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劇場版ターンエーガンダムⅠ地球光/Ⅱ月光蝶

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劇場版『ターンエーガンダム』鑑賞記

(文・T.SATO)
(2002年5月執筆)


 どうせTVの再編集版だし、積極的に観る気はなかった。
 が、残業100時間サラリーマン(02年当時)が土曜に休日出勤すると、翌日のビルの点検停電に備えて夕刻から仕事ができなくなるという。ここで気まぐれして一念発起、2月の土曜の寒風吹きすさぶ夜の新宿に繰り出した。


 月と地球。戦後2000年だか1万年。見ようによっては、AFTER WAR……戦後21年(笑)。
 宇宙世紀の遺民たちは月と地球に別れ住み、月にはオーバーテクノロジーの民と、地にはロストテクノロジーたるロボット兵器・モビルスーツを発掘する産業革命期に相応するオールデイズファッションの人々が遭遇する物語の妙。


 月はいつもそこにあり、『ガンダム』もいつもそこにあったが、21年前、ジャンル趣味の興隆と市民権の獲得という輝かしい未来(笑)を夢見た頬赤き少年少女の成れの果てどもが陣取る劇場は、名画座か三番館のごとき数十人収容の小さな小屋だ(新宿ピカデリー4・後日付記:今では小奇麗なシネコンに変貌・汗)。
 一望できる少人数の観客は、30代とおぼしきそろいもそろって銀ぶちメガメの男性がほとんどを占める、イイ歳こいたマニア連中(……筆者自身は視力だけが良いのが取り柄だが)。


 月刊漫画誌ガンダムA(エース)』が公称40万部を誇り(ってことは実売20万と見るが)、各種グッズ商売が産業として成立しているとはいえ、かつては数百万人の観客を動員しえた『ガンダム』も、今では都内の極小館数館でのみの短期間上映。
 80年前後のアニメブームに比較すれば、マイナーに過ぎないと感じていた90年代角川アニメよりもさらに少ない館数だ。前年(01年)末のクリスマスイブの夜にオタク仲間と鑑賞した(泣)、新宿東映の『サクラ大戦 活動写真』なんて、男女オタ含めて盛況のかぎりだったというのに!(観客の平均年齢も『ガンダム』よりは断然低かった・笑)


 90年代〜21世紀における『ガンダム』の、質はともかく人気としては、まぁたしかに筆者の実感とも相応するもので――もちろん念押しするが、たった20万人のパイでも、現在では成長して小金持ちになった『ガンダム』オタク連中の消費行動……レンタルおよびソフトや各種玩具・書籍の売り上げ等々でビジネスは成立する――、製作会社サンライズや興行側による公開規模の設定は適切なものだろう。
 色々意見はあるようだが、筆者は決して洋画大作とバッティングしたから、この興行規模になったとは思わない。てか、我々のオタク趣味は、メジャー娯楽文化の2桁下のオーダーだっつうの(笑)。



 さてさて作品の感想について。
 まあいつものことではあるけれど、第1部『地球光』/第2部『月光蝶』の優劣評価は、ヒトそれぞれでいろいろあるようだ。


 個人的には『地球光』にハマった。
 実は、弛緩したノリの焦点の定まらない、総花的かつ中途半端な総集編だろうと事前予測をしていたのだが……。
 驚いた。というのは冷静に努めた場合の表現。


 感情的には……コレは超スゴい!
 富野由悠季(とみの・よしゆき)カントクの劇場作品中でも最高ケッサク! もうダントツ級で気に入った! ってな感じだ。
 とてもよく出来た総集編で、しかも一本の単独作品としても面白い。
 TV版と比較すると、90年前後のトレンディドラマ(死語?)『もう誰も愛さない』(91年・フジ)、『愛さずにいられない』(91年・日テレ)(両作の製作会社は同じ・笑)や、『新機動戦記ガンダムW(ウイング)』(95年)調なジェットコースター駆け足ハイテンポな構成ではある。


 ありながら、TV初期編のエピソードに上映時間の過半を費やし、メインキャラや世界観・舞台設定を念入りに観客に了承させる。
 映画中盤は、月国家の地球侵攻……いや、ごくごく局地的な地球進駐(笑)と領地割譲要求、そこから派生する1クール目の幾度かのスリリングな月と地球(というか地球の一地方領主)との洋館での外交交渉――周辺では月と地球の軍事的小競り合いも頻発するが――を主軸に据えた構成が成功している。
 外交交渉でも、主要な名場面や盛り上がり場はすべて残されており、ただ単にシーンとして残されただけではなく、シークエンスとしての流れ・緩急・抑揚の演出の見事さも活かされていて、TV版のそのノリを殺してはいない。


 主人公はご存じ、月から地球に生存適応テストとして潜入し、地球側に味方することとなる美少年ロランくん。
 地球側の主要人物は、ロランが丁稚奉公するハイム家のキエル嬢&ソシエ嬢姉妹。
 それにアメリア(北米)大陸の一地方領主のスマート青年御曹司グエンさん。


 対する月側は、地球のキエル嬢とそっくりの月の女王さまディアナ。
 女王のお付きの親衛隊長ハリー(……取り澄ましてる彼の、ファースト『ガンダム』における好敵手・シャアがしたようなサングラスが、社交会にて地球の貴婦人方に「何アレ?」的に笑われてしまうTV版の描写は、ジャンルの成熟ともいえるし、すぐれて90年代的だったともいえるが〜笑)。
 それに月の軍人のゴツい男に無器用女ほか。
 ……といったところには、もちろん変更はない。


 ないのだが、ロランとともに地球に降下したテスト要員で、のちにパン屋の婿にちゃっかりおさまるキースくんと新聞記者になるフラン嬢。
 作品世界を良くも悪くも無意識に規定する、#1冒頭で登場したキャラであるだけに、その去就が少々気になって、主役とワキ役との中間もうチョイ主役寄りで、もうチョット彼らの顛末・生活のボリュームを増やしてもらいたく、その点で個人的にはTV版での彼らの完全なワキ役扱いには、腰の座りの悪さ・不全感をいだいていた。


 が、映画版では総集編化する際に、彼らのただでさえ少ない出番を削るワケにはいかなかったのか、そのままではあるのだが、結果的には劇中での相対的比重・存在感が若干増している。彼らはやはり物語のメインストリームに関わらないものの、個人的にはバランス的不全感をいだかないでナットクして鑑賞することができた。


 地球の愛すべきバカどもで、戦争も大スキでヒトの命もカルくて、集まれば酒を飲み大騒ぎする蛮族どもの描写も健在でうれしい。『ガリア戦記』時代のゲルマン民族かね?


 TV版2クール目における、グエンさんとは別の地方領主――先の領主はイングレッサなどという名称からして英国風であったが、コッチはギャバンだのボルジャーノンだの仏国風(笑)――も、モビルスーツ(ファースト『ガンダム』の敵モビルスーツの量産型ザク!)を地下から大量に発掘して参戦してくる展開はかなりハショっているが、2時間ワクの映画で主要キャラと舞台設定を観客に了解させるには、TV1クール目を重視する作劇で成功だったろう。
 2クール目の、ホコリと土のにおいがする森の戦場のイメージもスキだが、連続ストーリーとしてよりも、キャラクターや空気・ムードにこそ魅力があると筆者が思う『ターンエーガンダム』2クール目は、ハショられてもその残り香は劇場版でも漂い、不満はない。


 劇場版第1部ラストは、TV版2クール終盤だったか3クール初頭だったかの、ロストテクノロジーたる発掘された核兵器(!)の、誰が悪いとも云えない、愛すべきバカどもの無知ゆえの騒動と核爆発(古典的常識の範疇の通常兵器であれば、より強い武器を先に横取りしても奪取せんとする地球の蛮族のふるまいは、武門の者としては合理的判断ではある)。


 TV版でも泣けたが、核爆発とともに消えた亡きギャバン隊長へのソシエ嬢のウェディングドレスを着ての呼びかけはとても泣ける。というか滂沱の涙……小生は人前でもこらえることができないという、とても涙もろいヒトなので(笑)。


 鑑賞後に読んだパンフでの伊集院光の発言(TVを見てなくても充分理解できたうんぬん)。筆者個人は大いに同感であったけど……(でも調べてみると、この意見にみんなが同感してるワケじゃないんだネ)。アッ、ちなみにオタクの筆者はTV版ももちろん観ていますから(当たり前だろ!・笑)。


 ただ冷静にふりかえれば、女王の軍隊ディアナカウンターだのイングレッサだののカタカナ言葉が、人名なのか組織名なのか地名なのか、一見さんにはやはり判りにくいだろう。
 それは80年代以降の富野アニメ全般の問題点なのだけど……
 (私的には漢語や大和言葉を、組織名や地名に併用すればよいと思う。たとえば『機動戦士V(ヴィクトリー)ガンダム』(93年)のザンスカール帝国みたく、ベタでもカタカナ言葉の末尾に○○軍だの帝国だの同盟だの連盟だのの漢語でも付加すれば、間口を狭くし敷居を高くする無意味な判りにくさは、随分解消されたことと思う。それに富野作品の良さは、そのドラマにありこそすれ、こーいう用語法にはさしてないとも思うのだ)。


 ……ロランくんが月出身をカミングアウトするシーンがカットされているのは瑕疵(かし)とも云えるが、TV本編でも唐突だったしインパクトもさほどなく、そこからドラマもあまり生じなかったことこそが問題だったともいえるので、劇場版でカットされても案の定、作品展開には何も影響をおよぼさなかった(笑)。


 むろん、たしかにTV版のシリーズ前半の総集編に過ぎない。
 しかし超早いカッティングでTV版の展開をふりかえりつつも、初期編を中心にポンポンと気持ち良くシーンを切り替えながら話を進めて、2時間強のワクにメインキャラの去就を、月と地球(じゃなくて地球の一地方のみ・笑)の出来事の変遷の中によくぞここまで埋め込んで、起承転結を体裁よくまとめてみせているのには、やはり感心させられる。



 作品はできあがったフィルムのみで語られるべきなのかもしれない。だとすれば筆者はこの作品を賛辞のみで語るのだが、心の一方では実はイジワルな見方もしてしまっている。
 これはたまたま偶然に、ケッサクとして仕上がった作品ではないのかと……。
 いや正確に云うなら、富野カントクの作家性によってケッサクとなったのではなく、富野カントクの切り貼り屋・再編集屋としての才能がいかんなく発揮されたからこそ、ケッサクとして成立したのではなかろうかと。


 往年のロボアニメ『勇者ライディーン』(75年)での70年代東映特撮変身ヒーローものの#13や#26の節目話がごとき(笑)、バンクフィルム多用の再生怪獣軍団編での絵コンテだか演出だかからはじまって(もっと前から?)、富野カントクは切り貼り・再編集が職人芸的にとてもうまいヒトでもある。
 むしろ失礼ながら、そちらの方が適職ではないかと思わないでもない(と云いつつ、ファースト『ガンダム』劇場版3部作や劇場版『伝説巨神イデオン接触編』(82年)は当時あまりイイとは思わなかったけど。今見ると面白いのは、慣れなのかローティーンのころの短気な生理と成人の気長な生理の差異なのかは判断に苦しむが)。


 近年では、『Vガンダム』の中盤と終盤にあった総集編(富野カントク自身が絵コンテ&演出担当)が、個人的にはとても面白かった。普段のエピソードよりも面白かったほどだ
 (笑〜いや普段のエピソードも、一時期の富野作品よりはるかに面白いと思っていたけれど。80年代の一時期の富野作品がスキな方々には申し訳ないが〜汗)。


 厳密に正確に云うなら、それは既成のフィルムを最大限に使った総集編でありつつも、一応は通常のエピソードでもありえている。
 が、前記した終盤の総集編では、人工衛星軌道上の巨大要塞エンジェル・ハイロゥに多数搭乗させたサイキッカー(超能力者)からの精神誘導波の増幅で、地球上の人々に闘争心をなくし幻覚(実質、バンクフィルム・笑)を見させるという、マジな作劇なのか笑ってイイのか判断に苦しんでしまうような、とてもイカレた話として成立していた。


 こーいう作劇を、マジメ・リアル志向の人々がキラうのは判るが、90年代以降のジャンル作品に限らず一般層向け物語作品は、リメイク版『猿の惑星』(01年)ラストにしろ、和製サスペンス映画『催眠』(99年)クライマックスにしろ、あまたのTVドラマ最終回にしろ、どっか笑っちゃうしウソなんだけれども、勢い&盛り上がり&ある種の意外性や破綻やムジュンが多少生じてもサプライズあるドンデン返しがある、という作劇(時にフィクションであることも暴露してしまうメタ作劇)に到達するしかないのではなかろうか?
 (子供向け特撮変身ヒーローや王道派時代劇であるならば、正統派勧善懲悪活劇を展開すべきであると切に思うけど)


 ウソはないけどキレイに小さくまとまった作品が、古き良き素朴な時代に鑑賞するなり、古い作品と判ってビデオでひとり静かに鑑賞するなら、小粒良品としてナットクできるだろうが、リアルタイムTV作品あるいは劇場でイベントとしてマスにさらされる作品としては、インパクトの面でナットクされるとは思えない。


 その伝で、後述する月側の敵将ギンガナムのTV版での
 「ターンXはターンAのお兄さんなのだョ!!」
 とかの、作品を崩壊させる瀬戸際のバカセリフというかメタセリフってのも、筆者個人はイイというか、大スキなのだけれど……それって筆者だけですか?


 (劇場版では、ギンガナムの
 「コレがシャイニング・フィンガー(異端の『機動武闘伝Gガンダム』(94年)の必殺ワザ!)というものか!?」
 のセリフともども、カットされていたけれど(笑)。サンライズの後付け公式設定はともかく、富野カントクは『Gガン』を『ターンエー』と同一の世界にはしたくないんスかネ〜、残念!)


 ……『Vガン』の本エピソードでは、総集編的に使用する既成フィルムに、エンジェル・ハイロゥによる主人公たちの幻覚としての意味を与えて、元の文脈を変化させて異化作用をうながし、幻惑感とともに異様な感動をも惹起する
 (主人公ウッソ少年が、森の陽射しの中にいる少女ヒロイン・シャクティの裸身を幻視するシーンの何が何だかよく判らない盛り上がり!……)。
 なにか直感・ノリだけで編集しているうちに偶然、異常不条理ケッサクができてしまったという感じで(?)、それが筆者はとてもスキ。


 以上は、筆者の個人的好みの度合いが強いかもしれないので、例としては適切ではなかったかもしれない。
 しかし、90年代初頭のサンライズアニメ『新世紀GPXサイバーフォーミュラ』(91年)や『ママは小学4年生』(92年)のOPアニメでの、富野カントクの絵コンテ屋(作家性と不即不離とは云えイコールとは云えず)としての才能は、万人が認めやすい定評もあるものだろう。
 たしか、前者は別に用意していたOP絵コンテよりも#1、2のフィルムをツギハギした富野カントクの絵コンテの方がカッコよくて、そちらが採用になったとか……。*1



 なのでマニアックなウラ読みの観点からは、単純にホメたくないという複雑に屈折した感慨も一方ではあるのだが、純粋にフィルムのみで判定するのなら、『地球光』は筆者にとってはケッサクとして太鼓判を押すのに躊躇のない大スキな作品でもある。
 ……我ながらイヤだな、スレたマニアはまわりクドくって(笑)。


第2部『月光蝶


 (2002年)2月24日(日)、新宿に出かける。


 ……上映していない。すわ不人気で打ち切りか? 情報誌を読むと当初から2週間しか上映しない予定だったと判明。ただし板橋のワーナーマイカルのみ3週間の上映だ。
 第1部の印象がよかったので平日夜の最終上映を残業切り上げて鑑賞することに心を決める。
 しかし当日、劇場に到着するとそこには先週で上映終了との告知が(笑)。よほどの不入りなんだネ。3月より都心郊外で2次ロードショー。
 三度目の正直、京王多摩の南大沢のシネコンに出掛ける。1日2回午前のみの上映。上映開始に5分遅れて到着したら……もうチケットが購入できず。
 貴重な休日を移動時間だけでムダにするのは虚しいので、意地でも本日中に鑑賞しようと寒の戻りの曇天下、内陸の京王多摩から房総の京葉線東京ディズニーランド舞浜駅へ移動……。


 その感想だが、個人的にはあまり良くない(駄作や凡作とまではいわない)。
 主人公ロランの月における旧友庶民たちの描写は削減されているが、コレ自体はTV版でも地球の土民たちに比べて造形的に深みがなかったと思うので、割愛に不満はない。
 第1部に比してテンポはゆったりし、描くべき要素も少ないのでまとまってもいる。ただ、個人的にはイマひとつノれない。


 トータルでは、宇宙空間での無重力ビルスール・バトルの、単なるSFドンパチアニメという印象。
 ……むろん実際にはそんなに単純ではなく、月の穏健守旧派のメンテナー派(保守派だから維持するイミのメンテナーですか?・笑)が、月の女王の地球帰還作戦に危惧して、本来は反対陣営であるハズの武断派キンガナム派と結んで、女王に反旗をひるがえしている月社会という状況下へ、地球の蛮族たる主要人物たちが宇宙戦艦一隻で乗り込んで、小競り合いや交渉を繰り返すという内容であることは、筆者ももちろん理解している。


 が、コレがなんつーかTV版のときからの個人的感慨なのだが、イマイチ深みがなく劇的・ドラマチックでもなく、ツマラなくはないけれど………といった印象だ。
 いや、メンテナーや古武士的かつ狂人のギンガナム(スキ♥)とかの要素要素は面白いのだが、トータルで組み合わされると、さほど面白くはなかったし、TVシリーズ1〜2クール目の滋味は感じられない。


 ギンガナムも古武士的キャラなら、時代劇マニアなら連想する武の道に“生き甲斐”を見いだす戦国武士の生き残りが、平和な江戸時代初頭に居場所をなくし身をもてあます、陽性アインデンティティクライシス・ドラマ的な一理を与えてくれるのかと思いきや、地球の蛮族軍人にも愛情をもって描いてくれた本作をもってしても、それは果たせず物語の終局装置としてのキャラに留まり残念だ。


 ひょっとすると自分が歳を取ったせいで、宇宙での足が宙に浮いたSF世界での物語やドンパチに、高揚感をいだけなくなりドコかでシラケてしまい、地ベタをはいずりまわっているホコリっぽい世界や洋館での外交交渉の方にこそ、より親近感をいだくというように感性が変化してしまったのかもしれない。
 作品がターゲットとしている観客層のニーズとのズレが筆者の感性にあるならば、その一点では筆者はターゲットありきの作品の評価には適任ではないのかもしれない。


 地球側のスマート青年御曹司のグエンさんが月の武断派ギンガナムと手を組み、地球に逆侵攻、一挙にアメリア大陸統一をもくろもうとする試みも、ギンガナムの好き勝手にやられるならオレがヤツを飼う的な理由があったり、オッと思わせるなかなか魅惑的で意外性もあるファクターのハズなのに、反転! 急転! といったストーリー展開のメリハリは発生しない。


 富野カントクお得意のさらなる意外性をねらって、王道に行かずにキャラの卑小さを出すことで、かえってカタルシスを削いでツマラなくする(?〜富野絶対主義者はそこを肯定する)、グエンさんが老獪な取り引きを演じるつもりが、小僧的なひとり相撲になってしまうあたりが、意図的だとしてもキャラの魅力を減じさせていてもったいない
 ――小説か何かでも、グエンさんは実は美少年フェチのホモだとの設定があるのだとか仄聞するが……80年代ならともかく、そーいう設定ってパターン破り的なインパクトはなく何それ?ってな感じ。普通人じゃなくプチ異常性癖者を持ち上げることで、作品や作家を擁護した気になるのが、作家絶対崇拝者の悪いクセだ。『ターンエー』の良さはそーいうところじゃないだろうに)。


 ここのところはTV版からの問題点・欠点で、劇場版でも深みが付与されていない。
 月の正式軍隊ギンガナム派がラストの敵となり、先に地球に侵攻していた月の女王の私設軍隊が正義側っぽくなるのは、物語を決着させるにはコレはコレでイイかな……という思いと、ちょっと不明瞭に過ぎて釈然としない印象が半々。


 おそらくこーいう攻守や同盟関係の変転は、若手カントクによる『新機動戦記ガンダムW』や『機動新世紀ガンダムX』(96年)での敵味方第三勢力陣営の変転・栄枯盛衰・交代描写に着想をドコかで得たもので、自分だったらこうやるゾという展開なのだろうが(?)、富野信奉者には悪いけど、『ターンエーガンダム』での同種の描写は前者群の域には達していない。むしろ劣ってさえいると思う。


 アッ、月の女王にそっくり地球のキエル嬢&月の親衛隊長ハリーの恋模様(キエルの一方的なものか?)のTV版よりも強調した作劇、点描に関してはよかったナ。
 


 ……月はいつもそこにあり、数年後にまた新作『ガンダム』が作られることもあるだろう。作品の質が高ければアニメファンの支持を受けてほしいと思う反面、『ガンダム』が若いアニメファンの主要な関心事項ではないことは、いつまでも往年の旧作が大手をふって歩いているワケではないのだということで、歓迎すべきことかもしれない。


 また、『ターンエー』という作品自体が、ある程度のクオリティを維持しつつも、その良さは今となっては平均的なアニメファンや一般大衆が喜ぶキャッチーなキャラクタードラマではなくなり、オタッキーというのではなしに通好みなものとなり、マス(大衆)とは遊離したかたちで成立している作品という気がするのも事実だ。


 富野カントク自身は若い女性ファンにもウケるように、主人公を美少年にしつらえたりする工夫もたしかにしているのだが(『ターンエーの癒し』(00年・02年にハルキ文庫化・ISBN:4894569655)での記述だっけかな?)、その感性も今ではやはり現在のアニメファンのセンス・ニーズとはズレがあったり、ズレてはいても先取り新鉱脈発掘にはなっている、というような域には至っていないようではある。


 商業作品というものは、筆者個人は基本的にはある程度のマスに向けて作られるべきものであると思う。しかし、それを杓子定規に万事にあてあめることもないだろう。
 メインストリーム向けではない通好み向けの客層限定商売も、一方ではあってもイイだろう(むろんそれだけでは困ることは云うまでもないけれど……)。
 またマス志向一辺倒で、往年のベテラン監督や個性的な作家が作品を発表する機会が失われる世界も、それはそれでまた偏った世界ではあるだろうと思う。


 その意味で、『ターンエーガンダム』的な作品も、TPOをわきまえつつポジションを獲得してほしく思う。
 本作はメインストリームにあるべき大衆娯楽作品とはいえないと思うが、完全お客様限定の美少女アニメ的ドマイナーな内容であるとも思われない。
 それよりかは少しメジャーなポジションを『ターンエー』のような作品は確保してほしいと思うのだ。


(了)
(初出・同人誌『ゴジラガゼット13号』(02年6月15日発行))



後日付記:早くも同年02年秋から、非・富野作品である新作ガンダムこと『機動戦士ガンダムSEED』が放映開始され、若い衆にも大ヒット。ここに書いた『ガンダム』観=“ガンダムは中年オタクのものになっていく(大意)”との予想は、見事にハズれてしまいましたとサ(汗)。


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*1:初出同人誌におけるアニメ業界人でもある、あべけんすけ氏による編註:アニメの制作ではありがちですが、本編とOPの主要作画スタッフはたいてい掛け持ちでして、本編優先でOP後回しというのがままあります。『サイバー』もその例でして、正規のOPが完成したのは#8くらいじゃなかったかな。だから富野版のOPというのは#1、2の本編素材から編集室で作ったあくまで暫定版で、絵コンテというものは存在しないのです。