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機動戦士Vガンダム 〜宇宙に保守主義者、地球にニュータイプ


『機動戦士ガンダム』シリーズ評 〜全記事見出し一覧


(文・T.SATO)
 おなじみ、『機動戦士ガンダム』シリーズの何作目かの続編(?)。
 映画『機動戦士ガンダムF91』(91年)同様、初作の世界観・宇宙世紀0079(ダブルオーセブンティナイン)の数十年後(あの『F91』よりもさらに数十年後!)を舞台に設定した本作『機動戦士V(ヴィクトリー)ガンダム』。
 が、『機動戦士Z(ゼータ)ガンダム』(85年)以来の通例、人間ドラマ面をさして見ない、メカと年表や設定にしかフェッティシュに関心を示さない貧血症マニア連中への、富野由悠季カントク自身の露骨な嫌悪・イヤがらせか(笑)、劇中での正確な年代・暦年への言及は一切ない。
 物語的には、初作『機動戦士ガンダム』(79年)〜映画『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』(88年)までの人物関係とは、『F91』同様まったく無関係。さらにその仕切り直しの『F91』とも無関係の、新たな戦争物語。
 本作は、『F91』における敵勢力の設定(衛星軌道上の宇宙植民者が貴族主義を唱える)を一歩推し進め、母系主義を唱える宇宙植民者のイデオロギー勢力が、地球を攻略。それに対して地球側……軍隊というよりもミリシア(=民兵……組織名はリガ・ミリティア)が対抗するという舞台立てが特徴だ。
 ファースト『ガンダム』でリアルロボットものという新たな地平を拓いた偉大なる御仁ではあるものの、『Zガンダム』以降、いや『聖戦士ダンバイン』(83年)から、私的には期待をウラ切りつづけてくれた富野カントクの作品群。
 初作『ガンダム』から10数年。順調に成長して真っ当な人間になっていればジャンル趣味を卒業すべきだったのだろうが(笑)、そーはならなかった、他にさしたる趣味もないオタクな筆者は、それでもやはり『ガンダム』のTV新シリーズがはじまると聞くと、ビデオで留守録をしてチェックしてみたくなってしまうのであった……(ビデオアニメや映画だと、TV放映まで待つ程度の行動力のないマニアなのだが……)。
 (以上、94年当時。今は真っ当な一般ピープルになることをアキラめて、ネタ捜しでズブズブで……。もちろんオタクであることに悪いイミで開き直らず、オタクなりに背筋は伸ばしたい、真っ当でありたいとは思っておりますが・汗)


『機動戦士Vガンダム』評・小論

(以下、初出・アニメ同人誌『LUNAR−Ⅱ(ルナツー)』VOL.26(94年8月発行)〜『假面特攻隊ターンAガンダム特集号』(99年8月発行)所収)
(94年5月頃執筆。後日一部加筆)
 初期2クールめまで……、地球の森林地帯からはじまる導入部〜ガンダム乗りの正体が12歳のイイ子のお坊ちゃん主人公であることにクサくなるくらいに驚嘆し悲痛する真っ当な神経を併せ持つ敵軍のパイロットたち〜1クールめ終盤の味方側・女性部隊シュラク隊の参戦〜敵地スペースコロニー・サイド2のザンスカール帝国へ潜入する2クールめ終盤までは、面白くて大スキだ。
 3クールめからのバイク型戦艦(!)・モトラッド艦隊地球降下からは、2クールめまでは顕著だった、富野作品ひさしぶりのヒューマンな要素や生活感が急にウスれて、『聖戦士ダンバイン』以後の悪癖、キャラの内的必然性が感じられない、抽象的観念的浮わついた禅問答セリフの応酬がバッコしはじめたのには閉口したけれど。聴いていてハズかしい。10代前半の背伸び盛りには、こーいうのもカッコよく見えて高尚に思うのかもしれないけれど。
 しかしラポート刊「機動戦士Vガンダム大事典」(94年5月発行)のインタビューを見ると、富野カントクは1・2クールめは若手ライターのカラーを引き出し、3クールめから自分の色で引き締めたと云ってる。
 となると、いったい富野カントクの才能とは何なのだ? 『Vガンダム』の個人的好印象は富野カラーによるものではなかったのか?
 とはいえ、脚本家連中のインタビューを読むと、前半は富野カントクの言いなりだったが、後半は自分たちのカラーを出せたと云っている。アレアレアレ。ドッチが正しいのか?(笑)
 飛んで最終回。最終回ラストは、アソコまでやるのならナットクがいく――主人公ウッソ少年VS彼があこがれていたお姉さま悪女・カテジナとの最終決戦、その後日談の失明した彼女とのスレ違い。
 まぁあれは、人間ドラマ的人物関係の決着で、SF的テーマやらニュータイプテーマは皆無だけれども。
 各種インタビューから推察するに、今の富野カントクはニュータイプ的革新を信じてないのだろうし、コレはコレでむべなるかな……(ちなみに少年の日にはともかく(笑)、成人して幾星霜の筆者も、『ガンダム』的ニュータイプはありえないと思っているけれど。『ガンダム』以外の方法での、もっと地道な広い意味でのヒトの進歩(?〜種としての進歩ではなく・笑)はありうる余地はあると思うけど)。
 それは宇宙という新環境でニュータイプになるのではなく、逆に文化や伝統に帰属意識の欠落から来るアイデンティティクライシスで、母系制社会を反動的に作ってしまう宇宙植民者という構図でよく解かる。
 筆者も現実の人間の性向はそーいうものだろうと思う。世界帝国・世界市民主義(コスモポリタニズム)をなしとげた古代ローマ帝国の民が、逆にアイデンティティクライシスから、もっと身近な確固とした帰属集団を求め、分衆・少衆化してキリスト教が普及してくるように。
 人間は良くも悪くも漠然とした抽象的観念的目標に生きるより、身近な小集団への帰属に精神の安らぎを持ってしまうものなのだ。
 むろん作品視聴は、完成フィルムのみで基本は論じるべきだが、評論マニアは小説版もチェックすべし。端々にそーいう考えがうかがえる。戦争肯定・人間の暴力性消極的肯定もあり、『Vガンダム』を戦後民主主義的ワク組みにて語るべからず。


『機動戦士Vガンダム』評・異論

(初出・アニメ同人誌『LUNAR−Ⅱ(ルナツー)』VOL.27(94年11月発行)〜『假面特攻隊ターンAガンダム特集号』(99年8月発行)所収)
(94年9月頃執筆。後日一部加筆)
 巷に流布するあまたある『Vガンダム』論については、“母性論”のあたりに異論があるにはあるのです。
 多分「アニメージュ」誌での終了後の特集あたりからはじまって、一般に流布したようである(?)“母性”うんぬんのキーワード。
 ですが、それよりもこの作品では世界観構築の時点から、“家族”や“親子”(広いイミで言ってしまえば“血縁ネタ”)をキーワードに、あるいは大きな柱とすることを富野カントクは考えていたように思うのです。
 “母性”うんぬんは、“家族”や“親子”といったテーマから付随的に派生してきたものにすぎないと思います。
 実際には、作品世界の構築・物語の構造としては、よくいわれる母性あるものとなきもの、もしくは薄きものという対立的構図は、物語の主軸から見れば周辺的なものだと思います。
 やはり本当は、思想・イデオロギーとして“家族”的なるものの重要性を政治的に主張する、敵ザンスカール帝国のガチ党老党首カガチと――彼の「ニュータイプは地球に生まれる」発言など、あるべき人間の営みの理想を分かってはいるけれど、不自然でもあえて政治的に宇宙植民者間や地球圏においてそれを人工的に再現しようとする、哲人といわずとも思想的政治家とみてよいでしょう――、対する主人公側は健全な“家族”的なるものに育まれた12歳のイイ子のお坊ちゃんウッソ少年、という大構造の対比関係を構想していたと思われるのです。
 そして、自然な生活、自然な人間関係の生活……つまり大地に根差した生活、あるいは自然と近しい環境で磨かれる能力(サバイバル能力やナイフ投げ等も。最近のカントクのエコ・テーマもカラむ)、そしてスレたりヒネたりしていない健やかな人間性……といったものに、従来のイミとは若干ズレがあるもののニュータイプ的な希望をこめようとした。現状の行き詰まりを打破する理想的な人間像や家族像のひとつを探求しようとしたのだろうと思います。
 が、富野カントクのアタマのイイところは、“家族”という最小単位の重要性を自覚しても、それを過剰に押し進めてしまった場合にどうなるか? というところにすぐに思いが及んでしまうところでしょう。それがカガチはじめマリア主義を唱える、今回の『Vガンダム』の敵役です。
 筆者未見ではあるものの(94年当時)『ガンダムF91』の貴族主義を唱える敵役ロナ家も、富野カントクの民主主義絶対視・神格化に対する疑問と批判から思い付いたものでしょう。
 民主主義であろうが専制政治であろうが、どちらも神ならぬ身の不完全な人間によるものである以上、同じ確率であやまちを犯す可能性がある、というのが理性的な認識であろう、というような……って、そりゃオレ自身の考え方に牽強付会しているだけか?(汗)
 民主主義へのアンチテーゼとしての、良いイミでの貴族主義(精神的なイミにおける貴族主義=ノーブレス・オブリージュ)の重要性も、それを過剰に押し進めてしまった場合、あるいは当初は高貴だとしてもそれが自堕落に流れた場合にはやはり……といったあたりから、ロナ家の設定や思想も、構想されたものだと思われます。
 まぁそのあたりは、『F91』公開当時の書籍「別冊宝島 ザ中学教師シリーズ」での反・日教組教育(と言っても右翼じゃないゾ)の教師ライター――どーでもいいけど実は筆者はむかしからこの教師ライターのファンだったりしますが。後日註:「学校崩壊」(99年・草思社・河上亮一)のベストセラーで今や著名人の仲間入りを果たしたプロ教師の会のメンバー――との対談での意気投合(?)から類推することができます。
 が、しかし……。設定のみで、初期構想のみで傑作ができるとしたら世の中傑作だらけです。良質の設定と、良質の物語とはたいてい別のものであるものです。
 おそらくこの試みは……ウッソ少年とその両親の関係の描写は失敗したものと思われます。失敗したというよりかは、抽象的な頭の中での着想はともかく、具体的な描写としては富野カントクはそれを描くことができなかった。
 富野カントクの発言というのはいつもそのままにはウケとれないのであって(笑)、それにあんなふうに、実際はウッソの両親はイヤな奴だったのだなんて、そんなヒネた感じで制作者が悔しまぎれに発言しているなんてのは特に……。
 それは舌鋒鋭いインタビュアーに対してのヤケっぱちになっての発言でありましょう(?)、ラポート「Vガンダム大事典」での発言は。だいたい制作者がある程度、自信を持って勝ち誇ったように言うのならともかく、アノ口調で発言しているようなことはですネー(以下略)。


 余談ですが、この「Vガンダム大事典」。商業誌のわりに、肯定オンリーのスタンスで終わらないあたりには、その心意気や壮とすべしなのですが、「アニメック」誌の小牧雅伸編集長による、「『Vガンダム』はわかりにくい」だの(筆者には『ダンバイン』以後の作品中最もわかりやすくて、無意味なわかりにくさがなくて、好感を持てた)、「終わりから見ると面白い」だの、「1クールめが混乱している」だの発言などは、一個人としての見解という断りがあるのならともかく、そうと断言せずともあたかも皆がそー思ったと取られかねないように、相対視抜きの一般論のように当たり前に語られてしまうと問題があるように思います。
 「本放映#1(実際上の#4)がおもしろい」発言とかネ。あんなザンスカール帝国のザの字も出てこない、世界観が見えてこない、もしくはウラからにじみでてきもしない、平面的な印象のキーワードの羅列話のドコが面白くて解かりやすいというのだ!? 私的には面白くなかったゾ・笑)。
 逆に、主人公ウッソ少年と好敵手青年クロノクルとのアクション、文字通りのドタバタ(笑)のみにしぼって、しかもそれのみをジックリ描くことによって、ストーリー・スジには30分あたり、たいした進展はないものの、彼等の人格・性格・心意気といったその息吹というか血肉を感じさせ、それが地に足がついた感覚で、視聴者にハートまで届いてそのキャラを了解させてくれる、しかもライバルとの運命的出会いであり(実際のそのあとの展開でライバルたりえたかはともかく・笑)、『Vガン』世界観におけるひとつの対立構造であろうと視聴者に予感させようとしていた本放映#2(実際上、当初予定の#1)は大スキです。
 ウラ返して云えば、ファースト『ガンダム』や『伝説巨神(でんせつきょじん)イデオン』(80年)のころはともかく、80年代以降のあまたのアニメ、もちろん富野作品や続編『ガンダム』までをも含めて、ハートまで届かない段取りにすぎない虚ろな印象のものがいかに多かったか、ともいえる。
 そんなものに深読みや構造分析を加えてみせてもムダとは言わないが、ある程度の実感、劇中での重みを感じさせてくれたか否かを問わずに、深読みなど加えてみせても、本末転倒ではないかと思います。
 スナオに面白かったもの・感銘したものに対して、さらに深読みなり分析を加えたものなのか? それとも自分のムネにストレートに実感としては伝わってこない程度のインパクトのものではあったけれど、分析すると、あるいは好意的解釈を加えるとこのようなことを言いたかったのではないか? とか。世の評論・感想は、そのあたりの記述上の分化をハッキリさせる必要があると思います。
 とにかくマニア友だち10数名の間にもさまざまな『Vガン』観がありましたが、それらと比較しても、特に2クールめまでつまらなく3クールめ以降が面白くなった、などという「Vガン大事典」説は、筆者の周辺とはあまりに違いすぎるというか、正反対なものですらあり、この本の編集者の意見がコンセンサスと捉えられるような事態が招来するなら、富野カントク自身もこの書籍の編集者の発言を視聴者の意見の最大公約数だと真に受けるのならば、チョット問題があるのではないか、と考えます。


(了)



(後日付記:放映開始前のアニメ誌でのインタビューで、富野カントク自身がすでに、「意識的に自然児としての教育を施したイイ子ちゃん主人公ウッソの両親たちも、実はイヤらしいヤツだ(大意)」発言をしていたそうな……。敵側の思想にかぎらず、一応の正義側主人公の設定にまで……。そこまでメタ的かい!?・笑)。
(さらなる後日ツッコミ:特に「Vガン大事典」説が定説として定着したワケでもないので(?)、今となってはひとり相撲をおどっていましたナ・汗)


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