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仮面ライダーアギト 〜前半合評 ブレイク前の混沌期!

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仮面ライダーアギト 〜前半評① アギト序盤評

(文・T.SATO)
(01年3月執筆)
 右肩にウスボケた手がおかれた心霊写真、ガラス瓶の中に入るはずのない硬貨、超古代遺跡のパズル(?)の解読結果(=DNA)をもとに誕生する少年。
 四次元トンネルを用いて高所からの落下死に見せかける怪人の超能力、怪人の背中には羽根があり、頭上にはエンジェルリンクス(天使の輪)も浮かびあがる……。


 ついに高寺成紀(たかてら・しげのり)プロデューサーが現代版『仮面ライダー』でやりたがっていた海外TVドラマ『Xファイル』(93年アメリカ・日本放映95年)が実現か……。って白倉伸一郎プロデューサー作品じゃん(笑)。まぁ高寺さんも名前こそ出ねども関わってはいるんでしょうけれど。(後日付記:一切、関わっておりませんでした・汗)


 つまり、今度の『ライダー』の敵怪人は天使だってことですかい? イカレてるなぁ……。


 まぁ個人的には、仮に本当に天使や神が実在したとして、それが実は悪い神さまなのだ! なんてややこしいことはないだろうと思う(思いたい・笑)。
 だが、神や天使が実は悪なのだというグノーシス主義も2000年来の伝統ある思想であまたの物語ソースとして文学的稔りに貢献してきたものだし、それもこの世が不完全であり不幸に満ちているのは造物主エホバが不完全なり邪悪だったからであり、場合によってはもっと高次の善良なる神がいるかもしれないという含みもある、ケッペキ症的な理想主義が現実にウラギられて反転したものでもあるのだし、単なるニヒリズムではなく同情の余地はあるのだから、神や天使を悪く描いたからってケッペキ理想主義なヒトたちも反発せずに物語のバリエーションのひとつとして受けとめてあげてくださいョ。


 ただ……。設定自体は個人的には好みではあるけれど、現状では神や天使があまりに散漫な扱いでドラマにカラんでいない。そもそもホンキでカラます気があるのかあやふやなままで製作者側も投入したのだろう(それともホンキでやる気はそもそもない?)。
 神や天使(究極の闇(『仮面ライダークウガ』00年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20090907/p1)でも可・笑)をテーマにするのは、等身大変身ヒーローのバトルフィールドではムズカしいはず。
 物語後半に超巨大な大甲神カブテリオス(『ビーファイターカブト』(96年))が出るような世界観なら世界規模の危機の物語だとナットクできるだろうが(笑)。
 筆者個人は、『ライダー』らしい『ライダー』よりいっそ現在なら、『ビーファイター』みたいな『ライダー』で、神々との戦いが観たいので……(まぁ無理だろうけれど・笑)。


 メインライター井上敏樹氏や白倉プロデューサーがオカルト素養やセンスの片鱗を見せたことは今までにないはずで、神や天使が単なるデコレーションに終わり、ついにメインテーマに昇華することもないような気がする。ていうか、多分そーなるだろう(笑)。このテのテーマは良くも悪くも特殊脚本家・小中千昭氏ならば得意だったろうに……。


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2002年準備号』(01年8月12日発行)〜『仮面特攻隊2002年号』(01年12月30日発行)所収『仮面ライダーアギト』前半合評⑥の前半より抜粋)


仮面ライダーアギト 〜前半評② 誰が観る誰が語るアギト

(文・さかもと晄)
(01年初夏執筆)
 放送終了後も関連アイテムが出ている前作『仮面ライダークウガ』(00)と比べ、『アギト』についてはあまり盛り上がっていない気がするのは『アギト』ファンである筆者の考え過ぎだろうか。
 “癒し系ヒーロー”と呼べばカッコはつくが、『クウガ』は最後まで低テンションだった。人間側のキャラクターが善人ばかりだったのも、今となっては白々しい。
 翻って『アギト』はどうだ。正統派、メカニカル、野獣(あるいはバーサーカー)という個性をそれぞれ備えた三人の仮面ライダー(アギト・G3・ギルス)の胸躍る活躍があり、人間同士のエゴ剥き出しのぶつかりあいもある。また、意味ありげで思わせぶりながら、実は大したことないのではとも思える謎また謎が錯綜する。まさにA級娯楽作だ。


 ただし、まったく難点が無いわけではない。
 『クウガ』以来の特徴として、怪人の名称がオープニングでしか表記されず、相変わらず覚え難いのが困りもの。
 特にアンノウンはグロンギの連中のように喋らないので、劇中では一切その名称が判らない。例えば「第20話」「第21話」に登場の“パンテラス・キュアネウス”と“パンテラス・ルベオー”など、どちらがどちらなのか。
 また、「第15話」から「第17話」に登場した“スケロス・ファルクス”を、その造形から筆者はてっきり犬だと思っていたのだが、どうやらジャッカルらしいことが判明したように、とにかく怪人についての情報が不明瞭過ぎる。
 同様に、アギトの三つのフォームやG3の装備など、ヒーロー側の細かな名称も劇中の情報としてはテロップすら出てこない。
 これはあくまでも筆者個人の考えなので一般性を持たないが、キャラクター名、武器・必殺技名、重要な建築物や地名などは出版物に頼るのではなく、あくまでも劇中ではっきりと観るものに伝えるべきなのではないか。
 『クウガ』では神経質……というよりも病的なほど細かに時間経過と都市名が表示されていたのだから、怪人の名前一つ出すのに何の手間がかかろうか。『戦隊シリーズ』で出来ることが、こちらで出来ぬはずがない。瑣末なことではあるが、これだけはどうにも不満が募って仕方がないのである。


 話題変更。シリーズものの場合、過度な高評価を受けた作品の後続作はつらい。えてして低評価に甘んじることが多いからだ。一番の好例は『ウルトラマンティガ』(96・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19961201/p1)に続いて放送された『ウルトラマンダイナ』(97・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971201/p1)だろう。
 統計を取ったわけではないので、あくまでも印象に過ぎないのだが、一般視聴者やごく普通の特撮ファンよりも、いわゆる“ギョーカイ”ずれした人間たちが『ティガ』を高く評価していた。対して『ダイナ』については残念ながら好意的な声を聞かずじまいであり、現在まで平成ウルトラ三作の中ではあまり顧みられることがない。
 それと同様の現象が『アギト』に起こりつつあるのではないか。番組開始当初から、毀誉褒貶あれども『クウガ』は定期的に新聞の投書欄に視聴者の声が載っていた。が、『アギト』に関してはついぞお目にかかったためしがない。また、特撮ファン向けの専門誌においても盛り上がりは感じられない。
 昨年の今頃、グロンギ語の解読に血道を上げたり、五代雄介と一条刑事のカンケイを勝手に膨めて悦んでいた人々は、どこへ行ってしまったのだろうか。子供のお供で観ていたはずが、子供よりも夢中になってしまった奥様方は『アギト』を観てくれているだろうか。『クウガ』バブルははじけ、そして誰もいなくなった……現時点でそう判断するのは早計かも知れない。いささか被害者意識が過ぎるかも知れない。それが杞憂に終わることを祈っている。


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2002年準備号』(01年8月12日発行)〜『仮面特攻隊2002年号』(01年12月30日発行)所収『仮面ライダーアギト』前半合評③より抜粋)


仮面ライダーアギト 〜前半評③ 高岩ライダーVS.出渕ロード

(文・伏屋千晶)

高岩ライダーVS.出渕ロード〜「仮面ライダーアギト」映画化記念(?)

 「高岩成二(たかいわ・せいじ)」という名前を、皆さんは認識しておられるだろうか?


 一般的には、東映メタルヒーロービーファイターカブト』(96年)の光の戦士・BF(ビーファイター)ゲンジに変身する〈フリオ・リベラ〉役で有名だが、ドラゴンレンジャー[『恐竜戦隊ジュウレンジャー』(92年)の6人目の戦士]を皮切りに、竹田道広アクション監督の下で、ニンジャレッド[『忍者戦隊カクレンジャー』(94年)]、ブルービート(アクション用)[『重甲ビーファイター』(95年)]、ビーファイターカブト(アクション用)[前出]、メガブルー[『電磁戦隊メガレンジャー』(97年)]、ギンガレッド[『星獣戦隊ギンガマン』(98年)]、ゴーレッド[『救急戦隊ゴーゴーファイブ』(99年)]、タイムレッド[『未来戦隊タイムレンジャー』(2000年)]と、一貫して主役クラスのキャラクターを演じてきたJAC(ジャパンアクションクラブ)中堅のエースである。


 ――その彼が『仮面ライダーアギト』(2001年)の主役(シン)を演じると聞いても、放映開始以前はそれほど期待していなかった。
 JACの偉大なる先輩・岡元次郎氏や、横山一敏氏に比べて体格がひとまわり小さい同氏は、“ちょっとセンが細くて頼りないナー”という固定観念が、私のイメージの中で定着していたからである。
 (因(ちな)みに、三氏の体格を比較し易い例をあげると、メガレッドが横山氏、メガブラックが岡元氏、メガブルーが高岩氏)


 しかし、である。#1での必殺キックを放つ前後の長〜い“タメ”に、私は甚くシビレてしまった。


 正直に言って、高岩氏が演ずるキャラをカッコいい! と思ったのは、(失礼ながら)この時が初めてだったのだが、同番組が回を重ねる度に、その念は強くなる一方。
 明らかに、これまで演じてきた戦隊のレッドヒーローとはノリが違う。その一挙手一投足に、一段とシャープになった“キレ”を感じているのは、私だけであろうか? 殊に、アギトフレイムフォーム(赤)の剣技は見映えがして、チビっ子の人気もダントツだ!


 〈上半身のアーマー〉と〈エッジが尖ったショルダーパッド〉が胸と両肩をボリューム・アップし、〈頭部のツノ〉が背を高く見せている所為で、従来よりカッコよく見えているだけではないのか? と、当初は考えていたのだが、どうやら理由はそれだけではないらしい。
 愚考するに、その理由の第一は、アクション監督・山田一善(やまだ・かずよし)氏の手腕にあるようだ。


 昨年までの高岩氏は、竹田道弘氏がアクション監督を務める番組のみに出演していたのだが、残念ながら、オーソドックスな「ヒーロー活劇」のパターンを嫌う竹田氏が、「仮面ライダー」志向の高岩氏(なんと、仮面ライダーを演じる事は同氏の長年の念願だったらしい)にとって“良き指導者”であったとは到底思えない。
 一方、『アギト』担当の山田一善氏は、アクション監督デビュー作、東映メタルヒーロー枠『世界忍者戦ジライヤ』(88年)で好評だった〈アクロバティックなチャンバラ〉を主体にした娯楽性重視の殺陣(たて)を見てもわかるように、キャラクターアクションの「命」とも言うべき“ケレン”の妙味を十分に心得た人物なのである。(昨年は、『仮面ライダークウガ』(2000年)の特異なコンセプトの下で、少々萎縮しておられたのが遺憾である)
 仮面ライダー役に対する高岩氏自身のモチベーションの高さと、竹田氏には欠けていた山田氏特有のポジティブなセンス――この2つの要素が幸運にも重なって、高岩氏の技倆を超えた未知のポテンシャルを引き出しているのではないか、というのが私の持論である。


 それほどに、今年の[高岩ライダー]は素晴らしいのだが、それに相対する“ロード”(LORD=主、神)を名乗る[アンノウン](敵怪人)もまた傑作揃いで、ホントに今年は日曜日が楽しみだナー。(去年は……言わぬがホトケ)


 映画『ファントム・オブ・パラダイス』(74年/ブライアン・デ・パルマ監督)のファントムマスクを見事にパクった[トータスロード]、怪人に変身した後の方がカッコ悪くて脆かったカニレーザーに対するフラストレーションが生んだ敵幹部ドクトルG(ゲー)(『仮面ライダーV3』73年)の怪人体としか思えない[スコーピオンロード]など、アンノウン・デザイナーとして、相変わらず〈お気に入りキャラのリファイン〉に卓抜なセンスを発揮し、健在ぶりを再認識させてくれた出渕裕(いづぶち・ゆたか)氏。
 ――思い返せば、その独自のマニアックな意匠の系統は、ロボアニメ『聖戦士ダンバイン』(83年)の主役ロボ・ダンバインもどき(?)の敵怪人[イカシンカ](『科学戦隊ダイナマン』83年)に端を発し、『人造人間キカイダー』(72年)のライバル・ハカイダーへのオマージュに満ちた傑作[シルバ](戦隊シリーズ超電子バイオマン』84年)に止めを刺すワケですが、同じく『バイオマン』に登場したジューノイド五獣士(レギュラーの敵戦隊)の一員[メッツラー]のデザインが、実は[一ツ目タイタン]と[ジェネラルシャドウ](『仮面ライダーストロンガー』75年の敵幹部)をミックスしたものだったというスゴイ事実に、最近になって、やっと初めて気がついた次第。ウ〜ン、なんて因縁の深い組み合わせなんだ!
 シリーズ中盤の強化改造時に[“百目”メッツラー]にでもなってくれていたら、もっと早く気がついていたかも……


 しかし、こうなると、『仮面ライダーブラックRX』(88年)の〈ロボライダーのフォルム〉と〈バイオライダーのカラーリング〉を併せ持つ『アギト』の[仮面ライダーG3]と、〈仮面ライダーアマゾン〉のストレートなエピゴーネンかと思いきや、意外にも、真っ赤な眼と真っ黒な仮面のコントラストと濃緑のボディカラーが〈桜島1号〉(『仮面ライダー』初作(71年)2号ライダー編の桜島ロケ編にゲスト出演した1号ライダーの着ぐるみのマニア間での呼称)を想起させる[仮面ライダーギルス]のデザイン・コンセプトもまた、同氏の懐旧趣味の発露では……と、考えざるを得ないんですけど。(もちろんバンダイ側のデザインでしょうが真実は如何に?)


 余談ながら、G3のスーツアクター伊藤慎(いとう・まこと)氏(新堀レッドアクションクラブ所属)は、映画『ウルトラマンティガウルトラマンダイナ&ウルトラマンガイア 超時空の大決戦』(99年)でダイナを演じた事があるものの、TVシリーズに於けるレギュラーのヒーロー役は初めて。
 (子役時代の彼が東映不思議コメディ『じゃあまん探偵団 魔隣組(まりんぐみ)』(88年)に〈江川ノボル〉役で出演していた事を記憶している人は案外少ない)


 また、JAC(ジャパンアクションクラブ)は、今年01年5月[ジャパンアクションエンタープライズ]に社名を変更したが、何故か『アギト』『百獣戦隊ガオレンジャー』のOP(オープニング)ではまだ旧称のままで表記されている。さて、いつ変わるか、注目していましょう……って、興味ないか(笑)。

2001/7/20


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2002年準備号』(01年8月12日発行)〜『仮面特攻隊2002年号』(01年12月30日発行)所収『仮面ライダーアギト』前半合評⑤より抜粋)


仮面ライダーアギト 〜前半評④ 〈『アギト』について ちょっとだけヨ

(文・久保達也)
 『仮面ライダークウガ』(00年)のプロデューサー・高寺成紀氏は『クウガ』で『Xファイル』(93年)をやりたかったらしいが、『アギト』のプロデューサーたちは『怪奇大作戦』(68年)をやりたい訳か?
 クラゲ型のアンノウン(だから名前が判らないんだってば!)が登場した回を見たらそう思うしかないでしょ。北絛刑事にSRI(『怪奇大作戦』)をやらせてどうすんだっ!(笑) と思っていたら今度は『ロボコップ』(87年・日本公開88年)か、オイオイ。


 まあそういう余計なチャチャは置いといて、第22話の仮面ライダーギルスVS仮面ライダーアギト仮面ライダーG3なんてのはもっと早く見たかったわよねえ。
 どうせ話は何一つ進展してないんだからこういうのを今までにももっと盛り込むべきだったのよ。せっかくライダーが3人揃ってんだから1クール終了時に「3人ライダー対再生アンノウン大軍団」をやってほしかったなあ(笑)。
 翔一クン(アギト)と真魚(まな)チャンの恋愛模様なんかアタシにとってはホントにどうでもいいんだから(ましてや豆腐の掴み方なんて)。そんなの目当てにヒーロー作品なんか見るもんですか! って実際そういう人もいるんだからしょうがないか(笑)。


 「とにかく謎が多いわよねえ……」ってそりゃアタシのセリフだよ、この大酒飲み!(アタシ全然飲めないからやっぱり警視庁G3チームの小沢澄子サンのことを嫌いになるわ・笑)
 半年近く経ってやっと明らかになったのが「アンノウンは超能力者を襲う」ってことだけだもんなあ。その気になりゃ1クールで済むような話を1年もかけてダラダラとやるなんて『マグマ大使』(66年)なんかよりよっぽどタチが悪いぞホントに(笑)。


 そんなことを云いつつ未だにダラダラと見続けているのは毎回のラストシーンが何としてでも翌週も見せてやるぞっ! と云いたげな強引な工夫がいやらしいほどに成されており、結局私のような意思の弱い人間はまんまとその策略にハマってしまう訳である。ただそれだけの話だ。


 まあこれだけで終わるのもなんだから、素直に良いと思ったことだけ書いときましょうか。
 本来エンディング用に作られた『BELIEVE YOURSELF』(ASIN:B000059WS1)という歌、周知の通り本作にはエンディングが無いため(だからオープニングに情報が全部突っ込まれちゃって……早過ぎて読めないんだわコレ)、仕方なくバトルシーンに定番で使用されているがこれは大正解。
 アップテンポでノリが良く、実に高揚感に溢れていて私は大好き。主題歌も『クウガ』の ♪あ〜あ〜〜果ってしない〜〜っ(元クリスタルキング・笑)に比べりゃ渋くて好き。


 アンノウンのモチーフもグロンギに比べて判りやすいから好き。タコ型のアンノウン(やっぱり名前が判らないんだってば!)が登場したときはホントに嬉しかった。断末魔のアンノウンの頭上に天使の輪ができるのがカワイくて好き(笑)。
 警視庁の屈折しまくりの嫌味なエリート刑事・北絛のキャラが大好きだし、彼と氷川・小沢との葛藤・やりとりは第2期『ウルトラ』的でもっと好き!(笑)
 北絛には『帰ってきたウルトラマン』(71年)のMAT(マット)の岸田隊員や『ウルトラマンエース』(72年)のTAC(タック)の山中隊員みたいないい人の面は一切見せずにひたすらイヤな奴として突っ走ってもらいたいものだ。
 あと仮面ライダーギルスがバイクも含めて『仮面ライダーアマゾン』(74年)っぽくて好き(ニヤけてばかりの翔一クンより涼の方が男らしいと思わんか? ったくいまどきのオンナどもは……)、ってこんなことオレじゃなくても誰でも云えることじゃないっ!
 それくらい現時点では書くことが無いんだわ。まあ年末には書くネタも揃うだろうからあとは冬の号で十分でしょ(それまで見続けていられれば良いのだが・笑)。

2001.7.8.


P.S.
 私は北條と同じく「人間性善説」派である。案外自分のことを「とっても素晴らしい人間」だと思ってんのかもね((C)『アギト』某話・笑)。


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2002年準備号』(01年8月12日発行)〜『仮面特攻隊2002年号』(01年12月30日発行)所収『仮面ライダーアギト』前半合評②より抜粋)


仮面ライダーアギト 〜前半評⑤ アギト前半評

(文・T.SATO)
(01年7月執筆)
 前掲の別項『アギト序盤評』での「敵が天使うんぬんでスゲエ(大意)」という記述は、あくまで『仮面ライダーアギト』(01年)の基本設定・舞台背景面についての感慨である。
 『アギト』という作品そのもの、お話・ストーリーについての面白い/ツマラナイという評価・価値判断ではない。
 基本設定面については高い評価を下している反面、作品それ自体については触れていないが(笑)、それもこれもホンネとして放映開始当初は、あまり『アギト』を高く買っていなかったからだ(客観評価ではなく個人的好みの問題だョ)。


 どれくらい買っていなかったかとゆーと……、前作『仮面ライダークウガ』(00年)と同じくらい(笑)。
 いや『クウガ』や『アギト』も決してキライではないし、イイなと思って執着してしまう箇所もある。だが、まったく普遍性のない個人的感慨を書き連ねて恐縮だけれど、我ながらオトナげないが自己抑制のカタマリの自分(?)としては珍しく、憎々しくてしょうがない箇所もあるからだ。


 つまりなんとゆーか、前作『クウガ』も含めて『アギト』に対しては複雑な感慨をいだいてしまうのだ。
 『クウガ』や『アギト』がハイブロウな志向を持った作品だということは筆者も充分にわかっている。その方向性も理想も理念も、筆者の理性の次元では認める。
 一方で、この方向性が子供番組・娯楽活劇としては必ずしも王道ではないことも、もっと大所高所の大局的な理性では判定を下している。以上は筆者にとっての原則論。
 ただ原則は原則、理論は理論として、そのモノサシを実態に当てハメていくときには、当該の対象の前後上下左右の事象との相互影響関係がつきまとう“現実”に、融通無碍に大胆に変形して運用していかなければしょうがないワケだ。


 王道の子供向け番組としては、直前時間ワクに『戦隊』シリーズが放映されている。だから一応の王道は特撮ジャンル全体として見れば満たされているワケだ。
 よって、『戦隊』との差別化をほどこすのもまた必然。であれば、『クウガ』の前番組である『燃えろ!! ロボコン』(99年)のようなコミカル路線か、『クウガ』のような一応のシリアス・リアル路線しかないというのもまた事実だ。
 子供をアキさせないためという基準・尺度で見ても、『クウガ』の基本的試みは、子供番組を広い範疇として捉えた場合に、ギリギリ許容範囲だとも筆者個人は認めている。
 だからと云って、『クウガ』が子供番組として新たな王道だとか、今後のすべての特撮番組が『クウガ』的なるものの方向性に向かうべきだとは必ずしも思わないのだけれど、でもこーいう試み自体がタマにはあってもイイとも思う。


 また、番組自体を盛り上げるためにはムサい我々みたいな固定客の成人男性オタク層だけがヤイのヤイの云っているだけでは、ブレイクと云わずともジャンルファンを越境して周辺層(サブカルに関心のある層や、ごく一部の若い女性に子持ち主婦層……あえて一般層とまでは云わない・笑)にまで浸透していくこともないワケで、作品に目印というか華を添えるためにも、そーいう美形のアンちゃん姉ちゃんを飾るというのも大賛成!
 筆者は商業主義にも賛成だし、“ミーハー人気”と“作品自体のクオリティ”とを両立することは充分に可能だと考えるものである……。


 それで、美形のアンちゃん姉ちゃんを窓口・経路にして、作品の内実や主張・テーマをより伝達しやすくなることも充分にありうることだと考える
 (霞喰って生きてるワケじゃないんだし、番組ひいてはジャンル全体を継続していくため、それに携わるスタッフたちの雇用を確保するためにも、スポンサーともども共存共栄をめざすのがオトナの態度・判断というものだろう)。


 だから『クウガ』や『アギト』の配役に、ムサいオッサン男性をほとんど出さず、我らが『クウガ』の一応のヒロイン・考古学者の沢渡桜子(さわたり・さくらこ)さんに上司たる教授みたいなヒトはおらんのか? ともシニカルな筆者なぞはつい思ってしまうけど、そーいうヒトを出すと作品のオシャレ感もキャラシフトも変わってきてしまうので、クドいようだがあれが普遍的で至上至高の方法論だとはつゆ思わないけど、方法論のひとつとしてアリだとは思う……てゆーか積極的にアリ!
 筆者は一部のマニアの方々のように、自分の好みや理想・美意識と異なるからって、それだけでもう身体が受け付けないとかいうほどにはケツの穴が小さくはないんで(笑)。


 『クウガ』のヒロイン・沢渡桜子さんが、前面にあまり出てこずヒーローとの恋愛面にまで発展していかなかったのも、女性の全員と云わずとも少なくない数の一方の視聴欲求たる、ヒーロー・五代雄介(クウガ)と相棒の一条刑事の“やおい”的な関係へのニーズにも応えていて、それをケッペキ症的に忌避する男性マニアもいるのかもしれないが、筆者的にはそれもオッケーだ。
 (“やおい”的なるものに筆者個人が実感として理解しているとか、せめて理解を示したいなんてワケ知り顔に代弁者ぶるなんてゆー、ゴーマンで部外者の分不相応なふるまいをする気もないけれど、なぜ一部の女性が“やおい”的なるものに惹かれるのかその感覚を、部外者にも解かるように客観化・論理化して言説化したものは非常に少ない。その中でそれを果たそうとしたのが中島梓の『コミュニケーション不全症候群』(91年・筑摩書房ISBN:4480855963。95年・ちくま文庫ISBN:4480031340)。その歴史は少なくとも日本では明治大正の少女小説にまでさかのぼり、なにゆえにある種の女性がそのようなものを必要とせざるを得ない必然性にあったかが、解き明かされている。ジャンル系評論マニアならば必読必携の書!)



 ……ズルズルと書いてきたが、結局何を云いたいのかと云うと、要は筆者が理想とするかたちの子供番組ではないが2、3番目くらいにはスキなスタイルの番組であった『仮面ライダークウガ』。その各種試みをも筆者はすべて一応は肯定したうえで……、でも以上にあげてきた肯定すべき要素以外の点では不満がつのり(笑)、それが我ながら珍しいことに若干憎々しい思いをいだかせてしまうのだ。


 その原因は単純である。ひとつには、ヒーローVS怪人のバトルで、イマひとつケレン味や爽快感・カタルシスがないという一点だ(それが作り手のねらいであることも判っている。この問題は機会があればいつか触れたい)。


 もうひとつは前後編形式が、近年のヒーロー番組としてはやや異質でありパターン破りではあったかもしれないが、早々の時点でそれ自体が『クウガ』という番組中では新たな別種の予定調和と化してしまい(笑)、特に前編のラストなんかはだいたい怪人とのバトルがメリハリなくダラダラとつづく中で、次回に「つづく」になる展開が眼に見えてしまい、実際の番組もあまりに芸もなく毎度その通りになってしまうという……。


 ついでに云うなら、基本はあの一応のリアル志向(怪人による悪趣味なまでの無差別通り魔殺人)&癒し系路線(主人公チームたちのまったり善人仲良し感)でもイイから、年に3、4本はサービス編として再生怪人大挙登場編とか歴代ライダー客演編とかもやってほしかったというのもある(笑)。
 子供層とハイブロウ志向マニア向け、あと子持ちパパ・ママ層へのアピールとしては、それらの並存・同居こそが、西暦2000年時点での商業的成功も織り込んだうえでのより大きな作品的人気・成功にもつながっただろうに……とも確信しているからだ。


 ここで少し脱線するが、『クウガ』の大きなお友だち間での受容を大雑把に解題してみると、いわゆる古典的なムサい成人男性オタクのリアル・ハード志向派の人種たちにとっては、主に前者のリアルシミュレーションじみた要素や作りこまれた敵怪人種族の言語やら階級(?)やらに魅了され、女性・ママ層にとっては、主に後者のイケメン・オシャレ系役者さんたちのまったり善人癒し系ドラマにハマっていたのだろう(もちろん混交もしているだろう。あくまで比重の問題である)。


 個人的には、前者のリアルシミュレーション要素には今さら感もあり、無垢な人々が次々に死んでいくグロさそれ自体に身体がウケつけない……などというヤワなことは私的にはさらさらなかったが(笑)、しかし悪いイミでの無意味なまでの表現主義・ドギツさの弊に陥っていて、その作品世界での敵怪人はそーいう快楽殺人を行う種族であり、正義側の主人公チームがそれに憤るしかないという単調な目的の作劇のためだけに、執拗なまでに残虐描写が連発・羅列されたこと自体の方が悪趣味に感じられて私的には不愉快であった。
 対するに、後者の主人公チームの癒し系描写は、良く言えば世間の空気の時流に合っていて、前者とのバランスも取っていたともいえるが、悪く云えば前者とは水と油のままで分裂していたままだったとも取れる。
 まぁ全員といわずとも女性層の多くが、意外と前者の描写に反発しなかったのは、五代雄介と一条刑事たちイイ男の会話描写が観られれば、前者ははるか後景に退き舞台背景にすぎなくなって、それでオッケーてなところもあったのだろうが(笑)。


 ただし作品の成功/不成功というものは、浮動層であり時代の空気にも影響されがちな大多数の視聴者にとって満足であったか不満であったかで決定されるべきものなのだから、筆者個人のポリシー・価値観や美意識なりのモノサシ・尺度にて、作品のある箇所に不満をいだいていたとしても、大多数の視聴者がそれを不満に思わないのならば、作品としても商品としても成功なのである。
 だから筆者が気になった箇所は、その程度に卑近なことなのだと、自分のことをサメてヒイて見る視点も筆者はいだいているつもりだ。


 でも結局、筆者が『クウガ』や『仮面ライダーアギト』初期編にいだいた感慨……肯定しつつも否定もしたくなる(笑)、強く云えずに奥歯にはさまったような物云いをしてきた理由は、この自分と一般視聴者(てゆーか、一応のハイブロウ特撮に免疫のない、一般的な大多数の特撮マニア&子持ち主婦層の手放しなまでの絶賛!)との認識や好みの齟齬なのである……。


 だから筆者は、『クウガ』否定派を前にすると、そんなには悪くないんじゃないの? と擁護したくなるし、肯定派を前にすると、そんなにノーテンキにホメてイイの? という表面的にはダブルスタンダードな対応を取ってしまう。



 さて、ようやっと『仮面ライダーアギト』本編についてである(前置きが長くなってしまったが、ここまで含めて語らないと本作を語るための前提になるデリケートなニュアンスの問題や、筆者の好み・美意識・価値基準を伝達できなかったもので……汗)。


 『アギト』初期編も、実は筆者にとっては『クウガ』と同じであった。
 いや一応、スレた小賢しい批評オタクのことだから、考えるともなしに分析めいたことが心に浮かんでくるのも事実で(評論屋って別にウンウン考えてるワケじゃないんすョ)、『アギト』と『クウガ』の表層的なオシャレ感やキャラシフト・映像感の類似性はともかく、そのドラマの内実たるや、まったくの正反対であることはもちろん察知はしてたけど……。


 特に『クウガ』における主人公チームの仲良さ加減とは対極的な、『アギト』の警視庁G3チーム内外のイヤミや皮肉や当てこすりなど。
 善良なるマニアの読者の方々には大変申し訳ないけれど、筆者個人は悪いイミでの日本的ムラ世間な同一志向よりも、垂直次元における道徳的な善悪とはまた別に、水平次元においても埋めようのない個々人の利害や価値観の相違があり、殺し合いにまで至ったらマズいけど軋轢やぶつかりあいは生じうるのが近代市民社会(笑)であると考えるものなので、どうせリアル&ハード志向でやるならば、『アギト』の域の描写にまで達していなければウソだと思う。
 よって、『アギト』のキャラ造形・作劇の方に、より好意を持ってはいる。


 でもなんつーかそれ以前に、シリアスな『クウガ』の、次作『ライダー』として筆者が個人的に予想していた、玩具会社バンダイが良くも悪くもヨコ槍入れて、にぎやか豪華・オモチャめいっぱい登場のハデハデシリーズになるだろうという、古典的マニアなら反発するであろう、でも筆者にとってはそれで子供番組的にはオッケー……てなシリーズにはなってなかったところで、まずは少々ガッカリさせられたとゆー、コレもまた個別具体な個人的感慨があったがゆえに、『アギト』初期編にはなじめなかったのだ(笑)。


 その内実が『クウガ』と異なるのは判るけど、表層はまたまたヤングアダルト志向のマニア層に媚びたもので、ダメとまでは云わないけど、コレじゃ『クウガ』以上のブレイクもまたないじゃん! とゆー。


 ……しかし、しかし、しかし!
 『クウガ』がまぁイイとは思うけどナンかイヤ、癪でもある、という個人的感慨の根っ子にある、前述したクドクドしい論法・心理に、また『アギト』も無意識のうちに乗っかって査定されていくと、あら不思議!


 筆者にとっての『アギト』は、1クール目後半からマイブーム状態。評価うなぎのぼり!!
 たしかに『アギト』は、筆者が理想とする子供番組・ヒーロー番組のあるべき姿に必ずしも合致はしていない。
 いないハズなのだが、多分ヒーローVS怪人のバトルにキレがありカタルシスがあるからだろう。


 (アギトの戦闘時の構えや、スピーディーな殺陣(たて・アクション)、そこにかかるロック調の挿入歌、そして必殺キックを放つ直前に周囲の地面に浮かび上がる文様、様式美的な腰を落とした長いタメを見よ!!)


 そして一種のパターン破りも込めようとしたつもりが(?)、早々にまた別種のタイクツな予定調和と化した『クウガ』の前後編スタイルとは異なり、見事にしてゴーインでもあるけれど、毎回のラストに付くキョーレツなヒキ! もあるということからなのだろう(コレも広い意味ではやはり一種の予定調和なのだが、しかしタイクツではない・笑)。


 それさえあれば、『アギト』のすべてがドーも筆者には許せてくるらしく(我ながら実に単純・汗)、前作『クウガ』の善人ばかりのレギュラーたちの予定調和とは程遠い、悪意と対立と皮肉と駆け引きとアニメ的ボケのキャラ連中のやりとりの世界もより好意的に映じてきて、父君の御大脚本家・伊上勝(いがみ・まさる)氏とは善くも悪くも正反対の、“王道”とは程遠い異能・異才の方向では一種の天才たる脚本家・井上敏樹氏の、伊達もの洒脱ぶり女口説き落としスケコマシぶり(?)がイイ方向で出た、大ケッサクに化けてきたと思う!
 ――同じ理由で世評高い氏の出世作にしてメインライター作品『鳥人戦隊ジェットマン』(91年)はスキじゃなかったりもするけれど……。とはいえ、それとまったく同じ理由ゆえに『超光戦士シャンゼリオン』(96年)は子供番組・娯楽活劇として正しい姿とはつゆ思わないけど筆者のもう一方の2番目の好みとしてスキだったりもするんスけれどもネ(笑)――。


 いや視聴率もあっさり『クウガ』を抜いたということは、お子様にあのドラマの滋味がすべて理解できているとは思わないけれど(まったく理解できてないとも云わない)、子供的にはヒーローが3人出てきてバトルしていればそれでオッケーという面もあるからなのだろう。
 しかも次はどのライダーが変身してバトルしてくれるのかとゆー、子供がヒキに思う要素はキチンと……いや結果的には(笑)用意されている! 幼少時にその高度なドラマやテーマはまったく理解できていなかったが、ヒーローの七変化・七段変身を楽しみにして観ていた『愛の戦士レインボーマン』(72年)みたいな受容だ!?
 (関連記事:特撮意見③ 日本特撮の再興は成ったか? 〜幼児&児童の特撮受容パターン・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060410/p1


 と、いうワケで、『仮面ライダーアギト』は個人的好みとしても、あるいは子供番組的にもハイブロウ志向においてもそれらを巧妙に両立した、オレさまちゃん的には一応の(笑)大ケッサクになったのでありました! 
 ……なんか、あまりに個人的な感慨ばかりで説得力なかったか?(汗) こーいうネジくれた感慨をいだくマニアも、多数派とはいわないが一定数なら今では意外と潜伏してるんじゃないかと見て、今回はネジレたホンネも開陳したけれど……、如何に。


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2002年準備号』(01年8月12日発行)〜『仮面特攻隊2002年号』(01年12月30日発行)所収『仮面ライダーアギト』前半合評⑥の後半より抜粋)


『假面特攻隊2002年号』「仮面ライダーアギト」関係記事の縮小コピー収録一覧
朝日新聞 2001年3月12日(火) 芸能欄QA 〜Q1:氷川誠(要潤)君と俳優の金城武が似ていて関係は?・Q2:謎の少年について教えて下さい・A:テレビ朝日広報部が回答。謎の少年は8歳の斗真という設定で神木隆之介


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