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機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ ~長井龍雪&岡田麿里でも「あの花」「ここさけ」とは似ても似つかぬ少年ギャング集団の成り上がり作品!

『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』 ~別離・喪失・齟齬・焦燥・後悔・煩悶の青春群像劇の傑作!
『心が叫びたがってるんだ。』 ~発話・発声恐怖症のボッチ少女のリハビリ・青春群像・家族劇の良作!
『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』(15年) ~ニュータイプやレビル将軍も相対化! 安彦良和の枯淡の境地!
『機動戦士ガンダムNT』(18年) ~時が見え、死者と交流、隕石落下を防ぎ、保守的家族像を賞揚の果てに消失したニュータイプ論を改めて辻褄合わせ!
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『機動戦士ガンダム』シリーズ評 ~全記事見出し一覧
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 2019年10月11日(金)からアニメ映画『空の青さを知る人よ』が公開記念! とカコつけて……。
 『空の青さを知る人よ』の長井龍雪カントク&岡田麿里脚本コンビのロボットアニメ『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』第1期(15年)評をアップ!


機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』 ~長井龍雪岡田麿里でも「あの花」「ここさけ」とは似ても似つかぬ少年ギャング集団の成り上がり作品!

機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』(1期) ~合評1


(文・T.SATO)
(2016年4月29日脱稿)


 白&青が基調なるも、小さな両眼すぐ上の大きな金色のヒサシ&ツノ飾り、極端に細いウエスト、何よりビーム剣を使わず長大な鉄のホコで敵を叩きのめす無骨な戦法。
 巨大ロボットもの『ガンダム』シリーズの中でも、本作のガンダムは鮮烈な印象を醸す。


 本作シリーズ終盤、一騎打ちを望んだ敵ロボを、イザ開始の合図前に我らがガンダムが不意打ちし、執拗に打擲(ちょうちゃく)を加える……。
 ヒ、ヒドい! と同時に、不謹慎にも痛快の念も覚える。まぁこの矛盾した感情の惹起が目的だろうから、筆者は演出家の掌(てのひら)の上なのだろうけど。


 冷静に考えれば、ヤラれて恐怖に打ち震えている相手が敵方でも美少女だったら可哀想になってプチ同情し、主人公少年の方がもっと悪党に見えたハズ。
 アソコに永遠の17歳井上喜久子(笑)が演じても、見た目もキツめで平安美人チックな年増のやや醜女キャラを配したからこそ、反則バトルに背徳込みの快感も味わえたワケで、それが映像&演出のマジックなのだろう。良くも悪くも。


 繊細なドラマ志向の長井龍雪監督&岡田麿里脚本コンビが、『ガンダム』シリーズを手掛けるとは驚きで、両名をスカウトしてきたプロデューサー氏(誰だかは知らない・笑)の英断にも敬服。内容がこの二氏の3大名作アニメ『とらドラ!』(08年)・『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』(11年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20191103/p1)・『心が叫びたがってるんだ。』(15年)とは似ても似つかぬ野蛮な世界観であったのにはもっと驚いたけど(笑)。


 痩せた大地の火星や貴族的な敵集団という設定は、本作の前年に放映されたばかりのリアルロボアニメ『アルドノア・ゼロ』(14年)やガンダムシリーズの直前作『機動戦士ガンダムAGE(エイジ)』(11年)ともネタがカブってはいる。
 しかし、繊細ナイーブな美少女アニメや(ひとり)ボッチアニメの逆張り。近代的な市民社会とは程遠い、人権も保証されずに前近代に立ち帰ったかのような、暴力による支配&重労働に満ち満ちた、腕っ節&気合いで渡世する、マッチョでギャング集団一歩手前のヤンキーDQN(ドキュン)的な、揃いのガテン系作業着のポッケに両手を入れて胸張ってガンを飛ばしているような悪童たちの一連の描写が、本作の独自性を放っている。


 仲間に弱みを見せまいとイキがってワルぶってカッコをつけている青年リーダー。そんな彼にもギリギリ宿る倫理&矜持。彼を値踏みするかのように見つめる不敵で無口な低身長の主人公少年の鋭い視線を、リーダーは常に内面化・尺度化して、背筋を伸ばし怯懦(きょうだ)を払いのけ、オトコとして大物として成り上がらんとする!


 正直、文弱の徒の我々オタはこの世界に居場所がナイし、リアルに考えたらこーいう連中は、ナヨナヨしたヤサ男や丁寧語に「様(さん)」付けでしゃべる連中をキラうどころじゃなく、嗜虐心も刺激され、我々とは気が合わないどころか真っ先にドヤされてイジメられるとは思うけど(笑)。


 歴史上の「項羽と劉邦」やピョートル大帝の配下よろしく、街のDQN集団が「学」は無くても度胸・才覚・運・少々の悪事で成り上がったように、彼ら2軍集団をオトリにして逃亡した卑劣な上層部をヒミツ裏に銃殺、会社を乗っ取り一旗あげる主人公たち。
 この序盤の展開も賛否あろうが、個人的にはコレまた背徳感込みで痛快。悪いヤツはドンドン殺っちゃえばイイんだヨ!(汗)


 で、劣悪な火星の状況に心を痛めて窮状を地球に直訴せんとする、気高いけれども世間知らずな火星のお嬢さまをエスコートする大仕事を引き受けて、バクチ的キン肉バトルで運を切り開き、半ばヤクザな業界の親分にも気に入られ、腹にイチモツある各陣営の思惑、火星・商会・宇宙コロニーの労働組合・地球統治組織のそれぞれボスには従わない末端の暴走なども錯綜する中、クセ者の長老政治家も抱き込んで、お嬢は地球の議会に直談判!


 ウン十年前、「僕たちは愛し合わなければイケなかったんだ」「あぁアムロ、時が見える」「絶対平和主義ガー」なぞと云ってた時代の作品群と比すると、希少金属の権益を確保して火星の立場を多少なりとも改善し、同時に自分たちの会社も大きくせんとする私利私欲もプチ肯定した、清濁併せ呑む現実的な交渉まで描いて、青クサかった日本アニメも思えば遠くへ来たもんだ。いや、遠くにではなく現実に近いところへと着地した?


 とはいえ、読み書きもできないガキんちょ集団の、仲間との紐帯を過剰に重視し、集団を家族に見立てて、個よりも仲間に奉仕して時に命も捨てる、多少狭さも感じてしまう態度を、近代市民的な立場から批判的・悲痛に見る商会のお目付け女性キャラも設定し(彼女自身は無力でも)、彼らの行動を絶対正義にしない作劇もポイント高い。
 お嬢の侍女の正体や屈折に顛末、敵内でも火星人との混血ゆえ差別される兵士、地球統治組織を改革するため謀殺も辞さない美形敵キャラなど、キャラも立っていた。


 本作の円盤第1巻の売上は、本家・富野カントクの手になる直前作『ガンダム Gのレコンギスタ』(14年)第1巻の倍近い1万枚超えを達成! 売上が作品の質とイコールではないのは重々承知だけど、個人的な好みや美意識で云うならば、『Gレコ』より本作の方が深いし、漫画的エッジも適度に立って、エンタメとしても成功と私見。第2期決定もむべなるかな。


(了)
(初出・オールジャンル同人誌『SHOUT!』VOL.67(16年8月13日発行))


(後日付記:エッ、最初から分割2期作品の予定だったかもしれないって? いやまぁ本作と同じくサンライズ製作のリアルロボットアニメ『バディ・コンプレックス』(14年)みたいに不人気で、第2期の1クール分が前後編2本に大幅短縮されてしまった作品もありましたからネェ(爆)。とはいえ、この作品、筆者個人の評価は高かったのだけど・涙)


機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』(1期) ~合評2


(文・久保達也)
(2015年12月24日脱稿)


ラフタ「あいつのしつこさ相当だよ~」
昭弘(あきひろ)「もう一戦頼む!」
ラフタ「カンベンして……」


 こんなの日曜の夕方にやってていいのか!
 実は個人的には#4くらいまでかったるくてたまらず、おもわず切ろうかと思ったほどの本作だが、#5『赤い空の向こう』以降、その印象が急に好転したのには、大きくふたつの理由がある。


 ひとつは#5以降、火星独立運動を象徴するお嬢様・クーデリアが調停のために地球へと向かうのを護衛するために、本作の主人公組織・鉄華団(てっかだん)が惑星間を航行することとなる。
 その途上において、クーデリアを狙う宇宙チンピラどもが操縦するモビルスーツの大群と、主人公・三日月(みかづき)・オーガスが操る巨大ロボット・ガンダム=個体名・バルバトスとの、高速で宇宙を舞うスペースオペラが頻繁に繰り広げられるようになったこと。


 もうひとつは#7『いさなとり』以降、「昭和」の歌謡スター・沢田研二の大ヒット曲『勝手にしやがれ』(77年)みたいな白いスーツの衣装を着た黒髪ロン毛のキザ兄ちゃん、名瀬(なぜ)・タービンが艦長を務める、一夫多妻制のハーレム鑑(笑)が登場するようになったこと。


 それまで女性キャラといえば、クーデリア以外には#5以降に炊事係として鉄華団の船に乗ることとなったロリ少女・アトラ、「おいしそうな名前」のビスケットの双子の妹・幼女クッキーとクラッカー(笑)をはじめとする美少女キャラ、あとはサクラ婆ちゃんくらいのものだった。
 それがハーレム鑑の登場によって一気に女性キャラが増え、冒頭にあげたような、おもわず勘違いしてしまう会話すらも生み出されることとなったワケである。
 宇宙服をうまく着れないクーデリア嬢がお尻まるだしとなったのも、やはり#7のことである(笑)。


 そんなふうになるまでは、序盤は出てくるキャラがひたすら小汚い野郎、それも『北斗の拳』(83年)とか『ジョジョの奇妙な冒険』(86年)とか『ワンピース』(97年)とか、個人的にはキャラクターデザインだけで敬遠してしまう『少年ジャンプ』原作アニメに出てくるような、ガラが悪い奴が多いという印象があったのだ。
 まぁ、アイドルアニメ『ラブライブ!』(13年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20160330/p1)はともかくとして、近年は戦闘アニメですらも『ガールズ&パンツァー』(12年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190622/p1)や『蒼(あお)き鋼(はがね)のアルペジオ -ARS NOVA(アルス・ノヴァ)-』(13年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190922/p1)など、女の子ばっかりが出てくる作品もあたりまえになっている。
 そういうのにイカれてしまった筆者は、野郎ばっかしか出てこないような世界観を、体質的に受けつけなくなったほどに、すっかり退行してしまったということなのであろう。


 あと#1のクライマックスで、往年のリアルロボットアニメ『戦闘メカ ザブングル』(82年・サンライズ 名古屋テレビ)に登場した二足歩行のブルドーザーのような多様な雑魚(ざこ)メカ・ウォーカーマシンを彷彿とさせるような作業メカ・モビルワーカーのドンパチが描かれたが、これが個人的には正直実にショボい絵に見えてしまい、まさに「絵空事」のように感じられてしまったのである。
 これもまた、筆者が先述した『ガルパン』にハマってしまい、そのあまりにリアルで迫力あるミリタリー描写に慣れてしまったためだろう。


 それに対し、今回のガンダム=バルバトスは、長い柄のついた斧のような鈍器が武器であり、これを振り回して柄の先を敵のモビルスーツに突き刺してとどめを刺すなど、かなり武骨な戦闘スタイルである。


 #7で、タービン一家から「アネさん」と呼ばれるアミダ女史――名瀬・タービンの第一夫人(!)でもある(笑)――は、シャア専用ザクみたいなピンクと赤のカラーリングのモビルスーツを操縦し、寡黙な大柄マッチョ男子・昭弘(あきひろ)の戦法を、


「脳味噌まで筋肉でできているような戦いぶりだねぇ」


とあざ笑っていたが、そのアミダの戦法もまた、昭弘のモビルスーツにやたらとヒザ蹴りを喰らわすなど、実はほとんど「肉弾戦」であった(笑)。


 確かにこの方が人型ロボットの接近戦としてはリアルなのだが、やっぱ宇宙空間でのモビルスーツ戦なら、ビームサーベルを振り回したり、ビームライフルをブッ放した方が、「華」が感じられるというものであろう。名前も「鉄華団」(笑)なんだし、しょせんは「絵空事」なんだから。


 おや、さっきはモビルワーカーによる戦闘が『ガルパン』に比べてリアルじゃないからイヤだと言いつつ、ここではある意味リアルな鈍器やヒザ蹴りよりも絵空事で華があるビーム剣やビーム銃の方がイイと逆のことを言ってしまったなぁ。やっぱマニアって勝手だよなぁ。結局悪いのは『ガンダム』ではなく、むしろ筆者の方じゃねえのか?(爆)



 まぁ、そんなことで筆者はいちいち罪悪感に苛(さい)なまれたりはしないのだが(笑)、本作は深夜アニメの傑作『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』(11年)、そして、15年秋に大ヒットしたアニメ映画『心が叫びたがってるんだ。』(15年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20191104/p1)――筆者が住む静岡市では1日1回だが、いまだに上映しているほどである――を生んだ、脚本・岡田麿里(おかだ・まり)、監督・長井龍雪(ながい・たつゆき)によるものである。
――そういや冒頭にあげたラフタのキャラは、『あの花』の赤髪ツインテールのサブヒロイン、「あなる」=安城鳴子(あんじょう・なるこ)に似ているような気もするが(笑)――。


 地球同様、火星が4つの経済圏による分割統治がされたことにより、貧しい子供たちが次々と死んでいくのは自身のせいだとか、


「また何もできなかった……」


と、自身が鉄華団の足手まといであるなどと、日々「罪悪感」にさいなまれているクーデリア嬢の姿には、『あの花』『ここさけ』的な心情描写がかろうじて描出されているかもしれない。


 『ここさけ』が『あの花』の客を呼びこむことで大ヒットしたように、今回のガンダムもまた、『ここさけ』『あの花』の岡田&長井コンビの作品だと謳(うた)うことで、一般層の視聴者を開拓しようとした狙いは当然あっただろう。
 実際『ガンダム』の人気や映像ソフトの売り上げなどは、先述した『ラブライブ!』『ガルパン』『アルペジオ』などを超えるほどの、往年の勢いはすでに失いつつあるようだ。
 少しでもパイを増やそうと考えるのは当然だし、せっかく開拓した一般層に向けに、ガンダムみたいなある意味ではやはりチャイルディッシュな巨大ロボットばかりをやたらと見せたら、照れや抵抗で視聴を打ち切られるのは当然だろうから、「人間ドラマ」主導の作風になっていることも理解できる。
 また『ガルパン』がリアル『SHIROBAKO』(14年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20151202/p1)を起こしたように(笑)、毎回、細かいカット割りで細々と動く戦闘場面があると作画・背景・CGの作業量が膨大になって破綻してしまうという事情もあるだろうから、#4みたいにサクラ婆ちゃんの畑を舞台にするとか、#9みたいに宇宙ヤクザが杯を酌み交わす儀式(笑)を延々とワンカットの長廻しで描く、なんてことにもなるのだろう。



 ただ、どうしても書いておきたいことがある。
 『ウルトラマンコスモス』(01年)の後枠でも「ウルトラ」を続行させたかった円谷プロの意向をよそに、実際に後番組となったのは『機動戦士ガンダムSEED(シード)』(02年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20060324/p1)であった。
 この当時は元祖『機動戦士ガンダム』(79年)を小学生でリアルタイムで観ていた世代が30代となっており、社会で実権を得た時代でもある。


・NTT東日本
・NTT西日本
・NEC系のBIGLOBE(ビッグローブ
・SONY MUSIC


など、大手企業がスポンサーとして名を連ねたのは、それらにもファースト『ガンダム』世代が台頭してきたことの証であった。
 広告代理店や玩具メーカーの意向で番組枠が勝手に決まっていくようになったこの時代、『ガンダム』世代が果たした役割はあまりに大きかったに違いない。


 だが、それから早くも10数年が過ぎた今回の『オルフェンズ』のスポンサーは、「ガンプラ」や関連ゲームソフト、映像ソフトを売るバンダイと、主題歌CDを売るSONY MUSICのみである。
 『ポケットモンスター』(97年)や『遊☆戯☆王』(98年)は観ていても、同時期に放映されていたハズの平成ウルトラ3部作(96~99年)はロクに観なかった世代が、すでに社会人となっている。
 『妖怪ウォッチ』(14年~)は観ても、平成ライダーや今回の『ガンダム』=『オルフェンズ』は観ない現在の小学生もまた、いずれは確実に社会に進出する。
 『ガンダム』の新作をやりたいというサンライズの意向をよそに、『ポケモン』『遊戯王』『妖怪ウォッチ』世代が支配する広告代理店や玩具メーカーの意向により、別の番組に勝手に決まってしまう事態もまた、そう遠くはない未来に想定されるのである……


 マニア相手の小銭稼ぎや、一般層の開拓も結構だが、将来的なことを思えば、#1~#4のような小中学生おいてきぼりかと思われる路線は、やはり先細りの一途となるだけではなかろうか?
 中学生になったのだから、もうロボットアニメなんか卒業しようと思っていた筆者をファースト『ガンダム』が引き留めたのは、やはり「これは今までのとは違う!」と思わせたからこそであった。
 だが、それでも小中学生男子がこぞってガンプラを追い求め、ケガ人まで出る騒ぎも起きたほどの「社会現象」となったのは、ファースト『ガンダム』が「人間ドラマ」を強調しながらも、前代と比すればリアルでも総体的にはチャイルディッシュな「モビルスーツ」なる敵味方のカッコいい人型メカ群の魅力にあふれていたからではなかったのか?
 マニアの大勢は絶賛した『仮面ライダークウガ』(00年)の最終回(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20001111/p1)を観て、「クウガが出なかったよう~」と泣きわめいたような、純真な子供たちも全国に大量にいるのもまた事実なのである。リアル『SHIROBAKO』を起こさない程度に(笑)、作画やCGのレベルを少々下げてでも、モビルスーツの戦闘描写は毎回入れた方が、将来的な展望を考えるならば、小中学生を惹きつけるには必須の要素であると思えてならない。



 とは言うものの、生きていくだけで精一杯で学校にすらもロクに行けず、主人公の三日月に至っては字の読み書きさえもできないほどの、近代的な人権も保障されてこなかったゴミ同然の扱いを受けてきた、過酷な火星の鉄華団の連中が、だからこその学が無いなりの倫理感や、それゆえの学者や文化人などの受け売りではなさそうな独特の心情や、たとえ偏っていようとも自身が自力で人生途上でツカんできた信条を吐露する描写は、けっこう感情移入ができるものともなっている。


 #6『彼等について』で、それこそ先述の『ジョジョ』にでも出てきそうなヤンキーみたいな団長のオルガが、副団長格のビスケットに三日月のことを指して、


「あの目は裏切れねえ。いつだってオレは、イキがって、カッコいい奴でなければならねえんだ」


と語ったり、#8『寄り添うかたち』で名瀬に対し、


「あいつらの死に場所はオレがつくる!」


とタンカを切ったりハッタリをかましたりと、良い意味での虚勢を張りつづける姿は、生命や健康すらもが保障されてこなかった年下の少年たちをこれ以上絶望させないためでもあろうし、三日月をはじめとする少年たちの目線を自身の内面での基準線とすることで、それはヨコ方向での仲間内での一種の同調圧力が発端だとしても、ヒトとして気高く見苦しくなく振る舞おうとすることでタテ方向での倫理や矜持の域にまで達しているほどである。
 もちろんそれ以上に、生来の気性からして彼は不敵で負けず嫌いでもあろのだろう。そして、それらの気質・心情・信条を詰め込んだものとしての「自身の弱みを決して見せまい」とする態度なのでもある。


 #10『明日からの手紙』で、妹のクッキーとクラッカーからのビデオメールを、身寄りのない少年が多い鉄華団たちには見せまいとする、副団長格でもいかにも温厚で気配りもできそうな小太りの小柄少年・ビスケットの気遣いもまた然りだ。
 この#10では健気だけどテキパキとしっかりしたロリ少女・アトラの10歳のころの回想が語られるが、虐待や食事抜きで酷使され、店を抜け出したものの、行き倒れ同然となったアトラを救ったのが三日月だったと明かされる。


名瀬「おまえたちは仲間じゃねえ。家族だ」


 名瀬はオルガに鉄華団のことをそう語るが、いわば社会に疎外されてきたともいえるような、筆者を含む一部のウラぶれた人種が、鉄華団に感情移入してしまうのは、ある意味当然でもある。
 たとえ親兄弟がいなくても、信頼できる仲間という家族ができた彼らのことは、クーデリアでなくともうらやましいと思えるし、嬉しいことでもあるのだ。


アトラ「クーデリアも家族のひとりだよ」


と、アトラは実の父に疎まれるクーデリアを元気づかせるが、ここでアトラが名瀬のハーレム家族を連想してしまい、三日月をクーデリアと取り合うことなく、


「同じ家族ってことは、みんな幸せ!」


と喜ぶような一夫多妻をネタにしたギャグ描写は、もっとあってもよかった(笑)。


 こうして鉄華団の結束の固さが前段として描かれてきたからこそ、#11『ヒューマン・デブリ』(直訳すると「人間ゴミ」!)は、「人間ドラマ」とモビルスーツ戦のクライマックスが華麗に融合し、感動の嵐を呼び起こすこととなったのだ!


 #10で両親を含めた大人たちを海賊に皆殺しにされ、子供たちは各地の人買い業者にゴミみたいにバラ売りされたことで、弟の昌弘と生き別れになった過去を、寡黙マッチョな昭弘は心を許した仲間のタカキに語る――いわゆる「フラグ」を立てている(笑)――。


 #11で海賊・ブルワースのモビルスーツが大挙来襲、昭弘が迎え撃つも、タカキが人質にされてしまう!


昭弘「そいつを返せ!!」


 だが敵の通信から、昭弘はタカキを人質にしたモビルスーツの操縦者が、実の弟・昌弘であることを察知する!


 正直いくらなんでも、次の回でもうこのネタをやるのか? とも思えるが、荒っぽい少年が多い鉄華団の中で、妹とほとんど同じ顔(爆)をしているほどの美少年・タカキが人質にされた末に重傷を負ってしまうのがまた、その悲劇性をより強調することとなっているように思える。


 三日月が操縦するバルバトスに仲間を殺された、ブルワースの少年兵が、


「あいつら絶対ブッ殺してやる!」


と復讐を誓う姿もまた古今東西、戦争で最大の犠牲者となるのはいつの世も子供たちであると同時に、主人公少年・三日月自身がまた劇中内での絶対正義ではなく、自身が生き残るためには相手を殺してもいて、それによって恨みも買っているわけであり、立場を変われば敵役(かたきやく)にすぎないことを端的に象徴した実に秀逸な演出である。
――もちろん元祖『機動戦士ガンダム』#11「イセリナ、恋のあと」における、宿敵・ジオン公国を独裁支配するザビ家の末弟ガルマ・ザビの恋人、イセリナ嬢がガルマ亡きあと復讐に来る話で、主人公の正義を相対化してみせるような描写は、ジャンル作品の長い歴史の中では幾度も試みられてきたことは明記しておこう――


 ここでもまた、治療箱を持って駆けつけるものの、タカキの流血のひどさにうろたえてしまい、「何もできなかった」とクーデリア嬢が悩む姿が描かれるが、子供たちが「先生は何してたの?」と、当然悪意はないものの、結果として追い打ちをかけてしまう描写が実に効果的でもある。


アトラ「ありますよ、できること。お見舞いです」


 クーデリアを家族の一員と考える、このアトラの優しさが実にいい!


昭弘「オレ、楽しかったんだ。ゴミだってことを、忘れてた……」


 本来ゴミ同然の存在でしかなかったのに、鉄華団に属することで楽しさをおぼえたがために、「バチが当たった」とオカルト・縁起担ぎ的に語る、自尊感情があまりに低い昭弘に対して、オルガは鉄華団を「楽しい集団」にしてしまったのはオレのせいだ、と語るのだ!


オルガ「責任は全部オレがとってやる。弟のこともだ。おまえの弟なら、鉄華団の兄弟も同然だ。なぁ、そうだろ、おまえら!」


 歓声があがる中、うるさくて寝ていられないと(笑)、タカキが意識を取り戻すラストは、実に泣かせるものがある!


 正直、オルガの発言は近代的・合理的な理屈にはなっていない。しかし、インテリならぬヤンキーあるいは庶民・大衆の大勢は、小難しい理屈や論理ではなく気概・気迫・胆力、イザというときにブレたりメゲたりパニクったりせず、即興・直感・反射神経ゆえでも問題解決能力がありそうな頼れる御仁に対して「人間力」を感じるものである。実際にもインテリや我々評論オタクの戯言は現実には万人を救えず、オルガのような人間が物理的・心理的にも個別具体の個人を救うのだろう(涙)。


 「兄貴」「兄弟」と呼びあうオルガと名瀬が語り合う場面に、MISIA(ミーシャ)が歌うエンディング・テーマ『オルフェンズの涙』がかぶる音楽演出が、それにより拍車をかける!



 MISIAは2015年大晦日の『第66回NHK紅白歌合戦』で、この『オルフェンズの涙』を披露することが決定!――後日補足:長崎は平和記念像の前で披露――
 以前はMISIAの妙にドスの効いた(笑)、あまりにパワフルなボーカルが正直苦手だったのだが、実はMISIAの普段の語り口は、それとはあまりにギャップが激しい可愛らしいものであり、それこそ声優でも務まりそうな声なのだ。
 本作でのアトラや、先述した『ガルパン』のプラウダ高校のチビチビ少女隊長・カチューシャや、『琴浦さん』(13年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20151102/p1)の主人公・琴浦春香などを演じた、金元寿子(かねもと・ひさこ)の声に近いような気もするほどなのだ。


 そういや金元って低身長の幼児体型のキャラばかりを演じているように思えるが、やはりそういうキャラには超音波系の、小鳥がさえずっているような声が似合うのだ! と、製作側からもファンからも思われてしまっているからだろうな(笑)。


 これに対し、#10から登場し、少年たちから「大人の女だ!」と大喜びされている(笑)、黒スーツ姿で仕事デキるキャリアウーマン系の金髪美女・メリビット女史を演じる田中理恵は、やはり『ガルパン』の主人公・西住(にしずみ)みほの姉・西住まほとか、個人的には『仮面ライダーフォーゼ』(11年)の女敵怪人、ヴァルゴ・ゾディアーツの声が印象深い。
 実際田中は、小柄で超音波声を発する御仁が多い女性のアニメ声優には珍しく、長身だからこそかクールな美声を発しており、黒髪ロングのモデル体型・成熟系の美女だから、我々には高嶺の花かと。ちなみにダンナはかの実力派ベテラン声優・山寺宏一って、えっ!?(爆)


(了)
(初出・オールジャンル同人誌『DEATH-VOLT』VOL.73(15年12月31日発行))


機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』(1期) ~合評3・終了評

(日曜17時 TBS系 放送終了)


(文・久保達也)
(2016年4月20日脱稿)


クーデリア「私の行動のせいで多くの犠牲が生まれました! しかし、だからこそ私はもう立ちどまれない!」
アイン「その思いあがり、この私が正(ただ)す!」


 火星の窮状(きゅうじょう)を訴えるために、はるばる地球に来たお嬢様のクーデリア・藍那(あいな)・バーンスタインの前に、主役ロボのガンダム=バルバトスや、他のモビルスーツ(以下MS)よりも二回りは大きい、治安維持軍・ギャラルホルンのMSが立ちはだかり、巨大な斧(おの)でクーデリアに襲いかかろうとする!


 間一髪、主人公の三日月(みかづき)・オーガスが操縦するバルバトスが、ビルが林立する市街地の中を地面スレスレに超高速で飛来し、巨大MSに突撃する!


 #24『未来の報酬』のクライマックスから#25(最終回)『鉄華団』に至るまで、バルバトスVS巨大MSの市街戦が展開されるが、


・クーデリアを背面から画面手前に配置し、あおりで巨大MSをとらえたり、
・MS戦をビルの室内からの主観で窓ごしにとらえたり、
・はたまたビルとビルの間からロング(ひき)でとらえたり


など、まるで昨年末まで放映されていた『ウルトラマンX(エックス)』(15年)の田口清隆監督による特撮演出を彷彿(ほうふつ)とさせたほどである!
 長井龍雪監督、実は怪獣映画が好きなのか?(笑)


 いや、確かにあれはもはやMSではなく、


ギャラルホルン兵士「まるで悪魔だ!」


と形容されたほど、完全に巨大怪獣である!


 両腕に持つ巨大な斧や、瞬間移動にドリルキック(!)などを駆使して複数のMSを相手に猛威を奮うさまは、近年の仮面ライダースーパー戦隊の劇場版のクライマックスに登場するような、ラスボス的威容を誇っている!


 だが、本作はいわゆる「正義」のスーパーヒーローが巨大な「悪」を倒す「子供番組」ではない。
 では、なぜこんな巨大怪獣・悪魔・化けものとしか言いようのない存在が、最後の「敵」として登場することとなったのか?


 他のMS同様、あの巨大MSもあくまで兵士が操縦する機械である。
 搭乗するのは#1から登場していた敵側の末端の青年パイロット、アイン・ダルトン。敵である地球側の愚直な軍人ではあるが、地球人と火星人の混血でもあり、地球側の中でも彼が差別されてきた出自も描かれることで、作品世界の構造が単純なものではないことを担保し、と同時に敵のひとりながら視聴者側の感情移入を誘ってきた人物でもある。


 だが、今回は操縦するアイン・ダルトンの姿は横顔をとらえたカットが数回挿入されるのみであり、正面からの表情はいっさい描かれることはない。
 それどころか、赤い単眼=カメラアイを備えたMSの顔部分のアップや、その巨体を奮わせるさまに、アインのセリフがかぶるというかたちで演出されているのである。
 操縦されているというよりは、まさにアインの魂がMSに乗り移っていると形容する方がふさわしいのである!


アイン「これが阿頼耶識(あらやしき)(=脳や脊椎とマシンを直結させた操縦システム)の完全なる姿! 貴様のようなハンパなものではない! 文字どおり、人とモビルスーツをひとつにつなぐ力だ!」


 これはまさに、人間が人間でなくなることの恐怖を、最大に象徴するものなのである。


クダル・カデル(宇宙海賊ブルワースのMSパイロット)「おまえ楽しんでんだろ! 人殺しをよ~~っ!!」
三日月「こいつは、死んでいい奴だから……」

(#13『葬送』)


 最終展開に至るまでを振り返れば、戦闘が激化する中、


鉄華団の小太りの小柄少年で、最も温厚だったビスケットや、
・クーデリアの侍女で、眼鏡をかけたクールビューティなフミタン・アドモス


を次々に失うなど、極限状況に追いつめられた鉄華団の少年たちが、次第に人間性を失っていくさまが描かれていたのではなかったか。



オルガ「こいつは今まで死んでいった奴らの、弔(とむら)い合戦だ!」


 #22『まだ還(かえ)れない』で、鉄華団の団長で、ストリートギャングみたいにヤンキーチックなオルガ・イツカがそう宣言したことに、すべての少年たちが賛同する。


 #10から鉄華団と締結した木星圏の大企業・テイワズより派遣されて財務&監視役となった金髪美女・メリビット女史はそれに恐怖を感じ、#23『最後の嘘(うそ)』でオルガを、


「あなたたちはビスケットさんの死でおかしくなってる! このままじゃ戻れなくなる!」


と批判するが、少年たちは、


「よけいなこと言うなよ」
「オレたちは巻きこまれてるんじゃない。自分の考えで動いてるつもりです」


と、まったく聞く耳を持とうとはしない。


 それどころか、正々堂々とした決闘を鉄華団に申し入れてきた、ギャラルホルンの司令官で、エキセントリックでヒステリーな年増女であるカルタ・イシューが搭乗するMSに、卑怯(ひきょう)にもバルバトスで奇襲攻撃をかけ、


三日月「あんたは殺さないと。またオレたちの邪魔をするから……」


と、徹底的にボコボコにしてしまう三日月の姿に、これはみんなの仇(かたき)討ちなんだから、オレたちは見なくちゃいけないんだ、と見入ってしまう始末……


 確かにカルタこそ、ビスケットを殺した張本人であり、鉄華団にとっては「死んでいい奴」ではあるのだが、


カルタ「ひねりつぶしてあげるわぁ~~ん!」(笑・#19『願いの重力』)


などと、世代的にはやはり親しみのあるベテランの井上喜久子(いのうえ・きくこ)が絶品の演技を披露していたこともあり、個人的にはこの場面はカルタが本当にかわいそうで観ていられなかったものである(笑)。


 ちなみに#21『還るべき場所へ』では、カルタのMSを中心に部下のMSが横一列にズラリと勢ぞろいし、


部下たち「われら、地球外縁軌道、統制統合艦隊!!」


と、スーパー戦隊のごとく名乗りを上げる場面があるが、


昭弘「撃っていいよな?」
三日月「あたりまえじゃん」


と、その名乗りの途中で鉄華団のMSが攻撃してしまうのは、「なんで名乗りのときに怪人は攻撃せえへんのや?」と、かつてスーパー戦隊を揶揄(やゆ)する際に言われたネタの映像化かよ!(笑)



 #24の導入部では、圧倒的な戦力を誇るギャラルホルンに対し、まだ年端(としは)のいかない子供たちまでもが大挙して小型兵器・モビルワーカーに乗りこんで敵陣に突撃していくさまが、メリビット女史の独白で、


ギャラルホルンは恐怖をおぼえただろう。正気を失ったような戦いぶりに」


と語られるが、かの太平洋戦争終盤、米軍の艦隊に捨て身の攻撃を敢行(かんこう)した、われらが日本の神風特攻隊や人間魚雷こそ、まさにそれではなかったのか?


 後期オープニング・テーマ『Survivor(サバイバー)』――映像との絶妙なシンクロが実に心地よい!――の歌詞に、


「機械のような奴らに支配される前に居場所探そう」


という一節があるが、その居場所にたどりつく前に、鉄華団の少年たちは、機械のような何かに支配されてしまったのであろうか?


メリビット女史「いったいどこにたどりつこうというのか? この地獄を抜けた先に……」


 思えば「世界の存亡をかけた大人たちの陰謀に巻きこまれてしまった少年たちの戦い」の中で、主人公格の少年たちの「人間が人間でなくなる恐怖」が描かれる青春群像劇は、個人的には『仮面ライダー鎧武(ガイム)』(13年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20140303/p1)を彷彿とさせるものがある。
 ここでは主人公格のストリートダンサーの少年たちが、踊る場所をめぐって縄張り争いを繰り広げるさまが初期に描かれていたが、鉄華団同様、彼らを街の「クズ」呼ばわりするセリフもあったのである。


 鉄華団の少年たちもまた、人権を完全に無視した劣悪な環境で酷使されたあげく、ゴミだのカスだのネズミだのと、そもそも最初から「人間」として扱われていなかった連中である。
 「弱者が踏みにじられる世界」を「力」を得ることでブチ壊そうとした駆紋戒斗(くもん・かいと)=仮面ライダーバロンが、最終的には「化けもの」と化したように、鉄華団の少年たちもまた、ひたすら搾取(さくしゅ)される底辺の階層から逃れるためには、「人間」であることを捨てるしかなかったのではあるまいか!?


 いや、それは決して少年たちばかりではない。


ガエリオ「マクギリス、おまえはギャラルホルンを陥(おとしい)れる手段として、アインを、アインの誇りを……(慨嘆) なんてことを! たとえ親友でも、そんな非道は、許されるハズがない!!(憤怒)」


 組織が腐敗し、支配力が低下したギャラルホルンの改革のためとはいえ、幼なじみのカルタや、親友でもある青髪の若造ガエリオ・ボードウィン特務三佐を捨て駒として利用し、さらにはガエリオの良き部下・アインを「化けもの」に改造してしまった、クールで金髪の超イケメン男であるマクギリス・ファリドに、ガエリオは怒りを爆発させ、最終回で壮絶な同士討ちのMSガチンコバトルを展開する!


 当初は軽薄な感じで、マクギリスに次ぐ敵側の二番手イケメンキャラではあるものの、少々お知恵の足りないチャラ男にしか見えなかったガエリオだが、


・地球人と火星人のハーフであることから、地球出身の同僚たちから差別を受けてきたアインの身の上に同情するのみならず、アインの上官で鉄華団との戦いで敗死した愚直な熟年軍人・クランク二尉の仇討ちを実現させてあげたいと願ったり、
ガエリオをかばって瀕死(ひんし)の重傷を負ったアインの再起を願うも、「人間であることを捨てる」阿頼耶識システムの施術には最後まで反対したり、
・#17『クーデリアの決意』で、スペースコロニー・ドルトの労働組合が起こしたストライキに対して、「不満分子が起こした反乱」を鎮圧するという名目でギャラルホルン統制局が実施した虐殺行為を、


「こんな卑劣(ひれつ)な作戦に参加できるか!」


と批判したり――このような虐殺は、劇中世界や現実世界の歴史でも散々に繰り返されてきたことでもあるだろう。しかし、労組の一部過激派分子は武器や兵器も密輸入して人命の犠牲を出してしまう武装闘争も辞さないつもりでおり、労組側を一点の曇りもない絶対正義だとも描かない!――、


・虫の息だったカルタを救い、その最期を看取(みと)るのみならず、


「カルタはおまえに恋焦がれていたんだぞ! 忌(いまわ)の際(きわ)も、おまえの名前を呼んで!」


と、マクギリスにカルタの秘めた想いを叫んだり、


など、中盤からあまりにも「いい人」ぶりが描かれていただけに、個人的にはその印象が好転したものだった。


マクギリス「君はいつも高潔だった。君に屈辱(くつじょく)は似合わない」


 こんな甘い言葉でカルタを戦場にひきずりだして、三日月に始末させるとは、やっぱマクギリスは最低な男やろ!(笑)
 元祖『機動戦士ガンダム』(79年)の宿敵青年シャア・アズナブルみたいな変な仮面(笑)で変装してモンタークなる偽名を名乗り、敵であるハズの鉄華団までをも自身の野望を達成するために利用するとは……


 先述した『仮面ライダー鎧武』で言うなら、悪徳企業ユグドラシルや、敵組織ヘルヘイムの怪人たちと一時結託(けったく)していた呉島光実(くれしま・みつざね)=仮面ライダー龍玄(りゅうげん)みたいな存在かと。
 それでも美形だから女性ファンにはどうせ人気があるんやろうなぁ(笑)。


 そういや総集編映画『機動戦士ガンダム』第1作(81年・松竹・https://katoku99.hatenablog.com/entry/19990801/p1)を観に行ったら、シャアが登場するたびに「きゃあぁ~~っ!!」だの「シャアさまぁ~~!!」などと、女子中高生の黄色い声が飛びかっていたものだ。
 当時中学2年生だった筆者は、「こいつらアホか?」――美形キャラクラーのみをミーハーに見ていて、作品の実質を観ていない!(怒)――と憤(いきどお)ったものだったが、筆者のほかにも「うるせえよ!」と怒っていたおにいさんが何人もいたものだ。


 もっとも現在では当の自分が、自宅で『ラブライブ!』(13年)を観るたびに、「(西木野・にしきの)真姫(まき)ちゃ~~ん!!」と叫ぶようになってしまったが(汗)。


 もちろん、かの女児向けアニメ『プリキュア』のライブステージや、人気アイドル声優にアニソン(アニメソング)歌手が数万人規模のステージで熱唱する姿に、子供たち以上に熱狂的な声援をあげている大きなおにいさんたちの存在も、80年代にはあり得なかったワケであり……。



 閑話(かんわ)休題。


マクギリス(幼い頃)「ボクなんかと、遊ばない方がいいですよ」
――そそくさと離れようとした幼いマクギリスの前に、「遊びに来てやったわよ」などと、仁王立ちで立ちふさがる幼いころのカルタは、ルックスもキャラもそのまんま小さくしただけ(笑)――


 養子として引き取られた立場から、幼いころのマクギリスは常に卑屈(ひくつ)だったようだが、


「君は憐(あわ)れみでもなく、情(なさけ)でもなく、平等に扱ってくれた」


と、#23でマクギリスはカルタに感謝の言葉を語っていた。


 だがその一方で、最終回ではマクギリスはガエリオにこう語っている。


「友情、愛情、信頼……そんななまぬるい感情は、残念ながら私には届かない。怒りの中で生きてきた私には……」


 自身の弱さと弱者が踏みにじられる世界に怒りを募(つの)らせるも、一度は友情と信頼に結ばれたハズの葛葉紘汰(かずらば・こうた)=仮面ライダー鎧武と、ラスボス打倒後に決闘を演じざるを得なくなった駆紋戒斗=仮面ライダーバロン。
 本編では詳細は語られてはいないが、マクギリスには駆紋戒斗と同じような生い立ちが感じられるのである――最終回での養父、イズナリオ・ファリドの「絶望から救いあげてやった恩義を忘れたおまえの先も、絶望しか待っていないぞ」なるセリフに、それは充分に表れてはいるが――。


マクギリス「ガエリオ、おまえに語った言葉に嘘はない。ギャラルホルンを正しい方向に導くためには、おまえとアインが必要だった。そしておまえは、私の生涯(しょうがい)、ただひとりの友人だったよ……」


 社会で成功や変革や革命を成し遂(と)げるためには、友情・愛情・信頼といった「人間」らしい感情を捨て、ひたすら非情に徹した「怪物」になるしか道はないのではないのか?


 ちなみに本稿執筆中に現在放映中の『仮面ライダーゴースト』(15年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20160222/p1)では、敵の怪人種族である「眼魔(がんま)」たちの出自である異世界「眼魔世界」が「完璧なる世界」とされているが、そこでは「心」が不必要な存在として位置づけられている。
 『オルフェンズ』にしろ『ゴースト』にしろ、その世界観は、何事にも機械のような完全主義が求められることにより、人々から人間性がすっかり失われてしまった現代社会を暗喩(あんゆ)したものではないのだろうか?
 いやぁ、我々はいったい、なんちゅう暗いもんを観せられとんのやろ? 『ゴースト』が度の過ぎるくらいにコミカル演出にあふれているのは、「子供番組」としてのバランスを取るためには当然の処置である(笑)。


 とは言うものの、『オルフェンズ』は決して、人間性がすっかり失われてしまった非情な世界観ばかりが描かれているワケではない。
 ドルトで弟のビスケットと再会を果たすも、宇宙コロニーの労働者階級が起こした暴動の首謀者に仕立てて、たまたま寄港中であった火星出自のクーデリア嬢を、ギャラルホルンに引き渡そうと画策したことから、ビスケットと激しく対立することとなってしまった実の兄のサヴァラン・カヌーレ
 ただ、それはドルトカンパニー本社の役員として、労働者側からは裏切者呼ばわりされようとも、会社の上層部に労働組合との対話を訴えつづけたように、上と下からの板挟みの身でも、なんとか武力衝突を防ごうとしたからこそだったのだが、結局組合員たちはギャラルホルンに虐殺されることとなり、その責任を感じたサヴァランは自ら命を断ってしまう。
 このサヴァランも、鉄華団側からすれば悪役っぽく描かれてはいたものの、実は「いい人」の部類に属すると言えるであろう。


 その遺書の中に、


「大きなうねりに巻きこまれたら、もう逃れられない。おまえは振り回されずに自分の道を進め」


とあったことにビスケットは大きなショックを受け、オルガとの口論の末、鉄華団を降りると言い出してしまう。


 #20『相棒』のこの場面以降、実はオルガの姿に、そんな「いい人」の面が象徴的に表れているのだ。


 それまではひたすらタンカをきったりハッタリをかましたりと、虚勢を張り続けていたオルガだったが――このときもドアを乱暴に蹴りあげてメリビット女史を驚かせる――、遂にメリビットに、


「ショックだったよ……」


と、初めて「弱み」を見せるのである!


 そして#21でビスケットを目の前で失ったことから、#22ではオルガは少年たちに命令も出さずに、ひたすら部屋に閉じこもったままとなってしまう!!


 さらに#23で、ビスケットが実はオルガとの口論のあと、三日月に、


「オレは降りないよ」


と語っていたことを三日月から聞かされたオルガは、遂に男泣きしてしまうのである!――正直ここではおもわずもらい泣きしてしまったほどである――


 だが、#24でのギャラルホルンとの決戦前、オルガは少年たちの士気を高めるために、


「オレたちはひとつだ! 家族なんだ!」


として、「誰が死ぬか生き残るかは関係ない! 死んだ奴の命は生き残った奴らの未来のために使われるからムダにはならない!」などと訴える。
 一理はあってもトータルでは非合理な、暗黙裡にはこの決戦で「死ぬ可能性」があることを、「決戦に負けてしまえばこのメンバー全員に未来はない。戦いに勝つために一個人が仮に死んだとしても戦え!」といった、戦の前には侵略戦争だろうが自衛のための戦争だろうが革命だろうが、リーダーが古今東西唱えてきて「悪」にも「必要悪」にもなるような、おなじみの主張である。


メリビット「こんなの間違ってる! ビスケットさんだって、フミタンさんだって、こんなの望んでない! もう私、何も言えない……」


 これまで気丈(きじょう)に振る舞ってきたメリビット女史が、遂に顔を両手で覆って泣き崩れたことに、巨漢の黒人で鉄華団の整備班長であるナディ・雪之丞(ゆきのじょう)・カッサパが、


「ああ、まちがってるさ」


と、そのごっつい手をメリビットの頭に優しく置きながら、ボソッとつぶやく演出が実に秀逸(しゅういつ)である。


 仲間との連帯感をひたすらあおり立てることで個人よりも集団を重視し、それに奉仕して、そのために犠牲となるのは当然であるかのような、まさに「戦前」の全体主義軍国主義的な鉄華団の少年たちの姿勢を、「近代」や「戦後」の個人尊重主義、そして大人の観点からハッキリと「まちがってる」と否定する作劇は、きわめてポイントが高いものがある。
 とはいえ、この一戦で個人の命を尊重したばかりに、敗北してしまったり、敵前逃亡してしまえば、鉄華団にも火星の貧民たちにも未来はないのもまた厳然たる事実でもある。


 そして、これまでひたすら勇ましいことを叫んできたオルガに少年たちがずっと付き従ってきたのは、彼の妙にイキがったチョイ悪――メチャ悪?――的なカリスマ性が理由のすべてではない。
 少々の威圧感や迫力もあるカッコよさだけではなく、もちろん単なる粗暴さでも、単なる弱々しい善人でもない、内実は情にも篤(あつ)くて頼りになり、自然に周囲の人間たちを動かすことができるような――言い換えると、私利私欲や虚栄心だけではない、志しも高くて高潔で胆力もあって、大義を成し遂げてくれそうな人格の彼にならば、協力もしてあげたいと思えるような――オルガの「人徳」や「人間力」であったように思える。


オルガ「こっから先は死ぬな! 死んだ奴は命令違反でオレがもう一度殺す!」――やっぱガラ悪すぎ(爆)――


 最終回での少年たちに対する、このオルガの矛盾した命令こそが、


「あいつは団長として、ずっとこの命令を出したかったんだ」


と、雪之丞がメリビットに語ったように、オルガの本心を象徴したものであり、それが出したくても出せないほどの過酷な状況が、鉄華団をずっと襲ってきたのではなかったか?



ラフタ「あたしたちもさ、ここに来なけりゃ行き場のなかったコ、結構多いんだよね」


 タービンズの女性パイロットで、黄色髪ツインテールのおてんば娘であるラフタが、#22で爪を切りながらそう語っている――その姿を後ろからとらえた、ウエストからヒップへと流れるラインを強調したカットは、かの東映円谷プロなどの会社をまたがって活躍する日本特撮界のホープ坂本浩一監督独特のフェチアングルを彷彿とさせる。とにかくラフタの登場場面はやたらとそれが多いような(笑)――。
 そのたった一言のセリフだけで、名瀬(なぜ)・タービンのハーレム一家(笑)が、実は鉄華団の少年たちと同様の、身寄りのない女性たちのかけこみ寺であり、名瀬が単なる女好きだけでもない、「人間力」の持ち主であることを明らかにした演出も実にあざやかである。


 最終回で迎えに来た名瀬に、「ダーリン!」と泣きつくラフタとエーコの姿に、


アミダ「あんたはいいのかい?」
ジー「やめてくださいよ、アネさん」
アミダ「かわいいねぇ、アンタは」


と、常に控え目で冷静沈着な灰色髪のアジーが照れるさまを、色気過剰なアネさんである名瀬・タービンの第一夫人・アミダがおちょくる場面は、もうこれだけでハーレムな各夫人キャラたち(笑)がどんな人物なのかを端的に表現した絶品な演出である。


――当初はオペレーターで出番が少なかったエーコが、終盤に鉄華団の整備を手伝うかたちで出番が増えるのは、「オレの『ラブライブ!』の小泉花陽(こいずみ・はなよ)役の久保ユリカが声やってんだからもっと出せ!」と、ファンからクレームが殺到したのだろうか?(笑)――



 ただ個人的な本作のベストヒロインは、自身も感情を露わにしない主人公少年・三日月でさえ「いつも何考えてるかわからない」と称したほどの、クーデリア嬢のメイド風の侍女にして常に無表情で感情を表に出さない冷たい感じの黒髪メガネのフミタン・アドモス女史なのだ――ちなみに第2位はカルタ、第3位はメリビット、って年増女ばっかや(爆)――。


 そして、本作の名セリフ第1位は、私的には#15『足跡のゆくえ』で、フミタンがクーデリアを指して語った、


「まっすぐな瞳が、ずっと嫌いだった」


である。


 #16『フミタン・アドモス』で、幼いころのクーデリア嬢がスラム街の少女にキャンディを手渡そうとするも、その場限りの施(ほどこ)しにすぎないとフミタンがたしなめる回想場面がある。
 自身もスラム街の出身であり、先の少女に過去の自分の姿が重なったことから、世間知らずのお嬢様のクーデリアに対し、


「現実を知って、濁ってしまえばいい」


と、つぶやくさまは、その鬱屈(うっくつ)とした想いが満ちあふれた、実に説得力が感じられるものである。


 #15のラストでモンタークにより、その正体がクーデリア暗殺のために送りこまれたスパイであったことが明らかにされるも、#16でクーデリアをかばって凶弾に倒れたのは、その身を呈することで、クーデリアのまっすぐな瞳を濁らせるためではなかったか……
 任務自体は失敗したものの、フミタン自身の願いは、実は充分に達成できたのではないかと思えてならないものがあるのだ。


 フミタンの声を演じた内山夕実(うちやま・ゆみ)は、『蒼き鋼のアルペジオ -ARS NOVA(アルス・ノヴァ)-』(13年)ではキリシマを演じていたが、このキリシマもまた『アルペジオ』のヒロイン中では個人的に最も好みであり――ただし小さなクマさんの縫いぐるみ姿に変わる前の人間態の方(爆)――、どうも筆者はあまり抑揚が感じられない、低血圧ボイスに弱いようだ(笑)。


クーデリア「私の手も、もう汚れています」


 #19で握手を求めるも、手が汚れているからと断ろうとした三日月に、クーデリアはそう語っていた。


 そして最終回、ラストバトルの後遺症で右手が思うように動かなくなってしまった三日月は、クーデリアに


「この手じゃもう、なぐさめてあげられないから」


と、残念そうにつぶやく。


 ひたすら寡黙(かもく)で感情に乏しい三日月ではあったが、決して戦闘マシンであるばかりではなかったのだ。


アトラ「三日月がたいへんなときは、あたしたちがなぐさめてあげるんだから!」


 炊事係の少女で幼児体型(笑)のアトラと成熟した金髪美少女のクーデリアにはさまれ、「両手に花」状態となって困惑するという三日月の「人間」くさい姿で幕となったことは、せめてもの救いであったように思える。


 2016年秋スタートの『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』第2期「鉄華団再び」が、今から待ち遠しくてならないものがある!


(了)
(初出・オールジャンル同人誌『DEATH-VOLT』VOL.74(16年5月1日発行))



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