『機動戦士ガンダムNT』(18年) ~時が見え、死者と交流、隕石落下を防ぎ、保守的家族像を賞揚の果てに消失したニュータイプ論を改めて辻褄合わせ!
『機動戦士ガンダムUC』「episode7 虹の彼方に」(14年) ~完結!
『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』(15年) ~長井龍雪&岡田麿里でも「あの花」「ここさけ」とは似ても似つかぬ少年ギャング集団の成り上がり作品!
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2019年4月28日(日)深夜から映画館で先行公開のオリジナルビデオ『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』6部作が、全13話に再編集されて『機動戦士ガンダム THE ORIGIN 前夜 赤い彗星』との副題を付けてNHK地上波にて放映中記念! とカコつけて……。
『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』(15年)評をアップ!
『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』 ~ニュータイプやレビル将軍も相対化! 安彦良和の枯淡の境地!
(文・T.SATO)
(19年6月6日脱稿)
巨大ロボットアニメの金字塔『機動戦士ガンダム』(79年・81年に映画化・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19990801/p1)初作の「前史」を描いた『機動戦士ガンダム THE ORIGIN(ジ・オリジン)』(15年)6部作が、この2019年春からNHKの深夜ワクにて『前夜 赤い彗星』の副題を付けて、25分・全13話に再編集されて地上波初放映。
読者諸兄の大勢もご承知の通り、この『ORIGIN』の原作は、初作のキャラデザ&作画監督を務めた安彦良和が早くも20年近くも前の西暦2001年に「ガンダムエース」誌・創刊号の目玉として連載を開始した、初作を若干の新解釈を踏まえてリメイクしたマンガ作品であり、足掛け10年もの連載がつづいた作品でもある。
同誌のドル箱であった同作を少しでも延命させたい編集部の意向か、物語は中盤で初作の「前史」を単行本6巻もの分量を費やして延々と描いていく番外編へとスライド。『ORIGIN』で映像化されたのはこの「前史」の部分だけであり、奇しくも「ORIGIN」=「起源」というタイトルが、あとから「前史」だけを映像化した作品のタイトルの方にこそピタリとハマった印象だ。
ゆえに本来は、初作とは細部が異なるリメイク漫画版『ORIGIN』序盤につながっていく物語ではあるけれど、少々の不整合に眼をつむればTVアニメ版初作やその再編集たる映画版の序盤につながる作品として捉えても大きな違和感がナイものともなっている。映像主体の「ガンダム」シリーズにおいては、小説や漫画などの番外編作品でも、それらを原作にあとから映像化されたモノの方が正史として扱われる傾向があるようにも思うので――『機動戦士ガンダムUC(ユニコーン)』(10年)など――、今回の『ORIGIN』もそのような位置付けとなっていくのであろう。
原典たる初作では、旧独を模したとおぼしきジオン公国の侵攻を受けた、宇宙空間に浮遊する地球連邦側の植民用巨大円筒スペースコロニー・サイド7に住まっていた少年少女たちが、人手不足の地球連邦軍の最新戦艦に避難して、故郷を脱出する道程で生き延びるために仕方なく現地徴用兵士として戦争に身を投じていく「十五少年漂流記」スタイルの物語が描かれた。
しかし、「前史」たる本作では、原典で主役巨大ロボ・ガンダムを操縦する少年主人公の宿敵となる敵ジオン軍の巨大ロボ乗りでありエースパイロットでもある金髪イケメン青年・シャアの方を主人公とする。
そして、彼の少年時代からの来歴を、彼の父であり「宇宙移民こそがニュータイプ(新人類)だ」と主張したジオン・ダイクンを、彼の死に乗じてその権威を簒奪していくTV初作でもおなじみなザビ家の面々やその角逐に亡き次兄の顛末、シャアことキャスバル・ダイクンがその偽名を名乗るために幾人かの青年の命を奪ってきた策謀を、月のウラ側にある最果てのコロニー・サイド3における地球連邦の圧政や現地民の不満、その自治独立の機運をザビ家も代弁して「ジオン公国」を名乗らせて、かの国の巨大ヒト型ロボ=モビルスーツの開発史を通じてそのテストパイロットともなる初作の有名敵将、青い巨星ランバ・ラルや黒い三連星ガイア・オルテガ・マッシュ、初作にシャアやランバ・ラルの配下として登場したスレンダー・デニム・クランプ・ドレンらの前歴を、ついには地球連邦政府に対して独立戦争を、そして地上にコロニー落とし作戦を敢行していく一連をも映像化していく。
初作やその劇場版をリアルタイムで鑑賞した往年の少年少女であれば、特別に濃ゆいオタではなくとも、TV本編でもほのめかされ、当時のマニア向け書籍でも語られた「ルウム戦役」だの「南極条約」だのの「前史」はフワッとではあってもご存じであることだろう。若年の後追いマニアであってもガンダムオタクであれば、そのような「前史」はもちろん承知にちがいない。そんな「前史」がついに最高級の作画クオリティーにて本格的に映像化を果たす日が来たのだ。しかも安彦の達筆で柔らかい描線をも見事に再現したキャラたちは、身振り手振りや表情も実に豊かにお芝居をしている――時には古き良き大時代のマンガのようにコミカルに崩したりもするけど、それもまた愉快(笑)――。
もちろんこのような一連は「爛熟の果ての徒花」、ニッチなニーズをねらった狭いビジネスだとの批判も正しい――とはいえ「ガンダム」や「宇宙戦艦ヤマト」に実写版「機動警察パトレイバー」などのオッサンホイホイ新作は、平均的な深夜アニメの10~100倍の規模で円盤を売り上げてはいるけれど(汗)――。
しかし、出来上がった作品は、ムダに無意味な難解さはカケラもナイので一見さんお断りではなく、「ガンダム」を知らないお客さんがたとえ間違って観てしまったとしても、充分に理解ができて楽しめるだけの普遍性や面白さを獲得できているとも思うのだ――思春期的な繊細メンタルやヒロイズムではなく、政治的な権謀術策を主眼としているあたりで、幼児や児童層であれば理解しがたいモノではあろうけど(汗)――。
なので、マニア諸氏が本作のことを「初作をよく知っていてこそ楽しめる」と評するのはその通りではあるけれど、ホメているつもりで実はライト層を遠ざけてしまう行為でもあり、むしろ本作を起点に「ガンダム」諸作に興味を持ってもらえるだけのポテンシャルもある作品だとも思うので、愛情ゆえの言動なのは承知するけどクレバーな言動だとはとても思われない。
初作を除くとムダに無意味に難解で生硬な作風となっていった歴代『ガンダム』を手懸けた富野カントクの作風と、判りやすくてナメらかでナチュラルに仕上げてみせる本作の監督を務めた安彦良和の作風。この両者は実に対照的でもある。
この安彦や同世代の脚本家陣と組んでいたころの富野はイイ意味で彼らの作風や意見具申や牽制などで中和され、『ガンダム』初作はちょうどイイ塩梅に仕上がっていたのだとも痛感する。氏が当時手懸けた初作の小説版や、あるいは数年後に富野が1~2世代も歳下とアニメを作るようになってワンマン体制が確立した以降の作品群に象徴的だが、登場人物たちのセリフが饒舌かもしくは舌足らずに二極化、血肉の通ったナマなセリフではなくムダに思わせぶりで観念的・生硬なセリフとなっていったのがその証左でもある。
『ORIGIN』以降の安彦はオトナの態度・営業トークで富野を立てるようにはなったけど、ロートルオタクであれば安彦が自身は関わってはいない続編「ガンダム」諸作や「ヒトの革新」とされた「ニュータイプ思想」に対して、陰に陽に批判的な見解をほのめかしていたことを覚えているであろう(笑)。
後年、富野も転向してニュータイプを前面に出すことをやめて、宇宙移民よりも地上の保守的家族像の方を称揚するようにもなるのだが、安彦が手懸けた『ORIGIN』でも、宇宙移民の先進性や地球連邦からの独立を唱えた「ニュータイプ思想」の先導者でもあるジオン・ダイクンは、先駆的・前衛的な思想の持ち主であったとは決して描かれない。
その正体はただのイカレた誇大妄想狂のチンケな小人物として描かれる。しかも、彼は子供を産めなかったけど才女ではあった老妻を捨てて(爆)、学はなくとも癒やしだけは与えてくれる従順な若い酌婦に走って、その彼女に産ませた子供たちが初作の宿敵・シャアや、その妹でもあり初作で地球連邦軍の最新戦艦にて主人公少年らと行動をともにするセイラ嬢であったとするのだ。
安彦は人類がニュータイプへ進化するなぞという絵空事はツユほども信じておらず、その思想は害毒ですらあり、そのようなSFビジョンを信じてしまうガンダムオタクたちをお節介にも幻滅させて解毒しようとしているのがミエミエだ(笑)――近年では富野や安彦の逆張りとして、作家の福井晴敏がニュータイプに「虫の知らせ」レベルではないアシモフやクラークのごとき古典SF的な補強を施した作品『機動戦士ガンダムNT(ナラティブ)』(18年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20181209/p1)なども登場。個人的にはココまで徹底するならコレはコレで興味深く、相矛盾する両極のニュータイプ解釈が並立すること自体は歓迎する――。
そして、初作や従来のウラ設定ではジオン・ダイクンはザビ家に暗殺されたことになっていたが、本作ではそれもまたステレオタイプな旧態依然の勧善懲悪図式と見たのか、ただの心臓発作であったと描く(汗)――とはいえ、この事態に驚愕しつつも機を見るに敏で、ザビ家が権力を掌握していったサマも描いていくのがまたリアル――。
しかして少年時代のシャア少年も無垢なる悲劇の被害者として描くワケではない。
「自分はザビ家にひざまづく人間ではない!」
「貴様らを従える人間なのだ!」
と豪語させることで、劇中内絶対正義ではなく彼もまた、少なくとも子供の時分には利発であっても、自我を肥大させて気位・プライドも非常に高い、なおかつザビ家の女傑・キシリアを前にしても物怖じしないどころか、一歩も引かない胆力を兼ね備えた少年としても描かれる――ザビ家の同年代の末弟・ガルマ少年の歳相応の落ち着きのなさとの対比がまた絶妙!――。
なるほど、こーいう子供であれば、長じて正体を隠して立身出世も遂げてザビ家に近付きひとりひとり暗殺していく執念を発揮しても不思議じゃない……というような半分は突き放して相対化もされている描き方――シャア少年に父を暗殺したのはザビ家だと憶測を吹き込んだのは、初作中盤の人気中年敵役ランバ・ラルの父君だったことにもなるけれど(爆)――。
リアルロボアニメの嚆矢(こうし)として往時は衝撃的であった『ガンダム』初作といえども、後年に観返せばまだまだヒーローロボアニメの尻尾を引きずっており、ザビ家の面々は美形の末弟・ガルマ青年を除けばいかにも悪党な面構えで、彼らが住まう公邸もトゲトゲした意匠の悪の巣窟であったけど、『ORIGIN』6部作の最終章ではココにもひっくり返しを図ってくる。
初作中後盤にも登場する日本の初代首相・伊藤博文みたいな白髯の風貌で、温厚な人格者としての性格を与えられてきた地球連邦軍のレビル将軍翁と、ザビ家筆頭でジオン公国・公王でもある杖をつき肥満した巨体のハゲ頭でマフィアのフィクサーのごときスゴ味のあるデギン・ザビ翁。
レビル将軍はジオン軍・黒い三連星に囚われたあとに脱出を果たして、その後に「ジオンに兵なし!」のフレーズで有名な名演説を果たしたとされてきた。
コレは通常、ジオンの「独裁」には屈しない「自由主義」を称揚するモノとして解釈されてきたが、本作ではむしろ人類の半数を死に至らしめる危機的状況を惹起したジオンのコロニー落とし作戦に恐怖して、戦争が継続することでの大破局への憂慮を深めるデギン翁の方が現実的な「和平派」なのである。デギンは地球連邦と講和を結ぶために、捕虜となっていたレビル将軍ともお忍びで面会し、レビルに恩を着せるかたちで、実権を握る強硬派で実子の長兄ギレン・ザビを出し抜いて、連邦と通じてひそかにレビル将軍を脱出させるのだ!
そこでレビル将軍も忖度して折れてくれれば、戦争は一旦の集結となったハズではあるけれど……。妥協・利害調整・義理人情による偽りの「平和」より、良くも悪くも「理念」「正義」を優先する御仁であったのであろう。すでに南極条約のサミット会場でも両国の一部高官の間で利権も込みでの停戦交渉がはじまっていたのに、レビル将軍は会場に乱入して徹底抗戦を唱える「ジオンに兵なし!(ジオンに国力なし!)」演説を全世界にTVでナマ発信をしてみせる!
コレを観て、裏切られたと激怒するデギン翁! 戦争は継続することになってしまうのであった(汗)。
妥協の「平和」と、悪しき体制は殲滅してでも勝ち取る「平和」。
ムズカしいところではある。日独伊が滅びても延命したスペインのフランコ独裁のごとく、戦争を経ずとも30年後に穏健な政権に着地できれば、妥協の「平和」でもよかったとなる。
反対に第1次大戦の大惨禍の反省で欧州では空想的平和主義が流行、ナチドイツを刺激せず各国が宥和(ゆうわ)的に接したら増長して周辺諸国を電撃併合、第2次大戦も勃発したとなれば、妥協の「平和」は失敗だったとなる――世界史の授業でも習った英チェンバレン首相の「宥和政策の失敗」――。
強硬策でも同じことで、相手が折れれば成功、暴発してこちらも大損害を被れば失敗である。つまりは、自己の意図ではなく相手の出方次第。当たるも八卦、当たらぬも八卦のギャンブル。成否は結果から逆算するしかないので、「宥和」に出るか「強硬」に出るかの手法に甲乙は付けられないのだ。
もちろん「反独裁」ですらもが絶対正義ではない。ジオン派が少数派であるコロニーでは彼らが弾圧され、生来粗暴なヤンキー不良どもがバイクやジープを駆り、「反独裁」という理念に共感したのではなく、大暴れしたい想いを正当化できる口実を見つけただけなのであろう、野蛮にも猟銃や火炎瓶で焼き討ちをかけてくる!
それに対して、非暴力・無抵抗ではなく、年齢不相応にも妙に落ち着いている十代中盤の少女の身で、咄嗟に人々に指示を下してバリケードを築かせて自身も猟銃で応戦し、暴徒らをケダモノだと見下しつつも涙を流してその手を血で汚していくしかないセイラ嬢の姿も描かれる。
「生まれてきたばかりの(自身の)赤ん坊を守るためにも俺は戦う!」という正論めいた誓いもその類いであり、相手が変身ヒーローものの敵のような絶対悪であれば、その誓いも自動的に正義になるけど、コロニー落としで億単位での生命を奪った大罪の重さで泣き崩れるザビ家三男の猛将・ドズル大将がその発言で自己を保とうとすることで、意味合いを変えてしまうあたりは実にイジワルな作劇でもある。
劇中人物も語っていた通り、「(互いに引くに引けないから、人類が絶滅しない範疇で)世界は行き着くところまで行かねば気が済まない(大意)」のが、各位で異なるあまたの思惑・意地・信念などのベクトルの合力としての「ヒトの歴史」でもある、というある種の諦観を『ORIGIN』終盤は語り出してしまうのだ。
素朴な「左翼革命ごっこ」を描いて、革命を成功させても権力を握って責任主体となることは放棄することで無垢さを保とうとするナイーブな青年主人公を描いた、安彦が監督を務めていたアニメ映画『アリオン』(86年)&『ヴィナス戦記』(89年)などとは随分と遠い達観した地点に来たものだ――仮に近代国家が悪だとしても、それを革命で打倒すれば即座に地上天国が訪れるワケではなく、地域のジャイアンどもが跋扈してもっとヒドい状況になるのはイラク・アフガン・シリアを見てもわかるだろう――。
とはいえ、信者の方々には申し訳ナイけど、初作を作った富野御大が久々に降臨した『ガンダム Gのレコンギスタ』(14年)のあまりの出来に信者もほとんどが眼を覚まし、若年オタも「ジャンルの古典・教養のように云われてきたけど、こんなにもイビツな作品ならば『ガンダム』なぞは観なくてもイイや!(大意)」という声が大量に飛び交って、円盤売上的にも爆死したところで、現在進行形での生命力もあるビビッドな作品としての存在意義を失って、「ガンダム」は一旦はトドメを刺されたようにも思う。20代のアニメ評論同人などと会話をすると、京都アニメーション製作作品は基礎教養・スタンダードでも、「ガンダム」は観てすらいなかったりもするワケで……(汗)。いつまでも「ガンダム」や「ヤマト」の世ではナイことを理性の次元では喜ぶべきだと思いつつも、心情面では少々残念に思っているのも、ロートルな筆者にとっての事実だ。
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