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ウルトラマンエース29話「ウルトラ6番目の弟」 〜ダン少年編の意外に高いドラマ性! 名脚本家・長坂秀佳登板!

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ウルトラマンエース』29話「ウルトラ6番目の弟」 〜ダン少年編の意外に高いドラマ性! 名脚本家・長坂秀佳登板!

(脚本・長坂秀佳 監督・山際永三 特殊技術・佐川和夫)
(文・久保達也)


 ウルトラ兄弟の真の6番目の弟である『ウルトラマンタロウ』(73年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20071202/p1)の登場は翌年度だ。しかし、ここでは「ウルトラ6番目の弟」と称されることになる、300万光年の彼方にあるウルトラ一族の故郷でもある、とても見えるハズがない「ウルトラの星」が空に輝いて見えるという超能力を持った少年・梅津ダン(うめづ・だん)が登場。そんな彼が本話から新レギュラーに加わる、特撮マニア間では悪名が高い「ダン少年編」の開幕である。


 ちなみに本話は、現在でもマニア間では人気が根強い長坂秀佳(ながさか・しゅうけい)の『ウルトラマンA(エース)』(72年)初参加の作品でもある。長坂は72年4月スタートの『A』と同時期、3ヵ月遅れて72年7月スタートにスタートした『人造人間キカイダー』(72年)をすでに多数執筆しており、『キカイダー』ではシリーズ後半のメインライターに昇格していく。
 前年1971年9月スタートの30分枠で放映されていた『A』と同じくTBSの橋本洋二がプロデューサーを務めていた大人気テレビドラマ『刑事くん』第1部も、この72年10月初頭にいったんの最終回を迎えている。長坂はその1年間の放映分のほぼ半数のエピソードを手掛けており、やはり同作のシリーズ後半ではメインライターにも昇格して、すでに獅子奮迅の大活躍を見せていた。
 その後も、『刑事くん』第2部(73年)・第3部(74年)・第4部(76年)。『キカイダー01(ゼロワン)』(73年)・『仮面ライダーX(エックス)』(74年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20141005/p1)・『少年探偵団(BD7:ビー・ディー・セブン)』(75年)・『アクマイザー3(スリー)』(75年)・『快傑ズバット』(77年)などの児童向け作品。
 大人向け刑事ドラマ『特捜最前線』(77〜87年)に、テレビドラママニア間での評価も高かったTBS金曜ドラマ『都会の森』(90年)、ゲームソフトのエポックメイキング作でのちのノベルゲーム(実質的にはパソコンで読む小説・笑)の元祖ともいえる『弟切草(おとぎりそう)』(92年)、映画『ウルトラマンゼアス』(96年)など、数々の作品のメインライターを担当して傑作を残してきた。


 後年の大人気実力派ライターが執筆したからといって、色メガネを掛けて権威主義的に観たり、そのことでかしこまって正座して観ろ! などとマニア諸氏に強要する必要はさらさらない。そこは冷静かつ客観的に観て、各自に独自でさまざまな見解を持てばよいだけではあるだろう。果たして、現在の視点で改めて観返してみたときに、そこに何があるのか否や……



 突然、京浜工業地帯のコンビナートに地底超獣ギタギタンガが出現! 破壊活動を開始する!


 本作『ウルトラマンA(エース)』(72年)の防衛組織である超獣攻撃隊・TAC(タック)が緊急出動するが、すでに超獣は姿を消しており、惨状だけが残されていた。


 翌朝、TAC隊員たちが現場を検証したが、そこには強いアルコール臭が漂っていた。


吉村隊員「外傷はまったくありません」
竜隊長「死体に傷がない…… とすると」
美川隊員「考えられるのはガスです」
竜隊長「よし、付近一帯からの調査を始めよう」


 大勢の見物人が見守る中、警戒線が張られて警察官1名が人々を制止しており、その中でTAC隊員たちが座り込んで、警備員とおぼしき仰向けに倒れた死体を前に検証している姿がリアルである。それらしいロケ地とエキストラの数といった力も借りて、このシーンに説得力を持たせている。


 TACの車両・タックパンサーを走らせる、我らが主人公・北斗星児(ほくと・せいじ)隊員と、本話からTACの紅一点となった美川のり子隊員。もちろん、純然たる職務上での行為だから、その意味では問題はない。
 しかし、本来の『A』という作品の男女カップルは、北斗隊員と前話で地球を去った月星人こと南夕子隊員だったハズである。その意味では南夕子が去ったあとの初っ端のエピソードの冒頭で、夕子の代わりに美川隊員がその隣の座席に座っていることに少々の違和感はあった。本作を鑑賞していた女児たちの中でも子供心に色恋を気にしていたような子であれば、なおさらのことかと思われる。もちろん、それもまた結果論ではあるけれど。


美川隊員「このへんで調べてみる?」


 降車して近辺での聞き込み調査を進言する美川隊員。


 すると、タックパンサーが走行する先の前面に、急に小学生男児が飛び出してきた!!


 パンサーの急ブレーキを踏む北斗!! 北斗と南は急いでパンサーから降りて駆け寄る!


北斗「危ないじゃないか!」
美川「大丈夫? ケガなかった?」


ダン少年「チェッ、なんでブレーキなんか掛けたんだよ」


 失礼な態度をとる少年。この少年はブレーキを掛けるなと云うのか!?(汗)


北斗「何! じゃあ、君は自殺しようとしたのか!?」
ダン少年「バカだなあ。この歳で自殺なんか考えるワケないだろ」
 

 大人に対して「バカだなあ」などと失礼な発言もできる程度の思春期的な「第二次反抗期」の年齢に達しながらも、「まだ子供の年齢だから、青年や大人のようには悩んだ末の自殺などは考えない!」のだとも、「子供」と「青年」の狭間の一瞬の時期であることに居直って悪態をついているのだ(笑)。


 自殺! うんぬん。自殺であるワケがない! うんぬんかんぬん……といったやりとりは、長じた今だからこそ意表外な会話ではある。ここではまだ本名を明かしていないが、対するダン少年の方も『ウルトラQ』(66年)・初代『ウルトラマン』(66年)・『ウルトラセブン』(67年)といった第1期ウルトラシリーズに登場していたような1960年代までの素朴で牧歌的な「良い子」ではない。いかにも70年代的な当時におけるマスコミなども喧伝していた「現代っ子」の描写ではある。
 しかし逆に云えば、人生経験にはまだ乏しい当の筆者も含めた子供たちには、自殺うんぬんの件りは衝撃力があるセリフとしてはあまり響かなかったことだろう。実際に幼児期や児童期での本話の鑑賞では、このシーンやその際のセリフ自体に強い記憶や印象があったりする御仁はほぼいないのではなかろうか?(汗)


 物陰から小学生男子4名がワラワラと出てくる。


小学生「なんだい! エラそうこと云って、やっぱり出来やしないじゃないか!?」
ダン「違わい! あの車が勝手に止まったから!」
小学生「言い訳なんか、男らしくないぞ!」


 なんと! 子供たちの実に危険な遊びだったらしいのだ。


北斗「そうか。君はこの連中と、走ってくる車の前を横切ってみせるって賭けをしたんだな?」
小学生「こいつ、車があの塀のところまで来てから前を横切れるなんて生意気だよ、だいたい」
美川「アキれた。止まったからいいようなものの、ハネられたらどうするの?」
小学生「ダンの奴、いつもデッカいこと云うんだ。嘘つきだよ、ダンは」
ダン「オレはウソなんかつかない」
小学生「酔っ払い運転で死んだオヤジの息子だからな」


 北斗隊員が目の前にいるのに、取っ組み合いの喧嘩を始めてしまう子供たち!


 我々のような幼いころから怪獣博士タイプだった子供たちは、このようなムチャな遊びはしないモノと相場が決まっているだろう(?)。よって、こんなことを子供が…… あるいは、自分がするワケがない! 子供心に「子供をバカにするな!」といった反発を覚えてしまいがちだったかもしれない(笑)。その意味では、『A』という作品に対する「好悪」を後者の側に寄せてしまう弱点も発生する可能性がある描写ではある。


 しかし、筆者の乏しい交友範囲でも、自動車の前に飛び出すような子はさすがにいなかったが、自動車が走行してくる横へと足を突き出してギリギリまで迫れることを競うようなバカな悪ガキどもはいたし、社会人になってからそのような愚行を幼児期にしていたと述懐するような会社の同僚などもいたものだ(汗)。
 のちのちにオタクになってしまうような、我々のような子供のころから大人しくて控えめだった子供たちとは違って(笑)、ダン少年にしろ、小学生男子4人組にしろ、平均的な子供像ではもちろんないかもしれないが、ある意味では実に「子供らしい」ともいえる、ヤンチャな悪ガキたちである。我々もまた、そんな悪ガキたちには大きな迷惑をこうむってきたかもしれない(笑)。
 その意味では、大人になってから再鑑賞した方がリアルに感じれられる子供像ではある。しかし、だから良いのだ! それゆえに共感・同情を呼ぶのだとまでは云いにくい(汗)。当のメインターゲットである小学生男子たちにとっても、あまりに身近に過ぎる題材ゆえに、かえって現実の自分たちとは違って、どこまで行ってもお芝居クサく感じられてしまうかもしれないという意味では、痛し痒しの描写でもあるのだ。


北斗「オイ、コラ! よさないか、坊主(ぼうず)!」
ダン「俺は坊主なんて名前じゃない!」
小学生「ダンてんだ、こいつ」
北斗「ダン、良い名じゃないか」
小学生「酔っ払いオヤジが付けた名前だもんな…… ヘンな名前!!」


ダン「……こんな名前、大キライだい!!」


 尊敬する自身の父親のことをバカにされたことで怒るのかと思いきや…… 自己嫌悪や、自身の父への嫌悪のようなことを叫び出すダン少年!


 長じてから鑑賞すると実に意表外でドラマチックな関心をそそる点描がここに配置されている。しかし、そこもまた高度であるからこそムズカしいビミョーなところがあるのだ。
 こういった描写は、幼児の年齢だともちろんヒーローと怪獣怪人・スーパーメカしか見ていないので何も理解ができないゆえに、それはそれで問題もないかもしれない(笑)。しかし、小学生の年齢に達すればこういった人間ドラマも一応は理解ができるだろうが、彼らが観たいものもやはりカッコいいヒーローや怪獣怪人やスーパーメカの爽快な活躍だったりするので(笑)、児童ドラマをまったく入れるな! とまでは云えないのだが、入れた場合にはその塩加減には注意を要することだろう。


美川「ヒドい利かん坊。あの子のお母さんも大変ね」


 いや、ホント。先天的な気質で、こういうヤンチャでトラブルを起こして、しかも相手に対して謝らないような子供を持った両親は苦労が絶えないことだろう(笑)。長じて丸くなれば、その物怖じしないコミュニケーション能力で世を渡っていけることで頼もしくもなるのかもしれない。しかし、度が過ぎれば不良少年やヤクザの世界に入ってしまうことだろう(汗)。


小学生「ダンのお袋なら、あいつを生んですぐ死んだよ」
小学生「1年前、酔っ払いオヤジも死んで」
小学生「キレイな姉ちゃんと二人暮らし」
北斗「……」
美川「……」


 なんとも急展開な、重たい真実が明かされてしまう、このセリフ!


 ダン少年は母子家庭でもシングルファザー家庭ですらもなく、姉と二人暮らしだと云うのだ! しかも父親は前年に死んだばかりであり、不名誉な酔っ払い運転だともいう(汗)。こんなヘビーな設定があったことは、子供時代に鑑賞した際には記憶に残らなかったのだが(笑)、長じた今になってしまうと人間ドラマ的な見応えを感じてしまうのも事実なのだ。


 近辺での調査を開始した北斗と美川。しかし、線路を挟んだ先の大きなドブ川を、竹竿で走り高跳びのようにダン少年が飛び越えようとしている姿を目撃する!


 当然ながら、美川隊員はダン少年の危険なイタズラとおぼしき行為とめようと動きだそうとする。しかし、北斗はサッと制止する。


北斗「あの子はさっきの勇気を、この川を飛び越えることで試そうとしてるんだ。あの子はウソつきにはなりたくないんだ」


 さっきの「勇気」とは、危険を承知で自動車の前に急に飛び出してみせたことである。もちろん、キワドい行為ではある。手放しでは肯定しかねる行為でもある。そして、ツッコミの隙がある行為でもある。80年代以降の子供向けテレビドラマではムズカしい描写でもある。たしかに1万人に1人の比率でもマネをするような愚劣な子供もいて、しかも大ケガや生命に関わる事故を起こしてしまうかもしれないのだ。そしてその場合には、法的にしろ道義的にしろその責任はとりようがないことも事実なのだ。今の時代に子供向けドラマや変身ヒーローものでこのテーマを扱うにしても、もっとクレバー(利口)でツッコミの隙が少ない行為や遊びに変えて表現すべきではあるだろう。


 しかし、ここでのスタッフたちが表現したいことは、あるいは劇中のダン少年も、あるいはテレビの前の全員とはいわずほとんどの小学生でも直観していることは、以下のようなことだろう。
 底の浅い次元での道徳や、一部PTAや一部の学者・教育評論家たちのように、条件付けもせずに単に「危ないことはやめましょう!」といったレベルでの教条的なテーゼに対する「欺瞞性」や「不完全性」のことなのだ。
 たしかに「君子、危うきに近寄らず」で「危ないことはやめる」べきなのだ。しかし程度問題ではあって、まったくの危険から除外されて無菌室で抵抗力(抗体)や生活力をつけずに成長することが良きことだとは、子供でも直観的にそれはアリエないことだと思うだろう。
 多少の危険にふれることで、そして、その危険を乗り越えてみせることで獲得ができる「能力」・「胆力」・「勇気」・「冒険心」・「積極性」。そういったものも、「個人の人生」や「人類の進歩」には必要なのだ! といったことは、小学生中高学年にでもなれば、誰に教わることもなく大抵はわかってしまうことだろう。そして、そうであればこそ、底の浅い学者や評論家たちへの疑問や不完全性を論理的に言語化して反駁できるかはともかく、一理はあってもすべてを包括して説明することができていない不完全なテーゼだと直観的に見抜いてウサンくささを感じてしまうものなのだ。


 ダン少年の場合も、自身がウソつきであるか否かはともかくとして、小物・小人物に堕(だ)することなく、人間として、人物として、人格として、大きくなってみせたい! といったような想いが、この川の飛び越えに発露しているとも見てもよいだろう。


 そして、ダンはこの川を見事に飛び越えてみせた! 秘かに見守っていた北斗と美川も拍手を送る……


 その場に傍観者がいたかはともかく(笑)、我々も子供時代に外遊びなどで、これに類するような経験などはあったのではなかろうか? その意味では川の飛び越えに成功したことで、メデタシめでたしではあるのだ。


 しかし、ここからがまた、本話の長坂秀佳の脚本術であるのだろうか? 本話にかぎらず本作『A』のシリーズ前半にもあった子役ゲスト編、たとえば第19話『河童屋敷の謎』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061007/p1)などにも共通するような、イケ好かないヒネくれた子供(笑)がゲスト出演したエピソードにおける、善意がハッピーエンドをもたらすのではなく、善意でも時にアンハッピーエンドを惹起してしまうという、まさにフィクションとは異なり現実世界における人間万事塞翁が馬(にんげんばんじ・さいおうがうま)のごとき、『A』にかぎらずいかにも70年代前半のアニメ・特撮・児童向けドラマ・時代劇などのような意地悪なストーリー展開の流行にも準じていたのだろうか?


 それゆえにか、ダン少年は川の飛び越えの成功をもって、それで自信を持つことができて笑顔になった! 大いに成長した! といったようなストーリー展開にもなっていかないのだ。子供なりの大事を成し遂げてみせたというのに、それでも彼は思いのほか鬱屈は晴れなかったと見えて、浮かない顔で無言で走り去っていく…… こういったハシゴ外しや脱臼のような意外性の連続によって、この先のストーリー展開もまだまだどうなっていってしまうのだろうか? といったドラマ的な興味関心を持続させていくのだ。しかし、それはメインターゲットである児童にとって……というよりかは、我々のような年長マニアとなって再鑑賞をしている輩にとっては……なのではあったけど(笑)。



 TACの作戦室で、先の京浜工業地帯での超獣出現と現場でのアルコール臭が議題に掛けられる。地図を作戦室の円卓の上に広げている竜隊長。


竜「ここに興味深い資料がある」
美川「バツ印は昨夜の現場だとして、この(周囲の)丸(印)は何ですか?」
竜「うん。この2年間、酔っ払い運転として片付けられていた交通事故だ」
山中「おお、アルコールの匂い…… 事故死」


 そう。北斗が関わっているダン少年の父親の死因が、ここで酔っ払い運転ではなく、先の超獣による可能性が浮上したのだ!


 しかし、2年前にももうすでに本話のゲスト怪獣である超獣ギタギタンガが出現していて、しかも異次元人ヤプールが絡まない野良超獣だったとすると、『A』第23話『逆転! ゾフィ只今参上』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061012/p1)ラストで、敗北した巨大ヤプールが爆発四散して、その破片が地球全土にバラかまれたゆえに、その後はヤプールが介在しない野良超獣が出現しているのだ! といった論法もまた採りにくくなってしまうのだ(笑)。


 『A』第20話『青春の星 ふたりの星』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061008/p1)では、北斗がTACに入隊したのは3年前だとしたことで、これをマジメに受け取るのであれば、第1話~第20話までの間に3年(!)が過ぎている。本話に登場した超獣ギタギランガもまた第23話のラストで爆発四散した巨大ヤプールの破片による影響だとするならば、第23話~第29話までの間でも最低2年(!)が過ぎていることになってしまう。よって、第1話から第29話までの間に最低でも合計5年(!)が過ぎていたとも考えられてしまうのだ(笑)。しかし、それではあまりにも長い年月を有する物語になりすぎてしまって、それはそれでムリがあるだろう。


●第25話『ピラミットは超獣の巣だ!』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061021/p1)に登場した、少なくとも1万3千年前から潜伏していた古代超獣スフィンクス
●第28話『さようなら夕子よ、月の妹よ』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061111/p1)に登場した、近過去なのか有史以前なのか超古代なのかは判然とはしなかったものの、地球の衛星・月から熱を奪って死の星へと変えた満月超獣ルナチクス


 いずれも、『A』第1話で異次元人ヤプールがミサイル超獣ベロクロンで地球に侵攻してきた、はるか以前から存在していた超獣たちである。どうやっても巨大ヤプールの破片から登場した野良超獣であったとはコジツケができない。よって、これらの超獣たちやそれを使役する侵略宇宙人たちは、実は異次元人ヤプールが地球に本格的に侵攻する、はるか前からの「先兵」でもあったのだ! といった解釈が一番、辻褄が合わせられるようには思うのだ。よって、第23話~第29話までの間に2年もの歳月が過ぎていたという説を筆者は採らない(笑)。



女性「弟が!」


 河川敷で女性に助けを求められて、北斗は走っていった。その先でダン少年と小学生男子がまたも取っ組み合いをしていたのだ。彼らを引きハガすダン少年の姉と北斗。


北斗「ところで、喧嘩の原因はなんだ?」
小学生「ダンがまた、大ウソついたんだ」
ダン「ウソなんかつかない!」
小学生「こいつ、星が見えるなんて云うんだよ」
北斗「昼間から星が? どこに見える?」
ダン「あそこだよ、あんなにハッキリ光ってるじゃないか!」


 ……それは北斗にも実は見えていた、ウルトラマンたちの故郷・ウルトラの星の輝きであった!


 むろん、北斗が今まで白昼でもウルトラの星が見えていたという設定などはなかった。その意味では唐突ではある。しかし、ウルトラマンエースと合体している北斗であれば、今までに説明がなかったのだとしても、ウルトラの星が見えていたとしても不思議ではない! といった好意的な解釈も充分に可能なのだ。
 そして、その上でウルトラ兄弟の誰かと合体しているワケでもないひとりの少年に、そのようなとてもアエリそうもない能力が宿っていることに驚いてみせることで、事の重大性をも強調してみせているのだ。


 土手を並んで歩く北斗とダンの姉こと梅津香代子。


香代子「私たちの父は、あの工場の技師だったんです」
香代子「それが1年前、事故を起こしちゃって…… 不思議なことに父の死体にはどこにもケガはなく、あたりにはモノスゴいお酒の臭いがしたって…… ダンは父さんが大好きだったんです。『ダン』って名前も、『決断のダン』、『断固としてのダン』だって、むかしはとっても気に入ってたんです。父の口癖でしたわ、『ダンて名前に負けるな。男らしく生きろ。正しい者は必ず勝つ』」
北斗「俺のオヤジに似てるなあ」
香代子「父の口癖はもうひとつ。自分のためのウソはつくな。だから、ダンはウソつきって云われることが大キライ。父の付けてくれたダンって名前にも、スゴーく誇りを持ってたんです。それがこのごろ何だかオカシくなっちゃって」


 これらのセリフは、基本的には人間ドラマ面での登場人物たちへの人物像の肉付けではある。しかしそれと同時に、父親の死因もまた先の超獣であった可能性がますます高いことを念押ししてもいるダブルミーニングでもあるのだ。


 そして、ダン少年の名前の由来の「気高さ」をも説明しているのだ。しかし、先にもふれた通り、ダン少年は自身の名前が大キライだ! とも言明していた。つまり、彼は父親への疑念と自身への自信・アイデンティティーに揺らぎが生じているのだ。そうであれば、その「精神的な悩み」は、走行する自動車の前に飛び出したり、川を飛び越えたりといった「物理的・肉体的な成功」などでは救われないのだとも描いているのだ!


 そんなダン少年は、今度は「ウルトラの星」のみならず、ウルトラの星が光ったときに「ナゾの声」まで聞こえるようになっていた。


ダン「オレの耳にハッキリ聞こえたんだ。『今夜、ギタギタンガはまた現れる。地底人に操られて工場を襲う』って」
小学生「おまえの姉ちゃんが働いてる工場かよー?」
ダン「そうだよー!」
小学生「第一、あの超獣に誰がギタギタンガなんて名前付けたんだよ!」


 この小学生男子クンの云うことはもっともだ。超獣のネーミングはおそらくTACが決定するものでもある以上、世間ではまだ流通してもいない、おそらく本話の元凶敵である地底人アングラモンが名付けていた超獣名を当たり前のように呼称されたら、幼児はともかく小学校中高年以上であればやはりオカシいとは思うことだろう(笑)。このへんが長じてみると、意外にも当時のスタッフが一応のリアリティーにも気を配っていたことに気付いて感心もしてしまうのだ。
 しかし、たしかにそのリアリティーは通常云われる「リアル・シミュレーション的」な意味での「リアル」さではなく、「所帯じみた意味」での「リアル」さであって、人々や子供たちが驚いたり憧れたりといった「リアル」さではなかったところでの弱さはあった(汗)。


小学生「気味が悪い!」
小学生「先生に云いつけようぜ!」


 このへんも、先のと同じ意味で、長じてから観ると、先の後者の意味での「リアル」さは感じてしまう(笑)。


 ところで、ダン少年にギタギタンガの襲撃を予知したのは誰なのか? それはおそらく過去に地球に来訪したウルトラ兄弟の誰か、ゾフィー初代ウルトラマンウルトラセブン帰ってきたウルトラマンのうちの誰かなのだろう。そのへんは幼児はともかく小学生であれば漠然とでも連想してしまうところだろうが、『A』という作品ではそこにスポットが当てられることはなかった。
 後出しジャンケンだが、今にして思えば、「ダン少年編」の話数が進んでいく内に、あるエピソードでは初代ウルトラマンが…… 別のエピソードではウルトラセブンが…… また別のエピソードでは帰ってきたウルトラマンが…… といったかたちで、大空に光るウルトラの星の横に半透明のウルトラ兄弟がオーバーラップ合成されるかたちで、ダン少年に対して直接に予知をしてみせたり、道徳的なお説教(笑)を与えてみせるような描写があれば、もっとよかったのではなかろうか?
 さすれば、『A』という作品の第3クールの「ダン少年編」をもっと華やかに底上げもできたかもしれないとも思うのだ。そういうイベント編的な要素が少なくて、児童ドラマだけに徹してしまったあたりが、「ダン少年編」の弱点であったとは思うのだ。


 もちろん、『A』という巨大ヒーローや巨大怪獣が登場する作品の世界観においては、超常的なナゾの声による告知は劇中内での事実であり正義の声であることは決まってはいる(笑)。よって、その夜に超獣ギタギタンガが警告通りに出現してしまう!


 頭部の両脇から突き出た長い器官から、前方へと白いガスを巨大球形状のガスタンクに浴びせるや、ガスタンクは盛大なるガス爆発を起こす!


声「聞け! 地球人! オレは地球の底に住む地底人だ! これ以上、地下水を汲み上げるのを即刻中止せよ! 地底人は非常に迷惑している!! オレは今まで何度も酸欠ガスを発して何度も警告した。だが、貴様たちの地下水汲み上げは一向にやまない。通告する。今から10時間以内に地下水汲み上げを中止せよ! 中止しないときは、このギタギタンガにおまえたちを全滅させるぞ!!」


 そう叫んでいる声が響いてきて、地底人は超獣ギタギタンガも撤収させた。そう、この事件は地底人のしわざだったのだ!


 地底人が単なる「悪」ではなく、彼らにも一応の「理」を持たせていたり、その理由も70年代初頭に猖獗(しょうけつ)を極めていた「地下水汲み取り」による「地盤沈下」ならぬ「地下水汲み取り」だとしたあたりで、一応の「社会派テーマ性」も点描だけはしている。


 しかし、本話は「ダン少年編」の1話目でもあり、ダン少年の個性・人物像・境遇、および彼の姉、そしてダン少年は「ウルトラの星」が見えるという特殊能力を持っているといった基本設定の紹介の方を、主眼に描いていくべきストーリーなのである。よって、地底人の抱えている問題点は本話ではスルーされてしまうこともまたやむをえないといったところだろう。まぁ、ガスを流して酔っ払い運転による交通事故を多発されても、我々地上の人間には、その意図が「地底人からの地下水の汲み取り」への警鐘だったとは気づけなかったことだろうが(笑)。


 翌日、タックパンサーでパトロール中の北斗は、またも梅津香代子を見掛けてパンダーを停車させた。


北斗「香代子さん、どうしたんです?」
香代子「工場をクビになっちゃったんです」
北斗「どうして?」
香代子「ダンが予言した通り、ギタギタンガが工場に現れたから、私たちが何かギタギタンガに関係があるんじゃないかって疑われて」
北斗「ヒドい八つ当たりをする会社だ」
香代子「私のことは良いんです。でも、ダンが……」


 なんと! 彼女は会社をクビになってしまったと云うのだ! ウ~ン。社会人になってからの鑑賞の方が、こういった事態は実に身に染みてしまうし、フィクションとはいえ、彼女に対して深い同情もしてしまうのだった。


 年齢的にも姉が「クビ」になってしまった意味がもう重々わかっているだろうダン少年も、大きなショックを受けてヘコんでいた。そこに北斗が慰めにやってくる。


北斗「君が昨日、見た星は、いま見えるか?」
ダン「……見えないよ」
北斗「そうだ、今は見えないな。あの星はな、『負けるもんか』って思ったときにだけ、見える星なんだ」
ダン「『負けるもんか』って?」
北斗「今まで君が星を見たとき、きっと心の中で『負けるもんか!』って叫んだハズだ。あの星はウルトラの星だ」
ダン「ウルトラの星? でも、俺にはもう見えないよ」
北斗「今は君が負けそうになっているからだ。どんなときにもヘコたれず、『負けるもんか!』『負けるもんか!』ってがんばれば、ウルトラの星は君にもずーっと見えるようになる」


 ダン少年には空に輝く「ウルトラの星」を可視化できる能力はある。しかそれは、常に可視化できるワケではない。ウルトラマンたちのような強靭な肉体を持つことが必須条件なのでもない。ある種の「気高き精神」に連動してこそ可視化ができる、広義での「道徳的」な超能力だともしているのだ。まぁ、万能の正義だとはとても云いがたい「負けん気」ごときを「気高き精神」にカテゴライズしてしまうのはやや問題があったかもしれないが(笑)。



 北斗による、当時の事件写真やそれを撮影した人から借り受けたネガフィルムの調査で、1年前のダンの父親の事故死は飲酒運転が原因ではなく、少女を救うためにギタギタンガに向かって車で突っ込んだことが真相であったことがようやく判明する。その証拠写真をダンに見せる北斗。


北斗「君のお父さんはうまく逃げるのに失敗してしまった。だけどね、ダン。やっぱり君のお父さんはむかし君が信じていたように、勇気があってとっても強い人だったんだ」


 しかし、本来であれば父に対する疑いが晴れたのだから、スナオに喜んでみせそうなところをダンは、


「ウソだ! お前の言ってることはデタラメだ!!」


証拠写真を放り投げて、泣きながら河原を走り去ってしまうのだった……(汗)


 ここでも事態をストレートに解決には向かわせずに、ストーリーにヒネリを入れてみせているのだ!


 詳述していこう。ダン少年がウルトラの星を見ることができる能力を有していることを知った北斗は、先に「あの星はな、『負けるもんか!』と思ったときにだけ見える星なんだ」と説明していた。しかし、北斗はダンに事故の真相を明かした際にその「論理」によってこそ、逆襲されてしまうのだ!


「北斗さんの云ってることはウソだ! その時、父さんだって『負けるもんか』って思ったはずじゃないか!? 父さんにだってウルトラの星が見えたはずだ! それなのに、なんで父さんは殺されたんだ!? どうしてウルトラマンエースは来てくれなかったんだ!?」


 たしかにそうだ。父親がそんな危急の際に咄嗟に「負けるもんか』と思えるだけの余裕があったかはさておき、仮に父親が「負けるもんか」と思ったとしても、ウルトラの星が見えたかについては怪しかったのだ。それはダン少年個人に付随する特異能力であって、人類全員が「負けるもんか」と思えば見えるような能力でもないのだろう。


 しかし、そのことをクドクドと子供相手に説明することも困難なことだろう。そして、それは誤った選民意識を持たせかねないものでもあったのだ。ウルトラの星が見える能力を、選民意識・エリート意識に堕さしめてしまうワケにもいかないのだ。ここでは、すでに年長の若者が年下の少年を教え導いて、年下の少年が成長していく際にも必然的にハラまれてしまう「増長慢」を未然に回避しようとする意識すら垣間見られたりもするのだ。


 けれど、さらに長坂脚本は意地悪さを重ねに重ねていく。ダン少年ほどではないにしても、彼を教え導こうとしている北斗もまだ未熟な若者だとして描くのだ。そして、ダン少年からのロジカルな疑問・批判に対して、北斗はとっさの辻褄合わせの云いくるめとして、無神経にも苦し紛れに、


「それは…… 多分、君のお父さんはギタギタンガを見てもうダメだと思ってしまったんだ。きっと頑張りの心を捨ててしまったんだよ」


などという発言をしてしまうのだ!


 あくまでも「多分」という、これはまた北斗のあやふやな「推測」に過ぎない。そして、それはダンの父を「賞賛」した果てに、結局のところはダンの父を「否定」してしまう結論となってしまったのだ。たしかにこれではダン少年の心も晴れないだろう。


 北斗の発言もまた拙劣(せつれつ)だとして描くのだ。そこがまた今になって観返してみると、個人的には人間ドラマ的にもニガ味があって面白いとは思うのだ。しかし…… それもまたスレたマニアの見方であって一般的な見方ではないのだろう。作品をベタにスナオに鑑賞すればするほど、ダンの態度も北斗の拙劣な態度もまた「不快」だと思う意見はあって当然ではあるし、むしろ自然な受容のされ方ではあるかもしれないからだ(笑)。


 そういった問題点はあるものの、第2期ウルトラ作品のこうしたストーリー展開こそが、他の同時期のヒーローものや子供向けテレビドラマとは異にするところであり、人間ドラマ面でも最も注目すべきところではあったのだ。


 前作『帰ってきたウルトラマン』(71年)第15話『怪獣少年の復讐』(脚本・田口成光 監督・山際永三 特殊技術・高野宏一)に登場したゲスト少年・史郎(しろう)もまた、電車の運転手をしていた父親を吸電怪獣エレドータスに殺されていた。
――このゲスト少年・史郎を演じていたのは、特撮変身ヒーロー『超人バロム・1(ワン)』(72年)に合体変身する小学生男子・白鳥健太郎をはじめ、この当時の特撮ヒーロー作品のほとんどにゲスト出演を果たしていた高野浩之。後年の『ウルトラマンティガ』(96年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19961201/p1)でも、地球の先住民(太古に飛来した異星人?)である炎魔人キリエル人(びと)の変身前の人間態を数話に渡って演じていた――


 これまた、同じ田口脚本による『A』第13話『死刑! ウルトラ5兄弟』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060803/p1)に登場したゲスト少年のように、エレドータスを倒して父の仇をとる! などと口にしそうなところを、


「今にエレドータスが現れて、鉄道なんかメチャクチャにしてやるからな!」


などと発言してみせていたのだ。むしろ、父を殺した怪獣を恨むのではなく、父と自分を認めない世間に対して、当の犯人である怪獣の方に仮託して世界の方を滅ぼしたい! などといった病んで屈折した破壊的な内面をも見せていたのだ。


 同様の境遇にあるダンも、強い人であると信じていた父がこともあろうに事故の原因が飲酒運転であったとされたときは相当のショックであっただろう。だが今回、ダンは北斗から事実を明かされて、しかしそれがウルトラの星が見えるための厳密な条件という、それとは矛盾してしまった父の帰結に対して、ダメージを受けてしまったのだ。



 先述の『帰ってきた』第15話でも、史郎の父が運転する電車がエレドータスに転覆させられた事件は劇中内での実話、事の真相でもあったのに、それに対して主人公・郷秀樹が、


「ウソをつくな!」


などと叫んで、片足を引きずったビッコ――差別用語だとして、70年代中盤以降は放送禁止用語となっている(汗)――の少年でもある史郎を、平手打ちにしてしまうシーンがあった(!)。


 本話のみならず、実は前作『帰ってきた』においても、主人公の青年が劇中内での「絶対正義」ではさらさらなく、彼もまた未完成で発展途上の若者・青年に過ぎないものとして描いていたエピソードもあったのだ。ゲストの子供を傷つけてしまう場面を描くことによって、子供と正面から真剣に向き合うことがいかに難しいかを、これらの作品では描いていたのであった。


 しかし、その試み自体は今となっては壮とすべしであっても、かつての我々にも十全に伝わっていたワケでもなかったのだ(汗)。爽快な娯楽活劇を求めている子供たちを遠ざけて、もっとシンプルな東映や他社の変身ヒーローものや巨大ロボットアニメへと興味関心を走らせてしまうような一因でもあっただろう。
 ここまでヘビーにヒネくれまくった作劇を重ねずに、もう少し寸止めにとどめてマイルドにしておいた方が、適度にバランスも取れて、かえって子供たちにもその人間ドラマ的なメッセージが伝わったのではなかろうか? そう思えば、本話のヘビーで技巧的な作劇も、それはそれとして賞賛しつつも、手放しでは肯定しかねるところもあるのだ(笑)。


 とはいえ、ダンもまた両親を失って以来、姉の香代子に育てられていたが、『帰ってきた』のゲスト少年・史郎もまた祖父に育てられていた。郷が訪れた際に祖父が、


「やはり…… (両親がいないからと)甘やかしたんですかね……」


 と寂しそうにつぶやく、子供の生まれつきの個性に応じてもバラバラで厳密な正解などない「子育て」に伴なう困難を感じさせるヒューマンな点描がまた、長じてからの再鑑賞だと実に味わい深くて、役者さんも演技のし甲斐があっただろうなぁとも思わせて、たまらなく愛おしいワンシーンだと思ったりもするのだが(笑)。


 しかし、特筆大書しておきたいのは、ダンも史郎も不幸な境遇の身の上ではあるのだけど、そのことで彼らを批判を許さぬ劇中内での「絶対正義」としては描いてはいなかったことなのだ! ダンも史郎もその境遇に同情すべき余地はあっても、それでもって彼らの無謀のすべてを許せ! などといったようには描かれてはいないのだ! むしろ、ある面では突き放されてすらおり、小さな悪事さえもなしている存在だとして、相対化して描いてすらもいたのだ!



 ダンが郊外の丘陵にある墓場で父の墓前にいると、そこに本話の元凶でもある地底人アングラモンが徘徊している姿を目撃する。


 このあたりは、今までの思うに任せない意地悪なストーリー展開の連続に比べると、明らかにご都合主義である。しかし、ダンと地底人とのドラマ的な接点をつくるためにはやむをえない。『A』にかぎらず、フィクションとは、そして特にこの手の変身ヒーロー作品とはそーいうものなのだ(笑)。


「ようし。父さんの仇を取ってやる」


 ダンは尾行を開始する。子供のころから体力も腕力も気力もなくて、敗北主義・負け犬根性だった我々のようなオタクとは異なる行動原理なのだが、ムチャなことはムチャだろう(笑)。


 ところで、「地底人」と聞くと、怪獣博士タイプの子供たちは、


●初代『ウルトラマン』(66年)第22話に登場した地底人
●『帰ってきたウルトラマン』(71年)第50話に登場した原始地底人キングボックル
●『ウルトラマンA』(72年)第5話に登場した地底エージェント・ギロン人
●『ウルトラマン80(エイティ)』(80年)に登場した地底人


 以上の種族をも即座に連想してしまうことだろう。さらに加えて、『ウルトラQ』や初代『ウルトラマン』には海底原人ラゴンが、『ウルトラセブン』では地底人こそ登場しなかったものの地底都市を警備する人間サイズのロボットたちこユートムが、海底には地球の先住民・ノンマルトも住んでいることが判明している。


 これら地底や海底をまたがって生息する地底人や海底人たちの勢力分布図はどうなっているのであろうか? などと、70年代後半の第3次怪獣ブーム世代の子供たちはそれがフィクションだと知りつつも、仮想世界の拡がりに妄想を逞しくして、時に語り合ったりもしたものだった(笑)。



アングラモン「出てこい! 出てこい! ギタギタンガ!! 暴れろ! ギタギタンガ! 今こそ地球人を全滅させるのだ!!」


 ダンは物音を立ててしまってアングラモンにその存在を気付かれてしまう! アングラモンもダンを抹殺しようと掛かってくる!


 パチンコを持っていたダンは、すかさずそれで弾(たま)を放った!


 パチンコの弾ごときに破壊力などあろうハズもないが、ここでアングラモンなりダン少年が一巻の終わりになってしまっては話が終わってしまうので、そうはならない(笑)。やはりご都合主義にもアングラモンの胸に見事に弾が命中して苦しみ出したことで、アングラモンの弱点が胸であることも判明して、それがまた伏線ともなっていくのだ。


 むろん、アングラモンに致命傷を与えたワケではない。アングラモンは息を切らしながらもダンに迫ってくる。敵に後ろを見せずに後退していくダンだったが、その先には断崖絶壁があってスベり落ちてしまう!


 転落したか!? と思いきや、ダンは多数の地層が浮き出た高い崖の途中に生えていた小さな木の枝にブラ下がって、事なきを得ていたのだった!


 これがマジでスゴい高い崖で、ダン役の梅津昭典が体を張って演技をしているのだ! ……いや、シャレにならない危険さで、今だと視聴者からお叱りの電話・FAX・メールが殺到しそうなほどだし、迫力はあるのだが、ここまで危険な撮影をする必要があったのかについては疑問も残る(笑)。


 超獣ギタギタンガの迎撃のために飛来したTACの戦闘機に関心を移したことで、ダンはトドメを刺されずに済んだ。


 タックパンサーで現場に急行していた北斗はダンの窮状を発見して、崖を這い上がり始める。北斗はヘルメットの通信機で、


「隊長! 一時、隊列を離れることを許可してください! ダン少年が危ないんです!」


と独断行動することを避けるために、改めて事情を説明して特例の許可を依頼する! しかし……


竜隊長「勝手な行動は許さん!! 攻撃が遅れたら、何千人もの人が殺されるんだ」


北斗「ダンの命も同じです!!」


 ウ~ム。今までのエピソードでは、父性はあっても温厚さや部下に対する寛容が描かれてきた竜隊長だったが、ここでは「大の虫」と「小の虫」を比較して、「大の虫」を生かすために「小の虫」を殺そうとするのだ。しかし今どきの甘ったるい作品だと、ここで無条件に「小の虫」を生かそうとするものだろう(笑)。


 ところで、政治や軍事とは99匹の子羊を救うためのものだが、文学や宗教とは1匹の子羊を救うためのものだとする議論がある。その旨のことを2000年も前にイエス・キリストも語っている。この論法でヒューマニズムや弱者尊重・少数派尊重を気取って、前者が圧倒的な「悪」で後者が圧倒的な「善」だとする極論に陥(おちい)ってしまうこともいかがなものだろうか? この問題は「善と悪」や「光と闇」との極論同士の関係性といったことではない。双方ともに一理があって、強いて云えば「太陽と月」・「陽と陰」・「父性と母性」のような、矛盾したそのままで双方ともに併存させる必要がある考え方ではあったのだ。


 しかし、本話ではこの両者に優劣すらをも付けない! 「正⇒反⇒合」として「弁証法」的な第3の、より高次なる立場としての回答が与えられることになったのだ!


 竜隊長や北斗ではなく、ダン少年自身が「自分のことを助けてくれ!」などといったエゴイズム的な「私」を主張するのではなく、「自分のことはいいから戦ってくれ!」といったバプリックな「公」こそを主張してみせたのだ!


 そして、北斗もまた「すぐに戻る!」とだけ告げて、ダンの地力を信じて、そして彼を救わずに戦線へと復帰していくのだ! 「公」と「私」の相克問題に対して、いずれかを極端に持ち上げることでいささか不公平な感を与えるストーリー展開ではなく、ことこの一連のシーンに関してだけは実にクレバー(利口)なストーリー展開ではなかっただろうか!?


 すでに巨大化していた地底人アングラモンは超獣ギタギランガと共闘して、TACの戦闘機を両眼からの赤い光線で撃墜していく。


 北斗は拳を握った両腕を胸の前でX字型にクロスさせて、左右斜め上にパッと広げてから、左右水平に両腕の拳を胸の前で、前話で地球を去った南夕子から託されたウルトラリングと、自身が元から指にハメていたウルトラリングをタッチさせた! そこにまばゆい光芒が走った!!


 そして、ウルトラマンエースへと単独変身して巨大化!!


 しかし、アングラモン&ギタギタンガ VS ウルトラマンエース の2体1という、劣勢を強(し)いられてしまう戦いだ!


「負けるもんか! 負けるもんか!」


 崖から這い上がろうとするダンも叫び続ける。


 その声に反応したエースが劣勢から優勢へと切り変わる本編と特撮のリンクが、あまりに即物的に過ぎてベタだともいえるのだが、同時に実に見事でもあるのだ!


 ギタギタンガはエースが超獣を抱え上げて投げつけるエースリフターで地面に叩きつけられた! 木っ端微塵!!――高熱の光線を浴びたワケでもないのに、木っ端微塵になってしまうのは、ちょっとムリがあるけれど(汗)――


 アングラモンは青い地震光線(!)によって、地震を起こして反撃に出る!


 地割れに落ちそうになったエースであったが、


「地底人の弱点は胸だよ~~!!」


という、先にダンに背中を押されて戦場へと向かった際に投げ掛けられていた助言を思い出した! 


 そして、ジャンプして空中で、前方へと揃えて突き出した両手の先から青白い光線・ハンドビームを放った!


 胸に光線が命中したアングラモンは炎上!――第20話の超獣ゼミストラーの断末魔と同様に、無人の着ぐるみをホントウに炎上させてしまっている!――



 ラストシーンは本話が「ダン少年編」であることを象徴させるかのように、TACの隊員たちとの談笑ではなく、北斗とダンとの和解が描かれている。


 父への信頼回復。「負けるもんか」を貫徹したことへの賞賛。ウルトラの星が常時、見えるようになったこと。北斗とダンは固い握手を交わしたのであった……



 かつてのやや悪印象だったことから来る、本話への先入観との比較でカサ上げされている一面もあるのかもしれない。しかし、意外と高かったそのドラマ性に驚かされた本話の再鑑賞なのであった。



<こだわりコーナー>


*アングラモンの声を演じたのは阪脩(さか・おさむ)であると思われる。氏は奇しくも同じく長坂秀佳が執筆した『帰ってきたウルトラマン』第41話『バルタン星人Jr(ジュニア)の復讐』でもバルタン星人ジュニアの声を演じていた。
 ただ、辰巳出版『僕らのウルトラマンA』(00年・ISBN:4886415180)によれば、アングラモンの着ぐるみは第5話に登場した地底エージェント・ギロン人の改造だったそうだ。ならば、ギロン人を演じた沢りつおが演じても良かったかもしれない(笑)。


*名脚本家・長坂秀佳があまたの作品群でテーマとしてきた「父と子」。ダンの父は本作ではすでに死していたとはいえ、本作もまたそのテーマの変奏版でもあった。ちなみに長坂先生は、この作品を生まれたばかりのご子息への遺言のつもりで執筆したことは今となってはマニア間では有名だ…… 長坂先生のご子息の名前は「断」だそうである。


*北斗の単独変身について、デジタルウルトラプロジェクト発売のDVD『ウルトラマンA』Vol.8(asin:B00024JJI8)の解説書では、北斗を演じた高峰圭二が以下のように語っている。


「夕子がいなくなったことが僕の演技に影響を与えたみたいなことは特にありません。ただ夕子がいなくなったことによって、今までだったら二人で空中回転して「ウルトラタッチ!」って派手にやっていたものを、北斗がたったひとりでやらなければならなくなった。どう考えても地味だからさ、健ちゃん(俳優・桜木健一(さくらぎ・けんいち))にも相談してカッコイイ変身ポーズをいくつか考えたんだよ。なのに「『仮面ライダー』じゃないから」ってプロデューサーと監督に却下されて、いちばん単純なポーズを採用されたんですね(笑)」


*視聴率23.6%


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2007年号』(06年12月30日発行)『ウルトラマンA』再評価・全話評大特集より抜粋)


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『エース』同人誌の歴史1 〜『A』再評価の端緒を築いた伝説の名同人誌『全員脱出!』

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ウルトラマンエース』最終回「明日のエースは君だ!」 ~不評のシリーズ後半も実は含めた集大成!

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