假面特攻隊の一寸先は闇!読みにくいブログ(笑)

★★★特撮・アニメ・時代劇・サブカル思想をフォロー!(予定・汗)★★★ ~身辺雑記・小ネタ・ニュース速報の類いはありません

ウルトラマンダイナ1話「新たなる光」〜18話「闇を呼ぶ少女たち」 〜序盤合評3 否!


『ウルトラマンダイナ』評 〜全記事見出し一覧
『平成ウルトラ』シリーズ評 〜全記事見出し一覧
[ウルトラ] 〜全記事見出し一覧
ウルトラマンダイナ 〜序盤合評1 賛!
ウルトラマンダイナ 〜序盤合評2 是々非々!
ウルトラマンダイナ 〜序盤合評4 火星に超古代怪獣を出現させスフィアが憑依せよ!

ウルトラマンダイナ 〜序盤評③

ダイナってなんだ?

(文・内山和正)
(98年上半期執筆・7月脱稿)
 前作『ウルトラマンティガ』(96年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20080913/p1)は、15話「幻の疾走」と28話「うたかたの…」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19961204/p1)の二大傑作こそ心に響いたが、ほかの大半は秀作や佳作として評価はしても好きになれなかった。


 個人的にはみずから積極的に「観たい」という欲求は一切起きなかった。
 同人誌投稿のネタに観ておこうという気持ちと、これまでTVの変身特撮ヒーローものは状況的に不可能な場合をのぞけば子供時代以来ずっと観てきたというマニア的習慣をやぶりたくない思いででかろうじて観ていた。


 そうはいってもツイツイ観なくなることも多かった。
 はじめはまじめに観るつもりでテレビに臨むのに、集中することができず手近にある本を見てしまう、途中で用事ができて席をはなれたらその後あらためて観ることをしなかった、リアルタイムで観られないと「今度ビデオで観よう」と思ったまま観なかった等々。


 私事で恐縮だが、筆者は『ウルトラ』シリーズファンではあるものの、子役女優ファンでもあり、実際早朝から深夜まで観きれないほど子役の出ているTV番組が放送されている現状では、無理してまで『ウルトラ』をチェックするまでの興味・関心を『ティガ』『ダイナ』という2作品からはいだかなかったのだ。


 なぜ面白くなかったか? その理由を考えてみると


1.これまでのシリーズと関係ない世界である。
2.(子供番組としては相対的に)難しい。
3.子供番組としてのヒーロー性が希薄。
4.新しいヒーローでありながら特殊能力などに新しさがない
5.子供への配慮がない。
6.自分勝手な思いだが、僕が現代の『ウルトラ』に望みたいことはすこしも実現されていない。
7.「現代のウルトラ」であることが、ある一面でしか考慮されていない。
8.言葉にできない拒否感がある。


 もっともっとあると思うのだが大体これらのうちのどれかに該当するだろうし、これら自体重なりあっているわけだ。


 まず1.についてだが企画が発表されたときは個人的には相当に落ち込んだ。
 一昨年95年に各誌で発表されてお流れになった『ウルトラマンネオス』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971115/p1)が放送されなかったこと自体も残念だったのだが、『ウルトラマンネオス』の要素が踏襲されていれば、『ネオス』がなくなったことは我慢もできただろう。


 『ネオス』の企画の骨子がひさしぶりにウルトラの星のヒーロー組織を意識したものであったことがあまりにも魅力的だったからだ。
 けれど、この「悲しみ」や「痛み」は消えるものではなく未だに尾をひいているものの、一応わりきって16年ぶりに開始されたTVシリーズ『ウルトラマンティガ』は観たのだ。
 2話「石の神話」などは怪獣中心で怪獣の神秘的能力やそれらが巻き起こす怪事件を中心にしたオーソドックスな部分とスタッフが今やりたいこと(超古代文明)の結合に納得もしていた。
 だから1.はこれほどまでに好めないことの直接的な理由ではなく、残る7つの項目が理由となる。


 最も直接的な理由は、3話「悪魔の預言(よげん)」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19961201/p1)を観たときの
 「これは子供番組ではなくマニア向けの深夜番組の感覚ではないか。金をかけた深夜番組だ」
 との想いだった。それ以来まじめに取り組むことができなくなってしまった。


 7つの項目についてひとつひとつ分析していては無闇にダラダラと長くなりそうで読者を退屈にさせるので、本題が『ウルトラマンティガ』についての文章ではないこともあり、言いたいことを直截(ちょくせつ)に言ってしまおう。


 幼児はともかく小学生以上の大半の子供たちにとって、変身ヒーローものというジャンルはいまや必要なジャンルではない。マニア層こそが『ウルトラ』の復活をのぞんでいる。
 そのような時代背景を意味して、ハード志向のマニアとファン出身のスタッフが大人になった自分たちが観たかった『ウルトラ』を求めた作品であったと限定して言うなら、「現代のウルトラ」としては考慮されているといえる。


 しかし、『ウルトラ』が本来は子供番組だと考えて、現代の子供たちの鑑賞にたえる努力がなされたかといえば、「現代のウルトラ」としては考慮されていないと僕には見える。
 そして予想どおり子供たちの反応は良くなかったという。視聴率も悪かった。子供たちが成長すれば評価してくれるとの希望的観測を口にするスタッフ・マニアもいる。


 たしかにそうかもしれない。しかし少しでも子供のときに「良かった」との記憶・印象がなければ、もう一度観てみようとの気にはならないのではないか。
 彼らが大人になったとき、昨97年春から大人気を博して今年98年夏の劇場版アニメも大ヒットが予想されているTVゲーム出自のTVアニメ『ポケットモンスター』(97年)はふりかえっても、『ウルトラ』はふりかえらないのではないか。
 (後日付記:ポケモン映画第1作『劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲』(98年)の配給収入は、41億5千万円(21世紀以降の「興行収入」基準だと75億4千万円!)。対する映画『ウルトラマンティガウルトラマンダイナ 光の星の戦士たち』(98年)の配給収入は、その約10分の1の4億5千万円にすぎない)


 TBS系の毎日新聞における『ウルトラマンダイナ』の製作発表会見の記事によると、円谷プロ毎日放送(大阪)から、
 「『ティガ』は子供に受けなかったとの表明がなされ、『ダイナ』はその反省によって子供が楽しめる形をめざす(大意)」
 ことが発表された。
 「新番組は今までとはちがう」ことを示して、観てもらおうとの考えはあっただろうが、自社系の作品の負けをみとめた態度には感心したし、新番組に期待した。


 『ウルトラマンティガ』の最終回(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19961207/p1)、子供たちが光になった。あのシーンの意図についてはさまざまな説があるが、何であろうと子供をあのような形で出すべきでなかったと思う。子供たちをあくまで外側(大人の視点)からでしか描かなかった『ティガ』のするべきことではない。
 『ティガ』は『ティガ』らしく大人の世界でおわってその分次作は徹底的に子供番組らしくつくってほしい、そのときの僕はそう思った。


 しかし『ウルトラマンダイナ』第1話・第2話を観てあまり変わっていないのにガックリした。
 主人公アスカが相手の股間を攻撃することなどは幼児はよろこぶかもしれないが、軍隊的なアクの強い世界観にしろ、宇宙開拓にしろ表面でやっていることが『ティガ』とちがうだけで、根本は変わらず子供のにおいのない大人の世界なのだ。
 また、単に前作の七年後の世界というだけではなく、つながりのある第1話なのに、前作のメインキャラクターがひとりも出ないのは、子供たちにわかりにくいのではないだろうか。子供たちの心に訴えず頭で考えた世界と思えた。


 つづく第3話以降も、1・2話にくらべればくつろいだストーリーが多く『ティガ』より判りやすいものの、あいかわらず子供たちの生活と接点はなかった。
 アスカと気が強いヒロイン・リョウの関係なども(今回観かえして僕個人としては良いと思ったものの)、大人世代向けというか通好みのように感じられた。


 平成の『ゴジラ』シリーズと平成『ガメラ』シリーズとどちらが優れているかとか、平成『ゴジラ』のほうが子供向けだとかの意見がマニア間で戦わされてきたが、アレはまさしくマニアの論争であって、自分たちが観て「子供っぽい・質が低い」と思うものが、即子供たちに喜ばれると考えるのは短慮である。
 僕も理想の子供向け番組というものをそのように安直に反転させて考えているわけではない。


 平成『ガメラ』派に幼稚、タイムパラドックスなどがオカシイと批難される怪獣映画『ゴジラVSキングギドラ』(91年)を僕は初見のとき楽しんだが、あの奇想の楽しさ(批判者にとってのバカバカしさ)は子供では実感できないと思う。
 メカキングギドラなどはキングギドラが過去の「偉大な存在」だと任じているからこそ彼がメカにされるという冒瀆(ぼうとく)に驚嘆できたのだ。


 おなじように、ストーリーが前よりわかりやすいとか主人公がバカだというだけでは、根本的な改良にはならないだろう。
 たしかに視聴率はわずかにUPしたようだが、アニメ雑誌月刊ニュータイプ』誌に掲載されているアニメ・特撮の視聴率表を見ると、特撮ヒーロー系の番組の視聴率順位は


1.東映メタルヒーロー(『カブタック』)シリーズ
2.スーパー戦隊シリーズ(日曜朝に移動した『電磁戦隊メガレンジャー』(97年))
3.ウルトラシリーズ


 の順でほぼ安定しており(まれに変わることもあるが)、子供たちの興味の度合いを如実に示している。


 とはいえアスカ役のつるの剛士(たけし)氏はロケ先などで子供たちによく蹴られるそうで、アスカというバカなキャラクターが親しまれ認知されてはいるようだ。
 これを財産として子供たちにもバカにされるアスカ……というシーンをひんぱんに出したらどうかと思うのだが。


 スタッフの方々が子供向けとしてふっきれないのは、本当にやりたいことが『ウルトラマンティガ』のようなものであるせいと、「ウルトラマンはこういうものだ」とのこだわりがつよすぎるせいではないか。
 仮に子供向けの作品をつくろうとしたいのだとしても、自分たちの子供時代しか見えていないようにも思える。


 長年の子役マニアとしての拙い経験で言わせてもらえば、
 90年代に入ってからのチャイドルたちの台頭が、旧来の子役ファンのみでなく、彼女たちの同世代の子供・女児たちの後押しがあったことや(正確には年長のアイドルファンからもだが)、
 かっては次世代の修業兼、顔見せ期間であったジャニーズJr.(ジュニア)が、少女たちの心をとらえ既に一人前のアイドルになっているように、現在の子供たちの心をとらえるためには、光を宿した小学生・中学生の男女の主役化が必要ではないか、と強く強く思う。


 ジャニーズのアイドルグループ・V6(ブイシックス)の長野博氏を起用してスタッフの方が喜んでいたとき、大人のマニアのためにはこれで良いかもしれないが(事実好評であったし、予想以上にがんばっておられたが)、子供たちの大きな人気を得るには僕は間違っていると思った。
 氏では子供たちにはおじさんである。


 古い形態は捨て、子供たちの目線に立ってワンダーをさがす、新時代の『ウルトラ』はそこからはじめるべきではないか。
 そのような本音はともかく、なるべく偏見をすててあらためて『ウルトラマンダイナ』を観ることにした。
 まじめにとりくんだらそれなりに楽しめた。
 必要以上に嫌ってしまった点も多かったことに気づいた。


#1「新たなる光」(前編)

(脚本・長谷川圭一 監督・小中和哉 特技監督・大岡新一)

#2「新たなる光」(後編)

(脚本・長谷川圭一 監督・小中和哉 特技監督・大岡新一)
 前記参照。

#3「目覚めよアスカ」

(脚本・吉田伸 監督・石井てるよし 特技監督・佐川和夫)
 再生怪獣グロッシーナに寄生する宇宙寄生獣サイクロメトラの設定は面白いものの、良くも悪くも定型的なストーリー。ヒビキ隊長のやさしさが光り1・2話とはちがうマイルドな作品。
 アスカが先輩隊員たちより優れた能力を持っていたり、変身不可能になってしまったり、捨て身になったら変身できたりと『帰ってきたウルトラマン』(71年)を意識しているのだろう。
 『ダイナ』は過去のウルトラシリーズでの変身時間3分間の設定とカラータイマーをいかそうとしたとのことで、この回や次回などでは強調されている。結局カラータイマーを強調する描写は『ダイナ』という作品に定着はしなかったが、過去の設定に固執するあたり貧乏性。
 たしかに魅力的な設定ではあっただろうが、絶対的に必要な設定とも思えない(またM78星雲のウルトラ兄弟を出すときが来たらとりいれてほしいが)。使うにしても5分くらいにして本当の時間とあわせ時間経過を画面に表示するとかしたらどうか。

#4「決戦! 地中都市」

(脚本・右田昌万 監督・石井てるよし 特技監督・佐川和夫)
 はじめて赤色主体に変化したウルトラマンダイナ・パワータイプ登場。遅すぎやしないか。
 テーマは悪くないが前半の社長の描きかたが無軌道な悪人に見えるため説得力を欠くのでは。

#5「ウイニングショット」

(脚本・古怒田健志 監督・原田昌樹 特技監督・北浦嗣巳)
 日本人の大リーガーが傷ついて帰国するのは時代を反映しすぎてはいないかと思いもするが、未来はもっと渡米する野球選手が増えるだろうから問題ないか。
 スケジュール的に出番を多くとれないかと思われたマイ隊員(イエローキャブ事務所出身の山田まりや)をはじめて全面に出し、彼女がやたらファンになりたがるミーハーな性格であるとの設定を築いた回。もっとも第2話のダイナへの熱狂が正確には最初といえるかもしれないが。
 「ボールがあんなに堅いなんて知らなかった」「デッドボールで再起不能になる奴もいるんだ」とのマイとアスカのセリフが野球音痴の僕には実感をもって迫った。
 昆虫怪獣シルドロンの特殊能力がヒーローものとして魅力的。

#6「地上最大の怪獣」

(脚本・武上純希 監督・原田昌樹 特技監督・北浦嗣巳)
 放送前、「(ネオフロンティア)世界観に合いそうもない野球ネタや茸ネタも考慮されているらしい」とT.SATO隊長から聞いていたが(編註:ネオフロンティア・オンリーを危惧していたため当時は好意的な意味での発言)、前回も今回も『ダイナ』らしい作品に仕上がった。
 特に今回などは連想していた『ウルトラマンタロウ』(73年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20071202/p1)っぽい明朗なモノではなくシリアスタッチのものだった。
 映像は凄い。青色主体のウルトラマンダイナ・ミラクルタイプで危機を破るのは納得できるし、キノコ怪獣の複数化などはたのしい。でもまた幼児にわかりにくそうな設定で傾向的には好きではない。
 ヒロイン・リョウの活躍編でもあるが苦境の度合いや描写が物足りないし、前半におけるアスカをリョウが励ますエピソードが後半のストーリーと特につながりをもたないなど、完成度より見せ場をたくさん用意したという感じ。

#7「箱の中のともだち」

(脚本・川上英幸 監督・村石宏實 特技監督・村石宏實&満留浩昌)
 怪獣災害で両親をなくした孤児たちの施設、そしてそれを慰問するアスカとリョウとの設定に現実的視点が感じられ興味をもてた。
 友好怪獣をとらえにきた悪役に見えるダイス星人が善側で、ペット的な怪獣が悪役との逆転劇が魅力。
 ユカ役の子役・山下未来(やました・みく)は個人的には好みのタイプではなかったので必要以上には注目しなかったが、一部でかなり熱中的なファンをもつ子役だという。

#8「遥かなるバオーン」

(脚本・太田愛 監督&特技監督・村石宏實)
 「何かといえば今度は第二期ウルトラ風(71〜74年)か、新しいものを示せないのか」というのが放送時の感想で途中からまじめに観なかった。
 今回観てみてスーパーGUTSのギャグチックな怪獣攻略作戦とか、ノンビリした大らかな村人たちとかには、他のマニアや本誌寄稿者が言うほどにはひかれなかった。
 アドバルーンを見て街に出たがる催眠怪獣バオーンとかヘンな外人博士が眠っているテントのほうへ向かうバオーンにより結果的にひきおこされる被害をふせごうとしてのアスカ=ダイナの奮闘、それがたのしかった。

#9「二千匹の襲撃」

(脚本・長谷川圭一 監督・石井てるよし 特技監督・佐川和夫)
 序盤、暗闇のなかの闘いが長くて見難い。
 あとは本誌前号(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971201/p1http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971202/p1)でほかの執筆者の方々が寄稿されている感想と同じなので言及せず。

#10「禁断の地上絵」

(脚本・右田昌万 監督・石井てるよし 特技監督・佐川和夫)
 前号の執筆者の方々の意見に特につけくわえることもなし。
 偽者だけでなく本物の博士一家もうさんくさい暗さを感じさせるのが疑問。

#11「幻の遊星」

(脚本・川上英幸 監督&特技監督・原田昌樹)
 ひさしぶりの宇宙開拓がらみのストーリー。最初からうさんくさい星だが、結局「うまい話はなかった」というもの。
 進出・開拓などたやすくできるものではないが、このような失敗のマイナスイメージばかり観せられては、作品の持つ「希望」イメージに水をさされると放送時思ったもの。
 だが、番組を観つづけてきた今思うには、この番組は開発・開拓のロマンを描くことではなく、宇宙進出に向けて人類がどのような取り組み(設備等)をしているか、それを見せたいだけなのではと思えてきた。
 ナカジマ隊員とアスカ、カリヤ隊員とリョウのコンビで遊星を歩かせ謎を出し、あきらかにしていく形で隊員たちの個性を見せていく。特にナカジマは小心さと科学面での有効さの両面を示している。
 『ティガ』のマスコット小怪獣デバンも本作の迷子珍獣ハネジローもこれまでの友好怪獣にくらべると何か可愛さがたりない気がする。
 ハネジローは見つづけているうちに可愛く思えるようになっていったが、こういうキャラクターなら出番が少ないのは疑問。もっともっと生かすべきではないか。

#12「怪盗ヒマラ」

(脚本・太田愛 監督&特技監督・原田昌樹)
 今回が初視聴である。
 放送のとき、あるいはその数日後中にビデオで観ていればもっと前向きに『ダイナ』を観るつもりになっていたかもしれない。それほど気にいった。
 美しい美しい夕焼けの街、それを赤い布で覆うだけで奪ってしまう怪盗宇宙人ヒマラのマジシャンぶり。動きのない夕焼けの街、そのなかに閉じ込められた人々。これだけのことに何故かときめく。
 地上から消えた街が宇宙へ転送されたのなら、そのときに発した移動エネルギーを探知してどこにあるかわかるとの科学的あじつけの妙。それが否定される展開の妙。


 街はヒマラの小箱の中にあった。アスカらの発したゼレット(スーパーGUTSの自動車)のレーダー電波が一瞬、箱からもれたことで地球を去る直前にヒマラのたくらみは露見する。このあたり怪盗の神秘さとセコさが両方示されている。
 前回につづきナカジマの隊員らしくない臆病さが魅力的に描かれ、これが以降のスタンダードになったならよかったのにと残念に思う。
 ダイナとヒマラの戦いの場が、急に非現実な空間に移ってしまうことには僕もとまどいがなかったわけではないが、不思議時空でもヒマラ空間でもよいではないか。二宮金次郎の像が数多く配された不思議なオブジェ空間の美が魂をひきつけてしまうのだ。

#13「怪獣工場」

(脚本・川上英幸 監督&特技監督・北浦嗣巳)
 この作品の良さについては本誌前号の寄稿者が語っておられるのであまり言うこともないが、冒頭のタケシ少年の嘘言などまじめなタッチではじまり、三面ロボ頭獣ガラオンがけして弱くないことやタケシの母の描きかたなど笑いだけでない部分を持たせることによって、よけい笑いが生きているのだと思う。

#14「月に眠る覇王」

(脚本・古怒田健志 監督&特技監督・北浦嗣巳)
 月の王家の谷を調査したカリヤ隊員と調査員たちがヌアザ星人の霊魂に乗り移られるモノ。
 全体的にはそれほど新鮮さもないが、はじめ基地に入りこんだ侵略者のサスペンスを中心としたものかと思わせて、次に対立する二組の宇宙人モノであったことがわかり、カリヤに乗り移った悪いほうの宇宙人がスーパーGUTSをだますのかと思えば、こちらの正体をスーパーGUTSはお見通しだった! ……という展開が面白い。

#15「優しい標的」

(脚本・長谷川圭一 監督&特技監督・村石宏實)
 マイが友好的宇宙人のふりをしたスパイ宇宙人シオンにだまされる話。
 マイを案じるリョウ、シオンをうたがうリョウを憎んでしまうマイ、それでもマイの心を守ろうとするリョウ……
 とそれらしい話だが、クサくとも印象的なセリフが続出する。
 それらのセリフ群のなかでは月並みなモノながら
 「本当は私が信じたかったからかな、やさしい宇宙人もいるって。マイのように信じたかった、私が……」
 との心情の吐露が、強気のヒロイン・リョウの多面性と本エピソードを魅力的に見せていた。

#16「激闘! 怪獣島」

(脚本・川上英幸 監督&特技監督・村石宏實)
 本放送の際には
 「ダイナ版『怪獣無法地帯』(初代『ウルトラマン』8話)か」
 と思い、旧作のイメージ・モチーフを安易にくりかえす傾向に不快感があった。
 その批判は今もあるが、無心に観てみると「怪獣もの」としての楽しさがあり不快感は消えた。
 また再登場する前作の『ティガ』怪獣シルバゴンの習性をコウダ隊員が口にするあたり、平成シリーズならでの配慮も見られる。
 「怪獣をクローン化して人間と共存させ、外敵を迎えうたせる」とのオオトモ博士の考えは条件を付ければ正しくないとは言い切れないだけに、悪い考えであるとしか劇中で価値判断されていないのは残念だ。
 さまざまな開拓・開発を肯定的に描く『ダイナ』世界おいて、「生命」に手をつけることだけは禁忌として統一されているようで、それはそれで良いのかもしれないが、後向きすぎるのではないかとも思う。

#17「幽霊宇宙船」

(脚本・右田昌万 監督・石井てるよし 特技監督・佐川和夫)
 これより三作は平成版・冬の怪奇シリーズ(第2期ウルトラシリーズ)というところか、怪奇的モチーフがつづく。それらの中では本作が一番怖いのではないだろうか。
 人々の魂をうばう光を発し、魂をエネルギーに飛ぶ宇宙船。宇宙船の通った場所は青黒くなって倒れた人々で満ち、ゴーストタウンが生まれるという設定が恐怖感を呼ぶ……
 のだが、宇宙船のなかに侵入したアスカが「リョウ、出てこいよ」というと、本当にリョウの魂が姿をあらわすのには笑えた。
 魂をぬかれかけながら
 「まだまだやりてぇことはあるんだ!」
 と立ち上がり変身するパワフルさ・生命力はアスカらしい。
 幽霊船怪獣ゾンバイユの斬新なデザインが生彩をはなつ。

#18「闇を呼ぶ少女たち」

(脚本・長谷川圭一 監督・石井てるよし 特技監督・佐川和夫)
 冒頭で被害にあう性格悪そうな女子高生役の井村翔子(『仮面ライダーBLACK RX』(88年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20001016/p1)で主人公が下宿する佐原家の娘・ひとみちゃん役で特撮マニア間ではおなじみ)をはじめ、女生徒役には、実写ドラマ版『エコエコアザラク』(97年)の今村理恵・つぐみ、『電磁戦隊メガレンジャー』(97年)後半準レギュラーの重光絵美、とほとんどジャンル女優で占められている『ダイナ』版『エコエコアザラク』。
 おそらくその手の趣味の方たちには嬉しい回なのだろう。子役ファンの僕としては井村がなつかしい程度だが。
 悪魔をエネルギー生命体と定義してウルトラマンダイナが戦える物理的な敵にしているが、いろいろな部分で理解できない、科学的ではなくともオカルトなりに合理的な説明がしきれていないことが残る。
 テーマが露骨に描かれているため、ひとを恨むことをやめ友情をとりもどした女子高生たちが、悪魔を封じこめようと手をにぎりあい力をあわせるシーンの「ミズキとサキの手ってこんなにあったかかったんだ」とのセリフなど恥ずかしい。
 女子高生たちに「どんなときもあきらめない!」と告げて飛び出していくアスカだが、その後すぐに変身してしまうのだから、あきらめないアスカの姿など彼女たちは見ていないのではないか。



 19話以降、『ダイナ』への印象は好転していく。続きの感想は別途。


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊99年準備号』(98年8月15日発行)「ウルトラマンダイナ」中盤合評①前半より抜粋)


[関連記事] 〜内山氏による『ダイナ』各話評・つづき

ウルトラマンダイナ#20「少年宇宙人」 〜中盤合評2 #19「夢幻の鳥」〜#44「金星の雪」

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971208/p1


[関連記事] 〜ウルトラシリーズ第1話!

ウルトラマンエース#1「輝け! ウルトラ五兄弟」

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060514/p1

ウルトラマンダイナ#1「新たなる光(前編)」

  (当該記事)

ウルトラマンネクサス#1「Episode.01夜襲 ―ナイトレイド―」

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20041108/p1

ウルトラギャラクシー大怪獣バトル#1「怪獣無法惑星」 〜第1シリーズ序盤合評

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20080427/p1