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巨大ロボットアニメ映画『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』が2021年3月8日(月)の公開から1周年記念! とカコつけて……。『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』(21年)評をアップ!
『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』 ~コミュ力弱者の対人恐怖を作品図式に反映させ、福音も与えんとした26年間を総括!
(文・T.SATO)
(2021年12月10日脱稿)
TVアニメ『宇宙戦艦ヤマト』(74年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20101207/p1)や『機動戦士ガンダム』(79年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19990801/p1)につづく、日本アニメにおける第3のエポックメイキング作品たりえた巨大ロボットアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』(95年)。そのリメイクである『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』(07年)から始まった4部作がその最終作にてついに完結。
同作を手掛けてきた庵野秀明(あんの・ひであき)カントクのことだから、てっきりキレイに完結できずにタイトルを『シン・エヴァンゲリオン』に改めた新シリーズにつづいてしまう可能性もあると見た御仁も多かっただろうが(?)、ナンとキレイに過不足なく完結していた。
とはいえ、トータルではまぁまぁの良作だったとは私見するけど、観客の心を純粋に打つ大傑作に仕上がったかについては疑問である。個人的には前作こと『~新劇場版:Q』(12年)ラストでの世界規模での大災害発生の責任を引き継ぐかたちで、主人公少年・碇シンジ(いかり・しんじ)くんの傷心した姿を描いていく本作『シン・エヴァ』前半における第3新東京市ならぬ第3村での件りなどはややカッタルくもあった(汗)――もちろん彼の復活を描くには、アレくらいの尺数を描いていかないと説得力が出てこないのもわかるけど――。
つまり、今回の「完結編」は単独作品としてのパワーではなく、四半世紀もの観客側での歴史や人生や思い入れ、TVアニメ最終回や旧劇場版における歯切れの悪いラストに対する「愛憎」も込みでの「終了確認」をしたいという想いが一点。そこに加えて「思い出補正」で作品自体の存在や評価がカサ上げされていった面もあったのではなかろうか?
そーいう意味では、人生の幾分かを『エヴァ』と過ごしてきたロートルオタクたちとは異なり、21世紀の思春期の少年少女や若年オタクたちの心を打つ作品にはイマイチなっていないようには思うのだ。
『エヴァ』らしさ!? 「使徒(他人)による周縁から中心(自己)への接近」と「接近過多での自他融解による大破局」!
とはいえ、本作で完結させるのだとはいえ、そのドラマ的・テーマ的な結末だけを延々と見せるだけでは、一応の正義の巨大ロボット兵器が活躍するエンタメ活劇にはならないので『エヴァ』っぽさも醸せない。『エヴァ』という作品の意匠は、世界規模での大破局後の終末世界に残存した第3新東京市にナゼか周辺から迫ってくる「使徒」という名の無機物チックな巨大怪獣の襲撃に対して、巨大ロボ・エヴァンゲリオン複数機が立ち向かうといったモノである。
そして、「使徒」の目的は迎撃要塞基地でもある第3新東京市の地下奥深くに眠るナニかであり、使徒がそこまで達して接触してしまうと、世界の破滅級の大爆発が起きてしまうというモノだ。
TV版『エヴァ』ではさらにここに、境界を越境して襲来してくる「使徒」=「ヒト」=「他人」、「第3新東京市」=「エヴァ」=「シンジ」=「自己」などといったメタファー構図もカブせている。
そして、人間一般あるいは特に我々オタクのようなコミュ力弱者である内向的な性格類型には特に強い、気心の知れない他人が苦手または怖いといった心情を、加えて適度な距離感で他人と交流することの大切さ、しかして他人と接近しすぎても人間関係が破綻して自己の輪郭も保てなくなって自我が崩壊・融解してしまう危険性を、つまりは自他が共生しつつも適度な線引き・細胞膜・皮膚・自室・家屋・国境などといったATフィールド・境界線もまた万能ではなくともアイデンティティーを保持するためには必要ではあることを、各自が溶けて均質化してしまったグローバリズムではなく各自が個別性を保ったままで交流していくインターナショナリズムを、そうだとはハッキリ明言はせずに遠回しで煙に巻くかたちで作劇していくことがミソの作品でもあったのだ。
よって、コレらの要素をイコールではなくても踏襲していかないと『エヴァ』っぽさも醸せない。
そこで本作では、主人公たちが搭乗する空飛ぶ戦艦は地球の最下部だともいえる南極の地へ、さらにはそこから実数/虚数、現実/概念、この世/あの世などの関係で云えば後者に相当する、数学論理的には存在可能に思える「マイナス宇宙」という深部へと降っていくというかたちを採っており、そこにハイブロウな映像洪水による背景美術や戦闘シーンも挿入することで、先の第3村に登場した美少女キャラ・綾波レイのクローンともども、一応の『エヴァ』っぽさも出せている。
主敵は自分たちの上位組織! 主役メカの量産型! ラスボスは主役メカのマイナーチェンジであるあたりは王道!
まぁ、シニカルに物語を因数分解していけば、敵は使徒ではなく正義の味方と同種でもある量産型エヴァンゲリオン、ラスボスたるエヴァ13号機も主人公少年が搭乗するエヴァ初号機とデザイン&色彩もほぼ同じ。つまりは、かつて自身たちも所属していた秘密組織や主人公少年の父親との戦いともなっていく……といったあたりで、実は少年漫画や変身ヒーローものの最終決戦におけるテンプレ要素にも満ちている。
――すでに特撮オタク諸氏も指摘している通り、「ゴルゴダ・プロジェクト」「マイナス宇宙」「裏宇宙」は、この宇宙のウラ側にあって光の速さを超えないと突入できないマイナス宇宙に存在する、ウルトラ兄弟が十字架に磔にされてしまったゴルゴダ星(『ウルトラマンエース』(72年)#13(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060803/p1)~#14(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060805/p1))、味方のエヴァ8号機が敵の9~12号機の4体と強制合身してパワーアップしたのを「オーバーラッピング」や「フォー・イン・ワン」と称していたのも、ウルトラ6兄弟が6重合体した際の掛け声に由来する(『ウルトラマンタロウ』(73年)#25)。
オタク第1世代は彼らが中高生の年齢であった70年代前半に放映された第2期ウルトラシリーズを酷評してきたが、その世代であるにも関わらず庵野カントクは各所で第2期ウルトラの美点にも言及してきた。第2期ウルトラ擁護派でもある筆者としてはうれしいかぎりだ(笑)――
20世紀の『エヴァ』ファンと21世紀の『エヴァ』ファンの相違! 劇中の衒学的なナゾ解きにはもう無関心!?
ただし、「ゴルゴダ・プロジェクト」や「マイナス宇宙」などのガジェット(小道具)や用語については、ナゾめかせることでファンの深読みや探求欲を喚起していた20世紀のTVアニメ版とは異なり、カナリ説明的なセリフでその何たるかをクドクドと早口かつ冗舌に説明されていくので、意味不明といった感じにはならない。
かつての『エヴァ』には思わせぶりで難解かつ宗教的・衒学的(げんがくてき。学を見せびらかす)なナゾ要素も多数散りばめられており、20世紀の『エヴァ』ファンはソコをも深読みせんと盛大に喰らい付いていったモノだったのだが、21世紀以降の新たな『エヴァ』ファンはオタクのいわゆる「動物化」ゆえにかそこには無関心ではある。同じ『エヴァ』でも受容のされ方が変わってしまっている。コレらはそのあたりへの庵野カントクなりの対応といったところもあるのだろう。
作品単体ではなく作品の外での諸氏による解題で理解されてきたという側面も大きいけど、使徒を迎撃する秘密組織の厳めしくて寡黙な長でもある主人公少年の父・碇ゲンドウの最終目的「人類補完計画」とは、死者をも含む全人類を自他融解した集合生命にしてしまうことで、寂しさや他人に対する恐怖や不信からの解放を、そして何よりもコミュ力弱者である自身を受け容れてくれた、唯一の心許せる存在でもあった早世した妻を復活させて再会しようとすることであった。
本映画ではTV・旧劇場版なども史実であって、「エンドレス・エイト」((C)『涼宮ハルヒの憂鬱』)ならぬ「歴史ループ」でのやり直しをしてまで、この計画を完遂しようとしていたことが明かされている。
虚構(イマジナリー)が現実と同等に存在できるマイナス宇宙内というエクスキューズを付けることで、セル画ライクなモーションキャプチャーの3D-CGアニメによる文字通りの背景ホリゾントもまる出しな特撮ミニチュアビル街セットなどでのエヴァ初号機vs13号機による親子喧嘩が描かれた果てに、物語は主人公少年ではなく父個人の独白や自己省察へと入っていく。
ラスボスだった父親との対決! 主人公少年のみならず父もまた、我々コミュ力弱者たるオタクの写し鏡!
・親戚付き合いや元気で衝動的な同世代の子供たちの輪の中に割って入って、自分を出したり他人に働きかけて彼らを動かすような行動が、子供のころから苦手だったり怖かったこと
・その反動として、外界からの不意の介入などは発生しない自分個人だけで確実にコントロールができる箱庭・盆栽的な美とでもいうべき、読書や知識欲や音楽には傾注してきたこと
・話し掛けられることでもアタフタとしてしまう自身の弱さを隠すために、イヤホンを付けることで暗に他人を拒絶してきたこと……
判っちゃいたけど、ゲンドウもまさに我々コミュ力弱者たる筆者もといオタの写し絵でもあり、息子のシンジ少年とも同類項でもあったのだ(爆)。
とはいえ、ヒトそれぞれではあろうけど、コレらの描写は作劇的には正しくて妥当だとすら思うけど、個人的にはあまり心は打たれない。
それは作品の方の罪ではなく、観ているコチラがすでに枯れたオッサンになっており、そんなことは作品や他人に指摘されるまでもなく判っていますヨ、今さらですヨといった気持ちがあるからでもある(汗)――もちろん、だとしても押さえておくべき描写ではあったけど――。
『エヴァ』のねらい!? 庵野監督が発行した同人誌『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア 友の会』(93年)での発言に求める!
庵野カントクはもう30年近くも前である1993年末の冬コミで、アニメ業界人多数のインタビューや寄稿をまとめた『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア 友の会』なる同人誌を発行しており、「完結編」合わせで放映されたNHK『プロフェッショナルの流儀』における寡黙で細かな指示を出さずにスタッフ自身に呻吟させるかたちで仕事をさせていた姿とは真逆な、実に冗舌・多弁な評論オタクとしての姿も見せている。
「初見ではツマラなかったものの、同作を再見したらば富野カントクの裸踊りかつアニメ業界のメタファーでもあって面白かった(大意)」という感慨から作られた、その前書きでは作家・三島由紀夫(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200809/p1)のアイロニカルな箴言(しんげん=教訓的な格言)多数を衒学的に太字で引用しまくってもいるこの1冊。
――同作を評価していない筆者はこの同人誌の内容には必ずしも賛同する者ではないのだが、シャアとその愛人ナナイの同席シーンには、初作の総集編映画の完結編『機動戦士ガンダムⅢ めぐりあい宇宙(そら)編』(82年)におけるシャアとララァの同席シーンのようなイロ気がないという庵野の指摘には同意する――
そこで、自分たちオタク第1世代には語るべき体験・オリジナル・ホンモノがない。せいぜいが疑似体験に過ぎない往年のTV作品やその寄せ集めを活かすかたちでしか作品を作れない。しかし、それを自覚して相補的に作ると虚数の2乗が実数になるように、理論上はホンモノになれる新作を準備中である旨の発言をしている。今思えばそれが『エヴァ』であったのだ。
『ガンダム』のアムロ→『セーラームーン』の水野亜美→『エヴァンゲリオン』のシンジ ~コミュ力弱者キャラの系譜!
同書では庵野同様に「自身にはオリジナルがない」という問題意識を抱えていることで意気投合したという、女児向けアニメ映画『劇場版 美少女戦士セーラームーンR』(93年12月公開)を製作中であった幾原邦彦カントクについての言及もあるのだが、まさにこの90年代前半には『セーラームーン』で小さな地殻変動も起きていた。
メタファー演出の勃興に加えて、当時の男性オタク間ではセーラーマーキュリー・水野亜美が大人気となったことである。
80年代のオタク間においては快活な美少女やビキニアーマーの戦闘美少女が人気を博していた。しかし、現実世界の一部の女子中高生たちがおしとやかであることをやめて欲望・ホンネを解放してギャル化してみせれば、彼女らは弱者男子に対して遠慮のない露骨な蔑みの目線&言動を向けるようにもなったのだ。慈悲深い快活女子が弱者男子をも包摂してくれるのだという幻想の崩壊! この地殻変動にはそんな理由もあっただろう。
そして、亜美ちゃんの今で云うコミュ力弱者・控えめな性格ゆえの集団不適応から来る孤独描写。ソコにも当時のオタクたちは飛びついて自己憐憫的な共感も示して(笑)、そのような二次創作も隆盛を極めていく。
……自身のコミュ力弱者ぶりを仮託も含めてカミングアウトしてもイイ! それは『ガンダム』初作の少年主人公・アムロに肩入れした往時のオタクたちにもあったものである。しかし、82年秋から大流行した「ネクラ」という用語、83年には早くも人気漫画のTVアニメ化である『ストップ!! ひばりくん!』内でも『ガンダム』のことをアムロを演じた声優・古谷徹自身によって「フツーの少年」ではなく「ネクラな主人公」などとパロディーだとはいえ負のモノとして言及されてしまったことにも象徴される、軽佻浮薄な方向への急速なる時代の空気の変化ゆえに、オタク間でもこの話題はタブーとなっていった。
しかし今、再びコミュ力弱者問題にスポットが当たりつつある。ソレならば主人公たちシンジや綾波レイにこの問題を投影することで「彼らはオレだ!」といった感情移入も惹起することができるのではなかろうか!? そして、できれば彼らにその苦しみを解消できるような方策たりうる「福音(ふくいん)」までをも与えたい! そんな大望も交えて『エヴァ』が誕生したのだとも思うのだ。
もちろん一介の作品ごときにコミュ力弱者の問題を一挙に解消して救いを与えるようなことができようハズもない。TVアニメ版は最終回では作品としては空中分解して、むしろファンの怨嗟を買ってしまい、庵野自身もファンに対しての不信感を高めていくことにもなるのだけど(爆)。
――ちなみに、『セーラームーン』に大いにハマっていたとおぼしき庵野は、シリーズ第3作『美少女戦士セーラームーンS(スーパー)』(94年)では、新登場した天王星の戦士・セーラーウラヌスと海王星の戦士・セーラーネプチューンの変身シーンや必殺技シーンの各話で流用されつづけるバンク映像を、当時に所属していたアニメ製作会社・ガイナックスで引き受けて、その演出も担当していることが、当時のアニメ雑誌などでも言及されている――
なお、このブーム当時のオタク少年たちも、中学校までは『エヴァ』の話ができたのに、高校に上がると「『エヴァ』? 何それ喰えるの?」的なアンタッチャブルな劣位趣味への扱いへと変わってしまう挫折を味わっていたようである(笑)。
庵野監督の強み!? 見上げるようなオブジェで巨大感も豊かに、緊迫感あふれるカッコいい戦闘シーンを魅せること!
とはいえ『エヴァ』の魅力の一方は、巨大ロボ&戦闘アクションでもある。
ビル街や山あいから見上げたカッコいいアングルで捉えられた巨大ロボや使徒。それらが重厚に、あるいはスピーディーに動くことへの映像的な快感。壮快に活躍してピンチには陥ってしまうもののナンとか一発逆転して勝利に持ち込んでみせる、身体的な快楽・愉悦(ゆえつ)をもたらす戦闘シーンのカタルシス!
この「ナイーブかつメンタルな要素に対する共感」と「巨大オブジェ&戦闘アクションといったフィジカルな要素に対する快感」が渾然一体となった点が、『エヴァ』に人々を引き寄せた正体でもあっただろう。
庵野が2016年に発表した実写怪獣映画『シン・ゴジラ』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20160824/p1)なども結局は後者の巨大オブジェ&戦闘アクションがキモ・中核なのである。逆に云ってしまうと、『シンゴジ』は特撮アクション部分はともかく本編ドラマ部分には映像的密度感がやや欠如気味ではあったようにも思うけど。
――同作には右派的にも左派的にも解読可能な社会派的な要素も込められてはいたが、20世紀に『エヴァ』を製作していた時代とは異なり、庵野が自作を自身の意図とは異なる読み方をされても構わない、むしろそれを誘発してみせようと達観したゆえの境地からの作劇でもあっただろう――
今後に控えている巨大ヒーロー映画『シン・ウルトラマン』はともかく、人間サイズのヒーロー映画『シン・仮面ライダー』などは下から見上げた巨大物体が動いているという迫力映像の力で間を持たせることで、画面(作品)への求心力・集中力も高めていくようなことはできにくい素材ではある。素朴な原典の再現などではなく、人間サイズの超人によるジャンプ力やパンチ力の増大といった身体拡張的な全能感・万能感を映像でも表現できれば勝算が出てくるだろうとは思うけど、果たして庵野は自身の強み・得意を自覚しているのや否や……。
『シン・エヴァ』でも救われなかったコミュ力弱者はいかに生くべきか!? 2010年前後に勃興した(ひとり)ボッチ作品に答えを求めたい…
この「完結編」のラストは数学論理的に使徒やエヴァが存在しない世界を選択して現実化させたのであろう世界で、記号的なアニメキャラの度合いが強くて、そも主人公少年に好意を持つように人造デザイン(爆)されていたことが明かされた美少女たち綾波レイやアスカではなく、前々作『~新劇場版:破』(09年)から登場したやや肉体的な厚みも感じられる第3の美少女キャラ・マリと付き合っている青年の年齢に達した主人公の姿が描かれてエンドになる。
「現実に帰れ」「自他・思想・性格類型の相違もある猥雑な世界で殺し合いや断交ではなく、粘り強く折衝や妥協もしつつ他人と生きていけ」という意味ではTV版や旧劇場版ともテーマ的には同じなのだが、上から目線ではないマイルドな描写ゆえに前記2作とは違って反発を抱かれることはないだろう。
しかし『エヴァ』という作品のオチとして、観客の最大公約数にとってもこの処方箋が正解ではあっても、個人的にはプチ反発も感じてしまう。それはやはり現実社会ではドーしてもウマく生きてはいけない、一般ピープルとは気が合わない筆者もといオタにとっての万能な処方箋たりえたとは思えないからである。
むろん、虚構の世界に閉じこもればイイとは思わない。しかし、そこは押したり引いたり心を開いたり、時にATフィールドで心を閉ざして輪郭を保ったり、そして気を強く持ってパワハラ・モラハラ同僚とも戦ったり、その逆に彼らと距離を置いてみせることの永遠の繰り返し。ソレこそが使える処方箋ではなかろうか? そして、現実世界で疲弊したメンタルを文化もといオタク趣味によって癒やすことも必要なのではなかろうか?
そのあたりについては、2010年代以降に勃興した(ひとり)ボッチアニメ(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20150403/p1)が到達した境地の方が、よほど実地に使えるモノのようにも思えるのだ。
ともあれ、作品自体の質とは別にリメイクやシリーズ化がしにくい『エヴァ』は急速に終ワコン化していくやもしれない。「おまじない」の意味合いとしても「さようなら、エヴァンゲリオン」。
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