」されてしまったことになる!?
試験管の中のような宇宙(時空)とはいえ、完全消滅させてしまうのは、そこで四苦八苦・試行錯誤しながら独自の人生を送っていた全人類(それが云い過ぎなら、歴史の変化でなかったことにされる一部の局所的な関係者の苦労)もなかったことにされてしまうので、倫理的にはドーなのか?
とはいえ、プチ未来の世界がそのまま残っているとすると、士とシンジはその未来へ帰って、無罪証明に奔走し死んだ桃井玲子さんの真意をレンに伝える義務が生じることになる……(うっとおしい展開だ)。
さらには、歴史を変えずに(世界の分岐を起こさずに)、ただ士とシンジが殺人事件を傍観しているだけだと、それもまた非倫理の極みだし、もっと大きな悪徳を犯すことになる(汗)。
であるならば、過去に介入した時点で、プチ未来は単純に消滅したとか。
せいぜい包括的にすべてを肯定して考えてあげるなら、プチ未来にまで達した時点で、そこからループしてプチ過去に合流して、先のプチ未来とは異なった未来へとその時点から時間線が伸びているというような……。
(ループといえば聞こえはイイけど、「タイムベントカード」を切った時点で、その世界のそれ以上の時間進行はストップして終わったことになるならば、世界の消滅と大差がないけれど……。
まぁ歴史の大勢に影響なさそうな(?)、短期日の歴史の修正にすぎなくて、だれも悲しむヒトもいないので、殺人事件の重大性と比較すれば、事件後の真相解明への四苦八苦などはなかったことになっても別にイイか・笑)
何も描かれていないから、プチ未来のシンジはまたプチ未来に帰って行った可能性もゼロではない。けれど、その場合でもプチ未来の夏海と石橋蓮司演じるオジサンの許には、プチ未来の士は永久に戻ってこなかった(笑)という悲惨なオチになってしまうハズなので、やっぱこの分岐世界は消滅・廃棄されたことにしておくのが無難だろう。
そもプチ未来とプチ過去の同一人物が融合できちゃうのも、本格SFだったら違和感ありありのツッコミどころなのだろうが、そのへんサラリと流せてあまり気にならないあたり、やはり本作はジャンル内では相対的に本格志向であっても、しょせんはハードSFではない変身ヒーローもののユルい世界観のゆえだろう。
同一人物が存在するワケがない、もっと過去への介入であって、しかも過去に介入しても歴史が改変されずに、どうもタイムリープですらもが、あるいはそのための自助努力ですらもが、より高次な神の次元から見れば必然・運命であったかもしれない逆パラドックスまでをも描けば、往年のSF小説『幻魔大戦』シリーズ(マンガ版(67年・ISBN:4253061982)・『新幻魔大戦』(71年・ISBN:4195771080)・『真幻魔大戦』(78年・ISBN:4191519417)・小説版『幻魔大戦』(79年・ISBN:4087470660)・小説版第2期『ハルマゲドン』(87年・ISBN:4191539043)・『ハルマゲドンの少女』(82年・ISBN:4191538152))の平行世界(中のそのまた一部)のようにも描けるけれど。
(映画『大決戦!超ウルトラ8兄弟』(08年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20101223/p1)でも描かれた平行世界での「記憶」の想起も、『幻魔』サーガが元祖か? 『超8』のそれは各人もう少し小出しにしていくならともかく、唐突に過ぎたと思うけど。
しかし、『超8』にしろ『仮面ライダー電王』(07年)にしろ、「記憶」や「意識」が側頭葉の海馬の中の脳内化学物質や脳内電気信号に留まっておらず、物理的限界や次元の壁を超えたマルチエンディングのゲームプレイヤー視点ならぬ超越的な「精神体」や「霊」的な存在を仮構しないと成立しなくて、ちっとも唯物的ではない……けれど、物語としてはこんなに面白いものはない。
まぁ最近の物理学・宇宙論では、学会の大勢に認められてるワケではないけれど、「人間原理」という「我々の三次元宇宙自体の存在や、そもそも宇宙が成立するための物理法則自体が、人間(というか宇宙人も含む知性体)が宇宙に存在できるように、人間がこの宇宙を観測できるように(笑)準備されたものである」という、神さまの玉座に人間の知性を代入したかのような中世キリスト教神学的なトンデモに逆立ちした学説も出ているくらいなので、そのテの作劇もアリでもイイと思うけど……)
ちなみに次々行なうタイムパラドックスで、パラレルワールドや自分すらもが無限に増殖していくっぽいのが長谷川裕一先生の「月刊マガジンZ」連載マンガ『クロノアイズ』(99年・講談社・ISBN:4063490106)。いや読んだことはないけれど、『ナウシカ解読』(96年・窓社・ISBN:4943983871)などで知られる経済学者(近年は社会学者?)の稲葉振一郎センセイの 『オタクの遺伝子』(05年・太田出版・ISBN:4872338693)での批評によれば(笑)。
こだわるヤツはヤボだと云いつつ、結局はこだわっている自分(汗)。
……いや待てよ。ヒロイン夏海が夢に見た『ディケイド』#1冒頭の「ライダー大戦」も、「龍騎の世界」のプチ未来と同じような位置づけのプチ未来(メタ時系列的には過去?)の記憶であって、「龍騎の世界」での「タイムベントカード」の使用は、このやり直し的なメタ世界観への壮大な伏線か?
東浩紀(あずま・ひろき)センセの『ゲーム的リアリズムの誕生 〜動物化するポストモダン2』(07年・講談社現代新書・ISBN:4061498835)で喜ばれそうなネタだ。
こんな浮世離れしたことの重箱のスミばかりつついていても、人間としてはちっとも立派じゃないというか、むしろどんどん小粒・小者、人間としての器量が小さくなっていきそうなので(笑)、みなさんもほどほどに。
でもサメ型の新仮面ライダー・アビスこと副編集長・鎌田の真の正体が、さらにややこしいことに(いやそんなにややこしくもないけれど)、「龍騎の世界」ならぬ次元を超えた「ブレイドの世界」の敵怪人アンデッド、トランプのハートのK(キング)に相当するパラドキサカマキリ怪人パラドキサアンデッドだった!
という「世界」をまたがって登場させる理由の付け方は、もちろんドコまで行ってもご都合主義だとはいえ、たしかにウマいネ。
追伸1
時間ループものは、最近流行っているらしく、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』(07年)とか、『ひぐらしのなく頃に』(02年ゲーム・06年TVアニメ化)も、そういえば同趣向。泣きゲー(ム)上がりの美少女アニメ『CLANNAD AFTER STORY(クラナド・アフターストーリー)』(08年)もそうらしいというウワサを聞いたが(まだ全話観てないので)、一応は現実に根差した(?)生死をテーマにした難病ものの世界観でそれはいかがなものなのか?(汗)
追伸2
『仮面ライダー龍騎』TV本編でのタイムベントカードは、『ディケイド』本話のように個人なり数人が過去へタイムスリップするのではなく、ループですらなく、世界中の時間をまるまる巻き戻したという感じだったので(カードを切った本人の意識だけは時間が巻き戻されず、メタ時間の達観した位置にあって)、厳密には違いが生じているけれど。
……細かいことは気にするな(笑)。
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