(2024年4月21日(日)UP)
上原正三の生涯を通じた日本のTV特撮&TVアニメ史! 序章・1937(生誕)~1963年(26歳)
『ウルトラQ』21話「宇宙指令M774」 ~上原正三の生涯を通して見る『ウルトラQ』の来歴
初代『ウルトラマン』『快獣ブースカ』 ~上原正三の生涯を通して見る第1次怪獣ブームの前半
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上原正三の生涯をたどること = 日本のTV特撮&TVアニメの歩み!
1967年・上原30歳『ウルトラセブン』
『キャプテンウルトラ』が放映終了した1967(昭和42)年10月から、後番組として初代『マン』のフォーマットを踏襲しつつも、イギリスの大人気特撮人形劇『サンダーバート』(65年・日本放映66年)のメカ特撮にも影響されて、怪獣退治の専門家集団の基地や戦闘機のメカニック性をシャープに強調、敵も怪獣よりは侵略宇宙人主体、正義の巨大超人も銀色主体から赤色主体に変えた『ウルトラセブン』が放映をスタートする。
――ごく個人的には幼児期は「怪獣」と「宇宙人」の区別もロクに付かなかったので、『セブン』は宇宙人主体という意識もなかったけど(汗)――
本作もシリーズ前半2クール26話分の平均視聴率は30.7%にも達している。
この10月には、少年が腕時計型の通信機で命令することで稼働する巨大ロボットが巨大怪獣と戦う東映製作の特撮作品『ジャイアントロボ』がNET水曜夜7時30分枠でスタート。
『マグマ大使』の後番組であるフジテレビ月曜夜7時30分枠でも日本特撮株式会社製作で恐竜ネッシーを乗りこなす野生児・タケルを主人公とした『怪獣王子』も放映が開始されている。しかし、68年正月最終週から『ジャイアントロボ』がウラ番組に移動してきて苦戦。それぞれ視聴率より製作事情で半年で放映を終了している。
ちなみに、関東地方では70年代中盤まで毎年夏休みになると午前中に『ジャイアントロボ』を再放送していたが、先の『マグマ大使』『キャプテンウルトラ』『赤影』『怪獣王子』はカラー作品なのにほとんど再放送がなかったため、関東の70年代以降の世代人にとっては馴染みがウスい。
8月からは日テレ火曜夜7時枠で宣弘社ヒーロー『光速エスパー』、NET木曜夜7時枠で東映『忍者ハットリくん+忍者怪獣ジッポウ』も放映。
30歳に達した上原は『セブン』では12本も担当していて、実質的にはサブライターである。
デパートで販売している玩具の戦車や飛行機が人々を襲撃してくる#9「アンドロイド0(ゼロ)指令」、地底世界でナソの超近代的地底都市と多数の人間サイズの巡回ロボットに遭遇する迷宮風味の#17「地底GO!GO!GO!」、巨大戦車の上部に四つ脚型の巨大恐竜が一体化されて走行してくる「恐竜戦車」が鮮烈な#28「700キロを突っ走れ!」、セブンがミクロ化して幻想的な人間の体内で宇宙細菌と戦う#31「悪魔の住む花」、偽ウルトラセブンと戦う#46「ダン対セブンの決闘」。
筆者も『セブン』をリアルタイムで体験した世代ではないのだが、いずれのエピソードもビジュアル面で幼少期から印象深いエピソードではある。
1967年・『セブン』#17~モロボシ・ダンと薩摩次郎
このうち#17は、セブンことモロボシ・ダン隊員が初代マンのように特定の地球人と合体したのではなく、登山中に仲間を救うために我が身を犠牲にした薩摩次郎青年を救った宇宙人ウルトラセブンが、彼の姿と魂をコピーした姿であって、あくまでもセブンが逆変身した姿であることが明かされたエピソードでもある。
小学校中学年以上の特にマニア予備軍タイプの子供はこういうヒーローの出自にまつわるウラ設定的なエピソードに執着するものなので、大いに歓迎すべき趣向ではある。
――過半の幼児はダンそっくりの青年とセブンが別個に同一画面に収まっていることの意味をロクに理解できなかったやもしれないが(汗)。もちろん、幼児だけに合わせて製作しても、小学校中学年以上が早々に卒業してしまっては意味がない。「幼児」と「児童」の両者を永遠に二股にし続ける絶妙なシーソー感覚が子供番組の作劇には求められるのだ――
ただし、2021年に発行されるも回収・絶版となってしまった『ウルトラマンの「正義」とは何か』(青弓社・21年5月26日発行)で、著者の花岡敬太郎が2015年に実施したというインタビューで上原は、
「あの回は(監督・円谷)一さんから出た案なんだよね。こういうのをやっておかないと、先に進めないよねっていう話でやったやつなんです。(中略)金城さんの意見ではないというか(中略)、『ウルトラマン』の場合ってさ、(中略)ハヤタなのかウルトラマンなのか、というところがボカされながらやっていたわけですよ。そこをもう少しキチンとしようと」
と発言している。
花岡はウルトラシリーズのスタッフたちも何らかの社会派的な意識や作家性を持っていたことを肯定してはいる。しかし、それが婉曲的にはともかくストレートに作品に反映されたワケではないとする。
『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』(文藝春秋・92年7月1日発行)を著した佐藤健志(さとう・けんじ)やNHK『歴史秘話ヒストリア』(10年9月15日放映分)などの思想の左右双方からのアプローチともに、モロボシ・ダンのメンタルが宇宙人セブン本人であったことから金城論を組み立てていることに疑義を呈するための傍証として、上記を挙証したものではあるのだが。
それはともかく、このように個別具体の作品から作家論を語ろうとしても、それが脚本家個人の作家性であるのか監督やプロデューサーの意向であったかの区別については、厳密にはムズカしいことには留意すべきだろう――そうであっても微量には浮上してくる漠とした脚本家の作家性が存在することをご同輩も感じていることとは思うのだが――。
1967年・『セブン』「宇宙人15+怪獣35」
上原の『セブン』における未映像化作品は、70年代末期の第3次怪獣ブーム下での本邦初のアニメ・特撮などのマニア向けムックが出版ラッシュだった時代に、『てれびくん別冊② ウルトラセブン』(小学館・78年11月15日号・10月15日実売)で紹介されたことで古くから有名な、製作№43である未映像化作品「宇宙人15+怪獣35」がある――川崎高こと実相寺昭雄監督との共作。実際に製作されたのは#43「第四惑星の悪夢」――。
『セブン』後期の円谷プロの財政事情的にもおおよそ実現できそうにない大作脚本なので、最初からボツ覚悟の企画だったと憶測するが、初代『マン』に登場したバルタン星人を追跡するセブンを導入部にセブンの子分である正義のイレギュラー怪獣・ウインダム&アギラとともに怪獣&宇宙人の大軍団に立ち向かうといったストーリーである。
後知恵で思えば、往年の『怪獣大図鑑』(朝日ソノラマ・66年11月5日発行)に添付されていた金城哲夫作のソノシート(ミニ・アナログレコード)の音声ドラマ『なぐりこみバルタン連合軍』や『大怪獣戦 決戦!!ウルトラマン』などにおける、「数十体もの怪獣軍団vsウルトラマン」の映像化という発想なのだが、心躍るではないか!?
――バルタン星人の生みの親・飯島敏宏監督は、後年の単なる悪役としてのバルタンには否定的だが、この60年代末期の時点ですでにバルタンは悪の首領であった(笑)――
ラストでセブンは苦戦するも、大怪獣ゴードに救われる。セブンをも救ってみせる正義の新怪獣が登場!
冷静に考えると安直な結末なのだが、同作のアラスジ&正義の新怪獣登場! といった『てれびくん別冊②』での記述に対して、子供心に実にワクワクドキドキした第3次怪獣ブーム世代の御仁も多かったことだろう。
上原のもう一方にも確実に存在している「娯楽志向」というべきか? そうではなく、単に子供が喜ぶツボがわかっていて、技巧的に同作をものしてみせたというべきか?
――こうしてみると、『セブン』は放映当時には、過去作『ウルトラQ』や初代『ウルトラマン』とは世界観を異にする作品世界であった、とする特撮マニアたちのまことしやかな見解もまた怪しい。セブンの故郷もまた初代マンと同じくM78星雲なのであって、『セブン』のカプセル怪獣たちにも当初は、『Q』や初代『マン』の人気怪獣・パゴスやレッドキングが予定されていたように、ことさらに『セブン』を『Q』や『マン』とは異なる世界の作品だとする意識は作り手たちにはなかったのではなかろうか?――
1967年・『セブン』橋本洋二&「300年間の復讐」
時期は前後するが、『セブン』#13「V3(ブイスリー)から来た男」でTBS側のプロデューサーが交代。宇宙から来た魔法使いの少女がお手伝いさんとして居候する児童向け大人気TVドラマ『コメットさん』(67年)――先の『怪獣王子』、途中からは『ジャイアントロボ』も参戦して、3大番組がウラ番組同士で激突した月曜夜7時30分枠!――も並行して担当していた、1931(昭和6)年生まれの橋本洋二が後任である。
「「隊長は、出動としか言わないのですか?」 (中略)どんな怪獣を登場させるか、そんなことには腐心するが、隊長のセリフについて思いをめぐらせた記憶はない。(中着)虚を突かれた思いだった。(中略)シナリオは作家だけで作るものではない。プロデューサーも参加してまとめ上げて行くものだ。それが方針となった」
自著『ウルトラマン島唄』で上原も、橋本への強烈な印象と同作の製作方針変更についてを記している。
地球人と交流を図ろうとしたトーク星人兄妹が300年前の地球人(日本人)に妹を殺害されて森の奥の洋館に住まいながら復讐の機会を待っている、上原の『セブン』での未映像化脚本「300年間の復讐」は製作№23なので、橋本参入以降の作品である。橋本は同作にOKを出していたということだ。こういう情念やテーマ志向の作品もOKという空気が早々に醸成されていたということか?
――同作は実際には『セブン』#23「明日(あした)を捜せ」に変更されている。これは担当の野長瀬三摩地(のながせ・さまじ)監督の意向と、トーク星人の怨霊が実体化した「悪鬼」と洋館執事の「甲冑人間」の着ぐるみキャラを2体造形する予算がネックになったのだそうだ(甲冑人間の方は#27のボーグ星人に流用)――
この「300年間の復讐」は、後年のマニア評論がイメージする上原論にピッタリ合致するようなエピソードではある。
世代人はご存じだろうが、先の『てれびくん別冊②』でも「300年間の復讐」が紹介されており、同書刊行の翌月には、先の竹内博主宰の同人誌『怪獣倶楽部』(75年)上がりで、80年代には児童マンガ誌『コミックボンボン』で『プラモ狂四郎』や『SDガンダム』、児童誌『てれびくん』では『ウルトラ超伝説』のマンガ原作なども務めることになる編集者・安井ひさしの尽力によって、『てれびくん』連載の居村眞二(いむら・しんじ)作画によるウルトラシリーズ・アンソロジー漫画『決戦! ウルトラ兄弟』の一編(78年12月号・11月1日実売)として早くもマンガ化されている。
私事で恐縮だが、筆者などもこの2冊の書籍で「300年間の復讐」に遭遇した世代だ。はるか後年の市川森一脚本で製作ウラ話でもあるNHKで放映された長時間・前後編ドラマ『私が愛したウルトラセブン』(93年)ではキャストを変えるかたちで実写化も果たされた。
1967年・『セブン』後半の低落をどう捉えるか?
70年代末期の第3次怪獣ブーム時における本邦初の特撮マニア向けムックでの記述で、『セブン』は国産SF特撮最高傑作との評価を一度は確立する。
しかし90年代末期に、『宇宙船』Vol.83~84(98年冬号・2月1日実売、98年春号・5月1日実売)にて先の金田益美がその連載「ウルトラゾーンの時代」第10回~第11回で、『セブン』放映当時は小学4~5年生であった氏の感慨を綿密に腑分けして、「『セブン』中盤をイマイチと感じていた(大意)」と実に頷けるかたちで語ることで、ちょっとした相対化も果たされることになった。
この指摘はアマチュア特撮評論同人ライターたちのその後の『セブン』論議にもさりげに影響を及ぼし続けている。そう、『セブン』もシリーズ後半に入った第3クールの視聴率は30%を割り20%も割り込んで急落しており、実は後年の『帰ってきたウルトラマン』(71年)における特撮マニア間では評価が芳しくない最終第4クールにおける30%目前連発にも負けていたのだ。
しかし、戦争なども含む万事の分析がそうなのだが、後年のマニア諸氏がその原因をひたすらに内部にだけ求めていくのはやや的ハズレに思える。まして『セブン』中盤の質が極端に低かったとか、『帰マン』第4クールが逆に質が高かった、というようなことは単純には云えない。
『セブン』の視聴率の低落には、橋本参入によるドラマ性の増強ゆえの娯楽性の減少といった理由も微量にあるだろうが、そのドラマ性の増強も後年に長じてからの特撮マニア諸氏が顕微鏡的に拡大して観ればそうであったという程度で、70年代前半の第2期ウルトラシリーズにおける青春ドラマ性や日常ドラマ性の拡充とは比較にならない。
『セブン』中盤よりも『帰マン』第4クールの方が所帯じみたものではあっても、そのドラマ性は高いくらいなのだ(笑)――とはいえ、『帰マン』第4クールも第3クールまでと比すれば悪い宇宙人が子分の怪獣を引き連れてくるパターンでドラマ性はやや減じている。善悪のメリハリは強化されて子供向け活劇としては望ましいともいえるのだが、同時期の『仮面ライダー』ほどの活劇性や善悪のメリハリがあったワケでもない――。
再放送世代の筆者個人は子供時代に『セブン』中盤がイマイチだったと感じたり、ご近所や同級生も含めてそのように評し合った記憶は微塵もないのだが、デザイン・色彩面でキャッチーな怪獣・宇宙人の減少が、当時の幼児はともかく児童層の視線を引きつける力を微量に減じさせていたことはアリそうだ。しかし、それであっても視聴率の低落の幅が大きすぎる。
よって、やはり作品の外側・時代の空気・子供間での流行といった漠としたモノの方が、原因としては大なのではなかろうか?
『セブン』後半においては、当時の幼児はともかく児童層は怪獣モノにやや飽きており、68年正月に放映開始の『ゲゲゲの鬼太郎(きたろう)』や大映製作の特撮時代劇映画『妖怪百物語』『妖怪大戦争』(共に68年)などに象徴される「妖怪ブーム」、68年4月に放映開始の梶原一騎原作による人気野球マンガのTVアニメ化『巨人の星』による「スポ根ブーム」の方に目新しさを覚えて、目移りしていったという分析が妥当に思えるが、その時代の空気を知っている世代人に改めてご教授を願いたいところではある
――この68~69年は全国的に学生運動が盛り上がった時期でもあるのだが、むろん当時の牧歌的な子供たちとは無縁のものだろう――
その大人気番組『巨人の星』も盛者必衰、放映開始3年後には第2次怪獣ブームの到来でピー・プロダクションが製作したウラ番組『スペクトルマン』(71年)に視聴率で抜かれる日が来るのだが。
『帰マン』第4クールの高視聴率も、同時期の『仮面ライダー』初作での1号&2号ライダー夢の共演や『シルバー仮面』に『ミラーマン』(3作とも71年)の登場でヒートしていく子供間での「変身ブーム」の高揚との連動だと見たい。
1968年・上原31歳『怪奇大作戦』
1968年・『怪奇』#16「かまいたち」
1969年・上原32歳『柔道一直線』
1969年・『青春にとび出せ!』『オレとシャム猫』『どんといこうぜ!』
1970年・上原33歳『チビラくん』『紅い稲妻』~『仮面ライダー』前夜
(初出・特撮同人誌『『仮面特攻隊2021年号』(21年8月15日発行)所収『上原正三・大特集』「上原正三の生涯を通じた日本のTV特撮&TVアニメ史① 1970年まで」評より抜粋)
『ウルトラセブン』第9話「アンドロイド0指令」
「おもちゃじいさん」と呼ばれる怪人物が子供の世界に現れ、銃器や兵器などのオモチャをただで配って人気を博していた。しかしそのオモチャはホンモノと同じ殺傷力を持っており、夜になると本来の機能を発揮するという危険な代物だった。そして「おもちゃじいさん」……チブル星人は、オモチャをもらった子供たちを兵士として、午前0時にクーデターを起こさせる『アンドロイド0(ゼロ)指令』を発令するのだった……。
……「戦争を知らない子供たちが、銃器や戦車のオモチャで無邪気に遊んでいるのを見て、戦争を経験した上原氏が何を思っていたか?」と勘繰ることもできれば、「子供たちの世界に侵入して先兵に仕立て上げ、地球征服を図ろうとする侵略者」というパターンを確立し、『戦隊』や『宇宙刑事』につながる作風が確立された! と見立てることもできる話だ。
チブル星人のタコやイカのような細い脚を生やした頭デッカチなデザインによって、アクションが地味であったことで、子供たちにとっては特段に印象が強い回ではなく、通常回としての印象だろう。
この「ちぶる」が、ウチナーグチ……沖縄言葉で「おつむ(頭)」を意味することは、1970年末期のマニア向けムックなどで公表されて以来、特撮マニア諸氏や怪獣博士タイプの子供たちの人口にも膾炙(かいしゃ)してきたものだ。
「見慣れた日常が夜になると豹変し、人間に牙を向ける」というコンセプトや、「オモチャが夜になると、人間に牙を向ける」というアニミズム的なコンセプトは、「見慣れたモノが牙を剥いたら怖いでしょ?」といって、日用品モチーフの敵怪人を続出させた、はるか後年の『仮面ライダースーパー1(ワン)』(1981・東映)シリーズ後半のジンドグマ編とも同じであり、メインライターの江連卓、もしくは東映の平山プロデューサーや阿部プロデューサーによって、やはり同じような発想から生まれたものだろう。
発想としては、平日帯番組『キユーピー3分クッキング』(1962~)のオープニングテーマ曲としての方が有名な『おもちゃの兵隊のマーチ』(1897)なり、片足の兵隊人形とバレリーナ人形の悲恋を描いたアンデルセン童話の『スズの兵隊(ブリキの兵隊)』(1838)、チャイコフスキーのバレエ曲の原作童話『くるみ割り人形(とねずみの王様)』(1816)などとも同じなのであった。
公的には偶像崇拝やアニミズムを禁止してきたキリスト教の西欧社会でも、日本の戦後の童謡ヒット曲『おもちゃのチャチャチャ』(1959)の歌詞よろしく、夜に寝静まると兵隊人形やオモチャたちが生きて活動しているという、異教的・アニミズム的な発想は魅惑的であったということであり、これまた世界共通の発想なのだろう。だから、陳腐なのだ、上原氏の独創ではないからダメなのだ、といったことではない。普遍の王道なのだということだ。
このアイデアは上原氏も気に入っていたらしく、団地(ロケ地は神奈川県横浜市の「たまプラーザ団地」)が夜になると宇宙人の居住区になってしまう『セブン』第47話「あなたは、だあれ?」、後述の『流星人間ゾーン』(1973・東宝)、『太陽戦隊サンバルカン』(1981・東映)第6話「機械の支配する家」でも、家電製品に征服される一般家庭として幾度か描かれている。
『サンバルカン』のこの話は、ビックカメラやヨドバシカメラといった家電量販店がテレビCМを始めた時期と放送が重なっており、のちに氏が自家薬籠中のものとする「社会風刺」的な作風にもつながっていく。
もちろん、内的な必然性や血肉が感じられる「沖縄」テーマとは異なる、そういったワイドショー的な時事問題に関する「社会風刺」を「良し」と取るのか、やや「陳腐だ」と捉えるのか、といった賛否が特撮マニア間でも分かれてきたことは言うまでもないのだが、筆者個人はこれもまた「是」とする立場なのである。
『ウルトラセブン』第17話「地底GO!GO!GO!」
とある炭鉱で起きた落盤事故に不審な点があったことから、経営会社はウルトラ警備隊に調査と救助を連絡。
そこでモロボシダン隊員=ウルトラセブン(演・森次晃嗣)が出会ったのは、かつて自分がまだ地球防衛の任ではなく、単なるM78星雲の恒点観測員340号だったときに、最初に出会った地球人・薩摩次郎(さつま・じろう。演・同)だった。
ウルトラ警備隊の地底戦車・マグマライザーで救助に向かった隊員たちは、そこで異様なロボットばかりがうろつく、謎の地底都市に行きついてしまう。これが事故の原因だと判断したウルトラ警備隊は、薩摩次郎を救出してのち、地底都市を爆破した。
……ウルトラセブンが何の目的で地球に来たのか、いかにして彼はモロボシダンという人格を作ったのか、初めて語られたエピソード。異郷であるはずの地球に、宇宙人として乗り込んだ340号は、地球人としてのアイデンティティを打ち立てるために、登山家で仲間を救うために自らザイルを切って自己犠牲に殉じる覚悟でいた勇気ある青年・薩摩次郎をモデルにセブンの地球上での姿と性格でもあるモロボシダンという人格を作ったというのだ。
迷宮のようでもある超近代的な都市内で、人間サイズのずんぐりむっくりして機械然とした動作で歩行するロボットたちとウルトラ警備隊の面々や等身大サイズのウルトラセブンがバトルするあたりも魅惑的だ。
そして、最後の謎の地底都市の爆破。
当時の作り手は深くは考えておらず、とりあえす事件の元凶を破壊することでの「決着感」を出しただけだったのかもしれない。我々も幼少時にはこの処置に疑問を感じなかったものである。
しかし、クロージング・ナレーションでさらりと可能性に触れてはいるが、これが宇宙人の侵略基地ではなく地球の先住民の都市であれば、『ウルトラセブン』第42話「ノンマルトの使者」(脚本は同郷の金城哲夫)に匹敵する、ウルトラ警備隊や我々地球人の劇中内での絶対正義性を揺るがす暴挙(=文明殲滅)だったかもしれない、などとつい考えてしまうのも、子供視聴者ではないマニア視聴者の性(さが)だろう。
『ウルトラセブン』第28話「700キロを突っ走れ!」
高性能爆薬・スパイナーを地球防衛軍が開発し、研究所から実験場まで運ぶ命令がウルトラ警備隊に下された。キル星人の妨害が予想される中、ダンの発案で同時開催のラリーに紛れ込ませようという作戦が採られる。
しかし、レーサー役のアマギ隊員(演・古谷 敏)は、子供の頃に体験した花火工場の爆発事故を思い出し、先に走行できなくなってしまう……。
……上原氏が『セブン』を語る際、最も印象に残っているというのがこのエピソードだそうだ。沖縄ではごく当たり前に爆薬やミサイル・化学兵器が公道を走るトラックによって運ばれていた事実によって、本話はそれらの投影・風刺だと見る向きも多い。それはともかく、戦争がごく当たり前に日常と併存している沖縄の人間にしか書けないシナリオとして、プロデューサーには評価された一編なのだそうだ。
「風刺」としての側面から離れれば、ストーリーの主軸は、のちに上原が手掛けた『秘密戦隊ゴレンジャー』(1975)~『太陽戦隊サンバルカン』(1981)でも多用されたアイテム争奪戦や要人警護にまつわる、敵味方との攻防劇である。後年の『ウルトラマンエース』(1972)第11話「超獣は10人の女?」などもアイテム輸送の争奪戦だったが、本話がその原型だったともいえるのだ。
実は風刺性やテーマ性などではなく、敵をあざむくにはまず味方から、といったゲーム的な要素も本話には強い。アマギ隊員のトラウマも戦争批判や米軍批判などではなく、近所の花火工場での爆発事故に伴うトラウマなのであった。そして、そのトラウマの解消が本話におけるドラマ性や人間性の表出といったところだ。
子供の時分に観れば地味なエピソードであるともいえる。日本においては専任のカースタントがまだ確立されていなかったといったところなのか、スピード感あふれるカーアクション演出といった域には達していないあたりも、本話のゲーム的なスパイアクション風味が、映像作品としては結実しきれていないところだ。
しかし、そんな地味な印象もまた、もう少し長じて物事が分かってきてからの小学校の中高学年以上での視聴時の感慨だろう。幼少時の本話に対する記憶は、本話のゲスト怪獣である「恐竜戦車」。こちらの存在感と、セブンとの大激闘に尽きる! 大方のマニア諸氏の幼児期の記憶でも、本話についてはこの巨大な「戦車」の上に備え付けられた四足歩行型の「恐竜」しかないといっても過言ではないのではなかろうか?
実は製作費用の節約に伴い、この時期は当時の親会社・東宝からお下がりである特撮美術備品を利用することに伴う苦肉の策としての「恐竜戦車」であって、美術デザインを担当していた成田亨(なりた とおる)などは不本意であったそうだが……。
上原脚本のそれまでの人間ドラマともある意味では分離したかたちで、特撮シーンそれ自体やゲスト怪獣それ自体が、単独して独立した見せ場にもなってしまう。そして、仮に「本編」ドラマ部分の脚本なり演出が不充分であったとしても、お腹いっぱいの充足感を与えてくれる。それこそが、「特撮」といったジャンルの全てではないにせよ、一方でのこのジャンルの特性・特質でもあるのだ。
とはいえ、そのうえで上原脚本回としての作家性を無理やりにでも探って見出そうとすれば、第1話冒頭の「地球は狙われている」というナレーション(声・浦野 光)で始まり、「宇宙規模での戦時体制」になっていた『セブン』の世界観は、上原氏にとっての沖縄の現状の合わせ鏡になりうるものだったとは言えるかもしれない。
『ウルトラセブン』第X話「300年間の復讐」(未映像化脚本)
本作のヒロインであるウルトラ警備隊の友里アンヌ隊員(演・菱見百合子)が訓練中に音信不通となり、辿り着いた山荘で、トークと名乗る宇宙人に幽閉される。
トークは300年前に地球に逃れついてきた、平和を愛する宇宙人だったが、戦国時代の日本で人々が殺気立っている中、その赤毛ゆえに鬼とみなされて、同胞を皆殺しにされてしまった。
トークはアンヌを殺された妹・シシーと思い込み、300年間かけて作り上げた武器を手に、ふたりで地球人に復讐しようと話を持ちかける。結局、アンヌは救出され、トークもセブンに倒されるのだが、アンヌは一時でもトークと心を通わせた事実に気づき、一時の感傷に浸るのだった……。
……ある朝、目が覚めたら、マイノリティである自分の家を隣近所の顔見知りが、手に石や棒を持って包囲しているのではないか? という感覚。自分は最終的なところで絶対に折り合えない他人と共存していかなければならない。そしてともすれば、自分は圧倒的少数派として社会の主流からは外される。しかし、多数派はこともなげに少数派をヘイトし、ことあるごとに排除すべしと公言する……。
私事で恐縮だが、見た目からして異なる外国人や被差別部落民ほどではないだろうが、筆者も日本ではマイノリティのキリスト教徒ゆえに、そういった感慨を共有している。
しかし本話では、アンヌ隊員がトーク星人への同情の果てに、彼と共闘して多数派の地球人に対する復讐に加担したわけではなかった。
さて、300年前ではないが、400年前の江戸時代の初期が上原氏の故郷・琉球王国に薩摩藩が乗り込んできた時期だ(その意味で300年前は実はもう戦国時代ではなかったりする)。
そういった歴史を踏まえれば、だからこれは平和主義者にして「まつろわぬ民」であるところの沖縄が、強者に蹂躙された怨念がそのままむき出しになった話だとは言えるわけで、そういった観点から本話は長年、マニア評論でも語られてきたことも事実なのだ。
しかし、この関係を21世紀の日本と中国に置き換えてしまうことも可能だ。だから日本も憲法改正を、軍事力強化を! と叫ぶと作家・百田尚樹(ひゃくた・なおき)などの立場もまた、論理的には成り立ってしまうのが、今日的な観点から観た本話の弱点なのかもしれない。
ちなみに、本編で映像化されることのなかったこの脚本だが、『セブン』シリーズ後半では脚本家陣のローテーションに参加した市川森一(いちかわ・しんいち)が、のちに番組制作当時を回想して執筆した長時間TVドラマ『私が愛したウルトラセブン』(1993・NHK)で、その一部が映像化されており、横浜の「放送ライブラリー」で閲覧することができる。
なお、この脚本が執筆された背景として憶測されるのが、TV局側のプロデューサーとして、この時期の番組のスタッフに参入した橋本洋二の存在である。
筑波大学(当時は「東京教育大学」)卒業後、ラジオ東京(TBSの前身)に入社し、ラジオドラマに始まり、『コメットさん』(1967・国際放映)や、後述する『柔道一直線』(1969・東映)などの児童向けドラマの制作に関わってきた。
特撮マニアとしては、何よりも『帰ってきたウルトラマン』(1971)~『ウルトラマンレオ』(1974)の制作に深く関わって(実際には『タロウ』の前半までのようだが)、「第2期ウルトラシリーズ」のカラーを決定づけたことだ。
その過程で、30分枠のTVドラマ『刑事くん』(1971~76)なども含めて、市川森一・長坂秀佳・田口成光といった一流どころの脚本家を多数育てたことに大きな功績がある。
後年のマニア間での呼称なのかもしれないが、これを「橋本学校」と呼称する向きも多い。上原氏はその次男坊的なポジションにいたのだ(ちなみに、長兄はラジオドラマの頃から関わってきた脚本家・佐々木 守)。
戦争の苦難も知らず、何の問題意識も持たず、ぬくぬくと平和な中で裕福に暮らす、内向きな「現代っ子」(当時の子供たちを指した呼称)を批判する橋本の方針は、児童ドラマの作り手として、まず「子供たちに試練を与える」こと、そのために「テーマを掲げる」こと、そして何より「人間の情念を描く」ことにあった。たしかに人間ドラマ一般とはそういうものだろう。
上原を「情念」の作家であったと評する向きも多い。それにはやや疑念もある。「情念」や「怨念」を大仰に「むき出し」にして叩きつけるような作家では決してない。やや「淡泊」だともいえなくもないからだ。しかし、「情念」がないわけでは決してない。その「情念」はもう少し抑えた感じで表出されてきたからこそ、鼻にはつかないものともなってきたのだ。
『ウルトラQ』・初代『ウルトラマン』・『快獣ブースカ』・『ウルトラセブン』シリーズ前半の時期は基本、怪獣もの・SFもの・ホームコメディーに徹していた上原氏だった。けれど、そもそもは「沖縄」という「情念」がらみの社会派テーマで世に出ようとしていた人間だったのだ。
上原氏にとって、この出会いは人生上の転轍機ともなっただろうことは、90年代以降のマニア評論でも衆目の一致として一般化している。自身の内的な必然性を子供向け番組のフィクションに巧妙に織り交ぜて表出してみせても、むしろそれを評価してくれる御仁に出会えた!……といったところだろうか?
それと同時に、70年代前半の第2期ウルトラシリーズは、やや人間ドラマ的・テーマ的には重たくなりすぎてしまったり湿っぽくなってしまったきらいはあるものの……。
そして、皮肉にも、当初は第2期ウルトラシリーズのメインライターを務めた上原は、東映特撮ヒーローものへと活躍の場を移すと、『ウルトラセブン』シリーズ後半やその次作『怪奇大作戦』に『帰ってきたウルトラマン』といった作品がまとっていた若干の重たさと暗さ、あるいはホームドラマ性などはやや脱臭した乾いたかたちで、刑事(『ロボット刑事』(1973)、荒野をさすらうロードムービー・西部劇的なヒーロー(『イナズマン』シリーズ)、職業としてのプロフェッショナルたちによるスパイアクション(『秘密戦隊ゴレンジャー』(1975)といった、その活劇性やヒーロー性のカタルシスの部分が人間ドラマ性やテーマ性の部分にも負けないバランスのとれた作品をものしていくのだ。
こういったところにも、ドラマ性やテーマ性を重視しすぎたゆえにいったんの終焉を迎えてしまった第2期ウルトラシリーズと、70年代後半にも延命を果たしていく東映特撮ヒーローといった差が出ているのだともいえるだろう。
しかしともあれ、過去に多くの特撮マニアたちも指摘してきたとおりで、橋本氏と上原氏のふたりのディスカッションから『300年間の復讐』が執筆された可能性は高いだろう。
そして、この怨念の方向性が、『セブン』の次作であり、ヒーローや怪獣が登場しない、あくまでも人間たちが怪奇現象を地道に解決していく『怪奇大作戦』(1968)の設定や、実際の人間ドラマ重視編へも結実していく。
「テーマがなくてもドラマは書ける!」と、橋本にひたすら反発した市川森一の意見にも一理はある。彼の意見も正しい。ノン・テーマの作品やナンセンスな作品にも相応の良さはある。
実際には、橋本イズムがフィクション構築のうえでの全ての方法論ではない。しかし、いずれは橋本以外の誰かが同様の試みを特撮作品に対してほどこしただろうが、少なくともこの時点では橋本が先鞭をつけて、一度は本邦特撮ジャンル作品のドラマ性やテーマ性を底上げしたことも事実なのだ。
むろん、その試みの全てが成功したわけではなく一長一短なのである。その負の部分を上原は早めに切り上げてしまった。そして、その負の部分を悪い意味でマジメに継承しすぎてしまったのが、第2期ウルトラシリーズや、橋本氏は直接は関わってはいなかったものの『ウルトラマンレオ』の重苦しさなのかもしれない……(それゆえに、長じてからの方が重たいカタルシスが感じられてカルト的な再評価を果たしたりもするわけだが、それは子供向け作品としては手放しで絶賛できることでもないだろう)。
そして、『怪奇大作戦』は30分ドラマながらも作品の狙い的にも純然たる子供番組だとは言いがたい。よって、明朗な夢とロマンを謳(うた)うような作品ではなかったせいか、『ウルトラQ』『ウルトラマン』『ウルトラセブン』のメインライターを務めてきた円谷プロ企画文芸室長の金城哲夫も、そして市川森一も、『怪奇大作戦』ではほとんど出番がないかたちで終わっている。
(初出・特撮同人誌『『仮面特攻隊2021年号』(21年8月15日発行)所収『上原正三・大特集』「追悼・上原正三①」評より抜粋)