(2021年6月22日(火)UP)
『ウルトラギャラクシーファイト』 ~パチンコ展開まで前史として肯定! 昭和~2010年代のウルトラマンたちを無数の設定因縁劇でつなぐ活劇佳品!
『ウルトラマンタイガ』序盤総括 ~冒頭から2010年代7大ウルトラマンが宇宙バトルする神話的カッコよさ! 各話のドラマは重めだが豪快な特撮演出が一掃!
『ウルトラマンタイガ』『ウルトラギャラクシーファイト』『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』『仮面ライダー令和』 ~奇しくも「父超え」物語となった各作の成否は!?
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ウルトラマンシリーズの正統番外編であるネット配信『ウルトラギャラクシーファイト』の第2弾『ウルトラギャラクシーファイト 大いなる陰謀』(20年)が、2021年5月26日(水)にBD&DVD発売記念! とカコつけて、『ウルトラギャラクシーファイト』の第1弾『ウルトラギャラクシーファイト ニュージェネレーションヒーローズ』(19年)総括・合評をUP!
『ウルトラギャラクシーファイト ニュージェネレーションヒーローズ』総括 ~戦闘連発でも多数キャラの動機・個性・関係性は描破可能! 物語よりも点描に規定される作品の質
『ウルトラギャラクシーファイト』総括・合評1 ~尺は短いがウルトラヒーロー共闘でまとめられたストーリー
(文・中村達彦)
(2020年2月8日脱稿)
2019年3月公開の『劇場版ウルトラマンR/B(ルーブ) セレクト!絆のクリスタル』と2019年7月放映開始の『ウルトラマンタイガ』第1話を結ぶ作品。『ウルトラマンギンガ』(2013年)から『ウルトラマンR/B』(2018年)までのウルトラマンロッソとウルトラマンブルの兄弟、更にウルトラマンタロウをはじめウルトラ6兄弟やウルトラマンゼロ、ウルトラマン妹のグリージョや外国で製作されたウルトラマンリブットも登場している。アクションを重視したストーリーだ。俳優は登場せず、着ぐるみスーツで占められている。
監督は坂本浩一。海外の『パワーレンジャー』シリーズ(1993年~・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20080518/p1)をはじめ、日本ではウルトラシリーズ以外にも東映特撮などを手がけている。東映でもヒーロー大集合映画を手掛けており、それぞれの見せ場を見事に作っているので、担当監督としては申し分ないだろう。
ストーリーは各惑星でウルトラマンが襲われる事件が続発し、ウルトラマンロッソとウルトラマンブルが去ってしまった地球でも、ウルトラウーマングリージョと彼女を助けに来たゼロがウルトラダークキラーに襲われ捕まってしまう。ロッソとブル兄弟は強制的に召喚されて、昭和ウルトラ一族の故郷である光の国でウルトラマンタロウからその異変を聞かされて、彼らの妹であるグリージョの捜索に向かうが、岩の惑星ペノルで『劇場版ウルトラマンギンガS(エス) 決戦!ウルトラ10勇士!!』(2015年)に登場した超時空魔神エタルガーの攻撃を受けてしまう。同じ頃、ウルトラマンオーブもウルトラマンX(エックス)、ウルトラマンジードに極似したふたりの黒い戦士の攻撃を受けていた。
ロッソとブルを救ったのはタロウの依頼を受けたウルトラマンリブットで、他の惑星にいたウルトラマンX・ジード・オーブも駆け付けてきたウルトラマンギンガ・ウルトラマンビクトリーに助けられる。
改めて光の国に集まるウルトラマンたちへウルトラダークキラーからのメッセージが。囚われのグリージョとゼロは惑星テンネブリスにいるという。2人を助けるため、飛び立つ7人のウルトラマン。
ウルトラダークキラーは、かつてウルトラマンたちを苦しめた強敵エタルガーやダークルギエル、ウルトラマンXやウルトラマンオーブ・ウルトラマンジードのエネルギーを吸収して作った3体の悪のウルトラマンXやウルトラマンオーブやウルトラマンジードとともにダークネスなる軍団を構成している。それらを見守る謎の影。
テンネブリスに到着したウルトラマンたちを迎え撃つダークネス軍団。次々に敵を引き受けていくが、残ったロッソとブルはウルトラダークキラーの攻撃を受ける。だがグリージョを助けるため、エネルギーを与え続けていたゼロの姿にウルトラマンたちは奮起。各々はゼロの力を由来とする姿にタイプチェンジして、ダークネス軍団を撃破する。
残ったダークキラーはなおも暗黒エネルギーで巨大化、ウルトラマンゼロダークネスを生み出すなど抵抗するが、ウルトラマンタロウの援護、ジードの力を借りて強化形態に変身したゼロビヨンドと、ロッソ・ブル・グリージョが合体したウルトラマングループが登場。ウルトラマンたちの一丸となっての一大攻撃で倒される。
新鋭ウルトラマンリブットにその存在を暴かれて、ラストにウルトラマンたちの前に姿を表す、事件の黒幕である悪のウルトラマンでもあるウルトラマントレギア。トレギアを追って飛び立っていくウルトラマンたちと、ゼロとともに故郷の綾香市へと戻っていくグリージョの姿で終幕となる。
2010年代に登場した新世代ウルトラマンたちの共闘を描いて、『ウルトラマンタイガ』の物語の直前に起きていた戦い。トレギアが黒幕であったことは周知のことであろう。歌唱グループ・ボイジャーなどが奏でる各『ウルトラマン』の主題歌BGMが劇中に流れて、否応なく盛り上げてもいる。また各所にウルトラファンをニヤリとさせる単語があちこちにありそれらも嬉しい。海外製作のウルトラマンリブットも顔見せ程度に終わっておらず、その強さを見せている。
他にもウルトラ5兄弟とウルトラ6重合体したウルトラマンタロウがその全身を炎上させて自爆特攻するウルトラダイナマイトでダークキラーを倒した過去の戦いが、セリフのみならずきちんと映像で描かれたり、ゼロやグリージョにも見せ場が用意されているあたりもよい。もっとも最新作『ウルトラマンタイガ』の3大新ウルトラマンであるウルトラマンタイガ・ウルトラマンタイタス・ウルトラマンフーマが最後までチラリとも現われなかったのは残念だし、ウルトラマンオーブの好敵手・ジャグラスジャグラー登場が外されたのも残念だったが……。
しかし、近年では作品ごとに異なっているはずのパラレルワールドで、その越境は容易ではないとされていたはずなのに、特に説明もなく越境ができていたり、昭和ウルトラの世界である光の国に、他の並行宇宙の世界にいるウルトラマンたちが簡単に集合してしまえるのは少し安易な気がする。何らかの説明なり秘密の次元越境が可能な人工ルートができたなどのウラ設定を作った方がよいのでは?
ウルトラマンの敵は回りまわってウルトラマンというのがここ10年のパターンだが、同様に強敵に苦戦する中でウルトラマン同士の絆からスーパーパワーが発揮されて、超ウルトラマンが登場し、戦いに勝つパターンも目に付く。その流れは、今度の映画『劇場版ウルトラマンタイガ ニュージェネクライマックス』でも継承されるようで……。
飛び立った7人のウルトラマンは、変身前の俳優ごと今度の映画に登場するが、『タイガ』第1話の冒頭と『タイガ』本編の間でも時間は12年くらいが経過しているはずなので、変身前の地球人たちは12年分の歳を取っていないと矛盾が発生してしまう(笑)。次の『ウルトラマン』ではこのへんにも矛盾が発生しないように、あるいはSF的な言い訳をつけることで実は矛盾はないとするような工夫をして、そういった要素でも子供やマニアたちを疑似SF的な知的遊戯で楽しませてほしい。
『ウルトラギャラクシーファイト』総括・合評2
(文・久保達也)
(2020年1月25日脱稿)
*『ウルトラマンR/B』と『ウルトラマンタイガ』の間に起きた史実!
2019年9月29日(日)から無料動画配信サイト・YouTube(ユーチューブ)の円谷プロ公式チャンネル・ULTRAMAN OFFICIAL(ウルトラマン・オフィシャル)にて毎週日曜朝に週1回で配信されてきた各回約5分の短編シリーズ『ウルトラギャラクシーファイト ニュージェネレーションヒーローズ』(19年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200110/p1)が、同年12月21日(日)に全13話で完結した。
本作『ウルトラギャラクシーファイト』では、映画『劇場版 ウルトラマンR/B(ルーブ) セレクト! 絆(きずな)のクリスタル』(19年・松竹・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190407/p1)でデビューを飾った敵キャラ・ウルトラマントレギアが一応のウラのラスボスキャラである。
しかし実質的には、パチンコメーカー・京楽(きょうらく)が2012年にリリースした『CRぱちんこウルトラマンタロウ 戦え!! ウルトラ6兄弟』以降、同社のウルトラマンを題材にしたパチンコにラスボスとして登場してきたウルトラダークキラーが本作のラスボスキャラを務めている。
そして、トレギアとダークキラーが手を結んでつくりだした偽ウルトラマンこと黒いウルトラマンであるウルトラマンエックスダークスネス・ウルトラマンジードダークネス・ウルトラマンオーブダークネス・ウルトラマンゼロダークネスに、歴代シリーズのラスボス級キャラである暗黒の魔神ダークルギエルや超時空魔神エタルガーたちと、『ウルトラマンギンガ』(13年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200819/p1)から『ウルトラマンR/B(ルーブ)』(18年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20180826/p1)に登場してきた、いわゆるニュージェネレーションウルトラマンたちが宇宙を狭(せま)しと激闘を繰りひろげてきた。
最終回となったEpisode(エピソード)13のラストにて、唯一(ゆいいつ)生き残ったトレギアを追って、ダークキラーの本拠地・惑星テンネブリスを飛びだしていく7人のニュージェネレーションウルトラマンたちに、トレギアが高笑いするイメージ映像をかぶせて幕となる……
本作は昨2018年度の直前作『ウルトラマンR/B』の後日談である『劇場版 ウルトラマンR/B』後のエピソードであり、そしてこの『劇場版R/B』で初登場したトレギアがレギュラー悪として登場した最新作『ウルトラマンタイガ』(19年)第1話『バディゴー!』冒頭(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190811/p1)のウルトラマントレギア VS 7大ニュージェネレーションウルトラマンとの宇宙空間での大決戦の間に起きた史実として、両者をつなぐ役割をも担(にな)っていたのだ。
だが、決してそればかりではない。映画『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE(ザ・ムービー)』(09年・ワーナー・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20101224/p1)でデビューを飾って、2010年代のウルトラシリーズではニュージェネレーションウルトラマンたちを常に支える頼もしい先輩としても描かれてきたウルトラマンゼロを起点とした、後輩ウルトラマンたちの「人物相関図」が点描されることで、本作は『ギンガ』以降のニュージェネレーションウルトラマンの総決算ともなりえていたのである。
*登場キャラ全員をカッコよく描いてみせる、感覚的なようで実は技巧的な作劇&演出!
映画『劇場版R/B』で女子高生・湊アサヒ(みなと・あさひ)が初変身したウルトラウーマングリージョを、Episode1では『R/B』の舞台となっていた並行宇宙の地球である日本の綾香市(あやかし)で、ウルトラダークキラーからその身を呈してかばって以降、本作でのゼロはEpisode10に至るまで、ダークキラーがつくりだした無限の闇・ダークキラーゾーンの中でグリージョとともに囚(とら)われの身となってしまっている。
これはたとえば、
・『ウルトラマンA(エース)』(72年)第13話『死刑! ウルトラ5兄弟』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060803/p1)に、ゲストとして登場したウルトラ4兄弟=ゾフィー・初代ウルトラマン・ウルトラセブン・ウルトラマンジャックのように、せっかくマイナス宇宙にあるゴルゴダ星に全員が集結したのも束の間(つかのま)、ロクな活躍も見せないうちに異次元人ヤプールによって十字架に磔(はりつけ)のままになってしまったり、
・同作の第26話『全滅! ウルトラ5兄弟』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061030/p1)では、地獄宇宙人ヒッポリト星人にブロンズ(青銅)像として固められてしまったウルトラマンエースを助けに来たのに、自分たちもほとんど一矢(いっし)も報いずにすぐにブロンズ像に固められてしまったり、
・『ウルトラマンタロウ』(73年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20071202/p1)第18話『ゾフィが死んだ! タロウも死んだ!』で、ウルトラ兄弟の長男・ゾフィーが火山怪鳥バードンに火だるまにされたあげくにやられっぱなしだったり、
・同作の第40話『ウルトラ兄弟を超えてゆけ!』で、ウルトラ5兄弟が暴君怪獣タイラントに次々とあっけなくやられていったりなど、
同時期の70年代前半の昭和の仮面ライダーシリーズに客演した先輩仮面ライダーたちと比べると「兄さん」なのに「弱い」「情けない」といった印象がつきまとっていたのと同様だとの批判も論理的にはありえるかもしれない。
しかし本作のゼロは、70年代前半の第2期ウルトラシリーズに客演した先輩ウルトラ兄弟たちのようには必ずしも弱くて噛ませ犬のようには見えてはいないだろう。それは単身で一方的にヤラれているような負け方では決してなく、あくまでもウルトラウーマングリージョを守るための重荷を背負ったハンディキャップ・マッチになっているというエクスキューズがある作劇、そしてそれらを適格に体現してみせているアクション演出があるからだ。
つまり、反実仮想で暗黙裡にグリージョがこの場にいなければウルトラマンゼロは勝てないまでもウルトラダークキラーにここまで一方的にはヤラれることはなかったハズなのだ! 敵わずとも拮抗はできたかもしれない! と視聴者の心の片隅にそう思わせるような作劇&演出ができているからでもあるのだ。
平成仮面ライダーシリーズのヒロインたちは決して守られるだけの存在ではなく、中には仮面ライダーに変身までするほどに活躍を見せるコもいるのとは異なり、昭和の仮面ライダーシリーズにレギュラーで登場してきた「ライダーガールズ」たちは単なる「人質要員」としての印象が強かった。グリージョも一見するとその「ライダーガールズ」のような扱いかと思われそうではある。
だが、そのグリージョもEpisode10では、
「私だって、ウルトラマンです!」
と叫んで、全身から強い光を放ってウルトラダークキラーとウルトラマンゼロダークネスといった2体の強敵を勢いよく吹っ飛ばしてみせる点描を入れてみせている。敵に一矢を報いてみせることで、ゼロの足を引っぱっているだけといった、ややもすれば昭和の先輩ウルトラ兄弟やライダーガールズたちのように視聴者に少々の不快感をも与えかねない印象を回避(かいひ)することにも成功しているのだ。
これらは脚本の足木淳一郎氏や坂本浩一監督が、先述した『A』や『タロウ』のウルトラ兄弟客演編などで、当時や後年の子供たちや特撮マニアたちも感じていただろう不満や鬱憤を、ここぞとばかりに数十年後のリベンジ(笑)として解消しようとした作劇&演出でもあっただろう。
先輩ウルトラ兄弟たちがワリを喰ってしまうことで往時の子供たちをガッカリさせてしまっていた作劇とは異なり、『ウルトラギャラクシーファイト』においては先輩ウルトラ戦士やライダーガールズ(笑)にも大活躍の場面を、あるいは結局は敵に押されて負けてしまうような場面であったとしても、敵に対して一矢は報いていたり、別のキャラクターを助けたり守ったりするためのハンディキャップがあったからだ! とするようなディテール描写を随所に挟んでいっているのだ。
「最初は負けても、最後には勝つ!」という作劇が勧善懲悪活劇の普遍ではあり、ひいては昭和のウルトラ兄弟客演編や本作『ウルトラギャラクシーファイト』でも、「アラスジ」のレベルではそこに還元されてしまう同類項のものではある。しかし、そのような「エクスキューズ作劇」や一矢は報いてみせたという「反撃アクション演出」の有無などで、作品の印象やクオリティーといったものは天と地ほどにも異なって感じられてきてしまうものでもあるのだ。
そういう意味では「ストーリー」「アラスジ」なぞは作品の「本質」などではまるでなく、苦戦や敗北した際の「エクスキューズ作劇」や「反撃アクション演出」の有無なども作品のキモなのであって、作品の「本質」ですらあるのかもしれないくらいなのだ!
・映画『劇場版 ウルトラマンギンガS(エス) 決戦! ウルトラ10勇士!!』(15年・松竹・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200404/p1)が初出で、本作でも復活した超時空魔神エタルガーを倒すために地獄の特訓(笑)をウルトラマンギンガとウルトラマンビクトリーに課したウルトラマンゼロ!
・映画『劇場版 ウルトラマンX(エックス) きたぞ! われらのウルトラマン』(16年・松竹)では、ウルトラマンエックス・初代ウルトラマン・ウルトラマンティガが東京で戦っている間に、世界各地の主要都市に現れた溶鉄怪獣ツルギデマーガを倒すために歴代ウルトラマンたちとともに駆けつけたウルトラマンゼロ!
・映画『劇場版 ウルトラマンオーブ 絆の力、おかりします!』(17年・松竹・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200406/p1)でも、ウルトラマンオーブとともに奇機械改竜ギャラクトロンと戦ったウルトラマンゼロ!
・テレビシリーズ『ウルトラマンジード』(17年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20170819/p1)では、レギュラーキャラとなってウルトラマンジードと共闘したウルトラマンゼロ!
ニュージェネレーションウルトラマンたちの頼もしい先輩として大活躍をさせてきたウルトラマンゼロを本作ではあえて囚われの身として描いたのは、もちろんそろそろ従来作との差別化として年輪を重ねてきたニュージェネレーションウルトラマンたちの方を逆にゼロよりも大活躍させることで、彼らもまた強く成長したのだということを描いて、視聴者にゼロの大活躍とはまた別種のカタルシスも与えよう! といったところが、本作最大の目的でありコンセプトでもあったためであろう。
恩人でもあり師匠でもあるゼロを救出するために、若き7大ウルトラマンが邁進(まいしん)する姿がひたすらカッコよく描かれる。そして、彼らにはゼロに助けられてきた「恩義」を感じているといった「行動動機」をそのセリフでも語らせてみせたり、歴代ウルトラシリーズを長年にわたって鑑賞してきた特撮マニアたちや、後追いでも歴代シリーズを鑑賞してきた特撮ファンや子供たちが、それらの作品に対する記憶までをも勝手にダブらせてしまうことまで計算したことで、単なるアクションものとしてだけでなく、クドクドとした説明ヌキでの端的な「点描」だけでも「ドラマ性」を宿らせることができているのだ。
教科書的な意味での狭義のドラマツルギーとしては反則ワザでも(笑)、このような「点描」もまた広義の意味では「作劇的な技巧」そのものだ! といってもよいのではなかろうか!?
*「ドラマ性」を高めるためのものとしての「ヒーローの最強形態」!
本作の終盤で、そのニュージェネレーションウルトラマンたちによるゼロへの「恩返し」の最大の象徴として描かれているのが、Episode11のクライマックスである。
その直前回であるEpisode10で、ニュージェネウルトラマンたちの大活躍によって倒されたハズのウルトラダークキラーが、トレギアの力によりジャンル作品の毎度のお約束によって「質量保存の法則」を無視してデタラメにデカい姿となって復活する!――科学的・ハードSF的にはオカシいけど、ヒーロー活劇・ライトSF的には正しい作劇だと思うので、もちろん大カンゲイ(笑)――
ここでジードが、
「今度はボクたちがゼロを助ける番だ!」
と、テレビシリーズ『ジード』では小型カプセルから機動される先輩ウルトラ戦士個々の超パワーを模したエネルギーであったものが、ウルトラマンギンガ・ウルトラマンビクトリー・ウルトラマンエックス・ウルトラマンオーブ本人たちのエネルギーを浴びせることで、ウルトラマンゼロをその強化形態・ウルトラマンゼロビヨンドへと変化させるのだ!
このゼロビヨンドは『ジード』の中盤(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200523/p1)ではギンガ・ビクトリー・エックス・オーブの超パワーを再現するニュージェネレーションカプセルを使うことで、ゼロが地球で合体している妻子持ちのさえないサラリーマン・伊賀栗レイト(いがぐり・れいと)が「オレに限界はねぇ!」という掛け声とともに強化変身させるに至った形態であったハズだった。
4人の新世代ウルトラマンの超パワーの結晶として、本作でもこのニュージェネレーションカプセルでの変身のバンク映像をキッチリと再現するのみならず、地球でのゼロとレイトとの間に生まれた絆をヌキにしてもゼロがビヨンドに変身できてしまった設定矛盾については、ジードはゼロに対して「レイトさんにはナイショで……」と頼みこんでいる(笑)。
もちろん「アラスジ」レべルで云えば、ニュージェネウルトラマンたちがウルトラマンゼロに「恩返し」をするのならば、ぶっちゃけ単にウルトラダークゾーンからゼロを救出したというノルマさえ達成できれば、それだけで済むのである。
しかし、Episode9のラストにてウルトラマンギンガ・ウルトラマンビクトリー・ウルトラマンエックス・ウルトラマンオーブ・ウルトラマンジードに、それぞれウルトラマンゼロに対する「恩義」を端的に象徴するセリフを激アツに叫ばせながらウルトラマンゼロの力に由来するそれぞれの強化形態にタイプチェンジしていった描写を反転させるかたちで、今度は逆に後輩ウルトラマンたちの方からその力でウルトラマンゼロを強化形態に変化させるような描写を挿入することも、各ウルトラマンたちのタイプチェンジ形態をたくさん出して画面をにぎやかにしたり変化をつけて視聴者を少しでも飽きさせないようにしようという意味ももちろんあっただろうが、それだけでもないだろう。
ニュージェネウルトラマンたちがウルトラマンゼロを単に物理的・形式的に救出ができたということのみならず、各々の想いが込められたエネルギーが注入されていくことで、その「恩返し」を具体的で「ドラマチック」な「ビジュアル」としても象徴させることができている「映像演出」にも昇華していたのだ!
今回のゼロビヨンドは、その姿への変身からEpisode12における、ゼロ自身のネガ像でもあリ短編シリーズ『ウルトラゼロファイト』第2部『輝きのゼロ』(12年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200314/p1)が初出でもある、悪のウルトラマンであるベリアルの怨霊に憑依されたウルトラマンゼロがその全身の体色を黒色に染めた姿でもあったウルトラマンゼロダークネスの単独出現版とのガチンコバトルに至るまで、その全身が金色に光り輝いたままである。
そして、キックの残像までもが星のようにキラキラと金色に輝くほどの演出がなされることで、テレビシリーズでは白銀主体の体色であったゼロビヨンドよりも強化されていて、その全身が金色と銀色にキラキラと輝いていた最強形態・シャイニングウルトラマンゼロにも近いような、シャイニングとビヨンドとの中間形態なのだろうことも含意させている。
――後日付記:後付けのようだが(?)、この形態にはウルトラマンゼロビヨンド・ギャラクシーグリッターという正式名称が付与されていた――
もちろん、最後の最後に正義の味方であるウルトラマンたちが勝利することは幼児であっても充分にわかりきってはいる(笑)。しかし、先述したように本作ではニュージェネウルトラマンたちのキャラを立てるためにもウルトラマンゼロが相対的にはワリを喰わされてきたが、それだけでも視聴者のフラストレーションが少々たまってしまうので、クライマックスではゼロにも相応のバトルを演じてもらうためにも、終盤でのゼロのパワーアップしてからの反撃描写は有効に機能しているのだ。
ゼロの父であるウルトラセブンのトサカ部分が外れてブーメラン武器となるアイスラッガーを継承する、ウルトラマンゼロの姿では2つ、ゼロの力を借りたウルトラマンオーブのタイプチェンジであるウルトラマンオーブエメリウムスラッガーでは3つあったトサカを、4つもそびえさせてそこから放ったクワトロスラッガーをゼロダークネスに向けて飛ばしたゼロビヨンド!
しかし、ゼロダークネスにハネかえされてしまった金色に輝くスラッガーを、今度はその両腕の中で2体ずつで合体させて巨大な三日月状の刀2振りと化さしめた!
ゼロビヨンドがその二刀流「ツインギガブレイク!」でゼロダークネスをスレちがいざまにブッた斬る!!
これらのさまはまさに時代劇や劇画調の演出となっており、斬られたゼロダークネスが燃え上がっている炎を背景に、二刀流をかまえたゼロビヨンドをあおりでとらえたカッコいいカットは最高にカタルシスが得られるものとなっている!
*「アクション演出」で「ドラマ性」を高めることでもできる! 昭和ウルトラの先輩客演編を反面教師として!
先述した往年の『A』や『タロウ』のウルトラ兄弟客演編では、兄さんたちがカッコいいところをほとんど見せずに終わっていた。たとえば、ウルトラ5兄弟を一度は全滅させたほどのヒッポリト星人相手であるのに、通常回で多用するいつものウルトラマンエースの必殺ワザ・メタリウム光線一発で倒してしまっていた。
しかし、それではヒッポリト星人は通常回に登場する並みの怪獣と同じ強さしかなかったことになってしまうのだ。そのへんが子供心にも辻褄が合わないように感じられて腑に落ちなかったところでもある。
だからそこは、助っ人に飛来したウルトラの父がエネルギーをチャージ(充電)して復活したウルトラ5兄弟が、ここぞとばかりに必殺光線を一斉照射!
もしくは、超強敵・異次元超人エースキラーを倒した際のように、エースの頭頂部にウルトラ4兄弟のエネルギーを照射してからエースが放つ合体光球・スペースQをここぞとばかりに再披露をすべきであっただろう!
「敵に一矢を報いる」アクション演出を敵キャラ側にも援用してみせれば、合体光線やスペースQを浴びてしまったヒッポリト星人にも、即座に爆発四散はさせずにしばらくは堪え忍んでみせているさまを、ヒイてジラして描いてみせる「タメ」の演出を挿入する!
そのことで、最後には敵キャラが爆発四散して滅びるのは確定路線なのだとしても(笑)、それによってヒッポリト星人がますます強く見えてくるし、そんな強敵をも撃破してみせるヒーロー側の強さも際立つことで、最後の勝利のカタルシスをも倍増させることができたハズなのだ!
歴史的な大傑作ではあるものの、一度にウルトラ一族100万人を敗退させたほどのジャカル大魔王を相手にして、最後にはウルトラ一族の長老・ウルトラマンキングの神秘の力によって復活したウルトラ6兄弟の合体光線で決着がついてしまった漫画『ザ・ウルトラマン』(75年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20210110/p1)のラストバトルは実にアッサリとしてしまっている。
しかし、復活を果たした(厳密にはジャッカル四天王のひとりが進化した)ジャッカル大魔王との戦いで、
・今は亡き暗黒宇宙大皇帝エンペラ星人のヨロイ・アーマードダークネスの一部をやむをえずに着用してジャッカル破壊光線を阻止せんとするウルトラマンメビウス!
・けれども、ヨロイの闇の意思に飲まれそうになってしまったメビウス!
・それに対抗するためにウルトラ6兄弟がメビウスとウルトラ7重合体を果たした最強形態・ウルトラマンメビウスインフィニティーが出現!
・されど、宇宙の各所からアーマードダークネスの残りの全パーツが飛来してきてメビウスインフィニティーの全身を覆(おお)ってしまうという再度の大ピンチが到来!
・そこに駆け付けたキングがヨロイの呪いを弱めるためにウルトラの国の秘宝・ウルトラベルの鐘の音(かねのね)を響かせる!
……といった攻守逆転のツルベ打ちといった感の粘りもある「アクション演出」の一連でおおいに盛り上げてみせていた、先の『ザ・ウルトラマン』の実質的な続編でもあった漫画『ウルトラマンメビウス外伝 アーマードダークネス ジャッカル軍団大逆襲!!』(08年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20210117/p1)のラストバトルを、対照的な比較例として提示してもよいだろう。
ハッキリ云って、「ストーリー」や「アラスジ」なぞではなくって、この手の勧善懲悪エンタメ活劇の成否のキモとは、このような「シーソー的な秘術の尽くし合い」の「パワー合戦の連発」や、たとえ敗退してしまうにしても一矢は報いてみせたという「反撃アクション演出」の有無、一時的にでも耐え忍んでみせるような「タメ演出」といったディテール描写の有無によって「傑作か否か」や「名勝負か否か」といった品格が決まってしまうものなのだ。むしろソコしかないともいえるのだ。
そして、「作品批評」もまたソコを析出して語っていくことこそが、作品の「本質」にも接近していくショートカット・近道ですらあるともいえるだろう!
――加えて、ついでに云わせてもらえば、「読ませる文章」一般の極意といったものも、この「シーソー感覚」や「タメ演出」といったものであって、「エンタメ活劇の作劇」や「アクション演出」の巧拙のテクニックにも通じているものがあるようにも思えるのだ(汗)――
・変身怪人アンチラ星人が化けていた偽・郷秀樹の前にホンモノの郷秀樹が再登場して、帰ってきたウルトラマンことウルトラマンジャックに再変身してウルトラマンエースとも共闘! アンチラ星人&サイゴン VS エース&ジャックの大激闘を描く!
・火山怪鳥バードンに一度は殺害されたゾフィー兄さんも最後にはウルトラの母の力で復活を果たして、タロウと共闘して地球最強の怪獣であるバードンをやっつける!
・暴君怪獣タイラントに太陽系の各惑星でひとりずつ対戦して敗退していったウルトラ5兄弟たちだったが、最後には死力を振り絞ってリベンジのために地球に飛来してきてタロウを含むウルトラ6兄弟が組んずほぐれつの果てに合体怪獣タイラントを打ち負かす!
・重苦しい特訓ドラマや所帯じみた学園ドラマの中でも、月に一度くらいは助っ人参戦してくれるウルトラ兄弟とも共闘を果たして、ウルトラマンレオやウルトラマンエイティが強敵怪獣を爽快にやっつける!
・円谷プロ創立10周年記念作である怪獣映画『ダイゴロウ対ゴリアス』(72年)などもマイルドな良作だったとは思うけど、『東映まんがまつり』の枠内で上映された仮面ライダーシリーズの映画『五人ライダー対キングダーク』(74年)などのように、『ウルトラ5兄弟VS超獣軍団』(!)のようなひたすら戦っているだけの新作映画をあの時代においても製作する!
往年の昭和の第2期~第3期ウルトラシリーズでのウルトラ兄弟客演編でもこのようなストーリーの作品があれば、往時の子供たちに失望感や欲求不満を与えることなく、最後には気持ちのいいカタルシスだけが残ったハズであったのだ。引いては、それによって第2次怪獣ブームどころか特撮変身ブーム自体も失速せずに、かえって子供間での特撮ヒーロー作品の人気も沸騰して、変身ブーム自体ももっと延命させることができたのではなかろうか!?
――その伝ではそのへんの子供たちの機微をわかっていて、客演編では先輩ライダーたちをほとんどピンチに陥(おちい)らせることなく大活躍をさせてきた昭和のライダーシリーズを担当してきた東映の故・平山亨(ひらやま・とおる)プロデューサーは偉大であったのだ……(氏の感覚自体が非常に子供っぽかったともいえるのだけど・笑)――。
*各ヒーローの関係性&立ち位置を最大限に活かす「点描」とは!?
もちろん、バトル演出だけではない。
ニュージェネの中では最も後輩である『R/B』の主人公ウルトラ兄弟の兄であるウルトラマンロッソが、妹のグリージョをずっと守ってくれたウルトラマンゼロに対して深々と頭を下げている演技。
先輩たちを「(初代)ウルトラマンさん! (ウルトラマン)ティガさん!」と敬称をつけて呼んでみたり「お疲れさまです!」などと丁寧語や敬語で労をねぎらっていたオーブが(笑)、それらをきちんと踏襲(とうしゅう)して「ゼロさん、大丈夫ですか?」などと語りかける描写。
鼻につく域には達していないものの、やや不遜な言動だったギンガ――というかギンガと合体している地球人青年・礼堂ヒカル(らいどう・ひかる)の言動――は、先輩のゼロに対してもやはりタメ口であったりする(笑)。
基本的には腰が低くて常識人キャラであるジードも、その看板番組でずっと共演してきたゼロに対してだけは「先輩」というよりかは「友だち」感覚で接しているのだ。
これらの点描は、それぞれのキャラクターたちの個性やゼロとの関係性のちょっとした相違を端的に示してもみせている名描写ともなりえている。
そのゼロが右手を後頭部に当てながら頭を左右にコキコキと動かす「あ~疲れた」とでも云いたげな、妙にオッサンくさい仕草(爆)を見せる演出・演技も実によい。
すでにデビューから10年が経過して――『ウルトラゼロファイト』第2部ラストから『ウルトラマンギンガ』第1話冒頭で描かれたウルトラ一族全員がソフビ人形化させられてしまった大戦争「ダークスパークウォーズ」までの間にも相応の歳月が過ぎていたであろうし、さらにそれから1000年後の時代が『ギンガ』本編における並行宇宙の地球の世界でもあったので、作品世界の中でもゼロのデビューからは実は数千年~数万年が経っているのかもしれない(笑)――、ニュージェネウルトラマンたちからすればゼロが立派な大先輩=レジェンドウルトラマンと化していることを最大限に象徴する秀逸(しゅういつ)な描写にもなりえているのだ。
そして本作では、ニュージェネウルトラマンたちの中では最も先輩であるウルトラマンギンガにリーダー感を与えて、先輩格キャラとして立てることにも成功していた。
加えて、ゼロダークネスをゼロ本人にまかせて、ニュージェネウルトラマンたちが本作のラスボスであるウルトラダークキラーと決着をつけようとしたそのとき、先述した『CRぱちんこウルトラマンタロウ 戦え!! ウルトラ6兄弟』などのパチンコでの展開までをも本作は前史・史実として肯定(こうてい)したことで、そのウルトラマンタロウがダークキラーの因縁の相手としても必然性をもって現れることとなったのだ!
ウルトラマンオーブにウルトラマンジード、ウルトラマンロッソにその弟のウルトラマンブルに至るまで、近年のウルトラマンが歴代レジェンドウルトラマンのパワーを使って変身したりパワーアップするのが当たりまえとなった。その中でも昭和のウルトラマンの中では両耳から巨大なツノを生やしている強烈なルックスもあってか、キャラクターとしては根強い人気を誇(ほこ)っているウルトラマンタロウは、各ウルトラマンのタイプチェンジの一形態の元パワーのひとつとして扱われることが多かった――ロートルな筆者などよりもさらにはるかに年上である、初代『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』などの第1期ウルトラシリーズだけを神格視してきた、今や還暦戦後の第1世代の特撮マニアにとっての『タロウ』とは、いまだに否定されるべき作品なのだとしてもだ!――。
だが、今回もウルトラマンギンガの因縁の宿敵として再登場した悪の人型巨人・ダークルギエルが、かつてM78星雲・光の国で勃発(ぼっぱつ)したウルトラマンVS怪獣軍団との全面戦争「ダークスパークウォーズ」の最中(さなか)に、ウルトラマンたちや怪獣たちもすべてを手のひらサイズのソフトビニール人形と化してしまったために、『ギンガ』本編ではタロウも人形のかたちとはいえレギュラー出演することとなっていた――そして『ギンガ』終盤では、その巨人としての本来の姿を復活させていた!――。
つまり、タロウと「相棒」として直(じか)に常に接してきたのは、ニュージェネウルトラマンたちの中では『ギンガ』の男子高校生主人公・礼堂ヒカル=ウルトラマンギンガだけだったのだ。ギンガのみがレジェンドウルトラマンであるタロウと旧知どころか実に親しい仲であった史実を踏まえた描写がここで正しくなされているのだ。
Episode12のクライマックスでは、さらにそのギンガのリーダーとしてのキャラを立てるための作劇&演出がなされていた。
その前段ではタロウの力を借りることで、テレビシリーズ『ギンガ』の続編『ウルトラマンギンガS(エス)』(14年)におけるタロウのデザイン意匠(いしょう)をまとった強化形態・ウルトラマンギンガストリウムへと久々に変身する!
そして、ウルトラマンビクトリー・ウルトラマンエックス・ウルトラマンオーブ・ウルトラマンジードもこれに合わせてそれぞれの最強形態に、ウルトラマンロッソ・ウルトラマンブル・ウルトラウーマングリージョの3兄妹はオーロラのシャワーが降り注ぐ中で手をつないで、映画『劇場版R/B』で初披露となった最強形態・ウルトラマングルーブへと合体変身をとげた!
タロウの力を得たギンガがタロウの必殺光線でもある「ストリウム光線」を放ったのを皮切りに、ウルトラダークキラーが紫色の細いストレート状の光線を何重にも発射する中で、ウルトラマンビクトリー・ウルトラマンエックス・ウルトラマンオーブ・ウルトラマンジード・ウルトラマングルーブが、レーザーブレード・電撃スパーク・七色の光輪など見た目も含めてあざやかにダークキラーに猛反撃を繰り出していく! オーブに至ってはエックスの攻撃に隙(すき)を見せたダークキラーに「よそ見するな!」と空から急襲してキックをかますのがちょっとヒドかったりするけれど(笑)。
元々無敵の強さを誇っていた悪の巨人であるダークキラーをワザワザ「超巨大化」させる手法は、アタマの硬い旧型オタたちには「近年の特撮作品によくあるマンネリの超巨大化ラストバトルだ!」と批判をするのだろうが、多数のヒーローの大活躍を気兼ねなく気持ち良く描写するためには、ラスボスがウルトラマンたちと同じサイズであると集団イジメに見えてしまうことを回避するためには絶対的に必要な演出でもあるのだ! ウルトラシリーズにかぎらずあまたのヒーロー大集合作品のラストバトルがこうなるのは必然だとさえいえるのであった(笑)。
ヒーローよりも巨大なサイズのラスボスと戦うヒーロー集団といったシチュエーションの原点は、『仮面ライダーX(エックス)』(74年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20141005/p1)の劇場版で昭和の5人ライダーと戦ったラスボス・キングダークや、『仮面ライダーストロンガー』(75年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20201231/p1)の最終回で7人ライダーと戦った岩石大首領に、『(新)仮面ライダー(通称・スカイライダー)』(79年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20210102/p1)最終回で8人ライダーと戦ったドラゴン型の巨大怪獣がその正体であったネオショッカー大首領などであろう。
やはり平山亨プロデューサー作品であり、当時のことだから明確に意識して作劇したものであったかは怪しいものの、スタッフが無意識に集団イジメに見えることを回避するために採った処置でもあっただろうか? ……いや、この手のラスボスの巨大化は、往年の名作特撮時代劇映画『妖怪大戦争』(68年)が元祖であったか?(笑)
2019年11月28日に惜しくも亡くなられた特撮研究所の矢島信男特撮監督が、『ジャイアントロボ』(67年)にはじまる東映特撮を発端(ほったん)として、外様(とざま)として招聘(しょうへい)された円谷プロ製作の『ミラーマン』(71年)や『ウルトラマンタロウ』(73年)に『ウルトラマンレオ』(74年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20090405/p1)などでもそのような特撮演出をしていたように、ダークキラーの背面を画面手前に配して、股下(またした)と両脚の間から(!)その奥にいるビクトリーをとらえたカメラアングルで巨大感&遠近感を両立させていた手法もここでは採られている。
画面の左の隅に超巨人と化したダークキラー、右の隅には通常サイズの巨人であるウルトラマングルーブを配して、『タイガ』を除けばまだ最新のヒーローでもあるウルトラマングルーブの強大なるパワーがもたらす高速突撃攻撃をもってすれば、超巨大なダークキラーでさえもが超高速で押し出されて後方へと吹っ飛ばされていくダイナミックなアクション特撮などは、ダークキラーとウルトラマンのどちらかが強弱のバランスにおいてワリを喰ってしまうものではなく、双方の強さが同時に両立して描けてもいるカタルシスあふれるアクション演出たりえてもいるのだ!
深読みをさせてもらえば、ダークキラーを攻撃する直前のグルーブの腕の構え方にやや女性的な柔らかい仕草が感じられるのも、グルーブにウルトラウーマングリージョも合体していることを、そして同時にグルーブの最強形態としての強者の余裕をも含意させようとしたスーツアクターの演技、もしくはアクション監督によるディレクションでもあるのだろう。
「みんなのエネルギーを、ストリウムブレスに集めるのだ!」
ウルトラダークキラーの本来の因縁相手は昭和のウルトラマンタロウであった。最後のバトルの見せ場はニュージェネウルトラマンたちに譲るにしても、ここでウルトラマンタロウを参上させて、ダークキラーと最後の会話をさせるのもドラマ的には辻褄が合っている。
タロウの指示で、タロウが『ウルトラマンギンガS』でギンガの左手首に授与したブレスレットであるストリウムブレスに、ニュージェネウルトラマンたちの光のエネルギーを結集させたウルトラマンギンガストリウムは、単身で全身を赤く炎上させてダークキラーへと超高速飛行で突撃を敢行する!
「これがオレたち! ニュージェネレーションの力だ!!」
そう叫んでいる声はギンガのみならずグリージョも含めたニュージェネ勢全員の声であり、これによってギンガ個人の突撃ワザでありながらニュージェネウルトラマン全員の想いやエネルギーが込められていることを、ベタでも映像的に象徴させることができている――こういったていねいかつ親切なフォローの描写が存在しないと、ギンガ以外のニュージェネウルトラマンたちがいかにも補助的な役回りへと堕(だ)してしまって、ワリを喰って見えてしまうからでもあるだろう(笑)――。
燃えさかる炎を背景に超高速突撃していくギンガの顔面のアップカットの周囲に全ニュージェネウルトラマンの顔面をイメージ的に合成して繰り出された最強の必殺ワザは、タロウがその全身を炎上させて体当たりする自爆特攻ワザ「ウルトラダイナマイト」を継承した「ニュージェネレーションダイナマイト」だ!
『ウルトラマンタロウ』の映像本編では一度しか披露されなかった、その全身を光学合成で赤く半透明で炎上させて敵に突撃して自爆する特攻ワザである「ウルトラマンダイナマイト」――もちろんその直後にウルトラマンのご都合主義的な万能の超能力でバラバラになった身体は復活するのだが(笑)――。当時の学年誌のグラビア記事やウルトラシリーズのオリジナル漫画での披露、70年代の子供向け豆百科などの書籍で連綿とその設定が語られてきたこともあってか、実に印象深いタロウの必殺ワザでもある。
『ウルトラマンメビウス』(06年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070506/p1)でタロウが助っ人参戦した際(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061203/p1)にも、強敵ロボット怪獣を相手に30数年ぶりに「ウルトラダイナマイト」を披露したことで長年のウルトラシリーズマニアたちは狂喜乱舞して、本稿執筆時点での最新作である『ウルトラマンタイガ』(19年)第1話冒頭でもタロウが「ウルトラダイナマイト」を披露したのも記憶に新しい。
ゼロの弟子にしてタロウの弟子でもあるギンガが、ここでウルトラ一族の中でも別格の必殺ワザといった印象もある「ウルトラダイナマイト」の系譜を継承する新必殺ワザを披露することは、映像的にも設定的にも実に盛り上がるものがあるのだ!
『ウルトラマンメビウス』以来、地上波での放映に長らくブランクが空いたこともあってか玩具の売上高も半減しており、製作資金の調達には苦労したと思われる『ギンガ』では、国内特撮のミニチュアを一手に製造・保有もしているマーブリング・ファインアーツ社――東宝・東映・円谷作品を股にかけて活躍した特撮美術監督である故・大澤哲三などもここの所属であった――から、都市街を組めるような大量のミニチュアセットをレンタルしてくる予算を確保できなかったためであろうが(汗)、山間部の小さな村落にある高校を舞台にしたほどに、低予算ゆえの小さな世界観や若い役者陣によるお芝居を中心としていた作風については評価が分かれるところだろう。
だが、この『ギンガ』を皮切りとして毎年、ウルトラマンシリーズが製作できるようになったのであり、その間に玩具展開的にも特撮技術的にも一定の進歩をとげていくこととなったのも一方では見逃せにできない貴重な事実の積み重ねの第一歩でもあったのだ。
そして、このギンガをニュージェネウルトラマンたちのリーダー的な存在として本作『ウルトラギャラクシーファイト』では描いてきたことも、昭和の第2期ウルトラシリーズではウルトラ兄弟の長男であるゾフィー兄さんや次男であった初代ウルトラマンが真っ先に噛ませ犬(汗)にされてしまった、当時の子供たちも残念に思っていたその処置を反面教師にした処置でもあっただろう。
つまり、ウルトラヒーロー多数が登場する作品でヒーローたちの多少の強弱の濃淡をつけるのであれば、2010年代のニュージェネウルトラマンのトップバッターであったギンガこそを最も頼もしい存在として描いて、そのキャラを立ててみせる方法論がベストでもあったからだ――その逆に近作のニュージェネウルトラマンたちはお約束でもまだまだ未熟さが残るキャラクターとして描かれており、そういう差別化によっても逆に彼らのキャラが際立ってもいるのだ――。
2010年代のニュージェネレーションウルトラマンが続々と生まれる好況を生み出す発端となった『ギンガ』に対するリスペクトが感じられるところはとにかく望ましいところだ。もちろん、このギンガやゼロのみを特別扱いとして、その他のウルトラマンたちをスタッフのたかが個人的な好悪ごときで噛ませ犬にするような不公平さなども一切感じさせずに、全ウルトラマンたちをひとりのムダもなく個性豊かに活躍させることによって、最後の最後に勝利のカタルシスが到来することになる、微に入り細をうがった至れり尽くせりの作劇で、このクライマックスは最高に高揚感があふれるものともなっていた!
*本作の仮面劇&作劇をテレビシリーズでも実現させよ!
最終回であるEpisode13にて、今回の真の黒幕であるウルトラマントレギアがグリージョを真っ先に囚われの身とした理由は、先の『劇場版R/B』にてトレギアが一敗地まみれてしまった、ロッソ・ブル・グリージョの合体形態であるウルトラマングルーブの登場を阻止するためであったことが、ゼロによって語られる。そう、ここでもたしかにトレギアは以前にグルーブに負けている史実をキチンと押さえてもおり、そしてグルーブもまた強者としての存在であることを描いて、グリージョもまた単なる人質キャラではなく重要なカギとなるキャラクターであったことの説明も三重にできていて、こういう念押しの描写がまたマニア心や怪獣博士タイプの子供心をそそるものでもあったのだ。
そして、その場に姿を見せたトレギアのことを、『劇場版R/B』でも共演したウルトラマンジードとウルトラマンロッソが既知の存在として先輩たちに語ることで、ここでもまた本作がジード・ロッソ・ブル・グリージョの4大ウルトラマンが共闘してトレギアに立ち向かった『劇場版R/B』のそのすぐあとの続編でもあることが改めて示される。
トレギアとタロウがすれ違って、互いに振り向きもせずに立ち止まる、ホンの一瞬のバストアップの回想カットにつづいて、
「やはり、消すしかないな。タロウを、光の国を……」
とつぶやかせることで、今後のウルトラシリーズの展開に対する伏線フラグも立てて、トレギアはその場を去っていく……
「これはオレたちだけの問題じゃない!」
とエックスが語ったのを皮切りに、ニュージェネウルトラマンたちが同じウルトラマンとして、彼ら自身の故郷ではないもののM78星雲のウルトラ一族の故郷・光の国を守る決意を固めるさまを象徴的、というかそのまんま即物的(笑)に描くために、円陣を組んでこぶしを合わせる7人の姿が真下からとらえられ――もちろん『仮面ライダーストロンガー』最終回における、円陣を組んだ7人ライダーを真下から見上げたシーンへのオマージュだ(笑)――、ウルトラマンたちはトレギアを追うためにゼロとグリージョに別れを告げる。
『R/B』の舞台でもあった並行宇宙の地球の平和を兄であるロッソとブルに託されたグリージョは、当初は兄たちのことを心配するものの、「仲間を信じるのもウルトラマンの大事な資質だ……」などとEpisode2でゼロにかけられた言葉を絶妙な係り結びで口にしてみせることで、『R/B』の続編として、そしてグリージョのさらなる精神的な成長までもが描かれているのがまた秀逸である。眼下の地球を見下ろしながら宇宙空間で浮遊しているグリージョがゼロと会話を交わしている場面では、その背景映像として地球がかなりの大きさで描かれているのも、まずは「絵」になるからであろうが(笑)、二次的には地球防衛の使命・責任の重さを映像演出面でも象徴する効果を高めている。
時系列的には『ウルトラマンタイガ』直前の物語でもある本作『ウルトラギャラクシーファイト』の方が、製作時期的には同時期にテレビで放映された『ウルトラマンタイガ』よりもおそらくあとに企画も製作もスタートしているのだろうが(?)、この『ウルトラギャラクシーファイト』最終回の直後が『ウルトラマンタイガ』第1話冒頭における光の国があるウルトラの星を眼前に控えた大宇宙空間でのトレギア VS 7大ニュージェネウルトラマン&タロウ・タイガ・タイタス・フーマの激闘シーンに直結していくこととなる……
そのことは事前に製作側でも喧伝されてきたし、大方の特撮マニア諸氏であれば想定もできていたことでもあり、だからこそ「そこにつながってくれなければウソ!」ではある描写ではあったのだ。その意味でも『ウルトラギャラクシーファイト』最終回のラストは特撮マニア諸氏の望みも叶えてくれていた。
そして、できれば『ウルトラギャラクシーファイト』直後の物語でもあった『ウルトラマンタイガ』の最終展開は、『タイガ』の物語の一応の終結点であるのと同時に、『ウルトラギャラクシーファイト』でのストーリー展開もすべてとはいわずとも一部は引き受けている壮大なる展開であってほしかったのだ。
しかし……
『ウルトラマンタイガ』は第1話冒頭でこそトレギア VS ウルトラ戦士団との激闘が描かれて、子供たちやマニア諸氏をおおいに狂喜させることとなったのにもかかわらず、その後の『タイガ』は本作『ウルトラギャラクシーファイト』での出来事などは想起すらされずに、どころか大宇宙スケールでのウルトラ一族の因縁錯綜劇とは接点すら持たない、作風的にも『ウルトラギャラクシーファイト』とは完全にかけ離れた作品になっていく……(汗)
2020年3月6日(金)公開予定(執筆時点)の『タイガ』後日談である映画『劇場版 ウルトラマンタイガ ニュージェネクライマックス』(20年・松竹・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20210704/p1)では、ニュージェネレーションウルトラマンたちが『ウルトラギャラクシーファイト』や『タイガ』第1話冒頭につづいて再び集結するのみならず、その最新の予告編では新ヒーロー・ウルトラマンレイガの誕生も告知されている。
もちろん、テレビとは異なる映画ならではの豪華な雰囲気を醸(かも)し出す意味でも先輩ヒーロー大集合という企画自体は戦略として大正解だとは思える。しかし、あの第1話があったのであれば、『タイガ』はシリーズ中盤なり終盤などではニュージェネウルトラマン全員とはいわずとも数名程度は客演するエピソードも配置しておくことが、基本設定的にも適切であったであろうに……と思えてならないものがあるのだ。
いや、『タイガ』にかぎった話ではなく、テレビのウルトラシリーズでも年に一度だけの劇場版のみではなく、いっそのことテレビシリーズ中盤などでも地球をメインの舞台とすることからはいったん離れて、宇宙空間や地球以外のどこかの惑星を舞台として、ニュージェネウルトラマンたちが変身前の役者陣の確保ができないのであれば声の出演だけの仮面劇になってもよいので、前後編で大活躍をさせるようなエピソードを毎年つくるべきではなかっただろうか?
『ウルトラマンX』(15年)のシリーズ中盤では3部作で、前作のヒーローであるウルトラマンギンガとウルトラマンビクトリーが助っ人参戦するエピソードが用意されて、先輩ウルトラ戦士の共演編としては全ウルトラシリーズの中でもダントツの最高傑作が誕生したか!? と思えるほどの名編が製作されたが、本稿執筆の2020年1月現在ではこの試みが同作だけにとどまっており、後続のニュージェネウルトラシリーズには継承されていないことが実に残念ではある。
今やオッサンである第2期ウルトラ世代がそのリアルタイムで、あるいはその下の世代でも20世紀のむかしには途切れなく放送されていた再放送などで鑑賞したその日や翌日には、全国の小学校で子供たちが大興奮して話題に挙げたり、ごっこ遊びで再現していた各作のシリーズ中盤でのウルトラ兄弟助っ人参戦編やウルトラ兄弟勢ぞろい編! この手法は現代の子供たちにもいまだに有効であるだろうと信じて疑わないのだ!
たとえ「バトル中心」のストーリーではあっても、そのちょっとした作劇的な技巧によって、やや頭デッカチなテーマ主導の作品となってしまった『タイガ』などよりもはるかに地に足が着いている確かなドラマ性が感じられた『ウルトラギャラクシーファイト』を鑑賞していると、改めて手前ミソでもその持説を強く主張をしてみせる必要性を感じてしまう。
地上波でのテレビ放映がある作品とネット配信のみの作品という相違はあるので単純比較はできないものの、実際にYouTubeでの再生回数も『ウルトラギャラクシーファイト』の方が『タイガ』の中盤以降のエピソードの倍くらいの数字をほぼ毎回稼いでいた(汗)。『タイガ』第1話の冒頭部についても歳若い特撮マニアたちこそ大歓迎して壮大ににぎわっていたのだ。
それらのことを思えば、1970年代の学年誌や児童漫画誌『コロコロコミック』などにおける内山まもる先生をはじめとする、大宇宙を舞台にウルトラ兄弟たちが大活躍するウルトラ漫画群(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20210124/p1)のその数十年後の実写映像化作品としての側面もあったといえる『ウルトラギャラクシーファイト』などの「多数の先輩ヒーローが登場する連続ストーリー活劇」の方法論の方こそを、むしろ今後のウルトラシリーズの展開の「主軸」「中核」に据えていき、子供たちやマニアたちの興味関心を惹起・継続していくくらいでないと、もうこれ以上のウルトラシリーズ浮揚の勝算はないのではなかろうか!?
――その逆に、昭和の1話完結形式に戻って、「外国人」差別を「宇宙人」差別に代入していたような『ウルトラマンタイガ』の方法論は、その志(こころざし)の高さ自体は壮とすべしではあっても、子供向けあるいは大衆向けエンタメとしてはやや問題があったのではなかろうか?(汗)――
追伸
『ギャラクシーファイト』のEpisode11から12にかけて、ウルトラマンゼロやニュージェネウルトラマンたちのラストバトルと並行して描かれた、M78星雲のウルトラ兄弟たちが所属する「宇宙警備隊」とはまた別の組織であるらしい「ギャラクシーレスキューフォース」の一員であるウルトラマンリブットの戦いでは、どくろ怪獣レッドキングの初代と二代目がコンビで登場するという、それこそ年季の入った特撮マニアたちのお遊びや二次創作的な妄想にすぎなかったものがホントに映像化されてしまっていた。
しかも二代目の方は、初代『ウルトラマン』(66年)に登場した原典が水爆を飲みこんでいた設定を忠実に再現するかたちで、ワザワザ首を太くして初代とは正しいかたちで差別化されていたのだ!(笑) この二代目は基本的にはやはり低予算作品で流用キャラクターや色を黒く塗り替えただけの偽ウルトラマンたちの登場で済まされてきた本作『ウルトラギャラクシーファイト』の中では珍しく、実はわざわざ新造された着ぐるみであったそうだ。
……おカネの使い方を誤っているような気がしないでもないのだが、ロートル・マニア的にはついつい歓迎してしまう(爆)。
――後日付記:このレッドキング初代と二代目は、『ウルトラマンZ(ゼット)』(20年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200723/p1)第11話『守るべきもの』に、早くも初代は「レッドキングA」(オス)、二代目は「レッドキングB」(メス)という、それぞれ原典や『ウルトラギャラクシーファイト』に登場した個体とは別個体として、同時に再出演を果たしていた(笑)――
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