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ウルトラマンアーク前半総括! ~鎧・アイテム・内宇宙・倒置法の作劇・昭和怪獣・タテ糸! 今後の「ウルトラ」はどうあるべきなのか!?

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ウルトラマンアーク』前半総括! ~鎧・アイテム・内宇宙・倒置法の作劇・昭和怪獣・タテ糸! 今後の「ウルトラ」はどうあるべきなのか!?

(文・T.SATO)

ウルトラマンアークのヒーローデザインの特質!


 銀色や赤色の巨大超人が巨大怪獣と戦う「ウルトラマン」シリーズ。半世紀以上の歴史を数える長寿シリーズの通例に漏れず、ウルトラマンとしてのデザインの基本線は守りつつも、そこにイイ意味でのデコラティブ(装飾的)な意匠やそれとは反する原点回帰的なシンプル化などの、幾度もの必然的にして悪い意味ではない往復運動・ヨコ振り運動を通じて、シリーズは継続されてきた。


 前作『ウルトラマンブレーザー』(23年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20230903/p1)がシルエットとしてはシンプルでスマートではあったものの、体表の文様としては複雑であったり左右非対称であったりもした。それとの差別化なのか、本作『ウルトラマンアーク』(24年)は相対的な意味でだが、原点回帰的で複雑な文様などもない、マニア諸氏にはシンプルな初代『ウルトラマン』(66年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20240204/p1)的な印象をもたらすデザインともなっている。
 しかして、その両眼は楕円形ではなく赤色の巨大超人・『ウルトラセブン』(67年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20240211/p1)系の鋭角的で細長い三角形の形状ともなっている。それによって、全身としてのデザインは優しい感じであるのに、その両眼だけはややスルドいことで、往年の『ウルトラマンコスモス』(01年)的にただ単に優しいだけのヒーローでもない、戦闘ヒーロー的なスルドさも加味することができているのだ。
 その一方で小首をかしげて考えこんでから、古代ギリシャの数学者・アルキメデス的に「ユリイカ!(ひらめいた!)」とばかりに戦況を逆転へと導くあたりで、愛嬌もブレンドされている。
 初代ウルトラマン系のウルトラマンたちの基本カラーでもある「白銀」と「赤」の2大体色については、胸の赤いラインの部分をカナリ上部に寄せることで、胸部と腹部には「白銀」部分が目立ったことで清涼感も増している。それに釣られて通常は腰~大腿部を覆っている「赤」の部分もやや腹部へとズレ上がっている。さらに釣られて、両脚部の「白銀」部分は両腰の部分にまで切れ上がっていることによって、スマートかつ脚長にも見せようといったデザインともなっていた。


 もちろん、バーコード(汗)がデザインモチーフでもあった往年の『仮面ライダーディケイド』直後の『仮面ライダーW(ダブル)』(共に09年)や、髪の毛が左右非対称に逆立ってその両眼には目玉(爆)までもが付いていた『仮面エグゼイド』(16年)直後の『仮面ライダービルド』(17年)のヒーローデザインは、各々が「左右半身」ごとにカラーリングが異なる奇抜なデザインであったのにも関わらず、前作との相対的な比較で王道に立ち返ったオーソドックスなデザインにも見えてしまう……といった錯覚効果は、今作のヒーロー・ウルトラマンアークにもまた多分に当てはまるのであろう。


 作品の外側における情報になってしまうが、やはり自主映画の監督上がりで、『ウルトラマンX(エックス)』(15年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200405/p1)から参加して本作『ウルトラマンアーク』にてメイン監督に昇任した辻本貴則(つじもと・たかのり)監督としては、ウルトラシリーズに対して、昭和の第2期ウルトラシリーズであった『帰ってきたウルトラマン』(71年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20230402/p1)や『ウルトラマンエース』(72年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060514/p1)のようなイメージを抱いていた主旨を語っている。
 そこから逆算して、帰ってきたウルトラマンことウルトラマンジャックのように、ウルトラマンアークの戦闘時の構えも左拳はグー、右拳はパーとしたことは想像にかたくない(笑)。本作のメインタイトルのロゴの書体が『帰マン』のそれを踏襲していることも、そんな意向によるのやもしれない。
 しかし、ヒーローのデザインの部分はウルトラシリーズの製作母体たる円谷プロ側でのデザインが先行で、玩具会社・バンダイ側の意向なども優先されるであろうから、企画者というよりも撮影現場の筆頭でしかないともいえるメイン監督による介入の余地はあまり存在しないか、あっても些少と考えているのだが、いかがであろうか?


ウルトラマンアークの鎧・アーマー装着の是非と、鎧装着ウルトラマンの系譜!


 それが証拠に、比較的にシンプルで昭和のウルトラマンとはイコールではないにしても、相対的には昭和のウルトラマンにも近しいウルトラマンアークのデザインだったが、それとは大きく相反している要素もある。そう、ウルトラマンアークも広義でのタイプチェンジの一種として、複数種のアーマー・鎧(よろい)をまとうのだ!
 むろん、ウルトラシリーズ初の趣向ではない。『ウルトラマンX』がすでに強敵怪獣たちの神秘のパワーを有した複数種のアーマーを装着していた。『ウルトラマンメビウス』(06年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060625/p1)の青い2号ウルトラマンことウルトラマンヒカリも、着ぐるみの造型的には一体成形でも設定的にはヨロイをまとったハンターナイトツルギという別形態を持っていた。
 静止画の羅列&音声のみのユーチューブ無料配信でのウルトラマンゼットが地球に来る前の出来事を描いた『ウルトラマンゼット&ウルトラマンゼロ ボイスドラマ』(20年)でも言及されたことで、ウルトラシリーズの正史における実在が確定した、1975年度の小学館学年誌の連載マンガが初出であった、ウルトラマン一族による宇宙警備隊のアンドロメダ星雲支部隊長こと(近年における通称はアンドロメロスではない)ウルトラマンメロスもまた、鎧をまとった元祖のウルトラマンとして後進のウルトラシリーズファン世代にとっても名高いのだ。
 このメロスを基に翻案したウルトラシリーズ外伝としての、先のメロスとは別人でもある、鎧をまとった『アンドロメロス』(83年)も、ネット配信の『ウルトラギャラクシーファイト 大いなる陰謀』(20年)にて再登場して大活躍を果たしている。


 タイプチェンジによって、この少子化時代に少しでも玩具の売上高を上げるためにも、ひとりの子供に複数体もの人形玩具を購入してもらおうといった作戦ではある。これを商業主義だと糾弾してもよいのだが、変身ヒーローがタイプチェンジをせずに過度な武装もしていなかろうとも、単体でも子供ウケする三原色の超人ヒーローひとりがそこにいるだけで、それはどう云い繕おうとも、すでに子供たちに対する商業主義そのものなのだ(笑)。
 なので、世代人の好みや個人の好みもあるのであろうが、筆者個人はタイプチェンジやアーマーをまとうことには肯定的ではあるのだ。このテの子供番組を版権収入的に存続させるためにもオトナの態度で割り切っており、こういった処置に対しては理解を示している立場ではあるのだ。


 しかし! むろん、タイプチェンジやアーマーや武器などを登場させる以上は、おざなりのノルマとしてただ単に出してみました……といった、これまた世代によっても意見が異なることは重々承知はしているものの、80年代の東映特撮ヒーローもののような扱いを好む者ではない。
 虚構・フィクション作品なりに、劇中においても、そのタイプチェンジやアーマーなり武器なりを登場させる必然性を、それでなければその敵怪獣や敵宇宙人を倒せない! といったものとしての物語として、作品を作ってほしいワケなのだ。
 そして、それによってメインターゲットである子供たちにもそのタイプチェンジやアーマーなり武器なりが魅惑的に映って愛着もわいてくる。それらに似せたオモチャも購買したくなることで、玩具業界もまたハッピーになるのだ。ひいては、製作会社側にもその版権収入が発生することで、製作予算を増やすことができるといった好循環の達成もできるのだ。


マーチャンダイジング・版権収入を確保・増大させるために、鎧・カード・カプセルを肯定せよ!?


 もちろん、20世紀までの昭和と平成の歴代ウルトラシリーズを復習してみせれば、東映の変身ヒーローものと比べれば製作費がかかりすぎていたことは問題ではあった。子供間でのブームの盛衰といった人気の問題を除けば、この製作費の問題によっても、製作会社である円谷プロダクションにおいては、東映スーパー戦隊シリーズや平成仮面ライダーシリーズと比すれば、連年での製作が実現できずにシリーズ休止の憂き目を幾度も見てきたことも確かなのだ。どころか、00年代の中後盤には会社倒産の危機にも見舞われてきたのだ。
 しかし、良くも悪くもパチンコ会社や大手映像製作会社の買収などを経て、バンダイ筆頭株主になって以降、バンダイ側からマニア上がりの世代人ではあっても『SDガンダム』などを担当してきた出向プロデューサーなどが登板してからは、平成ライダーや21世紀以降の戦隊シリーズとも同様に、90年代後半に『ポケットモンスター』(96年)や『遊☆戯☆王』(97年)が切り開いたカプセルやカードからモンスターを召喚してみせる要素を、「ウルトラ」作品にも逆導入をしてみせた。


 そして、たとえ低予算でも、オープニング主題歌で先行披露される映像を観てもわかるとおりで、放映前には後処理は残して本編&特撮の全話の撮影もほぼ終了させており、週1放映の7~12月期の半年分――近年ではさらに総集編を挟むことによって、年内クリスマス商戦にて「終わった」感は出さないためにか、翌年の1月下旬まで!――、かつ残りの半年は過去シリーズの再放送や総集編に最終回後の続編劇場版の公開ではあっても、連綿と新作を製作しつづけてきた。事前に新規造型&製造も済ませていた新怪獣のソフビ人形などもTVでの登場話数と連動して発売させることによって、ムダな「空白感」や「終わ(った)コン(テンツ)」感なども払底しつつ、商業展開も効率化していく体制を構築できてもいた。


 これによって、新作放映中における年度においては売上が高くなっても、新作が放映中ではない年度においては売上がガクンと落ちてしまう……といった、会社経営としては致命的な欠陥を避けることもできて、安定した経営ができるようにもなったのだ。
 これ自体はすばらしいことである。いや、かつてのウルトラシリーズのように数年おきに空白期間を置いたうえで数年間の新シリーズを再開させた方がイイ! といった声があってもイイのだが、安定した会社経営や関係スタッフの雇用の確保の面においてはそれはまったく現実的ではないのだ(汗)。


 石油ショック後の低成長時代にはなっても、高度経済成長期の残り香がまだあった昭和ウルトラ世代にとっての「ウルトラ」の基本は、やはり「科学」や「SF」であった。しかし、カプセルやカードなどからモンスターを召喚できてしまえるという設定は「科学」や「SF」ではなく「魔法」に見えてしまうあたりで、高齢オタク諸氏には少々の違和感はあるだろう。けれども、80年代中後盤以降はSFよりもファンタジーの時代になっている。それを思えば、今どきどころか90年代以降の子供たちにとっては、こういった描写こそが魅惑的である可能性も高いのだ。「ウルトラ」作品などの子供向け特撮変身ヒーロー作品のメインターゲットが現今の子供たちであることを思えば、仕方なしにといった消極的な意味ではなしに、もっと積極的に子供たちのニーズをねらっていった方がよいのだ。


しかして、ウルトラマンアークの「太陽の鎧」&「月の鎧」に「変身アイテム」の描写は万全であったのか!?


 その意味では、ワリとシンプルなデザインではあるウルトラマンアークが、デコラティブかつオレンジ色で太陽を模したアーマーや、水色で月を模したアーマーを装着することそれ自体にも、個人的には好意的ではあったのだ。
 しかし……。劇中においては、この太陽アーマーや月アーマーそれ自体の印象がややウスいのが、実にモッタイないのだ。アーマーを登場させるのであれば、そのアーマーの強さ・カッコよさ・勇ましさ・効用といったものを、ベタでもよいので、もっと特撮映像演出・アクション演出面でも強調して、イイ意味での玩具販促番組、イイ意味での子供番組としても徹底してほしいのだ。


 いや、その実現はそんなにムズカしいことではない。具体的には、00年代中盤の『ウルトラマンメビウス』や2010年代に再開したTVシリーズこと通称「ニュージェネレーション・ウルトラマン」シリーズへと立ち返ればイイだけのことのようにも思えるからだ。
 たとえば、物事を微分化・細分化して要素要素で個別に認識することが苦手な御仁は『ウルトラマンメビウス』を「昭和ウルトラ」的なのだ! などと誤解をしている(汗)。しかし、その世界観設定それ自体は「昭和ウルトラ」の直系続編ではあっても、その作劇は決して「昭和ウルトラ」的ではなかった。かといって、90年代後半の「平成ウルトラ3部作」的でもない、第3のものなのである。


 『メビウス』におけるレギュラーの怪獣攻撃隊の隊員たちはナマ身の人間というよりかは、イイ意味でのマンガ・アニメ的に誇張・戯画化・記号化されていたので、幼児たちにもその人格のパターン認識などはしやすかったであろう。そして、少年向けの熱血格闘バトル漫画や、70年代の合体ロボットアニメ調に大声でその戦闘機の武器名やビーム名なども絶叫し、なおかつイイ意味での精神主義や正義の想い・気迫(笑)で勝利を収めてしまうような、少々低次だとしてもマニア向けならぬ庶民・大衆・子供向けのエンタメとしては実に正しい世界観でもあったのだ。
――もちろん、ここ10年ほどはカードゲームのブシロード製作の児童向けTVアニメ『カードファイト!! ヴァンガード』(18~20年)などのメインライターを務めている、『メビウス』のメインライターを務めた赤星政尚による、勝算を持った確信犯的な作劇であったことには間違いはない――


 その意味では、主人公の青年クンにも、ウルトラマンが太陽アーマーをまとった際にはその名の「ソリスアーマー!!」、月のアーマーをまとった際には「ルーナアーマー!!」などと大声で叫ばせてもよかったのではなかろうか? そうでなければ、変身アイテムによる音声ガイダンスでもよい。あるいは、アーマーの胸部前面の全体から新たな極太の必殺光線を発射できたとしてもよかったろう。そうやって、絵面においてもセリフの音声においてもダメ押しで強調してみせるのだ。


 その意味においては、その変身アイテムの扱いそれ自体もまたモッタイないのだ。00年代中盤以降の特撮ヒーローの変身アイテムの常道で、往年の「光る!」「回る!」的に、可動部や回転部があったり音声ガイダンスがあったりといった、いわゆる業界用語でいうところの幼児ウケする「プレイバリュー」。本作においても、そのアークアライザーなる変身アイテムは、日本においては1980年のむかしに大ヒットしたルービックキューブのように可動ができる、ヒシ型立方体の形状ともなっていた。もちろん、オトナ・年長マニアの目線で見れば、神秘のアイテムではなくオモチャそのものではあるのだが(笑)、玩具会社もバカではないのだし、周到なるマーケティング戦略のうえで子供ウケするであろうと、こうした形状にしているのだ。


 この変身アイテム玩具の方には「想像力を解き放て!」という番組のキャッチコピーかつ#3のサブタイトルでもあった音声ガイダンスが流れるようだ。しかし、それならば玩具と連動してその音声を流したり、ヒーロー名なども叫んで変身した方がよかったのではなかろうか? ヒーロー名を叫ぶと正体バレバレだ! といった問題も、ウルトラマンゼットほかのようにナゾの変身専用・亜空間に入ってしまったり、いっそ様式美的な光学背景のバンク映像にしてしまえば、「幼児向けのヒロイズム的な様式美」と「イイ意味での言い訳としてのSF性」の同時両立にもなって解決するのだし。


作品それ自体はナチュラルにフツーの出来! #3を真の#1とする倒置法の作劇の妙!


 とはいえ、だからといって、これらのせいで本作『ウルトラマンアーク』がよろしくないと云っているワケではない。あからさまに出来が悪いとか、ウマくはいっていない、といったこともない。ややケレン味には欠けてはいるものの、ナチュラルにフツーの出来だとは思えるのだ。


 ドラマ的には、#1においては、過去シリーズの定番であった青年とウルトラマンとの邂逅と合体シーンなどは描かれない。すでに青年はウルトラマンに変身できる存在として、説明ヌキで登場している。さわやかで影のない、いかにも性格よさそうで少々甘い感じの、現今の子供向けヒーロー番組にはふさわしい好青年でもある。
 しかして、ウルトラマンアークとの合体は、過去の回想シーンのかたちで、メイン監督&メイン脚本家がタッグを組んで初期3話分まるごとを1班体制にてまとめ撮りにしてきた#3にまで持ち越しされている。そして、ナンと! 彼は幼少期に怪獣災害で両親を喪っていたのだ!


 これは今どきの子供番組としては、あるいは筆者のようなロートルオタクが子供であった1970年代においてすらも、やや重たい設定であるかもしれない。とはいえ、そういった重たい設定は避けてしまえばイイと思っているワケでもない。
 しかして、#1でそういった重たい過去を描いてしまうと、主人公青年のみならず作品それ自体がやや暗いカラーに染まってしまう可能性はあるのだ。けれども、先にも記したが、それでは暗さを過度に敵視して排除すればイイのか? といった話にもならない。
 その折衷で考えるのであれば、#1とは作品の基本設定やレギュラーキャラの説明、ドラマやテーマを超えたところでの作品の作風それ自体の基調といったものを決めるものでもある。よって、主人公の出自やウルトラマンとの初遭遇についてはふれないでおいて、#3においてようやくそういった重たい要素も表出することで、作品の基本線はフツーに明朗ではありながらも、裏面においては描かれざる重たいドラマ性をも想起させてくれるという、これはこれでクレバーな作劇でもあったのだ。


 いかに年長マニア受けはしたとしても、シリーズの序盤をシリアス志向で製作してしまったたがために、子供ウケせず低視聴率に苦しんだ『ウルトラマンレオ』(74年)やスーパー戦隊シリーズジャッカー電撃隊』に『大鉄人17(ワンセブン)』(共に77年)や『超人機メタルダー』(87年)などの前例を思い起こせば、2010年代以降の平成ライダーシリーズなども、その第1クールにおいてはドラマ性もウスくてにぎやかな、ヒーローのマイナータイプチェンジや武装なども見せ見せの幼児ウケするオモチャ箱・引っ繰り返し路線で開始させておき、しかして第2クールになるや人間ドラマ性やテーマ性を強調するようにもなっていく……といった作劇にも通じている、正・反・合の止揚的な「子供ウケ」と「年長マニア受け」を両立させた作劇だともいえるだろう。


怪獣攻撃隊が存在しないのはナゼか!? モービル幻想の後退。それではドーすれば!?


 本作においては、主人公青年が所属するのは科学武装的な怪獣攻撃隊ではない。しかして、ゲスト怪獣との接点を持たせるための科学調査組織にはなっている。2010年代以降の12作品にも登るウルトラシリーズにおいては、旧来の科学武装的で戦闘機なども保有していた怪獣攻撃隊は『ウルトラマンギンガS(エス)』(14年)・『ウルトラマンX』(15年)・『ウルトラマントリガー』(21年)・『ウルトラマンデッカー』(22年)の4作品、全体の1/3しか存在しない。『ウルトラマンZ(ゼット)』(20年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200723/p1)と前作『ウルトラマンブレーザー』にも一応の怪獣攻撃隊は登場しているが、戦闘機ではなく非現実的な巨大怪獣型のロボット兵器を保有しているのであって、隊員たちの制服もカラフルではない地味シブなものでもあることから旧来の怪獣攻撃隊とはイメージがやや異なる。


 これはもちろん、マニアの皆さんもご承知のとおりで、若者や子供たちからモービル(乗りもの)幻想がウスれてしまったり、家庭内にも電飾満載の家電やスマホが普及してしまったせいで、相対的な落差としてのハイテク機器に対するあこがれが目減りしてしまったせいでもある。そのせいで、ウルトラシリーズの戦闘機メカやスーパー戦隊シリーズの巨大合体ロボットなどの売上も減少しているのだ。
 よって、近年の「ウルトラ」や「戦隊」の魅力が特別に減じてしまったワケではない。作品の罪ではなくって、作品の外側の空気・風潮・価値観・条件の方が変わってしまったのだ。とはいえ、作り手はそこで腐らずに、そこまで加味して、その先を見据えての販路を開拓しなければならないのだ。しかし、それではどうすればイイのか? なかなかに難題なのであって、代案を出せないのであれば得意げな糾弾などはせずに、スタッフに同情の念を向けるなどの礼節もある態度を採るべきではあるだろう。
 怪獣攻撃隊の玩具の売上による採算が充分に取れない以上は、レンタル撮影スタジオでの美術スタッフによる大掛かりで恒久的な基地内の司令室セットや、共通の隊員制服などを縫製することでまた、多大なる製作予算を要してしまう怪獣攻撃隊の存在はオミットの真っ先の対象にはなる――このあたりにこそ製作委員会に入っている電通には毎年、出資してほしいものなのだが(爆)、やはり同季の深夜アニメ『しかのこのこのここしたんたん』(24年)の方に出資したせいで……。ここ10年、アニメマニア間での電通アニメ批判もQアノンならぬブルーアノン信者的に陳腐化しておりますが(笑)――。


 デオドラント(無菌・清潔)な近未来像がある程度までは達成された現代(というか80年代中盤以降)においては、逆説的に今度は喪われてしまった西欧中世風の異世界のようなものに、希少価値や非日常性に生の充実を、子供や青年や人々は感じるようにもなっていく。その意味では、前々作『ウルトラマンデッカー』や『ウルトラマンX』などにおいても実現されていた、怪獣攻撃隊やウルトラマン自身が「魔法」や「ウルトラの科学」や「宇宙人由来の超絶科学」などで、コレクション性もあるカードやカプセルから正義の味方の怪獣を召喚して使役する路線の方が望ましいとも考えている者である。
 しかして、往年の『ウルトラセブン』や『宇宙戦艦ヤマト』(74年)の続編シリーズなど、地球の衛星軌道上やら太陽系の各惑星などに宇宙ステーションやら近未来的な宇宙戦艦などが配備されているようなオールド宇宙SFな壮大ビジョンを見せてくれれば、まだまだ現今の子供たちにも科学的な怪獣攻撃隊はウケるのではなかろうか? まだやれることは残っていたのでは? などといったヤリ残し感は個人的には残ってはいるものの……。


怪獣攻撃隊の代替としての怪獣調査組織ではあっても、キャストの力&着ぐるみキャラでカバーする!


 それはさておき、劇中においては巨大怪獣が実在する世界観でもある以上は、玩具化前提ではないものの、『ウルトラマンオーブ』(16年)同様にバックヤードには一応の怪獣攻撃隊は存在してはおり、そこから主人公青年が所属している怪獣調査組織へと出向してきたという位置付けで、ややクールであっても四角四面で過度に官僚的かつ融通が全然効かないといったタイプでもなく、自分でコーヒーをわかして飲むのが大スキだという「型」としての「隙」をも作った、背広にネクタイ姿のメガネの好青年が分析やスーパー拳銃所有のかたちで配されたことで、主人公青年とのデコボコ・バディー(相棒)ものといった要素も本作はねらっている。
 やや快活かつ華もある美人カワいいメインヒロイン調査員もまた好印象ではある。長年の特撮オタク的には『爆竜戦隊アバレンジャー』(03年)の主人公ことアバレッドを演じた役者さんによるマイルドな所長さんもイイ味を出している。よって、そのあたりのレギュラーキャラ陣のキャラクターシフト・人物配置などは気持ちがよいものにはなっているのだ。


 着ぐるみのマスコットキャラクターとしては、「ユピー」なるマルっこいフォルムで水色の『がんばれ!! ロボコン』(74年)的な人間サイズの着ぐるみロボットも登場。『ウルトラマンメビウス』に登場した人間サイズの健啖宇宙人ファントン星人の同族別個体(着ぐるみは流用)でもあるグルマン博士が、怪獣攻撃隊のレギュラー隊員でもあった『ウルトラマンX』。『ウルトラセブン』に登場した人間サイズのペガッサ星人やメトロン星人の少年態のペガやマルゥル君がレギュラーとして登場した『ウルトラマンジード』(17年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20170819/p1)や『ウルトラマントリガー』(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20211021/p1)でも見られた、特撮ならぬ本編ドラマ部分においても着ぐるみキャラを導入してみせる趣向でもある。
 思春期以降になると忘れてしまうものだが、幼児向けのお遊戯TV番組や教育番組などにはガチャピンやムックなどの戯画化された着ぐるみキャラが登場するものである。記憶の古層を丹念にたどると、幼児期にはそういったキャラクターに視線が行って、カリカチュアされた絵が動くアニメなどにも目が行くものの、実写の普段着のオトナたちの一般ドラマには関心が向かずに退屈してしまっていたものであった。それらを考慮すれば、こういったマスコットキャラクターはこのテの番組には本編ドラマ部分でも幼児の目線・興味関心を持続させるためには存在した方がよいとも考えるのだ。


 もちろん、2010年代以降のウルトラシリーズの低予算による通例で、冷静に考えればレギュラーの登場人物それ自体が少ない。しかして、本作においてはキャスティングされた御仁それ自体の魅力によって、そのあたりの弱みをカバーすることができているとは思うのだ。


幼少期に両親を怪獣災害で喪った主人公青年! 地面に突き刺さった怪獣のツノ! もっとタテ糸化を!


 とはいえ、#3において判明した、幼少期にしてすでに目前で両親を喪っていたという衝撃の事実! これをあまりに引きずって反復してしまっても、作品が暗くなってしまって、敵怪獣を倒してカタルスシスを発生させるべきヒーローものとしての特質を弱めてしまう可能性もあるので、痛し痒(かゆ)しではある。しかし、それにしても半年・全2クールのシリーズの折り返し地点を過ぎたというのに、#4~#13においては、この設定がほとんど忘れ去られてしまっている(汗)。このあたりは腰の据わりの悪さも覚えるのだ。


 実のところ、半世紀以上にもわたるウルトラシリーズではあるので、怪獣災害で両親を喪った主人公青年は本作だけではないことをマニア諸氏はご存じではあるだろう。タレントのDAIGOが主人公青年を演じた映画『ウルトラマンサーガ』(12年)だ。あるいは、怪獣災害ではなかったものの、科学的な実験で研究所もろとも消滅してしまったことで、やはり幼少期に生き別れになってしまった主人公青年の両親の消息を一応のタテ糸としていた『ウルトラマンX』という前例もあったのだ。それらの作品がそういった設定を陰気にはならない範疇にて作品の背骨にはできていたことを思うと、本作はやはり今どきの作品にしては前作『ブレーザー』とも同様に、悪い意味で1話完結の度合いが強すぎるようには思えてしまう。


 いや一応、本作においても、16年前に出現した怪獣の巨大な一本ヅノが地面に突き刺さっているという地方都市!……といった印象的なビジュアルを提示してはいたのだ。よって、このビジュアルを各話でシンボリックかつ思わせぶりに見せていくのか? と思いきや……。そうでもなかったのであった(笑)。いやもちろん、各話にも一本ヅノの描写があったのやもしれない。しかし、個々のエピソードには無関係な箇所でもあるので、尺の都合で真っ先に編集にて削られてしまいそうなシーンであることも事実なのだが(汗)。


新怪獣と旧怪獣! 流用の旧怪獣もまた子供の博物学的興味を喚起するので、積極的に肯定せよ!


 とはいえ、やはり前作『ブレーザー』とも同様に、#1冒頭にて実景ビル街との見事な合成で登場した敵怪獣が、オーソドックスな二足歩行の恐竜型の存在ではなかったあたりは珍しい。それは黄色いT字型の電飾を単眼にも見立てた、頭部以外はヒト型の細身で背スジも伸ばしたような、初代『ウルトラマン』最終回に登場した最強の怪獣こと宇宙恐竜ゼットンをも想起させるカミキリ虫のような白黒モノトーンの怪獣でもあった。
 そして#3においては、時系列を3ヶ月ほどもさかのぼっての真の#1として、#1の冒頭にて登場していた怪獣との対戦の顛末も初めて描かれるのだ!――こういう倒置法の作劇は、往年の『ウルトラセブン』や第3期ウルトラシリーズのトップバッターことTVアニメシリーズ『ザ☆ウルトラマン』(79年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20090505/p1)に『ウルトラマンメビウス』などでも前例があったことを筆者が忘れているワケではないので念のため――
 そして、この怪獣の同族の亜種・上位互換種(?)の別個体もまた16年前にも出現しており――着ぐるみは同じで頭部のみのスゲ換えであろう――、それがウルトラマンアークによって撃退されており、その残骸が地面に突き刺さった巨大な一本ヅノなのだ。そういったあたりもまた、劇的で因縁ドラマ的かつ、子供たちの博物学的・怪獣博士的な興味関心をも惹起しそうではあるので、そういった本作序盤における倒置法の作劇もまた賛同する者ではあったのだ。


 『ウルトラマンタイガ』(19年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190811/p1)以降は、新造型による新怪獣がだいぶ増えてはきていた。それは2010年代のウルトラシリーズの売上高が00年代ほどではなかったにしてもじょじょに上昇していったことによって製作予算が増えたことをも意味しており、喜ばしいことではあった。それまでの2010年代のウルトラシリーズは、#1や最終回の怪獣こそ新造型の新怪獣ではあったものの、基本は在りものの着ぐるみをひたすらに使い回しにするシステムでもあったからだ。
 しかし、多くのマニア諸氏・怪獣ファンの大勢もそう思っていたことであろうが、主に『ウルトラマンメビウス』や映画『大決戦! 超ウルトラ8兄弟』(08年)に映画『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE』(09年)以降の着ぐるみの使い回しであった、ベムラーネロンガ・パゴス・ゲスラレッドキング・チャンドラー・ペギラアントラーテレスドンザラブ星人・ダダ・ゴモラザラガスゼットン・M1号・ゴドラ星人・メトロン星人・キングジョー・パンドン・サドラ・グドンベムスター・ブラックキング・巨大ヤプール・ベロクロン・バキシム・アリブンタ・ドラゴリー・バラバ・バードンタイラントバルキー星人・マグマ星人ババルウ星人・アクマニヤ星人・ノーバ・ザンドリアス・ノイズラー・ギマイラ・グランドキング……。そういった昭和のウルトラ怪獣たちが、ほぼ毎年にわたって、あるいは同一シリーズ内においても同一種族の別個体といった塩梅で、ひんぱんに登場していたことそれ自体は、悪いことではなかったとも思うのだ。


 我々昭和の子供たちや筆者の往時の同級生たちの大勢も、バルタン星人の初代・2代目・3代目・Jr(ジュニア)・5代目・6代目や、レッドキングの初代・2代目・3代目、エレキングの初代や改造、ベムスターの初代・再生・改造といった相違には執着していたものだ。ウルトラ怪獣グドンが『ファイヤーマン』(73年)に登場したり、『ミラーマン』(71年)の怪獣ゴルゴザウルスやダストパンウルトラシリーズにも登場することに、博物学的・作品越境のクロスオーバー的な興奮をも覚えていたのだ。
 その意味では、本作『アーク』においても、#1冒頭でこそ劇中内では3ヶ月前から出現したとされているウルトラマンアークが昭和怪獣のゴモラレッドキング2代目をも撃退したことが明かされていたが、それ以降は昭和怪獣のリサイクルがなくって残念にも思っていた。着ぐるみが残存している昭和・平成・令和のウルトラ怪獣たちは、もっと使い回しがあってもイイと思うからだ。
 ……と思っていたのだが、#8からは連続してカネゴンネロンガ・パゴス・ノイズラー・グビラといった昭和怪獣が登場している。いや、もっと新怪獣と昭和怪獣を交互にするなど、バラけさせて単調にならないようにしてほしい気もするのだが、幼児からすればすべてが新怪獣にも見えているから問題ナシでもあるか(笑)。


ウルトラマンアーク』シリーズ前半・#2~13評!


 #2においては、工事現場で古代遺跡を発見。その工事現場の監督の息子の少年ゲストなどをカラめたエピソードでもあった。#4においては、下町の商店街でのネズミ騒動から怪獣事件を描いていく。#5においては、恐竜の化石の調査で、主人公たちが住まう舞台でもある星元市(ほしもとし)に訪れた博士が、主人公青年の憧憬対象でありつつ、SKIPの隊長ポジションのアバレッドもといヒロシ所長の恩師でもあったことから、一帯を湖にしてしまう怪獣のスペクタクル映像でも魅せつつ、所長のキャラをも肉付けしていった。


 #6においては、地球人に変身して旅館の番頭さんになってしまって馴染んでしまっているキノコ狩り(笑)に来た善良なる宇宙人さんとの人情話に怪獣をカラめつつ、ラストでは彼は違法難民でもあったので拘束されるのか!?……といったシビアさで小さな緊迫感をも作って、バカにした意味ではないイイ意味での子供番組としてのハッピーエンドで落着させている。


 #7においては、夜行性の四足歩行の強敵怪獣が出現! 現代人にはその姿が見えない古(いにしえ)の精霊の少女とも関係した存在でもあった。主人公青年のイマジネーションの発露で、月のアーマーをまとったアークは、その身を分身させて怪獣を攻撃! しかも、その分身は単なる虚像ではなく、往年のアニメ映画『機動戦士ガンダムF91』(91年)や『劇場版 機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』(24年)における副々主人公機・デスティニーガンダムとも同じく「質量のある残像」(笑)による分身攻撃!――いや、リアルロボットアニメの雄とされるガンダムも、30年以上も前からちっともリアルではなくなって分身可能なスーパーロボットと化しているのだ(汗)――


 #8においては、シリーズの元祖『ウルトラQ』(66年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20240128/p1)の下町の少年たちだけが登場する寓話的なエピソードで活躍した人間サイズの怪獣・カネゴンが、映画『ウルトラマンゼアス2』(97年)や深夜特撮『ウルトラQ dark fantasy』(04年)などに続いて、インターネット空間内に出現してしまうというコミカルギャグ編だ。コミカル編としては水準作だともいえるのだけど、本作のメイン監督たる辻本カントクが担当した、快獣ブースカも主要ゲストとして活躍する屈指のコミカル人情編の大傑作でもあった『ウルトラマンR/B(ルーブ)』(18年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20180826/p1)#17「みんなが友だち」のことも思い出してやってください(笑)――同話は近年、あまたの深夜アニメの脚本やシリーズ構成としても活躍する皐月彩(さつき・あや)のデビュー作でもある――。


 #9においては、ネロンガ&パゴスが登場! 原典においては、ネロンガはパゴスの着ぐるみを改造したものであったが、『R/B』で新造されたネロンガと『タイガ』で新造されたパゴスとのマニア的には夢の対決! 本編は恩師の悪事を追求するメインヒロインのドラマでもあって、本格志向ではあるのだが、それだけだと子供番組としては重たすぎる。やはりドラマ編であればあるほど、シーソーのもう片方にも特撮キャラクターや特撮バトル場面を増量して、作品としての水平を保ってこそ、そのドラマも鼻につかずにスナオに受け止められるのだ! といったことを痛感してしまう良作でもあった。


 #10においては、アマチュア無線愛好家の孤独な青年がナゼだか光年の壁を超えて遠宇宙の宇宙人の女性と交信ができてしまうという、往年の『ウルトラセブン』#29「ひとりぼっちの地球人」のようなエピソードだ。こういうややマニアックなエピソードも序盤を過ぎたこのシリーズ中盤の時期であるのならばあってもイイとは思う。しかし、こういった我々オタクたちのようなコミュ力弱者を、ダウナーではなくイイ意味でのシャレとなる明朗なコメディとしても描いてみせていた過去作もあった。主人公青年の旧友でもある引きこもりの青年をゲスト主役に据えていた良作『劇場版 ウルトラマンR/B セレクト!絆のクリスタル』(19年)だ。


 #11~12は前後編で、着ぐるみ新造の巨大ロボット怪獣が登場! 噛ませ犬として、鼻先に往年の『ウルトラマンエース』における「超獣」のような回転ドリルを備えた昭和の四足歩行の怪獣グビラも登場! 映画『ウルトラマンサーガ』で新規造型されて以来の着ぐるみの流用だろうが、グビラもほとんど毎作に登場しており、本来は深海怪獣なので時に陸生態の「オカ(陸・丘)グビラ」なる名称の亜種だとして再登場をつづけている(大カンゲイ!)。
 ストーリーは爽快たる活劇編ではなくやや陰気ではあり、その巨大ロボの善性をも示されたことで、ウルトラマンに撃退されずに地球を去っていく。もちろん、最終的にはそういう怪獣撃退ではない「イイ話」になってもよいのだけれども、前後編の前編においては、歩行シーン以外は鈍重ではなく飛び道具合戦や光線合戦といった軽快でカッコいい特撮バトルを見せてほしかったようには思う。
 #6に登場したお笑い芸人・アキラ100%が人間態を演じるキノコ狩り宇宙人まで再登場する趣向はカンゲイなのだが、カラーリング的には地味な宇宙人ではあるので、子供たちにはあまり目立って見えてはいなかったかも……。イイ意味でのオモチャ売らんかな、新造ソフビ人形売らんかな、ロボット怪獣の恩返しで、シリーズ終盤では味方怪獣として再登場してほしいところだ(笑)。


 たとえば、『ジード』#1に登場したレッドキングゴモラの合体怪獣でもあったスカルゴモラは、同作中には3度も登場して露出を増やしていた。『X』#1に登場した直立二足歩行で恐竜型の怪獣デマーガは同作中に2度、『トリガー』#1に登場した超古代怪獣ゴルザならぬゴルザ&メルバの融合体であるゴルバーも同作中に2度、『デッカー』序盤に登場したスフィアゴモラやスフィアレッドキングも同作中に2度は登場していた。同族別個体やライバルキャラの変身体といった設定であるのならば、『ジード』のスカルゴモラのように3度くらいは登場を重ねて、子供たちにも露出の機会を増やして販促にも活かすべきではなかろうか?
 古いところでは、怪獣退治ならぬ怪獣保護や怪獣との共生を謳った『ウルトラマンコスモス』だ。同作なども同時期に放映中であった『百獣戦隊ガオレンジャー』(01年)のゲットした末に天空島に住まわせている動物型の生体メカたちとも同様に、保護して南洋の鏑矢(かぶらや)諸島に住まわせている怪獣たちを順繰りで味方怪獣として参戦させるような、同作には欠如していた血湧き肉躍るバトル展開なども魅せてほしかったものなのだが……。


 #13においては、2クール・全25話の放映体制が確立した2016年度の『ウルトラマンオーブ』以降に恒例ともなった、(話数にはカウントされない「特別総集編」とは別モノとしての)流用映像主体の実質「総集編」ではある、いつもの#13であった(笑)。新撮の特撮シーンがなく外出ロケもなく、新撮部分はレギュラーセットのオフィスや作戦室の中だけなので、毎年の#13の撮影は1日だけで終えているのであろう。2010年代の「ウルトラ」も1話分を製作するのに800万円ほど(?)は要するのでは? とも思われるので、これによって1話分の予算を浮かせて、全25話分ではなく全24話分の製作費に抑えているといったところだろう。


 例年の#13とも同様に、円谷プロの社員でもあった1982年生まれである足木淳一郎が本話の脚本を担当。ググってみると、氏はすでに2020年に退職してフリーであるそうな……。ウ~ム。
 氏の手による大宇宙を舞台にウルトラ一族多数が活躍するネット配信作品『ウルトラギャラクシーファイト』シリーズ(19年~・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200110/p1)などの多数のキャラを裁いてみせる脚本や、各種ライブステージ(アトラクション・ショー)での脚本(時に演出も!)は、実に飽きっぽい子供たちを片時も退屈させないためのバトルの羅列とその最中に会話劇のかたちでドラマ性やテーマ性は巧妙に織り込んでいく手法であって、実にすばらしかったものである。
 円谷プロ内にて出世して実権も握って、文芸面でも「ウルトラ」シリーズを作品越境・アメリカンコミックスのヒーロー大集合映画『アベンジャーズ』や『ジャスティス・リーグ』的な「クロスオーバー世界観」な物語としても長期にわたって総合的に売っていく、「クリエイティブ(文芸)・プロデューサー」的な立場で、会社それ自体をも導いていってほしかったのにィ~!――ショーの演出もできるのであれば、我々のような文弱なだけの輩ではなくイイ意味でヒトの上にも立って号令もできるパーソナリティの持ち主でもあったろうし――


ウルトラマン自身にもドラマ性やタテ糸を! アークの声優に俳優・萩原聖人が登板した是非! 前作『ブレーザー』とも比較!


 本稿執筆時点では次回となる#14の予告編によれば、物語のメインストリームとなる、怪獣の巨大な一本ヅノや劇中内での16年前の怪獣大量出現の真相、人間サイズのウルトラマンアークなども主人公青年と同時に並んで出現! 大きなお友だち的には往年のグラビアアイドル上がりでもある佐藤江梨子が、アークを「裏切り者」呼ばわりする悪い宇宙人(?)役で登場するようだ――佐藤と同様、00年代前半にグラドルとして活躍していた眞鍋かをりも、『ウルトラマンR/B』終盤にて主人公青年の母親役で出演していたことはご承知のとおりだ――。


 本話を契機に、ウルトラマンアーク自身のバックボーンやドラマなども小出しにして語っていってほしいものなのだが。もちろん、すべてのナゾや過去を明かしてしまう必要はない。しかし、前作『ブレーザー』のように、それが意図したねらいであっても、作品外での「原始人ウルトラマン」としてのウラ設定などは本編においては微塵たりとも語られずに、最終回までは変身前の人間との関係性も遅々としてほとんど進展しないままであるようでは、個人的には物足りなく思ってしまうのだ。
 言語による会話ではなくても、宇宙の狩猟採集民的な狩人(かりうど・かりゅうど)でもあるらしい原始人的なウルトラマンとしての在り方をシリーズ中盤などにイメージ映像などのかたちで変身者と最低限は共有し、過去に異空間へと吸い込まれそうになった変身者たる地球人を救った「理由」というのか「心情」なども、ベタでも小出しで明かすなどしていってほしかったものなのだが……もしくは、変身者の方が逆にあの時点でブレーザーに救いの手を差し伸べていたなどのヒネりなど……。


 ウルトラマンアークへの変身シーンは、#1と#3においては、実景に両腕を広げた巨大なアークの上半身を合成で出現させて、親が子供を慈しんで優しく包み込むように主人公青年を包摂するイメージで、とても印象的でもあった。アークの声は80年代末期から活躍してきた相応に有名俳優でもある1971年生まれの萩原聖人(はぎわら・まさと)。近年では怪獣ゴジラのフィギュア収集などでも知られていたところでの、マスコミ向けの話題としての側面もあるキャスティングであろう。
 むろん、マスコミ向け対策などは子供たちには無関係な要素なのだが、それがヨコシマな悪いことだとまではいえない。そういったところで少々のメジャー感を少しでも醸していくこともまた、映像業界内でのジャリ番としてナメられにくくするための地位向上・客商売・ショービジネスには必要悪(?)的に必要なのだ(笑)。というか、いかに前近代的身分制度などが制度としてはなくなろうとも、人間社会にそうした「人気」といった格差までもがなくなるとはとても思えないので、それについてはある程度までは受忍すべきであろうし、抑えすぎても不健全なのでもあるからして適量にて発散すべきものでもある。


 人語のみならず、ウルトラマンの掛け声も担当されており、辻本カントクの要望かつ直々の演技指導なのだそうだが、シュワッチならぬショワッチや苦悶の声なども初代ウルトラマンや帰マンにエースのそれをも彷彿とさせている(笑)。全話といわず各話でもっと変身前の青年とも会話をしてほしかったところなのだが、そこはギャラ的にもムズカしいのであろうか?


 年長マニア的には、#3において主人公青年の祖母役としてベテラン女優・根岸季衣(ねぎし・としえ)がキャスティングされていたこともゴージャスではあった――『仮面ライダーディケイド』における「仮面ライダーカブトの世界」編に、根岸と嫁姑の関係役でも共演したことがあったベテラン俳優・佐々木すみ江がゲスト出演した際のサプライズにも匹敵!――。


 もちろん、萩原は#3にて主人公青年の死してしまった父親役も回想シーンで演じている。すると、アークの声が萩原聖人だということで、父親の魂・精神はアークとも合体しているとも大勢のマニア諸氏は解釈するであろう。
 そうなるとマニア諸氏はまた、宇宙から飛来した『ウルトラマンダイナ』(97年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971201/p1)の基となった「光」の正体が、実は宇宙で行方不明となっていた主人公青年の父親そのものでもあったとされた、往時のメインライター自らが手掛けた小説版『ウルトラマンダイナ』(20年)なども想起してしまうことであろう。20年以上もあとの後付け設定ではあって、これが公式設定となるのかは不明だが。
 しかし、神秘の宇宙の光ではなく父親そのものだったとなってしまうと、「公」よりも「私」! 身内・お仲間内閣(笑)に対する私情を優先! といった感じでスケールが小さくなってしまう感もあるのだ。そうであれば、「何らかの高次存在としてのウルトラマン(の光) > 父親 > 主人公青年」といった3層構造での三位一体構図などにして、「公」と「私」をうまく両立・昇華していってほしいものなのだが。


ウルトラマンへの変身後にも、変身前の青年が変身アイテムを披露しつつ顔出し出演することの効用!


 2010年代に再開されたTVのウルトラシリーズの第1作目『ウルトラマンギンガ』(13年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200819/p1)~『ウルトラマンデッカー』(22年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20221016/p1)までの10作品においては、変身前の青年がウルトラマンに変身して以降も、インナースペース(内宇宙)なるウルトラマンの体内――物理的な体内というよりも精神世界――でもあるというナゾの異空間にて、変身前の青年が顔出しでも登場して片手に変身アイテムも持って、セリフもしゃべりつづけることで人間ドラマも継続できるようになっていた。戦闘時の好調やダメージを直接に表情演技でも表現してみせることで、バトルとドラマの一体化をついに実現できてもいたのだ。


 しかして、やや本格リアル志向でもあった前作『ウルトラマンブレーザー』では、これを幼稚であって本来の「ウルトラ」らしくはないとも思ってか、このインナースペースは実質的に廃されてしまってもいた。それでもブレーザーが追加の能力を発揮する際に、腕時計型の変身ブレスレットにストーン(メダル)を装着して盤面にLEDによる光の模様が輝きだすシーンだけは、そのメダル名を叫ぶワケでもなく無言ではあったものの、一応の販促&映像的な華(はな)をもたらしてはくれていた。
 しかし、本作『アーク』においては、前作『ブレーザー』と比すればイイ意味でマイルドかつ明朗な子供向け王道志向に戻ったようには見えたものの、変身後の青年がインナースペースにて顔出しで出現しつづけてベラベラと会話も継続させる処置が、ついに完全に廃されてしまってもいる。


 ウルトラマンアークが太陽や月のアーマーをまとう際には、一応はインナースペースとおぼしきナゾ空間にて、中空に浮かんだ変身アイテムのみが映されて、単体だけでルービックキューブ的にグルグルと動いてはいる。しかし、そこには変身前の青年が自らの手で動かしてみせるような映像は存在していない。勝手に変身アイテムのみがグルグルと動いているのだ。
 いや、論理的には変身アイテムを可動させることでアーマーを召喚しているといったことはウッスラとはわかるのだ。けれども、人間の青年がその手に直に持って「ソリスアーマー!!」「ルーナアーマー!!」などと叫びつつ、ガチャガチャとした少々重たい手ざわり・肌ざわりをも感じさせつつでの、ゴリゴリ・グルグルと効果音も立てての可動をさせていくような映像演出などもなければ、やはりその変身アイテムこそがアーマーを召喚できたのだ! といった論理ではなく「実感」や、変身アイテムやアーマーの有り難みもカナリ弱くなってしまうのではなかろうか?


 いや、この方が本来の昭和ウルトラや00年代までの平成ウルトラに近くなっていてカンゲイだ! といった声ももちろんあるのだろう。それはそれで、個人の好みは尊重はするし否定もすべきではない。しかし、個人的には今どきの子供たち、あるいはそのママ層、あるいは年若き特撮マニアたち――といっても20代以下というワケではなくもう中年の40代以下(笑)――の大勢にとっても、変身後の青年が顔出ししており、「コレ見よがし」での変身アイテムの可動部分をガチャガチャと動かしながらでの戦闘シーンを繰り広げてみせた方が、カンゲイされるのではなかろうか?


 ウルトラマンたちの手持ち武器や各種アイテムについてもいえる。ウルトラマンアークの両眼の意匠が取っ手に付いた長剣が、アークの両眼に手をかざすと出現するのは面白い趣向だとは思うのだ。


 しかし、ポッと出の武器ではなくって、


ウルトラセブンから受領したウルトラマンゼロのウルトラゼロブレスレット
ウルトラマンノアから受領したウルトラマンゼロのウルティメイトブレスレット
ウルトラマンタロウから受領したウルトラマンギンガのストリウムブレス
ウルトラマンキング由来でウルトラマンギンガとウルトラマンビクトリーが用いたウルトラフュージョンブレス
ウルトラマンヒカリが製造してウルトラマンビクトリーに授与したナイトティンバー
●同じくウルトラマンヒカリが製造してウルトラマンジードとウルトラマンゼロとなぜかナゾのSF作家センセイまで使用するウルトラカプセル
●同じくウルトラマンヒカリが製造してウルトラマンゼットに授与したものの、ふたりの悪役にコピーされてしまった変身アイテム兼、こぶしで握る武器でもあったウルトラゼットライザー
ウルトラマンヒカリの部下でありウルトラマンタロウの親友でもあった闇落ちする前のウルトラマントレギアが製造した、タロウの息子・ウルトラマンタイガの変身アイテム・タイガスパーク


 ……ただのバンダイ製の玩具であったハズなのに、そういった因縁バックボーンが言明されると、とたんに尊いオーラをまとって見えてくるのだ(笑)。


変身時の掛け声! 名乗り! 必殺ワザ名を叫ぶことの是非! そのマニア間でのネタ的な受容の高度さ!


 同じようなことは、他の要素についてもいえる。2010年代に再開されたTVのウルトラシリーズにおいては、先の『メビウス』の「世界観」というよりかは「作劇」を、意識的にか無意識にか踏襲もしていた。つまり、昭和や00年代までの平成のウルトラマンたちや怪獣攻撃隊の隊員たちはその必殺ワザ名や武器名を絶叫したりはしなかった。


 しかし、往年の巨大ロボットアニメ『マジンガーZ(ゼット)』(72年)や『ゲッターロボ』(74年)などのように、


●『ウルトラマンギンガ』(13年)は「ギンガクロスシュート!!』「ギンガファイヤーボール!!」と叫んで両腕をL字型に組んでの必殺光線や必殺火球を放っている!
●『ウルトラマンギンガS』(14年)に登場した2号ウルトラマンこと地底人の青年が変身するウルトラマンビクトリーも「ビクトリウムスラッシュ!!」と叫んで足のツマ先から光弾を放っている!
●『ウルトラマンX』(15年)も「サナディウム光線!!」と叫んで一度は左後方にヒネった上半身を戻してから両腕をX字型にクロスして必殺光線を発射していた!


――人間たちはその必殺ワザ名をついに知らなかったことから、人間には聞こえていないといったウラ設定ではあろうが――


 00年代後半からの平成ライダーたちもそうであったが、


●『ウルトラマンオーブ』(16年)は「(初代)ウルトラマンさん! ティガさん! (カード化された)光の力、お借りします!!」と叫んで、
●『ウルトラマンジード』(17年)も「You Go(融合)! I Go! Here We Go!!」(笑)などと、センスは良くないB級イロモノ的なセリフも叫んで、


双方ともに変身アイテムに2種のカードや2種のカプセルを挿入していくシークエンスを、数十秒もかけて長々とアップ映像で見せつけつつ、ウルトラマンへの巨大化変身を見せていた。
 この趣向は2020年度の『ウルトラマンZ』で「ご唱和ください、我の名を! ウルトラマンッッッ、ゼッットォ!!」と絶叫しながら変身することでの悪ノリで頂点に達して、子供間でもマニア間でも大ウケしてもいた。


 これらも80~00年代中盤までのまだまだマジメであった特撮マニアたちであれば、子供に媚びた作劇だとして大激怒していたことであろう。しかし、「ウルトラ」や特撮変身ヒーローものはまさにその「子供向け」そのものなのでもあって、そこを批判すること自体がヤボである! 思春期・青年期の中二病的なマニアの態度である! むしろ、子供向けでもイイではないか!? あるいは、再帰的に一周まわって確信犯での子供向けに撤することで、単なる本格リアル志向ともまた別種の、往年の『激走戦隊カーレンジャー』や『超光戦士シャンゼリオン』(共に96年)的にもヒネった、年長マニアにこそまた受けるギャグやコミカル風味も出せてくるのだ……といった見解が、2010年代以降になるや、マニア間でもフツーに普及・一般化してきて多数派になっていたのだ。
 ……といっても、『カーレン』『シャンゼ』は双方ともに当時の子供たちにも大ヒットしたワケではなく、むしろマニアにこそ受けていたあたりで、事態はまた複雑なのだけど……。


 そう。00年代中盤以降、特に10年代においては常態化していく、平成ライダーたちの変身時や変身直後の「天の道を征(い)き、すべてを司(つかさど)る!」「オレ、参上!」「ただの通りすがりの仮面ライダーだ!」「さぁ、お前の罪を数えろ!」などといった、半分は笑ってしまうけど半分はカッコいい、珍妙な名乗りセリフがまたネタ的にも受けており、皆もマネして特撮マニア間でのコミュニケーション・ツールにまでなってしまったのとも同様に、これら2010年代のウルトラマンたちの変身時のお決まりの口上なども、B級・ロウブロウ(低俗)であることは重々承知のうえで、あえてそれらを楽しむ! ……といった、キズついて欠けている要素にこそ詫び寂び・風情をも読み込む千利休(せんのりきゅう)的な、ある意味でそれこそが本格リアル志向の作品の鑑賞などよりも、マニアたちの複雑かつ高度なたしなみでもあるような「ネタ消費」までもが、ここ10数年は連綿となされてきたのだ。ぶっちゃけ、それらが大いにウケてもきたのだ。


 もちろん、だからといって人間ドラマ性や社会派テーマ性がないがしろにされてきたワケでもなかった。しかし、むしろ明朗快活な「ネタ性」が投入されたことによって、子供番組としてはやや重たい、あるいは男児たちにとっては気恥ずかしくなって遠ざけてもしまいそうな、ニガ味があったり感傷的であったりするドラマもまた直後に中和されてメリハリがついたり、コミカルな日常へと最後に着地することによってイイ感じにする、実にクレバーな作劇にも結果的には成りえてもいたのだ。


 たしかに昭和ウルトラは魅惑的であった。しかし、昭和ウルトラや90年代の平成ウルトラが、そのままの作劇で今の時代に通じるとはとても思えない。あるいは、80年代以降においては、昭和ウルトラそれ自体もすでにやや古かったとは思うのだ。いかに初期ウルトラシリーズが偉大であっても、80年代以降に仮に初代『ウルトラマン』がまったくの新番組だとしてTV放映されたとしても、やはりシンプル・素朴・オーソドックスに過ぎるので、最低限の人気は集めえたとしても、子供番組や子供文化のメインストリームに君臨できたとはとても思えないのだ。


 それでは、どうすればよかったのか?


今後の「ウルトラマン」作品はドーあるべきなのか!? 熱血! ライバル! 先輩ヒーロー客演!


 1番目は、巨大ヒーローvs巨大怪獣ものといった基本ラインは押さえつつも、マニアではなく圧倒的多数派の子供・大衆たちにもウケるように、登場人物をマンガ・アニメ的に適度に戯画化して、セリフなどにも「少年ジャンプ」のマンガ的な熱血絶叫風味も加味しつつ、作品の血液温度を上げていくことである――『メビウス』や2010年代ウルトラの初作である『ギンガ』~『デッカー』まで、すでにそうなっていたともいえるが(笑)――。


 2番目は、ヒーローvs巨大怪獣の1話完結図式だけでも、幼児にはともかく小学生にとっては、あるいはオタク第1世代などは除いた年長マニア諸氏にとってはルーティン(繰り返し)に過ぎてしまうので、第3勢力・ライバルキャラ・ダークヒーロー・敵幹部キャラといった、1話完結の予定調和を打ち破る存在を導入していった方がイイとも思うのだ。
 『ウルトラマンギンガ』においては、闇のエージェント(敵の中堅幹部キャラ)としてシリーズ前半にはバルキー星人が、シリーズ後半にはナックル星人が登場していた。続編『ギンガS』においても、チブル星人とガッツ星人がダブル敵幹部を務めてもいた。
 『ウルトラマンオーブ』ではナゾの青年・ジャグラスジャグラーが、『ウルトラマンジード』でもナゾのSF作家センセイが、『ウルトラマンR/B』でも壮年の憎めない愛染マコト(あいぜん・まこと)社長が、『ウルトラマンタイガ』でもピエロのようなナゾの青年が、悪のヒーローや悪いウルトラマンへと変身して、レギュラーキャラとしても登場することで、作品が1話完結ルーティンの予定調和におちいってしまうことから救ってもいた。


 すでに50年以上も前の70年代前半においても、東映変身ヒーロー『人造人間キカイダー』(72年)におけるハカイダー、特撮時代劇『快傑ライオン丸』(72年)におけるタイガージョー、飛んで80年代前半においても、『科学戦隊ダイナマン』(83年)におけるダークナイトスーパー戦隊シリーズ超電子バイオマン』(84年)におけるバイオハンター・シルバなどのスマートな悪のヒーローが、1話完結のルーティンを打ち破るものとしてシリーズ後半から登場してきて、幼児はともかくさすがに小学生であれば飽きてきてしまうであろう各話のマンネリ展開を破壊し、子供たちの興味関心をあらためて惹起させてもきたのだ。
 その意味でも、個人的にはこれら2010年代のウルトラシリーズでの第3勢力や、『オーブ」における「惑星侵略連合」に『タイガ』における宇宙人犯罪組織「ヴィラン・ギルド」などの第4勢力といった趣向には、そのすべてが成功していたとは思わないものの、ねらいとしては大賛成ではあったのだ。


 3番目は、『ウルトラマンX』でも同様の試みはあったが、『ウルトラマンZ』(20年)~『ウルトラマンデッカー』(22年)の3作品におけるシリーズ前半においては、前作や前々作のウルトラヒーローが並行宇宙を突破したとのSF設定などで世界観をも超えて助っ人参戦! シリーズ後半においても昭和や平成の往年のウルトラヒーローが同様に助っ人参戦を果たしてみせる、ヒーローひとりだけでは倒せない強敵に対してのいわゆる先輩ヒーロー共演のイベント編が必ず設けられて、しかも往年の昭和の第2期ウルトラシリーズとは異なり、現役ヒーローを引き立てるための噛ませ犬などにはならずにしごく壮快なる大活躍をすることで、視聴者を定期的に熱狂させることになっていたが、この方法論の積極的なる再採用なのである!


 もちろん、これは年長もとい高齢オタクたちだけが喜ぶ内輪ウケ的な趣向だとも思えない。自身の幼少期を振り返ってみてみても、リアルタイムで観賞したワケではないものの作品タイトルの看板を張ったこともある、戦隊ならぬ単体の先輩ヒーローが助っ人参戦をしようものならば、あるいは昭和のウルトラ兄弟たちが勢ぞろいをするだけでも、それだけで大コーフンをしたものなのだ。
 ちょっとググってみせても、昭和の先輩ヒーロー客演にはリアルタイム世代ではない若年オタクたちの方が熱狂していたりもする。ヒーロー共演のみならず、それがもたらす作品の背後にある世界観のヨコ方向での広がり&スケールの雄大さをも同時に感じさせる効果もある。それらを考えれば、現今の子供たちにとっても実に魅惑的な普遍性もある趣向だろう。


――『ウルトラマンデッカー』#18~19の『ウルトラマンエース』の宿敵・異次元人ヤプール復活編においては、月面を舞台に前作ヒーローのウルトラマントリガー&デッカーとの共闘が描かれたが、トリガーとの共闘はすでに#7~8の前後編でも描かれていたので悪くはないけどパンチは足りない。欲を云えば、この#7~8との差別化として、『ウルトラマンZ』終盤にて客演したばかりではあってもウルトラマンエースにも再客演をしてもらって、その客演編にも登場したばかりであった殺し屋超獣バラバの着ぐるみもまだ残存していたであろうから、エースともども取って付けたようでもイイので再登場させてほしかったところだ――


 同じ理由で、最終回後の続編劇場版なども、『ウルトラマンデッカー』以降、前作ヒーローとの共演路線を廃止してしまっているのだが、これもよろしくないよなぁ。デッカーの着ぐるみを微改造した色違いの新ゲストウルトラマンなどを登場させるよりも、TVシリーズにもゲスト出演したばかりで顔なじみもある未来人が変身した未来のウルトラマンデッカーやデッカーの原典ことウルトラマンダイナとの共演映画を作った方がよかったのではなかろうか?
 ミニチュアの精巧な国会議事堂の破壊を見せ場にするよりも、前作ヒーローや先輩ヒーローとの共演映画の方が絶対にワクワクさせられて訴求力・集客力・お祭りイベント感もあるのだし、子供たちこそ観たくなるものでもあろうから、前作ヒーローとの共演路線や時折りの大集合映画の復活を希望!


 TVシリーズの最終展開も、たとえ不謹慎でも通常編とは異なるものとしての、もっとスケールの大きなが絵がありき! 地震や火山や空爆や占領下の地球や、月や惑星が砕けたりブラックホールに落ちていくなどの地獄絵図なビジュアルのシチュエーションがありき! そこから逆算しての逆転劇や人間ドラマをトッピングしていく……といった発想での作りにしていってほしいなぁ。特撮ジャンルとは本質的に不謹慎なものなのだ(汗)。むろん、特撮ジャンルのなかでもヒーローものは、最後には道徳的に正しい方が勝利するハッピーエンドものでもあるけれど!
――もちろん、現実世界では正しい者が必ず勝つとはかぎらない。しかし、子供向けのヒーローものから卒業しないのは我々オタクくらいなのであって(爆)、フツーの子供は思春期以降になれば次第にオトナ向けのTVドラマや(ひとり)ボッチもののラノベやアニメなども観たり、どころか実地に身をもって体験したりもして、現実社会でのニガ味やその際の身の処し方や保ち方に戦い方をいやがおうでも学んでいくのだ。だから、そのあたりの欠如をヘンに心配したりする必要もないのだ(笑)――


明朗化させた場合に犠牲になりがちなドラマ性&テーマ性だが、両立させる方法もある!


 むろん、筆者なども長年の酷評に甘んじてきた昭和の第2期ウルトラシリーズの擁護派として、それらの子供番組としては高度でニガ味もある人間ドラマ性の高さに10代中後盤にて気付いて、それ以降は大スキではあるのだ。しかし、それは二律背反でもあるのだ。その高度さゆえに長じてからの幾度もの再観賞にも堪えうる作品にはなったとはいえる。けれどそれゆえに、放映当時の子供たちはもっと乾いた感じの活劇的で戦闘的な昭和の『仮面ライダー』シリーズや『マジンガーZ』シリーズなどの方に、より夢中になってしまったともいえるのだ。
 あるいは、第2期ウルトラシリーズの高いドラマ性や叙情性に当時の幼児はともかく小学生なども気付いてはいたのだろう。しかし、先にも言及したとおりで、特に小学生男児などはそういった叙情的・感傷的なものに心動かされてしまうことに男子としての弱さにも通じる気恥ずかしさなども感じることで敬遠してしまうものでもあるだろう……これが中高生にでもなれば、もうオトナの態度でそれをイイ! とハッキリと肯定できたりもするのだが……。


 たとえば、1971年の『帰ってきたウルトラマン』にてウルトラシリーズにナマっぽい人間描写を本格的に導入したメインライター・上原正三センセイは、1973年の『ロボット刑事』にて東映特撮に移行してからは、『帰マン』ひいては第2期ウルトラ的なやや湿ったドラマなどではなく、ハードボイルドやスパイアクションであったりして、ドラマはあっても男児がテレてしまわない範疇でのベタつかない乾いたものとして、(一部の論者たちの見解とは異なるものの)実に子供番組としての(当時なりの)バトル性とドラマ性のバランスが取れたものとしての作品を仕上げてみせていたあたりは、強く指摘をしておきたい。


 先にもふれたが、ウルトラシリーズのメイン監督に初昇任した辻本カントクとしては、ウルトラシリーズに対しては昭和の第2期ウルトラシリーズであった『帰マン』や『エース』のようなイメージを抱いていたとも語っている。
 そうなると、我々のような特撮評論オタクたちは、民間人レギュラーのホームドラマ性や青春ドラマ性に、怪獣攻撃隊の隊員たち同士の不和や齟齬に孤立、価値観対立のドラマなどのことをつい想起もしてしまう。
 しかし、それ自体がまた実に正しい分析ではあっても(笑)、卒業できずに中高生以降も「ウルトラ」シリーズを観つづけて、そのドラマ的・テーマ的な内実をも解題しつづけてきたガチな特撮マニアとしての特殊な見方でもあったのだ。


 第2次怪獣ブーム(=変身ブーム)と第2期ウルトラシリーズのトップバッターこと『帰マン』放映年度の1971(昭和46)年生まれでもあった辻本カントクにとってのウルトラシリーズの原体験は、1978~80年前後の第3次怪獣ブームの時期に集中的に再放送がされていたウルトラシリーズに対しての印象でもあるだろう。氏がまだ小学校の低学年~中学年の時期でもある。その年齢では、『帰マン』の人間ドラマ性や『エース』の熱血明朗なようでも異色作や孤立ドラマなどが連発される作り(笑~私的には大スキだけど)には、まだまだ気付けていなかったハズだ。


 そういった意味では、幼児にとっての漠然とした、


①:「歴代シリーズをバックボーンとしつつも、最新の巨大ヒーローvs巨大怪獣との戦い」を描くものとしての「ウルトラシリーズ作品」
②:そして他社の特撮作品と比してしまえば「豪華・ゴージャス」なものとしての「ウルトラシリーズ作品」


といったフワッとしたイメージを本作『アーク』にて再現してみせる! といったところがねらいなのではなかろうか? 仮にそうだとして、そういったねらい方はそれはそれで正しいねらい方だとも思うのだ。知ってのとおりで、近未来的な怪獣攻撃隊が登場させられない段階で、どうしたって『帰マン』や『エース』とは異質なものになってしまいはする……。しかし、それであっても! といったところでの「チャレンジ魂」(笑)ではあるのだろう。


「想像力」も本作のキーワードだが、それをどう描けばよかったのか!?


 とはいえ、本作は「想像力」もキーワードであったハズだ。腐れオタク諸氏はまた、この「想像力」をまさにテーマ(ノルマ)としていた『烈車戦隊トッキュウジャー』(14年)や『魔進(マシン)戦隊キラメイジャー』(20年)をも想起することであろう。よって、全話といわず各話での勝機となるかたちで、主人公青年の幼少期の「ぼくのかんがえた、さいきょうのヒーロー」の落書き帳が活かされていないあたりは残念だ――各種インタビューによると、ウルトラマンアークのイチイチの小ワザも主人公青年の「幼少期の空想」由来ではあっても、尺の都合でカットされてしまってはいるようだが――。
 いっそのこと、本作『アーク』においても、ダメ押しで『ウルトラマンジード』の主人公青年のように、成長を遂げて自身がホンモノの変身ヒーローにもなれたともいうのに、それとは別腹(べつばら)なのであろうか、いまだに卒業できずにTVの特撮変身ヒーローものを喜んで観賞していたような、イタい青年キャラにしてしまえばよかったのに~(笑)。


 しかし、幼児にはともかく小学校の中学年以上にでもなれば、このデッサンが狂った頼りない子供コドモした、子供時代に空想したスーパーヒーロー(=ウルトラマンアーク)の落書きは、背伸び盛りの子供番組卒業期の子供たちには気恥ずかしくてイヤがられてもしまったり、むしろ卒業をうながしてしまう要素にもなりうる危険性もあるであろう。もちろん、それをも先回りして劇中内にてクレバーなエクスキューズを入れれば万全とはなるのだが、ムズかしいところではある。
――たとえば、この落書き帳には続きのページもあって、中高生以上になってからの落書きには、8頭身の実に写実的なウルトマンアークのイラストなども描いてあったりしていれば!(笑~それによって、小学生には許容されても、成人オタク諸氏にとってはそれがまたイタくもなるのだけど、それは年長マニア向けのメタにメタを重ねたギャグとしても機能するのだ!)――


アーク(円弧)を描いての必殺光線にもうひと押し! しかし、バリアー技や特撮演出は快調!


 あとは、「アーク」の語句が「円弧」や「虹」を意味するので、ウルトラマンアークが真っすぐに伸ばした両腕で円弧を描くようなボディーアクションなども取ってから必殺光線を放ってはいるものの、そちらの不徹底もモッタイないとも思うのだ。タメというのかもう少しゆっくりと円弧を描いて、描き終わった直後にもその円弧がひと際に輝くようなダメ押し強調演出が個人的にはほしいのだ。もちろん、そこが作品の致命的な欠点になるなぞとは云わない。しかし、ウルトラマンエックスやウルトラマンゼットのようにワザとらしくても「X」や「Z」字型に両腕を組んだり、大空へと帰還する際にはワザワザ「Z」字型にジグザグ飛行をするような適度なケレン味もあるイロモノ性もほしかったなぁ(笑)。


 とはいえ、ウルトラマンアークが光学合成バリアーを多用するあたりは好印象である。特撮オタク諸氏もまた子供時代に初代ウルトラマンマンやウルトラマンエースウルトラマンエイティなどがその前面に頭上~足元までも巨大な光学合成バリアを張って怪獣からの火炎や光線攻撃を防いでいだシーンが、神秘的にしてヒーローの超越性・万能性をも感じさせるものとして非常に印象深かったことであろう。その感慨こそがヒーローものの特質なのだ! あるいは、非日常を魅せる「特撮」ジャンルの特質なのだ!
 それらが不要だというのであれば、最初から一般のドラマやヒーローなぞは登場しない良質な児童向けドラマだけを観ていればよいことになるし、原理的にも永遠にジャンルとしては自立できずにそれらの後塵を拝しつづけるしかなくなる。
 辻本カントクは『Z』におけるエース客演編でも、エースがウルトラネオバリヤーを張ったままで歩行前進しつつ、バリアの横に出した手先から矢ジリ型のスラッシュ光線を連発しつづけたり……などといったアクション演出にも目覚ましいものがあったのだ。この客演編におけるエース同様に、アークもこのバリアを直接に手に持ってしまう!(光線・光の亜種であろうに物理的な実体があったんかい!?・笑) 加えて、持ったバリアで敵怪獣を殴ったり、ふたつに割ってガラスの破片のようなトガった武器ともする! コンプライアンス的にはともかく、実にカッコいいのだ!


 もちろん、2010年代以降のハイビジョンカメラの小型化や高画質化、遠近が強調される広角レンズの多用などもあるのだろうが、『ウルトラマンX』以降、特にピントの合ったアップの場面などでは精巧な自動車や樹木に小物なども相変わらずに豊富だ。予算節約のために本編監督が特撮監督も兼任する体制になってからも久しいものの、むかしは不可能であった奇抜なアングル、パースペクティブ(遠近感)を強調した美的でアニメ的なアングルなども含めて、ミニチュア特撮・ヒーローアクションそれ自体は本作でも演出・アイデア面も含めて絶好調であった!



 あくまでも好みではあるが、筆者個人は実は90~00年代の「ウルトラ」作品よりも2010年代以降の「ウルトラ」作品の作劇の方を高く評価する者でもある。しかして、『タイガ』と『ブレーザー』はイマイチ地味ではあったかな? といったところで、今のところは本作『アーク』もまたイマ半で地味には感じているものの――それでも90年代~00年代前半における「ウルトラ」作品よりも個人的には高く評価しているけど――、シリーズ後半におけるさらなる挽回を切に期待したい!


(了)
(初出・特撮同人誌『『仮面特攻隊2024年9月号』(24年9月22日発行)所収『ウルトラマンアーク』前半合評2より抜粋して加筆)


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