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機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ ~長井龍雪&岡田麿里でも「あの花」「ここさけ」とは似ても似つかぬ少年ギャング集団の成り上がり作品!

『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』 ~別離・喪失・齟齬・焦燥・後悔・煩悶の青春群像劇の傑作!
『心が叫びたがってるんだ。』 ~発話・発声恐怖症のボッチ少女のリハビリ・青春群像・家族劇の良作!
『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』 ~ニュータイプやレビル将軍も相対化! 安彦良和の枯淡の境地!
『機動戦士ガンダムNT』 ~時が見え、死者と交流、隕石落下を防ぎ、保守的家族像を賞揚の果てに消失したニュータイプ論を改めて辻褄合わせ!
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『機動戦士ガンダム』シリーズ評 ~全記事見出し一覧
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 2019年10月11日(金)からアニメ映画『空の青さを知る人よ』が公開記念! とカコつけて……。『空の青さを知る人よ』の長井龍雪カントク&岡田麿里脚本コンビによる巨大ロボットアニメ『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』第1期(15年)評をアップ!


機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』 ~長井龍雪岡田麿里でも「あの花」「ここさけ」とは似ても似つかぬ少年ギャング集団の成り上がり作品!

機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』(1期) ~合評1

(文・T.SATO)
(2016年4月29日脱稿)


 白&青の体色が基調なるも、小さな両眼のすぐ上の大きな金色のヒサシ&ツノ飾り! 極端に細いウエスト! 何よりビーム剣を使わずに長大な鉄のホコで敵を叩きのめす無骨な戦法!
 巨大ロボットもの『ガンダム』シリーズの中でも、本作のガンダムは鮮烈な印象を醸し出している。


 本作のシリーズ終盤においては、一騎打ちを望んだ敵ロボに対して、イザ戦闘開始の合図前だというのに、我らがガンダムが不意打ちに及んで、執拗に打擲(ちょうちゃく)を加える……。
 ヒ、ヒドい! と同時に、不謹慎にも痛快の念も覚えてしまうのだ(汗)。まぁ、この矛盾した感情を視聴者に惹起させることが目的だろうから、筆者は演出家の手のひらの上なのだろうけど。


 冷静に考えれば、ヤラれて恐怖に打ち震えている敵パイロットが敵方でも美少女だったらば可哀想になって、そこでプチ同情して、主人公少年の方がもっと悪党に見えたハズであろう。
 しかし、アソコに永遠の17歳井上喜久子(笑)が演じていたとしても、見た目もキツめで平安美人チックな年増のやや醜女キャラを配したからこそ、反則バトルに背徳感も込みでの快感も味わえたワケなのだ。それが良くも悪くも映像&演出のマジックというモノなのだ。


 繊細な人間ドラマ志向の長井龍雪監督&岡田麿里脚本コンビが、まさかの『ガンダム』シリーズを手掛けるとは驚きで、両名をスカウトしてきたプロデューサー氏(誰だかは知らない・笑)の英断にも敬服してしまう。
 作品内容がこの二氏の3大名作アニメ『とらドラ!』(08年)・『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』(11年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20191103/p1)・『心が叫びたがってるんだ。』(15年)とは似ても似つかぬ、実に野蛮な世界観であったことにはもっと驚いたけど(笑)。


 痩せた大地の火星や貴族的な敵集団という設定は、本作の前年に放映されたばかりのリアルロボアニメ『アルドノア・ゼロ』(14年)やガンダムシリーズの直前作『機動戦士ガンダムAGE(エイジ)』(11年)ともネタがカブってはいる。


 しかし、21世紀以降の繊細ナイーブな作りの美少女アニメや、2010年代以降に勃興している(ひとり)ボッチアニメの逆張りなのであろうか?
 近代的でお上品な市民社会とは程遠い、基本的人権も保証されておらず、前近代に立ち帰ったかのような暴力による支配&重労働にも満ち満ちた劇中世界。
 そして、腕っ節&気合いで渡世していく、マッチョでギャング集団に一歩手前のヤンキーDQN(ドキュン)的な、揃いのガテン系作業着のポッケに両手を入れて、胸を張ってガンも飛ばしているような悪童たち。
 それら一連の描写が、本作を他に替わるモノなき、類例もないモノとして、作品を立ち上がらせてくる。


 仲間たちに弱みを見せまいとして、イキがってワルぶってカッコもつけている青年リーダー。そんなモラルはウスそうなただのワルにも見えてしまう彼にも、ギリギリのところで宿っている倫理&矜持。
 そして、そんな彼を値踏みをするかのように静かに見つめている、不敵で無口な低身長の主人公少年の鋭い視線を、リーダーは常に内面化・尺度化して、背筋を伸ばし怯懦(きょうだ)を払いのけて、胆力があるオトコ・大物として成り上がらんとしている!


 正直、文弱の徒である我々オタクは、この『鉄血のオルフェンズ』の世界には居場所がナイであろう。リアルに考えれば、こーいう連中は、ナヨナヨとしたヤサ男だったり、丁寧語や対話相手を「様(さん)」付けでしゃべるような連中をキラうどころではなく、反発心・嗜虐心まで刺激されて、我々とは気が合わないどころか、真っ先にドヤされてイジメにかかってくるとも思うけど(笑)。


 史実で例えれば、古代中国の「項羽と劉邦」や旧ロシア帝国ピョートル大帝の配下たちよろしく、子供時代からの旧友たちでもある街のDQN集団が「学」は無くても度胸・才覚・運・少々の悪事(汗)で成り上がっていったように、会社にとっては彼ら少年たちは2軍に過ぎなくて、悪童集団をオトリにして自らは敵前逃亡してしまった卑劣な上層部をヒミツ裏に銃殺!(爆) そして、会社を乗っ取ってしまい、一旗を上げてしまう主人公たち。
 この血塗られたシリーズ序盤の展開にも賛否はあるだろうけど、個人的にはコレまた背徳感込みで痛快! ……悪いヤツはドンドン殺っちまえばイイんだヨ!(汗)


 そして、劣悪な火星の状況に心を痛めて、その窮状を地球政府に直訴せんとする、気高いけれども世間知らずな火星のお嬢さまをエスコートする大仕事を引き受けて、博打(バクチ)的なキン肉バトルで運を切り開いて、半ばはヤクザな業界の親分にも気に入られることになる。
 腹にイチモツがある各陣営の思惑(おもわく)。火星・商会・宇宙コロニーの労働組合・地球統治組織。そして、それぞれに存在する各ボスには従わない末端の暴走なども錯綜する中で、クセ者の長老政治家も抱き込んで、お嬢さまは地球の議会に直談判!


 ウン十年前、「僕たちは愛し合わなければイケなかったんだ」「あぁアムロ、時が見える」「絶対平和主義ガー」なぞと云っていた時代の作品群と比すると、希少金属の権益を確保して火星の立場を多少なりとも改善し、同時に自分たちの会社も大きくせんとする私利私欲もプチ肯定した、清濁を併せ呑んだ現実的な交渉までをも描いて、青クサかった日本アニメも思えば遠くへ来たもんだ。……いや、遠くにではなく現実に近いところへと着地した?


 とはいえ、読み書きもできないガキんちょ集団による、仲間との紐帯を過剰に重視して、集団を家族にも見立てて、個よりも仲間に奉仕して時に命も捨てる、多少狭苦しさも感じられてしまう態度を、近代市民的な立場から批判的・悲痛に見てしまう商会のお目付け女性キャラも設定し(彼女自身は無力で影響力は皆無でも)、彼らの行動を絶対正義にはしていない作劇もポイントが高い。


 しかし、作り手側が高みに立って、彼らを安直に断罪・否定しているワケでは毛頭ない。近代市民社会なぞは人間の本来的な在り方ではなく、多少なりとも豊かになって余裕もできた人間たちによる、人工的に作り込んで「そうしておいた方がイイ」「そうしておこう!」といった作為的なモノなのである。
 そこまでの発展段階には至っていない、あるいは一度は到達しても崩壊してしまった世界においては、まずは抽象的な世界平和なぞではなく、家族や身内や仲間内だけを守ろうとする互助的なギャング集団の方を作ろうとするような行為の方が現実的でもあるだろう!


・お嬢さまのお付きの侍女の正体や、そんな彼女の心理的屈折に最後の顛末
・敵である地球統治組織の中にも火星人(火星移民)との混血ゆえに差別されている兵士
・地球統治組織を改革するためには謀殺も辞さない美形敵キャラ


 そういった、周辺キャラや敵側キャラの人物像も立っていた。


 本作の円盤第1巻の売上は、本家・富野カントクの手になる直前作『ガンダム Gのレコンギスタ』(14年・)第1巻の倍近い1万枚超えを達成!
 売上が作品の質とイコールではないのは重々承知している。しかし、個人的な好みやエンタメ作品かくあるべき的な私的美意識で云うならば、『Gレコ』よりも本作の方が内容的にも深いし、イイ意味での漫画的なエッジも適度に立っていて、エンタメとしても成功していると私見する。第2期決定もむべなるかな。


(了)
(初出・オールジャンル同人誌『SHOUT!』VOL.67(16年8月13日発行))


(後日付記:エッ、最初から分割2期予定の作品だったって? いやまぁ本作と同じくサンライズ製作のリアルロボットアニメ『バディ・コンプレックス』(14年)みたいに不人気で、第2期相当の1クール分が前後編2本に大幅短縮されてしまった作品もありましたからネェ(汗)。とはいえ、『バディ・コンプレックス』に対する筆者個人の評価は高かったのだけど・涙)


機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』(1期) ~合評2

(文・久保達也)
(2015年12月24日脱稿)


ラフタ嬢「アイツのしつこさ、相当だよ~」
昭弘(あきひろ)「もう一戦、頼む!」
ラフタ嬢「カンベンして……」


 こんな思わせぶりなセリフが飛び交う作品を、毎週日曜の夕方などに放映していてもいいのか!?


 個人的には本作は#4くらいまではカッタルくてたまらず、おもわず切ろうかと思ったほどだった。しかし、#5『赤い空の向こう』以降、その印象が急に好転した。その理由は大きくふたつある。


 ひとつは、火星独立運動を象徴するお嬢さま・クーデリアが調停のために地球へと向かうのを護衛するために、#5以降は本作の主役組織でもある少年ギャング集団・鉄華団(てっかだん)も火星を離れて惑星間を航行するようになったこと。
 その途上において、クーデリア嬢をねらう宇宙チンピラどもが操縦するモビルスーツの大群と、主人公・三日月・オーガスみかづき・おーがす)少年が操る巨大ロボット・ガンダム=個体名・バルバトスとの、高速で宇宙を舞うようなバトルが頻繁に繰り広げられるようになったこと。


 もうひとつは、#7『いさなとり』以降、昭和の歌謡スター・沢田研二の大ヒット曲『勝手にしやがれ』(77年)のような白い背広スーツの衣装を着た黒髪ロン毛のキザな兄ちゃんである名瀬・タービン(なぜ・たーびん)が艦長を務める、一夫多妻制(!)のハーレム鑑(笑)が登場するようになったことだ。


 それまでの本作における女性キャラといえば、クーデリア嬢以外には#5以降に炊事係として鉄華団の船に搭乗することとなったロリ系少女のアトラ嬢、「おいしそうな名前」をしたビスケット青年の双子の妹である幼女クッキーとクラッカー(笑)をはじめとする美少女キャラ、あとは年齢がグンと飛んでサクラ婆ちゃんくらいのものだった。


 それがこのハーレム鑑の登場によって、一気に20歳前後の女性キャラが増えて、冒頭に挙げたようなおもわず勘違いしてしまうイロ気もある会話すらも生み出されることとなったワケである。宇宙服をうまく着れないクーデリア嬢がお尻まるだしとなったのも、やはりこの#7のことであった(笑)。


 そんなふうに感じられるようになるまでには、本作序盤に登場してくるキャラクターがひたすらに小汚い野郎、それも『北斗の拳』(83年)や『ジョジョの奇妙な冒険』(86年)など、個人的にはキャラクターデザインだけで敬遠(爆)してしまう、1960~70年代の番長漫画の系譜を継承した『少年ジャンプ』原作アニメに出てくるような、実にガラが悪いヤツが多いという印象があったのだ。
 まぁ、最初から美少女を看板に据えているアイドルアニメ『ラブライブ!』(13年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20160330/p1)などはともかくとして、近年では戦闘アニメですらも『ガールズ&パンツァー』(12年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190622/p1)や『蒼(あお)き鋼(はがね)のアルペジオ -ARS NOVA(アルス・ノヴァ)-』(13年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190922/p1)など、美少女キャラばかりが出てくる作品が当たり前となっている。
 そういう作品にイカれてしまった筆者は、野郎しか出てこないような世界観を、体質的に受けつけなくなったほどにすっかり退行してしまったということなのだろう(汗)。


 加えて、#1のクライマックスで、往年のリアルロボットアニメ『戦闘メカ ザブングル』(82年・サンライズ 名古屋テレビ)に登場した二足歩行のブルドーザー型の中型ロボットのような多様な雑魚(ざこ)メカ・ウォーカーマシンを彷彿とさせる作業メカ・モビルワーカーによるドンパチシーンが、個人的にはショボい絵に見えてしまって、まさに悪い意味での「絵空事」のように感じられてしまったのであった。
 これもまた、筆者が先述した『ガルパン』に2015年の現時点でハマっており、そのあまりにリアルで迫力のあるミリタリー描写に慣れてしまっていたためのようだ(汗)。


 それに対して、本作のガンダム=バルバトスは、長い柄のついた斧のような鈍器(!)が主要な武器であり、これを振り回して柄の先を敵のモビルスーツに突き刺してトドメを刺すなど、かなり武骨な戦闘スタイルである。


 ファーストガンダムに登場した宿敵巨大ロボ・シャア専用ザクをどことなく彷彿(ほうふつ)とさせるピンクと赤のカラーリングであるモビルスーツ(巨大ロボット)を操縦する女傑でもある、タービン一家では「姐(あね)さん」と呼ばれているアミダ女史は――名瀬・タービンの第一夫人でもある!(爆)――、#7にて鉄華団のメンバーである寡黙な大柄マッチョ男子・昭弘(あきひろ)の戦法のことを、


「脳ミソまで筋肉でできているような戦いぶりだねぇ」


などとあざ笑っていた。しかし、そう云っているアミダの戦法自体がまた、昭弘のモビルスーツにやたらとヒザ蹴りを喰らわすなど、実はほとんど「脳ミソまで筋肉」な戦い方であったのだ(笑)。


 たしかにこうした戦い方の方が、手脚も付いている人型をした巨大ロボットの接近戦としては実はリアルなのかもしれない。しかし、やはり宇宙空間での未来的なモビルスーツ戦であるならば、ビームサーベルを振り回したり遠距離からのビームライフルをブッ放した方が華(はな)が感じられるというものであろう。


 先にモビルワーカーによる戦闘が『ガルパン』に比べて「リアル」じゃないからイヤだ! と云った。しかし、ここではある意味では「リアル」な鈍器やヒザ蹴りよりも、ある意味では「絵空事」でもある華のあるビーム剣やビーム銃の方がイイ! と真逆なことを云っていて、筆者個人もその矛盾を自覚しているのだけど、その自覚に免じてご容赦を願いたい(汗)。



 本作は傑作深夜アニメ『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』(11年・)、そして本2015年秋に大ヒットしたアニメ映画『心が叫びたがってるんだ。』(15年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20191104/p1)を生み出した、脚本・岡田麿里(おかだ・まり)と監督・長井龍雪(ながい・たつゆき)コンビによる作品でもある。
――そういえば、冒頭にセリフを挙げたラフタ嬢の見た目も、『あの花』の赤髪ツインテールの女子高生サブヒロインであった「あなる」=安城鳴子(あんじょう・なるこ)に似ているような気もしてくるのだ(笑)。後者の映画『ここさけ』は筆者が在住する静岡市でも客の入りがよいようで、12月の「年の瀬」時点でも、1日1回だけだがいまだに上映中だ――――


 地球同様に火星が4つの経済圏による分割統治がされたことによって、貧しい子供たちが次々と死んでいくのは自身のせいだとか、「また何もできなかった……」と述懐して自身が鉄華団の足手まといになっているだけだと日々、無力感や罪悪感にさいなまれているクーデリア嬢の姿には、『あの花』『ここさけ』にもかろうじて通じているかもしれない、やるせのない煩悶描写が描出されていた。


 そのワリには、それらの作品とはあまりにも空気感まで異なっているが、『ここさけ』が『あの花』の客層を呼びこむことで大ヒットしたように、本作『鉄血のオルフェンズ』もまた『ここさけ』『あの花』の岡田&長井コンビによる作品だと謳(うた)うことで、一般層や今どきのアニメマニア層の視聴者を少しでも開拓しようというねらいは当然にあっただろう。


 実際にも『ガンダム』の人気や映像ソフトの売り上げなどは、先述した『ラブライブ!』『ガルパン』『アルペジオ』などを超えるほどの域にはなく、往年の勢いはすでに失われつつあるのも事実だ。そこで少しでもパイを増やそうと考えることは商業的には当然のことなのだ。
 しかし、せっかく開拓しようとした一般層やライト層向けに、ふつうの古典的な子供向け合体ロボットアニメのような各話のラストにお約束の巨大ロボットバトルがあるような作品を見せつけても、そこで視聴を打ち切られてしまうことは当然のことだろう。
 だから、巨大ロボットバトルも各話の必須とはせずに、数話に1回まとめて作画クオリティがよくて迫力もある戦闘シーンを配置することで、そこでアクションのカタルシスは担保して、中高生以上の年長マニア向けに「人間ドラマ」主導の作風にしているということも理解はできるのだ。


 先に挙げた『ガルパン』は、アニメ業界のウラ側を描いていた『SHIROBAKO』(14年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20151202/p1)における劇中内アニメのように製作遅延を起こして(汗)、放映期間中に2度も放映を落として、各々で再編集の総集編でつないだ末に、最終2話はいったんの放映終了後の半年後に放映するような事態となっていた(笑)。


 だから、各話ごとに細かいカット割りでスピーディーに動いてみせる戦闘シーンが相応の尺数で存在すると、カット数もとたんに増えることから、作画枚数・背景枚数・メカCGの作業量が膨大になってしまって、製作スケジュール的にも厳しくなってしまうというウラ事情はよくわかる。
 よって、#4のようにサクラ婆ちゃんのノドカな畑を舞台にするとか、#9のようにオルガと名瀬といった宇宙ヤクザたちが黒い和装(笑)をして盃(さかずき)の杯(はい)を酌み交わして義兄弟としての盟約を結んでみせる儀式を延々と演出の力だけでワンカットの長廻しで描くといった処置も、ゆえのあることではあるのだろう。



 ただし、こういった処置は、作品の人間ドラマ的な品位を上げることにはつながっても、男児向けには痛し痒しだということである。


 もうまる15年前のことになるが、毎週土曜の夕方6時にかのテレビ特撮『ウルトラマンコスモス』(01年)の後枠でもウルトラマンシリーズを放映させたかった円谷プロの意向をよそに、実際には同作の後番組となった作品は『機動戦士ガンダムSEED(シード)』(02年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20060324/p1)であった。
 この当時は元祖『機動戦士ガンダム』(79年)というのか、同作は低視聴率や子供向けの玩具売上不審で打ち切りになったので、翌々年に同作を再編集した映画版3部作(81~82年・)を公開された折りの大ブームをリアルタイムで体感していた世代が30代~40代に達しており、社会で実権を得た時代でもある。


・NTT東日本
・NTT西日本
・NEC系のBIGLOBE(ビッグローブ
・SONY MUSIC


 同作にはオタク向け作品としては非常に珍しいことに、天下の大企業がスポンサーとしても名を連ねていた。


 これは、それらの企業内においてもファースト『ガンダム』を好んでいた世代が主導権を握って、現行の『ガンダム』作品のスポンサーになることにもGoサインを出せるようなポジションになったことの証でもあっただろう。


 製作会社の意向よりも、広告代理店や玩具メーカーの意向で番組枠が勝手に決まっていくようになって久しかったこの時代に、『ガンダムSEED』の作品内容ともまた別に、同作のスポンサーを天下の大企業数社が引き受けたことについては、在野でしがないオタクをやっている我々の功績などではまるでなく(笑)、大企業に就職できてきちんと出世もしていった『ガンダム』世代の連中が果たした役割はあまりに大きかったに違いない。


 だが、それから早くも10数年が過ぎた本作『オルフェンズ』のスポンサーは、「ガンプラ」や関連ゲームソフト・映像ソフトを売るバンダイと、せいぜいが主題歌CDを売るSONY MUSICのみに舞い戻ってしまっている。


 テレビアニメ『ポケットモンスター』(97年)や『遊☆戯☆王』(98年)は夢中で観ていても、同時期に放映されていたハズの平成ウルトラマンシリーズ3部作(96~99年)はあまり観ていなかった御仁の方が多いようである、つまりは特撮ジャンルには疎い世代が、すでに社会人の年齢となっている。
 2015年現在では大人気作品となっているテレビアニメ『妖怪ウォッチ』(14年~)は観ていても、現今の平成仮面ライダーシリーズや今回の『ガンダム』=『オルフェンズ』はあまり観ていない現在の小学生もまた、いずれは確実に社会に進出する。
 『ガンダム』の新作をつくりたいというバンダイサンライズの意向をよそに、『ポケモン』『遊戯王』『妖怪ウォッチ』世代が支配するようになった広告代理店や玩具メーカーの意向により、『ポケモン』『遊戯王』『妖怪ウォッチ』シリーズの次世代の新作が優先されてしまう事態もまた、そう遠くはない未来に想定されるのである……


 そう考えると、ガンダムマニア相手の商売や一般層の開拓もけっこうなことなのだが、それと並行して幼児はともかく小中学生の男児にも受けそうなメカロボ登場シーンや戦闘シーンはもっと適宜(てきぎ)に入れていった方がよかったのではなかろうか?
 #1~#4のようなシブめの導入部は、小中学生には置いてきぼりかと思われるし、やはりトータルでのマス層のゲットという意味では、ロボットアニメや『ガンダム』というジャンルも先細りの一途となるだけではなかろうか?


 ロートルな筆者なども「中学生になったのだから、もうロボットアニメなどは卒業しよう」と思っていたところをファースト『ガンダム』が引き留めることとなったのは、やはり「これは今までのロボットアニメの内容とは違う!」と思わせたからこそであった。
 しかし、それでも筆者よりも年下である小学生男子たちまでこぞって後年で云うガンプラガンダムのプラモデル)を追い求めて、店舗の開場時の行列ダッシュでケガ人まで出る騒ぎも起きたほどの「社会現象」となっていた。
 それはファースト『ガンダム』が「人間ドラマ」を強調しながらも、それまでのロボットアニメと比べれば相対的にはたとえリアルに見えたのだとしても、やはり人型の姿をしているので擬人化された陸軍兵士的な動作やポーズなども取ってみせる「モビルスーツ」なる敵味方のカッコいい人型巨大ロボット単体としての魅力も大きかったのだろう。
 そして、それらのメカロボが量産型としても登場して、1対1の一騎打ちなり集団戦を繰り広げてみせる戦闘の高揚感にもあふれていたからではなかったのか?


 その最終回では看板ヒーローが登場しないというパターン破りで特撮マニアの大勢が絶賛していた『仮面ライダークウガ』(00年)の最終回(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20001111/p1)を観て、「クウガが出なかったよう~」と泣きわめいたような純真な子供たちも新聞の読者投稿欄などでも散見されたものだ。そういう幼児や児童たちもまた、相応に存在することもまた事実なのである。
 リアル『SHIROBAKO』を起こさない程度に(笑)、メカ作画やメカCGのレベルを少々下げてでも、各話に戦闘シーンはたとえなくても、せめてモビルスーツだけは画面上に倉庫などで登場させたり、尺は少なくとも小競り合い程度の小さな戦闘シーンなども入れておいて勝利のカタルシスを味あわせておいた方が、将来的な展望まで考えるのであれば有望な処置ではなかったろうか?


 ただまぁ、このあたりのことは作品それ自体の内実を離れた、中長期的なマーケティングとしての話ではあり、筆者のごとき一介のオタクには手の出しようがない事項であることも自覚はしている。


 よって、以降は今ある『鉄血のオルフェンズ』という作品それ自体のドラマ性や活劇性について、批評していこう。


 地球人が宇宙に進出した未来を舞台としているのに、生きていくだけで精一杯で学校にすらもロクに行けずに、過酷な火星の環境で肉体労働にいそんしでいる少年たちを描いている本作。主人公の三日月に至っては字の読み書きさえもできない!(爆) 近代的な人権など保障もされておらず「ゴミ」同然の扱いを受けてきた、そして鉄華団を名乗るようになったガラの悪い少年たち。
 しかし、学が無いなりの倫理感や、それゆえの学者や文化人などの受け売りではないような独特の心情、たとえそれがどれだけ偏ったものであろうとも、自身が人生途上で独力でツカんできた信条を吐露する描写などは、けっこう感情移入ができるものともなっていたのだ。


 #6『彼等について』で、それこそ先述の『ジョジョ』にでも出てきそうなヤンキーみたいな団長であるオルガ青年が副団長格のビスケット青年に対して、三日月のことを指して、


「あの目は裏切れねえ。いつだってオレは、イキがって、カッコいいヤツでなければならねェんだ」


などと語ったり、#8『寄り添うかたち』で名瀬に対して、


「あいつらの死に場所はオレがつくる!」


などとタンカを切ったりハッタリをかましたりと、良い意味での虚勢を張りつづけている姿。それは生命や健康すらもが保障されてこなかった年下の少年たちの不安をこれ以上ふくらませないために、彼らを絶望させないためにも、心理的な大黒柱となって安心させるための意味もあるのだ。


 三日月をはじめとする周囲の少年たちの目線を、オルガは自身の内面での基準線ともしているのだ。それは「ヨコ方向」での仲間内での一種の「同調圧力」が発端にすぎなくて、それらに「迎合」しての行動原理だったのかもしれない。
 しかし、ヒトとして気高く、見苦しくなく振る舞おうとする行為も加わって、それらは単なるムラ世間的な同調圧力による迎合や、自身を高く見せようとする虚栄心だけではなくなっている。誰に対しても安直に迎合・屈服などもせずに、集団を守るリーダーとして、そして人間として正しいと思われることを自発的に実践していく近代的精神だともいえる「タテ方向」での「倫理」や「矜持」の域にまで達した行動原理になっているほどであるのだ。


 むろん、そういった態度を首尾一貫できているのは、彼自身が近代的・モダンな性格の持ち主であったから……ということではさらさらなく(汗)、皮肉にもある意味では前近代的な彼の生来の気性、不敵で負けず嫌いな性格でもあったからこそ、このような境地に到達できたのだともいえるのだけど。



 #10『明日からの手紙』にて、妹のクッキーとクラッカーからのビデオメールを、身寄りのない少年たちが多い鉄華団の団員たちに観せると、自身の境遇と引き比べて悲しんだり嫉妬したりする可能性もあるから観せまいとする、副団長格でもいかにも温厚で気配りもできそうな小太りの小柄青年・ビスケットの気遣いもまたしかりだ。


 この#10においては、健気だけどテキパキとしていてシッカリもしているロリ系少女・アトラの10歳のころの回想が語られる。虐待や食事抜きで酷使されて、丁稚奉公先のお店から脱走はできたものの、行き倒れ同然となっていたアトラを救ったのが三日月だったと明かされるのだ。


名瀬「おまえたちは仲間じゃねえ。家族だ」


 名瀬はオルガに鉄華団のことをそう語る。いわば社会から疎外されてきたともいえるような、筆者なぞも含む学校・会社・地域などには友人が少なかったようなコミュ力弱者であるオタク的な人種もまた、鉄華団のメンツに相応に感情移入してしまうことは、ある意味では当然だともいえる。
 たとえ親兄弟がいなくても、信頼できる仲間という名の「家族」ができた彼らのことは、クーデリア嬢ではなくとも羨ましいとは思えるし、言祝(ことほ)ぐべきことでもあるのだ。


アトラ「クーデリアも家族のひとりだよ」


 鉄華団の一員だとは云いがたいクーデリアの疎外感をも敏感に察知してか、アトラ嬢は実業家でもある実父に疎まれてきたクーデリア嬢を元気づかせる。云ったそばから、ここでアトラ嬢が名瀬のハーレム家族のような一夫多妻制を連想してしまって、三日月をクーデリア嬢と取り合うことなく、


「同じ家族ってことは、みんな幸せ!」


などと喜ぶようなギャグ描写は、もっと存在してもよかったけど(笑)。


 こうして鉄華団の結束の固さが前段として描かれてきたからこそ、#11『ヒューマン・デブリ』――直訳すると「人間ゴミ」!(汗)――は、「ドラマ」と「バトル」(モビルスーツ戦)のクライマックスが華麗に融合した感動を呼び起こすこととなっていた。


 両親を含めた大人たちを海賊に皆殺しにされ、子供たちは各地の人買い業者にゴミみたいにバラ売りにされたことで、弟の昌弘と生き別れになった過去を、#10にて寡黙でマッチョな昭弘は心を許した仲間であるタカキ少年に語っている――のちに来る悲劇を際立たせるために、視聴者に明弘やタカキに対しての感情移入を深めさせていく、いわゆる「フラグ(旗)」(笑)を立てているのだ――。


 #11にて宇宙海賊・ブルワースのモビルスーツが大挙来襲してきて、昭弘がこれを迎え撃つも、タカキが人質にされてしまう!


昭弘「そいつを返せ!!」


 だが、敵の通信から昭弘はタカキを人質にしたモビルスーツの操縦者が、実の弟・昌弘であることを察知する!


 正直いくらなんでも、生き別れの弟の存在を明かした次の回でもうこのネタをやるのか? とは思えるのだ。
 しかし、荒っぽい少年たちが多い鉄華団の中で、妹とほとんど同じ顔(笑)をしているほどの美少年・タカキが人質にされた末に重傷を負ってしまうのがまた、その悲劇性をより強調することとなっている。


 けれど、味方側に生じた悲劇の一方で、三日月が操縦しているガンダムバルバトスに仲間を殺された海賊ブルワースの少年兵が、


「アイツら、絶対ブッ殺してやる!!」


などと復讐を誓う姿もまた描かれていたのだ。


 古今東西、ほとんどの人間は「右の頬をぶたれたら左の頬を差し出せ」「何十回でも許せ」といった、往年のウルトラマンエース(最終回)やキリスト教的な寛容の精神では、キリスト教圏の人々でさえ実践してはこなかった(爆)。
 喧嘩に弱くて気も弱いというのが相場でもある、我々のような卑屈なオタクたちは、圧倒的な暴力の前では沈黙してしまうというのがふつうだろう(汗)。
 しかし世間一般的には、あるいはたいていの男の子は、身内や知り合いを殺されれば、怒りに燃えて復讐心にかられてしまうタイプが大多数だとも思われる。良くも悪くも、それもまたしごく自然なこととして描いていたのが、これら『鉄血のオルフェンズ』での一連であったともいえるだろう。


 つまり、本作の主人公少年・三日月自身もまた、劇中内での絶対正義ではさらさらないのだ。自身が生き残るためにも相手を殺していて、しかもそれによって恨みも買っているワケなのだ。立場が変われば主人公もまた敵役(かたきやく)にすぎないことを端的に象徴したストーリーでもある。


 もちろん、こういった主人公の正義を相対化してみせるような作劇は、元祖『機動戦士ガンダム』#11「イセリナ、恋のあと」における宿敵・ジオン公国を独裁支配するザビ家の末弟・ガルマの恋人であったイセリナ嬢がガルマ亡きあとに復讐に来るエピソードに端を発している。
 『ガンダム』の富野喜幸監督が手掛けた次作『伝説巨神イデオン』(80年)でも、宇宙戦艦の避難民の中に紛れ込んでいた異星人のヒロインを、本来は心優しいハズである温厚なレギュラー少女が家族を失った悲痛で、直接の加害者ではないのに敵の異星人の一党だということで射殺しようとして果たせずに泣き崩れてしまうエピソードなどもあったのだ。
 日本のリアルロボットアニメの長い歴史の中では幾度となく試みられてきた類例があるものでもある。今となってはよくある展開ではあるけれども、それでも何度でもやっておくべき普遍的な展開ではあっただろう。


 ここでもまた、治療箱を持って駆けつけてきたのはよいけれど、タカキ少年の流血のヒドさにうろたえてしまって、「何もできなかった」とクーデリア嬢が悩んでしまう姿が描かれていた。
 子供たちが「先生は何してたの?」と当然、悪意はないものの、結果として追い打ちをかけてしまう描写が実に効果的でもある。


アトラ「ありますよ、できること。お見舞いです」


 クーデリアを家族の一員と考える、このアトラの優しさが実によい!


昭弘「オレ、楽しかったんだ。ゴミだってことを、忘れてた……」


 元々はゴミ同然の存在でしかなかったのに、鉄華団に属することで楽しさをおぼえてしまったために「バチが当たった」などとオカルト・縁起担ぎなことを語ってくる、その自尊感情はあまりにも低い昭弘。
 それに対して、リーダー・オルガ青年は「バチが当たったこと」については、昭弘のメンツも考えて彼の顔を立てるためにか直接には否定はしない。そして、バチの発端とされてしまった鉄華団を、「『楽しい集団』にしてしまったのはオレのせいだ!(大意)」などと一見、非合理的なことを語りはじめるのだ!(汗)


オルガ「責任は全部オレがとってやる。弟のこともだ。おまえの弟なら、鉄華団の兄弟も同然だ。なぁ、そうだろ、おまえら!」


 オルガはもちろんインテリではないので非合理的なことを語ってはいる。しかし、云ってしまえば、「仮に天罰があるのだとしても、それはオレがすべて引き受ける!」「だから、おまえらは安心しろ!」「今の『楽しい集団』である常態を徹底していってみせる!」といった主旨のことを、言葉足らずではあっても団員たちに周知徹底させることで安心させつつ、同時に士気も上げているのだ!


 団員たちの歓声が湧き上がる中で「ウルさくて寝ていられない」などと(笑)、タカキ少年が意識を取り戻すラストもまた、安直でご都合主義的なハッピーエンドではあるのだが、実に泣かせてくれるものがあった!


 正直、これら一連のオルガ青年の発言は近代的・合理的な理屈にはなっていない(笑)。しかし、インテリならぬヤンキー、あるいは庶民・大衆の大勢は、小ムズカしい理屈や論理で動くのでは決してない。
 気概・気迫・胆力がある御仁。平常時であれば可能であっても、イザというときにでもブレたりメゲたりパニクったりはしない御仁。即興・直感・反射神経ゆえでも、問題解決能力がありそうな頼れる御仁に対して「人間力」を感じて、ついていくものでもあるからだ。
 そして実際にも、インテリや我々評論オタクの空理空論なぞは、現実世界においてはおそらく万人を救えない。オルガ青年のようなヤンキー一歩手前にある胆力もある人間こそが、物理的にも肉体的にも心理面でも、個別具体の個人を救ってみせることができるのであろう……


 「兄貴」「兄弟」と呼びあうオルガと名瀬が語り合う場面に、実力派歌手であるMISIA(ミーシャ)が歌うエンディング・テーマ『オルフェンズの涙』がここにかぶさってくる音楽演出がまた、そういった心情を漠然とでも感じさせてくれるこのシーンの感動に、より拍車をかけてもくれるのであった……



追記:


 MISIAは2015年の大晦日に放映される『第66回NHK紅白歌合戦』で、この『オルフェンズの涙』を披露することが決定!――後日付記:長崎は平和記念像の前にて披露――
 以前はMISIAの妙にドスの効いた、あまりにパワフルなボーカルが正直に云って苦手だった(汗)。しかし、実はMISIAのふだんの語りを聞いてみると、その歌声とはあまりにギャップが激しい可愛らしいものであり、それこそ声優でも務まりそうな声であった。
 本作で活躍しているロリ系少女・アトラや、先述した『ガルパン』のプラウダ高校のチビチビ少女隊長・カチューシャ、『琴浦さん』(13年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20151102/p1)の主人公・琴浦春香などを演じた声優・金元寿子(かねもと・ひさこ)が、これらのキャラをロリ系のボイスで演じていた際の声に近いような気もするほどであった(いや、マジで・笑)。


 これに対して、鉄華団の少年たちから「大人の女だ!」と大喜びされていた(笑)、#10から登場した黒スーツ姿で仕事デキるキャリアウーマン系の金髪美女・メリビット女史を演じている田中理恵は、やはり『ガルパン』の主人公・西住みほ(にしずみ・みほ)の姉・西住まほや、特撮マニア的には『仮面ライダーフォーゼ』(11年)の女敵幹部怪人であったヴァルゴ・ゾディアーツの声が印象深い。
 実際にも田中は、小柄で超音波声を発する御仁が多い女性のアニメ声優には珍しく、長身だからこそかクールな低音の美声を発している。写真を見ても黒髪ロングのモデル体型の美女であった。ちなみにダンナはかの実力派ベテラン声優・山寺宏一だ!(爆)


(了)
(初出・オールジャンル同人誌『DEATH-VOLT』VOL.73(15年12月31日発行))


機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』(1期) ~合評3・終了評

(日曜17時 TBS系 放送終了)
(文・久保達也)
(2016年4月20日脱稿)


クーデリア「私の行動のせいで多くの犠牲が生まれました! しかし、だからこそ私はもう立ちどまれない!」
アイン「その思い上がり、この私が糾(ただ)す!!」


 火星の窮状を訴えるために、はるばる地球に来たお嬢さまであるクーデリアの前に、主役ロボのガンダム=バルバトスや他のモビルスーツ(以下、MS)よりも二回りは大きいであろう、治安維持軍・ギャラルホルンのMSが立ちはだかって、巨大な斧(おの)でクーデリアに襲いかかろうとする!


 間一髪、主人公の三日月・オーガスみかづき・おーがす)が操縦するバルバトスが、ビルが林立する市街地の中を地面スレスレに超高速で飛来してきて、巨大MSに突撃する!


 #24『未来の報酬』のクライマックス~#25(最終回)『鉄華団』に至るまで、バルバトスvs巨大MSの市街戦が展開されている。


・クーデリアを背面から画面手前に配置して、アオリで巨大MSを捉えたり
・MS戦をビルの室内からの主観で窓ごしに捉えたり
・はたまたビルとビルの間からロング(引き)で捉えたり


 まるでウルトラマンシリーズにおける、巨大ヒーローvs巨大怪獣とのビル街でのバトルを描いた特撮演出を彷彿(ほうふつ)とさせるほどなのであった!
 まぁ、巨大ロボットアニメ自体が特撮巨大ヒーローものや怪獣映画から分岐した存在でもあるのだし、ウルトラマンや怪獣映画といった世代的な共通体験で育ったスタッフたちが送り出すようになった80年代中盤以降のロボットアニメには、こういった特撮へのオマージュ、あるいは往時はチャチであったかもしれないミニチュアを精巧な作画でリアリティーあふれる存在に見立て直したり、パースペクティブを強調することで巨大感も強調した演出が取り入られるようになって久しいのだけど、本作もまたそのあたりは抜かりがないどころか、最高級にものに仕上がってもいたのだ。


 いや、たしかにあれはもはやMSではなく、


ギャラルホルン兵士「まるで悪魔だ!」


と形容されたほど、完全に人型巨大ロボとはまた別の、シリーズ最終展開にふさわしい異形の巨大怪獣のごとき強敵存在としてデザインされている!


 両腕に持った巨大な斧や、瞬間移動にドリルキック(!)などを駆使して複数のMSを相手に猛威を奮うさまは、近年の「仮面ライダー」や「スーパー戦隊」シリーズの劇場版のクライマックスに登場するような、超巨大ラスボス怪獣のような威容まで誇っていたのだ!


 だが、本作はいわゆる「正義」のスーパーヒーローが巨大な「悪」を倒してみせる、純然たる「子供向け番組」とは云いがたい。
 では、なぜにこんな巨大怪獣・悪魔・化けものだとしか形容しようのない存在が、最後の「敵」として登場することとなったのか?


 他のMS同様に、あの巨大MSもあくまで兵士が操縦する機械であった。
 しかも搭乗するのは、#1から登場していた敵側の末端の青年パイロットであるアイン・ダルトン。本作では圧政者としての敵勢力として登場している地球政府側の中では愚直な軍人ではある。しかし、地球人と火星人(火星移民)との混血でもあり、地球の中では彼もまた差別されてきた出自も描かれることで、作品世界の構造が二元論的な単純なものではないことを担保しており、と同時に敵のひとりでありながらも視聴者側の感情移入を誘ってきた人物でもあったのだ。


 だが、このシリーズ終盤では、この巨大MSを操縦しているアイン・ダルトンの姿はその横顔を捉えたカットが数回挿入されるのみであり、正面からの表情はいっさい描かれることはない。
 その代わりに、赤い単眼=カメラアイを備えたMSの顔面部分のアップ映像や、その巨体を奮わせるさまにアインのセリフがかぶるというかたちで演出されているのである。
 操縦しているというよりかは、まさにアインの魂がMSに乗り移って一体化していると形容する方がふさわしいのであった!


アイン「これが阿頼耶識(あらやしき)――脳や脊椎とマシンを直結させた操縦システム――の完全なる姿! 貴様のようなハンパなものではない! 文字どおり、人とモビルスーツをひとつにつなぐ力だ!!」


 機械と人間が融合することを進化と捉えるか、それとも人間性を失ってしまった事態と捉えるかは、文化多元主義的に考えれば一概には決めがたいことかもしれず、遠い未来には前者の進化として捉えられる時代が来てしまうのかもしれない(汗)。
 しかし、現代や本作が描いている未来においては、ふつうは後者として捉えられる事態だろうし、本作においてもここでは「人間が人間でなくなることの恐怖」を最大限に象徴した演出としている。



宇宙海賊のMSパイロット「おまえ、楽しんでんだろ! 人殺しをよ~~っ!!」
三日月「こいつは、死んでいいヤツだから……」

(#13『葬送』)



 このあたりでもすでに、主人公少年・三日月の発言はイカレていたかもしれない。しかし、侵略や他害的な企図からではなく、仲間を守るという防衛的な意図から出た発言ではあった。そして、この程度であれば、視聴者側でも背徳的な後ろ暗い喜びを感じてしまってもいただろう。


 しかし、最終展開に至るまでを振り返れば、戦闘が激化する中で、


鉄華団の小太りの小柄青年で、最も温厚だったビスケット
・クーデリアの侍女で、眼鏡をかけたクールビューティなフミタン・アドモス


 ふつうの作品では死にそうにもない人物にも見えていたレギュラーキャラたちを次々と失っていくなど、極限状況へと追いつめられていく鉄華団の少年たちが、次第に人間性を失っていくさまが描かれていったのだ……



オルガ「こいつは今まで死んでいったヤツらの弔(とむら)い合戦だ!」


 #22『まだ還(かえ)れない』にて、鉄華団の団長でもあるヤンキーチックなオルガ青年がそう宣言したことに、すべての少年たちが賛同する。


 #10にて鉄華団と締結した木星圏の大企業・テイワズより派遣されて財務&監視役となった金髪美女・メリビット女史は、彼ら少年少女が一致団結して迷いなく復讐としての戦闘に邁進していく光景に不徳義と恐怖を感じて、#23『最後の嘘(うそ)』にてオルガを、


「あなたたちはビスケットさんの死でおかしくなってる! このままじゃ戻れなくなる!」


と批判する! しかし、少年たちは、


「よけいなこと、云うなよ」
「オレたちは巻きこまれてるんじゃない。自分の考えで動いてるつもりです」


と、まったく聞く耳を持とうとはしない! どころか、その場の空気に呑(の)まれているのではなく自発的な意志なのだと一応の合理的な反論までされてしまったのでは、たしかに一概には否定はできなくなってしまうし、二の句も継げなくなってしまうのだ(汗)。



 それどころか、正々堂々とした「決闘」を鉄華団に申し入れてきたギャラルホルンの女司令官で、エキセントリックでヒステリーな年増女でもあったカルタ・イシューが搭乗するMSに対して、卑怯にもバルバトスで「奇襲攻撃」を仕掛けて、


三日月「アンタは殺さないと。また、オレたちの邪魔をするから……」


などと、徹底的にバルバトスでボコボコに打ち負かしてしまうのだ!


 そんな三日月の姿に、「これはみんなの仇討ち(かたきうち)なんだから、オレたちは見なくちゃいけないんだ」などと団員たちは見入ってしまうという始末……


 たしかにカルタこそがビスケットを殺した張本人であり、鉄華団にとっては「死んでいいヤツ」ではある。


カルタ「ひねりつぶしてあげるわぁ~~ん!」(笑)

(#19『願いの重力』)


 意図的に美人としてデザインされていなかったキャラだったが、永遠の17歳(笑)を名乗るも母性たっぷりなボイスを披露することが多い、大ベテラン声優・井上喜久子(いのうえ・きくこ)が軽妙でありつつも重厚なような絶品の演技を披露していたこともあってか、いかに悪党寄りのキャラ造形だったとはいえ、幼少期には(ひとり)ボッチであった本作の宿敵イケメンキャラ・マクギリスをかまってくれたようなその善性をも描かれてきたカルタが、この場面では個人的には本当にかわいそうで観ていられなかったものである(汗)。


 ちなみに、#21『還るべき場所へ』においては、カルタのMSを中心として、部下のMSが横一列にズラリと勢ぞろいし、


部下たち「われら、地球外縁軌道、統制統合艦隊!!」


などと、スーパー戦隊のごとく名乗りを上げる場面があった。


昭弘「撃っていいよな?」
三日月「あたりまえじゃん」


 名乗りの途中で鉄華団のMSが攻撃を開始してしまうのは、「なんで名乗りのときに怪人は攻撃せえへんのや!?」と、かつてスーパー戦隊を揶揄(やゆ)する際に云われていたネタの映像化かよ!?(笑)



 #24の導入部では、圧倒的な戦力を誇るギャラルホルンに対して、まだ年端(としは)のいかない子供たちまでもが大挙して小型兵器・モビルワーカーに乗りこんで敵陣に突撃していくさまが描かれていた。そして、メリビット女史の独白がカブさるかたちで、


ギャラルホルンは恐怖をおぼえただろう。正気を失ったような戦いぶりに」


と語られている。かの太平洋戦争の終盤、米軍の艦隊に捨て身の攻撃を敢行(かんこう)した、われらが日本の神風特攻隊や人間魚雷などにも通じる描写を、完全肯定も完全否定もしがたい、成り行きとしてそうなってしまった行為として、安直に偽善的で声高な戦争反対などというようなことなども叫ばせずに、鉛のようなニガ味とともに淡々と描いていくのだ。


 後期オープニング・テーマ『Survivor(サバイバー)』――映像との絶妙なシンクロが実に心地よい!――の歌詞には、


「機械のようなヤツらに支配される前に居場所探そう」


という一節があったが、その居場所にたどりつく前に、鉄華団の少年たちは、機械のような何かに支配されてしまったのであろうか?


メリビット女史「いったい、どこに辿り着こうというのか? この地獄を抜けた先に……」


 ここで唐突に特撮ジャンル作品を例えに出してしまって恐縮だが、言葉は悪いものの鉄華団のような底辺層とおぼしき若者たちがグループをつくって、ストリートでの集団ダンスを披露しており、そんな彼らがまたグループ同士で抗争を繰り広げているさまをシリーズ前半のドラマとしていた作品に、『仮面ライダー鎧武(ガイム)』(13年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20140303/p1)があった。


 同作もまたストリートダンサーの少年たちを素朴に賞揚するような牧歌的な青春賛歌などではなかった。ストリートダンサーの少年たちが、踊る場所をめぐってエゴイスティックに縄張り争いを繰り広げるさまが描かれていたのだ。そして、そんな彼らを市民たちは鉄華団同様に「街のクズ」呼ばわりをしている姿も描いていた。劇中キャラたちの行動を絶対正義とはせずに、突き放してみせていた目線やセリフもあったのである。


 企業城下町を舞台とした同作では、そんな彼らは次第にその街を牛耳っている大企業の陰謀に踊らされるようにもなっていく。
 しかし、同作の副主人公であった青年・駆紋戒斗(くもん・かいと)=仮面ライダーバロンは、それをも逆手にとって「弱者が踏みにじられる世界」を「実力」で実現するために、最終的には人間以外の「化けもの」へと自らの体を作り変えていくのだ……


 鉄華団の少年たちもまた、いわゆる人権などは完全に無視された劣悪な環境で酷使されたあげくに、ゴミだのカスだのネズミだのと、そもそも最初から「人間」として扱われていなかった連中であった。
 彼らもまた、ひたすらに搾取(さくしゅ)される底辺の階層から逃れるためには、この極限状況においては一時的に「人間」であることを捨て去ることしか選択肢がなかったのであろうか!?


 それは仕方がないことなのかもしれない。しかし、それはまた仲間を生かすためにも多数の仲間たちが、あるいは自分自身が死んでしまうことであったり、狂気の中に身をひたすということでもあるのだ。
 一時的な狂気だけで済んだ御仁はまだよいだろう。けれど、たとえ生還できても、その狂気で心を病んでしまう可能性だってあるのだ。


 それは決して少年たちばかりではない。


ガエリオ「マクギリス、おまえはギャラルホルンを陥(おとしい)れる手段として、アインを、アインの誇りを……(慨嘆) なんてことを! たとえ親友でも、そんな非道は許されるハズがない!!(憤怒)」


 組織が腐敗しており統治力も低下していたギャラルホルンの内部改革のためだったとはいえ、幼なじみのカルタや親友でもあった青髪の若造ガエリオ・ボードウィン特務三佐を捨て駒として利用して、さらにはそのガエリオの良き部下だったアインを「化けもの」に改造してしまった、クールで金髪のイケメン男であるマクギリス・ファリドに対して、ガエリオは怒りを爆発させる!
 そして、本作第1期となった最終回エピソードでは、壮絶な敵陣営での同士討ちのMSガチンコバトルを展開するのだ!


 当初は軽薄な感じで、マクギリスに次ぐ敵側の二番手イケメンキャラではあったものの、少々お知恵の足りないチャラ男にしか見えなかったガエリオだった。しかし、


・地球人と火星人のハーフであることから同僚たちから差別を受けてきたアインの身上に感情移入
・アインの上官で鉄華団との戦いで敗死した愚直な熟年軍人・クランク二尉の仇討ちを実現させてあげたいと同情
ガエリオをかばって瀕死(ひんし)の重傷を負ったアインの再起を祈願
・アインが「人間であることを捨てる」阿頼耶識システムの施術には最後まで反対


などなど、敵キャラながら彼の善性をも描いてきたのだ。


 #17『クーデリアの決意』では、宇宙植民都市であるスペースコロニー・ドルトの労働組合が起こしたストライキに対して、「不満分子が起こした反乱」を鎮圧するという名目でギャラルホルン統制局が実施した虐殺行為を、


「こんな卑劣(ひれつ)な作戦に参加できるか!」


と批判したりもしていたのだ。


――このような鎮圧名義での虐殺は、現実世界の歴史でも散々に繰り返されてきたことだろう。しかし、同話での左翼労組の一部過激派分子もまた、武器や兵器も密輸入(!)をしており、人命の犠牲を出してでも会社との武装闘争をも辞さないつもりでいたのだ。つまり、労組側をも一点の曇りもない絶対正義だとも描かないのが本作なのだ(汗)――


 バルバトスにやられて虫の息だったカルタを救出して、その最期を看取(みと)ったのみならず、


「カルタはおまえに恋焦がれていたんだぞ! 忌(いまわ)の際(きわ)も、おまえの名前を呼んで!!」


と、マクギリスにカルタの秘めた想いを叫ばせたりもさせることで、中盤からあまりにも「いい人」ぶりが描かれていただけに、視聴者の大勢もその印象が好転していたことだろう。


マクギリス「君はいつも高潔だった。君に屈辱(くつじょく)は似合わない」


 こんな甘い言葉でカルタを戦場に引きずりだして、三日月に始末させてしまうことで、マクギリスを常人とは異なる、あるいは少なくとも大の虫を生かすためには小の虫を、それも自身とも交情を持ったことがある人物をも殺してしまうことができるような人物像として完成させてもいるのだ。


 元祖『機動戦士ガンダム』(79年)における宿敵青年・シャアのポジションに相当するキャラクターなのだが、その原典に準拠してヘンな鉄仮面(汗)をかぶることで変装して、モンタークなる偽名を名乗って、一応の敵でもあったハズの鉄華団をも、自身の遠大なる野望を達成するための踏み台としても利用する……


 客観的に見れば、かなり悪どいことをしているのだが、そのやり口はスマートだし、見た目は美形キャラだから、女性ファンにも人気はあることだろう。


 そういえば、ウン十年も前に総集編映画『機動戦士ガンダム』第1作(81年・松竹・https://katoku99.hatenablog.com/entry/19990801/p1)を観に行った際に、筆者が観た劇場ではシャアが登場するたびに「キャアァァァ~~~~っ!!」だの「シャアさまぁ~~~~!!」などと、女子中高生の黄色い声が飛びかっていたものだ(実話)。
 当時、もう中学生であった筆者は、「こいつらアホか? 美形キャラのみをミーハー的に見ていて、作品の実質を観ていない!(怒)」などと内心では憤(いきどお)っていたものだったし、実際にも「ウルせぇよ!!」などと怒っていたお兄さんも何人かいたものだ。


 もっとも、現在では当の筆者が自宅で『ラブライブ!』(13年)を観るたびに、「真姫(まき)ちゃ~~ん!!」などと叫ぶようになってしまったが(汗)。


 今となっては、武道館や埼玉スーパーアリーナなどで開催されている人気アイドル声優やアニソン(アニメソング)歌手たちが熱唱する姿に、数万人規模の大きなお兄さんやお姉さんたちが熱狂するような時代となっている。シャアが登場するたびに「キャアァァァ~~~~っ!!」だの「シャアさまぁ~~~~!!」などと叫んでいた女子中高生たちの方が、ファン活動の在り方としては正しかったもかもしれないとも思っている(笑)。



幼少時のマクギリス「ボクなんかと、遊ばない方がいいですよ」


――そそくさと離れようとした幼いマクギリスの前に、「遊びに来てやったわよ」などと、仁王立ちで立ちふさがる幼いころのカルタは、その平安美人的な顔面も性格も含めて、その頭身を縮めただけのデザインとなっていた(笑)――


 養子として引き取られた立場から、幼いころのマクギリスは常に卑屈にしていた。


「君は憐(あわ)れみでもなく、情(なさけ)でもなく、平等に扱ってくれた」


 #23ではマクギリスはカルタに感謝の言葉を語っていた。


 だが、その一方で、最終回ではマクギリスはガエリオに静かにこうも語っている。


「友情、愛情、信頼……そんなナマぬるい感情は、残念ながら私には届かない。怒りの中で生きてきた私には……」


 本編では詳細は語られてはいないが、マクギリスには壮絶なる生い立ちが感じられる――最終回での養父であるイズナリオ・ファリドの「絶望から救いあげてやった恩義を忘れたおまえの先も、絶望しか待っていないぞ」なるセリフに、それは充分に現れてはいた――。


マクギリス「ガエリオ、おまえに語った言葉にウソはない。ギャラルホルンを正しい方向に導くためには、おまえとアインが必要だった。そしておまえは、私の生涯、ただひとりの友人だったよ……」


 社会で成功・変革・革命を成し遂げるためには、友情・愛情・信頼といった「人間」らしい感情を捨てて、ひたすらに非情に徹した「怪物」になるしか道はないのであろうか?


 とは云ったものの、『オルフェンズ』は人間性がすっかり失われてしまった非情な世界ばかりが描かれていたワケでは決してない。
 スペースコロニー・ドルトで弟のビスケットと再会を果たすも、たまたま寄港中であった火星出自のクーデリア嬢をコロニーの労働者階級が起こした暴動の首謀者に仕立て上げて、ギャラルホルンに引き渡そうと画策したことから、ビスケットと激しく対立することとなってしまった実の兄であるサヴァラン・カヌーレ
 しかし彼はドルトカンパニー本社の役員として、労働者側からは裏切者呼ばわりされようとも、会社の上層部連中に対しては労働組合との対話の継続を訴えつづけていたのだった。上と下からの板挟みにあってしまう中間管理職の身であっても、彼なりになんとか最悪の事態である「武力衝突」を防ごうとしたからこそだった。


 しかし、結局は組合員たちはギャラルホルンに虐殺されることとなってしまう。その責任を感じたサヴァランは自ら命を断ってしまうのだ(汗)。


 このサヴァランも、鉄華団側からすれば悪役のように描かれてはいたものの、この極限状況下でひょっとすると生まれて初めての多少の小細工は弄してしまったかもしれないものの、実は「いい人」の部類に属するといえるであろう。


 その遺書にはこうあった。


「大きなうねりに巻きこまれたら、もう逃れられない。おまえは振り回されずに自分の道を進め」


 たしかに少年漫画のように「信じれば夢は叶う」といった話は、そういうこともたまにあるかもしれないし、まずは信じることがスタート地点だとはいえ、「個人ひとりの願望」などではなく、個々人が集った果てである「全員の願望の総和」で社会が形成されている以上は、たとえ自分は反対の立場ではあっても、世人の大勢がそうしたいと願って行動していて「大きなうねり」も起きていたならば、それに水をかけて冷やすことなどはとてつもなく困難なことなのだ。まずは不可能だと云ってもよいだろう。
 そうなると、無責任なようでもそこからは距離を置いて、その問題は解決ができないままで、別の道を進むしかないのだということにもなってしまうのだ。


 この一連の事件と兄の自殺とその遺書にビスケットは大きなショックを受けてしまう。そして、盟友であったオルガとの口論の末に、鉄華団を降りるとまで云い出してしまうのだ!


 #20『相棒』におけるこの場面以降は、団長・オルガの弱い面、「いい人」としての面も描かれるようになっていく。


 それまではひたすらタンカを切ったりハッタリをかましたりと虚勢を張りつづけていたオルガだったが――このときもドアを乱暴に蹴り上げてメリビット女史を驚かせる――、遂にメリビット女史に、


「ショックだったよ……」


と、初めて「弱み」を見せるのであった。


 さらに加えてイジワルな作劇であることに、#21では先のビスケット青年を自身の目の前の戦闘で失ってしまうのだ! そして、#22ではオルガは団員たちに命令も出さずにひたすら部屋に閉じこもったままとなってしまう!


 さらに#23で、ビスケットがオルガとの先の口論のあとでも実は、


「オレは降りないよ」


などと、真逆なことを語っていたことを三日月から聞かされたオルガは、遂に「男泣き」までしてしまうのであった!――ここでおもわず「もらい泣き」してしまったのは筆者だけではないだろう!――



 しかし、#24でのギャラルホルンとの決戦前、オルガは少年たちの士気を高めるために、


「オレたちはひとつだ! 家族なんだ!!」


として、


「誰が死ぬか生き残るかは関係ない! 死んだヤツの命は生き残ったヤツらの未来のために使われるからムダにはならない!」


などと訴えだすのだ!


 一理はあってもトータルでは決して人道的ではないこの理屈。しかし、残念ながら戦術的には正しいのかもしれないのだ。そして、この戦いでは「死ぬ可能性が高い」ということを包み隠さず提示してみせている点では誠実ですらあるともいえるだろう。
 しかし、「死ぬ可能性が高い」からといって、敗走してしまえば、その先にもまた別のかたちの「死」が、あるいは死に至る可能性が高い過酷な労働だけで人生を終わらせてしまう可能性も、この作品世界においては高いワケだ。


 実にムズカしいところではある。先の大戦では日本も含む枢軸国がこのような理屈を訴えてもいた。しかし、対戦相手である連合国側の長である一応の自由主義国であるアメリカも、そして共産主義革命を唱えていた旧・ソビエト(現・ロシア)や中国もまた、実は同じような理屈を唱えて、戦争や革命を遂行してきたのだ。
 それらが文句なしに正しかったなどとは到底、云えないことだ。しかし、かといって、戦争や革命で命を失った彼らの死がまったくの「無駄死に」であったかといえば、そうも云い切れず、母国を防衛するための時間稼ぎができたり、革命を推し進めることができたという点においては、一応の意義があったとは云えもするのだ。よって、こういった事態に対する解釈は実に複雑なこととなってしまうのだ。


メリビット「こんなの間違ってる! ビスケットさんだって、フミタンさんだって、こんなの望んでない! もう私、何も云えない……」


 もちろん、メリビット女史の発言もまた正しいのだ。これまで年長の常識人として――といっても、まだまだ若いけど――気丈に振る舞ってきたメリビット女史が、遂に顔を両手で覆って泣き崩れてしまう。


 それに対して、巨漢の黒人で鉄華団の整備班長でもあるナディ・雪之丞(ゆきのじょう)・カッサパが、


「あぁ、まちがってるさ」


などと、そのゴッツい手をメリビット女史の頭に優しく置きながら、ボソッとつぶやく演出が実に秀逸(しゅういつ)である。


 そして、「あぁ、まちがってるさ」というセリフが象徴もしているとおり、鉄華団が自身たちの正義を微塵たりとも疑わない、ただの狂信的なキチガイ集団だとして全否定的に描かれているワケでもないのだ。


 ここで実に分も悪い「戦闘」に挑んでみせるしかない致し方のなさ。そして、そのこともまた「人殺し」でしかない以上は完全肯定もまたできない。そんな二股に裂かれるしかない気分や道理を、グラデーション豊かに実に多面的にも描いてみせているのが本作なのだ。



 そして、これまでひたすら勇ましいことを叫んできたオルガに団員の少年たちがずっと付き従ってきたのは、彼のイキがってみせる態度から来る威圧感や、彼に逆らうと怖そうだから従ってみせている、といった理由だけでないハズだろう。
 もちろん、単なる弱々しい善人にすぎなかったとしても、少年たちはオルガにはここまで従ってはこなかったハズなのだ。


 胆力もあって他人や部下を威圧&プレッシャーも込み(汗)で自然とヒトを動かしてみせたり、見知らぬ他人とも臆せずに交渉して、そして物事を決めてくることもできる……
 しかして、それは単なる私利私欲や虚栄心だけでもなく(それもあるのだろうが・汗)、何らかの志(こころざし)もあってそれなりの大義をも成し遂げてくれそうだ! 赤の他人に対してはともかく、知り合ってしまった人間に対しては情にも篤(あつ)そうだ! 面倒見もよさそうだ!
 そんな頼りにもなり、付いていけば何かよいこともありそうだと思えるような人格力を持った彼だからこそ、協力してみたい! とも思わせるオルガの「人徳」や「人間力」に対してこそ、旧日本軍の特攻的だともいえる無謀に団員たちは付いていったのだろう。


 基本的人権だの自由・平等・博愛といった近代的な理念などは、もちろん神さまなどは実在しない以上は天賦(てんぷ――天が与えたもの――)であるワケがないのだ。それらは、極度に人工的で作為的な概念でもあるのだ。
 むろん、タテマエ的な取り決め事も人間社会には必要なものだ。しかし、人間も一皮ムケば、群れをつくって生活する霊長類・猿の一種でもある以上は、あるいは原初の世界に戻れば、オルガのような人物に心を動かされたり、付き従っていきたいと思ってしまうものなのかもしれない。あるいは、人間の本質もまたそちらの方に近いのだろう。


オルガ「こっから先は死ぬな! 死んだヤツは命令違反でオレがもう一度殺す!!」


 最終回での少年たちに対する、このオルガの矛盾した命令こそが、


「あいつは団長として、ずっとこの命令を出したかったんだ」


と、雪之丞がメリビットに語ったように、オルガの二律背反した、「死を賭しても戦って勝利してほしい」という気持ちと「戦っても死なずに返ってきてほしい」という気持ちの、両方ともにホンネである本心を象徴したものだったのだ。



ラフタ「アタシたちもさ、ここに来なけりゃ行き場のなかった子、けっこう多いんだよね」


 名瀬・タービン(なぜ・たーびん)が率いる輸送会社・タービンズの女性パイロットで、黄色髪ツインテールのおてんば娘であったラフタ嬢も、#22で爪を切りながらそう語っていた。
――その姿を後ろから捉えた、ウエストからヒップへと流れるラインを強調したカットがまたよい! とにかくラフタの登場場面はフェッティッシュなアングルが多くて、ソフトなお色気担当を兼ねていることもわかるのだ(笑)――


 そのたった一言のセリフだけで、フェミニズム的には猛烈なクレームがつきそうでもある名瀬の一夫多妻制なハーレム一家(爆)が、実は鉄華団の少年たちと同様の、身寄りのない女性たちの「駆け込み寺」であって、名瀬が単なる女好きだけでもない「人間力」の持ち主であることを明らかにした演出も実にあざやかであった。


 ところで人間も、霊長類の一種である以上は、ボス猿による一夫多妻な群れ社会の方が、本来的な在り方なのかもしれず……(以下略・笑)


 最終回では、迎えに来た名瀬に「ダーリン!」と、人目もはばからずに屈託なく泣きついてみせるラフタとエーコの姿と対比して、


アミダ「あんたはイイのかい?」
ジー「やめてくださいよ、姐(あね)さん」
アミダ「かわいいねぇ、アンタは」


などと、常に控え目で冷静沈着なグレー髪のアジーが照れているさまを、お色気過剰な姐さんである名瀬・タービンの第一夫人・アミダがおちょくる場面がまた名場面に仕上がっている。


 おそらく『ガンダム』にかぎらずアニメなどに傾倒するオタク諸氏もまた、子供のころから照れ屋で感情表現が苦手であったり、他人や敬愛する人物にスナオに好意を表明したりする行為を、媚びへつらいや奴隷的な服従のようにも感じて(汗)、それでコミニュケーションチャンスも失って疎外感が感じてきたような人種も多かったことだろうから、このアジーの控えめな振る舞い方と、それに敏感にも気づいて彼女のことをも代わりに受けとめてみせるアミダ夫人の包容力には感じ入ったことだろう。


――ちなみに、オペレーターで出番が少なかったものの、終盤では鉄華団の整備を手伝うかたちで出番が増えたエーコを演じているのは、『ラブライブ!』で主役アイドルユニットの一員・小泉花陽(こいずみ・はなよ)を演じていた久保ユリカであった――



 文脈上、本スジに収めにくかったので、最後にまとめて記すが、クーデリア嬢の侍女であった年増女性・フミタンも、シリーズ途中からそのキャラが深堀りされていって、それがまた実によかったものだった。


 #15『足跡のゆくえ』では、フミタンがクーデリア嬢を指して、


「まっすぐな瞳が、ずっとキライだった」


などと語っている。


 自身の名前がサブタイルとなった#16『フミタン・アドモス』においても、幼いころのクーデリア嬢がスラム街の少女にキャンディーを手渡そうとするも「その場限りの施(ほどこ)しにすぎない」とフミタンがたしなめる回想場面があった。


 自身もスラム街の出身であり、先の少女に過去の自分の姿が重なったことから、世間知らずのお嬢さまであるクーデリアに対して、


「現実を知って、濁ってしまえばいい」


などとつぶやくさまは、我々下々の人間もまた、善良そうだが苦労知らずそうな人間に対して「ちったぁ苦労しろい!」といった思いを普遍的に抱いてしまいがちな、その鬱屈(うっくつ)とした想いに満ちあふれた、実に説得力が感じられる描写になっていた。


 #15のラストに至っては、モンタークによりその正体がクーデリア暗殺のために送りこまれたスパイであったことが明らかにされている!
 しかし、#16でクーデリアをかばって凶弾に倒れたのは、少々でも情が移ってしまった彼女の身をその身を呈して本心から守りたい! という気持ちもあったのだろうが、その一方ではやはりクーデリアのまっすぐな瞳を濁らせたいためではなかったか?
 任務自体には失敗したものの、フミタン自身の復讐にも似た願いは、実は充分に達成できたのではなかったかと思わせるような、ダブルミーニングな描写もまた実に本作らしい、多面的な人間描写に仕上がっていたのだ。


 先の別項では、本作は小学生男児が喜びそうなメカロボや戦闘シーンが欠如気味であると批判をしてきた。しかし、こういった描写は『ガンダム』が端緒を切り開いた、元々は子供向けであったテレビアニメにおける人間の多面的な描写を推し進めて、今や人間であれば誰でも微量には持っているであろうダークサイドや矛盾もハラんだ気持ちを、物語や劇中人物による実にさりげないお芝居や演出や点描などでも表現できる時代となっているのだ。


 このフミタンの声を低音ボイスで演じていたのは内山夕実(うちやま・ゆみ)。『げんしけん二代目』(13年・)ではおデブなメガネの女子部員・矢島や、『蒼き鋼のアルペジオ -ARS NOVA(アルス・ノヴァ)-』(13年)では旧海軍の戦艦・霧島に変身(爆)する美少女・キリシマを演じていた。後者のキリシマもまた『アルペジオ』のヒロイン中では個人的に最も好みであった――ただし、小さなクマさんの縫いぐるみ姿に変わる前の人間態の方――。どうも筆者はあまり抑揚が感じられない低血圧ボイスに弱いようだ(笑)。



クーデリア「私の手も、もう汚れています」


 #19で握手を求めるも、手が汚れているからと断ろうとした三日月に、クーデリアはそう語っていた。


 そして最終回、ラストバトルの後遺症で右手が思うように動かなくなってしまった三日月はクーデリアに対して、


「この手じゃもう、なぐさめてあげられないから」


と、残念そうにつぶやく。


 一応の主人公であるのに、ひたすら寡黙(かもく)で感情には乏しい三日月ではあったが、決して戦闘マシンであるばかりではなかったのだ。


アトラ「三日月が大変なときは、あたしたちがなぐさめてあげるんだから!」


 炊事係の少女で幼児体型のアトラと成熟した金髪美少女のクーデリアにはさまれて、「両手に花」状態となって困惑している……といった三日月の「人間」クサい姿で幕となったことは、せめてもの救いであったように思える。


 2016年秋スタートの『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』第2期「鉄華団再び」が、今から待ち遠しくてならないものがある。


(了)
(初出・オールジャンル同人誌『DEATH-VOLT』VOL.74(16年5月1日発行))


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