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 『海賊戦隊ゴーカイジャー』(11年)#28「翼は永遠に」(サブタイトルは原典の#32「翼よ! 再び」へのオマージュ!)に、『鳥人戦隊ジェットマン』(91年)のブラックコンドル・結城凱(ゆうき・がい)こと若松俊秀氏が20年ぶりに登場記念!


 ……とカコつけて、19年前(汗)の『鳥人戦隊ジェットマン』2万字評を発掘UP!


鳥人戦隊ジェットマン』総論

(文・いちせたか)
(92年上半期執筆)


こころはタマゴ 小さなタマゴ  明日まであたためりゃ
鳥にもなれる 雲にもなれる もしかあの子が好きならば――――
 (エンディング歌曲「こころはタマゴ」)

☆    ☆    ☆


 戦隊シリーズ15作目(スーパー戦隊としては13作目)にあたる『鳥人戦隊ジェットマン』(91年)。
 本作はメインライターに井上敏樹氏、メイン監督に雨宮慶太(あめみや・けいた)氏を迎え、戦隊シリーズ8作目『超電子バイオマン』(84年)以来7年ぶりに「パターン打破」をうたうとともに「キャラクターの掘り下げによるドラマ性の強化」を狙ってスタートした。


 「ウルトラシリーズ」や「仮面ライダーシリーズ」とは異なり基本コンセプトこそ毎回同じであるものの、各作品が(多少の例外はあれど)それぞれ独立した世界を構築しつづけてきた本シリーズにおいて、それは単なるマンネリズムの打破に留まらず、さらなる前進へのひとつのステップでもあった。
 結論から言えば、この試みはほぼ成功を収め、そのアダルトな作風は子供やマニアはもとよりヒーロー番組世代の若い母親たちからも大きな支持を得ることとなった。


☆『ジェットマン』のストーリー世界☆


 今、『ジェットマン』を振り返ってまず感じるのは、非常に作家性が強い作品だということである。


 ここで言う作家とはもちろん脚本の井上敏樹氏を指すのだが、一年を通じてのドラマ展開やそのなかで息づくキャラクターたちの行動の端々に氏の細かい配慮・こだわりを感じずにはいられない。
 それは他の脚本家諸氏による回にも影響を及ぼし、結果として作品全体に見事なまでの統一感を生み出している。

 全51話中、井上氏の脚本は29本あり、内25本が設定(メインテーマ)編である。
 実は今回の文を書くにあたって他の話とは別にこの25回分のみを通して見直してみたのだが、そのテーマの明確さと一貫性に改めて驚かされた。


 井上氏が番組開始前に特撮雑誌『宇宙船』誌上で本作について語った様々な要素がほぼ完全に盛り込まれており、根幹のテーマにも何ら変節は見られない。これだけ取ってみても『ジェットマン』がいかに井上氏の個性に負うところが大きいか解ってもらえると思う。


 『ジェットマン』のストーリーは大きく分けて4つのパートから成る。


  1〜14話が第1部(内6話までが序章)、
 15〜24話が第2部、
 25〜35話が第3部、
 36〜51話が第4部(内47話から終章)


 である。


 異論もあるかもしれないが筆者自身の解釈でこのように分けてみた。以下順を追って見ていくことにする。



 第1部はもちろん基本設定編であるが、おおよその設定が出揃うのに6話を費やしたのは「戦隊」でも初めてのことである。
 メカの登場が遅れて戦隊巨大ロボの登場が6話になっても、各人の描写を優先しようという製作側のコンセプトにより、1話『戦士を探せ』では3人しかメンバーが登場しない。
 2話『第3の戦士』でようやく5人が揃うもののブラックコンドル“結城凱(ゆうき・がい)”の本格参入は次回に持ち越しになるなど冒頭から視聴者の度肝を抜く展開となった。


 序盤14話中10本の脚本を井上氏が担当し、既にこの段階で作品の方向性が完全に決定している。
 10話『カップめん』、
 11話『危険な遊び』、
 12話『地獄行(いき)バス』、
 と3週連続の異色作に続いて
 13話『愛の迷路』・14話『愛の必殺砲(バズーカ)』の前後編では新兵器ファイヤーバズーカの完成とともに戦隊メンバーの愛憎劇の本格化を示し、物語の基盤が完全に整った。



 第2部ではメンバーの私服が夏服に変わり、展開編として中盤のヤマ場へと向かう。
 ホワイトスワン“鹿鳴館香(ろくめいかん・かおる)”をめぐってレッドホーク“天堂竜”とブラックコンドル“結城凱”の対立が本格化するとともに、“女帝ジューザ”の復活から“魔獣セミマル”の誕生とその成長――初陣(ういじん)では等身大怪人ではなく巨獣として出陣――と、善悪両陣営に話の縦糸が生まれる。


 一方で各メンバーのバラエティ編も好調で、
 ファンタジックな佳作である16話『紙々の叛乱(はんらん)』、
 恋愛とは別の側面から“香”と“凱”それぞれの魅力を描いた19話『見えます!』や20話『結婚掃除機』、
 コミカルから哀愁へ、さらに問題提起的なラストシーンと多面的な21話『歩くゴミ』
 など、メインテーマ編に負けず劣らずの好編が多い。


 愛憎劇の爆発と成長した“セミマル”の大攻勢に加えて異次元から来た裏次元戦士3人が乗る“お約束”2号ロボ・ジェットガルーダの登場と1号ロボ・ジェットイカロスとの合体による最強ロボ・グレートイカロスの誕生、さらにブルースワローこと女子高生“早坂アコ”の淡い恋までからめた盛りだくさんな内容を、22話『爆発する恋』・23話『新戦隊登場』・24話『出撃超ロボ』の3部作で描き、好調のうちにそのストーリーを消化した。


 第3部は、第2展開編として、毎回ゲスト登場する敵怪人こと“次元獣”の強化形態・“バイオ次元獣”の登場に始まり、
 恒例の納涼企画である27話『魔界大脱出』、
 異色作中の異色作28話『元祖次元獣』
 を経て、
 30話『三魔神起つ』・31話『戦隊解散!』・32話『翼よ! 再び』の3部作で愛憎劇最大のクライマッマスを迎える。


 自らを人類の天敵と呼ぶ第三勢力“三魔神”の登場(デザイン的に今いちらしくないのが惜しいが……)、
 “香”が“凱”に傾いたことから起こる亀裂、
 敵バイラムの女幹部“マリア”の正体が第1話冒頭、宇宙船の船外に飛ばされて死んだと思われていたかつての同僚にして恋人“リエ”であると知った“竜”の現実逃避
 と、これまた実に豊富な内容である。


 完結編となる32話『翼よ! 再び』では戦意を喪失していた“竜”が復活、“凱”と対立を越えた真の友情を見出すまでを一気に描き切る。
 さらにその余力で新銃器ビークスマッシャーの完成(33話『ゴキブリだ』)や、魔城バイロックへの攻撃編(34話『裏切りの竜』)まで見せ、パワー全開のまま後半へバトンを渡した。



 第4部は、長野ロケの前後編で幕を開けた。
 37話『誕生! 帝王トランザ』での“トランザ”の誕生によってまがりなりにもバイラムが統括され、以後完全に戦闘自体が話の中心となる。


 しかしそのなかにあって、バイオ次元虫の生態(38話『いきなりハンマー!』)、
 “凱”と漆黒のクールな敵ロボ幹部“グレイ”のカジノでのルーレット勝負(39話『廻せ命のルーレット』)、
 竜・マリア(リエ)・グレイの三角関係による準テーマ編ながらゲストロボット“G2”の存在でこれまた異色作となった42話『おれの胸で眠れ!』、
 ミクロ化して人体に潜入する往年のSF映画『ミクロの決死圏』(68年)風プロットに“小田切綾”司令官の大活躍サービスの43話『長官の体に潜入せよ』
 と、あくまで『ジェットマン』らしさのフォローを忘れない姿勢が貫かれている点は見事である。


 40話『命令! 戦隊交代せよ』・41話『変身不能! 基地壊滅』のネオジェットマン編で戦隊側・地球防衛軍スカイフォース側の設定に厚みを加えたうえで、44話『魔神ロボ! ベロニカ』・45話『勝利のホットミルク』の敵巨大ロボ“ベロニカ”編でバイラム側の組織としての最後の大攻勢をセミマル編を越える特撮巨編で描いている。


 さらにメインストーリーからは外れがちだったイエローオウル“大石雷太”とブルースワロー“早坂アコ”を主役にコミカルな46話『トマト畑の大魔王』を終章との間にクッションとして挿入するなど、最後を迎えてなお余裕さえ感じさせる構成には驚くばかりである。
 硬軟とりまぜ凡作など一本もなく、名実ともに完結部にふさわしい盛り上がりを見せた。


 終章についてはあとで述べるとして、ひととおり駆け足で全体の構成を追ってみたが、こうして見ると今さらながらその構成の見事さには唸らせられる。
 売り物のメインストーリーはもちろんだが、それがハードであればあるほど際立つバラエティ編の楽しさもまた、見過ごしてはならない『ジェットマン』の魅力なのである。


☆我が愛すべき鳥人戦隊☆


 地球を守る我らが鳥人戦隊。
 彼ら一人ひとりの明確なキャラクター性こそ、『ジェットマン』の最も重要なポイントであることは言うまでもない。
 が、その設定自体は近年でこそ珍しくあれ決して目新しいものではなかった。


 「熱血リーダー」+「キザ」+「デブ」+「ヒロイン」+「チビ」の組み合わせは、5人組ヒーローの差別化の基本中の基本である。
 アニメで言えば『科学忍者隊ガッチャマン』(72年)や『超電磁ロボ コン・バトラーV』(76年)などがあるし、何よりこの戦隊シリーズの元祖たる『秘密戦隊ゴレンジャー』(75年)がこのパターンである。


 その意味では『ジェットマン』にある種、原点回帰的な一面があるのは事実だ。
 が、これらの作品群と『ジェットマン』の間には15年以上の歳月が横たわっている。
 従って『ジェットマン』には当然それなりのアプローチの仕方が要求され(“アコ”のポジションが女性であることもそのひとつではある)、それが成功して初めて5人は『ジェットマン』のキャラとして「個性」を持ち得るわけだ。


 今回、井上氏他の脚本陣は、各人にかなり細かい趣味嗜好のデータを初めから授けている。
 無論、過去の作品群にそれがなかったわけではないが、ストーリーの都合上その場その場でつけ足されたものが多く、なかには明らかに矛盾したものすらあった。


 『ジェットマン』の場合、脚本家とキャスト自身のこだわりおよびスタッフ上層部が容認することによってそれがかなり徹底して統一されており、各人の性格設定にリアリティを加えるのに成功している。


レッドホーク・天童竜


 レッドホーク“天堂竜”は、5人のなかで唯一正当に選抜されたジェットマンであり、それゆえ戦士としての面がかなり突出している。
 “竜”から見れば、他の4人は偶発的な事故で開発中のバードニックウェーブを浴びて強化スーツの適格者になったに過ぎない民間人であり、戦士としてはあまりに未熟であり、その勝手な行動は悩みの種(たね)でもある。


 が、逆に4人の側から見れば“竜”の方こそ異質な存在なわけで、時折表出する彼と他の4人とのギャップが“竜”自身の個性を際立たせるのに一役買っているのは確かである。


 “竜”というキャラクターが、他のリーダーに比べて異彩を放つのは、非常にストイック(禁欲的)で完全主義的な一面を持ってそれを他人にも強制するがゆえである。
 もちろんそれは1話における“リエ”との別れによって負った心の傷によるものなのだが、見ようによっては生来の一種の人格欠陥と言えなくもない。


 ブラックコンドル“結城凱”が当初、必要以上に敵対心を燃やすのもそのためだろうし、度が過ぎてくれば初めは好意的に解釈していたホワイトスワン“香”にさえ反発をくらう(23話『新戦隊登場』)。


 “香”は“竜”を「強い人」と言ったが、それは必ずしも真実ではない。彼もまた心の支えを必要とする普通の人間なのだ。
 “凱”や“香”に向かって再三に渡り彼が言い続けた


 「公私を混同するな!」


 というセリフは、いつまでも“リエ”の死(1話の)を心のなかで甘受できない自分に向けられたものでもあり、それを他人に見られまいとするバリヤーでしかないのである。


 それが露呈するのが30〜32話の3部作で、“マリア”が“リエ”であると知った“竜”は現実から逃避し、心を閉ざしてしまう。


 3部作の最後の32話『翼よ! 再び』でそのショックからは立ち直る。
 が、それは形はどうあれ、“リエ”の生存は“竜”にとってやはり幸運であったと言え、その救出を戦いの目的とするのが比較的容易だったからであろう。


 そのため49話『マリア…その愛と死』で再び(今度こそ本当に)“リエ”が死んだとき、その心にはまたも大きな穴が開いてしまうのだ。
 “竜”が真に心の成長を遂げるのは、“香”の説得によってその復讐心を闘志に転化した瞬間である(50話『それぞれの死闘』)。
 この時ようやく“竜”は真の意味でジェットマンのリーダーとなったのではないだろうか。


 そう考えると、『ジェットマン』のストーリーには“竜”のリハビリテーションドラマといえる側面があるとさえ思えるのである。


ブラックコンドル・結城凱


 “凱”は、番組開始前から注目を集めたキャラで、先々かなりの人気を得るであろうことはマニアであれば充分予測できた。
 また事実そうなったわけだが、いろいろな意味で本作品のキーマンと呼べる人物だ。


 TV界には、不文律という形で多くのタブーが存在する。なかには明らかに時代錯誤なものも多く、時としてそれは制作側と視聴者側の間に大きなギャップを生む。
 TVヒーロー像におけるそれら全てが誤りだとは言わないが、飲む・打つ・買うと三拍子揃った“凱”というキャラクターの創造が、かつての「常識」に対するひとつの挑戦であったことは確かである。


 そしてまたそれが大きな支持を得たことは何より確かな視聴者側からの解答でもある
 (細かいことを言えば『ゴレンジャー』4話でのアオレンジャー“新命”の喫煙、戦隊シリーズ3作目『バトルフィーバーJ』(79年)2話での初代バトルコサック“白石”のパチンコなど、前例が全くないわけではないのだが……)。


 “凱”は、5人中その趣味嗜好については最も細かい設定を有する反面、最も生活臭の希薄な人物でもあり、その矛盾した神秘性もまた彼の魅力のひとつと言える。
 ただそれゆえに私的なエピソードが作りにくいのか、ゲストをからめての独立した話となると意外なことに20話『結婚掃除機』の1本のみである(それも子役少女ゲストとの絡み)。


 “凱”で特徴的なのは、主役であるか否かを問わず印象的なセリフが多いことで、他の面々に比べその数は群を抜いている。


 「しかしよォ、いっそのこと人間なんざ滅んだ方がいいんじゃねェのか? 公害問題に人種差別、確かに人類って愚かなもんだ」


 「おうおういい子ブリッ子しやがって……おケツがかゆいぜ」


 「気にいらねェな! 命令ばっかりしやがって!」


 といった登場編(2話『第3の戦士』)のそれらはもちろんのこと、


 「しかし竜ちゃんよ、何も怒鳴ることねェだろうが。ったく女の扱いを知らねえ奴だ」(4話『戦う花嫁』)


 「あんたの目が気にくわねえ……ガキをあやすような目つきだ」(6話『怒れ! ロボ』)


 「あいつの場合デートなんて一生のうちに3度ぐらいしかなさそうだ」(9話『泥んこの恋』)


 「帰んな。ジャズはお前にゃ似合わねぇ」(22話『爆発する恋』)


 「いいか、女が露天風呂に入るってことは、覗いてくれってことなんだ。んなこともわかんねェのか」(36話『歩く食欲! アリ人間』)等々。


 思いつくまま書き出してみたが(意図的にテーマにからんだものはなるべく除いてある)、口の悪さもあって過去の作品では決して耳にすることのなかった、まさに“凱”ならではのセリフであることが解(わか)ってもらえると思う。
 個人的に大好きなのが34話『裏切りの竜』ラストで“竜”に


 「よろしく頼むぜ、相棒」


 というシーンで、32話『翼よ! 再び』で対立を越えた友情を手にしたばかりであっただけに格別の感情移入をしてしまう。


 しかもこれはリーダーとサブリーダーが真に対等の関係でなければ絶対に出ないセリフである。
 過去の作品でもそんな例は『ゴレンジャー』しかなく、前述した『ジェットマン』の原点回帰的な面の一端がこんなところからもうかがえるわけだ。


ホワイトスワン鹿鳴館


 “香”は、テーマの面から言えば間違いなく「ヒロイン」である。
 が、当初はあくまでも戦いから最も縁遠い存在であるお嬢様としての面が強調されており、出番は多いものの特に“アコ”より突出しているというわけではなかった。
 5話『俺に惚れろ』で表面化した“竜”への恋愛感情が本格化し、凱からの求愛もエスカレートするにつれて、彼女の比重は少しずつ大きくなっていくのだ。


 しかし、30〜32話の三魔神3部作において、あくまで頑(かたく)なに“リエ”の想い出にすがる“竜”を追い続けるのに疲れたか、はたまた幾度となく危機を救ってくれた“凱”の情熱にほだされたか、結果として“凱”の方に身を寄せてしまう。
 ここで恋愛劇の方は一旦決着がついてしまい(駆け落ち騒動のあとではあるが“リエ”の生存判明が追い打ちをかけることにもなって)、彼女はテーマヒロインの座から降りてしまうことになる。


 “香”が再びそこに返り咲くのは、終盤49話において敵により吸血鬼化した“竜”を救い、さらに50話において敵幹部“ラディゲ”の攻撃から“竜”をかばい、“リエ”の復讐にはやる彼の目を覚まさせたときである。
 それは同時に再び“竜”へと気持ちが動いていくきっかけともなったわけだ。


 が、42話『おれの胸で眠れ!』・43話『長官の体に潜入せよ』・44話『魔神ロボ! ベロニカ』において、“凱”とのスレ違い・離反が寸描されているのでなんとなく理解できるものの、展開の性急さは否めない。
 一部のファンが最終回での決着に納得がいかないのもそのためであろう。


 それに対する是非の判断はそれぞれに任せるが、ともあれ“香”がここで再び自らのヒロイン性を呈示し、さらにそれが最終回の結婚式において過去の作品を突き抜けて結実したのは確かである。


イエローオウル・大石雷太 & ブルースワロー・早坂アコ


 “雷太”と“アコ”は、三角関係の愛憎劇からは一歩引いたところにいるため――“雷太”は片足突っ込んではいるが、やはり本命はサッちゃん(イレギュラーキャラのサツキ〜ハートマーク)なのだ――テーマ編で立ち得るキャラクターではない。


 だがそれゆえにコメディリリーフや暴走しがちな他の面々の間をうまく取り持つ役割として必要不可欠な存在である。
 言ってみれば鳥人戦隊の安全弁であり、実際他のメンバーが勝手なことをしている間に2人で敵と戦ったりメカの修理をしたりしている場面は多い。言い方は悪いが実に「重宝なキャラクター」なのである。


 またこの2人の主演作は、テーマ編の間にあって潤滑油の役割を果しているのはもちろんのこと、決して他の3人には置き換えられないものばかりである。
 それはやはり単なるゲストとのからみによる話運びではなく、そこにキャラの設定や個性が大きく作用しているがゆえであり、改めて脚本におけるキャラの掘り下げの大切さを痛感させてくれる。


 内田さゆり氏の芸歴やロリ系のルックスもあって放映前からある程度の人気が予想できた“アコ”はもちろんだが、デブで黒眼鏡でまじめな農夫の青年“雷太”が女性や子供中心に高い人気を獲たことは、何よりも強くその方針が正しいものであることを証明しているのではないだろうか。


田切綾・司令官


 “小田切綾”は、まず戦隊初の女性司令官であること自体が何より強力な彼女の個性である。
 時代の反映という面もないではないが、特に必要以上に女性であることを強調しているわけではなかった。ごくごく自然にその才色兼備な面が描写されているのだ(どちらかと言えば媚びた女性らしさよりも、クールで凛とした仕事が出来る系の印象を強調しているが)。


 過去の軍属戦隊において、『ゴレンジャー』の江戸川総司令や『太陽戦隊サンバルカン』(81年)の嵐山長官は、普段スナックのマスターに扮することでその硬軟を演じ分けた。
 『バトルフィーバー』の鉄山将軍は終盤で剣を取って戦ったり、『電撃戦隊チェンジマン』の伊吹長官に至っては同じく終盤で亡命宇宙人であると判明するなど、皆それぞれその多面的な魅力を描写するのに広い意味での「変身」を必要とした。


 その点、“綾”は特にこれといった特殊技能を持っているわけではなく、あくまでもごく普通の人間である。
 その彼女が本編において自ら前線に出るアクティブさと、1話における


 「泣きなさい、二度と泣かないために」


 といったセリフに代表される厳しいながらも広い意味での母性愛にも通じる優しさ(湿ったものではないが)の両方を見事に表現しきったことは高く評価したい。


 “綾”は、過去の長官に比べて5人との精神的な結び付きがかなり強い。それは先に述べた広義での母性的な面からより強く5人の日常にも踏みこんでいるからであろう。


 1話における“竜”や“リエ”との会話、
 3話『五つの力!』の訓練風景、
 19話『見えます!』での“竜”への荒療治、
 36話『歩く食欲! アリ人間』・37話『誕生! 帝王トランザ』の旅行編、
 43話『長官の体に潜入せよ』での結婚談義、
 50話『それぞれの死闘』でのティータイム(コーヒーブレイクか)風景、
 などにそれが表れている。


 一方、司令官としての面では、


 27話『魔界大脱出』の修験者・“泰元上人”との交流、
 40話『命令! 戦隊交代せよ』・41話『変身不能! 基地壊滅』における上司“一条総司令”との確執、


 などが背景に厚みを加えているうえ、数回にわたる戦隊銃器ビークスマッシャーの使用や、
 39話『廻せ命のルーレット』で“凱”とともに最後に賭けに臨(のぞ)む描写、


 極めつけの先にも述べた43話や最終回(51話)『はばたけ! 鳥人よ』におけるメカ戦参加などによって、これまでになくアクティブな長官像が出来上がっている。


 こうして見ると“綾”というキャラは、これまでの作品における司令長官の役割と、前作『地球戦隊ファイブマン』(90年)の“アーサーG6”のようなサポートロボットが果す5人のソウルパートナーとしての役割、その両方をうまくミックスさせることで、5人と絶妙のスタンスを保っているように思えてならない。


 そして、43話における半分はギャグ描写でもある名(迷)セリフ


 「今まで完璧な人生を送って来た私に、よくも恥をかかせてくれたわねっ!」


 によって(笑)、高みから地面にも降りてきて5人と完全に同列に立つキャラクターとして完成したのではないだろうか。


 『ジェットマン』は、5人のみならず“綾”のキャラ描写も重視して、男女3人ずつの6人の戦隊を描いてきたのである。


☆キャラクターの周辺☆


ジェットマン』における「キャラの個性重視」を最も端的に表しているのがオープニングである。


 竜 → 香 → 雷太 → アコ → 凱


 とつづく画面は、序列としては


 1 → 4 → 3 → 5 → 2


 とものの見事にバラバラである。


 しかしそれは男女交互であるうえに本編における戦隊加入順とも一致、さらに各キャラクターの位置関係にさえ通じているように思える。
 他の「戦隊」作品のオープニング映像を見ても前述の通り、アカレンジャー“海城”とアオレンジャー“新命”が対等の『ゴレンジャー』、“バトルコサック”と“バトルフランス”の序列がどちらがNo.2でNo.3かはっきりしない『バトルフィーバー』を除き、完全にナンバリング上での順列での映像順でしかないので、『ジェットマン』がいかに異彩を放っているかが解ると思う。


 写真を一目見れば各人の性格が読みとれるほどの強い個性は、下手をすればそれだけ類型的なものになりかねない。
 今回のように数多くの前例を持つパターンならばなおさらである。


 しかし井上氏ら脚本陣は設定のみに頼らず、様々な心理描写を積み重ねて人物像に厚みを出すことに成功。
 その余裕のなせる技か11話『危険な遊び』に至っては各人の性格設定を逆手に取ったストーリー・性格拡大劇までをも作りあげてしまった。
 コミカルな味も強いが、近年ではやはり『ジェットマン』でなければ成立し得ない話であることは間違いない。


 『ジェットマン』がこれまでの作品と決定的に違う点がひとつある。
 それは変身後も本名で呼び合うことである。
 これは各誌で明かされた通り、企画や脚本家側からではなく、“竜”を演じた田中弘太郎、“凱”を演じた若松俊秀氏ら俳優諸氏による発案・改訂だったそうだ。


 が、このことは5人の変身が非常に解(と)けやすいということと相まって、アクションに不思議な効果をもたらしている
 (しかも驚くなかれ、逆にバイラム側は概(おおむ)ね彼らを変身後の名前で呼んでいるのだ!)。


 ドラマと遊離しない仮面アクションというのは、ヒーローもののひとつの理想型である。
 もちろん、逆に遊離させることによってその超人性・神秘性を強調する方法もあるが、こと「戦隊」に限って言うなら前者の方が望ましい。


 ウルトラマン仮面ライダーは、極端な言い方をすればその変身後が「正体」であり、変身前に自分の二面性の板挟みになることがしばしばある。
 それゆえ変身を遂げたとき、それまでのドラマを飛び越えたヒーロー性が確立するのだ。


 しかし戦隊の場合、変身してもしなくても根本的には人間であり、そこに戦士としての悩みはあっても自分を異端視する必要はない。
 もちろん正体を隠す苦労はあるが、前述のそれとは異質なものだ。その証拠に彼らは強化服さえ脱いでしまえば普通の人間として生きていける
 (サイボーグである戦隊シリーズ2作目『ジャッカー電撃』(77年)のみ例外だが、それでもやはり『ライダー』とは異なるように思う)。


 ……それだけに本来ならばその個性や各回のドラマが変身後も生かされていいはずなのだが、必ずしもそうならないのが「戦隊」の抱えるジレンマでもあった。
 『ゴレンジャー』を例にとれば、2代目キレンジャー“熊野”を殺した“カンキリ仮面”や、モモレンジャー“ペギー”の憧れであった“醍醐(だいご)”が変身した“タイガー仮面”などが、ギャグ系の必殺技ゴレンジャーハリケーンで爆笑の最期(さいご)を迎えて良いものか?(笑) 『バイオマン』あたりからドラマ性が重視されるようになってこのへんの不整合は解消されて来てはいたが……


 もちろん、名前の呼び方くらいでそれら全てが解消されるわけではない。
 意図的に正体を隠さねばならない作品もあるのだから一概には言えないが、『ジェットマン』に限って言えばこの試みは成功していたといえるだろう。


 「戦隊」には珍しくアクションがドラマの方に一歩歩み寄った感があり、変身前のキャラクターの感情を、いい意味でアクションに持ち込めていたように思うのだ。
 それは変身が解けてしまうことも同様で、生身でのアクションが多いのはもちろんのこと、生身でメカ戦まで行ってしまうのにはまた別の意味でリアリティを感じるのだ。


 最終回の“ラゲム”戦は、やはり“竜”と“凱”の顔出しの表情なくしては成立しなかったはずである。
 このことだけを取って考えれば、「ヒーロー番組」としてはやはり『ジェットマン』は異質な作品かもしれない。
 がしかし、仮面ヒーローである“レッドホーク”や“ブラックコンドル”の神秘性を何割か犠牲にしても、“天堂竜”や“結城凱”としてのキャラの個性や感情を重視したその姿勢は高く評価したい。


 なぜならそれは結果として「ヒーローとしてのジェットマン」の魅力を逆に増大させる効果をあげ、「色に頼らない個性の識別」という「戦隊シリーズ」の大命題に対してもひとつの解答を示したように思えるからである……。


☆敵――次元戦団バイラム☆


 キャラ重視の傾向は何も戦隊側のみに限ったことではなく、敵バイラムも同様である。


 余計な下級幹部やギャグメーカーを一切廃して大首領がいない同列4幹部の連合政権形態は、斬新な反面、当初は敵軍団としての威厳や重厚感やスケール感に欠けるとしてその物足りなさを指摘する声も多かった。


 だが中盤での“女帝ジューザ”の登場とその意外なまでの早い死。
 後半の組織強化も、新勢力の登場ではなく少年幹部“トラン”の急成長による“帝王トランザ”の誕生で行われたことなどを考え合わせてみると、徹底して4幹部の描写にこだわった作劇の指針が見えてくるのである。


 今回、バイラム側である意味では4幹部以上に注目されたのが“次元獣”である。
 姿こそ初期戦隊シリーズのようにギャグ怪人的ではあるが、そのほとんどが人間社会文明へのバイラムの蔑視と批判から生まれたものであり、実に明快な発生理由を持っている。
 しかも次元虫(じげんむし)が寄生したという設定上、ああいう姿形でなければならない必然性まであるのだから驚きである。


 従って彼らは地球侵略をゲームとしか見ていないバイラムの“駒”としての遊戯性をそなえている。
 ギャグ怪人であってそうでない不思議な立場にある彼らが、あまたの怪人のなかでもひとりの“キャラ”として存在していたのは間違いない
 (同時期に放送された子供向け合体ロボットアニメ『絶対無敵ライジンオー』(91年)の敵怪獣こと“邪悪獣”と相通じるセンスを持っているのは偶然だが面白い)。


 それに比べると25話『笑う影人間』から登場したパワーアップした敵怪人“バイオ次元獣”は、その『仮面ライダーV3』(73年)の無生物と生物の合成であるデストロン怪人的なデザインが新鮮味に欠ける。
 「戦隊」でも、『科学戦隊ダイナマン』(83年)後半に敵怪人“進化獣”が“メカ進化”にパワーアップするという前例があったし。
 まさか前作『ファイブマン』後半のパワーアップした敵怪人“合身銀河闘士”が、『V3』の前作『仮面ライダー』初作(71年)後半の生物2種混合のゲルショッカー怪人の復刻だったから、『仮面ライダー』シリーズに準じて敵側のパワーアップのモチーフにしたというわけでもないだろうが。


 加えて、ストーリー上その容姿である必然性が弱い(生物か無生物かどちらかに機能が偏る)。
 また一部を除いてジェットマン打倒を主目的とした戦闘用のため、アクションには華(はな)を添えたものの個々のキャラクター性や事件そのものへの興味度が格段に薄れてしまったのは実に残念だ。


 中盤での1号&2号ロボの合体ロボ“グレートイカロス”の誕生を機に、バイラムは当初のゲーム感覚を捨て(完全にではないが)、ジェットマン打倒を最優先するようになる。
 これが前述の“バイオ次元獣”誕生の理由となるが、個人的な考えを言えばこれは“トランザ”誕生の原因(理由ではない)でもあるように思う。


 番組のシリーズ構成・時期的に恒例の強敵を中盤に登場させる必要があったのを、4幹部限定にこだわったために少年幹部トランをトランザに成長させたと前述したが、そこにはもうひとつ要因があるように思う。
 バイラムが地球侵略の過程においてそのゲーム性・遊戯性を放棄した際、そのゲーム性を体現する最右翼であったがために存在意義が危うくなった“トラン”のキャラを、何とかして今一度立たせるための策であったとは考えすぎだろうか?
 筆者にはどうしてもそう思えてならないのだが……


 もちろん“トラン”の遊び心も完全に消滅してしまったわけではなく、パワー面に優れた“トランザ”に成長することで、激化する戦局のなかでより高度な大人のゲームとしてその生きる場所を見い出したのではないかとも好意的に深読みはできる。
 それはシリーズ前半での“ラディゲ”たちの遊びとも違い、まさに血で血を洗う戦い自体を楽しむ恐るべきゲームなのだ。


 ジェットマン同様、明確に個性分けされ、ボス不在により個々がそれなりの自由さを持つバイラム。
 そこにいわゆる組織としてのもろさがあるのは確かであり、その協調性のなさが結果的に敗北につながったのも事実である。


 しかし、5話『俺に惚れろ』や22話『爆発する恋』のように、複数の幹部による総攻撃といった新鮮味もあり、マニアの一部諸氏らの意見のようにこれを一概に敵組織の描写の弱体化と断じ切るのもどうかと思う。
 何より4幹部にこだわりつづけた成果は、終章においてものの見事に表れるのだから……。


☆新たな視覚イメージへの挑戦☆

 『ジェットマン』を語るとき、そのストーリーやキャラと並ぶ重要な要素がこれである。
 新加入の雨宮慶太監督と、前作『ファイブマン』で特撮監督に初就任し本作でも特撮監督を務める佛田洋(ぶつだ・ひろし)氏のタッグによる斬新な映像センスは、他のベテラン監督たちにも大いに刺激を与えたようだ。


 1話で敵幹部“ラディゲ”が大空や各所に自身の演説映像を写して地球に制圧宣言をするシーン(なかでもお婆さんの座る縁側のガラス窓に姿が映るシーンは最高)、
 次元の壁を破って出現する“次元虫”、
 変身後のマスク内部の表情(15話『高校生戦士』では“アコ”のマスク内部までもが映像化されたが、なぜか“凱”のみ一度もなかった)、
 横になって歩く“グレイ”や、逆さに階段を降りて(昇って)くる“マリア”など魔城バイロック内の異次元性。
 2話で“アコ”や“凱”が垣間見る空――「飛翔」のイメージ、
 6話でゲスト怪人(?)“ハウスジゲン”と化したマンションからカメラが引くと“凱”のバイクのミラーにそれが映っているシーン、
 19話『見えます!』が最高の4分割バトル画面等々、


 他にも多々あるがセンスのよい映像が続出している。


 アクション面では、ジェットマン最大の特徴といえる飛行能力の描写をビデオ合成と吊りを駆使して表現、新たなアクションイメージを作りあげている。
 ジェットマンの背中に乗って敵に向かっていくかのような錯覚を感じた人も多いのではないだろうか。


 またジャンプの多用とその連携も見事の一言で、いつもながらJAC(ジャック 〜ジャパン・アクション・クラブ)のアクションには舌を巻いてしまう。
 32話『翼よ! 再び』の三魔神“合体ラモン”戦は、そのジャンプアクションとチームプレーに演出のテンポ良いカット割りが加わり、名場面中の名馬面となっている。


 ジェットマンは、85年の『電撃戦隊チェンジマン』以来久々に共通武器しか持たない戦隊なので、技ないしは戦法によってそれぞれの個性を演出する必要があった。
 残念ながらモチーフとなる“鳥”の特性が十分生かされているというわけではなかったが、恒例のレッドの剣技、イエローの岩石落としにブルーのスピード攻撃など、なかなかうまくいっていたと思う(スワンウィングなどはもっと使ってほしかったが)。


 余談になるが戦隊名物の「名乗り」について――。
 パターン化の最大要因であり25分枠――後日編註:83年の『ダイナマン』初期編〜97年の『電磁戦隊メガレンジャー』初期編当時は25分枠――という限られた時間を少しでもドラマ面に使おうとするため、近年(91年当時)ではあまり行われなくなったが、見せ場であるのも事実なのでそのあたりの兼合いは仲々に難しい。


 今回、


 「鳥人戦隊! ジェットマン!!」


 というチーム名乗りは11回行われているが、5人各々(おのおの)の名乗りがあったのはそのうち3回だけである。


 特筆しておきたいのはこの3回が行われたのが5話『俺に惚れろ』、32話『翼よ! 再び』、50話『それぞれの死闘』と、前・中・後期それぞれの展開上の最重要場面である点だ。
 回数は少ないものの押えるべきところは押えている。


 また15話『高校生戦士』では主役担当の“アコ”、19話『見えます!』では同じく主役担当の“香”、32話『翼よ! ふたたび』では全員が、


 「鳥人戦隊!」


 の音頭取りを務めるなどストーリー上の流れから絶大なカタルシスを持つ前代未聞の演出が見られ、パターンのなかにパターン破りを見い出すまさに『ジェットマン』ならではの楽しみもあった。


 ちなみに50話の名乗りは1年間がんばったキャスト諸氏へのごほうびか、素顔の5人自身がスーツを着て行っている。
 かつて『バイオマン』最終回でもそんな演出があったが(毎年、最終回の撮影現場では恒例らしい?)、マニアにはこのうえないサービスだ(一部のめざとい子供は異和感を抱くかもしれないが……)。
 アクションシーン以外なら他のカットでも着ているのでチェックしてみるのも楽しみのひとつか。


 話を戻そう。ミニチュアワークやメカ戦についても、これまでのノウハウを生かしつつ、数々の新しい試みがなされており、見る者の目を飽きさせない。


 5機の飛行メカ・ジェットマシンの格納庫よりの発進から、新規に造形された大量のミニチュアを並べてスピード感や遠近感を強調したビル街の大通りをぬっての5機の編隊飛行はもちろん、地球防衛軍スカイキャンプの建物の逆光アオリ構図や、レッドが搭乗するジェットホークの太陽に向かっての転進(その逆回転カットが2話にある)など、実景の空との組み合わせもうまく、画面効果を高めている。


 これらオープニング主題歌映像でもおなじみのシーンに加え、“セミマル”や“ベロニカ”との巨大戦ではオープンとスタジオ両方でビル街のセットを組み、これまでにない迫力を出している。
 ビルのガラス窓への映り込みや、往年のロボット怪獣メカゴジラもかくやのビームによる破壊、逃げまどう人々との合成、ビル崩しのアオリ撮りなど、東宝怪獣映画的なシーンが続出、東映特撮もここまで来たかの感がある。


 “ベロニカ”が手の甲のシールドを展開して最強ロボ・グレートイカロスの必殺光線・バードメーザーをはじくあたりは最高だ。
 もちろん破壊シーンのライブフィルム使用も多いし、セットの精度などは映画とは比べものにならないが、逆の見方をすればTVでもこれくらい出来るぞという気概を見る思いがするのである。


 名シーン中の名シーンといえる2話のレッドホークが駆るジェットホークと戦闘機に寄生したファイタージゲンの長尺の大空中戦や、建設中の鉄骨だけのビルのなかをキリモミ飛行で突っ切って行くシーンの特撮パワーを、シリーズ中・後半においても維持し続けたことは称賛に値する。


 ビルも家屋もない造成地主体であくまでもおまけのお楽しみ程度だった「戦隊」の巨大ロボ戦は、オープン撮影を時折導入し自然光による巨大感をねらった『バイオマン』から確実に変わってきた。
 そしてそれはついにストーリーの中核を成し、相応の演出を必要とするまでになったのだ。


 単体メカの描写も余念がなく、ジェットマシンもそれぞれの個性を比較的明確にしたうえでうまい使い方をしている。
 18話『凱、死す!』において水晶から元に戻った“凱”が愛機ジェットコンドルで駆け付ける描写などはその最たるものだ。
 またメカの改造や修理がこれほど多く画面に登場した例はこれまでになく、それは作品に新たなリアリティを加えている。


 『ジェットマン』は、アクションのみならずそのメカニック描写をもドラマと融合させることに成功しているのだ。


☆その終章☆


 徒(いたずら)に新キャラを増やすことなく、あくまで5人と“綾”、4幹部の10人のキャラ描写にこだわりつづけた『ジェットマン』は、その最終5部作において見事結実する。


 その開幕となった47話『帝王トランザの栄光』では、なんと“帝王トランザ”が真っ先に消えてしまう。
 今にして思えばパワー面での強敵ではあるもののジェットマンの面々と特別な因縁・心理的・男女恋情関係を持たないため、消えるべくして消えた感はあるのだが、それでもやはり意外な展開であった。


 “トランザ”の総力戦は44〜45話の“ベロニカ”編で終わっているので、その戦いはあくまで正攻法で行われている。
 “竜”を助ける男の正体が一時退場していた敵幹部“ラディゲ”であるのは承知済みなので、演出は孤軍奮闘する“竜”よりもむしろ“トランザ”と“ラディゲ”の心理対決に重きを置いた感がある。


 37話『誕生! 帝王トランザ』で“トランザ”に受けた屈辱をそのまま“ラディゲ”がやり返す脚本の統一性も凄いが、廃人と化した“トランザ”が精神病院の病棟でわめく姿が白いフェードアウトで消えていくラストには空恐ろしささえ感じる。
 これほど衝撃的な最期(と言っていいだろう)を迎えた悪役キャラはそういないだろう。


 続く48話『死を呼ぶくちづけ』・49話『マリア…その愛と死』では、


 マリア=リエを巡る3人の男たちの想いが錯走、
 ラディゲの巨獣化“ラゲム”の出現、
 “凱”と“グレイ”の奇妙な交感、
 吸血鬼化した“竜”を救おうと必死の“香”


 など、ラストへの伏線を交えつつ、物語は避けられない悲劇へと進んでいく。
 獣化した“マリア”にキスをする“竜”、元に戻りながらも“竜”を拒絶する“リエ”……。


リエ「せめて一太刀お前に浴びせたかった、 ラディゲ!」


ラディゲ「お前は俺のものだ……レッドホークには渡さん!」


 全てを引き裂かれた“リエ”のセリフも良いが、その“リエ”を斬る“ラディゲ”のリエへの妄執が込められたセリフには戦慄させられる。


 愛を軽蔑し、18話『凱、死す!』では一度救ったゲスト女性“早紀”まで殺したほどの“ラディゲ”が、やはり愛を知っていたのだ。
 “竜”や“グレイ”には到底理解の及ばない歪んだ形ではあるが、それはやはり“ラディゲ”にとって「愛」だったに違いない。


 これだけでも凄い展開だが、この土壇場に来てなお“リエ”は“竜”を拒む。
 それがまた“リエ”の“竜”へのせめてもの「愛」なのだ。愛すればこそ、“竜”に身を委ね死ぬことは許されない。
 敵ロボ幹部“グレイ”に身を任せて消える“リエ”は、ここではっきり自分の二面性を自覚したうえでそれをふたりの男に委ねている。
 “リエ”としての心を“竜”に、“マリア”としての体を“グレイ”に。


 いや、先に“ラディゲ”に向けた殺意もまた、弄(もてあそ)ばれた“リエ”と“マリア”ふたつの心が生んだ第三の感情だったのかもしれない。


 水面にきらめく光のなか、“竜”の名を呼びつづける“リエ”……。
 ここの映像は、もはや子供番組などというレベルはとうに超えている。
 取るに足らないビデオドラマ主流の昨今、これほど美学化された死を演出したものがどれだけあるだろうか?


 “グレイ”の涙(?)で光の粒となって海に散る“リエ”、絶望と涙にくれる“竜”……。
 胸痛む悲しみを抱きつつ、ストーリーは終章のなかでも最大の盛り上がりを見せる50話に突入していく……。


 “竜”対“ラディゲ”、“凱”対“グレイ”……宿命ともいえるこのふたつのバトルは、最終決戦の勇壮さよりはむしろそれぞれの悲壮感に支えられており、より緊張度が高い。


 ここで再び、“香”の存在が大きくクローズアップされてくる。
 “竜”に戦士としての心を取り戻させようとする“香”は、“リエ”の想い出と戦い、“竜”の心をつかもうとしていたかつての彼女とは違う。


 このときの“香”は、完全に“リエ”と一体化した存在として“竜”の心に入りこんでくる。
 “リエ”も“香”も戦士としての“竜”を愛した、いや愛しているのだ。
 “香”の言葉は“リエ”の言葉であり、“竜”の心の慟哭(どうこく)でもある。画面はうまいカット割りで“香”と“リエ”との一体感を出していく。幻想と紙一重の屈指の名シーンだ。


 一方、“グレイ”に辛勝した“凱”は最期の一服を好敵手に捧げる。“マリア”のピアノを想い浮かべつつ機能が停止していくグレイ。
 武人の心を持った“グレイ”らしい最期だが、ここまで見て気付くのは、お定まりの爆死を遂げた幹部がひとりもいないことだ。敵といえども人間ドラマの担い手である以上、単なる怪人風の死は避けたかったのかもしれない。


 “ラディゲ”の前に揃った5人の変身には格別の感情移入をしてしまうが、最後にあたり最強の必殺技まで初披露してくれるのには驚いた。鳥人としての設定を最後の最後まで活用してくれたことは賞賛に値する。



 夕陽に吠(ほ)える“ラゲム”の見事なカットでスタートした最終回『はばたけ! 鳥人よ』は、1号ロボ・ジェットイカロス、2号ロボ・ジェットガルーダ、3号ロボ・テトラボーイに長官も参戦、夜の闇のなかかつてないバトルシーンが展開する。
 ジェットフェニックス、バードメーザーと巨大ロボの必殺技のオンパレードには目を見張る。
 “ラゲム”唯一の弱点が“リエ”がつけた背中の傷であるなど、伏線活用も怠らない。


 闇を舞台に光学合成のビーム技も冴えわたり、目の離せない展開がつづく。
 早々に変身が解けたため全員の表情が画面に描写され、その臨場感は他作品の比ではない。


 “竜”捨身の戦法で“ラゲム”は倒れ、5人と“綾”は朝日に勝利をかみしめる。
 その役目を終えた3大ロボのカットも素晴らしく、遂に長く苦しい戦いは終わったのだ。


☆未来へはばたく鳥人たち☆


 3年後――。CM明けのBパートでのこの展開には本当に驚いた。
 アニメではよくある話だが、「戦隊」はもちろん特撮ヒーロー番組ではほとんど例がない。
 “雷太”と“サツキ”の婚約、“アコ”のアイドル歌手デビュー、“竜”と“香”の結婚(いちいちここでは書かないが、マニア向けのお遊びもかなり多い)、そして……“凱”。


 このBパートについては、事前にほとんどその情報が伝わっていない。
 筆者の知るなかでは唯一月刊の幼児誌『てれびくん』が本誌および別冊の『鳥人戦隊ジェットマン超全集』(92年・小学館ISBN:4091014305)においてスチールを載せているが、あまり細かい記述はなされていない。それゆえに見る者にとっては強烈なインパクトをもたらした。


 “凱”が刺されることと“ラディゲ”の段末魔の呪詛(じゅそ)の言葉に演出的な関連性があるかどうかはわからない。
 だが、これらのシーンひとつひとつがこの作品のテーマが結実する瞬間であることは間違いないのである。


 “凱”は花屋で店員に「親友が結婚する」と言っている。前述した「相棒」とならび、ここにおける「親友」の響きには、見る側の様々な想いが交錯する。
 刺されたあと、式場にたどり着いた“凱”はケガを隠して空を見上げ、


 「空が目に染みやがる…… きれいな空だ」


 とつぶやく。竜は


 「ああ、俺たちが守ってきた青空だ」


 と答える。


 記念写真用のカメラを向ける“アコ”。“凱”は“竜”を抱き寄せてファインダーに収まり、笑顔で言う。


 「ありがとう……竜」


 これら強烈な名セリフのたたみかけには、もはや言葉もなくただ見入るのみだ。


 “凱”は、実に刹那的な生き方をしてきた人間だ。女にしろギャンブルにしろ、所詮遊びに過ぎなかった。
 そんな“凱”が戦い、人を愛し、友情を育み……初めて真剣に生きた瞬間がこの1年間だったのではないか。
 そしてそれを教えてくれたのはやはり“竜”だったのだろう。


 “凱”を見つめる“香”のアップからコマ落とし気味のスローモーションになり、それぞれの幸せに満ちた表情がつづき、やがて“凱”がゆっくりと目を閉じる。


 このときのカメラは完全に視聴者の目と一体化している。
 “凱”の生死は、決して明確な形では語られない。あくまでもあのラストカットが全てである。


 そこから先は我々ひとりひとりが想像すればいいし、またそれがどんな形であれ、その全てが蛇足でしかない。
 「死んだのか生きているのか」という理屈では割り切れない1コマの映像が厳然とあるのみである……。


 “竜”が幻視する“リエ”の姿。絶妙のタイミングで流れ出したエンディングは、完全に過去のシリーズを突き抜けた。


 「戦隊」が最終回のラストシーンのみCMを挟まずエンディング歌曲が連続する形になって数年経(た)つが、そのなかでもやはり群を抜く出来であったと思う。
 数カットの撮り下ろし(“竜”と“凱”のケンカが最高)や未使用カットを交えて5人の見せ場がセンスよく編集されている。


 そしてラストカット。AB両パートのCM前後のアイキャッチ静止画を再現した形から笑顔で動き並び直す5人。
 1年間『ジェットマン』を見続けた者の様々な想いの全てを許容し包みこむ……そんなラストカットである。


 各局のTVドラマがここ5〜6年で急に全10数話程度しか放映されなくなった昨今、キャラへの愛着・最終回を待つ興奮・そして終了時の感動と寂しさ……
 こんな感動を味わえるのは半年・1年と継続されるアニメか特撮シリーズくらいしかない。
 筆者にとって『ジェットマン』はまさにそういう作品であった。
 そして、キャラクターひとりひとりのドラマにきっちり決着をつけてくれたことには感謝の念にたえない。


 あのエンディングのラストカットを見た者の胸には、いつまでも竜・香・雷太・アコ・そして凱が生きつづける。
 最後まで人間を描きつづけた『ジェットマン』の物語は、こうして鮮やかに結晶化し、さらに昇華していったのである。

☆    ☆    ☆


 こころはタマゴ 不思議なタマゴ 明日まであたためりゃ
 元気になれる 笑顔になれる もしかあの子が好きならば…………………


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊9号』(92年9月吉日発行)『戦隊シリーズ大特集』より抜粋)


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