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∀ガンダム① 〜序盤評


『機動戦士ガンダム』シリーズ評 〜全記事見出し一覧


(文・摩而ヶ谷行久)
(99年7月31日執筆)
 第1作『機動戦士ガンダム』(79年)放映から20年、ゆうきまさみが『月刊OUT(アウト)』誌上でのパロディマンガで『カントクはあのカルピス劇場に迫ろうとしているのだ/巨大ロボット路線でだぞ』などと赤い彗星の男に言わせてから19年、『あのセリフって当時はあくまで冗談じゃなかったのかね!?』という作品が現れた。


 無論20年のブランクがあるわけではなく、綿々と続く『ガンダム』という作品の最新作としてである。ゆうきまさみは『数作りゃえらいってもんじゃないぞー/そのうち○○○(『ヤマト』だと思われる・笑)みたいになっちゃうぞー』なんて危険なことをドムに仮装した波嵐万丈に言わせていたが、絶妙なキャスティングである。というのは余談で、現実はパロディを遠く超えて『ガンダム』20周年の現在に至っているためにその過程で作品に求められる最低限のラインが拡散・消失していった。


 シド・ミード氏による今回のデザインで真っ先に反発の矢面に立ったのが頭部(ヒゲ)だったということからも現状が見える。つまり、ガンダムのデザインラインにおける必要条件として残り続けている部分が頭部以外にないということだ。胸のダクトや足首も特徴的な意匠だが必要条件ではなく形状もまちまちで、腰アーマー分割などは当初一体だったものが模型の改造作例を経て以降映像作品でオフィシャルとなった流れを考えると頭部のようにオリジンの保存ではない。ともあれ、シド・ミードによるガンダムは『頭部(のデザインライン)が破壊されたので失格』ということになりかけた(思えば『機動武闘伝Gガンダム』(94年)の件の設定はその辺りの指摘だったのかもしれぬ。だとすれば『機動新世紀ガンダムX』(96年)よりよほど切れる皮肉ではある、と余談)。


 模型や解説書などの2次生産物による設定がオフィシャルなものになっていく一方で、原典である作品内におけるデザインや描写が『オフィシャルと違う』ことになっていく、そんな生産的ではあるが難儀でもある時代を経て、また制作サイドからはその遺産を切り仕切り直すことで『作品を作る』ことに生産的になろうとする試みが多く行われた結果、『ガンダム』の必要条件は低くなった(十分条件は跳ね上がった)。今になって初代ガンダムの劇中イメージ再現をテーマにした超合金『可動戦士ガンダム』が発売されたことからもそれは読み取れる。『大人の鑑賞に耐えうるリアル』の文脈を無視した商品だけに、かつてなら検討どころか発想されなかっただろう。しかしそもそもガンプラという商品の発端は『もう少し本編のイメージに似たガンダムは手に入らんものか』であったハズなので、えらく遠回りをしたものである。


 さて、遠回りをしたが『∀ガンダム』(99年)である。
 ヒゲの頭部も放映が始まってしまえば受け入れられているがこの騒動自体『ガンダム』の20年を全肯定するため前情報の時点から『必要条件』をさらに下げ、『これが肯定されるのなら今までの作品だってそうでしょう?』という作戦だとも思える。だからといって決してそれが逃げであったり作品の質が低かったりするわけではなくむしろ『ガンダムが出ていれば良し』というレベルの必要条件は第1作放映当時の『主役ロボットが出ていれば良し』そのものであって、制作サイドが好きに出来る状況が復活しているという点において恵まれた作品だと言えよう。実際、富野作品の特徴かつ欠点である作中用語の無説明応酬も控えられ、主要登場人物の誰の視点からでもすんなり観られる作りは物語展開と人物理解を並行する『ブレンパワード』(98年)より明らかに分かりやすいし(あの方法論も面白いが間口の問題)、何より細かい設定合わせなどに過剰な労力を費やさずに物語主体で動いている。つまりは『普通に面白いガンダム』に仕上がっており、まずは賞賛すべきだろう。あと細かいことを言えば、名作劇場というよりSFマインドと大人の描き方から本作はむしろ『対決スペルバインダー』(95年)、『オーシャンガール』(96年)などのNHK海外少年少女ドラマに近い雰囲気があると思う。そんな『ガンダム』を作りだしたことはつまり、20年の紆余曲折が無為に混乱していたのではないと思っていいのではないか、とか言ってみる。


(了)


ターンAに関する覚え書き

(文・彦坂彰俊)
(99年8月執筆)
 放映開始前から当初、イロイロな意味で話題騒然だった『ターンAガンダム』(99年)ではあるけれど、さすがに最近は主役メカのデザインがどーこー言う論調も鎮静化してきたのでは?
(まぁシリーズものを支持する一般ファン層の意識が総じて原点至上的であるのはアタリマエのことなのだが・笑)それでもあのデザインは結果的に、あの思い切った作品世界を視聴者側に了承させるためのフェイクとして機能したと言えないこともない。……『ガンダム』というモチーフの、いわゆる“解体・再構築”という作業を端的に表現しているという意味において。
 この点、「G・W・Xを含む、シリーズの全肯定」なる富野カントクのとてつもないスローガンが、いかなる形態で作中に固定されるのか? 個人的には、そこにこそ興味を感じている。――もっとも、カンのいい視聴者はすでに気付いていることだろうけど、モビルスーツが発掘兵器なのは『機動新世紀ガンダムX』(96年)初期の世界観を想起させるし、主人公ロランの素性やディアナ嬢&キエル嬢そしてグエン御曹司あたりは、それぞれ『新機動戦記ガンダムW』(95年)のガンダムパイロット・リリーナ・トレーズらのキャラクター性を富野カントク流に咀嚼したものだと見ることもできるわけであって。それなら『機動武闘伝Gガンダム』(94年)は? というところで今後の展開にちょっと期待しているのだが……(笑)。
 その世界観設定に関してはもうひとつ、RPGの影響の大きさもあるいは無視できない。具体的なイメージソースはズバリ『ファイナルファンタジーシリーズ』で、やはり“飛空艇”に“シドじいさん”ときて知らないなんてのは絶対ウソである(笑・どちらもシリーズを通じて登場するキーファクターとして、ゲームファンにはおなじみ)。
 とはいえ、当初におけるミリシャのプロペラ戦闘機隊VSディアナカウンターのモビルスーツという、双方の科学技術レベルの圧倒的な差異を印象づけたセンスオブワンダーなビジュアルなど(そのものがテーマの一端を語り尽くしているという点で)オリジナリティーは高い。


 基本的には近世ヨーロッパの社会形態に酷似しつつも、なぜか土俗的な風俗が復活していて地域共同体としての面をも濃厚に持つ社会。――のっけからインパクト強かった“成人式”だが、コレはモォ隠喩も何もなくモロに「そーゆーこと」であろう(ただ公共電波に乗る都合上、あまり詳しくは描写しないだけのことで)。でなければ儀式用の服をあんなに脱ぎやすくする必要もないし、男女でペアを組ませて後は好きにしろってな展開からしても、そう考えるのがむしろ自然だ(……って、イキナリ下世話な話題になってしまうが・笑)。もっとも、それにはそれなりに、イニシエーションという文化人類学的な裏付けがあるはずで(然るべき儀式を卒えた者は初めて個人として認められ共同体の構成員に迎えられるという云々)、オトナの自覚を共同体回帰の立場から論ずるならスジは通っている。
 更にここで問題になるのは、ムーンレィス(月移民者)でありながら地球側の社会に帰化したロランの身上である。要するに、個人のメンタリティーとは別にその存在をどちらの社会に所属させるかという、二者択一の選択を迫られる局面がないとは限らないということである。現時点ではかなりノーテンキに流されている部分だが(笑)、このあたりも今後の展開如何というところ。――“所属”というキーワードから極端な比較を挙げると、かの『ゲッターロボ』(74年)第22話「悲劇のゲッターQ」におけるゴーラ王女=早乙女ミユキに相似が認められようか。ゴールの娘でありながら早乙女博士の娘としてのアイデンティーをも持ってしまった彼女は、ふたつの社会に所属する存在だ。そのどちらにも等しく愛情を感じる引き裂かれた自己は、結果的に戦闘状況の中で己が身を焼尽させてしまう。それは原初的な感覚に訴える悲劇としての完成度は高いけれど(つまり泣けるってこと!)、キャラクターの行動選択の面でココにメカロボアニメ草創期の限界を感じないこともないのは、既に先人が指摘する通りである。ロボアニメ史的にはその後、長浜忠男三部作(『超電磁ロボ コン・バトラーV』(76年)、『超電磁マシーン ボルテスV(ファイブ)』(77年)、『闘将ダイモス』(78年))を経て『ガンダム』が誕生、さらに20年……。


 メカロボアニメとしての観点が出たついでに、メカアクションについて触れておこう。そもそも善悪の観念を設定しかねる世界観で人死にを極力抑えているにも関わらず、ターンAガンダムと敵モビルスーツとの戦闘はかなりカッコよくカタルシス全開に描かれているあたり、もう無条件に絶賛である(笑)。9話でのVSコレン・ナンダー操るMSイーゲル戦や、13話でのVSウォドム戦(ビームサーベルでウォドムの頭を真っ向両断・兜割り!)、14話でのVSハリー中尉のスモー戦などが記憶に残るところだが、極めつけといえばそう! 6話でのVSウォドム戦に尽きるよなぁ、やっぱり……(言うと思ったでしょ?・笑)。
 『ミサイルを弾き飛ばすガンダムハンマー!!(爆笑)』 スゴすぎ。でもこのシークエンス、じつはただバカなだけじゃない。ハンマー引きずりーの回しーのブン殴りーののターンAに対して「いかにも蛮族のやりそうなこと!」などと評させているあたり、ディアナカウンターとミリシャの関係性に準じて放たれるべく設定されたセリフであることに思わず感心もさせられたワケで……。


 ただねぇ……こーゆーイロイロと突っ込めば面白い要素が見つかる反面、どうもわかりにくい描写・演出も少なくなく、このへんバランスが悪いと評される所以でもある。


●ターンA自体は1話では未登場、メカアクションもなし……このことは『機動戦士V(ヴィクトリー)ガンダム』(93年)当時の顛末(当初予定の1話に主役メカ・Vガンダムが登場しなかったため、当初予定の4話を第1話とした)を思えば快挙のはずなのに、今回はそれとは別に語らなければならないことが多すぎて、はしょった結果が性急な印象をもたらしているのは残念である(第1話の中で2年の年月が、場面が変わるごとに過ぎ去っていたなんて、味気ないにもほどがある!)。
●貴婦人修業なんてバカらしさはスキだし(笑)、ターンAのパイロットを女だと思い込ませようという奇策もナカナカ面白いとは思うけど、それにしてはコクピットにいる素顔のロランを何度も確認しながらどーして不審に思わないんだハリーやポゥは!?(勘がニブイっていう以前の問題だぞ、それともただの近眼か?・笑)
 ほかにも、地球とムーンレィスが2年あまりも無線で交信していたなんて最初のイメージとかなり違うなぁとか、複葉機モビルスーツというテクノロジーの違いにも頓着せずにヤケに簡単に乗りこなしてるミリシャの連中とか、ロランってば自分の素性をアッサリばらしすぎとか、肝心なところで粘りが足りないような気がしないでもない。


 その意味で足場が少々不安定ではあるものの……。
 しかし先の展開についてはヘタな先読みがきかず、着地点以前に向かうべき方向そのものが見定められないスリリングさがあって、まったく予断を許さない状況だ。背後関係が不透明な謎をあれだけちりばめておいて、そのヒキで物語への興味を湧かせるってのも、ここまでやられてしまえばもはやコトバもない(とりあえずターンA=ホワイトドールが起動した理由やディアナとキエルの酷似は、物語上の謎という扱いになっているらしいし。しかもこのさき、ウソかマコトか『手が燃えるガンダム』が発掘されるらしい(!!!)というスゴイ噂も耳にしたが……はたして、どうなることやら?)。いやはや、たしかに先が楽しみな作品であることだけは神に誓って否定しないよ、うん。


 偽史なのか、パラレルワールドなのか、もしかしてメタフィクションなのか……その真実は黒歴史(くろれきし)のみぞ知る。


 というところで、機会があればまた。でゅわ!


(了)
(初出・同人誌『假面特攻隊ターンAガンダム特集号』(99年8月発行)合評①・②より抜粋)


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