假面特攻隊の一寸先は闇!読みにくいブログ(笑)

★★★特撮・アニメ・時代劇・サブカル思想をフォロー!(予定・汗)★★★ ~身辺雑記・小ネタ・ニュース速報の類いはありません

ウルトラセブンX ~シャープでクールだが、ヘビーで陰鬱にあらずの小粒良品!

『シン・ウルトラマン』徹底解析 ~賛否渦巻くワケも解題。映像・アクション・ミスリードな原点回帰・高次元・ゾーフィ・政治劇・構造主義・フェミ!
『ウルトラマンネクサス』#1「Episode.01夜襲 -ナイトレイド-」 ~ハイソな作りだが、幼児にはドーなのか!?
映画『ULTRAMAN(ウルトラマン)』寸評 
拙ブログ・トップページ(最新10記事)
拙ブログ・全記事見出し一覧


[ウルトラ総論] ~全記事見出し一覧
[ウルトラ] ~全記事見出し一覧


ウルトラセブンX(エックス)(ULTRASEVEN X)』 ~シャープでクールだが、ヘビー・陰鬱にあらずの小粒良品!

(文・T.SATO)
(2007年12月上旬執筆)


 通常の子供向けTV特撮ではなく、年長マニア向けの深夜ワクでの深夜アニメならぬ深夜特撮として『ウルトラセブンX(エックス)』(07年)が登場。


 番組の公式ホームページによれば、


 「オリジナルのウルトラセブンとの関係は? 同一人物なのか、それとも……? それこそが、全話を貫く最大の『謎』なのだ。」


 ……と云っているから、同一人物かはともかく、本家・元祖の『ウルトラセブン』(67年)と関係性があるんですヨ!、それが最終回近辺で明らかになるんですヨ! って明言しているようなものである(笑)。


 キレイきれいな清潔感あふれる硬質な近未来都市ではなく、今やSF洋画の古典『ブレードランナー』(82年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20171110/p1)のような退廃的かつ東南アジア的な猥雑で活気に満ち満ちた未来都市。


 それに、日本のSFアニメ『マクロスプラス』(94年・TVではなくビデオ展開・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19990904/p1)や『機動戦艦ナデシコ』(96年)などでもおなじみ、CGで表現されている、中空に浮遊する多数の「標識」やら「CM」やら「ニュース」――といっても、本作では白黒映像(!)で人工映像的なキャスターの顔のドUPが表示されているだけ!――やらを擁している都市空間。


 つまりは、『ブレードランナー』と『マクロスプラス』などをミックスしたような世界観なのだ。だからこそ革新的なのだ! と主張するような気はなくて(笑)、2007年現在ではありふれてしまった、周回遅れの陳腐・凡庸な近未来世界観だともいえるけど、それがまたパスト・フューチャー(=過ぎ去った未来。20世紀から見た21世紀感)な適度にシブ味もある味わいを出してもおり、こういったビジュアルを国産実写特撮でキチンと映像化してみせたのは本作が初に近いのではなかろうか?


 退廃的かつ猥雑かつ活気にも満ちた、中空に多数の「標識」「CM」「ニュース」が表示されている未来感あふれる「世界観」設定。それは結局、セリフやドラマではなく、「画」(絵)でこそ適切に表現されるものなのだ!


 まぁまぁ面白い。深夜ワクのヤングアダルト向けなのだから、子供が観ても面白いか否かのモノサシを当ててみせることも的ハズレだ。コレはコレでイイと思う。


 とはいえ、今時の若者なり若いオタクにとってのデザイン的な意匠のハイセンスさの方向性は、雨宮慶太(あめみや・けいた)カントクの『牙狼〈GARO〉(ガロ)』(05年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060317/p1)のような複雑・東洋・曲線・突起的なディテールアップされたデザインや美術などの方向性だろうとも思うので、そんな中ではウルトラセブンのような古典的でシンプルな変身ヒーロー然としたデザインが、「イの一番」の訴求力を持っているのか、カッコよいと思ってもらえるモノになっているのかどうかについては……。そのへんでは、どうしても近年のヤングアダルト向け深夜特撮に、若い世代への訴求では譲るものがあるのだろう。


 でも、老舗(しにせ)の円谷プロダクションが作るのならば、そしてその独自性を出すのであれば、「『ウルトラセブン』40周年」という一応のホットな話題性や時事性を付加するためにも、本作『ウルトラセブンX』のような元祖『セブン』をハイブロウに作り直したかのごとき作品に帰着するのもムリはないし、一応の合理性はあるというべきだ。


 
 正直、出来上がった作品自体は、円谷プロの長い歴史の中で存在した「映画」や「ビデオ」や「深夜ワク」などの各種作品と比すれば、「シャープ」で「クール」で「スマート」なカッコよさ自体は、映像的にも演出的にも世界観的にも打ち出せている。
 しかし、正統のTVの『ウルトラ』シリーズの一作品でもありながらも、打ち切りの憂き目にあってしまった『ウルトラマンネクサス』(04年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20041108/p1)のような、「人間を捕食するホラー系ゲロゲロモンスター」や「連続ドラマ性」に「主役を窮地に陥(おちい)らせつづける陰鬱な作劇」を行なってみせていた作品も、数年前にあったばかりなので(汗)、あの『ネクサス』と比すれば「ヘビー」かつ「陰鬱」さにおいては負けている。いや、負けていてOKではあるのだけど(笑)。そーいう意味では、イイ意味での寸止めにとどめられて、実は一方では口当たりのよいマイルドな作品にも仕上がっていると思うのだ。


 よって、実は決して斬新でもないのだが、それゆえに実にバランスもよいようには思うのだ。



 ここで、なぜ本作が「斬新」ではない! ということを筆者が強調するのかということを少々説明していく。
 今となっては極少数の存在にとどまるのであろうが、ある意味で本作は、「初期東宝特撮至上主義者」や「第1期『ウルトラ』至上主義者」たちが、そしてその中でも「SF性」をこそ愛好する人種たちが、今は大昔(汗)の1980年前後に夢見たような「ハイブロウ」さと「クール」で「ハイソ」(ハイソサエティー=高級)な映像センスを、ようやっと実現できたような作品でもあるからだ。


 もちろん今となっては、「コミカル」や「ナンセンス」や「チャイルディッシュ」さの良さも再発見されたあとの特撮マニア界にあっては、そのような素朴なまでの「ハード」で「シリアス」な「リアル」志向は「中二病」として揶揄される運命が待つほどに成熟してきてはいるのだけど(笑)、それでも少数はそのような意見にやはり遭遇する機会があったので、ついつい水を差したくなってしまった次第だ(汗)。


 よって、『セブンX』が実現した方向性こそが唯一至上! 本来のあるべき姿! 日本特撮の進むべき未来なのだ! などと云う気は毛頭ないことをクドいほど強調させてもらった上であえて云うけれど、あまたある作風のバリエーションのひとつとしてならば、こーいうハイブロウ志向の日本特撮があってもイイ!
 むしろ、あってしかるべき! 断続的にではあっても『セブンX』のようなシャープでクールな近未来SF感にもあふれた作品も製作されて、そちらの志向の人間――ガチガチのSF志向者なり、児童向け作品卒業期のマニア予備軍の子供たち!――をもゲットしていかなくてはイケナイともまた思ってはいるのだ。



 そういった前提の上で、さらに云うけど、やはり本作の大スジとしてのねらいとはまた別に、細部における粗(あら)も少々気になってはいるのだ。


 特に第1話『DREAM(ドリーム)』(脚本・小林雄次 監督・八木毅)において、ウルトラセブンXになぜだか変身して戦う運命を与えられた主人公の長髪イケメン青年・ジン。彼が冒頭から記憶喪失の状態で自室で目覚めるのは実によい。


 しかしそのあと、彼の職業でもある秘密組織・DEUS(デウス)の諜報員である仲間1名(レギュラーキャラ)ことケイ青年と酒場での会合の場を持ったときに、その仲間1名が最初は記憶喪失が彼の冗談だろうと取り合わないことはイイとする。


 しかして、会話の進展にともなって、彼の記憶喪失をシャレではない重大事だとして捉えて、それに驚愕してみせるような感情の上下変動のドラマを作って、視聴者にも重大事だとナットク・追体験させてみて、そして仲間1名が上層部に事の次第を報告するか否かについての逡巡をさせない作劇というのはドーなのであろうか?(……それでは、ストーリーがややこしくなってしまって30分尺では終わらなくなってしまうのならば、なぜか上層部も取り合わずに問題視さえしない作劇にするとか……)
 事の次第を正直に報告してしまうと、彼がクビになるどころか、消されてしまいそうだから(汗)と報告をしないことにするとか……。あるいは、その記憶喪失という事態を上層部には報告せずに、彼とのふたりだけの確信犯的なヒミツの共有事項とすることで、女性視聴者(の一部・笑)にBL(ボーイズ・ラブ)的な消費をも可能とさせたり、そして徐々に彼の記憶を回復させていこうとする行為をシリーズのタテ糸にしてみせるとか……。


 このテの作品では過度にリアルに考えてしまうこともまたヤボなのだけど、それでも少々リアルに考えてしまうと、記憶喪失を抱えたままで諜報員の活動を継続していくことには、中学校の教師と地球防衛軍の隊員の二足のワラジを履いていた『ウルトラマン80(エイティ)』(80年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971121/p1)ほどではないにしても、少々のムリを感じてしまうのだ(笑)。
 であれば、そのツッコミの隙がある余地を逆用してみせて、もう少しだけ「記憶喪失」という事態を、主人公青年ひとりだけに背負わせずに、仲間1名なりに分担させることで、各話の中にて会話劇のかたちで対話相手に「記憶喪失」という事態を再確認させたり、記憶がないことから生じる葛藤を吐露させて、その葛藤を半分は仲間1名にも負担をさせたりすることで、その仲間1名のキャラをも立ててみせるような作劇にはできなかったものなのだろうか?


 その逆に、たとえばあの仲間1名も実は事前に主人公青年の記憶喪失をとっくに知っていて、それをシークレットにしているプチ・フェイクだったというストーリー展開もアリだろう。そういうかたちで主人公青年に肩を貸してあげてもよかったのではなかろうか?


 ……と思っていたら、第2話以降は、記憶喪失のことはスッカリ忘れて話が進んでいってしまう……。ウ~ム(汗)。まぁ、それ以前に第1話の段階でも、記憶を喪失しているというワリには、あまり葛藤もなくダーティーな諜報組織のお仕事を屈託なくコナしちゃっていたりもするけども。



 そして、第1話のラストでは、ナゾの美女からもらった変身アイテム・ウルトラアイを着眼して超人・ウルトラセブンXへと変身・巨大化!


 ライトアップされた夜のビル街の背景を実景合成した舞台で、巨大宇宙人や巨大UFOと戦うことになるあたりのビジュアルはカッコいい!


 頭頂部のブーメラン武器・アイスラッガーを両手で飛ばす!


 額のランプから発するエメリウム光線


 なぜにそんなワザを初っ端から繰り出せるのか!? といったツッコミも可能なのだけど(笑)、自身に宿った神秘の力が無意識のうちに自分が使用できるワザを教えてくれるのだろう的に好意的に解釈することは可能だろう。よって、個人的には、初変身直後にとまどってオロオロとするよりも、ヒーローの神秘性や超越性を強調していてむしろよいし、好ましくさえ思うくらいなのだ!――むろん、一応のリアル志向で、初変身直後にとまどってオロオロとするようなヒーローもバリエーションとしてはアリだとも思ってはいるので、念のため――


 しかし、元の人間の姿に戻るやいなや……。


 「この力で俺はこの世界を守る。そう心に誓った」


 ……って、早(はや)!


 コレはさすがにドーかなぁ。ダメだとは云わないけど、一応のハイブロウ作品がコレはないかもなぁ。


 少年マンガ的な正義感なりにあふれた熱血主人公少年ではないのだから、ここはもっと悩んでくれよ!(笑) 最終的にはヒーローになってしまった運命を受け入れるにしても、序盤の数話くらいはしばらく葛藤してくれよ!


 まぁひょっとすると、あまりに悩んでも今後の展開や作風がやや暗くなってしまって、まだるっこしくもなってしまうものだから、第1話のうちにそのへんは強引に解決・解消させてしまおう! と気を回したのかしれないという確信犯であれば……許してもイイのかもしれない(笑)。



 イイ意味での幼児・児童向けのユルい世界観を有した作品であれば、シリーズ第2話(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060627/p1)でいっしょに戦闘機の翼にペイントして寝食を共にしたから心が通じて「仲間」だ! といったような、主人公サイドのイイ意味での漫画アニメ的・記号的なレギュラーキャラたちが、脳天気にもそのようにナットクしてしまうような昨年度の『ウルトラマンメビウス』(06年)のようなノリでも個人的には全然オッケーだし、むしろ好意的に思っているくらいだ。
 しかし、もう少し高齢層をねらったのであろう本作のような作品においては、このへんはていねいに描いていかないと、作品自体の品位やリアル度・シリアス度にも少々のダメージを与えてしまいかねないとも思うのだ。


 あぁ、『電子戦隊デンジマン』(80年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20120205/p1)のデンジピンクや、同じく「戦隊」シリーズ『超電子バイオマン』(84年)の女戦士・イエローフォーといった、第2話における戦士になることへの躊躇と決心のドラマといった成果はドコへ行ってしまったのだ? 円谷プロでも往年の巨大変身ヒーロー特撮『ミラーマン』(71年)第1話では、主人公青年がミラーマンになって戦う宿命や、2次元人と3次元人のハーフである自身の身の運命を知って葛藤していたというのに!(笑)



 まぁ、シャープでクールで乾いたSF的な世界観や、そういった風味の劇中内での事件さえ構築ができていればオッケーな人種たちには、そこさえある程度の確保がなされていれば大喜びであって、その中で繰り広げられている登場人物たちのリアクション・心理描写・行動動機に多少の不自然さがあってもスルーをしてしまう傾向がある! という私見をしているのだけど(偏見であったならば、ゴメンなさい)、第1話のラストにおける主人公青年が、世界を守る覚悟を決めたシーンについてだけは、失礼だけどやや拙(つたな)い感じがしてきてしまうのであった。



 余談だけど、同じく2007年秋季に地上波で初放映された、往年の横山光輝(よこやま・みつてる)大センセイの名作古典マンガを大幅にリメイク改変した連続アニメ『GR ジャイアントロボ』(07年・初出はネット配信・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20080323/p1・全話脚本は平成ウルトラシリーズでもおなじみ小中千昭!)などにも、イコールではないにせよ、似たような小さな問題点を感じている。
 劇中で発生するイベント・事件それ自体やシミュレーション的なクールで乾いた攻防戦それ自体は実に面白い。しかし、巨大ロボットを操れる主人公・草間大作(くさま・だいさく)少年がシリーズ中盤にて日本国内から米国だか国連だかの組織に拉致されて、本来の出身組織ではなく敵か味方かについても怪しい組織経由で巨大ロボットを操縦して悪の組織と戦うことになる成り行きに、主人公がナットクするに至る心理的な「葛藤」や「経過」に「決心」の描写がゼロとはいわないまでも浅かったりして、イマイチ腑に落ちてこなかったり物足りなかったりもするのだ。アラスジ・レベルでのストーリー展開としてはそれでイイとして、劇中内での「起承転結」における「転」があった場合には、劇中キャラもそれに対してどのように感じて、どのようにナットクして、今までとは異なった行動を採っていくことに、視聴者をナットクさせることができるレベルでていねいにその内面的な段取りをも描いてほしいのだ。


 「世の中や、人間の行動なんて、実はそんなモノだよ」という、「リアル」というよりも「ナチュラル」さをねらった描写なのかもしれない。しかし、だとしても、やはり「ナチュラル」さなりのドラマ的・心理的な描写はあってしかるべきだろう。たとえば気弱で腕力にも乏しいけど責任感はある主人公青年が、それでも悪とのバトルに身を投じてみせる動機をシッカリと描いてみせている『仮面ライダー電王』(07年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20080217/p1)の主人公・野上良太郎(のがみ・りょうたろう)の某話における、


 「弱かったり、運が悪かったり、何も知らないとしても、それは何もやらないことの言い訳にならない」


 といったような、熱血ヒーロー性がバリバリな次元とは異なるものとしての、ナチュラルで常識人的なヒロイズムとでもいおうか、そんなフラットな主人公に対しての動機付けを与えることも可能であるとも思うのだ。



 もちろん、コレらの事象は脚本家ひとりの責任ではなく――「シリーズ構成」職も、円谷プロ八木毅(やぎ・たけし)カントク名義なのだし――、特にこのテの作品におけるパイロット編(第1話~第2話)などは、脚本家のみならずプロデューサー連中やカントクやその他のスポンサー(映像ソフトを販売するレコード会社)などとの事前の幾度もの企画会議の果てに、その番組内容や第1~2話の内容も固まっていくものでもあるのだろうから(?)、脚本家以外の意向も相応には入っているであろうし……。


 よって、第1話のあのラストにOKを出した関係者の全員に問題がある!(笑) もしくは、シャープでクールな映像や作風を実現できるセンスはあっても、ナチュラルな作風なりの登場人物への行動動機の与え方という一点においては、何らかの視点の欠落なりセンスの欠如があったということではなかろうか?(汗)



 ……などとケチをつけてきたけど、本作にとってはそれは致命的な欠陥にもなってはいなかったことは付言しておきたいとは思う。許せる範囲の瑕瑾(かきん=欠点)ではあるのだ。


 そして、各話単位でのストーリーは私的にはほどほどに面白いと思う。イジワルな特撮マニアであれば、過去にドコかで観たような、あるいは特撮マニアが過去に妄想したようなお話も多いのかもしれないけど、だからといってそれが悪いということでもない。鑑賞しているマニアの方が加齢とともに膨大なジャンル作品やSF小説などを観たり読んだりしすぎてしまっているのだし、もう何を観ても思春期の少年少女や青年のような純粋な気持ちでは彼らは観られないのだから(笑)、そのへんのウルさ方を視聴者の平均的な感想だとは思ってはイケナイのだ。だから、あとは各話のSF的なアイデアのブラッシュアップなり少々の変化球といったところが、勝負となるのではなかろうか?



 現実の会社員生活では浮いてしまっている壮年サラリーマンが、宇宙人に選ばれて宇宙へと旅立っていってしまう第6話『TRAVELLER(トラベラー)』なども、社会派テーマ主義的な評論の論法をアクロバティックに拡張していけば、「既視感のある展開で、いまどき現実を捨てて非現実の世界に逃避することを賞揚しかねないオチ」などはドーなのかヨ!?
 それをさらに引っ繰り返して、大ヒット巨大ロボットアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』(95年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20220306/p1)のラスト的に「虚構よりも現実に再着地することの重要性」なども対置した方がイイのでは!? 往年のビミョーな映画『ウルトラQ ザ・ムービー 星の伝説』(90年 脚本・佐々木守 監督・実相寺昭雄ASIN:B00005MI7B)のラストシーンかよ!? といったようなツッコミも可能ではあるのだ(笑)。
 しかしまぁ、「日常への着地」なのか「非日常たる冒険に満ち満ちた宇宙への船出」なのかも、『エヴァ』以後の今となっては価値判断的にもイーブン(等価)で(!?)、スト―リー展開上でのバリエーションに過ぎず、どっちに転がるかをギリギリまで読ませないストーリーテリングの妙のサプライズねらいだったのだともいえるのだ!? よって、筆者個人は「宇宙に旅立つ」オチもまぁ、アリだったとは思うのだ。……いやまぁ、現実に帰還するオチでもアリだったとも思うけど(笑)。


 連続殺人事件が発生して、しかもその被害者がみな同じ顔(役者)の宇宙人、という低予算を実に見事に逆手に取ったかのような第5話『PEACE MAKER(ピース・メーカー)』も同じで、コレも被害にあってしまう地球人に擬態した虚弱体質の亡命宇宙人種族が、ホントウにまた別の宇宙人種族に迫害されている被害者であるのか? ホントウはその意図を隠した侵略宇宙人であるのか? 宇宙人役の役者の表情を多少人間離れさせた演出・演技とすることによるプチフェイク演出によって、ラストに至るまでドチラに転んでもよい! といったような作りでもあった。



 本稿の締切間際に放映された最終3部作の1本目(第11話『MEMORIES(メモリーズ)』)を視聴したところ、都市などの中空に多数浮かんでいたTVもどきの投影スクリーン自体が、実は市民を監視するカメラも兼ねていることが明かされる!――このエピソードはセブンXが登場しなかったことがパターン破りでスゴい! だなんてハズいことは云わない。今時の深夜ワクの作品であるのならばコレくらいはやって当たり前だろう!(笑)――


 まぁ、TVカメラに監視されているだなんて、ジョージ・オーウェルの今や古典小説『1984年』(49年・ISBN:4150400083)ともまったく変わらない、日本SF古典コテン(笑)な展開であって、それもそれで今やジャンル作品のお約束の展開ではある。


 個人的にはハイテク化が進んでも、実は監視社会は到来などしていないし、デジタル記録は残っていてもロクに参照もされていない。むしろ、国家に管理される社会などは到来しておらず、先の「消えた年金問題」に象徴されるように管理すらできておらず(汗)、むしろ管理社会とは真逆な庶民放置プレイの「小さな政府」による「新自由主義経済」的な社会が到来してしまったことが、現今の先進各国の問題点だとも思うので、少々の異論は云いたいものの、フィクション相手にそんなことを演説するのもヤボなので、それは云わないことにする(笑)。


 とはいえ一方で、今日日は実は携帯電話を保持しているだけでも都心であれば数メートル単位で位置情報が把握されており、監視カメラも普及したことで、管理社会どころかハイパー管理社会だとの説もある。しかし、当局が常に監視しているワケでは毛頭ない――物量的・人員配置的にも不可能だし、コスト・人件費的にもメリットもないので!――。事件や事故が起きたときに、事後的に遡及することが可能だ……といったくらいなのだ。
 むしろ、塾通いの子供に携帯電話を持たせたり、あるいはいかがわしい悪所通いをして危険に遭遇したときに(笑)、位置情報が特定されていれば多少は安全! 事件に巻き込まれて仮に死亡しても(汗)、事後に行動軌跡が把握できて犯罪捜査の真偽の役にも立っていたりする。
 悪人が証拠がないことをよいことに無罪を訴えて推定無罪で勝ち逃げできてしまったりすることとのデメリットとも天秤にかければ、個人のプライバシーが少々は暴かれる可能性はあっても、むしろ監視カメラの存在によってイザというときに裁きにかけるべき悪党を正当に処罰できるメリットの方が大きいとすら個人的には思うのだ(笑)。


 よって、「自由」がいっぱいの夢の社会の到来でもなく、かといって「超管理社会」の到来でもない、「功罪相半ば」どころか「功罪の判定」すらもができるのかについてもムズカしい、第3の未知の新社会に立ち入りつつもある……などと、筆者のような評論オタクは条件反射的に考えてしまって、中途半端に凝った作品にはついついツッコミを入れてしまって、作品を純粋に観られなくなってしまうのが悪いクセであった(汗)。

 
 ただ、それはそれとして、そのような想いは棚上げにして鑑賞してはいるのだし、この作品の劇中内ではそーいうことになっているのだと割り切って捉えてもいるし、その上で『セブンX』という作品は決してタイクツさせることなく、それなりに楽しく鑑賞させてくれたのも、筆者にとっての半分以上の事実であり真実でもあった。



 ビデオ販売作品であった、いわゆる平成『ウルトラセブン』シリーズ(98・99・02年)は、実写映画の世界では徒弟制・年功序列が強かったせいもあるのだろうが、昭和の時代から活動してきた――しかし元祖『ウルトラセブン』に関わってきたワケでもない――ベテランの本編監督や脚本家や本編美術陣によって製作されてもきた。
 しかし、1960年代の元祖『セブン』のコンクリート造りの冷たいビル街やら団地やらから醸されるレトロなフューチャー観をねらうでもなく、特に映像的・フンイキ的な工夫もなくて、ピーカンの青空の下、80年代以降の風俗であったハズのガラス張りのビル街やら野っ原を舞台に、ただただ撮影しました的な映像を見せつけられてきた(笑)。


 それらと比すれば、CG技術や映像加工の長足の進歩が近年にあったものの、ロケ地の選択やら夜間のカラフルな照明や演出で、「クリアさ」と「猥雑さ」を混交させた「近未来感」を一応のハイセンスな映像で抽出することにも成功していた本作独自の「空気感」自体も、積極的に評価してもイイとは思うのだ。



 それでも最後に、少しケチをつけるけど、元祖『セブン』の「アダルト」な一要素をブローアップしていけば、たしかに『セブンX』にもなるのだろうが、その逆では決してないだろう。


 いかに元祖『セブン』が特撮変身ヒーローものの中では相対的には「リアル」であったり「クール」であったとしても、仮にウルトラセブンという変身ヒーローのカラーリングが西洋甲冑を模した「赤」と「銀」のハデハデな玩具を売るためのデザインやカラーリングではなかったならば……。あるいは、同作の防衛隊であるウルトラ警備隊の制服の色彩がクールなライトブルーではなかったとしたならば……。


 つまりは、元祖『セブン』よりも、ある意味では「リアル」な「日常」に密着していた、特撮マニア間では80年代中盤以降に評価がウナギ上がりになった特撮変身ヒーロー『シルバー仮面』(71年)のシリーズ前半であったいわゆる「等身大編」のように、変身ヒーローに人間のナマの口が露出していて地ベタでドッタンばったんホコリまみれでスーツが土などで汚れていたり、シリーズ後半では津山研究所に所属するようになったレギュラー陣のように、防衛隊の制服にあたる服装がただの「黒の革ジャン姿」のような地味な出で立ちであったならば……。


 『ウルトラセブン』という作品は子供たちのキャッチーな憧れの対象にはなりえずに、『シルバー仮面』のように特撮マニア間でしか回想されない作品に成り果ててしまっていたであろうということだ。


 卑下ではなく云うのだが、特撮変身ヒーローなどという存在は、いかに理論武装をしようとも、やはり「アート」「芸術」なぞではなく、根底においては「資本主義」的なマーケティングの産物なのだろう。


 変身ヒーローもの(とその受容)とは、「人間ドラマ」や「社会派テーマ」といった「ソフトウェア」面ばかりではなく、もっと表層的な「ハードウェア」(デザイン・美術・背景・映像・演出)の次元にも規定されており、そこにも着目していかなくてはならないと、『セブンX』がねらった方向性を変化球としては肯定しつつも、毎度おなじみの結論に落として本稿をシメとしたい。


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2008年号』(07年12月29日発行)『ウルトラセブンX』合評①より抜粋)


後日付記


 本作『セブンX』最終回ラストのあのシーンについては、ファンサービス以外の何者でもない。『セブンX』の一応の作品テーマにも何ら関係はなかった……。とは思うものの、キライでもない。『ウルトラセブン』の姿をしている以上はその意味は……といったところに回答を出してみせただけであった。……とも思うものの、個人的には作り手のねらいにマニア転がし的にコロリとダマされて、琴線にふれてウルウルと来ちゃっていたりもする……(笑)。

さらなる後日付記


 最終回のラストシーンで、ウルトラセブンことモロボシ・ダンは次なる使命として、映画『大決戦! 超ウルトラ8兄弟』(08年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20101223/p1)の舞台である並行世界だとも解釈できる場所(横浜・笑)へと旅立っていくことで、メディアミックス的にもこの2作品をソフトに連結させて、「世界観消費」だともいうべきマニア諸氏によるウラ設定やら並行世界のSF的な解釈欲を刺激して、『超8兄弟』の宣伝にもつなげていった方がよかったのではなかろうか?
 カントクも『セブンX』のメイン監督であった円谷プロ八木毅で同じだったのだから! 翌08年に発売されたビデオ販売作品『ウルトラマンメビウス外伝 アーマードダークネス』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20080914/p1)なども同様で、ラストにメビウスことミライ隊員がワームホールに落下して並行世界の横浜へと辿り着いて、『超8兄弟』へと「つづく」となって、その続きに『超8』の予告編を流したりして(笑)、ダブルで『超8』へと連携させて、少しでもの集客へとつなげていった方がよかったのではなかろうか? 



『假面特攻隊2008年号』「ウルトラセブンX」記事一覧
・①「ウルトラセブンX」評(T.SATO)
・②「メビウスからセブンXの手に……ウルトラマンメビウスの成果とその影響」 〜テレ東深夜特撮より少ないネット局から円谷の展開に提言!(森川由浩)
 〜②は、2007年号「平成ウルトラ東西視聴率10年史」(2万字評)の続編補完にも相当。


『假面特攻隊2008年号』「ウルトラセブンX」関係記事の縮小コピー収録一覧
・各話視聴率:関東#7・中部#7・関西#7まで。全話平均視聴率
・特番『ウルトラセブン40年目の同窓会』2007年7月30日(月)10:25〜55 関東のみ放映・視聴率
スポーツニッポン 2007年7月26日(木) 帰ってきたウルトラセブン 生誕40周年テレビで復活 前作同様ドラマ性にこだわり 不滅のヒーロー“外見&設定ほぼ同じ”オールドファンを惑わさず 〜大枠記事
日本経済新聞 2007年9月12日(水) 円谷プロを傘下に 映像制作大手TYO 「ウルトラマン」など活用
毎日新聞 2007年9月12日(水) 大手TYOが円谷プロ買収 
朝日新聞 2007年9月13日(木) 情報フラッシュ 円谷プロ、TYO傘下に
夕刊フジ 2007年9月13日(木) ウルトラマン身売り 円谷プロ 映像大手TYO傘下に 同族経営のツケ
毎日新聞 2007年10月5日(金)夕刊 今度は「X」ウルトラセブン誕生40周年で新作 この宇宙で何が「悪」なのか 我々が守るべきものとは オリジナルの大人の世界観進化
・読売新聞 2007年10月6日(土)夕刊(大阪版) 大人向け「ウルトラセブンX」 大きく「変身」全12話 きょう深夜から 筋肉質の現代風体形 〜大枠記事
日本経済新聞 2007年10月22日(月) 一面全段広告 〜円谷プロはTYOグループに入りました TYOグループの円谷プロは、ウルトラマンにふさわしい強い企業となり、将来の株式上場をめざします
朝日新聞 2007年11月26日(月) 手作り特撮どこへ 経営難の円谷プロ、CGに比重 親会社「制作費かさむ」撤退示唆 新作ではミニチュア使わず 〜大枠記事


ウルトラセブンX』平均視聴率:関東1.6%・中部1.9%・関西1.8%
 最高視聴率:関東2.4%(#4)・中部2.4%(#1)・関西3.1%(#9)
 最低視聴率:関東1.1%(#9)・中部1.0%(#3)・関西1.1%(#2、10)
特番『ウルトラセブン40年目の同窓会』2007年7月30日(月)10:25〜55 関東のみ放映・視聴率:2.2%
 (平均視聴率EXCEL表計算:森川由浩)


[関連記事]

特撮意見① ジャンル作品における現実の反映やリアリティは是か非か?

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060408/p1

ウルトラマンネクサス』(04年)#1「Episode.01夜襲 -ナイトレイド-」 ~ハイソな作りだが、幼児にはドーなのか!?

d.hatena.ne.jp

『ULTRAMAN』(19年) ~等身大マン・セブン・エース型強化服vs等身大宇宙人! 高技術3D-CGに溺れない良質作劇! 歴代作品へのオマージュ満載!!

katoku99.hatenablog.com