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ウルトラマンティガ1話「光を継ぐもの」〜15話「幻の疾走」 〜序盤合評1

『ウルトラマントリガー』前半総括 ~『ティガ』らしさは看板だけ!? 後日談かつリメイク! 昭和・Z・ギャラファイともリンク!
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ウルトラマンティガ』 〜序盤評①

(文・T.SATO)
(1996年11〜12月執筆)

#1「光を継ぐもの」

(脚本・右田昌万 監督・松原信吾 特技監督・高野宏一)
(視聴率:関東8.6% 中部6.7% 関西7.0%)


 アニメ映画『ウルトラマンUSA』(87年・日本公開89年)・日豪合作『ウルトラマングレート』(90年)・日米合作『ウルトラマンパワード』(93年)と同様に、『ウルトラQ』&初代『ウルトラマン』(共に66年)~『ウルトラマン80(エイティ)』(80年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971121/p1)までの同一世界を舞台とした作品世界とはつながりを持たない、16年ぶりのTVシリーズ新作となった『ウルトラマンティガ』(96年)。


 その#1では、日本の東北地方の山中の奥深くに「見えない巨大ピラミッド」と「見えない3体の巨人の石像」が隠されていたとして、その地を目指してモンゴルやイースター島から復活した超古代怪獣2頭が明らかなる目的意識を持って、巨人像を破壊するために日本へと次第に近づいてくる……といったストーリーになっている。
 しかして、3体のうちの2体の巨人像までは超古代怪獣に破壊されてしまう! そのとき、怪獣の攻撃で撃墜されて墜落していかんとする戦闘機を操縦していた防衛組織の主人公青年の身体が「光」となって、最後の1体である巨人の石像にエネルギーとして注がれた! すると、生気を取り戻したかのようにして復活を遂げた巨人ことウルトラマン
 ウルトラマンは勇ましく戦って、翼竜型の超古代怪獣メルバはその必殺光線で撃破したものの、二足歩行の恐竜型の超古代怪獣ゴルザは取り逃したのであった……。



 日本の東北地方の見えないピラミッド(笑)は、このテのフィクション・ジャリ番のお約束だからまだイイ。しかし、怪獣出現に際して非武装組織だとはいえ街を守るための迎撃にも向かわずに、遺跡である「ティガの巨人」像の復活を方を優先してしまう防衛隊。なぜかティガの石像に過剰にこだわってしまっている主人公ダイゴ青年などの人物リアクションの不自然が気になる(尺の都合でカットされたのだろうか?)。でも、したり顔で溜め息まじりに嘆いてみせる辛気クサい論法は好みではないので、今後の「後付け補足」やストーリー展開に期待するとしよう。


 人物リアクションがギャグながら卓抜で、「リアル」というなら「リアルロボアニメ」や「ジブリアニメ」よりもコレだろう! というTVアニメ『ママはぽよぽよザウルス』(95年)が終了に追い込まれてしまったのは痛いのだが、後番が我らが『ウルトラ』シリーズの最新作だから許してあげよう(笑)。
 要は「リアリティ」や「それらしさ」といったモノは、「大きなウソはイイが、小さなウソはイケナイ」という格言に従うのであれば、それは風景やディテールやリアルシミュレーション的な意味での「物理的なリアリティ」などよりも、怪事件や特殊状況に遭遇したときの登場人物たちの当然取りうるであろうリアクション、いわば精神・感情的な意味での「心理的なリアリティ」に効いてくるのだとも私見をするのだ(そもそもの発端の「怪事件」なり「怪獣(巨大生物や宇宙人)」なりが、どうあがいても非現実・非リアルの極致でもある事象であるからだ)。
 むろんこの有名な格言が人口に膾炙(かいしゃ)するモノだからといって、ありとあらゆるドラマ一般の批評に使える万能なツール(道具)である! などと絶対視をする気もないけれど。この格言と「心理的なリアリティ」を逆手に取って、フツーにはありえない人物リアクションを確信犯で描いてみせれば、「ギャグ漫画」や非リアルな「不条理劇」・「喜劇」などを構築・作劇することにもつながっていくのだろうし、またはそれらの作品についての批評な解題にも、このツールは逆用ができるのだとも考えるのだ。


 のっけから脱線してしまったが、そーいう小ムズカしい話はともかくとして……。
 ……ところで、本作にもウルトラ兄弟は出ねェの? 『ウルトラマングレート』、いや『ウルトラマン80』以降、そういう作品ばかりだったのではなかろうか? 今の児童誌でもアレだけウルトラ兄弟たちを共演させておきながら、子供たちへの裏切りではなかろうか!?(笑) ウルトラマンティガの危機にウルトラマングレートが参上、グレートは日本人に逆変身していて人間体を、原典では外人主人公の吹き替えを演じていた京本政樹に演じさせて話題性も作るとか! そーいうイベント編をなぜにやらないのかなぁ……。
 年長マニア間では本邦初のマニア向け書籍が発行された70年代末期以降、ウルトラ兄弟共演否定のムキが強硬にあることは知ってはいるけれども、「強者集結のカタルシス」は『水滸伝』以来の千年にもおよぶ王道パターンなのだ! バンダイが歴代ウルトラ戦士のソフトビニール人形を売るために横槍を入れてくれることを切に望む(笑)。


(以上、#1視聴時点で執筆)



 満を持して登場……というよりも急遽製作決定とあいなった『ウルトラマンティガ』。もともとはウルトラマンネオスウルトラセブン21(ツーワン)という初のダブルウルトラヒーロー主役作品である『ウルラマンネオス』(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20210530/p1)として進行していてマニア誌や幼児誌にも発表されていた企画が、なぜ『ウルトラマンティガ』に変更されたのか?


 マニア間に漏れ伝わるウワサが筆者の耳にも入ってくる。もちろん一次ソースに当たってシッカリ裏付けを取ったワケではないが(他の同人屋・マニアさまだって同様でしょうけど・笑)、総合すると以下のような事情が憶測される。円谷プロFC(ファンクラブ)会誌では、「『ネオス&21』応援箱」という番組アイデアや要望の募集コーナーが存在していた。しかし、96年3月ごろ(だったかな?)に自然消滅して、本コーナーに投稿していたヒト宛てに、『ネオス』はビデオや映画・TVスペシャルとして進行していく旨の書簡が配布された。要するにお流れである。


 各種の諸事情があったのだろうが、商業的な理由はひとつ想定できる。ソフビ人形が先行発売されていたウルトラマンネオスウルトラセブン21であったが、TV化が大幅に遅れたためにターゲットたる子供たちにすでにある程度流通しきっており、今さらでは商品展開上のメリットがウスいこと。よって、バンダイからの「新番組は新たなウルトラマンで行きたい」との要望により『ウルトラマンティガ』誕生とあいなった面もあるのではなかろうか?(東京のTBSから大阪のMBSへの変更の件はおいといて……)


 このような事実(?)について反発をおぼえる御仁もおられるであろう。しかし、人間の世が貨幣経済で成り立つのが必然である以上は、商業主義をイタズラに否定するべきではなく、それで飯を喰っているヒトもいるわけで、今期の売り上げが減ればボーナスも減って人生計画に支障が生じるとか、マイホームの購入が夢のまた夢になってしまうとか、ローンが払えなくなってヤバい、手放そうか(笑)。
 そーいうヒトもいるかもしれないと気を巡らすと、マニアの純粋な願望(……世間知らずともいう……。もっと世間にもまれろい!・笑)なんてものは無視をしても構わない程度のものだろう(暴言)。オモチャ業界の賃金体系とかは実際にドーなのかは知らないけど。


 さて本編だが、かなりの好印象、大健闘している感がある。少なくとも筆者はハマっている状態に近い……。


 作品評価というものはムズカしいもので、比較対象がテキトーでないかもしれないけど、客観的(主観的?)には『ウルトラマンティガ』初期編とで比較するならば、同時期の東映メタルヒーロー『BF(ビーファイター)カブト』(96年)の夏から秋にかけての先代BF客演編〜新BF・ビーファイターヤンマ登場編の方が、ドラマ的にも盛り上がっているしテンションも高いと思うのだけれども、やっぱり筆者は『ウルトラ』世代(笑)。


 ドラマやテーマの出来やテンションの高低ではなく、私的な感覚の次元で、16年ぶりのTV『ウルトラ』の復活に対して断然ワクワクしてしまうのだ。少なくとも90年代『ウルトラ』作品としては、販売ビデオ展開の『ウルトラマングレート』と『ウルトラマンパワード』の出来を早くも超えたと評することに異論を差しはさむヒトは少ないだろう(『グレート』は個人的にはまぁまぁスキなのですけど。ただし、映画『ウルトラQザ・ムービー 星の伝説』(90年)については論外です・汗)。


 実は筆者は、『グレート』『パワード』の今ひとつのストーリーテリングを見ていて、このレベルのストーリー・ドラマしか現在のスタッフが作れないのであれば、もっとイイ意味で話を単純化・図式化して、レギュラー敵などを出してシンプルなカタルシスを得られる攻防話にし、その図式の上で登場人物に肉付けを施(ほどこ)したり、さらに若干のストーリーバリエーション・変化球のパターン破りにともなう感慨の妙などをねらった方が、安全パイかつスタッフにとっても作りやすいのでは? などと考えていた。が、それは杞憂だった。ストーリーのレベルは及第点をラクラクとクリアしている。

 
 ストーリーの問題は解決。すると次に気になることは、作り手がマニア上がりであるために、いわゆる異色作・アンチテーゼ編を作りたがるであろうことへの懸念である。


 筆者もマニアだから人一倍、人後に落ちないくらいにアンチテーゼ編や社会派テーマ編の話がスキではある。しかし、それらはシリーズ後半にやるから光るのであって(しかもレギュラーキャラの人物像がある程度は定着したあとだからこそ、深刻なテーマに対するレギュラーのリアクションにもそらぞらしくはない自然な説得力がやどって感情移入ができるのであって)、たとえば『ウルトラマン80』#4(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100523/p1)の段階で早くも怪獣退治のフォーマットをくずして怪獣親子を助けてしまうとか、『ウルトラマングレート』#3でもゲストの少年が怪獣と融合(?)してしまって、さらにはラストで新しい生命に進化して空へ飛んでいってしまうとか(笑)、『ウルトラマンパワード』に至っては怪獣レッドキングジャミラザンボラーゴモラと、シリーズの1/3近くがシメッぽいアンチテーゼ編じみた話になる現状はいかがなものだろうか?


 本来、このテの特撮変身ヒーロー番組のTVシリーズの初期編なりシリーズ前半は、もっと娯楽活劇作品としてのスカッとした爽快さを、ヒーローや防衛隊の設定や能力・強さ・頼もしさやレギュラー陣の性格こそを中心に描いて、その世界観を確立すべきであるのに、そーいう王道・屋台骨を忘れてしまって、変化球の高尚なテーマばかりをやろうとするような末端肥大な作劇を行なっている風潮はよろしくないと考える。こんな状況では、『ウルトラ』が復活してシリーズ化されたとしても2~3年はアンチテーゼ編的な話はやらないほうがイイのでは? と思っていたくらいだ。


 ……で、『ティガ』本編なのだけど。筆者みたいなスレたマニアのさらに上を行く展開で一本取られたというか、気持ちよい不意討ちを喰わされたというか……(笑)。


#2「石の神話」

(脚本・右田昌万 監督・松原信吾 特技監督・高野宏一)
(視聴率:関東8.9% 中部6.3% 関西9.4%)


 人間を「石」と化してしまう、ギリシャ神話の女怪物・メデューサのごとき、シブめの褐色な地味めの体色でもある四足歩行の怪獣ガクマが登場!
 一度はレギュラーの防衛組織・GUTSがその科学的な超兵器による撃だけでこの怪獣ガクマを倒してみせることで、防衛隊の強さ・カッコよさ・頼もしさが担保されているあたりは快感だしうれしくもある。
 しかして、それだけではウルトラマンの必要性はなくなってしまう。そこで、怪獣ガクマを倒したあとに、もう1体の同族別個体の怪獣ガクマが出現することで、武器を使い果たしてしまった防衛組織はドーする!? といったストーリーにすることで、ウルトラマンにも見せ場を与えることを忘れない(笑)。この同話については、文脈の都合で後述もさせていただきたい。


#3「悪魔の預言(よげん)」

(脚本・小中千昭 監督・村石宏實 特技監督・神澤信一)
(視聴率:関東6.5% 中部5.2% 関西8.4%)


 スマートな人型体型の敵キャラクターにして、白黒モノトーンの彩色でその体表の模様が土俗的な縄文土器をも連想させる、炎魔戦士キリエロド人が登場!


 ストーリー自体は面白い。多数のミニチュアが登場するビル街の特撮もスゴい! 白昼オープン撮影でのビルの連続爆破(『ウルトラマンネオス』のパイロットに登場したビルが次々と爆発。〜後日付記:このシーンはのちの『ウルトラマンメビウス』(06年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070506/p1)に至るまで平成ウルトラにおいてバンクとして流用されまくる)や、夜間のライトアップされたビル街での巨大バトルなど。


 しかし、展開がナゾの敵の正体におよんで、往年の『ウルトラセブン』#42「ノンマルトの使者」における今では海底に逼塞している地球原人ノンマルトのような地球の先住民(?)であることが判明。その件(くだん)のキリエル人(びと)が、超古代文明出自のウルトラマンティガよりも古い自身の出自から堂々と正統性を主張して、ティガを糾弾するにいたっては「オイオイオイ、#3でヒーローを早くも相対化してドーするんだよ、シリーズを通じていくうちに確立した盤石な存在に揺さぶりかけるから深み&衝撃が出るのであって、それほどに確立されていないうちからヒーローを揺さぶっても喜ぶのは我々のような年長マニアだけで、子供たちにとっては響かないのではなかろうか?」という危惧の念を抱いてしまう……。


 ところが! 人間の姿から巨大化変身したキリエル人ことキリエロイドvsティガとのバトルで、ティガが苦戦に陥(おちい)るや、防衛隊・GUTS(ガッツ)のイルマ女性隊長がこう叫ぶ!


「私は信じてるわ! あなたが……私たちを守り導いてくれることを!」


 オオッ! このセリフはたしかにSF的には合理的ではない。リアリズムで考え出してしまうと、歴代ウルトラシリーズとは世界観を刷新したウルトラマンとのファースト・コンタクトを描いている本作において、まだ2回した人類を救った実績しかないティガが常に人類の味方であり正義の味方であるという保証はドコにもないのだ(笑)。しかし、そこに真正直にシリーズの序盤から焦点を当ててしまうと、メインターゲットである子供にとってはわかりにくい内容になるし、まずは無条件であこがれることができる強くてカッコいいヒーローたりえなくもなってしまう。


 そこまでとっさに内心で高速演算してみせると、ちょっとしたスパイスとしての「ヒーローの相対化」、しかして最後にはそこで終わらず非合理ではあっても「ヒーローの肯定」へと作品は転換していき、そのイルマ隊長による応援の言葉に呼応するかのようにして、ティガは苦境を脱出してその必殺光線で敵にトドメを刺してみせる!
 「SF的なアンチテーゼ性」と「子供番組的なヒロイズム」のなんという絶妙なる両立! つまりは変身ヒーローものとして、最終的にはヒーローをしっかりと立てるカタチ、ヒーローを魅力的に描こうというカタチでオチを付けてくれたのであった! 大満足!!


(いや、実はホントはスタッフたちは、前者の「SF的なアンチテーゼ性」だけで押したくて、後者の「子供番組的なヒロイズム」はイヤイヤながらの妥協の産物としてのオチだったのかもしれないが・笑)


(後日付記:以上のごとくに筆者個人は同エピソードに対して好意的な読み方をていたモノなのだが、多くの特撮マニア連中は、そして多くの作り手たち自身も(たしか本話の脚本家・小中千昭(こなか・ちあき)ご自身も?・汗)、合理的な根拠もなくヒーローをイルマ隊長が信じてみせたことが気に入らなかったようである(汗)。たしかに合理的に考えれば、その通りではあるのだ。しかしそのような感慨は、幼児の嗜好・心理を配慮できていない、変身モノにかぎらず勧善懲悪・ヒーロー娯楽活劇作品といったモノの特性を考慮できていない、70年代末期以来の当時にして15年一日な、80年代前半に早くもリアルロボットアニメが陥ってしまった物語的袋小路を知らないのか、その相対化ができていない、年長マニアにしか眼が向いていないリアル・ハード・シリアス至上主義の弊にハマってしまっている視点にすぎないとも思うのだ)


#4「サ・ヨ・ナ・ラ地球」

(脚本・宮沢秀則 監督・村石宏實 特技監督・神澤信一)
(視聴率:関東6.5% 中部4.5% 関西6.0%)


 宇宙飛行士&宇宙船ジュピター3号がまるごと未知の発光するエネルギー生命(?)によって怪獣化されてしまい(複合怪獣リガトロン)、その対応に苦悩するシンジョウ隊員というお話。


 この話も要するに初代『ウルトラマン』(66年)における西欧某国の宇宙飛行士が水がない異星の地で怪獣化してしまったジャミラが地球に復讐に来る話、アンチテーゼ編としての名作である#23「故郷は地球」のパターンの応用に過ぎない。あぁー、やっぱり現今の脚本家はアンチテーゼ編的なテーマをやりたがってるのかぁ~と溜め息をついてしまう。


 ストーリー展開が原典とは少々ちがってはいても微量なバリエーションの範疇を出ないのならば、しょせんプロワークならぬアマワークだなと失望したところだろう。真の解決には至らずに、非情な現実に対する告発・問題提起で終わっていたジャミラ的な話を、こんなシリーズ初期編でやるのは単独のストーリーとしてはまぁまぁ面白いのだけれども引っかかるよなぁ、と訝しんでいたら……。


 オオッ、これも作品テーマをアンチテーゼ風味やSF性・人間ドラマ性から娯楽活劇ヒロイズムの方向へとじょじょにズラしていって、シンジョウ隊員も物語の後半では職業人としての自覚のセリフをひとこと与えられる(これ重要)ことで割り切って、怪獣と同化している宇宙飛行士たちの精神に働きかけてダウナーな展開ではなくポジティブなヒューマニズムの方が勝利する展開へと持っていく! そーいうことも口頭での生々しくてややクサい説得でやられてしまうとベタになって鼻についてもしまうものなのだが、そこはそれ、元はメカである宇宙船でもあった巨大怪獣に対して、通信でアットホームな家族の団欒光景である写真映像のデータを送ってみせるというあたりのワンクッションの置きようもウマイ。


 ラスト、宇宙飛行士たちが「光」となって昇天していくあたりはリアルであるとはいえないけど、『ウルトラ』シリーズが文学的・ロマンチックなものをも許容するイイ意味での適度にユルい世界観だから許せるしナットクもできるのだ。もちろん、こういうポエム・詩的な描写は平成『ゴジラ』シリーズや平成『ガメラ』シリーズの世界観では許されないモノではあるだろう(笑〜ただし、各シリーズの世界観のリアリズムの基準線をじょじょにユルい方向へとズラしていけばまた別なのだけど)。


 人間であった宇宙飛行士たちが「光」になるという描写も、#1~2において説明されたウルトラマンティガの本体や主人公・ダイゴ青年本人が「光」であると明言された世界観を、画面の外側で視聴者側が脳内の片隅に持っているからこそ違和感をウスめることができていたのだろう。もちろん怪獣の中に取り込まれてしまった宇宙飛行士たちが安易にラストで人間の姿で復活してしまったならば、幼児はともかく年長マニア視線では御都合主義のそしりは免れなかったことだろう(笑)。そう考えると、人間の姿に戻っての帰還は叶わなかったものの「光」としては生存もしくは昇天できているといったオチは、非常に妥当にして気持ちのよい終わり方になっていたとも思うのだ。


 むろん「光」としての昇天うんぬん、家族団欒の写真を転送することでの「ヒューマニズム」の勝利うんぬんについては、就学児童ならばともかく幼児にはイマイチ理解ができない、ややハイブロウな描写ではあるだろう。それに子供たちが見たいのは、カッコいいヒーローが悪をやっつけることで生じる勝利のカタルシスでもあるからだ。
 だから、「光」(=宇宙飛行士たち)が分離するかたちで怪獣自体は残存し、それに対してティガが必殺光線でトドメを刺して、キッチリと幼年層にもカタルシスを味あわせて、ティガのヒーロー性をアピールしたことについても、製作者側の健全なバランス感覚を感じさせてくれてうれしい。


 ……参りました(アッサリ)。かくして筆者は『ティガ』の軍門に降ったのでありました。


(本話に登場した宇宙船の名前が「ジュピター3号」だと聞くと、腐れウルトラシリーズオタクの筆者などは、観測衛星・ジュピター2号が登場した『ウルトラマンエース』(72年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070429/p1)の隠れた娯楽活劇の佳作#45「大ピンチ! エースを救え!」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070310/p1)などを思い出してしまう。だから本話は該当話への間接的なオマージュなのだ! などと云いたくなってくるのだが、そーいう事実は残念ながらナイのだろうな、きっと・笑)



 むろん、『ティガ』についての不満や気になる点がないワケではない。映像面については少し次元がちがうことになるので後述するとして、ストーリーやドラマ面・キャラ設定面などでは少々の不満がある。


 これはゼイタクで倒錯した要望なのかもしれないが、もっと単純な攻防話も一方にあって然るべきではなかろうか?


 それと、やはり主役青年たるダイゴ隊員の設定や描写が少なすぎることだ。そして、幼児にアピールするためにもウルトラマンティガ自身にもう少しハデハデなヒーロー性があってもバチは当たらないのではないかという点(大方の古典的な特撮マニアは、このジミさやストイックさに満足なのであろうが、そーいう見方はいまどきの商業作品として、あるいは幼児向け作品の評価法なり作劇術としてまちがっているとも思うのだ)。


 一応、両腕をL字型に組んで発射する必殺光線を発射する直前には、腰の左右に拳をかまえてから両手を前面にX字型にクロスさせて、サッと左右に両腕を大きくVの字型に広げる2段階を要するタメのポーズを取ってはいる。
 けれど、むろん東映ヒーローほどにする必要はないものの、変身直後〜登場時なども、おなじみの右拳の頭上上げポーズから構えのファイティングポーズになる途中で、もう一振りや二振りほどの両腕をブルンブルンと振り回すようなポーズを取らせるなどしてもイイのではなかろうか? それでカットを細かく割って都度ズームで寄るとか。これくらいは媚びても許されるでしょ。まぁ単純に筆者がそーいう演出がスキな通俗的な人間だから、こんなことを主張しているのだが(笑)。


 あとバトルBGMも、巨大ヒーローものだからといって重厚ぎみにせず、もっとアップテンポ曲でもイイのではなかろか?(#5以降は、バトルシーンに主題歌やエンディング副主題歌を併用することで解決したけれど)。


 #3と#4を肴(さかな)にアンチーゼ編主導の作劇における弊害を論じてきたが、以下は特にテーマや視聴尺度を設けずにザックバランにカンタンな各話評をつづっていこう。


#5「怪獣が出てきた日」

(脚本・小中千昭 監督・川崎郷太 特技監督・北浦嗣巳)
(視聴率:関東6.5% 中部6.7% 関西6.1%)


 世代人ならばご存じのことだろう。1970年代後半の南太平洋で恐竜時代のプレシオサウルスのような腐乱死体が漁船に水揚げされたニュースと、クレーンで吊るされたその白黒写真のことを。実際にはプレシオサウルスではなかったのだけれども、そこから着想を得たかのような海岸に打ち上げられたゾンビ怪獣シーリザーズの死体! しかし、それは仮死状態に過ぎなくて、怪獣が息を吹き返して暴れ出すというストーリー。


 原稿執筆時点(96年11月30日=#13放映日)では、私的には最高のお気に入り! 怪獣の出現〜進行! そして、それを阻止せんとするGUTS。次々と意表を突いていく怪獣の生態と行動。その都度、即座に対処作戦を展開していくムナカタ副隊長の知謀と丁々発止!


 この場合は、ヘタにシメった人間ドラマなどは要らない。ストーリー展開の妙で魅せていき、その線上にてキャラクターの魅力(特にムナカタのヤリ手ぶり、上に立つものとして必要な剛腹ぶり)を散りばめていく手法が取られていることを指摘しておきたい。そーいう作劇も方法論のひとつにはあるのだと。


 あと、劇中にニュース映像ではなく、ワイドショーの映像を流すところなども痛快! ニュース映像の挿入であれば、長年の特撮マニアであれば新『ゴジラ』(84年)復活以前の10何年も前から(後日付記:96年当時から見た10何年前のことです・汗)、だれでも一度以上は考えてきたことではあろうし「今さら何だかなぁ~」という感慨を抱いてしまうのだが(筆者個人がスレすぎてしまったせいかもしれないが・汗)。……こいつぁ、また一本取られたゼ!


 やはり白眉は、街のひとびとのインタビュー映像である! あの庶民・大衆たちの無責任極まりない発言の数々が堪らなくイイ(笑)。もちろん現実世界での庶民の在り方としての「善し悪し」・「価値判断」でいったならば望ましい態度ではない。しかし、フィクション作品とは「良し悪し」といった「価値判断」以前にある、まずは「現実世界の写し絵」・「風刺」といった描写でフック・引っかかり・リアリティーを出していくものでもあるのだから、むしろ積極的にこーいう描写を挿入することでイイのだ!?
 本話の脚本を担当した小中千昭は、90年の湾岸戦争においても散々に識者が警鐘を鳴らしてきた「夜間の中東都市を望遠レンズで捉えた砲撃映像」についても「TVゲーム」のように見えてしまっている我々こと、「非常時に際してこそ発揮されてしまう現代人のバーチャル感覚」についての批判・風刺を込めようとしたのだろうとも推測はする。
 しかし、そんなにムズカしく考えなくても、むかしから「対岸の火事」という言葉もある(汗)。人間というものは、対岸の大災害に恐怖を感じつつ、その被災者にm憐(あわ)れみを抱きつつも、半面では台風が近づいてくるスペクタクルを楽しんだり高揚したりもしてしまうような不謹慎な心理をも持っているものだ(だから「怪獣映画」や「パニック映画」なども成立してしまうのだろう)。そして、それは必ずしも悪いことばかりではない。非常事態に立ち向かっていく人間のバイタリティ・ポジティブさにもつながっていく。そう、江戸の庶民は「対岸の火事」が大スキだったのだ(…… ← 喧嘩と花火だろ・笑)。


#6「セカンド・コンタクト」

(脚本・小中千昭 監督・川崎郷太 特技監督・北浦嗣巳)
(視聴率:関東7.6% 中部6.2% 関西10.3%)


 平成ベムスターか平成ビーコンかというような四角や五角形のようなシルエットを持った、やはりモノトーンな色彩を持った空飛ぶ怪獣である変形怪獣ガゾートが透明プランクトンのような浮遊する集団小生物・クリッターが合体することで登場!


 電波を食する(!)という恐竜・生物型怪獣の常識を超越した、しかしてはるかに超高空である電離層にて独自な生物進化を遂げた生物、というような擬似科学的な設定が「広義のSF」にはなっている(「狭義のSF」ではないけれども……。まぁ筆者は「狭義のSF」、「SF至上主義」のモノサシをこのテの特撮変身ヒーローものに当てはめることには疑問を持っているけれど・笑)。


 大むかしにアメリカのカール・セーガン博士による『COSMOS(コスモス)』(80年)という科学ドキュメント番組でもやっていたような、木星大気圏の想像上の生物なども思い出す。


 前回の#5では、怪獣の特殊生態によって意表を次々と突きまくっていくというストーリーであったが、本話では作品の「テーマ」・「ストーリー展開」・「怪獣の生態」といった3つそれぞれで意表を突きまくっていく。「怪獣の生態」の奇想天外さだけで魅せるのかと思いきや、ホリイ隊員の恩師が調査中に怪獣によって遭難させられることで「復讐譚(ふくしゅうたん)」の様相も見せていき、かと思いきや怪獣の鳴き声が独自の言語であることが判明して、「復讐」ではなく恩師の意志を継いて「怪獣退治」から「怪獣コミュニケート」話へと展開。


 まぁ、怪獣を助けてあげてよし……というような変化球のお話は、個人的にはシリーズの第2クール以降、せめて第1クールの後半以降にまわして、このシリーズ序盤の時期には番組自体の基本フォーマットを確立してほしいし、子供たちにもそーいう番組の型を伝授してほしい考える者ではあるけれど……。
 「現実」は「理論」を凌駕する。「理論」・「リクツ」はそれ自体が「目的」であってはならず、「手段」であり単なる「モノサシ」にすぎないのだから、「理論」は「現実」によって常に洗い直されねばならない。よって、前段で述べてきた主張と少々ムジュンして豹変するけれども……。「面白いからコレでイイや」(笑)。……変節する君子にはご用心、危うきに近寄らずといったところである!?(汗)


 ……などと、思っていたら、「共食い」が習性になっている怪獣にとっての「友だち」という概念自体が、人間とは異なっていることが判明! ストーリーはさらなる変転を見せていく……。いやぁ、脱帽です。ただし、個人的にはフンイキ・演出としては、#5と#3のドライでクールな感じがスキなので、個人的にはそちらに軍配を上げるけど、このお話も大スキになった次第。


 そして、特筆すべきは本話における「特撮」である。北浦嗣巳(きたうら・つぐみ)という御仁は寡聞にして存じあげなかったけれども、そのテのスタッフにくわしいスジに聞いてみたところによると、日本テレビ東宝製作の唐沢寿明(からさわ・としあき)版『西遊記』(94年)でも「特撮監督」を務められていたとのこと。近年の飛躍的にレベルアップを遂げたビデオ合成を駆使した、軽量感・作りもの感が丸出しな「飛び人形」は使わないで重厚感のある「着ぐるみ」そのままを合成素材に使ったことによる、しかもスタジオではなく現実世界の実景が背景となっている空中戦が実にスゴい! まだ若干の違和感があるもののコレだけやってくれれば及第点以上!


 とはいっても、従来の「飛び人形」による空中戦特撮なぞは、今も昭和のむかしでも子供心に違和感アリアリだったのだ。それどころか、そもそもの狭い特撮セットでの怪獣バトル自体も、いや人間が中に入ることでその体型が制限されてしまう「着ぐるみ怪獣」という存在自体が、やはり一般人には違和感があるものではあるのだろう……。かつての石上三登志(いしがみ・みつとし)をはじめ、SF第1世代の批評家やSF作家たち(後日付記:1960年前後生まれの草創期のTVや週刊マンガ誌などで産湯を浸かったオタク第1世代にはあらず。そのさらに10〜20歳も年上である昭和10年前後生まれの戦前戦中生まれの元祖マニア系人種たちのこと)なども、かつては散々にコレを批判・揶揄をしてきたものである。
 むしろ、我々平均的な特撮マニアの方こそが、幼少期からの既成概念としての「そーいうモノだから」といった慣れ親しみに過ぎない理由で、「CG」や「ビデオ合成」の不備よりも「飛び人形」の不備の方を「習慣」として意識しなくなっているだけなのだとも相対化ができるだろう。そー考えれば、ビデオ合成による空中戦の違和感などは、第三者が見れば「着ぐるみ特撮」なり「飛び人形特撮」などの要素と比較しても突出したものではなくむしろ小さくて、好ましいリアルなモノとして映じている可能性も高いだろう。


 ……ウーム、サメた言い方になってしまったな。ありていに云えば、うれしくってコーフンしてこの空中戦だけビデオで何回も見直してばかりいた! と、そーいうことである(笑)。


 しかし、この従来の特撮演出の文法からはブッ飛んでいる空中戦は、失礼ながら御大(おんたい)・高野宏一特撮監督――正式には「特技監督」名義。しかし筆者はヘソ曲がりなので、初期東宝特撮・初期円谷特撮至上主義者たちと差別化するためにも、あえて「特撮監督」だとココで呼称する(笑)――が本話の特撮を担当していたならば、このような「実景」を背景として「着ぐるみ」を「ビデオ合成」にするような空中戦の演出はやらなかったであろうと憶測をするのだ。#1~2の高野トクサツも「良かった」と云っている特撮マニアの知己もいるにはいるのだけれども、端々には新技術が投入されてはいたものの、トータルイメージとしてはセット(スタジオ)での撮影を前提としている旧態依然な怪獣バトルの域を出ていなかったと私見をするのだ。


 北浦氏にこそ、円谷プロ製作の特撮変身ヒーロー『電光超人グリッドマン』(93年)のような作品で、グリッドマンが活躍していたコンピューターワールド内でのバトルを斬新に演出してほしかった! と思うのは筆者だけであろうか? とにかく北浦氏には期待大!


#7「地球に降りてきた男」

(脚本・宮沢秀則 監督・岡田寧 特技監督・高野宏一)
(視聴率:関東7.1% 中部8.1% 関西6.9%)


 平成ザラブ星人こと白銀色の顔面とボディーを持ってはいるけど首はない(汗)人間体型の宇宙人でもある、その別名は「悪質宇宙人」(笑)であるレギュラン星人が登場!


 前話ラストでの予告編を観て、『ティガ』初の宇宙人の登場に狂喜していたのだが……。個人的にはワースト2(……ワースト1は#1である・汗)。初の宇宙人登場話なのに、宇宙人の存在そのものがストーリーの中心ではなく防衛隊・GUTSの紅一点・レナ隊員とその父(『仮面ライダーストロンガー』(75年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20201231/p1)こと荒木しげる!)とのシメっぽい話にしてしまうとは。


 この話を人間ドラマの点で高く評価する知人もいるにはいる。筆者も話によっては「怪獣(宇宙人)」がレギュラー隊員たちの「精神的葛藤」・「障壁」・「乗り越えるべきもの」の「象徴」としての意味しか与えられていないストーリーが存在してもイイとは思ってはいる。しかし、初の宇宙人登場話で、そのようなことはしてほしくはなかったことが気になってスナオに見られなかった。……以上(汗)。


 ラストのティガvsレギュラン星人の空中バトルは前話の北浦トクサツに刺激されたものではなかろうか!?(高野カントク、ゴメンなさい)


 #1では違和感バクハツだったティガ・スカイタイプの必殺光線による怪獣爆発CG(ビデオ合成?)も、今回は細部がこなれてきていて、コレならばOK!(余談だが、今さら発泡スチロールまるだしの怪獣模型爆発は見たくないゾ!)


 なお、一部ではこの回におけるレナ隊員のハリツケ姿が話題になっている(笑)。


(後日付記:怪獣爆発CGについては、あくまでも『ティガ』#7時点での感慨である。『ティガ』中盤以降~次々作『ウルトラマンガイア』(98年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19981206/p1)までのいわゆる平成ウルトラ3部作の怪獣断末魔シーンについては、精巧で出来のよいリアルな怪獣模型をピーカン晴天下のオープン撮影で、大味ではなく実に細かくキレイに小出しに爆発・粉砕させつづけて最後に大爆発! といった実に見事な特撮映像が頻出するようにもなっていく。よって、前言を撤回いたします。出来のよい発泡スチロールによる怪獣模型の爆発シーンはOKです!(笑) まぁこの#7における怪獣爆発CG映像も#1に比すればマシになっていた……という程度の感慨が実は当時のホンネであって、ヒトさまに読ませる文章である以上は、ややキレイごとにして書いておりました・汗)


#8「ハロウィンの夜に」

(脚本・右田昌万 監督・岡田寧 特技監督・村石宏實)
(視聴率:関東8.6% 中部5.7% 関西7.7%)


 抽象芸術のオブジェのような姿にも見える異次元魔女ギランボが登場!


 円谷プロ企画室所属(96年当時)にして、#1~2を担当したメインライター・右田昌万(みぎた・まさかず)による脚本作品。円谷プロの『電光超人グリッドマン』(93年)がデビュー作のお方であるが、筆者も含む特撮マニア諸氏が『グリッドマン』の最高傑作だと目している#33「もうひとりの武史(たけし)」以来、氏には注目している(まぁ、このエピソード自体は『グリッドマン』らしい話ではなく、アンチテーゼ編的な異色作だったけど)。


(後日付記:コレもあくまでも96年の『ティガ』放映開始当初における『グリッドマン』などもチェックをしていたような特撮マニア間での右田昌万に対する感慨。『ティガ』以降の氏に対してはアンチテーゼ編をもっぱらとするような作家のイメージはまるでないのだけれども(汗)、96年当時は異色作「もうひとりの武史」のインパクトの記憶がまだ諸氏の間で絶大だったので、あのエピソードを手掛けた御仁の登板だ! という意識だったのだ。でもまぁ、たとえば『大戦隊ゴーグルファイブ』(82年)〜『地球戦隊ファイブマン』(90年)の長きに渡って、ひとりでほぼ全話を「王道」寄りの内容で執筆されていた曽田博久センセイでさえも、それ以前の初期「戦隊」こと元祖『秘密戦隊ゴレンジャー』(75年)〜『太陽戦隊サンバルカン』(81年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20120206/p1)の時期にサブライターとして書き下ろしていた作品は、いわゆる「変化球」ねらい・「アンチテーゼ編」めいたエピソードが多かったように、メインライターに昇格するとやはり基本設定紹介編や王道フォーマット話を主に手掛けるようになるのは、この世界ではよくあるお話ではあるのだった)


 日本テレビで放映された、氏が脚本を手掛けた平成『ウルトラセブン』(94年)シリーズ2本「太陽エネルギー作戦」と「地球星人の大地」についてはその評価は賛否両論となっている。しかし、元々が政府広報にムリやりに喰い込んだタイアップ作品でもあるのだし、その範疇ではそれなりにソツなくウマくまとめていたとも思うのだ。平成『セブン』は、ドラマも過不足なく存在しており、かといって悪い意味でマニアックな方向にも陥らずに、1時間の長丁場をアキさせないがためにか、本編中でも物語の中盤の随所随所にて人間サイズの星人vs主人公モロボシ・ダンや、防衛隊ことウルトラ警備隊の隊員たちによるバトルなどを挿入するなどして、娯楽活劇作品としてのバランス感覚にも秀れていて、筆者個人は好印象を抱いていた。


(後日付記:とはいえ94年版の続編として企画された、セルビデオ展開の平成『ウルトラセブン』98年版では、メインスタッフやメイン脚本家が変更されたこととも相まってか、物語の中盤にはバトルを一切差し挟まずにヘタくそな人間ドラマを延々とやってくれることで、幻滅させられることになる・笑)


 正直、氏が脚本を担当していた『ティガ』#1は残念ながらも、その出来についてはとても買えなかった。
 しかし、#2「石の神話」については、シンプルなストーリーがらも基本設定紹介編としては充分に条件を満たしていると感じていて、個人的にはスキである。その#2の題材は、「怪獣」とその「神話」的な「特殊能力」それ自体にスポットを当てて、それをエピソードの中核としており、そこから起こった「怪事件」に対するリアクション&攻防を中心に据えていた。
 超古代が出自であるウルトラマン&怪獣という作品世界のバックボーンにもマッチしている、ギリシャ神話の女怪物・メデューサのごとき、その眼光で人間を「石」へと化してしまうという、イイ意味で適度にB級チックかつ「神話」的でもある特殊能力を持った四足怪獣ガクマのイイ意味で鈍重なデザインも魅惑的であった。


 よって、本話もそれなりに期待はしていたのだ。結論からいうとかなり気に入った。
 たしかに、小中千昭脚本的なハード&シリアス志向を、至上の基準にしてしまうと却下されてしまうエピソードなのかもしれない。しかし、第1期ウルトラシリーズのメインライターであった金城哲夫(きんじょう・てつお)自身も、もはや生物とは云いがたい、妖怪に近しい存在である


・伝説怪獣ウー
・高原竜ヒドラ
・地球の先住民ノンマルトの使者の少年の霊(!)


 といった、リアリズムもしくはSF性には乏しい存在を案出してきたのだ。


 昭和ウルトラ怪獣には純粋な「生物」「動物」とは云いがたい、伝説怪獣ウー・伝説怪人ナマハゲ・邪神カイマ(邪神超獣カイマンダ)・閻魔怪獣エンマーゴ・臼怪獣モチロン・三つ首怪獣ファイヤードラコ・相撲怪獣ジヒビキラン・マラソン怪獣イダテンランといった、スピリチュアルな「妖怪」や「精霊」や「低級神」が巨大化・実体化・物質化したような怪獣たちも多数登場してきた。
 広義では、怪獣酋長ジェロニモン・地球先住民ノンマルトの使者である真市(しんいち)少年の霊・水牛怪獣オクスター・牛神男(うしがみおとこ)・天女アプラサ・獅子舞超獣シシゴラン・白い花の精。
 庶民の信仰エネルギーで付喪神(つくもがみ)と化したのか天上世界の神仏がチャネル・通信してきたのかその両方なのか、劇中で斬首されたウルトラマンタロウのナマ首を読経が鳴り響く中でその神通力で元に戻してみせたお地蔵様(!)や、『80』#42にてエイティとともに光線を発した巨大観音像などもコレらのカテゴリーに当てはまるだろう。
――第1期ウルトラシリーズ至上主義者たちがアンチテーゼ編の旗手として神格視してきた実相寺昭雄監督による、第2期ウルトラシリーズ作品である『ウルトラマンタロウ』のNG脚本『怪獣無常! 昇る朝日に跪(ひざまず)く』で、苦戦するウルトラマンタロウに大仏像がなぜだか立ち上がって加勢して、怪獣を海へと引きずって去っていくといったストーリーも同類項だろう――


 70年代末期~90年前後のオタク第1世代によるSF至上主義の特撮論壇では、「SF」ならぬ「民話」的なエピソードや怪獣たちは否定的に扱われてきたものである。しかし、実は怪獣のみならず宇宙人から怨霊・地霊・妖怪までもが実在している存在として扱われている、大宇宙 → ワールドワイドな世界各地 → ローカルな田舎までもが串刺しに貫かれて万物有魂のアニミズム的に全肯定されているウルトラシリーズの世界観に、「現実世界もかくあってほしい!」的な願望やワクワク感をいだいていた御仁も実は多かったのではなかろうか?――往時のマニアたちはまだまだボキャ貧であり、それらの感慨をうまく言語化・理論化はできなかったのであろうが――。


 第2期ウルトラシリーズでいえば、脚本家・石堂叔朗(いしどう・としろう)ワールド、もしくはプロデューサー・熊谷健(くまがい・けん)ワールドとでも称すべき世界観。そう、これも『ウルトラ』の一側面なのだともいえるだろう。


 実際のお話の方は、近年でも女児向けアニメ映画『劇場版 美少女戦士セーラームーンSuperS(スーパーズ)』(95年)などでもやっていた「ハーメルンの笛吹き」パターンで、ヒーローものにはよくあるお話ではある。子供が悪のターゲットになることから、近年ではこの話に「子供と大人」の対比、「子供の夢」などのテーマが加味されることが多い。95年のオウム真理教騒動アフター作品でもある『セーラームーンSuperS』ではさすがに現実逃避の一面もある「子供の夢」を単純には美化することはなく、「子供の夢」のダークサイドも描き出して「大人になること」を肯定してみせるという90年代後半という時代にもふさわしい妥当なテーマの展開を見せていた。
 そうなると、次には「大人」とはそもそも何なのだ!? といった疑問も次に当然出てくるところである。そのあたりは今後のさまざまな子供向けヒーロー作品にてテーマ的な深化を見せていくのではなかろうか? ちなみに、筆者は「大人」というものを、究極的・絶対的な「実体」などはない、単なる「役割」や「責任主体」としての「振る舞い方」とイコールではなくとも、それに近しいモノとして捉えている。そして、それは単なるチョット意識しての人々の「振る舞い方」にすぎないものなのだとしてもなお、そういった要素は人間社会における人間集団・組織システム内においては歯車の潤滑油として必要なモノであるのだと……。異論は受け付けます(笑)。


 本話自体は上記したようなテーマに踏み込んだ話だったとはいえないかもしれないけれども、ラストにおける「夢は見るだけではなく、現実にブチ当たって実現すべきもの」といった趣旨の隊員たちの談笑に、スタッフ陣のイマ風な取り組み方を見ることができる。


 ……なーんて。この話はそーいうシチ面倒クサい解釈で見るべき話ではないですよネ(笑)。「魔法使い」の出で立ちをした「魔女」のブキミさ、ラストの談笑シーンやハロウィンの夜に怪物に仮装しながら捜査をしているGUTS隊員たちのユカイさ――『ウルトラマンタロウ』(73年)#38「ウルトラのクリスマスツリー」における防衛隊・ZAT(ザット)の隊員たち各人が、マッチの火の中に夢を見るアットホームかつコント劇的なシチュエーションをも想起させる(笑)――、そしてダイゴとレナ隊員のほほえましいやりとり、そこにこそ真骨頂がある。


 強いて云えば、「魔女」を追跡するダイゴのシーンで、巨大超人としてのそれではなく人間の姿のままでの等身大の格闘なども見たかった。そして、抽象芸術のような巨大異次元人には変身せずに、あの黒服の魔法使いのお婆さんのような魔女の姿のままで巨大化してティガと戦っても、筆者は許したゾ!(『ジャンボーグA』(73年)#41〜42に登場した敵幹部の祖母・宇宙魔女ババラスなども想起する!・笑)。


(後日付記:「大人」がどうこうについての延々とした記述についても歴史的(?)な補足をば。メジャーな「言論界隈」や「特撮ジャンル界隈」ではないけれども、1990年前後〜90年代前半にかけての今でいう「サブカル思想界隈」では、それまでの若者文化の主流な論調であった「子供のままでイイ」という言説から、当時は30歳前後であった批評家・浅羽通明(あさば・みちあき)や今ではBSマンガ夜話の司会としての活動の方が有名な大月隆寛(おおつき・たかひろ)らによって、「大人になれ(=無責任な万年野党体質ではなく、責任主体になれ!)」言説が流通したことがあって、当時のそのケがある若者たちにも大きな影響を与えていたのだ。筆者なぞもそれらの言説の影響を受けており、それによってかような記述を延々としたためていた次第である……)


#9「怪獣を待つ少女」

(脚本・小中千昭 監督・松原信吾 特技監督・北浦嗣巳)
(視聴率:関東8.6% 中部6.8% 関西9.0%)


 ついに怪獣をやっつけないというパターン破りの変化球回までもが早くも登場。
 何百年も前に海底に落下していた、宇宙船としての機能も持っている、往年の怪獣タッコングやケンドロスのごとき球根のような丸っこいスタイルをした守護怪獣マキーナ――もちろん古代ギリシャ演技の作劇技法というのか物語の強制的な終わらせ方(笑)を意味する「デウス・エキス・マキーナ」=「機械仕掛けの神」という用語からの引用だろう――を引き上げることを、同様に何百年間も待ちつづけていた異星人の美少女。
 彼女のペンダント(笛?)を手がかりに、GUTSのコンピューターボーイ・ヤズミ隊員(ジャニーズJr.)が数百年分のデータを検索するツールが「アカシック・エンジン」。……「アカシック」って。小中千昭センセってオカルトマニアなのですネ(汗)。


(後日付記:オカルト方面では有名な、全宇宙の過去から未来までもが記録されている「アカシック・レコード」という存在が宇宙のドコかに、またはこの宇宙の外である高次元世界には存在しているという説がある。70~80年代の子供向けのオカルト百科などでも記述されていたので、マイナーメジャーなネタなのであった・笑)


#10「閉ざされた遊園地」

(脚本・右田昌万 監督・松原信吾 特技監督・北浦嗣巳)
(視聴率:関東9.2% 中部4.2% 関西9.1%)


 遊園地の一帯に透明なバリアを発生させて、人間たちを捕食するアリジゴクのような怪獣でもあるバリヤー怪獣ガギが登場!


 子供がゲストでイジメがテーマ。この話こそが、怪獣(宇宙人)が登場人物たちの「精神的葛藤」・「障壁」・「乗り越えるべきものの象徴」としての意味しか与えられていないストーリー。これが#1だったら怒るけど(笑)、毎回がこーいう話であってもイヤだけれども、タマにはイイのではなかろうか?


 筆者個人は子供のころは、子役の出るようなエピソードはスキではなかった。しかし、マニア仲間・知人たちに聞くと積極的にそーいうエピソードがスキだったとか、多少は気になったけれども君ほどには気にしなかった等々の意見をよく聞かされてきた。雨宮慶太カントクあたりによる「仮面ライダーと子供とのツーショットがキョーレツだった」などという趣旨の発言記事などを見ると、筆者個人の感慨は、あるいはマニア予備軍だったような子供たちの感慨は一理程度はあったのだとしても、それもまた極端でローカルな感慨に過ぎなかった可能性も大きいのだな、という自己相対視を否応もなく余儀なくされているのだ(笑)。
 筆者個人は、『仮面ライダー』(71年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20140407/p1)初作のシリーズ後半に登場した少年仮面ライダー隊とか、『イナズマン』(73年)に登場した少年同盟とか、初代『ウルトラマン』における少年なのに科学特捜隊の特別隊員になってしまうホシノ君とかについては、怪獣怪人に立ち向かうのには役不足で弱そうなのでウソっぽく見えたのでキライでしたから(汗~しかし、ホシノ君についてはそれほど好まなかったという御仁はそこそこいたけれども、少年仮面ライダー隊のことをキライだったという世代人マニアには会ったことがないなぁ……。やはり子役ゲストを過剰にイヤがる心性はマニア予備軍のガキに特有のモノだったのかもしれない・笑)。


 とはいえ、子役が中心である「BD7」こと実写ドラマ『少年探偵団』(75年)や『がんばれ!! ロボコン』(74年)、『ケンちゃん』シリーズ(69〜82年)などは思い返すと大スキだったし、当時の子供たちにも強い支持を受けていたワケである。
 従来のハードでシリアスでリアルでSF志向の作品を至上のモノとしてきた「特撮評論」の論法では、この厳然たる事実をまったく説明することができない。『ウルトラQ』(66年)#6「育てよ! カメ」や#15「カネゴンの繭」あたりが高い人気を得てきたことの論理的な解題もまたできないのだ。
 子供は背伸びをしておりオトナっぽいものがスキだともまことしやかに云われているが(筆者もかつてはそー主張していたが・汗)、子供時代に戦隊シリーズ第2弾『ジャッカー電撃隊』(77年)のあまりにシリアスで人間ドラマ志向のシリーズ序盤を理解ができなくて観なくなってしまったというような経験もある(汗)。このような事象も包含して説明し、なおかつあるべき日本特撮の姿も提示ができるような「特撮評論」における新たなる重層的な論法の構築が切に望まれる。


 で、本話もまたまぁまぁの出来なのだけど、イジメ問題をあつかった特撮ジャンル作品としては、やはり『仮面ライダーBLACK RX』(88年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20001016/p1)#6「怪魔ET大暴れ」(脚本・江連卓(えづれ・たかし))と、東映メタルヒーローレスキューポリスシリーズ『特捜エクシードラフト』(92年)#35「見えない巨人」(脚本・扇澤延男(おうぎさわ・のぶを))の2作が燦然と輝く金字塔なのですな。


#11「闇へのレクイエム」 エボリュウ登場

(脚本・武上純希 監督&特技監督・神澤信一)
(視聴率:関東7.2% 中部5.2% 関西8.3%)


 人間の科学者が怪獣化してしまった異形進化怪獣エボリュウが登場!(もちろんエボリュウとは、エボリューション=進化の意味である英語をもじったネーミングだろう)


 本話よりサブタイトル画面で、そのサブタイトル字幕の直下に怪獣名が小さく表記されるようになる。できれば「○○怪獣」などの「別名」も表記してほしかったところなのだけど。(後日付記:『ウルトラマンガイア』(98年)のサブタイトルにて登場怪獣の「別名」もようやっと表記されるようになった)


 熱血だけれども芯まで軽佻浮薄かもしくは空回りをしているように見えてしまって、いかに絵空事ではある娯楽活劇フィクション作品とはいえ、個人的にはやや感情移入をしにくい主人公像を、合体ロボットアニメ『超獣機神(ちょうじゅうきしん)ダンクーガ』(85年)や特撮戦隊ヒーロー『電脳警察サイバーコップ』(88年)などでもアニメや特撮を問わずに多く描いてきた印象を私的には抱いてきた脚本家・武上純希(たけがみ・じゅんき)が本作にも初登板!(氏のことを評価している方々にはゴメンなさい・汗)。
 でも、女児向けアニメ映画『劇場版 美少女戦士セーラームーンS(スーパー)』(94年)と同時上映であった(汗)、氏が脚本を担当したサッカーTVニメの映画版『蒼き伝説シュート!』(94年)は、原作を知らない筆者でも楽しめた大ケッサクなので、何が何でも一方的に悪く見てるワケではないので念のため。皆さまもこの傑作サッカーアニメ映画を機会あったら観てほしい。


 熱血バカキャラ志向の武上氏らしからぬ(だから偏見だってか?・笑)、ホリイ隊員の旧友にして淋しい孤独な科学者青年が、宇宙生物の細胞を用いて自身の身体を使って生体実験をすることで、怪獣化と人間化を幾度もくりかえすというややハードめなストーリー。


 本話では「怪獣」自体がイコール「人間」でもあるので、「人間ドラマ」を深化させても「怪獣」の存在とは遊離してしまうという感覚はあまりない。ハッピーエンドともいえないラストも余韻があってよい。


 本作初期編では違和感がかなりあったCG・ビデオ合成も回を重ねる度にレベルアップ。CGによるGUTS戦闘機のバク転(?)や気持ちのよい旋回感の表現をも本話では成し遂げていた。これはなかなかのものであり、ミニチュアの吊りでは表現できないものだろう。


#12「深海からのSOS」 レイロンス登場

(脚本・兒玉宣久 監督&特技監督・神澤信一)
(視聴率:関東8.1% 中部6.0% 関西7.8%)


 深海怪獣レイロンスがかわいい。サカナ型の怪獣なのだが、よくいそうで意外にいない独自のシルエットを持つ怪獣ではなかろうか? 怪獣の擬人化したコミカル演出もこれが#1ならば怒ったろうけど(汗)、タマにはイイのではなかろうか? まぁコミカルな演出が付けられた怪獣バトルも、初代『ウルトラマン』の怪獣ジラーズ・怪獣ギャンゴの時代からあったワケでもあるのだし……。


 一応、怪獣には核廃棄物による突然変異という設定が存在しているが、それは単なるバックボーンに留まることで作品をダークな方向には持っていかずに、お話自体は超音波に魅かれる怪獣の特殊生態とレナ隊員のイルカ好きに収斂していくこと自体も、キラクに観られるエンタメ活劇の作劇としては好印象である。


 そう。毎回毎回、テーマ編ばかりを作られても、それもまたエンタメ活劇・子供向けヒーロー番組としては健全な作りではないのだ。そして、単純な攻防話をコンスタントに面白く執筆することこそ、かえって職業作家として案外にムズカしいことでもあるのだから。


 ……本話の合い言葉は……、「レナ隊員の水着姿は#12だ!」「ジャ〜〜ン!(笑)」。


(ヤボな後日付記:10年以上も経つと、ほとんどのマニア読者にとっても、意味不明な腐った記述になってしまうという典型的なギャグ表現。解説させてもらうと、ラストシーンでイルカと泳ぐためにレナ隊員が隊員服を突然脱ぎだしたら、もちろんすでに水着を着こんでおり(笑)、その姿をダイゴ隊員に披露するときに、「ジャ〜〜ン!」というセリフをレナ隊員が発していたので、そのリフレインなのでありました……・汗)


#13「人間採集」 レイビーク星人登場

(脚本・河崎 実&村石宏實 監督&特技監督・村石宏實)
(視聴率:関東8.1% 中部5.0% 関西7.3%)


 人間サイズのスマートな人間体型をした宇宙人でもある、誘拐宇宙人レイビーク星人多数がワンサカと登場するエピソード!


 『√(ルート)ウルトラセブン』(78年)などの自主映画の出身で(って観たことはないけれども・汗)、ビデオ『地球防衛少女イコちゃん』(87年・asin:B00005FPRS〜95年)などの河崎実(かわさき・みのる)カントクが脚本に参画。


 前話ラストの予告編では、ウルトラマンティガが往年のウルトラセブンのごとく巨人サイズではなく人間サイズでバトルしているのを見て欣喜雀躍! 手の舞い足の踏むところを知らず状態! あぁ、筆者はこの日を10何年間も待ちつづけてきたことか、20年くらいだったかな(←アホか)。


 セブンで可能ならば他のウルトラ兄弟だって人間サイズで活躍できるハズだ! と子供心に期待していたのがなつかしい。……イヤ、実は現在進行形でも期待をしていたのだ(笑~厳密にいうと『帰ってきたウルトラマン』(71年)#32でも1回だけ人間サイズで活躍しているけど、アレはバトルはしていなかったからネ)。


 肝心のお話自体は大したものではないけれど(批判・文句ではなく)、防衛隊・GUTS&ティガの人間サイズ化能力と人間サイズでのバトル・アクションを全編で魅力的に見せることが今回の主眼なのであって、その点ではアキさせずに見せてくれる。ここでは下品に哄笑する神秘性皆無の問答無用の悪い宇宙人(笑)として、レイビーク星人たちがイイ意味でのヤラレ役の戦闘員・記号キャラと化しており、この話が「防衛隊やウルトラマンのカッコよさ・頼もしさ」を描くことだけに特化したアクション主体編であることを考慮すれば、30分ワクの作品としては妥当な演出・描写だといえるだろう。


 我々マニアが子供のころに『ウルトラ』シリーズにハマったその理由は、まずはその高いドラマ性やテーマ性などではなく、そーいう要素はあっても、それ以上にまずはヒーローの特殊能力などの万能性などに惹かれたのも厳然たる事実である以上は、その意味でこのテの番組はドラマやテーマといったソフトウェア面のみではなく、ヒーローの強さやカッコよさといったハードウェア面にも評価を与えることが肝要であるだろう。


 ……だからさぁ〜、子供のころにTVアニメシリーズ『ザ☆ウルトラマン』(79年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971117/p1)#14「悪魔の星が来た!!」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20090803/p1)で、ウルトラマンジョーが宇宙空間に飛び出てから、そこで直射日光を浴びることによって太陽エネルギーを補充することで、通常サイズの身長70メートルからMAXの120メートルに巨大化した話って、ドラマ的・テーマ的にはイミはないけれども、スゴいうれしくってワクワクと興奮してさぁ〜。


 今後も時々、ティガが人間サイズで活躍してバトル面でもバリエーションを付けてくれることを期待! ハイテクビルが乗っ取られて、その中でカベや床を自在に通り抜けて、鏡の中などにも自在に入り込んで戦ってみせる人間サイズのティガvs悪い宇宙人! その両者の特殊能力だけを見せることに主眼を置いたエピソードなどにも期待したい!(そーいう娯楽活劇編もあった上でならば、重たいテーマ編はテーマ編で、中途半端にならずにやるときはテッテイ的にやってもイイだろう)


#14「放たれた標的」 ムザン星人登場

(脚本・中崎一嘉&村石宏實 監督&特技監督・村石宏實)
(視聴率:関東9.9% 中部6.3% 関西7.8%)


 怪獣チックなシルエットである悪い宇宙人である極悪ハンター宇宙人ムザン星人が登場! 「ムザン」の名前は「無惨」から採られているのだろうが、悪党キャラとしてはややベタにすぎるネーミングではあるので、もう少しヒネってほしかった気はするけど許す(笑)。


 前話ラストでの予告編で、炎の中で気怠げに立ち上がるワイルドな出で立ちのスレンダー美少女が桂木亜沙美チャンだったとは。ワリとメジャーなコも使える予算があるのね。(後日付記ツッコミ:ちょっと云い過ぎました。全然メジャーじゃないです。単なる当時のちょっとだけ売れていた、でもメジャーだったとも云いがたいグラビアアイドルの女のコでした・汗)。


 追われるものと追うものとで、「善悪の構図」が明確になって「活劇」としてイイ意味でわかりやすくて見やすい。ズバ抜けて面白いとも云いがたいのだけれども、もちろんドラマ的・テーマ的には深みはないのだけれども(笑)、通常編としては、そして娯楽活劇作品としてのお話の構造としても、順当な出来には思えるのだけど……。


#15「幻の疾走」

(原案・円谷一夫 脚本・武上純希 監督・川崎郷太 特技監督・高野宏一&川崎郷太)
(視聴率:関東7.4% 中部6.2% 関西8.2%)


 締め切りの都合で未見。前話ラストの予告編によると、#6に登場した変形怪獣ガゾートが再登場する!


 70年代前半の第2次怪獣ブーム(第2期ウルトラシリーズ)と70年代末期の第3次怪獣ブーム(第3期ウルトラシリーズ)の洗礼を子供時代に受けた世代として証言しておきたいが、当時の子供たちは怪獣の2代目や3代目や「Jr.(ジュニア)」や「再生」とか「改造」などの名目で、円谷プロ製作の特撮巨大ヒーロー番組である『ウルトラ』シリーズや『ミラーマン』(71年や『ジャンボーグA(エース)』や『ファイヤーマン』(共に73年)などで、同一作の中で……あるいは作品の垣根を超えて、『帰ってきたウルトラマン』の怪獣が『ファイヤーマン』に登場したり、『ミラーマン』の怪獣が『ウルトラマンタロウ』に登場することに、博物学的なジャンク知識を獲得するような歓喜の念を感じていたものだ(笑)。
 もちろん、単に予算や怪獣の着ぐるみ造形スケジュールなどの問題で、怪獣を再登場させていたのにすぎなかったのだろうことはオトナになるとよくわかるのだが(汗)、こういった趣向は今の子供たちも、そして特撮マニアたちも大歓迎! 大喜びするのではなかろうか?


 ただし、テーマ自体は#6とはまったく関係がなく(笑)、ここでの怪獣の存在は多分に『帰ってきたウルトラマン』的な「通りすがりの日常」(怪獣出現が日常になっている世界)であって、あくまでも人間ドラマが中心になるように見える(?)。多分1年間50本のシリーズ作品における通常編の作り方としては、そーいう作劇があってもまた良しとしよう。



 本文中に文脈上、触れられなかったことを以下にも少々。


 本作に登場する怪獣たちは、初期編では特に目ん玉が初代『ウルトラマン』に登場する怪獣っぽい「つぶらな黒目」がイイ!(初代マン怪獣だけを特別視しているワケではないので、くれぐれも念のため) 例えるならば、テイストとしては初代『ウルトラマン』と『ウルトラマン80』の怪獣を足して2で割ったような感じに見えるのだ。
 まぁ、ストーリーの出来・不出来の判定のように、ある程度までは垂直的(定量的)に客観的な解析ができるものとはちがって、ルックスなどの評価は水平的な感性・主観的な個人の好みの次元に帰する面も大なので、大声でガナって主張をするような性質のモノでもないけれども。個人的には#3に登場した縄文の火焔土器チックな文様の人型怪人・炎魔戦士キリエロイドがカッコいい!(……って同様多数のヒネりのない好みの表明か?・汗)


 あと、90年代の子供向けTV番組なのだから、近年の少年向け作品の成果を貪欲に吸収してもイイのではなかろうか? 「週刊少年ジャンプ」連載マンガの『ドラゴンボール』(84年・86年にTVアニメ化)や、格闘TVゲーム的なアクション演出、フジテレビ木曜夜8時枠の『木曜の怪談』(95〜97年)に、テレビ朝日・月曜夜8時枠の『イグアナの娘』や『闇のパープル・アイ』(共に96年)、日テレ土9(日本テレビ土曜夜9時枠)路線のマンガ・アニメ的な若者向けアクション路線のような、若者層にも人気がありそうな若手役者をキャスティング……はなかなかにムリだとしても、それに準じる配役陣によるメジャー感の確保や、連続ストーリー的な要素など。
 今のところは、ただの1話完結ストーリーにすぎなくて、今時の子供番組としてはヒネリやヒキに弱いと思う。そのあたり、円谷プロは悪い意味でケッペキ症でもどかしいなぁ……。


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊97年号』(96年12月30日発行)「ウルトラマンティガ」序盤合評⑥より抜粋)


(視聴率調査:森川由浩)


『假面特攻隊2007年号』「平成ウルトラ視聴率10年史」に『ウルトラマンティガ』全話視聴率表を収録
・全話視聴率:関東・中部・関西。各クール平均・全話平均視聴率


後日付記:

 世評高い『ウルトラマンティガ』なのだが、視聴率は前番組のTVアニメ『とんでぶーりん』(94年)や『ママはぽよぽよザウルスがお好き』(95年)の平均視聴率14%台から7%台へと半減。当時の現行TV特撮と比較しても関東では、日曜朝の東映メタルヒーロービーファイターカブト』(96年)に視聴率面では劣っていたことは付記しておきたい(『ティガ』は平均7.3%。『BFカブト』は平均8.9%。『戦隊シリーズ』はまだ金曜夕方最後の時代)。2000年代中後盤の今、TVアニメの視聴率ベスト3、『サザエさん』(69年)・『クレヨンしんちゃん』(92年)・『ドラえもん』(79年)でさえも10%そこそこで、他の子供向けアニメは4〜6%程度の昨今から見ると、充分にうらやましい高視聴率にも見えるけど(笑)。


さらなる後日付記(2008年9月13日(土))

 インターネット上のフリー百科事典Wikipediaによれば、『ママぽよ』の平均視聴率は『ティガ』を若干上回る程度の7.8%とある。アニメ雑誌月刊ニュータイプ』に当時は毎号掲載されていた視聴率表の立ち読み記憶でしたが、間違っていたようです。スイマセン(平身低頭)。


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