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救急戦隊ゴーゴーファイブ前半賛否合評2 ~ゴーゴーV前半総括!

『救急戦隊ゴーゴーファイブ』前半総括1 ~1999年7月の傑作群!
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救急戦隊ゴーゴーファイブ』前半賛否合評2 ~ゴーゴーV前半総括!


救急戦隊ゴーゴーファイブ』前半評3

(文・ヤフール)
(1999年7月執筆)

1999−9955!? 〈救急戦隊ゴーゴーV論〉


 去年はオモチャが売れなかったから今年こそヤバイとか、今年こそビデオ撮りになるらしいですよとか、毎年存続の危機が噂されながらも、いまだ継続し続けるスーパー戦隊シリーズ。その最新作が本作『救急戦隊ゴーゴーファイブ』(99年 〜以下、『ゴーゴーV』の略称で記述)だ。


電磁戦隊メガレンジャー』との相似と相違


 筆者の現時点での全体的な印象はどことなく前々作『電磁戦隊メガレンジャー』(97年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20111121/p1)に雰囲気が似ているな、というものだ。これはやはり武上純希氏がメインライターだということを意識して見てしまうマニアの悪い癖ではないかとも思うが、レギュラーが全員どこか二枚目半ないし三枚目的だったり、メンバーの内輪もめの話が多いというところなど、まんざら共通点がないともいえないだろう。さらにキャラクターデザインの担当まで同じなので、ビジュアル的な印象も似通っている。


 当初はレスキュー戦隊ということで、東映メタルヒーローの悪の組織や敵の怪人が登場しないレスキューポリスシリーズ『特警ウインスペクター』『特救指令ソルブレイン』『特捜エクシードラフト』(90〜92年)に近いカラーになるのでは? と思った。しかし、いざ始まってみるとそうでもないようで、やはりどちらかといえば武上純希氏のカラーが出ていて『メガレン』に似ているというのが筆者の印象である。


 本作がレスキュー戦隊でありながらメタルヒーローシリーズに近いカラーを持ちえなかったのは、『ゴーゴーV』はあくまでレスキュー戦隊であってレスキューポリス戦隊ではないというところだろう。つまり刑事ものの要素が『ゴーゴーV』にはないため、レスキューポリスたりえないのである。レスキューポリスシリーズは事実上刑事ドラマであったが、『ゴーゴーV』にはそれがないため、あくまでスーパー戦隊シリーズたりえているのである。


 『ゴーゴーV』が例外的にレスキューポリスに似た雰囲気を持ったのが、16話「泥棒とサイマの卵」(脚本・小林靖子)だ。この回はゴーイエローがかつて警察官だったという設定が生かされたことから刑事ドラマに近いカラーを持ち、そのためレスキューポリス的な印象の作品となった。この回はこれはこれで面白く、実は筆者はお気に入りの回である。しかしこの話はアイデアが『ウルトラマンガイア』(98年)の35話「怪獣の身代金」(脚本・太田愛)に似ているけどパクったのかな? 諸田敏(もろた・さとし)氏の演出も凝っていて見応えのある話だったけど。


 しかし、『ゴーゴーV』は『メガレンジャー』に雰囲気が似ていながらも、『メガレン』にあった、ある部分における挑戦的なものが感じられないという気もする。それがいけないというわけではないが、『ゴーゴーV』が『メガレン』に雰囲気が似ていながらも似ていないというところが、いまの筆者の一番興味のあるところである。


 スーパー戦隊シリーズとして、『ゴーゴーV』は一応レスキュー戦隊という新機軸を盛り込んでいる。いままでの戦隊シリーズでは戦闘による二次災害自体が描かれることはほとんどなく、当然二次災害の救助活動がドラマの中心になることもほとんどなかった。そういう意味では本作はいままで戦隊シリーズがオミットしていた部分にスポットを当てた作品であり、ある意味十分挑戦作といえる。
 つまり挑戦している部分が『ゴーゴーV』と『メガレン』とでは異なっており、この部分に筆者としては優劣を付けるつもりはない。では、『メガレン』にあって『ゴーゴーV』にはない挑戦的なものとは何か。


 『メガレンジャー』は作品のコンセプトが、


 「正義感より好奇心で戦うヒーロー」


 というものだった。このコンセプトは武上純希氏のカラーではなく、東映側のプロデューサーである高寺成紀(たかてら・しげのり)氏によるアイデアのようだ。「正義感より好奇心で戦うヒーロー」というコンセプトは平たく言えば、「熱血ヒーローの否定」である。


 「正義感より好奇心で戦うヒーロー」とは、メガレンジャーには正義感がないのだとか、正義感を持って戦ってはいないのだということではない(笑)。「正義感より好奇心で戦うヒーロー」という文句の「正義感」とは、「使命感」という言葉に置き換えられるだろう(何なら「義務感」と言い換えてもよい)。勧善懲悪のヒーローものにおいて、ヒーローは「使命感」によって戦っている。この部分は特に70年代のヒーローもので描かれ、それが数々の名ドラマを生み出していった。


 60年代のヒーローはどういう理念と内面で戦っているのかさえ描かれないものが多く、この「使命感」によるヒーローの苦悩は70年代のヒーローものを象徴するものとよくマニアの間で言われることだ。


 しかし、この「使命感」というものは、一見大変善意に満ちたもののように見えるが、非常に意地悪く言えば、70年代のヒーローたちは嫌々ながらも仕方なく戦っていたと言えなくもない。無論、戦うことは本来平和とは相反する行為なので、あまり面白がってもいけないのである。よって嫌々ながらも仕方なく戦っていた70年代のヒーローたちは、やはり平和を愛する正義の人たちだった。


 だが、別の見方をすればヒーローの戦いは人助けのために戦っているのだから、それを嫌々ながら仕方なくやられてしまうのは、ある意味ヒーローが守るべき一般市民に対して失礼だとも言えなくもない(?)のである。


 ヒーローが「使命感」に燃えた時は、「ほんとは戦いたくないんだけど俺が戦わなきゃ罪のない人が犠牲になってしまう!」と思う。これが70年代ヒーローの「使命感」である。このことから70年代ヒーローは苦しみながら戦う決心をしていると分析できる。
 この70年代のヒーローの苦しみながら戦う決心というのは、「熱血」という言葉にも置き換えられる。苦労を感じつつも使命や目的を果たそうと奮起する時に人間の感情は熱くなる。これが「熱血」なのである。スポコン(スポーツ根性もの)が特訓による苦労を克服するドラマであることからも分かるように、いわば「熱血ドラマ」というジャンルは「苦労人のドラマ」である。


 しかし、人助けをすることに70年代ヒーローたちは苦労を感じていたということは、彼らは人助けをすることに本当は心の底からの喜びを感じていないのではないか、などとひねくれた筆者のような人間は思ってしまうこともしばしばである。そうは言っても実は筆者、この70年代ヒーローの苦悩のドラマというのが大好きで、この部分を徹底的に描いたといえる『ウルトラマンレオ』(74年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20090405/p1)や『鉄人タイガーセブン』(73年)の後半なんかは特に思い入れがあるのだから我ながら勝手なもんである。いや、筆者が70年代ヒーローたちの苦悩に横槍を入れるのも、いわば彼らに対する屈折した愛情の裏返しなのである。


 この70年代ヒーローの苦悩は、その後80年代以降になると半ば慣習化してヒーロー作品に存在することになる。というのも、やはり戦うことは命懸けなのだから、戦いに苦労を感じるということは実に自然な人間心理である。なので、ある意味ヒーロー作品の中において、70年代ヒーローの苦悩は普遍的なものとして定着することになるのは当然であった。



 しかし先に述べたように、『メガレンジャー』は「正義感より好奇心で戦うヒーロー」というコンセプトである。このコンセプトは、『メガレンジャー』は戦うことを楽しんでいるというものだ。戦うことを楽しんでいるというのはある意味好戦的ではあるが、裏を返せば『メガレンジャー』は(戦うことに伴うスリル感なども含むが)人助けをするためなら躊躇なく戦場に赴き、そのことに心から喜びを感じている数少ないヒーローだったといえる。


 そういう意味では『メガレンジャー』は悪者に被害にあっている一般市民に対して失礼ではない珍しいヒーローだったのである。そして、この好奇心で戦うヒーローというコンセプトは、同時にヒーローの「熱血」という感情をあまり描かないということになり、これによって『メガレンジャー』はドラマにおけるヒーロー自身の心理描写が従来のヒーロー作品とは大きく違ったのである。それによって『メガレンジャー』は従来のヒーロー作品とはややニュアンスの異なる人間ドラマを展開した異色の作品となった。


 筆者は熱血ドラマも好きだが、これはこれで魅力を感じた。ヒーローが命懸けの戦いに苦労を感じず(つまり熱血しないで)、戦いのスリルも含めてゲーム感覚で、人々を守るための戦いを楽しんでいるというのは不自然な心理である。これによって『メガレンジャー』は作品世界がある意味リアリティーのないものになってしまった(そもそも高校生が戦士に選抜されて、高校をやめずに学生生活もエンジョイしながら戦っていること自体がリアルではないのだが・笑)。
 しかし、なにもリアリティーばかりが大事でもあるまい。


 また、ヒーローが熱血しないことにより(厳密には熱血もしているのだろうが、そこに余裕が漂っていることにより)、ドラマのテンションが若干(じゃっかん)低い印象を感じる時もしばしばではあった。しかし、筆者はこの部分も慣れると軽妙さが魅力的に思えるようになってしまった。



 先に述べた『ゴーゴーV』にはない『メガレン』の挑戦的なものとは、この「熱血ヒーローの否定」という点であった(「否定」という言葉が不適切ならば「熱血ヒーローからの離脱」と言い換えてもよい)。この要素は、戦隊シリーズのみならず特撮ヒーローものそのものの中でも異彩を放っていた異色のコンセプトであった。


 『ゴーゴーV』も戦闘による二次災害の救助活動をオミットせずに描いた挑戦作だ。しかし、この場合はあくまで戦隊シリーズの中で異色というだけで、特撮ヒーローもの全体で見てしまうと、すでにレスキューポリスシリーズという前例があるために決して際立って異色ということはないのである。そうは言っても、先に述べたように刑事ドラマではないことや、レギュラーの敵が存在する点など、レスキューポリスシリーズとも差別化されている部分はちゃんとあるのだが。


レスキューテーマ


 むしろ、『ゴーゴーV』を見て筆者が驚いたのは、レギュラーの敵が存在するのにも関わらず、ちゃんとレスキューの描写を忘れずにいて、それがキチンとドラマのテーマになっているという点だろう。筆者が『ゴーゴーV』がレスキュー戦隊だという話を聞いたとき、どうせ始めの話だけレスキュー戦隊で、あとで普通の戦隊になっちゃうのだろう、とタカをくくっていた。
 しかし実際はもう2クール目であるのに、まだレスキュー戦隊であることを制作者側が忘れていないようで、この部分は偉い。レギュラーの敵が存在する場合、レギュラーの敵がいなかったレスキューポリスシリーズより、ともすればレスキューの描写を忘れてしまい、従来的なヒーローものの枠に収まりやすいと思うので、この部分は制作者側はかなり苦労しているところなのではなかろうか。


 蛇足だが、本作の2号ロボ・グランドライナー初登場編の前編、12話「決死の新連結合体」(脚本・武上純希)のストーリーは、戦闘による二次災害の救助活動をドラマの中心に置いた作品の一本だ。この回は敵の怪人に襲われた強盗が死にそうになるが、それをゴーゴーVが犯罪者でも人間だからと言って助けて、強盗が改心するというストーリーだった。


 だが筆者は、実はこれと全く同じといえるストーリーが他の特撮ものの中にあったのを思い出してしまった。それは『恐竜大戦争アイゼンボーグ』(77年・円谷プロ)の12話「生か! 死か! 激流に賭ける命』(脚本・阿部桂一)だ。この回も脱獄した凶悪犯が怪獣に襲われて死にそうになり、それをゲストの警察官が「凶悪犯だって人間だ」と言って助けて、ラストで脱獄囚が改心するというストーリーで、『ゴーゴーV』のグランドライナー初登場編の前編とほぼ同じ展開だった。


 この手の話は、わりと刑事ドラマでありがちな話のようなので、グランドライナー初登場編の前編はやや類型的なストーリーだったともいえ、もう一ひねり欲しかった。例えばゴーゴーVが助けてやっても強盗が改心しないで終わるとか……。でも、この回を見て『アイゼンボーグ』なんか思い出していたのは、日本で筆者だけだろうなー!?


家族テーマ


 本作はドラマ的に見ると、救助活動のドラマと、もうひとつ家族の人間ドラマという縦糸がある。ヒーロー側のレギュラーが全て家族で構成されているので、家族の絆がテーマの作品も多く、このドラマでもいろいろな展開を見せているのが興味深い。


 特にマイク真木氏が演じる巽5兄妹の父親である巽世界(たつみ・モンド)がいい味を出したキャラクターで、今後の活躍に期待大という感じ(マイク真木氏は学生時代、特撮の現場でアルバイトをしていたそうだが、何の作品だったのだろう?)。


 思えば前作『星獣戦隊ギンガマン』(98年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19981229/p1)も、ヒーロー側のレギュラーがほとんど幼馴染みで家族に近いニュアンスを持っていて、この設定がいろいろなドラマを生んでいたが、本作も然(しか)りといった感じだ。
 『ギンガマン』と本作のドラマの違いは、『ギンガマン』には父親に相当するキャラクターがいなかったが、本作は父親がいるという点だ。『ギンガマン』には後見役として動かない大木に人間型の顔が付いて人語をしゃべる知恵の樹モークというキャラクターがいたが、これは主人公たちとは幼馴染みではないため、このキャラクターを父親に置き換えて解釈することはできないだろう。


 『ゴーゴーV』の場合、父親が10年間行方不明になっていたり、なにかと大ボケをかましたりして周囲を混乱させるトラブルメーカーなのが面白い。シリーズ初期はゴーゴーVが敵と戦っているときに釣りをしてたとかタコ焼きを焼いてたとかで、エピローグに5人から「おとーさん!!」と怒られるというパターンがあって面白かった。また、父親が10年間の行方不明の間に母親が死亡しているという設定もあり、第2話「竜巻く災魔一族!」ではこの設定による、父親と兄妹のシリアスな確執(かくしつ)のドラマもあった。



 武上純希氏がメインライターの作品の場合、『メガレンジャー』にしろ東宝製作の戦隊もの電脳警察サイバーコップ』(88年)にせよ、主人公がトラブルメーカーという作品が多かったが、今回は主人公たちの父親がトラブルメーカーなのが、従来の武上純希氏の作品とは印象が異なる点である。
 主人公の巽5兄妹の長男・ゴーレッド=巽マトイはむしろ少々口うるさいくらいの完璧主義者である。口うるさい完璧主義者というキャラクターは、以前にも『ギンガマン』のギンガグリーン=ハヤテや『メガレンジャー』のメガブラックがいたが、そのわりに彼らと違いマトイはやや三枚目であるところが面白く、この設定が粋(いき)のいい会話のやり取りやドラマを生んでいる。


 『ギンガマン』と『ゴーゴーV』の家族のドラマの共通する要素は、家族とはいつも一緒にいるとウザったいが、いざ失いかけると寂しい存在だという点で、この部分は結構現実的かつ現代的で説得力のある家族の描写であると思う。これに比べると同じく家族(といっても両親はいないので兄弟)をテーマにしていた『地球戦隊ファイブマン』(90年)はやや仲の良い家族に描き過ぎたのではないかと思える(たまに対立もしていたようだが)。


 実は戦隊シリーズは『ファイブマン』においてもヒーロー側のレギュラーが全て家族(兄弟)で構成されているという設定があり、『ゴーゴーV』のヒーロー側の設定はそうやって見ると戦隊シリーズの中ではあまり新鮮な設定ではない。しかし、主人公側が家族(兄弟)であるという設定が、『ファイブマン』ではあまり生かされていなかったように個人的には思えるので、『ゴーゴーV』は主人公側が家族であるという設定を生かし切った作品として独自性をそれなりに持っていると思える。


 また、『ゴーゴーV』と『ファイブマン』の設定の違いとして、『ゴーゴーV』の場合、敵のキャラクター・災魔(サイマ)一族までもが家族であり兄弟だという設定がある。当初はこの設定を生かして『ファイブマン』と差別化するのかと思ったが、現時点では敵のキャラクターも家族だという設定はあまり生かされていないようだ。


 はじめ筆者は、ゴーゴーVの5人は“ポジティブな家族の絆”を象徴させて、悪意はなくても独り善がりな愛、相手を独占しようとする愛、愛はあっても相手を支配し服従させる裏の気持ちを相対化できていなかったり、子供を甘やかしすぎたり、子供のワガママに言いなりになりすぎたりする知恵に欠ける愛、逆に干渉して面倒を見すぎて自立・独立心を失わせたり、あるいは厳しくしすぎたりしてスポイルする(駄目にする)妄愛などの“ネガティブな家族の絆”を敵側に象徴させて対比させるのかと思った。が、現段階ではそこまで描いていない。


 一部のエピソードで敵幹部(兄弟)同士がお互いを軽蔑しているような台詞(せりふ)があることから、あるいは『ビーファイターカブト』(96年)の敵軍団メルザード一族のように、敵をただの仲の悪い家族ということにしてしまい、


・仲の良い家族のゴーゴーVたちを正義
・仲の悪い家族の災魔一族を悪


 という単純な左右の二元論のような対比を作ろうとしているのかも知れない。もしもそうなら“家族の絆”というものを、やや楽観的・一面的に“善”としてだけ捉えているような気がする。仲が良く絆も強い家族のダークサイドも見せてこそ、物事の多面性や行き過ぎた場合の逆説などの深みが出てくると思うのだが。ただまあメインターゲットの幼児には分かりそうもない描写だし、子供番組でそこまでやる必然性もないといえばない(笑)。



 以上、『メガレンジャー』に寄り道しながらではあったが、『ゴーゴーV』という作品の総体的なことを述べてきた。


 では、ここから先は断片的に、作品の印象に残ったところを論じてみたい。


特撮


 『ゴーゴーV』の第1話「救急戦士! 起(た)つ」は、全編の半分以上が特撮という意欲作。


 思えば『超力戦隊オーレンジャー』(95年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20110926/p1)以来、戦隊シリーズは年に一度、全編の半分以上が特撮という派手なエピソードを用意するという傾向がある。


・『超力戦隊オーレンジャー』(95年)では、33話「5大ロボ大暴れ」
・『激走戦隊カーレンジャー』(96年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20110521/p1)では、VRVマシン初登場の30話「衝撃のデビュー! はたらく車!!」~31話「フルモデルチェンジだ! VRVロボ
・『電磁戦隊メガレンジャー』(97年)では、メガボイジャー初登場の回と、32話「終わりか!? 絶体絶命ギャラクシーメガ


 などがそれに当たる(……って年に一度といいながら、『星獣戦隊ギンガマン』(98年)にはなかったけれど)。


 それらは大体シリーズの途中、クリスマス商戦に備えた秋口の作品で、往々に3号ロボ登場編であることが多かった。


 しかし、『ゴーゴーV』ではのっけからこの手の派手なエピソードをやってしまうのに驚いた。しかもその特撮のクオリティーが大変高いことがさらなる驚きであった。ミニチュアワークの出来は今さら言うまでもないが、やはりデジタル合成の技術に驚かされる。ビデオ合成より画質が優れている点だけでも評価できるのに、実に複雑な合成が可能なようで、この技術があれば基本的に撮れない画(え)はないのでは? と思えるほどだ。


 ビクトリーロボの合体シーンは、個人的にはどちらかといえば前作『ギンガマン』の2号ロボ・ギガライノス、3号ロボ・ギガフェニックスの合体シーンの方がインパクトがあった。というのも、このギガライノスとギガフェニックスの合体シーンは、合体シーン用の変形メカのプロップ(ミニチュア)と着ぐるみを合成してしまうという離れ技をやっていて、これが驚異的な出来だったからだ。このシーンのどこが驚異的かというと、合体シーン用の変形プロップが、画面の中で動いているのに、その動きに合わせて着ぐるみも動いているというところだった。


 しかし、マニアの間では、この合体シーンはあまり話題にならず、むしろ『ゴーゴーV』のビクトリーロボ合体のシーンの方が話題になっていて、はじめはなぜこれがそんなに話題になるのか分からなかった。あとで判明した理由のひとつは、ビクトリーロボの合体は飛行できない合体メカ(消防車などの車両)を飛行できる合体メカ(グリーンホバー)が一つ一つワイヤーでつり上げて合体させるのがリアルだということで話題になっていたというのである。


 たしかに戦隊シリーズでロボットが合体するシーンは、なぜ合体するメカが全て空中に浮かんで飛行しているのかが謎であり、その謎にアンサーを出したという意味ではかつてない合体シーンだったのかも知れない。しかし筆者からすると、みんなそんなことがそんなに気になるのかなぁ、とも思えてしまった。


 戦隊シリーズでロボットに合体するメカが全て空中に浮かんでいるのが謎でも、それで海外翻案版の『パワーレンジャー』シリーズ(93年〜・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20080518/p1)は世界に通用したのだからいいではないかと思うのだが。この「非リアルで荒唐無稽な楽しさ」をはるか下に見て、「リアルでなくてはいけない」というように一部の(多くの?)特撮マニアが反射的に思ってしまうのは、やはり70年代末期〜80年代初頭の初期『宇宙船』ライターたちの意見の呪縛から、特撮マニアがいまだに解かれていないことを現わしている。


 ビクトリーロボの合体は1話のワイヤーでつり上げるものよりも、2話以降のハシゴ消防車・レッドラダーがラダーアーム(ハシゴ兼・両腕)を延ばして、下半身のみのビクトリーウォーカーの腰に掴まって自力で乗っかるものの方がよっぽど奇抜で斬新のように思えるのだが。


巨大ロボットのデザイン


 ロボットといえばやはり、キャラクタートイマニアの話題をさらっている2号ロボ・グランドライナーについてふれなくてはならないだろう。
 はじめ1号ロボのビクトリーロボのデザインを見た時、そのあまりの保守的なデザインにバンダイの玩具やロボットのデザインを評価してきた筆者でも面喰らったものだった。全体的な印象は、『高速戦隊ターボレンジャー』(89年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20191014/p1)のターボロボにそっくりだ。これはターボロボは歴代戦隊ロボで一番オモチャが売れたものだから、ターボロボに似せればオモチャが売れるという計算をバンダイがしているのでは? と思った。
 だが、この推測は間違っていた。ビクトリーロボのデザインがどこかしら味気なかったのは、ビクトリーロボはあくまでグランドライナーの付属のロボットだったからなのだ。グランドライナーはデザインが大変斬新かつスマートで、合体する上にビクトリーロボを搭載するというかつてないギミックを持っているのだから凄い。


 グランドライナーは黒を基調にしたデザインで、これは実は『太陽戦隊サンバルカン』(81年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20120206/p1)のサンバルカンロボのときに提案され却下された色だということはあまり知られていない。サンバルカンロボの初期デザインは決定デザインで青く塗られている部分が黒く、それが諸般の事情で変更になったそうだ。青に変更された理由ははっきりとは分からないが、恐らく悪役風に見えるということからの変更だったのだろう。


 同時期にバンダイは、ロボットアニメ『黄金戦士ゴールドライタン』(81年)のアイシーライタンや、同じくロボットアニメ『六神合体ゴッドマーズ』(81年)のシン(ゴッドマーズの右足になる)で、黒いヒーローロボを登場させており(いずれも主役メカではないが)、恐らくその流れでサンバルカンロボの初期デザインは青い部分が黒くデザインされていたと思える(放映開始が最も早いサンバルカンロボのデザインが一番先行していたと思われるので、流れの端緒にあったと言うべきか)。
 『機動戦士Z(ゼータ)ガンダム』(85年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060325/p1)の中盤から敵メカとして登場するサイコガンダムも、ロボット玩具・超合金シリーズなどの生みの親で70年代から活躍するバンダイ側の有名な玩具デザイナー・村上克司(むらかみ・かつし)氏によるデザインで、当初のサイコガンダムのデザインは主役のロボットとしてデザインされたものだったが、このサイコガンダムも黒いデザインだった。


 そしてグランドライナーサンバルカンロボ以来、まさに18年の歳月を経(へ)てようやく実現した黒い戦隊ロボだったのである。


 グランドライナーといえば、顔が踏切になっているというアイデアインパクトがあっていい味を出している。ただちょっと分かりづらいのが残念。
 劇中の合体シーンで、顔の目を覆っている角(ツノ)――と、おもちゃの説明書には書いているが、要するに両耳の金色のアンテナ状のもの――が起き上がる映像に踏切のカンカンカンという音が挿入された時、目を覆っている角が踏切の棒であり、額の2個のランプは踏切の赤ランプをイメージしたものだとはじめて気が付いたのだった。
 もっともあまりにも踏切そのもののデザインにしてしまうと、今度はヒーローロボとしてカッコ悪くなるので(コメディタッチのテレビアニメ『タイムボカン』(75年)シリーズのギャグをねらった敵メカのようになってしまう)、難しいところなのだろうが。


 顔が踏切というグランドライナーのデザインは、ある意味ヒゲガンダム――『ターンA(エー)ガンダム』(99年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19990809/p1)のマニア間での俗称。主役メカに長大なチョビヒゲが付いているように見える――に匹敵するインパクトを持っているといえる(筆者はヒゲガンダムのデザインは肯定してますよ)。
 しかし、ヒゲガンダムはデザインがどうこうより、番組の内容がイカレているのをなんとかして欲しい(笑)。実は筆者の自宅は『ターンAガンダム』を作っているアニメ制作会社・サンライズの本社ビルの近所なのだが、うちの近所であんな訳の分からない作品を作っているかと思うと恐ろしい。富野サンは最近髪をそっちゃったけど、ひょっとして脳改造でもされておかしくなっちゃったのではないだろうか?(笑) ヒゲガンダムを見てると今の富野サンは正常じゃないように思えるので……脳手術する時って髪の毛剃るからねー(ヒゲガンダムを本気で作品的に駄目だと言っているわけではないので念のため)。


 ちなみにサンライズの本社ビルの近くの本屋さんでは、『富野由悠季全仕事―1964−1999』(99年・キネマ旬報社ISBN:4873765145)が平積みで一番目立つところに置いて売っておりました。やはり地元の義理なのだろうか?


音楽


 マニア的に見て、『ゴーゴーV』である意味一番話題をふりまいているのは、音楽が渡辺俊幸氏であるということかも知れない。
 渡辺俊幸氏といえば70年代のアニメ・特撮ヒーローものの音楽で有名な渡辺宙明(わたなべ・みちあき)氏の実子で、NHK大河ドラマ毛利元就(もうり・もとなり)』(97年)の音楽を担当したこともある著名な作曲家だ。渡辺宙明氏の音楽と渡辺俊幸氏の音楽とは音楽の専攻ジャンル自体が異なるので、筆者としてはこの両氏の音楽を比較してどうこう言うつもりはない。


 しかし、渡辺俊幸氏の音楽で気になるところは、本人が意図しているほどハリウッド的な曲に聞こえないということだ。いくら大編成で演奏しても、所詮日本人の作曲したクラッシックの曲という感じで、欧米人の作曲した曲、即ちハリウッド的な曲にはあまり聞こえない。『ゴーゴーV』のサントラ『「救急戦隊ゴーゴーファイブ」ザ・スコア1』(99年・ASIN:B00005EQ6Q)のライナーのインタビューで渡辺氏曰(いわ)く、


 「メロディーがはっきりした曲はハリウッド的に聞こえない曲になってしまうことが多く、メロディーがはっきりした曲でハリウッド的な曲は滅多にない(大意)」


 と言っているが、これは筆者としては少々疑問だ。前年の『ギンガマン』の佐橋俊彦氏や、その前の『メガレンジャー』の奥慶一氏(近作に女児向けテレビアニメ『おジャ魔女どれみ』(99年))は、わりと簡単にメロディーがはっきりした上でハリウッド的な曲を書いていたような気がするのだが……


 「メロディーがはっきりした曲でハリウッド的な曲は滅多にない」というのは、単に渡辺俊幸氏自身がそういう曲が書けないというだけではないかと思うが。渡辺氏自身が認めるように、映画音楽というものはメロディーがはっきりした曲でないと作品を見終わったあと記憶に残らないものである。そしてハリウッドの映画音楽にはメロディーがはっきりした曲はたくさん存在すると思うのである。なのでハリウッドの映画音楽には印象的な曲が多いのだ。


 しかし渡辺氏の場合、メロディーがはっきりしない曲の方が辛うじてハリウッド的な曲に聞こえないこともない。「サイマ獣のテーマ」(M34)はハリウッド的な曲に聞こえる曲だが、この曲ははっきりしたメロディーラインのない曲である。
 もっと意地悪く見れば、この曲は奥慶一氏の『メガレンジャー』のBGM「ネジレジア攻撃開始」(M25)に似ていて、この曲からメロディーのパートを抜いてトラックアウトしたような印象である(本作を担当するに当たって、参考に過去の戦隊のBGMを渡辺氏が聞いている可能性は高い)。
 M47の巨大ロボ戦用の曲もハリウッド的に聞こえないこともないが、この曲は某有名クラッシック曲(ホルスト組曲『惑星』中の「火星」)にそっくりで、これと同じような曲を渡辺氏はリアルロボットアニメ『銀河漂流バイファム』(83年)の時にも作っていた。


 そして、メロディーがはっきりした曲である「99(きゅうきゅう)マシンの曲」M25や、「救急戦隊のテーマ」M15、「ビクトリーロボのテーマ」M26は、筆者のお気に入りではあるが、やはり日本人の作曲したクラッシックの曲という印象でハリウッド的な曲には聞こえない。これらの曲がハリウッド的な曲に聞こえないということは、『ゴーゴーV』のサントラのライナーのインタビューで渡辺氏自身が認めている。


 渡辺氏はハリウッドの映画音楽に憧れ、アメリカで音楽の勉強をしたというが、そのわりには佐橋俊彦氏や奥慶一氏に比べるとハリウッド的な曲が思い通り書けないというところがあるのではないだろうか。
 結局、筆者が『ゴーゴーV』で気に入っている曲は、ハリウッド的な曲には聞こえない「99マシンの曲」や「救急戦隊のテーマ」、「ビクトリーロボのテーマ」であり、これらの曲の方が渡辺氏の本来の個性が出ている気がするのだが……。むしろ渡辺氏は変にハリウッド的な曲に憧れを持たずに、日本人の作曲したクラッシックの曲という次元に開き直って作曲した方がいい曲が書けるのではないかとも思う。


脚本


 脚本では、一応メインは武上純希氏だが、個人的に小林靖子女史の作品が印象深い。先にふれた16話「泥棒とサイマの卵」の他にも、8話「救急戦隊活動停止」もお気に入りである。でも、この回は恐らく評価高そうなので他の人が書いていそうだなあ。
 3号ロボ・ライナーボーイ登場編は、どうも小林女史が書かれるらしいので、『メガレンジャー』の時と同じようにメインライター武上純希氏がシリーズ半ばで交代という状況になっているのかもしれない。(後日編註:実際には#21「6番目の新戦士!」が3号ロボ登場編で武上純希氏担当回。『メガレン』のようなメインライターの交代も『ゴーゴーファイブ』には発生しなかった)


 また、脚本に宮下隼一(みやした・じゅんいち)氏が参加しているのは戦隊シリーズ初である。個人的に宮下隼一氏がメインでも良かったのではないかと思ったが。
 武上純希氏はたしかにソツがないが、それゆえまとまりすぎて印象に残らないようなところがあるので……。
 宮下隼一氏の脚本は多少ぎこちない印象を受ける時もあるが、とにかくキャラクター作品に対して大変意欲的な方のようなので、やはりその辺のやる気みたいなものが作品からにじみ出ているような気がするのは筆者だけだろうか。


 宮下隼一氏は『仮面ライダーBLACK(ブラック)』(87年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20001015/p2)からキャラクター作品に参加するが、番組関係者と知り合いの筆者の友人の話だと、宮下隼一氏が東映の堀長文プロデューサー(東映の刑事ドラマの監督出身)に『仮面ライダーブラック』に参加するように誘われた時、宮下氏は「前からキャラクター作品を書きたかった」と言ったのだそうだ。
 武上純希氏の脚本の台詞は、出自的にもどこかしらアニメ的で、実写作品とかみ合わないように感じる時もある(この辺は本作には不参加だが井上敏樹氏の脚本にもいえる)。


 ただし宮下隼一氏の脚本はメインライターにならないとイマイチ面白くないという印象もあるし……。
 ちなみに筆者は、宮下氏のメインライター作品では東映メタルヒーローの『特捜ロボ ジャンパーソン』(93年)や同じく『重甲ビーファイター』(95年)シリーズのファンです。よく叩かれる宮下氏の初メイン作品『特捜エクシードラフト』(92年)後半の“神と悪魔”のハルマゲドン・シリーズも実は結構気に入っているのですが。


 しかし、宮下隼一氏の書いた『ゴーゴーV』の話で、JAC(ジャック。ジャパン・アクション・クラブ)の田邉智恵(たなべ・ちえ)女史がゲストの回である9話「盗まれた能力(ちから)!」があったけど、あの話は田邉女史がJACのスタントマンだということを知らない人が見たら、なにがなにやら意味不明の話だったんじゃないだろうか(笑)。素顔でヒーローの技を使ったりするのには、凄い! と感心していいのか爆笑するべきか困ってしまいました。完全に内輪ウケの話という感じがするんだけど……。


 あと、これはひょっとしてみんな同じことを思っているかも知れないが、東映メタルヒーローシリーズ出身で同枠のレスキューポリスシリーズにおいて老人や弱者のゲストたちによるペーソス(哀感)あふれる人情ドラマ編を数多く執筆してマニア人気も高かった扇澤延男(おおぎざわ・のぶを)氏が戦隊シリーズに参加してほしい。扇澤氏が同時期の東映メタルヒーロー(?)枠の『燃えろ!! ロボコン』(99年)の方を書いているというのはちょっと勿体ない気がする。
 扇澤延男氏は、『月刊ドラマ』のインタビューなどを読むと、実はキャラクター作品自体からそろそろ足を洗いたいというのが本音のようで……。でも、扇澤氏の本来の持ち味はやはりシリアスドラマだと思うので、どうせキャラクター作品を書かせるのなら『ロボコン』より戦隊シリーズのほうが良いのではと思うが……。


 しかし、ここで書いたようなスタッフの采配をどうしろなんていうことは、番組のプロデューサー諸氏がもし読んだら「トーシローがなに言ってんだ!」というふうに、きっとアキれられてしまうのだろうなぁ(汗)。ちなみに扇澤氏の書いた『ロボコン』の脚本では、ロボモグ初登場の回(この回が扇澤氏の初参加)や不良3兄弟の回がわりと気に入っていますが。


監督


 監督は、マニアには独特の映像美で知られる長石多可男(ながいし・たかお)氏がいまだ健在なのがうれしい。しかし、長石氏は最近デジタル合成の使い方ばかりに気を取られ、往年のシュールさがなくなっているようでやや残念(新武器ブイランサー初登場の回、第18話「逆襲のVランサー」がわりとシュールな話だったようだけど、見逃してしまった・汗)。


 デジタル合成を東映作品で本格的に使おうという提案をしたのは長石氏だそうで、おかげで以前に比べて随分見やすくなったと思う。しかし、現在の日本の特撮スタッフの意見を各誌のインタビューで読んでいると、長石氏のようなベテランのほうがデジタル合成を使いたがっていて、若手のスタッフの方がアナログの手作りの良さがいい、とか言っている状況があるようで、なにやらアベコベのような気がしないでもない。


 デジタル合成を使いたがっているベテランのスタッフは長石氏の他に、平成ウルトラの映画版のプロデューサー鈴木清氏がいる。鈴木氏もデジタル合成やCGをどんどん使うように平成ウルトラで活躍する小中和哉(こなか・かずや)監督に指示をしていて、それに対して小中監督はやや抵抗を感じていたようである。


 鈴木清氏は、初期ウルトラで特撮班のカメラマン、『帰ってきたウルトラマン』(71年)で本編のカメラマン、『西遊記』(78年)で特撮監督、『スーパーロボット レッドバロン』(73年)『スーパーロボット マッハバロン』(74年)ではメインで本編監督を務めた人物。この人の演出は凄いので再評価すべき!(『ウルトラマンガイア』の劇場版『ウルトラマンティガウルトラマンダイナ&ウルトラマンガイア 超時空の大決戦』(99年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19981206/p1)も鈴木清氏が御自身で監督して欲しかったと、個人的に思っていたりする)。


 アナログ技術を使いたがる若手のスタッフは小中和哉監督の他に、平成ガメラの特殊美術(特撮美術)の三池敏夫氏がそうだ。三池氏は、映画『ガメラ3 邪神〈イリス〉覚醒』(99年)がそれまでの怪獣特撮よりデジタル合成やCGの比重が高いことを残念がっているようなことを、模型誌月刊ホビージャパン』のインタビューで言っていた。


 ベテランのスタッフがデジタル技術を使いたがり、若手のスタッフがアナログ技術を使いたがる状況とは、思うに若手のスタッフが子供のころにアナログ技術を使って撮られた特撮作品を見て育った世代であるということが大きいのだろう。
 ベテランのスタッフは、今の若手のスタッフが子供のころに見ていた、アナログ技術を使った作品を作っていた側の人間たちである。しかし、ベテランのスタッフがアナログ技術を使って作品を作っていたのは、単に選択肢がアナログ技術しかなかったので、いわば仕方なくその技術を使っていたにすぎない。


 なのでアナログ技術より合理的なデジタル技術が使えるようになると、ベテランのスタッフはデジタル技術をみなこぞって使いたがる。しかし若手のスタッフは、アナログ技術を使って撮られた特撮にいわば原体験的な愛着があるため、むしろアナログ技術を使いたがるのだろう。


 合理的なデジタル技術が使えるのならそれをどんどん使うべし、というベテランのスタッフの意向は分かる。しかし、その反面デジタル技術というのは、どんな画が撮れても当り前の技術なので、使う際にはよっぽど演出的な工夫をしないと、どんなにリアルでも観客や視聴者は驚いてくれないという面もあり、アナログ技術の特撮とはまた違った苦労があると思う。


 また、若手のスタッフがアナログ技術を使って撮られた特撮への原体験的な愛着を持っているということは、それはそれでいいとは思う。しかし、それを持ちすぎると時代遅れの特撮としか見えないものを無自覚に撮ってしまい、一般の映画ファンから失笑を買ってしまうこともありうるので、注意が必要だとも思う。


 監督では、長石多可男氏の他に東映の社員監督である若手の渡辺勝也氏が筆者のお気に入り。だが、初期の作品しか撮っていないところを見ると、どうもローテーションからはずされてしまったのだろうか。
 もともと渡辺勝也氏はそれなりに実力は評価されていても、時間と予算を掛けすぎるらしく制作サイドからはあまり評判が良くないらしい(?)。そのうえ『ゴーゴーV』では、たしか前述の田邉智恵女史がゲストの回か何かで、ロボット戦だけいきなり夜になってしまうという演出ミスがあって、これが命取りとなって降ろされてしまったのだろうか。渡辺勝也氏の演出はテンポの良さと画面構成の重厚さが際立っていて見応えがあったのに残念だ。
 渡辺勝也氏は演出の際、重要なシーンはわざわざ絵コンテを描き起こして撮影に望むのだそうで、この丁寧さが渡辺演出の魅力を生み出しているのだろうと思う。


 と、ここまで書いて気が付いたけど、ひょっとしてこの7月に発売される声優・宮村優子が変身するビテオ版『救急戦隊ゴーゴーファイブ 激突!新たなる超戦士』(99年)の監督って渡辺勝也氏だったんだっけ?(編:ビデオ版を監督するためにローテから外れていた模様・笑)


 プロデューサーの評価が高いらしいメイン監督の小中肇(こなか・はじめ)氏は、もともと助監督としてかなりキャリアの長い人で、『バトルフィーバーJ』(79年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20120130/p1)や『太陽戦隊サンバルカン』(81年)などに助監督で参加。90年代前半辺りでようやく監督デビューし、『世にも奇妙な物語』(90年〜)などを演出していたと記憶している。


 本作でようやくメイン監督の座に付けたわけだが、現時点では長石多可男氏や渡辺勝也氏に比べると際立った個性が感じられないというのが正直な感想だ。小中肇氏自身が演出したというOP(オープニング)とED(エンディング)も、全体的に『メガレンジャー』のOPとEDに似ている印象が否めない。


 助監督としてかなりキャリアの長い方ということは、ある意味で下積みの長い方だったといえるので、こういう方の演出にどうこう言うのは気が引けるのだけど……。小中肇氏の演出は、むしろ本作ではなく『ギンガマン』の31話「呪いの石」の演出が印象的でしたが。そうは言っても今一番筆者が注目しているのは小中監督だったりするので期待しています。


結び


 いろいろ意見や暴言を書いてきたが、7月にはいよいよ大魔女グランディーヌが登場し、これからもっと盛り上がっていくだろう『ゴーゴーV』に期待。



 でも本当に恐ろしいのは大魔女グランディーヌじゃなくて「テポドン2号」だったりするのだけど(この原稿は99年7月3日に脱稿)。


 果たして夏コミまで人類は大丈夫なのでしょうか? 我々日本特撮ファンは、いまから“軟体人間”になった時に備えてヘビの捕まえ方の練習をしておいた方がいいかもしれない!?


(了)
(初出・特撮同人誌『假面特攻隊2000年準備号』(99年8月14日発行)「救急戦隊ゴーゴーファイブ」合評3より抜粋)



(ヤボな後日編註:若い特撮マニアのほとんどは最後のギャグがもう何が何だかわからないと思うので補足しておくと、“軟体人間”うんぬんは封印された東宝特撮映画『ノストラダムスの大予言』(74年)ネタです・汗)


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