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ウルトラマンネオス最終回12話「光の戦士よ永遠に」 ~「種の存続」に殉じることの是非!

(東京MXテレビ・2012年2月から毎週日曜18:30の円谷劇場にて『ウルトラマンネオス』放映「全話評」連動連載!)
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ウルトラマンネオス』最終回(12話)「光の戦士よ永遠に」 ~「種の存続」に殉じることの是非!

#12「光の戦士よ永遠(とわ)に」

(究極進化帝王)メンシュハイト登場
(表記のほか脳魂宇宙人ザム星人エスラー登場)

(脚本・武上純希 監督&特撮監督・高野敏幸)
(視聴率:関東・未放映 中部・未放映 関西2.1%)


(文・内山和正)
(2002年11月執筆)


 暗殺怪獣グラールにエネルギーを吸い取られながらも、かろうじて勝利したウルトラマンネオス。しかしそのエネルギーはついに枯れ尽きた。
 回復のためには母星の光の国へ帰らねばならぬと救出に来たふたりのウルトラマンウルトラセブン21(ツーワン)とゾフィーに対して、今自分と分離しては合体していたカグラ隊員が死ぬとネオスは拒否する。
 ゾフィーは命のエネルギーを取りに母星へ帰ることにし、自分がそれを持ち帰るまでは再び戦ってはいけないと忠告する……



 あきらかに初代『ウルトラマン』(1966)最終回(39話)「さらばウルトラマン」における、ウルトラマンゾフィーの会話のリメイク。だが、本作最終回を単体で観るよりバリエーションとして旧作を知っている方がわかりやすく、かつ楽しいつくりになっている。だから部分的にはリメイクであることを、この回については個人的には責める気はしない。


 21とゾフィーによりかろうじて命を取り留めたネオスが消滅したあと、山中の平原に瀕死のカグラ隊員が横たわる。重病や高熱に罹患した人間にはありがちなことだが、彼の視界に草木や花々がやけに印象的に鮮烈に飛び込んでくることを示す演出も効果的だ。


 ナナ隊員に救出されるも、「ザム星人の少年を引き渡せ」というメンシュハイトの要求を呑んだ内閣情報局に反旗を翻したカグラ隊員たちは、防衛組織HEART(ハート)基地に戻ることもできず、山中の別荘にザム星人が変身した少年ともども潜伏する。


 ベッドに横たわる重篤(じゅうとく)のカグラ隊員が目を覚まし、看病するナナ隊員と会話を交わす。
 束の間の安らぎのあと、カグラ=ネオスであることをナナ隊員がおずおずと尋(たず)ねるも、すでにカグラ隊員が無防備にも安らかに寝入っていて、結論は引いてジラして先延ばしにされるという作劇によるほのぼのシーンもよい。


 暗殺怪獣グラールを打倒したことで危機が去ったからと、HEART基地を占拠した内閣情報局の退去を要求するミナト隊長とアユミ隊員。しかし、まだメンシュハイトによる危機は脱していないと拒(こば)む内閣情報局・特別保安部のキサラギ


 その議論を察知したかのように、再びメンシュハイトがHEARTのコンピューターと通信機をハッキングしてきた。すべての知的生命体は、宇宙を漂う暗黒物質ダークマターが生物の突然変異や怪獣化をうながすのと同じ原理で産み出されたものであり、ダークマターは進化を求めているとメンシュハイトは主張する。
 (8話「蘇る地球 HEART南へ!」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20120419/p1)における、「人類はダークマターの影響によって誕生した」という故・宇佐美教授の仮説が奇しくも実証されたともいえる)
 どの種を残すかについては、最高度に進化した自分が選ぶと奢(おご)りを示す。


 ザム星人の少年の引き渡しを拒めば、地球人類の排除をも示唆するメンシュハイト。キサラギは24時間以内にザム星人の少年を引き渡すことを約束する。


 翌朝、カグラ隊員たちが潜伏する山中の別荘を急襲した特別保安部の特殊部隊たち! 別に行動していたウエマツ隊員とヒノ隊員が援護に駆けつけて、特殊部隊員たちは現場を去る。
 (スキンヘッドの行動隊長があまりにアッサリと現場を去ることを決断するのは尺の都合もあるだろうしご都合主義ともいえるのだが、描かれていないとはいえ彼らも凶悪犯でもない亡命少年の拘束と引き渡しという職務にノリ気ではなかったとも受け取りたい。が、本スジのテーマではないし脱線ともなるので、この点には深く言及しないでおく)


 辛(かろ)うじて窮地を脱したHEART隊員たちとザム星人の少年だが、そこに天地を暗くせしめてメンシュハイト人間体が宙空に姿を現わす。
 銃撃で応戦してきたHEART隊員たちに、少年を引き渡す気が毛頭ないことを知ったメンシュハイト。彼はついに巨大化してその真の正体を現した!


 その姿は手足がスラッとした真っ白き人間体型であり、ウルトラマンたちのような赤や青のラインの模様がうっすらと彩(いろど)っているが、その顔面は両眼がにらみつけており口からは歯がむきだして、悪鬼のような形相である。
 その鳴き声は音響加工した女性の悲鳴のような音であるのも、不穏さと不気味さと異質さを強調していて強烈な演出だ。


 HEART隊員たちやキサラギでさえも、その姿が古来より言われてきた神話・伝説の類の「悪魔」にそっくりであることに衝撃を受ける。
 悪魔に魂を売った人間の末路の姿でもあると喝破するミナト隊長。ここへ来てHEARTを制圧してザム星人の少年をメンシュハイトに引き渡そうとしていた内閣情報局・特別保安本部のキサラギも自分の誤りに気づく。
 (メンシュハイトの侵略行為それ自体ではなく、メンシュハイトの姿形が悪魔だったから悪者なのだ!……というふうにも取られかねない作劇は理性的に考えればオカシイ。しかし、本作は最後に悪者をやっつけることで物語が終わりとなる勧善懲悪のヒーローもの作品でもあるから、最後には地球人側での悪党寄りの役回りを務めているキサラギも納得できるような「倒してもよい悪者」という一応の条件(笑)を付与してあげなければならない)


 ただキサラギも彼なりの正義で動いていたのだろうし、職務の立場柄もあるだろう。だからミナト隊長がキサラギを一方的に悪しざまに言うのはどうかとも思うが。



 攻勢を示すメンシュハイトに、遂にウルトラセブン21も出現! 頭頂部の宇宙ブーメラン武器・ヴェルザードを放った!


 しかし空中バック転で軽やかに攻撃を避けてみせることで、メンシュハイトが俊敏でもあり容易ならざる強敵でもあることを示す。
 21が圧倒されて後ろ向きに背中を着いて、地面を長距離滑らせることで吹っ飛ばされる特撮アクション演出もなかなかの迫力だ。
 セブン21もついに大地にひれ伏す。


 地球を守れる者はもう誰もいない。この最大の危機に、残り少ないエネルギーで戦っては次こそ本当に命を失うから変身してはいけない、とゾフィーに忠告されていたカグラ隊員=ウルトラマンネオスは最後の変身を決意する!


 辛うじて立ち上がった21とネオスがタッグマッチを開始する。
 しかし背中に羽をはやして宙に浮かぶことで優位さをも演出し、高空から暴風を巻き起こして、ネオスと21をまたも圧倒するメンシュハイト!
 樹木が幾本も薙ぎ倒されて、家々の屋根が吹き飛ばされるミニチュア演出も懐かしいものながら、21世紀の特撮にふさわしい精巧な出来に仕上がっており大迫力だ。



 メンシュハイトがザム星人の盟主になる前はどんな存在であったのかが不明であることなど、相変わらず説明不足で不満点もある。


 これまで続いてきたウルトラセブン21、あるいは内閣情報局のイレギュラーキャラ・フジワラ秘書官のドラマがこのラスト2話には欠けているのも残念だ(フジワラについては、最終回前編であくまで少年を守るというミナト隊長の決断を聞いて微笑むのみ)。


 それでも観るべきところがある作品だと思う。



 ただし本作は、同時に問題作ともいうべきではないか?


 これまでヒーローが口にしてきた、いわゆる「正義」という言葉にも対応する、地球や宇宙の平和、人間の平和や未来を守るという言葉が、宗教でいう「殉教」(神の教えに殉じて死ぬこと)の域に達していて、「種の存続」という一点のみに集約されている。


 ザム星人の少年エスラーはやがてシードのなかのザム星人10億の命を蘇らせる際に、みずからの命のエネルギーを照射し、その結果死ぬ「さだめ」なのだという。交尾のあとメスに喰われて栄養分になってしまうカマキリのオスや、苦労して川をのぼり産卵して死ぬサケと同じようなものだ。
 少年がその「さだめ」に納得し、あるいは納得以前に疑問すら持たず、そのために死ぬことなら恐怖すら感じていない、しかもそのことがザム星人の偏向した文化による洗脳によるものではなく、ザム星人という種族の生物の本能として当たり前であり、喜びでもあるのならば、人間社会の価値観をそこに当てはめても意味はないし、よけいなお世話でもあるだろう。


 しかし、そんな(人間の価値基準から見れば)悲しい運命の少年に、複雑な気持ちになるのでもなく同情するのでもなく(?)、ザム星では「期待する」という意味の言葉でもある少年の「エスラー」という名前を、ナナ隊員は


 「君の名前は“希望”とも言えるわ」


 と口にする。


 加えて、主人公カグラ隊員も肉体の死をも恐れずに戦うことを望む。たとえ死んでも、自分たちが宇宙の一部であり宇宙の未来として生きるのだと。
 これは、たしかに人類だけの「種の存続」には限定されていない、「生態系全体・エコロジー全体の存続」といった趣旨の理念に昇華されている。


 晴れ晴れとした彼の表情は、全12話の作品とはいえ半年近い撮影期間を経(へ)た作品であるだけに、演者の高槻純の演技力の向上と最終回の名シーンへかける意気込みもあいまってか、いかにカグラ隊員が数々の経験を積んできて成長したとはいえ達観しすぎのきらいも少しあるのだが、たしかに感動的ではあった。


 そしてエスラーもまた、全宇宙の未来を守るため、今彼らが負けてはザム星人の未来もないとばかりに、メンシュハイトと戦って倒れ伏して死に瀕しているウルトラマンネオスウルトラセブン21に、ザム星人の「種の存続」を超えて10億の同胞を復活させるためであった命のエネルギーを与えて死ぬことを選ぶ。


 「種の存続」さえできれば個々の個体は死んでもいいという極論が動物保護団体のごく一部でも叫ばれているのをテレビかなにかで見たことがあるが、それはそれで全体主義的でもあり問題があるのではないのか?


 あえて極論・暴論を言わせていただければ、「人類という種」が全体として存続できるのであれば「個々の人間は滅びてもよい」とするのならば、「大量殺人犯」や「戦争」などの大量虐殺行為はともかく、「個々の殺人犯」などは特別に問題視したり捕まえて拘束したりする必要もない、というロジックも成り立たなくもないのだ。


 大局的な視点で見たら「大の虫を生かすために小の虫を殺す」ことがたしかに仕方のない局面もあるだろう。筆者も「自分さえよければ、自分さえ生き延びられれば、他人の生命など知ったことではない、全人類が滅びてもかまわない」などと思っているわけではない。そのような究極の選択を迫られれば、自己犠牲を選ぶだろう。


 しかし、努力をすれば自分も他人も助かるような事態なのに、無駄に自己陶酔的に自身の生命を犠牲にしてしまったり、あるいは他人にそれを強要してしまいかねない危うさを感じなくもないのだ。
 平時において、本当の意味での「正義」や「平和」のためならばともかく、「種の存続」のために個々人の「自己犠牲」を許容する……という考え方には、個人的には安易に与(くみ)したくはない。


 (今回の『ネオス』最終回にかぎった話ではなく、むかしのアニメや特撮などのジャンル作品にはこのような特攻・自己犠牲的な最終回が多かったのも事実だが……)


 ここからは、論旨をやや逸脱(いつだつ)させていただく。
 近年話題の「少子化対策」についても、子供をほしい方たちの負担を軽減したり、子育ての方法に悩んだときの知識を提供する分には歓迎すべきだと思う。
 しかし、その「少子化対策」がもし仮に行き過ぎて暴走してしまったのならば、異性とも同性とも性関係は持ちたくないプラトニック主義者や同性愛の方、心に適合した性を選んだら生殖能力を失う性同一性障害の方などの、人類という「種の存続」には貢献しないマイノリティ(少数派)の方々が、イジメや迫害にあう可能性を充分にはらんでいるのではないかと思うのだ。


 いや、それ以前に最近増えている(とされている)「児童虐待」も、子育て環境への対策の不備が原因であるケースの他に、本来子育てをする資質のない人間が「結婚して子供を持つのが普通である」という一般常識に押しつぶされて、自己の適性とはそぐわぬ生き方を強(し)いられた末の結果であるというケースも多いのではないだろうか?


 人類という「種の存続」には貢献できなくても、結婚して子供を持つという人類の最大公約数としての生き方はできなくても、さまざまな人々が自己の適性に応じて自分らしく生きられなくなることを防ぐことこそ、個人的には最優先としたい。


 論旨が特撮評論の域を逸脱したのはお詫びしたい。しかし、そこまでのことを考えてしまうほどに、「殉教」的にすぎるこの最終回はある意味、筆者の心に刺さってきた(カグラ隊員の成長を描くためには、これくらいの極端な状況設定が必要だったのかもしれないが)。


 表面的にはむかしからよくあるヒーローものの最終回などにおける型通りの「自己犠牲」を描いたようでも、その動機に「思想性」――よくある右寄りの戦前の旧日本軍による「特攻」や「国家への忠誠」を想起させるものとはまた微妙に違った、「種の存続への忠誠」や「生態系・エコロジー存続への忠誠」を想起させるような「思想性」――を持たせた本作は、視聴者がそれぞれの立場で考える問いかけを与えたことにも意義を感じさせる。



 少年の命のエネルギーをもらったため、回復したネオスと21はゾフィーの帰還を待たずに光の国へと帰っていく。
 カグラとネオスとの別れのシーンがないために物足りないという意見を聞いたこともあるが、これはこれでいいのではないだろうか?


 ザム星人10億のDNAを含んだシードは、ザム星人の少年からナナ隊員に託されて、HEART隊員たちはいつの日にか地球の進歩した未来の科学力でこれを復活させることを人類の課題として誓う。
 これについても、何とかギリギリ言い訳を付けることができたとイジワルに見てもよいし、近年流行のオカルト・魔法的な「奇跡」による解決ではなく、オールドSF的とはいえ科学という「人知」の努力の成果に待つという結論を好意的に捉えてもよいだろう。


 結果的な相似であろうか、選曲担当者の好みであろうか、テレビアニメ『ザ・ウルトラマン』(1979・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100430/p1)最終回「ウルトラの星へ!! 完結編 平和への勝利」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20200508/p1)のラストシーンのように、エンディング主題歌がいつもの歌詞1番のみではなくフルコーラスで長々と流れて、全話の名場面が写し出されていくのも、これはこれでありがちながらも情趣があってシンミリとしてきてよいセンスだと思う。


 強烈な個性や突出したアクは感じられないながらも、押さえるべきところは押さえて拙(つたな)いところは感じさせない、緩急自在な手堅い演出をいつもしているという印象を個人的には持つ助監督上がりの高野敏幸氏も、最終回にふさわしい盛り上がる演出を達成していたと思う。



 こうして『ウルトラマンネオス』は終了した。
 個人的には、これまでの「ウルトラシリーズ」とは根本的に異なる「ダークマターがあるからこそ怪獣が存在する」という設定で統一された世界観がうれしかった。既存のシリーズとはつながらない新しい舞台を用意するならば、その作品独自の何かがあった方がオリジナリティを主張できるし変えた甲斐もあったというもの。


 これまでそれを見出せなかったり、せっかく面白い設定をつくっても充分に活かせなかったり貫けなかったりしたシリーズ作品も多いだけに、怪獣の出自なりテーマなりにダークマターという設定を利用したエピソードが全編を占めた本作は、各話評であげてきたような問題点は残しながらも、充分健闘したと思う。
 ――2話「謎のダークマター」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20120304/p1)の後日談という、間接的なかたちでしかダークマターの影響がない6話「ザム星人の復讐」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20120401/p1)も、世界中の科学者が集う国際的なダークマター会議というイベントを〜直接描かれはしないものの〜怪事件のキッカケにして接点は持たせてはいる――
 

 もちろんこの設定ゆえに描けないバラエティ豊かな趣向も出てくるわけだが、それは別の1年間全50話を放映するテレビのウルトラシリーズの方で行なえばよいことで、本作は話数の少ないビデオドラマという形式をよく活かしていたといえるだろう。


 とはいえ、もっとたくさんのエピソードが観たかった。ザム星人についても終盤までにもう一度登場させてカグラ以外の地球人の一部が彼らに出会い、彼らの事情を多少は理解するというふうにしておいた方が、ラストエピソードでいきなりザム星人の「種の存続」という大問題に関わるよりもスムーズに展開できたのではなかろうか?


 また、いくらでも新しい別個の世界観を創出することが許される現在のウルトラシリーズなのだから、既存のM78星雲出身のウルトラマンというイメージがついた『ウルトラマンネオス』ではなく全く新しい世界観の作品であったのなら、10話「決断せよ! SX救出作戦」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20120504/p1)評でも言及した通り、人間ウルトラマン・カグラ隊員と宇宙人・ウルトラセブン21の二人三脚の関係も含めて、ダークマター・ワールドをよりよく描けたのではなかろうか? とも惜しまれる。


 筆者にとっての『ネオス』(特に95年のパイロット版・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971115/p1)に対する最初の執着が、昭和のM78星雲出身のウルトラマンたちと世界観を同じくすることの魅力であったことを思えば、それも痛し痒(かゆ)しではあるのだが。


 ともあれ、『ネオス』が個人的には好きな作品となったことはたしかで、リリース終了後にどこかのマニア誌で円谷プロ関係者が言っていたように、続編が実現できたなら……と願っている。


 ダークマター現象が過ぎ去った今、怪獣たちは300万年前のダークマターで誕生した北極怪獣ノゼラや南極怪獣サゾラのように眠りについてしまうのだろうか? という問題もある。が、地球人自身もダークマターの影響で誕生した存在で(?)、ダークマターが過ぎ去った空白の期間にも活動し続けた存在であるのなら、怪獣の中にも動き続けているやつはいるだろう。


 続編実現の暁(あかつき)には、今回ふたりで着込む着ぐるみだから大変だという理由で登場が見合わされた怪獣ドレンゲラン――1995年につくられたパイロットフィルムに登場し、フィギュア(人形)化もされていたザム星人のあやつる怪獣――の登場をぜひ。元はザム星人のペットだったが、ダークマターの影響で怪獣化、ザム星の崩壊に一役買い、少年エスラーが地球人に託したザム星人10億の命を宿すシードに吸い寄せられるように地球へ来たというような設定にしたらどうだろうか?
 ――編:95年版のドレンゲランの着ぐるみは『ウルトラマンティガ』(96年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19961201/p1)#35「眠りの乙女」に登場した宇宙鋼鉄竜グワームに改造されてしまったが、残存していればぜひとも再改造を!(笑)――


 それからせっかくのHEART(ハート)という名のヒューマンでメンタルな組織名を持つのだから、予算的にはゲストの人件費の問題もあるのだろうが、HEART隊員たちと民間人との心のふれあいの話をもっと増やしてほしいとも思う。


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2003年号』(02年12月29日発行)『ウルトラマンネオス』後半評より抜粋)


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ウルトラマンネオス』#11「宇宙からの暗殺獣」

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[関連記事] ~ウルトラシリーズ最終回評

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