『鳥人戦隊ジェットマン』総論 〜ブラックコンドル結城凱
『高速戦隊ターボレンジャー』 ~平成スーパー戦隊30年史・序章 平成元(1989)年
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『海賊戦隊ゴーカイジャー』(11年)#30「友の魂だけでも」に、『超獣戦隊ライブマン』(88年)のイエローライオン・大原丈(おおはら・じょう)こと西村和彦氏が23年ぶりに登場記念! ついに、ついに、『ゴーカイジャー』エンディング主題歌「スーパー戦隊数え歌」もとい「スーパー戦隊ヒーローゲッター」でも「♪ 友よどうして、ライブマン」とナゾめいたドラマチックな歌詞で歌いこまれて、斯界(しかい)のごく一部(笑)の注目を集めていた『ライブマン』が、まさかまさかのメジャーに登りつめた西村和彦氏のキャスティングにて登場!
年長戦隊マニア間ではほとんどシリアスドラマ志向の「傑作」であることが確定している『超獣戦隊ライブマン』も、オッサンオタらのまったくの力不足で(汗)、良くも悪くも「戦隊」の評価は後続マニア世代に引き継ぎされてこなかったことがネットの海を巡回するとよくわかりますが(笑~逆に云うと、個々の作品の評価が固定しすぎた『ウルトラマン』『仮面ライダー』両シリーズのような先入観にまどわされずに、個々人が自由に評価をくだせる自由なイイ状況だともいえる)。
……とカコつけて、19年前(汗)の『超獣戦隊ライブマン』2万字評を発掘UP!
『超獣戦隊ライブマン』私評
(文・内山和正)
(1992年7月12日脱稿)
記憶が曖昧で同一視点では語れない初期「戦隊」作品を別とすれば、『超獣戦隊ライブマン』(88年)は筆者の最も好きな戦隊作品である。描き方はやや紆余曲折したものの、テーマを1年間貫いたことと各回を楽しませてくれたことは、それ以前の何年間かの「戦隊」への個人的な物足りなさをすっかり吹き飛ばしてくれた。
だが世評は芳(かんば)しくなかった。特撮評論同人誌界隈では好評だったとも仄聞(そくぶん)するが、専門商業誌『宇宙船』や『Bクラブ』誌での読者欄などを参照するかぎりでは盛り上がりやそもそもの話題の頻度自体がイマイチだった。
パターン破りや連続大河ドラマ志向、完成された大人・プロ・職業人としての「戦隊」ではなく未熟で熱血な若者の青春群像劇としての試みを連発した『科学戦隊ダイナマン』(83年)〜戦隊シリーズ『超新星フラッシュマン』(86年)あたりまでの女性のミーハーマニア層も含む、東宝・円谷作品のみならず東映作品も視聴する一部の特撮マニア間における異様な盛り上がりを見せたブーム。
ポップな意匠を自覚的に強調しだした『高速戦隊ターボレンジャー』(89年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20191014/p1)以降にはじまる若いマニア世代による新ブーム。そのあいだのエアポケットになってしまったのだろう。
しかしである、「スーパー戦隊10周年」を記念して練りあげられた設定がかえって仇(あだ)となり重いテーマ・暗い映像などが子供たちに受け入れられなかった(?)のは仕方ないとしても、仮にマニア連中の過半にまで好感を持たれていなかったとしたら虚しさを禁じ得ない。前年87年の東映メタルヒーロー『超人機メタルダー』、『仮面ライダーBLACK(ブラック)』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20001015/p2)のハードでシリアスな世界観に酔い痴れ、その世界観が放映途中の路線変更で貫かれなかったことを嘆(なげ)く諸氏がこの作品に注目してくれたなら……と思うのである。
たしかに、知性面で「天才」であるはずの敵幹部たちがなぜこのような作戦を……というような子供向け表現がなされていたり、戦隊ヒーローたちのコスチュームがオモチャっぽかったりするが――この点はドラマ&テーマがヤング志向であるだけに、その代償として本来の視聴対象である幼児のよろこべる要素を取り入れようとしたものだと思う。仮面ライダーBLACKの搭乗するバイク・バトルホッパー(昆虫のバッタを模した緑色のバイク)も同様であろうが、生体メカという設定を施されたことにより特撮マニア間でも評判は悪くなかったようだ――、外層・表層ばかりがヤング・アダルト気取りでドラマ的内実が伴わなかった『BLACK』のような作品よりは随分よいと思うのだ。
テーマは、「生命」とその象徴である「青春」。そして『ライブマン』と同じくシリアス志向の戦隊シリーズ『超電子バイオマン』(84年)の「科学への過信」「支配者たらんとするエゴイズム」を推し進めた「大天才願望・エリート意識」とその虚しさ。そしてそれにまとわりつく「対抗意識・劣等感」などである。
それではドラマの流れに添って、感じたことを書いていこう。
第1期:1〜21話
1.設定紹介編(1〜3話)
◆1話『友よ君達はなぜ?!』
83年の『科学戦隊ダイナマン』序盤以降、放送時間が30分枠から25分枠へと短くなったためか、『電撃戦隊チェンジマン』(85年)以降の戦隊シリーズは番組開始時からヒーローたちが仲間であるものが大半を占める。それぞれの人物たちの出会いをキチンと描き個性の違いを印象づけるのがマニアにとっての理想であろうが、30分番組のころからそれはうまくいっていなかった。
『鳥人戦隊ジェットマン』(91年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20110905/p1)のような3回に分ける趣向は、5人全員の変身キャラや玩具を早めに露出したいという商業的な意向とは反するのでめったに許されないだけに仕方ないことであろう。
さらにこの番組はヒーローたちのみならず、敵幹部3人も怪物や宇宙人ではなく元々は人間でありヒーローたちとも同級生であったという設定により、ドラマを狭い世界・限られた人物たちに集中、成功している。
本作を観ていない方のために、ドラマの基本的な部分を少し書いてみよう……。
アカデミア島にある学園・科学アカデミアでは科学を志す若者たちが多数学んでいた。しかし、エリート意識を持った3人、
・月形剣史(つきがた・けんじ)
・仙田ルイ(せんだ・るい)
・尾村豪(おむら・ごう)
は人々のための科学をめざす生ぬるい授業に反発。同級生の矢野卓二・相川麻理を殺して、迎えに来たUFOに乗って宇宙へと消えた。
それから2年後の卒業式の日、生徒たちの夢を託した人工衛星スペースアカデミアが打ち上げられるとき、宇宙からの敵が科学アカデミアを、人々の命と夢を吹き飛ばした。
その司令官は武装頭脳軍ボルトの幹部、
ドクター・ケンプ
ドクター・マゼンダ
ドクター・オブラー
となった月形剣史・仙田ルイ・尾村豪であった。卓二と麻理の親友であった
・天宮勇介
・大原丈
・岬めぐみ
はこの日のために造っておいたライブスーツで、レッドファルコン・イエローライオン・ブルードルフィンに変身してライブマンとなる。3大メカも駆使して応戦するが、ボルトの敵ではなかった……。
若者である主人公たち自身が強化スーツやマシーンを造っていたという設定は、これまでの戦隊シリーズを観てきた者にとって信憑性に欠けるような気がする。けれど、科学を学んでいる者たちということや、敵に勝てないことで一応は納得ができる。
しかし、3人も知らないうちに星博士――演じるは『人造人間キカイダー』(72年)や『イナズマン』(73年)の主人公、戦隊シリーズ『バトルフィーバーJ』(79年)の2代目バトルコサック・神誠(じん・まこと)などを演じてきた伴直弥!(ばん・なおや 後日編註:97年以降は『キカイダー』時代の伴大介に芸名を戻された)――が3大メカに合体システムを仕組んでいたという設定は不自然な気がする。その他にも細部にはおかしなところがあって、戦隊シリーズにかぎらず子供向け番組ではいつものことといえばそうなのだが、ドラマが興味を引くものだけに瑕瑾(かきん=小さな傷)となっている。
どうしても敵に勝てない主人公たちは博士の言った「希望岬の沖1マイル」へアクアラングを着て向かい、自身たちの海底基地となるグラントータスを手に入れる。だが、ドラマのつながりからいって、どこにアクアラングがあったものか納得できないのである。
また、第2話『命に誓う三つの力』の重要な駒(コマ)となる妊婦もどこにいたのか? という気がして(職員の家族か?)、ドラマを進めるためのご都合主義を感じる。頻死の星博士はこの妊婦をかばい、生まれてくる新しい生命を守って死ぬ。初めての勝利を手にしたライブマンは、博士の死を知り幼き命に戦いを誓うことになる。
だが、筆者はなにか今ひとつこの状況設定にピンと来ないのである(博士役の伴直弥氏の熱演はよいのだが)。「生命」をテーマのひとつとする『ライブマン』であるから「命の象徴」ともいえる新生児がそれにふさわしいと理性では思うのだけれど、なぜか抵抗感があるのだ。他の方の意見も伺ってみたい。
この設定紹介編3本ではライブマンたちが弱い。第1話・第2話で徹底的にやられたうえ、3話『オブラー悪魔変身』でもライブマンに変身する前にはロボット兵である戦闘員のジンマーに攻撃が通じず苦戦する。
本サークル主宰のT.SATO氏は、第1話から苦戦してしまうヒーローに対して、マニア受け的には非常によくても、幼児から見るとそこが頼りなく感じられてあこがれの対象にはなりえず食い付きも悪い、と批判的な立場に立っている。
が、筆者は『ウルトラマン』はともかく『ライブマン』初期編の場合、人間味が感じられてよいと思う。しかし「成長する戦士」ではなく、4話あたりから唐突に強くなっているので評価してばかりもいられないが。
それにやはり幼児にはこんなに弱い戦士では好かれないのではないか? とも一方では筆者も思ってしまう。派手派手な『大戦隊ゴーグルファイブ』(82年)を本誌での全話評のために再視聴したあと、いきなり対照的な本作を再視聴したためによけいそう思うのかもしれないが、戦いの描写もスッキリしていて地味で小さい子に受けそうな華(はな)がない。
月形剣史(敵幹部ドクター・ケンプ)が首を激しくふりながら戦闘形態である美獣ケンプに変身するところや(のちの回ではカットされるが)、第3話でのウイルスの実験台にされた人々、尾村豪の屈折した表情、豪のドクター・オブラーへの変身過程なども子供たちには刺激が強すぎたようだ(子供たちにも怖いもの見たさの感情があると思うのだが、東映メタルヒーロー『宇宙刑事シャリバン』(83年)終盤の死霊界から召喚された新敵幹部レイダーが恐ろしくてかなり抗議を受けたというし、このごろの子供たちは耐えられないのだろうか? あるいはそのお母さま方が過敏すぎるのか?)。
第3話では、豪が科学アカデミア入学直後に溺れた子犬を助けようとしたことを思い出し、彼を信じようとするイエローライオン・大原丈が描かれる。しかしそれは今のドクター・オブラーこと尾村豪にとっては屈辱でしかなく、そのことを知っている丈を殺そうとする……という運命の皮肉な残酷さを中心に、
・豪の変貌を知って怒り、嘆きながらもまだ見捨てきれない丈
・人間を軽蔑しながらも人間の姿や顔をまだ残している同僚のケンプやマゼンダを嘲笑(あざわら)う、完全に全身が怪物化したオブラー
・丈の性格には苦労させられそうだと口では言いながら、丈を認めている勇介とめぐみ……
とキャラクターが描き出されている。
1・2話の前後編と3話によりこのドラマの基本設定とキャラクターは提示されている(主人公たちの個性に関してはそのかぎりでもないが)。ここまでをキチンと観れば本作がどのような劇的なドラマであるのかが理解され、そのあとの展開にも興味がわくものと思う。
第1話のオープニング主題歌映像において、敵幹部たちの役名の字幕が幹部名ではなく人間名で表示されている。このことからも、この作品の中心が意識的に「悪」と呼ばれる行為を行なう人間(怪物化していても)と、地球を守ろうとする人間(ヒーローに変身はしても)の戦いであることは明らかであろう。しかも思想上の敵対者というだけではなく、かつての同級生同士なのだ。このドラマチックな展開に胸は踊らないものだろうか?
それを演じる俳優たちも「スーパー戦隊10周年」を記念するだけの面々であった。それまでほぼ無名な人を使ってきた戦隊シリーズが、主人公側に、
・嶋大輔(しま・だいすけ=レッドファルコン・天宮勇介役)
・森恵(もり・めぐみ=ブルードルフィン・岬めぐみ役)
という、前者は80年代初頭にロックバンド・横浜銀蠅の弟分としてデビュー、『男の勲章』が大ヒットを飛ばし、後者も80年代中盤の黄金期の大映テレビ作品に頻繁に出演していて、ある程度名前の知られた人を起用したことが、当時の年長マニアには衝撃的だった。しかも不良のイメージが強い嶋大輔が、「戦隊」のレッド役だということに!
残りひとりとして抜擢された西村和彦(にしむら・かずひこ=イエローライオン・大原丈役)氏も、当時は無名であったものの近年ではかなり活躍されており、キャラクターのバラエティーさには欠けるもののなかなかよいメンバーであった。
特に森恵さんは戦隊ヒロインとして安定した存在感を見せてくれた。
敵側も前々作『超新星フラッシュマン』で中盤から登場した第三勢力の傭兵部隊・エイリアンハンターの長、黒ずくめで痩身長身長髪の鞭使い、シブい低音ボイスが魅力的なサー・カウラー役で実績のあった中田譲治氏と、同じく『フラッシュマン』で改造実験帝国メスの美形敵幹部レー・ワンダを演じた広瀬匠(ひろせ・たくみ)氏を起用。
中田氏は演じる武装頭脳軍ボルト首領・大教授ビアスの正体と目的が当初はまったく不明なため、印象深いサー・カウラーに劣るような気もしたが、徐々に不気味な魅力を引き出していった。
「悪の貴公子」然とした広瀬氏も、「戦隊」における3本の悪役――『フラッシュマン』のレー・ワンダ、本作のドクター・ケンプ、『ジェットマン』の帝王トランザ (〜後日編註:のちに『五星戦隊ダイレンジャー』(93年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20111010/p1)のイレギュラー悪役・魔拳士ジンも担当)――のなかではベストといえる魅力を見せたと思う。
ドクター・マゼンタ役の来栖明子(くるす・あきこ)さんはいかにも性格の悪そうな女性に見え、ドクター・オブラーこと尾村豪役の坂井徹氏も屈折や放心など迫真の演技で魅せてくれた。
2.発展編(4〜10話)
◆第4話『暴け! ダミーマン』
第4話『暴け! ダミーマン』からライブマン側のキャラクターがそれまでとは変わってくる。レッドファルコン・勇介とイエローライオン・丈がすっかり三枚目になり、女性キャラであるブルードルフィン・めぐみがイニシアチブ(主導権)を取るのである。
それまでも戦隊ヒーローは惚れっぽかったり馬鹿だったりしてもいた。しかし、ライブマンの場合は恐竜に尻を噛まれたり、自分がロマンチストだなんて悦(えつ)に入ったりみっともなさが並ではない。このことは賛否両論であろうし、筆者も本来のヒーロー観からは抵抗もあった。
だが、頭がよくてシッカリしためぐみと人情・バイタリティを持った馬鹿ふたりという設定――学業でもめぐみは月形剣史らと匹敵するトップレベルだが、他のふたりは学内の最下級だったそうだ――は、そんな気持ちも吹っ飛ばすほどの面白さであった。また、それによりチームワークや青春がうまく生かされていた。
パトロール中の食事にビーフシチューを注文し、ずっと待たされているふたりを
「早く食べられるものにすべき!」
と咎(とが)めるめぐみ。
そのあと敵をつきとめた彼女が捕まったのを、おかしな作戦でふたりが救出。ラストでめぐみが女性型の赤いサポートロボット・コロンとともにビーフシチューを作ってご馳走する……という4話はその好例だろう。
◆5話『暴走エンジン怪獣』
この時期、
・車を操って暴走させる(5話『暴走エンジン怪獣』)
・香水によりすべての男を女敵幹部ドクター・マゼンダに夢中にさせる(9話『バラよ熱く香れ!』)
・街を迷路に変える(10話『スケボー迷路破り』)
など幹部たちの天才性を疑わさせるような通例の子供番組的作戦が多い。だが、その劇中、
「女の言うことは大抵正しいと判っているけど頼まれると……」
と理屈だけでは片付かない男心のロマンを勇介に口にさせたりして、高年齢層のファンにもそのドラマ性や人物像をアピールしている。
◆4話からはブルードルフィン・めぐみがスポーツサイクルに乗って動き廻り、同じ回からだったかは忘れたがイエローライオン・丈はスケボーに乗るようになって、映像面でもキャラクターの特徴を印象づけるようになった。
同じ回から戦闘員・ジンマーも人間そっくりのダミーマンに化けられるようになり、『太陽戦隊サンバルカン』(81年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20120206/p1)の戦闘員・ダークQ、『超電子バイオマン』の戦闘員・メカクローンの流れを継承するようになる。このジンマーは顔面の蓋(ふた)をはずしてスピーカーを取り付ける(7話『恐竜VS(たい)ライブロボ』)など、メカクローンを意識したロボット型戦闘員であることを顕著に現している。
◆初めのうちは大いに期待させた前作『光戦隊マスクマン』(87年)がメインライター・曽田博久氏以外のライター参入により崩れていっただけに(?)、本作もどうなるものか? と不安であったのだが、藤井邦夫・井上敏樹両氏が参入してもつまらなくなりはしなかった。
藤井邦夫氏執筆の8話『愛と怒りの決闘!』では人々の怒りのカオスをエネルギーにしてしまうゲスト怪人・頭脳獣イカリヅノーの登場でライブマンが闘うこともできなくなってしまう。今回再視聴してみて特別な傑作ではないと思ったが、本放送当時は変身もののなかでも最も手ごわい敵のひとつではないか? と感心したものだった。
「愛・勇気・夢のために闘う」という解決法自体は、本当にリアルに考えれば「怒り」という感情自体を完全に消し去ってしまったならば、敵とはいえど躊躇や同情や憐憫もなしにパンチやキックの連打などの痛みをもたらす残酷な行為が果して可能なのか? とも疑問になるのだが(笑)。
藤井氏はこのテーマが気に入ったらしく同年の東映メタル(?)ヒーロー枠『世界忍者戦ジライヤ』(88年)でも再使用されていた。ドクター・ケンプが勇介にプライドを傷付けられカッとしてしまったために、逆に怒りを吸い取られて慌てるという部分が面白い。
◆9話『バラよ熱く香れ!』
井上敏樹氏執筆の9話『バラよ熱く香れ!』は、セリフがそれまでの回とはまるっきり異質であり、おふざけの場面でも感覚的に今までとは違う。ラストの結婚式での
「死ぬまでお前を離さない」 「死んだら離しちゃうわけ」
という言葉のお遊び的なかけあいは、後年メインライターを担当した『鳥人戦隊ジェットマン』での氏の恋愛風味を感じることができる。
実を言うと筆者は『ジェットマン』で井上敏樹氏がメインライターになるまで氏の作品を評価してはいなかった。筆者以外でも氏を買っていなかった人は、(異論もあるかもしれないが)結構多かったように私見する。
だが今思うに、氏の個性がメインの曽田博久氏、サブの藤井邦夫氏とまったく異なっていたために作品世界と適合できなかっただけなのかもしれない。年齢にあまりこだわらぬ筆者だが、曽田・藤井両氏と井上氏では世代の違いにより世界観の違いが激しいのかも? と考えた。そういう視点でもう一度(筆者を含め井上氏批判論者は)過去の作品を観直してみるべきだろう。
(野暮な後日編註:このへんの80年代後半〜90年代初頭当時の脚本家・井上敏樹に対する見解は当然マニアそれぞれで異なるものでしょう。が、井上敏樹によるダンディズムや同性異性・人間怪人を問わず屈折した激情パッション恋情愛情が炸裂する『ジェットマン』以前の「戦隊」シリーズの異色作群にも「戦隊」マニアの注目は大いに集まっており、評価も非常に高かったように思います。むしろメインを務めた『ジェットマン』の方が、それ以前の作品と比して図式的・記号的でアニメ的に誇張された人物描写に退化したと批判したスレたマニアたちもいたくらいでして……・汗)
◆10話『スケボー迷路破り』
再びメインライターの曽田博久脚本に戻った10話『スケボー迷路破り』では、スケボーをしていたイエローライオン・大原丈が進也少年に
「二十歳(はたち)を過ぎればオッさんだよ!」
と馬鹿にされ、やり込めようとする。
が、彼の姉の陽子に一目惚れしてしまったために姉弟の店を手伝うようになる……
ヒーローが女性に恋してメロメロになることは戦隊シリーズにおいて珍しくはない。が、姉目当ての丈に反発する進也の存在によって、「姉目当て」という部分がクローズアップされ、姉弟の店を手伝う善なる行為や“恋愛”が「美しさ」や「おかしさ」だけではなく、ある種のいやらしさでもあることを意識させる。
丈と進也が協力して戦って進也が丈を認めたとき、丈はライブマンであることを進也に知られたためか陽子への思いを残して去る……という展開で口あたりは悪くないのだが。
3話『オブラー悪魔変身』の回想シーンにおいて、勇介がかつてのドクター・オブラーことひ弱な尾村豪に、
「女の子にモテるぞ」
と言って身体を鍛えていたように、ヒーローたちにきれいごとだけではない異性に対する邪心や虚栄心も含めた「青春」を持たせている『ライブマン』である。本来は生グサさのないピュアな純愛志向の筆者ではあるが、『ライブマン』の既製のヒーローものよりも一段厚みを増したこのような部分は評価しなければならないと思っている。
ただ「青春」にこだわるあまり、青春とはなんら関係ないゲスト怪人・エンジンヅノーに
「暴走の青春はおしまいだぜ!」
と勇介が啖呵(たんか)を切る(5話)ようなシーンは行き過ぎだろう(……いや戦隊シリーズとは本来、こういうふざけたノリの作品かである?・笑)。
3.新幹部登場・第1期の終了(11〜21話)
作風などの変化から、この番組を便宜的に大まかに分けると21話『豪よ聞け! 母の声を…』までを第1期と呼ぶべきだろう。さらにそれを3つの時期に区分けたことは少し乱暴であったかもしれないが、もちろん理由のない分け方ではない。
この時期になるとまた別の新しい敵幹部たちの登場により、幹部連中同士の競争心を煽(あお)ろうという大教授ビアスの考えがやや明らかになる。それまで子供番組の悪の幹部役的な割り切り方をされてきたことも多い彼らに、人間的な魅力が(描き方はクサくとも)増すようになってきた。
そして、新幹部登場のイベント回の他にも、14話『ナベ男勇介の叫び』・16話『キョンシーの手紙』・18話『罠! 丈の愛した頭脳獣』と傑作エピソードが目白押しとなった。またしっかり者のブルードルフィン・めぐみも惚れっぽい性格であるとされ、暗黒街のドンの強さにひかれたり、ライブマンをサポートする女性型ロボット・コロンに嫉妬したりとお笑い戦列に加わってしまった。
◆11話『頭脳獣を噛んだ男』
11話『頭脳獣を噛んだ男』には頭脳獣もナマ身でやっつけてしまう暗黒街のドン、ニューマフィアリーダー・毒島嵐(ぶすじま・あらし)が登場する。(JAC(ジャック 〜ジャパン・アクション・クラブ)のベテランスーツアクター、戦隊ヒーローや敵幹部を演じてきた岡本美登(おかもと・よしのり)が顔出しで熱演!)
彼は指を使わねば簡単な足し算もできないため、そのコンプレックスから喧嘩(けんか)だけは誰にも負けないと決意した男である。その設定は笑えるとともに、数学が極度に苦手な筆者は身につまされもした。
頭のよい人間に敵対心を持つ彼は、科学アカデミアのバッジを見て勇介を殴りつけるが、勇介がアカデミアのなかでは低レベルであることを視聴者は知っているだけに笑えてしまう。毒島にライバル心を持った勇介がレッドファルコンに変身後、「あいつに倒せたんだから」とひとりで頭脳獣ヒヒヅノーに挑むのもよい。
◆12話『超天才アシュラ!』
12話『超天才アシュラ!』では毒島嵐は大教授ビアスに勉強を強要され、知力・体力ともに優れた新幹部ドクター・アシュラにされてしまう。これまで勉強していなかったため、眠っていた才能が目覚めたという説明で、描き方はおかしいが納得できる。実はビアスにより人工的に天才にさせられただけだったとのちにわかるが。
世界中の天才が連行され、アシュラと対戦して負けた方が死ぬというクイズ合戦を行うところは、馬鹿らしさと残酷さが共存しており、大坂弁でそれを締めるのが絶妙である。アシュラの科学アカデミアへのコンプレックスを利用して科学アカデミアの制服を闘牛士のガウン風に使って倒すというヒーローたちの作戦も、前回の設定を生かすとともに笑いで処理しておりあきれる反面、子供番組的には楽しめる。
◆14話『ナベ男勇介の叫び』
14話は『ナベ男勇介の叫び』というサブタイトルや、“鍋”などの金属が身体に吸いついてしまった勇介の無残な姿からおふざけものを想像するが、暗い画面で演出されておりあくまでも勇介の苦難として描かれている。ドクター・アシュラの新技・シュラー分身で発生するシュラー3人衆のお披露目回でもある。
いつもの三枚目調ではなくヒーローらしく戦った勇介が、3人衆やアシュラ、そして頭脳獣エレキヅノーに追いつめられ電気を発する身体にされてしまう。
逃げる道すがら人を感電させてしまったり金物が吸いついてきたりと大変な辛酸(しんさん)を嘗(な)めることになるのだ。
人々に石をぶつけられ
「こんな奴らのためになぜ戦ってきたんだ!?」
と悩みさえする。
最後には仲間たちの友情で危機を脱するのだが前半、勇介の苦難も知らず基地でゲームを楽しんでいてSOS通信を見逃してしまう丈とめぐみが描かれているため、その対比が効果を生んでいる。
突如、尼さん姿に化けて現れるめぐみには、急に非リアリズムに転じた異和感があるが(もっとも「戦隊シリーズには馬鹿馬鹿しさを」と主張する筆者の弟(私事で恐縮だが)はこのシーンだけがよいと言っている。元祖『秘密戦隊ゴレンジャー』(75年)と戦隊シリーズ第2作『ジャッカー電撃隊』(77年)、『科学戦隊ダイナマン』しか通しでは観ていない旧「戦隊」派の意見だけれど)。はりつけにされたキリストを型どった十字架を手に、めぐみが殉愛を説くのはうまい演出だと思った。
◆16話『キョンシーの手紙』
中国の清朝末期を舞台にした香港カンフーアクションコメディ映画『霊幻道士』(85年〜)シリーズ、台湾の『幽幻道士』(86年〜)シリーズなどの大ヒットにより中国の死体妖怪、死後硬直で関節が曲がらず両腕を前方にまっすぐ伸ばして足首だけでピョンピョンと跳ねて歩行するキョンシーブームが大過熱。この88年の東映児童番組の大半にはキョンシーの登場する回が見られたがこの回もそのひとつである(実際にはキョンシーブームも終わろうとしていた年でもあるのだが)。
もっともキョンシーの特性自体は取り入れられていないので、本来のキョンシーファンはガッカリだろう。が、予告を観て「またキョンシーものか……」と嘆いた人には意表外の拾いもの回だった。
丈はパトロール中に水着の女性をナンパ。それを注意する勇介だったが、キョンシーのお札に使われているのは彼がむかし、女敵幹部ドクター・マゼンダこと仙田ルイに書いたラブレターだった。
まだルイのことをよくは知らず、プライドの高い彼女に馬鹿にされてしまった屈辱の証(あかし)である。勇介は、丈やめぐみに知られぬうちに回収しようとあせるが……。
丈にしろ勇介にしろ、「正義の特撮変身ヒーローがこんなことでいいのか!?」「ヒーローもここまで来たか!?」と放送当時嘆かわしい気分になった。だがそれだけにインパクトがあったし、見方を変えれば面白くもあった。
一件を知って一度は笑っためぐみや丈がすぐ真顔になり同情するのもよい。
「誰にも青春の間違いってあらぁ」
との丈のセリフや
「挫折を乗り越えてがんばれ、若者たちよ」
というエンディング・ナレーションで示されるように「青春のあやまち」がテーマとなっている。
『ライブマン』のボルテージ高く、それにくらべれば同じ「青春」をテーマにした次作『高速戦隊ターボレンジャー』は年齢がもっと若い高校生であるという設定だけであって、聖(きよ)くも生グサくも青春はあまり描かれていなかったと思えるのである。
◆18話『罠! 丈の愛した頭脳獣』
ロマン派として80年代の東映作品も視聴する特撮マニア間では評価が高かった、刑事ドラマ『特捜最前線』(77〜87年)の脚本でも有名な藤井邦夫氏。だが、ロマンがロマンをやりたいだけに終わっているものも少なくはなかったのではないか? と筆者は思っている。この年の藤井氏は例年にくらべよい作品が多かったように思うが、本作はそのなかでも傑作のひとつだろう。
女敵幹部ドクター・マゼンダは自分を改造したときに、「優しさ」と「愛する心」の遺伝子を取り外したものの、捨てられずに持ちつづけていた。そのことを大教授ビアスに咎められた彼女は、「頭脳獣を作るため」と嘘をつく。
イエローライオン・大原丈は仙田ルイそっくりの女性と会うが、彼女・玲(れい)はルイとは対照的に優しかった。ひかれていく丈。この玲こそ遺伝子から造られた頭脳獣ツインヅノーであった。丈をおびきよせる使命を担っていた彼女だが、丈の優しさに打たれ正体を打ち明けた……。
使い古された題材であるが、『ライブマン』の基本設定とメインテーマに則したためであろう、心に残る作品になっている。
丈と玲のロマンのきらめきだけではなく、
・マゼンダが自分が人間であった事実を示す遺伝子を失うことに対し、笑いながら涙を流すところ
・丈が玲にくれたペンダントを、マゼンダに投げ渡してやるアシュラの優しさ
・大教授ビアスの残酷さ――これは結末を知って再視聴したときの方が強く感じるだろうが――
これらの多層性がよいのである。
なお、この回から主人公たちが夏服に変わっている。
◆19話『ガリ勉坊やオブラー』
◆20話『落第オブラーの逆襲!』
◆21話『豪よ聞け! 母の声を…』
19〜21話は三部作で尾村豪こと敵幹部ドクター・オブラーの最期(さいご)と、大教授ビアスの名声を聞いて手下になりに来た宇宙人新幹部・ギルド星人ギルドスの登場によって、幹部たちの競争意識が激しくなる様を描いている。
学習塾漬けで苦しむ少年を野球に誘うレッドファルコン・勇介。そこへドクター・オブラーが命を削って作り出した分身・頭脳獣ベンキョーヅノーが現れ、子供たちの手にボルトバイブルという本を付けて取れなくしてしまう。
遊んでいる人間を見ると無性に腹が立つベンキョーヅノーだったが、偶然にもレッドファルコンとの戦闘中に遊園地のジェットコースターに乗ってしまったことから、豪の心の奥底にあった遊びたいという気持ちが目覚めた。豪は彼を天才だと信じる母のために、遊びを禁じられて育ったのだった……。
このようなテーマ、筆者は好きなのだが、現実に学歴社会が存在する以上(一時よりは見直されてきたとも言われるが)、視聴している子供たちの母親の反応はどうだろうか? また、あまりにも風刺テーマがひねりなくストレートに描写されすぎていて馬鹿にする人もいるに違いない。
武装頭脳軍ボルトを追われたくないオブラーは、人間であったころの自宅の実験室へ込もり自らの強化に挑む。
20〜21話では、盲目的に豪を信じる母の業(ごう)と、その母の前で醜悪な変身を見せる豪……というメインプロットと、ライブマンが戦闘員ジンマーを倒す度に頭脳獣の再生ビームによって破片ごとに再生・増殖し、自らも攻撃を受ける度に皮膚を再生する強敵頭脳獣・サイセイヅノー登場の戦闘アクション部分とが分断されているような印象を受ける。このような場合にはドラマを盛りあげる形で頭脳獣を出すべきであろう。
ライブマンに挑戦状を送るドクター・オブラー。だがドクター・ケンプ、ドクター・マゼンダ・ドクター・アシュラは協力して彼を捕え、そっくり(少し痩身)の頭脳獣・オブラーヅノーを決戦場へ行かせる。
尾村豪本人だと思って攻撃できぬライブマンを倒し、地球の天才たちの力を宇宙人幹部を優遇する大教授ビアスに示すためだった。それを知り、目論見(新幹部ギルドス登場効果)の成功に微笑(ほほえ)むビアス。
勇介は豪の母・尾村俊子に豪の救済を頼む……。勇介の言葉にはやや失礼な言葉も飛び出すが、シッカリした説得である。
結局ドクター・オブラーは、頭脳獣オブラーヅノーの斧(おの)から母をかばって傷つき、人間・尾村豪の姿に戻るが心はスリ切れてしまっていた。母とともに去っていく、記憶喪失状態で衰弱しきってしまった豪。
本放送のころはかなり楽しんで感銘すらしたこの三部作だが、今回の再視聴では当時の印象が強烈すぎて細部まで記憶が残っているせいか、はたまた当時の好印象を美化しすぎてしまったせいか、ごくごく個人的には感動には今半歩。しかし、母に付き添われて去っていく豪の姿に希望が見えるのがよい。
そして劇中のライブマンたちにとっても敵幹部たちが友の仇(かたき)やライバル的な存在から救えるかもしれない「人間」に変わっていく。
初視聴の際、ドクター・オブラーを消して新幹部たちを登場させたことは、番組のメインテーマを切り捨てたようにも感じ、その点では少し不快だったのだが、実はテーマをそして尾村豪という人物を生かすための処置であった。しかし、それらが描かれるまでにはしばらくの月日が過ぎねばならなかった。『超獣戦隊ライブマン』は21話を最後にひとつの時代を終えたのである。
第2期:22〜27話
4.異色作続出・夏休み編(22〜27話)
夏休みに突入してからの『ライブマン』は子供を意識した作りになっている。それとともに主人公たちも馬鹿者を脱し、格好よいとまではいえないものの正義の戦士らしさを徐々に打ち出していく。
◆22話『宇宙カラオケ名人登場』
思えば海の戦士であったはずのブルードルフィン・岬めぐみ自身は、海のイメージをほとんど持っていなかった。考えてみれば同じく空陸海の生物を型どった3人戦隊の『太陽戦隊サンバルカン』にくらべ、本作のヒーローたちはコスチュームやマシン、苗字以外にそのことが意識されていない。初めて海のめぐみが描かれるのはこの22話である。
新幹部・チブチ星人ブッチーが登場。彼と頭脳獣ギターラヅノーが奏でる音楽を聴いた人々は眠りについてしまう。眠気と闘いながらひとり海辺へ逃れためぐみは、少女・くみ子の弾く「スパーク! 海へ」の音で助けられる。この曲には眠らされた人々を救う力があった。
めぐみは協力を求めるが、くみ子は小学6年生の彼女にとって最後のチャンスであった明日に迫った「ジュニア・ポップス・コンクール」のための練習があるからと断った……。
新幹部登場というイベントにアウトサイドなストーリーと岬めぐみを演じる森恵自身が歌う挿入歌「スパーク! 海へ」をからめた回である。「自分の未来への夢」より「人々のため」というあたりは説教クサいが『ライブマン』らしいし、くみ子が単純に改心するのではなく、頭脳獣の攻撃で手を痛め一度未来を鎖(とざ)されて傷ついたあとで、めぐみの言葉を思い出し協力することになるのでひどくはない。
また戦いのあと、コンクールに出られなくても悔しくないと思い立つ彼女の姿で彼女も癒(いや)されたことを知り、観ている方も多少は救われた気分になるのだ。くみ子の弾く楽曲がどうして眠らされている勇介らのところまで届くのか? リアルに考えれば疑問になるが、それなりに見られる回である。
新兵器・トリプルバズーカはこの回から登場している。
◆23話『コンマ1秒に賭けた命』
7月最後の週に放送された23話『コンマ1秒に賭けた命』は、ドレスを着て勇介のバイクに乗りたがる女性型サポートロボット・コロンの仲間意識や彼女のほのかなあこがれと、それを理解してやる余裕を持てないピリピリした勇介を描いたシブめの一編。9月度に放送される28話『巨大ギガボルトの挑戦』からの敵組織の「ギガボルト作戦」に向けての幕明け的な趣向として、大教授ビアスが5大幹部に「作戦」に必要な5つの道具を造らせる。
そのひとつ、ギガゾメタルという金属を製造したドクター・ケンプが、それで造った剣を頭脳獣ケンヅノーに持たせて、勇介を襲わせるという回でもある。ウエディングドレス姿のコロンの手足が人間のものになっているシーンがあるのが、撮影上や扮装上の都合もあったのだろうが惜しいミスとなっている。
◆24話『遊んで百点が取れる?!』
勇介は彫刻の才能を持つ少年と出会うが、彼も学習塾のことで悩んでいた。勇介は勉強も彫刻も努力するように訴えるが、まわりの落ちこぼれ少年たちが遊びながらも良い点数を取りはじめたことで、少年の心もラクな方へ傾いていく……。
再び塾に蝕(むしば)まれた子供たちを題材としながらも、今回は学業の単純否定ではなく努力の尊さを訴えている。これは先の19〜21話の三部作が母親族の不満を煽りかねない思想を持っていたので、宥(なだ)めるために作った話と考えられないこともない。
作戦は「努力をしないでブタになる」と説話っぽいが、努力することを教えるためにひとり頭脳獣ブタヅノーに立ち向かった勇介が、その戦いのなかで子供のころから努力しつづけてきて未だに完成できないでいたオーバーヘッドキックがついに完成できたなど、それなりに感動的にまとめてはいる。
ドラマ途中ではそれなりにリアルっぽい現代っ子的な言葉を吐いていた子供たちが、ラストではいかにも「小さな子供」的になってしまうのがヘン。また勇介が本物かと思ってしまった彫刻のサソリが、本物にも彫刻にも見えずゴム製(?)のオモチャでしかないのが残念。
◆25話『鶴ケ城の8大頭脳獣!』
臆病なコウジ少年(山中一希)は鶴ヶ城のなかで頭脳獣レーヅノーの祈祷(きとう)を見かける。その場所を教えてくれとライブマンたちに頼まれるが、怖くて案内する気にはなれない……。
この回は別に『ライブマン』でなくてもよいようなストーリーである。そう言ってしまえば他にもそんな回はあるのだろうが、このエピソードの場合、『ライブマン』的視点がなにも見られないのだ。
丈の勇気に心を打たれたコウジが、彼を案内しふたりの協力でレーヅノーを倒すという異色回で、頭脳獣レーヅノーの巨大化も通常回での漆黒の敵ロボ幹部ガードノイド・ガッシュの眼光エネルギーによるものではなく霊魂招来装置のエネルギーを吸い込んで……と掟破りである。それだけにライブロボの通常の必殺剣技・超獣剣スーパーライブクラッシュで葬られてしまうのが残念。
◆26話『会津の巨大カブト虫!』
会津ロケ編第2弾。東京から遊びに来て前話にも登場したコウジ少年とも親しくなった女の子・ユカリは昆虫を愛していた。が、巨大カブト虫などに襲われ「こんなところイヤ!」と言い出した……
番外編的なストーリーではあるが、巨大昆虫たちは実は人間を襲いに来たわけではなく、自然が破壊されていることを訴えに来たのだというのが面白い。事件の原因は、ドクター・マゼンダが「ギガスーパーエネルギー」を作り出す際に漏れる放射能によるものだということで、のちの28話以降の「ギガ計画」の一環として関連づけている。
さらに、番組のテーマのひとつである「命」を訴えることにもなっている。サイズを大きくされたために長くは生きられないという設定も、6話『襲来! 生きた恐竜』〜7話『恐竜VSライブロボ』の恐竜ゴンの悲劇と通じている。
ユカリが、
・昆虫の死に涙するところ
・「もう少し残ります」と決意して、東京へ戻る勇介らをコウジ少年とともにプラットホームで見送るところ
これらはクサいけれども感動できた。
◆27話『娘よ! ギガ計画を射て』
大教授ビアスは宇宙人幹部たちに陽動作戦を命じ、「ギガ計画」完成させるため姿を消した。苦戦するレッドファルコン・勇介ら3人の前に、ジープでブルードルフィン・岬めぐみの父・岬与一郎(島田順司)が現れ、めぐみを救(たす)け武装頭脳軍ボルトと戦おうとする。しかし彼のためにみどり幼稚園の通園バスもめぐみも捕まってしまう……。
次回28話『巨大ギガボルトの挑戦』からの「ギガ計画」へのつなぎの回であるが、ドラマの中心は父娘(おやこ)ものである。与一郎の行動は、ボルトを倒せばめぐみが熊本へ帰ってくると思ってのものであった。突然現れた父への怒り、迷惑感、そして父の老いを悟るまでのめぐみの心理の変化で見せる秀作である。バスの乗員や園児たちがボルトの変装であったというひねりも効いている。
めぐみ編のためブルードルフィンの活躍がめざましく、母艦ライブバッファローからの3大マシン出撃シーンも珍しくブルーが搭乗するアクアドルフィンからである。
第3期:28話〜最終回
5.新展開編(28〜36話)
28話『巨大ギガボルトの挑戦』
29話『復讐のライブボクサー』
30話『今ここに5人の戦士が』
28話『巨大ギガボルトの挑戦』からは3部作で、「ギガ計画」とそれに挑むライブマンたちの新戦力を描く。
異変を感じ走りまわる主人公3人に襲いかかる流砂。そして大教授ビアス製造の巨大ロボット・ギガボルトが現れるところから物語は始まる。
とにかくこの巨大ロボ・ギガボルトは強く、
・1号ロボ・ライブロボ
・バイソンライナー――1話でドクターケンプたちに殺された学友、卓二の弟・矢野鉄也(のちのブラックバイソン)が乗ってきたマシーン――
・2号ロボ・ライブボクサー――同じく1話で殺された麻里の弟・相川純一が乗るマシーン・サイファイヤーと先のバイソンライナーの合体で誕生する巨大ロボ――
どれも太刀打ちできない。
しかも2号ロボ・ライブボクサーが誕生するまでにはかなりの苦難があるため、危機感が高まるのである。
危機や人物の葛藤で見せる28・29話の細部へのこだわりにくらべ、30話において1号ロボと2号ロボの合体であるスーパーライブロボ合体の仕組みを知ったときの
「俺が探していたのはこれだ!」
という勇介のセリフや、彼が鉄也や純一のために用意しておいたという変身アイテム・ツインブレス(いつ造ったんだ!?)を渡すという展開は安易だった。
それはともかく、30話でライブマンは5人になる。
途中からの人数追加はシリーズ初めてのことだ。前作『光戦隊マスクマン』でマニア間にて大いに話題を集めた39話『復活! 謎のX1マスク』(脚本・井上敏樹)において、マスクマン0号こと緑色のプロトタイプのX1(エックスワン)マスク――マスクは戦隊シリーズ『バトルフィーバーJ』のバトルジャパンあたりの色替え改造だろうか?――がレギュラーになってほしいと思った人に応える趣向だろうか?
人数とロボットの台数は増えたものの必殺武器は変わらず、新メンバーにはオートバイが支給されなかったため、ヒーロー性の面では相変わらず地味な印象が残った。
この人数追加、当時の商業誌のインタビューなどによると最初から企画されていたことだったそうだが、1話で死亡した卓二と麻里の弟だというところまで決まっていたのだろうか? 29話において、5話に登場した卓二の弟・武志(多賀基史)の存在が忘れ去られていなかったことはうれしいが、5話を見た印象では武志に卓二以外に別の兄がいるような印象は受けないのだ。卓二という名前からすると他にもう一人兄か姉かがいるように思われまったく判らない兄弟である。
年下のふたりが加入したことにより、勇介はリーダーらしくなり丈も前よりはシッカリしていく。多少の変化はあったもののテーマは健在であり、新加入組もそれなりには個性も見せる。
時たま描かれた
「敵がむかしの同級生でもある3人と、敵が仇でしかない2人の立場のちがい」
も設定自体はうまいと思う。
しかし、総体的に見た場合、5人組になってからのライブマンは3人組だったころに(作品テーマの追求を別とすると)劣るのだ。新加入組は一定以上の印象を残せなかった。
この時期、メインライターの曽田博久氏は新加入のふたりを生かした子供向けタッチの話を描くことになる。そのためか、藤井邦夫氏は作品テーマを生かした話や、従来のメンバーを中心に据えたヤングアダルトタッチのエピソードを書くことになり、サブライターというよりももうひとりのメインライターと化している。
◆31話『ママ! 寄生怪物の叫び』
31話『ママ! 寄生怪物の叫び』は、グリーンサイ・相川純一が頭脳獣ベガヅノーの子供を腹に寄生させられうろたえるが、男のなかの「母性愛」に目覚める。
題材からすれば子供番組的ともいえるし、テーマ面ではヤングアダルト向けともいえる。生まれたベカベビーのかわいさや我が子をも殺してしまう頭脳獣の残酷さを通して、「小さな命を守るのがライブマンの原点」などと子供向けにテーマの再確認をさせている。充足感はないもののまとまっている。
純一の優しさを描く回でありながら、夜間パトロール中のバイクで暴走する血気盛んな若者らしい姿も見せキャラクターを一面的にはしていない。
また、大教授ビアスが幹部たちの成績を発表し競争心を煽り始める。
◆33話『がんばれ鉄ちゃんロボ』
33話『がんばれ鉄ちゃんロボ』は、超過疎の村で人口減少どころか同世代の友だちもいない少年に同情したブラックバイソン・矢野鉄也が「友だちロボット」を造ってやると安請(やすう)け合い。自分には造ることができないとわかってロボットに化けて相手をするが、それを敵に利用されるというストーリー。
こういう鉄也も悪くはないが、本作には優しいメンバーが多いだけに、初登場のときのテングになっていたり戦いに遅れた純一を殴ったりといった、激しい性格のキャラクターのままでいてほしかった。
◆32話『ケンプ、血とバラの謎』
さて、1話遡(さかのぼ)るが脚本家・藤井邦夫氏編である。保母の舟地マイ(ふなち・まい)はむかし、病気の母のために「枯れない薔薇(バラ)」を届けてくれた敵幹部ドクター・ケンプの前身、月形剣史を今も愛していた。
そのころケンプは自身の戦闘形態である美獣ケンプを美獣強化するために必要な血液を得るため、頭脳獣ゴアヅノーに子供たちの血液を採取させ、βZO−(ベータ・ズィー・オー・マイナス)に造り変えようとしていた。
誤ってマイの血を吸ってしまったゴアヅノーは突如、彼女の前にひれ伏した。マイがむかし、事故に遭った剣史に輸血をしていたためだ。
同僚の敵幹部ドクター・マゼンダやドクター・アシュラに動揺を馬鹿にされたケンプは、子供を人質にマイを渡せとライブマンに要求。マイは自らケンプの許へと向かい、命と引き替えに子供たちを助けてと頼む……。
・ふたりをつなぐ血の絆
・枯れない薔薇
……など、藤井氏らしい小道具が使われており、メインライターではない氏が剣史を特殊な血液型と決めてしまうことには抵抗を感じるものの、久しぶりに「人間」としての敵側の人物像を見せてくれるのがうれしい。
勇介とケンプが人間同士として殴りあうシーンもあり、
「人間の血を奪わなければ、強化もできないのか!?」
と言われたケンプが戦いのあと、血を使わなくても強化してみせると決意するのも、道義的にはともかく対立ドラマ的にはよい。だが個人的には然程(さほど)ノれず、前半にくらべラストが今ひとつで、マイの心理かなにかにキメや決着がほしかった。
◆35話『勇介とケンプの約束!!』
同じく藤井邦夫氏・脚本編。4年後の10月29日、どこにいても科学アカデミアの前で会おうと、まだ美しい夢を持っていた剣史と約束した勇介は悩みながらもその地へ向かう。それは最後の賭けでもあった。だがケンプは約束を利用して勇介を殺そうとしていた……。
・ケンプを信じようとする勇介に反発する鉄也と純一
・場合によってはケンプを殺せと命ずる、遂に本性を見せた大教授ビアス
・その言葉に、「恐ろしいお方だ」と言うアシュラと、「自分のことを心配せねば……」と言うマゼンダ
それぞれの心の動きが描かれる。
気を失っているケンプの首の骨を、素手で折って殺そうとしかける勇介の姿も生々しい。
だがケンプを救うことに見切りをつけるというストーリー自体は事情確認的でしかない。見切りをつけるだけの(これまで以上の)理由がなく、あっけなさを結末において、個人的には感じてしまうのだ。
◆34話『未来と今を駆ける恋!』
これら本作のメインテーマに関わる藤井邦夫氏執筆のインサイドストーリーの2編よりも個人的に評価したいのが、ロマンで魅せる番外編の34話『未来と今を駆ける恋!』である。藤井氏の作品には傑作か愚作かの判断が微妙な場合があり、実は本作もそうなのである。筆者は初視聴で感動、2度目で疑問、3度目で傑作と判定したが、人それぞれに色々な評価があってよいと思っている。
18歳の北村みく(岡谷章子)は15年前の3歳のころに片方の靴をなくして泣いていたとき、花のブローチを付けてくれた髪型がリーゼントのお兄さんを慕(した)いつづけていた。
大教授ビアス製造の未完成のタイムマシンを勝手に拝借しようとして担(かつ)いだドクター・アシュラは、マシンのあまりの重さゆえにそれを落としてしまう。すると、タイムマシンはあるトンネルを15年後の世界へと通じる道・タイムトンネルへと変えた。
15年後の西暦2003年の世界に住む18歳のみくはおにいさんに会うためにこのトンネルを越えて現代(1988年)に来た。イエローライオン・大原丈が幼いみくの靴を見つけ、18歳のみくがそれを「私の」と言ったために、ふたりのつきあいが始まる。
敵の攻撃を切りぬけるなかで深まる愛情。しかしみくが未来人であると知って、丈や勇介らは未来へ帰るように言うのだった……。
珍しく大教授ビアスがあせりを見せ、頭脳獣ガルヅノーにみくを抹殺するよう命じる。ビアスが自分たちに「15年後、ボルトがどうなっているのか」を知らせたくないのだろうと察し、みくから直接それを聞き出そうとするドクター・マゼンダ。そんなことを気にするなと止めるドクター・ケンプ…… 敵・武装頭脳軍ボルト側の動きも描かれている。
一方、タイムスリップ要素に目を移してみると、リーゼントのおにいちゃんが大原丈であることは、幼児はともかく大方の視聴者があたりまえのごとく想像がつく。しかし、未来へ戻ったみくがトンネルの外へ落としてきたブローチがまだ手元にあると知って、リーゼントのおにいさんと大原丈のふたりが同一人物であることに気付くという趣向がよい。
子供のとき、どこを探しても赤い靴が見つからなかった理由は、視聴者にそっと知らされることになりうまいと思う。が、幼いみく・18歳のみく・大原丈のあいだで、ブローチや赤い靴が複雑に動きまわるため、幼児には理解することが難しいかもしれない。
それに、泣いている幼女を宥めるためとはいえ、彼女がみくだとは知らない丈が、本能的・直観的にかもしれないが想い出のブローチをなぜ渡してしまったのか? という動機面での必然性・納得性が弱いと思う。
なお、この藤井氏執筆の34話『未来と今を駆ける恋!』と35話『勇介とケンプの約束!!』はドラマ内の日付と放送日を合わせ、ある1日のドラマとしている。誕生日に休暇をとった丈が体験した1日だけの恋というシチュエーションがよけいロマンを高めるのだ。
◆36話『激突! 友情のタックル』
井上敏樹氏脚本の36話『激突! 友情のタックル』では、グリーンサイ・相川純一が高校を休学して戦っている戦士であると知らされる。
ドラマの題材は「戦隊」に多いもので月並みだが、事故のあとラグビー部へ戻れぬ部員がトラクターか何かでグラウンドへ乗りつけてきて、瓶(びん)を投げたり物をふりまわしたりして当たり散らすのが非現実的ながら、かえってヘンにリアルでもあった。しかもその動機が足が治らぬためかと思ったら、治っているのに怖いからだとは。
この部員・みのるを演じる新井昌和氏のセリフと演技は『スケバン刑事III(デカ・スリー)』(86年)ゲスト出演のときと同様にクサい。
6.クライマックスに向けて(37〜40話)
28話から最終回49話までの第3期を、今回さらに3つに分けた。
この2区切り目の37話〜40話は、1区切り目の28話〜36話と混ぜてもよかったかもしれない。しかし、敵側の強化(狂気のエスカレート)というイベントと、藤井・井上両氏のこの番組における最後の脚本の存在により性質が異なると判断、2区切り目として別とすることにした。
ケンプとマゼンダの改造強化は、敵側のパワーアップとしての側面よりも「人間性を捨てる」という愚かな行為として作品テーマ性の面での描写の方が強くなっている。もちろん、改造回においては圧倒的な強さでライブマンたちを苦しめるものの……。
この番組の性格・特徴としてメインテーマに関わるインサイドストーリー回が非常に多いために、逆に言うとスーパーヒーローもの・戦闘ものとしては、この時期の敵側のパワーアップを充分に視聴者に印象づけることは良くも悪くもできなかったと思う。
◆37話『16才ケンプ恐獣変身!』
37話『16才ケンプ恐獣変身!』では、自身の戦闘形態である美獣ケンプをさらに美獣強化して恐獣と化すために、巨大な真珠貝のなかで裸体となって赤ん坊からの成長をやり直そうとする敵幹部ドクター・ケンプが描かれる。だが、ブルードルフィン・岬めぐみと頭脳獣・サメヅノーの争いにより途中段階でストップ。科学アカデミアへ入学する前の16歳の姿となって現れた。めぐみは彼を普通の16歳に戻そうとセーラー服姿で近づくが……。
藤井邦夫氏担当の32話『ケンプ、血とバラの謎』と35話『勇介とケンプの約束!!』は、ケンプの美獣強化というこの37話のために書かれたのだろうが、連絡が充分ではなかったらしい。この回の美獣強化はこれまでの32話・35話の流れの延長としてではなくなっている。敵幹部連の成績の中間発表で350点の最下位となり、大教授ビアスにうぬぼれを責め立てられたためとなっている。
今回の題材は藤井氏向きなのではないか? という気もする。が、藤井氏描くところの過去は真っ当な人間だったという月形剣史よりも、曽田博久氏がこの回で描く「勉強ができることがすべてで、そのために役に立たないものは不要だ」と考えている剣史の方が、武装頭脳軍ボルト参加に向かう人間として納得ができる。
しかもそれだけではなく、泳いでいるときの無邪気さや、めぐみに叩かれて勉強がすべてではないことに気づく可能性も示されていて一方的・一面的ではない。めぐみの変身アイテム・ツインブレスの「3:50」というデジタル時計表示を見て、「350点」の屈辱が甦り記憶を取り戻すというシチュエーションもそれなりによい。
ただ、このネタは2回くらいに分けてゆったりと描いてほしかった。めぐみが剣史を見て何の根拠もないのに16歳と気づくのも杜撰(ずさん)。
35話『勇介とケンプの約束!!』で一度は剣史を救うことに見切りを付けたはずの勇介は今回、めぐみが剣史を救おうとしたことに対して何も言わない。脚本家が異なるからとはいえ、多少不自然にも思えてしまう。めぐみのおかげで変わりかけた剣史を見て、勇介は微笑むくらいであるが、表面にはストレートに出さなくとも、内面では35話で見切りを付けてしまったことへの後悔と、剣史の更正に喜びをいだいたり疑念もいだいたりといったような、複雑な表情や感情も見せてほしかった。
今回、メインライターの曽田脚本においても、ライブマンたちは「恐獣ケンプ」と化してしまったケンプに対して、35話同様「戦うしかない」ことを決意する。
◆38話『動く破壊兵器マゼンダ』
女敵幹部ドクター・マゼンダが自らの身体の90%を機械に改造したというマシン・マゼンダが登場。彼女に命をねらわれる羽目になる勇介。しかも頭脳獣ウルフヅノーも彼を追う。
仲間の命を気遣い、
「こっちへ来るな!!」
と叫ぶ勇介。
助けに来た鉄也と純一は、
「怖いんだ!!」
と叫ぶ臆病になってしまった勇介に失望するが、いつの間にか勇介がメモを渡してくれていたことに気付く……。
ドクター・マゼンダの「人間性を失う悲しみ」というテーマであった18話『罠! 丈の愛した頭脳獣』と同じことを二度もやりたくないのか、目先を変えてメインターゲットである子供たちを宥めようとしたのか、マゼンダの心理を追った作品ではなく、マゼンダに追われる勇介のサスペンスと機転を中心としたエピソードである。
勇介の臆病が芝居であることは、幼児でなければ大抵の人が読めてしまうと思う。しかし、その展開のなかで勇介や鉄也・純一のキャラクターが描かれているし、筆者が手前勝手に本稿で区分した第1期(シリーズ前半である1〜21話)のころのライブマンならばマジに臆病もあったろうと思えるだけに、相手も強敵であるため「もしや……」との気持ちも抜けず、つまらなくはない。
主人公チームが死ぬわけはないと判ってはいても、めぐみら4人が勇介をかばってマゼンダの銃弾を受けてのけぞるシーンは一瞬、驚きであった。
ラストでライブマン5人が、自らの「人間性」を捨てようとする幹部たちを嘆くシーンがある。
「どこまでやるのか?」 「行き着くところまでさ」(大意)
というセリフが悲しい。
そして5人に向けて遠方からマシン・マゼンダの背中のミサイルが発射されるラストシーンが、両者の和解しがたい絶望的に開いてしまった距離感・隔絶感を描いていて実に効果的であった。
◆39話『守れ! 宇宙の一粒の命』
この時期以後、インサイドストーリーはメインライター曽田博久氏にすべて任されたため、他の二氏は番外編ともいうべきエピソードを執筆している。39話『守れ! 宇宙の一粒の命』は、藤井氏にしては珍しく途中参加の宇宙人新幹部・ブッチーとギルドスが作戦指揮をする回で、イエローライオン・大原丈と宇宙人平和使節の友情を描く。
ただの隕石と思われたものが、すごい武器にもなれば平和のシンボルの種(たね)でもあったというあたりは面白い。が、全体的には藤井邦夫氏のファンでなければ然程楽しめない気がする。
◆40話『恋!? めぐみと宝石泥棒』
井上敏樹氏執筆の40話『恋!? めぐみと宝石泥棒』は、『ライブマン』における井上脚本回中、個人的には唯一素直に楽しめ、出色の作品と呼べると思う。
仕事して逃げてきた泥棒・史郎(松浦隆)はめぐみとぶつかり、彼女にキスをするふりをして追っ手の目をかわした。敵・武装頭脳軍ボルトの戦闘員ジンマーの乗ったボフラー戦闘機が故障で墜落。頭脳獣スペースヅノーを操る石を見つけた史郎は、宝石とまちがえて失敬してしまう。石の効用に気付いた彼は、頭脳獣スペースヅノーに犯罪を犯させ、「君はボルトにねらわれている」と忠告するライブマンたちを襲わせる。
めぐみは史郎が自分の育った孤児院の子供たちのために犯罪を行っていると知り、そんなのは人助けではないと諭(さと)そうとするが、そこに女幹部マシン・マゼンダが現れて……。
めぐみは初期編のスポーツサイクル姿が強く印象に残っているため、本話でのオートバイ姿は少し違和感があるものの、これもまた別の青春のかたちとして納得できる。とにかく曽田タッチとはまったく違う雰囲気の作品である。『ライブマン』を井上敏樹氏がメインライターとして担当していたら、同じテーマを扱ったとしても全然別の作品になっていただろうと想像させる。
史郎の偽悪的でダンディなセリフなどは、井上氏がメインライターを初担当した作品『鳥人戦隊ジェットマン』のブラックコンドル・結城凱(ゆうき・がい http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20110905/p1)的でもある。そのアクのある個性や説話『アラジンと魔法のランプ』ネタであることなどに、本放送での視聴時には抵抗があったが、今回の再視聴では素直に楽しむことができた。
ラストも明るく『電子戦隊デンジマン』(80年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20120205/p1)における曽田氏担当の善意の犯罪者ものである30話『消えた盗んだ出た』とはちがい、史郎が刑務所へ入ることはなくて心地よかった。
しかしこの史郎という人物、悪い人間ではないだろうし善行も行っているのだが、個人的にはあまり好きになれない。やはり筆者の場合、井上氏よりも中年脚本陣の方が安心できるようだ。
7.ボルトの末路・完結編(41〜49話)
最後の9回は曽田氏の連続執筆により敵の末路(まつろ)がじっくり描かれている。敵首領・大教授ビアスと5人の幹部たちに、1人1話ずつを使ってそれぞれの死を与えているのだ。裏切りや怪物への改造など、戦隊シリーズのラストでは敵組織内部において残酷な行為が行われてきた。この作品の場合、もっと精神的な面でそれぞれの人物の生きる拠(よ)りどころを根底から覆(くつがえ)す真相がもたらされて悲惨このうえない。
◆41話『透明人間、豪の告白!!』
41話『透明人間、豪の告白!!』はイエローライオン・大原丈が、本作シリーズ前半の敵幹部ドクター・オブラーにして記憶喪失の尾村豪を見かけるところからドラマが始まる。豪が記憶を取り戻すと、敵首領・大教授ビアスは彼を殺すように配下に命じる。ある秘密を豪が知っていたからだ。
豪はライブマンたちにむかし目撃したことを話す。敵の本拠地である宇宙ステーション・ヅノーベース内のヅノールームのなかで、ビアスがカプセルに入ったいくつかの脳からコードを使って刺激を受けていたというのだ。
過去を悔いる豪は「守られるような人間ではない」とライブマンが戦っている間に再び姿を消す……。
ビアスの秘密を語るというかたちで豪が再登場するのはドラマチックだ。けれど、リアルに考えれば豪に秘密を知られているのがマズいのなら、記憶などいつ戻るともかぎらないのだから、もっと早く殺すか飼い殺しにするはずで、急ごしらえな印象は免れない(以前のビアスは豪ことオブラーを頭の足りないクズとしか思っていなかったはずだ)。
しかし、豪攻撃の手を止めて(ケンプをも止めさせて)、豪の話を立ち聞きする女幹部マゼンダは、藤井脚本回の35話『勇介とケンプの約束!!』で描かれた「ビアスへの疑心」が生かされている。かつての級友ではなく兄姉の仇でしかないという途中参加組の初期設定からすれば優しすぎるとはいえ、豪の立ち直りをよろこぶブラックバイソン・鉄也とグリーンサイ・純一の反応も描かれている(もっともマゼンダがビアスへの疑心を保ちつづけていたなら、最終展開で悲惨な最期を遂げなかったはずで、今回のよさがかえって欠点となっている)。
尾村豪は科学アカデミア時代に撮った写真を残して去り、それの裏には
「親友 大原丈君と」
と書かれていたのが『ライブマン』らしい趣向であったが、それにより19〜21話の三部作で一旦解明されたように思った「豪がボルトに入った理由」がまた判らなくなってしまったようにも思う。
『ライブマン』はこのように設定を生かそうとしてかえって小さな矛盾を作ってしまうことが多いようで非常に残念ではある。豪がヅノーベースで見たという大教授ビアスの大学時代の卒業記念モノクロ写真のことを考え、
「ビアスは人間なのかしら?」
と呟(つぶや)くめぐみの哀愁をおびた顔と、風に揺れる病葉(わくらば)の描写が、ラストを飾り余韻を残している。
◆42話『ビアス宇宙からの挑戦』
42話『ビアス宇宙からの挑戦』は、大教授ビアスがブラックバイソン・鉄也を操りライブマンの海底基地・グラントータスを破壊しようとする。鉄也とは深いつきあいのはずのグリーンサイ・純一が、
「鉄ちゃんはもう鉄ちゃんじゃない!」
と投げ出そうとし、丈や勇介の方が鉄也を信じようとするのが興味深い。
前話で体調を崩して突如倒れたビアスはこの回、カプセルに入った11個の頭脳から力を得て回復するという姿を見せ、12個の脳が揃えばギガブレインウェーブ(それにより全人類を洗脳して操る)が完璧になるという、謎めいた秘密の一端を視聴者に明かしている……。
◆43話『怪!? ギルドス最期の姿』
大教授ビアスがただのナマ身の人間にすぎぬと知った宇宙人幹部ギルドスは彼に反抗する。しかし、ビアスはなぜかほくそ笑む。ギルド星人の不滅の生命を信じ、何度も頭脳獣ボンバーヅノーを再生するギルドスであったが再生をくりかえすうちに身体からメカが露出した……。
この回は『超電子バイオマン』中盤において、メカこそが人間を支配せんとしていた新帝国ギアの支配者ドクターマンが実はナマ身の人間であったことを知ってショックを受けたロボット幹部・メイスンが、ドクターマンを暗殺しようとした話と対応するものであろう。合体ロボットアニメ『超電磁ロボ コン・バトラーV』(76年)中盤の名作である25話『大将軍ガルーダの悲劇』と共通する自分を宇宙人や生物だと信じていたらロボットだったという悲劇であるが、この回の場合はギルドスが自分の正体を知らぬまま死ぬのがよい。
そういう1話分をまるまる費やせるような重たいテーマがあるのだから、ケガのあと歩く勇気を持とうとしない少年の話をこの回に挿入する必要はないのではなかろうか?
◆44話『ブッチー涙の大暴走!!』
自分が地球の天才を競わせるために作られたロボットだったと知り、暴走するもうひとりの宇宙人幹部・チブチ星人ブッチー。彼の心を救おうとするブルードルフィン・めぐみだが、ドクター・アシュラによりブッチーは……。
ブッチーの初登場回、22話『宇宙カラオケ名人登場』同様、芸能プロダクション・ジャニーズ事務所の当時の大人気アイドルグループ・光GENJI(ゲンジ)の大ヒット曲「パラダイス銀河」(88年)が暴走シーンには流れ、めぐみ主役編でもある同話にも流れためぐみ演じる森恵が歌唱する挿入歌「スパーク! 海へ」も再登場するこだわりがうれしい。
「暴走族の気持ちが判るものだすか、走らずにいられるものか」
ブッチーのセリフが痛々しい……。
めぐみの悲しみや怒りの演技がはまり過ぎているだけに、なぜそこまで敵幹部ブッチーの死が悲しいのだという気にもなってしまうが。
◆45話『アシュラ逆転一発勝負』
成績が急落し大教授ビアスに見捨てられたドクター・アシュラは頭脳獣ハッカーヅノーを使ってコンピューターをジャック、頭脳を強化するが……。
計算で戦うことばかりで体力で戦うことを忘れたために敗れるというのがこの作品らしいが、描き方があまりにもお粗末でアシュラに挑むレッドファルコンが無謀なだけにしか思えない。成績がアップしたかを知るために敵基地・ヅノーベースにアクセスしたところ、失敗により偶然ビアスの目的を知ってしまい殺されかけるという趣向は面白い。が、全体的には見ていて個人的にはあまり燃えなかった。
◆46話『オトコ嵐! 最後の戦い』
炎を受ければ火災放射器が、ガスを受ければ毒ガス噴射器が生じるという具合にパワーアップしていく頭脳獣バトルヅノーのアイディアが子供番組的にはなかなか面白く、千点頭脳を賭けたケンプの作戦として生かされている。このバトルヅノーによりライブマンは徹底的に打ちのめされ、教会の残骸のなかへ吹き飛ばされたイエローライオン・大原丈は、そこでかつての敵幹部ドクター・オブラーこと尾村豪と再会する。
41話『透明人間、豪の告白!!』での再登場以降、更生した人間として肯定的に描かれることが多い豪。だが、この回では負けると思われる戦いに捨て身で向かうことができない人間として否定的に描かれ、死地に赴く丈や嵐を見送るだけになる。
自分が作られた天才に過ぎぬと知り、大教授ビアスへの憎しみをたぎらせたドクター・アシュラこと毒島嵐は一個の「人間」として戦い死んでいく。どうしても解けない単純計算の答えを豪に聞き、思い残すことはないとふんぎりをつける彼の姿が泣かせる。
嵐はダイナマイトを抱いて頭脳獣バトルヅノーに突っ込んでいくのだが、現実的に考えればたどりつく前に光線でも受けてお駄仏である。しかしそのことが本作のテーマや作風的にかあまり気にはならなかった。でも前回とこの回の「頭脳より体力」というテーマはちょっとクドすぎる。
第3期の『ライブマン』はラストでキメる回が多いが、この回もそのひとつ。廃墟に子供の書いた作文が落ちていて、ライブマンたちが命をふみにじる武装頭脳軍ボルトへの悲しみ・怒りを感じるというもの。殺されるシーンや死体が直接描かれていないとはいえ、80年代以降のヒーロー番組にしては珍しい残酷さである。
◆47話『千点頭脳! マゼンダ!!』
尾村豪の調査により、この数十年間、天才的な若者が何人も大教授ビアスに勧誘されて脳を取られていると判明。千点頭脳になったら脳を取られると豪が注告するのを信じず、女幹部マゼンダは千点頭脳になってしまう。
追いつめれられたマシン・マゼンダは自らの脳をもメカに変え、ロボ・マゼンダとなり脳を取られるのを避けた。が、ビアスの怒りの光線を浴び、人間に戻れた豪をうらやみながら海へ墜ちて死ぬ……。
このエピソードを初めて見たとき、泉鏡花(いずみ・きょうか)の『高野聖(こうやひじり)』(1900(明治33)年)を元にしたと思われる子供用の民話を読んだときの恐怖を思い出した。15話『必殺! 死神ガッシュ』の井上氏担当回でしつこさと強さを印象づけたビアスの用心棒ロボ、ガードノイド・ガッシュが、この回も圧倒的な強さでライブマンたちの邪魔をふりきりマゼンダを追いつめる。
本エピソードの前半で夢を実体化するマシーン使用のためにマゼンダが眠っている隙をついて、ガッシュとともにその脳を切りとろうとするビアスの表情の気味悪さもものすごく、まさに悪夢がごとき作品ともいえる。マゼンダの成績がどんどん上がっていくのを見て悔しがりながらもどうにもできないケンプの姿。千点頭脳の秘密を知って発狂したように笑いまくる姿もよい。
豪はマゼンダを必死で説得しようとし、ガッシュに撃たれても彼女を逃がそうとする。武装頭脳軍ボルトで落ちこぼれたゆえに唯一命を取りとめた彼だが、これが最後の登場回となっている。果してその後どうなったのか語られぬのが寂しい。
ともかく「悪魔に魂を売った3人の友」に三人三様の結末を与えたことが、この番組はよかったと思う。
◆48話『誕生!! 少年王ビアス!』
ボフラー戦闘機に追われ助けを求めてきたケンプであったが、それはライブマンを倒し千点頭脳になるための作戦だった。ケンプは脳をガッシュに取らせ、自ら頭脳獣・恐獣ヅノーとなった。
レッドファルコン・勇介は単身、ガッシュの飛行艇に乗り込み敵の本拠地にして宇宙ステーション・ヅノーベースへ潜入する。ケンプの脳によりギガブレインウェーブを完成させたビアスは、神として地球上の全人類に自分をあがめさせる。だが勇介の攻撃で装置は破壊され、自分を取り戻しためぐみら4人はスーパーライブロボで恐獣ヅノーを葬る。
本来、相当高齢であるはずの老いた姿をさらけだし死ぬかに見えたビアスだが、ケンプの脳の協力により若さを得て少年王ビアス(石関賢太郎)となってしまった……。
自分の脳をビアスに捧げて光栄というケンプの狂気はそれ自体としては意外な展開でよい。だが、前回の真相を知っての狂気の笑いがいったい何だったのか? という気にもさせられて興を削ぐ欠点にもなっている。ここまで来てしまったのだから、内面での疑心はどうあれ、それまでの自身の生き方を全否定もできずにスジを通したのだという見方もできるが、そのような内面描写はなされていない。
この回はケンプについて「ビアスの一番の信奉者」と言及されているが、これまで特にそう呼ばれたことはなく、今までの彼の行動を考慮してのことだったのだろう。いろいろな要素が盛り込まれて豪華な反面、ケンプの内面がよく描き込まれなかったという不満は残る。
地球がビアスのものとなるという展開はダイナミックであるが、このことやビアスが少年の姿になるなどヘンに抽象的・観念的に過ぎはしないだろうか? この作品ならもっと現実的にするべきではないかと思うのだが。
◆49話(最終回)『大教授ビアスの崩壊!!』
少年王ビアスはレッドファルコン・勇介を捕えた。だが地球に降りたヅノーベースにライブロボが体当りしたためヅノーベースは損壊。ライブマン5人と少年王ビアス・ガッシュ・頭脳獣デンシヅノーの戦いが始まる……。
「若くなったその身体は素直に反応するわ。大教授ビアスになろうかどうしようかあなたは迷っている!」
と少年王の心を見透かすめぐみ。
失った肉体や若さへの思慕からビアスを離れるケンプの頭脳。
地球や若さへの郷愁から次々と去りゆく天才の頭脳たち……
粗削りで納得できないところ――ビアスを離れても脳髄だけでは帰れるところもないではないか?――もあるのだが、若さにこだわった『超獣戦隊ライブマン』という作品らしさが光る。
あれほど強かった敵ロボ幹部・ガッシュをレッドファルコンがひとりで倒すのは不自然で、個人的にはイヤではあった。簡単に死にはせず片手だけになっても最期に老いたビアスを救けようとする姿でキャラは崩れきらず救われてはいるが。
ただし、「生き物は助けあっていくべきだ」と言う主人公の最後の主張が、ふつうのヒーローものの次元にとどまっていて抵抗を感じる。言っていることはそうに違いないのだが、それは生きるという生命活動自体が、他者(他の生物)を食べるという行為を伴って行われているからだ。命・生命・人間性を大切にするライブマンといえども、変身ヒーローものとしてはシリアスで現実的な志向を持った本作がそれを単純に言うのでは低俗化してしまうのだ。
砕け散ったヅノーベースの残骸から転がり出したガッシュの首、その眼が空中に戦いの記録を写し出し、主人公たちがいつまでもそれを見ているというかたちでドラマは終わる。
初視聴の際、これだけの番組をこんなにあっけないかたちで締めくくるとは……と不満になった。主人公たちはこれからどうするのだろうか? など描くべきことがいろいろあるように思ったのだ。
しかし今回観返してみて、それなりに余韻もあるよい結末のようにも感じた。いろいろと批判もしたが、最後の3話分はなかなかの力作でのめりこんで観られた。
このように番組は終わった。観ておられない方のために、ある程度ストーリーも紹介したがどう感じられただろうか?
筆者の場合、第1期(1〜21話)は「いいな、いいな」という気分で久しぶりの再視聴ができていたが、その終結ごろから必ずしもそうは言えなくなった。第3期(28話〜最終回)になると、本作の作品世界が真面目調であるだけに矛盾や欠点、盛り上がりの欠如が些細なことでも気にかかるようになってしまった。
だが、それでも筆者はこの作品が好きである。完璧な描写でなくてもすばらしいテーマがあり、それを生かそうとしたドラマがある。
子供がよろこべぬ子供番組など失格であると言われれば、『超獣戦隊ライブマン』は確かによい作品だと言えないかもしれない。筆者も実はふだん子供番組一般についてはそのように考えてもいる。
また「地球を自らの意志で破壊できる立場、自らの意志で守れる立場の若者なんて、およそ現実的であるわけないじゃないか?」とか、シニカル(冷笑的)な人なら「本当に命なんか大切なのか? 命よりも大切なものがあるのでは? 自分個人の命や人間の命だけをエゴイスティックに重視することで多くの他者(他の生物)が犠牲になる局面もあるのでは? 人を殺すことや支配することを望むのは本当にいついかなるときでも常に絶対に悪いことなのか? もっと根源的な問題であるそっちの方を問えよ」と言うかもしれない。「テーマがクドくてうるさくて迷惑だよ」と言う人もいるだろう。それらはうなづけない意見でもない。
しかし筆者は思う。このテーマは変身ヒーローものの子供番組であるからこそ扱うことができる重い題材だと。だからよいのだと。
これからも何年かに1回は全話通して観てみたい。そんな気にさせられてしまった筆者である。(あ〜、レーザーディスク化してほしい。でも買えないか)
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